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2006-08-27 ふたりの猫サンド・坂東眞砂子Mix このエントリーを含むブックマーク

この夏、ヒマもお金もあるけど何処にも行けなかった中村獅童クンと、国会図書館にしか行けなかった猫猫先生に捧げます。グループ魂の新曲『ふたりの猫サンド』。ねこねこねこねこネコサンド、あつあつあつあつネコサンド、二人でネコ始末しましたあああ*1

子猫を崖に投棄してると刺激的発言をしてまで坂東眞砂子が主張したいのは避妊はダメということ。

なぜ、ダメか。

うちのカワイイ猫ちゃんが、素敵な恋をして、素敵なセックスができなくなるから。単純に本能に従って交尾してる猫に己の恋愛幻想を勝手に投影しているわけである。じゃあ、せっかく生まれた子猫ちゃんは大切に育てるのですね。ノンノンノン。母性本能なんて男社会が押し付けるもの、うちのかわいい猫ちゃんを子供や家庭で縛りたくないと子猫を崖に投棄。

恋って素敵やん、気持ちいいセックスせなあかんでえ、と紳助バリのおせっかいトークを新聞紙上で展開、さらには女ばかりがなぜ性行為の代償を払わねばならないのだと、子供投棄を推奨している坂東。

恋って素敵やん

女を子供や家庭で縛るな

坂東のシンプルな主張を読解できず、選良であらせられるバカフェミハンター小谷野敦がなぜ一般庶民と同じレベルで小動物がどうのと的外れな論議を展開しているのでせう。誰のせい、それはあれだ、夏のせい。ついつい流されちまう。選良がこのていたらくじゃ大日本帝国の将来は結子の鼻の穴みたいに真っ暗DEATH。

素敵な恋とやらをして生で性交して妊娠して当然堕胎なんて手段はとらずに、つわり・陣痛etcに耐えつつ出産し、やっと産まれた子供は即コインロッカーに投棄する女、そんな生き方を自分の猫にもあてはめる女、そういうのを「バカフェミ・ペット気違い」というのじゃないですかね。

それにしても、坂東さん、タヒチの自然の中でちんけな日本じゃ理解できない境地に達したつもりなのでしょうけど、キャンプに出掛け子供の前で蛇を引き裂きサバイバル教育気分のバカ親父と大して変らないレベルじゃないですか。

せっかくの大自然じゃないですか、やり放題、産み放題、子猫はほったらかしだけど、親猫やら野犬やらその他諸々に食べられて案外猫って増えないもんですね、くらいのノビノビした文章書いて欲しいもんです。

タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。

草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がごろごろしている。

タヒチでは野良猫はわんさかいる。

こういう環境の中で「社会に対する責任として子殺しを選択した」わけですか。タヒチの自然も日本と大差ない世知辛さだなあ。つまんねえ。

  • サスケ

現在時代劇専門チャンネルでは毎週日曜サスケとカムイを放映中。で、ちょい前のサスケですけど、飢えのあまり食べようとした犬が(おおっ、猫猫先生の言うとおりだw)逃げ出して野犬になって逆に人間を襲いだして困ってるところにサスケ登場。犬を崖から海に追い落とします。でも心優しいサスケはその野犬を筏で回収して近くの島に連れて行きます。よかったねえ、ここで平和に暮らすといいやあ、と言うサスケに村の長老が暗い言葉を。翌日、島に行ってみると、犬達はカラスに食われていた。そうあの島はカラスの島だったのだ。そこに「動物にはテリトリーがあるうんぬん」という白土三平解説が流れて終了。うわあん、三平ったら。

*1:知ってる人は知ってるだろうが、「ふたりの愛ランド」は丸山圭三郎センセイの愛唱歌ですからあああ、満腹

2006-08-24 新しいデカルト・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日のつづき。


新しいデカルト

作者: 渡仲幸利

出版社/メーカー: 春秋社

発売日: 2006/07

「ただ疑うために疑い、どこまでも先のばしにすることを誇示する人びと」は、デカルト以前も以後も、いくらだっていたが、自分はけっしてそういう懐疑論者の仲間ではない、とすでに『方法序説』でも明言している。

『方法序説』を出して以来、デカルトにつきまとったものは、かれがそこに開陳してみせた懐疑を、なにか特別な刺激的な新種の思考方法のようなものとして受け取りたがる無理解だった。

そもそもデカルトがとった方法は、「疑う余地のないほど、明晰にかつ判明に、わたしのこころに現われたものしか、判断のうちに取り入れないこと」、それだけだといっていい。

例のフレーズにより「わたし」が第一原理になったとたん

抽象的な「わたし」が、あやしい声を上げはじめる。この世は「わたし」が見る夢にすぎないのかもしれない。(略)とりわけ頭のするどい人たち、学者たちが、こういう考えに誘われやすい。(略)

おそらく、疑うために疑い、この世の存在を否定し、自己を否定し、深刻ぶって懐疑をてらう人、そんな人たちが、デカルトの懐疑に飛びついてくることが、デカルト自身にはわかっていた。「どういうふうに論ずるのがよいか。」論じ方をまちがったら、そんな人たちだけでなく、「愚鈍な人びとまでが、その道に踏みこまねばならぬと信じこみかねない。」

激動混乱による迷いは懐疑ではなく気絶。

[森で迷いどちらに行こうか]思考の堂々めぐりを切りもなくつづけて、身動きがとれなくなるようでは、大事な瞬間に、気絶しているのと変わらない。

いや、じっさい気絶しているのだ。自然の混乱を思考でたどるうちに、その混乱のままに思考が混乱し、森にのまれたのだから。そんな迷いはむろん懐疑ではない。わたしを混乱から救うのが、そもそも懐疑の働きなのだから。

いま、炉ばたでくつろぐデカルトは、とうぜん、外界のあやうさにめまいなど起こしはしない。外界のどこにもあやうさはない。

その点、刺激的な思考と称して、めまいを好む人たちは、自分では、既成の存在が疑われてゆらぐさまを目撃しているつもりでいるが、じつは、自分が、頑強な自然に引きずられたままとなり、眠りこけただけのことであろう。なに一つ、新しいものを見たわけではないだろう。

気絶した者は、自然のなすがままである。そのどこもかしこも自然であって、どこにもまちがいなどない。自然は真実だ。そこにまきこまれ眠りこける者も真実だ。それだけのことである。ところで懐疑とは、それをも拒否できる人間の自由の現われなのであった。

炉ばたで懐疑を開始するデカルトは、最もめまいから遠い状況を確保し、はじめた。最も自分がわれに返るときを、選びぬいた。

限られた完全性

「人間は限られたものであるゆえに、やはり限られた完全性が、人間にはふさわしい」ということばも、同様だ。けれども、「限られた完全性」とはなんであろうか。精神と肉体の一致のことではないのか。

「神」は肉体を超越した存在であるから、この「限られた完全性」は、まさにわたしたち人間のもので、「神」のものでないといえる。そして、精神と肉体の一致こそが、わたしたちの自由であることは、くりかえすまでもないだろう。「神」は自由でも不自由でもない。自由はわたしたち人間のものだ。

信じることは疑いから生まれ、疑いは信じることから生まれる

注意してほしいのだけれど、信じこまされることと、信じることとは、まったく別だろう。信じこませるためには、相手に思考を放棄させればいい。しかし信じるということはちがう。

信じるということには、疑いとの、絶妙なからみあいがある。信じることは疑いから生まれ、また疑いは信じることから生まれる。ふつう、思考はそういう運動をする。そういう動きをしないような疑いは、たんに懐疑のポーズを見せびらかす懐疑家の得意技にすぎない。懐疑家は、考える手間を省いているだけである。

著者は予備校で物理を教えていて、この本は五年がかり。うーん、素敵じゃないですか。一度授業を受けてみたいものです。そんなわけで貶したくないし、まあ貶すとこもないのだけど、100ページあたりまでだけだったらケチのつけどこはあるとしても絶対お薦めだったのだけど、どうも後半が・・・。うむう。けなすつもりはないが、どうなのか。

ただ、よくある初心者向けと称した、わかりやすげにすればいいんだろってな志の低い本とは全然違うと思う。けれど。

2006-08-23 新しいデカルト このエントリーを含むブックマーク


新しいデカルト

作者: 渡仲幸利

出版社/メーカー: 春秋社

発売日: 2006/07

さわやかな「わたし」

あえてこういおう。社会にはひとかけらの精神もないのである。だから、けっして考えさせられるな。「わたし」に帰れ。考えさせられるのでなく、考えよ。デカルトの「わたし」、あのさわやかな「わたし」、これだけが、たんに人為的なまとまりにすぎない諸々の体系に開いて閉じることのない、異質な風穴なのだ。

異なる存在をも異なる体系をもまったく恐るべき冷たさで飲み込んで均して、自分の陣地の拡張をしつづけるこの世界にあって、ただ一つ、そこからまぬがれつづけて、びくともしないもの、それが、デカルトの「わたし」である。

デカルトは、ときに「わたし」と呼ばずに、「良識」とも呼んだが、こういう「わたし」とは、この世界のことであり、存在のことであろう。(略)

精神が世界をとらえるのであって、物のなかに閉じこめられた精神というものはない。精神は、わたしの肉体のなかにさえない。つねに全体だから。(略)

どんなに、にぶかろうと、おさなかろうと、精神をもったわたしたち人間は、考えている。全体をとらえている。にぶい、するどい、のちがい、明瞭であるかないかのちがいはあろうとも、精神はつねに全体である。少しも特別の働きではない。

もう一度いうが、精神の働きに天才も専門家もない。(略)

持って生まれたあたりまえの精神の働きをつかみなおしさえすれば、わたしたちは、数学をも、一手に引き受けることができる。そして、倫理学はおろか、しあわせをも、わたしたちは一手に引き受けることが可能だ。「わたし」をつかみなおすことで。

そうすることで、わたしたちは変えられない害悪にも耐え、さらにはいかなる状況にあっても、そこから満足を取り出すことさえ不可能でない。けっきょく、生きるとはそういうことであろう。デカルトの方法は、これ以外のためのものではない。

よりみちのススメ

ふつうなら、一心に考えると称して、精神をかちんこちんに固まらせてしまうかぐるぐるまわりをやりだす。たいてい、ものを考えるというより、事物にのまれて精神は事物の無秩序へと落とされる。

『方法序説』の全体は、それを避けた精神の働きのモデルである。

旅立てジャック

他人から得ても、なにも理解したことにはならない。自分で発見しなおしたり、自分でつくりなおしたりするのに要した時間だけが、理解を生み育てる。(略)

ひとが二十年もかかって考えたところを、ニ言三言聞いただけで、さっそくわかったと思いこむ人びとがいる。しかもそういう人びとは、頭がよければよいほど、誤りやすく、真理から遠ざかることが多いと思われる。そういう人びとが、わたしの原理だとかれらが信じこんだものの上に、とんでもない哲学を建てる機会をとらえ、その責任はわたしが負わされる、そんなことになるのをふせぎたいからである。

(略)

『方法序説』に描かれた二十年の修行は、じつをいえば、思想の徒刑囚となってしまうことに対する一貫した用心だったとも思われる。デカルトはただ、自分のあたりまえの力を働かせている。そのためには、たえず決断する大旅行家となったし、戦争に出たし、ドイツ皇帝の戴冠式も見たし、村に住み、大都会にも住んだ。つねになにかを知覚する機会をのがさなかった。すべては、自分のあたりまえの力を働かすという出発点を、つねにふたたび発見しなおすことにかかわっていた。迂路のないまじめな思考は、大切なものから遠ざかるばかりだろう。なぜなら、修行を欠いているから。

あたりまえの能力

ひとよりよぶんにもっているものなど、何物でもないのだ。大切なのは、ひとと大差のないものを、わたしたちの持って生まれたあたりまえの能力を、「よく用いること」である。

すると、こういうことがいえる。デカルトが「良識」と呼ぶ、わたしたちの持って生まれたあたりまえの能力、それこそ、わたしたちが「よく用い」うるものすなわち訓練しうるものなのだ、と。

わたしたちの、いくらでも努力して伸ばしていけるもの、それは「公平に与えられているもの」にほかならず、そうでないもの、たとえば、天才のひらめきや、神がかりや、好運な思いつきなどは、あてにすべきでない。

だからまた、不運な血筋、自分で自分をそう決めつけてあきらめてさえいる生まれつきの性格や気性、そして障害、そんなものも、どうということはない。げんに生をうけているからには、わたしたちは、ぜったい訓練されうるものをもっている。自分は訓練できる。そうして、よりよい人間に、わたしたちはなれるのである。

イライラは天気や体調のせいかもね

デカルトは、こうして、精神を自分に確保しておいて、情念を、その本来の持ち場へ送りかえした。情念は、物の秩序へと投げこまれたのである。これはどういうことかというと、ロボットにも、情念をもたせうるということである。

もしかしたら、まわりの人をびくびくさせずにいない尊大な気分屋さんは、思いどおりの言動をしているどころか、外界の状況と身体の状態との諸力に引きずりまわされているのかもしれない。意志を喪失し、ロボットの状態へ落ちてぬけられないのかもしれない。しかし、情念の正体はそれだ、とデカルトは指摘しているのだ。それが情念の原因であればこそ、わたしたちは、思うようにならない精神の闇などを想定してそれにふりまわされることなく、身体に命じ、手足を動かし、その訓練を積むことによって、いらいらやこわばりや痙攣を脱し、精神の望む動きを実現できる。デカルトはそう論じている。

情念なしに、肉体なしに、この世の実在なしに、わたしたちの精神が働くなどということは、けっしてありえない。デカルトは、情念のなにものも失わなかった。物は実在する。かれは、経験を好み、旅に明け暮れ、自然も、異国の儀式も、商人の街も、なんでも見て、そこで暮らしてみた。自分の意志をなによりも尊重していたからだが、つまりは、物が実在していなかったら、外界が存在していなかったら、意志など無意味だろうからだ。この世があるということ、それが、精神に衝動を、つねに与えつづけている。

努力の第一歩はそこだ。外界の猛威に押されて、縮こまって内界を空想したり、夢に眠りこけたり、していてはいけない。外界に働きかけてみよう。からだを使ってみよう。そうやって、デカルトはつねに、意志を発見しなおした。

難しい哲学をわかりやすく語っていて素晴らしいではありませんかという感動とともに、わかりやすい言葉はちょっと「みつお」な気配も含むわけでそこらへん微妙だわと言葉を濁しつつ明日に続く。

  • パパの嘘つき

あのですね「オダ自慢(仮称)」がね「※更新が途絶えてましたが、そろそろ夏休みは終わりにして、明日あたりからがんばります。Sat, Aug 19, 2006 21:19」なんて書いててですね、早四日、もおおお、ですよ。そんなこと書かなきゃ全然更新なんて気にしないのに、もおおお、ですよ。ベタドラマちっくに「パパの嘘つき、動物園に連れてってくれるって言ったじゃない」と駄々こねたい気分。できない約束はしないように、良い子のみんなは気を付けようね。

それよりあれな、サン・テグジュペリって、ミスタービーンっぽい柴俊夫みたいな顔してんのね。微妙。

2006-08-21 思想としての<共和国>&人権産業 このエントリーを含むブックマーク

人権屋が大嫌いという人は最後の方から読んでください。


思想としての“共和国”―日本のデモクラシーのために

作者: レジスドゥブレ,三浦信孝,樋口陽一,水林章,R´egis Debray

出版社/メーカー: みすず書房

発売日: 2006/07

1989年イスラム・スカーフ事件の際に書かれたドブレのエッセー+日本人学者論考&対談ですが、ドブレのとこだけを。

デモクラットとか、共和主義者か

共和主義的政府はどうかといえば、たとえ自覚していなくても、人間を、よき判断をくだし仲間とともに討議するために生まれた、本質的に理性的な動物としてとらえているのだ。行為と言葉を一致させ、自分自身をしっかり所有することができる者が自由なのである。他方、デモクラシーという統治形態は、人間を工作し交換するために生まれた、本質的に生産的な動物と見なす。デモクラシーにおいては、財産を所有する者---起業家と土地所有者---こそが自由なのである。したがって、共和制においては、政治が経済に対して優位を保ち、デモクラシーにおいては、反対に、経済が政治を支配している。共和国においてもっとも優秀な人間は、司法・行政、あるいは討議空間としての政治の世界に進出する。ところが、デモクラシーにおける優秀な人材は、事業に励む。公共善への奉仕、すなわち公務員であることは、共和制において特別の威光を持っているが、これと同じ威光をデモクラシーにおいて保証しているのは、個人的な成功である。

共和制のもとでは、国家はあらゆる宗教的影響力から自由である。デモクラシーでは、逆に、教会が国家の影響力から自由なのである。「教会と国家の分離」という言い方は、フランスでは、教会は国家の前ではまるで存在しないかのように控えめにならなければならないという意昧であり、アメリカ合衆国では国家が教会の前で控えめにならなければならないということである。なぜこのような違いが生じるのか。プロテスタント文化圏(デモクラシーが多い地域だ)では、異論を唱えること、異論への権利が信仰の一部だった。宗教的精神が自由の精神とひとつになっていたからである。カトリックの地域では、反対に、教会が「真理」と「善」の永続的な所有者であったから、異論を唱える権利は教会から奪い取らなければならなかったのである。

市民のひとりひとりが他者の自由に責任を持たなければならない、ということは時には武器を取らなければならない場合があるということだが、そういうところではネーションが軍隊のなかにあり、かつまた軍隊がネーションのなかにある、死を前にした平等抜きの、法のもとでの市民の平等などにいったいどんな価値があるというのか。

スターや有力者たちのとてつもない給料がたまたま公表されてもデモクラシーに生きるー文無しは、ああそうかいと言って、肩をすくめるだけだ。事業が成功しただけのことだというのである。しかし、共和主義者はそういう事態を容認できない。はなはだしい贅沢が生み出す溝と特権の増大を非難することは、共和主義者にとっては、苦行者や古代スパルタ人を気取ることではない。貧しさはデモクラットの同情心をかき立てるが、共和主義者は心の底からの動揺を隠さない。前者はあらん限りの連帯---そして寄付---を欲するが、後者が要求するのは最小限の友愛と多くの法である。

あとがきに1989年発表のこのエッセーを理解し紹介したのは日本では樋口陽一「近代国民国家の憲法構造」(10/06を見よ)と海老坂武だけとあったので、とりあえず近所の図書館にあった海老坂本を借りてきた。


思想の冬の時代に―「東欧」、「湾岸」そして民主主義

作者: 海老坂武

出版社/メーカー: 岩波書店

発売日: 1992/12/11

学校側がなぜ彼女を教室から追い出したかと言えば、日本の学校にみられるように、衣服についての校則違反などというくだらない理由によるのではない。(略)

フランス共和制は一貫して、学校教育からいかにして宗教(特にカトリック教会)の持つ影響力を排除するかに腐心してきた。(略)

こうした非宗教の学校教育を担ったのは小学校の教員である。ほとんどが庶民階級の出身である彼らは、教員養成のために設置された師範学校でフランス革命の諸原理と共和制の美徳を頭にたたきこまれ、その使命感と献身とによって共和制の基盤をつくってきた。(略)

[映画『マルセルの夏』で教師の父が]学校に行くときにはスモーキングを着ていくことも、彼のステータスを物語っている。そして、俗界(非宗教界)のりーダーである彼は、宗教界の知的権威である村の司祭とは絶対に口を利こうとしないのである。

というわけで、非宗教性の原則を高く掲げる公立学校にとって、イスラム教徒のヴェールの着用は自己のアイデンティティを侵す許されぬ行為であった。

ドブレの考える共和制と民主制の相違

共和制とは民主制プラス何かである、と。すなわち、「自由プラス理性」「法治国家プラス正義」「寛容プラス意志」である、と。逆に言うなら、民主制とは<啓蒙の光>が消えたときに共和制からなお残っているもの」ということになる。

フランス革命二百年祭でもスカーフ事件でも民主派が大勢を占めていた

しかしドブレはこの敗北に甘んじることを拒否する。共和制の理念が時代遅れの理念であることを認めはするが、過去に戻ることを怖れるな、と訴える。逆に時代の流れに身を任せて民主制へ横すべりしていくことこそ危険であると力説する。《公》が後退し《私》が優先されるとき、理念の前にイメージが先行するとき、大学で哲学が社会科学に取ってかわられるとき、フランス革命の解釈においてミシュレにかわってトックヴィルが持ちあげられるとき、国有化から民営化への流れが進行するとき、地域主義と《差異への権利》が前面に押し出されるとき、フランスがヨーロッパ共同体の中に統合されるとき、要するにフランス共和制が解体していくとき、そのあとにくるのは民主制が想定する《自由な個人》などというものではなく、宗教と金銭であり、僧識者と経済マフィアである、というのが彼の結論である。

ごらんのとおり、この文章は冷静な分析というよりも共和制擁護の熱烈なマニフェストである。(略)

ここで彼の説く共和制とは、《社会主義》の大崩壊の前夜に、かつてのマルクス主義者が死守しようとする最後のイデオロギー的防衛線と見えないこともない。しかし、ドブレ個人を離れ、68年以後のフランスの政治思想のコンテクストの中で考えるなら、むしろこう言うべきであろう。それは、《差異ヘの権利》意識が進展し、文化の相対主義と個人主義が時代の主調音だった1980年代に対する異議申し立てであり、普遍主義的思考と《公》の思想の回復の試みである、と。

ドブレ怒りの鉄拳:人権野郎をぶっとばせ

レジス・ドブレはフランス革命二百年祭の祝い方に不協和音を発した最初の人物であるが、『共和国万歳』と題する本の中で、人権思想ないしは人権を標榜した人道主義運動---彼の言葉によれば「人権産業」---が、メディアの価値と一体となっている点に鉾先をむけている。人道主義者を動かすのは、飢えた子供の映像であり、国境をこえて素早く子供の救出にかけつける西欧の人間の映像である。そこで何が価値とされているかと言えば、個人の顔、具体的な行動、スピード(一時性)、脱国境(地球規模)といったメディアの特徴である。しかし、現実的なものとはまさに映像にはならぬもの、見えないもの、抽象的なものである。たとえば飢えの背後にある株式市場の思惑や第三世界のエリート層の腐敗であり、時間の厚み-歴史であり、国境によって仕切られている諸地域の異なる悲惨の独自性であるが、メディアはこれらすべてを隠してしまう、と彼は批判するのである。

(略)

彼に言わせれば《人権産業》のりーダーたちは《慈悲》の旗印のもとに集まり、若いころの恋愛(マルクス主義、第三世界主義)を憎悪しながら清算しているのだ、ということになる。

(略)

ドブレは、人権派が一国の《市民》としてではなく、国境なき《個人》として振舞っている、そうすることによって彼らは一挙に普遍の次元に身を置こうとしている、と批判する。そしてこう書いている。帰属なき個人は法的な主体とはなりえず、「いかなる国家の市民でもない個人は権利なき人間である」と。

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2006-08-20 トリックスター村上ファンド このエントリーを含むブックマーク

なぜこんな下世話な本を借りたかというと、村上世彰ふかし疑惑検証があまりにもキリモミ隊長と酷似して笑えたから。

1999年ユニゾンの佐山展生を訪ねて、君らが始めた”ファンド”って何?と素人質問をした通産官僚村上。プロ中のプロとは、何のプロなのか。


トリックスター 「村上ファンド」4444億円の闇

作者: 『週刊東洋経済』村上ファンド特別取材班

出版社/メーカー: 東洋経済新報社

発売日: 2006/07/28

  • 伝説検証

小学三年で親から百万もらい、それを大学入学までに一億にしたという伝説。

  • 小学生が口座開設できるのか?父親の口座なのか
  • 小三〜中学時代(1968-1975)に持っていたという同和鉱業株だが、その時期、村上が「指値で買った」という630円には届いたことはない。是川銀蔵のせいで値が下がったというが、それは1980年のことetc。自分でも矛盾に気付いたのか途中からもっぱらサッポロビールネタに移行。
  • じゃあそのサッポロビール株はというと、村上の小学時代は一貫して冴えず頻繁に売買すれば損をするだけ

すると、『会社四季報』を見て銘柄選択をし、短期売買を頻繁に繰り返していた、というよりは、最初に買ったサッポロビールがいきなりしこって塩漬けになったが、結構な配当をしてもらえたので、小遣いには困らなかった、という「相場師の卵」とは対極にある「金持ちのボンボン」っぽいエピソードになる。村上実業を興したばかりで、家をよく空ける父が、毎年のお年玉や小遣いをキチンと上げるのが困難になったので、サッポロビールに、配当という形でその代役をしてもらっていただけというのが真相なのではないか。

  • 株の儲けで買ったという大学時代に住んでいた高輪のマンション、実際の所有者は父親
  • 村上ファンド実績

2004年初までは平均年率10%程度と世間的なイメージとは裏腹にそれほど運用成績は高くはない。とりわけ日本初のプロキシーファイト(委任状獲得競争)で注目を集めた東京スタイルを手掛けた年は年率ゼロ。ふがいない結果に終わっている。(略)

シードマネーの38億円はせいぜい138億円にしかなっていない。村上ファンドの4444億円もの巨額規模は、そのほとんどは海外の新規資金の流入によるものだ。

  • デビュー戦:昭栄への敵対的TOB。

完敗だった。(略)村上の「この国を変えたい」発言があまりにも多いことに腹を据えかねたオリックス幹部からは、「君は世直しをしたいのか、ファンドマネージャーとしてやっていきたいのか、はっきりすべきだ」といさめられてもいる。村上はファンドマネージャーとしてやっていくつもりです」と答え、その後しばらくはマイノリティ出資で株価を上げる投資手法へと切り替えている。

出資元オリ幹部回想

昭栄のTOBから始めたが、かなりこちらで指導していたというのが実情だった。昭栄TOBが失敗したあとに、『どういう風になりたいんだ?一発屋か?』と聞くと、『存在感を持ったファンドになりたい』『筋を通したい』と言ってきた。『中途半端にやるなよ』と言ってやった。当時の村上は官僚として大上段に入っていった。これは誤解されるな、と思った。当時の村上は筋や理想論が勝っていたが、同時に本当の株好きであった。ビジネスでもあるんだということをキチっと言うべきだ、と宮内に伝えた。村上の最初の考え方は確かに青かった。100%オリックスの言いなりということではないが、その後に随分と軌道修正した。

そして2003年あの東京スタイルに挑むも、高野社長の老獪さの前に敗れる。この本は当然村上に批判的なことが書かれているのだが、以下記述は別だ。

国内初のプロキシーファイトの取材をしてきた記者団には妙な連帯感がわき、小さな社会革命に参画しているかのような錯覚がもたらされた。村上が「記者ならボクに聞かないで、東京スタイルのこの大株主にどうするつもりか、取材してきてくださいよ!」と言うと、次の会見では、「村上さん、取材してきましたよ!」と手柄を争う場面もあった。

なんでしょ、この大甘なはしゃぎっぷりは。オリックスから甘いと指摘されていた村上の理想論に記者団すっかり乗せられてたわけだ。ホリエモンの球団買収で浮かれていたヤングと大差ない状態。著者達も一緒に夢を見たのでしょうか。

さて翌年再度東京スタイルに挑戦した村上は僅差で敗れるが、海外投資家の間で評価が高まる。

村上の名は高まったが、実を取れなかった東京スタイルをきっかけに、名より実を取るようになっていく。それも、実を取るためには手段を選ばない際どい手法まで駆使する傾向を強めていった。

西武株の顛末

村上ファンドが西武株を購入したのは、名義株問題の発覚で、それまで1000円台半ばだった西武の株価が400円台にまで急落したころだ。保有株比率で1.4%程度まで買い上げている。これを武器に、村上はTOB提案を仕掛けようと、2004年12月半ばに、グループオーナーの堤義明と極秘会談を持った。

会談は一時間半にわたり、そのほとんどを村上がコーポレートガバナンスのあるべき姿や買収提案の中身について話したのだという。村上が希望する株の買い取り価格は一株1000円、堤の売却価格が一株1400円と開きがあったものの、堤は村上の話にすっかり感銘を受けた様子で「こんな話は初めて聞いた。あなたに預ける」と語ったという。

「堤さんとディールができるよ」

この夜、村上はある外資系金融機関の幹部に資金調達の相談をかねて電話をかけている。話はトントン拍子に進み、堤の仲介で、後に自殺する西武鉄道社長の小柳皓正、プリンスホテル社長の山口弘毅、コクド社長の大野俊幸と2004年12月20日前後に東京プリンスホテルで会食した。そこで村上案への協力の約束を取り付けた。

だが、2005年1月になると潮目が変わる。メインバンクのみずほから圧力がかかった大野と連絡が全く取れなくなった。村上がようやく大野を捕まえて問い質すと、手のひらを返したように「われわれはお宅と交渉するつもりはない」とそっけない。

不穏な空気が流れる中、堤に確認すると「村上君、申し訳ない。大野が泣きを入れてきた。みずほ案で行ってくれないのならカネを返せと銀行が言ってきた」。

ドリテク株:ライブドアの仕返しが皮肉にも

[ドリテクに発行価格を下げさせておきながら]50億円分の新株を引き受けた村上ファンドは、翌営業日から連日株式を売り浴びせている。「(村上さんは)長く付き合うと言っておきながら、即、株を売ってくる」(池田社長)。ドリテクにとっては信じがたい仕打ちだった。

このため、村上ファンドヘの腹いせから、12月20日にドリテクはライブドア証券へのMSCB発行を発表。村上ファンドが転換社債の支払いを済ませた当日に、役員会でライブドア証券へのMSCB発行を決議したのだ。ニッポン放送で村上ファンドに利用されたと恨んでいたライブドア幹部は「村上さんへの嫌がらせ」に二つ返事で応じたという。

しかし、こうなると村上ファンドも黙っていない。20日にMSCB発行が発表されると、村上代表から池田社長の携帯に「ヒドイじゃないか」と電話がかかった。当時ライブドア取締役の宮内完治氏にも電話が入り、その直後に同じ六本木ヒルズにあるライブドア本社に来て、「お宅とはケンカしたくないと思っているんだけどね」と、遠回しに抗議した。

MSCBを発行すると、株主価値が大幅に希薄化する可能性が高まることから株価は下落しやすい。MSCBを引き受けたライブドア証券が株を売るため、村上ファンドの売却もやりにくくなる。ここだけをとらえれば、村上側の怒りはもっともだ。しかし、あにはからんや、ライブドア証券へのMSCB発行の発表直後、ドリテクの株価は上昇した。ライブドア事件の前ということで、ライブドアの経営参加は、悪条件のMSCBを引き受けても、むしろ市場では歓迎されたとしか考えられない。村上ファンドはしたたかにも、すかさず株を売却している。

著者は村上テクニックにえらく怒っているが、逆質問されるというのは愚問だからじゃないか。言質を取るための質問、回答者を窮地に追い込む答えしか求めていない質問、そういうバカげた質問に逆質問するのは「悪いことでしょうか?」。そこで答えられないのは、愚問だと自分で証明してるんだよ。オシムなんかゴミ質問に、ビシビシ逆質問してたよ。

さあ皆も朝生で田原総一郎に逆質問しようぜ。

「村上さんは以前、法律を破らなければ金儲けはしていいんだと、お話をしてましたけども、そういう考え方には変わりはありませんか」との質問には、「金儲け悪いことですか」と逆質問。(略)

この逆質問は、村上テクニックの中でも最上位に位置する。記者は、質問をすることに慣れているが、質問をされることには慣れていない。逆質問によって問題のすりかえを図り、村上は数々の難局を乗り越えてきた。例えば、ニッポン放送株の買収を始めた当初、「なぜ放送株を買ったのか」との質問に対し、「なぜ上場しているのか教えて欲しい」と眉間にしわを寄せて逆質問していたが、これでは質問の答えになっていないことは明白だ。

暑苦しい日曜の夜になんだか暑苦しいネタを扱ってしまった。

  • 「村上テクニック」劇団ひとりコント

執拗に女性をお持ち帰りしようとする男が「ねえ、ホントに何もしない、約束する?」と聞かれて、

逆質問。

「じゃあ、ここで君に聞こう。君はホントに何もしたくないのかい?」

2006-08-18 スピノザ「無神論者」・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。


スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)

作者: 上野修

出版社/メーカー: 日本放送出版協会

発売日: 2006/07

  • 鋭牙会に捧ぐ*1

もう聖書の中の古くさい理屈に合わない記述は理屈に合うように解釈するか筆写ミスということにしてかないと新しい時代が来ないっすよねと盛り上がるデカルト組の面々。中には聖書なんかデストロイと叫んでタイホで獄死なんてえおっちょこちょいも現われたりして。「次はスピノザ君じゃない?」クラスの話題はもちきり切餅。そこに現われたスピノザ君、「いい組つくろう、三年A組だ、コラァ」、そのイノキ顔にガッキーもうっとり。

俺は神様信じてるから。それは聖書に真実が書かれてるとかそんな理由じゃなくて、うわあ、こりゃ信じるしかないなあ、そう思えるもんを神様から感じるからで、それがホンモノだと思えるのはホンモノじゃなきゃそんな風に感じられるわけがないからで、疑いようがないから疑いようがないわけで、ともかく神様を信じることにかけては誰にも負けねえ。もうそれは揺るぎなくて、だから聖書がどうだとかは関係ねえわけ、聖書が理屈に合わなきゃそりゃ合ってねえの、びくびくしねえで、そう言やいいんだよ。なはっ。

  • 本当に信じていたのか

神学者から文句をつけられずに哲学するためにスピノザが考えた屁理屈で、正直、神様なんて信じてなかったんじゃないの、と信仰心のない現代人はあっさり考える。同時代の人間もそう思ったようで、聖職者に煽動された民衆どころか、リベラル派からもとんでもねえと非難される。

ファン・フェルトホイゼンはあの「聖書は真理を教えていないし教える必要もない」というテーゼに引っかかっているのである(略)。聖書が真理を教えていないなんて、もしそんなことを認めたなら、わが共和国の「真の宗教」はまるで、無知な人々を正義の徳へと駆り立てる大掛かりな詐欺のようになってしまう。『神学・政治論』の全体は結局ためにする議論にすぎなくて、やっぱり本当は聖書の啓示宗教なんて一種の詐欺だとほのめかしているのではないか? ファン・フェルトホイゼンはそこまで口に出していないけれど、疑惑はおおよそこういうものであった。

この疑惑はわからないでもない。実際、『神学・政治論』はその種の疑惑のもとでずっと読まれ、今日に至っている。

スピノザはこう主張しているように見える。

啓示宗教は真理を教えない。

信仰は無知であってかまわない。

よって、真理を知る者は宗教と信仰を肯定する。

なぜ? これがわからないかぎり、われわれもファン・フェルトホイゼンの抱いたのと同じ疑惑から外には出られない。

こうしてスピノザは宗教を、そして無知なる信仰を、そのあずかり知らぬ理由でもって肯定した。

そうかもしれないが、でもやっぱり信じてないんでしょう?

そう、信じてないのである。少なくとも信者が信じるようには信じてない。けれども受け入れている。

こう言えばよいだろうか。スピノザは宗教を、その真理性という点ではまったく信じていないが、それがそんなように言う正しさ、そしてその正しさの解消不可能性という点では全面的に受け入れる。(略)

ファン・フェルトホイゼンをはじめ多くのデカルト主義者たちは欺瞞的だと思った。スピノザの主張は彼らには「真でないけれど真として受け入れよ」「信じてはならないが信じよ」という一種のダブル・バインドとして映ったのではないかと私は思う。それも無理はない。彼らはほとんどがキリスト教徒だったので、当然、信じるべきは真理だった。真理でなくても受け入れるなんていう論理は彼らにとってまったくナンセンスだっただろう。

なんかちょっと親鸞っぽいね

スピノザは自分は教会には行かなかったけれども、下宿のおかみさん家族には毎週説教を聞くようにすすめていたらしい。そして、ある日おかみさんから、いまの自分の宗教で幸福になれるだろうかと尋ねられて、こう答えたという。

あなたの宗教は立派です。あなたは静かに信心深い生活に専念なさりさえすれば、幸福になるために何も他の宗教を求めるには及びません。

無神論の策略? おそらくそうではない。スピノザは無知なる信仰をその信仰のために肯定する。すべてに及ぶ「神あるいは自然」の力が、ひとりの人間が幸福になる力として今そこに及んでいることを彼は肯定し、全面的に受け入れるのである。

と、ここまで来て、ワタクシのヨタ話は問題がある、よくわかっていない(敬虔の文法とか)、薄くてすぐ読めるのだからもう一度読んでちゃんと理解してから書けというはなしですが、なんか盛り上がったので見切り発車でやっちゃいました。書き直す気力はないし、気になるなら自分で読めばいいじゃないと逆切れして逃亡。

*1:エーゲ海、マスオ、富岡多恵子、どんな連想だよ

いしやまみずかいしやまみずか 2008/04/02 22:30 スピノザは神学・政治論で出島のオランダ人は幸福に暮らしていると書いています。スピノザはどのようにして日本を知っていたのでしょうか。

kingfishkingfish 2008/04/03 00:53 わかりません。
役立たずでスマンソン。

2006-08-17 スピノザ「無神論者」は このエントリーを含むブックマーク

面白い。前半が、いや2/3くらいまでが。薄くて千円で(ま、図書館で借りたけど)すぐ読めて面白い。脳味噌に刺激。


スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)

作者: 上野修

出版社/メーカー: 日本放送出版協会

発売日: 2006/07

自由だとかヌルイことを言ってるから外国軍の侵入を招いたのだと共和派リーダーが民衆に惨殺される空気のオランダ

[都市商人層は]共和国政府の寛容政策を支持する「共和派」であり、[カルヴァンの厳格な予定説をとる]正統派勢力は逆に強権的な社会の締め付けを望む「総督派」だった。総督派は独立戦争時の軍事的リーダーの総督を担ぎ上げて君主制にもってゆきたい。そのためにはクーデターも辞さない構えだったのである。自由が牧歌的であったためしはない。共和国の自由と寛容は「共和派」と「総督派」の緊張関係の上に、いねば危なっかしく乗っかっていた。

で、「民衆」はどちらを支持していたかというと、多くは総督派を支持していたのである。彼らは「自由と寛容」に反感を抱き、総督派の聖職者たちの説教にしばしば煽動された。

聖書の非合理性を批判するデカルト主義を神学者たちは「不敬虔」と告発した。これは当時としては命にかかわる事態。びびった彼等はスピノザでトカゲの尻尾切り。

そこでスピノザは「びびることないよリベラル派、白黒つけるぜゼブラーマン」と『神学・政治論』を執筆。

民衆が自分に浴びせ続けている無神論者という非難をできるかぎり排撃し、聖職者たちが誹謗する「哲学する自由」をあらゆる手段で擁護しなければならない。だが何よりも問題なのは、その自由に対し賛成していたはずの人々が、いまや危惧を抱き動揺しはじめていることだ。哲学はやっぱり神学の婢にしておかないと危ないのではないか---そんな神学者と同じ偏見が彼らを蝕みつつある。(略)

何でも自由に考えさせておいていいのか、と世間は言い出す。それに対してははっきりと、いいのだと言ってやる必要がある。そもそも、いったい何をもって不敬虔と断じることができるのか。びくびくする前に、これを白日の下に明確化しなければならない。

だがこの本に一番激怒したのは総督派でも民衆でもなく、デカルト主義者だった。何故?

  • 聖書の理解不能な部分をどう解釈するか

タイプA:よくわからないからこそ、すごい真理。「超自然な光」によらないと解読できないのよ

タイプB:不明な部分は比喩的に解釈する。理性で解釈しなければならない

スピノザはどっちのタイプも否定する。

神学者は理性なしに狂い、哲学者は理性をもって狂ってしまう! 「何と滑稽な敬虔であろう」とスピノザは言っている。今に始まったことではない。聖書がそっくりそのまま真理を語っていると言ってしまったときから、すでにすべてが狂っていたのだ。(略)

聖書はそもそも、神がどんな存在でいかなるように働いているかといった「事柄の真理」を教えようとしているのだろうか?むしろ聖書はそんな思弁的な真理などぜんぜん知らないで、しかも何かを正しく語っている、そう考えるべきではないか?―これが『神学・政治論』の問題提起だった。聖書は真理を教えようとしているのではないかもしれない! そんなことを言うのは冒瀆だとだれもが思ったであろう。「無神論」と言われても無理はない。しかしスピノザは本気だった。

預言者が相手にしていたのは民衆なのに、信仰に篤いものにしか与えられない超自然的光でしか解釈できないのじゃ、民衆には話が伝わらないじゃないか。同様に理性がないとわからないのじゃ無学な民衆には伝わらない。

じゃあどんな条件がそろえば無知蒙昧な民衆が神様

キタ━( ゜∀゜)━! !となるのか。

一、預言者の生き生きとしたイマジネーション

ニ、預言者に神から与えられる徴

三、正しいこと・よいことのみに向けられた預言者の心

第三の条件についての説明

預言者は自分の「正しいこと・よいことのみに向けられた心」を担保に、その心情を絶対的な他者の査定に委ねるようにしてでなければ、民の前でどんな確信も語れなかった。神は敬虔な者を欺かれるはずがない。預言者はそう確信しているが、なんぴとも神の前において自分を正しいとしたり自分が神の愛の道具であることを誇ったりはできない。だから預言的確実性は自分の側で証明可能な確実性ではありえなかったのだ

  • ちょっと本書を離れて頭の悪いポレによる頭の悪い解釈

ライブ行ったらですね、預言者さんのオーラが半端じゃなくて、もうめっちゃ興奮したんです(条件1)。

羽はえた豚とか色々空飛んでるし、もうあれは神の力としか思えなかったっす(条件2)。

で、会場いっぱい愛が満ちていて、預言者があんなに愛を語れるのは神の愛を伝えたいと本当に思ってなきゃできないし、なんか自分をアピールしたいとかそんな不純な気持じゃあんな風に愛を語れないし、だからあそこにあったのは本当の神の愛だったんです(条件3)。

こんな風にライブの感動を語られて、それを録音したライブ盤が発売されました。でもそれを聴いたら「人間なんてららーらららーらーらー」*1って歌ってるだけで、全然ピンと来ないわけ。

Aさんは「信仰が足りないからです、もっと気合を入れて聴けば感動できる」と言うし、Bさんは「それはねえあの歌詞を深読みすると絶対クルから」と言うのですが、そうじゃないの。神が降りてなきゃ「人間なんてららーらららーらーらー」なんて歌えないでしょって話よ。その確信性というか勢いが真理なわけで、「ららー」とかなんとかってのは関係ないの。

いずれにせよスピノザは、人間がどうこうできない命令の「根拠づけなき正しさ」に聖書の神聖性を認めていた。(略)

神は正義と愛をなせと命じる。これは有無を言わせぬ絶対命令であって、「事柄の真理」がどうなっていようとその正しさには関係がない。敬虔な者とは、要するにこの命令に心から服する人のことである。

(略)

真理だから教義なのではなくて、「それを知らなければ服従が絶対的に不可能となるような教義」だから教義なのである。

(略)

スピノザは、真理を語っていなければ聖書でないという同時代人の大前提を解除してしまっているのだ。

えー、ちょっとうまく整理できてないですが、今日の分の訂正も考慮しつつ、時間がきたので明日につづく。

*1:えー、念の為。じーんしもんず顔のたくろーさんについては全く興味がなくて、ここはクドカン昼ドラ気分で

2006-08-16 円谷一・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。こういう本なので短く引用するのが難しいというか、途中でこの引用で面白いのかどうかわからなくなったと先に断っておこう。


円谷一―ウルトラQと“テレビ映画”の時代

作者: 白石雅彦

出版社/メーカー: 双葉社

発売日: 2006/07

証言:上原正三

[上原らが仕事後呑んでいるとロケから戻った一が合流]

そういうときによく金城をいびってました。「ホンのせいでこんな苦労してる!」とか(笑)。金城もあれはたまらなかったろうね。でも他のライターには絡まなかった。だから一さんと金城は、そうやってお互いにコミュニケーションを取っていたんだと思いますよ。ふたりには我々にはうかがい知れない絆があったんですよ。まあ一さんにしてみれば円谷プロのことしか頭にない。金城と僕が頑張ってそれを育てればいいんだ、と思ってたんじゃないかと思います。親父の会社をオレと金城で盛り立てる、という気持ちがあったんじゃないのかな?

63年「株式会社円谷特技プロダクション」として再出発。初仕事は石原裕次郎『太平洋ひとりぼっち』。大きな仕事はなく経営は苦しい。当時世界に二台しかなかったオプチカルプリンター4000万円購入手付け500万円工面に英二奔走。64年東宝傘下に入る。購入代金にあてるつもりの企画が潰れ宙に浮いたオプチカルプリンターをTBSに購入してもらい、ウルトラQが始動。

しかし企画の時点で積極的に参加した様子はない。それは一が『いまに見ておれ』にかかり切りという事情が最大の要因だろうし、TBSが直接、金城哲夫を主体とした円谷プロと企画を練っていた事情もあろう。しかし企画が通り、いざ制作ということになれば、映画部員として円谷プロに出向することになるのは明らかである。事実そのとおりになるのだが、一はなかなか「自分から撮る」とは言わなかった。

その最大の理由は、熊谷健証言にあるとおり、父・円谷英二に対する意識だろう。もともと音楽畑に進むことを希望していた一が、映像業界に入り芸術祭賞を受賞するまでの歩みは、積極的に状況を切り拓き己の立場を構築するといった、いわばハングリーな意識が乏しい。それでもいつの間にか高みに登っているというのは、やはり希有の才能あってのことだろうし、テレビという新興メディアが持つ力が後押しした結果だろう。そこに父の手は及ばなかった。もし一が『ゴジラ』のあとに東宝入りをしていたならば、その名が映像史に残ることはなかったかもしれない。しかし今度は”特撮の神様”円谷英二がテレビに進出するということで、鳴り物入りの企画である。今回ばかりはイヤでも父親と比較されてしまう。

証言:実相寺昭雄。ウルトラマン

(略)文芸部を金ちゃんとウエショー(上原正三)に任せて、自分はTBSとのパイプ役でね。だから一さんは、印象としてはあくまでもメイン監督なんだけど、『ウルトラマン』の路線を具体化したのはやっぱり飯島(敏宏)さんだと思います。それは一さんがそういうふうに導いていったんだろうね。だからそういう意味じゃ、『ウルトラマン』の頃は一さんはプロデュースをしていこう、という方向に傾斜していって、それで中身に関しては飯島さんに……飯島さんはスクエアな人だから、自分が作ったとか、そんなことは言いませんけどね………(略)

で、一さんは、主題歌も書いたり、(作品の)傾向を決めたり、音楽をどう持ってくかとか、全体の心配りとか気配りとか、そういうほうに忙しくなっていった。だから『ウルトラセブン』なんかでも、あまり自分が演出するということを頭に入れてなかったんじゃないかな。それで『怪奇大作戦』の頃になると、ほとんど自分のテリトリーじゃないと思ったんじゃないかな。

68年経営逼迫、さらに東宝資本注入、社名が「円谷プロダクション」に。有川も取締役に。

証言:有川貞昌

ピンちゃんとは、『ウルトラセブン』まではどちらかというとなあなあで、「ふたりでやっちゃおう!」と言ってたんです。ところが僕が東宝を辞めて円谷プロのデスクに入って、今度は受ける側になってしまったんですね。(略)

『怪奇大作戦』も終わって、会社がもう一番大変なときですよ。僕は借金の言いわけで、あっちこっちの会社に行って歩いた時代です。借金してる会社の社長や、東宝からも円谷プロに来てもらって、「東宝が責任を持つからなんとか支払いを待ってもらいたい」という説明をしたり、円谷プロに行ってからはそんな仕事ばっかりだったんだよね。だから嫌になったんだ。(略)

『マイティジャック』の頃、僕、親父に怒られちゃってねぇ。「現場の人間が金のことを心配してていい仕事ができるか!」と。僕は逆に、今、円谷プロは大変なんだから、金を少しでも節約して、しかもそれでいいものも作るにはこの程度だ、と自分で限界を作ってしまうわけ。親父はその作る限界がまったくできないんです。(略)

だから親父に、「円谷プロに来い」と言われたときは、よし俺も親父に負けないように、と思ったんだけど、行ってみて、ああ役目が違うんだ、ということに気づいたんだよねえ。間抜けな話だけど。結局僕、1年くらいしか、円谷プロにいなかったんじゃないかな?

証言:上原正三。金城帰郷。

会社的に一番大きかったのは『マイティジャック』(68年)の失敗です。あれは赤字解消の切り札だったんですよ。(略)

「金城が企画をすれば高視聴率」という神話も崩れた。そういうことで金城自身もしぼんでしまって。でも会社というのはそういうものですよね。いいときはアイツアイツ、と言い寄ってきますけど、一度ダメになると、それこそ波が引くように誰もいなくなってしまう。(略)

『怪奇大作戦』の途中の頃かな、(親会社の)東宝が噛んできて円谷プロの大改革をやった。企画文芸部廃止、金城も、フリーの契約プロデューサーとして自分で仕事を取ってきてそれを書け、ということになった。(略)

金城が沖縄に帰るって言ったとき、誰も止められなかった。止められなかった、というより止める力が誰にもなかったと言うべきだね。

68年春

脚本・金城哲夫、監督・円谷一---特撮テレビ史上最高のコンビの名は、この晴れ渡った早春の空に永遠に消えた。

金城が去った8目後の3月9日、『怪奇大作戦』最終回「ゆきおんな」が放映された。視聴率はシリーズ最高の25・1%。特殊技術・佐川和夫、視覚効果・中野稔のコンビが描いた巨大なゆきおんなの特撮は、この時代のテレビ特撮として最高のレベルを誇っていた。それは”技術者集団”としての円谷プロが見せた最後の意地だったのだろう。

黄金時代の円谷プロは、まさに梁山泊といっていい天才、気鋭、職人の集団だった。契約社員を含めると150人ものスタッフを抱え込んでいたという。

[それが経費削減で40人に]

こうして円谷プロの黄金時代を支えたプランニングスタッフのほとんどが去っていったのである。現場経験者で円谷プロに残ったのは、制作の熊谷健、演出の満田かずほ*1、企画の田口成光、そして実弟の円谷粲らわずか数名だった。

このとき、一はまだTBSの局員である。『孤独のメス』はすでに8月11日に終了していたが、だからといって危急存亡にある円谷プロに入社してはいない。金城が一に宛てた手紙によれば、一がプロデューサーに転じ経営者に転向する、と聞かされたのは68年の11月頃だったらしい。しかし68年の12月には増資による名称変更が円谷プロで行なわれている。つまり一の円谷プロ入りは、タイミングを逸してしまっていたのだ。だが英二が入院し、いよいよ、となると事情は違う。

ちょうどTBSも自社制作からTBS資本の下請け制作に移行する時期で、木下恵介プロやテレビマンユニオン等が設立される。辞表を出しに行った一は役員から円谷ではなく、そっちに行かないか言われる。

このコメントは、TBSの役員が「円谷プロはもうダメだ」と意識していたことを匂わすものとしても貴重だ。ここまで育て上げた一を、明日をも知れぬプロダクションに投げ出してダメにするのは惜しい、という親心であろう。しかし一は、父の作った会社再興のためその選択肢をあえて捨てる。

花形ディレクターの地位を捨て、昔のコネで小さい仕事を取って怪獣ブームの再来まで糊口をしのぐことに。

証言:上原正三。遂に『帰ってきた〜』始動

(略)この人を、赤字を背負った会社を建て直すようなポジションに置いちゃいけない、と思ったんです。一さんには似合いませんよ。むしろ監督として、「俺が1話を撮るぞ。だからウエショー書け!」と言ってほしかったね、正直。もう彼も、一制作プロダクションとしてTBSから仕事を受けます!というポジションになっていますから。僕らからすると、一さんはもっと輝いていた人なんです。だから昔のような輝きを取り戻してほしい、と思ってたけどね。

でも彼は、あくまでプロデューサーとして制作会社を代表して、亡くなった親父さんに対するレクイエムというか、本多(猪四郎)先生を連れてきて、1、2話を撮ってもらう、ということを発想する。これがまた一さんの優しさなんだなぁ。そこにはやっぱり亡くなった父に対する思い、畏敬の念というものがあったと思います。

英二の弔辞は有川貞昌と思われたが、一が断固拒否して金城がやった。

証言:有川貞昌

[国際放映にいた有川を一が突然訪問、喫茶店へ]

もうその瞬間はね、中学高校時代のピンちゃんに戻って、懐かしい気持ちがいっぱいでね。

で、コーヒーを飲みながらいろいろ話をしていたら、「ねえ有川さん、親父が死んだのは、本当に有川さんが辞めたからそれを苦にして死んじゃったんだよー」と言うわけね。これは台詞としては嬉しい気もあるけど、それをピンちゃんに言われるとえらく辛くてねえ。それ、本当かな?と思うくらいに、何か感じちゃったんですよねえ。親父はあれだけの人だから、僕がいるいないなんて関係ないけれども、そういうことをポッと口にされるとね。でもピンちゃん、僕が辞めたときは、弔辞の問題もそうだけどけっこう腹を立ててたと思うんです。なんだい、長いこと世話になっときながら、都合のいいときばかり、と思っていたと思うんです。ところが僕の前に立ったときはもうそういう気持ちも落ち着いて、寂しいというか懐かしい気持ちでいたと思うんですね。「じゃあピンちゃん、俺もこれからまた円谷プロに顔を出すからよろしくね!」と言ったら、「待ってるから来てよー」と言ってから、3ヵ月か半年くらいで、ピンちゃん死んじゃったのかな。それがきっかけで、また円谷プロに行くようになったんだけど。あのとき、ピンちゃんがああ言ってくれなかったら、僕はこのまま一生、”円谷”と口に出さなかったと思うけどね。何かそれを言いに来てくれたみたいでねぇ。だからそうやってポツッと言い残したみたいで。(略)

それは円谷プロにまた来てくれ(入社してくれ)、という意味じゃなかったと思う。ただ親父を思い出す話がしたかったんじゃないかな? その頃、自分たち家族以外に親父を知ってる人というと、僕が一番近かったわけだから、急に思い立って来たんじゃないかなぁ?(略)

円谷再建でボロボロになって41歳で死去。

*1:禾斉

2006-08-15 円谷一―ウルトラQと“テレビ映画”の時代 このエントリーを含むブックマーク


円谷一―ウルトラQと“テレビ映画”の時代

作者: 白石雅彦

出版社/メーカー: 双葉社

発売日: 2006/07

英二、公職追放

しかしこの軍事教育映画への関与が、今、英二を悩ます原因となっていた。つまり自分が戦犯に指定されはしまいか、というじつに切なる問題であった。そして英二の不安は現実のものとなり、48年、ついに公職追放の指定を受けてしまうのである。有川貞昌が英二の門を叩いたのは、英二が東宝を退職、フリーとなり、「特殊映画研究所(円谷研究所)」を設立した頃の話だ。

戦争中、海軍のパイロットだった有川は、『雷電隊出撃』の敵艦への爆撃シーンを戦地で観て、英二の元を訪れた。そしてそのシーンが、”特撮”という耳慣れない言葉で撮影されたことを知ってひじょうに興味を持ち、そのまま英二の弟子となるのである。

しかし時期が時期だ。『雷電隊出撃』のような大きな仕事があるわけでなく、例えば『箱根風雲録』(52年)という映画では、隣の空き地にスコップで溝を掘り、そこに勾配から水を流しての撮影があった。これは多摩川上水に初めて水が流れてくるというシーンの特撮だったが、有川にしてみれば、「これが特撮なのか?」と意気消沈させるものだった。いくら金の面ではルーズだった英二とはいえ、何か仕事はしなくてはいけない。こうした仕事も受け、糊口をしのぐしかなかったのだ。

その頃の円谷一は、まだ学生である。

証言:冬木透。これが「アンドロイド0指令」につながるのか?

皇太子(今の天皇)ご成婚のとき、記念番組をやったんですよ、たしか『純愛シリーズ』の中で。30分枠なんですけど、「ミュージカルをやる!」と言うんです。「四月の恋」といって、デパートの中の洋服売り場のマネキン同士が恋をするという話です。夜中の12時になるとマネキンたちが動きだして、楽しい舞踏会になるんです。

一さんは音楽が好きだから、音楽が何かと混じることが多いし、僕に頼むときは「音楽で何かやる」というときが多かったですね。印象に残ってるのは、シューベルトの未完成交響曲を全曲使って、それに合わせてドラマを書いたりね。『未完成交響曲』というタイトルで、仲がおかしくなってる夫婦の旦那さんが、オーケストラのバイオリン弾きだったかな? それで演奏会で未完成を演奏してるときに、片やドラマが進行していく、それをカットバックで表現する。そういうひじょうに実験的な作品がありました。

ある意味、クドカンの『ぼくの魔法使い』に通ずるような

翌63年、金城哲夫にとって初のオリジナル脚本となった『こんなに愛して』は、まさに”過剰なまでの思いこみをもって生きる人間””現実に目を向けることができない夢想家”のドラマとなった。マネキンエ場に勤める職人・大助とヤッコの夫婦には子どもがなかった。それもそのはずで、ふたりはセックスを知らないのである。自称”芸術家”の大助は、理想のマネキンを創るため、電車の中で女性の手をなで回し痴漢呼ばわりされる。ヤッコといえば料理も裁縫もできない、そればかりか車にひき殺されたカエルがかわいそうで、団地の前で泣きじゃくるような性格。

証言:大山勝美

(略)『煙の王様』は、サラバ政治の季節よ、みたいなものが周りにあっても、円谷さん自体はもう自然体でしょう。あんまり安保とかそういう意識のない人だったし、我々の持っていた先輩たちに対するカウンターカルチャーというのもなかった。やっぱり、お父さんを尊敬されてたんじゃないですかねぇ? だからお父さんたちのやってる世界、お父さんたちの世代が持っていた財産を素直に受け継ごうというか、自分は自分でやっていこうという意識だったと思います。我々みたいに、なんだあのオジサンたち、どけ!という感じの思いはなかったと思う。その辺がずいぶん、僕とは違うような気がしますねぇ。つまり自分は継承者でいい、と。映像表現にも、お父さんのやってらっしゃった特殊撮影の世界、夢のある映像作りというものに惹かれて、それを継いでいこうというのは、楽しい仕事、意義のある仕事と思ってらっしゃったと思いますよ。

証言:円谷粲

『煙の王様』が芸術祭賞を獲得して

親父が演出家のーさんを認めたのは、やっぱり『煙の王様』です。あれ以来、親父の見方、しゃべり方が変わっていって、一人前の演出家としてキチッと認めた話し方になりました。当時、僕は高校生くらいだったから、聞いていてそれはわかりました。それまでも徐々に認めつつはあったと思うんですが、あの大賞が決定的だったと思いますね。それまでより踏み込んだ話、意見も言う、聞く、という感じになったんです。演出の方法論というより、お互いの仕事を認めた上で、親父の仕事をいかにテレビ界に持っていくか、という話はよくやっていました。

テレビvs映画

56年9月末日、5社は劇映画をテレビヘ供給することを停止してしまったのだ。(略)

そして57年、経営が安定してきた日活が協定入りをし(これにより5社協定は6社協定となり、テレビバッシング(この場合テレビボイコットだが)の戦列に加わった。(略)

バッシングの矛先が日活からテレビ界へと転じたわけである。テレビ界と邦画界の確執ここに極まれり、という観があるが、面白いことに”テレビヘの劇映画の供給停止”という申し合わせは決して一枚岩ではなく、しっかり抜け穴が存在したのだ。

そのひとつが独立プロ系の映画であった。ここでいう独立プロ系とは、レッドパージで邦画界を追われた”進歩的映画人”が興した会社のことであり(略)

独立プロ系の劇映画は、6社協定に加わっていないことと、資金調達の意味から、ほとんどの作品がテレビに流れ込んでいたのだ。

新東宝の崩壊がテレビ界に与えた影響

1.債務削減の手段として、新東宝映画が一気にテレビに流れ出たことにより、6社(5社)協定を崩すきっかけを作った。

2.NACにTBSが資本参加、国産テレビ映画制作の体制を整えた。

3.丹波哲郎、宇津井健池内淳子、大空真弓など、新東宝出身の映画スターが、テレビで大輪の花を咲かせた。

4.新東宝の優れた技術者が、テレビ映画制作に移行した。(略)

5.新東宝のスタジオが、貸しスタジオとして存続した。

63年できたTBS映画部に一も異動。そこからTBSが出資した国際放映や松竹・大映といった各映画会社に部員が出向して映画をつくる形に。当然映画会社からは下に見られる。

66年TBSドキュメント『ウルトラQのおやじ』での親子対談

一   ようするに、身近にいるようなプロダクションと東宝あたりがですよ。もっと積極的に手を組んで、それでやっていくということを考えた方がいいと思うのさ。(略)

英二  好むと好まざるとに関わらず、やっぱりそういう時代に移っていかなきゃなんないよな。

一   早くなったほうがいいと思うんだけどなあ。だからなんかね、僕らなんかから見るとね。ようするに映画会社の人たちはさ。テレビ映画というのはなんか二軍みたいなさ。見方がしているというのが大変不満なわけよ。もっとやっぱり第一線の人たちがね、本当に全力投球しなきゃいけない場でなきゃいけないはずなのにね。(英二、相づち)第一、映画人口なんていってもさ、人口が増えても映画人口というのは減っていくでしょう。テレビというのは、視聴者がだいたい400万人くらい固定するわけでしょう。そういうところにね、もっと自分のやりたいものをというのをさ、賭けてきゃいい、と思うのにねえ。わずか、わずかなね、製作費が多いからだけでもって映画にしがみついているくらいなら、観てくれる人の多さ、というものをさ、もっと。

英二  (出だし不明)それはお前、しゃれにならないんだけど、それはわかっているんだよなあ。しかしかなり、まだなんかいままでの夢捨てきれないというか、まあ……。(略)

証言:大山勝美。テレビ側の矜持。スイッチング命。

[映画表現の魅力もわかるけど](略)

画質でいうと、まだフィルムの16ミリはヌケが良くなかったんです。やっぱりイメージオルシコンの持ってる、ぼんやりしてるけどなんとなくシャープな映像のほうが現代的な感じがしたというのもあるかもしれませんねえ。それにフィルムはワンカット、ワンカット撮っていくのに対し、スタジオドラマは演技の連続を切り取っていく。この面白さですねえ。芝居の一番いいところを複数のカメラで撮って、ババッとモンタージュしていく。スポーツ中継のようなものですよ。投げた打った、あれを生でホットなまま、しかも多角的なアングルで撮っていけるでしょう。市川崑監督がフィルムを山ほど回して、『東京オリンピック』(64年)を作ったでしょう。あれは上手く映画にしたけれども、その迫力はやっぱり生のスポーツ中継ものをマルチカメラで撮っていくものにかなわない。僕に言わせると、その魅力がテレビスタジオのドラマの面白さだったんですよ。

微妙な分量ですが、明日につづく。

2006-08-14 悪魔のピクニック・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。

アメリカ農業省のトップは元養豚&放牧業者が多いので当然衛生問題は野放し、病原菌はいて当たり前と開き直っている状態。そのくせチーズは衛生的に問題あるとはどういうことかと。


悪魔のピクニック―世界中の「禁断の果実」を食べ歩く

作者: タラスグレスコー,Taras Grescoe,仁木めぐみ

出版社/メーカー: 早川書房

発売日: 2006/07

レーガン〜ブッシュ政権時に公衆衛生が骨抜きにされたと著者

食品を禁止することに関して、大西洋の両岸ではやり方が非常に対照的だ。北米の法制定者たちはヨーロッパで何世紀も安全に食べられてきた伝統的な食品の輸入を禁止するか、ばか高い関税をかける。それとは対照的に、ヨーロッパの立法者は魚の遺伝子を植え込んだトマトや、ホルモン剤を投与した牛からしぼったミルク、牛の死骸を食べて育った豚のベーコンの輸入を禁止している。(略)

ずっとこうだったわけではない。1970年代になるまで、アメリカはじっさい革新的で厳しい法を作る急先鋒だった。1966年の絶滅危惧種法は予防原理の表明の草分けであり、絶滅の危機にある生物に取り返しのつかない損害を与える恐れがある開発を禁じたものだ。ヨーロッパでまだDDTや染料の赤色二号が使われていた頃、アメリカは人体への発がん性の疑いがあるとして禁止した。そして1977年にはアメリカはオゾン層を破壊することがわかったフロンガスを世界で最初に禁止した。(略)

1999年、成長刺激ホルモンを与えたアメリカの牛肉には発がん性の疑いがあるとして、ヨーロッパは輸入を禁止した。アメリカはそのお返しに、ベルギー・チョコレート、ロックフォール・チーズ、フォアグラのパテ、ディジョン・マスタードに相次いで法外な率の関税を導入した。(略)

テロワールという考え方が体現している非常に保守的で、神秘主義的ですらある食物に対する態度は、EU全体では予防主義として取り入れられている。アメリカの危険に対する考え方とは対照的に、新しい技術を用いるとき、それが人々にどれだけの害を与えるかを予測しようというものだ。

テロワール。原産地統制呼称(AOC)

テロワールというのはもともとワインに使われていた原語なのだが、直訳すると”土”という意味である。一見意味がはっきりせず、感傷的に思えるが、すべての自然現象には魂があるとするアニミズムの現代版なのだ。つまりフランス人の味覚を豊かにしてきたすばらしい風味の数々は、みなその地方の土からじかにもたらされたという考えだ。(略)

別の場所で生産すると、それはどこか変わってしまう。土壌の豊かさとか、生えていた野や農場との太陽の位置関係とか、チーズの場合はその土地にしかない菌株のカビなど無形の条件から受けていた特長、いわば魂がなくなってしまうのだ。

(略)”うちの牝牛はお宅のところと全く同じ餌を食べているし、私はあんたと全く同じやり方でチーズを作っている。どうしてうちのチーズをエポワスと言ってはいけないんだ? あんたはただの保護貿易主義者だ!″」

農園が工場方式で運営されることや遺伝子組み換え飼料を使うこともある現在の農業界において、テロワールはこっけいなアナクロニズムに思えるかもしれない。エリート主義のヨーロッパ人の執着と見られることもある。けっきょくAOCに守られているシャンパンやパルマの生ハムは、スパークリングワインや、格調高いラベルの恩恵にあずかれない肉の切れ端よりもずっと価格が高い。

イタリアの蛆虫チーズ

カス・マルズ、店では売っていないペコリーノ・チーズだ。(略)カス・マルズは発酵してから食べる。しかも食べごろになったとされるのは、何千という透明な蛆虫がわいてからなのだ。さらにそのハエの幼虫は生きていなければならない。蛆虫が死んでいたらそのチーズは腐っているから食べられないとされる。サルデーニャの人々は新参者に、蛆虫が目に飛び込まないように、サンドウィッチの上に手をかざしながら食べるといいとアドバイスする。

そしてドラッグの話。

コカの葉をひたすら噛む。

私はレイヤ*1のかたまりをちぎると、それをコカの歯で包み、歯茎と頬の間に詰め込んだ。(略)

30枚まで詰め込むと、頬はふくらみ、舌の先がしびれてきた。唾液で溶けてどろどろのかたまりになったコカは、アルカリ性のレイヤと混ざり、私の口の中のペーハーを上げる。するとコカの葉の細胞壁がくずれ、微量のコカインが流れ出すのだ。昼食の時間だったが、空腹は消えていた。ずきずきする頭の痛みもなくなり、同時に時差ぼけと高山病からくる汗ばんでだるい感じからも解放されていた。(略)

コカはほのかな陶酔感をもたらす。それは結晶体の麻薬コカインがもたらす永遠に満たされない感じよりも長続きする。化学物質コカインが急微な高揚感をもたらすとしたら、その原料である植物のコカは同じ感覚のもっとマイルドで健全なバージョンを味わわせてくれる。

ボリビアのコカ伐採

「アルゼンチンやブラジルやアメリカではコカインが問題になっているかもしかないが、ここでは違う。世界で一番安く買える国だけどね。麻薬撲滅作戦は勢力浸透と政治的支配を目的にしたイデオロギーで、北米の情報機関の人々や禁止法で儲けている人々のためにあるんだ。理屈が通っていない。そこに何か論理があるなら、我々がヴァージニアに行って、タバコ会社が依存性を高めるためにタバコにアンモニアを加えているせいでボリビア人が依存症になってしまうからと言って、タバコの木を全部引っこ抜いてもいいだろう」

同じ意見は何度も聞いたことがある。たとえばアメリカは現在、違法なドラッグマリファナの世界一の生産国である。アメリカ政府はカリフォルニア州をいぶすべきではないのか? そうしないのなら、どうしてアンデスでコカを引っこ抜く権利があるのか?

スイスの過激なヘロイン政策を

軽く見てはいけない。これは政府が違法な麻薬を常用者にただで配るプログラムなのだ。世界が倫理もなにもない混乱状態に陥るのを防いだばかりか、多くの依存症患者が自主的にやめているのである。ドラッグの入手のための努力をしなくてよくなると、そこに残るのは依存の倦怠感だけだ。そしてジャンキーたちはクスリをやめることを以前より少し落ち着いて考えられるようになっているのだ。(略)

ドラッグをただにすることによって、その商品価値を下げ、ドラッグの売人や商人たちの力を奪うこともできた。(略)その入手方法を運転免許の交付みたいに退屈な手続きにしたとき(略)その暗い魅力は消えてしまったのだ。

*1:レイヤとは、漂白という意味の言葉で、アルカリ度の高い焦がした根にショ糖をくわえたものを表わす。それは葉からアルカロイドを抽出するのを容易にするために使われる

2006-08-13 悪魔のピクニック このエントリーを含むブックマーク

国が規制しているものをその国に行って摂取するという企画。当然ドラッグも出てくるが、それより衛生戦争?で禁止されているチーズとかの方が面白い。


悪魔のピクニック―世界中の「禁断の果実」を食べ歩く

作者: タラスグレスコー,Taras Grescoe,仁木めぐみ

出版社/メーカー: 早川書房

発売日: 2006/07

こういう書き方をすれば、どこの国だってヘンな国にできるような気もしないではないが。シンガポール篇はもっと悪夢。

ノルウェーは世界でもっとも投獄率の低い国なのだ。しかし刑務所には三千人以下しか収容できないので、刑が確定してから懲役を受け始めるまで二年も待つ受刑者もいる。(略)

平等主義者のユートピアであるこの国では、墓石の高さはみな同じであり、”すべての国民の権利”を守るために、国民は国内のどこででもテントを張り、果物をもぎ、スキーをすることができる。たとえそれが他人の所有する土地の中であっても。性的にも自由な王国であり、皇太子はコカイン依存症だったと認めたシングルマザーと結婚し、財務相は男性の長年の伴侶と結婚したが、首相はルター派の元僧侶であり、絶対禁酒主義なのだ。

国が酒を専売するノルウェー。購入がメンドウ&量規制となれば、ヤミ&密輸が横行するだけで、結局酒の消費量に大差はない無意味なドタバタ。

この現状で得をしているのは誰か? 国は放っておいてもこんなにも莫大な税収を生んでくれる専売体制を手放したくないのだ。(略)

ここで一つ疑問が生まれる。アルコールという物質が政府の専売制度で管理されなければならないほど危険なのだとしたら、政府はなぜそんなに手をかけてまで売っているのか? 答えは簡単だ。ノルウェーでは、そしてカナダでも、組合活勤にどっぷりつかった役人のせいで硬直した政府直営の酒店のネットワークを維持するのに莫大な金がかかるのだ(酒の専売所はいまや巨大な金食い虫の役所になっているだけでなく、腐敗しているという証拠もある。(略)

禁酒法時代のアメリカ

メイン州がアメリカの州で初めてアルコールの販売を禁止すると、店主たちはクラッカーを五セントで売り、そのおまけとして、ただでラム酒を一杯つけた。酒を売ってはいないのだから、犯罪にはならない。ヴォルステッド法が施行されるとすぐ、シカゴだけでも五万七千人の薬屋が「医療用」のアルコール販売免許を申請し、すぐにウィスキーは痛風から腰痛までありとあらゆる病気に欠かせない治療薬になった。おそらく、その中でももっともおかしなものは、ナパ・バレーのワイン醸造業者が編み出したアイデアだ。彼は干しぶどうやレーズンケーキを作った。食料品店にいる宣伝係は客にわざとらしく、コルクでふたをしたジャグの中で水に潰けてそのまま三週間ほうっておいてはいけないと説明する。発酵が始まってしまうかもしれないから、と。さらにもう一押しが必要な者のために、ケーキにはこんなラベルがついていた。「注意:発酵するとワインになります」

やすらかに酔いつぶれるノルウェーの若者と比較される日本と英国

私はいままでの旅の中でもっとひどい光景を目にしてきた。土曜の夜の東京の中心部は、ヒエロニムス・ボスの悪夢の絵のような眺めだった。プラットホームには吐瀉物があり、自分の体の機能をコントロールできなくなったサラリーマンたちがよろめき歩いていた。そして海外のビーチでパーティーをし、飲んで騒ぎ始めたイギリス人がほとばしらせた得体の知れない激しい怒りや階級への不満、外国人への嫌悪を超えるものはない。日本もイギリスもアルコール販売に関する法律はゆるく、さらに両国とも序列にこだわる文化を持っている。この二国の人々のどんちゃん騒ぎは厳しい法律の反動というより、社会的抑圧への不満の捌け口なのだ。対照的に、平等主義のノルウェー人たちは、日本人やイギリス人たちより単純な酔っ払いで、ただ酔いつぶれたいだけなのだ。ここではつぶれるまで飲むのは心理的な抑圧ではなく法律上の抑圧への反抗だ。

1969年発行の酔態調査"Drunken Comportment"

この論文は、アルコールは万国共通で自意識を消滅させるもので、いやおうなく脳の高次の中枢を麻痺させ、抵抗感を取り除いて、その人がしらふの時には決してやらないようなことをさせるという通念に疑問を投げかけている。むしろ逆にタブーや社会体制が厳しく守られている多数の社会では、酒を飲んでも抵抗感はなくならず、極端な無茶飲みをしていても変わらないことを例にあげている。(略)

酩酊の様子は社会的につくられていくことになる。人々は他人を見て、どう酔うべきかを学んでいるのだ。

タヒチの人々は、イギリスの船乗りと接触した1767年には明らかにアルコールを嫌い、カバの根をしぼって造る土着の麻酔性飲料の方を好んでいた。しかしキャプテン・ヴァンクーバーがタヒチに立ち寄った1791年には、現地の人々は酒で酔っ払うようになっていた。そして20世紀になる頃には、週末に酒を飲む習慣ができ、さらにはそれに伴って暴力も発生するようになっていた。(略)北米のネイティブ・アメリカンの社会の多くで、初めてアルコールに触れた人々が千鳥足になり、疲れる程度の穏やかな反応しか示さなかったと指摘している。

さて、貧乏人の僕はスライスチーズみたいなものしか食べた事がないわけで、こういう描写ではじめて本物のチーズは発酵品であると実感?するわけです。アメリカで禁止されている「未処理の生乳から作った熟成期間が60日未満」のチーズは、マラカスまんぼー満腔フレイヴァーなのだ。

「ああ、すばらしい!」と彼は叫んだ。気の抜けたシメイビールの香りは、一瞬のうちに食欲をそそる悪臭に圧倒される。彼は目を閉じてため息をついた。「セックスの匂いみたいだ!」

(略)

やがてウェイターがテーブルにやってきた。彼は心配そうに顔を硬くしている。

「その匂いをどうにかしなければなりません」と彼は息をつまらせ、甲高い声で言った。「お客様がみんないなくなってしまいます!」

世界一臭いチーズ、エポワス。ドリアンが公衆便所でカスタードなら

エポワスを食べるのは飼育場の肥溜めの中を歩きながら、便器の消臭剤にかぶりつくようなものだ。しかしアンモニアと納屋の前庭の入り混じったようなにおいというバリアを越えてしまいさえすれば、悪魔は実は堕ちた天使だったとみな思い出すだろう。舌の上に突然新鮮なミルクや純粋な塩や砂糖やクリームのえもいわれぬ味わいと、ブルゴーニュ郊外の豊かな香りがひろがるのだ。

そんなチーズが何故に禁止になるのかという大西洋を挟んだ争いの話は明日でいいですかあ。

2006-08-11 民主主義の逆説・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日のつづき。


民主主義の逆説

作者: シャンタルムフ,葛西弘隆

出版社/メーカー: 以文社

発売日: 2006/07/15

討議民主主義者は、

利益集団中心の多元主義の限界を乗り超えようとして、シュミットの次の論点を見事に例証している。すなわち「自由主義的思考は、きわめて体系的なしかたで、国家および政治を回避ないしは無視する。そして、その代りに、二つの異質の領域、すなわち倫理と経済、精神と商売、教養と財産という典型的な、そしてつねにくり返しあらわれる両極のあいだを動揺するのである」。

ウィトゲンシュタイン

二つの相いれない原理がぶつかり合う場合は、どちらも相手を蒙昧と断じ、異端と謗る。さきに、私は他人を「攻撃」するだろう、と言った――だがその場合、私は彼に理由を示さないであろうか。勿論示す。だがどこまで遡るかが問題である。理由の連鎖の終るところに説得がくる」

われわれはなめらかな氷の上に迷いこんでいて、そこでは摩擦がなく、したがって諸条件があるいみでは理想的なのだけれども、しかし、われわれはまさにそのために先へ進むことができない。われわれは先へ進みたいのだ。だから摩擦が必要なのだ。ザラサラした大地へ戻れ!

シャンタル・ムフ

「政治的なもの」の位相を承認し、「政治」が敵意の馴致と人間関係のうちに存在する潜在的な抗争性の緊張を和らげることのうちにあると理解してはじめて、民主主義にとっての中心的な課題と私が考えているものについて問うことができるだろう。この課題は、合理主義者には悪いが、排除なき合意にいかにして到達するかという問題ではない。なぜならそれは政治的なものの消去を意味するだけだからである。政治が目指すのは対立と多様性のコンテクストにおいて統一を創出することである。

彼らが支持する複数主義は、抗争性なき複数性、敵なしの友、抗争性なしの闘争性を示唆している。ひとたび他者に対する責任をとり、その差異に取り組むことが可能になれば、あたかも暴力と排除は消えうるかのようである。それは倫理と政治とが完全に合致しうる一点が存在すると想像しているのであり、まさにこの点こそ私が否定しているものにほかならない。

2006-08-10 民主主義の逆説 このエントリーを含むブックマーク


民主主義の逆説

作者: シャンタルムフ,葛西弘隆

出版社/メーカー: 以文社

発売日: 2006/07/15

ロールズ式だと多元主義はありえない

つまりロールズは、合理的な人間とは自由主義の根本原理を受け入れる人びとであるということを間接的に主張しているわけだが、もしそうでないとしたらどうだろう?(略)

こうした区別でロールズが真に指し示しているのは、政治的なものの諸原理にかんするかぎり、多元主義はありえないということであり、自由主義の諸原理を拒絶する概念構成は排除されるべきであるということである。この点について私は、彼に異議を唱えるわけではない。しかしこれは道徳的要請の表現ではなく、明らかな政治的決定の表現である。反自由主義者を「非合理的」とよぶことは、自由民主主義体制の枠組みのなかではそうした見解が正統なものと認められないことを表明する手段となる。(略)

ロールズは、道徳的区別としての善にたいして正の優位を示すことで、問題を回避しようとしている。しかしそれでは問題の解決にはならない。(略)

[そして循環論に陥る]

政治的自由主義は、合理的な人びとのあいだでの合意を提供しうる。その人びととは、定義上、政治的自由主義の諸原理を受け入れる人びとにかぎられる、と。

ロールズの正義。抑圧じゃないのよ、正義の強制です

[ロールズ]にとって、よく秩序づけられた社会とは政治が消去されている社会であるということを示している。正義の概念は、その命令にしたがって行動する、理にかなって合理的な市民によって相互に実現される。おそらく彼らは、善にかんして異なる、さらには相互に対立するような概念をもっている。しかしそれはあくまでも私的な問題であり、彼らの公的生活に影響を及ぼすものではない。経済的、社会的問題にかんする利害対立は---もしそれがまだ生じるならば---、誰もが裏書きする正義の諸原理を喚起することによって、公的理性の枠組みのなかで討議をつうじてスムーズに解決される。もし理にかなっていない、もしくは非合理的な人物がその問題状況に賛同せず、その素晴らしい合意を破壊するようなことが起こるならば、彼女もしくは彼は、強制的に、正義の諸原理に服従させられるにちがいない。しかしながら、そうした強制は、抑圧とは無関係である。なぜならそれは理性の行使によって正当化されるからである。

民主主義の本質をなす同質性。それには異質の排除が必要となる。

シュミットは次のように宣言する。「あらゆる現実の民主主義は、平等なものが平等に取扱われるというだけでなく、その避くべからざる帰結として、平等でないものは平等には取扱われないということに立脚している。すなわち、民主主義の本質をなすものは、第一に、同質性ということであり、第二に――必要な場合には――異質的なものの排除ないし絶滅ということである」。私はこのことを否定しようとは思わないが、後のシュミットの政治的展開を考慮に入れると、この主張はぞっとさせる効果をもっている。しかしながら、そのことを理由に民主主義において同質性が必要だというシュミットの主張を退けることは、近視眼的すぎる。

毒にも薬にもならない平等

シュミットの見解によれば、平等を語る際には、自由主義的平等と民主主義的平等という、ふたつのまったく異なる理念を区別しなければならない。自由主義の平等概念は、すべての個人がひとりの人間として、自動的に他のすべての人びとに対して平等であると措定する。しかし民主主義の平等概念では、デモスに帰属する者とその外部にいる者とを、区別する可能性が必要となる。そのため、それは必然的に不平等と関係する。自由主義の主張に反して、人類の民主主義とは、かりにそのようなものがあったとしても、純粋な抽象にすぎない。なぜなら平等が存在しうるのは、特殊な領域――政治的平等、経済的平等など――における特定の意味をつうじてのみなのである。けれどもそうした特殊な平等は、その可能性の条件として、何らかの形態の不平等をともなっている。したがってシュミットは、絶対的な人類の平等とは、実践的には意味のない、毒にも薬にもならない平等であるほかないと結論づけたのだった。

民主主義の平等概念が政治的なものであり、したがって区別の可能性をともなっていることを強調するとき、シュミットは重要な論点をついている。政治的民主主義がすべての人びとの一般性を基礎とはしえないこと、特定の人民に帰属しなくてはならないことを指摘する点において、シュミットは正しい。

(略)表むき、政治的平等が存する場合には、実質的不平等を合む他の領域、例えば今日においては、経済的なものが、政治を支配することになる。--シュミット

こうした議論は自由主義者の耳には心地よいものではないとしても、注意深く検討する必要があると、私には思われる。ここには、グローバリゼーションの過程は世界規模での民主化の基礎と、コスモポリタン・シティズンシップの確立の基礎となると信じている人びとへの重要な警告が含まれている。また、政治に対する経済の優位という今日支配的な状況への貴重な洞察も与えられている。実際のところ、そうしたコスモポリタンな市民流浪者は、帰属するデモスがなければ、法を措定するという自らの民主主義的権利を行使する可能性を失ってしまうことになりかねないことを意識すべきであろう。

自由主義は「人民」を定義できない

民主主義的な政治共同体の同一性が「われわれ」と「彼ら」の境界の線引きの可能性次第であることを強調することで、シュミットは、民主主義がつねに包摂と排除の関係を内包していることを浮き彫りにしているのである。これは決定的に重要な洞察であり、シュミットの思想は好ましくないといってこの問題を拒否するならば、民主主義者は間違った方向に進んでしまうことだろう。(略)

自由主義理論は、「人民」という政治的構成の中心的問題について適切に取り組むことができない。なぜならそうした「境界」の線引きの必然性それ自体が、自由主義的な普遍主義のレトリックと矛盾してしまうからである。自由主義が「人類」を強調するのに対して、民主主義の鍵概念が「デモス」と「人民」であることを強調することは重要である。

明日につづく。

2006-08-07

[]aFoggyDay(H-bolanMix) aFoggyDay(H-bolanMix)を含むブックマーク

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冷やしの季節、ヘズボラン、略してH-bolan、はじめました。アルカイダーズの皆さんはお元気でせうか。さいきん車中では例の自前MIXを聴いているのですが、オレ最高です、とっても元気がでます、そんなわけで久々にDJ=MIXを作ってみました。今回はジャズですよ、聴き易いですよ、聴取層拡大、選曲もど真ん中、A FOGGY DAY、霧のロンドンでブルーになってたら、イケメン太陽

キターー (*゚∀) (∀゚*)ーッ、という歌を、煙るレバノンからお送りしてみました。あとChuck BrownのA列車を前から使いたくて色々試行錯誤してたのですが、今回めでたく、強引ですがジミヘンからつながりました。

For suddenly, I saw you standing right there

And through foggy London town,

The sun was shining everywhere

[Playlist]

Duke Ellington

Patti Page/A FOGGY DAY (IN LONDON TOWN)

Rebecka Tornqvist/My Shining Hour

Michel Legrand/Pieces of Dreams

Chuck Brown & The Soul Searchers

Sammy Davis Jr/Someone Nice Like You

2006-08-02 ミルの『自由論』とロマン主義 このエントリーを含むブックマーク

あまり面白い話はない、学生気分で淡々とやろうか、といってるうちに胸の動悸が悪化してそんな気分ではなく早々に撤退。病んでる病んでる。


ミルの『自由論』とロマン主義―J.S.ミルとその周辺

作者: 矢島杜夫

出版社/メーカー: 御茶の水書房

発売日: 2006/06

カーライル

要するに、カーライルは、「フランス革命は、暴言を吐き、狂想をたくましくする暴民の心と頭にあった」と断じるのである。そして、今日問題となっているチャーティズムは、イギリスの「フランス革命」とみなす。(略)

民主主義は反乱と廃絶の無統制な方法にすぎず、自由放任の大完成であると言う。無知な民衆は、民主主義そのものの真剣かつ内容不明な目的をはっきり理解せずに、民主主義を足下に踏みつけ、それを支配する専制君主たちにならぬわけにはいかなかったというカーライルの鋭い指摘は、民主主義そのものがその反対物たる「民主的専制」に堕する危険を示唆したものであった。

生産者協同組合

ミルが終始強調して止まなかったのは、自由な労働による道徳的資質の向上である。ミルにとって「生産者協同組合」は、労働者のこの資質を陶冶するのに最もふさわしいものとみなされたのである。(略)

ミルが最も苦慮したのは、人間の能力、徳性の不平等を財貨の平等と調停すること、換言すれば、どうしたら個人の行動の自由を、「共同労働の利益への万人の平等な参加」と一致させることができるか、ということであった。(略)実際に、社会主義のその後の歴史は、社会主義者が秤の重りを平等原理の方に乗せたために、ラマルティーヌ(A.Lamartine)の危惧した「普遍的奴隷制」の方向へ大きく傾いてしまったのである。これこそ、ミルやトクヴィルが最も警戒した不自由な社会に陥ることを意味している。

キリスト教批判

確信に基づいてその教えを受け入れることを許されている人々は、異端の書物を読むことはできるが、信頼に基づいてその教えを受け入れねばならぬ一般の人々にはそれは認められていない。つまり、ミルはそこに一部の選ばれた者の知的優越を認め、利己的・排他的な特質のあることを指摘したのである。(略)

ミルがキリスト教倫理の受動的性格を厳しく批判するのも、選ばれた権威ある人が権威のない一般大衆に向かってひたすら服従することを説くもので、そのような教えは死せる独断として真理の深い眠りをもたらすだけで、多くの人々を自由に導くことはないからである。このキリスト教倫理の受動的・服従的性格が頂点に達したものが、カルヴァンの教義だとみなす。

宗教と自由

トクヴィルは、後に著す『旧制度と革命』でも、アメリカで最初に出会う人を引き止めて、宗教が法律の安定や社会の秩序のためにも有益であるかを質問したところ、宗教がなくては自由社会は存続できないと答えたことを記している。アメリカの人々は、自由な社会では宗教の尊重は国家の安定と諸個人の安全との最大の保障だと受け取っていたのである。トクヴィルは、民主社会で自由を維持するために、宗教にも敬意を表す必要のあることに気付いたのである。(略)

またトクヴィルは、人々が宗教を持たない時に道徳を持つことができるとは思わないと述べ、共和制にとって道徳と宗教が重要であることを記している。そして、「アメリカでは自由な道徳は自由な政治制度を作り、フランスでは自由な政治制度のために道徳を形作る」という興味深い指摘をしている。