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2005-06-28 著作権とは何か このエントリーを含むブックマーク


著作権とは何か―文化と創造のゆくえ

(集英社新書)

作者: 福井健策

出版社/メーカー: 集英社

発売日: 2005/05

| 本 | Amazon.co.jp

記録されていなくても著作物である

こうやって譜面、譜面とくり返すと、紙に書かれていなければ楽曲も振付も著作物ではないのかと誤解を与えそうです。これは、必ずしも書かれている必要はありませんし、記録されている必要もありません。たとえば即興演奏の場合、譜面に書かれていませんがメロディも歌詞もありますから、これは立派な著作物です。ただ、書き留めたり録音しておかないと再現不可能かもしれない、というだけの話です。再現不可能でも著作物は著作物です。ですから、即興演奏を誰かが無断で録音して発売すれば、著作権侵害になります。

小説の一行を真似するのは自由であるし、当然タイトルに著作権はない。すると「星の王子様」邦題問題は当然。

いわゆる普通名詞はその代表格です。たとえば、小説や絵画の題名である『舞姫』や『ひまわり』など、それ自体は別に森鴎外やゴッホが創作した言葉ではない。『はげ山の一夜』や『アルルの女』のように、もう少し複雑なものでも、それだけを取りだして特定の作家だけに独占させるには短すぎます。

事実に著作権はない、従ってルポルタージュに著作権はない

「何人も事実を独占することはできない」のです。この原則は事実・実話に基づいて小説や映画、TVドラマなどを創作する場合に、常にかかわってくる問題です。ライターの立場であれば、「他人の書いた作品から、断りもなく題材を採るとはけしからん。取材するのに、いったいどれほど苦労をしたと思っているんだ」と、このように感じられることはあるでしょう。(略)

かつて筆者は、「事実の発見者の権利は認められないのか」というルポライターの方の発言を伺ったことがあります。

しかし、どれだけ苦労して事実を掘り起こして、埋もれた事実に光を当てたとしても、事実である限りは著作物ではない。ですから著作権が認められることはありません。これを「額の汗は報われない」といいます。冗談のようですが、アメリカ法では本当に「スウェット・オブ・ザ・プラウ」(額の汗)の問題といいます。ただし、事実をライターが非常にうまく構成して、おもしろく書いた。書き方を工夫したり、自分の想像や創作を交えて書いた場合には、その工夫したり、想像を交えた部分は著作物かもしれない。

真面目なルポほど損をするようであります。すると著作権についての本も事実の部分は当たり前だがパクリ放題ということか。

アイディアはパクってよし

なぜなら、アイディアは原則として誰でも自由に使えるからです。アイディアは著作物ではないから、それを思いついた人が独占することはできません。

アイディアは自由に使用できる。ところが、それに肉付けした具体的な表現は、著作物として作家が独占できる。この「アイディア/表現」の区別も、著作権の基本的なルールのひとつです。

実際には、アイディアだけを思いついて作品は作らないケースは少ないでしょう。そうすると、先ほどの評伝から事実だけを参考にする例と同じで、他人の作品からアイディアだけを借りるのは自由だということになります。他人の作品から「表現」を借りてはいけない。なぜなら、それは著作物だから。ただし、他人の作品に触発されて、そのなかにある「アイディア」を借りるのはかまわない。なぜなら、それは著作物ではないから。

作風の模倣は自由

なぜならば、アイディアは人のあいだで広まり、どんどん再生産されるべきだという基本的な発想があるからです。いいアイディアだから独占させるのではなく、いいアイディアだからこそみんなで分かち合えるようにしようというわけです。

[その延長として]

作風は真似てもよいということです。作風の模倣のことを「パスティーシュ」といいますが、これをするのは自由です。

ここで著者はアイディア勝負のような現代芸術を問題にしています。ツルツツに磨いた卵とか便器とかはどうなるのか。便器ネタは一切アウトなのか。それともコンセプトはアイディアだから借りてもいいのか。実際レヴィーンがブロンズ便器を発表している。

キャラは借用できる(ビジュアルは駄目だが)。

「名前」「性格」「基本設定」というものは、一般的には、どれも著作物ではないといわれています。実際、日本の裁判所は「キャラクターというもの自体は著作物ではない」という判断を示したこともあります。そこで、研究者のなかには「だから他人の小説のキャラクターだけを借りてきて、別なストーリーの小説を書くのは著作権侵害ではない。著作物を使っていないのだから」という有力な意見があります。

これはどういうことかといえば、勝手に続篇を書いてもかまわないということです。(略)

あくまでも「別な作家が勝手に続篇を書いている」ことが明確に示される形で発表されるべきでしょう。

今のように著作権がうるさかったら名作は生まれていなかった。『ロミオとジュリエット』の30年前にブルックによる長大な詩物語があり、実はこれにも種本があって16世紀のイタリアのバンデッロの散文物語、つまり代々翻案されてきたものなのである。

翻案が珍しくない時代とはいっても、同時代の方から借用するのはあまりほめられたことではなかったらしく、シェイクスピアは生前、少なくとも一部の人からは盗作を批判されていたようです。同時代の劇作家で、ロバート・グリーンという人物が死の床で書いた文章で、「われわれの羽毛で着飾った、成り上がりのカラス」として攻撃されている人物がいるのですが、それはシェイクスピアのことだ、といわれています。「われわれの羽毛で着飾った」という表現は、つまり「他人の作品を使っている=盗作・剽窃」を指しているようです。

「典型的な幸福な夫婦」の土産物絵葉書をそのまま等身大像にして訴えられた「大衆文化のイメージをキッチュに再構成する」作風のジェフ・クーンズ。絵葉書のパロディであると主張したが敗れる。

クーンズは果たしてロジャースの作品を諷刺・批評したかったのか。裁判所は必ずしもそうは見ませんでした。クーンズが諷刺したかったのは現代社会そのものであって、別にロジャースの作品や世界観が対象ではないのではないか。「だったら、別にロジャースの作品を便う必然性はなかったはずだ。単にロジャースの作品を使うと便利だから使ったにすぎないだろう。それではフェアユースの根拠としては弱い」というのが、裁判所の印象だったのでしょう。

さてそうなるとウォーホールのキャンベル缶はどうなるのか。ラベルのデザインを諷刺したかったわけではなく、それが象徴するイメージを対象にしているのである。それなら必ずしもキャンベルでなくてもいいだろうと言われてしまう。

たしかに、ウォーホール作品のようなポッブアートは、狭い意味のパロディとは違いますね。しかしそれでも、ウォーホールにとってはキャンベル缶という存在がまとっているなんらかの「意味」が語る対象だったわけです。それを使うためにキャンベル社の許可が必要だったり、キャンベル缶もコカ・コーラの壜もモンローの写真も使わずにそれらが象徴するものを語れ、というのは芸術表現にとってはかなりの制約になる気がします。

クーンズやウォーホールには、他人の作品をそのまま取り込む必然性はあったのか? この問題を考えようとするとき、筆者はほとんど絶望的な無力感にとらわれます。

パロディがオリジナルの競合品となって売り上げを低下させるのは「市場での迷惑」になるが、その批評性による「評価の低下」は問題ではない

『プリティ・ウーマン』事件の連邦最高裁はこの点について、「評価の低下」は著作権が問題にしている「市場での迷惑」とは違う、と述べました。仮に、人気のある作品について非常に辛辣なパロディが作られて、それで人々が「このオリジナル作品はいいと思っていたけれど、そういえば陳腐な、底の浅い作品だな」と思うようになって、売上げが落ちたとしますね。それは甘んじて受けろ、というのです。

2005-06-27 ヘーゲル伝 このエントリーを含むブックマーク


ヘーゲル伝

作者: ジャックドント

出版社/メーカー: 未来社

発売日: 2001/10

| 本 | Amazon.co.jp

ヘーゲルは保守反動じゃなくて時代状況の中でギリギリ反体制で、有力保護者の死去で庇護も失い、コレラで死んでなきゃ弾劾されていたかもしれず、いやそもそもその死すら謀殺の疑いあり。

公にはエンガチョされた葬儀

[葬列に]学生たちが大勢居合わせたことの意味は、劇的ともいいうるような、〔他の人びとの〕欠席という事実によって強められる。すなわち、いかなる政府関係者も、巧みにヘーゲルを保護してくれた人物でさえ、葬儀に出席していないのである。もちろん、いかなる宮廷人も---非常に敵意を抱いていた王太子や、臣下のひとりに向けられるごくわずかな注目の気配にも嫉妬を覚える国王その人を引き合いに出すまでもなく---参列していない。「当局者」は、知られているかぎり、型通りのお悔みの言葉さえ表明しなかったし、いわゆる「プロイセン絶対王政の哲学者」の死に関していささかの哀惜の念も、偽善的なかたちですら、示すことはなかった

神学院が形骸化していった時代に入学

将来のみえない状況のなかで、不安な魂の最初の避難所となるのが神学院、すなわちテュービンゲンのルター派神学校である。とはいえ、それは幻影であって、その魅力は急速に失望へと変わっていく。

しかしながら、最初は、なんという誇りであったことか。

公国の給費を与えられた人びとは、希望に夢を膨らませて、威厳に満ちた「施設」に入っていったのである。そこには、素靖らしい在学期間を証明する署名と、宗教ならびに君主に仕えるための特別な未来の約束が用意されていた。人びとがそれなりの真摯な気持で引き受けることを誓った牧師の仕事は、それぞれの村でいまだかなりの程度の尊敬をうることができる職業であった。

(略)

[体制を支える従順な牧師をつくるための]

神学院は少しずつ逸脱的、分裂的傾向に汚染され、その全体主義的構造に亀裂が入るようになっていた。無一文の青年たちは、教養の手段を手に入れるために、あたかも宗教的召命に献身するかのごとき態度をとった。したがって、人びとはしばしば神学院のことをたんに「奨学金」と呼んで、それのもつじっさいの社会的機能をうまく表現したのである。

人びとは次第に、公国の給費が完了し、研究課程が終結したあとで、神学院生たちがその義務を果たさず、牧師あるいは神学上の職務に就かないことを許容するようになっていた。

ノロマなカメでした

シェリングは、17歳で神学院に入学を許された。優等生であり、すべてに堪能であり、創意に富み、自分を信じ、傲慢で、成功と栄光を渇望していたかれは、輝かしい、性急な、しかも対照的な未来を約束されていた。かれは何年ものあいだ、友人ヘーゲルの知的活動と創造性に刺激を与えた。一方、ヘーゲルはかれより鈍重で、オクテではあるが、しかしいっそう真面目で、そのうえ方法的かつ体系的であり、かれのことを一種の師匠のように見なしていた。人びとは、「シェリングの弟子ヘーゲル」と呼んでいたのである。

牧師職を拒否したため、貴族の下男(家庭教師)になる。生涯の半分まできて父の遺産でようやく経済的隷従から開放される。イェーナでは員外教授、その後も新聞編集者や貧弱ギムナジウムの校長、ベルリン大学教授に辿り着いた時には人生残り三分の一弱。

懐疑的学生に確信を与える

ある種の好戦的な精神がイェーナ時代の哲学を支配している。ヘーゲルは真理のために、同時にまた地位を手に入れるために戦う。学生たちは、恐れの入り混じった賛美の気持ちをこめて、いっさいの物事に、またいっさいの人びとに打ち勝つと称しているこの師を眺めたはずである。マックス・レンツの言う通り、ヘーゲルの成功の秘密は、「断層をもたない体系を説明するにさいしての、かれの限りない確信」である。

それまでの出来事や教育によって懐疑的になっていた学生たちが必要と感じていたのは、そのような確信なのである。

馬上のナポレオンのように、書斎の椅子に馬乗りになったヘーゲルは、死屍累々たる哲学の戦場を凝視することができる。

ヘーゲルの手紙に描かれる1810年の日常的悲劇

「最近、フォン・ハラー氏なる人物が自分の頭にピストルの弾を打ち込みました。上院議員フォン・シュトレーマーの妻は自分の娘の子供を水中に投棄し、いまや場内に投獄されています。近頃、自分の娘と近親相姦の罪を犯した男が間もなく車責めの刑に処せられることになっています。娘の方も同時に断首の刑に処せられるでしょうが、その理由は両者とも子供を殺したからです。他の娘たちもまた妊娠しています。(略)ときおり、川で溺れた女たちが見つかることもあります」

明白な批判は不可能だった

マルクスは、ヘーゲルが公刊された『法の哲学』のなかで、監獄制度を「思弁的に」正当化したことを遺憾に思っている。しかしながらマルクスは、ヘーゲルが夜中に、完全な違法行為を犯して、しかも銃撃を受ける危険をも省みず、弟子のひとり、友人のひとりが収容されている独房の換気窓を通して、かれと話をしようとしたことがあるのを知らなかった。

世襲財産と刑務所制度を明白に批判したならば、『法の哲学』の公刊は、いま、ここにおいて[かれの時代において]は不可能になったことであろう。

イギリス批判という遠まわしな方法さえ検閲で削除される

「その生まれや富によって役職を手に人れる人は、同時にまた、その役職を行使するための知性を天賦のものとして受け取るというような偏見が、イギリスほどしっかりと根をおろしているところはもはや他のどこにも見出すことができない」

知性をもたらすかのような生まれというものへのこうした言及は、直接、プロイセン国王に関わるものであった。

2005-06-26 大学のエスノグラフィ このエントリーを含むブックマーク


大学のエスノグラフィティ

作者: 船曳建夫

出版社/メーカー: 有斐閣

発売日: 2005/04

| 本 | Amazon.co.jp

大学内「13歳のハローワーク」的薄い内容。前半はゼミをどうしようかという学生に、後半は大学に残ろうという人に。ミモフタモナイからそれなりに役に立つのか。他人事だからどうでもいいけど。つい借りてしまったのは、教授になる人のタイプがあまりに笑えたので。

ものを考えるのが好き、本を読むのが好き、というのはどの分野にもいる、知的でおとなしい人です。大学の教師には、ものを考えたなら、それを人に知らせたい、そのことについて誤った考えがあれば正したい、という攻撃性、もう少し穏やかに言えば積極性がどうしても必要となるのです。それは、最初から攻撃を目的としていると言うよりは、必要とあらば反撃も辞さないという種類のものです。これが正しいと述べ、それを批判されたなら、ひるむことなく相手を論駁する。

(略)[それに必要な]「反撃的意志」と「情報処理能力」が重なると、かなりしつこい、強いキャラクターが生まれます。浮世離れしているようでいて策略家であり、実際的でないようでいて用意周到であり、中性的ではあっても態度ははっきりしていて、悪いことはしないようでいて最後には自分の利益を貫く。この子は頭もいいし、じっとしているのが好きだから学者に向いているのではないか、というのは、反面当たっていますが、攻撃力と情報力がないままこの道を目指すと、途中で挫折するか、タコツボ以上に小さい穴を掘って時間を過ごすことになります。

僕の狷介な先生

由良[君美]先生は見たところ大変紳士で、パイプなどくゆらしているのですが、狷介な性格で、かつ破滅的なところがあり、それがお坊ちゃん気質とない交ぜになり、学生にはお守りが難しくなることがある………そうです、学生が「お守り」している感じになる先生がいますがあれです。その後、由良ゼミは参加者は私と、歌右衛門好きで百科全書派の研究をしている、という相当の変わり者の二人だけになってしまいました。そして彼も来なくなる……。(略)

先生と二人しかいないゼミに出かけていくと、授業の開始とともに、先生はポン、とビールのふたを空け、リチャード・バートン朗読のコールリジの『老水夫行』のカセットをかける。あとは酔いの進みの深さにより、話は談論風発だったり、ぼそぼそと屈曲したり。

DNA解明学者の憂鬱な日々

ワトソンはアメリカから来た、博士号はあるが就職待ち、俗に言うポスドクという不安定な立場で、クリックにいたっては36歳になって未だ博士号がない。さらにつらいのは、ワトソンもクリックもDNAを研究することは学科で「公式」に認められていなかったということです。クリックはヘモグロビンの研究で博士号を取らねばならないことになっていた!

しかし、憂鬱は彼らだけではなかったと、これまた想像ですが考えられます。不安定な彼らと違って、ケンブリッジ大学の「教授」たちは快楽にいそしんでいたかというとそうではないでしょう。指導する方の教授たちにしたら、就職待ちの院生はまだしも、36歳で、博士論文を完成させようとしない、しかしながら、頭がいいことだけはよく分かる大学院生、なんてのは、まことに始末が悪い。そんな学生の尻を叩くのはしたくもなく、なるべく早く博士号を取って、就職先を見つけ、出て行ってほしい。(略)

若い二人がすべての時間を最先端の研究に捧げているときに、自分は、やれ大学の規則改正だ、やれチャペルの改修資金集めだ、と「くだらない」ことに時間を費やしていることは、心底憂鬱にさせる。

学者は結婚はともかく子育てなんかやってる暇はねえと豪語して四人の子供は妻に押し付けた船曳センセイの大胆男色発言

かつて研究者といえば男性であることがふつうであったときには、男性が独身を続けることで、時には家庭を持たぬゲイの関係によって性愛の世界と両立させつつ解決していたのですが、現在は女性研究者の問題、また、どちらが研究者であれ、家庭での男(夫)・女(妻)のジェンダー役割の問題なのです。

ああ、くだらねえ。それにしても船曳センセイは文章が所々ヘンだ。文化人類学はこんなもんでいいのか。

2005-06-24 明治の音 このエントリーを含むブックマーク


明治の音―西洋人が聴いた近代日本 (中公新書)

作者: 内藤高

出版社/メーカー: 中央公論新社

発売日: 2005/03

| 本 | Amazon.co.jp

スイスの特命全権公使として、1863年に来日。修好通商条約締結のため約十ヵ月滞在したエメ・アンベールの記録。正確には幕末の音ですね。

深川一帯のさまざまな職人の仕事場の音、そこに突然、見世物の音が遠くから侵入してくる。獅子舞の曲芸師たちの鳴らす太鼓や叫び声のつくるきわめて騒々しい空間が出現する。(略)

「鼻にかかった声」で「つい先日、執行された獄門の顛末を節をつけて機械的に繰り返す」瓦版売りの老人。浅草の賑わいはいうまでもなし。三味線や金切り声によって囃し立てられる狐の罠遊び。身振りだけでは不充分であるかのように、興を高めるために女たちの手に三味線が渡される。「そして、別な三味線が床に裏返しに置かれ、撥で反響のいい箱(胴)の上を滅多打ちされ、陶磁器の器や茶碗が鐘のように鳴らされる。歌い手が金切声を張り上げると、動物の叫び声に似たものがそれに加わ」る。

凧揚げの音の愉しみ

江戸城とその周辺に比べて、江戸の町々はなんという対照的なものであろう!遠くから、賑やかなどよめきが知れるし、その騒音に答えるかのように、アイオロス琴(ギリシアの楽器)に似た音がかすかに聞こえてくるが、この不思議な音楽は、紙でつくった凧による演奏会なのである。庶民の町の空には、まるで星を鏤めたように、いっぱいに凧が揚がる。(略)心もち中高になった絵の枠に、竹の薄片が張ってあり、それが、凧が中空に揚がったとき、音楽的な唸りをたてる。しばしば、この空の操り人形の間で、闘いが起り、ガラスの破片を付けた凧糸が追いつ追われつ、勝負のつくまで闘い、両方の凧が落ちてしまうこともあり、また、敵に切られた凧糸が地面に落ち、糸の先に付いていた枠だけが空に残って、ふわふわ浮いていることもある。この凧揚げには、大人も、喜んで一枚加わっている。町々の人々は、誰も彼も、これを見物するのに非常な興味をもち、女の子の凧が勝ったりすると、やんやの大喝采で大騒ぎする。

アメリカの文化人類学者エドワード・ホールは『かくれた次元』(1966年)で、音はすれども姿は見えぬ、がニッポンクオリティだと

視覚が遮断されているにもかかわらず、聴覚が遮断されていない、音が聞こえるままであるという感覚である。狭い屋内空間で、日本人は必要以上に視覚的遮断を好むようにも思われる。襖や障子はいうまでもなく、廊下は絶えず曲がり、直線で見通すことよりも、壁などで絶えず視線が停止されることのほうを好む。にもかかわらず、ホールが言うように、「音響的には紙製の壁つまりふすま一枚で完全に満足する」のである。(略)

音の持つ浸透性と視覚の遮断性、こうした特性を考えるとき、日本の空間というものは、それに慣れてしまっている我々とは異なって、そこを訪れる外国人にとっては極度の挑発性を持った空間であることが想像できる。声はしても、姿は見えないことの不思議さが増幅されることになる。モースは、やってきた人力車夫が縁側に上がり、閉ざされた鎧戸の向こうから声をかけたとき、「姿の見えぬ彼の声を聞くことは、実に奇妙だった」とわざわざ記している

モースが感じたある種の音の過剰

ある点で日本人は、恰も我国の子供が子供染みているように、子供らしい。(略)何にせよ力の要る仕事をする時、彼等はウンウンいい、そして如何にも「どうだい、大したことをしているだろう!」というような調子の、大きな音をさせる。先日松村氏が艪を押したが、その時同氏はとても素敵なことでもしているかのように、まるで子供みたいに歯を喰いしばってシッシッといい、そしてフンフン息をはずませた。

歩調にリズムがないことが気になるモース

人々は道路の真中へまで群れて出る。男も女も子供も、歩調をそろえて歩くということを、決してしない。(略)我国では学校児童までが、歩調をそろえるのに、日本人は歩くのに全然律動がないのは、特に目につく。我々は直ちに日本人が、我国のように一緒に踊ることが無いのに気がつく。

ラフカディオ・ハーン「東洋の土を踏んだ日」

横浜のホテルでの夜、通りから聞こえてきた女按摩の声と笛の音

「あんまーかみしもーごーひゃくもん」

夜の中から女の声が響いてくる。一種特別なうるわしい節をつけて唱されるその文句は、一語一語、開け放った部屋の窓から、笛のさざ波立つ音のように流れ込んでくる。(略)

「あんまーかみしもーごーひゃくもん」

この長いうるわしい呼び声の合間合間に、決ってうら悲しい笛の音が入る。長く一節吹いた後、調子を変えた短い二節が続く。

小泉節子「思ひ出の記」に描かれる芳一化したハーン

この「耳なし芳一」を書いてゐます時の事でした。日が暮れてもランプをつけてゐません。私はふすまを開けないで次の間から、小さい声で、芳一芳一と呼んで見ました。「はい、私は盲目です、あなたはどなたでございますか」と内から云って、それで黙って居るのでございます。

節子の言葉は「耳なし芳一」のテキストの空間をほとんどそのまま現出しているといってもいい。視力の弱いハーンが夕暮れでも灯をともさない部屋の闇の中にいる。閉ざした襖の向こうから呼びかける節子は、まさしく視覚的な姿を奪われた声だけの存在である

2005-06-23 音楽未来形・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日より続く。


音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

作者: 増田聡,谷口文和

出版社/メーカー: 洋泉社

発売日: 2005/02

| 本 | Amazon.co.jp

生でやってね。生でやりたい。仕事を奪うレコードを敵視する実演奏家

つまり、われわれが「音楽とはこうあるものだ」と考えるときの「音楽」からして、人がテクノロジーと向き合ってきた歴史の積み重ねを反映したものとなる。

ここ数年でよく見かけるようになった「音楽を死なせるな」という表現にも、実は同じことがいえる。サラ・ソーントンによれば、イギリスの音楽業界で1950年代から「ライヴ」という語が使われるようになったが、その背景には以下のような経緯があった。

(略)

バンドやオーケストラの代替ではない場合に限ってレコードの使用が許可されるという制限が1946年に設けられ、88年の撤廃まで、じつに40年以上にわたって音楽家組合はレコードの存在を敵視しつづけたのである。

そういった背景のもとに掲げられたのが、“KeeP Music Live”というスローガンだった。この語は音楽家組合のキャンペーンの中で1963年に初めて使われている。つまり、人間が演奏せず、レコードに頼っていては、音楽が死んでしまうというわけだ。現実にはレコードの存在こそが音楽文化の主流を占めていくことになるのだが、一方で「生演奏こそが本当の音楽だ」という価値観は、いまでもこの言葉の響きに込められているのではないだろうか。

トーキーにおいて音は光の濃淡としてフィルムに記録が可能になった。それは無からの音の「合成」を可能にするものだ。

この技術に触れたとき、何人もの映像作家が、何らかの絵や模様をサウンドトラックに描き込んでみたら果たしてどんな音がするのだろうかと想像力を掻き立てられることとなった。

(略)

サウンドトラックに描かれた模様は、それ以前に存在した音の「記録」ではない。「再生」されることによって初めて音として鳴り響くものだ。それと同時に、ある模様を描けばそのパターンに対応する音色が生まれるということは、ここでは音色が、音の高さや時間と同じ次元でコントロールの対象となりうることを意味している。(略)

[電子音響合成の]原理はある面で、1930年頃の映画の世界において、すでに先取りされていたのだということもできる。

サウンドシステム

ジャマイカでは1950年代からスピーカーを積んだ車が街を回ってパーティを開き、入場料をとったり、酒や食べ物を売るというビジネスができあがった。この移動式サウンドシステムがいくつも現れると、互いに客を奪い合うライバル関係が発生した。そこで、彼らは客寄せの手段として、マイクで客をあおる「トースティング(toasting)」や、スピーカーの性能を磨いたサウンドシステム同士が大音量をぶつけ合って勝負する「サウンドクラッシュ」などを通じて評判を競った。

(略)

レゲエがポピュラー音楽としてジャマイカ内外に浸透していく一方で、彼らは自分たちのレコードをあえて一枚しかプレスしないこともあった。そうすることで、その曲が彼らのサウンドシステムでしか聴けない「自分たちだけの曲」となることを望んだからだ。

アセテート盤として簡易プレスされ、正式にリリースされないレコードは「ダブ・プレート」と呼ばれ、彼ら独特のコミュニケーションの道具として機能した。

レア盤がDJにもたらす特権性

レゲエやノーザン・ソウルが初期のディスコと異なっていたのは、レコードが各DJの所有物として認識されるようになった点だ。このことは、DJの役割と評価のあり方を変えることになった。つまり、「レアなレコード」を発見すること、その希少さを手に入れることが、音楽の意味を左右することもまた「発見」されていったわけだ。(略)

ディスコの語源は第二次世界大戦下のパリで、レコード音楽を聴かせる酒場が「ディスコティック(レコードの図書館)」を名乗ったことに始まる。その名が意味するとおり、レコードはDJの所有物でなく、ディスコに置いてあるものとして認識されていたのだ。

2005-06-22 音楽未来形 このエントリーを含むブックマーク

一昨日の流れで増田聡月間に突入して(嘘)これを借りてみた。


音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

作者: 増田聡,谷口文和

出版社/メーカー: 洋泉社

発売日: 2005/02

| 本 | Amazon.co.jp

ポイントは二つ。以下当方の大雑把なまとめ。

  • ほんとうの音は「録音物」の中にはない

CD等に収録されたものが最終形態であるような認識が定着しているが、それは単に音楽享受の形が生演奏から録音物に変化した過程で生じただけであり、CD(録音物)という形態を聖典化すべきではない。

オーディオマニアが自分のオーディオシステムの音にジレンマを抱いてしまうのは、実際には存在しない「原音」というものを想定してしまうからである。それに対しDJによるクラブサウンドは「録音物」を再生しているが、そこに存在している音はその空間で鳴っている音であり、まさにDJによる生演奏であり、使用されている「録音物」に従属しない。原典の二次的使用行為などではないのだ。

録音技術以前は、音は奏でられるその瞬間にしか存在しえなかった。しかし、「鳴り響く瞬間=音楽の完成」と見なすような想像力が録音技術以降も生き残ったことによって、音の発生源が不明な=アクースマティックなレコードの音楽聴取の世界で「原音」という理念が生まれた。すなわち、レコードは「原音」を写し取る透明な媒体である、とする考え方である。

ところが、録音とそれを素材とした編集作業を何度も重ねて作られる音楽にとっては、どの時点で「音楽の完成」とするかが曖味になってしまう。ミュジック・コンクレートのような芸術音楽では、発表された録音物が「作品」とされたが、DJにとってはそれすらも素材であり、そこから新しい音楽を作り出すこともできる。

そしてその録音物がどのような場で、どのようなオーディオ装置によって再生されるかによっても、聴き手の前に現れる音楽は多彩に姿を変えうる。その意味では、レコードを再生することは、同時に幾分かは「演奏」なのである。

  • 著作権が問題にしているのは起源であって創造性ではない。また著作権は現在の音楽創造形態を正確に把握できない。

もともと「オリジナル」という語は、「起源」「始まり」という意味しか持っていなかった。それがロマン主義的な思潮の高まりの中で、次第に「独創的」という意味と重ね合わされていく。

著作権が直接保護しているものは起源の方であり、独創的なものではない。なぜなら、類似した著作物であっても、それぞれが独立に創作されたものであれば、どちらも保護の対象となるからだ。

上記の脚注

(なるほど、それで厚かましくパチモンをつくるわけか)

既存の著作物と類似した作品が作成されても、それが先行する著作物に依拠して作られたものでなけれは、著作権侵害にあたらず、類似した著作物も独立して保護を受けることができる。言い換えれば、著作物が保護されるのは、「類似していないこと」(=独創的であること)によってではなく、「ほかに依拠せず独立して作られたこと」、すなわち起源としてのオリジナル性があるかどうかによる。

作曲家が創造した楽譜を元に音楽がつくられる時代ではなく、最初に音楽がつくられている

レコードやマルチトラック・テープからサンプリング機器に至る、こんにちの音楽テクノロジーが可能にした新しい音楽環境は、(楽譜に音符を書きつける)作曲という行為が音楽作品の「起源」であって、その後に複製という利用が生じるとする、音楽著作権が伝統的に保持してきた枠組みにはなじまない。DJの実践が典型的に示しているように、録音テクノロジーを用いた多彩な「複製」は、「著作物の利用」というよりも新たな音楽を生産するための基盤である、と見なす方が実情に合っている。

以下当方のぐだぐだ話。

007テイストでまとめたおされなクラブ。素敵な仲間が集う空間、素敵な内装・音楽・器・盛り付けで提供される「ボンドカレー」は3000円でも納得の味。でもそれはただの100円「ボンカレー」なのでした。さて大塚食品は当方の製品をここまでグレードアップしていただきましてありがとうございますと言うのか、ゴラアッ、メニューに「ボンカレー」って表記せんかい、ワレェ、と怒るのか。

はたまた横目で眺めて、たかだか雰囲気変えただけで、3000円もぼったくりやがって、あんなものはせいぜい名乗って「ボンカレーRMX」だろうが、ボケ。

ほんとの、サンプリング魂っつうのはよ、えー、どこにボンカレーが入ってるのーとか、ボンカレーにスイカが合うなんて知らなかったとか、見た目はボンカレーそのものだけど、口に入れれば、中原昌也の分泌物がひろがり殺伐とした味わい、まさにこれこそ「ブンブンカレー」とか、そういうのをサンプリングっつうんだよおおおと叫ぶのか。

  • 素人音楽の敗北

この本のDJこそが生演奏という話の目的は、意識改革にあるのですが、僕なんかはそんなまどろっこしいことより、レコード産業抜きでガンガン制作者から直接消費者に音楽を提供してしまえば状況も意識も大きく変わっていくのにと思ったり、逆に「聴く」という形態においては素人音楽に展望はないのかあという気にもなったり。

なぜって、相変わらず奴隷根性でそのくせCCCD反対「音楽を殺すのは誰だと」と叫んでいる「音楽を殺してる奴等」には殺意しかないのですが、そういうバカとは違う産業構造が見えているこの本の著者でもあまり素人音楽に対して希望を持っていないようだから。

この本の最後にも出てくるように「ガレージバンド」etcで皆が「つくる」という段階に行かないと音楽産業から抜け出せないのかもしれない。そこに絡めると、貧乏人から見てDJの駄目なところは「録音物」を厖大に買わなければいけないところだね。

うわっ、なんかヒドイ文章。明日訂正するかも。

あっ、あと残りの引用は明日に続く。

あっ、あと興味のある人は4/17の錬金術とストラディヴァリとかも読んでみて。

2005-06-20 ポピュラー音楽とアカデミズム このエントリーを含むブックマーク


ポピュラー音楽とアカデミズム

作者: 三井徹

出版社/メーカー: 音楽之友社

発売日: 2005/05/01

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この本の中の

『宗屮僖リ」再考--美学的分析の試み

/増田聡』について。

ザックリ解釈するとこんなとこになる。

「パクリ」は明確な根拠もなく、ただ「似て聴こえる」という漠然とした判断によっており、裁判で争える「剽窃」というレベルに達していない。

音楽産業構造にどっぷりつかってアーティストを神格化し自分を重ねるから、それに類似したモノを聴くと、自分を侵害された気分になって、曖昧な感受レベルで声高に「パクリ」だと言い立てることになる。

未だに「オリジナリティ信仰」を抱いている遅れた一般人はまったく困ったものです。

なんだかヤナ感じ。一応抜粋しておく。

音楽言説における「パクリ」とは、ほとんど常に聴取の側から発見され、指摘される事態であるという事実である。パクリ言説においては「AとBは(聞こえが)似ている」という前提から、「Bはそれより以前に発表されたAをパクッた」という結論が導かれる。そこでは、実際に制作の側で剽窃行為があったか否かの検証は必ずしも満足に行われることはない。しかしそのような検証抜きに「パクリ」という判定は容易に下される。その意味で、「パクリ」と「剽窃」とは区別されなければならない。

好意的にとって、制作側は「パクリ」という低レベルな批判はしないという意味だろう。普通に読むなら、実際宇多田サイドは倉木を聴けば舌打ちしてるだろう、となる。言わないだけだよ。宇多田なら金持ち喧嘩せずだし、無名アーティストがパクられたと主張すれば電波扱いだ。

そして、この批判は「音楽家は他に類のない独自性をもった(中立レベルの)音楽テクストを生み出すべきであり、その独自性の如何によって評価される」とする原則に依拠したものである。これを「オリジナリティ原則」と呼ぶことにしよう。オリジナリティ原則は美学的な水準にとどまらず、著作権システムを媒介にしつつ商業的利潤を配分する根拠としても機能することになる。

すなわち、自分の愛着の対象となる「アーティスト」の「個性」の唯一性が、「パクリ」によって侵犯されることを、自身の「個性」が犯されることと等価な現象と見なす構図こそが、ポピュラー音楽をめぐる支配的な言説編制の論理であり、ゆえに「パクリ」非難は終わりなく続くことになる。

原章二『《類似》の哲学』から引用して

しかし、単に似ていることは許されないのである。それは個性や独自性を傷つけるのだ。(略)

かくて先立つものがオリジナルで、繰り返されるものはそれに内的に従属し、それを確証するところのコピーであるという体制がとられることになる。ところが、類似、似ていることは、こうした体制をまさに内から覆すものとしてあらわれる。

類似とは本来「別のオリジナルなもの相互の関連」である。しかしパクリ言説はこの両者を区別するよりも、類似を複製に回収させてしまい両者を同じ契機として取り扱おうとする。すなわち、類似を「不完全な複製」として眺め、その「オリジナリティの欠如」を批判するという構図に収めてしまう。

原の述べるように、近代的知性は類似を、同一性と差異とに分解して捉えることになる。すなわち、類似を類似として捉えることを忌避する傾向がそこにはある。

(略)

「パクリ」言説の過剰な攻撃性は、オリジナリティ観念への疑念と「類似」への寛容が浮上してきた今日の思潮への、近代的知性の側からの反発である、と解釈することもできるかもしれない。

さして音楽的知識のないヤングが批評まがいのことをしようとすると、自分の知っている狭い範囲の知識(つまり自分の好きな音楽家)を基準にして、なんでもその音楽家の「パクリ」だと言い立てることになる。これなら確かにあるだろう。

少し前のex猛ムス「なつち」盗作騒動なんて、元ネタ自体が常套句の塊であって、その常套句を素晴らしいと思ってパクってさらにそれを認めてるとこがなかなかスガスガ菅井きんですが、そのレベルを「パクリ」と言っているのだろうか。でもそれと宇多田VS倉木の「パクリ」は大分レベルが違うと思うが。

ともかくこの文章が気に食わないのは、なんだか他人事なとこ。下々の者は低レベルだなあと見下していますが、そんなノンキ態度をとっていられるのも、まさにアカデミズムのどまんなかで生活の心配なく研究にいそしめるからではないのかね。

例えば増田聡がコツコツ集めた資料で論文を書いた。しばらくして有名ライターが金にものをいわせて同じ資料をかき集め、似たようなテーマで本を書いてベストセラーになったらどうするのか。

「人生いろいろ」と大きな気持ちで許すのか。明らかにこの参考資料は増田聡の視点によって集められたものであって、「剽窃」であると主張するのか。それで裁判に勝てるのか。それでも宇多田は倉木に怒るなと言えるのか。「剽窃」がなくても、あきらかな「盗み」は存在しているじゃないか。

自分の使うレコードのレーベルを全部剥がしているDJ。同業者にネタをパクられるの嫌だからだ。所詮人様の作った曲をかけているだけじゃないか、ケチケチするなよと批判することは可能だ。OK、皆俺の見つけてきた曲が気に入ったらどんどん使ってくれたまえ、俺はまた新しい曲を探してくるからさ。実にナイスガイな態度だ。素晴らしい。だけど生活がかかっていたらそんな甘いことは言ってられないのだ。他の同業者に差をつけるには自分のネタを秘匿していくしかない。何故雇い主は彼を使う。客に受ける曲を見つけてくるからだ。そのDJのどこにも「オリジナリティ」はないかもしれないが、確かに雇い主は他のDJとは違う何かを見ている。そしてその何か(優位性)はネタさえばれてしまえば失われてしまう(確かにまた新しいネタを見つけることは可能だが、それにはそれなりの苦労というものが生じるのである)。雇い主は奴にはオリジナリティがあるだのなんだのとは言わない、言わないけど、奴は他のDJとは違うと思っているだろう。それはいったいなんだ。その視点は盗みようがないが、その視点を元に苦労して集めたデータは実に簡単に盗まれるものなのである。

付け足すと、「音楽産業に奴隷根性丸出しのくせして、CCCD反対とか言ってたプロ市民まがいの奴等は死ね。ホステスが寂しさを紛らわすために飼ってる犬に噛まれろ」という気分なので、音楽産業構造批判についてはそれなりに結構だとは重いマッスル。

smasudasmasuda 2005/06/21 01:42 増田聡です。手厳しいご批評、ありがとうございました。一点だけ、私は現在定職を持つ身ではなく、決して「アカデミズムのどまんなかで生活の心配なく研究にいそしめる」身分ではございません。そうだったらどんなにいいだろう、とは切実に思っておりますが(笑)。非常勤講師生活は実質的な生活水準はフリーターとなんらかわりなく、その中で身を削るように研究費を捻出する生活を送っておりますことのみ、誤解無きよう願います。また、そのような自分の生活状況と、研究論文での主張は「一切関連させるべきではない」というのがアカデミズムの倫理であり、私はそれに忠実でありたいと願っていることも付言しておきます。

kingfishkingfish 2005/06/21 03:16 うむう。勢いで書いたので嫌味な箇所があったかもしれませんが(一応削除線を引いてみた)、それほど的外れな事は書いてないつもりです。
不安定な生活の中で長年コツコツと温めてきたモノを、調子のいい奴が横から掠めて、タチが悪ければ自分がパクってないことを証明するために、ネタ元である増田聡を逆に盗作で訴えることだってあるかもしれないわけです(アカデミズムなら論文が発表された年月日を正確に判定してくれるでしょうが)。
「サンプリング文化ですもの」という「なしくずし感」がなんとなく不愉快な今日この頃。
そこらへん、詳しく、明日書けたら、書きます。だってもう、午前三時ですもの。

2005-06-19 アフリカ「発見」 このエントリーを含むブックマーク


アフリカ「発見」―日本におけるアフリカ像の変遷

(世界歴史選書)

作者: 藤田みどり

出版社/メーカー: 岩波書店

発売日: 2005/05/27

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1587年九州に出兵して秀吉は日本人売買を知る

秀吉の禁止令にもかかわらず、人身売買は跡を絶たなかった。コエリョはそれから三ヶ月後に平戸から送った書簡のなかで、ポルトガル人商人が「あらゆる手段で日本人男女を買おうとしている」模様を伝えている。(略)さらに、秀吉のバテレン追放に言及し、キリスト教徒であるポルトガル商人が、九州、とくに長崎で日本婦人、少女を拉致して「放逸なる生活」に耽溺していることが秀吉の逆鱗に触れ、追放の一つの原因を作ったと指摘した。日本側にもそれなりの事情があった。社会の底辺には戦争、貧困、荒廃から人身売買の対象となりうる人々が存在し、その一方にポルトガルとの交易によって得られる実益を優先させ、人身売買に目をつむる、あるいは関与する支配層があった。その状況に、15世紀末各地で異教徒を本国や第三国に売り渡したポルトガル人の奴隷取引の慣行が加われば、日本人輸出が当然の帰結であったと言えるだろ。

一旦終息しかけたが、朝鮮出兵で再燃。武器調達で日本人のみならず、朝鮮人も。

九州での日本人売買は、日本人の関与もあったにしろ、もっぱらポルトガル人が中心となって行なわれていたが、文禄、慶長の秀吉の朝鮮出兵の時期には、鉄砲など武器を調達する手段として、大名が積極的に朝鮮人をポルトガル商人に売り渡した。(略)

日本軍は戦闘のつまずきによって大量の武器の補給を必要とし、また日本人商人らは利潤に富む中国産生糸の輸入を欲した。主として生糸との交換のため、夥しい数の朝鮮人が奴隷として、あるいは誘拐されて日本に連行され、売られていった。その数は5万を下らない、と言われている。

「からゆきさん」はアフリカまで

醜業婦や娘子軍*1と呼ばれた彼女たちは、東南アジアのみならず、遠くアフリカにまで及んだ。中村直吉も、「何処へ行っても日本婦人が一種の発展を盛にやつているには驚かざるを得ない」と指摘する。中村や前述の古谷駒平、志賀重昂のみならず、明治から昭和にいたるまでアフリカを訪れた多くの人々に、ケニア、ザンジバル、モザンビーク、モーリシャス、マダガスカル、南アフリカで春を鬻ぐ女性たちの姿が目撃されている。

漱石の『三四郎』。誰も読んでないだろうと借りたアフラ・ベーンを広田先生は読んでいて、アフラ・ベーンの『オルーノコ』*2には

小説とは別に「サザーンといふ人」が脚本化したものがあり、同じ名なので「それを一所にしちや不可ない」と念をを押す。(略)

以上が『三四郎』で取り扱われる『オルーノコ』のすべてである。そこでは、たった一言主人公が「黒ん坊」であると書かれているに過ぎない。だが、注目すべきは、広田先生の放ったアフラ・べーンとトーマス・サザンの作品を一緒にしてはいけないという発言にある。サザンは、作中重要な役を担うオルーノコの恋人イモインダをアフリカ人から白人に変えたのである。このような改変に対し、漱石は一言も触れることなく、ただ同じものではないと広田に言わせるにとどまる。黙して語らぬこの姿勢こそが、英国での彼自身の体験を含め、逆に漱石の有色人種問題に対する過敏なまでの意識の裏返しであったといえるのかも知れない。

20世紀初頭意外に多くのロシア人がエチオピアに住んでいた

エチオピアとロシアとの正式な外交関係は1898年に始まったが、それ以前からも両国は特異な結びつきの歴史をたどっている。それは第二章第四節で触れたように、ピョートル大帝の寵愛を受け、その能力ゆえ位人臣を極めた、作家プーシキンの曾祖父黒人アブラム・ガンニハルの出自がエチオピアであったという出来事にとどまらない。ともに東方正教会に属する両国の宗教的な交流が19世紀中葉から始まる。(略)

エチオピアとイタリアとの緊張が高まるにつれ、武器の調達をはじめとして、エチオピアとロシアの結びつきは強化されていった。1896年のアドワの戦いは、アフリカの途上国エチオピアがヨーロッパ列強のイタリアを大敗させた、アフリカ史上画期的な出来事であった。

日本とエチオピア

1930年代に入ってからのエチオピアの日本への傾斜は、エチオピアには事実上友好的かつ強力な同盟国が一つもなかったことにもよろう。そのうえ皇帝あるいは天皇支配という国家形態の類似、有史上未だ被植民地化の経験がないこと、非白色人種国という歴史的、民族的共通性がさらに日本への親近感、期待を大きくしたといえる。イタリアを破ったエチオピアとロシアを破った日本の結びつきが、恰好の組み合わせに映ったとしても不思議ではない。

エチオピア殿下、日本人華族・黒田雅子と結婚かっ

日本での「エチオピア熱」は、1931年暮れのエチオピア使節来日に始まり、使節の帰国によっていったんは鎮静化するものの、それから1年半後の唐突なアラヤ殿下の日本人花嫁募集を端緒に、1934年1月の日本人華族令嬢との婚約で最高潮に達する。どこが危うさを感じさせながらも、破談になるまでの二ヶ月間、一方に満州での戦闘が報じられるなか、日本は華やいだ雰囲気に包まれる。(略)

エチオピアへの日本人移住計画は、エチオピアがイタリアと全面戦争に突入し、1936年イタリアの占領下に置かれたことで頓挫する。

東京オリンピックでのアベベは

本当の意味での「エチオピア熱」の到来である。エチオピアにとってもアベベの存在は意味のあるものだった。それはアベベが単にエチオピアに最初のゴールドメダルを齎したからではない。そのメダルを、1960年のローマ・オリンピックで獲得したからだった。1936年から42年まで、7年間の屈辱の支配を受けたイタリアからもぎとった栄光である。

*1:じょうしぐん

*2:『三四郎』では「オルノーコ」と表記

2005-06-18 古本的/坪内祐三 このエントリーを含むブックマーク


古本的

作者: 坪内祐三

出版社/メーカー: 毎日新聞社

発売日: 2005/05

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昭和10年、奈良に住む志賀直哉(52歳)を訪ねた小林秀雄(41歳)と瀧井孝作(33歳)に、志賀は夏に訪れた吉田健一(23歳)が横光利一(37歳)をしきりにほめていたと語る。

横光の本は創元社からくれたのがあったから、機械と云ふのや、時計といふ小説、天使とか云ふのと皆で三四冊ばかり讀んでみた、總體に讀後の感じがよくないネ、ひどく不愉快が跡にのこる、云はゞ化け物の感じだネ、化け物を見た感じで気味のわるいものが跡にのこる夢にうなされた跡の感じだネ、また讀んでゐるとしょっちゅう外ぐらかされるのだ。あゝ云ふ小説の行き方は、僕等の學生時分に流行つたバツタリの話に似てゐると思った、バツタリといふのは元は寄席で音曲に、バツタリと云ふとすぐ又別の唄をうたひ出したものだが、このやり方を學生時分に、幾人も一緒にゐて話する遊びでやったのだ、一人が或作り話をはじめ途中でバツタリと云って其話を次の者に移すと次が引取って亦作り話をつゞけ不意にバツタリで次の者がやる、此のバツタリの遊びは跡味がひどく空虚で厭なものだつた。

ポケミス686番を小林信彦は昭和37年にこう評した。

ロバート・M・コーツの「狂った殺意」(早川書房・250円)は、ハイブラウにして退屈な犯罪、心理物である。戦後、アメリカでニューロティック映画が大流行し、「暗い鏡」とか「らせん階段」とかいった作品が作られた時期があったが、これは、そのころ書かれたもので、クイーンの名作表にも入っている作

(略)

「ニューヨーカー」派の作家だから、タッチはどぎつくなく、原文で読んだらたのしいのではないか、と想像される。

実はこのロバート・M・コーツ、パリ滞在中にガートルード・スタイン、ヘミングウェイ、マルカム・カウリーと文学仲間だった。

それにしても、いくらエラリー・クイーンの名作表に入っていたとはいえ、こんなごりごりの純文学をポケミスに加えるなんて、当時のミステリの範疇はとてもアヴァンギャルドだったわけである。

[他にもフォークナーの「墓場への闖入者」なんかが選ばれている]

アメリカ産不条理文学

要するに、この小説は、当時流行っていたサルトルの『嘔吐』やカミュの『異邦人』をはじめとする実存主義文学、不条理の文学のアメリカ版なのである。『嘔吐』や『異邦人』と比べてしまったら、かなり分は悪いけれど、私は、実存主義文学として、この『狂った殺意』を味読した。時代が大きく変化した第二次世界大戦直後の、アメリカのちょっと感受性の強い青年の、変化の時代に対するヒリヒリした焦燥感がよく伝わってくる(「狂気」というひと言には逃げ込んでほしくなかったが)。忘れてならないのはロバート・M・コーツが、第一次世界大戦に出征した「失われた世代」作家の一人であったことだ。

大森一樹が村上春樹の「風の歌を聴け」を映画化したときに効果的に引用したホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』は、

1930年代のダンス・ダンス・ダンス。

当時、不況時代のアメリカではこの種のマラソン・ダンスが大流行した。食事と宿泊はタダとは言うものの、それは、一時間五十分踊って、わずか十分の休憩(食事も睡眠もこの間にとらなければならない)という過酷な競争だった。しかもこのマラソンは、優勝カップルが決まるまで、時に、三ヵ月以上も続いた。

さらにそこに、「ダービー」と称する、時間内の運動量を競い、その最下位カップルは脱落させられる、観客向けのレースショーが時おりはさまれる。

(略)

賞金や映画の役へのチャンスを求めてこのマラソン・ダンスに参加したはずなのに、彼らは(特にグロリアは)、そういう目的を忘れ、無目的にダンスを続ける。何も獲得出来ないことを知っているのに、そして肉体的にも精神的にも限界なのに、止めるに止められず、ただダンスを続ける。それは、生きることの不条理に重なっている。

2005-06-17 知識の社会史 このエントリーを含むブックマーク


知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか

作者: ピーターバーク

出版社/メーカー: 新曜社

発売日: 2004/08

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15世紀の教師の愚痴

あるイタリアの人文主義者は、十五世紀後半の手紙のなかで、仲間にこう語っている。「つい最近まで国王の知遇を得て楽をしていたのに、不運の星の下に生まれたんだね、今では学校を開いているんだ」。学校や大学の主に法学部の教師の給料は、不運の星の影響があろうとなかろうと、一般的に低いものであったから、このような反応があったとしても容易に理解できよう。

国家機密

たとえば、インドとアフリカについての知識を、ポルトガル政府は国家機密として扱った。1504年マヌエル国王は、海図作成者がコンゴより向こう側の西アフリカ海岸を描くことを禁じて、さらに現存の海図を検閲のために提出するよう求めた。ポルトガルの薬剤師トメ・ピレスがみずからの東方旅行について書いた今日では有名な旅行記『東方諸国記』は、マヌエル王に宛てて書かれたもので、香辛料の情報が含まれていたために、機密扱いだった。(略)

1711年に、ブラジル在住のイタリア人イエズス会士がアントニルの偽名で出版したブラジル経済に関する書物『ブラジルの文化と富』は、ただちに発禁処分になった。どうやらそれは、外国人にブラジルの金鉱山への道筋を知られることを恐れてのことであったようだ。

東インド会社と情報

この時代に情報の商業的価値に気づいていたという際立った一例を、VOC(連合東インド会社)として知られるオランダの東インド会社の歴史から見ることができる。VOCは「多国籍」企業と評され、また、帝国に匹敵するほど情報に必要な諸装置を愉えていた。この会社の成功は、(その他の諸要因もあるが)その「効果的な情報網」、対抗する他社を寄せつけないほどのその情報網のおかげであると考えられている。VOCはその領土を測量調査することに関心を寄せていて、その地図と海図を絶え間なく更新していた。有名な印刷業者のブラウ家の面々は、1633年から1705年まで、VOCに地図制作者として雇われていた。言い換えれば、有名な地図帳には載っていないような秘密の情報を含む、手書きの地図の制作者として雇われていたのである。海図制作者は、これらの海図に情報を印刷しないこと、会社の構成員でない者に情報を公開しないことを、アムステルダム市長のまえで宣誓しなければならなかった。海図は航海に使うために水先案内人に貸与されたが、あとで返却することになっていた。それでもやはり、ときには相当の代価を払えば外国人にも入手可能だった。

剽窃ヴェネチア

15世紀には、ヴェネチアで印刷される本はヨーロッパの他のどの都市よりも多かった(約4500種類の版があって、これはおおよそ200万冊の本になった)。競争は激烈だった。印刷業者が産業スパイ活動を行なうことも、つまり製作途中の本の印刷用紙を入手して、ほとんど同時に同じものを出版して競い合うということも、知られざる手法ではなかった。最初に著書の著作権が認められたのが当時のヴェネチアであったのは、不思議ではない。

もっと図書館を!

この時代に公立図書館の数は倍増し、利用者の数も閲覧できる開架図書の数も倍増した。例えば1648年にパリのマザラン図書館を、開館時間に定期的に利用した学者は80名から100名いた。ウィーンの高等図書館は1726年に公けに開放されたし、パリの王室図書館も10年遅れて公開された。18世紀後半までには、閲覧書を記入する印刷された用紙が用意されるようになっていたが、それでも当時の大衆作家セバスティアン・メルシエは不満を漏らしている。「これほどの蔵書があっても、週に二日しか公開されないし、入館しても二時間半しか利用できない……館員も尊大な態度で対応し、市民の役に立とうという気構えがない」と厳しい。

サミュエル・ジョンソンのモンテスキュー評

「彼はね、奇妙な意見をもっともらしく見せたいときは、いつだって日本とか、自分の知らない国々の風習を持ち出すんだ」

新聞を信じるな

起きたばかりの出来事についても、複数の報告が食違いを見せることがあり、そのため近代初期の読者は、ますます分別ある懐疑主義者になっていった。1596年にあるイギリス人が述べているように、「われわれは毎日多くのニュースに接するが、それらは矛盾しているときでも、みな真実であると言い張る」のである。17世紀になると簡易新聞が刊行されるようになり、たとえ「事実」の報告であっても決して信用できない、ということを、ますます多くの人びとが知るようになった。というのも、例えば戦争のような出来事について、対立する食い違った記事が、大都市では同じ日に届けられ、容易にそれらを比較し対照することができたからである。このような新聞では、以前の号で急いだため誤って伝えた内容を、後の号で訂正することがあったが、まさにその公正な態度が、ますます多くの読者を批判的な眼でニュースを読むように仕向けたのである。

2005-06-15 通貨燃ゆ・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。


通貨燃ゆ―円・元・ドル・ユーロの同時代史

作者: 谷口智彦

出版社/メーカー: 日本経済新聞社

発売日: 2005/03

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2003年の人民元切り上げ騒動のわけ。ブッシュは選挙前で世論の手前上。通貨より台湾の方が重要な中国は、五輪を前にして米に台湾独立非支持を通達してもらい借りができた。こうして双方が切り上げプレイ。

1930年後半、対米英戦前の通貨戦争

中国大陸での戦いは既に「代理戦争」となっていた。この辺り、当時日本でどうとらえられていたかはともかく、ワシントンとロンドンは蒋介石の向こう正面にはっきり東京を見ていた。

戦いは「通貨の信用」を巡って繰り広げられた。米英が守ろうとしたのは蒋介石国民政府の通貨であり、日本は逆にその信用と購買力を奪おうとしていた。

当時の中国は世界に比類のない銀保有国で、英国財政顧問の指導による「幣制改革」を1935年11月実施するまでは、銀と紙幣との交換を保証した銀本位制を採用していた。

ここで銀を国外に流出させるなら、中国通貨の信用はそれだけ落ちる。英国の専門家が戦時中に書いた本によれば、日本は銀の密輸出を積極的に奨励していたという。

銀本位制廃止で日本の機先を制した米英に対し

翌週が明けた月曜の11日、世界の為替相場が開くや否や、日本は外為専門銀行だった横浜正金銀行を使って中国通貨を売り浴びせる大規模オペレーションを発動している。

これが米国要路の意見を大きく動かしたらしい。継続中だった米中交渉は打開され、米国は直ちに、中国から銀5000万オンスを買うことに同意した。(略)

このとき、中国を代理戦争の揚として、日本と米国は正面から戦う布陣になっていたわけである。真珠湾攻撃に先立つこと六年という時だ。(略)

円ドル為替相場はこの頃100円が約29ドルだから、米国が中国から買った銀の総額は邦貨にすると9億円以上になる。これはその前後で日本があげた貿易黒字の最高額、1939年における6億5800万円をゆうに上回る。規模のほどがうかがえよう。

ドイツ版「思いやり予算

「オフセット」合意というものを、ドイツは米国との間で結ばされていた。オフセットとは埋め合わせをするという意味で、これは文字通り、ドイツの黒字を米国からの武器購入で相殺するという約束である。(略)

黒字分だけ必ず武器を買えと言って迫られ、財政事情など持ち出し難色を示そうものなら、「米軍を引き上げる。それでもいいのか」と脅される---。それが、ドイツが忍んだ対米関係のパターンだった。(略)

なぜ日本政府・日本銀行は伝統的に金を買わなかったのか。そのため、金の準備資産に対する比率が日本の場合極端に低いのはどうしてなのかという問いには、こう答えることができそうだ。「ドイツにドル・金交換を禁じた米国の圧力に政府・日銀が恐れをなし、考えてみようともしなかった」からである

「石油・ドル本位制」に逆らったのはただ一国

石油との排他的・独占的交換性。

ドルが世界の基軸通貨であり続けたゆえんは、結局のところここに多くを頼っている。それなら今ドル体制への挑戦者が狙いを定めるのも、まさしくこの点となることに不思議はない。「金・ドル本位制」は71年に終わった。今問われつつあるのは、それに代わってこの三分の一世紀続いてきた「石油・ドル本位制」の余命である。(略)

[ユーロを希望したイランとか、金決済を構想したマレーシアとかはあったが]

石油代金の受け取りを本当にドル以外の通貨へ切り替えた実例は、歴史を通じてたったの一国---サダム・フセインのイラク以外にない。

イラクは2000年9月24日、石油代金として今後一切ドルを受け取らないと表明した。当時のイラクは国連を通じてしか石油を売れない。その国連が一ヵ月後の10月30日、イラクの意向を受け人れることにしたから、この時初めて石油・ドル本位制に小さな綻びが生まれた。

ユーロ建てにしたいロシア

ロシアを始め産油国の悩みは、ドルという弱い通貨を石油代金として受け取り、ヨーロッパという強い通貨の経済圏からモノを買わざるを得ないところにある。石油代金自体が上がり手取り金額が増えたうまみは、このせいで減殺されてしまう。

2005-06-14 通貨燃ゆ このエントリーを含むブックマーク


通貨燃ゆ―円・元・ドル・ユーロの同時代史

作者: 谷口智彦

出版社/メーカー: 日本経済新聞社

発売日: 2005/03

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ニクソンショックから米国覇権は生まれた

金に対する取りつけ騒ぎが外国通貨当局によって引き起こされる潜在可能性に、米国はいつも怯えていなければならなかった。ここでは主体が外国通貨当局であり、米国は受身の位置に立たされていたのであって、覇権国にあるまじき姿だったと言わねばならない。

それゆえ本書の立場としては、ニクソンショックによる「金・ドル交換停止」を、一般に思われているように米国の弱さの表れとは考えない。当のニクソンがいみじくもあの夏予見していたとおり、金のくびきから離れてこそ、米国は誰の掣肘も受けない本当の覇権国へと成長していったのである。

ひとたび金とドルの交換可能性を封じてからは、主客ところを変えることが可能となった。米国の経常収支赤字は増えその結果として対外債務は蓄積されたが、正すべきは米国でなく、対米黒字を増やし続ける貿易相手国だというロジックに入れ替わった。

標的は日本

[「複数高官(匿名)」のコメント]によると「金・ドル交換停止が主として狙うのは日本円である。(金に対する交換比率をいじる形の)ドル切り下げでは、円の過小評価を正せないと考えたからだ。輸入課徴金は、他国が通貨切り下げに踏み切らざるを得ないようする(テコの役目を果たす)ものだ」という。まるで徹頭徹尾、日本を狙ったものだと言っているのと同じであることが諒解できるだろう。

(略)

[欧州の]「日本は固定相場を円安に維持して、輸出をどんどん伸ばし外貨をためこんでいる」との批判の中から生まれた批評だったというから、日本を狙い撃ちしようとする米国の意図は一定の同情を得られる背景のあったことがわかる。なおこの批判が、今日中国の人民元に対して寄せられつつあるそれと瓜二つであることを後の説明のため、念頭に留めておいてほしい。

ニクソンショックの本質を見誤っていた日本

寝耳に水だったというだけではない。金とドルの交換を停止するところにこそ本質があり、10%の輸入課徴金は言わば脅しの材料に過ぎなかったのに、日本ではむしろ後者、すなわらブラフの方に関心を集中させる失態も演じられた。速水優による次の観察は、この日のあることを予測できなかったのみならず、現実に直面してさえ本質を捉え損ねた理由について示唆に富むものだ。

「〔日本には〕ドルとの一蓮托生という考え方が強く、ドルさえもっていれば必要なものは買えるし、ドル価値の減価にヨーロッパ諸国ほどの強い関心がなかったし、……円切上げが必要となるとすれば、それこそ国内不況・輸出産業へのダメージにつながると〔考えていた〕。したがって[ニクソン演説の]パッケージの中では、ドルの交換性停止よりも、10%の輸入課徴金が、どれだけ日本の輸出産業に影響するかということに、より大きな関心が払われていたのではないだろうか」。

(略)

輸出競争力こそは日本経済にとって死活的に重要なものであるという固定観念は強固であって、その弱化につながる円切り上げの可能性を見まい、考えまいとするあまり、あり得べき将来の可能性について思考をめぐらすこと自体を放棄していたことがうかがわれる。

中国に顕著なインフレがないのは、都市戸籍と農村戸籍という明確な差別を設けて、農村を海外労働者扱いにしているせい。

例えば似た仕組みは、世界中の国がもつ外国人処遇法制に求めるといい。

国民でなければ得られない権利と福祉の数々から、外国人は明示的に排除されている。一定の在留期間が入国査証(ビザ)において課され、同期間を許可なく超えて居つこうとする者は、不法残留とされ国外退去を強制される。(略)仮にこのような「差別」を何も課さなければ、先進国にはたちまちにして途上国からの移民が殺到することだろう。

中国の都市・農村間の差別がまさしくそれである。(略)

農村出身者は普通、地元政府機関のあっせんによって集団として都市に上り、多くは機関監視のもとで一定期間下層労働に従事する。その間に蓄えた貯蓄を懐に彼らが地元へ戻ると、後を襲って再び農村出身者が上ってくる。そして賃金は、再び最低線からのスタートとなる。(略)

都市はおかけで労賃が一定期間ごとに最低線へ復する自動安定化装置を装備しているようなものだから、コストプッシュインフレの危険を回避することができる。反対に、農村人口の奔流にさらされ、価格水準がとめどなく切り下がる事態を招かずにもすむ。いわゆる「いいとこどり」が可能になっている。

トンデモじゃないの?多田井喜生「朝鮮銀行・ある円通貨圏の興亡」

1950年6月25日、北緯38度の南北軍事境界線を越え南侵した北朝鮮軍は、ソウルで韓国銀行を襲撃した。

韓国銀行とは旧朝鮮銀行資産を継承し発足した中央銀行である。業務を始めたのはその20日前のことに過ぎない。北朝鮮はこの銀行の地下金庫から、戦争遂行上欠かせない、ある重要な戦略物資を奪い取った。

当分の間「韓国銀行券」とみなし、紙幣としての通用力を認めていた旧「朝鮮銀行券」のうず高い山、そしてその印刷原版である。

これが北朝鮮の手中に落ちた以上、韓国経済は徹底的に破壊されることが決まったも同然だった。北朝鮮は末発行の紙幣をばら撒くことで、兵姑維持に必要な物資を意のまま徴発できる。新規印刷紙幣まで散布して、韓国経済を収束しようのないインフレに突き落とすことすら、侵入軍には可能になるからである。

このうえ一刻も早く、朝鮮銀行券の流通を禁じ、新たに韓国銀行券を刷ってそれへ切り替えさせなければならないというのに、当時韓国政府の全機能は半島南端の釜山に追い詰められていた。もちろん新紙幣の印刷などできる状態ではない。

そこで米軍当局は、韓国銀行券の印刷を日本の大蔵省印刷局に命じた。

(略)

事柄の性質からして戦争への参画行為に等しい。これが連合軍施政下でなかったら、「集団的自衛権」行使に当たる、いや当たらないと、やかましい話になっていたかもしれないくらいの情景である。

続きは明日。

2005-06-13

[]タイガー&ドラゴン「粗忽長屋」 タイガー&ドラゴン「粗忽長屋」を含むブックマーク

前回に続き謎が解けず悩む(魔法がとけぢゃうよぉぉby猫背椿のムネがっ!)。

引き取り手のいない行き倒れをどうにかしてやりたい、そうだ自分の知り合いにすればいい、粗忽のふりしてバババン。そんな気持ちがこの落語のはじまりなのだ。それをふまえて、定番の小百合ちゃんネタを炸裂させて「死んでも誰も悲しまない奴なんていない」と大感動という本筋はよくわかるのだが、恒例の謎がよくわからない。

虎児(長瀬智也)があまりにオチに納得しなさすぎなとこと、竜二(岡田准一)の「会話と最小限の動き」でという落語論を考え合わせると、ドラマだから成立させられるムチャクチャな話をやりますよと、逆に宣言しているんじゃないだろうか。

それは、何か。

兄貴を殺してしまうチンピラ・泰次(少路勇介)だ。

ヤスオ(北村一輝)が虎児に粗忽方式で偽装殺人を持ちかけて、否定されている。誰が刑務所行くんだよと。そこでその役割を担う泰次が必要になる。しかし、それでも問題は解決していない。だって一応ウルフ商会の親分にヤスオを殺したと信じ込ませているが、どのみち実際に殺された哲也(猪野学)がいないことに親分は気付くわけで、泰次を絡ませる意味はあまりないのである。確かに「担がれてるのがオレだけど、担いでるのは誰」というオチには死体が必要だけど、宮藤官九郎ならいくらでもやれるはずで、やはりわざと泰次を絡ませているとしか思えない。

さて、そこで。

ウルフ商会が流星会から引き上げるときに、親分は、「行くで哲也、あとそこの幽霊も」と泰次のことを幽霊呼ばわりしている。

また哲也が横領の罪を自分に着せたのでボコボコにされたと泰次が説明している。

以上から泰次はその際のリンチで死んで、今は幽霊になっている。幽霊だけど皆普通に接しているというありえない話をドラマとして成立させているのだ。その幽霊に「死んでも誰も悲しまない奴なんていない」と話して成仏させてやる。

わーい、無茶苦茶、ですね、暴走してますね。だってわからないんだもの。やけになってこじつけると、泰次(ヤスジ)は、ヤスオのヤスと虎児のジで、ヤスジ、だったりして。竜二もジだけどね。銃声が二発ってのもわからないし。

ともかく泰次はヤスオと虎児に全部話してスッキリして、何故かウルフ商会の親分も殺された哲也が横領していたと納得している、ようなカンジなんだけど。さすがに、これは、駄目か。わからない。本筋が大感動だからいいか。

茶番町三の住人茶番町三の住人 2005/06/17 10:10 「猫背椿のムネがっ!」って、
やはり猫背椿の胸に異変があったのですね?

「猫と奇妙な煙」でこちらを知ってから
こちらも読んでいたので、TBに驚きました。
読んでいると言っても、
私には、どうも難しそうな本ばかりなので、
ところどころ飛ばし飛ばしですが . . . トホホ

ついでのトホホ話。
スネオをスネオくんだと思っていました。
女の子だったのね。
ごみんね、スネオちゃん。

kingfishkingfish 2005/06/17 14:43 「付け乳首」と聞いたときは「あっ」と思って録画を確認したのですが、縫製上生じる突起のような気がしないでも。セクシー全開という展開なので「付け乳首」は確かにありで、笑い倍増なのですが。それよりもムネの佇まいが・・、微乳派の目から見ても。
猫の話はそちらのコメント欄に書きます。

2005-06-12 おしまいの噺 このエントリーを含むブックマーク


おしまいの噺

作者: 美濃部美津子

出版社/メーカー: アスペクト

発売日: 2005/05/26

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馬生の絵は近所でも評判

あの子が三つ、四つのころに、その道路にロウセキでチャップリンの絵を描いたことがあるの。それも等身大の大きいやつ。おそらく映画の看板かなんかで見て覚えちゃったんじゃないかしら。もう道ゆく人がみんな立ち止まって見入ってたわね。「こんな小さな子が」というだけでも驚きなのに、本当に本物そっくりだったんですもの。

写真家志望の馬生

あたしが志ん朝の母親代わりをしているころ、馬生は小学校を卒業して冨士フィルムに就職したの。そのときは写真家を目指してたんですよ。自分でもずいぶん写真を撮ってたわね。現像代が高いからって、ウチに機材だの持ち込んで現像までもしてましたよ。

終戦になっても満州で行方不明の志ん生。

そんな中、馬生もまだ二つ目で、芸は末熟だったかもしれないけれど、真面目に稽古して、ちゃんと高座を務めていたのよ。でも、後ろ盾になる志ん生はもういないからというんで、ほかの噺家さんたちにいじめられてたらしいの。このことはあたし、ずっとあとになってから知ったんです。馬生は我慢強くて、何かあっても愚痴をこぼすような子じゃなかったから、気づかなかったの。でも、お母さんが亡くなったあと、当時つけてた日記が見つかってね。そこに「今日も馬生がいじめられた。悔しい」って、書いてあったのを読んだの。

日暮里での志ん生の稽古場所

どんなに売れても、いろんな道楽しても、稽古だけは売れない時代と変わらず、毎日してましたよ。日暮里の家のすぐそばに谷中の諏訪神社があって、境内に崖っぷちのところにベンチが置いてあったんですよ。その下を山手線や京浜東北線なんかが走ってるのが見えるの。そこで一人、稽古をしていたようです。人がまったく来ないところだから、稽古をするにはもってこいの場所だったんでしょうね。

妻の死に呆然するばかりの志ん生

お葬式の翌日も、普通に起きて、普通に朝食の支度をして、お父さんと二人で普段どおりにごはんを食べながら、テレビを見ていたの。そのとき、テレビから文楽さんが亡くなったってニュースが流れたんです。

そしたら………お父さんが突然、声を上げて泣き出したの。

「みんな、先に逝っちゃった---」

文楽さんの死に、お母さんが死んでしまったってことが重なったんでしょう。それまで溜まりに溜まってた思いが、あふれ出ちゃったのよね。あたしと二人きりだったこともあって、もう見栄も何もないって感じで嗚咽を漏らして……。自分が一番頼りにしてたお母さんと親友をいっぺんに失ってしまったお父さんがかわいそうで、あたしも一緒になって泣きましたよ、お父さんの涙を見たのは、それが最初で最後でした。

志ん朝は元祖ばなな

家族と同じくらい、志ん朝をかわいがってくれたのが名付け親の三語楼さんでした。あの子を「バナナ」という愛称で呼んでたの。お父さんが志ん生を襲名する前の名前が金原亭馬生だったので、「芭蕉」の子ってことで付けたみたい。「バナナ(実芭蕉)、かわいや」と言いながら、抱っこしてくれてね。

当時東京に二台しかなかったという志ん朝のアルファロメオ、実は母親が買ってあげていた。

あの子が『若い季節』に出演してるとき、こんなことがあったの。番組を見てたお母さんが、台所にいるあたしんとこに飛んできてね、「強次が今『若い季節』でトリを取ったよっ!」って。高座でもないのにトリを取るってのもおかしな話じゃない。で、よくよく聞いたら、ラストシーンで志ん朝のアップになって番組が終わったらしいの。もう、たまたまなんですよ。なのにお母さん、「強次はすごいねえ、トリ取るんだから」って大はしゃぎ。そんくらい、あの子のことになると見境がなくなるんですよ。(略)それで、車をねだられても許しちゃったわけ。でもってお母さんが「その車はいくらするんだい?」と聞いたら、なんと当時で二百五十万円もしたんですって。でもお母さん、家じゅうのお金集めて買ってあげちゃったのよ。

2005-06-10 人民元は世界の脅威か このエントリーを含むブックマーク


人民元は世界の脅威か―円・ドル・元の競争と戦略

作者: 菊地悠二

出版社/メーカー: 時事通信出版局

発売日: 2005/04

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ドルの源流はスペインなのか。

スペインが発行したスペインドル銀貨は、やがて植民地のメキシコに受け継がれてメキシコドル銀貨に代わり、その優れた品質によりその後アジアで一世を風靡するに至った。さらに驚くことには、このメキシコドルが米国独立後の80年間ほど米国の国内通貨として通用し、米国が独自の通貨を発行する段階でドルという呼称をそのまま継承したという事実がある。

1871年、通貨単位を両から圓に移行し、明治政府は廃止された香港ドルの鋳造機械を買い受ける

すでに新規の鋳造がやんだ香港ドルには「香港壱圓 ONE DOLLAR HONG KONG」の刻印があり、また香港より持ち込まれた英国やフランスの鋳造機械には、圓の英字表記としてYENが刻まれていたとされる。この圓とYENを、日本政府がそのまま新通貨に借用した可能性が高い。開国によりアジア一円に飛躍しようとした日本にとって、すでにアジアに浸透していた香港ドルの圓やYENという呼称を利用できるメリットは、想像を超えるほど高かったに違いない。

日中通貨戦争

各国の洋銀が乱立するなかで、一八九〇年代の半ばにはデザインや品質に優れた日本の貿易銀が、英領海峡植民地やマレー諸島で高い人気を博し、さらにアジアの主要な海港で広く利用された。列強の侵略によって疲弊した中国を尻目に、明治の新政府が明確な目的をもって通貨競争に目覚め、一時的とはいえ成功を収めたのである。そもそも香港から[英人技師]キンドルを招聘したことにも、両・圓・元という呼称が混在する清朝末期の状況に照らし、新生日本の通貨として「圓」を先取りしようとする気迫がみえる。開国時に、金銀の国際商品価格に関する情報不足のため、大量の金を失うという屈辱を昧わった。こうしたことへの反省が契機になったとはいえ、その後現在に至る受身の通貨外交と比較して、往時の政府の行動には躍動感が溢れていたといえよう。

メキシコドルと同様の国際通貨として信認を獲得しようと、各国がほぼ同量の銀の純分をもった洋銀や貿易銀の発行をめぐって覇を競った。自国の銀貨が多く利用されるほど、自国の通貨発行によるシニョリッジ(通貨発行益)を多く稼げたからである。ドルと圓と元は、このようにしてアジアで一同に会し、その後それぞれの道を歩むことになった。

(略)

その後中国は新生中国に向けて政変を繰り返したが、発行された紙幣の表示はほぼ一貫して圓であった。

一九三三年の廃両改元で、両という呼称は中国の歴史から消え、一九三五年に不換紙幣としての法幣が発行され、通貨単位は元に統一された。しかし、米英両国の支援により印刷された券面の表示は、圓であった。次いで人民軍による人民幣が台頭したが、これも表示は圓であった。さらに当時大陸に進出していた日本の紙幣や軍票などの表示は、もちろん圓そのものであった。いわゆる「日中通貨戦争」は、政治的・軍事的な背景をもった「圓」の覇権争いという側面もあったことになる。

現在の中国における圓と元。[圓で円と元が統一なんてこたぁないw]。

この圓と元が中国では、現在でも一般に区別なく使用されているため、話がかなり混乱してくる。中国人にしてみれば、日常生活において圓と元を区別することなく使用してきた長い慣行がある。まず、ともに漢字の発音yuan(ユェン)とまったく同音である。圓と元を一緒にまとめた、オカネを意味する塊銭(クヮイチェン)という言葉さえある。

現在の人民元は、一九四九年の建国後に通貨単位の呼称を人民幣、そして通貨単位を元と定めたことによって呼ばれるようになった、いわば通称である。しかし紙幣の表示は、相変わらず圓のままで、これは清末より変わっていないことになる。正式の中国語では、日本円が日元(日本の通貨)、米ドルが美元(美国、すなわち米国の通貨)、ユーロが欧元(欧州の通貨)である。ここで使われている元は、実は圓の簡体字であって、この場は本位通貨(その国の正式通貨)の意味である。したがって、人民元は中華人民共和国の通貨であり、「われわれ人民の国の」通貨を意味することになる。

以上の複雑な絵解きをするためには、戦後の中国でこれまで二度にわたって行なわれた漢字改革の経緯を振り返る必要がある。すなわち、圓は一般の活字から消え、圓の簡体字の「元」と書くことを義務づけられた。したがって、中国で漢字の元と書く場合は通貨単位の元と、圓の簡体字としての元のいずれかを意味している。しかも圓のほうには元と同一の意味と、本位通貨としての意味、そして本来の丸(円)いの意味があることになる。ちなみに日本語の円は、日本で戦後に採用された新漢字であるから、もちろん日本でしか通用しない。

(略)

圓の呼称は、日本の「満州統治」時代(現在の中国ではこれを「偽満州」と呼ぶ)を含め、民衆に馴染んできたのであろう。通貨にとって最も本源的な基盤である庶民生活の場では、圓も元もまったく区別なしに使われていることがよくわかる。

1ドル=1円だったことがあったなんて知りませんでした。円高って、なにかね。

以下円の変遷(1ドル=)。

1871年 1円 円の誕生(明治政府)

1897年 2円 金本位制移行

1941年 4.25円 太平洋戦突入

1945年 15円 米軍占領下

1949年 360円

2005-06-09 ナチス・ドイツの有機農業 このエントリーを含むブックマーク


ナチス・ドイツの有機農業―「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」

(KASHIWA学術ライブラリー)

作者: 藤原辰史

出版社/メーカー: 柏書房

発売日: 2005/02

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リュック・フェリという仏哲学者が1992年の著書でナチの「自然保護法」と「ディープ・エコロジー」の類似性を指摘。そこらへんを下敷にしている模様。

「人間中心主義」批判と「動物への権利」の主張。ディープ・エコロジーが目指す理想を、ナチスは、一九三五年の「自然保護法」と一九三三年の「動物保護法」という二つの法律ではっきりと描いていた。つまり、〈第三帝国〉は、「人間中心主義」から「生物圈平等主義」へという未知の領域に踏み込む実験を、国家規模で、しかもディープ・エコロジーが登場する四〇年前に、法律上においてはじめて断行した国家なのである。

ナチの「動物保護法」。家畜の列車輸送にも気配りせよ。

動物の感情にまで思いをめぐらすような、実に細やかで、行き届いた配慮と、この家畜列車に「生きている」ユダヤ人を詰め込んで---「必要な空間」を確保することも「充分な飼料と水分」を与えることもせず---収容所に輸送しつづけたあり方が、〈第三帝国〉において共存したことをこの解説文は示しているのである。〈第三帝国〉ほど人間と自然が混在し、逆転し、融合した近代国家が他にあっただろうか。ナチスにおいては、ユダヤ人の「生命」は家畜の「生命」よりも軽い。あるいは、麻酔なしの生体解剖は動物には禁止されていたのにもかかわらず、強制収容所の囚人や捕虜たちに対しナチスの医師たちが施したのは、麻酔なしの殺害と、その直後の解剖であった。

有機農法にナチの汚名を着せる意図はないとのこと

農本主義的なナチズムとエコロジカルな農業。両者とも都市生活者からの農業問題へのアプローチであり、また、両者とも近代農業に抗するありうべき別の農業像を提示した。この奇妙で多面的で「グロテスク」な同盟のなかにこそ、ナチ時代の自然と人間をめぐるダイナミズムが凝縮されている。

シュタイナーのバイオ・ダイナミック農法を批判する、有機農法のもう一方の雄、アルバート・ハワード

ハワードの批判は、BD農法の暗部を鋭くえぐっている。シュタイナーの肥料の成分配合方法は、秘儀的な要素が強く、農法の伝承も、人智学徒およびそれ以外の人間に充分に開放されているとは決していえないものであった。例えば、シュタイナー自身も「講座」で「瞑想的な生活をすることで心の準備が出来ている人が、そういう仕事を見事になし得るのです」といっていることからも、この性質は確認できるであろう。さらにいえば、そもそもこの講座の質疑応答にみるように、シュタイナーと聴衆のあいだには原則として一問一答の関係しか成り立っておらず、農法の体系が「授ける側」−「授けられる側」という構図で権力的に維持されていた。それに対して、インドール方式は、基本的にその施行者に開かれたものだ、とハワードは自負しているのである。

ハワードの農業思想は、シュタイナーのような神秘性もなく、閉鎖的でも排他的でもなく、極めて明快で、受け入れやすいものであった。

ヒムラーのBD農法が創出する理想の人間像

つまり、ヒムラーもBD農法に秘儀的性格を与えようとしたのであるが、ただし、シュタイナーとは異なり、制限の規準を人種と職業に拡大させたのである。ということは、たとえ、奴隷的労働状況であっても、この指令以降は、薬草園で働くことは特権となったのである。そして、はからずも、この収容所、この狭く、むき出しの自然が襲いかかり、人間の権利が適応されない第三帝国の実験装置で働く囚人たちの姿に、初期グレーの理想の農民像、ヒムラーが思い描いた「鋤と剣」の東方移民者像や、ボイムラーのドイツ国民像が重なり合う。むき出しの自然と格闘する肉体的たくましさと精神的な恭順さを兼ね備えた理想の人間像が、ここに出現しているのである。本書の結論を先取りして言えば、ドイツ人の生を確立させるためのナチスの各々のプロジェクトは、有機農法で営まれるこの薬草園の囚人に収斂するのである。強制収容所とは、ナチスが理想とする人間(とりわけ農民)創出の壮大な人体実験施設であったのだ。逆に言えば、ドイツの農民たちもまた農法という労働の場から監視される囚人にほかならないのである。

微生物の気持ちになって大虐殺

ナチ党はミュンヘンで成立した都市政党でありながら、都市の市民の多くにはとても想像もできないような土壌のなかのバクテリア、腐植、鉱物のみならず、それらのあいだに存在する生態系、物質循環にまで想像力を張りめぐらせることができた。シュタイナーもまた、その強靭な想像力によって、ある意味では過剰なほど複雑な農法の世界を描き出してみせた。ヒトラーでさえその想像力に事欠かない。彼は、「化学肥料がドイツの土壌を破壊する」と一万人の将校候補生のまえで語ったり

(略)

普段みることのできない土壌世界に対し最大限想像力を膨らませること---これが、東部占領地の1600万人の外国人を殺害する計画の背景となったナチス・エコロジズムの、力の源であった。

2005-06-08 目には見えない何か このエントリーを含むブックマーク


目には見えない何か

作者: パトリシア・ハイスミス,宮脇孝雄

出版社/メーカー: 河出書房新社

発売日: 2005/03/26

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小説を読まない人間が何故に手にしたかといえば、小林信彦を読めばいつもパトリシア・ハイスミスなんですよ。ネタバレありなのかなあ。

まるで中原昌也みたいなタイトル「死ぬときに聞こえてくる音楽」。同僚を殺したことを日記につけるところから始まるけれど、実はそれはただの妄想で。

なんだかすごく中原昌也

しかし、一日じゅう鳴りつづける音楽には頭がへんになりそうだから、辞めるかもしれない。死ぬときに聞こえてくる音楽。アーロンはそう考えることがあった。いつだったかニューヨークのどこかで、行くのが嫌でたまらない約束があり---歯医者だったか、医者だったか---エレベーターで上に向かっているとき、そんな吐き気をもよおす音楽が、甘美なヴァイオリンの調べが、エレベーターの天井から聞こえてきたことがあった。

殺したつもり日記

妙なことに、歩く屍が郵便局にいる。考えると変な気分だが、もうじき局内で生きているのは自分だけになる。ある日、誰もいなくなった局を出て行き、この手で錠を下ろすことになるだろう---あのミューザク・ボックスのスイッチを切ったあとで。生き残るのは自分だけだ。次にボビー、それから配達人たち。配達人のなかでは、ヴィンセントを最初に始末しよう。あのチューインガムのにおいが鼻につくし、そばにいると毎朝のように肩を叩かれるのには、もううんざりだ。

1965年に「北斗の拳」を先取り

月曜日、ロジャーに呼ばれ、カウンターに積まれている小包の処理を手伝うようにいわれたとき、アーロンは、誤解の余地なく、きっぱりと答えた。

「おまえは死んでいる」

ロジャーは、あんぐりと口を開けた。

ボビーは、彼を見つめた。

カウンターの反対側でその言葉を聞いた数名の人々が、驚いたようにぽかんとした。そのうちの一人は笑みを浮かべた。

アーロンはロジャーを見つめた。これでロジャーはすくみ上がるだろう、とアーロンは思った。実際、ロジャーはひどくおびえた顔をしていた。

「こいつ、いったいどうしたんだ?」 ロジャーがボビーに訊ねた。

ボビーはアーロンに近寄った。「いったいどうしたんだよ、アーロン? 気分でも悪いのか?」

「気分は爽快だよ」アーロンはふてぶてしく答えたが、睡眠不足で自分の目が血走っていることはわかっていた。

「生まれながらの失敗者」負け組の雑貨屋、妻は流産で子供ができない体。かつかつの商い、兄が無一文でころがりこみ、当然妻はいい顔をしない。結局兄は金を持ち逃げ、それでも毎年やってる養護施設への寄付をしようとする。泣ける描写。泣けるわ、泣くわよ。

ウィニーは苦心して百ドルの現金をかき集めて、菓子やクッキーを買い、馬や橇を借りて、子供たちみんなを六人か八人ずつ橇に乗せて走りまわった。ローズは、ウィニーが子供たちのクリスマスにお金をかけても、小言をいわなかった。子供たちに囲まれて手綱を握るとき、ウィニーの疲れてやつれた顔がぱっと明るくなり、くっくっという声をだして馬を元気よく速歩で駆けさせると、彼のアライグマの帽子の毛が風に吹かれてぺしゃんこになる。そんな夫を見るのが、ローズは大好きだった。彼がどんなに自分の子供を持ちたがっていたか、ローズにはよくわかっていた。

やっぱり小説はメンドクサイので、全部読んでません。「帰国者たち」は戦後ドイツの微妙な空気を描いてます。

本音を申せば

本音を申せば

旧作DVDになれば百円、それまで待つ。ビンボー。

結論をいってしまえば、ぼくにとって、「下妻物語」は「ニッポン無責任時代」(一九六二年、試写室で観た)以来の〈予想しなかった面白さの映画〉だった。

2005-06-06

[]タイガー&ドラゴン「出来心」 タイガー&ドラゴン「出来心」を含むブックマーク

「盗られたことにすればなんでもできる」(ここは虎ちゃんの猪木顔で)そんな落語の構造を利用して、ありえたかもしれない別の未来をつくる、いつもならそれでグワッと世界が広がるはずなのだが(しかもフランシーヌとか、これまでの展開も利用しているのに)、今回は全然来なくて、色々考えてみたけれどわからず。

才能がないなんて早合点するな。もしも落語がやれたなら(杉田かおるも80キロ)。でも既に確定した過去はあって、そこから若い世代が派生しているわけで。組長がマクラをやって、その後を虎児(長瀬智也)が引き継いで、サゲは組長の(花色木綿)を使う。泥棒の話を泥棒して、ヤクザの話をヤクザが。そうするには盗られたと嘘をついた方も出来心と言ってしまってはドリーミーじゃないので、「花色木綿」なのかなあ?

なぜ前回のような感動には至らないのか。それは宮藤官九郎が内館牧子ワールドに挑戦して、そっちに神経を使いすぎてしまったせいではなかろうか。「汚れた舌」でいうと元同級生の巡査・金子準(高岡蒼佑)が 森口瑤子で、銀次郎(塚本高史)が牧瀬里穂みたいなもんですよ。当然クドカンワールドだから半端な凸凹コンビの珍騒動になってるけど、わざとホモ巣窟に行かせといて「えー、お前マジ行ったの。バカじゃねえの」と意地悪く言ったり、彼女自慢をあっさりスルーetc辺りに、内館ワールドがほんのり漂ってます。「許せない、何がニートよ。やりたいことが見つからなかろうが生活のためにしがない巡査をやらなきゃならない、あたしの気持ちがボンボンのあいつにわかるわけないわ。絶対酷い目にあわせてやる」。ニートというと困ってる親とか世間とか、悩んでる本人が語られるわけですが、働いてる同世代は語れないわけです。だってそれを言っちゃったら負けだから。ニコニコ笑って友達のふりをして話を合わせます。しがない巡査、しかも私服は(ダサイという仮定の)裏原ドラゴン。意地悪く描いてしまうとかなり浮かばれない設定の元同級生の巡査。コネなし資産なし才能なし夢もなし。そして多くの人間がそちら側なんですよおおお、ジェラシーなんですよおおお(ターザン山本)。

以下とりとめなく。

泥棒稼業とはなにか。警官になったら汚職とか、建設業なら談合ですね。一人前になるにはそれに染まらなきゃいけなくて、でも一旦露見したら極悪人にされてしまう。かと言って出来心でしたとは言えない言いたくない。それでドリーミーに花色木綿。もしも談合バレたなら、「花色木綿」で許して欲しい。池中玄太80億。

出来心が通用するのはアマチュアで、半端ものは一人前の顔して「ありorなし」なんて言ってないで、トラブルが起きたら「ちゃんと話のできる」大人の後にくっついて修行しろ。神保組もアマチュアでありました。

  • 脱線して「汚れた舌」について。

これ最初の二回くらいしか観てなくて、もちW直子はスキップ、森口瑤子の「エス目線」のみが楽しみ。直子を抱きかかえる旦那を牧瀬里穂が花畑から見つめる場面とかかなり笑撃的。ああいうのってクドカンワールドで出せない味わい。でもあんなドロドロした話、毎週見たくねえ。それにしても全国の社長さんは秘書ってあんなこと考えてるんだと(内館は元秘書)思うと震えが止まらないのでは。内館秘書は当然なしですが、森口瑤子の秘書なら、ありありありあり猪木アリ。

  • さらに脱線して

総合で頻出する「猪木アリ状態」という言葉。これってある意味、すごい。だって二人の人間のポジショニングを説明する言葉が、固有名詞を合体させた「猪木アリ」って、ああた。

2005-06-04 不機嫌なメアリー・ポピンズ このエントリーを含むブックマーク


不機嫌なメアリー・ポピンズ―イギリス小説と映画から読む「階級」

(平凡社新書)

作者: 新井潤美

出版社/メーカー: 平凡社

発売日: 2005/05

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扱われているネタについては殆ど知らないので(この間もケーブルで、ちむちむにーってやってましたなあと遠い目)飛ばし読み。イギリスの階級制度についてわかるかなと思ったのです。

観てもいないし、読んでもいないけど、へえーー

アメリカ映画『クルーレス』がジェイン・オースティンの小説『エマ』の「ビヴァリー・ヒルズ版」ならば、一九九六年に出版されてベストセラーになったヘレン・フィールディングの小説『ブリジット・ジョーンズの日記』は、『高慢と偏見』(一八一三年)の「九〇年代ロンドン版だと言えるかもしれない。

(略)

ヘレン・フィールディングは『ブリジット・ジョーンズの日記』に関して、「厚かましくも『高慢と偏見』の筋書きを盗みました。なにしろ一世紀以上も人気を保っているのだから」と述べている。

(略)

[ブリジットはBBCドラマの『高慢と偏見』の大ファンでダーシー役の男優とダーシーを混同している]

これはかなり露骨なパロディであり、『ブリジット・ジョーンズ』をフェミニズムやポスト・フェミニズムを含むさまざまな立場から分析しようとする試みに対して、フィールディングが「自分ははたんに面白がって書いたのだ」と返答しているのもうなずける。

上流階級になるには

両親が二人ともワーキング・クラス出身で、コネも財産もない人間が、アッパー・ミドル・クラス以上の子弟が通う寄宿学校で教育を受けただけで、両親とはまったく違う階級の人間になってしまうというのがイギリスの階級の特徴をあらわしている。

上流階級はインテリではない

この「教育」は必ずしも知識や教養を教え込むことではないのも、イギリスの特徴だろう。じっさい、イギリスの上流階級では「インテリである」ことは美徳とされない。と言うか、上流階級に限らず、「インテリは非イギリス的である」というのが、イギリス人が好んで自分たちにあてはめるステレオタイプである。しかしもちろん、ミドル・クラスの人々は、自分がきちんとした教育を受けたことを披露するために、知的スノビズムに陥らざるをえない。したがって「インテリではない」ことを安心してひけらかすことができるのは、アッパー・クラスとワーキング・クラスなのである。

狐狩りも必須

田舎を愛し、その生活に精通するのは、アッパー・クラスの人間の条件であった。イギリスで、その禁止が大論争の的となった「狐狩り」も、したがって、イギリスの田舎の生活の重要な部分であり、アッパー・クラス文化の伝統の一つなのである

ファウルズ『コレクター』。ワーキング・クラスに生まれ、教育を受けてホワイト・カラーになった典型的ロウアー・ミドルのクレッグがアッパー・ミドルのミランダを拉致

彼女は、自分のアッパー・ミドル・クラスの人々が芸術を理解せず、「ピカソもバルトークも猥褻か、そうでなければあざ笑う対象だと思っている」ことに我慢ができない。そしてその階級の「猿真似」をするクレッグの階級にも嫌悪を覚えるのである。

H・G・ウェルズはアッパーに利用されたくないと思ってはいたが

自らの能力と努力によって上昇しようとする人間には、それ相応の機会が与えられるべきだと信じていた。つまりそれは、生まれた階級が低かったものは、もし能力があれば、上にあがることができるべきだという信念であり、イギリスの当時の階級制度そのものの根本的な批判ではない。

だからマルクス主義に対してはかなり辛辣

私がマルクス主義にはじめてきちんと出会ったときはすでに、科学学校で生物学を一年以上勉強していた。だから私は、たんなる恨みと破壊に基づいて世界を再構築するという、まことしやかで神話的で危険な概念---階級闘争---を、それと認識することができる状態にあったのである。(略)

ブルジョアに対する彼のスノビッシュな嫌悪は、マニアの域に達していた。何かことがうまくいかないときには、誰か他人のせいにして、激しく非難するというのは、世界中の凡人の自然な性向である。マルクスは人間の衝動の中でももっとも薄っぺらで卑しいものに、もったいぶった哲学というポーズを与え、苦悩する大衆のうちでも活発な精神を持つものは、きわめて迅速にこれを受け人れたのである。

イギリスの高校生は大変だね

「ジョン・ファウルズの小説『コレクター』のヒロイン、ミランダは『お高くとまった、リベラル・ヒューマニストのスノッブ』だと作者自ら評している。作品の中のミランダの日記から、彼女のこの要素がどのように読みとれるか、論じなさい」

これはジョン・ファウルズの作品についてのイギリスの参考書に収められている練習問題の一つである。イギリスの高校での英文学の授業はこういった問題に答える作文を書くことが中心となり、試験も、このような作文形式で行われる。学生はテクストの重要そうな箇所を必死で暗記し、テクストから具体的な例をあげ、暗記した箇所を引用し、作文を書き上げる。

アレックスが「労働者階級出身の不良」というステレオタイプにはまるのを避けるためにバージェスは『時計じかけのオレンジ』で架空の言語をつくった。ロシア語・庶民の話す英語・rhyming slang・ジプシー言葉をまぜたものを作った。それがnadsat(ロシア語でティーンエージャーを示す接尾語)。

女性の胸は、ロシア語のgrudをとってgroodiesとなり、「よい、素晴らしい」を意味するkharasho(ハラショ)はhorrorshowとなる。

rhyming slangとは。

「カエル(frog)で70マイルやっていたら、コダラ(haddock)のウサギ(rabbit)がいかれちまった」先日知り合いの中古車ディーラーが私にこう言った。私がまったく理解していないのを見ると、彼はもっと丁寧な説明を始めた。「カエルとヒキガエル(frog and toad)を時速70マイルで走っていたら、コダラとニシン(haddock and bloater)の中のウサギ小屋(rabbit hutch)が動かなくなったんだ」(略)

つまり、roadという代わりに、意味はまったく違うが、韻を踏む単語であるtoadを使い、しかもtoadそのものならばまだわかりやすいが、toadとの語呂合わせのfrog and toadというフレーズを使うばかりでなく、それを省略して、frogという単語のみを使う。

[以下、車(motor)がbloater、クラッチ(clutch)がhutchというわけ。]

最近のrhyming slangはこんなのがある。

apple and pears =stairs

Britney Spears =beer

Calvin Klein =wine

rhyming slangは警察に聞かれてもわからないように、犯罪者が使っていたという説もあるが、少なくとも現在では、「頭の回転が速く、独特のユーモアとウィツトに富む、陽気なコックニーの言葉」というイメージが定着している。

2005-06-03 ヘーゲル『法の哲学』に学ぶ このエントリーを含むブックマーク


ヘーゲル『法の哲学』に学ぶ―自由と所有、そして国家

作者: 山辺知紀

出版社/メーカー: 昭和堂

発売日: 2005/04

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ぼんやり読んだので適当DEATH。

スミスとヘーゲルのちがい

スミスの中では、貨幣を介した交換が導き出す世界は人々の自然的な欲望を否定してしまうという意識が強く、そのため貨幣は注意深く背後に隠されているところがあった。その結果、人々の自然的欲望が作り出す世界は、貨幣が作り出すそれとは明確に区別されていた。これに対してヘーゲルの場合、貨幣が作り出す世界は、人々の自然的欲望が作り出す世界を覆うように構想されている。そして一方には有用物としての個別的な商品が、そして他方には普遍的な価値物が、それぞれに重なり合って動いている。そして、この二つの世界をつないでいるのが貨幣存在だとも言える。それゆえヘーゲルが構想する世界では、人々は市場での商品交換を通して、いつのまにかこの二重の世界を生きていくことになる。

商品という存在

近代に入って新たに歴史の前面へと躍り出た商品という存在は、人々をどこに導いていくのか。その先にあるのは誰も今まで知ることがなかった夢のような共同性なのか、それともそのまったくの反対物なのか。誰もが真剣に問い続けていた。その中の最もスケールの大きな二つのモデルがスミスとヘーゲルのそれだったとも言える。スミスは貨幣を後ろに隠して彼のモデルを作ったが、ヘーゲルはあえて貨幣を再び持ち出してきて、その普遍的性格に賭けたのかもしれない。しかしマルクスはこの二人をさらに乗り越え、商品そのものの存在を否定しようとしていた。

貨幣

価値物の交換というところで市場を考えるヘーゲルにとって、それゆえ貨幣存在のもつ意味はきわめて大きい。これはスミスの市場認識の中では意図的に隠されていたものではあるが、ヘーゲルはこれをジェームス・スチュアートを介して自分のものにしていた。価値物としての商品交換の場合、一方ではどこまでも無限に広がる均一な価値的世界があるのに対して、他方ではそれとは対照的に、人々のますます多様化する欲望に対応するため、様々な種類の商品が生み出され市場に登場してくる。均一化と多様化、これがヘーゲルが見ている世界市場の質だともいえる。そしてこのまったく反対の方向に向かっていくニつの流れを一つに捉まえているもの、それが貨幣存在ということになる。そしてヘーゲルの構想は、この貨幣を介した市場の構図をもとに練り上げられていたと言える。

共同性形態論としての君主

私人としての欲望の前にともすれば蔑ろにされがちな公民としての意識を形あるものに仕上げるため、共同性そのものが姿を現わしたものとしての君主という規定が構想されてくる。いわば、価値形態論ならぬ共同性形態論とでもいえるようなものが、この君主だと言える。

(略)

ヘーゲルの国家の構想からは、近代という、それぞれに矛盾しあう質を常に併せ持って動いていく世界の中で、価値と有用性、均一化と多様化、共同性と自由といった互いに反発しあう両極を一つに捉まえておこうという努力の跡を読むことは出来る。しかし貨幣が価値と有用性を捉まえているからといって、上のように構成された君主が共同性と自由を捉まえられるかといえば、それは必ずしも可能だとは言えない。貨幣が力をもてるのは、それが絶対的な存在だからでしかない。

自由と国家

ヘーゲルの場合、自由への問いを、単に特殊的意志という個人の領域で処理するのではなく、それを国家の領域にまで引き上げてきて、そこで最終的な答えを導き出そうとしていたことは事実である。そのため、彼の試みが単に国家というものに特別な意味を与えるためだけのもののように受け取られてしまったことも否めない。しかし彼が国家の中に込めていた意味は、決してそんな小さなものではない。いわんや、プロシャ絶対王政を弁護するためだけのものなどでもない。彼が国家に込めていた意味は、歴史の継承という課題をそれに担わせることであり、と同時にこの課題をそこでの人々に意識させ、それによって国家を、彼ら一人一人の特殊的意志の自由がそこで実現されるような近代的な制度として整備していくことにあった。

(略)

単に抽象的な存在としての個人などではない。具体的に種々の文化や歴史を背負ってそれぞれの地域で生活する人々である。それらの人々が、自らに与えられた生活の中で、その社会的あるいは歴史的規定から出発し、それにもかかわらず自らの自由を実現すること、ヘーゲルが構想する自由の実現とは基本的にはそのようなものでなければならなかった。(略)

そしてヘーゲルの中では、そこに実現されるはずのものが、この『法の哲学』の最後におかれた立憲君主制としての「国家」だったとも言える。

2005-06-01 横井小楠・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。『横井小楠儒学的正義とは何か』の本編を飛ばし読み。


横井小楠―儒学的正義とは何か

作者: 松浦玲

出版社/メーカー: 朝日新聞社

発売日: 2000/02

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長々引用しますけど、あんまり、面白い話でもない。

何故学校から人材が育たなかったか

和漢古今、学校がそういうありさまになっているのは、学問と政治が分離し、学校は本を読むだけの俗学の場に堕しているからである。だから、明君がこの弊害を打破して学政一致の学校を起せばいいと考えるかもしれないが、それもダメなのだと小楠は言う。この、それもダメだというところに、小楠の学校論の最大の特徴がある。だいたい、日本でも中国でも、学校を興すのは明君のときではないか。明君は学政一致を志し、政治のできる人材を育てようとして学校を運営する。ところがそのために、学生たちは、自分こそが政治に有用な人材だと証明するために競いたち「己の為め」(『論語』憲問篇)の学問という根本を忘れて政治運用の枝葉末節に走ってしまう。これは「人才の利政」というものではないかと、小楠は説くのである。(略)

人材を育てようとして実は人材を害ね、遂には政治に役立つような人材を嫌悪して、そういう才能のないものが本を読むだけの俗儒の学校になってしまう。(略)

学政一致を目指す心が悪いのかというと、そうではない。学政一致の本当の心が失われているのである。学問も政治が分離して、学者の素質と政治家の素質が別物だと考えられてきた歴史が非常に長いので、急に学政一致に切り替えようと思っても、ともかく学校から有用の人材を育てようとあせるばかりで、根本が立たない。そこで学政一致にならず「人才の利政」になってしまうのだ。

西洋を美化して政教一致と誤解していた小楠

キリスト教は、哲学・政治学・自然科学等すべてを含む全体学で、西洋諸国の政治は完全にその学に従って政教一致だということになる。ロシアを例にとれば、国王は一年の三分の二を国内巡見に費して民間の利害、政治の得失を察している。学校は村から首都の大学まで整然として、政治に何か変動があれば必ず学校に計り、衆議一決の上でなければ、国王の官吏が勝手にやることはない。それに、大臣など政府の役人も公論で選ばれたり退けられたりする。こういうことがみな「其の宗旨の戒律の第一義」だというのである。年貢は十分の一しか取らないから民は豊かであるし、また鉱業・工業・商業貿易等やりかた一切が「是を要するに其の政事、全く其の教法に本づき来り侯」だから、上下人心一致して、どこからも異論がでない。これはロシアだけでなく、西洋諸国どこも大同小異、中でもアメリカは新造の国で格別に盛大だという。

小楠のキリスト教と政治の関係についての理解は、もちろん間違っている。しかし小楠は、自分が確立している儒数的学政一致のパターンに合わせて、ヨーロッパを理解し、『海国図志』などの書物によって伝えられたヨーロッパの近代社会は、そういう理解(誤解)に耐える内容を持っていたわけである。

「交易」のすすめ。旧来の政治を改めるには

では、どうすればよいのか。「交易」によって積極的に民を富ませるのである。いま、とりあえず一藩について論じれば、一藩の民を富ませることを目的とした藩営の貿易を行うのである。これまで民間で生産したものが商人に買い叩かれているけれども、それをみな藩が損をしない程度の値段で買いあげ、開港地や他領で売る。相場をよく調べ、かつ藩が利益を見込むことさえしなければ必ず民はもうかる筈である。

国(越前藩領)中の産物は何十万両にのぼり、全部を藩政府が買上げるのは不可能だから、たとえば福井や三国港などに「大問屋」を設け、豪農・富商の正直なものを見込んで「元締」とし、ここでも藩政府との場合と同じ原則で物産を買上げる。さらにまた、もっと増産したいと思うものには、藩政府が資金を貸付けて生産させるが、その場合にも利子は取らない。新技術の導入や技術指導なども、一切、負担は藩政府、利益は民という原則をつらぬく。藩の利益は外国から取ればよい。ともかく民を富ませるのが先決なのである。

この政策を実行するための財政運用には、紙幣を発行するのがよい。いま、一万両の紙幣を発行し民に貸しつけて養蚕をやらせ、製品を開港地で売れば正金一万一千両になる。紙幣が正金になった上で、なお一千両の利益があるわけだ。この利益を藩政府がしまいこまずに公開し、また、正金が入るのを見て次の紙幣を発行するというようにすれば、生産と販売は万事好都合に回転していくであろう。そうしてこれは、国(一藩)だけでなく天下(日本国全体)にも適用できる筈である。

実際、万延元年に藩札五万両が増発され

これを生産資金として月八朱の利子で貸しつけたこともあって越前一帯の生産は活気づき、武士も含めた老若男女の内職的労働も盛んになった。物産の主なものは糸、布、苧、木綿、蚊帳地、生糸、茶、麻などだが、もっとも廉価な縄、草鞋、蓆などはもっぱら内職的製造によった。しかしえらいもので、初年度北海道に販売した藁類つまり幾万人、幾百日の内職的労働の成果だけでも「二十万何千両」の利益だったという。本命の長崎へ出した生糸が前記したように二十五万ドル (百万両)。次年度には長崎での生糸・醤油二品で六十万ドル。「文久元年」の末には「内外に向け輸出したる物産の総高は漸次増加して、一ヶ年金三百万両に達し、藩札は漸次正貨に転じ、金庫には常に五拾万両内外の正貨を貯蓄し」という景気のいい話となった。