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2004-12-27

[]「RamonRumsholiday」公開 「RamonRumsholiday」公開を含むブックマーク

http://nextmusic.weez.mu/index.php?command=profmusic&profid=20041228012051

盛り上がりもなく失敗した。

やはりもう少し展開して変化をつけた方がよかった。

来年はあしっどProを導入するつもりなので

簡単に色がつけられるようになるはずだと、思わないと、ねえ。

一分で終わるところを三分にしたところが収穫か。

  • 2004年に作った曲は全部で18曲だった。

RamonRumholiday[PS] 12.27

FailureJubilee[PS] 11.29

FoolWiseFoolTwice[PS] 11.04

4 Moron Years[PS] 10.05

Rustland [PS] 9.10

WarBusherStalkPeace [PS] 8.09

SadnessOiledSardines [PS] 7.13

Painfu*E*ection [PS] 6.21

Farewell NG [NG] 6.10

Rummyrror [PS] 5.28

DIPhonia Alarm [PS] 5.17

M.E.W.0427 [NG] 5.06

UraNeus [NG] 4.26

sCouponSoldier [PS] 2.16

BeepSeatedAnger [PS] 2.06

BlankGappa [PS] 1.29

SEAMWARLOTTA [NG] 01.11

GD1220[NG] 01.06

  • 自己ベスト5

聴き返してみると1、2月につくった奴はどれもメロディアスで泣けてイイね。

残りの一年はなんだったのかorz。。。散漫な作り方をしていたので、来年は集中してやりタイ。

1.BeepSeatedAnger 俺は一番泣けるけど

2.BlankGappa 俺の打ち込みピアノも悪くない

3.SEAMWARLOTTA いかさま師に歌うたい

4.Rummyrror トータルではこれが一位だろうけど

5.SadnessOiledSardines 俺は泣けるけど

番外

「ORGYSLEEP」2002年の曲だけど泣ける

http://nextmusic.weez.mu/index.php?command=profmusic&profid=20040228201227

2004-12-15 劇団レヴィナス このエントリーを含むブックマーク

前回より続いてます。

230 私たちは「まず」信頼し、「ついで」聴くのである。まず「コミュニケーションを解錠し」、それから「メッセージを聴く」のである。

235 主体は身代わりであり、身代わりであることが、身代わりを身代わりたらしめている当の根拠なのである。

身代わりである「私」は、決して「無限」を十全的に代理表象することができないし、その真意を代弁することもできないし、その遺志を実現することもできない。なぜなら「私」は「無限」の身代わり、「無限」を覆っているみすぼらしい「覆い」にしかすぎないからである。

236 決して現実の世界には存在しないものだけがもっともたしかな仕方で「私」を現実的なものとして基礎づけてくれるのである。

「決して現実の世界に存在してはならないもの」を決して現実の世界に存在せしめないこと、それが「死者を弔う」ということの本義である。

248 死の切迫によって、存在の彼方を望見した人間がなす行為を総じて「善」と呼ぶ

249 レヴィナスにおいて「善」は既存の道徳秩序から演繹されるものではなく、端的に「存在の彼方」という仮想的な視座を想定し、なおおのれを有責なる被造物として回顧し、「私はここにおります」と発語しうるような、純粋なる超出の運動性として観念されている。

265 命令はたしかに到来した。ただし、誰がいつ発した命令であるかを命令であるかを命令を受け取った私は決して知ることができないような仕方で。

だから私はこう問うことができない「この権威は私にとって何なのか?」、「その命令権は何に由来するのか?」

私がほんとうにみずから「主」を追い払い、その罰を「主」から受けることを恐れているとしたら、その有責感は単なる懲罰への恐怖にすぎない。私は善であるのではなく、単に恐怖しているだけである。

266 これはいわば自分自身の髪の毛をつかんで自分を中空に引き上げるような仕事である。中空に浮くためには、自分の髪の毛を上に引き上げているのは「天空からの手」であると信じなければならない。(略)だから、私が中空に引き上げられ、かつ私が進んで倫理的であるためには、「天空からの手」は、かき消えるために提示される「抹消記号付き」のシニフィアンでなければならないのである。

それゆえにこそ、有責性の覚知が生じるためには、私の「二つの審級」が必要になる。「罪を犯した私」と「自責する私」がともに今ここにいなければならなのである。

なぬー、さんざん読んで結局レヴィナスは「劇団ひとり」ってオチかっ。

あのボク変態なんです。ひとりでボクを罰してくれる神様とか想像しちゃって、罪でしばられちゃって感じちゃって、いっちゃうー、って瞬間に、我にかえって今ボクをエクスタシーにしたのはボクなわけで、この自分で自分を縛ったってとこがポイントっていうか、神様に逝かされたとかじゃ善じゃないわけで、無限につながるボクに縛られて凄いエクスタシーっていうボクがボクなわけで、ひとりでキリストと精霊をやっちゃうようなもんかしら。システムは結局三位一体なんです。特別新しくはないんです。変態なだけなんです。

総括「他者と死者」の前半は明日から弟子を騙して一儲けしたい師匠志願の方々には役立ちそうな話だった。欽ちゃんの「聞いちゃだめ」って回答は正しいのだな。後半の「善」の話は弱いような気がします。そんなしんみりした話では今時のヤングはついてきてくれないと思います。難しい本読むより、吉本さんの親鸞本でも読んだ方がよくなくない。眠いので、明日書き直したい。

2004-12-13 師になるための50の方法 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。そういうわけで死者がポイントなのかと再度借りてきたわけだが。

他者と死者―ラカンによるレヴィナス

他者と死者―ラカンによるレヴィナス

最初からざっと読み直したので前回引用しなかったとことかを適当に引用。

61 自身の問いに答えを出すのは弟子自身の仕事です。

師は、弟子が答えを見出す正にその時に答えを与えます。

64 欲望とは、誰のものであれ、本質的に「第三者」なのである。

67 同じ一つのことを言うためには二人の人間が必要なのだ。それは同じ一つのことを言う人間はつねに他者だからだ。

95 それは独学者が「他者」を知らないからだ。彼の目に前にいるのは、彼と同類等格の「他我」、彼自身の「鏡像」にすぎない。

97 そのつどすでに既知であるものを既知に繰り込むこと、それが西欧の思想における「知」の機能である。独学者とは西欧的な知の別名なのである。

122 主体は他者に遅れて出来する。

129 記号が代理表象にすぎないという当の事実が、記号によって代理表象される以外にこの世界に足場を持たないものが存在することを明らかにする。

139 師は執拗に、おのれの師に引き比べたときのおのれの無知無能を言い立てなければならない。

151 死者たちは<私>を自明なものとして措定することを<私>に許さない

210 私の孤独とは、未知のものを持たないという仕方での孤独である。

222 何にも到達しない志向、決して成就しない運動、決して満たされない欲望、エロス的志向はその「範例」を私たちに示してくれる。

223 そのような「修行」を通じて私たちは無限の無限性を毀損することなく無限に触れる方法を習得していく。

前回気付かなかったのが師のあり方(誤魔化し方)。

つまり弟子にいつまでも学びたいと思わせるにはどうするか。師の師、つまり無限の存在を弟子に見せる。師の師(無限)>>>>師>弟子。師に追いついたと弟子が思ったときに、私(師)は師(師の師)と比べたらまだまだと言うわけだ。そうすることで弟子は師もまた師の師を目指して日々進歩していると知る。無限の存在へ向かう同じ道の一歩手前を師が歩いていると弟子に思わせる。無限に触れさせることが出来るのが師であるとして、やはり前回の疑問、師がパチモンでも構わないのかという疑問は解けないのだが。

言ってることは高尚なんだけど、やってることは客と寝ちゃだめと説教してる水商売のママと一緒なわけなのだが。

[「覆いの絵」の話]二人の画家がどちらの絵がリアルか競った。本物そっくりのブドウを描いたゼウキシスがパラシオスに、さあ今度は君の番だ、絵の覆いを取り給えと言った。そこで勝負は終わった。それは壁に描かれた「覆いの絵」だったからだ。

すいません、忙しくて、まだまとまりません。明日に続く。

2004-12-11 封印作品の謎 このエントリーを含むブックマーク

前回の続きがまだまとまらないので、こっちを先に。

封印作品の謎

封印作品の謎

例のセブンの欠番12話について。

ケロイド型宇宙人を考案したのは実相寺監督。

幼少時の火傷で左手に障害があった成田享はその注文に対して妻に『困ったもんだ。ケロイド状のものを子供番組向けの怪獣に作らないといけないのか』と語っていた。

実相寺の話。

色が全部出ちゃったような青白さを出したかったんだよ。血管が浮き出ているようなね。ジャミラとは違って、乾燥してない体が透けていて、白血球と赤血球のせめぎ合うイメージで。

大伴昌司が考案し、当時中学生だった竹内博が継承した「被爆星人」という名称を円谷プロがメディア配布設定資料に採用した。糾弾が起った70年はキャラクタービジネス始動させようとしていた矢先のことで、円谷は欠番にした。

興味深いのが糾弾の口火を切った中島という人の話。

「毎年、毎年、被爆者をひな壇に上げるために、よりひどい被爆者を探していくわけですよ。片っぽでは悲惨さを強調しなくちゃいけないでしょう」

被爆の悲惨さを伝えるには被爆者の酷い状態をさらさなければならず、そうすることは一方で被爆者への差別を生むというジレンマを原水禁運動の中で糾弾者の中島自身が感じていたのだ。つまり普段めったに抗議の投書などしなかった穏当な彼が過剰反応したのは、反核の意図でケロイド状の宇宙人という悲惨さを強調したことに、自分達と同様の矛盾を見たせいだったのだ。

「東京原爆被爆二世の会」の代表の主張はこうだ。「自分たちが作って誇りがあるんだったら、誇りある対応をすればいいのに、自分たちで貶めちゃった。自分たちが映像作品で掲げた高邁な理想を自ら否定したんです。それは糾弾の対象に当然なります。糾弾されたのはその差別性じゃないんです。商業主義で、怪獣のキャラクターとして被爆者を利用したことなんです」

前日の絡みで『死者と他者』から引用。

「死者たちの遺言執行人」たちは「死者の名において」私には告発権が委任されているというかたちで正義を要請する。そしてそのようなことばづかいでしか死者について言及が果たされないというのがほんとうならば、世界ではこれからあとも、報復の暴力が連鎖し、人が殺され続け、「今ここで行われるテロル」の正当性を証言するために死者たちの骸は墓場から掘り起こされ続け、「死ねない死者」たちが間主観性という名の「煉獄」にひしめくことになるだろう。

だからこそ、レヴィナスは死者たちについて、それとは違う仕方で語る方法を探求したのである。

それは、世俗の「審問の思想家」たちがしているように、「死者たちの名」において有責者を正義の法廷に召喚することではない。あるいは、生き残った人々に反省を促すために、死者たちの悲惨な死に方を詳細に報告することでもない。

有名なブラックジャック「死に水」掲載も当時の編集者の口から語られるとしみじみ。

初登場の表紙には小さい題字のみ。

「確かにあの表紙は寂しいよなー。もう、本当にひどい扱いしたもんだよ。(略)編集長が「手塚の死に水は俺が取る。最後だけつきあおう」って、僕に言ったものだからね。それで「5、6回ならつきあうよ」ってことで掲載したんだ。出だしの状況は最低だったよ。だから、あれは何回か掲載して終わり。「ありがとう、ご苦労様でした」っていうのが趣旨だったんだ」(略)

何より大きかったのは、「ブラックジャック」のおかげで「チャンピオン」に女性読者がついたことです。女性人気はすごかった。

2004-12-09 他者と死者 このエントリーを含むブックマーク

他者と死者―ラカンによるレヴィナス

他者と死者―ラカンによるレヴィナス

なんといいますか哲学とか知らない素朴な人間の素朴な疑問を書いてみる。正直「他者」の辺りしか読んでなくて、「死者」の辺りは難しくて飛ばし読み。

なぜレヴィナスとかがわかりにくい文章を書くかというと、師に就いて学ぶことと同じかたちを読者に求めるから。そこで張良の話。黄石公がわざと落とした靴を、黙って拾って履かせたことで秘伝の兵法を授かったというもの。

ここで授かっているのは巻物に書かれた秘伝てな「情報」ではなく、オレってそこそこ武芸できるぜというプライドを捨てて、師匠の謎掛けに巻き込まれることによって体験できる、「学ぶ」ということである。自分のわかる情報ばかりで壁を築いているオタクは、師について「学ぶ」ことで、自分の知らない世界(未知の情報などではない)があることを知るべきである。まあ、大雑把に言うとそんな内容。

さてここで不思議になるのが、師匠は師匠である必要があるのか。今までの自分では理解できないゲームに巻き込まれるということが学ぶことならば、師匠でなくてもよいのではないか。リンゴが落ちるのを見て、ひらめくのも、学んだことにはならないのか。回転して落下する猫を見て、「弟子にしてください、ニャンコ先生えええ」と叫ぶのでもいいのではないか。そもそも師匠とする基準は何なのか。この人の謎掛けになら巻き込まれてもいいと思うことなら、その師匠がニセモノだったらどうなるのか。麻原が謎をかける。その謎にまきこまれて、ポアすりゃ、そりゃ確かに学ぶことはできるかもしれないが。

異性の行為を「思わせぶりな態度」と取った時点で既に相手のゲームに参加したことになる。相手の方も誘いを掛けているならそれはそれでめでたいことであるが、相手にその気がなく、こっちの思い込みだったらどうなるのか。相手が何をしようとエンドレスな謎掛けなのである。どこで謎をかけていないと判断するのか。「あれっ、これって謎じゃないの」と思った途端「愚か者、修行が足りん」と怒られたらどうなるのだろう。それは他者ではなくて他我*1であって、そんなものに己の妄想を延々投影し続けることと学ぶことは全然違うと言われるかもしれない。でも一方で、

エロス的他者は「師としての他者」と同じく「私を起点にしてしか接近できない」ものである。恋をしている人間が、そこでどのような「他者」に出会っているのかは、当人以外の誰も言い当てることができない。

こうも言われているわけで、本人が他者なんだもんと言ったらどうにも止めようがないように思えるのだが。あの師匠イカサマだよ、あの人お前のことなんとも思ってないよ、どれも正しい指摘だとしても当人には意味をなさないことになる。

「学ぶ」という形が成立しているなら、「優秀な師匠と愚かな弟子」と「愚かな師匠と優秀な弟子」の組合せでは、後者の方がよい結果が出るのか。

遅まきながら、ここらへんに死者が絡んでくるのかと思ったけれど、もう返却しちゃったので後日改めて検証いたします。

*1:非-私であっても、自我の自己同一性を担保するものであるかぎり「他者」ではない

2004-12-08

[]ターミネーター3 ターミネーター3を含むブックマーク

さてまたまた旧作DVD100円にはまって、時間を消費しております。

人の体には重さがあるってことが全然描けていないと、マンガ夜話ならコテンパンにされそうなCGは置いといて。

問題はジョン・コナーだ。何故美少年があんな顔になってしまったのか。人間悶々とするとロクなことはないのである。

何を悶々としているか。核戦争は来るのか来ないのかいうことである。「2」では一応その芽をつんでいるのである。それで「審判の日」が訪れなければ、めでたいことであるが、一方で「自分が人類の救世主となる」という話は妄想になってしまうのである。核戦争が来なければ、ターミネーターetcはただの妄想なのである。ジョンは冴えない日常を、「いつかは人類の救世主になる」という妄想で生き延びている、引きこもりというわけなのである。

「その気になったら本当はバリバリやれるんだけど、その日が来るまで、目立たないように社会の片隅で埋もれてなきゃいけないんだ」

「でも、前回その芽はつんでるんだから、もう社会に出てガンガンやればいいじゃん」

「いや別の場所で誰かが同じようなものを開発しているかもしれないし、まだまだ油断はできないんだ。」

「でもお前のママだって『審判の日』が来なくて、ガックリきて死んじゃったじゃない。君もああなっていいわけ。そもそも君はこのまま何もないままがいいのか、核戦争が起きるのがいいのか、どっちなの」

そんなわけですっかりもっさりフェイスになってしまったジョンの密かな願望に沿うように話は展開していくのだった。シュワちゃんにシェルターに逃げ込むでえとか言われて、でもー、とゴネて見せて未来妻の父親の元へと馳せ参じたりなんかしちゃったりして。

撃たれた義父「オフィスにアクセスコードがある」「クリスタルピークへ行け」

その意図は[きゃいーんもうだめシェルターに逃げるでえ。部下とか知らんでえ、娘等だけと逃げ込むでえ]

ジョン(&観客)「そこが中枢か」

[そのアクセスコードでスカイネットを止めれられるのねー]

死にそうな義父「最後のチャンスだ、娘を頼む」

[ああわしもうあかんわ、ちみぃ、娘をよろぴく。アダムとイヴになってね]

ジョン(&観客)[わっかりましたあ、スカイネットを止めるため、行きまっせえ]

確かによくよく映画の会話を検討すると最初から父親はスカイネットが止められるとは一言もいってないのだが、なんとなく釈然としないよねえ。「2」に充満していた核戦争への恐怖というのもナンだったが、「3」のあっさり感もこれまたナンだなあ。

己の死までも予言されちゃって、そのうえ妻はタフな感じだし。もうこれで「4」の副題は「頼朝と政子」に決定。

2004-12-06 なぜ武蔵なのか、K-1 このエントリーを含むブックマーク

もうこんな時間なので、穴埋めでどうでもいい話。

なぜ武蔵なのか、K-1。

それは何かを隠そうとしているから。

日本人エースにこだわるふりをして、隠そうとするものとは。

それは空手最強幻想の崩壊。

空手は最強なんですけどね、武蔵だから、しょうがないんです。

はっ、それで曙なのか。

相撲最強伝説を崩壊させることで誤魔化そうしているわけか。

うーん、ナイスな思いつき、とちょっと得意になったのだが、

でもマサトはどうよ、

そもそも空手最強なんて今更誰も思ってねえだろ、

そんなセルフ突っ込みにがっくり。眠い。

ベガスでの角田の引退試合を思い出す。

あまりにもベタなプロレス的展開がある種の恥ずかしい感動をもたらしていたような記憶があるのだが、あそこらへんで大きく勘違いしたことにしておこう。

まあ、どうでもいいから、どうでもいいや。

2004-12-05 思想史のなかの臨床心理学・続 このエントリーを含むブックマーク

昨日から続いてます。

思想史のなかの臨床心理学 (講談社選書メチエ)

思想史のなかの臨床心理学 (講談社選書メチエ)

これまた諸般の都合で引用がごちゃごちゃぐちゃぐちゃになってます。整理しようと思ったのだけど、頭が悪いので無理でした。明日やる気あったら直したい。

  • [ああそうか、今のオレがうまくいかないのはそーゆートラウマがあったせいか。それに気付いて悩みはスッキリ解消した。]

本当に解決するのだろうか。意識することはそんなに意味があるのか。

そもそも無意識はフロイトが見つけたものでもなく、元々西欧では信頼されていたのだ。

というより意識の方が軽く見られていた。なぜなら個別とは一般性がないことであり、普遍的真理には遠いからだ。

  • [お前ごときのチンケな考えがなんだというのだ。お前がひとりで煮詰まっちゃったりするとロクなことはない、悪魔とかにとりつかれちゃうね。さっさと意識なんて捨てて神の力に頼るがいい]

意識が生み出した罪を解消したり、正しい道を教えてくれる無意識の働きを、例えば夢や霊感を待ち望んだのだ。

中世では認識が高度化すると、意識が薄れていく。神の認識になれば、意識などは消し飛んでしまう。

理性が最高の働きを行うのは、無意識の状態だった。

悪魔祓いの「治療」において作用していたのは、神の理性の力なのであった。神のこの高級な理性は、言うまでもなく無意識であった。高い無意識がもうひとつの無意識、つまり低い無意識状態である、悪魔によって支配され、理性を奪われたあわれな肉体に働きかけ、人間らしい理性と意識を取り戻す。

  • [昔の感覚でいうと機械といっても、現在のような無機質なものではなかった]

物質のなかに含まれている「種」が感覚を通して伝わり、理性に出会って認識となるのであった。物質が心を備えていることは、正統派でも錬金術でも、前提なのである。理性とは、無意識のなかから浮かび出てくる霊妙な力なのであった。この考え方がユングに受け継がれ、彼の心理学における無意識の治癒力や自律性の思想となってゆくのである。

ド・ラ・メトリは「人間機械論」で、人間の体は機械仕掛けだと力説。つまり動物と同じなのである。ここで否定されたのは非物質的な霊魂やそれに属する理性なのであった。

ラマルクは生き物全体をひとつのまとまりと考えていた。種は存在しない。生物種はおろか個体さえ存在しない。生き物は全体がひとつであり、そのなかに完全なる姿へと向かう力があり、環境によっていろいろな形が生み出される。

生き物全体が一体となり、ひとつの無意識を共有している。しかも「自己実現」をめざしているのである。無意識の集団性と目的性を説くユングの説を思わせる。

この物質的な無意識の働きが集団的であって、個々人の内面に閉じ込められていない点である。これも、啓蒙主義からロマン主義にかけてだけの特徴ではなく、古代や中世から一貫した流れである。

神の計らいに委ねるならば意識は必要ない。だが人間が主となるなら自分で決めなければならない。主体的判断を行う必要ができた。こころの主役の無意識から意識への交代はこのような事情から始まった。

19世紀半ばまでは意識は公共のものだった。意識は個々人の内側に閉じ込められてはおらず、みなが共有できるものだった。

「心の囲い込み」は現代ではひとつの常識である。心が個人の内面に閉じ込められていて他人には知られず、無意識は「自分のことなのに」よくわからない、そう捉えている。

  • [で、ここから前回の著者の意図に戻るのだが]

人生の薀蓄で相談にのっているだけではない、専門家であるという証を立てるには業界内のいずれかの「学派」に所属し、特徴ある理論的立場を示すしかない。

「治療者の中立」という建前があるが、実際は治療者の読みで引きずるしかないと、認めるべきではないのか。

著者です著者です 2005/01/21 16:12 この本を書いた實川です。的確な理解と要約を有り難うございました。専門外の知的な読者にこのように受け容れていただけるのは、たいへん嬉しいことです。

kingfishkingfish 2005/01/22 03:26 殆どコメントがつくことがないので、コメントがついたこと自体が大変嬉しいです。
「釣り」とかなんとかそういう暇な人もいるネットですが、ここは素直に著者本人と信じるとして、そうなると前日の書き方に対する皮肉ととれなくもないですが、ここも素直に文面通りに受け取って、著者からの言葉にカンゲキです。「本当に勉強になりました」と書いている通り、思想史の部分はかなり刺激を受けました。でも、買ったんじゃなくて、図書館で借りてますから、切腹。[なんだか自己防衛的な書き方でスミマセン]

本物です本物です 2005/01/23 15:25 なるほど、このあたりでは「釣り」なんていうものがあるのですか。(この言葉は始めて聞きましたが、何となく分かります。)でも、私は本物の著者です。(「信ずる者は救われる」領域なのかも知れませんが。)
閑話休題。私がいちばん嬉しかったのは、心理学の勉強をおそらくしていない人でも、私の言いたいことをちゃんと理解していただけるんだ、と確認できた点です。(もちろん、きちんと読んでいただいたこと、主張におおむね御賛同いただけたらしいこと自体にも感謝しています;印税つきならもっとよかったですが・・・(^_^;)いや、これは冗談!)
どうしてかと言いますと、臨床心理学をまじめに勉強した多くの人は、この本を理解しようとしないからです。素人の人に分かるのなら、この態度が反感に基づくものであって、私の書き方の悪いせいではないと確認できるのです。

kingfishkingfish 2005/01/24 03:18 著者降臨に舞上がる様を陰で笑おうという暇な人もいるものですから(でもこんな誰も知らない日記で「釣り」でもないですね)。スミマセン。
心理学や宗教に関心がない人間、「にも」なのか「だから」なのか、はわかりませんが非常に面白くて、逆に(無学で警戒心が強いものとしては)ちょっと疑ってかかった方がいいのではと思ったくらいです。
もし僕が編集者だったら、「心理学」という言葉をはずし、思想史の部分だけにして、「意識は無意識より軽視されていた」とか「理性が最高の働きを行うのは無意識の状態だった」てなキャッチフレーズをつけたら、一般読者に売れる!と下世話にソロバンをはじくことでせう。実は最初に図書館の新刊コーナーで見かけたときは、心理学の歴史かと早合点して、パスしかけたのです。

實川です實川です 2005/01/24 19:41 「非常に面白くて」と言っていただき、たいへん仕合わせです。(とても苦労して書いたので。)
また、表題について貴重な御意見を有り難うございました。たしかに「無意識の思想史」くらいのほうが、すっきりしているし分かりやすいのかも知れません。再版のときには(あるとしてですが)御意見を参考にします。
ただし、今回このような題にしたのは、まさに「心理学の歴史かと早合点して」読んでくれる読者を想定したからです。
そこで、お聞きしたいのですが、「パスしかけた」のに読んでいただけたのは、どのような理由からだったのでしょうか?
ちなみに、私はKingfisherというインドのビールが大好きです。

kingfishkingfish 2005/01/25 03:41 編集者ウンヌンというのは、今日の日記(2005-01-24 「押井守と中世びと」)にも書いたように、「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」とかに興味のある若者を対象にして、この本の思想史の部分を新書にしたらどうだろうという、出版状況を理解してない素人の勝手な妄想です。「意識が軽視されていた」と驚かせ、「宗教的電脳空間」が中世には広がっていたと興味を引かせれば、すごく売れるのではなかろうかと無責任に考えたのです。
パスしかけたのは、単純に「心理学の歴史」なら時間もないし、今のところ興味がわかないのでイイやと思ったからです。

實川です實川です 2005/01/25 18:38 御教示、有り難うございました。新書判は印税がたくさん入るらしいので書ければよいのですが、私には難しい分野です。
参考にさせていただきます。実現の折には、献本させていただきますので、期待せず、気長にお待ち下さい。

2004-12-03 思想史のなかの臨床心理学 このエントリーを含むブックマーク

思想史のなかの臨床心理学 (講談社選書メチエ)

思想史のなかの臨床心理学 (講談社選書メチエ)

著者近影は、総髪で和服、まあ痩せた海原雄山的ルックスで、『哲学・心理学・宗教学・民俗学を総合した「世界学」を提唱』なんていう紹介文がついてると、実にアレなかんじである。コーバシイ、ってやつですか。

著者がこの本を書いた目的はなにか。この人は精神医療は宗教的なものであるし、そうなるべきと考えている。宗教なんだからそれぞれ立派な教祖がそれぞれでやればいいのに、今の心理学会はデカイとこが仕切っていてしかもそれを国家公認にしようと目論んでいて、それはまるで特定宗教が国家から公認されてしまうようなもので、信教の自由を奪う暴挙である。そう主張したいのだ。

(そういや学問として成立しなくなったから、国のお墨付きをもらって生き延びるのか、てなことを誰かが書いてたなあ)

これだけだと怪しい本のように思えるかもしれませんが、ボクのような哲学やオカルトを知らない無知な人間にはなかなか面白い話が書かれていて、楽しめました。いかにも馬鹿にしているような書き方になっていますが、本当に勉強になりました。

今回事情により正確な引用になっていません。殆ど原文のままのところもあれば、適当にまとめちゃってるところもあります。スミマセン。

プロローグ。

臨床心理学の歴史はわずか100年、その世界観は近現代と共通であり、その実践と理論は現代の心の病と同じところから起ってるのではないか。特定の哲学的立場によって理論を構成しているのに、哲学と縁を切ったと思っている。特定の立場への傾倒とそれへの反省のなさが合わさって、一種の宗教的信念になっている。こんにちのわが国の臨床心理学は新宗教のひとつの形態であり、臨床心理学から語り出される現代社会の病跡は現代宗教の病理にもつながる。

(眠くなったので明日に続く)

2004-12-01 ジョン・レノンを訳す このエントリーを含むブックマーク

昨夜のマンガ夜話に感動したあまり「僕にはこう聴こえる」方式で訳詞に挑戦。

「NOBODY LOVES YOU」の英詩は下とかにある。

http://www.lyricsfreak.com/l/lennon-john/82504.html

 

苦闘中の時には誰にも相手にされないわけで

じゃあ売れてるなら相手にされてるかっていうと

それはそれでアヤシイもので

なにせ商売になればいいやって奴ばかり

それでもってそんなのを買っちゃう奴等ばかりで

直接やりとりできるシステムがあるのに

相変わらずよき消費者でありつづけるわけね

ボクの音楽は無料だけど誰も聴かねえや

ジョンなんかさあ、ギリギリまでさらけだして

最後には殺されちゃって

ハハ、音楽産業の犠牲者だね

それでも相変わらず

どうしてワタシのことわかってくれないの?だって

ばかやろう、甘ったれんなよ

全部ショーバイだよ、お仕事だよ

少しは自分でやれよ

 

これじゃダメだなってときには誰からも相手にされないのさ

売れてるものはある意味正しいと思うけど

オピニオンリーダーってのがクセモノなのさ

なんにもわかってないくせにさ

「僕達は音楽を愛してる」そう叫ぶ善意の人には

音楽産業の奴隷って自覚はないのさ

文句を言うなよ

お前らが買ってるからだろう、ジャンキー諸君

商売人の方がまだましだぜ

ああ、こういう言い方しちゃうと

また、うまく伝わらないや

どういったらいいのかな

みなもと太郎さん曰く

「愛情に包まれているのに突き抜けてしまう淋しさ」

うわあ、ジョンのことじゃない

そんなわけであすなひろしを読まずに

ジョン・レノンを昨夜から聴いてるんだ

鏡にうつる自分はつくづくひとりで

すべてから切り離された弱い存在だ

そんなことを考えてたら眠れなくなったよ

 

ヤッピー諸君、老人になって病院にいくだろ

君の立派な業績なんて誰も知らないの

ただのよれよれ老人扱いなの

社会的リソースの無駄遣いなの

鏡の中の皺だらけの顔を見つめて

さめざめと泣くことになるのさ

 

生きてるときには相手にしなかったくせに

白々しく誉めてやがるぜ

死んでからじゃ遅いのさ、バカヤロー