散らかしブログの片付け

ブログ散らかしの片付け 

どうもあちこちに掻き散らかす癖を晩節くらいには整理をしなければ、と。このブログはお休みとし、facebookに集中します。そちらをご笑覧ください。facebookは開きっぱなしではなく、開いたり、閉じたり、半開きにしたりしながら掻き散らかせるところがいいですね。個人情報が狙われ、反GAFAなどと嫌う向きも多いのですが。

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「自慢、愚痴、説教」

 

盆の休み、上半期のテレビドラマをまとめ見した。極端化・劇場化を差し引いて見るのが視聴の鉄則。それでも、いや〜!面白かった。

www.tv-asahi.co.jp

 

 

イベント会社のうだつの上がらない企画課の人間模様がテーマ。どこにでもいる、どこにでもあるキャラ、人間模様が変わっていく。場面場面にコミカルな、くさいほどにストレートなメッセージが込められる。団塊+アルファ世代と同じ感覚の熱き情熱を演ずるのは小澤征悦。あの小澤征爾の息子。

 

占い師ワタル(杉咲花)が、年寄りが話す時の三種の神器「自慢、愚痴、説教」だ!と一括!

「いつも人のせいにしてんじゃね〜よ!」「失敗は人のせい、成功は自分のおかげ」「ふざけんじゃね〜!」口調啖呵は60年代、極道妻モード。杉咲花って目がいいね、クリッと。

 

あ〜スッキリ!

 

 

すると横でNHK総合小澤征悦ファミリーヒストリーをやっている! 劇場家族どころじゃない!おまけにお盆前に騒がせた小泉なにがしのできちゃった婚約の相手の一番噂は、彼だったとか!小泉より小澤の方が面白い人生かもね。お盆に元気をいただきました。

 

お・も・て・な・し」より「お・ち・か・づ・き」

 

防災学術連携

防災学術連携体シンポジウム@学術会議

 昨日は学術会議で行われたこのシンポジウムに参加した。特に災害時の緊急医療対応に関してがテーマであった。この会議体に参加したのは初めてのこと。地球科学関係は地震、火山、地質、地盤など多くの関連する学会が加盟している。しかし、それだけではない。建築、土木、などにとどまらず、医療関係、人文社会関係など多岐にわたる学会が参加している。

 昨日のテーマは「災害時医療と理工学分野の連携」と題し、学会のみならず内閣府防災、国土交通省地理院厚生労働省なども参加し、意見交換を行った。医療がダメになったこの間の例を出しながら、緊急出動の問題点なども議論された。

 情報の共有は、相当に改善されつつあるがまだまだ縦割りによる齟齬が大きい。緊急時医療においては当然電気の確保は死活、それと同時に水問題も生命線。

 現実に応じて防災基本計画は修正される。また国土強靭化基本計画とその見直しもかかっている。緊急3カ年7兆円が投じられている。

 南海トラフ対策も当然含まれ、北海道胆振東部対応も含まれている。参加している学協会は、これらの災害に関わる諸事を研究対象としてるとともに、防災減災対策事業の利害関係者でもあるので、皆熱心に参加している。

地理院の示した地理情報の活用のためのHPの充実には感動した。このページに張り付いて多くの突っ込んだ検討研究ができると思った。張り付きたいが時間がーー、能力が。

でもこれを自在にこなせる人材がどれだけいるかで防災減災対策が相当に充実することは間違いない。地方自治体に対しても地理院は対応するとのことである。

 

 

オープンサイエンス(4)

論文数の爆発

 読めないほど論文数が爆発的に増えているには理由がある。Googleなどのように全ての情報を補足しようという流れの加速と、それに合わせるように中国国家資本主義の科学技術への集中投資があり、世界の科学技術の全てを補足しようという動きである。加えて学術雑誌を発行する側の商業的戦略として「売れる情報」への投資である。学術雑誌発行がもはやかつての穏やかな紙媒体によって、商売をなす時代は終わった。

 その流れの中で、どうすべきかを問い、行動しなければ巨大な力の前に右往左往し、押しつぶされるだけである。17世紀科学革命、18~19世紀産業革命、20世紀情報革命を経て発展してきた西洋文明社会から昨年来時に声を大にして発信が始まったのが、このオープンサイエンスの理念だ。日本でも超情報社会Society 5.0として未来設計の中核になっている。

 どうやって科学として価値ある論文にアクセスするか、どうやって科学的価値のある論文を発信するか。それを「財を持てるものに独占させる」ことは「真理の探求」「知の蓄積」における自由の理念に反し、結果として科学の発展を妨げることになるのではないかという根源的問いかけが世界で急速に大きな声になっているのである。

 科学における真理とは何か、仮説とは何か、検証とは何か、科学はどのように前へ進むか、ということである。科学においては検証の再現性が、仮説を真実として定着させる上で最も重要な事柄である。そこに「持てる者」の科学以外の理由による抑圧がかかることを最も嫌う。17世紀科学革命は、天動説から地動説へ、「それでも地球は動いている」から始まった。今の科学の現状は、なんども危機を乗り越えてきた科学の健全な発展に重大な危機が訪れているとの認識が世界中に広がっているのである。欧州では科学2020が宣言された。科学論文は全てアクセスフリーとすべきであり、その出版に関わる経費は研究のために財政出動したところがなすべきであり、個々の研究者に負わせるべきではないということである。

 また科学論文は第1次データ、サンプルまできちんとアクセスできることを明示した論文のみを受理すべきであるという宣言である。アクセスフリーであれば、それらのデータを使いこなした「データサイエンス」が草根の研究によって発展する。

 Nature-Springer系列のジャーナルはアクセスフリーには膨大なお金を請求するが、内容的には今年からこのようになった。一方Elsevierの不透明運営は世界中の科学コミュニティーからバッシングを受け、次々と購読中止が相次いでいるのである。

 またデータ+サンプルレポジトリーを持ち、そこにはオープンアクセスできる機関をopen insituteとして認定するとのcommunityの動きも急加速している。

 さてさて、このような科学一般を巡る政治経済動向、その中での自分の専門分野や境界領域における動向も把握しながら、専門における興味と研究を続けたいがために必死にネットにしがみつくことが続く。

 この話題も続く。

 

 

オープンサイエンス(3)

論文検索エンジンから論文を何本までの絞り込む?

 さて、検索エンジンから読みたい論文をそもそも何編まで絞り込むか。

 私は学生の時に、熟読すべき論文は卒論では少なくとも50編、修士では200編と言われた。指導がしっかりとされている学生からの間接情報である。専門用語も内容も良くわからない時である。おまけに出版されている論文を読んでまとめても、それは自分が論文を書く時のIntroduction (はじめに)とdiscussion(議論)に使うためだ。分析解析研究の場合、新しいデータによってなされる発見が論文の主役である。

 「博士論文のためにはどれだけ読まなければならない?」それは愚問である。博士論文とは、もう研究者として一人前であるという肩書きの授与であり、今は法的にも全て公開を義務付けられている。本人が自力で意義のある新しい科学的発見をなした、それをきちんと出版したということに対して授与されるものである。十分に課題の前線を理解した上での研究成果でなければならない。

 科学的意義を導入するInrtroductionに、指導教授の研究やプログラムに乗ったある種のコピペや、手法や対象をわずかに変えたルーチンの分析解析研究ではない、独創的なメッセージを埋め込み、そしてそれに対応したdiscussionを展開しようとするとやはり論文の読み込みが鍵を握る。

 そこで、どのくらい読めば良いかが決まる。それまで取り組んだことのない課題を始めようとすると50~200編というのは今も昔も変わらない線であろう。

 そこへの早道は、検索エンジンからその分野のreview論文を探し、かつ引用度数の多い論文を読みこなすことだろう。ある種の統計によると論文をデータまで遡って熟読含味できる論文の数は、寝ても覚めても集中して取り組んでいる研究者でも年間200編くらいだという。1.5~2日に1編という勘定になる。そのような集中はやはり研究に本格的に取り組み始める大学院時代ということになる。その後、研究のみに集中できる職業につき、自分の思いの丈で研究できる人が家庭も顧みずでなければ、常人にはできないであろう。

 そこでどの論文を選んで読むかが、限られた時間で研究成果をあげるのためにも死活問題となるのである。

 ここで検索エンジンの引用度数に頼った方法の落とし穴がある。review論文は重要。しかし、そのreviewは執筆者の視点で書かれかつそこの到達点は、ほぼ一年前だということである。引用度数を参考にするのもいい。しかし、それに頼ることは今注目されているテーマである。それも執筆ー公開ー引用の時間差を考えると引用度数が高いテーマはすでにピークが過ぎつつある、あるいは解決済みである、と冷静に眺める必要がある。

 そこで私の取っている方法を紹介しよう。私はGoogle SchalarとEndnoteを組み合わせている。EndnoteはWordと繋ぐと自動的にbibriographyをジャーナルのformatで作ってくれるので。

 

1。きっとまだ未発見に違いないとの直感から新しいテーマで研究をしようと発想する。

2。検索エンジンでkey wordをいくつか入れてヒット数をみる。タイトルをみて引用の多い方から10編程度はリストに入れる。

3。時代を最近5年間に絞る。ヒット数の多い方からタイトルを見て200編程度抽出しリストに入れる。

4。直近1年間を見る。引用数は無視する。タイトルで引かれたものをリストアップする。

5。以上のリスト抽出で300編程度に絞り込みながら、abstractを眺め、pdfでdownloadできるものはEndnoteのテーマごとのfileに入れる。

6。熟読するものを決める。目も老眼になったので必ずコピーする。孫引き論文で読みたいもの読まねばならないものが膨れ上がる。そこに飛びながらも、浮気ゴゴロを抑えて、熟読中のものに集中する。

7。記憶力が衰え、他事と並行に進めるので、読んだところまでを殴りがきでもいいし、カラー付箋を使いながらガンガン、メモる。

8。他事がありながらも隙間時間ができた時にいつでも続きを再開できるように、コピーは持ち歩く。

9。読み終わった論文は、目も含めて全部、ファイルに閉じておく。定年の時に、それまでの膨大な論文を電子化でもういらない、と処分したが、場所問題がなければやはり紙媒体にはかなわない。小さなメモから記憶が復活することがあるから。

10。論文検索によって追加しながら、熟読を進め、データの吟味を進めながら、研究のoutput(執筆)準備にかかる。Introductionをうまくかければ、discussionのpointが見えてきて、輪郭ができた時には一気がきができることになる。

 

さて、以上の論文執筆過程において、現在のシステムにおいて何が問題なのであろうか。

それは、一口にいうと、財政的に豊かな研究者に圧倒的に有利なシステムであり、自由な発想と研究者の独創によって支えられる科学の発展という根本的な理念と矛盾するということである。

それを考えていこう。(続く)

 

 

 

オープンサイエンス(2)

 どうやって学術の動向を把握するか。私らの時代は、図書が中心。図書へ通い新着雑誌を眺め、

1。タイトルを見る。要旨を見る。図を見る。そして読むかどうかを決める。

2。読む。考える。

 最初は悪戦苦闘。専門用語をはじめ持っている知識の限界をはるかに超えている。語学だけの問題ではない。コピーのない時代、研究者はノートに書き写した。それが理解を進めた。それも逐一訳しながら。先人のノートを見るとその努力の大きさに驚愕する。

(その膨大な努力の重ね合わせが日本語で科学の最先端を理解し、同時に発信もできるという欧米圏以外で唯一の先進社会を作った。)

 世の時の流れの穏やかな時は、この不眠の努力でよかった。

私らの時代は男ばかりのタバコの煙る喫茶店で一杯のコーヒーで読み耽り粘る。大学の周りには喫茶店雀荘が並んでいた。古き良き時代。

 コピー時代が情報の流れを速めた。

 パソコン時代になりもっと速まった。

それがSNS時代となり最早、情報の受信(読む)作業量は個人の能力の限界をはるかに超えた。

この流れにのれないものは落ちこぼれ、ガラパゴス化する。

ガラパゴス島、そこには特異進化したものと絶滅危惧種のみが住む世界。

70億分の1の言語(日本語社会の世界人口比)内に閉じていると、情報収集は完全にガラパゴス化する。井の中の蛙化する。

さてさて、どうする?(続く)

 

オープンサイエンス(1)

オープンサイエンスとは、文字通り「開かれた科学」のことである。

最近になってあちこちで活発な議論となっている。日本学術会議でも「オープンサイエンスの深化と推進に関する検討委員会」が設置され議論が続けられている。

 

 これは今後の科学の行方を左右する極めて重要な課題である。また、昨今地球科学分野でも頻発している科学における不正に対して有効な手立てを科学の側が打ち立てられるかということでもある。

 

 さて、どういうことか。

具体的例から議論しよう。最も流布している検索エンジンGoogleでは「南海トラフ」と入れると、なんでもかんでも含めて870万件ヒットする。これでは取りつく島がない。そこで学術情報検索エンジンGoogle  Scalarで見てみよう。Nankai Troughと入れる。科学ジャーナルで発表されたもの、学会発表の要旨など16,600件が瞬時にヒットする。このGoogle Schalarは日本語のものも含む。とても便利だが読み切れる数ではない。年代を絞る。2015年以降のもの。それでも4950件。2018年以降1680件。これでも絶対に読みきれない。そこでもジャーナルへたどり着く。

 そのアクセスがオープンになっていれば読める。しかしそうでなければ要旨だけ示され、読みたければ買いなさい、と出る。学術論文ならば大体1編数千円する。高い! 読みたい!でも読めない!(続く)