変態がな

kimikoishi2006-07-17

さて、右の文字はなんと読むのでせう? 曲線がうまく出ないので若干変ですが・・・

わたしはひねくれものなので、正解が一つしかないテストやクイズは大嫌ひなのですが*1、たまにはよいでせう。

わたしは子供の頃に、ふと思ひたつて旧字・旧仮名遣ひ(正字歴史的仮名遣ひとも言ふ)を使ふやうになりました。

理由は何のことはない。老人みたいでかつこいいと思つたからです。學とか盡とか圖とか圓とか、実にごちやごちやして、メカニックで素敵だと思つたものでした。

それでは、わたしはどうやつて旧字・旧仮名遣ひを覚えたのか? それは、岩波文庫ででした。

当時の岩波文庫は、今のやうな紙カバーがなく、ひらひらの細い紙の帯(薄青色、薄緑色、薄赤色、薄黄色、白色がありました)がついてゐて、その上にハトロン紙といふのでしたか、油紙がついてゐました。←後日追記、ハトロン紙は縫製の型紙などに使はれる茶色い丈夫な紙のことで、本にかかつてゐるのはグラシン紙(=パラフィン紙)のやうです。

今でも古本屋に行けば、昔の油紙がついた岩波文庫はたくさんあります。油紙は酸化してひどい色になつてゐると思ひますが。

なほ、新潮文庫も角川文庫も、昔は帯の上に油紙でした。新潮文庫などは昭和四十年代の半ば頃?に油紙をやめて、現在のやうな紙のカバーをつけるやうになりました(移行期の新潮文庫は、既存の油紙の上にそのまま紙カバーをかけたりしてゐました)。

岩波文庫が全面的に今の紙カバーになつたのは、かなり遅くて平成に入つてしばらくしてからではないでせうか。新刊は昭和六十年代にはすでに紙カバーでしか出なくなつてゐましたが、旧刊を紙カバーに取り替へるのに時間がかかつたやうです。

それはともかく、昔の岩波文庫にはさらに今にない特徴がありまして、それはなにかと言ふと、一部ではありますが、旧字・旧仮名だつたのです。

今でも、岩波文庫の復刊は昔の版をそのまま使つて旧字・旧仮名だつたりしますが、あまり見なくなりました。かつて旧字・旧仮名だつたものも、今の字体と仮名遣ひに変更されてをり、既刊本にはほとんど残つてゐないやうです*2

わたしは日本の文学を岩波文庫でいくつか読みまして、旧字・旧仮名を覚えました。

どうもひねくれもののわたしは、レオナルド・ダ・ヴィンチが逆さ文字を書いてゐたやうに(ダ・ヴィンチと自分を較べてはいけませんが)、変な文字を書くのが趣味のやうで、そのうち変体仮名を少しですが書くやうになりました。

と言つても、わたしは日本の古典はほとんど読みませんので、くづし字と言はれるくねくね文字はほとんど読めませんが、少しは覚えました。

現在は、あいうえお以下の平仮名は、一音一文字ですが、近代以前は、たとへば「あ」一つでも数通りの書き方があつたものなのです。だから、いろは四十七音でも、何百といふ文字があつたわけで、それでは学ぶ際に邪魔であらうといふことで、明治になつて整備されて、一音一文字になりました。その時に捨てられた平仮名を変体仮名といふのです。

もちろん、「変態」な人の仮名といふわけではありません。

平仮名の整備は、活字印刷が近代になりまして盛んになつたこととも関係あるでせう。一音一文字のはうが、活字を拾ふ人は助かります。活字の備へも少なくて済みます。

とは言え、明治大正時代の人たちは、ふだんの生活では変体仮名を結構使ひます。時代が下がるにつれてその頻度はどんどん減つてゆきます。教育の効果でせう。それが、良いか悪いかは、わたしはとくに問ひませんが。

谷崎潤一郎はたぶん一音一文字は味がないと考へたのでせう。昭和の初めに『春琴抄』といふ美しい小説を刊行しましたが*3、その本が実にふるつてゐて、表紙に漆を使つてゐるのも凝つてゐるのですが、なんと変体仮名の活字を新しく鋳造させて、あちこちで使つてゐるのです。

当時の読者はまだそれが読めたのでせうか。それでも、ところどころに変体仮名を混ぜてゐるだけなので、知らなくても読めないといふことはないのです。昭和初期にはもう変体仮名を読める人は激減してゐたといふことなのでせう。

わたしはこの変体仮名のごく一部を普段使つて書いてゐます。なぜかといふと、面白がつてゐるからなのですが、そつちのはうが楽な場合もあるといふ理由もあるのです。「か」や「な」の変体仮名なぞは、現行の文字より書くのが楽です。

わたしはさらに面倒な時は中国の簡体字(大陸で使つてゐる省略漢字)も使ふので、大変迷惑な存在です。旧字旧仮名変体仮名簡体字が並ぶ日本語を書いてゐます。でも、それはメモの時だけです。

ですから、手紙を書く時はいつもパソコンを使ひます。さうしないと、うつかり変な文字を書いてしまふので、時間がかかるのです。実に間の抜けた話ですが、ふざけたことをしてゐるうちに、そちらがいつしか習ひ性になつてしまひました。

変体仮名
http://www.toride.com/~yuga/moji/kana.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E4%BD%93%E4%BB%AE%E5%90%8D
http://www.ikegamigakuin.ed.jp/hitokoto/kocho/sho/sho38.html

*1:最近、受験勉強のやうなテレビ番組が多くていやになります。いくつになつてもIQや偏差値を競ふ人がゐますが、大人にはあまり関係ないのではないでせうか。さういふのが好きな人ほど、きはめて魅力値は低いやうに思ひます。身近にIQが高いのを自慢する低人格の人がゐたのですが、IQに汲々としてゐる暇があれば、人格値を問題にして欲しいといつも思つたものでした。ぼけ防止にさういふ番組を活用されてゐる方へのあてつけではありません。念のため。

*2:仮名遣ひや漢字を変へるのはよいのですが、助詞や副詞までひらがなに変へるのはどうかと思ひます。新潮や角川も副詞などはひらがなにしてしまひますが(若し→もし、のやうに)岩波文庫はとりわけその勝手な平仮名化がひどいやうです。

*3:登場人物の佐吉が全裸になり、矢を持つて走る変な映画がありました。若い盲目の女性のしもの世話をするえぐい場面も頻々と描いてゐました。その映画の名をなんといふか忘れてしまひました。昭和五十年頃の映画でせうか。←後日発見http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2006-04-05/kaisetsu.html讃歌(112分・35mm・カラー)「盲目の三味線師匠・春琴(渡辺)と丁稚・佐助の秘められた情愛を綴る名作「春琴抄」が原作。すでに複数の映画化作品があるが、新藤はとりわけ男のマゾヒズムを強調し、それをきめ細やかに描き出している」1972年(近代映画協会日本アート・シアター・ギルド)(監)(脚)新藤兼人(原)谷崎潤一郎(撮)黒田清己(美)渡辺竹三郎(音)林光(出)渡辺督子、河原崎次郎、乙羽信子原田大二郎殿山泰司戸浦六宏草野大悟武智鉄二初井言栄 ださうです。