恩師・ロジャー・ニコール先生の思い出

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恩師・ロジャー・ニコール先生の思い出

恩師・ロジャー・ニコール先生はスイス人で、牧師・神学教師を世代を越えて世に送り出してきた家系のご出身で、5歳の時には自分で聖書を読んでいたとか。長くアメリカの神学校で研究と教育に従事されてきました。
 ニコール先生は、二度日本を訪問されました。
一度目は、私が日本クリスチャンカレッジ1年生の時でした。プロテスタント日本宣教100年を記念した大会で、旧約のE.ヤング先生と共に、K.バルトっをアメリカの福音派で、最も深く理解する若手の学者(改革派のベテラン宣教師のことば)として招かれたのです。
 その5年後に、まさかニコル先生の元で学び、生涯の師として、主にある指導を受けるようになるとは思いもしませんでした。

 二度目は1970年代で、ご夫妻で世界旅行をなさったさい、青梅キリスト教会牧師時代の私たちを訪問下さいました。その前後に幾つかの神学校で講演をなさいました。

 フラー神学校の英語の試験が、考えてもいなかったのですがパスできず、行くところがなくてゴードン神学院に行ったのです。
 当時のゴードンで最も優れていた制度・担任制の関係でニコール先生は、日本人留学生私を選んでくださり、3年間、実に親身な指導を受けるようになったのです。

 特に、入学後約2年、1965年4月私たちの結婚式では、お子さんのおられないニコール先生が、喜んで花嫁の父の役を引き受けて下さいました。またニコール夫人も、式に特別に誂えて純白のドレスと真っ赤の帽子で出席されたのです。もともと華のある方ですが、そのいでたちは人々の目を引きつけました。勇気のある人の質問に、「あなた、タケオとキミヨの国の国旗知らないの」と答えて平然となさっていたのです。

 1967年8月長男忍望が誕生した際mニコール先生の許可と提案で、長男お名前は、Ninbo Nicole Miyamura,祈り続けてくださいました。
 そのような背景の中での青梅訪問でした。

 1986年に沖縄に移ってから数年後、それまで教え続けた新約学ではなく、ニコール先生から学んだ組織神学を、沖縄聖書神学校で教えるようになったことを報告し、また助言を受けるため、フロリダの先生ご夫妻を訪問しました。
 先生は、とても喜んでくださり、改革派神学校で会う人ごとに、数名の学生と建物もない沖縄聖書神学校の実状をよく知りながら、大声で誇らしく、「This is thePresident of Okinawa Bible Seminary」と私を紹介して下さいました。
 また記念下さった、Wayne Gruden教授の大切な本・Systematic Theologyの扉には、いつものように、
 To my beloved son Takeo Miyamura だけでなく、
 To my beloved son
and colleague Takeo Miyamura と書いて下さいました。
 光栄なことであり、深い励ましでした。

 その時、90歳になっていた先生は、5歳の頃と同じく喜々として聖書を読み、論じ、書いておられました。