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2006-03-31 地中海への情熱 このエントリーを含むブックマーク

四月を前に雪が降ったので禿しく飛ばし読み。

地中海が与える霊感は尽きないものであり、南欧への旅がその通過儀礼だというわけだった。オリーブが栽培される地域への境界線でイギリス人旅行者が感じたのは、そこを越えるのは、海峡やライン河を越えるよりもっと意味が深いという意識だった。彼らは、南欧への入口で、神への賛美に似た経験をした。周辺から事物の中心にきたのであり、その思いは源、根源、本質、そして究極的なものへの愛着にあった。


地中海への情熱―南欧のヴィクトリア=エドワード朝のひとびと

作者: ジョンペンブル,John Pemble,秋田淳子,渡辺佳余子,加藤めぐみ

出版社/メーカー: 国文社

発売日: 1997/05

1840年頃までロンドン〜ローマ間は3〜4週間かかり、ローマ帝国時代と変わらない速度だった。

ペニンシュラ・アンド・オリエンタル社の蒸気船ではサザンプトンからアレクサンドリアまで17日間でいくことができた。1880年代初めにはそれが13日になった。だがそれまでに蒸気船は近代的旅行のシンボルの座を奪われてしまっていた。そのあいだの時期に、蒸気によって陸路に革命が起こり、何日、または何週間かかるかという距離も、何時間でいけるかと考えられるようになったのだ。エジプトにいくのに、フランスやイタリアを陸路で通り、ブリンディジで汽船に乗り換えるほうがより速くて快適な時代になったのだった。こうするとエジプトまで6日でいけた。(略)

1850年代半ばまでには、マルセイユまで鉄道が通り、旅行者がパリからリヨンやアヴィニヨンを通って南フランスまで18時間でいけるようになった。その後も鉄道は、コルニス沿いに東へ着々と伸びていったので、1869年までにモナコまで汽車で行けるようになった。それから一年のうちに、イタリア国境まで鉄道が開通した。[イタリア鉄道開通でロンドン〜ローマ間は55時間に]

旅行には目的が必要

ヴィクトリア時代のひとびとは、どこかに到着してしまうよりも、意図を持って旅していたほうがいいくらいだと思っていたようだ。これは、ひとびとが海外に出かけていること、それもそれが長いほど、疑わしく堕落的だと考えたからだ。イギリスを顧みないのは、家を顧みないのと同じだった。(略)

当時、旅行は軽々しくすべきものではなかった。正当な理由が必要であり、とくに南欧にいく場合はそうだった。気候がよくなるにつれ、道徳的には落ちていくと一般に考えられていたからである。

群集への恐怖

「庶民こそがイタリアの魅力だ」と、ハリエット・テイラーはかつてジョン・スチュアート・ミルに語った。「イギリスでは災いのもとであるのに」と付け加えながら。(略)

18世紀の楽観主義に反対し、それほど寛大には人間をみない文化気風の影響を受け、彼らは人間嫌いになって地中海にやって来た。(略)

「自然界で……むやみやたらに増えているものが私をぞっとさせる」とテニソンは打ちあけた。「熱帯林の成長ぶりから増えていく人間にいたるまで---ものすごい勢いで生まれてくる赤ん坊たち。」こうした恐怖のおののきが、ヴィクトリア時代の文学から響いてくる。科学が人間性を恐ろしい自然のプロセスの一部分とみなしていたので、庶民にたいする恐れはもはや不合理なものには思えなかった。

イギリスの19世紀は町と産業と民主主義の時代であり、これらのすべての特徴は、人間の特性に関して特別な要求をした。町は洗練された市民を必要とした。産業は訓練された労働者を。民主主義は教育を受けた有権者を。それゆえに、犯罪、飲酒、無学のような社会悪にたいする寛容さはますます減り、そうした社会悪にふける下層階級を見くだす傾向が増した。公民道徳を育てる環境とはちがい、ヴィクトリア時代の都市は、教育を受けた者と財産家が嫌悪と恐れを持ってじっと見入る、犯罪と破滅の場であった。そして、群集---こうした人口の込み合った都市の群集---は悪意の集まりとしてとくに恐れられた。

地中海の庶民への賛辞

ジョージ・ヘンリー・ルイスは、スペイン人たちが詮索好きでないので彼らのことが気に入った。「庶民でさえ、こちらが彼らの視線に気づいたとわかるとすぐに目をそらす」

ウィリアム・アーサー師は翌年、ミラノで聞かれた勝利の祝典を見て、群集が「秩序を守り、上機嫌でいることにたいへん感動した」。「完全な善良さ」が広まっていた。イタリア国会のための最初の総選挙の最中にボローニャで、アーサーはイギリスの群衆を恥じ入らせるような、イタリア人大衆の「完全な礼儀正しさ」に深く感心した。

多くの旅行者たちが地中海地方で見たものは、彼ら自身の社会の本質的な病気が、経済的な不平等ではなく文化的なそれであるということを確信させた。南の世界で、文化を共有することが階級間の対立を緩めることを、彼らは目のあたりにした。

男色三昧△型ピロウin地中海

労働者階級を相手とする貴族やブルジョワ階級の同性愛は、パブリック・スクールや大学のような上流階級の領分での同性愛よりも、いつもより深刻で危険とされた。(略)

社会がそれほどしっかりしたヒエラルキーを持たない地中海地方では、こうした階級にもとづくものの見方は存在しなかった。結果的に、裕福で教育のあるイギリス人が、若い従順な漁師、ゴンドラの船頭、赤帽、御者、少年、船員、通りにいる少年と関係を結び、その関係を続けていくことはたやすかった。南の世界の大きな町や港町では、このような親交は社会的に容認されていた。

ヴィクトリア時代の旅行者たちは、当時のエジプト、シリア、メソポタミアの多くの廃墟のなかに、聖書で約束された審判の明確なしるしを見いだした。

1837年、リンジー卿がアマンの谷を訪れ、ラクダの死骸の悪臭に満ちた空気に触れ、ラクダの糞で覆われた廃墟を見たとき、即座にエゼキエルの預言を思い浮かべた。その預言は「私は、ラバをラクダの寝床にし、アンモナイトをひとびとが身を横たえる場所にしよう、そうすれば、汝は私が神であることを知るであろう」というものである。

「世界中のどこにもこのような風景は見当たらない。ここは、自然というよりはむしろ幻想的なスケッチに似ている、すなわち、燃え残った丘のゆがんだ固まり、死海は溶けている鉛のように周りを囲み、太陽の光はあまりに垂直に注ぎ、影を作ることもないので、太陽の恵みを受けることもない」

「言いようもないほどいまわしく、荒涼とした風景」

「一度その風景を見たら、ひとはそれをけっして忘れることはできない。その思い出は罪悪感のようについてまわり、その地でなされた恐るべき行為にひとを結び付けてしまうかのようである」

「キリストが処刑された場所に、日暮時にたたずむと、赤い血に染まったような空が、尖塔と丸天井を真赤にするとき、なにかが起きそうな気がする。十字架に磔にされているのは、キリストではなく、パレスチナなのだ」

南方のキリスト教へのプロテスタントの偏見

ローマのイエズス会士についてのディケンズの有名な記述は、「並んで音もたてずにこそこそ歩く姿は黒猫のようだ」となっている。(略)「ローマの孤独な道具である暗く淋しい男たち、暗闇のなかを歩き、あらゆる人たちの行動をこっそり探る夜警」という記述は、ウィリアム・アーサーがローマで司祭たちの騎馬行列を見たときの評価であった。ヴァチカン宮殿の側近のひとびとについてのサラの記述では、司祭はグランギニョール風のグロテスクな人物として現れる。シャベルで掘っている死人のような一団、……青白い顔と絞首台行きのような人相……彼らの骨だらけのやせた手で目を覆いながら、なにかを囁いている」というものだ。もしもローマの司祭たちがその捉えがたさのために恐ろしい存在とするなら、ギリシャ正教の祭司たちは、無知であるために卑しむべき存在になる。

托鉢が許せない

托鉢の薦めは恥辱というためになる汚名を取り除いてしまい、身体強健な人たちにたいする慈善を奨励したのだ---この慈善についてチャールズ・キングズリーは、「迷信深い国々がいつも陥りがちな感傷的なだけの慈善……社会経済の法則を破るから……普遍的な善はもたらさない慈善」と分析した。この結果は、貧乏するのが当然のような者たちから、やり繰りの才能をなくしてしまい、労働力の供給を中断し、怠惰を助長する---なぜならばすべての修道士たちは怠け者であることは疑いないのだから。ケイトウ・ディキンソンは、トリノの電車内で陽気な修道士が隣に座ってきたとき、「鋤をかついで耕せ、太っちょの乞食野郎!」とつぶやいた。

英仏交通のススメ

マコーリは「交通機関の手段のあらゆる進歩は……国家と地方間の反感を取り去る傾向がある」と感動的に論じ、バックルは、人間の好戦的な精神を減らすには、神学者や道徳家たちによる数えきれないほど長年の説教よりも、鉄道と汽船のほうが役立ったとまで主張した。彼は「国民間の嫌悪を引き起こすあらゆる原因のなかで、無知はもっとも強力なのだ。あなたがたが接触の機会を増やせば、無知を除去することができて、嫌悪を減らすこともできる」と説明した。(略)

「敷設されるあらゆる新しい鉄道と、海峡を横切る新しい蒸気船は、地上のもっとも洗練された二つの国の富と関心を過去四十年間にわたって結んできた永続する平和を維持するための付加的な保障である」と主張した。

2006-03-30

[]「SpellBoldakTrain」公開 「SpellBoldakTrain」公開を含むブックマーク

ココで聴けます。→→NEXTMUSIC

暫くはコッチでも聴けます→→音と奇妙な煙

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漸くLiveとReasonをRewire。そんなわけで旋律に気を取られて棒立ち。声ネタで誤魔化してみました。一ヶ月以上もかかったのは例によって「こんなショボイのしかつくれないならつくりたくない」病のせいで、まあ結局、いつものように「そんなこと言ったってこんなのしかできないんだからしょうがないじゃない」という諦めとともに完成。

単調なビートが列車の振動のようで、センチメンタルに

「どっかへ走ってく汽車の

75セント分の切符を下せえ」

で締め括って、オチが偶然ついたような。

悩んでいる間近所のビデオ屋に音楽DVDがごそっと入荷したので、スティーリー・ダンのあの名盤制作秘話みたいなのをアレコレ観たりして、で、結局コレだから全然反映してねえや。

ドナルド・フェイゲンがこんなこと言ってた。

テレビ音楽や映画音楽のような、安っぽい音楽が好きなんだよ

軽蔑して言っているんじゃないよ

それは純粋に音楽だけじゃなく

映像の情報を支えるために、書かれたものなんだ

またそういった音楽には滑稽なところがあるだろう?

(略)

フェイク・ジャズだからね

僕はホンモノのジャズも、フェイク・ジャズも

フェイク・フェイク・ジャズも好きなんだよ

Reasonをまた使う事になりそうなので、さっき新しいRefillをDLしてみたらSongも入っていて、ほんと同じReason使ってどうしてこんな音がでるのかと不思議。ここからさらに愚痴が続くのだがテンション下がってきたので明日書こう。

[追記]

気分を変えて冒頭のシャウトが入ってる曲をMP3にしてみた。→Click Here:MP3/Mono/636KB。映像があるとさらにインパクト大。

ジャス楽死がうるさいのでクレジットはファイル・インフォに。「どっかへ走ってく汽車の〜」という台詞も同じ映画から採取。「水上三郎君はこのサロンには不向きな横浜の港湾労務者ですが」「今夜はロカビリーなるものを皆さんにお聞かせしましょう」というボスの前口上があって、この曲を主人公が歌うのであります。

「SpellBoldakTrain」、イヤだなあダメだなあと思いつつ作ってて、当然作ってる間何度も聴かなくちゃいけなくて、なかなかにつらかったのだけど、今日聴いてたらなんだかアリなような気がしてきた。煮詰まって作った時は結局ダメな場合が多いのだけど、今回は「イノ気アリの木」状態なのか。 

でも肝心の公開場所が寂れる一方で、Podcastingはどれだけ聴いているのよくわからないし、餅ベーションがなあ。

トラックバック返信 トラックバック返信を含むブックマーク

http://d.hatena.ne.jp/hspstcl/20060402

こちらからトラックバックを頂いたので追記。

逃避行

逃避行

僕のドライヴィングミュージック推奨曲は、やっぱり、ジョニ・ミッチェル『逃避行』の一曲目!伊藤比呂美じゃなくても、アメリカ大陸を疾走&放浪したい気分になります。

彩(エイジャ) [DVD]

彩(エイジャ) [DVD]

ボツにしたギターを聴きながら、「フィルターかけてるのかな。こんなこと自分がされたら気分悪いよな」とか言ってる非道なドナルド・フェイゲンを観たり、

元気なジャコパスを観たりしていたのでした。

新しくDLした無料Refillですが、何が驚きといってReasonでこんなカンジの音も出せること。勝手にテクノ仕様と捉えていたのだけど、もろフュージョン。Reasonだけ買えば音源がなくてもこれが作れるのだから、安い。MIDIデーターをいじればすぐ自作曲完成w。Propellerhead社Reasonの販売促進に貢献するべく、Refillに収録されていた曲の一部をMP3化してみました。PCとReasonがあればこのサウンドがあなたのお手元にw。→→(Click Here/1:44/128kbps/1.59MB)

(容量の関係で数ヶ月後に削除予定)

2006-03-29 喧嘩両成敗の誕生・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日のつづき。


喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

清水克行

間男を殺してもいいけど、同等に妻も殺せ

[室町幕府の]法曹官僚たちは、けっきょく、当時の「常識」を曲げて妻敵討をした者を処罰することはできなかった。しかし、かといって「殺害の科」を見逃し、被害者側の感情を無視することは、もうひとつの「常識」からもできなかった。結果、彼らが独創したのは、妻敵討をした者は一緒に姦通をした自分の妻も殺害するべきだ、そうすれば加害者側も一人の愛する人間を失ったことになり、被害の程度は対等になる、という驚くべきものだった。(略)

この幕府官僚たちの「意見」は、その後の類似事件を処理する際の「法式」として受け継がれ、なんと江戸幕府も300年間にわたり妻敵討に対する規範として、姦夫と姦婦二人の殺害を義務づけることになる。けっきょく、このときの室町幕府の判断は、形式上は明治時代になるまで、我が国で効力を持ち続けたのである。

解死人制とは

加害者側の集団から被害者側の集団に対して、「解死人(下死人・下手人)」とよばれる謝罪の意を表す人間を差し出すという紛争解決慣行である。本来なら、この解死人には、直接に手を下した犯人がなるべきもので、それを被害者側に送致するということは、他ならぬ、その人物の処刑を被害者側に委ねるという意味をもっていたらしい。しかし、すでに早くは平安時代から、解死人になる者は直接に手を下した犯人、その人ではなく、その犯人と同一の社会集団に属している者なら誰でも身代わりになって構わないというのが一般的な通念になっていた。また、解死人を引き渡された側もその解死人を処罰することはせず、原則的には解死人の顔を「見る」ことで名誉心を満たし解死人はそのまま解放されるべきものとされていた。

(略)

ここでも大事なのは被害者側の衡平感覚であった。つまり、解死人制は復讐を儀礼的なかたちに昇華させることで、その被害者側の衡平感覚を満たす役割を担っていたのである。

一歩踏み出して「本人切腹制」

室町幕府が自力救済を抑止するために採用した具体的な紛争処理原則が、以下に紹介する「本人切腹制」である。(略)

[その特徴三点]

一点めは、被害者が何人いたとしても、基本的には直接の原因をつくった「本人」を処罰する、という点である。そして二点めは、その「本人」に対する処罰は、室町殿が直接「本人」に執行するものではなく、あくまでその主人に対して命じる、という点。三点めとしては、最終的には主人の命をうけ「本人」が「自害」(切腹)させられる、という点、である。

刑罰として「切腹」が採用されたのは、

この室町幕府の本人切服制がその最初だった。もちろん自害行為としての「切腹」の存在はこれ以前にまでさかのぼるのだが、従来は自害の形態の一つだった「切腹」を喧嘩の当事者に処罰として科すようになったのは、室町幕府をもって元祖とする。(略)

喧嘩の当事者に対して、斬首などではなく、切腹という栄誉ある死があたえられていたという事実は、彼の主家や室町殿が彼らの尊厳を一定程度認めていたことをうかがわせる。(略)

沸騰状態にある紛争当事者やその帰属集団の怒りを鎮めるためには、室町殿とはいえ細心の注意が求められており、そのための窮余の一策が「切腹」だったのである。

たとえ非があっても喧嘩さえしなければ咎めないよ

一般に「喧嘩両成敗法」とよばれている、この条文で今川氏や蜂須賀氏らが最終目的としたのは、たんに喧嘩両成敗を実現することではない、という点である。(略)

喧嘩をしかけられても反撃せず、大名の法廷に訴え出ることが推奨されており、応戦せずに大名に訴え出た者に対しては、たとえその者に攻撃されるなりの理由があったとしても、その者を勝訴とする、という規定がなされている。(略)

つまり、大名たちの真の狙いは喧嘩両成敗を実現することなどにあったのではなく、あくまで喧嘩を未然に抑止し、トラブルがあった場合は大名の裁判権のもとに服させる、という点にこそあったのである。

実際、この条文の規定が現実に守られていたとするならば、ひとたび喧嘩をしてしまえば原則どおり双方ともが死罪になってしまうのに対して、相手側からの攻撃に耐えて大名のもとに訴え出さえすれば、たとえ喧嘩の原因が自分にあったとしても無条件で勝訴が約束されることになる。もちろん当時の人々の名誉意識を思えば、攻撃を受けても「目を塞ぎ耳を塞ぎ堪忍いたし」というのは、そう簡単なことではなかったはずだ。しかし、すこし冷静に考えれば、喧嘩をせずに大名に訴え出たほうが圧倒的に賢い選択であることは誰の目にも明らかだろう。まさに大名たちは、人々がそう考えて自力救済の選択肢を捨て、大名の法廷にまっすぐに向かうことを、この条文で企図していたのである。だから、極端なことを言えば、これらの分国法の条文を「喧嘩両成敗法」と総称してしまうのは、大名たちの真意からすれば、やや不正確な表現だったといえる。

理非がないがしろ

室町・戦国の人々にとっても両成敗はやはり過酷な措置で、無分別に採用することは決して許されることではなかったのである。

にもかかわらず豊臣政権には、しばしばそれを度を越して乱用する傾向があったことは否めない。さきにあげた事例だけを振り返ってみても、旧芦名領をめぐる両成敗処分については、秀吉は調停者の立場を利用して、まんまと旧芦名領を手に人れてしまっている。(略)

そもそも肥後国一揆の根本的な原因は秀吉政権が政策として強行しようとした太閤検地にあった。しかし、秀吉は自身を局外の調停者の立場におき、問題を「喧嘩」として処理することで、佐々に全責任を転嫁してしまったのである。

元来、喧嘩両成敗というのは、紛争当事者の衡平感覚に配慮しつつ緊急に秩序回復を図るために中世社会が生み出した究極の紛争解決策であった、しかし、そこには単純明快であるがゆえに、しばしば安易な運用で理非が蔑ろにされる危険がつねにつきまとった。

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2006-03-28 喧嘩両成敗の誕生 このエントリーを含むブックマーク

「獄前の死人、訴えなくんば検断なし」。自害は究極の訴願形態。自殺未遂でゴネちゃう一休さん。貧民がヒルズで大掠奪。押売りならぬ、押植え。


喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

作者: 清水克行

メーカー/出版社: 講談社

発売日: 2006/02/11

復讐が放任されていた中世日本

失われた名誉や財産を公権力に頼らずに自分で回復すること、これを法制史用語で「自力救済」という。日本中世の公権力は、この自力救済を必ずしも好ましいものと考えていたわけではなかったが、おおむねその行為を一般的慣習に従って黙認していた。南北朝時代の諺に「獄前の死人、訴えなくんば検断なし」というものがある。たとえ牢獄の前に死体が転がっていても、それが訴訟として持ち込まれないかぎり、公権力は刑事事件として処理しない、という意味である。この諺のとおり、当時の裁判は「当事者主義」を原則としており、当事者からの訴訟の提起がないかぎり、公権力が独自の捜査を行ったり犯人の捕縛をすることはまずなかった。だから、敵から危害を加えられた者は、公的裁判に訴え出るのも、自力救済に走るのも、その選択はまったく自由だったのである。もちろん、そのさい自力救済という方法を選んだとしても、相手側が訴訟を起こさないかぎり、公権力はまったく関知しないことになる。だから、厳密にいえば古典学説のいうように復讐は「公認」されていたというよりも、むしろ「放任」されていたという方が正しいだろう。そのために日本中世社会においては、一方では公権力の制定法で復讐が禁じられていながらも、一方で現実社会においては復讐が横行し、それが容認されるという、一見、相矛盾した現象が起きていたのである。

室町期、自害は究極の訴願形態だった。

敵対者への強烈な不満や遺恨の表明行為と認識されていた。

あの一休さんも二度自殺未遂で

[一度目は師に死なれ琵琶湖入水しかけて母の使者に止められる]

二度めは文安四年(1447)、54歳のとき、彼のいた大徳寺の派閥抗争に嫌気がさし、山に龍もって断食し「餓死」を試みている。このときは時の後花園天皇が慰留に乗り出し、これもけっきょく思いとどまっている。このように、一体の生涯を見ていると、困難に直面すると自害未遂を起して周囲の配慮を呼び起こすというのは、ほとんど常套手段となっていたことがわかる。日常的には痛烈な風刺や露悪的な言動を重ねる一方で、こうした中途半端な自害未遂を繰り返す一休という人物は、そのため、かねてから歴史研究者のあいだでは評判があまりよろしくない。しかし、彼は自害をちらつかせることで、最終的にいつも周囲の人々を思いどおりに奔走させることに成功している。案外、見ようによっては、一休こそは、自害のもつ有効性を最も知り尽くした室町人だったのかもしれない。それはともあれ、これらの事例からも、室町・戦国期においては、自害した者や自害を試みようとする者に対しては、公権力や周囲の人々も理非を超えて一定の配慮をもっていたことは明らかであろう。そして、これらの配慮を期待して、ときに人々は起死回生の一策として自害を口にしたり、現実に実行したのだと考えられる。

「指腹/さしばら」

民俗学の千葉徳爾氏は、江戸時代の出羽国米沢藩(山形県米沢市)に「指腹(差腹)」という習俗があったことを紹介している。それは、みずからの切腹に使った刀を遺恨のある者に送りつけ、ひとたびその刀を受けとった者は、異議なくその刀でみずからも切腹しなければならない、という習俗だった。

縁もゆかりもないお尋ね者を匿うわけ

中世社会においては「憑む(頼む)」という言葉は、たんに現代語のように「あてにする」「依頼する」という程度の意味ではなく、むしろ「主人と仰ぐ」「相手の支配下に属する」というような強い意味をともなっていたのである。つまり、屋形に駆け込んだ者たちは、自己の人格のすべてをその家の主人に捧げ、「相手の支配下に属する」ことを宣言したのであり、これにより主人の側はたとえ相手が初対面のものであったとしても、彼の主人として彼を「扶持」(保護)する義務が生じた、と、当時の人々は考えていたようなのである。なお、これらの話とは逆に、中世社会においては、なにも知らずに他人の家に宿泊してしまった女性が、その日をさかいに家の主人から下人とみなされてしまい、あやうく身柄を拘束されそうになるというトラブルが実際におきている。(略)

このように、当時のイエは、公家・武家を問わず、室町幕府という公権力すらも容易に介入することのできない排他的な小宇宙だった。

無関係者を巻き込んで果てしなく繰り返される復讐の連鎖。

この時代は「個人」がその生命や財産を守ろうとしたとき、なんらかの(ときには複数の)「集団」に属することは必須のことだった。そして、その代償として人々は紛争の無意味な継続や拡大に悩まされることにもなった。そのため、この状況にどうにかして歯止めをかけることが、当時、社会全体から切実に求められていたのである。

掠奪刑・アハト刑。法外人とする罰。貧民がヒルズに殺到してライブドア一族郎党から掠奪する光景。

[フィジー島やニュージーランドに実際に存在したという「掠奪刑」]

近隣住人が「我れ勝ち」に犯罪者の家に駆けつけて、「手当り次第に」財産を掠奪するとは、想像するだに壮絶な刑罰である。(略)

穂積陳重に言わせれば、罪を犯した者は、それにより法による保護の外に置かれ、事実上、財産権剥奪状態にされるのだという。それゆえに、法の庇護を失った者(法外人)の財産を何者が剥奪しようとも罪に問われることはない、というわけである。

これは穂積ひとりの勝手な独断ではなく、同じような事実は、時代と地域は異なるが中世ヨーロッパにおいても知られている。ヨーロッパ中世史研究で、アハト刑とよばれている刑罰がそれである。(略)アハト刑を宣告された者は、誰でも彼を殺害してもかまわなかったし、その死体は埋葬されることもなく、鳥の餌食にゆだねられたのだという。

(略)

自力救済の社会にあって、私的な暴力の行使から個人を守るのが「法」の役目のひとつであったとすれば、これらの刑罰は、犯罪者から「法」の保護を剥奪して、自力救済社会のただ中に放り込み、彼に対する私的暴力を認可することで、実質的な刑罰を実現させるというものだったのである。

落武者狩り

ヨーロッパの中世国家が、その過渡期にあって部分的に自力救済行為を容認することで「公刑」の執行を実現していたように、室町幕府においても同様に、「私刑」の世界に犯罪者の身柄を放擲することで事実上の「公刑」を実現していた。自力救済社会のただなかに生まれ、それを抑制しようとした室町幕府も、けっきょくのところ、さきにみた落武者狩りの公認指令や没落大名屋形への財産掠奪指令からもわかるように、他方で、より過酷で普遍的な広がりをもつ中世社会の「私刑」(自力救済)の世界に依拠することで成り立っている権力だったのである。

中世の占有屋「押蒔き」「押植え」

中世社会においては、たとえ書類上の売買契約などが不完全であっても、その土地を一定期間占有している事実さえ確認されればその土地の支配が認められてしまう可能性が存在したのである。そのため、この当知行の論理を逆手にとって実力占有を強行する者も後を絶たなかった。

なかでも滑稽なのは「押蒔き」や「押植え」といった行為である。これは、係争中の土地の支配を主張するために、その土地に勝手に作物の種を蒔いたり、苗を植えたりしてしまうことをいう。もし訴訟相手からこれを強行された場合、された側は「種蒔きや田植えの手間がはぶけた」などといって呑気に笑っていてはいけない。すぐにその土地に駆けつけて田畑を「鋤き返し」(耕しなおし)てしまわなければならないのである。なぜなら、それを放置すれば相手の用益事実を認めたことになってしまい、中世社会の場合、それは即、相手の排他的支配を認めたことになってしまうからである。

明日につづく。喧嘩両成敗の誕生・その2 - 本と奇妙な煙


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2006-03-27 おじさんはなぜ時代小説が好きか このエントリーを含むブックマーク

関川夏央の新刊、

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

と書いておいてなんですが、関川夏央の本としてはやや微妙。それに例のカゲがややコイ、何それ?ですって。うむう。そっちにいかないで夏央。昭和までの夏央でいてほすぃい。

近代小説ではやれなかったことを時代小説はやるのだということを知っておいてください。たとえば、近代文学的センスでは恥ずかしくて青春小説は書けないから、時代小説にするのです。

もうひとつ注目したいのは、司馬遼太郎や山田風太郎が「ほんとうは純文学が書きたいんだが」などと最初から思わなかったことです。小説によって生活を立てるという決意があったのはたしかですが、それを「世をしのぶ仮の姿」などとは考えていません。ひと口にいうと、彼らは「純文学」のような個人世界に飽き足らず、より「おもしろい話」を「多数の読者」に提供することこそが文学の役割であると見たのです。大正末から昭和初年にかけ、時代小説という新しいジャンルを開拓した長谷川伸、吉川英治、山本周五郎などと共通したセンスです。


おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために)

作者: 関川夏央

出版社/メーカー: 岩波書店

発売日: 2006/02/21

『小僧の神様』と山本周五郎

『小僧の神様』が書かれたのは、19世紀的世界が終わった瞬間だということにまず気をとめましょう。

では日本では大正八年になにがあったか。武者小路実篤が「新しき村」をつくりました。それはコミューンでした。(略)

この『小僧の神様』は、ある意味で実篤の壮大な実験に対する回答です。つまり純粋贈与はできないし、純粋な共同作業もできないといっています。(略)

四銭で買えると思っていたのに、あてがはずれた。急激なインフレのせいです。第一次世界大戦好況によってインフレとバブル経済が生じていました。お百姓さんや会社員が株投機に走った時代ですが、この小説の時制の数か月後、大正九年三月に株が暴落し、大正バブルは崩壊します。

『小僧の神様』に志賀直哉は当時の経済情勢を、さりげなく、しかしたしかな手応えをもってえがいている。未曾有の大好況、バブルのなかで報われない階層としての小僧をえがいた。それが仙吉という名前の小僧です。(略)

自分が仙吉のようだという意識は山本周五郎にはあったでしょう。自分が純粋贈与が可能かどうかという実験に使われたという思いです。そして志賀直哉のような人を憎み、いつか見返してやりたいと念じながら生きてきたのだと思います。

難解さと西洋哲学の直訳詞を排除しながら発想した新しいジャンル

大正期は大衆化の時代であり、同時に教養主義の時代でした。いいかえると、すでに身分差別はなく、ただ学力と学歴のみで貧乏人の子でも出世できるということです。そのような大衆の教養主義的気分の飢えを満たす小説家という職業が生業として成立しました。小説家はもう新聞社の社員作家とならなくても生きていくことができるようになりました。

教養主義とはどういうものでしょう。それは、教養が人間を高める、ゆえに教養には価値があると考え、青年がそれを身につけることを義務とみなす状態のことです。学術知識とは違います。

(略)

社会がこのような空気のなかにあった大正時代に、吉川英治や山本周五郎など時代小説の作家たちが作家的出発をしたという事実は重要です。教養をもとめつつも官僚や大会社の社員にならず、あるいは官僚や大会社の社員になれず、市井にあって自活しようと苦闘していた彼ら、吉川英治の八歳年長の長谷川伸も含め、時代小説とは、教養主義の洗礼を受けた大衆のうちの文学的かつ野心的であった人々が、難解さと西洋哲学の直訳詞を排除しながら発想した新しいジャンルだったのです。

それぞれの武蔵

藤沢周平は、技較べをしようと出向いてきた若い武芸者とは、正面からの戦いを避け、策を弄して殺してしまう初老の武蔵をえがいています。ここには、天才的剣客もまた一般人のように加齢し老衰するというリアルな主題が見えます。

司馬遼太郎の場合は、武蔵の天才はみとめつつ、天才であるがゆえにその技術を普通の人には伝達できないというジレンマをえがきます。「教育」という手段で伝達できるものだけが技術の名に値するという司馬遼太郎の確固とした思想がここにはあります。「教育」になじまない「天才」には意味がない、それは所詮芸術にすぎないという考えかたです。

日本映画と時代小説

若い産業に全国から野心的な青少年が吸引されました。低学歴で、しかし表現行為にひかれ、自分の才能に自信がある青少年です。不良少年あがりの内田吐夢はもちろん、旅芸人の子で小学校にさえ満足に行かなかった稲垣浩もそのひとりでした。(略)木下、成瀬を除けば、みな腕力が強く度胸もある人々です。(略)

彼らの経歴と性格は、ほぼ同時期に文芸上のジャンルとして成立した大衆小説、時代小説の作家たちとおなじなのです。「大衆とともにある」と吉川英治はいいましたが、それはきれいごとではなく、実感と自負をともなった言葉です。すなわち、小津、成瀬、黒沢明、市川崑らを中心に、1950年代に世界最高の水準をきわめる日本映画と、大衆小説、時代小説は近代大衆社会の落とし子なのです。ともに、変則的な経歴を持つ才能たちが、「エリート(旧制高校と大学出身者)のつくる「純文学」に対してコンプレックスを抱くことなく、むしろ誇りを持って築きあげた若い表現ジャンルであったということです。

司馬遼太郎の小説の方法

つまり自分は反近代文学をやるんだという宣言です。文学至上主義の立場とはほど遠く、さらに、小説は芸術ではないのではないか、とさえいっています。おもしろい話を書きながら、人に何事か考えるよすがとなるものを伝達する、それが小説ではないのかというのです。技術と方法は、人に伝達されてこそ意味があるという考えを、小説でも実践しようとしています。しかし司馬遼太郎は、近代文学をよく読んだ人でもあります。そのうえでこういうことをいっていることは忘れないでください。ここにあるのは「私小説」への反発、というより「私」 への強い疑いでしょう。司馬遼太郎は自己憐憫や卑下自慢を性として嫌っていましたし、その憐憫や自慢の対象となる「私」を軽んじていました。つまり「私」なんかちっとも大切ではないということです。したがって「私」のなかにあると認定された文学的「内面」の存在をも疑っていました。「内面」などない、または「内面」などいらないというのです。

ユートピア小説『蝉しぐれ』

城下には日々剣術の稽古に心を鍛えながら、袴の折り目も真っ直ぐに、すばやく歩み去る若い武士がいます。たゆまず家の仕事をこなしながら、天地を恨まない女たちがいて、掘割を流れくだる水のように清涼な印象の娘たちがいます。町家の居酒屋に集って、一匹の冬の鰊を三人で分けながら、卵を抱いたいちばんおいしいところを譲り合う老いた武士たちがいます。

そういう人たちが住む世界はある種のユートピアです。そのユートピア性は、彼らが歩む道、彼らが渡る清流の橋が百年かわらないと頼もしく思われる気持からもたらされます。すなわち、藤沢周平のえがく城下には経済成長や景気変動がありません。経済から自由な世界です。そして「私」から自由です。さらに「進歩」からも自由です。

鴎外の歴史小説

実際、大正時代の大衆は、躍動感と野放図さとをないまぜにした独特の空気を日本社会にもたらしました。「大正デモクラシー」とは、民主主義への傾きと衆愚政治への傾きとのきわどいせめぎあいだったといえます。現代にちょっと似ていますね。古い、江戸・明治的モラルは捨て去られ、しかるに時代に対応する新しいモラルはいまだ見出せない、そういう人心の混乱期は明治末年からすでにはじまっていました。

(略)

鴎外が歴史小説を書きはじめたのはそういう時代です。自由は規律とモラルがあって、はじめて謳歌され得る、野放図な自由は自由の名に値しない、それはただの自堕落とむきだしのエゴの突出に過ぎない、そう鴎外は考えました。その結果の歴史小説です。

そこには、封建期を未開の遅れた時代とみなす時代の気分への強い反感がひそんでいました。

2006-03-25 ジャズ構造改革 このエントリーを含むブックマーク

部外者にも赤裸々ジャズ村事情が理解できると言えばそうなのだが、展望のある話は無し。クラブでいくらジャズがかかろうとあれはジャズとして聴かれていないのでジャズ村としては無関係という見解。


ジャズ構造改革 ~熱血トリオ座談会

作者: 後藤雅洋,中山康樹,村井康司

出版社/メーカー: 彩流社

発売日: 2006/02/25

レコード会社の存在意義なし

[後藤雅洋、中山康樹、村井康司]

中山▼だからぼくは、日本のレコード会社は邦楽に専念すべし、洋楽の日本盤は出す必要なし、その労力を輸入盤の仕入れに回すべきだってことをいったり書いたりしてるんです。(略)

後藤▼最近、『さわりで聴くジャズの名曲25選』って本を作らせてもらったんですよ。最初はブルーノートで次はCBS(ソニー)。その仕事やってて不思議に思ったのは著作権の許諾の問題。ソニーや東芝に話を持っていって、向こうがOKなものを選ぼうとするんだけども、日本のソニーはなにがOKでなにがダメかわからないっていうのね。あなたたちが権利持ってるんでしょっていったらね、持ってることは持ってるけど、どういうアルバムをどういうカタチでリイシューするかっていう権限は向こうにあるっていうのね。それも変な話だなと思ったんだけど、日本のほうで積極的にそういうことに関与してないんだね。

中山▼それは別にソニーだけではなくて他社もそうですよ。

後藤▼でも、もしそうだとしたら日本のレコード会社の存在意義ってあんまりないんじゃないの?

中山▼ぜんぜんない(キッパリと)。

後藤▼それなら、輸入代行するだけでいいじゃない。

中山▼だから、CD時代になってからは、レコード会社は単なるプレスエ場になったわけです。

ジャズは蕎麦であって、スパゲティとして食われても関係なしというジャズ村見解

村井▼たとえばジャイルス・ピーターソンっていう人がいてね、彼はいろんな音楽を自分の独自の視点で提示するっていう才能がある人なんだけど、ただそれは解釈を変えるっていうことであって、ミュージシャン本人がなにを考えて演奏したいかっていうのとはまったく関係ないわけです。

後藤▼それは、いわゆるモンド・ミュージックじゃないけど、たとえば細野晴臣さんがマーティン・デニーのことを面白いっていってたのと同じことでしょ。

(略)

中山▼そういうことに対して、なにをジャズ界から発言しなければいけないのか、ぽくにはわからないんだよなあ。

菊池成孔はいいけど、ってw

中山▼ぼくはこう思うんです。若い世代を対象にするということは、たとえばマイルスを知らない世代にマイルスがやったことをパクって提供すれば受けるっていう戦略が成立するってことですよね。菊池成孔さんなんかは意図的にそれをやってるわけでしょ。

後藤▼菊地さんなんか本人がいってるからいいんだけど。

村井▼デートコースについていえば、実際の音はいわれているほど70年代マイルスではないんだよね。むしろぼくが初めて聴いたとき驚いたのは、菊地(雅章)プーさんの『ススト』に入っている「サークル/ライン」をほとんどそのままのアレンジでやってて、イントロが始まったとたんに若いお客たちが大騒ぎして熱狂したこと(笑)。

中山▼元ネタを知らないから通用しちゃう音楽、そういうものがいまは主流になっている。コルトレーンを知らない耳にしか通用しないジャズ、『パンゲア』にまだ出会っていない耳にしか通用しない「パンゲアもどき」のやつとか。クラブ・ミュージックっていうのは、けっこうそれに近いと思う。

後藤▼まさにそのままズバリなんじゃないですか。

中山▼パクリが悪いとは思わないし、それはいいんだけど、あまりにも無垢な人たちを騙しすぎてるとは思う。

(略)

村井▼中山さんがいったように、元ネタを知らない人にとってはそれがオリジナルですからね。

後藤▼それはしようがないんだけどね。歴史ってそういうものだからいたしかたないんだけど、そうやって提示されたものが過去のものよりもいいものだったらそれでいいと思うんだけどさ、そんなことないんだもの、聴き比べてみれば一目瞭然。

中山▼そう、それはしようがないことではあるんです。出会いに時差はあるんだから。でもそれをミュージシャンがやっちゃまずいだろうという思いはある。

ジャズとヒップホップ

中山▼ジャズのカッコ良さって、ヒップホップの連中のほうがうまく使うんですよ。逆にジャズ・ミュージシャンはヒップホップの使い方がヘタ。結局ジャズのカッコ良さも消えて、ヒップホップを取り入れた必然性もなくなってしまう。

(略)

村井▼ジャズ的要素みたいなものの把握の仕方がぜんぜん違うんですよ。やっぱりジャズの人は、ジャズを即興演奏だと思ってるわけ。アドリブの面白いものがジャズであると。オレもかなりそういう気持ちがあるんですけど。でもヒップボップの人たちにとって、ジャズっていうのはアドリブでもなんでもなくて、ある音色だったり、ビートだったり、テイストだったり、そのほうが大事だと思うんですよ。そっちのほうがいわゆるジャズのカッコ良さみたいなのを醸し出すし、使いやすいし、わかりやすいことはたしかなんだよね。

(略)

どうも世間では、ジャズの、いわゆるアドリブっていう部分が、われわれが思っているほどメインとは思われてないようです。

(略)

中山▼ちょっと話がズレるけど、ケニー・Gが売れはじめたのはアドリブやめてからだと思うんだ。

後藤▼なかなか鋭い(笑)。


意味がなければスイングはない

作者: 村上春樹

出版社/メーカー: 文藝春秋

発売日: 2005/11/25

村上春樹も『意味がなければスイングはない』で問題にしてたウイントン・マルサリス。

村井▼(略)フリー・ジャズも結局はウイントンが出たことで、じつはフリー・ジャズの人たちの欲望のかなりの部分が満足させられちゃったんだよね。だって、黒人の文化的・政治的な地位向上みたいなことがフリー・ジャズのスローガンにはすごくあったわけじゃないですか、テーマとして。(略)

そういってやってきたことが、じつはすごく変なかたちっていうか、音楽的にとても保守的な格好で成就しちゃったのよ。だって、ジャズがほんとうにエスタブリッシュメントのなかで機能するようになったんだもんね、ある意味でね。リンカーン・センターというクラシックの牙城みたいなところをウイントンは押さえちゃったんですから。

(略)

中山▼ぼくのなかでは、ウイントンっていうのは、ミンガスに近い闘い方をした人として位置づけがあるんです。ただしミンガスは愚直だったけれどもウイントンは闘い方と勝ち方を知っていた。そこに世代の違いが出ていると思う。

後藤▼それ以来だもんね、黒人のジャズがつまんなくなったのは。あの時期から白人のほうが面白くなってきた。白人はそういうややこしいモチベーションの屈折がないからね。

中山▼ウイントンの成功っていうのは、日本に住んでいるとあんまりわからないんだけど、アメリカでは相当の社会的インパクトがあったんだと思う。

(略)

後藤▼(略)音楽っていうものをなにかの手段にした途端にその音楽は堕落するっていうことよね。ウイントンは身をもってそれを示したわけ。じつにシンプルな話じゃない。マイルスとかオーネットとかパーカーは絶対にそうしなかったと思う。それは自分の気持ちのなかじゃ、やっぱり白人社会は面白くないからなんとかしてやろうと思ったりしていても、いざバンド・スタンドに立っちゃうと、いい音を出したいっていう方向に走っちゃうわけよ。ジャズ馬鹿っていうかさ、だからカッコ良かった。マイルスは絶対にそうだったと思う。彼も黒人の社会的地位向上っていってみたり、実際の気持ちでもそう思ってることは間違いないんだけどさ、いざ楽器持っちゃうとそんなことはどうでもよくなって、いい音出そうぜっていうことになっちゃうわけ。だからオレたちが聴いてカッコ良いんだけど。音楽を手段として考えるようになっちゃった途端、その音楽は必要以上に受け手のことを考えるようになるからものすごく洗練されて、ある意味じゃよくなるんだけど、それと同時に魂を失うのよ。

(略)

中山▼ウイントンは、とにかく吹くだけの人じゃないわけです。いろんなことを考え、人脈づくりもうまい。そのへんはまさに政治家。その政治的活動を円滑に運ぶためにはいろんなことが必要になってきて、それを全部クリアしていまの地位を手に入れた。でも、ときどきジャズ・クラブで飛び入りすると、ものすごい演奏をする。つまり、彼のなかの音楽に対するバランス感覚とか価値観っていうのはそういうものなんですよ。

2006-03-24 セイヴィング キャピタリズム・続 このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。


セイヴィング キャピタリズム

作者: ラグラムラジャン,ルイジジンガレス,堀内昭義,有岡律子,アブレウ聖子,関村正悟

出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会

発売日: 2006/01/11

日本における金融市場の消滅

日本では、大恐慌をきっかけとして、財閥系の大銀行が、彼らが19世紀末以来望んでいた銀行部門の統合へ突き進む機会を捉えた。その限りでは、日本はイタリアと似ている。イタリアとの主な違いは、既得権者たちの利害が、迫り来る戦争に向けて資源配分を有効に指導するために、少数者の手に金融システムを集中させたいという国家主義的政府の願望とうまく一致した点である。しかし政府介入の効果は、国家主義者たちの権力掌握よりも長統きし、優に1980年代にまで持続した。

第一次世界大戦以前、日本は強力な金融市場の構築に向けて足早に進んでいた。1918年までは、最低資本金についての要件を除けば、銀行業への参入制限はなかった。第一次世界大戦が始まった時点で、1000行以上の銀行が存在した。戦前には五大財閥銀行の預金のシェアは20.5%にすぎなかった。

1927年の銀行危機は、部分的には政治的策略によって惹起されたものであったが、これをきっかけに小銀行の意を汲む衆議院の抵抗を乗り越え、預金取扱い金融機関に五年以内に最低資本金100万円を満たすよう規定された。

このように、大銀行と政府の結託が、かつては競争的であった日本の銀行システムを、集中化した「メイン」バンク・システムヘ変容させた。

[1945年には67銀行に減少、五大財閥銀行は総貯金の45.7%を占めた]

[企業負債は銀行借入より社債の方が多かったのだが]

社債の債務不履行が増加すると、銀行グループは経済状態の悪化を口実に、信託会社および保険会社と結託して、1931年に原則としてすべての社債を担保つきで発行することを取り決めた。このことは直ちに銀行の顧客企業の社債発行を困難にし、企業が資金調達において取引先銀行に依存する程度を高めた。大蔵省の認知を得て、この協定は、すでに見た1933年の起債会の設立を通じて公式のものとなった。銀行に企業の公募社債発行の権利を決める責任を与えるということは、鶏小屋に狐を放って、狐にどの鶏を外へ逃がすか決めさせるようなものである。繁栄していた社債市場の衰退がその結果であったことは明らかである。(略)1943年までに、負債の43%が銀行借入になり、社債はわずか6%になってしまった。

「起債会」は1980年代まで

1980年代前半の日本では、社債市場は取るに足らない規模であった。それは商業銀行がいわゆる「起債会」をコントロールしており、無担保社債の発行を望む企業は例外なくその許可をこの会に申請しなければならなかったためである。この仕組みが存在していた表面上の理由は、人々にとって安全な社債だけが発行されるように保障することであった。しかし「本当の」理由は、銀行が起債会を利用して自分たちの貸出業務を守ろうとしたことにあった。

(略)

ユーロ市場の拡大と1980年に日本で実施された国際資本移動の自由化が、銀行が長年にわたって企業を縛ってきた拘束をついに解き放った。日本の大企業は今や、国内銀行の脇をかいくぐってユーロ市場で資金を調達するようになった。(略)

結局、起債会は廃止されたが、それは政府や銀行が起債会を非効率なものと認めたからではない。国際間の競争が廃止を余儀なくさせたのである。

前日の疑問のつづき。競争に敗れた人々をどう救えばよいか。衰退業種を保護することは非効率企業に利益を与えるだけであり、雇用者を直接支援する形で税金を使うべきである。

驚くべきことは、鉄鋼労働者が獲得した支援のかたちである。職を失った労働者に直接補助を与える代わり、アメリカ政府は鉄鋼業のわずか9000人の職場を護るために関税を課したが、それは、ある研究によれば鉄鋼を消費する産業の74000人分の雇用に匹敵する費用を発生させている。この関税はさらにまた消費者に年間50億ドルの負担を負わせるであろう。

(略)

政治家は、なぜ創造的破壊のプロセスで被害を受けた個人を直接支援しないのであろうか。なぜ政治家は、直接の支援ではなく、創造的破壊プロセスに介入し、非効率的企業を保護し、それら企業に資源を与え、さらに将来一層の保護を要求するインセンティブを与えるのだろうか。結局のところ、アメリカにとっては、コストのかかる貿易制限を導入する代わりに、余剰の鉄鋼労働者を再教育し、それに加えてかなりの年金を与えるほうがはるかに安上がりであろう。

困窮者の救済が政治的に利用されることを防ぐには、事態の前に保障をデザインせよ

事態が起こった後で与えられる救済は、保障ではなくて、純粋な再分配である。そうであるがゆえに、それは人々の必要によって動員されるのではなく、関連する政党の政治力によって動員される。

(略)

したがって、危機の前に救済システムを用意しておくことのもっとも重要な利益の一つは、そのように準備しておけば、具体的に誰がどの程度の支援を得られるかがはっきりしていない(無知のヴェール)ことである。ほとんどの人々は、救済策の受益者になるか、それとも救済策のために支払いを引き受けなければならないのかを知らないであろう。その結果、彼らは救済策を特定の方向へゆがめようとする強いインセンティブを持たない。

「本当にホリエモンはそんなに悪いのか?」じゃないけど

事後的にはバブルを見分けるのは簡単である。しかしバブルの最中にあっては、事態は見分けがつけにくいのである。

破綻企業という死体を解剖する政治家が、そこに「スキャンダル」を発見するのは簡単である。いつだって、経営判断の過ちを発見することはできるものである。

(略)

正しくは不確実性や能力不足に帰されるべきことの多くが、経営者のよこしま心のせいにされる。しかし重要な点は、景気下降期に始まる政治的魔女狩りが、自由企業体制の正当性を一層毀損し、反市場主義の動きを助長するということである。

もちろん、業績悪化に直面した一部の企業家や金融業者たちの行動が、市場は市井の人々を騙すように使われているという感覚を作り出す。(略)

破滅に直面すると、経営者のなかにはその破滅から逃れるために、どのようなことにも、たとえそれが非合法なことであっても、手を出す者もいるだろう。しかし、そうした行動は無謀なギャンブルであるから、うまくはいかない。そして、その後の調査がその行動の違法性をあからさまにする。他の、完全に正直なビジネスさえもうさんくさい目で見られる。

自由な市場の敵は誰か

市場は自由になりすぎているわけではないし、おそらくは、自由になりすぎることなど不可能であろう。それどころか、市場は絶えず束縛を受け、抑圧されている。なぜならば、市場がよってたつ政治的基盤はきわめて脆弱だからである。(略)

資本家ですら、競争的システムを擁護することから利得を得ることはできない。実際は、彼らは競争から守ってほしいと絶えず政府に要求することで、しばしば資本主義の最悪の敵対者に変身するのだ。市場を支援する強固な政治的仕組みもなく、また既得権を持つ者たちからの圧力にさらされ続けているから、市場は常に制約されすぎているのであり、決して自由でありすぎることなどない。

今日、市場経済を基盤とする民主主義の最大の危機は、それが社会主義へ進んでいってしまうということではなく、リスクを削減するという名目の下に競争を抑制するリレーションシップ・システムに変貌してしまうことである。

2006-03-23 セイヴィング キャピタリズム このエントリーを含むブックマーク

自由な金融市場があれば、担保やコネがなくても、アイディアとやる気があれば誰でも起業資金を調達でき、無能な人間を排除していくので社会全体の底上げにもなる。そのためには政府が既得権者からの圧力を排除し自由な市場を維持しなければならない。


セイヴィング キャピタリズム

作者: ラグラムラジャン,ルイジジンガレス,堀内昭義,有岡律子,アブレウ聖子,関村正悟

出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会

発売日: 2006/01/11

金持ちの貴族制ではなく、有能な金持ちの貴族制に移行

1929年には、アメリカの所得番付上位0.01%の所得の70%は、資本所有によるものだった。それは配当、金利および賃貸料のような所得である。金持ちは働く必要がなかった。1998年には、賃金および起業家の所得はアメリカの所得番付上位0.01%の所得の80%を占めるようになり、資本による所得はわずか20%となった。(略)働かなくてもよい金持ちの地位を働く金持ちたちが占めるようになったのである。

私たちの社会は、単なる金持ちの貴族制ではなく、有能な金持ちの貴族制に移行しつつある。金融革命は、万人に貴族のクラブの門戸を開いている。この点で、金融革命は自由主義の精神で横溢している。資本を自由に利用できる場合、富をもたらすのは、技能、アイデア、熱心な勤労、そして避けがたいことだが、幸運である。それだからこそ、金融革命は資本ではなく、人間を経済活動の中心に据えることになるのだ。

でも、ねえ。貴族じゃなきゃイヤなの?という疑問は解決されない。

担保やコネがなくても

金融が結局は金持ちへ利益をもたらすという構造は、貧乏人に対する差別から生じると、しばしばいわれる。しかし、ここまで読み進んだ読者には、未発達な金融インフラストラクチャーこそが、資金調達を困難にする主な要因だと、少しは理解してもらえただろう。貸手は、どうしても、富裕な者に対して資金を貸し出すものである。これは、富裕な者には貸手の心配を和らげる担保やコネがあるためである。おそらく、どんな合理的な貸手も同じように行動するだろう。(略)

 合理的な帰結であったとしても、このように金持ちしか資金を調達できないという状況を、私たちは憂慮すべきだろうか。答えはイエスである。なぜならば、このような状況では、経済の持つ潜在能力を完全には引き出せないためであり、また、経済活動が生み出す成果が、公平には分配されないためである。

当然このような疑問も出る。

競争的で透明な市場がもたらす当然の帰結を理解すればよい。つまり、市場は新しいリスクを作り出し、伝統的な保障の仕組みを破壊する。いつでも経済不況のときに、リスクの暗い側面が経験され、保障の欠如がまさにそのときに痛切に感じられるのだ。市場に対する反対が高まるのも無理からぬことではある。

もう少し詳しく説明してみよう。当然のことながら競争は、有能な者と無能な者、勤勉な者と怠け者、幸運な者と不運な者を際立たせる。したがって、それは、企業や個人が直面するリスクを増大させる。競争はまた、好況期にはチャンスを広げ、不況期にはチャンスを縮小させ、人々の生活をジェットコースターに乗ったように揺れ勣かすことによってもリスクを増大させる。結局は、多くの人々がより裕福になるのだが、ジェットコースターに乗るのは、いつでも愉快なわけではない。なかには振り落とされてしまう者も出る。

(略)

要するに、競争的市場は単に明確に識別できる落伍者を作り出すばかりではない。競争的市場は落伍者から伝統的なセーフティ・ネットを奪い取りもするのだ。競争の結果、自分が勤めている産業の将来がおぼつかなくなる人々、生涯をかけて蓄積してきた富を失う投資家、楽観的な見通しの時期に、投資を賄うために発行した債券の重荷に圧迫されている企業のオーナーや農場主、これらの人々が困窮者になる……。

国際銀行として機能していたテンプル騎士団

テンプル騎士団として知られる組織は史上最初の国際銀行であった。(略)彼らは、その名の由来となる、エルサレムのソロモン神殿の廃墟の近くに往み、教会に仕えていた。また、彼らはエルサレムヘの巡礼が通る道を警備する任務を担っていた。(略)

彼らの活動に、感謝する人々、そして忠誠を誓った人々からの寄進によって、彼らは富を蓄えた。彼らは世界中でもっとも強固な城塞をいくつも保有するようになった。彼らの軍事的勇猛さを合わせて考えると、それらの城塞が、危険の蔓延する時代に財宝の理想的な貯蔵庫として機能したのも不思議ではない。(略)

これらの城塞は一種の「支店」のネットワークを形成したが、それは地中海地域の隅々でロンドンやパリにいるのと同じように、いつでも必要なときに、現地で通用する形態で現金を用意できたということである。騎士はパリで預金し、エルサレムで現地通貨を受け取ることができた。十字軍の騎士はこのネットワーク、いわば十字軍のアメリカン・エキスプレスを旅行中の資金を保全するために使用した。当然、テンプル騎士団は両替と移送の費用を徴収した。地域銀行としての機能も果たしたのである。

その資金はいかにして没収されたか。

150年間にわたり君主が権力を行使してテンプル騎士団を支配しようとしなかった理由は、テンプル騎士団が発揮した道徳的力と、むき出しの欲望をさらけ出すことを意味する強奪は、教会との関係上、君主の立場を弱めることになるという懸念のためであったに違いない。

1307年、フランスのフィリップ四世は、自国の財政状況が極端に悪化したことと、貨幣の改鋳や、ユダヤ人や金貸しの財産の没収という中欧の伝統的な資金調達方法をすっかり使い尽してしまったことから、テンプル騎士団を襲った。フィリップはテンプル騎士団の道徳的基盤を打破するために宣伝キャンペーンを始めた。テンプル騎士団の指導者たちは急襲され、逮捕され、異端、背教、悪魔崇拝、性的堕落、そのほか中世の道徳規範に反する罪に問われた。彼らは拷問によって告白し、あとで否定したが、有罪を宣告され火あぶりの刑に処せられた。テンプル騎士団の財産は注意深く目録に記録され、その土地は国王の家来に貸し与えられ、財宝は没収された。

教会は君主の略奪を恐れ財産権を

フィリップ四世の略奪行為の重要な帰結は、君主の脅威が教会の財産にも及ぶことを教会に認識させたことにある。このため教会は、財産を必要悪として受け入れる立場から、奪うことのできない権利として強固に保護する立場に転換した。教会の学者は、国家はその国民の財産に対する権利を持たないと論じはじめ、世俗の学者も素早くこのテーマを取り上げ、ローマ法のなかに支持根拠を見つけようとした。おそらくその結果、西欧においては暴力による略奪は比較的稀となり、その略奪の目標はアラブ人やユダヤ人のような異教徒に向けられるようになったのである。

政府が(略)どうしても軍事費を調達しなければならないために、市民を強奪せざるをえなくなることもある。長期的に見れば、国家は徴税により支出を賄うことができる。しかし戦争の場合は少しの遅れも許されない。市民の富を取り上げることに代わる手段は、借り入れることであり、近代国家はこれをあまりにもよく知っている。しかしこれはパラドクスをもたらす。少数の債権者への支払いのために、多数の人々へ課税することは費用が掛かりすぎるし、不人気でもある。

収奪しやすいのは金持ち

収奪しやすい対象は(ユダヤ人のように、いつも最初に狙われる者が収奪された後には)、もちろん金持ち、とくに銀行家である。高利貸しを標榜する者は教会にとって異端であり、それゆえ略奪された。銀行家も、自分の富を流動的な資産、つまり簡単に持ち運びできる形態で保有しがちであった。この特徴のために、近代世界においても銀行家が政府の課税や収奪の対象にされやすかったのである。この意味で、政府の理屈は、なぜ銀行を襲ったのかと聞かれて、「そこにカネがあるからさ」と答えた銀行強盗ウィリー・サットンの理屈と本質的に同じレベルである。強制借上げの横行や破産の続発するところでは、驚くべきことでもないが、金融は、繁栄できない。

明日につづく。

2006-03-19 村上春樹の神様 このエントリーを含むブックマーク

なかなか本が読めないので村上春樹の大好きなチャンドラー本で穴埋め。その前に

やっぱりチャンドラーは神様。盆と暮れには『長いお別れ』を読んでる

と熱く語っている1983年のスタジオ・ボイスのインタビューから。

サリンジャーはもうしんどい。昔ね、最初読んだ時は面白かったけどね。今は読めないですね。『ライ麦』なんてあんなの読めないですね。あんなの、つっちゃ悪いけど。

翻訳の話は出ているかと聞かれ

いや、あの、結局僕の場合は、英訳すると意味ないと思うのね。英語的な表現をなんとか自分なりにさ、日本語にかみ砕いて、そういうふうにしたところにある程度、面白さがあるんであって、あれ英語にしちゃうとさ。

  ---国際通用性はないんじゃないか、と思います?

 全くないですね。すごく日本的だと思うね。というのはだんだんさ、はじめさ、もろアメリカの、英語的なものを、翻訳して、やって、というところから始まったでしょ。今度はどんどん日本的にねえ、方向としてはなっていくと思うのね。食い物がね、僕の場合ね、あの、洋食ばっかりでしょ。だんだん和食に移行してきた。まだね、難しいけどね。なかなか出てこないのね。この前(作品中に)出たのはね、あの、天丼出したのね。今度天丼出るんですよ。『新潮』の一月号(『納屋を焼く』)に出るんですけれど、これは天丼が出てくるんですよ。

それはさ、いわゆる右翼、国粋、農本になっちゃうとね、ヤバイんだけど、やっぱりマルキシズムの減退とさ、呼応してさ、いくんじゃないか、とさ。あの、いわゆる近代西欧文明のさ、根本ではやっぱり、一応マルキシズムが根本になってるわけじゃない。それが、あれだけ減退して、メタクソになってたらさ、やっぱさ、ウナ丼の世界じゃない? そんな気がするね。北一輝よりはさ、ウナ丼にいきたい、と。

(略)

だから僕は、アメリカ的だってよく言われるけど、アメリカそのものをそのまま、もってこう、というんじゃなくて、それに対する個人的対応の中で、何かを語りたい、という気がするのね。

卒論は『アメリカ映画における旅の思想』

シナリオのバック・ナンバーを見て一週間ぐらいでデッチあげたかなぁ。(略)

要するにアメリカ映画っていうのはみんな走っているわけよ。東から西へってね、『駅馬車』にしても。で、フロンティアが終わって、『イージー・ライダー』が走り出してきた、西から東へ逆戻りして、上へ行っちゃうと、『2001年宇宙の旅』であると。それだけのことを百枚に延ばした(笑)。

というわけで、やっとチャンドラー名言集。


ギムレットには早すぎる―レイモンド・チャンドラー名言集

作者: 郷原宏,山本楡美子

出版社/メーカー: アリアドネ企画

発売日: 1997/12

私は電話に出る気にはなれなかった。電話はもうたくさんだった。どうでもよかった。相手がセロファンのパジャマを着た、もしくは脱いだシバの女王だとしても、私は疲れすぎていてどうでもよかった。頭が濡れた砂を入れたバケツのようだった。

常識というやつは絶対に計算違いをしないグレイの服を着た銀行員だ。しかし、彼が数えているのはいつも他人の金なのだ。

警官はドアを蹴破ったりしない。そんなことをすれば足が痛いからだ。警官は自分の足にはやさしい。だいたい警官がやさしくするのは足ぐらいのものだ。

私はパイプにたばこを詰め、火をつけてふかした。訪れるものはなく、電話をかけてくる者もなく、何も起こらず、私が死のうがエル・パソへ行こうが、気にかける者はひとりもいなかった。

私は空虚な人間だった。顔もなく、意味もなく、人格もなく、名前もないといってよかった。食欲もなかった。酒も飲みたくなかった。私は屑篭の底に丸められて捨てられたきのうのカレンダーの1ページだった。

1時間が病気のゴキブリのように這っていった。私は忘却の砂漠の1粒の砂だった。弾を撃ちつくしてしまった二挺拳銃のカウボーイだった。

この後のになるとかなり有名なので不要かとは思うがとりあえず。

「僕は夕方、店を開けたばかりのバーが好きだ。---後ろの棚の整列したボトルやきれいにみがかれたグラス、そのたたずまいがいい。バーテンがその日最初の1杯をつくり、真新しいマットの上に置き、折り畳んだナプキンをそえるのを見る。僕はその1杯をゆっくりと味わう。静かなバーの静かな最初の1杯---こんなすばらしいものはないぜ」

夢の女が入ってきたのはちょうどそのときだった。一瞬、バーは静まりかえった。伊達男たちは甲高いおしゃべりをやめ、スツールの酔っ払いはぴたりと鳴りやんだ。まさに、指揮者が譜面台を軽く叩き、両手を挙げてポーズをとったときのようだった。

うーん、なんだかわざわざやる必要なかった気がしてきた。時間の無駄だったかなあ。

2006-03-17 普段の村上春樹は、 このエントリーを含むブックマーク

「スガシカオ」についての文章を読むと、村上春樹でも触れるものすべてをハルキ調に染め上げられるわけではないのだという事がわかってチョット驚き。一般人・村上春樹のスガシカオ談義を聞いているようで、普段のハルキはやっぱり春樹じゃないわけです。ホテルマンは見た、「ゴメンサナイ、私が好きなのは小説の中の春樹さんでした」とかなんとか言われて一人淋しくロンリーナイトなハルキ。

長年、人に語り脳内で反芻してきた思考を春樹フィルターにかけるからこそあの味わいになるのだなあ。自信喪失気味の文章家の方は是非「スガシカオ」の項を読んで自信をつけて下さい。やっぱり文体って、語彙とかテクニックといったフィルターより、練り上げた思考スタイルがまず第一なんだなあ。


意味がなければスイングはない

作者: 村上春樹

出版社/メーカー: 文藝春秋

発売日: 2005/11/25

定番のビーチボーイズなら

それはきわめてナチュラルでありながら、同時にきわめて意志的なサウンドだった。構造的にはきわめて単純でありながら、同時にきわめて精緻な感情を伴った音楽だった。僕を惹きつけたのは、たぶんそのような鮮やかな相反性だったのだろう。ちょっと大げさに言えば、まるで頭の後ろを柔らかい鈍器で殴られたような衝撃があった。

こうなるのに、新ネタのスガシカオだと

つまり「ま、こーゆーもんでしょ」みたいな、制度的なもたれかかり性が稀薄であるということだ。だから僕のように、制度とは関係のない中立的な地点から耳を澄ましていても、基本的には、自立した公平なテキストとして、それを受け止めることができる。そういうのもまた僕にとっては、ありがたいことのひとつである。

「四畳半」的な、閉鎖されかけたサーキット内での、ぬめりのある独特の生理感覚があり、その一方で、そこから唐突にすとーんとあっち側に突き抜けてしまうような、あっけらかんとした観念性がある。そのふたつの逆向きの感覚が、微妙な共時性を維持しつつ、柔らかいカオスのようなものを生み出すことになる。

というように思考が生のまま書かれてしまう。これを練り上げられるか、られないか、いやその才能があるかないかが、春樹とヤスケンの分かれ道かもしれない(涙)。

しかし自分には文章を書く才能は基本的にないと、当時の僕は考えていた。本を読むという行為にあまりにも夢中になりすぎていて、自分が何かを書く・創作するという姿が、うまく思い描けなかった。受け手として長い歳月を送っていると、自分が送り手となることが想像できなくなってしまうのだ。

(略)

しかしそうこうするうちに、「何かが物足りない」という漠然とした気持ちが、僕の中に湧いてきた。たぶん、自分がただの作品の受け手(レシピエント)であるということが、だんだん不満に感じられるようになってきたのだろう。そんな気持ちが生じてくるなんて、僕には思いもよらなかったのだけれど。

専業小説家になったあと、五年か六年くらい、ジャズをほとんど聴かなかったことを記憶している。大事にしていたレコード・コレクションにもろくに手を触れなかった。たぶん長いあいだ音楽を職業にしてきたことの反動だったのだろう。あるいはそれは、自分がただのレシピエントに過ぎなかったことへの反動だったのだろうか?

2006-03-15 使える!確率的思考 このエントリーを含むブックマーク


使える!確率的思考 (ちくま新書)

作者: 小島寛之

出版社/メーカー: 筑摩書房

発売日: 2005/11

「動学的不整合性」理論

「事前には最適である戦略が、実際に時間経過とともに実行段階で必ずしも最適でなくなる」ことを専門のことばで「動学的不整合性」と呼ぶ。この動学的不整合性は、臨機応変な自由裁量を持っているから起きる、といえる。教師が「試験をする」と宣言しても、学生が勉強したあかつきには、その時点になって裁量によって「やっぱりやめた」といえる。しかし、そういう裁量の余地を持っていることが逆に自分の首を絞めてしまうのである。そういう風にその時点になって予定の行為を変更するであろうことを、学生にも事前に読まれてしまい、それを逆手にとって学生は勉強をしないからである。それならむしろ、教員は、「試験の日程を決める」「試験問題を予告する」などして、試験を絶対にやるという「ルール化」をするほうがマシとなるのである。

経済対策の場合では

政府が「インフレにして景気を回復させる」と宣言しても、実際回復すれば、むしろインフレを抑えるのが政府にとって最適なのは、市民にも読まれてしまう。「結局インフレにはならない」と読んだ市民は商品を買わない。だから、景気は回復しないことになってしまい、政府の宣言は空振りに終わるのである。

こういうことが起きるのは、政府がその時点時点で最適の戦略をとるであろうことを事前に織り込んで市民が行動をするからである。

(略)

ここに「裁量」か「ルール」か、という難しい問題が生じる。政府に裁量権があるから、政府の事前の最適戦略は結果として最適戦略ではなくなる。臨機応変が災いするのである。だったらむしろ、「インフレにする」という方針を法制化してしまったほうがまだマシかもしれない。法制化されれば、インフレ政策が法に従うかたちで実行されることを市民は事前に信じることができる。また、政府が不要なインフレ政策をとることも、法律によって正当化できるからである。

キドランドとプレスコットは、このようなモデルを用いて、政府の経済政策にはある種の非効率性がつきまとってしまうことを論証し、ノーベル賞を獲得したわけだ。

この著者の面白いのは、「壁つきランダムウォーク」モデルを使って、「資金がなくなるまで」というルールで勝負したら、貧乏人は金持ちにはほとんど勝てない、と説明したり

BSEにかかって死ぬなど、それこそ「奇跡の大当たり」なのに、人びとはこれを「自分にも容易に起こりうること」のように錯覚する。

と、世間の確率に対する迷妄を丁寧に解いていながら、最後の章で、熱く語りだすところ。

[手術選択を例にとり]医者の選択の正しさを、5年後生存「人数」で測るならば、手術をするのが正しい選択だといえるかもしれない。しかし、患者の側にとってはそうとはいえない。100人のうち89人が5年生存しても、それが自分でないなら、そんなことには何の意味もない。自分は1人しかおらず、今生きるか死ぬかの選択が迫られているからだ。

頻度的発想(期待値基準の発想)を安易に推奨する人には、「工学的」な立場の人が多い。こういう人たちの思考パターンは、とにかく膨大なサンプルを念頭に置く。そして、そこでの期待損害量の大小でものごとの「正しさ」を判定するのである。このような考え方は、政策を施行する立場からは何の落ち度もない。政策施行側の人には、「どの1人の人物に対しても、ある災難が生起する確率が0.01」(事前)であることと、「1万人のうち100人の具体的な人びとに災難が現実化すること」(事後)に、なんら違いが感じられないからである。この人たちにとっては、具体的な個々の人物が問題なのではなく、無個性化した「人数」だけが関心の対象だからであろう。

筆者は、不確実性下の意思決定を考えるうえで、人生における「祈り」とか「覚悟」とかいったものを排除できないように思う。資産蓄積がままならず、憤ましやかに生きる人びとの持つ、自分の生活が次元的変異を起こすことへの「祈り」。もうこないかもしれないが、自分にとってベストではないチャンスを流すときの「覚悟」。そういったいわば「文学的」ともいえる思考様式が、意思決定の問題と本質的に表裏の関係にあるように思われるからだ。

ナイスガイな著者に触発されて余談。

肺ガンはもう切除できない段階と判明した時、医者は科学療法すれば可能性はあると言うわけです。そりゃ確かに数字は低くても可能性はあるわけ。どうしますかと医者に問われて、結局患者は選択できない、できないからじゃあ科学療法ということになる、だってそれを選択しないと死を待つことになるから。ゴッドファーザーの「断れない要求」じゃないけど、可能性はありますよと言われれば、患者はそれを選択する(したくなる)。

弱気になって判断できない本人に代わって回りの人間が、化学療法でヘロヘロになるより、余生を病院の外で過ごした方がいいんじゃないと、言ってやるべきなのだが、これが言えないわけ。だって相当の責任を負うことになるから。ささやかな可能性を捨てて、あとは死を見つめるだけになるから。「もし科学療法選択してたら延命できたかも」という気持ちを背負って、「治療しなくてよかったんだよ」と言い切らなきゃならない。そうなるとやはり本人が決めればと言って逃げておくのが無難なわけで、病院でヘロヘロになって最後は痛み止めでヤク中になってる横で「オレは絶対治療しないで死ぬ」と思ってるだけの薄情なオレがいたわけだなあ。

さらに余談。

サクラ散った受験生の皆さん、この本によれば、受験生は前年受験倍率が低かったところを狙う傾向があるそうで、そうなると当然こんどは受験倍率が上ります。つまり、受験倍率が低い所を受けたいなら、前年高かった所を狙えということです。

2006-03-13 大塚康生インタビュー・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日のつづき。

アニメにおいて指揮者は集団統一のために自身を消耗させるし、兵卒はその作家性を殺さなければならない。ビジネスの確立は現場の創造性を削ぐ。職人で名が残らなくても仕事がハードでも、「あの柱はおれの工夫」という、現場で自己の創造の余地があれば満足できる。それが全体のクオリティを上げる。


大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽

作者: 大塚康生 森遊机

出版社: 実業之日本社 発売日: 2006/01/31

労組の時代と個人主義

あのころは、濃密な人間関係を作って仕事に向かうというやりかたが、東映に限らず、どこでも---ソ連をはじめどこの国でも---主流だったと思う。つまり、バラバラな人間をどうやって集めるかというんじゃなくて、初めからバラバラになりたくない人たちの集団だったんですよ。日常の楽しみにしても、みんなでどこかに旅行に行くくらいしかない。それが日本という国全体の傾向だったと思う。

(略)

「群れ集うのはうっとうしい。寂しいといえば寂しいけど、オレはオレでやるよ」という時代の夜が明けたのは、高度経済成長が成熟してからじゃないでしょうか。

(略)

今はいい時代になりましたね。一人で孤高に立つ人が多いでしょう。「こんなヤツとやっていけるか」といって、一人でもなんとかやっていけますから。それがいい悪いじゃありません。そういう時代の流れなんてすから。だから、これからのアニメ作りはもっともっと難しくなると思いますよ。宮崎さんの号令一下、兵隊になって作るのはイヤだと言う人も出てくるでしょう。「監督の名前が出るだけじゃつまらない、貧しくてもいいからオレはオレのものを作るよ」と。たとえ宮崎さんのようにはいかなくても、自前のを作りたいというのは、考えかたとしては当たり前でしょ。

アニメは個々の作家性より集団統一。

地味ながら、労働者がこつこつ作った映画という感じが東映作品にはあるんですね。いっぽうの虫プロでは、手塚さんご自身が作家だったこともあって、スタッフの一人一人がすごく作家的だった。東映では、「オレたちは作家だ」なんて思ってる人はいませんでした。

(略)

あいまいな人間の集合体だからこそ、いざ何か大きなものを作るときには、キチンと意志統一をして、美意識や指揮系統を統一しなきゃいけないと思う。虫プロでは、トップの手塚さんが大作家だから、その下のほうがちょっと野放しぎみというか、東映よりもバラバラだったんじゃないでしょうか。でも、世の中の趨勢は、圧倒的に虫プロのほうに向かっていた。日本中がもう東映を顧みずに、これからは虫プロだという時代が確実にあった……。いや、虫プロは本当に豪華でしたよ。芸能界みたいに華やかだった。帝国ホテルやプリンスホテルでしょっちゅうパーティーをやったり。記者会見をすれば、マスコミが大勢集まってねえ。東映はそんなことやらない。地味ですから。労働組合があったせいか、根が労働者なんですよ(笑)。

給与体系

東映動画の初期なんか、普通の会社のような賃金体系を適用したことで、大きな矛盾が生じていましたから。その矛盾の一番いい例が僕だったんですけど(笑)。つまり、アニメーターも正社員だから、完全固定給でしょ。学歴や経歴で初任給を決めるわけですよ。で、僕は中学卒だから、月給6000円くらい。同じころ入った東京芸大出の同年輩の人が1万円で、僕はその半分強。ところが、実際の作業に人ると、僕は彼の2倍ぐらい描くわけ。こうなると、総務部長も困っちゃうんですよ。当初は、アニメーターが辞めても他に行くところがないから会社も安心だったんでしょうけど、虫プロができてからは、いつ辞められるかわからないから、真剣に給与体系の変更を考えはじめまして(笑)。(略)

で、毎月毎月、給料日になると部長に呼ばれて、「大塚君、残念ながら東映の給与体系があるから、君の給料は今すぐには上げられないんだ。何とかガマンしてくれよ。実は今、会社は新しい雇用方法を考えているんだ」と。つまり、契約制度ですね。(略)

で、その原資をどうするかというと、これが驚いたことに、建築費から出すというんです。(略)

映画の撮影所ではセットをいっぱい組んだりつぶしたりするから、材木費とか建築費とかいう名目があって、かなり自由にできる。あるいは、たとえば、映画の主人公が海辺にたたずんでいるシーンがあって、撮影中、その沖を大きな船が通ったとする。たまたま船が通っただけなのに、「実はあれはお金を払って通ってもらったんだ」ということにして精算する。そんなふうにして計上した機動費を、僕のほうに回してくれたわけです。東映動画が東映の子会社だったからこそできたんですけどね。(略)

この間、東映OB会というのが池袋であったんですが、当時の役職者の方たちも来ていて、「大塚さん、あなたの給料では苦労しましたよ。下げる苦労じゃなくて、上げる苦労でね」なんて言われた(笑)。

システムにスキがある方が創造の余地がある。

1本のアニメ作品がオンエアされるまでにいろいろ複雑なプロセスがありすぎる。制作現場に企画が降りてくるころには、作品づくりのコンセプトがほぼすべて出来上がっちゃってるんですよ。(略)

[昔は原作をいじることに鷹揚だった]

今、雑誌で当たった漫画をアニメにするとき、アニメの現場では、原作以上のことをほとんどやらせてもらえないんですよ。(略)

あらゆるスタッフに対して「変えるべからず」、ひいては「動かすべからず」というプレッシャーがダーッとかかってくる。これはつらいですよ。すべての会社のすべての作品がそうだとは言えませんが、業界全体として、そういう傾向は強い。僕が今、最も危機感を感じているのは、実はそこなんです。日本文化を代表するジャパニメーションなんていうのは実は大ウソで、これじゃあまるで、アニメは雑誌漫画をテレビ化するためのツールにすぎないじゃないか、と……。(略)

作品をハンドリングする局のプロデューサーや出版社の担当のレベルも上がってきています。昔は出版社の人も「アニメはようわからんから、ひとつよろしく」みたいな感じで、ようするに素人っぽかった。ところが今や、「私は素人だからお任せします」なんていう人は出版社じゃやっていけませんよ(笑)。局のほうも同じです。「面白いものを作ってください、あとはよろしく」という時代には、現場がずいぶん遊べたし、そのぶん苦労もするけど、「いっちょう面白いものを作ってやれ」とがんばれた。創作という作業には、実はそういうことがとても大事なんですよ。管理組織があまり強固になると息苦しいですね。

「動かし派」としてのグチ

日本人はアニメーションの「動き」自体についてはぜいたくじゃないから、手をかけて動かしたからといって喜ばれるわけでもない。ちょっとキツい言いかたをすれば、雑誌漫画に色がついて、有名な声優が声を出して、ある程度動いてさえいれば喜んでくれる。それ以上の厳しい採点はない……。皮肉なことですが、そのお客さんの「ゆるさ」こそが、逆に、今の日本アニメ隆盛の大きな理由じゃないかと思うんです。これも、「動かし派」としてのグチにすぎませんが。

貞本義行。集団作業への絶望。

   ところで、漫画とアニメは、同じ「絵」という意味では隣接した世界ですから、絵を描くのが好きで、漫画家になるべきか、アニメーターになるべきか、悩む人も多いんじゃないでしょうか。

そのことでいつも思い出すのは、貞本義行さんのことです。絵を動かさせたら、べらぼうにうまい人なんですよ。

(略)『リトル・ニモ』をやっていたころ、新人で入ってきた。とにかくもう、めったやたらにうまいんですよ。どのぐらいうまいかというと、僕が今まで出会ったアニメーターの中で、新人の時点で、「あっ、この人は自分よりうまいんだ!」と思った人が3人いる。月岡さんと、宮崎さんと、貞本さん。3人とも、そのぐらいうまかった。

(略)

はじめからもう脱帽というのは、あとにも先にもその3人だけです。だけど、そのうまさをアニメ作りにおいて完全に使いこなしたのは、今のところ宮崎さんだけだと思う。きっと、あまりにうますぎると、集団作業の中で絶望しちゃうんじゃないでしょうか。(略)

[月岡貞夫は映像作家になり、貞本はイラストや漫画]

どこのスタジオでもそうですが、アニメーター全員がうまいわけじゃないから、それを自分のレベルに統一していこうとすると、ものすごい労働量になる。貞本さんも、今の若い人らしく、以後、そこまでのエネルギーはあえて使わないんでしょうね。

職人

僕はね、さっきも言ったように、絵を描く技術に徹した職人です。そこに徹しないと、僕自身が演出家みたいになっちゃって、対立した関係になりますから。相手が信頼に足る演出家ならば、「あなたはどう考えたの?あ、そう。じゃ、そういうふうに描くよ」と、その人の考えを聞くだけでいい。その方針に納得さえできれば、どっちでもいいんですよ。豪華なら豪華に見せるし、貧乏なら貧乏にみせるのが僕らの商売ですから。どうもみんな、そういうことをはっきり言わないようだけど、そこははっきりさせたほうがいいと思う。技術というのは本来そういうものであって、その時々の演出を立てなきゃ商売になりませんからね。

遅刻寸前で現われ、入り口脇の水道を飲み、パンをパクパク食べるから「パクさん」と呼ばれた男の人格破綻ぶり。[高畑勲をさんざん褒めた後の話ですから、誤解のないように]

日常生活での高畑さんはだらしないもんだから言いかたは悪いけど、ちょっと能なしみたいに見えるときもある(笑)。不器用で、みんなで料理を作るときも、彼だけはあまりうまくできなかったりね。

[ナマケモノ・パクさんが突如見せる凶暴性]

その深い傷を受けたのは、おそらく、他ならぬ宮崎さん自身でしょうねえ。僕はそんな傷は負わなかったけど、何を言っても全部叩き伏せられてしまうほどすごい思想と論理を持っていますから、つき合っているうちに、「この人にはとてもかなわないなあ」という気分が出てくるんでしょう。会議なんかするとね、彼、はじめはじっと聞いているんですが、しだいに伸びをしたり、「ちょっといいですか」なんて、いつの間にか長椅子に横になっていたりする。あるいは、ずっと机にうつ伏せになったまま、顔も上げない。あまりいい態度じゃないですよ。「何考えてるのかな」「寝てんのかな」とみんな思うんだけど、実は、ちゃんと話を全部聞いている(笑)。で、最後の最後に、「悪いけど、今おっしゃったことは全部間違っています」とそれまでの意見をすべて否定する。みんな唖然とするんですよ。彼、ニッコリ笑って、「この企画はダメですね。はい、終わりにしましょう」(笑)。それまで懸命にしゃべっていた人は、どうしていいかわからなくなる。「高畑さん、どこがダメなんですか?」「いや、全部じゃないですか。また今度にしましょう」。そういうとき、人に与える打撃の大きさははかり知れないものがあるでしょう。

『じゃりン子チエ』のとき、彼、立ったまま頭を壁にゴンゴン打ちつけてるんですよ。そんなことを5分以上もやっている。「何やってるのかなあ」と思うけど、恐ろしくてとても聞けない(笑)。長浜さんや大隅さん、あるいは宮崎さんにせよ、演出家が何を考えているか僕にはだいたい読めるんですけど、高畑さんだけはちょっとわからないところがある。そうそう、[何か他に楽で面白い仕事はないかという話になって]あるとき高畑さんが、アニメーションをやめて文房具屋をやりたいと言い出したことがあるんですよ。(略)

いっぽうの宮崎さんは、そういう弱音はいっさい吐かない。高畑さんには、やっぱりどこか優しい、弱いところがあるんですね。

ちょっといい話。戦時中に放浪。

いつもSLをスケッチしに行って顔見知りになった機関士が、「岩国に行ったら面白い機関車があるぞ」「見に行きたいなあ。おじさん、連れてってくれよ」「じゃ、何時何分の汽車で行くか」。当時の機関車というのは、機関士の前は機械でいっぱいだけど、助手席の前がちょっと空いているんですよ。そこに乗って、駅を通過するときだけしゃがんで隠れていればいい。駅長が来ても、しゃがんでいれば中までは見ないから。いくつも駅を通過して広島に着いたら、今度は広島機関区の人に「この子をよろしく頼むよ」とリレーしてくれるんです。そのうえ、機関区に置いてある特別食の乾パンや焼き芋を食べさせてくれたり、お風呂にもちゃんと入れてくれたり……。

フランスでの映画祭の

作品チョイスをしたのはイラン・グェンさんという30代の人でしたが、日本語を学んでコツコツと日本のアニメを研究していたのをフランス政府が認め、フランス大使館付にして、日本に2年間行かせて研究させた。批評家でもなんでもない、普通の民間人ですよ。上映についても、政府が金を出して、その人を中心にやらせた。市の職員も全部その人に従うわけです。で、彼が選んだのは、ほとんどが東映の旧作とジブリの作品でした。「公平にやらないんですか?」と聞いたら、「こういうものに公平はないでしょう。私がいいと思ったものでやります」と。「ものを生産するとき、どうしたってゴミもいっぱい生まれる。そのゴミと本物を見わける目は、突き詰めて言えば偏見です」なんて言うんですよ(笑)。

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2006-03-12 大塚康生インタビュー このエントリーを含むブックマーク


大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽

作者: 大塚康生 森遊机

出版社: 実業之日本社 発売日: 2006/01/31

「止めの美学」について

出崎統さんは、普通なら止めなくてもいいところをわざわざ止めたり、独自の映像テクニックを駆使する人ですし、「動かしかた」については語らない(略)[コンテを切ったらラッシュまでは現場まかせ]一種のコンテ芸術家なんです。(略)

近ごろはある大学の教授が、「止めのアニメこそ日本が世界に誇る技法である、動きを主張するのは時代遅れである」などと言っています。動かさないかわりにデザイン的に見せるというやりかたが、これから将来にわたってずっと支持され続けるのかどうかわかりませんが、少なくとも僕たちは動かすことでやってきたし、反対に出崎さんは動かせなかったし、理屈で動かす必要もないと思ってきた---と言ったほうがわかりやすいでしょう。そりゃ、「主人公の青春があればいい」と言えば、それでもいいですよ(笑)。だけど、僕にはとても空虚な言葉に聞こえる。言葉をまぶしちゃうから、わかりにくくなってしまう。(略)

[夕日、光る波]そういうイメージ的な映像を、お話の前後と関係なく心象風景として出す。ところが、それにダブらせて、女の子が横を向いて潤んだ目をしていれば、それだけで観るほうは「何か」を感じるじゃないですか。

そういう、感覚的なものにすがるようなところがあって、その点では、あくまで論理的な映像のつながりで納得したい僕なんかの見かたとは対極にあるような気がします。まあ、それはそれでいいとして、出崎さんのことはこのへんで(笑)。知らない人じゃありませんから、批判的と思われるのは困るわけで……。何とかして客観的に話したいんですが。

古い新しいで言うなら、東映はたしかに古かった。これは「作画汗まみれ」には書かなかったけれども、虫プロができたときに馳せ参じた人たちは、実はみんな、その古くささが嫌だったんですよ。東映の、一種のヤボったさがね。

(略)

それでね、実は僕は『千と千尋』にしても、ある意味でダサいというか、いまだに東映的だなぁと思うんですよ(笑)。

なぜ虫プロに移った東映スタッフから「動き」の技術が伝わらなかったのか

[その一因として]手塚さんに、「漫画が描ける人はすぐアニメーターになれる」という楽観主義があったからだと思います。初期教育でアニメの原理からキチンと教えられていない素人でも、2、3年もたてばそれなりのアニメーターとして育ちますが、「止め」であっても絵さえ上手なら世間が承認してくれるとなれば、今さら初心者には戻れないでしょう。(略)

きっと『鉄腕アトム』をやる前までは、手塚さん自身を含めて、本心では、東映とは違うタイプの斬新なフル・アニメーションをやりたかったんじゃないかと思うんですよ。

[それがテレビの制約で大幅にスケールダウン]

これはもうダメだと思った矢先に、『アトム』が国民的な支持を得た。それで自信がついたというか、これでいいんだということになって、そっちにパーツと走り出しちゃったんじゃないでしょうか。そういう状況下で、あの人たちは、独自の止め絵的な美意識とテクニックを発展させてきたわけで、極論すれば、それが今日のアニメ界の状況に脈々と連なっているんだと思います。

せっかくアニメーションには、「動く」という、漫画にはない特権があるわけだから。しかし、それをやるには手間と枚数がかかる。変なアングルを多用したり、やたらとカットを刻んだりするのは、手間をかけないで派手に見せるための一種のハッタリとも取れます。そういう現象も、ひいては、雑誌漫画からの悪しき影響なのかもしれませんね。

手塚治虫の絵はリアルに動かさない方がいいから、動かしたい自分には向かないと虫プロからの誘いを断っていた大塚康生が、虫プロ『W3』のオープニングをやったわけ。

当時虫プロでは、穴見さんという常務が経営を一手に引き受けていたんですが、その奥さんがもと東映の美人アニメーター、中村和子さんだったんです。ある日、彼女がいすゞベレットというクルマに乗って東映にやって来た。色はシルバーメタリックだったかな。ピカピカの新車で、「大塚さん、私、こんなの買ったのよ」って。そのころ僕もボロ車(日野コンテッサ)に乗っていたんですが、いいなあと思って、「ちょっと運転を教えてあげる」と二人でベレットで表に出た。大泉の街路で、「高速コーナーリングというのをやってみせるよ。ブレーキを踏みながら、同時にアクセルを踏むんだ」。ヒール・アンド・トゥっていうのかな、僕も若かったもんで、はりきってやったんです。そしたら、クルマがくるくるっと2、3回転して、どこかの会社のブロック塀にドカーンと激突した。

[新車がいきなり廃車で、妻呆然、大塚が代わりに事情を伝えようと虫プロの穴見さんに会うと]

「それはいいですから、そのかわりオープニングの作画を1本やってよ」と。

『W3』のオープニングを描く人がいなくて困ってて、ちょうどその会議をしていたんですね。で、会議室に引っぱり込まれたら、手塚さんがいらした。穴見さんが、「先生、すべて解決しました。オープニングは大塚さんがやってくれるそうです」。手塚さん、「ええっ、ウソでしょう!?」って驚かれましてねえ。事情を話すと、「大塚さんにやってもらえるなら、そんなクルマ、1台でも2台でもつぶれていいよ」。穴見常務も、「これは天から降ってわいた幸運だ。さっそく打ち合わせしましょう」と、その場で、「ターンターン、タンタカタッタ」って手塚さんご自身の実演入りで打ち合わせが始まったんです(笑)。

『侍ジャイアンツ』のあと『コナン』の直前、一時休業してプラモデル会社の企画部長としてマニアック車を製作

MAX(マックス)というメーカー。「企画はすべて任せる、好きなトラックのプラモを作っていいよ」と言われて、ぐらぐらっと心が動いた(笑)。(略)

カナダ製のCMPとか、アメリカのダッジ・シリーズとか、イギリスのベッドフォードQLトラックとか、日本ではマイナーな車種を選んで作った。ところが、これが当時は売れなくてねぇ。あとになって、世界的に有名なキットになったんですが。今でもすごいと言われているんですよ。(略)

たった2、3人の会社だから、ふろしき包みでサンプル持って問屋を回り、何ケース買ってくれとかいう交渉までやらなきやならない。あっちこっちの金型屋を値切って歩いたり、どんどん営業マン化していくんですよね(笑)。(略)

これはダメだと思ってねえ。社長が、「こんなに売れないんじゃ、もうやめようか」と言うから、「うん、やめよう」。「金型をどうする?」「僕が売ってきましょう」と、アメリカに金型を持って行ったんです。ペンシルバ二アで、ピアレスという会社のゴールドバーグというユダヤ人に会って、売値の交渉をして、金型を全部売っぱらってしまった。で、ゴールドバーグは、すぐにエアフィックスというイギリスの会社にそれを転売した。(略)

あそこが僕たちのキットを、世界的に、大々的に売り出したんです。エアフィックスでしばらく売ったあと、今度は、イタレリというイタリアの会社にまた転売された。今は、イタレリから出ていますけどね。

『コナン』ロボノイドの人間くさい動きは

「僕がそう考えてるだろうと想像して、実は宮崎駿さんが設定した」というのが正確です。僕らはそういう関係なんですよ(笑)。(略)

宮崎さんは、スタッフをものすごくよく見ているわけです。(略)とことん相手を読む。これはアニメーション演出においてはすごく重要なことで、この人に描かせたらこうなるだろうというのを読まなきゃ、本当は絵描きを使えないはずなんです。今、日本のアニメ界で一番壊れているのは、そこですよ。誰に描かせても同じだろうと期待して、韓国などに外注でばらまく。同じものができてくるはずないのにねえ。

明日につづく。


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2006-03-11 死ねばいいのには、松本のネタ このエントリーを含むブックマーク

キーワード飛来で知ったのだが、はてなでは「死ねばいいのに」はダウンタウン浜田のネタということになっている。

僕の記憶が確かなら、浜田ネタのハガキを読み終えた後に、松本が小さく「死ねばいいのに」と付け足したのが一番最初だと思う。それがやや定着した後、笑福亭笑瓶といったDXでかなりキツクいじっていい相手というか、浜田の他の番組での相方という関係の相手に対して、使うようになっていたハズ。

「ボケ」「死ね」と違って、じんわり発音されるフレーズなので、やはりそれなりの信頼関係がある相手じゃないと、ドSの浜田さんでもそう簡単に使えなかったハズ。それが定着してDXでは誰にでもありになってしまったので、事情を知らなそうな高齢大物ゲストに使われたりしててビックリする時がある。

と、ここまで書いて、自分の記憶が不安になったので色々検索してみたら、

ダウンタウンDXでよく口にするギャグ「死ねばいいのに」というセリフはフリーザそのものであるし喋り方もそっくりなのである。

と書いている人がいて、そーなるとあれだ、御飯の口調で「おとーさーん」とか言っちゃったりするドラゴンボール大好きな松本人志しかいないと思われ。

さらに2chでも

松本が浜田の死ねばいいのにを率先して使うのはどうかと。

それを言うなら、浜田が松本の死ねばいいのにを

率先して使って来た事を言わないと

もともと松本がこの番組でハガキを読む時に付け足してたボケのひとつだよ

俺は別にいいと思うけど、君みたいなのが出てくると

相方だからいいってもんでもないのかなと思うよ

なんてやりとりがあったよ。

まあともかく、サタデーナイトにこんなことをちまちま書いてる奴は、

死ねばいいのに

もひとつおまけに市川雷蔵の声で

死にたい奴は死ね

土曜の夜、私用で車を走らせていたら、ヘッドライトに猫の死骸が浮かび、車の真下に消えていった。どうするの。心優しき愛猫家だったら車を止めて連れて帰るの。でも月曜まで処理場は休みだよ(「はじめてのクロ」)。せめて舗道にでもそっと置いてやるべき?でも二車線の追い越し車線だし、猛スピードだし、俺は薄情だし。猫の白い背中だけがザラリと脳裏に。

2006-03-10 不道徳教育・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。


不道徳教育

作者: ブロック.W,橘玲

出版社/メーカー: 講談社

発売日: 2006/02/03

就職において女性差別をしている社会では、安い賃金で優秀な女性の人材を雇うことができるので、積極的に女性を雇用する会社は男しか雇わない会社より業績が伸び発展する。東急インみたいなもんです(1/30)

労働基準法や男女雇用機会均等法のない自由な市場においてのみ、真に同等の生産性を持つ男女が同じ額の報酬を得る平等な社会が実現する。飽くことなく利益を追求する民間企業だけが、社会的に差別された女性の窮状を利用して、生産性の割に給与水準の低い労働者を確保する経済的な動機を持ち、その欲得ずくの行動によってはたらく女性の報酬は上がっていくのである。

麻薬密売人

法による覚醒剤の禁止は、その末端価格を「天文学的」としか形容するほかない水準まで引き上げる破壊的効果を持つ。(略)

[高価格の覚醒剤を購入するために犯罪に走ってしまう。安ければそんなことはない]

シャブの売人の役割とは、彼がこの業界に参入してくる目論見とは裏腹に、覚醒剤の末端価格を引き下げることである。新しい売人が一人路上に立つたびに、需要と供給の法則によってシャブの販売価格は下落する。一方、警察当局による規制や取り締まり強化によって売人の数が一人減るごとにシャブの価格は上昇する。

飢饉でボロ儲け

豊作で食糧の価格が平年より安いときに、商人は食糧を買いだめしようと考える。その結果、市場に出回る食糧は減り、価格は上昇する。そして不作の年が訪れると、蓄えられた食糧は市場に放出され、価格は下落する。

もちろん、商人は買った値段よりも高く売るのだから、不作の年の食糧価格はそれまでよりも高くなる。だがそれでも、彼がいなかった場合ほどには価格は高騰しないだろう(食糧不足そのものは商人の責任ではなく、たいていの場合、旱魃や洪水などの自然的、人為的災害が原因となる)。

飢饉でひと儲けを企む悪徳商人の段割とは、食糧価格を均衡化することである。安いときに買って値段を上げ、高いときに売って値段を下げる。その取引から彼は利益を得るだろうが、これは「悪徳」ではない。そればかりか、社会にとって価値ある貢献をしているのである。

労働基準法が失業をよぶ

偶像を叩き壊すようで申し訳ないが、最低賃金が失業をつくり出しているのは明らかな事実である。賃金水準が上がれば、はたらきたい人(供給)は増え、手に入る仕事(需要)は少なくなる。

(略)

ここで強調しておくべきことは、法に定められた最低賃金はその賃金水準以下ではたらく人にのみ影響を及ぼすということだ。すベての人が時給750円以上ではたらくことを法が命じても、時給1000円を稼ぐ人にはなんの影響もない。

労働基準法が低賃金労働者の所得を増やすことにつながると信じている人は、もし最低賃金が時給一万円になったら、なにが起こるかを考えてみればいい。雇用主が時給一万円を喜んで払うようなすばらしい生産力を、われわれのうちいったい何人が持っているというのか。その大金に見合うと思われる者だけがはたらきつづけることを許され、残りは解雇される。(略)

労働基準法によって傷つくのはだれか? 技術や資格がなく、法で定めた賃金水準以上の生産力を持っていない労働者である。

  • 脱線・俺の妄想1

最低賃金はないから仕事はある、あるけど時給10円、そんなのやる気がしないので、金持ちに対する憤懣を高める。貧乏人の怒りにどう対処するか。金持ちと貧乏人を隔離する、民間武力で防衛することは可能か。テロ対策においてそれらが全く無効であることが明白になっている。

では、ガス抜きか。憤懣が薄まるまで時給を上昇させて、雇用を高めるのか。

  • 脱線・俺の妄想2

アフリカに援助物資を送ったり、子供を働かせるナイキを批判することは、逆に最貧国から雇用を奪っていたりする。ナイキは自分達は間違っていないと主張して、裁定を市場原理に委ねればいい。一方、そんな間違った考え方のボランティア集団がナイキを批判するのも言論の自由だ。じゃあなぜ大抵の企業はことなかれ主義で一部の集団の批判に動じてしまうのか。イメージが悪くなるから。本社前でのボランティア集団による、落語「らくだ」的恫喝・お涙頂戴パフォーマンスに屈してしまう。

  • 脱線・俺の妄想3

ビル・ゲイツ死ねばいいのにと思っているWindows使用者は多いはずなのだが、なぜ市場原理が働かないのか

2006-03-09 不道徳教育 このエントリーを含むブックマーク

市場原理の働かない国家が諸悪の根源だ、世間から白眼視されている人々の方が市場原理に沿って正しく活動しており、国家公務員が市民の敵なのだ。


不道徳教育

作者: ブロック.W,橘玲

出版社/メーカー: 講談社

発売日: 2006/02/03

30年前の本をサクッと訳して、実に売れそうな内容で、しかも、はなくまゆうさくのイラストをあしらって、さらに売れそう。そんな「勝ち組」の訳者の長いまえがき。

すべての不幸は国家によって引き起こされている。国家が存在しなければ(国家間)戦争も貿易不均衡も起こらない。

(略)

国家は、徴税や徴兵によって個人の権利を不可避に侵害する。公務員は国家に寄生し、吸血鬼のごとくわれわれの血を啜っている。

リバタリアニズムというのは

ようするに次のような政治思想だ。

人は自由に生きるのがすばらしい。

これに対して、リベラリズムは若干の修正を加える。

人は自由に生きるのがすばらしい。しかし平等も大事である。

「自由主義」に対抗する思想として保守主義が挙げられるが、それとても「自由」の価値を否定するわけではない。彼らは言う。

人は自由に生きるのがすばらしい。しかし伝統も大事である。

たったこれだけで、現代の政治思想の枠組みが説明できてしまった。

幸福のルール

人々が自由に生きればすべての人が幸福になる。

すべての人を幸福にする行為は道徳的である。

したがって、自由に生きることは道徳的である。

人生ってなんて簡単なんだろう!

言論の自由

私はプラバシー権や著作権を支持しているが、それでも「人が自由に生きるには”言論の自由を守る”と腹をくくるしかない」との著者の主張に、十分な理由があることを認めざるをえない。

援助しないでください

ジェームズ・シクワチによれば、たとえばケニアの一部で旱魃が発生すると、政府は大声で全世界に危機を告げる。その声は国連世界食糧計画に届き、やがて大量のトウモロコシが送られてくる。その援助物資は被災地には届かず、一部は政治家の選挙区に配られ、残りは闇市で叩き売られる。ただ同然の農産物が大量に流入することで、現地の農業は競争力を失って壊滅してしまう。

同様のことは、たとえば善意溢れるドイツの人々がアフリカに送る古着についても言える。援助物資として送られたドイツの中古ブランド品を闇市に買いに来るのはドイツ人で、彼らはそれをインターネットオークションでドイツの消費者に高値で転売するのだ。この馬鹿げた「援助」の影響で、ただでさえ貧弱なアフリカ諸国の軽工業は甚大なダメージを受けている。

リバタリアニズムの本質は

「自由な個人」という近代の虚構(というかウソ)を徹底する過激さにある。その無謀な試みの先に、国家なき世界という無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)のユートピアが蜃気楼のように浮かぶとき、人はそれを「希望」と呼ぶのかもしれない。

どうでしょうか、「幸福のルール」の辺り、ビミョーなのであるが、国家ならそのビミョーな部分をどうにかできるのか、国家でも市場原理でもビミョーな部分はどうにもならぬのだから市場原理でいいじゃないとなるのか。

とりあえず脱線・妄想を掻き立てる本ではある。

いよいよ、本文に行くのだが、訳者によって現代に日本の状況に合せた超訳になっています。

2ちゃんねらー擁護。誹謗中傷もまた言論の自由の一部なのである。

最後に、逆説的に言うならば、わたしたちの名声や評判は、誹謗中傷を禁じる法律がないほうが安全なのである。現在の法律は虚偽に基づく名誉毀損を禁じているが、そのことによって、だまされやすい大衆はゴシップ雑誌に書いてあることをすべて信じてしまうし、ネット上の匿名掲示板にしても、規制が厳しくなればなるほど投稿の信用度は上っていく。

「だって、ホントのことじゃなかったら書かないんでしょ」

もしも、誹謗中傷が合法化されれば、大衆はそう簡単に信じなくなるだろう。名声や評判を傷つける記事が洪水のように垂れ流されれば、どれが本当でどれがデタラメかわからなくなり、消費者団体や信用格付け会社のような民間組織が記事や投稿の信用度を調査するために設立されるかもしれない。

恐喝バンザイ。「真実が君を解放する」

しかし同性愛者全体の利益を考えるならば、恐喝による強制的なカミングアウトは、一般社会が同性愛者の存在を知り、共存する術を学ぶことを促す。

披差別者を公衆の面前で名指しすることや、クローゼットから引きずり出すことは、もちろん「善意」などではなく、個人の権利の侵害である。しかしそれでもなお、一般の人々に彼らの存在を気づかせることにつながる。そのことによって恐喝は、いわれなき差別に苦しむ人々を解放する功績の小さな一部を担うことになるのだ。

古い警句にあるように、「真実が君を解放する」。

恐喝者のただひとつの「武器」は真実である。脅しの材料として真実を用いるとき、彼の意図とは無関係に、それがよいか悪いかも別として、恐喝者は真実を解き放つのである。

「レイプ犯を極刑に!」

「人権」を錦の御旗のごとく振りかざす人々は、アダルトチルドレンなる珍妙な理屈を振り回してレイプ犯をずっと甘やかしてきた。(略)

それに比べて、フェミニストたちの「レイプ犯を極刑に!」という叫びがいかにさわやかな響きを持っていることか。

レイプ被害者に対する扱いを見てもわかるように、国家は女性に対する暴力行為を暗黙のうちに容認している。国家による女性差別はレイプだけでなく、売春の禁止にも表れている。

たとえばハリウッドの大手映画会社が女性差別を公言し、レイプを礼賛する作品を製作したとしよう。その会社は社会から強い非難を浴び、観客は背を向け、株価は暴落し、資金が枯渇してたちまち倒産の危機を迎えるだろう。だが差別が国家によって行われる場合は、このようなことは起こらない。

  • 脱線・俺の妄想1

著者のウォルター・ブロックによれば、モラルは不買というフィードバックによって規定されることになるはずなのだが、どうだろう。例えば盗撮ビデオ店にとっては世間の評判なんて全く無関係であって、盗撮ビデオを求める人間が存在すれば経営は成り立つ。

では、「盗撮」に憤る人々はどう対処するのか。ビデオ店を訪れる客を撮影したり、顧客情報を入手して、ネットで晒す。これで打撃を受けて客が減るのか、「盗撮」趣味をカミングアウトできて、世間に「盗撮」趣味が認知されるのか。盗撮者及びその家族を盗撮して晒すのか。

生徒を確実に大学合格させる能力はあるが、女性を盗撮する趣味のある教師に職はあるか。女子校・共学校は雇わないだろうが、男子校なら多分雇うところはあるだろう。もしかすると、減るもんじゃなし構わないという女子学生がいるかもしれない。それに憤る人々に手段はあるのか。

  • 脱線・俺の妄想2

でも公僕ということで優秀な人を安く雇えてるんじゃなかろうか。いや、その代償として意味のない天下り先が作られて無駄が増えているのか。

基本ルール

ー己所有と私有財産の権利は不可侵である(自己所有権・私有財産権)。

∪掬な所有者の合意を得ずに財産を取得することはできない(暴力の禁止)。

正当な所有者との合意によって取得した財産は正当な私有財産である(交換と譲渡のルール)。

これは恐るべき思想である。なぜなら、たったこれだけのことで「人はいかに生きるべきか」という人類の根源的な問いが、もののみごとに解決してしまうからだ。

  • 脱線・俺の妄想3

すると信者に安物の壷を50万円で売るのは問題がない。騙されたとか言ってる元信者はバカなので放置。ヤクザが50万円の壷を売りにきたらどうなるのか。そこにある暗黙の暴力は暴力なのか。

命は一番大切な私有財産。生きていくためには背に腹はかえられぬので強盗に入る。それは当然上記のルールに抵触する、悪いのは強盗であるが、二人の人間の私有財産権の折り合いはどうつけるべきなのか。

  • BS「アルプスの少女ハイジ」

おじいさんは手製のチーズをパンと交換しに麓の村へ行きました。でもパンの値段があがったと言われ(態度の悪さにも)怒ったおじいさんはさらに山を降りて遠くの村まで安いパンを求めて行きます。安いパンを買えた余裕で(いや遠くの大きな町だから飴が売っていたのです)ハイジのために飴を買います。市場原理バンザイ、かもしれない。でもてくてくと歩いて帰ってきたおじいさんの心を本当に癒してくれたのは、その日初めて吹けるようになったハイジの口笛でした。山々にこだまする二人の口笛、フー。

「市場原理」うんぬんについて説明不足なので、詳しくは明日に続く。

2006-03-06 斯波四郎・芥川賞選評 このエントリーを含むブックマーク

芥川賞選評なんてものをちゃんと読んだことがないのでよくわからないのだが、なんだか物凄くヘンテコリンなものだった。きっかけは3/1にやった『文芸時評という感想』で荒川洋治さんが、芥川賞作家シリーズ『緑の島 斯波四郎』(1964)の日沼倫太郎の解説をしばしば読み返すと書いていたから借りてみたら、同時収録の選評がムチャクチャだったわけですよ。

とりあえず日沼解説の方を先に。

森敦に師事する小島信夫と斯波四郎の関係

この文章をよんでみると、小島氏と斯波氏の二人は、世に出るまでのあいだ、おたがいにライバル同士だったらしい。それを側面からあおりたてたのが森敦という人なので、「破れバイオリンが鳴りはじめた」という森氏の斯波評に小島氏が嫉妬心を抱いたり、小島氏の実力をみとめながらも彼のかく新作については知らぬ顔の半兵衛を斯波氏がきめこむといったこともあったらしい。しかし二人のバランスは、昭和29年下半期の芥川賞作家に小島氏がえらばれたときから決定的に崩れてくる。

(略)

森敦というメフィストフェレスを中心にくりひろげられる羨望と妬心のこの三角劇は、さながら菊池寛の「無名作家の日記」を私にほうふつさせる。斯波氏や森氏に先んじて芥川賞作家になったことを授賞式の席上で小島氏は誇り、斯波氏は先んじられたことのくやしさから借金を覚悟で同人誌の発刊を思い立つ。一方森氏は酒田へとじこもってしまう。(略)

はやいはなし、斯波氏が芥川賞を受賞したのは昭和34年である。小島氏よりは五年もおくれて世に出ている。それさえ僥倖だったかも知れぬのだ。だから五年おくれたということも、それはあくまでもあとになってからのはなしなので、当時の斯波氏としては、世に出られるか出られないかは、皆目見当がつかなったにちがいない。要するに、昭和34年の上半期芥川賞作家に選ばれるに至るまで、幾年かの歳月が、不遇な作家である斯波氏の上を確実に流れたのである。耐えがたい歳月だったろう。

とまあこんなカンジで、問題の芥川賞選評の方へ。

年譜から参考になりそうなとこをチョット抜粋

43歳 丹羽文雄門下となる

44歳 森敦に伴われ壇一雄の世話になる。小島芥川受賞。

45歳 借金して同人誌

47歳 井上靖に認められ以降深甚なる愛情を受ける

49歳 芥川賞受賞

さて問題の賞レース、井上靖が斯波四郎をゴリ押しするのですが。

斯波クンってブサオだけど、あんまりしつこいから根負けして許しちゃったの。爆笑部分を斜体にしてみました。

「斯波四郎のこと」丹羽文雄

[受賞してよかったねという前フリがあって]

彼はものに憑かれたように小説を書く。七十枚、百枚、百五十枚といった作品を、書き上げるしりから私のところに持ってきた。つみ重ねると、私の腰ほどの高さになった。彼は流行的な小説には、見向きもしなかった。ひたむきにおのれの世界に没入する型であり、そうした彼の原稿をよまされる私は、ほんとうのところ辛かった

私の文学とはまったく別のものであるからだ。彼の執念に私は圧倒された。一般性はないが、彼の才能は大切にしなければならないと思えた。一生陽の目をみることはないかも知れないと思っていた。「山塔」にも、かなりひとり合点のところがある。が、それを埋合わせするに十分な魅力がある。

ざっくばらんにいえば、この文学は真似ようのないものである。

こうした文学を最高のものだとは思っていないのだが、今日の文学者が見失っているものを、この作家は執念深く抱きつづけて来たようである

これはまだ素直

「精進された畸形」舟橋聖一

[各作品評、佃実夫「ある異邦人の死」を推したこと]

そこで、斯波四郎の受賞作だが、彼、柴田四郎の長く欝屈したものが、曽て一度も外側へ溢れ出ず、内向また内向して、手工芸風に凝結した一例である。

古風であるかと思えば、新しい。それが渾然としていると云っては、賞めすぎだ。むしろ、畸形である。

この人の病的なほど青い透明な垢と膩が、作品の中枢に固まっていて、ふしぎな感覚の艶になった。(略)

当夜の会では、井上(靖)氏が「山塔」にあまり力コブを入れるので、「異邦人の死」とは逆に、その分だけ減点したくなったのは事実だ。

この文章が一番ヘンだ。悪文だ。

「選後感」井伏鱒二

今度は作品が揃っていると思われたので選ぶのに迷った。力作という点では「三十六号室」に一票を入れたいが、報告的なところが気になるので迷わされた。個性があるという点では「山塔」に入れたいが、ところどころ表現に小さな無理があるので迷わされた。自分の嗜好から云えば「谿間にて」を挙げたいが、第二章以下が形の上で平板に終わっているので挙げかねた。結局、自分の嗜好をすて、「三十六号室」または「山塔」を推すことにして

(略)

但し「山塔」に文章の無理があると私が解したのは、人の使い古した言葉を避けようとして、それの度が過ぎているためかもわからない。一理ある試作態度であったとも思われる。

新聞報道に異議あり

「棄権」永井龍男

[どれかなら「三十六号室」だったけど棄権した]

授賞の翌日七月二十二日付「東京新聞」は、選考経過なる記事を掲載して、

「永井氏は『山塔』は小説としての構成が弱いと積極的反対を示したが、結局多数決で、『山塔』に決した」

と、報じている。

このような、無責任な報道は迷惑千万である。

予選八篇中から、候補作品を選ぶ際に、私が「積極的反対を示した」のは、「ある異邦人の死」であって、「山塔」に就ては「前半が脆いように感じたが」と述べただけである。(略)

これも笑える。バカボンのパパみたい。「みんな何故こんなものを選ぶのだ」と全否定なのに賛成なのだ。

「意外と賛成」川端康成

斯波四郎氏の「山塔」が選ばれたのは、私には意外であった、意外と言っても、反対という意味ではなく、私は「山塔」に同情を、さらにすすんで同感を寄せていた。しかし、委員の多くが「山塔」を推すだろうとは考えられなかったので、これは私の迂闊であった。「山塔」は私には、同感を誘う作品だけに、かえって欠点も目立つ作品であった。心の描き出した世界であろうが、その心の歌のわりに、風景はややぼんやりとし、風景の中の人物はさらにあいまいで、悪く言えば、この種の類型とも思え、全体に感傷がいちじるしい。けれども、純粋の心象に貫かれて、特異な魅力をこめている。このような作品が芥川賞に選ばれたことは私には意外であり、賛成であった。(略)

官僚作文調

「この独自の作風を」佐藤春夫

予選通過の作品を全部一読したうえで、わたくしは、北杜夫、佃実夫、斯波四郎三君の作品を独自なまた第一流のものと信じながら、そのうちから第一位のものを決定するに困難を感じて、それは衆議によって決してもらうつもりで審査の席に出た。だからこの三篇には各々一票を投じ推賛の辞を惜しまなかった。

三君の作品は各々独自の作風の尊重すべきものでそれぞれに違ったものだから、これを比較して順位を定めることは不可能である。それにみなそれぞれに特長もあるが、無論欠点もある。しかもその欠点も、それぞれの作風に必然のものであってみれば是非もない。世に完全なものは稀である。(略)

よくわからない

「北杜夫を推す」瀧井孝作

(略)

次は、斯波四郎の「山塔」これは、何か面白い所もあるが、何かよくわからない、作者のひとり合点のような所もあった。例えば、しまいの”山塔”というのも、象徴か何かよくわからないが・・・。この人の作は、前に同人雑誌に出たもので、奇妙な、象徴風の作があった。題は忘れたが、何でも、洞窟の中に神仙か化け物かふしぎな者共ばかりの世界が描かれた奇妙なもので、何か感じはあるが、とても不可解で、読み切れなかった。何かファンタジーともちがう、泉鏡花の化け物小説ともちがうが、この「山塔」にしても、よくわからないのは、未だ熟さない、こなれない、欠点もあると見た。ともかく、この人には妙な独自の何かがあると思った。何かがある点では好意をもつが・・・。

父さん、多分は宇野さんは北杜夫しか読んでないと思われ

「独断的選評」宇野浩二

こんどの委員会には、私は、どうしても出席できなかったが、候補作品として選ばれた八篇の小説は、委員会のある前の日までに、みんな読んでいた。それで、こんどは、先ず、それらの作品の読後感を、読んだ順に、我流に、述べることにしよう。北杜夫の『谿間にて』は、はじめ読んだ時は、ちょいと面白い小説ではあるが、この作者が以前に発表した幾つかの作品の中にはこれよりすぐれた小説があった、と思った。ところが、これを書くため、ふと思い出して、少し、念を入れて読んでみて、私は、この小説はなかなか『見所』のある作品だと考えた。[以降延々と『谿間にて』のあらすじ紹介]

以上の事を、自分ながら、過褒で、面白くないので、半分ぐらい縮めたり直したりするうちに、バカバカしい時間を浪費したために、肝心の書こうと思った事は殆んど述べられなかった。さて、ギリギリのメ切りの時間が、半日も過ぎ、今は「もう十分以上は待てない」という事になったので

(略)

最後に『山塔』が受賞したのは、「まず」と思うが、委員会の決定の時、六人の先生たちが同感され、僕のはかない一票をくわえると、『山塔』は七票という訳になり、「一票の中には半票になるのもあるが……」という妙な勘定の仕方もあるそうであるが、これは『異』な噂話というべきか。

石川達三、中村光夫、井上靖の選評はめんどくさくなったので省略。

2006-03-04 宮台真司・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。


宮台真司interviews

作者: 宮台真司

出版社/メーカー: 世界書院

発売日: 2005/02

江藤淳と三島由紀夫の違いって

大変おもしろくて、三島っていうのは、このままアメリカナイゼーションが進めば日本は入れ替え可能なものしかなくなっちゃうと危惧した。

(略)

[一方江藤は]もう日本には入れ替え不可能なものはなくなった。全部入れ替え可能になったんです。そこで「だが、しかし」なんですよ。そこに記憶というものが絡んでくるんですが、村上龍みたいに入れ替え不可能なものの記憶を忘れて、単に入れ替え可能なサブカルチャー的な記号と戯れているやつがいると、激怒するわけです。「バカ野郎!」みたいな感じで。

しかし逆に、日本にまだ、あたかも入れ替え不可能なものが残っているかのごとき楽天的な前提で振る舞う輩を見ても、やはり江藤は激怒するわけですよ。「そんなの、もうねえんだよ!」って(笑)。(略)

断念したけど、断念したことを忘れちゃうんじゃなく、その断念したことを覚えていながら、「あえて」何かをやっているという、切なさ。それは「アメリカの影を忘れるな」という政治的メッセージにもなるけど

中沢新一について

中沢さんは僕に言わせると、ある意味「ペテン師」。「ペテン師」というのは別にけなし言葉じゃなくて、僕にもそういうところがあるので良く分かるんですが、おそらく、何のための「ペテン」かというのが問題でしょう。僕に言わせると、中沢さんは……(長めの間)あくまで僕から見るとですけれど、彼自身にもちょっとナイーブなところがあって、(略)

中沢さんは二項対立で人を惹きつけて行くところがある。それは、ある種の「ペテン師」である見田宗介も似ていて、(略)

二項対立や四象限図式の中で「そうか、世界はそうなっているのか!」というふうにナイーブに納得させて、読者を連れて行く。僕は、それに連れて行かれてしまう読者の気持ちが良く分かるから、(おだやかに)そういうのは何時も「ペテン」だと、そう思います(微笑)。僕もそういうペテンをするのでよく分かりますけれど、ただその、どういったら良いでしようね、良心あるペテン師であれば、「それが、ペテンである」ということを、分かりやすい形でアクセスできるようにしておく必要があるという風には思いますね。

女装企画で解放され煽り抜きで語る

でも女の人の場合は、一般的に言えばですけど、断念の地層というか、自分が断念してきたさまざまな事象やイメージの屍が心の中にあるんだと思うんですよ。だから女の人のほうがいろんなものを断念しやすいですよね。あるいは、自分がいまあるあり方を離脱することに対する恐怖も少ない。男は端的に執着する。つまり恐怖なんですよ、知らないものになるということがね。女の人は恐怖じゃないですよね、せいぜい恥ずかしさぐらい。そうした男の恐怖心の裏返しが嫌悪感でしょう。それがとても僕たちを不自由にしていると思う。

その恐怖心というのは、ステップ・バイ・ステップで経験を通じて緩和していくしかないものだから、いますぐ恐怖心を捨てろと言ってもしょうがないんですよね。僕は恐怖心の強い人に何かしろとは思わないが、可哀相な気がしますね、恐怖心が強い男の人たちは。

関係ないけど小林よしのりの宮台ハゲいじりフレーズが笑えた。

「はえぎわがはげぎわになりかかっている、オヤジのはえぎわを持つ男・宮台」

もう眠いから途中放棄。

2006-03-03 宮台真司の自己啓発グルーヴ このエントリーを含むブックマーク

宮台真司の嫌なカンジって、自己啓発セミナーのノリを社会に持ち込んで社会にダメ出し「人格否定」をぶちかましちゃうとこじゃないと、いい加減な感想を書こうとして、そういやオレ自己啓発セミナーなんてよく知らないやと思ったので検索してみたら、元関係者の語る「自己啓発セミナーの問題点と対処法」というのがあって、これがまんま宮台に当てはまるのでかなり笑える。

  • 勧誘の際の世間との軋轢も「修行」だ

最も大きな問題点は、お金がかかるという事もそうですが、それを親兄弟、親戚、友人にまで勧めて回る(エンロールと言います)、という点にあると思います。

 実際は、それで参加者が罵倒されたり回りの人とトラブルを起こしたりすればするほど、参加者自身のトレーニングになるようになっている(!)のです

が、普通に社会生活を送っている回りの人々にとって、参加者のトレーニングの為にトラブルに巻き込まれるのですから、たまったもんじゃありません(笑)

そ、そうか世間がブルセラ学者と罵れば罵るほど宮台にとっては修行値獲得だったのかあw。

入試問題を熟考するなんて無意味、さっさと解答を見てパターンを覚えこむべきというのは正解なのだろうけれど、それを人生にまで持ち込んで、さっさと「自己啓発セミナー」で解答パターンを身に付ければいいやという発想の人間というのはどうなんだろう。

参加者でもない一般の人間に向かって、セミナー気分で人格否定をすれば、過剰な拒否反応があるのは当たり前だ。「人格否定」をされた社会が過剰な拒否反応をしたのも当然だ。そのあげくトンズラ。というところで、ようやく本題の内容紹介。


宮台真司interviews

作者: 宮台真司

出版社/メーカー: 世界書院

発売日: 2005/02

「戦略が効きすぎると失敗する」こんなはずじゃなかったと宮台。

ぼくが冷たい人間に見えるのは、ぼくがそれを意図した結果です。ぼくは人を癒したくない。癒してしまえば、癒しを必要とする現行システムを補完するだけ。それよりもシステム変革に動機づけるために、人を不安に陥れたいと思ってきた訳です。ただそれが裏目に出た部分もあります。例えば昨今のテレクラ規制ラッシュや東京都買春条例、あるいは国会上程中の児童買春・児童ポルノ法案などは、不安に駆られた人々が拙劣な法制措置に踏み込んでしまった結果です。あるいはぼくの読者から、ぼくの知る範囲でも複数の自殺者が出てきています。

果てして本人は自己のセミナー気分を自覚していたのか。

かつて宮台真司は、機械のように、正解を答えてくれた。だが今回、話を聞いてみて……話し方は変わらないが、苦悩が見える。答えは見えるが、逡巡も見える。機械のような印象は、露と消えていた。彼の中で何かが深まっていることは、確かだ。

聞き手のこんな感想で締め括られる『SPA!』インタビューがかなり宮台をつっこんでいて笑える。元参加者に糾弾されるセミナー講師宮台という構図だろうか。

−−宮台さんの方向転換が早ければS君は死ななくて済んだと?

宮台 その可能性はあります。

−でも、例えば宮台さんは『完全自殺マニュアル』を評価していた。自殺は生きることの選択肢の一つであり、自殺も売春も自己決定権の問題だという明快な意見でした。宮台さんを支持する人はそういう明快さに惹かれたと思うんですが、たった一人の読者の自殺に衝撃を受けてしまうのは矛盾するのでは?

宮台 自己決定権の主張は法律の問題です。法と道徳は違うというのが近代社会の常識です。だから、自殺の自己決定権を認めよと主張する人間が、個人的に自殺を止めようとすることは矛盾しません。それは、売春についても同様です。

−それは、宮台さんの道徳?

宮台 正確に言えば、個人道徳です。

女子高生売春は推奨するけれど、カミサンにはしてほしくないというのは、まったくオヤジの精神構造とちがわないのだが。

こんな風にしか回答できない宮台が別のインタビューでは大物学者の物凄さに触れた事がないと駄目だとこんな講釈を垂れている。

思弁を背後で駆動する「制御しがたい内発性」を実感することができない。

思考の帰結のいかんでは人を殺したり自死するような状況も起こりうること、内発性次第では思考は制御しがたい勢いを持つこと。

セミナー気分で社会を煽っていた宮台の思弁とやらにそんな真剣なものがあったのか。理屈をつけてトンズラですよ(2004-10-24)。まったく大爆笑だよ、貶したところで再度『SPA!』インタビューに戻って。

−−ということはあの頃、日常だけでは満足できないってことをわかっていながら、まったりと生きることを推奨していたってわけですね。

宮台 いや。「まったり革命」とは意味の追求をやめることで、それは目鼻がついた。でもその後、多くの人は強度(濃密な時間)が得られないことに苦しむようになりました。脳死みたいな生を送るんだったら死んじゃおうという人も出てきました。意味から自由になるには社会の相対化が一番だけど、今や自由になった後の実存の困難を問題にするべきです。

−−宮台さんは、そういう困難を抱えていないと思いましたが(笑)。

宮台 とんでもない。ボクは非日常体質で、とても日常だけでは生きていけません。

と、ここまで書いたところで、麻生久美子の鼻下スジがやたらくっきり時効警察が始まるので、続き&改稿はまた明日。

2006-03-01 文芸時評という感想 荒川洋治 このエントリーを含むブックマーク


文芸時評という感想

作者: 荒川洋治

出版社/メーカー: 四月社

発売日: 2005/12

サラサラ微温世代には説教オヤジ臭いのかもしれない。天敵?の保坂和志が言うように判断基準が古いのかもしれないが、自分がリコウなところを披露したくてたまらない渡部ナントカといった類の評論家より、自分の基準に従って率直に書いてる荒川洋治の方がずっとマシじゃない。

知的はだか祭り文芸評論家

先の二人の文章も、ほめるなんてことをしては男のこけんにかかわるという、なんだか男のはだか祭りみたいなものにならざるをえない。だから「ほめる」ときにはことばはやせほそり文章はがたがた、魅力がない。そういうものをみると男になれるなれないは別としても男になることをいそぐ必要はないような気がしてくる。

松浦寿輝の「須賀敦子」論をこう分析する。「思ってもいないことを、平気で、それもじょうずに書いてしまう」

故人の資質を過不足なく伝える。言っていることはこまやか。いや、こまやかであることを印象づけるために、こまやかさを演じているという文章であるかも。(略)松浦氏はおそらくどんな作品に対してもこまやかな批評的対応のできる人。それも、もののみごとにできてしまう人のようだが、ほんとうにそう、自分で感じて書いたのかというと、文章のはしばしを見ると、どうもそうは思えないのである。思ってもいないことでも、平気で書くことができてしまう。そんな文章がいつもいつも書けるとしたら、それは実はおそろしいことでもある、ということを同氏はあまり意識したことがないのかもしれない。本当に思っていることを、うまく書けない文章のほうがときには文章としては上であることを、書き手はいつも知っておかなくてはならない。だいじなことだ。

「思ってもいないことを、平気で、それもじょうずに書いてしまう」。これが若手外国文学者のみならず今日の文筆家のひとつの特徴だろう。

12年に亘る時評なので同じ作家でも評価は揺れるが、町田康はいつでも絶賛。「きれぎれ」の引用箇所も確かに読みたくなるナイスな選球。全編こんな調子だったら俺も読むんだけど。

「血がだらだら流れていた。まるで鎌のような草だ。鎌草。鎌草少将。少将くらいな気持ちで行かないと駄目だ。こんな指が切れたくらいのことは少将にとっては些事だ。俺は自分にそう言い聞かせ、指をくわえた」

阿部和重「トライアングルズ」の引用箇所もちょっぴり中原昌也テイストで、これまた読みたくなる。

<僕はそれほど立派な人間じゃない。残念ながらね。ならば実際はどうしているのかというと、いま君の家庭教師をしている通り、近頃はもっぱらアルバイトをしているよ。アルバイトばかりなんだ。僕のような人間にはね、それが一番ふさわしいんだよ!何がって、アルバイトがだよ!>

笙野頼子に対しては文学内としては評価はできるけれど不満が残る著者。でも最初の頃よりは大分評価上昇。

まず「居場所もなかった」の方。

文章は達者だし、彼女の、たとえ人に笑われても自分の思考秩序を守るという腕も確かだし、こちらを苛立たせるだけ作品としては成功かもしれないが、彼女一人の主張(わがまま)につきあうにもほどがある。女性が希望の部屋を求めるには数々の困難があろうし、そこに今日の人間社会の仕組みがあぶりだされもしようが、「小説家」という存在がここまで誇らしげに自覚されている光景にでくわすと、「不毛なのは作家のうぬぼれ」という石原慎太郎氏の意見も具体性を帯びてくる。

それから二年後

笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」は東京湾にのぞむ鶴見線の無人駅をなんの目的も目標もなくひと駅、ひと駅たどって歩く語。「私小説」もとうとう遠足にまで堕ちたかという、そんな思いで読み始めた。しかし筆にのせられて、こちらが熱くなってくるのはどうしたわけだろう。

コンビナート地帯の建物をはじめとする立体、平面のこまものを、目にうつる順序で自分勝手な連想と回想で色づけしながら描いていく。(略)

このような、語彙と観察だけで成り立つ作品は外国語にもそのまま転換可能である。鶴見線という支線のわびしい無人駅がそのまま「国際性」をもつという、そんなレベルをこの作品は流れていく。日本の文学はこの百年のあいだに何を残したか。それは、武者小路実篤の「新しき村」という、外国にも意味がわかるものだけだったというふうに答えるとしたらという意味での「国際性」である(誰もそれだけとは考えたくないとしても)。

以下ように小島信夫を評価するから、弟子を自称する保坂和志を一見やさしい言葉を装ったインテリ薀蓄小説でしかないと批判するのだろうけど。

見えにくいので、ぼくなどはいつも繰り返し読むことになる。そのうちに、回りくどいと思われた文章が、これはこういういいかたでしかありえないのだ、と思われてくる。見えにくいままに少しずつ文章がもつもの、ことばがつかもうとしているものが読者にも感じとれるようになる。すると文章全体の景色が変わってくる。読者は自分の成長を見る思いになり、不思議なことに気持ちまでなごんでくるのである。

小島氏の独特の感性や論理は、独特なだけに、文章の網にはかからない。文章が見えにくくなり、乱れるのはそのためだが、それに反して、見えやすい文章というものも人によっては書かれている。むしろぼくなどは、こちらのほうに苛立ちを感じる。[村上龍批判が続く]

平野啓一郎「日蝕」評

「日蝕」は文体の実験だと受け取る人もいる(そういう評価が早々といくつか出ている)が、文体をつくる意欲をもとうとしない人の作品であるようにぼくには感じられる。言葉が見えて、文章が見えないからだ。文章が見えると、読者はその人の思考の輪郭をとらえて、そこに批判を加えることになる。批判さらには応酬のステージに出たくないという文学的世代のなかに、平野氏はいるのかもしれない。

平野氏のような大衆的ではない語彙を好む人の多くは(すべてとはいわないまでも)日常を恐れているのか、自分を高いところに置く。世の多くの人が浴している日常の世界を無視もしくは回避するので、日常との関係が希薄になる。そこを文学的教養で埋め合わせて体面を保つしかない。おのずと作品は「パロディー」に傾く。

赤坂真理「ヴァイブレータ」

「あたしには何も、何もない。だから人の気持ちで空白を埋めたかった」とするヒロイン。だがほんとうにそうか。

「全身」がここちよさそうに何度も繰り返されるのは自分の言葉をとことんきいてくれる人がいた証拠。ただし言葉は二度使われると強調だが、それ以上だと、ただの現象。相手はきいていない。現象になっていることを知らずに人前で語ることを許されてきた。 ヒロインはそういう人。「人の気持ち」で生きる人とは思えない。作品としては自在で現代的だが、自分の現象を差し出すだけで、かってに現代的にしているのがこの作品。その意味では注目したい。

こ、これは保坂和志を指しているのか

何かひとついうにも、猫のことを持ち出さなくては先へ進めない、自己愛のかたまりのような性情をもつ作家がいるが、そんな押しつけがましい文学も、少数の人たちがつくる熱気に過剰にガードされる。支配的な空気を容認しない人たち、つまり社会性のない人たちと結びついて自己批評の契機を失うのだ。これでは衝突は起きない。論争もない。新聞各紙の文芸時評もただの作品紹介に堕しているのは、見ての通りである。

全然関係ないけど、斎藤美奈子が「ふつうに直木賞を狙えるレベルでしょう」と言い切ったという、劇団ひとり処女小説「陰日向に咲く」、県立図書館では予約4人。とりあえず本屋でチェックしてみようか、うーむ。多分読まないだろうけど。