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2006-09-29 軽免許と「軽」軽自動車 このエントリーを含むブックマーク

前日のつづき?確認のために読み返してみた関川夏央旧著より。貧弱脳味噌メモリーのおかげで初めて読むような気分、ダメだ、オレ。


家はあれども帰るを得ず (文春文庫)

作者: 関川夏央

出版社/メーカー: 文藝春秋

発売日: 1998/11

女性恐怖で未婚

その動機は束縛に対する恐怖、だと思う。義務からの逃亡、あるいはたんに責任回避といわれて返す言葉はない。

おとなにはなったが家長にはなれなかった、という言葉には思い当たるところがある。わたしも、そしてわたしの友人のいくたりも、なにかがあきらかに欠落して、いまだ中年の成熟を示すことができない。少年がそのまま老いているようだ、というのは決して牧歌的な状況ではない。むしろ無残である。

多少の弁明を試みるならば、束縛からの逃亡、あるいは責任回避へと動きがちな心理の深層には女性に対するおびえがある。彼女たちにはとても太刀打ちできない、心安んじてともに暮らせないと無意識のうちに見とおしている。半分は男のわがままに違いないが、残りの半分はどうもいまの世の中の課題であるようだ。

わたしは女性を軽んじてはいない。一段下に見ているのでもない。むしろ内心は女性の知恵に知識をもって対抗してさわやかに敗北したいのである。「隔てのない中*1に礼儀があって」、かつ妻がいなくては決してたちゆかない家庭に憧れているのである。しかし知識には知識をもって、放埓には放埓をもって張りあおうとする現代の女性に対しては勝利も敗北もない、ただ戦いを避けて通りたいだけである。

露悪正直告白、やたらといばりちらす泡泡先生

岩野泡鳴にとって、女性の「征服」は自我拡大の手段だった。折から女権拡張時代の空気を吸う当時のマスコミ知識人たちは、それを旧弊であると断じた。

泡嗚は反論した。

〈優強者たる男子として婦人を吸収征服すべきことが、何で直ちに「旧い」か? 「日本の旧い男達」に、僕のような理解があって而も強烈な主義を実行する者があろうか? そして僕は初めから一般的凡俗的な「個人主義の自殺」若しくは滅亡をさせることに努力して来た。そして又その努力は僕の自我独尊的個人主義を確立した。この主義をたとえ「極端な専制主義」だとしても、特殊な具体的理解を失わないが特色だ。自覚ありと称する婦人にしてこの特色所有者に服従しようとしないのは、僕の「ジレンマ」では無く、向うの個性的自覚がまだ低いのだ。凡俗の個人主義に捉われている為に、最も高潔な、貴族的、自我的な個人主義を攫めないからだ〉

なんだかよくわけのわからない文章である。要するに自分は偉い、偉いひとに服従しないのは相手が悪い、妻が悪いといっている。

泡鳴は、小説ではひとつひとつの文章は明快なのに、全体ではなにをいいたいのかわかりにくい書きかたをした。女をもてあそんだ、女がひっついた、女が重荷になった、女を捨てた、とひたすら露悪的な、すなわち病的に正直な告白が連ねてある。そして、そういう自分を責める資格のあるものは責めろ、と居直るのである。一方、こういうたぐいの文章になると、全体では結局自己正当化の強弁だなと察しがついても、部分部分が意味不明である。しかし両方に共通しているのは、やたら威張りちらすところと、文章からおのずとにじみだす陽性な騒がしさの印象である。

生涯を女性問題で悩みつづけた岩野泡鳴は、実はまったく美男ではなかった。顔は荒木経惟によく似ていて、そのうえ額が異常にとびだしていた。その脳は桂太郎につぐ大きさだといわれ、死後帝大病院に保存された。

声が異常に大きく、性欲が強かった。

斉藤緑雨『小説八宗』文体模写で批評

緑雨はこの短文中で新小説の流派を六つに分け[坪内逍遥、二葉亭四迷、饗庭篁村、山田美妙、尾崎紅葉、森田思軒]、それぞれに文体の模写を行なって寸鉄のごとき言葉を配している。(略)

逍遥は「古い癖は直したが、更に新しい癖をつけた」ものと書かれた。二葉亭は「台がロシアゆえ緻密緻密と滅法緻密がるをよしとする」、たとえば「煙管を持った煙草を丸めた雁首へ入れた火をつけた吸った煙を吹いた」のたぐいと模写され、「ただ緻密の算段に全力を尽すべし。算段は二葉より芳しと評判されること請合なり」と評された。

言文一致体の先駆者であり、「です、ます」調を多用した山田美妙の文体は、つぎのように模写されている。「酒は猪口に注げば、猪口の形です。酒を桝に注げば、桝の形です。実に酒は方円の器にしたがいます。水もまたその通りです。が水は酔いません。けれども酒も水も流動体です」

緑雨の名はこの稿で世の文筆人読書人に知れわたり、同時に恐れられた。

AT限定フィールドの皆さんへ。軽免許を知ってますか。

父が自動車を運転しはじめたのは十年ほど前のことである。免許をあらたにとったというのではなかった。実は昭和三十年代のなかばにはすでに免許を持っていたのだから、かなり早い方である。ただ以後二十年近く車を運転したことがなかった。

友人につきあって父は必要もないのに免許を取ることに。飲めないのに他人の酒につきあう、ことわりきれない性格なのである。

父はとにかくそのようにして自動車学校へ通いはじめ、間もなく免許を手にした。

初夏の夕方に免許証を持って帰り、わたしに見せてくれた。いやいや通いはじめたにしては得意そうだった。免許証には「軽免許」とゴム印があった。

母と相談した結果「軽免許」で十分ということになったのである。費用の点でもここらまでが限度いっぱいだし、どうせ車を買う予定などはないからという理由である。

免許証は未使用のまま二十年たち、時は昭和五十年代なかば。鉄道・バスが衰退。

真冬、雪のバス停でなかなかこないバスを待って神経痛が出た父は、ついに車を買おうと決心した。もはや時流にさからい切れない。それはやむにやまれぬ悲壮な決意だろう。ところが手元にあるのは軽免許である。十年前でさえ、もうとうに360ccクラスの車は生産中止で、軽自動車とは550cc以下の車を示す用語になっていた。当然550ccしか生産されていず、しかるにそれには乗れないのである。父の必死の依頼を受けた弟が中古車のディーラーを駆けめぐり、ようよう渋茶色のホンダライフを探してきた。往時の名車には違いないが、いかんせんすでに十年の車齢である。

父は弟に運転をあらたに教えてもらい、乗りはじめた。車で自由を得て、かつての父の友人のようにさまざまな場所を駆けめぐるかと思いきや、職場と自宅の往復以外には決して使わなかった。理由を問うと、面倒だ、趣味じゃない、ガソリンが減る、車が痛む、と答えた。

弟は笑った。そしてわたしにこっそり、おやじはおなじ道でしか走れないんだぜ、といった。こわいんだよ、まるでレールでも敷いてあるようにコースをかえない、へたするとタイヤ跡だって重なっているんじゃないかな。

講習を受ければ普通免許を取得できるのだが、頑なに軽自動車で十年。ついに修理業者が交換するタイヤがないと泣きを入れてきた。

父はついに重い腰をあげた。ほぼ三十年ぶりの教習所へいやいや出掛けた。苦労の末に普通免許に晴れて書き換え、軽自動車の中古ではなくいっそ思い切って新車を買った。やはりホンダ製でトゥデイという名前の車だった。すごい、これが軽か、と父はいった。昭和四十三年型のライフにしか乗ったことがなければトゥデイは夢の車だろう。日本の自動車工業は父の理解をはるかに超えた速度で進んでいたのである。その驚きぶりはあたかも三十年ぶりに帰国した移民一世を思わせた。

「すごい、これが軽か」ってとこが、すごい。

癇症の妻から逃れるための書斎を夢みる父。

[最終に乗り損ね]

駅長が同情して、貨物列車の乗務員室に便乗しても構わないといってくれた。

乗務員車輛、英語ではカブースである。黄色い室内灯がともり、だるまストーブがあかあかと燃えている。隅に古びた木製の机と椅子が、両側の窓辺に寄せて黒光りするベンチが、それぞれつくりつけてある。

あれはいい、と父はいった。静かで暖かい。石炭のごうごうと燃える音を聞きながら揺れるのも気持がいいものだ。暗いから窓の外は見えない。自分の顔しか映らない。ガラスの向こうに斜めに雨が降る。雪が降るのもいいだろう。書きものをしながら旅行ができるし、誰にも邪魔されない。疲れたらベンチにごろ寝して軍隊毛布をかぶる。眼がさめると、そこは山だったり海だったりする。朝の野原のことだってある。理想的な書斎だなあ、あれは。

鉄道びいきだったわたしには、その意はたちまち通じた。

母の死後、60を過ぎてようやく念願の書斎をつくった父。

北向きではないのに外光量がとぼしい。わざと窓を小さく切り、曇りガラスを入れてある。それは近代文学者の書斎のどれにも似ていなかった。ただ、大きさも雰囲気もなにかを思わせる。足りていないのは石炭ストーブの湿った温気と炭塵の汚れだけで、それはたしかに書物に鎧われた車掌車であった。母を失って、彼は移動する書斎に逃げこむ動機を失ったのだが、昔日の憧憬は精神の基層に生き残っていたのである。それは彼のみならず、生活者たる男たちに共通する憧れであり、憧れの残骸であると俯に落ちるものがあった。わたしも老いればこんな書斎にとじこもるのだろう。移動することにより多く、より長く執着しつづけるかどうかはべつにしても。

母の死に様。

ある病院でたまたま疑いを持たれ即刻脳腫瘍を切除した。のちの経過は良好に見えたが、ある日にわかに活動的になった。

白熱する夏の日盛りを一日中歩きまわって疲れず、またほとんど眠らなかった。声高に壮言と虚言を話しつづけた。瞳孔はひらき加減で、薬物中毒者のように異常に明るく輝いていた。

しかし「噪」の期間は短かった。秋には急激な「うつ」のなかに沈んだ。彼女はすでに一本の鉛の棒のようだった。北向きの曇りガラスの部屋に終日ふせって、しんとしていた。

彼女は「戦中派」のひとりである。発病するまでの三十年、日本社会と足並みをそろえて「向上」しつづけた。多忙な「戦後」だった。初期には貧乏と戦い、やがて家電製品の購入とマネービルに熱中し、家を建てかえた。そして、向上よりも充実が主題の初老期をむかえようというとき甲斐なく病いを得、ついに「うつ」の海底に凍りついたのである。

彼女の場合、死はむしろ救いだった。周囲も、率直にいって安堵するところがあった。葬式もまた雪だった。綿ゴミのような雪の限りなく落ちてくる重たい空に、彼女の煙は吸われていった。

夫婦関係はコワイのである、そしてその二人の微妙な均衡の間から自分が生まれてきたのかとしみじみするころには二人とも死んでたりするわけで、ナムー。

*1:うち

2006-09-28 汽車旅放浪記 このエントリーを含むブックマーク

関川夏央の本としては微妙なデキ。初めて関川夏央を読む「鉄ちゃん」にこの程度と思われると無念ナリ。特に三部構成の第一部にあたる「楽しい汽車旅」がイマイチ。気のせいかと思い旧著『豪雨の前兆』収録「操車場から響く音」を読み返してみたが、やはり気のせいではなかった。同じ鉄道ネタでも「操車場から響く音」の場合は鉄道ネタのもたらすグルーヴがテーマとスムーズにつながり情感を高めているのだが、「楽しい汽車旅」は乗車ルポに文学ネタをちりばめた散漫な印象。鉄道ルポ、ガクッ、とギアが入って、文学ネタ、鉄道、ガクッ、文学、以下リピート、そんな調子であまり情感も盛り上がらず、無念ナリ。鉄分濃度が一番高い第二部「宮脇俊三の時間旅行」やこれまでの路線に近い第三部はそれなりに納得?


汽車旅放浪記

作者: 関川夏央

出版社/メーカー: 新潮社

発売日: 2006/06/29


豪雨の前兆 (文春文庫)

作者: 関川夏央

出版社/メーカー: 文藝春秋

発売日: 2004/02

あとがきの文章にも不調の気配。鉄っちゃんカミングアウトで照れているにしても、後半がかなり緩い。無念ナリ。

ローカル線のRの小さなカーブに車輪が鳴く音を聞きながら、こんなことを考えた。

智に働いた末に無用の人。時代に棹さして流された。通す意地などもとよりない。なのに本人はそう思っていない。無用とも流されたとも思わず、通すべき意地を通しているのだと信じている。

いわゆる「団塊の世代」に対する感想である。そこに自分も含まれるのはいかにも残念ではあるが、是非もない。

 ------(引用者区切る)------

なぜそういうことを思ったか。

ローカル線の車内に、最近とみに多く「団塊」世代の「鉄ちゃん」の姿を見かけるからである。いい年をして、もっとぜいたくをできないか、といいたくなるが、恥ずかしながら私もそのひとりなのである。「鉄ちゃん」と呼ばれても赤面しなくなったのは年のせいか。「いいじゃん、もう先は長くないんだから」と思う。さびしい終着駅と、線路のペンペン草と、赤錆びた車止めが好きなんだ、といいはりたくなる。

清張怨念の原点は、マタアサヒカw。兵隊には朝日と違って学歴差別がなかった。

戦闘も空襲もなかった朝鮮で、家族から解放された彼はむしろ自由だった。おまけに兵隊には学歴差別がなく、平等であった。入営前に働いていた朝日新聞社とは、そこが決定的に違っていた。(略)

朝日新聞社では大学出の「社員」、専門学校出の「準社員」、中学卒の「雇員」と呼称も待遇も画然と分かれていた。準社員、雇員も年月をかけて社員に昇格して行くのだが、雇員の給料日は一日遅れ、祝い事の席にも参加できなかった。そのうえ大阪本社採用のキャリア組は、小倉の九州本社に転勤してきても二、三年で昇格し、小倉駅から「脱出絶望組」に見送られながら意気揚々と大阪に帰って行くのである。

「しかし、現地採用組にはそんな資格も希望もない。一生九州の外に出ることのない立場は、そのまま生涯の運命を象徴している」(『半生の記』)

松本清張の官僚的序列への憎悪は、朝日新聞時代につちかわれたのである。

「いつも空しいものを握らされて地団駄をふんだ」林芙美子。

芙美子には同性の長年の友がいない。みな喧嘩別れしている。または利用価値がなくなったと見なしたときに捨てている。ほとんど例外的に若いときから晩年まで距離を保ったつきあいをつづけ、母キクのことも知っていた作家の平林たい子は、芙美子の死後に書いた評伝中でこういっている。

「このひと(キク)程、男性のよさを深く知ってその海に溺れた女はあるまい。その点では、芙美子さんの方は求めすぎたわけでもないけれども、いつも空しいものを握らされて地団駄をふんだ。そして結局飢えたまま世を去った」

「故人は自分の文学的生命を保つため、他に対して、時にひどいこともしたのでありますが」「死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許してもらいたいと思います」

むしろ明るい、あまり悼む雰囲気のなかった葬儀を、川端康成のこんな挨拶がひきしめた。そのあと、小額の香典を手にした下落合町内のおかみさん連が大挙して焼香に訪れ、会葬者を驚かせた。

内田百里離好乾し閏

汽車も好きだが、官僚好き位階好きである百里蓮∩案届けられた制服制帽姿で、「一日駅長」を喜んでつとめた。このとき駅員一同に行なった訓辞はこんなふうだった。

「命に依り、本職、本日著任*1す。

部下の諸職員は、鉄道精神の本義に徹し、眼中貨物旅客なく、一意その本分を尽くし、以って規律に服するを要す。

規律の為には、千噸の貨物を雨ざらしにし、百人の旅客を轢殺するも差閊*2えない。本駅に於ける貨物とは厄介荷物の集積であり、旅客は一所に落ちついていられない馬鹿の群衆である」

「駅長の指示に背く者は、八十年の功績ありとも、明日馘首する」

署名は「東京駅名誉駅長従五位内田栄造」

(略)

「訓辞」中の一文「背く者は、明日馘首」とは穏やかではない。しかし「即日馘首」ではないと百亮身がいっている。「明日になれば、私は駅長室にいない」

せつなくてチョイw上林暁

ちょうど二十年前の1929年夏、上林暁は28歳であった。妻は21歳であった。外房線と内房線が連絡した直後の八月中旬、ふたりは両国駅から汽車に乗り、北条(館山)へ行った。鏡ケ浦の海水浴場では若い妻だけが泳いだ。

みごとな平泳ぎで沖へ向かい、飛込台から鮮かに飛び込む妻の姿を、白いパナマ帽でステッキを持った上林暁は遠くに見た。いっしょに泳がなかったのは、泳ぎに自信がないからばかりでなく、貧弱な自分の肉体が、妻のそれと較べて大いに見劣りすると恥じたからであった。

その日は白浜の旅館に泊まった。宿の女中に、「随分体格の好い奥さんでいらっしゃいますわねえ。スポーツマンですの」といわれた。翌日の午前中、彼はひとり宿を出て岩と岩の間の浅瀬で泳いでみた。こっそり練習するつもりであった。岩につかまって脚だけ波の間で動かしているとき、妻に見つかった。「あなたは、こんなとこでコソコソ泳ぐくらいなら、どうして、ちゃんとした海水浴場で、わたしと一緒に泳がないの」と妻は夫をせめた。(略)

「海も空も、まっ青で、空には陽が燃えていた。妻はまた、両足を揃え、両手を伸ばして、鰹節のように海に飛び込んだ。誰も、ほかに泳ぐものはいない。妻、一人だった。妻は一人で、それを何度も繰り返した。私はその姿を見ていると、妻の孤独を見ているような気がしてならなかった」

その妻はもういないのである。

*1:ちゃくにん

*2:さしつか

2006-09-25 ダーウィンのミミズ/愚民賛歌 このエントリーを含むブックマーク

「負け組」&「愚民」の皆さん、ダーウィンがミミズから得た思想は。

世界は人間に恩恵をもたらすようにデザインされていると信じるよりも、世界はたまたま人間に恩恵をもたらしているという事実のほうがすごいことではないか

大地を受け継いでゆくのは、貧相な存在である

「高等とか下等とかいう表現はつつしむべし」

荒地を黙々と消化して平坦で肥沃な土地を産み出すミミズ。王蟲ですか、ナウシカですか。


ダーウィンのミミズ、フロイトの悪夢

作者: アダムフィリップス,Adam Phillips,渡辺政隆

出版社/メーカー: みすず書房

発売日: 2006/08/01

神に代わって人間の創造主となった自然は残酷である

神の死が宣せられて以後、人生の無常がわれわれの関心の的である。自然は、自然の創造物に無頓着である。自然は果てしなく豊饒ではあるが、無限にそうだというわけではない。神を信じるように自然を信じることはできまい。正義について語るとなると、今や、手を替え品を替え、適応について語ることになる。人間が暮らす環境を構成しているすべての自然現象とうまくやってゆく方法について語らざるをえないのだ

[自然が人間の味方でないのは]自然は意地悪で罪深いからではなく、自然は誰かの肩を持つなどということはしないからだった。この新しい見方によれば、自然は人間の味方でも敵でもない。なぜなら、自然は(神ないし神々とは違い)そのような類のものではなかったからである。

「正義の戦争」ではない、ただ天衣無縫な過程

実際にダーウィンが語っているのは、「偉大な作品」も「高貴な存在」も存在しない戦争である。どう見ても、正義の戦争でもなければ改良をもたらす戦争でもなく、もっともらしいプロパガンダが存在しうるような戦争でもないのだ。つまり、進歩と経済の拡大を標榜する政治理念にとって、ダーウィンは悪い知らせをもたらしたことになる。スティーヴン・ジェイ・グールドも書いている。「(略)ダーウィンの革命が成就されるのは、人間の傲慢さを支えている台座が破壊され、進化とは方向性が定まっていない生物の変化であるという単純明快な理解が得られるときだろう。」自然は、驚くほど多産ではあるが、破壊と犠牲を踏み台にしながら、どこか特別な目標を目指すでもない天衣無縫な過程である。

倫理的絶望を救ったミミズ

ミミズに言及することであたかも倫理的な絶望からすっかり救われるかのようなのだ。そして、神の存在や進歩という神話や急進的な(装いをまとった)政治思想に頼ることなく、倫理的な問題について、それも特にいかに生きるべきかという倫理的な問題を秘めた自然史について書き進めることができたのだ。それは、本来ならば死と腐敗と下等さと結びつけて考えられがちなミミズという存在を、土壌を肥沃な状態で維持する存在として見ることが、独断に陥ることなく階層制を混ぜ返すダーウィンの思考法の一部として、必要なことだったのだ。大地を受け継いでゆくのは、貧相な存在であると、ダーウィンは言いたげである。(略)

ダーウィン所有の本の余白には、「高等とか下等とかいう表現はつつしむべし」と書き込まれている。

ミミズ流生存闘争による偶然の幸運

ミミズは休みなしに働いていた。しかしそれは、ミミズにしてみれば、単に生き延びて繁殖するために食物を消化しつづけているにすぎなかった。そしてそれが、たまたま偶然、考古学者や種子に恩恵をもたらすということにすぎない。ミミズは、意図的に寛大に振る舞っているわけではない。利他的に振る舞うようデザインされているわけではないのだ。意図的に協調的に振る舞っているわけでもない。ミミズ流の生存闘争のやり方が、自然界の別の部分に副産物をもたらしているにすぎないのだ。それは意図しない行為であり、あくまでも無償の美徳であって、神の配剤ではない。考古学者が感謝しようがしまいが、ミミズは黙々となすべきことを続けるだけである。世界は、人間に恩恵をもたらすようにデザインされているわけではない。それでも、身勝手な流儀を通す中で、たまたま人間の役に立つということもありうる。ミミズがあのように存在し、ああいうように行勤していることは、奇跡ではない。むしろそれは、ダーウィンもほのめかしているように、偶然が人間にもたらした幸運なのだ。

下等なものは、とかく過小評価されていると、ダーウィンは執拗に主張する。

この世には、正しく評価されていないものが存在するというのだ。もしかしてダーウィンは、常に対をなしている人間界の政治的、神学的な階級も、自然の戦争ではもう一つの武器となっていると言いたいのかもしれない。ヴィクトリア朝後期の社会には、「最下層」の人間を過小評価する風潮が根強くあった。ということは、地中で進行していることが明るみに出れば、ショッキングで劇的な印象をもたらすということだった

2006-09-23 ミッチー・ブーム このエントリーを含むブックマーク

イラク王室が転覆した1958年、正田家は「民主化の行きすぎ」による皇室の将来を心配していた。


ミッチー・ブーム (文春新書)

作者: 石田あゆう

出版社/メーカー: 文藝春秋

発売日: 2006/08

マイナスの条件

富美夫人が「ギリギリまでドライに考え抜いたことです」、「皇室を尊敬はするが、神さまとは決して思わない教育を、戦前から私たちはしてきました」、「そして、皇太子という身分、地位は私の方としてはマイナスの条件としか考えられなかった」と語ったという。ついに越えがたい一線を踏み切った様子があった。

佐伯記者は、「皇室のあり方が、いわば定年のない外交官のようなものであってほしい。美智子にそういう平和な、つつましい生活が許されさえするならば……」という夫妻の祈るような言葉を聞いている。

皇太子結婚を期に、4度目の退位論。

戦争責任の問題から天皇の退位を願う声は、立場によって大きく二つの観点に分けられる。ひとつは天皇が敗戦責任を明らかにしていないことに批判的で、制度そのものの存続を問う廃位論、また、天皇が自らの戦争責任を明らかにしないならば国民と皇室との間の精神的紐帯に亀裂が入ることを恐れた「国体保持」の観点からの退位論である。敗戦直後からの天皇制をめぐる議論には、意外なほど天皇への敬愛を感じられるものが多く、そして、天皇の責任追及は戦争によって破壊された旧来のナショナリズムに代わる新しいナショナリズムの原理を模索するものだった。そのため、昭和天皇に「人間として」の責任意識を期待する論調は高かった。『週刊新潮』のタイトルにある「第四の」とは、戦争責任の問題を問われた昭和天皇が退位する機会が、敗戦直後から過去に三度あったことを意味している。一度目は1945年の終戦から翌年の日本国憲法の公布時にかけてであった。象徴天皇制を規定した憲法が、「統治権総攬者」としての天皇の大権を廃止したことを機に高まった。二度目は1948年、東京裁判におけるA級戦犯への判決時である。この年は天皇退位論のピークであった。しかし、GHQが対日占領政策の円滑な遂行を目的に、天皇制の存続と天皇の不訴追を確定し、アメリカの戦略に支えられて天皇の退位論は立ち消えになった。そして三度目が1951年のサンフランシスコ講和条約調印によって日本の国際社会への復帰がかない、そして翌年に皇太子の立太子礼が行われた時であった。

退位する自由がないんですよおおw

国民感情を刺激しない「退位の問題」を論じた例として、終戦翌年の十二月、象徴天皇制への移行に対応する皇室典範案の審議が行われた第九十一帝国議会(貴族院)で政治学者の南原繁(元東京帝国大学総長)が天皇の自発的退位の規定を設けることを主張した「皇室典範案に間する質問演説」を紹介する。当時、退位が実現してこなかった弁護として、立憲君主として遵法意識が強い天皇は、憲法と皇室典範に退位規定がないことを遵守したからだというものがあった。南原はもちろん熱烈な愛国者で、天皇への親愛の情も厚かった。そのため、天皇が自ら退位の決断が行えないのは、違憲であるとして、議会で次の質問を行った。(略)[退位を]欲したときにその道が開かれないのは「享受せられる基本的人権の尊重」を欠くのではないか(略)

宮内庁からのクレームで連載中止となった小説「美智子さま」のエロ描写

結婚後、伊勢神官を皇太子とともに奉告に訪れた美智子妃が、潔斎という禊のために二人の巫女に身体を清められるという場面であったという。鈴木は「……はげしい羞恥と寒さのために、美智子さまの唇は紫色になった……」という衝撃的な描写が問題となったと指摘した。(略)

巫女たちは表情を押し殺した顔で、美智子さまのお召物を脱がせた。美智子さまは、自分では一指も触れることが出来ないのであった。羞恥のため、美智子さまは赤くなり、うなだれ、不覚にも拒もうとされた。

この後、先の鈴木の語ったように、巫女たちによる潔斎に立ちすくむ美智子妃の姿が描かれた。(略)「潔斎」に関する描写以外にも、「初夜」のシーンが問題を引き起こしていたことを報じている。

1969年に発表された庄司薫の芥川賞小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』には、『女性自身』が派手なファッションをした若い女性のアイテムであることを示すくだりがある。(略)

「はい。」とぼくは答え、それから突然彼女が胸に抱えているのが週刊誌の『女性自身』であることに気づいて、なんとなくびっくりした。それにそう思って改めて眺めると、彼女はアイシャドウやなんかでものすごく派手なお化粧をしているのだ。(略)

[今と違って昔の『女性自身』はファッション雑誌的役割を果たしていた]

その『女性自身』が自らのいわば「イチオシ」のファッション・モデルとして採用したのが、正田美智子、つまり、皇太子妃であった。(略)

『女性自身』が菊印の「皇室自身」と呼ばれるようになるきっかけとなったのが、「お妃教育」のために宮内庁に通う美智子さんの外出着をすべて撮ったことであった。

元祖読者モデルは素人モデルミッチー

1960年代『女性自身』は大量のスナッブ写真を撮り貯めては「皇室特集」を組み、『別冊女性自身』として発売した。現在、女子大生を中心に圧倒的人気を誇るファッション雑誌『JJ』の創刊は、1975年である。その前身は現在ではあまり知られていないが、この『別冊女性自身』であった。『JJ』創刊号の表紙にもそのように記載されている。『JJ』は、『女性自身』の姉妹誌だった。その誌名は『女性自身』の頭文字J=女性、J=自身からとられており、1960年代には、『女性自身』が「週刊JJ」と呼ばれることもあった。

逃げるのかと記者から罵声を浴びせられ泣いた事もあったけど

「第三者からごらんになると、私のいまおかれている立場はとても面白いことにちがいないと思うんです。ですが……私にとってみると、家族のことやそのほかいろんなことがあって、なんといっていいかわからないほど、大きい、こわいことなんです」

ベニをつけないくちびるが、すこし乾いていた。「こんなことをいっていいかどうかと思いますが、ひとつだけわかっておいていただきたいの」と美智子さんはつづけた。それまでのやわらかい微笑は消え、黒目の豊かなまなざしはひたむきに動かなかった。

「……もし、私がどんな方とごいっしょになることになっても、それはその方自身が、ほんとうに私の結婚の理想にあてはまる方だからということです。私はこれまで私なりに結婚の理想や、理想の男性像というものをもってきました。その理想を、ほかの条件に目がくれて曲げたのでは決してないってことを……」

2006-09-21 ミック・ジャガーがジミヘンでエアギター

前日の続きは後にして、20分で100質問する人気インタビューをまとめた本からミック・ジャガーのインタビュー。


インタヴューズ

作者: モーリッツ・フォンウースラー,田丸理砂,粂田文,浜口可奈子,青木亮子,宗宮朋子,渡辺幸子

出版社/メーカー: 三修社

発売日: 2006/08/01

でもあんまり面白い企画じゃないんですよ、無礼&低次元な質問を矢継ぎ早にぶつけているだけ。ミックものっけに「こんなカンジのインタビューは嫌だなあ」とバッサリ。プレスリーetc先人のつくった形式にのっかってるわけですが、もう歳ですが、ビートルズについて、とか低次元なものばかり、当人だけが気の利いた鋭い質問だと思っている。そんな中、ミックにさして興味のない者でも感心するくらいにミックが答えていたので(だって計算上12秒でそれなりの回答してるわけだから)引用。まあロック予定調和だといえばそうだけど。

15:あなたが昔ステージで着ていた、いちばん醜悪な衣装を思い浮かべてみましょう。

1978年のアメリカ・ツアーのときの、ピンクと赤とオレンジと紫のプラスティック・ズボンだろう?ディスコ・ズボンだ。ひどい代物だったよ。

34:エルヴィスがまだ生きているとしたらどう感謝しますか?

エルヴィスに関しては、俺はとてもアンビバレントな感情を抱いている。彼にはとてつもない才能があった、そして弱虫だった。彼が気の毒だよ。

39:セックス・ピストルズの遺産はどう評価しますか?

かなり複雑な質問だな。彼らは芸術プロジェクト、マーケティングプランのひとつだったんだ。次。

43:ザ・ヴァーヴのリチャード・アシュクロフトには何を伝えますか?

そいつのことは知らない。つまり個人的には。

44:ビル・クリントンには?

あんたは何でホテルに行かなかったんだい?

55:誰にも見られなかった最近のロックンロールな行動は?

最近、エア・ギターを弾いたよ。風呂の中でね。(略)

俺の借家人はならず者なんだが、かなりうるさいんだ。朝によくジミ・ヘンドリクスをかけている。

59:ステージで言ってしまったもっとも間抜けなことは?

「ハロー、ミラノ」。そのときチューリヒにいたんだ。

62:あなたが知っているもっともきついドラッグは?

フリー・ベイジングはきつい。本当にきつい。ウヘー。

82:自分のことを最後にバカだと思ったのはいつですか?

このインタヴューのあいだじゅう。

100:ミスター・ジャガー、最後の質問です。とにかく文字通りに受け取ってください。すべてはロックンロールにすぎないのでしょうか?

すべてが、すべてがだ。ちょっとばかげたことを言おうか。いいか。俺はそれが好きなんだよ。

「転換期の憲法?」その2/樋口陽一 「転換期の憲法?」その2/樋口陽一を含むブックマーク

前日のつづき。


転換期の憲法

作者: 樋口陽一

出版社/メーカー: 敬文堂

発売日: 1997/01

憲法ではなく基本法であり、東西統一まではという暫定性が逆に確定性に

永続性と暫定性、という見地から憲法を見るとき、日本の場合と対照的なのは、ドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz)である。文言からするなら、名称からして憲法(Verfassung)という言葉をさけたこの基本法は、その暫定性をはっきりと表明してきた。146条(旧・東ドイッの編入に伴っておこなわれた1990年改正を経る前のもの)は、「この基本法は、ドイツ国民の自由な決定によって定められる憲法が施行される日に、その効力を失う」と定めていたからである。(略)

そうした文言上の暫定性の強調とはうらはらなのが、実際上の状況であった。1990年の146条改正の意義を論じたクリスチァン・シュタルクは、その論稿をこう書き出している。

「西ドイツという部分国家の暫定憲法だった基本法は、永いこと、確定的な憲法と目され、本物であることを実証し、法についての共通の考え方の根拠、統合要因となり、それどころか、他の諸国の多くの新憲法の手本としてすら役立ってきた」。

もとより、(旧・西)ドイツで憲法正文の改正がひんぱんだったこと(94年の改正で通算42回)はよく知られており、日本では、まだ一度も改正されていない。しかし、憲法の基本原理の社会での受容からすれば、逆に、ドイツでの確定性と日本での非確定・暫定性という対照が成り立つ。憲法の基本価値の擁護という点での(旧・西)ドイツのありようの徹底さは、「たたかう民主制」「憲法忠誠」という標語とその問題性とともに、日本でよく知られている。

こっちは国が暫定なんだよおお

ドイツ(旧・西ドイツ)での憲法の暫定性という建前は、東西に分裂した国家そのものの暫定性という現実のうえに成り立っていた。統一のあと、国家そのものの永続性という現実が加わって(略)、憲法の事実上の永続性は、よりはっきりしてきた。ここで注意してよいのは、(旧・西)ドイツ連邦基本法の暫定性を強調する見解は、その名称(略)、制定手続の形式(略)、占領下での制定、といった点にこだわっているのではない、という点である。統一前は統一への志向、統一後は統一の方式の選択という実質にかかわっていたのである。

日本:憲法は暫定、国家は自明

日本では憲法を事実上暫定的なものと見る見方が根強くひきつがれてきたのに、国家そのものについては、暫定的どころか、それをおよそ自明のものとして前提する見地が有力である。さらにすすんで、国家というそれ自体は人為的な構成物であるはずのものを、民族という実態と等置する見方も、しばしば強く自己主張されている。

  • チョイw

「手で電車は止めることができるんだ」

JR東海社員、酒に酔って電車止める

(略)JR京浜東北線の大宮発大船行き電車内で、緊急時に手動でドアを開ける非常ドアコックを回して緊急停止させた疑い。

佐藤容疑者は酒を飲んで帰宅する途中で、車内でほかの乗客と口論になり「手で電車は止めることができるんだ」と大声で言った後、電車を緊急停止させた。調べに対し「なぜ止めたのか分からない」と供述しているという。

「電車は会議室を走ってるんじゃない、現場を走ってるんだ」そんな勢いで。

2006-09-20 転換期の憲法?

樋口陽一アゲイン。「憲法近代知の復権へ」(id:kingfish:20060906)とダブってるところは端折ってます。それにしても、この手の本で「?」って・・。


転換期の憲法

作者: 樋口陽一

出版社/メーカー: 敬文堂

発売日: 1997/01

「国家からの自由」を本気で貫徹するとき、

「個人の尊厳」を支えてきた実質価値は、本当に、「国家」のうしろ支えなしに維持できるのか。(略)

国家からの自由=その反面としていわば「解放される不自由」と、国家干渉=その反面として「国家による自由の強制」という、二つの方向の交錯というかたちをとってあらわれる。そのうえまた、より根本的な次元では、価値中立的な国家が、立憲主義という、それ自体ひとつの倫理を担う諸個人をどのようにしてあてにすることができるか、という最終的な問が出てくる。

特殊なるがゆえの普遍

自明のことのようだが忘れてならないことが、一つある。狭義の“人権”、人一般としての個人、身分制共同体から解放されたと同時に放り出された、doppelfreiな個人を享有主体とする人権、という観念が、特殊フランス的であること、まさにそうであることによって“近代”を集約的に表現するものとなっているということ、である。ついでにいえば、集権的国民国家が中間団体を解体して個人をつかみ出したところにこそ、“主権”の本来的意味があったのであり、その意味で、主権もまた特殊フランス的であることによって、“近代”の表象なのである。だからこそまた、「人権の迷妄」を難じ「主権無用」を説く議論が、フランス革命批判としてくりかえされてきた。法律学はそうした歴史性を捨象して、近代憲法の基本原理としての主権と人権についての没概念的な説明をしてきた。この際、人権にせよ主権にせよ、そのフランス起源性を徹底的にいったんあぶり出したうえで、“特殊なるがゆえの普遍”という文脈をつかみ出すことが、必要なのである。

自己決定という線は譲れない

[「強い個人」の意思は、生命まで否定できるのか]そうしたなかで、人権(略)の母国であるフランスでも、デカルト以来の徹底した自己決定という原理への執着に対し、近年懐疑が提示されることが多い。(略)

“近代”の“人権”にふみとどまろうとするかぎり、諸個人の意思によって自然を構成しようとするデカルト以来の主知主義を、放棄することはできない。急進派エコロジー運動の論理は、動物や植物の「権利」を語り、自然界で人間だけが人権を享有するという設定そのものに抗議するが、人間だけが持つはずの、諸個人の理性を前提とする自己決定の原理を承認するかどうかは、決定的な分岐となるといわなければならない。諸個人の自己決定という原理を放棄することなしに、しかし、個人の尊厳という価値の不可変更性をどのようにして擁護するか、われわれは、“人権”を語ろうとするかぎり、“近代”のこのアポリアを回避して、安易な「ポストモダン」に逃げこむことはできない。

「自由のために中間権力をどうすべきか」モンテスキューの見解

モンテスキューから見て、同時代、18世紀のイギリスというのは、自由を助長するために中間的権力、ここでいう中間団体の問題ですが、それを壊そうとした。つまり、いろんな社会的な特権的な身分制というものを壊そうとした。それは自由を助長するためなのだという位置づけがまずあるわけです。ところがモンテスキューから申しますと、ポジティヴな意味での君主制というのは、中間的諸権力というものを伴っていなくてはいけない。つまり、貴族とか特権層というものがあって初めて、王様がしたい放題の乱暴なことをしないモデレートな政体になりうるのであり、中間的諸権力がなくなってしまうと、君主制は専制政治に堕落する。(略)

「イギリス人たちは自由を助長するために、中間的権力のすべてを取り除いた」。モンテスキューによれば、これは同時に、自由の砦を取り払って奴隷的状態になる危険をも意味する、そういう非常に危なっかしいことでもあるはずなのです。

「結社の自由」より「結社からの自由」

いま挙げた二つの方向のうち、モンテスキュー流に言えば、中間的権力を、本当に全部なくしてしまおうという方向は、ロックから、とりわけルソーヘ、そして実定憲法のあり方としては、ルソー=ジャコバン型のほうに転回していくわけでありますし、そのことによって危うくなる自由を、混合体制、ミックスト・ガバメントによってカバーしようとする方向は、ポジティブな意味での君主制の共和制版にほかならないアメリカの、ここで言うアメリカ=トックヴィル型のものへとつながっていくという、こういう図式がおおよそ描けるのではないか。こういうふうに考えてみますと、中間団体=結社の自由の問題が近代憲法にとって、どれだけ枢要の地位を占めるか、ということがわかるはずであります。

(略)

フランス革命が徹底的な反結社主義、それこそ「アンチ中間団体」の路線をとったということは、よく知られていることでありますから、ここではこれ以上詳しく申しませんが、ここでのいい方に即して言えば、「結社の自由」ではなくて、まさに「結社からの個人の解放」ということこそが、市民革命憲法の課題だったのです。

国家からの自由vs国家による自由

19世紀の実定公法が、国家からの自由としての結社の自由を、もちろん認めるようになるわけですが、その前の段階で、国民が市民革命によって手にした権力で、結社を壊していく。そのときの結社というのは、身分制的なものですから、身分制社会を壊していく。そういう結社からの自由、それをまさに国家権力、国家法によって確保する、という段階が必要だったということです。そういうふうな国家からの自由と、国家による自由というものの対照図式は、人権論のさまざまな領域で、重要な問題を考える素材を提供いたします。

例えば独禁法

独占をも放任する自由。国家からの自由を徹底していきますと、現実社会では、強い者が弱い者を呑み込みますから、独占形成が自由に放任されることになる。これは、確かに経済的自由の一つの自由であります。それに対して、独占を国家法によってコントロールすることによって、それこそ独禁法第一条の文言でいえば「公正且つ自由な競争を促進する」という場合の自由が、国家による自由です。

人権概念を広げるか限定するか

[シヴィルライツ(古典的自由権)がきてポリティカルライツ(参政権)さらにソーシャルライツ(社会権的なもの)]これらの発展の系譜を人権概念で包括的に理解するのが、広げるほうの考え方です。(略)

それに対して、質的限定というのは、市民革命期に、たとえば1789年宣言が、まさに人一般の権利としてひとつのものを打ち出したことの意味を、今日でも重視しようとします。そこでの人権の中には、結社の自由は入ってなく、むしろ結社からの自由が問題であったような、限定された、しかしそれだけに、大きなインパクトを持つ人権概念というものをあまり膨らませないで、それを切り札として使おう、という見地です。日本でも、選挙権は人権かという論争がありますし、また労働基本権というのは一体人権なのかが問題となるでしょう。労働基本権が人権でないというと、労働運動を理解しない保守反動の思想かといわれそうですが、そういう意味ではなくて、労働者の権利というのは、まさに人一般の権利ではない、というところに出てきたのに、それを、ただ人権、人一般、というふうに薄めてしまっていいのか、という問題です。

パルチザン戦争の出現

カール・シュミットは、63年の『パルチザンの理論』で、民族解放戦争・パルチザン戦争を、かつての非差別戦争観のもとでの限定的戦争にとってかわる、「正戦」観念のもとでの殲滅戦として、意味づけました。シュミットのこの図式を借用していえば、国連憲章が文字どおり「正戦」観念のもとで適用されはじめることになると、国連そのものが一方の戦争主体となり、それに抵抗する側との仮借ない「パルチザン戦争」が出現するでしょう。

残り僅かなのだが疲れたので、明日につづく。

タマにはトラバ(自走式プレーヤー編) タマにはトラバ(自走式プレーヤー編)を含むブックマーク

コメント欄に書き込んでみたいけど、この空気じゃ無理無理、そもそもその話題自体ネガティブに語られているわけで無理無理、というわけでトラバ送信。

「VINYL KILLER」という名の自走式プレーヤー。

ここがオンラインショップ

動いてるところを見たい人は

ttp://soan.jp/archives/SANY0045.MP4

ふと思ったのが、おされ雑誌読者がおされインテリアでプレーヤーもないのにレコード購入、音楽なんてどうでもいいおされさんがちょっと中身を聴いてみるために購入したりしてたらヤダなあ。

2006-09-19 アメリカが土下座する「25時」

f:id:kingfish:20060518001041j:image

明日収監されるヤクの売人が「ムショに行ったら男前で華奢な白人のオレは絶対カマ掘られるどうしよー」とブルーになってる話。人をヤク中にした金での豪勢な暮らし、それでいいとは思ってなかったけど、後悔先に立たず。オレをサツに売ったのは誰だと悶々。


25時 スペシャル・エディション [DVD]

ドラマ-エドワード・ノートン, フィリップ・シーモア・ホフマン, バリー・ペッパー, スパイク・リー

出版社/メーカー: 角川エンタテインメント

発売日: 2004/09/10

あからさまに9・11跡地も出てはくるのだが、あくまで売人の話ですよと逃げられるように描いている。なぜか。

「金とか武力が意味をなさないテロという段階に直面して、へなちょこ白人はカマ掘られるしかないわけで、もうここはペンタゴンでもなんでも自爆させて正直すまなんだああと土下座してテロだけは勘弁してもらうしかないだろ」と言ってる映画なので、そりゃあくまで「ブルーになってる売人」の映画として流通させないと困るのである。

ブサ男だったら目つけられないからと友人に顔をボコボコにしてもらう(殴る友人は慟哭)シーンで圧力を高めて、父親の車で刑務所に向かう途中「アメリカの再生と夢」を描いていく。このまま刑務所に行かず、逃げろと父は語ります。西へ行け、無人の砂漠の中で己を知れ、かつてのアメリカの男たちのように地道に働き、ほとぼりがさめたら恋人を呼び寄せ家族をつくれ、とかなりベタな夢が語られます。テロに直面して、今更引き返せないし、この先どうしたらいいかもわからない、坐りしょんべん状態に対する、夢の回答。じゃあ、昔のアメリカはそんなに素敵だったのか?アメリカが貧乏になればいいのか?とか色々つっこめばつっこめるのだけれど、割とそこは映画として普通に感動できる映像になっている(さすがに主人公カップルがフケメイクで大家族シーンはあれだったけど)。

自国民が殺されて復讐しないのかという空気の中で異を唱えるには、「ブッシュこそアメリカの敵とつながっているのだ」というマイケル・ムーア式小股掬いがわりと無難な方法なのだが、この映画は思いっきり正面突破、しかも映画としてよくできてる。洋画が耐えられなくて、昔の日本映画・時代劇ばかり観ている人間がちゃんと観れたよ。凄いね、監督だれだよと思ったら、えーっ、スパイク・リー。どうしちゃったんだ、リー。いきがってばかりのチンピラだと思っていたのですけど、正直すまなんだああ。

タマには人志も掘られたい タマには人志も掘られたいを含むブックマーク

これも松本人志似のヤクザ兄貴が惚れた女を罠にはめて娼婦にして観察して云々という話のようでそうじゃない。いやこれはかなり独断か?。


悪い男 [DVD]

チョ・ジェヒョン, ソ・ウォン, キム・ギドク

出版社/メーカー: エスピーオー

発売日: 2004/08/06

人志アニキ街で女を見かけボクもあんなコになりたいなあと思います。で、騙して娼婦に落としてマジックミラーで観察です。犯される娘を見て、それを自分に置き換えて興奮、我に返って、娘の客の後をつけ、ワシのカマ掘って調子にのんなよとボコります。そんなアニキを弟分が「アニキ気付いてよ、ホモだって自覚してよ、オレが掘ってあげるから」と陰から見つめています。で、ドラマ上はヤクザ抗争でムショに行ったアニキを追って、ホントの犯人はオレだからと弟分もムショに。ホモだと自覚するくらいなら死んだ方がマシというアニキに「認めちゃいなよ」と弟分がパンチして、アニキはシャバに。その間に女の方は幻影が残した愛のフレームを受け入れて(説明不足でスマソ)、二人はトラックで旅に。女が客をとってる間、アニキは外で煙草をふかしてます。

俺はオマエになりたいだけなのだけど、オマエみたいなオンナノコになりたいだけなのだけど、それは兄貴である俺としては認めがたい事実なので、代わりにオマエに男に抱かれてもらうけれど、それでいいかい、という「悪い男」の話。女性からするともうメンドクサイことしないでひとりでカマ掘られててよというところでしょうか。

2006-09-16 中国10億人の日本映画熱愛史 このエントリーを含むブックマーク

中国ではマッチョ云々とか、紅衛兵世代の気持云々と、ひとくくりに言えるものなのかは疑問だけど、まあとりあえず。


中国10億人の日本映画熱愛史 ― 高倉健、山口百恵からキムタク、アニメまで (集英社新書)

作者: 劉文兵

出版社/メーカー: 集英社

発売日: 2006/08/12

紅衛兵世代『砂の器』に号泣

文革直後に公開された『砂の器』が大ヒットしたことの背景には、この映画が、紅衛兵世代の観客にたいして、センチメンタルな感動以上のより複雑な感情を喚起したということがあったのではないかと推測することもできるかもしれない。すなわち、文革期の〈父親殺し〉の記憶と、「下放」による苦しみを引きずりつつ、新たな父親像を模索していた精神的な「孤児」としての彼らは、とりわけ主人公の和賀英良が『宿命』を演奏しながら、貧しい親子が放浪の旅のなかで受けたさまざまな差別や迫害を振り返るクライマックスの場面にたいして、みずからの「宿命」を想起しつつ共感したのではないだろうか。

「去勢された男らしさ」が支那スタイル

伝統的に中国映画では、女性優位の構図が見られる。(略)

[二枚目男の]外見を形容して「唇は口紅をつけたかのごとく赤く、頬は白粉をつけたかのごとく白い」という常套句があるほどであり、恋が進展しないときに、ハンカチで目頭を押さえたり、胸元で両手を組んで「嗚呼、神様。なぜ私たちをこんなに不幸にさせてしまったのですか?」と独白したり、あるいはベッドに潜り込み咳き込んで、ときにはハンカチを赤く染めるほど悲観的に苦悩してみせる。このような二枚目の役柄は、明らかに去勢された存在となっている。宦官は、封建時代の陋習として清朝の終焉とともに廃止されたにもかかわらず、表象の次元においては、去勢された男らしさがステレオタイプとして残存していたのである。

そのために、中国映画においては、カンフー使いといった、もともと男性が演ずるべき立ち役を女性が演じるというように、女性が常に男性の代替として機能している。その理由としては、まず第一に、中国において伝統的に、マッチョな男らしさを、低次元のものと見なす傾向が強かったことが挙げられる。中国において、文化の担い手となるのが文人であり、文人=権力者、肉体派=下層階級という図式が根深く存在していた。そのため、文人的要素を欠落させたマッチョな男性像は、刹那的で衝動的な言行と結びつきやすいネガティブなものとして捉えられてきたのである。

饒舌な、おりこうちゃんに対する反発

70年代後半の中国における高倉健の人気は、マッチョな身体性のみならず、その寡黙なイメージによるところも大きかった。(略)

では、寡黙であることがなぜ中国の観客に好まれたのか。その理由もまた文革直後の状況と関係している。文革中につくられた映画において

[主人公リーダーはやたら饒舌、その雄弁さに群衆は革命運動に加わる](略)

文革後に輸入された高倉健のイメージは、このような文革期の中国映画のイデオロギー偏重の傾向にたいする一種の反動となったため、中国の観客に熱狂的に受け入れられたのである。

『赤い疑惑』は恋愛メロドラマではなく、宇津井健を軸とするホームドラマとして受容

このように、文革期において、政治共同体に完全に従属するものとして否定されてしまった「家族」であるが、1980年代初頭になると一転して、政府によってその重要性が強調されるようになった。それは、経済発展の前提となる社会的な安定を維持するうえで、「社会的細胞(社会をなす細胞)」である家族が果たす役割がきわめて大きいと見なされたからであり、さらに、このころ経済活性化のための重要な手段として政府によって推奨された農家の単独経営および家族労働による自営業も、いずれも家族という単位を基盤としているからである。そのため、1981年に政府主導のもとで、「精神文明」や「五講四美」といった公衆道徳向上キャンペーンがおこなわれ、経済発展のなかでも家族愛のような伝統的な美徳を失わないよう国民に呼びかけたのである。おそらく、1984年に『赤い疑惑』が、宇津井健を軸とするホームドラマとして受け止められたのも、そのような社会的風潮の変化が背景にあったのではないだろうか。

『サンダカン八番娼館』

における労働者階級の苦難というテーマもまた、日本のイメージを好転させることに大きく貢献したといえる。すなわち、『サンダカン八番娼館』を通じて、それまでほとんど知らされなかった軍国主義政策の被害者としての日本の庶民の姿を、ショッキングな映像として目の当たりにすることによって、文革後の中国の観客のなかで、かつての支配国家であった日本にたいする親近感が芽生えたのである。

当時タブーだったヌードがあったため『サンダカン八番娼館』はエロ要素でも集客。ではなぜ一部のヌードが検閲を免れたか。

オリジナル作品における女性解放というフェミニズム的なテーマが、中国側の受容のプロセスのなかで、むしろ資本主義社会における階級抑圧というテーマヘと置き直されたのである。また、『サンダカン八番娼館』における反戦というモティーフも、中国において大きく取り上げられた。

外国映画における資本主義批判のテーマとエロスや暴力の表現とは、そもそも表裏一体となってつくられていたため、それを剥離・抽出するのも困難であり、ある程度許容されたのである。

高倉健、山口百恵が別格で、栗原小巻もかなり人気。加藤剛はハンサムの代名詞。

パチモン健さん続出、そして芳雄も。

『君よ憤怒の河を渉れ』を観たあと、みんな競って矢村警部(原田芳雄)の格好を模倣してトレンチコートやサングラスを購入し、髪の毛を長く伸すようにしました。

2006-09-14 イギリス革命のセクト運動

返却期限に追われて飛ばし読み。メモ気分で。


イギリス革命のセクト運動

作者: 大西晴樹

出版社/メーカー: 御茶の水書房

発売日: 2000/07

傲慢選民化した二重予定説

このように二重予定説は、実際には、神の超越論的決定という名のもとに少数の「神聖な者」の選びを正当化する役割をはたしたのである。そこには、宗教改革者が信仰義認説のもとにあれほどまでに強調した人間の行為に対する懐疑はなく、信仰の結果としての「神聖さ」のみが救いの判断の基準とされ、それが神の二重の予定を弁証していくのである。このような当時の二重予定説こそが、救いを確信した人間における「僭越」と、有効な聖霊の働きを確信することのできない人間における「絶望」とをもたらした、とジェネラル・バプテスト派は告発する。「人間は神が彼らを選んだことを一度確信するや、そのとき人間は、畏れとおののきとをもって、その救済を苦心して成就することを必要としなくなる。なぜなら、神が救われることを命じられたので、人間は救われなければならないのであり、神を畏れる必要はなくなるのである」。(略)

ジェネラル・バプテスト派の万人救済説には、正統派の二重予定説が孕んでいた二つの問題点、すなわち、「救いの確かさ」ゆえにおこる信仰者の傲慢な反律法主義的態度と、回心の時点でこれといった神聖さを持ちえない多くの大衆を切り捨ててきたことに対する批判が込められていたといえよう。

万人救済説と人権

こうしてジェネラル・バプテスト派は、カルヴァン自身の「選ばれた者に関するかぎり、価なしに憐れみに基礎づけられており、人を分け隔てすることがない」という信仰義認の原点に立ち帰り、救いの確かさの証明として行為の結果を絶えず問題とする正統的カルヴァン主義の排他性を回避せんとしたのである。(略)

救済における「恩恵普遍主義」と、それに伴う「被造物神化の拒否」はおのずから平等主義の方向へとむかうのである。(略)

ジェネラル・バプテスト派の万人救済説におけるこうした平等観念こそ、このセクトの主要なメンバーをして革命期に人権を法制化せんとする政治運動としてのレヴェラー運動に積極的に参加せしめた要因であり、それはまた人権観念の「原型」を用意したのである。

国教会聖職者による説教の独占を批判したパティキュラー・バプティスト派パンフレット。

「長い間、説教の売却は死すべき状態にあり、低調であって久しい。あまりにも低調なので、彼らはうめき、泣くであろう。だれもそんな言葉を買いはしない。……商工業者は良質なものを売らなければならない。さもなければ、彼は不正直だとみなされる。そして買い手はそれを試し、その良さを見抜くことに関してかなりの自由をもつ。彼が気に入れば買い、そうでなかったら置いていく。しかし、これらの商人〔国教会聖職者〕は彼らが買い手にもたらしたものが、善かれ悪しかれ、彼らに受け取るように強制する法令をわがものにしてきた。おお、なんと悪しきことであろうか。われわれが気にいろうが、気に入るまいがどうしてそれを受け取らなければならないのか。あなたがたロンドン商人は、できることならそのような法令をわがものにしようと自らを駆りたててきた。それはあなたがたを金持ちにするにちがいない。法律によって鼻持ちならぬ商品を売る方法とはなんなのか。だれもあえてそれを問い糾そうとしないのか。議会戦争〔イギリス革命〕のひとつの目的は、それから臣民を解放することではなかったのではなかろうか」

ロックに先駆け「財産権」

こうしてピューリタニズムはたしかに「勤勉な中産階級」が富裕になる手助けをした。だが、よき報いにかなわなかった者の努力には好ましからざる顔をむけたのも事実である。いわんや、たえず自己規律を維持することのできない者や、そうしようとしない者にはなおさらであった。そのような者には、滅びの恐怖を与えて絶望や自殺に追いやるか、長老派が考えたように苛酷な規律を強制するかのいずれかでしかなかった。その結果、ピューリタンは財産を神聖視し、貧困を罪悪視するようになったのである。エイムズはいう。「合法的に得られた富は、それ自体よくなくとも神の賜物だ。神の特別な御意志が要求しないかぎり、それを手放してはならない。福音書でいう貧困は精神的なものであり、富を多くもつことと矛盾しない。それに対して日常的な貧困は罰であり、災いであるとみなされよう。神は繁栄を是認しておられる。節約と倹約とは美徳なのだ」。

このような考えは、ロックよりも一足先に「財産権」の重要性を説くことに繋がった。だが、ピューリタンは財産を神聖視し、貧困を罪悪視するあまり、1647年から1650年にかけての経済不況のおりに飢え苦しんでいる貧民にむかって、「自分の意志に反して他人の財産を盗むよりは、餓死すべきである」とさえいうのである。

「怠惰」であることを通じて、自分自身を享受

エリザベス期のある観察者は森林地帯の小屋住についてこう述べている。「小屋住は家畜のおかけで怠惰に生活できるかぎり、すすんで働こうとはしない。森林という共同地は、小屋住というなまけ者や乞食を扶養している」。いわゆる「自発的失業」と呼ばれるこのような生活態度は、小屋住のみならず、日雇などの当時の賃金労働者にもみられるものであった。たとえば、独立自営の小親方の場合には、彼らの労働とその所産である富とは直接結びついていた。ところが、賃金労働者にとっては、彼らの労働の少なくとも一部分は、他人によって食い潰される。そのため、彼らは賃金を得るかぎり、自分たちの生産物やその数量に関してはなんらの関心も払わない。ただ「怠惰」であることを通じて、自分自身を享受できたのである。こうして、穀物価格が高騰したときにだけ働き、パンが安く入手できるときには賃金が余程高くないかぎり働こうとしない彼らは、労働市場における需要と供給の法則に対する断固とした拒否者であり、ペティ以後の経済学者たちをさぞかし「激怒」させる存在であったといえよう。

内田樹とおぎやはぎは無関係 内田樹とおぎやはぎは無関係を含むブックマーク

大変だよ、やはぎ、お前、毒蝮さんになっちゃってるよ。

うそお、ホントだあ。

「おい、ばばあ、これでなんか作ってくれ」と矢作さんは厨房に声をかける。

これはまずいよね、事務所経由で抗議しといたほうがいいね。

大変だよ、やはぎ、いきなり全部削除しちゃってるよ。

うそお、あそこだけ棒線削除でいいんじゃないのお、事実誤認でしたって説明つけて。マスゴミがこんなことしたら、「こういうものは当人は大して気にしてなくて単に訂正を求めているだけなのに編集者が変にエキサイトして大問題にしてしまう」だの「クレーム過剰反応ウンヌン」といつものように薀蓄披露疲労するだろうに、いきなりさっくり削除だもんなあ、事なかれマスゴミと大差ないじゃん。

もう、ホントやはぎは冴えてるなあ。

いや、お前こそ。

いやいや、お前こそ。やはぎが毒蝮トークするはずないじゃん。くるくるドカン、検索ワード、『姉ちゃん、次にいい男をみつけたら・・・』が急上昇だよ、やはぎ、やばいよ。キャッシュキャッシュ。

「おい、ばばあ、これでなんか作ってくれ」と毒蝮さんは厨房に声をかける。

おぎやはぎをよく知らないのでいい加減な会話でスマンソン。

2006-09-13 大塚久雄/人と学問 このエントリーを含むブックマーク

えー、いきなりですが、面白くはないです。役に立つ情報なし。じゃあなんで取り上げたのかというと、あまりにヘンな本だから。


大塚久雄 人と学問―付 大塚久雄「資本論講義」

作者: 石崎津義男

出版社/メーカー: みすず書房

発売日: 2006/07

『大塚久雄著作集』の担当編集者だった著者

その編集の過程で、大塚氏は自分の幼児からの話をいろいろと筆者に語った。そのさい筆者はもっぱら聴き役で、こちらから話を抽き出そうとはしなかった。そのため、大塚氏は気遣いなく、多岐にわたって立ち入ったことまで話した。

その厖大なメモをまとめたのがこの本なのだが、岩波書店専務取締役とは思えない、ヘンな文章なのだ。例えば幼児期の描写で

その日もいつものように、子守は久雄をおぶって散歩に出かけた。しばらく行くうちに、子守はうっかりしたはずみで久雄を道端の溝に落としてしまった。久雄は火がついたように泣きだした。幸いなことに溝は土で固めたもので水量も少なかった。

子守はびっくりして久雄を抱き上げ、衣服の泥を払い、外傷を確かめたが、疵は見当らなかった。泣きじゃくる久雄をなだめ、やっと治まったところで、子守は何事もなかったようすで家に帰った。

子守は気がつかなかったが、この光景を久雄の姉が見ていた。姉は母親にこのことを告げた。それを聞いた母親は久雄の身体を丹念に調べ、外傷がどこにもないことを確認すると、子守には何もいわなかった。

このエピソードはここで終わって「成長した久雄は大変活発な子でいたずら好きであった。」と全く無関係な話が続いていく。「えっ、オチは?」と言いたくなるのが普通だと思うのだが。このモヤモヤ感を抱えつつ読み進むと5ページ後、中学二年の久雄がレントゲンを取ったら骨が折れてずれたままくっついていた。

しかし久雄には骨折の記憶はない。そこで母親にそのことを話してみると、それは久雄が赤ん坊のとき子守が溝に落とした、あの時のことに違いないということになった。あの時、久雄に外傷はなかった。それで安心したのがいけなかったのだ。しかし、いまさらどうしようもないのであった。

なんでしょう、この棒立ちな文章は。カルチャーセンター通いの主婦でももう少しどうにかするのじゃないだろうか。著者は実直に時系列に沿ってメモを整理しているのだろうけど、中二で骨折に気付いた所に冒頭の文章を挿入すればモヤモヤしなくて済むのに。いや、天下の岩波編集者がヘボ文章書いてけしからんといいたいのではなくて、平然とシュールな文章になってるところが不思議でならんのです、とオレの文章もかなり酷いけど。斜体部分あたりがさらにシュール感を高めます。

最初に助手についた河合栄治郎教授について

ただ河合に接しているほどに、彼の学問研究の姿勢にはもう一つ鋭さに欠ける面があると思えるのだった。大塚は申訳ないと思いながら河合教授から離れていった。

勝手に「戦時経済協力会」の発起人にされたため参加を拒否したら東大出入り禁止「お前は万年私大助教授」と言われてお先真っ暗、ところが<平賀粛学>諸々で教授陣がガタガタになり東大講師に復帰ときて

東大への復帰はそればかりではなかった。法政大学の事務職員までが、大塚に対する態度を急変したのだった。しかし大塚は法政大学を去ることにした。四年間過ごした法政大学は、大塚にとって決して思い出のよいところではなかった。ただその理由については誰にも語らなかった。

これまたシュール。「しかし」もヘン。文章自体も変にするつもりはないのにかなり変。フツウの文体で変な文章を書きたい人は参考になるのではないでしょうか。

バスから落ちて膝を痛め入院。快方に向かったところで

そんな時、外科の若い助教授がやってきて、足の検査をさせてくれというのだった。大塚は断わった。ところがその医師は、ただちょっと検査するだけだからといって、強引に左脚に注射針を刺して体液を採って出ていった。大塚のほかにも数人の患者が同じことをされた。

そしたら針を刺したところが化膿、古傷の胸部疾患も悪化

しかもこの医師は経済学部のある教授に対して「大塚という男はけしからん。自分が検査をするといったら、それを拒否した。不届き至極だ」と広言さえしたのだった。

主任医師であった柿沼昊作教授は大塚に謝りにやって来た。しかしそれだけだった。

で、結局左足切断。一大事というのに情報不足でシュール。針を刺された他の患者はどうなったのか、その若い助教授とはどうなったのかとかとか。

最後にドラマチックなようで、ようでない話。

大塚の片足切断を知った中野正剛が自分も義足だから義足屋を紹介しようと言ってきた。中野なんぞと関わりたくないと放置していたら、ある日、東方会の旗を立てた車が

中野は突然の来訪をまず詫びた。それから部屋の中を歩いて見せて「義足でもこんなに歩けるのだ」といった。

彼はゆっくりと腰かけると、今度は、絶対に迷惑をかけないからと断わって「ヒトラーをどう思いますか?」と尋ねてきた。

大塚はハハア、これを訊きに来たのだなと思って黙っていた。

すると中野は「ヒトラーがバルカン半島に進撃した時には民衆は旗を振って迎えた。ところがウクライナに行った時には、まったく冷たくしか迎えられなかった。わたしは、これはどこか間違っているのではないかと思う。もしおわかりだったら、それを教えていただけないだろうか」といった。

そしてさらに「日本もイムパール作戦で惨敗した。早くこの戦争をやめないと、日本は潰れてしまうのではないだろうか」といった。

大塚はびっくりした。相手が中野正剛だけに、肯定も否定もしなかった。

そうすると、これからすぐ義足屋へ行こうといいだして、彼の車で義足屋へ行くことになった。大塚はここで左脚の義足を造ることにした。その後、中野とはこの義足屋で二、三回遇った。

十月初め、中野から大塚に対して、自宅へ来てくれないかという依頼があった。大塚は何事かと思ったが、義足で世話になっているので中野の家まで出掛けた。

中野正剛は二十畳敷の座敷の真中に座っていた。床の間には日本刀が飾ってあった。中野は声を落として、しかし悠然としていった。

「自分はもう長くはありません。これだけ東条に狙われていては、もうどうしようもないのです。右翼の御用経済学者は自分も何人か知っていますが、あんな連中はまったく頼りになりません。だからといって大塚さん、わたしはあなたに何も頼もうとは思いませんが、たった一つだけ願い事を聞いて下さい。それは子どものことです。わたしには二人の息子がいます。その将来について相談に乗ってやって下さい」

中野の意外な依頼に、大塚は「どこまで出来るかわかりませんが……」といいながら了承した。(略)

中野正剛は倒閣容疑で逮捕された。憲兵から相当な拷問を受けたが、中野は一言もしゃべらなかった。大塚にした約束も見事に果たした。

(略)[釈放後、自決](略)

中野正剛は官僚が大嫌いだった。訃報を聞いて大塚は、短いつきあいではあったが、世が世なら中野はブルジョア革命をするような人だと思った。

中野正剛の最後の依頼に対して、大塚は健康が極度に衰弱したため応えることは出来なかった。中野の次男は成人して戦後、大塚と立場は違うが、東京経済大学でマックス・ウェーバーの研究をするようになった。

と、正剛の頼みを全然聞いてあげてない大塚なのであったw。大塚との約束って「ヒトラーうんぬん」のことなのか?説明不足じゃね?それともオレが物分り悪すぎ?。

ああなんかスゲエ時間の無駄だったような気が。

では、最後に生徒が授業を聴いてくれないとお悩みの先生方に

大塚法政助教授は、まず近所の子供相手にお話をしてやり、次に落語を勉強してトークに磨きを

大塚は教室でノートを読むようなことは一切しなかった。メモは持っていったが、それを見ることはほとんどなかった。講義の内容は前日に整理して頭の中に入れた。それから今度はそれを出来るだけ忘れようと努めた。忘れてしまうことはさほど重要ではない、重要なことは頭に残っているはずだと考えたからだ。

講義は学生の顔を見てその反応を見ながら話すことにした。わからないような学生が見えれば、その学生がわかるように話した。そしてときどき学生が喜ぶような余談を間に入れた。これは大成功で、聴いている相手を自分の話の中に引き込んでいく結果となった。

このようにして講義を進めていくうちに学生が興味を持ち始め、その数がどんどん増えてきて教室に入らなくなってしまい、一年間に二度、大きな教室に移らなければならないほどであった。

2006-09-12 パノラマの世紀 このエントリーを含むブックマーク

パノラマって映画誕生以前のヴァーチャル・リアリティ空間で国際的配給網を持ってたのかあ。


パノラマの世紀

作者: ベルナールコマン,Bernard Comment,野村正人

出版社/メーカー: 筑摩書房

発売日: 1996/11

そもそもパノラマ館とは。序論より。

パノラマとは切れ目なく描かれた円周状の絵であって、それを収めるため特別に円形の建築物を作り、その内壁にキャンバスを設置したものだ。そして絵は現実と区別がつかぬほど似せて描かれている。見物客はまず外界との位置関係が分からなくなるように長い廊下や暗い階段を歩かされる。そして下から観覧台に昇る。その観覧台の周りには手摺りが設けられており、画面に近づけないようになっている。それによって「絵はどこから見てもその効果を発揮する。」照明は自然光で真上から採っており、屋根と天幕をうまく使って光源が見えない仕組みになっていた。これは画面の上端より上を見せないようにする効果も持っていたのである。また画面の下端を隠すのにはフェンスや実在の事物が使われた。このように絵に関係のないすべての要素が見物客の目に入らぬよう配慮されていた。なぜなら、閉じられた場所の中に描かれた世界が無限に広がっているというのが、パノラマの逆説的なありようだからだ。

ファンタスム/プロパガンダ

[18世紀末、膨張した巨大都市は]人間の視野の中に収まりきらなくなる。こうした状況の中でパノラマが決定的な役割を果たすのだ。パノラマはこの混乱した時代にふさわしい知覚と表象のファンタスムを表現するものとなり、四方八方に膨張していく都市という公共空間を昔と同じように完全に支配するためのモデルとなる。(略)

もはや現実の中に生きることができないから想像上の状況を作り、それに頼ろうとする。(略)

[第二のテーマは戦争]

パノラマはプロパガンダの役割を担っていた。(略)パノラマは国家への帰属と国家間の対立の上に築き上げられた英雄と大事件からなる歴史観を伝えようとしていたのであった。

[そして旅・異国・植民地]

ヨーロッパの遺産とも言うべき都市[ローマ、フィレンツェetc]であり、あるいは崇高な風景(スイス、アルプス)であり、またカルカッタ、リオデジャネイロなどのような異国情緒溢れる場所である。そのほか、帝国主義的な植民地政策と結びついた場所がある。パノラマとして描かれることによって、その政策が推進されると同時に政策そのものは人々が見つめる対象に変わるのである。

芸術産業

[キャンバスを収める円形の建物]にはかなり大がかりな投資をしなくてはならず、企業家、金融資本家、建築家、立案者、作業チーム、作業責任者など、小さいながら新資本主義的な組織が必要となった。1850年代になると株式会社が設立され、ほどなくして国際的規模にまで発展する会社もあった。これらの会社は配給網を整備し、自分たちの標準規格を定めた。(略)

産業がこれほどはっきり芸術の中に進出してきた例もあるまい。

てなカンジで時間がなければ序論を読むだけでもいいような気もするなどといい加減なことを言いつつ次に。

軍事的な敗北も精神的な勝利にw

ある包囲戦があったとすると、一方の陣営が、包囲する側の戦力をそこに見るのに対して、対立する陣営はその戦いに、包囲される側の果敢な抵抗を読もうとする。軍事的な敗北も精神的な勝利に変わりうるのである。ともあれ、普仏戦争はパノラマ画の豊かな発想源となった。フランスだけでもこの軍事衝突をめぐって八点のパノラマ画が描かれた。二年のあいだに、フランス第三共和制はその過去を見直し、そして国の誇りを呼び覚ます格好の事件を利用したのであった。一方のドイツ人も遅まきながら黙ってはいなかった。さらに一般的に言うならば、十九世紀を通してあった両国の対立が利用されたのであり、それはナポレオン一世が行った戦争のエピソードにまで容易に遡ることができる。

ピクチャレスク

崇高なるものが持ちうる属性のうちで、エドマンド・バークは恐怖、暗闇、広大さ、無限を挙げている。形の違いこそあれ、そういった様相はどれもパノラマの根底にあるものだ。恐怖は、戦争の題材や、眩暈やら船酔いにまで至る擬似体験から生まれる。暗闇は、ロバート・バーカー[パノラマ考案者]が円形ホールに入っていくときに欠かせぬ条件としたものだ。それは、隠された光源から画面に落ちてくる天井採光の明るさと対照的な観覧台の暗がりによってさらに強調されている。残りの無限や広大さは、パノラマの狙いのまさに核心をなすものである。

立ち位置/機械的な再現

パノラマは、その奥に隠れているかもしれない真実など気にもせず、客観的事実をそのまま再構築しようとしていた。

パノラマが証言性という側面を持つので、一度決めたら厳密に守らねばならない視点をどこに取るかということが極めて重要になってくる。しかもその視点は、ぐるりと取り囲む地平線の中でもとりわけピクチャレスクな要素を最良の条件で集められるように、遠くへの見晴らしと、邪魔な障害を避けるための高い位置を同時に得られるところでなくてはならない。(略)

パノラマとは、一つの視点を選んだことによってもたらされる構図以外のなにものでもない。それはほとんど百科事典的な性格を持ったドキュメントとなり、事実の細部を手当たり次第に記録していく。パノラマに選別はできないし、それをしようともしていない。(略)そこで問題になっているのは、現実の機械的な再現であり、魂の抜けた再現なのである。それゆえ、あらゆる芸術的な振舞いは排除されてしまうというものだった。

芸術界からの批判

通俗的な現象であったパノラマはエリートたちを脅かし、彼らの芸術的な営為の独占を脅威にさらした。しかもパノラマ画家たちがアカデミーの独壇場、すなわち歴史画とほぼ同じものと見なしうる戦場とか戦争のテーマに程なく踏み込んできたのだから、事態はいっそう深刻であった。

カメラ・オブスクラの利用、ピクチャレスクなものの受容、詩的な逸脱なしに現実の視点と厳密に一致すること、機械的かつ忠実な記録、細部の詳細な描写。こうしたことすべてが美術界を苛立たせたのであった。パノラマには否定しがたい技術的な面での価値があることは認められていたが、芸術、偉大な絵画(かなり凡庸な絵が多かったのは事実である)の領域からは追放されていた。このようにパノラマを卑下するような態度はしばしば見られた。十九世紀でも後になると、パノラマは単なる産業製品の位置に貶められてしまう。

モネの『睡蓮』

ジヴェルニーに描いた連作を国に寄付しようとしたとき、モネは自分の作品を収める円形ホールを建設するよう強く求めた。それは途切れることのない視覚的連続性を使って最良の環境で鑑賞してもらうためであった。1910年にモネは次のように説明している。「私は部屋の装飾にこの睡蓮のテーマを使いたいという気持ちに襲われた。睡蓮を壁づたいに描き、部屋全体の壁面を睡蓮だけで覆うと、終わりのない全体、水平線も岸辺もないひとつのうねりがあるような錯覚が生まれるだろう。まどろむ水が疲れを癒すように、仕事で酷使された神経はそこで解きほぐされる。この部屋にもし往む者がいるとすれば、そこは花で満ちた水槽に囲まれて穏やかな瞑想をする隠れ家となるであろう。」ここにも水平線の消失とつくり出された空間の無限性によって強調された内部と外部の逆転が見いだされる。

2006-09-11 萌えるアメリカ このエントリーを含むブックマーク

f:id:kingfish:20060426184750j:image

アメリカの出版流通話だけを。


萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか

作者: 堀淵清治

出版社/メーカー: 日経BP社

発売日: 2006/08/14

検閲機関CCA(コミックス・コード・オーソリティ)

ビズがマーケットに登場した80年代は、コミックス市場がコレクターズブームに沸いた一種のバブルともいえる時期で、コミックスは読まれるためというよりも、その後の価値の上昇を見込んで買われる「株」のような扱いで売り買いされていた。

こうしたコレクターズバブルを引き起こした背景には、40年代から60年代にかけて、コミックスに対して倫理規制を求める保守的な世論が強く影響したことがあげられる。(略)

当時のアメコミ流通は、ニューススタンドマーケットと呼ばれるスーパーやキヨスクなどで売られる雑誌の販売ルートを利用しており、マーベルのような大手のコミックスは、この検閲を受け入れないわけにはいかなかった。このため、アメコミはしだいに子供向けのストーリーやキャラクターが増えて単純化し、それに満足しない読者たちを失っていった。結果として、それまで黄金期を謳歌していた大手のコミック出版社は、この検閲制度の導入によって大きな打撃を受けることになったのである。

一方で、こうした検閲に通りそうもないコミックスはしだいにアンダーグラウンドコミックスとして密かに流行し、通常の正規ルートに乗せなくてもかえってよく売れるという逆効果を生み出すことになった。

このようにコミックスに対する世間の風当たりが強かった50年代前後、教育に悪影響を与えるという理由で多くのコミックスが親たちによって廃棄処分され、のちにこれらのコミックスがレア物として取引されるようになったといわれている。

イタリア事情

イタリアで最も印象的だったのは、コレクターたちのマニアックなムードが漂うアメリカのコミックショップとは違い、どの店もおしゃれで明るい雰囲気が漂っていたことである。コミックスのようなポップカルチャーを売る店が、古く味わい深い街並みのなかに何の違和感もなく溶け込んでいる様子は、この国の文化の成熱度を象徴しているようにも思えた。(略)

イタリアで火がついたマンガ人気は、まもなく同じラテン系のスペイン、ポルトガルヘと飛び火し、やがてスウェーデンやフランスからも問い合わせが来るようになった。さらに、我々のサブライセンスの取引先はメキシコやブラジル等の南米諸国へも広がりはじめた。

なぜ「アメリカのコミックスは一般書店ではなくコミックショップでしか売られてこなかったのか」二つの理由

ひとつは、アメリカにおける書籍流通システムの複雑さと、販路拡大の厳しさである。アメリカには、日本のトーハンや日販のように書籍の流通を一手に仕切る大規模な取次業者が存在しない。したがって出版社側は、コミックスならダイレクトマーケット、一般書籍ならトレードブックマーケット、雑誌ならニューススタンドマーケットという具合に、出版物の種類や流通チャネルによって、まったく異なる取次会社、セールスマングループと組まなくてはならない仕組みになっているのだ。

しかも、それぞれの流通チャネルには、それに適した出版物のフォーマットがある。[薄い中綴じのアメコミは一般書店のフォーマットには適さない](略)

雑誌についても同じだ。一般の書店内にはたいてい書籍以外に雑誌のコーナーを設けているが、そこは「スペシャリティ」と呼ばれ、一般書籍を扱う業者ではなく、ニューススタンドマーケット専門の業者が流通を担う。日本のように、雑誌もマンガも一般書籍も同じ取次業者に任せるというシンプルな構造にはなっていないのだ。

アメリカのコミックスが一般書店で売られていないもうひとつの理由は、アメコミ業界全体の体質の問題である。なぜ、マーケットの異なる雑誌は一般書店にも流通しているのに、コミックスだけは流通してこなかったのか。それは、「返本なしの買い取り制」というダイレクトマーケットの心地よさに甘んじ、アメコミ業界全体がコミックショップ以外の流通チャネルを本気で開拓しようという意欲を持たなかったせいである。

マーベルやDCがそこまでダイレクトマーケットにこだわる理由は、

単にこのマーケットが彼らにとってコントロールしやすいからである。多くのコミックショップでは、まずマーベルとDCのコミックス用の予算を決め、とりあえずこの両社のタイトルをすべて注文したあとで、残った予算で他の出版社のタイトル注文にあてる。したがって、マーベルとDCは、タイトル数や出版時期、価格などを操作することで市場を意のままに動かすことができる仕組みになっていたのだ。

このなんとも不公平なシステムこそが、長年にわたってアメリカのコミックス業界の成長を阻んでいる最大の理由だと僕は考えていた。

トレードブックマーケットの仕組み

出版社は通常、出版する書籍のラインナップを遅くとも発売の九ヶ月前までに決定し、ぺージ数や内容などの情報を記載したカタログをシーズンごと(主に春夏期と秋冬期)に作成しなくてはならない。このカタログに間に合わなかった出版物は、次のシーズンに回されることになる。したがって、緊急な追加や変更はできない。企画が持ち上がったときにすぐ出版を行える日本とはかなり状況が異なる。

そして、これらのカタログを携え、出版社の手足となって一般書店に商品を売り込みに行くのが、各地域のセールスマンである。(略)

出版社から営業委託されたセールスマンは、まず担当地域の大手ブックチェーンを回ってカタログを配り、そのあとに個人経営の書店にも足を運んで売り込みに行く。カタログには地域別に担当セールスマンの連絡先が記載されており、書店側はそれを頼りに書籍の注文を行うのだ。

さらに、アメリカには「ホールセラー」と呼ばれる卸売業者があり、彼らも出版社にとっては重要な顧客である。(略)彼らは一度に大量の仕入れをするので、一般書店よりもさらに10%程度多めにディスカウントを受けることができる。そこに利益を上乗せして各書店に販売するというのが、彼らの商売の仕組みだ。

なぜこのようなホールセラーが介在するのかと言うと、書店舗が品切れですぐに再注文をしたいという場合に、セールスマンを通じて出版社へ注文するよりも、すでに大量に在庫がある地域のホールセラーから仕入れたほうが、値は少し高くついてしまうがすぐに届けてもらえるというロジスティクス面での利便性があるからである。これも、国土の広いアメリカならではのシステムといえるだろう。

定期購読で愛国心育成

[雑誌売上の87%が定期購読、その理由は]

19世紀後半にアメリカ合衆国政府が制定したある政策が影響している。それは、雑誌の全国への郵送料金を低額化するというものだった。この政策は、雑誌という媒体を通じてアメリカ国民の意識を統一させ、愛国心を育てることを狙いとしており

2006-09-07

[]colefishowgulfMIX colefishowgulfMIXを含むブックマーク

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正直「Loveless」一曲だらだらやってるほうがいいんじゃねえのという心持だったので、漠然とつないだだけのような、イマイチ盛り上がりにかけるような、定番ばかりのような、気もするが、ま、いいや。

日本人の曲使ってるから「邪す楽死」がウルサイかもしれないので言っておくと、曲はすべて重ねてあるか分解してあるのでケチをつけないように、グダグダ言うと、「刃渡り8.6センチ、2つ折りのアーミーナイフ」でスカット・デスノートン超竜ボム喰らわすので、よろしく(未来の読者のために解説しておくと、この日、有名漫画家が銃刀法違反で逮捕されそうになって原付で逃走して山中で自殺したとwしかも飲酒運転で無免許で「これまで信号はほとんど守ったことがない」と遺書に書き残していたとw)。

[Playlist]

Lloyd Cole/Loveless

Fishmans

由紀さおり/生きがい

DJ Food /Consciousness ( Ashley Beedle mix )

GREAT3 /Golf

「Lloyd Cole/Loveless」

地味と言えば非常に地味なアルバムなのだが地味な気分の時に聴きたくなるアルバムなのである。

Lloyd Cole

Lloyd Cole

[Lloyd Cole/Loveless]

you lie in the heat of a summer haze

and turn it into a winter's tale

you pull down the blinds and shut out the sky

and do what you can to turn the whole thing grey

you're crying and pleading and you're hell just to be with

and you're everything that i'll ever need

so why do you say you love me when you don't?

「由紀さおり/生きがい」

別れたあの人はまた寝坊してあわてて出掛けて行ったりしてるのかしら、あの人と別れてもこうして私は生きてるのという歌詞なのだが、天国の妻が地上の夫を思う歌と考えると泣けるなと思って、その意図を告げずに、妻を亡くした父親に聴かせてみたのだが、ピンとこなかったようであった。

2006-09-06 憲法近代知の復権へ このエントリーを含むブックマーク

こちら(id:kingfish:20060821)の流れで「近代国民国家の憲法構造」を借りようとしたけれど読めそうになかったので、こっちにしてみたという、ヤリナゲなノリでナゲヤリなせいかナガメな引用。


憲法 近代知の復権へ

作者: 樋口陽一

出版社/メーカー: 東京大学出版会

発売日: 2002/07/10

近代法が想定する人権

何事によらず、解放されるということは、放り出されるということでもあります。ここでも、ひとは、自己決定の主体として、その結果をひきうける「強い個人」だというフィクションに耐えなければなりません。(略)

他方で、それでは額面どおりに、人権主体としての個人が自己決定しようとすると、どうでしょうか。「知」を抑制することなくつらぬき、その成果を使って自己決定をつらぬくところに、どういうことがおこるでしょうか。

「強い個人」の意思は、「生命」を否定することができるでしょうか。「生命」の定義いかんによって、妊娠中絶への態度決定がわかれるでしょう。いま、問題は、「強い個人」の意思で、現在と将来の「生命」を操作することができるのか、という形で提起されています(略)

自己決定だから何でもできる、ということになると、それは、人権のもうひとつの核心、人間の意思で手をふれてはいけない価値がある、という要請を否定することになります。もともとこれは、人権という考え方自体に内在する二律背反なのです(略)

この、自己決定=「知」の権力性という難問を前にして、自己決定の要素を相対化しようとする方向があります。「強い個人」モデルから訣別して、自己決定できない人びと、さらには生きとし生けるもの一般、動物や樹木の「権利」を語る方向です。それとは別に、自己決定への外側からの社会的コントロールとして、自己決定の集結としてのデモクラシーというモデルから多かれ少なかれ距離をとり、専門家ないし「賢人」(略)の出番を求めるという考え方があります。

インサイダー取引の「自由」といった「感性的自由」の優位と「規範創造的な自由」の欠落は世間ならず裁判所も同様。「喫煙の自由」の場合。

というのは、判決文の説示でも、いったん憲法上の「自由」を「拘束の欠如」一般にまで拡げておいて、”それでは困るから公共の福祉のために制限する”というアプローチがとられてきたからである。たとえば、「喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない……」(最高裁大法廷判決1970/9/16)というように、である。これは、「人欲の解放」一般にまで「自由」をいったん拡げるが、まさにそのために、”それでは困るから”それを制約する論理としての「公共の福祉」の中身をも、無限定に拡げることとなった。

判例を批判する学説も、そのような論理の枠組に乗ったうえで「公共の福祉」の出番を抑える議論をすることにもっぱらで、「自由」のほうの内容を「規範創造的な自由」にまできたえあげようとするいとなみは、手薄だった。

なぜその自由でなければならないのか。人権のインフレ対策。

これまで、判例が無規定的な「自由」を前提にすることによって、それを制限するために無規定的な「公共の福祉」を持ち出してきたのに対抗して、それを批判する学説は、いってみれば、”自由への制限をできるだけ制限する”というアプローチで議論をしてきた。(略)

それに対し、「自由」そのものの中身を吟味して、”なぜその自由でなければならないのか”を問題とするアプローチが登場した。「有象無象の生活領域」に関する人権のインフレ状況を批判して、「表現物が一定の実体的価値を有するがゆえに」その自由を擁護するのだという主張(奥平康弘『なぜ「表現の自由」か』)や、「人格的自律」という実質価値によって人権を道徳的に根拠づけようとする見解(佐藤幸治『憲法』)は、その点で共通する。

そのような主張とは対照的に、最近あらためて、「基本権の基底について、脱道徳論への転回を試み」ようとする主張が説かれている。

「何か価値ある目的、道徳的目的にとって望ましい目的を追求しているか否かを問う」自由論をしりぞけ、「卑近な人間の欲求を軽んずるおそれ」を問題とする点で、自覚的に「脱道徳」の立場に立っている。「理性、合理性、人格、個人の尊厳、人間性、意志の自由等、大陸的超越論が依拠してきた人間の特性に回帰する議論」から「抜け出る」必要を説く点で、自覚的である。そうであるだけに、「人欲の解放」としての「感性的自由」と、「規範創造的な自由」との対置の意味を、いまあらためて提起されている論点に重ねあわせて議論することは、有益なはずである。

(略)

二つの自由の対比は、「拘束の欠如……に尽きている」自由と、「理性的な自己決定の能力」としての自由との対比であり、後者は、「からの自由」の中身を自分自身の判断によって充たすことを意味しているのである。そのような意味で、前者は「非理性的動物にも、いな植物にすら適用出来る」のに対し、後者は、近代のえがく人間像についてはじめて語られる。そういう文脈があるからこそ、「近代」を疑う時局的背景のもとで、自覚的に、「理性」や「意志の自由」から離れた「脱道徳」の主張が出されているのであり、それに対しあらためて「近代」を擁護する立場が呼び出されてくるのである。

批判的普遍主義

おきまりの単純な西欧中心主義によりかかって人権の普遍性を論ずるのではなく、文化の相対性、「相違への権利」の主張が持つ意味をうけとめたうえで、しかし「もういちど普遍を考える」という問題意識は、人権宣言200年の節目に人権をさまざまな仕方で議論してきた1789年宣言の母国の思想界で、自覚的になってきているといえます。「ナイーヴな普遍主義への復帰」を拒否しながら、しかし、「絶体的な相対主義」は「あらゆる文化が等価だと主張」することによって、かえって対話交通の道をとざしてしまうことが、自覚されてきたからです。1980年代以降のレイシズムは、「人権」にかえて「エスニシティ」や「文化」を、また、逆説的なことですが「差別」といわないで「相違」、「異種嫌い」にかえて「異種ごのみ」をそのディスクールとして用いており、例えばフランスの人種差別論者ル・ペンの言説にもそれは見てとれます。そうであるだけに、このことは重要です。「相違への権利」「伝統」「共同体的価値」と集団のアイデンティティを尊重するという名目で、諸個人間の対話交通を切ってしまうこの傾向に対抗し、しかし同時に、「普遍」の名のもとに「相違」を地均ししてしまうことをも拒否しなければならないとしたら、とどまるべき均衡点はひとつしかないでしょう。それは、「普遍」を、「どんな具体的な歴史的実在ともとりちがえない」ことであり、「ひとつの引照基準、ひとつの願望、ひとつの指導理念」として位置づけることです。

19世紀憲法学をゆさぶる二人

シュミットは、近代憲法の安定性をやぶる決断主義を主張する。(略)

ドイツでの近代憲法史の到達点だったワイマール体制を「根本からひっくり返す」には、決断主義思考という梃子が不可欠だったのである。

それと対極的にケルゼンは、法のイデオロギー性を暴露してみせる傍ら、その近代憲法原理を、実践的にあえて擁護する立場に立つ。支配の欠除を理念とし、社会的拘束、特殊には国家の否定を意味するはずの「自然的自由」から、「社会的あるいは政治的自由」への転化を問題とし、後者はデモクラシーと必然的に結びつくとして、議会制民主主義を擁護するのである。そこでは、決断でなく「ますます妥協の政治となる」ものとして、デモクラシーが再確認される。

ドイツ公法学の伝統ある専門誌にのった最近の一論説は、「経済的不平等、排除、貧困は、『理性』とコンセンサスが支配するハーバーマスの理論には居場所がない」として、「啓蒙の『理性』を救い出そうと試みる」彼を、「近代『理性主義』の擁護の最後のモヒカン」と評する。

もともと、彼の「コミュニケーション理論」に対しては、「カール・シュミットによって想定されていたような事態をカッコに入れ」、「例外事態を度外視したときだけ可能」という批判があった。この指摘は、それとして全くその通りというほかない。そのことを十分承知したうえでハーバーマスは、あえて「例外」時でなく平時を想定して対話の徳を説いているという意味で、「二〇世紀」前半のシュミットに対してケルゼンが足場を定めた地点に立っている。

憲法裁判へのコンセンサスにあらわれているような、立憲主義・法治国家の表層の安定を、あえて剥ぎとりたい知的関心。それが欧米の学界の一傾向を触発しているのだとしたら、日本の場合、状況はあまりに離れて遠い。

2006-09-04 日本の電子音楽 このエントリーを含むブックマーク

第二章のインタビューのところだけ。

本の後半は電子音楽年代記と主要ディスク紹介になってます。


日本の電子音楽

作者: 川崎弘二,大谷能生

出版社/メーカー: 愛育社

発売日: 2006/07

  • 湯浅譲二

「ヴォイセス・カミング」は

テープをさんざん編集して作曲したわけですが、テープ音楽としてはそれほど声を変形していないんです。(略)

それはなぜかっていうと、それまで十五年以上ミュジーク・コンクレートや電子音楽をやってきて、原材料の音をどのぐらい変化させると、たとえば四オクターブ落としてどういう周波数をカットしたらどういう音になる、とかいうことはもうわかっているわけですね。

それはもちろんおもしろい現実ばなれした音になるのですが、音自体の存在感は変化させればさせるほど抽象化されていって、音響が最初に持っている音響自体の生命みたいなもの、つまり存在感がどんどん希薄になっていくんです。

それで、変化させていくことに飽きてきて、音そのものの存在感の魅力にもう一回戻ったっていう感じがあるんですね、それであまり変化させずにつくったわけです。

それから、意味のない言葉っていうのが現実の音声のコミュニケーションのうえでは必要なものなんですね。コンピュータ・コミュニケーションだと論理的なものだけで余計なものはいらないんですけど、たとえば接続詞にしても「しかし」、「だが」とか、英語だって「however」、「but」とか似たようなのものが、とくに日本語にはいっぱいありますね。それはひとによってつかいわけられているわけですし。

それを一律化してぜんぶ「but」にしてしまうのは、人間の音声的なコミュニケーションにおいて非常に不自然なわけです。(略)

僕はいま「あの……」と言ってしばらく黙っていましたけれど、音楽的に係留されている時間というものがあるわけですよね。そういうサステインしている力があってそこからなにかが解決する、というのは音楽的な時間だと思うんですね。それが擬声語だったりつぶやきだったり論理的には意味をなしえない言葉だけれども、まったく意味がないんじゃなくてそれ自体に音楽的なコミュニケーションがあるっていう考えはずっと続いていますね。

ライブ・エレクトロニック音楽について(1961年)

はやりましたね。僕は批判的だったんです。一柳がやるのはいいし、デイヴィッド・テュードアがやるのもそれはそれでいいと思っていましたけれど、日本はすごく変なところがあって、これからはライブ・エレクトロニクスの世界だ、テープに固定されたような電子音楽はもう古い、なんてことにすぐなってしまうんですね。(略)

カールハインツ・シュトックハウゼンが「イコン」 の前に「テレムジーク」をNHKで五チャンネルでつくったんですが、それを初演するときにNHKの第一スタジオに行ったら、シュトックハウゼンは偉そうな顔して五チャンネルのアッテネーターを動かしているだけなんですね。

一つの音は一つのチャンネルにしか行かないんです。それを、音量を上げたり下げたりして、全体の音量をコントロールしているだけなんですね。

五チャンネルあるのにステレオフオニックなファンクションさえないじゃないか。これだけの設備をつかってただ音量を上げたり下げたりしているだけじゃばかみたいだと思って(笑)、それで全体に動くものをつくろうと思って、それで次の年に「イコン」をつくったわけです。

  • 佐藤茂

ドンカマ名称由来新説。お釜でいいみたい。

あるときNHK電子音楽スタジオにリズム・ボックスという機械が持ちこまれてきたんです。いちばん最初につくったものはドラム缶ぐらいのサイズの箱の上に、無指向性の円形スピーカーをとりつけたもので、なんだこのドンカンドンカンいうお釜をひっくり返したみたいな機械は、と言ったひとがいたんです(笑)。

それじゃドンのカマだなということでドンカマと言いだしたんです。その機械が真空管式からトランジスタ式になっていっても、ドンカマという名前だけがそのまま残ってしまった(笑)。

だから、ドンカマの由来はNHK効果音部のスタッフのちょとした冗談がもとになっているんです。

こうやったらリズム形成機ができますよとその機械をメーカーのひとに教えてあげたら、そのうちドンカマチックなんていう名前で発売されるようになってしまって

エクスパンダー

小杉武久さんの「Catch Wave '71」のときいちばん難しかったのは、バイオリンを弾いたときの、あたまの立ちあがりの音を削ってくれという依頼だったんです。

台風みたいに波頭が立っていればべつだけれど、そうでないときは波の音にもアタックはないはずだ、そういう音をつくってくれと言うので、アタックをどうやって取りのぞくかいろいろと試行錯誤しました。

けっきょく、そのときはエクスパンダーをつくったんです。演奏しはじめても音が出てこない。ある程度の音が出てきても、ゆっくりと立ちあがる。そういうエクスパンダーをつくって、波の音を表現しました。

それがエクスパンダーをつかいはじめた最初の作品じゃないかな。そのあとは、エクスパンダーはあたまの立ちあがりの音を消せるということで、ノイズ・ゲートにつかいだしたんです。

  • 小杉武久

「具体音楽」、ライブ・エレクトロニクス

電子音楽の譜面というか、設計図みたいなものが嫌いでね。固定化された図面で音を構築していく、そういうのには僕はアンチの立場だったんです。(略)

けっきょくヨーロッパの伝統的なコンポジションのコンセプトは、音を固定してそこに留めておこうってことでしょ。そういうコンセプトを持ったコンポジションの概念がやっぱりそぐわないっていうかな。ミュジーク・コンクレートを聴いたときはおもしろいと思っていましたが、ミュジーク・コンクレートもテープに音を固定することによってそこで留められてしまいますよね。(略)

だから、現実音を録音すると具体性はそこで消えちゃうんだな。ミュジーク・コンクレートの「具体的」音楽っていうコンセプトは、テープ化されたミュジーク・コンクレートではあらわされないといえるかもしれないね。

具体っていうのは非常に重要な要素なんだ。ジョン・ケージやデイヴィッド・テュードアなんかもそういう問題でライブ・エレクトロニクスのほうに行ったと僕は思うんだけど。(略)

もとの音はおもしろかったんだけど、再生して聴いた音は現実の空間を持ったものとはちがって、次元がひとつ欠けているんです。

テープは空間それ自身のシミュレーションはできないし、写真で撮ったみたいな音になってしまう。それはつまらない。

電子音楽をこえる

その当時のNHKはエレクトロニックといっても音に限定されていたから、あまり興味がなかったんです。

僕は音をはずれていく部分に興味があったからね。(略)

エレクトロニクスの世界っていうのはオーディオ・ウェーブだけじゃなくて、ものをひとつの状態から次の状態へ変換させること、音じゃない波動が音になるとか、そういう現象がいろいろあるわけだから、エレクトロニクスということをトータルに考えたときに電子音楽を飛びこえてしまうわけです。

NHKの電子音楽は、ヨーロッパの伝統的な音楽の流れのなかでの電子音楽ですよね。(略)

音を扱っていて電子回路に行く。電子回路を見ると音以外の部分がいっぱい入っている。それは音楽にも利用できるし、そうじゃないほうにも行ける。コンバージョンとかトランスフォーメーションとか、電子回路が持っている構造からくるサジェスチョンが創造性のほうに入ってくるわけです。それが創造のコンセプトに影響を与えている部分があると思うんです。これは電子回路を扱っているメリットですね。(略)

だから、僕にとってエレクトロニクスは本質的なものです。ラジオの持っているおもしろみ。つまり空間を伝わりながら情報が入ってくるという原理を、電子回路を通して実際に観てみると、これはおもしろいというアート的な芽生えが出てくるんですね。

  • 水野修孝

なぜジャズに

[芸大生のころ小杉武久と一日ジャズ喫茶でまったり]

ジャズを聴いているうちに、家に帰ってブラームスなんかを聴くとものすごく遅く感じるようになって、ビートを持った音楽について関心を持ちだしたんです。(略)

ジャズはビート感覚やハーモニーにおいて現代音楽を越えたものを持っていて、合理的な機能性のうえにいい具合にテンションがあるということが魅力で、現代音楽作品ではたくさんの音をつかってもたいして効果的な音が出ないのに、ジャズは協和音のなかにワサビになる音、テンションをわずか一音加えただけで痺れる響きになる。

むだなく効果的な響きを出せるという点で、ジャズというのは発達していたと思います。ヨーロッパのひとたちのつくりだした教科書的なハーモニーというのは、どうやって不協和音を解決して協和音に持っていくかということに尽きるんです。

ところがジャズの場合は不協和音とは言わない。協和音のうえにある音をのせたときにそれがワサビとなっていい刺激を与えるから、それを不協和音とは言わず積極的な意味でテンションと言っているんです。

  • 藤本由紀夫

なぜオルゴール

コンピュータをつかって、音源はあくまでもレディメイドで、出力はスピーカーでっていうものをステージでやってなんの意味があるのかって思うわけです。

けっきょくはさっき言ったファンクションなんです。機能はなんだっていうときに、僕にとっては機能でいったらオルゴールもコンピュータであって、コンピュータがないからオルゴールでやったわけじゃなくて、どちらが優れているかといったら僕にとってはオルゴールのほうが優れているんですね。

解体。いつまでブースの周りで盆ダンスなのかと。

コンピュータ・ミュージックとかっていうけど、アーティストはハードをつくっているひと、プログラムをつくっているひとだと思うんです。

アーティストっていう価値観も変わってきていて、最終的に音を出しているひとが表現者だっていう考えがおかしい。たまたまそのプログラムをつかって出した音は、音を出したひとの作品になるのかどうか。そういうところまで解体していかなければおかしいと思うんですよ。

昔ながらのモーツァルトと一緒のシステムで、ラップトップを持ってステージで平気で演奏していて、なんでコンピュータなのにわざわざステージにいなければいけないのか。

ライブで、ステージがあって、お客さんがいて、っていう構造を変えようとしないのか。音響的にはステージにいようがいまいが関係ないわけで、そういうものは必要ないと思うんですね。

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