地質学の巨人 都城秋穂の生涯 第2巻 地球科学の歴史と現状

「地質学の巨人」都城秋穂の生涯〈第2巻〉地球科学の歴史と現状

「地質学の巨人」都城秋穂の生涯〈第2巻〉地球科学の歴史と現状

ようやくアマゾンにのった。
全三巻の第二巻。

第1巻はこちら、
http://d.hatena.ne.jp/kimura-gaku/20090914/1252964185


1965年から1966年に、中央公論社から出されていた「自然」という月刊誌に連載されたものの復刻版である。
私が大学に入学する以前のものであり、大学入学時にはすでに廃刊となっていた。

しかし、私はこの論説のコピーは持っており、これまでの人生の中で三度はかなりじっくりと読んだ。
最初は学部学生時代から大学院時代。
そして、二度目は30代後半~40代初頭。そして、都城が「科学の革命」を出版したとき、今回は四度目である。
時とともに時代の流れは蓄積し、読み手の私の側の見方も変わって来る。

最初、なぜ、読んだのか。
最初は、廻りが騒然とし、話題にしているからである。
50~60年代の地質学界は、第1巻で紹介されているように、(第三巻がより壮烈との予告がある)激烈な論争の中にあった。
当時の社会の争乱もあり、論争の手法が成熟していないこともあり、冷静さの欠いた、罵倒と怒号が飛び交うかのごとき激しいものであった。

その論争の主題の一つに、岩石学をめぐる物理化学論争と、本巻で展開されている「歴史主義」をめぐる議論があった。
私にはかみ合っていない議論にしか見えなかったが、私のいた北海道大学は、その「歴史主義」の牙城であった。

私の大学への入学は、東京大学が後にも先にもただ一度だけ、入学試験を実施しなかった1969年であった。入学と同時に学生運動の渦の中に巻き込まれ、連日の議論に次ぐ議論に明け暮れていた。その中で、私が強い思いに至ったのは、人のことばをオウム返しで語る「ドグマ」へのいいしれぬ拒否感であった。


同じ年にアポロが月へ人を送り込み、そしてプレートテクトニクスが成立した。その新しい地球観に魅せられていた。そして、地球を研究する学部へすすんだ。

しかし、である。
「歴史主義」を主張する鉱床学の講義では、突然、まず毛沢東の「矛盾論」を読ませるところから始めるのである。
その先生らの学位論文は、マルクス主義のことばで埋め尽くされていた。
興味深いので、持ち出し禁止だが閲覧可能な図書館で見て驚いた記憶がある。いまでもあるに違いない。
「土台と上部構造」として金鉱床の成因を考えよ。歴史的発展の結果としての地殻を捉えよ。安易に物理化学へ流れるな、というのである。
とにかく、頭を真っ白にして露頭を観察せよ、というわけである。
偏見をなくし、頭を真っ白にする方法がある。
それは、「弁証法」を身につけることだ、というのである。

私も専門学部へ来る前の一般教養として、史的唯物論、唯物弁証法くらいは知っている。
なにせ学生運動の時代、そんなことは一般常識なのである。
そして、これは、決定的におかしいと思った事がある。
それは、<偏見をなくし、頭を真っ白にする方法がある。それは、「弁証法」を身につけることだ>という中心ドグマである。
最近書かれたある本(http://d.hatena.ne.jp/asin/4582854613)を読んで、全く同じ事がいまだ記されているのを見て、驚いてしまった。

自然科学者は、弁証法などを知らなくともいくらでも成果を挙げている。

そしてそれを知っているもののみが、科学をより効果的に優位に前へ進められるという傲慢なドグマである。
顕微鏡を見ながら、「弁証法が見える!」と叫んだ学生がいた時には思わず顔が引きつり、笑ってしまった。
弁証法は物理化学に勝るとさえ言うのである。
弁証法の神髄とは、事象の時系列の中で「発展とはなにか、発展をどう捉える」か、という視点、弁論法である。
「量から質へ」「対立物の統一:正反合、止揚アウフヘーベン、(よくはやった言葉だ)」「矛盾が発展の原動力」という、当たり前のことである。
今では、複雑系の科学における、たとえば「進化とはなにか」「不可逆過程」「相転移」「創発」「臨界」などという議論の中で極めて科学的に当たり前に議論されていることに共通する概念である。自然科学では誰一人として、それらをマルクス主義による弁証法の優位などとはいわない。総合的視点と還元的視点という対象として見れば、総合的視点に近い。

私が専門を学びはじめた時代は、物理化学論争、歴史主義をめぐる議論は過去のものであったが、克服されておらず、同質の議論がプレートテクトニクスを巡って熱く展開されていた。そして、出版されたばかりの都城の著作、英語版「変成岩と変成帯」に対する焚書坑儒まがいの事件も頻発した。
私は、都城の論調は、低レベルの論争が「止揚」された圧倒的優位にあると認識し、一定数の教員と学生の側が「歴史主義」の負の遺産の呪縛の中に置かれてはいたが、プレートテクトニクスの展開に積極的に身を置くようになった。

そんな時代背景を考え、なおかつ今からほとんど半世紀前の著作としてみた時に、今でも捉えておくべき基本的視座が本巻には明確に述べられている。

地球科学、地質学と物理化学の関係、その科学の構造と法則。
歴史科学としての地質学ををどう捉えるか。
地球科学における地域、個性と一般の関係。
検証さえ得ないストーリーの展開をどう考えるか。
ーーーーーー

逐一あげるときりがないほど盛りだくさんである。いずれそのうち時間をかけて、私なりの議論と意見を記す機会を持ちたいと思う。
時代背景の理解なしに、今の若者が、これを読みこなすのは大変かもしれない。
しかし、この第二巻は歴史の一場面として理解する上の名著であり、冷静にオブラートに包みながらも激しく、地球科学と地質学をめぐる独創的な議論が展開されている。
ここまでかける人は1世紀に一人いるかいないかである。次に登場するのはいつになるのであろうかと思う。

70年代以降の複雑性の科学の勃興、地球システム科学の科学の勃興前夜の生みの苦しみの時代の著作なのである。
私も何度か、このブログでも、地球科学における科学方法論や哲学的議論の貧困を記した。
そのような議論の活発な時代は、科学も前へすすむ。
若者たちも、根本までたちいった、活発な議論を、是非展開して欲しいと思う。

この著作を、ドイツの行き帰りの中で読んだ。
400名の参加者のうち、100名は日本からの参加。そして多くのket note lectureと多くの人の会議での発言、大量の若者たちの合流、
140年前に、このドイツの地で、未開国からの留学生として必死であった先達(第1巻)、70~50年前に後進国の研究者として孤軍奮闘した都城の時代とはうって変わり、当たり前のように国際学会にのぞむ若者たち。

そのような時間スケールで眺めた時に科学先進国はもうすぐ目の前に思えて来る。ネガティブなことばかりでは決してない。