基地は今こそ無くせばいい

久しぶりに親戚が集まったのは亡き兄の三年忌だったからで、
早くして逝った父親の位牌を前に、いや、むしろ気難しい叔父叔母(^_^;)を相手に若い甥や姪たちがとっても良く頑張っていて、気配りもすっかり大人である。
こう言った経験が人の生き方、価値観を形成して行くのかもしれない。
沖縄の風習をきちんと継承したい思いの強い80歳の長男兄は少子化の現代にあって、思うようにことが運ばず、悩みは多いようである。
末っ子の家人などは年齢的にも、世間的にも臨機応変が案外平気なので楽だけど、沖縄の長男、長女として背負ってきた責任感と自負心はどうしようもなく本人の心を痛めることにもなるようだ。
一方、中南部の教育現場や医療福祉現場に職場を持つ者たちの口から、決まって出る言葉は、アメリカ軍の基地に依存した職場の多い住民家族の弊害である。
家族の崩壊がダントツで、従って、教育現場の崩壊にも繋がっていることが、子供にも大人にもすぐに感じられる現状がある。
沖縄の戦後歴史の悲惨さは周辺地域の生活者の中に痛々しく現れている。
想像しただけでも、今民主党政権を悩ませている基地の移設建設に同意してくれる地域があるはずもなく、それはグアムにだって反対運動が地道に起こっていることでも納得である。
誰のための、誰が益を得る軍基地なのか・・、その者の住む所へ持って行けばいい。