4月12日(木)武夫・君代結婚記念日、宮村家族Line上の対話

4月12日(木)武夫・君代結婚記念日、宮村家族Line上の対話

長男忍望
「今日は、お父さんとお母さんの結婚記念日です。」
「宮村家族のスタートの日とも言えるでしょうか」
「ともあれ、お父さんにつきましては・・・最良の伴侶に感謝する日であるのは間違いないね」

末子新
「ちなみに結婚53年だはず!」

母君代
「結婚記念日を覚えていてくれてありがとう。
お父さんは昨日から言っていたけど、お母さんはぼうっとしていました。
いつも家族のことをお祈りしていますよ」

里子勝義
「おめでとう」

母君代
「ありがとうネ☺今年も二人三脚で頑張るつもり」

里子太郎
「改めて
おめでとう㊗」

母太郎
「ありがとう☺53年も一緒に居たなんて自分でもビックリ!?感謝」

4月12日(木)ヨハネ13章の味い、その2 動画集録、宮村義人兄。 結婚記念日、1965年、ボストン近郊ゴードン神学校在学中

4月12日(木)ヨハネ13章の味い、その2
動画集録、宮村義人兄。
結婚記念日、1965年、ボストン近郊ゴードン神学校在学中

https://youtu.be/WvvQrso7eY4
    ヨハネ13:2

ヘブル11章1〜3節 『信仰とは』

ヘブル11章1〜3節 『信仰とは』

[1]序
 初代教会は多くの課題に担いながら様々な危機的な事態に直面していたことを知らされます。外部からの迫害や内部に深刻な影響を及ぼした異なる教え。さらに教えについては正統的なものを保ちつつ、信仰生活が生き生きとしていないなどの問題に直面する中で、信仰の「初めのころ」に立ち返り、主イエス・キリストの恵みは何か、それに応えて生きるキリスト者・教会の生き方はなにかを著者は明らかにしてきました。10章37,38節において、ハバククの呻きに応える主なる神の約束を引用し、義人は信仰によって生きると励ましています。確信と忍耐に止どまり、主イエスの再臨を待ち望み進む信仰者の歩みを義人の姿として要約しています。

[2]11章の位置
 11章は、10章と12章の間に挿入さえた形で位置しています。11章を抜かして、10章から12章に内容が直接結びついているように見えます。では、11章がここに置かれている意図はどこにあるのでしょうか。それは狭い意味での教えを新しく付け加えたり展開するためではなく、教えに応答していかに生きるか、実例・模範を示すためと思われます。神の恵みを知らされた者の生き方を示すことを目指しています。信仰とは、確信と忍耐に止どまりつつ神の真実を仰ぎ生きて行くことであると著者は訴えていきます。11章に描かれている雲のような証人たちの前で、信仰を継承して行くことが求められています。信仰とは単なる教えでもスローガンでもなく、現実に生きる信仰者の生活・生涯を通して示され継承されていくものであると教えられます。

[3]信仰とは
 ここで教えられている信仰について理解するため、パウロはローマ人への手紙8章で明らかにしている希望について聞くことは助けとなります。 ローマ8章17節では、子供なら相続人、栄光も苦難も共に。「アバ、父」と呼ぶことを導いてくださる聖霊ご自身の導きによることを教えています。この17節の内容は、御霊も弱い私たちのため助けてくださることを明らかにしている26節に結び付きます。ですから18〜25節は、17節と26節の間に割り込んだ挿入と見ることができます。
 そして18〜25節においては、神の恵みが単に個人的なものだけでなくあらゆるもの・被造物全体とかかわりことを示しています。また今だけのこととしてでなく、終末とのかかわりで雄大なスケールの中で明らかにしています。主なる神を、「アバ父よ」と呼びうる恵みは、被造物全体、歴史全体にかかわるものであり、今の時の苦しみは将来の喜びに比較するなら取るに足りないと教えています。将来を見る目で現在を見、自分一人でなく全体を見る。被造物全体の苦しみ呻き、その中で人間の救いの歴史を見て行く。被造物全体が完成を目指して進み行く、その途上にある現在。24,25節において明らかにされている希望と忍耐の切り離すことのできない関係は、確信と忍耐として示され、ヘブル11章1節以下で「信仰」として示されていることと同じです。主なる神の救いの計画の全体を見通すことにより、信仰の歩みに大きな励ましを与えられます。
 11章3節では、創造者なる神について。信仰が継承されて行く中で、いかなる時もその土台には、神は万物の創造者であるとの信仰。万物を神の創造の業として、神のことばを通して見て行く。

[4]結び
 あらゆる時代にあらゆる場所に生き生きと進み行く、神の民の歩み。アベル、エノクがいかに生き歩んだかをとおして示される神の恵みへの応答としての信仰。今ヘブル人への手紙を読む神の民のすべての生活を導かれる神の恵みへの応答。