本と奇妙な煙 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1000 | 01 |
2003 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2018 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 |

2004-09-30 女優・青木さやか3 このエントリーを含むブックマーク

kingfish2004-09-30

著作権を考慮して手ブレ中の青木さやかです。ERにもアビー役で出演してるし、正直、西田尚美には負けない。亀山婦長っていったら、あたしよー。

 それにしても西田尚美は素のほうがフェロモン出てるよねー。オレ竜を盛り上げないマスコミに殺意。

 2軍コスト削減・地域密着を考えてプロアマ問題の根本的解決を訴えているのはシダックス会長だけなわけで、IT気分のバカ社長供と一緒にして欲しくない。

2004-09-29 女優・青木さやか2 このエントリーを含むブックマーク

kingfish2004-09-29

受像機を撮影したら偶然うつっていた青木さやかです。ミドル3で素のふりして「かわいさ」アピールしてたとか言ってんじゃないわよー。ちゃんと老けメークもできるんだから。白い巨塔にて亀山婦長を熱演中。

 ポレのマグマが迫ってくるよおお、って、ネゴシックスじゃないわよ。でも根来コミッショナーの孫だともっぱらの噂。オヤジ転がしうまいな、ポレ。

2004-09-28 女優・青木さやか このエントリーを含むブックマーク

kingfish2004-09-28

著作権を考慮して手ブレ中の青木さやかです。「楽屋じゃ大人しくていい子なのに」と芸人仲間にフォローさせて「かわいさ」をアピールしてるとか言ってんじゃないわよー。26年前から女優やってんのよ。白い巨塔に出てたんだから、ふざけないでよ。

2004-09-27 すばらしき愚民社会 このエントリーを含むブックマーク

すばらしき愚民社会

すばらしき愚民社会

小谷野には好意的な方である。メインの文章での批判も同意できるところが多い。ただどうも呉智英とちがってワキが甘いために、小谷野が批判する「愚民」知識人と同じになってしまっている。

例えば岸田の精神分析をバカにしているくせに、いざ自分の喫煙癖を分析しだすと、「神経症の人がたばこをやめるのは難しい」なんて言葉にあっさり飛びついてみたり、柄谷は認められたから禁煙できただの、ぐだぐだである。小谷野的に書くなら「若い頃は酒と煙草と女をやれば大人になれると思っている頭の悪い奴等をバカにしていたため、未経験なままで歳を重ねてきたが、最近のファナティックな禁煙運動に怒りを感じて、四十を前にあえて喫煙することにした」と書くべきで、そう書けないのは小谷野も頭の悪いバカだったんじゃねえの?

序文では「愚民」どもハリポタ図書館で予約すんなとか書いてたのに、あとがきでは「愚民」とは中途半端な知識で物が見えなくなっている知識人のことで、地道に働く大衆は美しいよねとか言っちゃたりして。それじゃ呉智英に根拠がねえじゃんと言われてる「大衆の原像」と一緒じゃない。いいの?

9.11におけるサヨクの対応で考えを変えたそうだが、結局言ってることは無教養な保守厨房と変わらないのだが。小谷野の誇る知識はどこに生かされているのだ。右も左も知識人という存在がもう意味がないというならそれでもいいけどさ。

最近古典芸能をやってる人の日常にふれたのだが、特別精進せずとも無形文化財としてそれなりの収入は保証され、休みにはパチンコ麻雀、美人の弟子にセクハラ。一般大衆から必要とされていないが、当人達はそれなりに幸せなのである。早いところ大学も縮小して伝統芸能化して進歩や努力など求められることなく人知れぬところで幸せに「すばらしき愚民社会」つくるのがよいのではないでしょうか。まあそのときは小谷野も路頭に迷うわけだけど。

2004-09-25 帝国との対決2 このエントリーを含むブックマーク

前日の続き

たとえばジェファーソン型のリベラリズムのほうが、ここアメリカでは、わたしたちが理解しているような「左翼」よりも、ラディカルな未来を開くかもしれません。ある種のアナーキズムの形態がアメリカの伝統に、左翼よりも、深く根づいているかもしれないのです。この伝統においては政府に対する真正の懐疑、権力の集中化に対する真正の異議申し立てが存在するのです。アナーキズムのほうが、伝統的で正統派のマルクス主義左翼よりも、未来があるかもしれません。

一九二〇年の段階でタゴールはナショナリズムを、共通性ではなく差異にもとづく排除と分離の情緒的反応を生み出しがちであると断じています。非暴力は、組織的かつ情緒的に宗教的象徴を利用するかぎり分裂をまねき、インドに暴力の種をまくことになるだろう、と。つまり暴力の根は、ガンディーが大規模に動員しようとした非暴力運動そのもののなかにある。だからガンディーの不服従運動、輸入品の焼却排斥運動は、階級によって影響がまちまちで、不利益をこうむる階級もでてくる。ベンガルに暮らす貧しいムスリムたちは、ベンガルを支配している中産階級のヒンドゥー教徒たちとちがい、この運動によって生活を圧迫されることになるのです。

2004-09-23 帝国との対決 このエントリーを含むブックマーク

<ジハード>は、これまでに何干回となく「聖戦」と翻訳されてきましたが、それとは無関係です。アラビア語でいう<ジハード>は「闘争する」を意味します。この闘争は、暴力によるものを意味することもあれば、暴力によらない闘争を意味することもあります。形式もふたつあります。小さな〈ジハード〉と大きな〈ジハード〉。小さな〈ジハード〉は外面的な暴力をふくみます。大きな〈ジハード〉は自己との闘争をふくみます。だいたいこれが概念のあらましです。わたしがこれに言及した理由は、イスラムの歴史において国際的な暴力現象としての〈ジハード〉は、過去四百年間、現実的な目標とはなりませんでした。それが一九八○年代にアメリカの支援とともに突如復活してくるのです。

現在、イランですら、男女は同じオフィスでいっしょに働いています。女性はチャードルは身につけていますが、それでもオフィスで働ける。サウジアラビアではそうはいきません。イスラム原理主義あるいは右翼イデオロギーにその本質と可能性を左右されるサウジアラビアは、その慣習の保守性においてイランよりもはるかにたちが悪いのです。そのくせサウジアラビアは一九三二年以来合衆国の同盟国です。だから誰も、疑義を呈していないのです。

ビン・ラディンが何を見ながら育ったのかを明らかする報道はありません。サウジアラビアに君臨する唯一の王家の人間たちは、アラブ人の石油資源を西洋とその投機会社に譲り渡してしまいました。彼はそれが強奪されるのを目のあたりにしたのです。その間ずっと、彼にはたったひとつの慰めしかありませんでした。つまり、自分の国は占領されていないという慰めです。彼の国に、アメリカやフランスやイギリスの軍隊はいないのです。ところが一九九〇年代初頭に、彼は自分の小さな慰めでさえ失われたことに気づくのです。彼はすでにCIAによって一人前になり、アメリカによって武器を供与され、そしてつぎのことを心底信じこむよう訓練されたのです、すなわち、自国に外国人が侵入するときには、暴力で撃退すべきだ、ということを。戦うべきだ、ということを。アフガニスタンにおける〈ジハード〉とはそのようなものだったのです。

 この、国際的な武装闘争としての<ジハード>という現象全体は、過去五世紀の間存在しませんでした。それはアメリカの尽力によって生み出され、汎イスラム化されたのです。

アラブ人全体の視点から現状をみてみるならば、彼らはひどく追いつめられた二億人の集団ということになります。豊富な石油をもっていながら、その富は彼らに届いてはいない。油田は民衆の手の届かないところに隔離されている。部族には旗があたえられました。たとえば、クウェート、アブダビ、サウジアラビアというふうに。サウジ族は、その石油を民衆から隔離するために国家をあたえられたのです。

イスラエルの軍隊の存在感は圧倒的です。ではそれが何の役にたっているのでしょうか。湾岸戦争のとき、アメリカの政策にとって、最大の難題は、いかにしてイスラエルをこの戦争に引き入れるかではなく、いかにして遠ざけておくか、でした。アメリカの軍事立案者たちがもっとも恐れていたのは、サダム・フセインがイスラエルを力づくで湾岸戦争へと駆り出すかもしれないということだったのです。恐れている事態とは「ああ、なんたること、イスラエルが巻きこまれずにいてほしかったのに」と嘆くような事態だったのです。ではイスラエルとはいかなる種類の戦略的資産なのか。戦略的資産なんていい方は意味がないのですよ。

 イスラエルがしていること。それはこの地域を、いくつかの点できわめて不安定にしておくことです。たまたま今日の出来事ですが、イスラエルの軍用機がレバノンをまた爆撃したことを知りました。現時点での情勢からすると中東におけるアメリカの影響力の支えとなっているのは、イスラエルの力ではありません。アメリカは弱体化しているアラブ体制に乗じているだけです。

長くなったので残りはまた明日。

2004-09-21 男囚カラシニコフ

カラシニコフ

カラシニコフ

モウ今更ナイヨウなど紹介する必要もないようなので、話からそれたところを。

内戦やまぬソマリアから独立した未承認国家「ソマリランド」は部族長老による武器回収管理に成功し治安が回復した。

ソマリランドの最大産業は畜産だ。遊牧で育てたヤギ、羊、ラクダなどを、サウジアラビアなど湾岸国に輸出する。年間で約五〇〇〇万ドル、独立宣言後の外貨の稼ぎがしらだった。

 ところが二〇〇〇年、最大の市場だったサウジが突然、輸入停止を通告してきた。「疫病が見つかった」という理由だったが、ソマリランド側では家畜に何の病気もあらわれていない。ソマリランド独立を嫌う勢カが手を回したのだと牧畜業者はささやき合う。おかげで畜産輸出は五〇分の一の一〇〇万ドル程度に激減し、大打撃を受けた。

慎太郎が密かに 慎太郎が密かにを含むブックマーク

あの石原センセイが砒素かに軍隊虐待SM体験談を綴っておられました。

というのは嘘で石原とは無関係の慎太郎がgoogle:慎太郎's HPでは石原を押さえて「徴兵検査、M検の記録保管庫」でトップに。死ベ超ワールド全開。おしゃれ度ゼロ号の男、男囚ギャクさそり。ボクは苦手だな。801の皆さんこれが現実ですよ。じこせきにんでぐぐれよ。

2004-09-20 安息日の前に/エリック・ホッファー このエントリーを含むブックマーク


安息日の前に

作者: エリックホッファー 中本義彦

出版社: 作品社 発売日: 2004/07

1974/12/02

 波止場から引退してもうすぐ八年になるが、いまでも夢の中で船荷を積み下ろしている。朝目覚めると、夜のきつい仕事のせいで体中が痛いように感じることがある。年金とは、われわれが引退後も夢の中でつづける仕事に対して支払われる給料のようなものなのかもしれない。

 現在においては、非効率的な社会のほうが安定しやすいように思われる。一つの仕事を成し遂げるのにできるだけ多くの労働者を雇う社会、それが非効率的な社会である。そうした社会は自分が役に立っているという感覚を成員に分配する。これは富や権力の分配よりも、社会の安定にとって不可欠なものである。

  

1974/12/07

 第二次世界大戦後の西洋におけるナショナリズムの衰退は、相反する二つの傾向をもたらした。イギリス人やフランス人、ドイツ人であることにさほど栄誉を感じなくなったとき、人びとはヨーロッパ人や大西洋共同体の一員であることに以前よりも魅せられるようになった。しかし同時に、スコットランド人やウエールズ人、ブルターニュ人やブルゴーニュ人として生まれ変わることにも魅力を感じるようになったのだ。ナショナリズムの低下は、国際社会への帰属意識を増大させると同時に民族的分離主義への衡動を高めるのだ。

  

1975/01/25 (略)

 対等になりえない者を対等に扱うと、彼らの不平等感を助長することになる。同じく、自助努力できない者に自由を与えると、彼らの被抑圧感を増長させることになる。さらに、自助努力できない者に自由と平等を同時に与えると、彼らから気休めのアリバイを奪ってしまうことになる。

  

1975/05/24

 不正を正しても社会の協調度が増すわけではない。女性解放、人種間の平等、貧困に対する闘いは、さらなる国民の結束をもたらしはしなかった。それどころか、社会正義は不満を倍増させ、不和に油を注いだ。完全な自由のように、完全な正義も社会分裂の原因になるのかもしれない。

 文明生活は不完全さを引き受けること、つまり、もっている権利を行使し尽くさないことを前提に成り立っている。

2004-09-16 SXをいじってみた

[]SXをいじってみた SXをいじってみたを含むブックマーク

http://www.korg.co.jp/Product/Dance/ESX-1/

SXなんですけど、凄いですね。ホントは半年前に買うつもりだったんですけど、今激しく後悔しています。これさえ買っておけば半年悩んでいた問題がかなり解決していたのですよ。裸イブを買わずにSXを先に買えばよかった。

唯一ケチをつけるならノブ。あのERのゆるゆるノブがよかったのに。ノブをいじりながら指の腹で別のノブも同時にいじれてしまう素晴らしさ。グリスを塗ればいいのだろうけど、バラすのこわいし。デザインに合わせてメタル調にした材質も最低。何故ラバーにしない、ノブはラバーだよ。指が痛えよ。爪欠けちゃったよ。

大人の皆さんにはどうかしれませんが、お子様なのでこれくらい音圧あれば十分です。プリセットのパターンのハットを声ネタに入れ替えていじるだけでファンキーじゃない。夢中でいじっているとアッという間に15分くらいすぐできちゃう。この性能で7万切ってるんだから安い。

http://kingfish.at.infoseek.co.jp/REAL/Sx1.mp3

アルペジエイターのリボンを叩くだけでベースも弾けるし。適当につまんだので音がきれてますけど。

http://kingfish.at.infoseek.co.jp/REAL/Sx2.mp3

2004-09-15 孤独な帝国

日英同盟廃棄、米での排日移民法可決(1924)、二つのアングロサクソン大国にふられてロンリネスな日本を落とすなら今じゃないと祖国に提案する外交官はカミーユ・クローデルの弟。1922年の日本の全輸出量46%、全輸入量の32%はアメリカが占めていた。そんな時代。

1924/04/23の書簡

それは日本に対するアメリカの経済的、文化的支配の深化です。日本はますます<新世界の大きな共和国>の配下となりつつあります。今やそれ以外の世界との均衡は崩れています。国が買わねばならない主要な消費物資、売らねばならない主要な消費物資の点で、ある国がこれほどまでにひとつの国に依存するとき、その国が政治的な独立を保つのは困難であり、また精神的自主性をもちつづけることもできません。日本には、アメリカの広告が、宗教、習慣、教育、建築が、またアメリカ式の生き方が、徐々に侵人してきています。日本の都市はますます極西*1の都市に似てきています。そして若者たちは、典型的なヤンキーの生き方を外聞もなく真似ています。

排日移民法が可決された時の日本雰囲気

1924/06/04の書簡

日本人の性格の根底にある自尊心、過度の感受性、根にもつ傾向を知っている者にとっては、一般国民や新聞がこの件についてさほど意見を表明することなく、手ひどい仕打ちを受け入れていることは驚くにあたりません。とりわけ怨念が深いのは軍隊です。戦争という言葉が多くの人々の口の端にのぼっています。誰しもが心中、それを考えているのは言うまでもありません。一人の男性はアメリカ大使館の前で、古いしきたりにしたがって切腹しました。しかし、同盟国もなく他国を頼りにできない日本は、ひじょうに無力だと感じているのです。それに誰が絹を買ってくれるのでしょうか。

フランス人による日本の心情解説。逆に言うとフランスの孤立感もなかなかだ。

譲歩の時代は終わったのです。ワシントン会議ののち日本は、協調の道を歩むうえでできるかぎりのことをしました。ウラジオストク、山東、漢口、満州北部を放棄し、艦隊の一部を解体し、陸軍の人員を削減しました。にもかかわらず、その代償が、イギリスのシンガポール軍港化計画やワシントンの侮辱だったのです。

日本はアングロサクソンから露骨に除け者にされつづけてきましたから、完全な孤立か、あるいは私たちが日本にもたらしたいと望んでいる友好的で偏見のない協調を受け入れるか、そのいずれかを選択せざるをえません。

我々は日本と協調し、日本にとってたいへん重要なこの満州という地域において日本に大きな手助けをし、フランスもそこに満鉄という重要な機構を有するのです。手助けをする見返りとして、我々は日本から約束をとりつけることができるでしょう。今はその大半がアメリカ一国に集中している発注のうち、かなりの部分をフランスに振り分けるという約束です。

[]相対性理論人気のわけ 相対性理論人気のわけを含むブックマーク

1922年アインシュタイン来日大ブーム

人々がなぜこれほどまでに熱狂したのかについては、かなり滑稽な理由があったのは確かです。日本語では<相対性>を意味する三つの漢字が、男女間の関係を連想させるということがあったらしいのです。関連本のなかの一冊は、〈吉原(東京の遊廓街)〉を連想させるような名前の教授が書いたものですが、男女学生のあいだでは相当な売行きでした。おそらく失望もまた相当なものだったでしょうが。

[オマケ]こんな時代じゃ許されないポイズンな人物描写。コピれー。

私は、東京であらたな同僚となったソ連大使、ヴィクトール・コップ氏と知り合いになりました。人の目をまともに見ようとしない脂ぎった肥満漢です。ロシア人というよりはドイツ人的で、ドイツ人というよりはユダヤ人的な人物です。ライプツィヒの見本市にいくらでもいるようなタイプです。

最近姿を見ないと思っていたら佐藤紀子が人事異動していた。いかりや葬儀の喪服レポートが涙でにじんで。下のリンクもいつまであるやら。

http://www.tv-asahi.co.jp/announcer/personal/women/satou/body1.html

*1:欧州地図では米は極西になる

2004-09-13 妄想ハイウェイ

この間『井上陽水 空想ハイウェイ』を途中から観た。井上陽水が三上寛、高田渡、友部正人、小室等、加川良をホテルに招待し演奏してもらい語り合う。面白いと思ったのがプロレスと一緒でオフでは強い奴が威張っているのである。三上も俺じゃ客は呼べないし華のある陽水がメインだろうと認めてはいるけれど、ガチじゃ俺が一番と思ってるから当然威張るわけである。世間に実力が認められてないとも思っているから尚更乱暴になるのである。そうなるとそれを止められるのは高田渡しかいないわけで。三上の方も高田の関節には恐怖を抱いているので火花が散るわけです。そして三上の眼中にない友部が静かなるテロリストとして牙を研いでいたりして。そういう時に憐れなのは弱い人達。小室は人格者というスタンスで難を逃れようとするわけで、政治力とかに頼ろうとするのがこういうタイプの奴だ。信用するな。

そういえば、ようやくうちの田舎でも例のプロレス討論放送したんですけど、永田エライな。やっぱ自信あるんだろうな。少なくとも鈴木よりは強いという自信があるんだろうな。

で、一番印象に残ったのは女子アナの石井希和だった。今まで全然どこがいいのかわからなかったというか、どうでもよかったんだけど、チョト見直した。でも、もう爆風ハゲにやられてますから、切腹。

ハプスブルクをつくった男 ハプスブルクをつくった男を含むブックマーク

ハプスブルクをつくった男 (講談社現代新書)

ハプスブルクをつくった男 (講談社現代新書)

出だしはこんな調子でとても面白そうだったが。

時は一三三八年七月のある朝であった。

「殿下!お目覚めあれ!ついに最後の審判の日が参りましたぞ!」というただならぬ従僕の怒鳴り声にメーレン辺境伯カールは目を覚ました。

「全世界が蝗どもに埋め尽くされています。蝗の列は七マイルの長さです。幅は見当もつきません!」と声の主は続けた。

たしかにカールがバルコニーから空を見上げると、けたたましい鳴き声を上げる蝗の大群が分厚い黒い吹雪のように連なり、太陽を拝むことができなかった。

こっちの頭が悪いせいか、著者が明確な設計図を持っていないせいか、話があちこち飛びまくってわかりにくい気がする。

[]イザベラ色 イザベラ色を含むブックマーク

スペイン・ハプスブルク家当主フェリペ2世の娘イザベラは強烈スメル。夫がオランダ軍要塞を包囲した際、陥落するまで肌着を変えぬと願掛け。3年経ってようやく陥落した時には肌着は灰黄色に。そこからドイツ語では淡黄色から黄褐色をイザベラ色と呼ぶように。

2004-09-12 セクハラ和田勉の護身メモ このエントリーを含むブックマーク

和田勉のセクハラ事件には全く興味がなかった。新聞に出たやりとりはこんなところだったようだ。

「ぼくは興奮したい」

「どうすればいいのでしょうか」

「ぼくのいったことになんでもハイといってください」

「わかりました」

「部屋で話したい・・・」

「はい」

大人しい女子学生&勉の強引フェイスという印象を与えます。

ところが今出ているサンデー毎日に掲載された和田勉が護身用に筆談して残したメモというのがなかなかに面白くて興味がわいてきました。さすがハンカチ敷いてたら和姦世代、この筆談メモがあれば和姦成立という辛酸なめ太郎だったのでしょうか。

「ボクは何とか興奮したいと思っている」

「それはどうすれば良いですか」

「あなたと一緒にいたい」

「それでは一緒にいましょう」

「えらい!あなたのエライのはズルクナイから」

「そんなこと言われたのは初めてです。ありがとうございます!」

「ヘヤで接吻したい(100年間してなかったから)」

「100年も生きていないでしょう」

「(訂正)3年間してなかったから」

「結構してますね」

「そういう云い方は世なれていてダメです」

「ハイ[涙の絵文字]スイマセン」

「じゃボクの云うことにともかく「うん」と云ってください」

「かしこまりました!!!」

「ヘヤでしゃべりたい」

「ウン!!」

大分印象が違いません。オヤジを転がして只メシとか、ギョーカイにコネでもという、それなりな女の気配が漂っています。勉のアフターケアが不足していたのか、ケアしようにも往年の権力もなく無い袖はふれなかったのか、やらせたわりには見返りがなくセクハラ訴訟となったようです。もてると豪語しているオヤジの実態はこんなところで、まったくどうしようもないし、女性から批難されても構わないが、何故それなりの打算で動いた女の方は平気で被害者面できるんですかね。

2004-09-09 3人しか聴いてねえけど

[]「Rustland」完成 「Rustland」完成を含むブックマーク

長かった。ついに完成。「Rustland」

http://nextmusic.weez.mu/index.php?command=profmusic&profid=20040910015754

時間軸制作過程

0:00 前作最後でのサンプリング使用に味をしめて、とりあえずやっときゃどうにかなるだろうとイージーに始めるも、やはりそう甘くはなく

0:20 反省してReasonでフレーズをつくる。出だしとちがい急にポップに。

0:50 今度はリリカルになっていきます。いいのか。出だしをいい加減に始めたことを激しく後悔。

1:10 少し展開を変えてみる

1:30 またリリカルになってしまった

2:00 一瞬どうにかなったかに思えたが、そこから先がどうにもならず段々煮詰まっていきます。ここで一週間以上作業停止。

2:20 ついにここから一昨日にようやくコツがわかったライブで試しに作った2分位のを下地にしてやっつけ開始。別に全部ライブで作れば作れるのだが、どうもライブだとまろやかにはなるが、ザクザクしないので、ライブでほんわり土台をつくってACIDでザクザクやるのがよいような気がする。ライブで制作した部分ループがしつこくなっているところとか直せばいいのだけど、もういいです。一ヶ月もこの曲いじってるから。もうこれでケリをつける。明日からライブとSXでやる。それにしても結局ダメだった。一ヶ月。やっぱりこれじゃ人は聴かねえ。そもそもこれはなんだ。愚痴です。次の次くらいからよくなりそうな気がする。

2004-09-08 踊る池田大作戦「破壊と創造のサンバ」 このエントリーを含むブックマーク

新潮10月号特別鼎談 筒井康隆+町田康+中原昌也「破壊と創造のサンバ」

http://www.shinchosha.co.jp/shincho/200410/teidan.html

中原が編集者からダメ出し喰らったタイトルが「踊る池田大作戦」(野蛮な第三文明を焼き払う話。ソーカ、そういうことか)。それじゃ「踊る池田小作戦」(基地外が小学校に・・)ではと言ったらそれもダメって。そりゃそうだ。

うまく書けてしまうから壊れないんだという筒井にキラー発言。

中原 「思ったとおりに壊れない無様さも、やっぱりある種の破壊じゃないですかね」

筒井 「無様さ・・・」

筒井のジャズ話。著作権がうるさい時代になりジャズマンは権利問題がないクラシックをおちょくりつつカバーすることにした。そうか、おちょくってたのか。パンク君が代みたいなもんか。

インド植民地官僚―大英帝国の超エリートたち (講談社選書メチエ)

インド植民地官僚―大英帝国の超エリートたち

ISBN:4062582163

天下りについて面白い話があるかと思って読んでみたが、どうにも頭がうごかねえ。

18世紀に「ネイボブ」と呼ばれた東インド会社職員の不正蓄財問題は、社外での商業活動を禁止する代償としての高額給与で解消されたはずだったが、インド省官僚の1923年の覚書ではこう記されている。

「このようにすることで、政府の元官吏たちは、(退職後も)インドヘの有用なサーヴィスを行ない続けることができる、と一般的に考えられてきた。そして退職後にそうした会杜に加わる時期が早ければ早いほど、彼らの知識および経験は、より有用なのである」つまり、実際には、退職後のインド高等文官たちのビジネス分野での活動に対するインド省、インド政庁の姿勢は、まったく放任的なものだったわけである。

2004-09-07 梅次の圧殺シティ

今日は精神的ダメージを受けたので、意味もなくだらだら書く。

よく死んだような街というが、今日のわが街はまさにそうだった。

図書館に近付いたときも自転車置場に自転車が殆どなかったので一瞬臨時休館になったのかと思った。中もいつもとちがって空いていた。冷房がやけにきつかった。

このあいだ借り損ねた本を借りる。小学校のグラウンドには誰もいなかった。何か自分の知らないことが起っているのかもしれない。

帰ってきてテレビをつけると台風はさらに接近していて、画面の端のスーパーには学校が午前中で休校になったと出ていた。くそっ。たかだかガキ供が消えただけで、死んでしまうのか。根性のない街だぜ。だけど、そんなこと言ってる場合ではなかったのだった。

窓の外をみると幅2メートルの物置が風でぐわんぐわん揺れていた。もう今にも倒れそう。様子を見に出ると一枚扉が飛んでいた。4箇所で土台に固定していた金具のうちの一つが取れていた。扉が動かないようテープで固定するもその間も巨大物置がのしかかってくる。死ぬかと思った。部屋に入っても揺れる物置が頭を占める。浮かぶ。倒れる。扉が飛ぶ。突き刺さる。物が壊れる。人が死ぬ。物置ひとつで揺れる脆弱な精神。

途中から録画した「黒の盗賊」を観る。なんだかカラッとしていて、なおかつ主人公は頑な。最後のクレジットみたら梅次だった。凄いな梅次。でも頭では物置が倒れそう。

[]ようやく裸IVE3!の使い方がわかる ようやく裸IVE3!の使い方がわかるを含むブックマーク

精神集中できないので一度挫折した「雷ブ3」を再度新しいPCに入れて、いじってみたら、急に使い方のポイントがヒトツわかる。タテにこう分類してヨコで入れ替えていくのだな。前のMe非力PCではブツブツ音切れしたけれど、それもない。なんかいつもそうなのだが、買ってから半年一年経たないとコツが掴めないんだな。ループ主体になるので自家製のビートだとどうにも不都合なので付属のビートにエフェクトかけてごまかす。それにしても確かにするするっといいカンジにできてしまうなあ。前日久々にERをいじってネタをつくったのでそれを使う。まだまだ使えるぞER。でも物欲はSX購入に傾いている。それにしても物置をどうしよう。

2004-09-06 現代日本の詩歌 このエントリーを含むブックマーク

現代日本の詩歌

現代日本の詩歌

新聞連載という性格上あまり取り上げてこなかった人にふれてるし、字数が限られているせいかザクザクと切ってます。

例えば塚本邦雄ならこんなかんじ。

形式的な破調と、内容的には同性愛的傾向を持ち込んだ(略)

  • 割礼の前夜、霧ふる無花果樹の杜*1で少年同士ほほよせ

戦後の多少とも政治的な色彩をもった運動の、当事者にも気付かれていない腐臭への批判(略)

  • 平和祭 去年*2もこの刻牛乳の腐敗舌もてたしかめしこと

あと適当に面白かった人を。吉増剛造。ラップというかラーメンズのシンバシというか。

岩バシル

影ハシル、このトーキョー

精神はしる

走る!悲鳴の系統図

高橋源一郎の世代だとまだ教養にとらわれるというか「ポップぶりっこ」感がにじんでしまうのが、ばなな世代になると無理がなくなるというより、もとからサブカル。坪内祐三が福田に対して根っこが見えないと不信感を表明していた*3のも同様なことだ。そういう世代の一人である俵万智の日常的なところでしか表現しない短歌について吉本が語るとこうなる。

 この短歌でも、自分が県立高校の先生であることに関して、作者の価値観は何も示されていない。それが職業として高いとも低いとも自分は思っていないということが、単に事実そのままとしか見えない歌に表されている。

 この歌人の才能が並々ならぬものと思えるのはこういう点で、普通なら、こういうことが何の考えもなくひとりでにできているとすれば、日常を描いた部分が、話芸でいう「ボケ」でやっているように感じ取れるはずだ。

 ところが、俵さんはとても明晰な歌人で、「ボケる」ようなことができる人ではない。意図的に「ボケ」や「ツッコミ」を演じているわけではなく、ごく自然体だというよりほかはない。これを意識してやっているとすれば、相当よく考えていなければできないはずだが、実際には、それほど考えてやっているとは思えない。天性らしくも見えない、そうした隠された才能が、この歌人の表現を裏打ちしているのだと思える。

そのむかし山口瞳が俵との対談でサラダ短歌ぶりっこに騙されすっかり油断して、「心にフェミ茨を持つ少女」俵に向かって「まあ女は結婚しちゃえばなんとかなるから」とか発言しててなかなか恐ろしかったですが、さすがに吉本は慎重です。

では、この歌人の本心はどこにあるのかというと、なかなか結論を出すのは難しい。作品からは、自然に、普通の息遣いをしているとしか感じられないのだが、本当にそうなのかという疑問は完全には消えないからだ。読む人によっては、意図的に自分を、そういう女性の立場に置いていると取る場合もあるだろうが、仮にそうだとしても、それはかなり身に着いた意識の仕方だと思われる。

折口信夫の弟子で高名な文学者でもあった父に対する角川春樹の反抗心と情愛の歌。

かなかなや蝋涙*4父の貌に似る

*1:いちじくのもり

*2:こぞ

*3:以前は

*4:ろうるい。蝋は本当はもっと難しい漢字。

2004-09-04

[]「君のいた永遠」801式 「君のいた永遠」801式を含むブックマーク

君のいた永遠(とき) (角川文庫)

1999年の香港映画「君のいた永遠」を観た。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31763/story.html

めんどくさくても、上記サイトのあらすじを読んでくれ。今更だがネタバレとかそんなこと知りません。

念のため短縮すると、親友と一人の男を取り合う展開から、恋愛成就、破局、失意の主人公。親友のレズ愛告白、拒否、なぜか親友が元カレと結婚。元カレと再会、合体、元カレと親友離婚、なんだかんだ。結局結婚することのなかった二人の愛は・・・という話。

シューヤウ(ジジ・リョン)*1=若き日の女性監督*2らしき主人公

チャンリー(カレン・モク)=レズの親友

ホークァイ(金城武)=恋人

君のいた永遠(とき) デラックス版 [DVD]

君のいた永遠(とき) デラックス版 [DVD]

  • これはレズ映画なのか?

まず引っ掛かったのが冒頭で「シンプルな恋愛映画を撮ってみたかった」と言っておきながら、こういう筋になるかあ?親友と一人の男を取り合って、男を追いかけて日本まで行った「結婚する女」と、親と仕事をとった「結婚しない女」という話なら実にシンプルだけど。親友がレズ告白するから話がややこしくなるのである。

これまた冒頭の「恋愛の定義はむずかしい」てなモノローグからして微妙。金城のパッとしない設定から見ても、主人公は親友のレズ愛を拒否したことの方を後悔しているように思えてならない。するとこれは金城迷彩のレズ映画なのか?だって最初に男と再会した時はあんなにバコバコやったくせに、親友&タチのレズカップルに遭遇後はタチ女に対抗するように主人公は髪を短くして、結婚を申し込みにきた金城を拒否している。女性監督と脚本家との会話でも「運命に逆らって望みを果たそうとするのは愚かだ」「ホークァンの生き方がいやだから」 てなフレーズが出てきたどうにも異性愛への嫌悪感が漂っております。

  • なぜフィクションと現実を交錯させるのか?

ところがさらなる疑問が。わざわざ女性監督がつくっている映画として劇中劇のように描く理由はなにか(監督のシルヴィア・チャンが女優だから商業上の理由なのか?)。シューヤウが自分の青春時代を回想するのではまずいのか。女性監督と男性脚本家との会話が必要だったのか。

わざとらしく「何故シューヤウも女性監督じゃないの」と質問させて、「モデルが全部バレると深みがなくなる」と答えているのだが、どうもあやしい。そんなこと言う割にはくどいくらいに映画とまったく同じに女性監督の現実場面も描いているのだ。わざわざ自分の現実がこの映画のストーリーと同じであると宣言しているのは、実はそうじゃないからではないのか。この女性監督は自分の立場がシューヤウであったと思わせたがっている。

女性監督が脚本家の参考にしようとホークァイの写真を探すけれど見つからず、サエナイ旦那が「もう寝ろよ」と顔を出す場面。実に怪しい。なぜお前は男の写真を持っていない。「永遠の愛」てな展開ならフツウ相手の写真は持ってるだろう。

実は女性監督が親友にレズ告白して拒否されたのではなかろうか。そして妄想する。私を拒否したアノ親友が今頃そのことを後悔していたとしたら。後悔してくれていないだろうか。いや後悔させてやるわ。だから女性監督はきっと好きだった女友達の写真は持っているはずだ。

とまあ、801妄想全開でお送りしてみました。だってさ、若き日の二人が寄り添うラストシーンの不気味な色彩からして、異性愛への違和感丸出しのようですからあ、切腹。別に人の性的嗜好を推察して楽しむ気はないのだが、なんとなく「あー、同性愛で色々不便して損だわー」という気配が漂っていたので、そんなことないですよー、ボクみたいにマジョリティな嗜好だけど淋しく一人で土曜の夜にこんなことを書いている人もいるわけですから、と書いてみたくなったわけです。

  • 謎のシーン

金城が演奏していて、女二人、彼はどっちを見てるという話になり、主人公はどきどきしながら親友から離れ、男がこっちを見るのを待つのだが、見ない。がっかりしてまた親友と並ぶと男は顔を上げて二人を見る。ニンマリする親友。

それはねー、女二人が中国と香港なのだよーと解釈したりしませんよ。女二人が一緒な事を承認する男の視線にニンマリするレズの親友。うーん、やっぱり男は存在してねー。文章の長さが処理能力を超えたのでこれで死ぬ。

*1:個人的にはピンとこない森尾由美と草野満代の間に位置する顔だけど、何故かカワイイ

*2:これはボク同様頭の悪い人のために女性とつけているわけで、「女流文学」的糾弾をされても困るのである。

2004-09-03 審判に優しく このエントリーを含むブックマーク

前日からの続き『「ニッポン・プロ野球」考 』

珍プレーとかでオタオタして涙目になっている審判に対して優しくなれそうな、クロスプレー時の心理描写。

瞬間の残像の中で、彼らはその一方に手を挙げる。身を苛む瞬間である。この際どいアクションを択らせているものは、職業的に訓練された反射神経としか言いようがない。その瞬間は、連盟所属公式戦審判員の肩書きもないし、その自覚もない。ひたすら反射神経があるのみである。

自覚がもどってくるのは、下されたジャッジのアクションを見て、脱兎のごとく跳ぴついてくるプレイヤーを、視野の中に捉えてからである。

「ソラ来た!」とその瞬間から、頭の中は、高速回転を開始する。残像のリプレイにかかる一方、来るべき紛糾に備え、論理のキレハシを検索しだす。しかし時間的猶予がないということが、致命的である。正当な論理を組み立てる前に、事が起きてしまう。

[中略:監督からの暴行、退場騒ぎ、そして処分]

処分が出て、表面的に見れば一件落着と相成る。世間もファンも、話題は次々と変って、二日も経てぱ、もはやトラブルのことなど顧みる者は誰もいない。

まさにその時こそ、審判の責苦がピークに達していることを知る者はいない。彼らには寝苦しい夜がつづいている。

ベッドの上で目を閉じると、あのいまわしい光景が蘇ってくる。監督たちの血走った眼が激しく迫ってくる。エゲツない怒声、粗暴な振る舞いが、わが身を襲う。誰ひとりとして助けになってくれる者のいない孤独が、ひしひしと神経を苛んでくる。まさに受難の真っ只中である。

その上、プロ審判としての技術上の反省がつきまとう。あの時、あのジャッジは本当に正確だったか、またコールするタイミングに遅れはなかったか。さらにあの時、試合運行に責任を持つ者として、もっと毅然たる態度をとるべきでなかったのか。

こうした煩悶の夜と昼、昼と夜の苛酷な時間が過ぎてゆく。その間も、試合日程に休みはない。重い心と体に鞭打って制服をまといグラウンドに立つものの、再び同種のトラブルに出会いはしないかと、怯えが心を締めつける。

西武、ダイエーで苦労した人のドラフト恨節

こうして、プロ野球を担当するに値しないいくつかの球団が、漫然と生き残ることとなったのである。(略)

結局、チーム強化に意欲的な球団にとってこの制度は、自由な力の駆使をはぱむ足カセでしかなかったのだ。

その中で、気楽な球団は依然として気楽でありつづけた。奇妙ではあるが、それでも勝利への夢を捨てたわけではなく、クジ運という天なる配剤が、時として気まぐれな好運をもたらすこともあった。努力なしにいい選手を採れ、外国人選手の方もひと働きしてくれたら、なんと”優勝”の幸運にさえ恵まれるのだった。

巻末の対談では著者が巨人の篠塚獲得にケチをつけ、逆に熊谷組内定の工藤獲得やら伊東を所沢の定時制に転校させて球団職員にしてじゃないとか突っ込まれたりしてます。コミッショナーは「飾りの方がいい場合もあったりして・・・」とか言ったり、かなりオープン。

2004-09-02 「ニッポン・プロ野球」考

[]坂井代表おおいに語る 坂井代表おおいに語るを含むブックマーク

『「ニッポン・プロ野球」考 』(ISBN:4874151051)

西武やダイエーの球団代表でも御馴染み坂井保之の著書。

1970年岸信介の筆頭秘書であった中村長芳が大映の永田雅一に頼まれ球団経営を手伝うことになりマスコミが殺到。「たかがプロ野球で何を大騒ぎしているのか」と言い放った中村に非難が殺到。当時傍にいた著者はこう記す。

しかし、その時、私もやはり「たかが」であった。したがって「されど」の論理で鋭く叩かれてみると、それが一応の正論であるだけに、ひどく嫌な気がした。

”黒い霧”をめぐる報道合戦では、疑惑の選手を世の大悪人として報じ、根源はプロ野球のだらしない体質にあるとキメつけている。まるでプロ野球そのものが、社会を毒しているとでも言いたげな攻撃をしておきながら、一方ではプロ野球は文化だと言う。

私は思った。「たかが」でも「されど」でも、所詮、言葉の上だけのこと、どっちだっていいじゃないか、人の命に関わるものでもあるまいし大騒ぎするにもほどがある、と。

文学でもなんでも公然とおのれの存在の危機を嬉々として訴えているように思えるが、著者はそう考えないようである。

普通、世界一般の感覚から言うと、自分たちの営んでいる事業について、不振になったからといって、自ら、それを口にしたりはしない。プロ野球は受け手の支持なくしては存立し得ない。受け手である世間は、「私たちは不振になリました」という声を聞いたからとて、同情も理解もしないはずだ。「さようでございますか」と、言うくらいで、打開策が出てくる道理はない。

能天気にも、球界はそれを口にした。公的な発言ですらあった。

私はついこないだまで、その世界の住人だった。不振を不振として、秘めることなく公表する。開かれた体質と取ればよいのか、商売らしからぬ無自覚と取れぱよいのか、私には釈然としないものがあった。

というのは、かねて私は、球界の中枢に、単に管埋業務を請け負っているだけ、といったふうの、第三者的感覚を嗅ぎとっていたからである。中枢というのは、送り手側のマネージメントのすべてを指す。それも現在だけではなく、はるかな過去の分も入っている。

ドラフト制について

提唱者は西鉄ライオンズの社長だった西亦次郎氏(1974年没)とされるが、氏は晩年、

「要するに張り合っていくことに疲れたんですね。競争せんで公平にやろうじゃないかとマネをして取り決めたんだが、考えてみると、あっちは下で選手をつくってやっている。そこが日本とはハナから違ってましたナ」

と述懐している。私はじかに聞いたのだが、その時の氏の寂しげな表情は忘れ難い。

要するに選手の保有数も自由な上、ファーム組織が充実しているアメリカだから、ドラフトはいい方向に機能している、と言うのであった。

  • セントラル五球団が主催権を持つ対巨人戦は13試合。その放映料は一本が八、九千万円と囁かれる。それに比べパは西武でさえ二、三千万円。しかも全国中継が年間七、八本あればいい方。
  • 球団社長は親会社の役員がほとんど。球団代表はゼネラル・マネージャーのようなもの。
  • 監督選考の実態。フロントは自分が素人であることを自覚しており、古手の球団野球専門職員とさりげなく雑談したり、親しい記者・アナウンサー、評論家、あげくは選手達のタニマチの意見を聞いたりする。そして結局オーナーにもチーム内外にも説明のつけやすい自チームOBで決定となる。
  • 監督の八人の敵。オーナー、フロント、親会社のグループ、コーチ団、選手団、裏方、担当記者グループ、OBグループ。これらは失敗しそうになればすぐに批判にまわる。
  • 監督の権威を維持する保険能力とは。忠実者の面倒を先々までみる。そういう過去の実例をつくる。反逆者への報復。つまり業界から干す。

坂井氏のドラフト恨み節や審判の心情を描写した面白い部分はまた明日。

2004-09-01 『モーニュー流謫』に改名 このエントリーを含むブックマーク

流謫*1を「るたく」と読むことを知らなかったことをキカイに『モーニュー流謫』に改名。

頭が悪くて改行がないと何処を読んでいるのかわからなくなるため、今までちまちまと改行していたのですが、今回はてなの「かんたんデザイン」設定を色々試してみた結果、デザインを変更した場合にグチャグチャになってしまうことがわかり、しばらく改行なしでやってみることにしました。

*1:罪により、遠地へながされること。島流し。りゅうたく。