榊原康夫先生に学ぶ実践 その3

榊原康夫先生に学ぶ実践 その3

★今、私は、3つの点に意を注いでいます。
1.この訳語や訳文は、絶対に認めてはならないものがあるかどうか。あるとすれば何か。
2.この訳語や訳文は、他のものに比較して絶対に優れており、ぜひ紹介し提示すべきものがあるかどうか。あるとすれば何か。
3.1はそれぞれ大変な労力を払って営われている聖書翻訳においてはごく限られていると推察されます。また、2も他の訳語や訳文を押しのけて絶対的に提示する必要があるというのも、案外限られているのではないかと予測されます。つまり、大部分の場合はあれでもよい、これでもよい。どちらがより良いか、絶対的ではなく相対的な課題である。
この3点を互いに了解できるならば、1つの委員会訳を求め決定する道は、自ら開かれるのではないか。
この道を榊原先生は自覚し、実践していたのではないかと、今考えるのです。

【聖書の切れ味 その21】
種とパン(Ⅱコリント9:10)

「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方」(新改訳)
「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方」(新共同訳)
「種蒔く者に、種と食べるためのパンを与えて下さる方」(フランシスコ会訳)


【聖書の切れ味 その22】
主への讃美(詩編105:2)

「主に歌え」(新改訳)
「主に向かって歌い」(新共同訳)
「主に歌い」(フランシスコ会訳)


【聖書の切れ味 その23】
この一事(ヘブライ12:2)

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(新改訳)
「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(新共同訳)
「信仰の手ほどきまた仕上げをなさるイエスを仰ぎ見て」(前田訳)


【聖書の切れ味 その24】
みわざのすべてに心を開き(詩編105:2)

「すべての奇しいみわざに思いを潜めよ」(新改訳)
「驚くべき御業をことごとく歌え」(新共同訳)
「すべての不思議な業を語れ」(フランシスコ会訳)


【聖書の切れ味 その25】
叫ぶ石として(ルカ19:40)

「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」(新改訳)
「もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」(新共同訳)
「もし彼らが黙れば、石が叫ぶであろう」(フランシスコ会訳)


【聖書の切れ味 その26】
キリストに照らされて(エフェソ5:14)

「キリストが、あなたを照らされる」(新改訳)
「キリストはあなたを照らされる」(新共同訳)
「キリストがあなたを照り輝かせます」(フランシスコ会訳)


【聖書の切れ味 その27】
主の喜びこそ、指針(エフェソ5:10)

「主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい」(新改訳)
「何が主に喜ばれるかを吟味しなさい」(新共同訳)
「主に喜んでいただけることは何か見極めなさい」(フランシスコ会訳)

【聖書の切れ味 その28】
これぞ礼拝(フィリピ3:3)

「神の御霊によって礼拝」(新改訳)
「神の霊によって礼拝」(新共同訳)
「神の霊によって礼拝」(フランシスコ会訳)


【聖書の切れ味 その29】
昔も今も、一貫して同じ(ミカ7:7)

「主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む」(新改訳)
「主を仰ぎ わが救いの神を待つ」(新共同訳)
「しかし、わたしは主を仰ぎ見る。わたしの救いの神を待ち望む」(フランシスコ会訳)


【聖書の切れ味 その30】
神の民に注がれ(詩編51:14)

「喜んで仕える霊」(新改訳)
「自由の霊」(新共同訳)
「大らかな霊」(フランシスコ会訳)