気が付いてみれば、吉岡繁先生との対話のそれなりに継続、しかしこれから、これから

気が付いてみれば、吉岡繁先生との対話のそれなりに継続、しかしこれから、これから

気が付いて見れば、生前一度もお会いしたことのない吉岡繁先生と、以下のように対話を重ねています。
 改革派仙台教会とのかかわりで、恩師渡辺公平先生との対話の展開との側面を覚え思いを新たにします。渡辺先生や吉岡先生、そうです、先達から学ぶのは、これから、これからと、感謝

(1)吉岡繁 『教会の政治 キリストキリスト教会の礼拝』一麦出版社
神学宣教日記, 実践神学, 神学教育、神学校, この方、あの方との対話, エキメニズム, 日常生活 | 編集
吉岡繁 『教会の政治 キリストキリスト教会の礼拝』一麦出版社

 吉岡ご家族から、吉岡繁先生召天を記念し贈呈していただいた本書、じっくり味読したい。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1297140877092622&set=a.508715392601845&type=3&theater
 さらに吉岡繁先生の共書二冊、『学徒出陣の記録』、中央公論、1968年、『学徒出陣から50年』揺籃社、1972年に強い関心を持ちます。
何とか読む機会を持ちたい願っています。
 生前一度もお会いしたことのない吉岡先生との交わりが深められています、感謝。

(2)聖書をメガネに 『封印された殉教』への応答・その1 宮村武夫
https://www.christiantoday.co.jp/articles/26144/20181022/seisho-wo-megane-ni-120.htm
★高校の先輩・戸田帯刀神父は、私にとり実に大切な先達のお一人。本書を手引きに、導きを求め続けたいです。

聖書をメガネに 『封印された殉教』への応答・その1 宮村武夫
佐々木宏人著『封印された殉教(上)』(フリープレス社、2018年8月)

毎日新聞元記者の佐々木宏人氏による、私の母校・開成高校の先輩、戸田帯刀神父の記事を、隔月誌「福音と社会」で数年にわたり読み続けてきました。その連載記事が、ついに『封印された殉教』としてフリープレス社から刊行されました。確かに現時点では上巻のみです。雑誌の連載とは違った、集中的また全体的な視野で読む新たな喜びをもって、この優れた特別な書に直面しています。

著者の佐々木氏は、クリスチャントゥデイの小さな営みに対しても理解を示してくださり、雑誌の連載と平行して、これまでにも貴重な投稿を頂いてきました。

■ 73年目の戸田帯刀神父射殺事件を考える―「赦すこと」と「赦せないこと」 ジャーナリスト・佐々木宏人
■ 「平和」があってこその「信教の自由」―戸田帯刀・横浜教区長暗殺70周年に思う ジャーナリスト・佐々木宏人

私個人としても佐々木氏を通して、真のジャーナリストの問題意識の把握の仕方と、実際的な取材の徹底した継続性の見事な手本を教えられ、敬愛する若い同僚方ともども励まされてまいりました。心から感謝しています。下巻の出版を待ち望みながら、今後何回かにわたって、深い感謝の思いをもって本書への応答をなしていきたいと考えております。

今回はその第1回として、本書をめぐる摂理的な導きの一つを紹介したいのです。それは、本書の第2章「活発な教区司祭」の1項目「信仰を弾圧する戦時体制の露骨」(325ページ以下)に紹介されている西村徳次郎氏の原稿「キリスト教受難回想記」をめぐる事柄です。西村氏は「戦時中カトリックの生殺与奪に力を振った文部省宗教局宗教課キリスト教担当官(カトリック担当)」(326ページ)であった方です。

この西村氏が、取り調べをなす側、いわば弾圧する側であったのに、なんと1944(昭和19)年4月8日、関口教会でシャンボン大司教の司式で洗礼を受けるに至ったというのです。この驚くべき事実を経験した西村氏が書き残した、400字詰め原稿用紙250枚に及ぶ回想記が、生前西村氏が住んでいた鎌倉市の雪ノ下教会牧師、松尾造酒蔵氏に託されました。この驚くべき原稿が、ご子息である吉岡繁先生に引き継がれ、2009年8月15日、編者吉岡繁、著者西村徳次郎『昭和キリスト教受難回想記』として自費出版されたのです。

最晩年の吉岡先生とただ一度、恩師である渡辺公平先生をめぐって文通する忘れ難い特別な機会を与えられました。そのきっかけは、2カ月に1回拙宅で開かれている、海外にある日本語教会のために祈り続ける姉妹方の祈祷会でのことでした。

そこに、吉岡先生のご長男の嫁である吉岡節子姉が属しておられ、たまたま戸田帯刀神父についての佐々木氏の連載記事の話をしたところ、吉岡姉が『昭和キリスト教受難回想記』についてお話しくださったのです。そして、以前からお名前をよく知っていた吉岡先生に、それなりの勇気を奮って手紙を差し上げました。改革派仙台教会をめぐる、渡辺公平先生から吉岡先生へ、そして私のような者へ及ぶ福音の絆に心熱くしたのです。

今回、次の一文を読み、心に刻みました。「意外なことに、この西村徳次郎氏と戸田帯刀師は親しい関係にあり、その洗礼に至る経緯には戸田師の導きがあったと推測できる、といえば驚かれるだろうか」(329ページ)と佐々木氏は記しています。

そうです、小さな点のように見える事実は、確かに線となってつながり、線は面と、面は立体となって、有機的なつながりを覚えます。佐々木氏のこの労作を私なりに熟読し、日本の歴史と「聖なる公同の教会」の重なりを、この点でもあの点でも確認し励まされて、クリスチャントゥデイの営みを続けたいのです。

佐々木宏人著『封印された殉教(上)』(フリープレス社、2018年8月)

(3)吉岡繁先生著、『緑のまきば』に見る明言、心に響く
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「イエスの死に立ち会い、復活したイエスに会った弟子たちの目撃証言が新約聖書として伝えられています。クリスチャンの信仰の根拠はこの記述の真実性にかかっています。」(267頁)

(4)著者吉岡繁先生と読み手私との年齢差に意を注ぐ

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 吉岡繁先生とは、生前一度もお会いする機会がありませんでした。
しかし最晩年に直接文通をする恵みを与えられ、さらに葬儀次第と本書を幸便に託して受け取りました。
 今回、本書に含まれている説教「死についての聖書の教え」をはじめ、吉岡先生が死をめぐりお書きになった文章を熟読しました。
 それらを、1923年誕生の吉岡先生の年齢を意識すると以下のようです。
1923年
 11月1日 日本基督教団鎌倉雪の下教会牧師松尾造酒蔵、きくのじなんとして神奈川県に生まれる
1996年
 (3)死と死後について
1997年
 (15)葬式のこと
 (16)復活
1998年
 (27)死を見つめて
 (33)老いとキリスト教信仰
 (35)再び「老い」について
2000年
 (57)老いの自立
2001年
 (69)終末信仰
2002年
 (73)希望について

 以上の文章を読みながら、1つの明白な事実を確認しました。そうです、著者吉岡繁先生と読み手私との年齢差です。1923年と1939年の16年の差です。
 1945年4月に小学校に入学、その年に8月15日、そして9月1日を迎える経験した私でも、10歳下の友人の経験とは差があります。
 吉岡先生ご自身の明言を心して読みました。
「私たちは、学徒出陣をした戦争世代ですから、青春時代に死を覚悟し、決意した者たちです。戦死した友も多くいる中で、神の不思議な摂理によって、ビルマやフイリッピンの死闘、過酷なシベリヤ抑留にも耐えて生還し、敗戦後の時代を懸命に生き抜いて五〇年、漸く老境に入り、自分の死を真近かに感じるようになって、あらためて思いを巡らしているのです」(8頁)。
 共著として紹介されている「学徒出陣の記録」(1968中央公論)や「学徒出陣から50年」(1972年揺籃社)の重みを実感します。
 さらに恩師渡邊公平先生を思います。ウエストミンスター神学校留学中日米開戦、交換船で帰国、中国大陸へのご生涯の中でのキリスト信仰、神学形成である重みを、吉岡先生に学ぶことを通して再確認する必要を痛感します。

(5)葬儀次第の神学

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拙宅で2個月に1度持つフェリア会祈祷会のメンバーの一人・吉岡繁先生の長男嫁吉岡節子姉が、吉岡先生の葬儀次第と共に、吉岡繁著、『緑のまきば』(つのぶえ社)を手渡してくださる際、葬儀次第はメイチェン先生の教えに基づくと言葉を添えられたのが印象的でした。
 そうです。葬儀次第は、賛美と聖書朗読に徹しています。
吉岡繁著、『緑のまきば』(つのぶえ社)は、目次の一部からでも顕かのように、1996年―2002年、月ごとに時の流れの中で聖書を読み、聖書をメガネにすべてを認識なさっている様が伝わってきます。
 (1)から(84)の後、最後に説教、「死についての聖書の教え」が。