2日目PART2

昨日に続いて「国宝 阿修羅展」の話。八部衆十大弟子を見た後は、いよいよ阿修羅たんとの再会である。展示エリアへと向かう通路の両脇には、小型の液晶モニタがいくつも並び、阿修羅像の映像を映し出している。さらに通路は緩い上り坂になっていて、「ふっふっふ、早く見たいでしょ?でも、簡単には見せてやらんけんね (ニヤリ)」という、会場レイアウト設計者の邪悪な笑い声が聞こえるようである。← 多分幻聴です

「あざとい演出だなー」と、いささかシニカルな気分になる私だったが、ようやく展示エリアにたどり着き、阿修羅像の現物を見た瞬間、そんな気分は吹き飛んでしまった。黒い壁をバックに、考え抜かれた照明によって照らし出された阿修羅像が、文字通り神々しく輝いていたからだ。どれくらい神々しかったかというと、私が筋金入りの無神論者でなかったら、うっかり仏教に帰依してしまいそうなほど。

また、照明だけでなく展示レイアウトも素晴らしい。エリア中央に一段高いステージをしつらえ、その上に展示してあるので、あらゆる角度から鑑賞が可能なのだ。興福寺では見られない背面も見られるし、周囲を巡りながら見ることで、三面六臂が織りなす様々な表情の変化を、じっくりと嘗めるようにあますところなく楽しむことができるのである。もちろん、踊り子に手を触れるのは厳禁だ。← 踊り子言うな

それにしても、この阿修羅像は凄いよなぁ。本来は血生臭く恐ろしい戦闘神を、繊細な少年のように造形してしまうセンスが素晴らしい。しかも、繊細でありながら弱々しさは微塵も感じさせないし。他の八部衆と違って、武具や防具の類を一切身に着けていないのも、逆に「そんなものは必要ない」と言ってるようで、かえって凄味を感じさせるぞ。

さらに、一見穏やかなようでありながら、その下から怒り、哀しみ、憂い、慈しみといった様々な感情を覗かせる中央の顔が実に良い。一切の迷いを感じさせない菩薩や如来の顔とは異なる魅力があるよなぁ。さすがは「百億の昼と千億の夜」の阿修羅王のモデルになっただけのことはある。いやー、惚れ直したっす。

つーことで、あまりの素晴らしさに、アリア総司令閣下と2人で周囲をぐるぐると 4回転もしてしまいますたよ。んで、中央の顔が向いてる方向を 6時としたときに、3時と4時の間くらいの角度から見るのが、最も美しいという結論で合意。東京近郊にお住みの方は、ぜひ自分の目で確かめていただきたい。

さて、阿修羅たんも見たことだし、残りの展示は軽く流そうかと思ったんだけど、それは甘い考えだった。今回初めて見た四天王像が、これまた実に良いのだ。でかくてゴツくてダイナミックな造形は、シンプルかつストレートなカッコ良さに満ち満ちているぞ。この手の仏像ではお馴染みの、邪鬼の踏まれっぷりもナイス。個人的には、増長天が「鋼の錬金術師」のアームストロング少佐みたいでお気に入り …… って、頭の悪い感想文だな、コレって。

さて、興福寺の仏像の魅力をたっぷり堪能した後は、本館の常設展示を鑑賞したり、池袋のジュンク堂書店でメンバーにあれこれ本を買わせようとして、結局自分が何冊も買ってしまったり (またかい) して過ごす。んで、池袋西口近くにある「えん」で飲み会。参謀閣下も合流して、例のごとくアニメやマンガや映画の話で盛り上がる。

できれば「えん」で粘りたかったんだけど、丁寧かつ有無を言わせぬ態度の店員さんに「はい、時間切れです」と追い出されてしまったので、終夜営業の喫茶店「カフェ・ド・巴里」に移動してオタ話続行。店のネーミングはともかく、ゴルコム設立当時 (約10年前) からまったく変わらないまま、いつ行ってもほぼ確実に空席があり、ゆっくり会話を楽しめるという、実にありがたい喫茶店である。これからも変にリニューアルすることなく、潰れない程度に寂れてて欲しいものだ。なんかヒドイこと言ってますか私。

いや、渋谷にも同じような「マイアミ」って喫茶店があったんだけどさ、リニューアルして喫茶&パスタの店になったら、お客が増えちゃって飲み会後のダベり場所として使えなくなっちゃったんだよねー。そういう (ゴルコム的な意味での) 悲劇が繰り返されたら (ゴルコム的に) 困るので、イイ感じに流行らないで欲しいなぁと。なんつーか「生かさず殺さず」って感じ?あー、やっぱヒドイこと言ってますね私。でもほら、我々ってば所詮は悪の秘密結社だから仕方ないよね、うんうん。

つーことで、喫茶店経営者の都合を完全に無視しつつ、午後11時までバカ話を堪能して解散。天候には恵まれなかったが、楽しいオフ会であった。遠路はるばる参加されたチコリ総統閣下、アリア総司令閣下、どんたれさん、お疲れ様でした。また遊びませう。