ぼく・わたしの三大ゲームメーカー

http://mubou.seesaa.net/article/1203227.html
「ある人にとっての三大メーカーというのを聞けば、結構その人がどの辺の時代の人か分かるのではないだろうか。」という一文を見て、思わず「なるほどなー」と頷いてしまった。
そして、「データイーストケムコ、ビッグ東海ならどんなゲームが好きなのか良く分からない人であろう。」で吹いた。
自分に取っての三大メーカーとは何だろうか。


任天堂
これは外せない。
自分は任天堂に育てられたと言っても過言ではない。
過言か。
よく、子供が生まれると同時に犬を飼い、共に育ち別れを体験することでうんちゃらかんたら、と言うが、まさにそれ。
どれだ。
まあ、物心が付いた頃からファミコンに触っていたのは確かで、幼稚園児にして麻雀のルールをそこはかとなく把握し、ポパイのおかげで英単語をそこはかとなく覚え、ドンキーコングJにそこはかとなく算数を教えられ、マイコンピュータテレビC1のJR GRAPHICでそこはかとなくCG作成の面白さを教えられ、なんというかもう、ファミコン様々である。


とか書いていたら、C1に関する懐かしい記憶がほつほつと刺激されたので、ぐぐってみた。
http://www.tv-gamekan.com/new_page_135.htm
これだ。
これである。
ファミコンといったらC1。
百歩譲ってツインファミコン
何を隠そう、いわゆるファミリーコンピュータは、中1の頃に友達から貰うまで持っていなかったのだ。
C1とツインファミコンで2台あった換算にはなるが。


もう全てが懐かしい。
カセット差込口にある微妙な段差のせいで、データックが刺さらなかったのもいい思い出。
ファミコンのボタンがゴムからプラスチックになった後も、いつまでも変わらない四角ゴムボタンが指にくっつきまくったのもいい思い出。
どんだけねぱついていたのかは定かではないが、姉ちゃんが火の鳥をプレイしている最中にAボタンが指に引っ付いてきたのもいい思い出。
テレビにホールドだかというボタンがあり、それを押しておくと、電源を切っても描いた絵が保持される(ファミコンをプレイすれば消える)という、中漢対空ほどの意味もない機能があったのもいい思い出。
「テレビの電源オフ=ファミコンの電源もオフ」であるが、高速で電源をプチポチ押すことにより、一瞬テレビは明滅するが成功すれば本来消えるはずのファミコンの状態がキープできるという、どうでもいい小技があったのもいい思い出。
姉ちゃんがゲームをしている時にその小技にチャレンジし、失敗してゲームがリセットされてしまい、水月に左膝を食らったのもいい思い出。
ファミコンに比べてコントローラのコードがやたら長く、リラァックスした姿勢でプレイできることに優越感を持っていたのもいい思い出。
今調べたことによって、これまで謎だった「LOAD」の使い道が分かったのは、新たな思い出。
もう、なんかね。
kanonなんて比べ物にならないほど思い出に還りまくりんぐ。


さておき。
チュンソフトも堂々のランクイン。
中1〜高2ぐらいまでの間に、SFCシレンに費やした時間は半端じゃない。
Xターミネータ2は聖戦とシレンの為に買ったようなものだ。
ゲームそのものに対する思い入れも相当大きいが、やはり剛魔窟の存在が何より馬鹿でかい。
学校からネットに繋いでたいこともあって、長期休みで一番辛かったのは剛魔窟に行けなくなることだったような気がする。
あの時期のチュンソフトは、チュンソフト名義で出す物出す物全てが名作で、本当に輝いていた。
今はちょっとどちらかと言えば残念なことになっているが、いつかまた光り輝く日が来ることを願おう。


そして、最後の1つはもちろんケムコ
のわけはなく。
「ゲームメーカー」の枠からちょいと外れるのは承知で、渡辺製作所かな。
QOHがもたらした影響は計り知れなさ過ぎる。
最近はさすがに対戦することも少なくなってきたが、たまに無性にコンボ練習や対戦したくなることもあり、今でも心の奥底で何かが燻り続けている。
なんだかんだで旧渡辺の動き1つが業界にもたらす影響は大きいと思うので、メルブラが落ち着いたら、次にどう動くのかが非常に楽しみである。
メルブラ4人対戦も微妙に楽しみ。


というわけで、自分にとっての三大ゲームメーカーは「任天堂」「チュンソフト」「渡辺製作所」のようでした。
どんなゲームが好きな人なんだろうね。