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2015-06-19

生きる力がわく故事成語を集めていきます

 こんにちは、木村耕一です。

「一炊の夢」「愚公山を移す」「蛍雪の功」など、中国故事成語エピソードを、これまで『こころの道』や『こころの朝』などに書いてきました。

 故事成語といっても、その数は、数千もあります。

 小学生向けの参考書でさえ、数百も載っています。

 

 故事成語には、一つ一つに、その言葉が生まれた背景があります。

 苦労して成功したり、調子にのって失敗したりした教訓が、短い言葉になって表されたのが「故事成語」です。

 数千年前からの、人間の経験、知恵、知性の集積といってもいいと思います。

 その中には、現代の私達にもプラスになる言葉が、たくさんあります。

 たとえば、「鉄杵(てっしょ)を磨く」の由来は、次の通りです。



 中国の唐の時代に、李白という青年がいた。

 ある山で、詩や文章の勉学に励んでいたが、途中でイヤになって投げ出してしまった。

 帰ろうとして、小川を渡った時、鉄製の大きな棒を、一心不乱に磨いている女性に出会った。臼(うす)で穀物をつく時に使う杵(きね)の一部らしい。

 不審に思った李白が尋ねた。

「なぜ、そんな鉄の棒を磨いているのですか」

「どんどん小さくして、一本の針を作ろうと思っているのです」

 驚くより、あきれてしまった李白

「そんな太い鉄の棒を、いくら磨いても細くはならないでしょう。まして、布を縫う時に使う針など、作れるはずがない!」

 しかし、彼女は、静かに答えた。

「やってもいないのに、どうして分かるのですか。この世には、一生懸命にやって、できないことは、一つもないと思います」

 この言葉に感動した李白は、再び、山への道を引き返し、勉学に励む決意をしたという。

 以後、幾多の困難に直面したが、「鉄の棒を磨いて針を作る苦労に比べれば、これくらいは苦労とはいえない」と奮起し、努力を続けたのであった。

 李白は、詩人として大成する。

 自由奔放でスケールの大きい作品は、高く評価された。後世の人々から「詩仙」と呼ばれて、杜甫白居易と並んで、絶賛を受けるまでになったのである。

 この李白の逸話から、「鉄杵(てっしょ)を磨く」という故事成語が生まれた。

 どんなに難しいことであっても、努力を続ければ、必ず成し遂げられるのだ。

 (木村耕一著 新装版『こころの道』より)



 このように、生きる力になったり、生きるヒントを与えてくれる故事成語を集め、その由来と教訓をまとめて、新しい本を作りたいと思います。

2013-10-30

ふるさと「富山県」に、芥川賞作家がいたとは……

こんにちは、木村耕一です。


自分の故郷について、案外、知らないものだな……と、つくづく知らされたことがあります。


文筆家として活躍する70代の大先輩・T氏と、東京神田で食事をしたときのことです。

「好きな作家は?」と尋ねると、T氏からは、堀田善衛(ほった よしえ)です」の答え。


どんな漢字を書くのか、男か女かも、私には、分かりませんでした。

するとT氏、

富山県の生んだ、偉大な芥川賞作家ですよ。

あなたも富山県出身でしょう。

知らないなんて、本当ですか?」


恥ずかしながら、知りませんでした。

堀田善衛富山県高岡市伏木の出身。

私も同じ高岡市生まれなのに……。


さらに驚くべきことが!


宮崎駿監督が、長編アニメの制作から引退を表明した記者会見で、「堀田善衛」の名前が出てくるではありませんか。

宮崎監督は、若い頃から堀田善衛の作品を愛読し、人生の羅針盤のように心の拠り所としてきたといいます。

自分の尊敬する日本人であり、大恩人であるとまでいいます。

これまでの作品作りで、一番影響を受けたのは堀田善衛だ、と語ったこともあります。


富山県出身者としては、やはり驚きでした。

かつて「裏日本」といわれ、なんとなく日本海側の卑屈さを、どこかに持っていた自分には、心が晴れるようでした。

東京へ出てきて、まもなく15年……。

故郷の魅力を、今一度、見つめ直してみたいと思います。


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2013-09-27

「風立ちぬ」宮崎アニメの、タイトルの由来は……

こんにちは、木村耕一です。


宮崎駿アニメ風立ちぬ

このタイトルには、どういう意味があるのだろう……。


そんな興味がわいたので、まず、堀辰雄の小説『風立ちぬ

(昭和13年発表)を読み始めました。


緑の丘で、絵を描いている節子。

白樺の木陰にたたずむ「私」。

恋人たちのそばに、不意に風が立ち、描きかけのカンバスが草むらに

倒れる……。

その時、ふと口をついて出た詩句が、

風立ちぬ、いざ生きめやも」


フランスの、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節です。

堀辰雄の名訳)


風立ちぬ」とは、風が立った、風が吹いたという意味。

「いざ生きめやも」は、「さあ、生きていこう」「生きようじゃないか」というニュアンスがこめられています。


節子は、重い病気(結核)をわずらっていました。

あとわずかな命、かもしれない。

そんな中でも、悲観せず、1日1日を輝かせたい、


風立ちぬ、いざ生きめやも」

「私」は、節子の肩に手をかけたまま、何度も口ずさむ……。


暗いテーマなのに、美しい文体です。

死を見つめた時にこそ、大切なものが見えてくるように思います。


月日は、風のように過ぎていく。

無為にすごしたり、ただ辛いことを流したりするのではなく、

「いざ、生きめやも」と、一歩前へ出る生き方をしたいですね。



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2012-08-13

三国志(11)玄徳の母が、どうしても息子に伝えたかったこと。それは、心の折れない、ブレない生き方を貫く秘訣だった

こんにちは、木村耕一です。


吉川英治の『三国志』を読んでいると、玄徳の母の強さ、偉大さに、心を打たれます。

この母なくして、後世に名を残す玄徳は、育たなかったでしょう。


また、玄徳の母に、自分の母の姿が重なり、読みながら涙を流してしまう人が多いのではないでしょうか。


そんな母の愛の深さを示す場面を、一部ですが紹介します。


劉備玄徳、関羽張飛の3人が、義勇軍を結成して、母のもとを旅立ってから3年後のこと。

思い通りにはいかず、玄徳は失意にくれていました。


そんな時は、優しい母の姿がまぶたに浮かびます。

ある夜、玄徳は一人で、郷里の母のもとを訪ねました。


 老母は、驚いた顔して、玄徳のすがたをじっと見て、

「……阿備か」

と、いった。


「長い間、お便りもろくにせず、定めし何かとご不自由でございましたでしょう。陣中、心にまかせず、転戦からまた転戦と、戦に暮れておりましたために」


子の言葉をさえぎるように、

「阿備。…そしておまえはいったい、なにしに帰ってきたのですか」


「はい」

 玄徳は地に面を伏せて、

「まだ志も達せず、晴れて母上にお目にかかる時機でもありませんが、そっとひと目、ご無事なお顔を見に戻ってまいりました」


老母の眼は明らかにうるんでみえた。髪もわずかのうちに梨の花を盛ったように雪白になっていた。


しかし、以前に変わらないものは、子に対してじっと向ける瞳の大きな愛と峻厳な強さであった。


こぼれ落ちそうな涙をもこらえて、老母は、静かにいうのだった。

「阿備……」

「はい」

「それだけで、そなたはこの家へ帰っておいでなのかえ」

「え。……ええ」

「それだけで」


思いのほか母の不機嫌な気色なのである。

それも、自分を励まして下さるためと、劉玄徳は、かえって大きな愛の下に泣きぬれてしまった。


母は、その子を、大地に見ながら、なお叱っていった。


「まだおまえが郷土を出てから、わずか2年か3年ではないか。

貧しい武器と、訓練もない郷兵を集めて、この広い天下の騒乱の中へ打って出たおまえが、たった3年やそこらで、功を遂げ名をあげて戻ってこようなどと……そんな夢みたいなことを母は考えて待っておりはしない。

……世の中というものはそんな単純ではありません」


「母上。……玄徳のあやまりでございました。

どこへ行っても、自分の正義は通らず、戦っても戦っても、なんのために戦ったのか、この頃、ふと失意のあまり疑いを抱いたりして」


「戦に勝つことは、強い豪傑ならば、誰でもすることです。

 そういう正しい道のさまたげにも、自分自身を時折に襲ってくる弱い心にも打ち克たなければ、所詮、大事は成し遂げられるものではあるまいが」


「……そうです」


「ようく。お分かりであろう。……もうそなたも30に近い男児。それくらいなことは」


玄徳は、母のたもとにすがって、

「悪うござりました。もう決して女々しい心はもちません。あしたの朝は、夜の明けぬうちにここを去りますから、どうかたた一晩だけお側において下さいまし」


「…………」

老母も、くずれるように、地へ膝をついた。

そして、玄徳の体を、そっと抱いて、白髪の鬢(びん)をふるわせながらささやいた。


「阿備や……。だが、わたしはね、亡きお父さんの代わりにもなっていうのだよ。今のは、お父さまの声だよ。お叱りだよ。……あしたの朝は、近所の人目にかからないように、暗いうちに立っておくれね」


そういうと、老母はいそいそいそと母屋(おもや)のほうへ立ち去った。

間もなく、厨(くりや)のほうから、夕餉(ゆうげ)を炊(かし)ぐ煙が這ってきた。失意の子のために、母はなにか温かい物でも夕餉にと煮炊きしているらしいのであった。


  (吉川英治三国志』1)





玄徳はやがて30歳、数多くの兵を指揮する立派な大人です。


しかし、母にとって、子供は何歳になっても子供。

大きな愛で導いています。

母が息子に伝えたかったことは、次の2つです。


(1)世の中は単純ではない。


早く成功して、母親を安心させたいと、玄徳は焦っています。

しかし母は

「世の中というものはそんな単純ではありません」

と言って、息子の甘い考えを正します。

「単純ではない」とは、どういうことなのか。

その答えは、玄徳の言葉の中にあります。


「どこへ行っても、自分の正義が通らず……」


ここで、ストレートに「正義」ではなく、「自分の正義」と言っているところに注目しましょう。

世の中、一人一人、正しいと思ってることには違いがあります。

だから意見が対立し、争いが起きるのです。

ぶつかっている双方に、「自分は正しい」という正義、理屈、主義、主張があるのです。

一人一人が「自分の正義」を持って集まっているのが、世の中なのですから、簡単にまとまるはずがありません。


それなのに、「なんで分かってくれないのか」といって、嘆いたり、怒ったりしていたのでは、孤立するだけです。

周囲に理解してもらう努力を怠ってはなりません。

他人の言葉に耳を傾けて反省していく謙虚さが必要です。

まず、このことを自覚しなければ、世の中を生きていけないことを、厳しく教えているのです。



(2)大事(目的)を常に忘れるな。


母は息子に諭します。

「時々襲ってくる弱い心に打ち勝たなければ、大事(目的)は成し遂げられない」と。


母は、息子の心が折れそうになっていることを感じたので、ここで、

「そんなことでは、大事(目的)は成し遂げられないぞ」

と戒めたのです。


世の中は単純でないから、人生に困難は、山ほどあります。

しかし、どんな困難にぶつかっても、心が折れない方法があるのです。


それが、人生の目的をハッキリと持ち、すべての苦労は、このためにある!と、心の向きを一つに定めることです。

人生で、果たすべき目的がハッキリしてこそ、ブレない生き方を貫けるようになるのです。


玄徳の母は、戦乱の時代を生きていく息子に、大切な心得を、必死に伝えようとしています。

その愛情の大きさに、心が打たれます。


三国志』は、今から約1800年前のドラマですが、子を思う親の気持ちは、昔も今も変わりません。


8月初めに、新装版『親のこころ2』を発売しました。

玄徳の母と同じように、海よりも深く、山よりも高い親の愛情を、歴史上のエピソードと、全国から募集した85人の体験談でつづった新刊です。

ぜひ、一度、ごらんになってください。


f:id:kimura051:20120724170655j:image


新装版 親のこころ2

木村耕一編著

定価 1050円(税込)

(本体1000円)

四六判 240ページ

978‐4‐925253‐61‐1

http://www.10000nen.com/?p=8612


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2012-07-18

三国志(10)本気で恋をささやく劉備玄徳に、2人を引き裂く事態が……。恋愛をとるか、人生の目的をとるか。

こんにちは、木村耕一です。


恋愛をとるか、大志(人生の目的)をとるか、その決断を迫られたら、どうしますか。


三国志』の劉備玄徳も、恋におちました。

それは、誠意を尽くして戦っても認められず、失意に暮れ、ある大地主の屋敷にかくまわている時でした。

その家に、美しい女性がいたのです。

名を芙蓉(ふよう)といいます。


月の鮮やかな夜のこと。

芙蓉は、人目を忍びながら、広い庭園へ出て行きました。

足もとの芝生には、夜露が宝石をまいたように光っています。

 

すると梨の花の小道から、1人の人影が忽然と立ち上がった。それは花の中に隠れていた若い男性であった。

「オ。玄徳さま」

「芙蓉どの」

ふたりは顔を見あわせてニコと笑みを交わした。芙蓉の歯が実に美しかった。

相寄って、

「よく出られましたね」

玄徳がいう。

「ええ」

芙蓉は、さしうつ向く。

そして梨畑のほうへ、ふたりは背を擁しながら歩み出して、

「こうして庭へ出てくるにも、ずいぶん苦心して来るんですの」

「そうでしょう。私も、関羽だの張飛だのという腹心の者が、同じ室にいて、眼を光らしているので、彼らにかくれて出てくるのも、なかなか容易ではありません」

「なぜでしょうね」

「何がですか」

「そんなにお互いに苦労しながらも、夜になると、どうしてもここへ出てきたいのは」

「私もそうです。自分の気持ちが不思議でなりません」

「美しい月ですこと」

「夏や秋の、さえた頃よりも、今頃がいいですね。

夢みているようで」

梨の花から梨の花の小道をさまよって、2人は飽くことを知らぬげであった。夢みようと意識しながら、あえて、夢を追っているふうであった。

   (吉川英治三国志』1)

2人の恋を、

「夢みようと意識しながら、あえて、夢を追っているふうであった」

とは、鋭い表現ですね。


吉川英治は、「恋は永遠」などと、現実にありえないことは書きません。

恋も、はかない夢なのです。

人は、心の底で、そう感じているからこそ、今の一瞬だけでも、とろけるような幸せにひたりたいと、恋に身を焦がすのではないでしょうか。

それはまるで、現実から夢の中へ逃避しようとしている姿にも見えます。


関羽は、2人が逢い引きしているのを、目撃してしまいました。

そして、非常に驚き、

「志を得ぬ鬱勃(うつぼつ)を、そういうほうへ誤魔化しはじめると、人間もおしまいだな……」

と嘆きます。


これは、恋愛が悪いと言っているのではありません。

自分たち3人は、どんな困難があろうとも、一つの目的に向かって進むことを誓った仲です。

それなのに、盟主にあたる玄徳が、その目的を忘れて、思い通りにならない空しさ、鬱憤(うっぷん)を、恋でごまかそうとしているとしたら、あまりにも情けないと思ったのです。


ですから、人生の目的を忘れて、酒にひたったり、遊びに没頭したりするのも同じことです。


では、玄徳は本当に目的を忘れて夢を追っていたのでしょうか。


まもなく玄徳、関羽張飛の3人に、この屋敷から出て行かねばならない緊急事態が起きました。

玄徳は、キッパリと、

「立ち退こう」

と言います。


関羽は思い切って、玄徳に尋ねます。

「お名残り惜しくはありませんか、この家の深窓の佳人に」


玄徳は正直に答えます。

「恋をささやいている間は、恥ずかしいが、わしは本気で恋をささやいているよ。女を欺けない、また自分も欺けない。

だが、両君。乞う、安んじてくれたまえ。玄徳はそれだけが全部にはなりきれない。恋のささやきもひとときの間だ。すぐにわれに返る。なんで大志を失おうや」


玄徳は、二者択一を迫られた時には、我が人生で果たすべき目的を基準に、毅然とした態度をとりました。

この心がけがあったからこそ、30数年の苦難を経て、蜀の国家を樹立し初代皇帝になったのです。


では、芙蓉はどうなったのか。

この、突然の別れから5〜6年後、玄徳は芙蓉を迎えに来ました。

彼女がじっと待っていたのは、恋の語らいの中にも、玄徳は自らの大志を彼女に語っていたからに違いありません。

目的をしっかりと持って突き進む男は、頼もしく思えるのではないでしょうか。


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