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2005-05-31 横井小楠・儒学的正義とは何か このエントリーを含むブックマーク


横井小楠―儒学的正義とは何か

作者: 松浦玲

出版社/メーカー: 朝日新聞社

発売日: 2000/02

| 本 | Amazon.co.jp

肝心の本編は未読で、増補版で収録された「アジア型近代の模索」だけ読了。とりあえず関連検索語句は「呉智英」。

儒教の「士」はさむらいのことではない

儒教でいう四民すなわち士農工商の「士」は、「さむらい」ではない。読書人であり読書人中から選ばれて官僚となったものを指す。政治の学である儒教のテキストをよく勉強してすぐれた政治ができると評価される人材、それが士である。

(略)

だから、日本の近世徳川時代の武士を、士農工商の士に当てて、あたかも儒教では日本の近世武士のごときものを「士」と呼んでいるかによそおったのは、実に無理無体なのである。日本の近世武士は、身分統制令によって強制的に固定された支配階級であり、しかもその中での主従原理は強烈で、将軍や藩主は家臣に対して生殺与奪の全権を持つ。そうして、そういう身分関係の全体が世襲されている。似ているところなど、ちっともありはしないのである。

日本の近世徳川時代は、この似ても似つかぬ二つの「士」の折りあいをつける努力の時代だったと言ってもよい。

日本儒教堕落の典型が忠と孝の問題

元来の儒教は、孝を中心とした教えである。親子の関係は、当人の意志を超えて生まれながらに決まっており、人間の力で動かすことはできない。逃げだすこともできない。だから親に孝を尽すのは子にとって絶対的な義務であって、親が極悪非道でも見捨てることは許されない。これにくらべると君臣関係は第二義的である。これは、儒教の政治学を勉強した読書人が、たまたまある君主と政治的理想が合致したから、その下に仕えて腕を振うというにすぎない。自由契約の関係である。したがって、君主と意見が合わなくなれば辞職する。中国近世の読書人は、たいてい明とか清という王朝から独立してくらしている地主階級だから、官僚をやめて郷里に帰っても食うに困らない。中国の近世儒教は、君臣関係は契約だという考えかたを守りとおす。

ところが、日本近世の世襲武士体制は、全く事情が違う。武士は世襲的主従関係の中にあるわけで、禄を離れると当人が飢えるだけでなく家が崩壊してしまう。したがって、禄を貰い続けるために主君の命令に絶対無条件に従うことが、近世武士にはなにより大切である。[結果、忠を孝を上回る無条件服従の観念につくりかえてしまった]

まちがったイメージを持たれてしまった儒教

世襲武士支配体制と衝突しないようつくりかえられた日本近世儒教の、いちばん困る点は、儒教が元来持っている政治的理想主義、普遍的道義性、硬骨性がどんどん削り落され、矮小化され、上級者へのひたすらな服従を説くつまらない教えに転落し、そういうものとして近世日本社会に浸透したことである。儒教とはそういうものだとして尊重され、あるいは憎悪された。その影響は現在にまで及んでいる(これには明治期にもう一度加えられた改悪がからんでくるが)。

横井小楠の「実学」とは

まず、藩の改造から始める。藩が世襲武士に禄を保証するための人民収奪機関であるのを逆転させて、人民を裕福にするためのサービス機関につくりかえようというのである。藩主と家臣団とは、儒教の政治的理想に従って人民に奉仕する政治運動集団になる。その運動の先頭に立って指揮できないような藩主は藩主としての資格がないのだからクビにして、政治的道徳的に最もすぐれた人物を藩主にする必要がある。同様に家臣団も、人民を富ませるという政治ができる人間だけで藩政府を構成すればいいのであって、それができない人間は整理する。つまり、武士を、元来の儒教でいう「士」に切替え、その切替え能力の無い輩は廃業させるのである。

これは、一種の教条主義であろう。しかし、日本近世の修正主義儒教が、世襲武士支配体制に妥協してしまっている実状に照してみれば、ここは教条主義の方が正しい。支配階級が強権でもって身分として固定されているという状態は、文句なしによくないことなのであって、これに妥協屈伏する理論は邪、これを撤廃しなければ人民は裕福になれないという理論が正である。

右のことは、封建制の廃止ということと同じではない。

さらに「封建」という言葉について

私はこの稿で「封建」という言葉を一度も使っていないのだが、それは儒教でいう封建制とフューダリズムの訳語としての封建制が内容において喰い違っている上に、徳川時代の日本がフューダリズムかどうか疑問に思っているからである。厄介なことに徳川時代の日本の儒学者は現在の日本が封建制だといって賛美しているが、それはフューダリズムだという意味ではなく、儒教の尚古主義が理想的時代だったとして尚っとぶ周の封建制と同じ封建制だという意味である。儒教は、そういう意味での封建制を擁護賛美するけれども、フューダリズムを擁護賛美するということはない。こういう事情があるので、私は数年前から、著述でも論文でも、無規定の「封建」という言葉は一切使わないよう注意している。この稿で、強権でもって身分的に固定された世襲武士が支配階級である体制というような面倒な表現を繰り返しているのは、安易に「封建」という言葉に置きかえるのを避けるためである。

横井小楠の『学校問答書』について

ペリー来航の一年前に書いた『学校問答書』であって、その段階での小楠は、洋学もやっていないし西洋諸国の事情についても何も知らない。日本の武士に合わせて矮小化されていた儒教を一つ一つ切捨て、「実学」を求めたら、武士否定論ができあがったのである。したがって、これはヨーロッパ近代とは関係ないし、天皇とも関係がない。明治の天皇政府のもとでの武士整理にもつながらない。

いま天皇とは関係ないとことさらに強調したのは、徳富蘇蜂が『学校問答書』は皇室中心主義を説いたものだという途方もない解説を加え、それを信じているひとがけっこう多いからである。しかし、ここまで論じてきたことからわかっていただけるように、天皇が出てくる余地など、どこにもない。『学校問答書』には「朝廷」という言葉が出てくるけれども、これは儒教的模範君主となった藩士が、やはり儒教的な「士」になった家臣たちと政治を議するところという意味であって、改造された藩庁を指しているにすぎない。

王道と覇道

相手を、道でもって遇すべき存在だとは考えず、手剛いとみれば譲り、与しやすいとみれば居丈高になる。覇道である。

水戸学が覇道だから、尊王攘夷運動も覇道だと断じたら、短絡に過ぎると叱られるかもしれないが、いずれにせよ尊王攘夷運動は、王道ではない。覇道である。

日本型王覇論が全く無内容な王覇論であることは、先に書いた。それが幾分でも意味ありげに聴こえだしたのは、幕府が王道を踏まず覇道をおこなってきたからである。とりわけ、外国との交渉で覇道に終始して恥をさらしたからである。しかし、だから天皇なら王道だというのは愚の骨頂である。王道は血統に関係ない。万世一系の神の子孫だから無条件にあがめたてまつるべきだというような馬鹿げた信仰と結びついたインチキ王道は、幕府の覇道よりはるかに悪質な覇道を生みだす可能性があり、実際にそうなった。現に、運動段階ですでに、攘夷という厄介なものと手をつないでいる。

2005-05-30

[]タイガー&ドラゴン「猫の皿」 タイガー&ドラゴン「猫の皿」を含むブックマーク

自分が価値を認めているものを評価しない人間に与えるにはどうすればいいか、価値観の違う者同士が交換を行うにはどうするか、それが「猫の皿」の裏テーマじゃないのか。茶屋の主は皿の価値がわかったうえで「猫の皿」扱いして、汚い猫を3両で買わせてしまうが、果たしてその猫は本当にただの汚い猫なのか。商人からすれば、一杯喰わされ汚い猫を買わされたとなるが、茶屋の主はひそかに思っているのかもしれない。一度家に持って帰ってとくと吟味してみなさい、ただの汚い猫ではありませんよ、と。

一方、クドカンは「猫の皿」の構造を逆にして、欲しいとは言えない物を竜二(岡田准一)に獲得させる。高級古着が「猫の皿」、大島紬が汚い猫である。高級古着が三位の商品というのがミソで、これで竜二のメンツを立てつつ、竜二の落語への思いを問うことができる。あくまでも高級古着が欲しかっただけと言い張りつつ、竜二は大島紬(落語)を手にする。優勝してしまう落語をやったことで古着より落語がやりたいと竜二に表明させるが、それでも形式上は古着が欲しかったと言い張れる、こんな汚い猫欲しくもなかったと言い張れる。

一番問題になるのは竜二が最後にやった「猫の皿」は小しん(小日向文世)のなのか、師匠のなのか、それとも竜二がアレンジした「猫の皿」なのか。

以下とりとめなく。

  • 小しんは意地悪な人だろうか。

馬鹿にされていることに怒っているだけなんじゃないだろうか。人情噺が一番だと思っている面白味のない奴と世間から思われていることに小しんは怒っている。わかっていないのではなく、認めないという立場に立っているだけなのだ。

小しんは竜二が単に真打になりたいから自分のところに来ていると思っているので、じゃあ俺の「子別れ」は、真打目当てで買われる汚い猫かよ、と嫌味で「猫の皿」を教え、同時に謎をかける。

俺はお前の親父・どん兵衛(西田敏行)の「猫の皿」の価値をよくわかっている。下に見ているとお前は思っているのだろうが、そんなことはない。だがあえて小しん流の「猫の皿」を教える。それをお前がどうとるかだ。ただの汚い猫だと思うのか、それとも価値を見出せるのか。こんなつまらない「猫の皿」なら、自分の師匠に習えばいいと思うならそうすればいい。落語が習いたくて来ているのならそれでいい。もし本当に真打になる力があるのなら、人情派の「猫の皿」と面白派の「猫の皿」を併せ持ったような、「猫の皿」をやってみろ。お前にはそれができる力量があると俺は思っている。お前が一日しか習っていない「子別れ」をやるなら、それは単に真打になりたくてきている証拠だ。

謎をかけられた竜二は、ボロボロの「子別れ」をやって、さらに小しんの「猫の皿」の価値にも気付かなかった。そして今回ようやく小しんに答えて、「猫の皿」をやった。正しい答えを返した竜二に、小しんは「子別れ」を習いに来いと言う。

  • クドカンの状況

これまでの話だと、「うまいけれど面白くない」ことに煮詰まって落語をドロップアウトして服屋になって、それでどん兵衛が怒って勘当という流れなので、落語界に再度竜二が引き込まれていくには展開が弱いわけである。なんだよ、竜二の服への情熱はそんなもんなのかということになるわけ。そこで落語を辞めなきゃならなくなった重い経緯が必要になる。だがそれは、危険なのである。人情噺になってしまうのである。「小しん、客より先に自分が泣いちゃってるよ」の世界。それでも人情噺は必要だし、やらなければならない。どうすればいいか。

若者は「ヘヴィな状況」を怖れる、怖れるけれど確かに生きているとそれはさけられなくて、自分には一大事であり、なのに他人にはどうでもいい話で、だからヘヴィにこんがらがって、人情噺に酔うのは恥ずかしい。しかしそのヘヴィを人に提示しなければ伝わらない事がある。さてどうしたらいいのか。それで「猫の皿」。

  • 竜二の状況

どん兵衛は人情噺もできるようになれとなんの魂胆もなく小しんのところへ行かせる。小しんはそれを魂胆があるととる。板挟みになって、竜二は爆発してしまったのだが、答えは他になかったのか。つまり「ヘヴィな状況」だと思い込んでいることは、実は話してみたら簡単に解決することかもしれない。傍からすれば、なんだそんなことかいで済んでしまうことかもしれない。話さないで自分で解決しようとして、爆発しているだけかもしれない。わかるわけないじゃないと思い込んでいるのだが、わかっていないように見える人間がわかっていたり、わかっていない立場をとっている人間と「猫の皿」方式で交流できるのかもしれない。

  • 未解決

小百合(銀粉蝶)と二人で酒を飲んでいた虎児(長瀬智也)にどん兵衛が「猫泥棒」と言ったこと

  • やや未解決

人に見せない面をメグミにだけ見せたことでキス、というのはよくわかる。誰にも言わないでねと言ったことがどんどん流通してしまうところに「猫の皿」がありそうなのだが、明確に説明できない。

  • たけちゃん、バウ。

淡島ゆきお(荒川良々)が「毎度おさわがせボーイズ!」と机を叩いた勢いに苦笑いの西田敏行の表情が雰囲気北野武。横には高田文夫。

2005-05-27 中世とは何か このエントリーを含むブックマーク


中世とは何か

作者: J.ル=ゴフ,池田健二,菅沼潤

出版社/メーカー: 藤原書店

発売日: 2005/03

メディア: 単行本

| 本 | Amazon.co.jp

裏表紙の短い引用が実に的確で、これを読むだけで「知ったか」をかませる。編集担当(西泰志)の仕事なのでしょうか。

ミレニアムは千年じゃなかった。

実際、十二世紀以前の中世は数を数えない、あるいは少なくとも数えることを好まないのですよ。中世の人が数字を挙げるときは、これを象徴として用います。三、七、一二、およびこれらの倍数、あるいは重大事を示すには、千、百万という具合です。歴史は今日もなおヨハネの黙示録の瓦礫の山から借りてこられた言葉、ミレニアムの使用において節度を欠いています(ニーチェやD・H・ロレンスがこれを正しく批判しています)。ミレニアムというのはしかし、中世においては「非常に長い期間」という意味でしかなかったのです。にもかかわらずこれがそののち、千年至福説についての夢想、世界の終わりにまつわる数々の思いをかき立てるのです。紀元千年が近づくにつれて高まったであろう「恐怖」などというのは、そのはなはだしい例です。何というか……、典型的にロマン主義的な発想です

ラテラノ公会議にて結婚は人生の理想となる

ラテラノにおける四回目の宗教会議、通称第四ラテラノ公会議(1215)(略)は、世俗の者たちの日常および精神生活を一変させます。

ここに出席した司教たちは、十四歳以上のすべてのキリスト教徒による年に一度の耳聴告白の実践を制度化します。彼らはまた双方の合意、婚姻の公示を条件に結婚を奨励します。それまで軽蔑され氏族間のさまざまな取引の道具となっていた結婚が、完全にキリスト教的な制度として認知され、人生の理想となったのです。彼らはこれに併せて、異端、高利貸し、ユダヤ人の糾弾も行います。

耳聴告白

耳聴告白の義務化がもたらす革命の重要性はいくら強調しても足りないくらいです。これは個人的に司祭の耳元でささやかれる告白で、守秘義務によって守られていました。それまでの公開告白は、まれで、見世物にならざるをえず、もっぱら公的行為だったのですが、耳聴告白はこの伝統と袂を分かつものだったのです。いまや問題は自分自身の中に入ること、良心を点検することです。ここに内面空間が生まれます。やがて心理学が、そして精神分析が展開されることになる空間です。

ある日バリのドミニコ会ソールショワール図書館でミシェル・フーコーに出会ったとき、第四ラテラノ公会議について熱っぽい議論になりました。そのとき私は大胆にもこんな言いかたをしたのですよ。「精神分析は告解室を横にしたのです。告解室は長いすに変わったのです」と。この言いかたは不正確だったと言わなければなりません。告解室が教会設備の形で現れるのは十六世紀のことでしかないのですからね。それまでは人から離れた所で司祭のそばに座って告白していました。まさに今日の教会が行う一般のための大集会で見られる光景です。

同時に司祭にとってもそれは前代未聞の経験であった

彼らはですから、自分自身と信徒たちのための手引きを求めます。ここには精選された質問、答え、助言が掲載されています。シエナで、フィレンツェで、パドヴァで、私は何冊もの手引きを、「身分」、つまり職業ごとに、何十もの質問を選んで閲覧しました。職業道徳についての多くの細部をここから読み取ることができました。相手が農民か、靴屋か、職工か、染物屋かなどによって、聴罪司祭がすべき質問を、執筆者は事細かに指定していたのです。はじめは商人に対する言及はあまり見られません。まだ労働者、労働の提供者として考えられていなかったということです。しかしながら年月が経つうちに、彼らと労働との間の関係が少しずつ認められ、第一の考慮の対象となっていきます。

十六世紀に「宗教」という言葉が生まれた

新しい語の出現がありました。宗教という単語です。中世にはまったくない概念です。中世においてはすべてが宗教だったのです。(略)

この単語の意味は十六世紀に生まれたものです。この宗教という概念の誕生の方は、本当の断絶を示すものです。この概念があるおかげで、場合によっては宗教の外に出ることも考えられるのであり、宗教は相対的とまではいわなくとも、ある現象として距離をおいて考察されるのですから。いまや人は「選ぶ」ことができるのです。

知識人も商人同様に認められていなかった。神に属する知で金儲けをするなんて。

聖ベルナールが十二世紀初頭に神にのみ属するはずの時間を売ったといって咎めていたのは、銀行家たちだけではありませんでした。彼は知を金と引きかえに売っている学校教師たちをも警戒します。学生は教育に対して金を払わなければならなかったのです。彼にとっては学問もまた神にのみ属するものであり、無料でなければなりませんでした。このような見かたに対して、正当化はすでに銀行の場合に見られたのと同様の議論によってなされることになります。つまりこれらの知識を専門とする新しい職業人たちは、労働を提供しているのだというわけです。彼らは報いを受けるに値するのです。それにまた商人たちと同じく、彼らは有用性を証しだててもいるのです。彼らは報酬を払われる労働者として、存在が許されてもいいはずです。

煉獄の発明により、教会の支配は死後にまで及ぶことになった

煉獄のあいまいさがここにあります。地獄というのは恐ろしく地上的な所です。あまりに地上的であるために、地面の下にあるのです。これはそれほど意外なことではありません。悪人たちは罪を犯したその場所で罰せられています。そして彼らの行いの重みのいっぱいに詰まった時間と空間の中で、そこにある最悪のものを永久に生きつづけるように命じられているのです。

(略)

もしそれに加えて死後においても取りかえしが可能であるとすると、矛盾が生じます。煉獄を考えるとすると、教会が時間も空間もないと言っていたはずのまさにその場所で、ある種の時間、ある種の空間を定義しなければならなくなるからです。この世とあの世の間、個人的な死と集団的な復活の間に、中間的な空間を作り上げる必要があるのです。

(略)

この煉獄の空間化はきわめて重要な結果をもたらしました。地獄と同じくらい我慢ならない場所---永遠ではなく期間が限定されているというニュアンスのちがいはありますが----での滞在期間を短縮するためには教会の援助が必要であったことから、その権力が増大します。歴史的に見ると、煉獄ができる前には、人間は生きているうちは地上の教会の裁判権---すなわちこれが教会の裁きです---に支配されていましたが、死ぬと神の裁きのみにゆだねられていました。しかし煉獄とともに、いまや魂---一種の体をもっているので、人間的な魂です---は、神と教会の連名の裁きを受けるのです。教会はその権力、その支配を、死の向こう側にまで及ぼします。

2005-05-26 スピノザの世界 上野修 このエントリーを含むブックマーク


スピノザの世界―神あるいは自然 (講談社現代新書)

作者: 上野修

出版社/メーカー: 講談社

発売日: 2005/04/19

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イントロ。何でも人間で考えるな。

「ちょっと待ちたまえ」というスピノザの声がする。「ペテロに言ったイエスのせりふじゃないけれど、すっこんでいろサタン、と言いたいな。君は人間のことばかり考えていて、神のことをまるで考えていない」。 

そうだった。神のごときスピノザよ、ゆるしたまえ。われわれは自分が「人間」であると疑わないので、何でも人間で考えてしまう悪い癖がある。人間と自然、人間と歴史、みたいに。そして哲学や思想も人間が生み出すものだと思ってしまう。スピノザはそういう「人間的な語り方」を嫌っていた。

全知の存在に虚構はない。

「四角い円」を虚構できるだろうか。虚構できるのはそれが不可能だということを知らないか、あるいは知らないふりをしているあいだだけである。「2たす3は5」について虚構できるだろうか。できるのはそれが必然だと知らないか、あるいは知らないふりをしているあいだだけである。こんなふうに、虚構ができるのはわれわれが事柄の不可能性あるいは必然性を知らないあいだだけなのである。 

だから、もし虚構が成立するとしたら、それはたかだか「可能的なもの」についてでしかない、とスピノザは言う。私はAさんが今日訪問に来るとか、今日は在宅であるとか、勝手に虚構できる。Aさんがどういう存在か、どういう能力を持っているかという「Aさんの本質」だけを思い浮かべているあいだは、彼がああすることもこうすることも「ありうる」と想像できるからである。しかしそれもスピノザによれば、Aさんの行いが外的原因に依存する必然性・あるいはその不可能性を私が知らないあいだだけである。橋が壊れていたなら彼は来られない。さもなくば、借金取りたての欲望に駆られて必ず彼は来る。もし私が全知の存在でそのことを知っていたなら、Aさんの訪問という事態は必然的か不可能かいずれかであることがわかっていただろう。もうそのときには虚構はありえない。だから「もし何らかの神あるいは全知の存在があれば、そういう者はまったく何も虚構ができないということになる」。「可能的」というのは要するに、われわれがその必然性あるいは不可能性を知らないということの別の言い方にすぎないのである。

懐疑論者の手口

懐疑論者の秘密は「本当の疑い」をダシにして「すべては疑わしい」へと拡張する手管にある。何も知らない素朴な人は太陽が見かけよりもはるかに巨大で地球よりもずっと大きいなどと聞かされると、ショックを受け、ものの外見について、そして感覚的認識一般について本気で疑い始めるかもしれない。けれども視覚の本性をちゃんと理解すれば、太陽は今まで見えていたとおりに見えていて何も問題がないことが彼にもわかる。(略)

よく理解されていない別な観念の横やりが入って、本当なら何の問題も生じなかったところに心の動揺が生じ、疑いが生じるのである。

AとB、二つの道があって、安全だと予測されるAを通ったら強盗が出た。

このとき、なんて自分は不運なのだ、やっぱりBにしとけばよかったのにと嘆くことはない、とデカルトは言う。自分はあの時点で最善の判断をしたのであって、その判断と強盗の出現とのあいだには迷信が語りたがるような何の因果関係もない。私の選択と強盗の出現とのマッチングは私の左右できる事柄ではなく、あずかり知らぬ神の摂理に属する。私がどう願い、どう選択しようが、起こることは起こるのである。したがって、こうあってほしいと願う欲望は自分が左右できる事柄の範囲に眼定すべきであり……云々。いかにもデカルトらしい、潔いモラルである。

スピノザもほぼ同様の結論と言ってよい。ただ、スピノザはもっとすばやく、最短距離でその結論に達する。デカルト自身は神の思し召しに踏み込むような真似はしなかったが、「摂理」はやはり、ライプニッツのような哲学者に「決定にはそれなりに理由があるはずだ」という思弁をゆるしてしまう恐れがある。ライプニッツなら、強盗に遭遇するような選択を私がするように世界の全体は計画されていて、結局それは巨視的には一番よい世界計画なのだ、というだろう。こういう話には、それ自体としてよくも悪くもない事柄を「よいことだ」と言いくるめて神の意志を弁護しようという企み臭う。

しかしスピノザの「神あるいは自然」にはそういう思し召しも意志も何もないのだった。(略)神、自然は、強盗のためにも私のためにも働いているのではない。世界が存在するのはだれのためでもないのである。もちろん遭遇は私にとっては端的に悪い。そして強盗にとっては端的に都合がよい。先の「よい・悪い」の定義から言えるのはそれだけで、遭遇という出来事そのものにはよさも悪さもない。だからわれわれは神にうるさくつきまとうのをやめ、神と世界をゆるしてやらねばならない。

国家とは

国家は本性上、服従を生産する巧妙な「術策」でしかありえないし、それでよい。清廉の士や無辜の民のユートピアを描いても無駄である。むしろ、治める者も治められる者も自分が自由決定の主体であるかのように感じられるような、そういうありったけの術策が---見方によってはほとんど民主的とすら思えるまでの高度な術策が---必要なのだ。したがって、政治をまるで倫理的な堕落のように嘲笑・呪詛する憂鬱な思想からは手を切るがよい、とスピノザは言う。

2005-05-24 鮎川信夫の戦争話 このエントリーを含むブックマーク

鮎川信夫が古参兵から聞いた話であるから、真実でない可能性もある(そう断っておかないと、またウルサイカラ)。

僕はこんな話を際限もなく繰りひろげてみせようとは思わない。こんなことは聞いたからといって別にどうなるといふやうな話ではないし、解りきったやうな戦争の半面である。

と書いているように、おめでたく戦争反対と言っているのでもないし、逆に正当化しているのでもない。淡々と描写されている。これは1945年2月末から3月はじめにかけて傷痍軍人療養所病棟にてこっそり書かれたものである。

シンガポール占領。

[茶でも出されると「親日家」にちがいないと引き上げたり]

一寸でも人相が良くなかったり、怪しい節でも見つけたらさっさと拉致してきた。拉致してきた奴等は、家族の者には作業に徴用するんだと瞞してくるんだ、一寸調べられるだけで夜になると、大きな穴を掘って片っぱしから銃剣で突殺して、その穴の中へ落しこむのだ。こんなにしてどの位殺したかわからない。要領のいい奴はまだ突かれもしないのに、穴の中へ自分からころげ込む。死んだ真似をされると暗いのでわからなくなってしまふ。後から後から死体が重なって、相当に多くなるとシャベルで土をかぶせて埋めるのだ。その時になると半分位しか死んでゐなかった奴や、死真似のやつが動き出す。すると又盲滅法に突くのだ。埋めた土を踏んでゐると、まだ地の底で蠢いてゐるのが感じられて気持が悪いが、それでもその時は気が立ってゐるからさほどにも思はないんだね。迚も平時では想像だって出来やしない。時々泥の中からにゅっと腕がつき出たりするのはさすがに嫌な気持だったからね。

[はじめは死体を海に捨てていたのだが](略)

犬や猫の死骸よりまだ嫌な臭ひがするんだ。実際、蛆なんかが湧いた屍体、皮膚の下が蛆のどよめきで皮膚が波打ってゐる屍体を見ると、人間なんて大きな顔をしてゐるが動物よりも醜悪だ、といふやうな感じがするよ。

シンガポールでは急進撃であまり強姦している暇はなかった

作戦中だったって軍紀を犯して強姦、凌辱は多少は行はれたけれど、やはりそれは一部の者だったし、そんなに問題とするほどのことはなかった。それに皆馴れた古い兵隊ばかりなので手際よくやったし、それに後くされの無いやうに済んだあとは女を殺してしまへといふんだから、割に処罰されたり醜態を残したりするやうな破目に立到ったものは少なかった。(略)

しかし支那の時より軍紀は概して良好で、それにそんな悪いことをする間もないほどの急進撃だったからな。女の死体の陰部などに竹の捧をさし込むやうな凌辱を加へられてあったのを一度だけ見たけれど、あんなことはさすがに嫌な気がして面をそむけちまった。しかし戦争なんてさういふものなんだからな。そんな凌辱を受けたくないと恩ったら絶対負けないやうにしなければならないんだ。女や子供は当然敵軍によって凌辱され、父母や先祖の位牌もひどい侮蔑を受けなければならないんだ。戦争にはどうしても負けたくないな。一度あんな惨酷な場面を目撃すると、負けたらもうどんなことをされても仕方がない、---さう思はなければならないよ。

シンガポールではじめて慰安所ができたときは兵隊が殺到。他で暇を潰して

帰りに一寸覗きに寄った時は全く魂消ちまった。ピーがみんな死んだやうになったり虫の息になったりしてゐるんだ。長蛇の列もいつの間にかばらばらに散ってしまって中に俺達のやうな物好きな奴が各部屋をのぞき込んでゐる。寝台の上には髪をふり乱して殆んど裸体に近い女が真青な顔をして苦しさうな息をしながらのびてゐる。みんな商売の娼婦でないからやっぱり弱すぎたのかも知れない。それに年齢が若いし可哀想とか何とかいふよりも凄愴な陰惨な正視にたえない狼籍の光景であった。中には血を喀出したり、なんか汚物を吐き出したりして、死んでゐるのか生きてゐるのかわからないのがゐる。

鮎川版・地獄の黙示録。これは鮎川自身の体験。負傷しマニラへ後送されることになり

病院船は仏印に於ける内還の患者を収容するために先づサイゴンヘ向った。サンヂャックのあたりには敵の空襲で撃沈された輸送船が幾つも沈められて居り、湾の海底が浅いために檣や煙突が海面に突出てゐるのもあれば、岸壁に凭れるやうに傾いてまだ煙を少しづつあげて燃えつづけてゐる油槽船もあった。メコン河を三十分ほど遡行しサイゴンの港に入った。患者は病室内が猛烈な暑さなのでみな甲板に出てあたりの風景を眺めながら涼んでゐた。サイゴンヘ入って私の目を一番最初にしかも烈しく射たのは埠頭に横付になってゐる汽船で、仏蘭西のトリコロールの旗印を船腹に鮮やかに描いてあった。私はそれまでその二年間ほどの間に一度もフランスのことなど思ひ浮べたことはなかったし、日章旗以外の国旗は一度も見なかったので、三色旗は目をよろこばした一種異様な刺戟であり、私は何故か涙のやうなもので眼が曇ってきたのである。私はこの時の涙を一寸説明し難いのだ。「ああ、フランスといふ国があったんだな。もう亡びたと思ってゐたフランスといふ国が」---いや私は決してフランスが亡びたと思ってゐたわけではない。ただそれはあまりにも今迄は現実とかけ離れた存在であったのである。私はその時、我々の鼻面をとって勝手に引き廻し、我々自身を駆って常に政治的な出来事や虚偽の熱情のうちに精力を消耗せしめ、虚名や歴史的必然の名を借りて奉仕や犠牲を強ひる一切のものに反撥を感じた。私はひそかに思ってもみた。「我々は亡びることを怖れてはならない。亡びるといふことは単に主観的な問題に過ぎない。亡びたものは、他のものがあれは亡びたと思ふほど亡びたと思ってはゐないであらう。何故ならば、新らしく興りつつあるものを余計強く意識してゐるからである。悪くなって残るといふのは亡びるよりも一層の恥辱である。」と。

2005-05-23 橋川文三/三島由紀夫論集成 このエントリーを含むブックマーク


三島由紀夫論集成

作者: 橋川文三

出版社/メーカー: 深夜叢書社

発売日: 1998/12

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1968年の文章。呉智英は22歳手前か。

現代の危機は、封建制というある意味では責任負担を分散させるようなシステムがないために、かえってその事実が空想的に拡大され、個々人の内部に異常な重圧をひきおこすという特異な性格をおびている。たとえば、現実の軍事的危機とか、革命の危機というよりも、情報機構を通じて人々の心中によびおこされるイメージとしての危機の切迫性が、そのまま、人々をパニックにおとしいれることもできるという形をとっている。それにともなって、人々は演技的なヒステリアの発作にとらわれることもますます多くなっている。

(略)

しかし、いったい、幸徳秋水を生かしておくような「文化概念」としての天皇制とはいかなるものであろうか?

戦時下の「ビューティフル・ドリーマー」。3/29の続き

敗戦は彼らにとって不吉な啓示であった。それはかえって絶望を意味した。三島の表現でいえば「いよいよ生きなければならぬと決心したときの絶望と幻滅」の時期が突如としてはじまる。少年たちは純潔な死の時間から追放され、忍辱と苦痛の時間に引渡される。あの戦争を支配した「死の共同体」のそれではなく、「平和」というもう一つの見知らぬ神によって予定された「孤独と仕事」の時間が始る。そしてそれは、あの日常的で無意味なもう一つの死---いわば相対化された市民的な死がおとずれるまで、生活を支配する人間的な時間である。それは暖昧でいかがわしい時代を意味した。平和はどこか「異常」で明晰さを欠いていた。

1967年の文章。西部邁は28歳、橋川は45歳か。

三島におけるネーションは大衆社会化に抵抗する原理である

三島のいうナショナリズムが日本対アメリカというような国家レベルのそれではなく、要するに「工業化ないし大衆化、俗衆の平均化、マスコミの発達、そういう大きな技術社会の発達」に抵抗する原理としてとらえられていることだけは明らかであろう。

そして、それだけでは「ネーションの統一、独立、発展を志向し押し進めるイデオロギー」(丸山真男)というナショナリズムの一般的な意味に吻合しないこともまた明らかなはずである。第一、ネーションの「統一」はある意味では中世的な身分制の廃止によって、人間の「平均化」をもたらした当の原理であるし、その「独立」は三島の場合「いまは西洋もクソもないですね。アメリカですらないですね」として、すでに問題視されていないものであり、その「発展」など、なおさら意欲されているとは思えないものだからである。

ノスタルジアは「死に至る病」

例えば、三島の大好きな『葉隠』はやはり一つのノスタルジアであった。しかし、『葉隠』の山本常朝はあれほど狂い死と犬死を賛美したにもかかわらず、七十いくつまで生きて、タタミの上で死んだ。極端にいえば、だれしも人間は狂い死の思想を持っている。それは新聞の社会面をみればわかる。余談だが、私のまわりにいる若者で、全く理由がわからず自殺する者が何人もいる。理由がわかるような形で死ぬ庶民が何人もいる。それらの人々の死の方が三島の死より私には重い。

三島の「法律と文学」というエッセイ。刑事訴訟法で小説を。

「半ばは私の性格により、半ばは戦争中から戦後にかけての、論理が無効になったような、あらゆる論理がくつがえされたような時代の影響によって、私の興味を惹くものは、それとは全く逆の、独立した純粋な抽象的構造、それに内在する論理によってのみ動く抽象的構造であった。(略)

刑事訴訟法はさらにその追求の手続法なのであるから、現実の悪とは、二重に隔てられているわけである。…<悪>というようなドロドロした、原始的な不定形な不気味なものと、訴訟法の整然たる冷たい論理構成との、あまりに際立ったコントラストが、私を魅してやまなかった。」(略)

私の携わる小説や戯曲の制作上、その技術的な側面で、刑事訴訟法は好個のお手本であるように思われた。何故なら、刑訴における<証拠>を、小説や戯曲における〈主題〉におきかえさえすれば、極言すれば、あとは技術的に全く同一であるべきだと思われた(略)

以下、1976年の野口武彦と橋川の対談より。

[1961年に]三島のことが話題になったときに、彼はいずれは自決するだろうというふうにおっしゃった。その自決っていうのは文字通り切腹死という意味じゃなくて、自分で責任をとるだろうという、もっと抽象的な意味だったんだけれども、それ、不思議に憶えてましたね。あの事件が起ったあと、なるほどこれは、橋川さんの予見力ってのは大したもんだと思って。

そんな風に「本気」だったのかと失望している橋川さん。どうでしょう、呉さん(5/18参照)。

橋川 それはもう全くね。ぼくなんかは三島のあり方に、ほとんど全面的に賛成というか……共感の感じで彼のことをずっと見守ってきたわけですよ。それは何かというとさっきのことばで言えばシリアスな問題。ところがシリアスな問題を、ぼくに言わせればそんな意味においてシリアスだったのかという、それはちょっと意外で、裏切られたという感じ、裏切られたと言ったほうがむしろいいぐらいでね。そういうシリアスってのは、ぼくは愚直である、愚鈍である、って感じで、ちょっとからかったみたいなことがあるけども、そういうふうになってきましてね。

単に死ぬのなら全部嘘と言えばよかったのに。

橋川 彼の場合、なんであんなにモデルがたくさんいるのかと思うんだね。ちょっと皮肉な言い方だけど、そんな感じが、ぼくはどうしてもする。しかも、モデルにされた連中はみんなかなり多様な違いをもってるわけね。それを強引に三島は全部同じものとして自分の死途にひきこむ。なんか無理であるという感じがするわけ。(略)

要するに三島の死というのはいろんなものをモデルとしてるけども、結局彼自身の死しかないわけでしょう。ぼくは、もし単に死ぬんだったら、あんなモデルは全部嘘であった、あるいは全部みんなを誘うための何かであったという形にすりゃいいのにと思う。ちょっと乱暴だけど、なんかそんな感じがするわけ。

ホモは自分より強力な男性に支配されたくてだから天皇崇拝という短絡した考えがあるけどという話の流れで、橋川は逆にホモだから違うと。

橋川 三島が天皇制論者というのは、ぼくはよくわからないんだけどね。三島については「天皇制」論者だと、括弧つけて言ってるけども、三島は天皇制論者じゃないんだっていうふうにぼくには思えてね。いわゆる天皇制論者とは違う、なぜかというと彼はホモセクシュアルだからという、ちょっとこれ矛盾しますけどね、そういう感じになる。

じゃあ、そのホモ感情はどこへつながるかというと、「仮面の告白」のオワイ屋の青年とかそのあたり、てな話もあって。

あの才能をつまらない使い方をして、それなら堕落した方がマシだったよと過激発言

橋川 彼が考えた具体的な天皇制というのがもしあったとしたら、その場合には何に近くなるかしら、これは。栄誉というものがもし天皇制の本質だとすれば、やっぱり一種の貴族制みたいなものになっちまうような感じがしてね。しかし、ぽくは三島がどうしてもわからないのは、彼がさかんに高貴かつ貴重な、そういう存在ってものに人間が絞られている、ということを期待してるみたいだけども、ぼくは逆に三島の書いたものもすべて、あんな才能がこんなつまらないものしかできないとなったら、結局人間としては全部堕落してしまうというほうがまだ筋が通ってるじゃないかというね、ちょっと無茶苦茶だけど、そういう感じもするんですよね。

2005-05-22 ハイブラウ/ロウブラウ・その3 このエントリーを含むブックマーク

前々日の続き。


ハイブラウ/ロウブラウ―アメリカにおける文化ヒエラルキーの出現

作者: ローレンス・W.レヴィーン,Lawrence W. Levine,常山菜穂子

出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会

発売日: 2005/04

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プロアマの壁が生じる

十九世紀末に、プロの専属音楽家からなる常設オーケストラが設立されたことも消極的な聴衆を生み出す重要な一歩となった。オーケストラから非常勤の音楽家をなくし、オーケストラとしばしば共演していた大量のボランティア・アマチュア合唱団を大幅削減したことによって、音楽史家ジョン・ミューラーの言葉を借りれば「舞台と客席を容易に行き来していた」世俗の大衆がわたる橋がついに破壊されたのだった。舞台前面に配置されたフットライトはいまや聴衆と出演者を隔てる壁と化し、ポール・ディマジオが論ずるように、その壁は地元と関係を持たない大勢のヨーロッパ人演奏家を迎え入れたことによって強化された。彼らは必然的に所属するオーケストラの指揮者と理事に強く依存し、また聴衆は彼らに共感したり意思疎通を図ったりするのが難しくなった。

文化統制の確立

シンフォニーホールやオペラハウス、美術館は誰に対しても入場を禁じたりしなかった。美術館の入場料は安価でしぱしば無料だったし、コンサートやオペラ、「正統な」演劇として知られるようになる舞台のチケットは時には高価だったが、それでも手に入れやすかった。しかし、二十世紀に入ると、払わなければならない代価が一つ生じた。すなわち、これらの文化的産物は文化制度を制御する人たちが定めた条件に従って受け入れなければならなくなったのである。この意味で、文化に近づくことは完全には独占されなかった一方で、近づく際の条件に対しては厳しい統制が敷かれた。いまや広く行き渡った審美的基準とは、自分たちが音楽や演劇、美術を鑑賞して理解し、真価を認める方法のみが唯一正統なるものだと自認し、また国中を信じ込ませた、社会経済的集団のほんの一部分の人たちによる基準だった。これこそがシェイクスピアやべートーベン、ギリシャの彫像が経験されるべき方法であり、また実際に、教養と鑑識眼に長けた者が常にそれらを経験してきた方法だと言うのだ。

白黒映画のカラー化問題に関して

ウッディ・アレンは合衆国議会で証言し、大衆の支持を「カラー化」を是とする根拠に挙げる考えを否定した。「もし合衆国民の全員がカラーの『マルタの鷹』を望んでいるとしたら、見当違いも甚だしい。ここで考慮すべき倫理は、ある芸術家の作品を取り上げてその人の許可なしに変えてしまうべきではないという点です。」この時にアレンが用いた比喩からは文化の概念に生じた変化が窺える。もしハムレットが死なないように大衆が望んだらシェイクスピア劇は作り替えられるべきか、とアレンは問うた。「それは本当に馬鹿げています。文化をそんな風に扱うことはできません。」実業家のテッド・夕ーナーが「カラー化」の権利を申し立てて「最後に調べた時は私がその映画の所有者だったはずだ」と述べると、あるコラムニストは即座に言い返した。「もしテッド・ターナーが・・・モナリザを購入して口ひげを描き入れたとして、『最後に調べた時は私がその絵の所有者だったはずだ』と言って許されるだろうか?」

2005-05-21

[]タイガー&ドラゴン「明烏」 タイガー&ドラゴン「明烏」を含むブックマーク

落語の若旦那にあたるのが三人。落語の構造でいくと、親の依頼ということになるのだが、どうも全部虎児(長瀬智也)が仕切っているように思われる。

  • どん吉(春風亭昇太)は誰がみてもその通り。
  • 銀次郎(塚本高史)になるとやや明白ではない。

1.薬師丸ひろ子がどん吉の名前を知っていたこと

2.銀次郎が昇太に授業料を払ったこと

3.最後の寄席で薬師丸が虎児に挨拶していた

4.鶴瓶と若頭がわざとシリアスに長瀬を叱っていた

銀次郎を教育するために薬師丸を失踪させ、ついでにどん吉に押し付けてしまう。その手先となるのがメグミ(伊東美咲)である。そしてそうなると

  • 竜二(岡田准一)が三人目の若旦那になる。

これはなかなか恐ろしい。だって竜二はどん吉をハメているつもりで、自分は自由恋愛でメグミと付き合っているつもりなのだが、どうなのだろう。だって来週の予告の展開でいくと竜二は落語界に再度引き込まれていく展開になってて、そこでメグミが「面白い人好きになるのメグミはじめて。いっぱい面白いことして楽しませてね」とか言ってるわけですよ。メグミ花魁は竜二を面白い人にしようとしてるんですよ。虎児が竜二とメグミのキス話を軽く流してしまうのも、「想定内」のことだからではないでしょうか。するとなんだかんだ言っても実は竜二に戻ってきて欲しい師匠の意をくんで虎児がメグミに誘惑させてる。えー、夢がナーイ、竜二がカワイソー。

でもねー、そもそも今回の話は負け犬女と負け犬オタクは付き合えるかというか、負け犬も肩肘はらずに親の御膳立てにのっちゃえよということなのだが、もう少しいくと、お見合いと自由恋愛ということになりまして。仮に将来薬師丸とどん吉が結婚したら、出会いはある種仕組まれたものだという認識はあるのである、プチ見合いだったよねとかなんとか。ところが竜二はメグミとは自由恋愛だと思っている。だが、だが、ということだ。自由恋愛はホントに自由なのかーい(井上マー風)、実はハメられてるんじゃないかーい。

竜二とメグミがキスしてるところに、「若旦那、いかがですか、御篭りの具合は」というどん吉の落語が重なる。ここでの若旦那は竜二であり、どん吉は竜二がハメられている構造を語っていて、なおかつどん吉が薬師丸に落語を語って聞かせる状況にハメたのは竜二他であって。こんなカンジの構造が重なっていくクドカンマジック。

竜二は落語に戻りそうな展開なんですけど、それよりわけありの幼馴染という再会をしてる竜二と銀次郎、そしてどう見てもリサ(蒼井優)は竜二が好きそうであって、こっちのネタフリはどうなるんでしょう。

そんな話もありつつ、どん吉が薬師丸と対面して一皮剥けることで落語を「現代」に対応させていくことを学んだり、虎児が銀次郎に芸道論を語ったり。今日のクドカン「タイガー&ドラゴン」マニフェスト

俺みてえになりてえなんて言うな

俺はもう、居んだからよ

そもそも出だしから、かなり喧嘩売ってる。というか未だその意味するところを把握できていない気がする。

負け犬といいますが、男性の場合はいちがいに言えません

男社会は勝ったり負けたり連戦連勝はありえない

とりあえず、負け犬女の皆さんは、ドン、ドン、チャラ?ポワと、と若旦那の手を握っちゃってください。ナニ?借金はない、失礼しました。

2005-05-20 ハイブラウ/ロウブラウ・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日からの続き。


ハイブラウ/ロウブラウ―アメリカにおける文化ヒエラルキーの出現

作者: ローレンス・W.レヴィーン,Lawrence W. Levine,常山菜穂子

出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会

発売日: 2005/04

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はじまりは熱海秘宝館

アメリカの博物館は総花的で折衷的なものから排他的で特化されたものへという、お馴染みの発展パターンを辿った。二ール・ハリスは十九世紀前半の博物館の状況を「絵画と彫刻がミイラとマストドン象の骨や動物の剥製と並んでいる。南北戦争以前、アメリカの博物館は美術の隔離された神殿ではなく、情報の貯蔵庫、奇妙な、あるいは疑わしい資料のコレクションだった」とまとめる。

ボストン美術館も最初は大衆を対象にし、オリジナルと複製がまざっていた。

最初の二十年間、美術館は比較的少量の絵画しか所有せず、ヨーロッパの名作の写真と古い彫像や建築物の模型で展示室を埋めていた。(略)

寄付金とオリジナルの美術品が増えるにつれて、写真や模型、雑多な「珍奇なるもの」を倉庫へと追放し、一九一二年に埋事が呼んだところによると「より高尚な事物」のために展示室を充てるようになっていった。

コレクションのレヴェルが上るほど一般公開できる作品数は減少する

模型は単に不完全なものよりもなお悪く、転覆的でさえある。なぜならば、模型は「機械的に作られた情報」なので「芸術の自動ピアノ」に過ぎず、機械仕掛けの音楽がシンフォニーホールに属さないのと同様に模型も美術館に属さないのである。模型は「教育の手段であり、霊感の賜物の近くに展示されるべきではない。」模型反対者たちはまた、美術館の初代館長ウォルター・ブリマーによる「屑のごとき絵画の侵入に注意せよ」との警告に従って、価値のないオリジナル作品を売却し、名作を一般観覧者ではなく目利きを対象にした研究用コレクションに隔離しようとした。「保持したいと望む完成度の堪準が高くなれぱなるほど、おのずと研究用コレクションの規模は大きくなり、一般公開できる作品数は減っていく」

大切な本を読んで汚してしまう大衆を図書館から締め出せ

図書館は知識を普及させるためにあるのか、それとも知識を保存するためにあるのかという問いは、当時盛んに議論された。(略)

[最初は大衆への提供を使命としていた]シカゴ公共図書館は開館時間を短縮し、各地の支部を閉鎖し、参考図書の蔵書に力を入れるようになり、少数民族の要求にはもはや熱心に応じなくなった。

ど素人が簡単につくれてしまう写真を芸術とは認めない

リトグラフィー(石版印刷)の文化的格下げと同様に、写真の文化的排斥も起きた。写真が最初の頃果たした役割の一つは美術作品を複製することだったので、多くの人がカメラは芸術を創造するのではなく、それを模倣する道具だと捉えたとしても不思議はない。しかし、写真に対する反感はこれよりもはるかに根深かった。表現形式を比較的簡素化して訓練を受けていない大勢のアマチュアにも使い易くし、ほぽ無限に複製可能にするプロセスは、芸術と文化を神聖で、類まれなる個人的心霊の無比の産物と捉える気風から著しくかけ離れたものだった。芸術を神聖化する者にとって、写真はクロモリトグラフィーよりもずっと深刻な脅威だった。と言うのも、クロモリトグラフの絵もカメラも大衆に芸術を広められたが、加えて、カメラは広範囲の人に芸術を創造する手段そのものを与えられたからだ。それは中産階級が急成長しつつある社会にはぴったりの道具だった。今や人びとは、かつてエリートに限られていた操作とイメージを使って満足を得ることができた。

いつのまにか罵詈雑言を浴びる羽目になったブラスバンド。笑える。ブカブカうるさいブラスバンドさ。

「ブラス・バンド音楽はいつも、ネコを生きたまま挽く脱穀機を思わせる」と、若き日のヘンリー・フィンクは記した。(略)

ブラス・バンドは「若くて無思慮な」者の嗜好を汚染し、彼らの金管楽器を演奏したいという欲求は何千もの家庭と近隣を「みじめな」状態に追いやっている。ブラス・バンドは「忙しく稼働中の機械工場と同様の音楽的性質」を持ち、野外ステージを海辺のホテルの真ん中に作り、「バンドのおぞましい生物たちが狂騒に駆られ出したら」ステージを海に向けて、「怪物の忌まわしい声を無限の大洋に注ぎ込める」ようにしない限り、その喧噪は耐えられるものではない。

1907年に祖国を訪れたヘンリー・ジェイムズは

「巨大な民主主義のほうき」が古いものを掃き出して、「新しいもの、安価なもの、平凡なもの、商業的なもの、安直なもの、そしてあまりにもしばしば醜悪なもの」の時代を招いたと不満を漏らす。この「広大で未熟な商業民主主義」のあらゆる所で、ジェイムズは「圧倒的に優勢」な商人に見舞われた。この「死体山なす産業社会の戦場」にあって、彼は「地位を奪われたという意識」に「絶えず苦しめられた」。

1839年のジョージ・テンプルトン・ストロングの日記

騒乱や市民暴動、政治的狂信状態、社会の腐敗、恐ろしい災害、さらに、一八三九年に彼が記したところによると「雲のように地を覆い日ごと闇で増殖する、無秩序を招く薄汚れた精神」を有する「野卑で無教養な大衆」の度を越した振る舞いについて、日記に書き残した。一八四〇年年頭には「暴動、無秩序、暴力が町で増えている。毎晩、若いごろつき連中が暴行を起こす。彼らは女性を侮辱しながら通りをうろつき、無抵抗のパブの主人を襲い、夜はひどく酔って叫び声をあげる。当局は取締まらないので、罰を受けることなくありとあらゆる狙罪行為を行っている」といった状況を観察している。

「逃げ道は過去にしかない」と嘆いたヘンリー・ジェイムズだが、「文化」への逃げ道があったのだと。

これらのよそ者が自身の領域に止まって自身の特異なやり方を保持する限りは我慢できる存在であり、うまく扱い得た。つまり、アフリカ系アメリカ人が自分たちの教会で異国趣味のリズムに合わせて奇妙な儀式のダンスを踊り、アイルランド人女性が通夜でおかしなメロディに合わせて死者を「アイルランド流に哀号し」、ドイツ人がビアガーデンで家族と友人たちをもてなしている限りは。しかしながら、このようなよそ者の世界は隔離されたままではなかった。彼らは劇場やミュージックホール、オペラハウス、美術館、公園、縁日、そしてアメリカの町々の街頭で日ごと繰り広げられた豊かな公共文化生活といった、十九世紀アメリカの特徴であった公共空間へと溢れ出した。ここにこそ脅威が潜んでいたのであり、それに対するエリートの反応は三通りあった。一つは可能な時はいつでも私的な空間へと引き籠もる、もう一つは好みの規則や審美的価値のシステム、行動の規範によって公共空間を変える方法である。三つ目は、よそ者にエリートの行動様式と文化的嗜好を真似るように彼らを改心させる方法

さらに明日へと続く。長いねどうも。

2005-05-19 ハイブラウ/ロウブラウ このエントリーを含むブックマーク


ハイブラウ/ロウブラウ―アメリカにおける文化ヒエラルキーの出現

作者: ローレンス・W.レヴィーン,Lawrence W. Levine,常山菜穂子

出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会

発売日: 2005/04

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大衆娯楽だったシェイクスピア

十九世紀アメリカにおいて、シェイクスピアは正しく大衆娯楽だった。十九世紀前半の劇場は二十世紀前半に映画が果たしたのと同じ役割を果たしていた。すなわち、あらゆる階級と社会経済的集団に対して非常に多様な座席料金がある、変幻きわまりない民主的制度だったのである。

シムレット、うしろうしろ

十九世紀演劇の観客を正しく想像するには、現代のスポーツイベントを訪れるといいかもしれない。その観客は同じように雑多なぱかりでなく十九世紀とエリザベス朝時代と同じ意味合いで観客以上の存在だ。彼らは競技場で繰り広げられるアクションに入り込み、直に感じ、時には事態を支配している感覚すら持ち、自分の意見と感情を声に出してはっきりと表現するような参加者なのである。

シェイクスピアの神聖化にともない

シェイクスピア作品は別の作者が書いたのだと主張する本や記事が多出したのは、決して偶然ではない。シェイクスピアの地位が高くなればなるほど、社会的地位が低く教育もろくに受けていないであろう(略)男が演劇の極みまで上り詰められたとはますます納得できなくなった。作品はもっと訓練され生まれも良く高い地位の誰か、たとえばフランシス・ベイコン卿、(略)が書いたに違いない。

バンドとオーケストラの区別なし

十九世紀アメリカで最も人気がありどこにでもあった音楽組織はバンド(楽隊)であり、南北戦争直前には六万人の音楽家を擁する三千以上ものバンドが存在していた点である。十九世紀の大半、こんにち我々が抱くバンドとオーケストラの明白な区別はなかった点を理解しておくことも、また重要である。

合間に手品なんかもやっちゃったりして

一七九六年九月十二日ボルティモアで行われたコンサートは、我々が知っている音楽の風潮からはかなりはずれたものが蔓延していたことを証明する。それはハイドンの序曲の後に「かわいいブルネットのために」のような歌を、バッハの序曲の後に「おお、誰もアイルランド男ほどは愛せまい」のような歌をもって来ることは非常に適切だと考える風潮である。

大衆受けする「軽い」曲や、木の上で演奏させたりの仕掛けで、オーケストラを維持していたセオドア・トマス。シカゴ交響楽団設立の際にも軽い曲を求められ「ボストン交響楽団より劣ってもいいのですか」という殺し文句を使った。

「これは効いた!私はあらゆる反対にも関わらず演目の水準を保つことができた。やがて知的で影響力のある少数派はくだらないものを捨て、より大きなスケールの音楽を求めるようになり、残りの人ぴとの音楽世界を向上させた。そしてとうとう私は教養ある観客のために演目を定める決心をした。」

大衆から離れてどうするか、金持ちの寄付に頼るのだ

交響楽やほかの表現芸術を支えるパトロン的王家もパトロン的政府も存在しなかったので、世紀転換期に流布していた規範や精神風土を考えれば、その代わりに資金調達の手段のみならず組織形態の手本としてもパトロン的資本主義が求められたのは当然だっただろう。(略)

新しい組織構造は、アメリカ文化の様相を変えつつあった神聖化のプロセスに非常によく適応したのだった。

イタリアオペラが「安っぽいシチリア歌謡」に格下げされる一方で神格化は進行する

交響楽団の指揮者が果たす役割は、しばしば「神聖な芸術」として言及されるものの遂行と保全と同義になり、彼らの地位は強化された。グスタフ・マーラーのようなヨーロッパ人音楽家はアメリカで指揮者に与えられる権限と名声に驚きを隠せない。一九〇八年、ドイツ人の仲間にボストン交響楽団の指揮者職を受諾するよう説得するにあたり、その地位は「第一級のオーケストラ。無制限の支配権。音楽家がヨーロッパでは得られないような社会的地位。ヨーロッパ人が想像できないほどの学習意欲と感謝の念を持った大衆」をもたらすと、マーラーは主張した。あるクリーヴランドの記者はもっと簡潔に「ボストンでは、オーケストラの主導者は市長よりも重要人物だ」と述べる。そしてもちろん、神聖化のプロセスは作曲家の名声をも高めた。

神聖化により、素人音楽は駄目なものとされる

神聖化はアマチュアとプロの距離も増大させた。この区別の暖昧さは十九世紀の大半を通じてアメリカ音楽の特徴の一つだったが、世紀が終わる頃には差は広がっていた。だんだんと、高度に訓練されたプロだけが、神聖なる芸術の創り手たちの意図を理解して実行に移すための知識や技術、意志を有するのだと主張されるようになっていった。高尚な芸術への欲求は、十九世紀後半にパーラーミュージックの著しい衰退を招いた。

(略)

アマチュアはプロと衡突し、前者の言い回しは徐々にしかし確実に良い意味でなくなっていった。実際のところ、それはほとんど汚名になってしまった。アマチュアの作品、アマチュアのタッチ、単なるアマチュア、アマチュアっぽい、アマチュア芸---これらはすべて異なる表現だが同じ意味を持つ。すなわち駄目な作品ということだ。

まだまだ続くのである

2005-05-18 三島由紀夫が死んだ日 このエントリーを含むブックマーク

さてクイズです、以下の文章はいつ書かれたものでしょう。

現代に於ける文学不安の一原因は、知識階級が芸術的趣味嗜好を失ひつつあることである。一般に知的努カをあまり悦ばなくなってゐる。現代人は知性に於ては相当高度のものを示してゐるが、彼等の知識の受けとり方は安易であり、一時的なものである。知識階級の社会に対する積極的態度の欠乏、時代を追求し自己の指導的役割をはっきり認識せんとする精神の退行現象は尚一層それに拍車をかけるのである。加ふるに個人的生活を脅かす政治的経済的重圧は、現代に於て最も烈しいものと云はねぱならぬ。知識人は毎月夥しく出版される政治上経済上の書籍やバンフレットの間を右往左往し、彼等の神経を喧噪な齷齪した生活のために磨損させて、自己の文学的嗜好を繋ぎとめておくだけの充分な余暇はなく、また芸術的興味を感ずるにはあまりにも疲労し過ぎてゐるのである。

(略)

しかも更にわれわれは読書階級のこのやうに安易な要求が、現代の商業主義と巧みに結びついてしまってゐて益々文学の質を低下せしめてゐるといふ事実を認めぬわけにはゆかない。作家自身が又この商業主義に踊らせられて、自己の芸術的良心を歪めてまでも大衆的興味に迎向せんとし、悪質の誇大広告は氾濫し、文学をして完全に商品化してしまってゐる。一般に商業主義は文学に限らず他の芸術にも悪影響を及ぽしてゐるのである。最近ジャーナリズムによって次々と夥しく喧伝される何々文学といふレッテルのめまぐるしい変遷を眺めてゐても、何とかして社会に対して売り込まんとする商人根性を背後に感じないわけにはゆかない。そして売れる本を書かない作家は、どんどん社会の底に埋れてゆく外はないのである。編輯者は血眼になってベストセラーを産み出す作家を捜し廻る。作家も質の良い作品を書くよりも、少しでも売れさうな本を書くために汲々として机に向ふ。

さして目新しい意見ではありませんが、いつ頃でしょう。1970年?1960年?

1939/4/12の同人誌「荒地」2号に鮎川信夫が書いたものです。

1939年です、ということは鮎川さんは19歳で、このあと戦場に行って古参兵の靴磨きをやったりする羽目になるわけです。ふーん、と頷いたところで


三島由紀夫が死んだ日 あの日何が終わり 何が始まったのか

作者: 中条省平

出版社/メーカー: 実業之日本社

発売日: 2005/04/16

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まあ三島マンセー本なのだからしょうがないけど、編・監修の中条省平を筆頭に

このまま行つたら『日本』はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう

と予言していたのは日本で三島一人だけ!とえらくはしゃいでおります。なんだかね。そう思っていた人間は沢山いたでしょ。ただ切腹しないだけ。それにしても元天才映画少年の中条は「剣」とか観てないように思われます。(1/10の日記参照)

呉智英さんは、普通に分析しています。

私は実務の時代の価値を否定しない。「本気」の志、「本気」のロマンより、実効性のある「実務」こそ、人々を幸福にする。英雄が待ち望まれる時代は不幸な時代である。思想や哲学や純文学が尊敬を集める時代も不幸な時代である。一九七〇年以降、日本は不幸な時代に別れを告げた。英雄はいうまでもなく、思想や哲学や純文学、総じて真面目な「本気」は「実務」の前に膝を屈し、幸福な時代が到来した。切腹など嘲笑されればいいのである。

だが、時代はそうなりきることはなかった。一九九五年、歪んだ醜怪な「本気」が出現した。オウム事件である。三島事件の時、一部の左翼系の人たちは、不気味、醜悪、恐怖という言葉でこれを語った。しかし、本当に不気味で醜悪な恐怖の事件は、三島が「本気」に殉じた後の時代に出現したのであった。

三島自決を知り、1969/10/21「新宿騒乱」の夜を思い出した森山大道。

しかも、累が及ぶことを恐れた新宿の繁華街は、すべての店が明かりを消し、シャッターを下ろしていて、普段の賑わいがウソのように暗くひっそりとしていた。そればかりか、新宿繁華街の市民たちは衝突による騒乱から自分たちの店や生活を守るために自警団を組織しており、彼らがロープを張った路地に学生が逃げ込むと、角材で袋叩きにしていたのだった。

こうした光景を目にした時、ぼくは心底、薄ら寒い「恐怖」を感じたのである。学生たちは新宿の繁華街のお得意さんであり、普段は笑顔で学生たちを歓待しているのに、一旦デモに加わるや、てのひらを返すように平然と自分たちの「敵」として扱ったのだ。本当に恐かった。

もう「敵」が誰なのかがはっきりとは見えない時代になってしまったのだと鮮明に認識した。

ファンレターを出したのが縁で交流が始まった瀬戸内寂聴の1951年の三島描写。本人には悪意全然ないんだろうけど、女性作家ってコワイね。

短い着物の下から毛脛が出ていて、動く度に、膝のあたりまで見えた。白い葱のようにきゃしゃな脚に脛毛が異様なほど濃く黒いのが妙になまなましかった。小柄で貧相な躯つきは、日本のラディゲといわれる天才らしくなく、育ちぞこなったみるからにひ弱な若者という感じだった。ただ濃い眉の下の大きな双眸が、猫の目のように金色に輝いて見えた。そんな人間の眼をはじめて見たので、私は息を呑んで声も出なかった。その顔は異相で、それこそ天才の顔だと、私は一目で電気をかけられたようになった。(略)その日の印象は三島さんの瞳の異相に尽きた。金色の瞳の芯の底まで透明でちろちろ炎が燃えつづけているように見えた。しばらくその目を夢にまで見た。

『英霊の声』を読んだ寂聴は十数年ぶりに手紙を書いた

戦後、これほどあからさまに、裏切った人に対して、憤りをぶちまけた文章があったであろうか。天皇をこれほどあからさまに呪詛した文章を見たことはなかった。

私は三島さんが命を懸ける決心をしたのだと思いぞっとした。

2005-05-17 ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄 このエントリーを含むブックマーク


ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄

作者: 中山康樹

出版社/メーカー: 河出書房新社

発売日: 2005/03/19

| 本 | Amazon.co.jp

『ヴィレッジ・ヴァンガード』のギャラ

1950年代後期から60年代初頭にかけての『ヴィレッジ・ヴァンガード』を例にとれば、出演するミュージシャンのギャラは、よほどの有名ミュージシャンでないかぎり、ひとりあたり10ドルだったという。『ヴィレッジ・ヴァンガード』が例外的に安かったわけではない。どこのクラブも、おそらくはその程度のギャラだった。つまり毎晩3回から4回ステージに立ち、それが終われぱ10ドルをポケットに帰路につく。

レコーディングにおいても状況にさしたる変化はない。一例を挙げるなら、エヴァンスが参加したマイルス・デイヴィスの『カインド・オプ・プルー』で支払われたギャラは、次のようなものだった(同作は2日間にわたって録音されたが、以下は初日分にのみ支払われたギャラであり、支払額はミュージシャンズ・ユニオンの規定に基づく)。リーダーであるマイルスが129ドル36セント。キャノンボール・アダレイ、ジョン・コルトレーン、ウイントン・ケリー、エヴァンスの4人が一律64ドル67セント。ポール・チェンバースとジミー・コブが、それぞれ楽器の運搬費用として2ドル上乗せされて66ドル67セントとなっている。

とにもかくにもこれが現実であり、そういう時代でもあった。

ポートレイト・イン・ジャズの場合

録音に費やされたのは、当時の多くのジャズのセッションがそうであったように、わずか数時間。エヴァンス、ラファロ、モチアンの3人は、おそらくは3人で250ドル程度のギャラを手にスタジオをあとにしたものと思われる。

「1961/6/25」のメモ

エヴァンス・トリオのドラマー、ポール・モチアンは"メモ魔"として知られる。(略)

その"メモ”によれば、エヴァンス・トリオが『ヴィレッジ・ヴァンガード』でライヴ・レコーディングを行なった「6月25日」にモチアンに支払われた報酬は、5セット分の演奏料が110ドル、ライヴ・レコーディングに対するギャラが136ドルとなっている。なお後者には、アルバム1枚分としての報酬も含まれている(後述する理由から、2枚目のライヴ・アルバムが発売される際には、律儀にも"ボーナス"という名目で新たに107ドル支払われている)。

なおエヴァンスとラファロが受け取った当日のギャラは不明だが、おそらくはエヴァンスにはリーダーということからモチアンの倍額、ラファロにはモチアンと同額が支払われたものとみられる。

2005-05-16

[]タイガー&ドラゴン「厩火事」 タイガー&ドラゴン「厩火事」を含むブックマーク

一番凄いのは落語と同じ落ちだけれども意味が違うとこ。最後の漫才の遣り取りで清水ミチコが死ぬことに古田新太は気付いているわけで、そこでお前が死んだら酒が飲めないと言うことは、もう飲めない、酒を止めると宣言しているわけだ(さらにラストでは芸人としても再生した姿が描かれる)。

そういう答えを引き出したのは清水ミチコの視点の変化で、夫婦漫才とは愛情があればあるほど突っ込めるもの(なるほど、序盤の夫婦漫才でのツッコミが甘かったのはネタフリなのか)なのだから、ガンの私を本気で突っ込めなければならないし、さら先をいけば、死んでいく私がすべきことは、亭主のホントウの愛情を知ることではなく、亭主に何かを伝えるべきなのではないだろうか。首を吊った母親の「堪忍ニン」を笑いに変えているアンタじゃないの、私の死も笑いに変えてみなさいよと。

そもそも「厩火事」という話は夫婦の間のことは一方の気持ちだけでは判断できないと言っているわけで、亭主のホントの気持ちは亭主だけで決められないのである。女房がツンツンしていれば、亭主も面白くないし、女房がリコンだと思えば、亭主もリコンなのである。亭主の気持ちを測定しようとするお前の態度が観測結果に影響を与えてるんだよ、ドンドンドーン。であるからして、知ろうとするより、知らせるべきであり、そこに答えがあるのだ。ホントの気持ちを知りたいなんていうとバカな毛唐は「きるびる」なんてつくって、散々エラソーにやっておいて最後は自白剤なんかプシュッと射っちゃって、しゃべれとか言っちゃって、ほんとアホかと、落語の大人な発想とは大違い。

シンミリする話なので、前回と比べると間延びしてるなあと思いつつ、最後までくると謎が残ってソコソコの出来でも結局色々と考えてしまう「タイガー&ドラゴン」なのであった。

  • 厩火事のオチを聞いた長瀬がわからないとつぶやくところ

これはクドカンが落語の落ちでは納得できなくて、それでドラマでは別の意味になるようにしたことを示しているのか

  • 最後に師匠が長瀬に「唐土」だと言ったこと。

単に賞賛なのか?それとも単にハッピーエンドの方を指しているのか?

そんなことより、この一週間 そんなことより、この一週間を含むブックマーク

田んぼを眺めていたよ。胃が痛いなあと思っているうちに、動悸がひどくなって、やばい。水面の波紋とか、よくわからない赤茶のミジンコがわらわら動いてるのとか、ムニョムニョ泥で蠢いているのとか、アメンボとかを眺めてしのぎました。大丈夫か、オレ。

2005-05-10 読むのが怖い! 2000年代のエンタメ本200冊徹底ガイド

[]『タイガー&ドラゴン』権助提灯 『タイガー&ドラゴン』権助提灯を含むブックマーク

何が衝撃って、ひとつで十分だと言う権助が、ドラマでは長瀬・岡田・塚本の三人に増殖してしまうこと。これねー、難しい話が得意な人がやったらエラソーに語れそうで、他にもなんだかんだ、「毎晩、ジリッ、ジリッ、しながら」考えてしまって、

寝不足よっ!!(猫背椿のテンションで)

ただ余裕があるから可能だからという理由でひとつをふたつにすると「選択する」という問題が生じてくる。ひとつで満足できなかったから、ふたつにしたんでしょ、と妾が主張すれば、本妻は激怒なのである。それでは作法の基準(もののしめし)がつかないのである。オリジナルとコピー、金=貨幣と紙幣、二つの間を延々往復するうちに、自分のやってることの意味を自分で決定できなくなって、傍から見れば自分の意図しないことをやっていることになって、後は夜が明けてゲームオーバーになるしかないのである(てなことを長々書いてみようかと思って三回観ちゃった『タイガー&ドラゴン』、結局挫折、そんな能力ないわよっ!)


読むのが怖い! 2000年代のエンタメ本200冊徹底ガイド

作者: 北上次郎,大森望

出版社/メーカー: ロッキング・オン

発売日: 2005/03/31

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小説に興味がないのに、新刊の棚にあったので、つい借りてしまいました。書評の部分はテキトーに流して、二人のちがいを楽しんでみました。

二谷友里恵の文章が素人にしては筆力があると北上が言ったところから、いやいやそれは昔から言われてて、郷の『ダディ』と照らし合わせて事実関係を確認すると面白いのですよとワイドショー的スタンスの大森に。

北上 (略)だから本の中で著者本人のいやらしさをどう隠蔽してるかなんていうのは関係ねえよ。

大森 いや、隠蔽してるんじゃなくて、特異な人間性が滲み出てるっていう意味ですばらしいんですよ。

カンタン書評

大森 (略)僕、書評を書きあぐねて困ったときは、ネットで検索して素人の書評を山ほど読むんです(笑)。(略)

[自分で読んだ方が早いじゃないという突っ込みに]

もちろん読みますよ。読んだあとで、じゃあ女性はどう読むか、今の学生はどう読むか、そういうことをネット上で確かめる。

北上 君、そんなことやってるの?

大森 いつもじゃないですけどね。

北上 偉いねえ、俺そんなの全然気にしないよ。他の人がどう読んでるかなんて。

司会渋谷陽一。小説の中でZEPが使われて

  • 北上さんはレッド・ツェッペリンなんかどうでもいいんでしょうけどね。

北上 なあに、それ?

大森 (爆笑)

  • ほんとにご存じないんですか?

北上 知らないよ。なんか関係あるの?

で、大量に紹介されている中、一冊だけ借りてみようと思ったのがコレ。ジャケとタイトルのインパクトで。orz。


蹴りたい田中 (ハヤカワ文庫 JA)

作者: 田中啓文

出版社/メーカー: 早川書房

発売日: 2004/06/10

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2005-05-09 橋川文三、啄木と大逆事件 このエントリーを含むブックマーク


橋川文三著作集〈3〉明治人とその時代・西郷隆盛・乃木伝説の思想

作者: 橋川文三

出版社/メーカー: 筑摩書房

発売日: 2000/12

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悲しい未来戦記

日本近代史上、未来戦記が数多く出版された一つのピークは、大正末年から昭和初年、すなわちワシントン会議の時期であろうが、それ以前では、明治末年-大正初期の時期がそうである。(略)

というのも、それらがほとんどすべて、日本の敗北と列強による分割におわっているということである。(略)

いずれも迫真的なディテールを含んでいる。人名・地名・日時が克明にあげられ、艦隊戦闘の航跡図までそえられたきわめてリアリスティクなものがほとんどである。日露戦争の記憶のうすれていない当時の読者は、おそらく手に汗にぎって読んだことであろうと思われる。そのことは、それらの古本の中に「今ニ見ロ!!腰抜ケ!!」「馬鹿ヲ言フナ!」「バカバカバカ!!」などという興奮した文字が書きこまれていることによっても想像される。(略)

[日本艦隊は全滅し]日本の沿岸都市はロシア艦隊の砲撃によって灰燼となり、ついに日本はロシアに屈服するという筋書である。

おそらくそれは、日本の軍事指導者が最悪の場合として想像したところとあまりちがわなかったと思われる。

(略)

こうした五十年前の未来戦記を見ていると、明治末年の日本人の苦悩・不安・危機感が悲しいほど胸にせまってくる。それらは、大体が日本国民の志気の頽廃を憂え、尚武の精神、軍備の拡張をアピールしたものではあるが、不思議に読後の感じは好戦的なものではなく、むしろいじらしいほどの悲哀感である。太平洋戦前の想い上がった姿勢は全く見られない。日露戦勝後のいわゆる「勝利の悲哀」と「時代閉塞」感が、一種の終末観の色調をたたえてそれらの戦記ものに投翳している。

日露戦争後はオウムの時代。新興宗教乱立、千里眼などのオカルトブーム、官能的刹那主義が流行。

すでに明治国家には昔日の権威は失われていた。維新以来培養増殖されてきた藩閥勢力と、その庇護下に養成された官僚勢力によって操縦されることに国民はすでに厭きていた。(略)とくに伊藤博文が暗殺されて以後(明治四十二年)、国家権力の中枢部分の機能不全は目立つようになった。そしてそれを象徴するような事件が明治四十三年の大逆事件のフレーム・アップであったといえなくもない。それは無政府共産の幻影に病的にまで怯え上がった国家権力側の過剰防衛であったとみなしてよいからである。

このような国家権力の威信が後退するにつれて、国民の側はそれに代替するなんらかの精神的よりどころを本能的に求めはじめる。(略)

岡田虎二郎の静座法の流行などはその一例にすぎないが、一般に日露戦争後になると、「宗教的欲求の時代」(石川啄木)とよばれたくらいにさまざまな宗教的・半宗教的な模索が氾濫した。

時代の流れはわかっているのに、その先を行ってしまってフマジメと言われてしまう啄木。そりゃ高橋源一郎が共感するはずだ。

啄木は自然主義が明治の思想と文学の流れの必然的な傾向であり、しかももっとも正当な「哲学」のあらわれであることをハッキリと見きわめていた。しかし、彼は日本のその自然主義に何かある種の不徹底と欺瞞が内在することを早くから感じとってもいた。のちに「時代閉塞の現状」において彼の自然主義批判はみごとに結実することになるが、しかしそれまでの期間、啄木が小説によって進出しようと企画していたのはまさにそのような自然主義の支配する文壇であった。いわば啄木は、ある特殊な歪みをおびたまま、一世を風靡している自然主義の世界に、幾分不用意にとびこもうとしたものといえるかもしれない。上京して一ヶ月余りの間、彼の書いた五つの作品(凡そ三百枚)のいずれもが出版社から空しく逆戻りしなけれぱならなかったのは、その作風が当時の文壇と読者の嗜好に合わなかったためであり、いいかえればその作風が日本的自然主義のかんどころからはずれ、その意味で真剣でないと見なされたからであった。彼の頭脳の明敏さがここではかえって失敗の原因となった、ともいえそうである。

金田一の労で初めて新聞に小説が載り原稿料が入る。

「大晦日にその原稿料が一度にどっさり懐へころがって来た時に、凡そ石川君生れて始めて自分の収入で自分の負債を支払ったのである。その時の石川君、自分で驚いた顔付をして、

『借金というものは返せるものなんだなあ!ハハハハハ…』

この奇抜な発見に、吊込まれて私も一緒にアハハハハと笑ったが、折り返して、少し仰向きながら、

『借金を返すということは、良い気持なものだなあ!』

と云った。立続けに二つの発見をしたのである。・・・私は覚えず笑を収めて闇然としたのであった。」

理論とは別に自然主義的暴露が啄木のスタイルではなかった

わいせつな話をしてもわいせつな人間ではなかったということであり、それは啄木の全体の印象からしてもうなずかれることである。与謝野晶子のいう「犯し難い気品」をそなえた「貴族趣味の人」という啄木の印象は、決して彼の気どりや擬態ではなかった。(略)

当時の自然主義的風潮に影響され、官能主義の頽廃におちいったとみられるある青年の短歌作品に対して、「女郎買の歌」という短評で痛烈な批評を加えたことはかなり有名な話である。

当時糜爛した官能的耽溺を小説や詩歌に表現することをもっとも近代的な芸術家のしるしとみなすような風潮があったのを、啄木は「こういう自滅的、頽唐的たる不健全な傾向」として冷酷に批判し、短い文章ではあるがたんなる嘲笑・罵倒とは思えぬ気魄をこめてこれを排斥している。

(略)

ローマ字日記のショッキングな部分は(略)「女郎買い」経験を赤裸々に記したところである。その描き方は時として、一種酸鼻の印象をひきおこすほどにろこつであるが、にもかかわらずその文章は、不思議と底光りのする名文となっている。つまり、啄木は、そういう夜をすごしたのち、あの「女郎買の歌」の作者のように、ものほしげにデカダンをてらう三十一文字をならべたりは決してしないであろうことがわかるような性質の名文である。

啄木が自然主義批判をつきぬけた時期に大逆事件が

すべて自然主義とその派生体としての耽美主義と、そしてそれらをもっとも鋭敏な近代の「文学」とみなすものたちへの批判であり、反面では「私はもう、益のない自己の解剖と批評にはつくづくと飽きて了った。それだけ私の考えは、実際上の問題に頭を下げて了った。----若しも言うならば、何時しか私は、自分自身の問題を何処までも机の上で取扱って行こうとする時代の傾向---知識ある人達の歩いている道から、一人離れて了った」という孤独感の表白でもあった。

2005-05-08 1966年のオバQ このエントリーを含むブックマーク

鮎川信夫が1966年に「週刊読売」で連載したゆるめの時評。なんとなく面白いので長めに。40年前の話ですから。

友人がまるで高城剛で笑える

夜おそく友人の家をたずねると、部屋のすみに見慣れない長方形の箱が立っていた。

「なんだね、これ」と聞くと

「空気清浄器だ」との答え。

友人は、新しく買い入れた機械が得意らしく、その効能について、いろいろ説明してくれた。部屋の空気を浄化して、人体によいマイナス・イオンを出すとか、塵挨でフィルターが一日で真っ黒になっているとか。空気のよごれている都心では、自衛のために必要な、いかにもたのもしい武器と受け取れた。

「これには葉緑素の添加剤がついていてね。どうだ、いいにおいがするだろ」

そういえぱ、なんだか安歯ミガキみたいなにおいがかすかにする、と思っていると

「だから、深い森のなかにいるのと同じなんだよ」

と、友人は満足そうにたたみかけてきた。ふむ、ふむとうなずきながら、しぱらく健康についての談話をひとしきり。友人も私も、盛んにたばこをふかすが、深い森のなかにいるせいか、煙がこもらないようだ。

(略)

どうやら、彼の健康法は、即席の深い森のなかにいて、ニコチン抜きのたばこをすい、栄養剤をたっぷりのむということにつきるらしい。

「どう、きくかね」と栄養剤のビンをとってたずねてみると

「さあ、どうかなあ」と、さきほどの空気清浄器の場合とはうって変わって、自信のなさそうな声を出した。

子供がオバQのテレビを見せろとうるさいとこぼす友人。

「マンガは子供ばかりじゃない、近ごろでは、おとなもよく見ているらしいよ。いまや、大衆芸術のチャンピオンだ」と、私はポップ・アート(大衆芸術)に関する「ニューズウィーク」の記事を読んだぱかりだったので、そのことを思い浮かべながらいった。(略)

現代は大衆の時代であるから、大衆の支持は絶対である。音楽も、絵画も、文学も、大衆の支持がゼロではどうしようもないだろう。そのかわり、大衆の支持さえあれぱ、だれがなんといおうと、けっこう栄えていけるのである。

(略)

「どこがおもしろいのかなあ」と友人は、オバQの本を手にとっていった。「グロテスクじゃないか」

自分の健康に関する新しい薬品とか器具には異常に興味をいだいているくせに、オバQの新奇性にはさっぱり関心がないらしい。

「オバQもポップ・アートの一種だから、やはり大衆の要求にこたえるなにかがあるんだろう」というと「ポップはきらいだ」という返事。芸術に関してはどちらかといえぱ貴族趣味の男だからしかたがない。

(略)

大きな組織のなかに住んで、個人の無カ感に悩まされがちな大衆にとっては、なんの不安もなく、好ききらいの選択ができ、一時的な慰めを与えてくれるポップ・アートのほうが、重苦しいほんものの芸術よりも実用的な意味でありがたいわけだ。

子供と遊ぶポップなおばけ

「このオバケ、子供と遊んでるじゃないか」と、しぱらく本をながめていた友人がいった。

「子供と付き合える民主的なオバケなんだ」

現代ではあらゆるものが消費生活と結びつき、商業主義と結託している。オバケだって、過去の重苦しいイメージから脱却し、おおいに民主化され、大衆のアイドルとなり、商業主義に奉仕する存在にたったとしても、あやしむに足りない。

「オバQはいつまでつづくと思う?」と私。

「さあ、テレピがやっているうちはつづくだろうな」と友人。

「はやらなくなったら、テレピはやめるだろう」

「どっちが先かな。テレピがやめるのが先か、はやらなくなるのが先か。まあ、同時だろう」

「オバQが引っ込んでも、また、違ったオバケが登場するよ。ポップはみんなオバケみたいなものだからね」

「子供がうるさくて、かなわないよ」

2005-05-07 堤清二の見た三島、吉田健一 このエントリーを含むブックマーク


辻井喬コレクション 8 (辻井喬コレクション【全8巻】)

作者: 辻井喬

出版社/メーカー: 河出書房新社

発売日: 2004/01/25

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三島由紀夫、死の当日。

その日私は三島さんに電話をする予定だった。それは巣鴨にあった東京拘置所が民間に払いさげになり、戦犯が処刑された絞首台などがそのままに引渡されたので、その廃墟を使って、ロック・フェスティバルを演ろうという相談の電話だった。

異常な通夜。

考えてみれば、彼ほど著名な作家の死の晩に、いわゆる文士がほんとうに一名も顔を見せていないというのも異例である。(略)

聞けば警察の家宅捜索があるらしいという。通夜の客は動揺した。私の隣に坐っていた出版社の社長さんが、「どうしよう、ああ、どうしよう」と著しく落着をなくして中腰になり、押入れに眼をやり、玄関の方角をふり返った。今にも警官隊が踏み込んで来はしまいかと恐れているようであり、その際かくれる場所を探しているふうであった。

「いいじゃないですか、捜索させておけば、まあ坐ってなさいよ」と言っても、

「いや、そうはいかない、そんな簡単なことじゃない」

と、相変わらずうろうろしている。

一ヶ月前に警察幹部に会ったときに、楯の会の動きがおかしいと言われ、あれは三島美学の実験室のようなものだと反論したことを思い返す著者。

あの制服はセゾンで調達ですからあ、切腹。

「どうしてこういうことになったのかなあ、わたしにはどうしても分からない。誰か納得のいくように話してくれませんか」

と父親である平岡梓さんが炬燵に入ってきて、私の方を見ながら話し出した。

(略)

「----さん、あんたのところで、あんなスマートな服を作るからいかんよ」

突然そう言うと、平岡氏は掌で顔をくしゃくしゃになるほどこすって首を振った。

たしかに、楯の会の制服を作ったのは私の所属する会社だった。デザインは三島さんが自分で便箋に書いて店に持ってきた。帽子の庇のせり上っている角度、記章、襟章、肩に入れるパッドの具合、ボタンとボタンの穴がついている生地の部分にモールを入れるかどうか、そして勿論、生地の色と品質についても厳密な指示があリ、見本を幾種類も揃えさせて吟味する、といった熱心さだった。

後を継ぐ気がさらさらない健一の悪口を言う政治ゴロ

吉田健一さんのことを私はいつもある種の辛い感情のなかで思い出す。

私にむかって彼の名前をはじめて口にしたのは、政治専門の某雑誌社の社長だった。

「先生は偉いけど、息子はどうしようもないよ、頭がおかしいんじゃないかな」と、その男はあしざまに語った。当時は吉田内閣の終りの頃で、私は衆議院議長の秘書として毎日国会につめていた。

(略)

その頃、私はまだ吉田健一さんに会っていなかった。ただ、政界の権威を認めない一人の人間が、はっきり存在していると知って心強かった。私自身、政治に主体的関心はなく、詩を書き出していた頃で、秘書室でこっそりランボーとかエリュアールを読んでいた。これは余談だが、ある日私は読みさしの詩集を読売新聞の政治部記者に見付けられ、「君、どうしてこんなもの読んでいるんだ」と言われてあわてた。私は暖昧な言い訳でその場を誤魔化したが、その記者が荒地の詩人、中桐雅夫だった。

吉田茂の息子と堤康次郎の息子

吉田健一さんに関する私の辛い感情とは、他の分野の人に対する徹底した蔑みの風習のことだ。ことに世俗的に恵まれている職種とされている政界と産業界の人間の態度にそれが際立っている。

しかも蔑みが一番深くなる部分こそ、他の分野の人々が存立している根幹の精神なのだというところに、私は、どうにもならない亀裂のようなものを見ない訳にゆかず、吉田さんはその亀裂を全身に浴びて生きた人だったという点で辛いのである。

なんか、こういうの泣けるね

その日、市ヶ谷のお宅まで送って行くと、吉田さんは上機嫌で、道の真中に立ちはだかって交通整理の巡査の真似をするのでハラハラした。

左手を垂直にあげ、右手を水平に伸ばして号令をかけるポーズが、私が見た吉田さんの最後の元気な姿になった。だから、老人にしか分らない楽しみがどんなものかを、私はとうとう教わらなかった。

東大在籍中に新日本文学の編集部員として武田泰淳のところへ原稿を取りに行って見た少女が武田百合子

実は、二階に招じいれられた時から気になっていたのだが、武田さんの隣にルノワールの絵を想起させるような少女が座っていて、しかも彼女は、もう産み月なのではないか、と思われるようなお腹をしていた。時々、団扇を使って私達の応答を眺めていたが、武田さんが困ったようにふり返ったのを受けて、

「書いて、さしあげたら」

という意味のことを言ってくれた。

こう書いていると、今でもその時の情景が浮んでくるのだが、その時武田さんの顔に、(そうか、お前がそう言うなら)という表情が動いた。暖かい、彼女を労る気持に彩られた眼差しだった。武田さんは半ば無意識に彼女のその言葉を待っていたのかもしれないと、今になって私は思う。

西武王国にこんな時代があったのか。清二は1927年生まれ。

その数年前、小学校に入った最初の冬、私達は湯ヶ原で正月を迎えたことがある。その頃、父は奥湯ヶ原から箱根に抜ける道路を建設していた。山峡の、すでに整地された分譲用地に飯場が作られ、工事を担当した施行会社の飯場小屋が掛っていた。まだ不景気の余韻が残っていて、父の会社は年末も大晦日になって辛うじて工事代金を工面したような有様であった。

軽井沢のジョン・ケージ

美術館のオープニングの夜、軽井沢に泊まったケージは、翌朝、宿舎の庭にいろいろな種類の茸が生えているのを喜び、さっそく庭に出て食べられる茸だけを摘んで自ら調理し、武満や一柳達にすすめたという。かつてイタリアのテレビ局のクイズ番組に出演し、茸に関する質問に答えて賞金六〇〇〇ドルを獲得した実績を持つケージにとって、食用と有毒の茸を見分けるのは容易なことであったのだろう。

私はいっぱいに露を含んだ朝の庭に降り立つケージや現代音楽の創造者達の一群の姿を想像した。白樺やうばめ柏、春楡などの落葉樹の林を背景にした緑の庭を思い浮べると、私の空想の空間には、五角形の芝生へ樹々の枝から次々に降りてくる小鳥の姿に触発された光景が見えてくるのであった。

2005-05-06 1984年の鮎川信夫 このエントリーを含むブックマーク


時評 (鮎川信夫全集)

作者: 鮎川信夫

出版社/メーカー: 思潮社

発売日: 1994/07

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浅田彰を否定しつつ共感。

しかし、彼の逃走の倫理が現実において何をもたらすかといえば、政治的にはせいぜい少しぱかり浮動票をふやすことにしかならないのではないか。経済的にいえぱ資本主義的生産過程への参加を否定しているのだから、もっぱら消費者の立場である。要するに、「使ってしまえ」「蕩尽しろ」ということにすぎない。

この考えは特に新しいというわけではない。たとえば遊んでいる金持ちは音からこのような論理を持っていた。へたなコミットをするな、本音をはくな、ということはたえず自分を留保し、モラトリアム人間になれ、ということである。そして、ひたすら消費していればいいというのだから、日本のプチブルもずいぶん結構な身分になったものである。

だが、僕にはある意味では共感できるところがある。僕もかつては、かなりひどいモラトリアム人間だったという意識があるからである。コミットはするけれども自分を無にするまで何かに賭けるということはしなかった。今だって、自分の考えていることの全てを語っているとは少しも思えない。

僕は戦前に「囲繞地」という散文を書いたことがある。いくつか項目をたててフラグメンタルに書いたのだが、そこに余白という項目をいれた。その部分は論文調だがかなりオートマティックに書いたもので、論じている当のこととは別にそういう部分があるということがいいたかった。その時の心情は、時代の空気に同調しえないというか、かなりモラトリアム的なもので、曖昧なかたちででもマージナルな部分を少しでも余計に確保したかった。浅田彰の方が洗練されているが、その時と近いものを感じるので、心情的には理解できる。ただ、構造主義のわくから出ていないのがもの足りない。今月の「ヴァニティ・フェア」にミシェル・フーコーのインタビューが載っていたが、やはり洗練度ではフーコーにとてもかなわない気がする。

「コミットするな、システムは自然にこわれる」という考えは、二歩後退である。(略)一度も持ったことのない「主体性」を早々と放棄して、どうして長い人生の時間に耐えていくつもりなのか。

現代詩が散文化して、マスカルチャーが「詩的」で、逆に先鋭的な現代詩は(貶しているのではなく)バカっぽくなる。

今日では常語や散文の中に詩がある、マンガの中にも詩がある、というように詩は遍在的なものとして捉えられるようになってきた。そうなると広告コピーの中に詩がありすぎるなどといってもあまりおかしくない、ということにもなってくる。

だから一方で、いわゆる詩として書かれたものが、たしかに詩だけれどもアホくさい、ということになってきた。ねじめ正一の詩は、どこにも昔の概念でいう詩的なものはない。だけど面白い。かといって散文でもない。散文としてのロジックは貫徹されていないし、描写も散文的とはいえない。結局、言葉でつくられた、気泡を生じさせるある種の物理装置みたいである。その意味では非常に不気味なものをつくっている(略)

瀬尾育生『らん・らん・らん』から引用

しかもわたしのように情況の推移に敏感な詩人のばあい、一行書いては、あっこれはいかにも六〇年代的だ!とか、もう一行書いては、むむ、これはせいぜい七〇年代前半までだ!また一行書いては、うーっ、これは今年の五月でおわリだ!というようなことをびんびん感じてしまって、とてもばかぱかしくてやってられないわけです。(「言語逃走症侯群Sさんの場合・症例篇」)

親友の吉本隆明は、空虚ではあるが「停滞」より「解体」がましと諦めつつ言い、鮎川もそう理解はしているけれど釈然としてなくて、父権を知らずに、その空虚で開き直ってる奴に怒る

「読書新聞」の渡部直己による『マス・イメージ論』の批評の最後に、「もうわれわれはまさに大事ナコトは何も知らない」とある。「何も知らない」ということで開き直っているわけである。このように言えるだけ、今の社会はゆるゆるにゆるんできたということだ。ゆるんだといっても何かの権威や規範と深刻な戦いをした緊張が解けてそうなったのではない。結果としてそうなってしまったのである。だが「大事ナコトは何も知らない」といってしまえるようにゆるんでいる状態がこのまま続くとは限らない。

江藤は古典を麻薬として使用

江藤淳も藤井貞和も古典の知識を利用しているが、江藤の場合、悪くいえば自分自身をあざむくようにしか使われていない。「裏声文学と地声文学」の終りの部分で、古今集の仮名序の冒頭を引用するくだりなぞは、内ボケットから麻薬をとり出して嗅ぐようなあんぱいである。ところが藤井の場合だと、古語が非常に自由に高度な技術で現在の問題にうまくタッチするように使われている。普通は古語を文学的にとり入れようとすると現在からの逃避になってしまう。江藤の場合でさえ、現代文学を批判し、宣長の「やすらかにたけ高く、のびらかなるすがた」が、現代文学に欠けていることを嘆息して、現代文学を否認するためにしか使われていないのである。自分自身の神経をしずめるために古典の文句を使っても、それはただそれだけのことで、現代の緊要な課題に肉迫しているとは言えないのではないだろうか。宣長の言葉で現代を裁断できるなんて夢のまた夢であると思う。

バロウズ訳者はドラッグいらず。元々ハイなのか、全然効かなくて、昂揚陶酔とは無縁とのこと。

しかし、どういうものか、麻薬患者とは昔から縁が深いようなところがあった、すぐ隣りには麻薬患者がいて、それが少しも不自然ではないというような時期が、これまでの生涯にちょくちょく現れている。もしかしたら、私自身が麻薬をやらない麻薬患者みたいな者だったのかもしれない。

2005-05-05

[]「ほぼ日」のタイガー&ドラゴン 「ほぼ日」のタイガー&ドラゴンを含むブックマーク

4/30に「タイガー&ドラゴン」について書いた勢いで普段見ない「ほぼ日」の『第三回・「茶の湯」を観て』を読んでしまった。

少なくとも落語については、

誰が認めようと認めまいと、

「オレはこれがいいと思う」

というのがあるんですよ。

でも、BOSSの仕事に関しては、

「誰かが認めている」というのが

自分がいいと思う理由になるんですよ。

「人がいいと思うものがいいんだよ」

という理屈なんです。

「(例)落語がくるから、自分は興味がないけど落語ドラマをつくらなきゃならなくてツライ」、「大衆の価値判断を自分の判断基準にしなきゃいけないからツライ」、そこんとこのBOSSのツラさをわかってと糸井さんは言うのだが、クリエイターだって同じじゃないだろうか。つまりBOSSの入り口は「人がいいと思うもの」で、そこから自分なりのやり方を通っていく。アイツとアイツを組み合わせたらとかなんとか、それは表現者と同じ行為だ。逆に優秀な表現者やマスカルチャーの表現者なら「自分がいいと思う」ところから入って、「人にいいと思ってもらえる」方に行くはずで、BOSSと表現者は同じ場所で出会うはずなのだが。まあ自分の創作欲が始点なのと、漠然とした他人の欲望が始点なのでは、テンションはちがうのかもしれないけど。

浅草の客は芸に対するそれなりの眼がある、原宿の客は付和雷同のとらえどころのない存在であると糸井さんは言いたがっているようなのだが、そうかなあ。ちょっと、馬鹿にしすぎてるんじゃないだろうか。まあ、確かに、奴等の目は節穴ですけど、やっぱり馬鹿でもないと思う。

  • BOSS片岡の描き方が甘い

というのはあのドラマの空気圧がそういうものなのだからしょうがないのじゃないだろうか。竜二の服がダサイのと一緒なのである。その下の方で4/30に書いたような、創造の葛藤があるはずなわけで。そんなこと言い出したら、竜二達が「BOSS片岡、だせえ。いくら儲かっても、あいつとコラボはありえねえ」と騒いでるところにBOSS登場、コラボ話が持ち上がりという展開の方が自然は自然になるが、やっぱりドラマの空気圧というかテンポとしてはBOSS片岡だよおお、と馬鹿っぽくテンションがあがって行って、終わりで「今の若い子も案外古風に悩むんだ」といくのが流れじゃなかろうか。

「こっちは必死なんだよ!」

って言ってる人のなかに、

ろくでもないやつだって

たくさん混じってるんですよ。

これはね、「負け組」の人間には思いも付かない視点だ...orz。

ただ正確に言えば「ろくでもないか」かは結局わからないはずで、この文脈での「ろくでもない」と言ってる時の糸井重里は、世間判断に従ってしぶしぶ「ろくでもない」と言ってるんじゃなく、糸井自身の基準で判断してるんじゃないだろうか。文学的基準からすれば、「セカ宙」作家は「ろくでもない」が、BOSS的基準でいうとどうなるのだ、売れるまでは「ろくでもなかった」が、売れる少し前から「キタ」のか。上の文章の基準なら未来永劫「ろくでもない」という烙印を押すような気がするが。

そもそも当人が自覚しているように、「ほぼ日テレビガイド」自体が「茶の湯」状態、しかもタチの悪い。アカデミックな「茶の湯」なら、もう誰もついてきてないのに難解用語を振り回して明確に滑稽だけれど、用語の習熟度によるランク分けが明確な分なある意味健全だ。「ほぼ日」の場合、わかりやすい言葉で「ウチは型はないから、あえて言えば、鋭い感性?みたいな」と一見ざっくばらんなとこが逆に不健全つうか。

  • 実は一番ドキっとした場面は

ジャンプ亭ジャンプが「勉強する気の無い奴には教えられない」と引導を渡されるとこ。「お世話になりました」と声を震わせるジャンプに、松尾スズキにキャイン言わされてるクドカンを見ましたよ(確か文春の阿川対談だかで、どう?といわれて、どっちでもとか答えて、結局一年後に入団みたいな話があった)。なんか内田センセイなら、情報でしか学んでいない落語オタクが他者に出会った瞬間とかなんとか熱く語りそう(12/13を読め)。

実は今日のテーマとかぶることを前々から書こうと思っていたので、明日書けたら書く。

2005-05-04 鮎川信夫の鶴見批判、アメリカ考 このエントリーを含むブックマーク


時評 (鮎川信夫全集)

作者: 鮎川信夫

出版社/メーカー: 思潮社

発売日: 1994/07

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鶴見俊輔ばかりつづいたので、ここらで鮎川信夫の鶴見批判を。鮎川さんは保守ではないが、戦後民主主義批判とかは保守厨房の方々もニンマリではなかろうかと、陰気な本ばかり読まずにどうですかと、ナゼ奴等の心配をする。

  • 「進歩主義者の限界」1969年12月

「戦争中個人的良心を守ることのみに専念して、祖国の破滅を傍観した」という家永三郎や「それさえしなかった」という鶴見に対し、誰にとっても「祖国の破滅」は救えなかったのだから

「あやまり」でも何でもないことに、「あやまりを犯した」などと言っても、誰も咎めはしないし、本人だって、言っていることは大袈裟でも、それほど良心に痛みを感じているわけではあるまい。このような発言を平気でするのは、戦争期のことが体験としては全く抜け落ちてしまって、戦争がもはや概念(それも間違った概念)としてしか頭の中に残っていないことを示している。そして、過剰なまでの良心的ポーズをとることによって、すっかり自己陶酔に陥ってしまっているのである。これを良心の声と見誤るとしたら、それは未熟者か、未経験者か、それともよほどの阿呆にかぎるであろう。

しかし、「なぜ、徴兵令状なんか破って棄てちまわなかったんですか?」などと真顔で質問したりする青年に出くわした場合、私は、「きみなんか、戦争期だったら、さしずめ特攻隊志願のくちだよ」と答えることにしているが、相手はただキョトンとするだけで、たちまちコミュニケーション不能に陥るといったことが度重なると、家永教授のような偽善的良心をもった学者に、つい文句の一つも言ってみたくなるというものである。

「四十以上の教師には、反戦のために努力していれば、生き残っていないはずだ」と言ってやれという鶴見に対し

鶴見教授の言に至っては家永教授の言を上まわる全くのナンセンスで、四十を過ぎてよくこんな幼稚園的な人物がいたものだと呆れざるをえない。「あの戦争に生き残った」のは、主として単に運、不運によるものであり、もちろんそのチャンスが公平であったとはいえないにしても、支配層に属する人間であろうと被支配層に属する大衆であろうと、日本人であるかぎり、ひとしく死に直面して毎日暮していたはずである。「生き残った奴にろくな奴いるわけない」というのは、死んだからいい奴だというのと同様、非論理的な全くの暴言であろう。「反戦のために努力していれば死んでいるんだ」という屁理窟を、その理由として挙げているが、これまた戦争体験から血肉を流出させてしまった者のみに可能な、一種の大言壮語というべきである。個人が単独で、または複数で「反戦のために努力」しようが、しまいが、あの戦争は起ったであろうし、「祖国の破減」は免れ難かったであろう。反戦運動をやって、そのために誰かが死のうと死ぬまいと、国家の運命とは何のかかわりもなかったにちがいない。それでも死ぬのが正しいというのなら、「どうぞ」というほかはないが、死ぬとはこれまた大袈裟で、鶴見教授だったら「反戦」のために大した努力もしないうちに癲狂院くらいには入れられたであろう。

表で失敗したから、裏でいこうという程度のものでしかなく、今はそれでいいけど、一皮めくるとどうなるかわからんよ、と鮎川。

もちろん、状況としての現在にどのようなイリュージョンを抱いていようと、それは各人の勝手である。しかし鶴見教授のようにそれを倫理的な意志にまで染色させ、情緒的に昂進させるとなると、戦前の軍国主義者のように仮想敵をせい一ぱい悪者に仕立て上げざるをえないようになる。日本浪曼派よりもさらに悪質だなと思われる点は、鶴見教授たちには生かじりの知識があって、無知な大衆を欺くことである。大衆の遅れた「部分」を、あたかも時代の先導的な「部分」であるかのように錯覚させる方法は、本質的に言って戦前の右翼の手口と全く変っていない。

そうそう前日の鶴見集の月報には吉本隆明の文章がのっていて、鶴見大衆学ともいうべき理念をつくりあげた「叡智」の人ですと持ち上げつつ、まあ、でも、「庶民」のことは本当にはわかってないけどねと落としてます。

わたしはあるときは、これは切れ味がよすぎるとおもったり、またあるときは、大衆というけれど、ほんとは大衆を知らないよとおもったりした。知識が大衆をとらえるとらえ方は、ほんとは微妙な配慮の問題に帰着する。このばあい「配慮」ということは大なり小なり理念化されているが「微妙」ということは理念になっていない。これは逆なのだ。「配慮」のほうは理念化されなくても、理念の外部から(たとえば経済社会の高度成長というような)ひとりでに解決のいと口がつけられてゆくにちがいない。でも「微妙」ということは、ぜひとも理念化される必要があるのに、わたしたちはいまだにそれがうまくできていない気がする。鶴見さんがときに既成の大衆理念の「配慮」の仕方で通りすぎようとしては「微妙」をあとから補足しようと苦心しているのをみると、そこは誰にとっても難関なところだな、といつも感じる。

  • 私のなかのアメリカ(1980年頃の文章)

ただ日本の場合はマスコミの主流の方向が割合にはっきりしていて、中央集権性が強いのでアメリカよりはとらえやすい。アメリカは極端にいえば、政府の政策だけ見てたって何もわからない。極端な場合は政府だけが孤立してることだってある。例えばウォーターゲート事件の時なんか、政府は議会からも孤立し、各官庁からも孤立し、マスコミからは勿論孤立し、東部のエスタブリッシュメントというようなものからも完全に孤立していた。(略)

アメリカの社会というか、その構造、秩序というものの深さを理解するのは、外国人では無理です。大統領でも入っていけない世界があったと、それもキッシンジャーの『激動の時代』に出てくるんだけど、ニクソンは呼んで貰いたいと思っている家から一回も招待されなかったと書いている。つまり大統領になれば少しは認めてくれるかと思ったけど、大統領になっても依然として無視されたと、そういう社会が厳然とあると言っているんだ。東部のエスタブリッシュメントの社会は彼を受け入れなかったということだ。(略)

大統領になったニクソンでも入っていけない社会があるという示唆は、まして外国人なんかではどうしようもない不可侵の領域の存在を暗示している。

真珠湾ルーズベルト陰謀説とかありえないと

[暗号が解読されていた]そんなことはいくらでもあるんです。あらゆる暗号は解読されていますよ。だが、知っててもなっちゃう。たとえぱ第四次中東戦争の場合を見たって、現にパチパチ銃火を交じえてどこそこまでエジプト軍が進出しているという情報が届いているのに、そんなことはあり得ないなんてワシントンの首脳が言ったりしてる。そういう場合だってある。上の人は、事実を信じられなきゃそういうふうにとる。そんなことは無数にある。情報というものには、それをまたうち消す情報も伴うものだしね。あらゆる情報がくるから、どれをとるかということになる。(略)

起こってから本当はわかったんだけど、そういえばそういう予兆はあったと後で思い当たるなんてことは、いくらだってあるでしょ。そして、俺は知ってたという奴が必ず出てくるしね。

2005-05-03 鶴見俊輔、国体論、身上相談 このエントリーを含むブックマーク


現代日本思想史 (鶴見俊輔集)

作者: 鶴見俊輔

出版社/メーカー: 筑摩書房

発売日: 1991/05

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前半は面白話で、後半は陰気に国体話。

1956年頃の話。プロ固定かあ。

さらに、新聞社が、採用された投書にたいして謝礼を出す習慣を戦後に確立したことは、投書の創作性をしょうれいする結果になっている。商売のようにして投書する集団、セミ・プロの文筆業集団が、つくられつつある。

昭和30年の身上相談。「零号夫人」かあ。

まず若い人では「結婚を考えないで肉体関係を結ぶのを何ら不思議に思っていない」男女が、相手から結婚を迫られて「全然理解に苦しむ」と相談している例が目立ったが(略)

「配偶者を求めているが得られない」という相談は三〇代の男女性に多く、これが掲載されると読者からの手紙がドッと来て、交際の機会を探している人がいかに多いか、また、この問題がいかに切実であるかがうかがわれた。結婚できぬまま「零号夫人となっている」「上役と恋に陥ちている」女性の悩みもあった。

淑女(いらつめ)の悩み。

高等教育をうける女はすべて好色であるというスッパヌキ記事が読売新聞に出る時代。

〔例15〕市内で婦人の演説会などあると、中年の男子たちがわざわざ出かけて行つて、ワイセツなやじをとぱしたりすることが、当時の女学生にとつては人生的な悩みの一部となつてゐた。(いらつめ、明治二三年三月二四日)

〔例16〕「妾は毎日神田万世橋を通行して某学校に通ふ女生徒にて侯ふが、橋脇の客待の車夫が、いつも五、六人づつつけまゐり、乗車をすすめる風して折々変なことをして困ります。」(巡査さんへ)(報知新聞、明治三四年一月三〇日)

不倫はフリン。昭和25年の不倫。疎開...orz。

〔例19〕「妻子ある彼。一九歳の女事務員ですが、同じ社の三一歳で妻子を田舎に疎開させた人と相思の仲となりました。彼が会社をやめて別に工場を経営するようになって以来、今後あえぬと言われて、絶望しています。どうしたら、よいでしょう。」(読売新聞、昭和二五年九月一六日、要旨のみ)

フェミ小説だったのか『真珠夫人』。2/23でもやってんだけど、若干ニュアンスがちがう。同人・関係者に離婚続出で当時の世間を驚かせた『青踏』。

内容は若い女性が成金の権力にたいして挑戦して勝ち、さらにすすんで男性本位の道徳とたたかうことに、その後の生涯をかけるというもので、女性の力による男女関係の倫理の改善という、『青踏』前期の主題の新聞小説化といってよかった。

『中央公論』の前身は本願寺内の少年学生(今の平安高校)たちが禁酒運動の機関紙としてはじめた『反省会雑誌』として明治20年創刊。明治36年に実売300部に落ち込んでいたが、日露戦争勃発による情報欲求のたかまりと、文芸欄補強により明治38年には5000部に。


埴谷雄高

作者: 鶴見俊輔

出版社/メーカー: 講談社

発売日: 2005/02/16

| 本 | Amazon.co.jp

上の本の高橋源一郎との対談でも

日本の国体は、本来キリスト教神学の変な模造なんだよ。岩倉ミッションがつくるんだけれども、国体という観念はキリスト教の系列なんだ。法王無謬説(インファリビリズム)だ。

てなことを喋っていた鶴見。

かつてこの国体という概念の起源となった吉田寅次郎と山県大華とのあいだにあった対立を復活させました。伊藤博文は国体というのは日本国に限られた特有のものではないとし、ほかの国々においてもそれぞれあるものだと主張しましたが、金子堅太郎は国体は国家の根本的な構造に引き戻してそれだけとして考えられるべきものではなく、それは日本に特有の何かであると主張しました。戦争中の日本においては、ここで金子のとった主張こそが日本政府が正統のものと認めた立場であり、それ以外の解釈の余地は残されていませんでした。

西洋を見聞した岩倉使節団はその発達を支えるキリスト教に注目し、パクり、天皇制度に導入。

能率の高い技術文明を支える力として、日本の神道の伝統を模様替えして取り入れる流儀を採用しようと考えました。(略)

このように構想された政府製造のイデオロギー思想形態のなかで、皇室にまつわる伝説はつくり替えられていきます。日本最古の本である『古事記』を読むと、私たちはここに天皇とその先祖である神々が何度もまちがいを犯し、世俗の動機からお互いを牽制し合ったり、お互いに対して戦ったり敗れたりするのに出会います。これらの愚行は別に恥ずかしいと思われることなくそのまま語り伝えられていました。

私たちはここに書き残されている伝説のなかに神々の不謬性の思想を見出すことはありません。ここには疑いもなくある種の多神教としての神道が繰り広げられています。ところがいまや新生日本文明の設計図のなかに模様替えして書き込まれた国家宗教においては、神道は西洋諸国におけるキリスト教にきわめて近い役割を与えられており、その結果色濃く一神教としての性格をもたされています。こうしてここに過ちを犯すことのない天皇という絵姿が現れました。

2005-05-02 監視ゲーム このエントリーを含むブックマーク


監視ゲーム―プライヴァシーの終焉

作者: ウィリアムボガード,William Bogard,田畑暁生

出版社/メーカー: アスペクト

発売日: 1998/01

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目立ちたくない、目立ちたい、どっちつかずの軍事力

抑止が効果をあげるためには戦力の公示が前提なのに、ステルス兵器は冷笑的な「秘密と不確実性」のなかでのみ機能するからだ。つまり、軍事面での強さや優越性を誇示することによっては、抑止は成立しない。とりわけ、核兵器の使用をちらつかせるやりかたは、もう何年も信用できないものとして退けられている。(略)

「信用できる」抑止は、真実原則(たとえば軍事力の証明可能性)に裏打ちされた軍事力のスペクタクルに頼っている。敵の戦カの測定、対抗-監視や対抗-測定の手段、戦力を誇示するショーなどの、さまざまな露出手段が、それを補強していた(武力による威嚇)。だがこの種の軍事スペクタクルは今日、急速にシミュレーションのなかに吸収されつつある。(略)

ステルス・テクノロジーの利用によって、相手方に「非決定性」がうまれ、それが「時間」をつくる。敵が対処に使える時間は短くなり、味方が標的を合わせ攻撃するための時間は長くなる(息つく暇がうまれる)。他の軍事シミュレーション・テクノロジーと同じように、ステルスも戦争の速度をゆるめること、脅威の状況を支配し管理することをねらっている。

シミュレートされた戦争こそが現実の戦争であり、戦闘は一瞬の死の噴出にすぎない。

これはもちろん、旧来の抑止形式にもあったことだ。また、戦争を消そう、戦争を「凍結」しよう、戦争を止めてしまおうとする軍事的な夢想の一部でもある。だがこれは神話だ。軍隊が、シミュレート戦争が実際の戦争の終焉だと信じているのは、単にイメージを反復しているにすぎない。シミュレートされた戦争こそが現実の戦争であることを、軍隊は理解できていないように思われる。すくなくともシミュレーション・テクノロジーは(まだ萌芽段階だが)その方向に、私たちを導いている。私たちが、そして軍隊が、戦争というものを局限された戦闘時間すなわち、惨劇が起こり、兵士や市民が死に、都市が破壊される時間だけに限定して考えていることも、問題の一部になっている。だが実際には、戦闘は、それに先立ちかつそれをすりぬける「死のゲーム」のなかの、一瞬の死の噴出にすぎないのだ。「死のゲーム」がおこなわれる場所は、「時間の外側」だ。つまり、シミュレーションという時間のない空間、終わることのないテクノロジー的な戦争準備のなかでおこなわれるのだ。

監視は都市生活の孤独を補完するものであると、ノック師匠

現代の監視社会では個人のプライヴァシーはかつてないほど失われている、というのがよくある議論だ。しかし、スティーヴン・ノックは、まったく別の議論をしている。彼によれぱ、若い人たちが伝統的な家族構造から解放されることで、実際には私的領域は拡大し、信頼の根本的な危機をうみだしている。プライヴァシーが拡大しすぎ、社会関係のなかで信頼をきずけるほど親密になれない。現代や都市生活に関するジンメルの論考を思い起こさせる方法で、ノックはプライヴァシーを異人性と結びつけ、監視は風評を維持、特定することで、匿名性の社会状況のなかで信頼を回復させている、と論じる。つまり監視は、脱産業社会におけるプライヴァシーの爆発(家族の分断、それに伴う孤立、疎遠化)によるすきまを埋めるために発生したのであり、監視がただプライヴァシーを脅かしているという通念はまちがいだというわけだ。

ここでは監視は、信頼の代用品であり、社会的な孤立を補う複合的な役割をはたしている。(略)

ノックは、ある程度までは正しい。プライヴァシーが信頼の危機をつくりだす場所では、情報ネットワークが、親密な知識や互恵性にもとづく社会を、社会秩序のデジタル・シミュラークルで代替する。

そもそも「ひとりの時間」「自分だけの時間」なんてあるのかと

だが、逃避それ自体もシミュレート化している。ファミコンで遊んでも、休暇をとっても、電脳空間で遊んでも、何からも誰からも逃避はできない。逃避は外部へのがれることであるどころか、ここでは別の内部であり、むしろ、内部から内部への動きなのだ。メディアの外側に出ることはできない。このことは、はじめは逆説的に聞こえるかもしれないが、まったくそうなのだ。たとえあなたが、システムヘの接続を切っても。シミュレーションをこえた「外部」の「現実」世界は、もはや逃避という概念と結びつくことはできず、むしろ捕獲とか包含とかいう概念に固定されている。外部は、ある意味で監獄であり、不自由な空間だ。逃避、プライヴァシー、「神聖な」孤立は、今日ではみなネット上にある。あなたも逃げることはできる(しかし、「あなた」は誰で、どこにいるのか?)。

完全な情報公開は過激な匿名性を可能に

このシステムは、「個人的」情報を、まったくの異人たちのあいだに、完壁に流通させることを可能にする。そして、完全な情報公開という文脈のなかで、過激な匿名性を可能にする。「誰かに関して知られうること」が、電子文書のかたちになり、単純なOと1、オンとオフに還元可能になったとき、信頼とは(そしてプライヴァシーも)、正しいインデックスをもっているかどうかという単純な問題になってしまう。

気にせず食えよ狂牛肉

今日、すべてが不確実であり、確実に知られるものはない。試験を蓄積しても何も証明されず、それを利用すればするほど信用は失われてゆく。これは悪循環だ。試験というメディアを狂ったように利用して、より不確実性を増し、大きな孤独をうみ、社会の浸食を進めている。これが、私たちの信頼が置かれた可能性なのだ。

ネット上の個人のどんな細かな情報までも公開することは、ネット自体の完全なプライヴァシーと孤立の基礎になり、逆に、システムの集合的なプライヴァシーが螺旋的に進んで自分自身に寄食する。ここで、ネットは二〇世紀末の孤立と匿名性のパラダイムになる。文字どおり情報の泥沼で、その極限では人は何も意味を見いだすことができない。私たちは、個人の異人性から、システムの異質性へ、そしてシステムの理解不能性に進んできた。システムは自足し、外部とつながらない。近代は逆説的にも、監視機械に対抗するために、監視の作動を全体化して、プライヴァシーの維持に成功したのだ。

2005-05-01 元祖ニート、女乞食 このエントリーを含むブックマーク

1962年の橋川文三

明治42年頃の「堕落学生」はドロップアウトしてカツアゲ・婦女暴行、食うためにストリートミュージシャン、路上アクセサリー販売、ボンボンならば親の金でショップを開いて、「自由結婚と称して、男女学生が一所になって勝手な生活を営」み、あげくは煩悶自殺。

しかし、このような現象が、巨大化した権力装置の中で、適応に失敗した青年群のアノミックな行動様式を示すことはいうまでもあるまい。

なぜこのような傾向が日露戦後の社会にひろがったのか。それをもう少し別の側面から見ると、青年学生の生活そのものの中に、社会の弱肉強食と優勝劣敗の原理が浸透したことがあげられる。(略)

彼らはまだ世間に出ない以前から、いわば勤め人的修練をつまねばならなかった。そして、それに失敗した連中が「堕落学生」「不良青年」とよばれたのである。彼らはいずれも明治国家体制から疎外された存在として、自殺、発狂、病死によって淘汰されるか、生存競争の落伍者として消失するかしなければならたかった。

ゆうたら「高等遊民」は元祖ニートですから

かつては失職が人生の挫折の一般形態であったとすれば、今日では就職こそがその端緒形態をなしているという逆説が成立つであろう。(略)

かつては中学校卒業以上の無職者がいわゆる「高等遊民」という奇妙なジャンルを作り出した。しかし、現代の青年たちには、もはやそのような社会的空白部分は存在しない。「遊民」の基礎をなしたと思われる家族制度さえ、現代では無為の寄食者を入れるゆとりはない。社会全体は「富裕」になったかも知れないが、その人間関係の組織化はいっそう微分化され、ゆとりを失っている。かつての放蕩青年が「情婦」とともに当時の尖端職業であった洋食店、煙草屋、自転車屋を開くといった話の物語性は、現代では考えられない。

1962年の疲弊した青年の一日

ある学生がドイツ語の試験解答欄に次のような「答案」を書いていた。

「朝起きて、顔を洗って、御飯をたべて、バスに乗って、絵の学校へ行って、絵を画いて、授業が終って、地下鉄に乗って、駿河台へ来て、明治大学に来て、勉強して、バスに乗って帰る。」

大人になるということ

かつて明治末期の青年たちが「何か面白いことはないかねえ」という「不吉な言葉」(石川啄木)をくりかえしながら、無気力に彷徨したように、現代の青年もまた停滞の中で眼を見ひらいたまま、どこからか新しい世界の影像が近づいて来ないかと、焦躁の念をいだいて見まもっているかのようである。

しかし、その可能性は恐らくないであろう。あるものは就職と結婚ののち、ある朝とつぜんにその小家庭の中にこそ失われた良い世界があったことに気づいて陶然とするかも知れないし、ある者は、なんらかの社会的成功によってささやかな栄光に照らされたとき、その追求した世界と自我とはまさにこれであったのかと自得するかも知れない。そして、学生時代のあの野良犬のような暗い自己疎外の情念が、まるで悪夢のように消えてしまっていることを発見し、奇妙な幸福感をいだくかも知れない。

明日が見えないこと

さて、このような自己疎外の体系化---宿命化の呪縛を打破する呪文は一体あるのだろうか?ある人々は「革命」をその呪文と信じており、他の人々は「愛」と「教育」の復興を掲げている。かつて啄木は、そのために「明日の考察」を説き、一切の空想を排除したのちに残る「唯一の真実---必要!」の大胆な追求を提唱した。(略)

見わたしたところ、若い人々の精神世界の風景は荒涼として光がない。それは明治末期の青年たちの精神風景と同じであり、あるいはまた、昭和十年前後、理想を見失ったファシズム前期の学生群の生態と似ていなくもない。

『日本残酷物語』より。近代的であることが女乞食から食を奪った話。人権とはなんだろう。

「……小山勝清氏が若いころ九州球磨の山中の社会風俗を書いたものの中に、村人が女乞食をしきりにいじめるのに義憤を感じた若者が、女乞食をかばってそれをとどめると、その女乞食が喜ぱなかった話がある。いじめたり、からかったりするのは憎んだり嫌ったりしてのことではなくて、その女乞食を愛してのことであった。そうされることによって、怒ったり泣いたりするのもひとつの演出で、人々はそれによって女乞食を意識し、また女乞食に食物もあたえたのである。ところが若者がからかうことをとめると、村人は女乞食を見向きもしなくなったうえに、食物もあたえなくなったのである。

1961年の石原慎太郎に対して

一切の卑俗を斥け、全身的な破壊者として既成文明に立向かう高貴な戦士のポーズをとりながら、もっとも巧みな、無恥な権力者の走狗になりおわった例は、わが国の現代史の中にも累々とその姿をつらねている。そして、その過程が石原において開始されているか否か、それは私の知るところではない。(略)

彼が人間の復権を「民族」の名によって義認しようとするとき、それは彼の勝手である。しかし、それは同時に彼がその破壊目標とした日本の文明的既成体の擁護者となり、そのための青年向き広報機関となることを意味することになるのは間違いない。それはすべてのロマン主義者の宿命のようなものであった。フランス革命の讃美からカトリック的階級支配への帰依という構図は現代もなおそのアナロジーを厳密につらぬいているからである。