いわゆる新聞表記について

 通信社配信のものも含めて、たいていの新聞に原稿を書いたことがありますけど、漢字を開くかどうか、とか、送り仮名とか、そういう表記上の問題は、新聞に限らず雑誌でも、基本的にそのメディアのものさしに任せるようにしていますから、漢字表記そのものよりも、むしろ「差別語」とか、そういう表現上の規制でモメたことの方が多いですね。

 一番最近だと、他でも書きましたが、『論座』の書評原稿で「A級戦犯」って表現がひっかかってトラブったもので、原稿を引き上げました。あと、そうだなあ、「もの言い」とか「難儀」とかの言い回しは、書き始めた頃から今まで、ずっとチェックされまくりですね。

 ただ、そういう表記・表現上の規制は、窓口となった担当記者に左右されることが多いんじゃないですかね。マニュアルとしての新聞用語集はもちろんあるにしても、その運用や解釈は案外ケースバイケースの部分があるように思います。担当記者とのある程度の信頼関係が築ければば、その範囲でのネゴシエーションは可能かな、と。

 もっとも、だからこそまずいところもあるわけで、たとえば名前のある大御所とかその社と利害のある書き手、あるいはモメるとややこしそうなキャラとかだとオッケーで、そうでないと杓子定規に規制される、なんてことも起きてくる。実際、先にあげた『論座』の場合も、中味が中沢新一を叩いてたってことと、書いたのが朝日的には凶状持ちのあたしってことで、どうも初手から警戒されて官僚的に対応されたって感じでしたから。あと、その新聞社のカラーに合わない主張を制御するために、そういうマニュアルをタテに圧力かけてくる、なんて手口もザラにありますしね。

 まあ、その意味じゃ新聞社なんて言っても警察や役所と同じなわけで、そんなマニュアル通りの官僚的対応を引き出さないように、からめ手含めてネゴかけられるようにしておくのが、書き手としての身の守り方なんだろうなあ、と、現状では思ってます。そのためにも、稼業としてのもの書きはキャラ立ちをよくしておく努力も必要なんでしょうね。