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2006-10-24 ハルキ・ムラカミと言葉の音楽 このエントリーを含むブックマーク

ハルキ紹介英語本の日本語訳。

主に著者が村上春樹と交わした私信とバークレーでのユナ講演を引用。


ハルキ・ムラカミと言葉の音楽

作者: ジェイ・ルービン,畔柳和代

出版社/メーカー: 新潮社

発売日: 2006/09/28

義父の人柄

[春樹の両親は結婚に反対]一方、春樹は陽子の父親には驚かされた。「陽子を好きなんだな?」としか訊かれなかったのだ。高橋氏の、先入観がなく、昔ながらの権威主義と無縁なところに、村上は敬意を抱くようになった。

かくして二人はおおげさな式はしないで、十月に区役所に婚姻届を出し、事は済んだ。いや、ほぼ済んだ。どこでどうやって暮らすかという問題が残っていた。そのときはさすがの高橋氏も、もっと厳しい方針を採ればよかったと悔やんだかもしれない。二人が越してきたのだ! 当時、陽子の母親はすでに亡くなり、姉と妹は家を出ていたから、新婚夫婦と陽子の父親の三人で暮らすことになった。

だが春樹の両親に関するかぎり、結婚は長らくしこりを残し、ときに陽子に負担をかけた。結婚する少し前に芦屋に往む彼の両親を二人で訪ねた折、陽子は金縛り状態で目覚めたという。(略)

[ジャズ喫茶開業の際]陽子の父親は金を貸すことに同意してくれた。ただし、利息もちゃんと取る。彼の公平さには、こんな一面があった。

(略)二人で働いて、250万円を貯めた。(略)同額の銀行ローンと合わせ、1974年に東京西部の郊外で居心地のよいこぢんまりした店を開くことができた。

猫づくし

店の呼び物にロールキャベツがあり、村上はその下ごしらえをしょっちゅうしていたため、ロールキャベツはもう食べる気はしないという。

1977年にはジャズ喫茶を都心に移し、店じゅうを猫で飾った。店外には大きなチェシャキャットの笑顔、テーブルとピアノの上には猫の置物、壁には猫の写真と絵。マッチ、コースター、箸袋、コート・ハンガーにも猫の模様がついていた。1979年に若い二人が猫愛好家の雑誌にインタビューされたとき、陽子は「Peter Cat」という文字と猫が編みこまれたセーターを着ていた。

羊は日本にいないとの指摘がきっかけ

高橋たか子は『1973年のピンボール』を論じて、村上がやぶを「草をはむ羊のような姿」と描写したことについて、日本には羊がいないのだから、不適切な喩えだと述べた。だが、村上は日本にも羊がいるに違いないと確信し、調査を開始した。

(略)

[実際に北海道に行き、羊をめぐる国家政策の変遷を知る]

羊の運命というものは、ある意味では日本という国家の無謀なほどの速さでの近代化の、ひとつの象徴でもあったわけです。そのようにして僕は「羊」というキーワードを使って長編小説を書こうという気持ちを固めていきました。

タイトル

日本の編集者は長すぎるので『世界の終り』だけにしてくれと言いましたし、アメリカの編集者は『ハードボイルド・ワンダーランド』だけにしてくれと言いました。翻訳をしたアルフレッド・バーンバウムは馬鹿げたタイトルだから全然別のものにしてくれと言いました。でも僕は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という題を変えることは絶対にしませんでした。これはあるいは長くて馬鹿げた題かもしれないけれど、これ以外にどのような題も思いつけなかったからです。

お腹が空くと火山が思い浮かぶんです

村上は作品中に現われる象徴の「意味」を、明かそうとはしない。それどころか、象徴ということ自体をそもそも否定している。1991年のボストン・マラソンの翌日にハーヴァード大学ハワード・ヒベット教授(日本文学)の授業で「パン屋再襲撃」をめぐるディスカッションに参加した際も同様だった。海底火山は何の象徴だと思うかとの問いが学生たちに向けられると、村上は発言を求めて、火山は象徴ではない、火山はただの火山だ、と主張したのである。

授業に出ていた研究者の一人は、学生たちに「あの人の話は聞くんじゃない! 何を言っているかわかってないんだから!」と声を高めた。活発な議論が展開した。村上の返答は、実に彼らしい率直なものだった。「あなたはお腹が空くと火山が思い浮かびませんか? 僕は浮かぶんです」。

猫猫先生の血管のブチキレル音が・・・。

でも、あの小説の基となる現実では全てマスターベーションだったんじゃないかと思うのですけど。つまり「もてない」青春の妄想による性描写じゃないのかなあ。

[処女作を読んだ友人がやたらビールを飲みたくなったという前フリがあって]

『ノルウェイの森』を書いたときには、僕はそれを読んだ人にセックスをして欲しかった。もっともこれはビールや笑いとは違ってかなり制約が多いし、経験談も聞きにくい。でもすくなからざる数の読者が手紙をくれた中にそのような内容のものも幾つかありました。ある若い女の子は明け方までかけて『ノルウェイの森』を読みおえて、どうしてもすぐにボーイフレンドに会いたくなって、朝の五時前に彼のアパートに行き、窓をこじ開けて中に入って、彼を叩き起こしてメイク・ラブをしたということです。僕はそのボーイフレンドにまあかなり同情するわけですが、でも僕はその手紙を読んで嬉しかった。この世界のどこかで、僕の文章が効力を持って機能しているということですから。僕は複雑な解釈や註釈を必要とする文章よりは、現実に人を動かす文章を書きたいと思うのです。

春樹もアコードぶつけてた。

村上は1988年を「空白の年」とすら呼んでいる。年のはじめはローマで『ダンス・ダンス・ダンス』の執筆に忙しく(略)この長篇小説に取り組んだあと、村上はふたたび虚脱感を味わった。四月に帰国しても、気持ちはあまり変わらなかった。仕事が山積みだったことも一因だ。まず『ダンス・ダンス・ダンス』の校正があり、つづいてF・スコット・フィッツジェラルド作品の次の翻訳の仕上げがあった。計画中のトルコ旅行に向けて、またヨーロッパで移動しやすいように、自動車教習所にもひと月通った。(略)こうした仕事が片づくと、夫妻はハワイでひと月過ごした。骨の芯に残っているように思える冬の寒さをハワイで解消したいと思っていた。ハワイで村上は運転の練習をした。レンタルしたアコードの右のテールランプを駐車場の柱にぶつけたこともあった。

(略)版元の講談社が社屋に鮮やかな赤と緑の垂れ幕をかけたことが村上は恥ずかしくてたまらず、講談社を訪れなくてはならない場合はそれを決して見ようとしなかった。教習所への行き帰りに混みあう地下鉄に押し込まれると、彼だとすぐに察知したファンたちからは逃れようがなかった。

大江健三郎と中上健次

大江が先ごろノーベル賞を授与されたことも村上は当然のことだと考えた。作家としての責任を生涯かけて引き受けている大江は受賞して然るべきなのだ。ノーベル賞の余韻さめやらぬうちに宮内庁があわてて授与した文化勲章の方を固辞したことで、大江がカウンターカルチャーの代表として筋を通したことについても、村上は同じく評価をした。だが「純文学」を信ずる作家としては、大江は最後の世代になるのではないか、とも村上は語った。

だが、それだからこそ大江は、村上と、その同時代の作家たちに息をつくスペースを与えることができたのだ。大江と、そして彼と並んで純文学を代表していた中上健次が文学の主流を定義し、文学界が混沌に陥ることを防いでくれているあいだに、村上のような新しい作家たちは言いたいことを模索することができた。彼らにとって大江と中上は緩衝装置の役目を果たしてくれていたといっていい。十年は模索できると踏んでいた村上にとって、前々年に中上が急逝したことは打撃となった。自分が比較的気楽な立場でいられるのもあとせいぜい五年だ、と村上は思うようになった。まもなく自分は日本人作家の「トップランナー」の一人として、政治的にも明らかな立場をとらざるを得ないだろうし、おのずと自分のテーマも決めていくことになるだろう。試行錯誤の時は終わった。

大江が選考委員代表の読売文学賞を『ねじまき鳥クロニクル』が受賞。その式にて

村上は長年自分の作品を批評してきた人物と同じ部屋に立ち、その人が『ねじまき鳥クロニクル』の一節を朗読した上にそれを「重要」で「美しい」と称えるのを聴くという奇妙な体験をした。統いて大江は第2部第四章「失われた恩寵」の一節を朗読した。(略)

[式の後、大江の前に連なる列]

だが大江はそこから抜け出て、自分から村上に近づいていった。村上を囲んでいた人々は、ノーベル賞作家のために道をあけた。

大江は明るく微笑んで、村上に挨拶するのが心底うれしそうで、村上も緊張しているように見えたが、微笑を返した。二人とも大好きなジャズに話が移ると、残っていた緊張感も消えたようだった。大江はピンストライプの青い背広姿で、トレードマークの丸い眼鏡をかけていた。村上は白いテニスシューズ、だぶだぶのスポーツコート、チノパンという服装だった。この一瞬を後世に残そうと、カメラマンが集まった。見物人にとり囲まれていては、村上も大江も踏み込んだ話や深い話はしようがなく、十分ほど歓談したのち、和やかに別れた。