沖縄を覚えます、友人からの転送を受け

★沖縄を覚えます、友人からの転送を受け

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       新外交イニシアティブ(ND)シンポジウム(沖縄・名護)
     辺野古以外の選択肢は存在する−安全保障・経済の観点から−

       2017年 12月11日(月) 19:30開演(18:45開場)
          沖縄・名護市民会館(大ホール)
        http://www.nd-initiative.org/event/4745/        
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沖縄の強い反対にもかかわらず、日本政府は辺野古新基地建設を強行しようとし
ています。新たな護岸工事も着工されようとする中、沖縄は改めての民意を問う
選挙イヤーを迎えます。

NDでは、普天間基地移設問題における日米政府の「辺野古が唯一の選択肢」との
主張について、安保・軍事の観点から3年にわたり詳細に検証し、県内移設以外
の解決策を提案してきました。昨7月には、ワシントンも訪問し、アメリカのポ
リシーメーカーたちに解決案を提言しました。
今回のシンポジウムでは、辺野古での基地建設が不要であることを、安保・軍
事、そして、経済の観点から分析し、また、私たちが今何をなすべきかを議論し
ます。

●登壇者:
〇挨拶:
・稲嶺 進(名護市長)
〇基調報告:
・平良 朝敬(一般財団法人 沖縄観光コンベンションビューロー会長)
「やんばるの魅力と観光」
〇パネルディスカッション
・柳澤 協二(ND評議員/元内閣官房副長官補)
・屋良 朝博(ND評議員/元沖縄タイムス論説委員
・半田 滋(東京新聞論説兼編集委員
〇コーディネーター
・猿田 佐世(ND事務局長/弁護士)

●日時:2017年 12月11日(月)18:45開場、19:30開演(〜21:30)
●会場:沖縄・名護市民会館(大ホール)
 住所:沖縄県名護市港2丁目1番1号
 地図: http://www.city.nago.okinawa.jp/8/7141.html
 TEL:0980-53-5427
●参加費:500円(ND会員・学生は無料)
●定員:1200人
●お申込み:
 下記ページの申し込みフォームをご利用ください。
 http://www.nd-initiative.org/event/4745/ 
 当日参加も受け付けますが、できる限り事前申込みをお願いいたします。
●主催:新外交イニシアティブ(ND)
 協賛:連合沖縄

※提言はこちらからお読みいただけます。
 http://www.nd-initiative.org/topics/3372/
※今年2月のND提言の発表にあわせて沖縄・那覇市にてシンポジウムを行い、沖
縄2紙の社説でも評価をいただきました。社説はこちらからお読みいただけま
す。
沖縄タイムス(2/28)http://www.nd-initiative.org/contents/3403/
琉球新報(3/6)http://www.nd-initiative.org/contents/3445/

●お問い合わせ
新外交イニシアティブ(ND)事務局
東京都新宿区新宿 1-15-9 さわだビル 5階
TEL:03-3948-7255
E-mail:info@nd-initiative.org

小沢容子姉、そして青梅キリスト教会、恵みの思い出

小沢容子姉、そして青梅キリスト教会、恵みの思い出

 一枚の便せんに書かれた、青梅キリスト教の小沢容子姉の詩が、資料の間から出て来ました。
 小児麻痺の痛みと痙攣を身に帯びつつ生涯を全う御許に召された容子姉。新井オイツ姉をはじめ、身近の方々の口述で残された文章。
そして私なりに経験した青梅キリスト教会を通しての恵み、感謝して再述し、希望の青梅キリスト教会を覚えます・

下働きの人
          故小沢容子姉(青梅キリスト教会)
おそうじ、便所そうじ、おしめ取り換え
私は、そう言う人を尊敬する
そういうう人がいなかったならば
ドクターもろうかを歩けず
面会人もろうかを歩けない
そういう方々を尊敬する

★「四人の息子たちの故郷での日々を記念して」-----------------------
 宮村武夫

青梅キリスト教会50周年記念・会堂記念誌への寄稿の依頼を受け、感謝します。
青梅・小作時代は、家長である私の30代の丸まる10年と40代の前半を含む期間で、四人の子供たちそれぞれにとり意味合いが異なる面がある、故郷の日々でした。
忘れ難い思い出のひとつは、毎週の「礼拝の生活」です。
以下に三回の主日の巻頭言を再録し、青梅キリスト教会の一員として歩ませて頂いた恵みを、主に兄姉方に感謝して記念します。
表現の細部におけるわずかな訂正は、青梅を去ってからの25年の表現者の軽やかさ(マタイ11章30節)を求める自己否定の営みの証ともなれば、幸いです。

      • -

1971年(昭和46)10月10日発行 礼拝の生活 第60
号 特別伝道集会の目的

 十一月五日(金)、六日(土)、七日(日)毎夕七時からの特別
伝道集会のために、祈りつつ準備がなされています。ここで、この
特別集会の目的を、もう一度再確認することは、決して無駄なこと
ではありません。はっきりと目的を見つめなければ、着実な、
忍耐のいる準備は不可能ですから。
 では、特別伝道集会が開かれる目的は何なのでしょうか。実に単
純です。聖書の言葉を聞くためです。特別伝道集会は、聖書の言葉
を聞く集りなのです。しかし、聖書の言葉を聞くのは、教会のすべ
ての集りの目的であって、何もこの特別伝道集会に限ったことでは
ない。
 それなのに、なぜ、「特別」、あるいは、「伝道」と特に強調す
るのか。これまた、非常に単純な理由からです。「特別」 とは、忙しい毎日を送っている私たちが、この忙しさの中で、この
機会を通して集中的に聖書に聞くためです。「いつまでも残るも
の」として、聖書が宣言している信仰、希望、愛について、三日間
集中的に聖書から聞くこと、これは、今までに聖書を読み続けなが
ら、また、何回も教会に出席しながらも、信仰の決断をできずにいた
人々にとって、特に意味深い機会であると確信します。また、「伝
道」と強調するのは、今まで聖書を一度も読んだことのない方、教
会に一度も出席したことのない方の幾人かが唯一の、生ける、真の
神の栄光を顕し、永遠に神を喜ぶ人生を送る決心をなさる機会とな
るよう切望するからです。
「信仰の創始者であり、完成者であるイ
エスから目を離さないでいなさい」(ヘブル十二:2)

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1971年(昭和46)10月3日発行 礼拝の生活 第
59号 点から線へ
 私たち青梅キリスト教会は、今、大切な過渡期にあります。
 青梅キリスト教会が、現在、自立、自給、自伝の教会として存在
できるようになった背後には、二十年間の祈りと戦いの歴史がありま
す。私たちが少しでも想像力を用いるなら、この二十年間に費やさ
れた膨大なエネルギーを知らされ、ただ驚くばかりです、歴史 の流れの中に、一つの教会が生きて存在する、この事実が、いかに大きな
恵みであるかを考えて、実に厳粛な思いにさせられます。
 しかし、青梅キリスト教会の存在は、ある意味で未だただ点としての存在 です。点として存在することは、実に大切なことです。本当に大 変なことです。けれども教会は、点として存在するだけで満足して はなりません。
 青梅キリスト教会が、今、大切な過渡期にあるとは、点から線へ
の展望をしっかり持って、苦しみつつ成長するときにあるという意味なのです。
線へとは、具体的には、奥多摩や小作地区への宣教活動として現わ されます。しかし重要なことは、目に見える面ばかりではありませ ん。何よりも、意識の問題です。意欲の問題です。
 私たち各自が一点の光として、一粒の塩として存在するようにな
るために払われた大きな犠牲を深く自覚するものでありたいと思い
ます。そして、点として満足してしまうのではなく、線への広がり
を内から導かれたいと願います。使徒の働きの一章八節を、私たち
に体験させられたいと望みます。
 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは
力を受けます。そして・・・」

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1971年(昭和46)9月26日発行 礼拝の生活 第
58号 「あること」と「すること」
 10月3日の臨時総会を前に、教会についてまた、キリ
スト者各個人について、もう一度考えさせられます。それは、教会として「あること」と教会として「すること」、 また、キリスト者個人として「あること」とキリスト者個人として 「すること」の関係、つまり、存在と行為の関係についてです。
 教会が存在することと教会として活動することを、きっぱりと分
けることは確かに不可能です。しかし、教会が組織として何か動く
ことだけが大切だとの考えに支配されて、他の一面を忘れない注意をしたいものです。
一見何もしていないように見える ときでも、教会は存在し続け、生き続けます。唯一の、生ける、真 の神を礼拝する群れが存在する、その事実の中に含まれている重大な意味を認める必要があります。私たちの日常生活の中でも、その 人がそこにいるだけで、何をしなくても、何も話さなくても、周囲 の雰囲気があたたかくなるような人に出会います。教会としても、 各個人としても、「あること」の意味深さをもっともっと深く味わ いたいものです。
 そうは言っても、種々の働き、活動を軽視することにはなりませ
ん。私たちは、教会としても、キリスト者個人としても、活動しつ
つ存在します。何もしないことも大切な行為のひとつなのです。ですから、目 あてをはっきり見据えて、柔軟に活動し続けていくべきです。
 「あること」と「すること」の両面は、そうです、成長という恵みの一事に含まれるのです。総会で共に考え味わいましょう。

言語訓練・STを再開をめぐり、敬愛する関啓子先生とのやりとり

言語訓練・STを再開をめぐり、敬愛する関啓子先生とのやりとり

宮村 武夫 今週から、介護保険の関係で、STの訓練が再開、心から感謝しています。
初めから口ばかりでなく、心も開いて話が弾み愉快です。セラピストの彼女も宿題など出され、張り切っておられます。

関 啓子 宮村先生,ST再開おめでとうございます。
ビデオメッセージで話しにくそうなご様子を拝見して,お近くだったらお手伝いしたいと思っていたところでした。
今度のセラピストは熱心そうですね。お互いに打ち解け話が弾んで楽しい会話ができていることが素晴らしいと思います!

宮村 武夫 ことばは、結局人間存在に関わる。ST仕事がどんなに大切か確信を伝えたところ、なかなか仕事の意味が理解されない面があるそうで、喜んでくれました。

関 啓子 宮村 武夫先生,その通りだと思います!STの仕事の重要性がより認識されますように!!

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11月8日(水)ヨハネ9章の味い、その8 神田岩本町クリスチャントゥデイ事務所へ編集会議

11月8日(水)ヨハネ9章の味い、その8
神田岩本町クリスチャントゥデイ事務所へ編集会議

https://youtu.be/G8oUqP7udzk
    ヨハネ9:8,9

パリに40年余滞在、活躍する宇都宮出身の女性画家とのメールの交換

パリに40年余滞在、活躍する宇都宮出身の女性画家とのメールの交換

偕子姉
頌主
 うれしい、興味深いメール感謝します。
40年余の生活がどれほどのものであったか滲み出ているメールです。
エスの顔姿声を追いかけている一生は、ご両親譲りのものと覚えます。

二人の孫のために祈る人、二人
―宇都宮キリスト集会尊い宝・風間サク姉の誕生日祝い―

沖縄からご挨拶を送ります。
風間サク姉、89歳のお誕生日、おめでとうございます。
このお祝いの日に、二つの聖書の箇所を心から奉げたいのです。

最初の箇所は、創世記48章です。
ここでは、年老いたヤコブ(創世記47章27,28節)が、二人の孫エフライムとマナセの頭に手を置いて祈る感動的な場面が描かれています(14節)。
ヤコブは祈るのです。
「私の先祖アブラハムとイサクが、
 その御前に歩んだ神。
 きょうのこの日まで、
 ずっと私の羊飼いであられた神。
 すべてのわざわいから私を贖われた御使い。
 この子どもたちを祝福してください」(15節、16節前半)。
そうです。全く同じです。
宇都宮の地で、二人の娘の二人の孫のために祈る、私たちの風間サク姉。
まさに聖書の世界そのものです。
同じ祝福の祈りです。三代を貫く祝福の祈りです。

もう一箇所は、詩篇92篇13−15節。
何の説明も必要ありません。そのものずばりです。
「彼らは、主の家に植えられ、
 私たちの神の大庭で栄えます。
 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、
 みずみずしく、おい茂っていましょう。
 こうして彼らは、主の正しいことを告げます。
 主は、わが岩。主には不正がありません。」

宇都宮キリスト集会一同から、
風間サク姉、主にあっておめでとうございます。
もう一度言います。主にあっておめでとうございます。
ア―メン、ア―メン、ア―メン、心からの感謝こめて。


以前、沖縄から宇都宮のお母様の誕生日に送ったものを添付し、主イエスのイメージがさらに豊かに浮かび上がることを願います。
ご家族の上に祝福が豊かにありますように。
忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代

From: Tomoko OBER-KAZAMA tomoko.artkao@hotmail.fr]
Sent: Saturday, November 4, 2017 7:00 PM
To: miyamura@christiantoday.co.jp
Subject: ありがとうございます

宮村先生、
メールありがとうございます、その後お元気でしょうか?
私は足の甲を痛めましたが2日後に回復しました。でもその後風邪で2週間近く何もせず(できず)休んでいましたが、今は元気になりました。私は休息の方法を知らず、この年齢になるまで風邪を引いて初めて休む、という事で突っ走ってきました。弓は張りっぱなしではダメという事は知っているのですが、性格ですね。
 ご存知のようにフランスは’ローマの長子’と言われているほど歴史的にカトリックの国ですが、やはり不満分子がいつの時代にもおりプロテスタントという形で現れました。パリでの又はヨーロッパでのプロテスタントの立場は、オ-バーに言いますと「日陰者・裏切り者・反抗者・金の亡者」等の烙印の影を感じます。この影はそっくりユダヤ人にも当てはまるようです。以前友人のイラン人彫刻家で彼の仏人の奥さんを紹介された時、彼は私に「トモコと同じ彼女もユグノーで、頑固で堅物で...」と笑いながら話した時、その部分の歴史のぺ-ジが開かれたのです。久しぶりに聞くユグノーと言う言葉に懐かしさを覚えました。
 聖職者と王侯貴族や権力者達と結びついている教会に対して中産階級が起したフランス革命第2次大戦後のフランス政府の政治と宗教の強い分断、などを通し現在まで来ています。しかし一般庶民は昔からの生活習慣や、その上フランス語自体聖書から由来するユダヤ人の言葉・知恵にどっぷり浸っているのでユダヤ教カトリック教とは切り離せないのです。パリがローマの支配下にあり、キリスト教を国教とする以前の古代では原始宗教の祠が今のノ―トル・ダム寺院の所にありました。現在もヨーロッパ人の森に対する崇高な意識もここからきているようです。クリスマス・ツリ―等はその名残で、古来民族宗教カトリックが合体し、取り込んでいることが多々あります。
 小さい時見た教会内に張ってある宣教師が持ってきたイエスの姿顔は幼心にも異質に感じました。
金髪の白人の大人しそうな、あの例の顔です。そしてパリで会った友人の中近東の人たちの顔を見てこの顔の方がイエスに近いと感じました。12使徒たちに近い顔も、と想像すると楽しいです。そうすると聖書も見方も変わってきますし、彼らから話してもらったアラム語の詩のような旋律にも心を打たれました。私の夢はダマスコに行き、近くのアラム語を話す人たちのいる村に行くことでした。が残念ながら戦争で断念、でも別のシリアの友人があそこに連れて行ってあげると最近言ってくれました。

と私は一生イエスの顔姿声を追いかけているみたいです...。
失礼し、自分の勝手な考えをズラズラ書きました。
偕子