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2005-08-29

[]「Pawngorcelis」公開 「Pawngorcelis」公開を含むブックマーク

ここで聴けます→ ●

やっぱり基本ループで延々と展開しないと受け入れられないのかなあと考えて、延々ループしてみた。途中で基本ループの中で展開するか、まったく違う展開にするか、どっちにしようかと迷って中途半端に。なんすかね。まあ、結局能力がないんだけど。実際10日で大体できてたのに、どうにかしようとぐだぐだやっていたらもう月末。いやになったので放棄。出だしは悪くなかった。いやそんなに悪くない。これはこれで。

最近の音楽はテレビで確認するだけで後はジャズしか聴かないのだけど、近所のブクオフが突如CD100円放出を始めたので貧乏大人買い。そのなかで一番のヒットがこれ。裏ジャケの作者近影にピンときて購入。

いい顔してるね

Axel Krygier/Échale Semilla

ここで試聴できそう

ラテンラウンジなのだけど、たいがいその手のは、確かに気持ちいいけどねー、結局過去の再生産よねー、それだけよねー、という虚しい気持ちは否めないのでありますが、これはヒネリが効いてて、いいっ(>_<)。ある意味、Stock, Hausen & Walkmanに通じるものが。暑い夏にダラーッと聴きながら、ウムウと唸っております。

2005-08-27 表現の自由vs知的財産権・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回のつづき。


表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?

作者: ケンブリューマクロード

出版社/メーカー: 青土社

発売日: 2005/07

| 本 | Amazon.co.jp

芸術なんだと強気でいく。友達になってみる。

「芸術世界という観点から僕らはすでにサンプリングに興味を持っていて、それでサンプリングで遊んだんだ」。ギタリストのリー・ラナルドは、「ウォーホルからシェリー・レヴァインなどまで、芸術世界の歴史を見れば、たとえ合法でなくても、サンプリングが真っ当なやり方ということは明らかだ」とする。(略)

それでもチッコーネ嬢はソニック・ユースの友人の一人となり、マドンナは恰好のターゲットになった。「メディアでまき散らされるものについては、この場合はマドンナだけど、自由に利用していいと思うんだよね」とラナルドは言う。われわれを取り巻くメディアは「結局誰のものにでもしていいんじゃないかな」と。『ザ・ホワイティ・アルバム』はその他にも、L・L・クールなどからもサンプリングしているが、アングラだから誰も気づかないだろうと思っていたとムーアは語る。数年後に大手のレーベルから再リリースされた時、マドンナは黙って許可をくれた。

メドレーとマッシュアップの違いを

法的な側面から言うと、前者は著作権所有者への許諾は要らないが、後者の場合は必要となる。メドレーは基本的に、違う歌を水平に並べるだけで、垂直的に重なり合う部分はない。現在の「強制許諾」制度の下では、改変がなければ許諾は必要ないのだ。しかしマッシュアップの場合には二つの曲を混ぜてしまうので、著作権所有者が拒否権を待つ。

アイディアをレコード会社が再収奪

先を見る著作権所有者の一部は、それが無料の広告になるという理由から、マッシュアップを奨励すべきだと考えている。「ポップの私生児」を攻撃する(匿名の著作権侵害者を無益に追跡する)代わりに、流用を是認するレコード会社もあるのだ。

(略)

既存のマッシュアップが合法的にレコード会社からリリースされる例が増えている。「オリジナルのアイディアをもたらした人々に対して何のクレジットもない」と、ヘルレイザーは自らのウェブサイトでこのことを苦々しく書いているが。ヘルレイザーの場合、アギレラ/ストロークスによるマッシュアップが、ヘルレイザーのオリジナルが出た二年後に合法的なシングルとして発売され、巨額な売上げをあげたのだが、ヘルレイザーには一円も入ってこなかった。

作者の死。

1878年トーマス・エジソンはすでに、レコードの世界での「作者の死」を予見していた。(略)「もとの作者の合意があろうとなかろうと、あるいは作者が知ろうと知るまいと」サウンドが録音され、保存され、複製され得るだろうとしている。

自分の著作物はコントロールできるか。ソクラテスの見解。

コミュニケーションの歴史を研究するジョン・ピータースによると、こうした心配は決して最近だけのものではない。二千年以上前にソクラテスは、話された言葉がアルファベットという新技術で記録されることを、懐疑の目で見ていた。ソクラテスにとって、新たな書字技術は、「迷えるメッセージ」を撒き散らし、意図しない影響を与えるものに見えていたのだ。「あらゆる言葉は、一度書き留められると、無差別にどこへでも行く」と、プラトンの描く対話編の中でソクラテスは語っている。声がいったん紙に封じ込められると、作者の意図しなかった会話へと引き込まれることを懸念していた。

消費者を恫喝する会社は滅びる

ALAMは現在の全米レコード協会と同じように、当時の主要な自動車会社の利益を代表しており、セルデン特許を通して市場を支配していた。この特許を通じてALAMは、「内燃機関によって自分で動く車両」からはロイヤリティを徴収することができた。ご存知のように当時の自動車は高価な贅沢品であり、ALAMはそのままにしておこうと思っていたから、フォード社に特許を与えることを拒んだのだ。

ともあれフォードが自動車を作ると、ALAMはフォード社の顧客数百人を、「許諾のない自動車」を買ったという理由で訴え、彼らと対決する空気を作った。全米レコード協会による訴訟や広告を思わせるやり方で、ALAMは新聞に、「許諾を受けずに生産もしくは輸入された製品を販売、使用したものは何人であれ、特許の侵害で告訴される」との言明を出した。訴訟は、1903年から、フォード勝訴の判決が下された1911年まで続いたが、ALAMに加盟していた企業の大半は、技術進歩に取り残されて潰れていった。この百年越しの話の教訓は、「顧客を訴えるな、そうすると顧客は逃げる。変化を取り込め」である。

2005-08-24 表現の自由vs知的財産権 このエントリーを含むブックマーク


表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?

作者: ケンブリューマクロード

出版社/メーカー: 青土社

発売日: 2005/07

| 本 | Amazon.co.jp

ウディ・ガスリーの著作権を管理する組織の代表とのやりとり。当時は他人の曲を改変して自分の曲にすることは普通のことだった。

「ええ……確かにガスリーは曲を盗んだかもしれません………」ここでスミスは言葉を切った。「でもウディの頃とは時代が変わったのです」。

(略)

私は重ねて、ガスリー自身が他人の曲を改変して使っていたことを強調し、TROがこうした形でガスリーの作品を囲い込むことをウディ自身がどう思うだろうか、と尋ねた。

「その答えはご承知の通り、こうですよ。『それならガスリー自身に聞いてくれ』。われわれは義務を果たすだけです。ガスリー自身が何を望んでいるかは分かりませんし、言うこともできません」。(略)

会社が「我が祖国」から未だに金銭を得ているということは、まさにウディ・ガスリーが望まなかったことではないのか。

まさに死人に口なし。関係のない奴が金を搾り取る。

しかも本当は1973年に著作権は切れていたのにTROの補助組織が11年遅れて更新していた。

「我が祖国」の公表された[1945年]楽譜には、これは共有財産であるべきだとするガスリーの記述が添えられていた。「この歌の著作権は合衆国にある。著作権番号154085の認めるところにより、今後28年、われらの許可なくこの歌を歌ったものは、われら友人である。全く構わない。公表しても、書いても、踊っても、ヨーデルにしても。われらがこれを書いた、それで十分だ」。彼がここで、著作権が28年間続くと書いていることに注目して欲しい。期間廷長されたのはその後のことだ。

またガスリーは、「私」ではなく、「われら」が書いた、としている。これはガスリーが、曲の作曲を自分一人だとは考えていなかったことを意味する。この曲の持つ力は、彼が受け継いできたメロディに由来するのだから、どうして自分一人のものだと考えることができようか?

自分の曲をパクッて訴えられるの巻

[元CCRのジョン・フォガティ]は、不利な契約にサインし、昔の曲の著作権を失ってしまった。1985年にニューアルバム『センターフィールド』をリリースすると、そこに収められた新曲「オールド・マン・ダウン・ザ・ロード」が、昔の曲「ジャングルを越えて」に酷似しているとして、昔の曲の著作権保侍者が、すぐさま彼を訴えるというさらなる侮辱的行為が起こった。

自分の曲の著作権侵害で訴えられたフォガティは、身を守るために30万ドル以上使う羽目になった。(略)フォガティは最高裁で、裁判費用さえ取り戻す印象深い勝訴を勝ち取った。

ちゃんと許可を取っても身ぐるみ剥がれるの巻

ザ・バーブは、ローリング・ストーンズのマイナーなヒット曲「ラスト・タイム」のオーケストラ・バージョンから、五音分のサンプルを利用するライセンス契約を結ぼうとし、デッカ・レコードから許可を受けた。「ビター・スイート・シンフォニー」がヒットすると、ローリング・ストーンズの元マネージャーで、ローリング・ストーンズの70年代以前の歌の著作権を保有しているやり手のアレン・クラインから訴えられた。クラインは、サ・バーブが合意を破って契約以上の部分を使っていると主張し、ザ・バーブの側は猛然と反論した。

ザ・バーブは、新たなストリングスのアレンジも加えて、50トラック以上を配し、全く新しい曲を作っていた。実際、この曲の渦巻くようなオーケストラのメロディは、ザ・バーブが創造したと言ってよかった。ローリング・ストーンズのサンプルによる部分は、他の音の重奏の中に埋もれていた。ザ・バーブは考えた末、いつまで続くか分からない裁判を戦うよりはマシだと考えて、彼らの曲のロイヤリティを全額渡すことにした。泣き面に蜂と言うべきか、今度は別の元ローリング・ストーンズのマネージャーである、アンドリュー・ルーグ・オールダムに訴えられた。クラインの訴訟は作曲についてのものだったが、オールダムの方は「録音」に関する著作権を保有していたのだ。ザ・バーブは結局、全てを失った。

ザ・バーブは、ヒット曲の印税を全て失っただけではなく、自分たちの歌を管理する権利もなくしてしまった。(略)

最後の打撃は、「ビター・スイート・シンフォニー」がグラミー賞の最優秀歌曲賞にノミネートされたにもかかわらず、著作権とクレジットがクラインおよびローリング・ストーンズに移っていたため、そのノミネートが「ミック・ジャガーとキース・リチャード」に行ってしまったことだろう。「ジャガーとリチャードがこの20年で作った最高の曲さ」と、アシュクロフトは皮肉った。その後、アシュクロフトは神経を病み、バンドは解散に至った。

U2をサンプリングしてU2をバカにした曲をリリースしたネガティヴランドはアイランドに訴えられて、多額の賠償金と著作権まで取られた(1991年)。一年後復讐の時はきた。エッジのプロモーション電話インタビューにネガティヴランドのメンバー、マーク・ホスラーとドン・ジョイスは潜入。言質をとった、とったどおお。

[パラボラで集めた衛星電波の映像をミックスしてスクリーンに映すというエッジの説明に対し]

■マーク・ホスラー■

気になるのは、著作権問題やサンプリングに関する議論ですよね。ズー・テレビ・ツアーはまさにテレビ放送のようなことをやろうとしている。著作物を、人々がお金を払って買ったチケットと引き換えに、再送信を行うということですね。これについてどんな考えを持っているんですか。

■ドン・ジョイス■

何か問題があったら、違法ということになりますね。

■エッジ■

いやいや、まず最初の質問から、これに問題があるかというと、私は問題はないと思う。理論上は。サンプリングには問題はないです。サンプルが別の作品の一部になることは、問題ありません。サンプリングというものが、取ってきた後に微妙に中身を変えることだとしたら、それは別の作品になるでしょう。われわれは映像を全く別の文脈に置くのです。生の放送だとしても、その部分は数秒であって、やっぱり別物でしょう。われわれの精神は……

■ドン・ジョイス■

つまり、断片を取ってくるというアプローチですね。

■エッジ■

そうそう。音楽と同じように、物をサンプリングしてくると。他の人たちだってわれわれをサンプリングしてるし。U2のドラムがダンスレコードに使われたと聞きましたよ。私はそのことを何とも思っていません。

■ドン・ジョイス■

これは面白い。われわれも同じ状況に巻き込まれているのですから。

4分33秒

マイク・バットは2002年、彼のグループ「ウォンブルス」の新作CDの最後に1分間の沈黙を入れ、ジョン・ケージの著作権を侵害した、と報じられた。新聞記事では、バットは怒り「私はケージの沈黙を引用してはいない。私の沈黙はオリジナルだ」とまくしたてたとされる。さらに「私の沈黙の方が優れている。ケージが4分33秒かけたことを、1分で行ったのだから」とも。バットはASCAPに登録料を払って、バット/ケージの沈黙を登録し、ケージの「財産」を論争の場に引きずり出すことになった。新聞記事では、官僚組織の歯車が盲目的に回り、ケージの財産に対して支払いがなされ、小切手が現金化したと報じられた。(略)

実はバットは、著作権狂いたちの行動を批判するのが真意だったのである。後にバットは、「1分」から「10分」まで、例えば「4分32秒」や「4分34秒」も含めて、沈黙作品の登録を主張した。「『4分33秒』は当然無理ですが、他は全部登録しました」とバットは語った。「ケージの作品の演奏でも、もし一秒でも短かったり長かったりしたら、それは私の作品です」。ケージ自身ならきっと、このバットの発言を評価したろう。

明日に続く。

2005-08-18 ペルシャ湾 このエントリーを含むブックマーク

真珠採りたちの静かな海、ペルシャ湾。


ペルシャ湾 (新潮選書)

作者: 横山三四郎

出版社/メーカー: 新潮社

発売日: 2003/01

| 本 | Amazon.co.jp

中国で12万人虐殺

不幸にして唐代の末、875年に始まって全中国を攪乱した黄巣の乱で、広州に居留していたアラブ人、ペルシャ人、ユダヤ人ら多数が殺された。その数は12万人にのぼったといわれる。やや誇張の数字のようだが、唐では人頭税を課していたからかなり正確ではないかとの見方もある。いずれにしてもこの時代の唐とアッバース朝の南海交易の規模の大きさを示唆するものだが、この時以来しばらく、唐とサラセンの交流は途絶えてしまう。

海賊行為は聖戦

ペルシャ湾の海賊アラブにとっても、異教徒であるイギリス人の船やインド人の船を襲うことは、半ば”聖戦”だった。それに本来、この海はアラブのものであり、この航行の自由を奪った連中と戦うのは正義の回復のためでもある。こうしてペルシャ湾での海賊行為が激しくなり、たまりかねてイギリス東インド会社が本国の海軍に初めて討伐を依頼したのは1771年だった。

拝火教の昔から天然資源の気配あり

ペルシャのアゼルバイジャンやフゼスタン地方には古代から、消えることのない火を祭ったゾロアスター教の神殿があった。なぜ消えないのか。その神秘的現象は昔の人々には人知を越えたものであり、アフラ・マズダ神の仕業と考えられたが、今日ではその火は地下から噴き出す天然ガスによるものであることが明らかにされている。

このようにペルシャでは古くから天然ガスや石油の気配があった。

石油ブームの発端

地球上で中東地域を無視できないものにしている石油ブームが最初に始まったのは、アメリカでのことである。ランプ用の油を採っていたクジラが少なくなって鯨油が高騰したため、原油から採取する灯油が見直されて需要が爆発的に増えたのがその発端である。1959年、ペンシルベニアのオイル・クリークでエドウィン・L・ドレークが日量35バレルの油井の掘削に成功するや、この「黒い黄金」の発掘のためその十年前のカリフォルニアのゴールドラッシュを上回る熱狂が繰り広げられた。

ペルシャで採掘して四年、石油は出ない。燃料を必要とする海軍の援助を受けてさらに三年採掘、それでも出ない。遂に1908年本国から撤退命令が。

技師レイノルズは頑固一徹の男である。七年も掘ってきていまさら成果もなく引き揚げるなどは考えられないことだった。ロンドンからの指令の電報をポケットにねじ込んで、探査を続けた。そして二週間後の五月二十六日未明、作業員の一人が「油井が変な音をたてはじめた」と伝えにきて、レイノルズが走ってかけつけたとき、石油が轟音とともにやぐらの上に噴出したのである。

レイノルズは喜びにむせんで本社に石油発見のメッセージを送った。電信略号を手許に持っていなかったイギリス人の電信係はこう打電した。「詩編第104、第15節、第3行目」。イギリスの本社の電信係の上司は、バイブルを参照してこう解読した。「かれはかれの顔を輝かすために地中から油を引き出す」。

ソ連弱体冷戦終焉でクウェート侵攻

危機感を募らせたフセイン大統領は、なによりもこう考えてクウェートに攻め込んだに違いない。あわよくばクウェートを併合して湾岸一帯のアラブの盟主となり、英米の影響力を排除して冷戦後の中東世界の新しい秩序を築こう、としたのだ。イラン革命後のイスラム世界には反米英の機運がこれまでになく高まってもいる。いまを置いて行動するときはないという判断だったのだ。

こうした情勢分析はヤセル・アラファト議長のパレスチナ解放機構(PLO)にしても同じだった。イスラエルを支援するアメリカが唯一の超大国になって現状が固定されてしまえば、祖国パレスチナの領土奪還は永遠に夢になってしまうだろう。こう考えるパレスチナ人の義勇兵はフセイン大統領の思惑通り、開戦とともにイラクに殺到した。アラファト議長もバグダッドを訪れてフセイン大統領と抱擁し合って共闘を誓った。

クウェート侵攻の中の日本人

筆者はドバイから、陸路アブダビに前進して緒戦の戦況をレポートしたが、驚くべきは中立地帯で操業を続けるアラビア石油の日本人従業員だった。現地採用の従業員は逃れたというのに、日本の従業員だけは残って工場を守ったのである。リヤドの日本大使館の退避勧告にもかかわらず、銃弾の飛び交う戦場となった中立地帯にとどまったことは見上げた忠誠心というべきか、命を粗末にする蛮勇というべきか

2005-08-13 ブライアン・イーノの日記 このエントリーを含むブックマーク

1995年のブライアン・イーノの日記


A year

作者: ブライアン・イーノ,山形浩生

出版社/メーカー: Parco

発売日: 1998/06

| 本 | Amazon.co.jp

「パルプ・フィクション」批判の一部

これが達成しているリアリズムは、別種のリアリズムを売り渡すことで実現されているような気がする---その行為は文化的な背景に包み込まれて、ロマンチックで安全なものとなっている。その意味でこれは、「ランボー」や「ターミネーター」と奇妙な関係を保っている。

ルー・リードに会ったので、20年前『ディスクリート・ミュージック』と同じ週に発売されたルーの『メタル・マシン・ミュージック』について。静とノイズという対極にあった両者だが

当時なかなか目新しかった軸の両端に位置していた---それはつまり、とけ込むものとしての音楽、自分がその中を漂う音響的体験としての音楽である。アンビエントのルーツだ。

ノイズについて

音楽史の一派は、音楽におけるノイズの進化とその純粋さに対する勝利をたどるだろう。ルネッサンスは明瞭で純粋なトーンと、均質で構築的な声を求めた。それ以来、これが一貫して主流からはずれてきて、作曲家から作曲家へいくたびに、もっとこすれるような複雑な音色を探すようになっている。

(略)

ノイズの源はひずみと複雑性だ。ロックはひずみに基づいて構築されている。つまり、物事はノイズによって劣化するのではなく、豊かになるのだという考えに基づいて。なにかがノイジーになることを許すのは、それに複数の読みを許すということだ。共鳴を倍増させる方法なのだ。

それはまた、「媒質(メディア)を落とす」手段でもある---これによって、自分のやっていることが素材からあふれ出そうだという印象を与えるわけだ。「おれはこのメディアには大きすぎる」というわけ。

バンドエイドには批判的なイーノではあるが

もしあれを全地球的なセレモニー、集会、巨大な全地球的パーティーとして見れば、まったく新しい意味を持つようになる。人々がお互いのちがいではなく共通性を祝うというシリーズ初のものになり得る(またはすでになっている)。そう考えれば民族主義・国家主義や民族分裂に対する解毒剤となる。うん、確かにそれは無意味な「みんなでいい気分になりましょう」主義だが、しかし実はそんなに「無意味」ではない。このような、信念に基づく行動以外にわれわれを協力させるものといえば、ほかに何があるだろう。非常事態だけではないか。

イーノ、思い出し怒りの巻

ヴァージンはDEVOのロイヤリティを一銭も払っていない---あれはわたしが自分でリスクを負ってプロデュースし、自腹を切ったのに。連中は何もしてないのだ。

使用料。暴力的なので断ったが。

映画「ポークチョップ」にTheRiverを使わせてくれと依頼。心が動く(3万ドル)が断る

厖大な補遺あり。というかある意味補遺の方が中身が濃いので、忙しい人は補遺から先に読んだ方がいいかもしれない。

NYのMoMAでの講演前、高い保険をかけて運ばれてきたデュシャンの「泉」を見て、イーノは考える。なぜ現地調達しないのかと。

デュシャンがこの作品をつくったときの態度を考えれば---かれ自身のことばを借りれば、「まったくの美的無関心をもって」つくったというのだ。わたしには、作品理解が完全に混乱しているとしか思えない。デュシャンがはっきり述べていたのは、「そこらのどんな古い小便器だろうと---それをいうなら、どこのどんなものだろうと---芸術作品だと称することができるのだ」ということなのに、キュレーターたちは、この特定の小便器だけが芸術作品であるかのようにふるまっている。そうでないと言うなら、なぜほんとにそこらにある小便器を展示しないのだろう---角の水道工務店で、ずっと安く買えるものなのに?

そこで60センチのビニール管に己の小水を充填し、警備の目を盗み展示ケースの隙間から、例の便器に放尿。国会議事堂にションベン?長プチ?クソぶっかけてやる?チョシュ小力?

この一件をもとに講演を行った。その日の流行りことばは「脱商品化」だったので、わたしは自分の行動を「再商品化」と称したのだった。

ありえない未来(1992年初出)

プロセスとしての旅行が復活する。人々は「A地点からB地点へ行く」という考え方をやめ、旅の文化を発展させる(あるいは再発見する)---半遊牧主義である。多くの人々が最新型のファックスとモデムを備えた移動家屋を取得する。一つところに住むことは、はっきり「下級層」となる。高速輸送は、現在ファースト・フードがそう考えられているように、安っぽくて、魅力がなくて、まがい物であるとみなされるようになる。

2005-08-10

[]「Dimbuksloop」公開 「Dimbuksloop」公開を含むブックマーク

ココで聴けるよ→ ●

8/2から開始して完成。早いペース。

今回のは制作者本人としては達成感あり。普通の曲と並べてもそんなに違和感ないような気がする(してるだけかも)。とりあえず熱帯夜にオートリピートで入眠できるようなのにしようと、ガムバッタ。いつものようにガチャガチャとやりたくなるのをコラエテひたすら引き気味に淡々とつくりました。後半は集中力が途切れて若干ぐだぐだ。途中つながってないね。まあ、ああいうものはつながっていると思えばつながっているのです。

上と下、義理人情、利害関係、その他諸々で板挟みになって自殺された皆さんに最適のクールサマークルエルサマーな曲ですよ。

こうして本人が盛り上がっているときは大概評判が悪かったりして大変落ち込むのであるが、この作り方って物凄く消耗するんですよ。ビートの枠組みなしで行き当たりばったりでやっていくので。エフェクトで印象が変わるのだからと今回はついに、5年前のネタを総動員。音楽を作るようになって、もう5年。使い倒したネタも細切れにしてEQをいじれば、いい感じ。それにしても、もう5年か。相変わらずのDL数。いい加減、どうにか、ならんのか。4日で100万曲か、やり場のない怒り。

聴き易いとは思うのだけど。

2005-08-08 現代イラン

黙々と音楽制作に取り組んでいるため、家に眠っていた新書をトイレ読書で消費することに。


現代イラン―神の国の変貌 (岩波新書 新赤版 (742))

作者: 桜井啓子

出版社/メーカー: 岩波書店

発売日: 2001/07/19

| 本 | Amazon.co.jp

ヴェールの利点(ムレるし、食事時は不潔だが)

普段着の上に地味な色のコートとヴェールを羽織るだけのビジネス・スタイルは、男性の視線ばかりか女性の視線からも解放される気楽さがある。「強制」されていることへの不満はあるものの、「隠す」ことの気楽さや便利さもそれなりに実感されている。西洋の女性が、「見せる」ことによって自己を表現してきた結果、常に「見られる」存在であることを強いられてきたのにたいして、イランの女性は「隠す」ことを強制された代わりに、「見られる」窮屈さから解放されたとみることもできる。

GIRIGIRIチャードルズ

女性たちは、スカーフとコートという規制のなかで生きてきて、それなりの使い分けによって自己主張をしてきた。許されるぎりぎりのところまで見せることで、その勇気と大胆さで周囲の視線を惹きつけようとする女性もいれば、隠すことの気楽さに慣れすぎてしまった女性たちもいる。今だにスカーフヘの違和感がなくならないという私の友人は、コートとスカーフのせいで、身だしなみに無頓着な女性が増えたと嘆く。(略)

女性たちは、「隠すこと」は、「見せること」でもあるという極意を体得し、そのなかにそれぞれの人生観と個性を表現してきたのである。

そんな時代もあったねと

西側諸国やイスラーム諸国は、イランの勝利でサッダーム政権が崩壊した場合に、イラク南部のシーア派がイランの支配下に入るという最悪のシナリオを恐れた。アメリカは1979年11月に発生したアメリカ大使館占拠事件以来、イランと断交状態にあったにもかかわらず、開戦当初は中立を宣言し、イランヘの武器売却にも寛大であった。しかし1982年以降、イランがイラク領に侵攻し、イラクが守勢に立たされるようになると態度を一変させた。西側諸国にイランヘの武器禁輸の徹底を呼びかける一方で、イラクには武器を積極的に売却した。

1986年に至って、アメリカが表向きにはイランヘの武器禁輸政策をとりながら、秘密裏にイランに武器を売却していたことが発覚する。レーガン政権を窮地に陥れたコントラ・ゲート事件である。

自慰モリソン、マラッカまっか 自慰モリソン、マラッカまっかを含むブックマーク

今時自慰モリソン行為がロックだと思ってる「なんて善意に満ちた平和ロックなんだろう」とか正直に書いたりすると宗教ヘッドギア面した信者にからまれるので、電車内人妻隣で自慰行為に及んだ会社員の夫婦仲についての隣人談。それにしても4日で100万曲か、やり場のない怒り。今、赤道直下、摩羅ッカ、マラッカあああ。(ここで気付いた、胃腸少年は開珍しただけだった)

「奥さんは福祉関係にお勤めで、服装にはあまり気を使わないが、普段から笑顔を絶やさない方。」

やり場のない言われよう。簡潔にして的確な表現。こういうざっくりした言われようが一番傷つくだろうなあ。ええっ、それなりに、それなりに、気を使ってたつもりだったんですけどお。かといって由美かおるに入浴してほしいわけでもなく。

2005-08-04 土地の文明 このエントリーを含むブックマーク


土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く

作者: 竹村公太郎

出版社/メーカー: PHP研究所

発売日: 2005/06/11

| 本 | Amazon.co.jp

PHPかあ、orz....。著者は元建設省官僚。

「不老林購入者に薄毛傾向あり」的分析もあったりしてどうかとも思えるのだが

石狩川といえばショートカット、ショートカットといえば石狩川である。自然を破壊し景観をズタズタにした悪名高き川の直線化の代表格にまでなってしまった。

なかなかにひきこまれるイントロ。

石狩川全長の30%の100劼鮑錣蠎茲辰寝論邁修の図面を見詰めていると、石狩川ショートカットの凄まじさがひしひしと追ってきた。

これほどまで徹底してショートカットしたのか。これほどまで北海道の技術者たちは蛇行部を嫌ったのか。

これらの図面にはショートカットヘの執着がにじみ出ていた。それまで全国各地の河川改修の図面を何百枚も見てきたが、これほど強い執着、いや執念を感じさせる図面に出会ったことはなかった。

私は図面から迫ってくる執念に内心たじろいでいた。

たじろぐ私を見透かしたように、その先輩技師は、

「なぜ、これほどショートカットしたと思う?」と聞いてきた。わかりきったことを今さらと思いながら、

「洪水の流下能力を上げるためでしょ」と図面に目を向けたまま答えた。私のそっけない口調に、「それだけじゃないんだよ」と優しく論すような返事が返ってきた。

「流下能力を上げるためだけではない?」その返事に私は振り返った。彼はニコリと笑って頷いていた。

その老先輩技師から思ってもいなかった言葉が出てきた。

「ショートカットは石狩川の川底を下げるためだよ。川底を下げて石狩平野の地下水を下げたかったんだ」

「地下水を下げる?」

「そう、石狩川の流速を速めて、その流速の力で川底を洗掘させる。それで石狩平野の地下水を下げたんだ」

私の全身に鳥肌が立っていた。その言葉の意味を理解できたのだ。

そうか、この執念は石狩川平野の地下水を下げるための執念だったのか!

つまり水をたっぷり含んだ泥炭層から水を抜くために石狩川の水位を下げることが必要だった。なんだか田口Tomorrowのナレーションが聞こえてきそう。いやもう、放映されてたりして。

山と船で攻めにくい遠浅の海にかこまれた鎌倉だが。

鎌倉は狭い、いや異常に狭すぎる。さらに、鎌倉は朝廷の京都から離れすぎている。日本史の中で「最も狭く小さな首都はどこか?」と問われれば、自信を持って「鎌倉」と答える。(略)鎌倉は狭い、そして、これ以上広くなれない土地である。(略)

頼朝は天下を治めるために鎌倉に構えたというより、この鎌倉という鉄壁の防御都市に閉じこもってしまった、という表現のほうが似合う。

それはインフラが整備されないまま流民でふくれあがり疫病が蔓延した不衛生な京都を嫌い、流民のいないクリーンな鎌倉を選んだという結論。

それよりも「ひきこもり」気質な頼朝って、実朝の文学につながるのかなあ。

昭和30年代の新潟の胸までつかる田植えの映像を見て

あの新潟の映像を見た帰りの関東平野は違って見えた。

家康は関東平野を洪水から守るため治水事業を実施したのか? では、関東平野の何を守ろうとしたのか? いったい関東平野に守るべきものなどあったのか? 家康が江戸入りした当時、関東平野は大湿地帯で、守るべきものなど何もなかった。そう、関東平野には洪水から守るべきものなどなかった。

家康が見た関東平野の風景は、あの新潟の芦沼の風景だったのだ。わずかな農民が胸まで泥に浸かってへばりついている光景を見たのだ。

家康が行った利根川の治水事業は、関東平野を洪水から守ることではなかった。関東の湿地の水を抜く。水抜きをして湿地を乾かす。湿地を乾田化して広大で肥沃な土地を生み出す、この一点であった。それが利根川の治水事業の原点であった。

沖積平野の治水は「洪水から守る」防御ではなかった。「国土を生む」という攻撃であった。

大陸につながる日本海と雪のない太平洋側が最短で連絡する地点とは。

今の福井県の若狭の敦賀湾と、太平洋側の伊勢湾を結ぶ線である。地図上の直線距離で、たった100kmしかない。

これで日本の都は、その直線上にある現在の岐阜・濃尾に決まりか。

そこから3000年前のシミュレーション。敦賀に上陸、雪をのがれて南へ。峠を越えると盆地で大きな湖(琵琶湖)。舟で進み湖の出口の川を進むと、今では埋め立てられた巨椋池という京都の南にあった大きな池に着く。そこから高台に向かう。

巨椋池から鴨川にそって3kmほど歩いて進む。するとそこには、冬の北風を防ぐ山々が屏風のように配置され、南に開けた明るい土地がある。

そこが、京都だ!

敦賀湾に上陸して、日本列島を横断してきた。その間、自分達の足で陸路を歩いたのは、深坂峠越えのたった20kmと最後の3kmだけだった!

広島は海の城。

関ケ原の戦いの総大将・毛利輝元は一貫して海を駆け巡る戦国大名であり、農耕する戦国大名ではなかった。その物的証拠もある。

広島城がそれである。

1591年、毛利輝元は新しい本拠、広島城を建設した。この広島城は農耕を念頭に置かない海の城である。

広島城の背後には中国山地が迫り、城の前面は瀬戸内海に直接面していた。そこに流れ込む太田川はいくつもの州を形成していたが、大雨のたびに州を崩し流路を変え荒々しく流れ出ていた。

毛利輝元は河口デルタの一番大きな州、つまり海の中の広い島の「広島」に城を建造した。

毛利輝元の目線は陸地ではなく海に向いていた。それは、いざとなればいつでも身軽に海上へ飛び出して行く、と言っているようだ。

交流軸は栄える

[低迷していた]滋賀県が、高速道路の開通と同時に目覚めた。

東名・名神高速道路が開通して15年経った1980年には、他の20県近くをゴボウ抜きして全国第5位となっていた。その後の数年間は第5位あたりで頭打ちを示したが、北陸自動車道が開通するとまた躍進が始まった。

北陸自動車道が開通し滋賀県はさらに躍進し1987年、遂に一人当たり製造業粗付加価値額で全国第1位となった。それ以降の現在までの14年間、滋賀県は不動の第1位の座を確保している。

2005-08-02 グロテスクな教養 このエントリーを含むブックマーク


グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

作者: 高田里惠子

出版社/メーカー: 筑摩書房

発売日: 2005/06/06

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著者近影が金井美恵子そっくりな気がする、などといい加減なことを書いていることからもわかるように適当に読んだ。

エリートと呼ばれる少数の、それなりに才能のある、あるいは、それなりの才能しかない男の子たちの迷走を見つめて

「偉大なる暗闇」だった漱石。百年前のニューアカを糾弾する白鳥。

正宗白鳥は、『吾輩は猫である』以前には「柳村氏〔上田敏]などとは異り、殆んど読書社会の注意を惹かなかった」文科大学講師夏目金之助の「世間の事業とか名利とかを殆んど念頭に浮かべていない」暗闇ぶりを最初に称賛した者のひとりである。

能ある鷹は爪を隠くす。知ったか振をする者に真に深く知れるはなし。さるに盲目千人の世の中は、頻りに横文字交りの文章を片々たる小雑誌に掲げ、西洋文学を鼻の先きにぶら下げる手合を、直ちに博学者と思い込み、深く蔵して沈黙を守れる真正の学者を認むるの眼力なし。

ニューアカ侍

教養主義が、すでに考察してきたように、高学歴読者たちのお友だちの輪であったのにたいし、ニューアカは著者たちの特権的友情共同体のような外観を整えていたのだ。この意味で最もニューアカ的な書物として、細川周平の『トランス・イタリア・エクスプレス』(1985)を挙げたい。(略)

腰帯には「限りなく<差異>を生みだす半島の文化を横断する80年代のイタリア紀行」とある。

このように書くと、細川周平のさわやかな著書を不当に貶めているかのように映るかもしれないが、そうではなくて、時を経てパロディになりうるほど、ニューアカの最良の部分を体現していたということなのだ・・・

自分にも関係することになると途端に甘くなる著者

著名学者でも、自分の抱えるオーバー・ドクターを、「老舗人文書出版社」の出すアンソロジーや共訳者のなかにギューギュー押しこんで業績作りに手を貨してやったり、科研(文科省科学研究費補助金)の出版助成金でまかなう共同研究の成果や、何かのお金で招待せざるをえなかった外国人学者の講演集の翻訳をなるべく立派な業績に化けさせたりするのに、出版社および編集者との連携は欠かせないと想像できる。これは、非難でも暴露(大学関係者なら誰でも知っている)でもなく、現在の状況では致し方ないことであるのを強調したい。大学の形式的業績主義と若い人文系研究者の就職難と人文書出版社の苦しい事情とが、いま、教養の灯りをまた一つ消そうとしている。

オチがこれ

嗚呼、女の子いかに生くべきか。

「男の子いかに生くべきか」の衰退をめぐる長い長いお話のあとで、はじめてこの問いが切実さをもって迫ってくる。自分自身を作りあげるのは自分自身だ、という教養の定義を最初に掲げた。この言葉が現在では通用しなくなったわけではあるまい。人は、生きるということにたいして、残念ながらそれほど冷淡にはなれないのである。むしろ自己形成というものが、残酷なまでに大衆化され個性化されてしまったのだ。「女の子」たちは、いま、この試練の先頭に立っている。

2005-08-01

[]「Equebeq Surf」公開 「Equebeq Surf」公開を含むブックマーク

ココで聴けるよ→●

前回書いたようにEQを変えると音がガラッと変わることに(今頃!)気付き、使い倒した過去ネタ総動員。そのせいか二週間でできた。まあこのやり方だとどこまでいってもこんなとこかなあと曖昧な終わり方。でも総体的にはカラフルで聴き易いのではなかろうか。そこそこいいんじゃないだろうか。いいと思わねえと、やりきれねえ。次は物凄くシンプルにしてみようかと。

オマケのどうでもいい話 オマケのどうでもいい話を含むブックマーク

図書館でサイゾーを読んだら、岡村ちゃんは2002年にも同様に逮捕されていたそうで、その時は初犯で情状酌量となったが、今回は執行猶予中ということで実刑はまぬがれないと。そこでハタと気付いた、卓球とのコラボが「Come baby」後いきなり白紙になったのはそのせいだったのか。

テレビでチラと観ただけなので自信はないが

☆BSこだわり館

 「解散から35年 ビートルズ・ソロ特集」

8月15日(月)〜17日(水)・BS2・午後11時00分〜深夜0時00分

司会進行、渋谷陽一&松村雄策のようだ。黄金タッグだ、渋松対談だ。どうしよう、事件ですよ。見逃したら、オレ、泣いちゃうかも。

金曜の夜、国営放送で苦悩する米村でんじろうに涙。がむばれでんじろう。新ネタがでけたよ。確かにでんじろうのネタはアイディアだからパクられ放題だもんなあ。どうでもいい子供ネタの時にチャンネルを変えれば、北村一輝がユンソナ相手にはにかんでいた。ちがうぞっ、はにかんでる北村一輝なんて一輝じゃない。爬虫類パワーでユンソナに貢がせて弄んでゴーカンしなきゃ、一輝じゃない。今まであの存在感で気付かなかったけど、身長177センチなんだ。185センチありそうに見えてた。もしも南海キャンディーズに入ったら一番チビな蛇顔の人って言われちゃいますよ。しずちゃんに下目線で小突かれる一輝なんて。