インドとビートルズ その3

前回の続き。

ビートルズ到着

 ビートルズが遂に到着すると、アシュラムは大きな興奮に包まれる。

(略)

ジョンとジョージがマハリシと共に入場(略)マハリシは(略)2人を歓迎してから、何も特別なことが起こらなかったかのように、いつもの講義を始めた。ナンシーはまっすぐ前を見て、ジョージの艶やかで清潔な、美しくカットされた肩まで届く長い髪を観察した。隣に座る優美な女性はパティ(略)その隣はパティにそっくりな妹のジェニー。3人目の女性は、ジョンの妻シンシアだ。眼鏡をかけてはいたが、3人のなかで一番美しいのはシンシアだった。その隣はジョンで、ナンシーによれば、おばあさん眼鏡をかけた厳しい学校の先生のように見えた。ジョンの白い肌は、不健康な灰色を帯びていた。

(略)

西海岸からやって来た社交界の淑女は、世界一有名なロックスターとその配偶者の世話をできるかと思うと有頂天になった。妻たちは衣服を仕立ててほしいと言い、みんなでリシケシュに買い物に行く計画を立てた。(略)

彼らはナンシーの着ているパンジャビを気に入り、自分たちも購入したいと言う。ナンシーはビートルズに褒められて大喜びする。

(略)

色とりどりの布、サリー、袖無しの長いベスト、刺繍が施された薄いクルタ、大量の安手のベルベット、カシミアのショール。明らかに商人たちは、永遠に売れないと思っていた品々を大量に売りさばいたようだ。ジョンとジョージは買う物を決めるのが早かった。2人共自分の好みを分かっており、言い値で買った。妻たちは助言もしたが、購入を決めるのはボーイズだった。値切るのが決まりだとラグベンドラが言っても、2人は決して値段交渉をしなかった。(略)いつもはシニカルなジョンでさえも、大量のエキゾチックな布地を前にして興奮を抑えきれなかった。(略)赤い斑点で覆われた金色のフラシ天の布地を指しながらジョンは「これで自分にコートを作るんだ」と宣言。

(略)

 ジョージとジョンは女性のサリーをシャツ用に買い、ジョンは赤とオレンジの長いベルベットをロング・コート用に購入。妻たちは男性のドゥティをおしゃれパジャマに、サリーを長いひらひらのドレスに仕立てさせた。

[この買い物により]ビートルズがアシュラムに到着したことが地元のファンにばれてしまう。(略)

鮮やかなズボンを履いた女の子たちが、両親を伴いアシュラム周辺を徘徊したが、何も無いまま失望して帰っていった。

(略)

マスコミは、国際的な大ニュースを報道するためにリシケシュに駆けつける。

(略)

 アシュラムで何をやっているのか、ビートルズに直接取材できないマスコミは(略)様々な憶測記事を書き始める。

(略)

[ドノヴァンを迎えにデリーに向かった]ナンシーとアヴィの目が釘付けになった2枚のポスターには、「アシュラムでの乱交パーティ」「アシュラムでレイプされるビートルズの奥方たち」と、日刊紙の見出しが踊っていた。

(略)

ナンシーが、マスコミが広めているアシュラムでの行状の噂をビートルズと妻たちに伝えると、みんな一斉に大笑いした。(略)ドノヴァンが「誰がやられたのか教えてよ」と言うと、ビートルズの妻であるパティとシンシアが、まだそのような光栄に預かっていないと答えた。

(略)

思いのままにできる自由時間が醸し出す心地よいムードのなか、聖者の谷での毎日はゆっくり過ぎていった。

(略)

 アシュラムでの食事が口に合わなかったリンゴでさえも、バケーション気分を味わっていた。

(略)

 アシュラムを最も高く評価したのはエヴァンスだった。がっしりとした体格のビートルズボディガード兼ローディである彼は、普段の過密スケジュールとは大きく異なる、平和で静かなアシュラムを明らかに楽しんでいた。「もう一週間経ったなんて信じられない。心の平安と、瞑想によって得られる落ち着きによって、時間が飛び去るのかもしれない」と、エヴァンスは日記に記している。

(略)

 グルはヘリコプターがアシュラムに来て、自分と有名人ゲストを遊覧飛行に連れて行く計画に有頂天になる。

(略)

[ポールの回想]

 

(略)ヘリコプターが降り立ち「誰かマハリシの前に軽く飛んでみたい人いますか?」と聞かれた。ジョンが飛び跳ねながら「はい、はい、はーい!」と叫んだから、彼が一番になり、残るはもう1席になった。

 後でジョンに「何であんなに行きたがったの?(略)」と聞いたら、「そう。彼に答えを教えてもらえると思ったのさ!」と彼は言った。

(略)

 「すごくジョンらしい。(略)聖杯を見つけられると思ったんじゃないかな。うぶだよね、すごく。純粋だ。感動的なくらい」

(略)

 超越瞑想にあまり興味のなかったポールでさえも、自分の思考に及ぼす影響に驚く。(略)

 「気持ちの良い午後、バンガローの平たい屋根の上に茂る南国の木の木陰にいた時のことだ。自分が蒸気の出る熱いパイプ、温かいパイプの上に漂う羽根のように感じた。湯気だけで空に浮かんでいるようだった。(略)赤ちゃんが、安心感に包まれているような、そんな心地いい優しい気持ちを思いだした。あの時が一番気分が良く、今までで一番リラックスできた。数分の間、すごく軽く、浮かんでいるような、完成されたような感じを受けた」

(略)

 マハリシマントラを唱え続けて抑えられた感情やトラウマが解放されることは、必ずしもいい結果をもたらさなかった。時には恐れや不安が暴力的に爆発することもあった。ナンシーは若いドイツ人が恐怖の叫び声を上げて、夜間みんなを起こしてしまった時のことを記憶している。(略)ドイツ人の若者は「前世で近所の人々に殺された時の体験が戻って来たのです。恐ろしかった」と説明した。

 精神的に不安定な状態でアシュラムに来たプルーデンスは、癒されようと必死に瞑想を続け、様態が良くなるどころか悪化したため、マハリシは大きなジレンマに襲われる。「長い沈黙の後で発作のように叫び声や金切り声を上げるので、アシュラムにいるほとんどの人が、プルーデンスは気が触れていると思っていました。専門の医者による治療が必要なのは明らかでしたが、マハリシが彼女を放したがりませんでした」(略)

プルーデンスがアメリカで精神病院に入ってショック療法を受けていた事実をマハリシが知っていたことを、ナンシーも暴露している。

(略)

2ヶ月過ぎると意識が朦朧とするようになり、自分で食べることもできなくなる。この頃には「私を助けてマハリシ!みんなあっち行って!助けて!助けて!」と昼夜叫び声を上げるようになる。

(略)

 ジョージの友人で映画『ワンダーウォール』の監督ジョー・マソットも(略)プルーデンスの症状を目撃している。「(略)小柄なインド人2人に支えられながら、文字通り壁をよじ登っていた。自殺する恐れがあるため、2人は見守っているようだった。彼女は完全にいかれていた」。

(略)

ジョージとジョンはヴィーナにすっかり魅了され、シンのリサイタルを褒めちぎった。またアシュラムに来て自分たちだけのために演奏してくれとビートルズは言い、シンの店に行って楽器を見てみたいとも言う。(略)

数日してビートルズ一団全員が、マイク・ラヴとドノヴァンを連れてプラタープ・ミュージック・ハウスに降り立ち、町が騒然となる。(略)

シンはまた、ビートルズに会いにアシュラムを数度訪れている。「ジョンが調子の悪いギターを見てくれと私に言ってきました。店に持って行かなければならないと伝えましたが、彼はすっかり信用してくれ、全く問題ないと言いました。とても高価なギターで、当時の価格でも軽く一〇万ドルはしましたが、渡してくれました。修理をして返すことができ、彼はとても満足していました」。

 ギターの修理に気を良くしたジョンは、シンにペダルで操作する特別なハーモニウムを制作し、サイケデリックな花のペイントを施すよう依頼。「それでハーモニウムを作らせ、姪の画家に鮮やかなサイケデリック・フラワーの絵をジョンの指示通りに描かせました。彼はとてもハーモニウムを気に入ってくれました。ジョンの未亡人ヨーコ・オノが、まだアメリカで所有しているはずです。(略)」と、八〇代のシンは言う。彼はその後ドノヴァンにも、鶏の形をした特注のギターネックの制作を依頼された。

(略)

 リンゴが去ってしばらく後、イタリアのテレビ番組のクルーがアシュラムの生活を撮影した貴重な映像では、ミアが目立つように映されている。(略)

冒頭(略)ギターを持ったジョンとポール、ジョージ、パティ、ジェーン、シンシア、ラヴ、ドノヴァン、ミアが一緒に歩く姿が登場。アメリカ人女優は、歌い、写真を撮り、川で顔を洗う姿が全編を通してフィーチャーされている。短いハイキングの後で、川縁にたどり着いた一行は、ミアのカメラに向かってポーズを取る。それからジョン、ポール、ジョージとドノヴァンがギターを回し弾きし、みんなで合唱している

(略)

 皆とても上機嫌だ。(略)ばか笑いをするジョンにつられてシンシアも笑うシーンがあるが、まるで夫婦間の問題が全て解決したかのように見える。(略)

最も楽しんでいるように見えるのはポールだ。カメラは最初にギターを持ってふざける彼の姿を捉えた後、川岸の泥に足を入れ、つま先を覗かせて茶目っ気たっぷりに足の指を動かし、歌を楽しんでいるように見える猿に向かって変な顔をする様子を映す。両脇を側近に守られたマハリシは、川風に髭と髪を揺らしながら、慈悲深く微笑み、ガンガでしゃがみ、聖なる水を浴びるように皆に勧める。ほとんどの人がマハリシの言葉に従っている。

(略)

インド最大の聖なる川に集まったスターたちの気持ちが1つになっているのは明らかで(略)

ドノヴァン

既に知り合いだった両者は、アシュラムで固い友情で結ばれるようになる。

(略)

「ジョンはよく絵を描き、2人で瞑想し、プレスもメディアも不在、ツアーもやらず、プレッシャーもなく、名声とも無縁だった。僕は新しいスタイルを身につけ、彼らも同様だった。ビートルズのソングライティングのスタイルは変わり、僕のも変わった。延々と何時間も演奏し、その成果の多くが『ホワイト・アルバム』の一部になった。どんな風にしろ『ホワイト・アルバム』に影響を与えたことを誇りに思っている」

(略)

ドノヴァンはジョンにアコースティックギターの「フィンガー・スタイル」を教えた。

 「二日間にわたって、秘技をジョンに授けた。それから最初に彼が書いた曲は、母親のジュリアに捧げる感動的なバラードだ。『母と一緒に体験できなかった子供時代についての曲を書きたい』と彼は言った。何か使えるイメージはないかと聞かれたから……『曲を思い浮かべる時、自分はどこにいると思う?』と言うとジョンは『海岸にいて、自分のお母さんと手を繋ぎながら歩いている』と答える。それで数行手伝った――『貝殻のような瞳 海風のような笑み』。ジョンがとても愛していたルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のような雰囲気にして。曲は……素晴らしい "Julia"

になった(略)

 ジョージが(略)インドのベース楽器タンプーラをくれた。彼は僕の曲 "The Hurdy Gurdy Man" のヴァースの1つを書いてくれて、僕はタンプーラをその曲で弾いている。お互い学び合っていたんだ。(略)」

 ドノヴァンによればポールは、卓越した音楽的な耳を持っており、特別なギター奏法をドノヴァンから教わる必要はなかった。ジョンがドノヴァンから教わるのを聞くだけで、数日のうちに奏法を会得してしまった。

 ポールはマイルズに、長いことメロディはあったが歌詞は無かった "I Will" を完成させるのを、ドノヴァンがリシケシュで手伝ってくれたと語っている。

 「(略)ある晩、一日瞑想をした後でみんなで座りながら、僕がその曲を弾いたら彼が気に入り、一緒に歌詞を書こうとした。もっといい言葉はないかと探し続け、とてもシンプルな言葉、まっすぐなラブソング用の言葉ばかりの歌詞を自分なりに仕上げた。とても印象的な歌詞だと思う。メロディの方も、未だに自分の曲で一番好きだ」

 興味深いことに、ドノヴァンの記憶はポールと食い違っている。「歌詞は手伝わなかったと思う。コードの形を手伝ったかもしれないし、その時期インドで書いた僕の曲から、イメージのヒントを与えたかもしれない」。

(略)

ある朝、ラヴが朝食を食べていた時、ポールがアコースティックギターを手にバンガローから出てきた。彼はマイアミ・ビーチから「U.S.S.R.(ソ連)に戻る」飛行機の旅で始まる歌を歌っていた。ラヴはビーチ・ボーイズが "California Girls" で歌ったように、モスクワのいかしたお姉ちゃんや、ウクライナの女の子たちが出てくる歌詞にしたらと提案した。

曲を書きまくるジョンとポール

 マイルズによれば、アシュラム滞在中はビートルズ全員の生産性が甚だしく高まり、合わせて40曲以上書かれたという。彼はまた、過去数年で初めてジョンの頭がドラッグから自由になり、音楽が流れ出るようになったと言っている。ジョンの書いた曲は―― "Julia"、"Dear Prudence"、"The Continuing Story of Bungalow Bill"、"Mean Mr.Mustard"、"Cry Baby Cry"、"Polythene Pam"、"Yer Blues" と、時差ぼけで眠れなかった最初の数日間に書かれた "I'm So Tired" だ。

 後にジョンは少し愉快そうに、こう振り返る「マハリシのキャンプで面白かったのは、美しい景色のなかで八時間瞑想していたにも関わらず、僕は "I'm So Tired" や "Yer Blues" のような地球上で最も惨めな曲を書いていたことだ」。

 ジョンの書いた曲は、当時彼の頭が混乱していたことを反映している。ビートルのままでいる熱意を失ったこと、脱退したら何をしていいか分からなくなるのではないかという恐れ、この2つの間の葛藤がよく曲に表れている。その上、故郷に置いてきた女性への報われない情熱も当然のことながらあった。

 後にジョンは次のように回想している。

 

「当時すごく『何になるというんだ?曲作りなんて無駄だ!無意味なことをやっているし、才能も無いし、自分はクソだし、ビートルでいる以外に何も出来ないし、どうしたらいいんだ?……僕のエゴは巨大で、三年か四年エゴを壊そうとし続けたら、何も手元に無くなってしまった。インドに行ってマハリシに会ったら、彼は『自分で面倒をみられるのなら、エゴはいいものです』と言っていた。でも僕はもうエゴを破壊し尽くしてしまっていて、パラノイアに陥っていて、弱っていた。もう手の施しようがなかった」

 

 例えばジョンの曲 "I'm So Tired" には、アシュラム到着から三週間、内なる悪魔が自身を苦しめる間、眠れないままベッドで寝返りを打ち続け、煙突のようにタバコを吸い続けた嘆きが歌われている。メンタルの疲労感が表れたこの曲を、後にジョンはリシケシュで書かれた曲の中でも上出来のものだと評価している。「一番好きな曲の1つだ。サウンドがとにかくいいし、よく歌えている」。

 ポールもこの曲がお気に入りで、ジョンらしいと言う。

 「 (略)スペシャルな言葉『サー・ウォルター・ローリーを呪ってやる 間抜けなくそったれだから』が出てきて最高だし、これ以上ないくらいジョンで、彼が書いたのは間違いない。100パーセント、ジョンだ。(略)」

 パティの一〇代の妹ジェニーは、ジョンと――彼は不眠、彼女は扁桃炎で――お互い慰めあったことを次のように回想する。

「(略)眠れないので、『ホワイト・アルバム』に収められることになる曲を書いていました。私が一番辛かった時、魔法のランプから出てきた、ターバンを巻いたシーク教徒が大蛇を持つ絵を描き、『内なるパワーと外なるパワーにより、そなたの扁桃腺の灯台の灯りよ、消えろ!』と厳かに唱えてくれました。ああいった晩にジョンが書いた "I'm So Tired" のような、悲しい歌を彼が歌うのが、今でも時々夜中に聞こえるのです」

(略)

"Yer Blues" での彼は紛れもない自殺願望を抱いており(略)ディランの有名曲 "Ballad of a Thin Man" の中で嘲られ怒られるミスター・ジョーンズに自分をなぞらえている。「インドで自殺したい思いに駆られながら、ブルースの曲を書こうとしていた」と、後にジョンは不気味なことを言っている。

 不眠と絶望が、彼の皮肉をより辛辣にさせる。(略)リシケシュでジョンの書いたもっと覚えやすい曲の1つ "The Continuing Story of Bungalow Bill" は、ナンシーとその息子リックの絡むアシュラムで実際に起こった事件に基づいている。好き嫌いのはっきりしていたジョンは、ナンシーをそれほど好まず、ややお節介ではないかと感じていた。(略)彼女はビートルズの住まいをリフォームし、買い出しに連れて行きと、彼らの無事を見守り世話をしていたにも関わらず、だ。クルーカットをして短パンとブーツを履くリックが到着してからというものの、ナンシーに対する反発は強まる。(略)

リックは虎を撃ちたかった訳ではなく、森の密生した下草からその野獣が襲いかかろうとしたので仕方なく撃ち殺したと、後にナンシーは釈明している。だが、殺された虎の横で誇らしげにポーズをとる、母子の写真が残されている。後ろめたさを感じたリックは(略)ビートルズもいる前で「何か悪いカルマ」になるようなことをしてしまったかとマハリシに聞く。ヨーギーは寛大にもこの若いアメリカ人に、何であれ自分の欲に落とし前を付けたことはいいことだと言って、リックを安心させる。ビートルズのメンバーやその妻、および恋人は黙っていたが、ジョンだけがあざけるように「でも、それって生命の破壊に近いことしたんじゃないの?」と言い、銃殺は自己防衛のためだったとするナンシーの弁明を一笑に付した。

(略)

「弾丸頭をした純正アメリカ人で アングロサクソンを母に持つ息子」――クルーカットをしたマザコンのリックをからかう言葉だ――による虎狩りの物語で、ジョンはヴァースに皮肉をたっぷりと散りばめている。

(略)

 ジョンと同じくらい制作意欲に恵まれたポールは、マイルズによれば、アシュラムで15曲も書いた。題材は幅広く、時に同じテーマに面白い変化を付けて歌詞が書かれた。例えば、 "Mother Nature's Son" は、人間と自然の関係についてのマハリシの講義に基づいている。 "Why Don't We Do it in the Road?" は、アシュラムの屋外で気軽に交尾する猿のカップルを、茶目っ気たっぷりに、刺激的に書いた曲で、人間も生物の本能に忠実になり、猿からロマンスを学んだ方がいいのかと質問を投げかけている。「屋上で瞑想していたら、猿の群れが見えた。雄がひょいっと雌の背中に飛び乗り、お国言葉で言えば、一発かました。二、三秒してからまたひょいっと飛び降り、『やったの僕じゃないよ』とでも言いたげに周りを見渡し、彼女の方も、『何か起こったの?』とでも言いたげに周りを見渡した……それで思った……生殖とは、これほどシンプルな行いなんだと」と、ポールは後に語る。

(略)

「ある晩、村で映画が上映されるので、みんなで出かけて行った。(略)インドのとても気持ちのいい夜だったから、マハリシが来て、みんな来て、行列を作って歩いて行った。とっても、とっても気持ちが良かった。ジャングルの小道を瞑想キャンプから、土埃のなかをやや下り気味に降りていって、行列の横で僕はギターを弾きながら、当時書きかけだった "Ob-La-Di,Ob-La-Da" を歌った」

(略)

 ジョージの方が瞑想キャンプを真面目に捉えていたというシンの見解を証明するのは、ポールがマイルズに語った、ジョージが他のメンバーを怒りに満ちて非難した一件だ。数週間アシュラムで過ごした後、ポールとジョンは当地で創作した曲の数とクオリティに大満足する。あまりに好調だったため、2人はバンドの将来の大きな計画を立て始める。

 「ジョンが壮大なテレビのシナリオを思いついたんだ!すごいテレビ番組。僕は次のアルバムのタイトル『アンブレラ』を思いついた。全てを覆う傘ね。確かこの時点で、ジョージが僕に腹を立てたんじゃなかったかな。(略)

『次のアルバムのためにここにいるんじゃないんだぞ、くそ!瞑想しに来たんだ!』。『あら、息をしてごめんなさいね!』って感じだったよ。ジョージはそこらへん厳しくて。

(略)

 リシケシュで生み出された曲のクオリティと幅は(略)彼らのキャリアのなかで頂点であると考える人もいる。1週間ちょっとしか滞在しなかったリンゴでさえも、初めて曲を作ることができたのだ。これらの曲の最大の特徴は、それぞれ独立しており、アルバムという枠を想定して書かれていない点だ。

(略)

恋する若者ドノヴァンが(略)パティの可愛らしい金髪の妹のために書いた "Jennifer Juniper" の歌詞とメロディは、超越瞑想時代の究極の愛の賛歌であり続ける。

マジック・アレックス

 マジック・アレックスがなぜマハリシのアシュラムに現れたのか――それはビートルズが到着して六週間経った頃だ

(略)

理由が何であれ、彼はビートルズのリシケシュ滞在にドラマチックな結末をもたらす上で、欠かせない役割を果たすことになる。

(略)

 全くの部外者だったヤンニ・アレックス・マルダスが、ビートルズの人生に登場し、あっという間に彼らに近づき、親しくなり、信頼を得たこと

(略)

 アレックスのジョンへの売り込みが成功した一因に、ジョンがテクノロジーに圧倒的な興味を持っているにも関わらず、全ての科学的な事に対し底抜けに無知であったことがある。程度の差はあれ、ジョンの一面は一九六〇年代イギリス特有のものだ。

(略)

[ポール回想]

「(略)アレックスはジョンのグルだったけど、僕らみんな彼のしゃべりに魅せられた。SFっぽいアイディアではあったけど、今すぐ実現可能だと言われればね。六○年代にはモダンでなければいけない雰囲気があって、それがあまりに強かったから、今これから六〇年代が始まるのではないかと錯覚に襲われるくらいだ。未来の時代だったみたいだ。過去の時代じゃなくて」。

(略)

 ギリシャ人の軍人(略)の息子で、ガリガリに痩せた、薄茶色の髪をした二一歳のこの男は(略)訛りの強い英語で、音節ごとに舌がもつれながらも、ものすごい速さでしゃべった

(略)

 制限付きの学生ビザでイギリスに入国したアレックスは、パスポートが荷物から抜き取られて以来、その期限が切れてしまったと主張していた。ギリシャ大使館にこの問題を報告に行くと、大使館員は彼がパスポートを売ったと非難する。(略)

テレビの修理店の地下で、修理工として違法に働く。同じ頃、ジョン・ダンバー(略)が、アレックスと知り合い、彼の電気と電子に対する知識を活用できるのではないかと思い始める。

(略)

[ブライアン・ジョーンズのお気に入りとなり、ブライアンがジョンとジョージに紹介]

光で色づけた空気、夜空にかけるレーザーでできた人工の太陽、ファンを寄せ付けないようにする力場、紙のように薄いステレオ・スピーカーでできた壁紙――といったアイディアに溢れ、既に制作方法も思いついていると言う

(略)

[ポール回想]

 「(略)[セッション前]僕の家に集まっていたところに、ジョンがアレックスと一緒に現れた。(略)

ジョンが僕の前で床に座りながら『俺の新しいグル、マジック・アレックスだ』と言ったのを覚えている。(略)

面白いアイディアを持つただの男に見えた」

(略)

[ベル研究所で既にプロトタイプが作られていたものもあれば]ただの想像の産物もあった――壁が透けて見え、ベッドやシャワーを浴びる人々を覗くことができるレントゲンカメラ、色の付いた空気で囲み建物を見えなくしたり、車の後部を追突から守る一種の圧縮空気。さらに、見えないビームで支えられた、空に浮かぶ家

(略)

ジョージは自伝で次のように指摘する。(略)最新の発明に気づくと僕らに紹介し、僕らは彼が発明したものと思い込んだ。僕らは全くもってうぶだった。

(略)

 マイルズによれば、ビートルズの友人でアレックスに感心する者は誰もいなかった。アレックスは科学やエレクトロニクスについて少しでも知っている人――例えばジョージ・マーティンなぞには、決して自分のアイディアを話そうとしなかった。ジョンになぜ発明が実現不可能か説明してしまう可能性があるからだ。マイルズは自著に、アレックスは『ポピュラー・サイエンス』[通俗科学雑誌]を定期購読していた可能性が高いが、ビートルズは購読していなかったようだと、かなりの皮肉を込めて記している。

(略)

技術的未来だけが、アレックスがビートルズに取り入ることができた理由ではなかった。彼には他にも使い道があった。ジョンが強く夢想していたものの1つに(略)みんなで孤島のセキュリティの高い複合型居住施設に外界から邪魔されず住む計画があった。

(略)

美しい個別の家を全員に建て、金で買える限り最高のスタジオを建設する。学校もあり、ジュリアンが1部屋だけの校舎で学び、ディランの子供たちも招かれて一緒に学ぶことができる。

 アレックスがこの機を逃すなとばかり話に飛びつき、ギリシャ沖にちょうどいい場所があり、ビートルズが「タダ同然」で買える島が何千とあると言う。

(略)

二日後アレックスが、神がビートルズのためだけに作ったような場所を見つけたと電話をよこす。(略)100エーカーの土地には1エーカーの豊潤なオリーブ畑があり、アレックスの主張では、七年もすれば、オリーブの収穫で6島の購入代金が戻ってくるとのことだった。アレックスは全てを格安価格の九万ポンドで購入できるよう手配していた。

 もちろんアレックスは、当時ギリシャが世界で最も圧政的な軍事政権の1つに抑圧されていたことを、ビートルズにあえて伝えるようなことはしなかった。この軍事政権支配下では、長髪とロック・ミュージックは禁じられており

(略)

アテネ出身のアレックスは、ギリシャの島の一件で、自分にネットワーク作りと取引の才能があり、バンドに役立つ男であるところを証明してみせた。ジョンはますます彼を好きになり、信頼を寄せるようになる。

(略)

 ブラウンによれば、シンシアはマジック・アレックスを見た瞬間から、ぞっとする思いをしたそうだ。アレックスはトラブルを起こす予感で満ちあふれていた。(略)ジョンの歓心を買う獰猛な競争相手として認識するのに、シンシアほどの適任はいなかった。

 会ってすぐにアレックスを嫌いになったシンシアであったが、制御不能なくらいにドラッグを摂取し続けるジョンにストップをかける点では、アレックスに味方になってもらえることを知る。(略)アレックスにとって、サンルームの棚に置かれた(ジョンが日々ドラッグの混合物を作っていた)すり鉢とすりこぎは、ジョンを不幸にする最大の要因であり、ジョンをコントロールできなくなる原因でもあった。ドラッグの影響下にあるジョンは、アレックスの影響下にあるジョンではなかった。

 アレックスはジョージにもつきまとったが、ジョンほどの成果は得られなかった。(略)

 興味深いことに、マハリシと会うことをビートルズが初めてアレックスに伝えた時には、彼は大喜びして、間髪入れず、超越瞑想のことを何でも知っていて、数年前にアテネ大学で行われたマハリシの講義に参加したことがあると主張した。

(略)

ジョージと異なり、ジョンとポールは2人共、無礼に近いほどの親しみでマハリシに接した。(略)

次第に会話が途絶え、気まずい沈黙が流れる。(略)ジョンが突然立ち上がり、足を組んで座っていたマハリシのところに行き、頭をぽんぽんと叩いてから「グルのいい子ちゃん!」と叫んだ。マハリシも含めて全員が、思わず爆笑した。

(略)

[ポール回想]

「どんな車を使ったらいいかマハリシが聞くから、『メルセデスは実用的でいい車です。派手過ぎず、でもちゃんと派手で、故障はあまりせず、目的地にたどり着けます』と言うと、『必要なのはこの車だ!』となる。(略)」

(略)

 映画『ワンダーウォール』の監督マソット[が到着した時には、リンゴとポールは既に帰国しており](略)

部屋に案内しながらジョンは、彼がフィリップスのポータブル・カセット・デッキを持っているのを見て、どんな音楽を持ってきたのか尋ねる。

 

 オーティス・レディング最後の録音で、リリースされたばかりの "(Sittin' on) the Dock of the Bay" と、ハッシシを少しと答えた。ジョンが声を低くして、リシケシュにはマリファナが無いこと、誰にもこのことを言わないこと、特にジョージには、と言った。(略)夕食の後で、みんなでマリファナを全部吸い、"Dock of the Bay" を最低20回は聴いた。

(略)

 ポールとジェーンのアシュラム滞在で犠牲となったのは、2人の関係だ。両者共、大体において心地よい、リラックスした休暇を過ごすことはできたが、一緒に時を過ごしたことにより、数ヶ月前にロンドンで、もうすぐ結婚すると発表したのは時期尚早だったと気づく。2人共感情を表に出さないことに長けていたため、誰も彼らの数年に及ぶロマンスが終わろうとしていることに気づかなかった。1つヒントとなったのは、日帰りでもいいから[人気のデート・スポット]タージ・マハルに行きたいというジェーンのリクエストを、ポールが頑なに拒んだことだ。(略)帰国してから1ヶ月も経たないうちに、ポールとジェーンが別れたことは、驚くに値しない。

 ビートルズの伝記作家フィリップ・ノーマンは(略)自著に、ポールとジェーンが去った後から、ジョンが落ち着きを失い始めたと記す。(略)

[アスピノール談]「ジョンはマハリシに授けてもらわなくちゃいけない何か秘密があり、それをもらえたら家に帰れると思っていた。彼はマハリシが自分に出し渋っているのではないかと思い始めた。『彼と一緒にヘリコプターに乗れば、自分だけに答えを教えてくれるかもしれない』とジョンは言った」。しかし、答えをもらうことがなかったジョンは、次第に落ち着きを失っていった。

 ヒンドゥーの信仰と文化に熱心に取り組んでいたジョージさえも、アシュラムのなかで軽い閉所恐怖症に襲われ始め、本物のインドを見せないように、マハリシビートルズの周りを壁で囲んでいることに違和感を覚え始める。

(略)

ジョンが落ち着きを失っていった原因は全て、内なる葛藤から来ていた。この頃までにジョンは、ヨーコに首っ丈になっていた。ヨーコから何千マイルも離れ、数ヶ月も会えない状態は(略)彼女を恋い慕う気持ちを強めさせたのであった。

 ジョンとヨーコは、奇妙な形で長距離恋愛を進めていた。ヨーコはジョンに、華やかな手書きの文字でたった1行「空を見上げて雲が見えたら私を思い出して」と書かれたようなハガキ何枚も送っていた。ジョンはヨーコから、暗号のようなハガキがアシュラムの敷地内の郵便受けに届くのを今か今かと待ち受けた。返答として熱情を明らかにした、長ったらしいジョンの手紙が、ヨーコのロンドンのフラットに積み上がっていった。(略)

後にジョンは語っている。「(略)インド滞在から、彼女のことをただの知的な女性ではなく、女として見るようになった」。

(略)

[ジョンはコテージのなかの別室で]瞑想するふりをしながら(略)ヨーコに手紙を書いていた。それでもシンシアは、夫婦関係がアシュラムで魔法のように元に戻るのではないかと、淡い期待を抱いていた。(略)

ジュリアンの五歳の誕生日(略)マハリシが(略)可愛いベルベットのスーツをくれた時などは(略)

「ああ、シン。ジュリアンとまた会える時は、どんなに素晴らしいだろうね!全てがまたファンタスティックになるよね。そうだろ?待ちきれないよ。シン、君は?」。(略)[だが]ジョンは翌日、鍵のかかるコテージの自室に戻って行った。ジョンの親としての思いやりと家族への献身は、突然現れた時と同じくらい、あっという間に消えてしまったのだ。

 サルツマンはジョンと交わした会話で、彼が含みのある発言をしたのを覚えている。(略)[サルツマンの失恋話に]ジョンは、「そうだ。愛は時々とても辛いものになるよな?(略)それでもいいのは、いつかは別のチャンスがやって来るってことだよな!」と言った。

(略)

 ブラウンの説明によれば、アレックスは最初からマハリシと喧嘩するつもりだったようだ。

(略)

[ビートルズの年間収入10~25%を求めたと聞き]金目当てで近づいているのではないかとマハリシに詰め寄ると、ヨーギーはアレックスを買収しようとした。

(略)

 パティの妹ジェニーは(略)「彼が来たのは、ビートルズが瞑想するのを好まず、ジョンを取り返したかったから」と言っている。

(略)

[マハリシの影響力を削ごうとアレックスは敷地内に地元の酒をこっそり持ち込み、マハリシが鶏肉を食べたと噂を流す。]

[『グル・デヴ』とタイトルがつけられた映画、マハリシは、アップル・コア以外とも同時交渉]

マハリシの側近は、グルが二重に取引をしていて、双方との交渉がかち合うことは不可避であることを知っており、その行方を心配していた。

(略)

リューツが、署名済みの映画の契約書を持ち、準備万端のフォー・スター・プロダクションの弁護士を伴い到着する。

(略)

身だしなみの整ったアメリカ人ビジネスマン風情を己のイデオロギー上の敵とみなしていたジョンは、とりわけ嫌悪を露わにした。ビートルズと彼らのスピリチュアル・グルの間で計画を進めている映画を乗っ取ろうと脅すなど、彼にとっては個人的な侮辱以外の何ものでもなかった。(略)

 その間にもマジック・アレックスは、マハリシ反対キャンペーンを強化していた。マハリシにチキンを食べさせられたことを告白した看護師を使い、彼はさらにショッキングな告白をさせる。今度は、個別相談でマハリシに性的に誘惑されたと主張し出したのだ。(略)

マハリシは手始めに、2人の間にスピリチュアルな力が流れるよう、手を繋ごうと誘ってきた。マハリシが流れを通す方法には、もっと手の込んだ、古くからあるやり方もあることが、すぐに判明。それぞれ別の日に5回、ことは行われた。偉大なる師を喜ばせたい一心で、女性は仰向けになって目を閉じ、グルが彼女の肉体に奉仕する間、カリフォルニアに思いを馳せた(略)

しかしビートルズの妻は誰もこの話を信じなかったようだ。例えばシンシアは(略)ジョンに対するマハリシの支配力を払拭できるのなら、アレックスは嘘をつくのもいとわないと確信していた。(略)その若い女性がある晩、アレックスの部屋で彼と一緒にいるところを見た覚えがあるからだ。(略)

パティもまた、ギリシャ人を信用していなかった。「すごく邪悪な人!嘘つきイタチ!」と彼女は五〇年経ってから言い、「必要の無い、不幸な騒動」を残念がる。

 マハリシが性的に不品行であるとの噂がアシュラムで広まったのは、初めてではなかった。(略)ビートルズや他の人にミアが伝えた可能性は高い。(略)

少なくとも他に2人の瞑想に来た女性(略)に言い寄った噂を耳にしたそうだ。だが以前は、ゴシップの域を出ず、証拠が無ければ信じられない話ばかりだった。

(略)

ブラウンによれば、ジョージは何一つ信じず、アレックスに激怒していたそうだ。だがジョンの方は、マハリシが結局、皆と同じように世俗的で金銭に卑しい人間であることが分かったと言い、マハリシに強い疑いを向けるようになった。

脱出、ぶちまけるジョン

[脱出を決めたビートルズマハリシが行く手を阻むのではと被害妄想に陥るアレックス]

タクシー2台を買収するのに失敗し、最終的にはボロボロの個人所有の車を運転手付きでなんとか見つけることができた。

 ジョンはマハリシに対する発作的な怒りを静められないまま(略)グルに対するひどく不快で悪意のある歌を作り始める。「マハリシ、このまんこ野郎!/何様のつもりだ?てめえ/何様のつもりだ?てめえ/おまんこ野郎!」――当初ヴァースには、これらの言葉が並んでいた。この曲は、ジョージの助言により下品さを無くし、大幅に書き換えられ、曲名を "Sexy Sadie" と名付けられた。(略)

 少し前までは有意義に思えた冒険物語の、誠に悲しい結末であった。渋々姉と義兄と一緒に出て行こうとしていたジェニーは(略)しょんぼりしたマハリシが、なすすべも無く立ち尽くす姿を覚えている。「待って。話し合いましょう」とマハリシが懇願するのをジェニーは聞いている。

(略)

 数キロ毎に車が故障し、遂にジョンとシンシアの車がパンクし、しばらく立ち往生する。皆、マハリシが何らかの呪いをかけたのだろうと思った。(略)

パティとジョージが助けを求めに行き、ジョンとシンシアと運転手は、うだるような夏の暑さのなか、人気の無い道で待った。マハリンが黒魔術を使って追いかけて来ると、何度も何度もわめくアレックスにより、事態は一層辛いものになった。

(略)

やっとデリーに着いた頃には、疲労と怒りで一杯だった一行は(略)あっという間に身元がばれてしまった。すぐにあらゆる通信社の海外特派員とレポーターが(略)ホテルのロビーをうろつき始めた。

(略)

ジョンは、オベロイに着いた途端、一番好きな酒、スコッチ・コークを飲み始める。シンシアと飛行機に乗るまで飲み続けた彼は、機上ではさらに杯を重ね(略)結婚後の不貞を酔った勢いで妻にぶちまける決心をした。

(略)

 「そんなこと聞きたくない」と言いながら、シンシアは悲しい目で飛行機の窓から遠くを見た。「知るより知らない方がましだ」と彼女は言った。(略)ジョンが突然告白の必要性に駆られたのは、もっと悪いことが起こる前兆ではないかと心配した。「それでもちゃんと聞くんだ、シン」とジョンは言いながら、彼女の腕に手を置いた。

 「ずっと何年もツアー中に何をやっていたと思ってるんだ?くそ。女の子たちがわんさかいた。ハンブルグでは…」。「そう、知ってた」とシンシアはジョンの言葉を遮った。「リヴァプールだってそう何十人も、何十人も。一緒に付き合っていた間ずっと」。シンシアの目が涙で一杯になり、頬を伝って流れ落ちた。(略)

「世界中のホテルの部屋でだ!分かったか!でも、君に知られるのが怖かった。誰も歌詞を理解できなかった "Norwegian Wood" は、全部それだ。君に知られないよう、不倫のことをちんぷんかんぷんな言葉で書いた。(略)」。

 「もう聞きたくない」――シンシアは懇願し続けた。それでもジョンは、残忍なほどに正直であろうとした。他にも有名なイギリス人ジャーナリストや(略)ジョーン・バエズと浮気したことを告白し続けた。さらに、イギリス人女優とも断続的な関係を持った事実だけでなく、一夜限りの相手もリストアップし、その中には、ロンドンの友人宅に出張手配されたプレイボーイ・バニーも含まれた。

(略)

シンシアとの間にあった残り少ない感情を壊し、磁石のように彼をロンドンに引き戻したヨーコのために道を空ける、計算が働いたのかもしれない。

(略)

次第にジョージはパティから離れ始め、最後に夫と心を通わすことが出来たのは、もの悲しくも美しいジョージの写真をマドラスで撮った時――裸でベッドに横たわる彼の顔には、窓からの日差しが当たっていた(略)「その後彼は着実に自分の殻に閉じこもるようになり、最後には彼を見失ってしまうのです」とパティは五〇年後に回想する。

 その間ポールは、バンドが元に戻るのをロンドンで待っていた。ビートルズとそのビジネス王国(アップル)が、自分の指揮の下で花開くと彼は信じていたのだ。

ヨーコ登場、バンド崩壊

ビートルズがスタジオに集まったのは、ニューアルバム(略)に取り組むためで、新曲の数々――その多くは戻って来たばかりのインド旅行で書かれた――をレコーディングすることになっていた。その時だ――世界でこれ以上当たり前のことはないという顔をして、ジョンがヨーコを腕にスタジオに入って来た。ジョンと並び決然とスタジオの床に座ったヨーコを、バンド仲間の3人はあぜんとしながら黙って見守った。

 それまでビートルズは、神聖な場であるスタジオにゲストが入るのを許可することはほとんど無く、妻やガールフレンドでさえも例外ではなかった。彼らがもっと耐えられなかったのは、レコーディング中に邪魔をされ、アドバイスをされることだった。(略)

ヨーコが初めて口を開いてジョンに意見を言った時には、スタジオにいる全員が仰天したが、ポールは怒りに燃えた。「くそったれ!誰かしゃべったか?どこのどいつだ?ジョージ、何か言ったか?ああ、お前の唇は動いてなかったな!」。

(略)

他のメンバーに毛嫌いされていることが分かると、ヨーコはジョンの近くにうずくまり、ひっきりなしに彼の耳元でささやいた

(略)

バンドのメンバーはヨーコに対する不快感と怒りで一杯になり、彼女が自分たちのリーダーに魔術をかけたのではないかとさえ思うようになった。ボーイズと(略)[スタッフは]ドラッグの混合物が引き起こすジョンの悪い部分を、些細なものとして何年にもわたり容認してきた。例えばジョンは、リシケシュから帰国後のある日、「(略)親友を何人かアップル・レコードに集め、啓示を受けたと宣言。自分が地球に戻って来たイエス・キリストであり、その事実をプレスリリースすることを要求した」。(略)しかし、断固としてファブ・フォーをファブ・ファイブ、またはファブ・フォー半にしようとするジョンの要求は承認できるようなものではなく、彼の奇行が限度を超えてしまったと、周りの全員が感じていた。

 それでもショットンの言うように、ビートルズ解散の原因がヨーコであるとするのは間違いだ。ポールと他の3人のボーイズの間の、醜い実権争いにより引き起こされたバンド内の根本的な緊張状態に、彼女が火をくべる結果になってしまったに過ぎないのだから。

(略)

[インド行きの失敗により]次なる一歩では自分にもっと頼ってほしいとポールは考えていた。性的不品行の疑いのあるマハリシに過剰反応したジョンとジョージを叱りつつも(略)2人の仲間がスピリチュアルな探求に流されているとした自分の指摘が正しかったことに、ポールは密かにほくそ笑んでいた。

 事態の収拾と次に進む助けをする自分に、他の人が感謝すべきとポールが感じる一方で、バンド仲間は(略)あれこれ指図しようとするポールを、偉そうで無神経だと思っていた。

(略)

"Across the Universe" を何テイクも録音する最中にポールに怒られたことで、ドラマーは出て行く。(略)今回は、ドラムの腕が問題になり、リンゴの存在自体が矮小化されたのだ。

(略)

[リンゴ回想]

 僕は言った「バンドを脱退する。上手い演奏ができないし、愛されていると思えず、君ら3人がとても仲良くて、部外者のように感じているから」。するとジョンは「君ら3人こそ仲いいと思ってたよ!」と言う。

 それでポールの所に行き(略)同じことを言った「バンドを脱退する。君ら3人がとても仲良くて、中には入れないように思えるから」。するとポールは「君ら3人こそ仲いいと思ってたよ!」と言った。

 それでもうジョージの所に行っても無駄だと思った。僕は言った「バケーションに行くぞ」。子供を連れてサルデーニャに行った。

(略)

 ビートルズは、「世界最高のドラマー」と讃える電報を送って(略)リンゴが折れてスタジオに戻って来ると、ドラムは花で飾られていた。だが(略)翌年の一月に今度はジョージが出て行く。彼はポールとジョンの両方ともめており、前者の高圧的な態度に息の詰まる思いをし、ヨーコの登場で自分のバンド内の存在がより小さくなるように感じていた。(略)

ジョンとジョージ(略)は怒りの拳を振りながら、醜い呪いの叫びを浴びせ合った。

(略)

ファブ・フォーの私生活は、仕事上のキャリアと同様に崩壊する。リシケシュから帰国後数週間も経たないうちに、ジョンはヨーコと寝て、情け容赦なく人生からシンシアを消し去った。ポールとジェーンの場合は、ポールが他の女性とベッドにいるところをジェーンが見つけてしまう。(略)ジョンとポールがそれぞれのパートナーと手を取り合いながら、リシケシュの川沿いを歩いてからちょうど一年の一九六九年三月には、2人は他の女性と婚姻関係を結ぶ。なんとそれぞれの結婚式の日は、一週間も離れていない。

(略)

 皮肉なことに、ビートルズが仕事上でも私生活の上でも、リシケシュを去ってから間もなくバラバラになったのに反し、マハリシの方はそれから何年も、何十年も、驚くほど好調だった。(略)マハリシは活動の場のほとんどを海外に移し、故郷を振り返ることは二度となかった。翌年、創造的知性の科学(SCI)のコースを開始。当時アメリカの25校の大学で、このコースは履修可能だった。マハリシはまた、超越瞑想のコースを軍人に学ばせるようアメリカ陸軍を説得する。一九七一年までに彼は、世界ツアーを13回行い、50カ国を訪問した。

 一九七五年一〇月にマハリシは、『タイム』誌の表紙を飾る。同年、彼が「悟りの時代の夜明け」と名付けた5大陸を訪れる旅に出発。マハリシはこのツアーでオタワを訪れ、カナダ首相のピエール・トルドーと個人的に会っている。

(略)

改宗者が増えると共に、金がどんどん入ってきて、マハリシは間髪入れずに土地を購入した。

(略)

本部をスイスに置き、一時は月に六百万ポンド(一千二百万米ドル)の収入があり、世界中に200万人の信奉者がいたと報告されている。

 一九九二年にマハリシは国際的な政治政党を設立(略)議員に立候補するよう、既に解散していたビートルズのメンバーに呼びかけた。その頃までにはジョージ、ポールとリンゴはグルと良い関係にあり、唯一警戒気味だったジョンは亡くなってから大分経っていた。(略)立候補する者はいなかったが(略)選挙キャンペーンには、皆協力した。無論、全ての候補者が供託金を没収された。

 

インドとビートルズ その2

前回の続き。

『サージェント・ペパーズ』、「ハレ・クリシュナ

ビートルズを再始動させることができるのは、ポールしかいなかった。(略)

アフリカのサファリ旅行からロンドンに戻る機内で、彼は次のアルバムの斬新なアイディアを思いつく

(略)

ビートルズでいることに、僕らはうんざりしていた。(略)

突然、飛行機の中で思いついたんだ。僕らでいるのをやめてはどうかって。(略)別の自分たちを作ったらどうかって。別のバンドとしてのペルソナを実際に演じることほど、面白いことなんて無いよね」

(略)

ポールの奇怪な計画は(略)サイケデリックのもやのなかからジョンを引っ張り出すことには、成功する。ジョンは、カッカした雄牛のように猛烈な勢いでもやのなかから出てきて、その頃何度も体験したアシッド・トリップが、彼のクリエイティブな才能を蝕むどころか、むしろパワーアップさせたことを証明してみせる。ニューアルバム『サージェント・ペパーズ』のために、最初にレコーディングした "Strawberry Fields Forever" は(略)彼が過去の人ではないことを証明した。

(略)

『サージェント・ペパーズ』を、他のメンバーと違いジョージは、冷めた目で見ていた。(略)

 「組み立て作業のようになってしまったんだよ。細かい部分があるだけで、オーヴァーダビングを重ねて――僕にとっては少し疲れる作業で、ちょっと飽き飽きしてしまった。楽しめる瞬間も何度かあったけど、全体としては、あのアルバム制作を楽しむことはできなかった。インドから戻ったばかりで、僕の心はまだインドにあったから」

 

 ジョージがアルバムで興味を示したのは唯一、自身の書いた "Within You Without You" だった。

(略)

 『サージェント・ペパーズ』に熱心にならないジョージに対し、次第に耐えきれなくなっていたポールとジョンであったが、シタールの演奏に向けたジョージの情熱と、"Within You Without You" の際立つクオリティには感心する。(略)ジョージが初めてビートルズの曲から2人を閉め出し、インド人音楽家たちにスタジオを占拠させたことも、気にならないように見えた。

(略)

 一九六六年、ヴィシュヌ派のインド人予言者スワミ・バクティヴェーダンタ・プラブパーダが、ISKCON(イスコン)と呼ばれるクリシュナのカルトを設立して西洋に旋風を巻き起こし、印象的な「ハレ・クリシュナ」のチャントで、何千人もの若い男女をとりこにする。スワミは、クリシュナ神の名を唱え続けるだけで、信者は神と直接繋がることができると断言していた。このチャントのレコードを偶然手にしたジョージは、あっという間に心を奪われる。ジョンにも聞かせると、彼もまた「ハレ・クリシュナ、ハレ・ラマ」と、催眠作用のある抑揚で繰り返し唱えられるマントラに魅了される。

(略)

2人のビートルにとって「ハレ・クリシュナ」のチャントは、まるで神へと繋がる魔法の階段のようだった。(略)ジョージとジョンは、会う度に一緒にマントラを唱えるようになり、LSDの初体験を一緒に行ったことで得られた絆に加え、2つ目の繋がりができた訳だ。

 例えば、七月、絵のように美しいエーゲ海に滞在した際にも、2人はLSDマントラを一緒に楽しんだ。島を買って自分たちの王国を作るという、奇怪な計画(後に失敗に終わる)のために、ビートルズギリシャに行ったのであった。「(略)最高の旅だった。ジョンと僕はずっと、アシッドでハイになりながら、船首に座ってウクレレを弾いた。左手にはギリシャ、右手には大きな島が見えた。太陽が輝いていて、僕らは何時間も『ハレ・クリシュナ』を歌った」。

ポールがLSDを絶賛、ジョージは拒否宣言

ポールが他のメンバーとの絆をより強くしたのは一九六七年三月、2度目のトリップの時(略)『サージェント・ペパーズ』をレコーディング[中](略)間違えてLSDの錠剤を飲み(略)ラリっているジョンは、レコーディングなぞ到底無理な状態で、ポールが自宅に連れて帰ることになった。

 

 「今こそ、彼と一緒にトリップすべき時が来たと思った。いつかこうなるんじゃないかと、長いこと思っていた。ジョンと一緒にトリップするのは初めてで、他のメンバーの誰ともしたことがなかった。だらだらと一晩中起きていて、何度も幻覚を見た。その間ジョンは、とても謎めいた雰囲気で座っていて、僕は、彼が王様になる大きな幻覚を見た。彼は、完璧な未来永劫の皇帝だった。いいトリップだったよ」

 

(略)

数ヶ月も経たないうちにポールは(略)LSDを数回摂取し、とてもそれを気に入ったと語る。「摂取したら、目が開かれた。我々は、脳の十分の一しか使わない。考えてみなよ、隠された部分をコツコツ叩いたら、みんなどれだけのことを成し遂げられるかってね!全く新しい世界が開ける。政治家がLSDを摂取したら、戦争も、貧困も、飢餓も無くなる」。

(略)

[反対に]熱心にトリップし続けていたジョージが、八月の第一週、アメリカ滞在中の予期せぬ出来事から、突然ハード・ドラッグを拒否するようになる。

(略)

彼がアメリカを訪れた主な目的は、ロサンゼルスでヒンドゥスターニー古典音楽のコンサートを開催するラヴィ・シャンカルと仲間の音楽家たちに会いに行くことだった。何公演か観て、ラヴィ・シャンカルに会いに、ロサンゼルスにある彼のキンナラ音学院を訪れた後、ジョージはパティと、ロサンゼルスに住む彼女の妹ジェニファーを連れて、噂で散々聞いていたヒッピー文化の世界の中心地ヘイトアシュベリーに行くことを決める。そのわずか数日前には、麻薬や薬物を嫌悪していることでよく知られるラヴィ・シャンカルとの共同記者会見で、今後を予感させるような発言をジョージがしている。「はっきりと言わせてもらいますが、ドラッグが答えではないことは、皆さんにとって自明のことと思います。分かっていることですよね、そうじゃないですか?だから、できるだけドラッグを使わないで済ます方がいいんです。そうですよメね?」彼がこう主張する横では、シタールの巨匠が満足げにうなずいていた。それでもジョージは、ドラッグとフリー・ラヴの中心地偵察の旅を始めた時には、ミッションに適したサイケデリックな服装をしていただけでなく、多量のマリファナとアシッドで武装していた。ところが、だ。

ヘイトアシュベリーの通りを歩いてみると、自分自身がとてもハイになっていたにも関わらず、フラワー・チルドレンのいかがわしくて汚い暮らしぶりを目にして、彼は嫌悪感を覚える。ジョージが見慣れていたロンドンのアシッド・カルチャーは、インテリと富裕層が、自宅やクラブで隠れてたしなむ、優雅な娯楽だった。ヒッピーの聖地を歩き回りながら、彼は汚れてみすぼらしい男や女、子供たちに囲まれる。

(略)

[一緒にいたパティ]が見たのは、「学校をドロップアウトした顔色の悪い子供や、路上生活者、怪しい若者が大勢いて、みんな正気を失っている」状況だった。

(略)

[ジョージが勧められたSTP(強力なLSDの一種)を拒否したことで、群衆の崇拝が敵意に反転]

走って追いかけていた群衆が、車を揺さぶり始め、窓ガラスに顔を押しつけてなかを覗いた。とりわけジョージにとっては、この体験はトラウマとなる。なぜなら、暴徒の脅威が絶え間なくバンドにつきまとった[ツアーの悪夢を思い出させたから]

マハリシ登場

 驚くことに、ビートルズを次の大きな波に導いたのは、ジョージではなくパティだった。(略)[夫と共に全身全霊でインドを受け入れ、夫には内緒で]

精神復活運動に加わる。精神復活運動は、内なる平安と精神の救いを約束する、超越瞑想と呼ばれるものを教える教室を、毎週ロンドンで開いていた。

(略)

ジョージがアシッドを止める重大な決心をしたわずか数日後、パティが興奮気味に、その月の後半、マハリシが街にやって来ることが新聞で発表されたと言う。(略)一緒に誘われたポールも、子供の頃にテレビ番組で観たグルを思い出し、驚くことに乗り気になった。何か新しいことを始める気満々であったジョンも、やはり熱意を示した。当時妊娠中であった妻のモーリーンの側にいたリンゴだけが、行けるかどうか不確実だった。

(略)

[マハリシの]生まれた日付と場所には、様々な説がある。(略)地元の税務調査官の息子として生まれたと断言する人々がいる(略)父親は林野部の役人で、比較的裕福だったと言う証言もある。彼の名前もまた、一貫性がない。(略)

前半生について聞かれると、彼は決まって「僧としての誓いを立てた者は、過去のことは思い出さないものです」と答えている。

(略)

マハリシは、比較的短期間のうちに、こっそりシャンカラチャリヤの部屋を掃除する存在から、彼宛に来た手紙を読む係になり(略)遂には個人秘書に上り詰める。数年の間に(略)彼が公の場に姿を現す際には(略)場を仕切るようになった。(略)

大学を出たばかりの物理専攻の若者が――ましてやヒンドゥー信仰の教育など受けたこともなく、最高位の予言者の1人に近づくことができたのは、驚嘆に値する。

(略)

いつかスピリチュアル指導者として独立した道を歩めるよう、マヘーシュはグルからありったけの知識を吸収した。

(略)

 グル・デヴは、この秘密の瞑想の形式に再び焦点を当てるために自分を選んだのだと、マハリシはリューツに教えた。

(略)

 面白いことに、マハリシは最後まで、彼のグルに何を教わったのか、話したがらなかった。どのような手順でマントラを考案しているのか質問されると、はぐらかすのであった。

(略)

どんな瞑想の技術を使っているのか、もっと詳しく説明するよう迫られると、毎回マハリシはブツブツと口ごもった。

(略)

 一九五三年夏にシャンカラチャリヤが亡くなると(略)[マハリシは]直ちにジョティルマスを離れる。(略)シャンカラチャリヤのおかげで権力を振りかざしていた彼は、ブラフミンの聖職者の間で敵を大勢作っていたに違いない。

(略)

 注目すべきは、マヘーシュ・ヨーギーが自分を独立したグルとして見せることを、あからさまに避けていたことだ。その代わりに彼は、伝道師として自分のグルであるブラフマナンダ・サラスワティの知恵を説いていると自分を紹介した。

(略)

次々と現れる登壇者が、アディ・シャンカラとブラフマナンダ・サラスワティを手短に讃えた後で、ヒマラヤから来た僧を天まで昇るほど褒め称え、全員が舞台上から彼を、マハリシであると宣言した。

(略)

ヒンドゥー教が科学的に有効であると説明しながら、マハリシは、誰もが受けることのできるスピリチュアルな至福への、手っ取り早い方法を次のように提示した。それは、物質的快楽を放棄する必要は全く無く、オーダーメイドのマントラをチャントすることが基本となる。他の僧が信者に処方する、スピリチュアルな悟りへの複雑な道のりや、厳しい肉体鍛錬とは著しく異なり、マハリシが約束したのは、人々が日々の問題に対処するための、手軽で体のいい解決方法だった。

(略)

何世紀も信心深さが自己否定と同義であるこの古い国にとっては、いささか過激過ぎることを思い知らされることになる。二年間の広範囲に及ぶ遠征と、国の様々な地方での会議をもってしても、深い瞑想のマントラ・プログラムに入門したのは、わずか数千人に過ぎなかったのだ。

(略)

一九五〇年代のインドのような発展途上国では、圧倒的多数の人々が、物質的快楽を拒否することにより信心深くなれるという、昔からの教えにしがみついていた。つまるところ、それは貧困に陥っている無数のインド人にとって、避けられない貧しさを美徳に代える、都合のいい教えだったのだ。

(略)

 一方で、消費者向けの商品が劇的に増え、豊かさが爆発した一九五〇年代半ばの社会を生きていたリューツのようなアメリカ人にとっては、マハリシのメッセージと彼のやっていることは、解放感を味わえる非常に革新的なものであった。

(略)

マハリシはこう言った。必要なのはこれだけ――朝と晩に三〇分ずつ、座って目を閉じ、自分の教えた通りの瞑想をしなさいと。

(略)

もっと受容力のある聴衆を異国に探しに行くことになった

(略)

マハリシの最終目的地はアメリカであったが、資金が足りなかったので(略)信奉者の1人が、ビルマのラングーンまでの片道航空券の代金を出し、そこからマハリシは、チケットを買ってくれる人に頼る旅をのろのろと進め、極東の様々な都市――シンガポール、クアラルンプール、香港――を旅しながら、遂に(略)ハワイに到着する。

(略)

 一九五九年四月、インドを出発してからちょうど一年、マハリシは(略)ロサンゼルスに到着した。(略)

(略)

サンフランシスコからロサンゼルスへの機内では、隣に座る女性にロサンゼルスで講義を行おうと思っていることを伝えると、彼女は、夫が大きなホールを持っているからと、ボランティアを申し出た。なんとそのホールは、ハリウッド俳優に人気のマスカーズ・クラブであった。このクラブでマハリシはチャーリーとヘレン・リューツ夫妻に会い、彼らはそれから数十年間、最初にアメリカ、後に世界中に精神復活運動を広めるうえで、中心的な役割を果たすようになる。

(略)

 マハリシは自身のスピリチュアルな教えを、アメリカの聴衆に合うように大幅に変え(略)ヒンドゥーの信仰と哲学にまつわる基本的な指針と信条から、どんどんかけ離れていった。

(略)

一九六〇年初めまでには、「悟り」それ自体について公然と話すことを止め、代わりに「超越意識」に気づくことをマハリシは目標に掲げ出す。とても賢いことに彼は、六〇年代初期にアメリカ人の関心を占めていた主な2つのこと――競争の激しい社会で成功者となった場合に対処するための活力をもっと得るにはどうしたらいいか、と同時に、内なる緊張を緩め、自分自身と安らかな調和を保つためにはどうしたらいいか――に焦点を絞るようになる。マハリシは、自身の提供する消化されやすいマントラを飲めば、両方の問題があっという間に解決すると主張。

(略)

 インドと極東では、無料で追随者にイニシエーションを施し、マントラを与えていたマハリシであったが、アメリカの地に踏み入れた途端――まずハワイで、金を取り始めた。集金を儀式にした彼は、白いハンカチ、果物を何個か、一週間の収入を捧げる者には、秘密のマントラを与え、肉体の健康と精神の至福を約束した。資本主義社会の中心地では、金が全ての価値を決める重要な尺度であると、このヒマラヤからやって来た僧は、正しく見定めたのであった。

 アメリカに渡ってから数年もすると、マハリシの元に社交界の有名人が集まるようになる。

(略)

とどめは、ナンシーがマハリシに紹介した、タバコ産業の相続人ドリス・デューク(略)若くして一億ドル近くの遺産を相続した彼女は、しばしば「世界一裕福な女の子」と呼ばれていた。

(略)

「あなたの財産の多くは、タバコ産業から来ているとナンシーから聞きました(略)タバコは、生命に危険及ぼす植物です。それを他の人に売る人に、悪いカルマをもたらします。このカルマを相殺するため、自分のお金で生命の発展を助ける行いをしなければなりません」。(略)

何ヶ月かすると、一〇万ドルの大金がドリス・デュークの慈善信託から精神復活運動に献金され、マハリシアメリカ人信奉者を大喜びさせる。それまでマハリシの受け取った最も高額な献金で、彼の念願の夢だった新しいアシュラム(マハリシだけのための豪華バンガローも含む)を、リシケシュに建設することを可能にした。

(略)

一九六七年八月にビートルズに出会った時点で、マハリシは一〇年近く西洋に住んで[おり、西洋の聴衆にどうやって]メッセージを売り込めばいいかも分かっていた。

(略)

ビートルズが目の前で深いトランスのような状態に一〇分間陥るマハリシを見て、非常に衝撃を受けたともブラウンは回想している。

(略)

 詠唱できる魔法の言葉――霊媒ドリームランドに飛ぶことができる、神秘のトランスを与えることのできる聖人。とりわけジョンは感情を揺さぶられていた。彼は遂に見つけたのだ!鍵となるもの、答え、ずっと探していたものを!次の大いなるものを!

(略)

マハリシビートルズに「あなたがたは、自分たちの名前を通して、魔法の空気を起こしました。その魔法の影響力を行使しなければなりません。あなたがたには、重大な責任があります」と告げる。マハリシのスイートルームを出たジョンが報道陣に言うことができたのは、「まだ呆然としている」だけだった。

 マハリシに会って興奮しているのは、ジョージとジョンだけでなく、ポールも同様だった。(略)

マハリシはまた、「(略)明日、北ウェールズのバンガーにある私の瞑想学校の1つに来なさい。列車のどこかにあなたがたの席を設けますから」とビートルズに告げた。

(略)

側近やボディガードを従えたリムジンに乗り込んだのではなく、ビートルズとして単独で初めて、公共の電車でユーストン駅から出発したのだった。

(略)

 ハンター・ディヴィスによれば、人にもみくちゃにされるのを恐れて、一行はトイレにも行かず何時間も座席にじっとしていた。(略)誰も一銭も持っていないようだった。全員、マハリシが何と言うのか気にしていた。マハリシは今までにも会ったことあるようなタイプで、ただ異なる次元に属しているだけかもしれない、とジョンが言う。「分かるだろ、EMIもあれば、デッカもあるけど、どれもレコードには変わりない」。

 一方でジョージは(略)自分はそうは思わない、今度こそ本物だという確信があると言った。ミックは静かに座り、真剣な表情をしていた。ジョンは、ビートルズとして働き続けるのをやめることができるから、インドに行って残りの人生を洞窟の中で座って過ごすようにマハリシに言われたいと言う。「でも、彼はそんなこと言わないよ、きっと。あっちに行って "Lucy in the Sky with Diamonds" を書け、と言われるだけさ」。

 ビートルズは、ようやくマハリシのコンパートメントに入る決心をする。マハリシは彼らと雑談しながら、ものすごい勢いで笑った。(略)自分の瞑想は一度学べば、毎朝三〇分だけの実践でいいのだ(略)銀行のようなものだ(略)金を持ち歩く必要はなく、欲しいものを取り出すために時々ぱっと寄ればいい、と言った。

 「もし強欲だったらどうするのですか?昼食の後で三〇分瞑想し、夕食の後でまた三〇分こっそりやったら?」とジョンは聞く。みんな大笑いし、マハリシは、今度は笑い過ぎて天井に頭を打ち付けそうになった。

 バンガー駅に着くと、巨大な群衆が一行を待ち構えていた。

(略)

[突然の招待で]滞在場所を特別に用意する時間が無かった。そのため、夜になるとビートルズは(略)一般会員と同様に、大学の学生寮に泊まった。「ビートルズにとっては、これが余計に冒険心をくすぐり、昔のような仲間意識の温かい波が、彼らを覆った」と、ブラウンは記す。

(略)

 バンガーに集結した大勢の報道陣は(略)[これが]バンドの宣伝活動の一環なのか、何か重大な新事業なのか、最初は分からないでいた。それでも記者たちは、ビートルズが記者会見を開き、驚くような発表をしたため、じっと彼らを見守らざるを得なくなる。ビートルズは、ドラッグをやめると宣言したのだ。(略)体内に異物が入っていると、スピリチュアルな調和を得ることが不可能である[から](略)ドラッグを全てあきらめることにした、と

(略)

そのニュースは人々に大きな衝撃を与えた。(略)

ビートルズは一九六〇年代半ばのドラッグ・カルチャーに深くはまり込んでいると、世間は認知していた。何しろ、サイケデリック・ロックの象徴として称賛された『サージェント・ペパーズ』がリリースされたのは、ほんの数ヶ月前なのだから。

(略)

[だがさらにドラマチックな事件が起きる]

エプスタイン死去

マネージャーは、バンドにもはや必要とされていないのではないかと不安にさいなまれるようになる。それでも、ボーイズとマネージャーの間の感情の上での絆は、強かった。(略)

インド人グルに夢中になっているビートルズに同調さえもし(そのふりをしていただけかもしれないが)、バンガーに行ってマハリシのイニシエーションを受けると約束していた。

(略)

 奇妙なパラドクスとも言えるのは、エプスタインの方は、ビートルズの1人1人が今何をやっているのか、必ず詳しく知ろうとしたにも関わらず、ビートルズの誰1人としてマネージャーの私生活がどうなっているのか知らず、また知ろうともしなかったことだ。全員、エプスタインがゲイであること、かなり荒っぽい客をボーイフレンドにしていたことも知っていたが、誰も彼が何度も脅され、脅迫状を送られ、金品を奪われ、暴行さえ受けていたことを知らなかった。ボーイズは自分たちの生活と、当然のことながら音楽で頭がいっぱいで、マネージャーが大量の酒とともに憂慮すべき量のドラッグや錠剤を摂取していたことに気づいていなかった。ただ時折、"やり過ぎの"エプスタインと、冗談にするだけだった。(略)

[2度の自殺未遂で]エプスタインが問題を抱えていることに気づいてはいたはずだが、彼が崖っ縁に立っていることを知るよしも無かった。そのため、ドラッグの過剰摂取でエプスタインが死んだ(略)との知らせがバンガーにいるビートルズに届くと、彼らは大変なショックを受ける。

 エプスタインの死をより一層不気味なものにしているのは、ビートルズが新しい精神上のグルを信頼するようになったばかりの瞬間に、起こったという事実である。

(略)

秘密のマントラをもらって二四時間も経たないうちにマネージャーが亡くなったことにより、新たな興味の対象に過ぎなかった超越瞑想が、マハリシへの絶対的な信頼へと彼らの中で変化する。このことが大事なきっかけとなり、インドにあるマハリシのアシュラムに、ビートルズが半年以内に足を向けたのは、間違いない。

(略)

[パティ談]

「ブライアンが亡くなり、ビートルズは途方に暮れました。みんなぶるぶると震えていました!

(略)

ブラウンによれば、ボーイズは混乱しているように見え、両親が突然消えてしまった小さな子供のように、その時、理に適った権威的存在に見えた人物――マハリシに、慰めと導きを求めた。

(略)

彼は、物質世界と精神世界の違いを短く説いてみせた。驚くことにマハリシはまた、1人1人に美しい花を持たせ、手のひらで握りつぶし、その美しさがいくつかの細胞と水でできた錯覚に過ぎないことを教える。

(略)

 突然のエプスタインの死に最もダメージを受けたのは、ジョンだった。(略)

マイルズは次のように回想する。

 

 普段のジョンは、ビートルズの中で一番シニカルで傷つきにくいように見えたが、ブライアンの死により彼はすっかり自信を失っていた。何年も後に、彼は(略)こう語っている。(略)すごく怖かった。『もう一巻の終わりだ!』と思ったね」

 (略)

ミックはそつなく沈黙していたが、ガールフレンドのマリアンヌは、公然とマハリシに敵意をむき出し、悲劇を軽いものにしようとする、マハリシの手口を非難した。

 

 「私からすれば、マハリシのやり方はとても悪く、ひどく不謹慎です。(略)

ブライアン・エプスタインは、次に移った。彼はあなたたちをもう必要としていない。あなたたちも、彼を必要なくなった。彼はあなたたちにとって父のようだったが、もういない。これからは私があなたたちの父親だ。今からみんなの面倒を私がみる』だ。もうぞっとした!」

(略)

ビートルズが孤児となってから四日後の九月一日、バンドはセント・ジョンズ・ウッドにあるポールの家に集まり、ブライアン亡き後の人生について話し合った。(略)バンドの責任者としての役割を早々に受け入れたポールの発案だった。(略)

「誰も決して、ブライアンの代わりにはなり得ない」とポールが言い続けていたと、ブラウンは回想しつつ、おそらくポール以外はね、と皮肉を付け加えている。

(略)

[ポールは『マジカル・ミステリー・ツアー』を提案]

 ポールのプロジェクトに全く関心のないジョージが、瞑想コースを続けるため、すぐにでもマハリシのアシュラムに出発した方がいいと提案するも、誰からも賛同を得ることはできなかった。(略)

 ここで重要なのは(略)ジョージに、ジョンが全く同調しなかったことだ。年上のビートルは、エプスタインの死に打ちのめされるあまり、その時点では、バンド内で主導権を握る状態にはなかった。

(略)

 ジョンは、『マジカル・ミステリー・ツアー』が見当違いのばかげたプロジェクトだとしても、今のバンドにとって必要なものだと感じていた。

反体制派のマハリシ批判、ヨーコの存在

政治的に過激で極めて反体制である若い世代と、それに付き合う準備の出来ていないマハリシとの間で、信条をめぐり決定的に対立することもあった。(略)

[欧米中の若者が、「覚醒し、波長を合わせ、ドロップアウトしろ」]と呼びかけるLSDの高僧リアリーのスローガンにしびれていた時期だった。一方のインド人グルにとって(略)フラワーパワーは、受け入れ難い考え方だった。

 ドラッグの使用に反対するマハリシは、「両親に従わなければいけません。彼らは、何が最善か知っているのですから」とアドバイスした。彼はまた核軍縮に反対でベトム戦争に賛成していた。(略)

[学生が]仲間の人間を殺さないように兵役を拒否した方がいいかと聞くと、「我々は、国の選ばれた指導者に従わなければなりません。彼らは人民の代表で、より多くの情報を持っていて、正しい判断を下す資質があるのですから」と彼は答えた。

(略)

 保守系主流メディアは(略)マハリシの体制寄りのメッセージを称賛する。対して急進的なメディアは、インド人グルへの敵対心を次第に強め(略)相当数の媒体が、マハリシの実体は、いかさまを働く詐欺師だと指摘した。

(略)

 面白いことにビートルズは、自分たちのスピリチュアル・グルが、当時欧米社会を席巻していた反乱の動きと完全にずれているというパラドクスを、あまり気にしなかったようだ。(略)

ジョンとジョージは、マハリシの約束するスピリチュアルな至福に夢中になるあまり、彼が、政治的に正しいかそうでないか、気に掛けることもしなかったのだ。マイルズは(略)マハリシが自分を聖職者であると偽っている(略)インド人の右翼政治家と関係があるかもしれないと警告するが、ジョンは聞く耳を持たなかった。グルがビートルズを使って金儲けを企んでいると告げられると、ジョンは「有色人種野郎に、俺の金で黄金の城なんて建てさせるつもりはない!もしお前がそう思ってるならな!」と怒鳴ったそうだ。(略)他のヒンドゥーのスピリチュアル指導者らが、マハリシが商業目的で信仰を利用していると批判していると、マイルズが指摘すると、「彼が商業的だからってなんだ?僕らは世界一商業的なバンドだ!」と言い返す。

(略)

[マハリシビートルズ出演を餌にABCと特番制作の交渉をしていたことが発覚]

「彼は現代人じゃないんだ(略)こういったことを理解できないだけさ」。ジョージは許そうとしていたが、鋭いポールはマハリシビートルズを利用して(略)いることに気づいた。(略)

ポールは『マジカル・ミステリー・ツアー』がテレビ的に惨敗に終わり、バンド内で(略)劣勢に転じていたのだ。とりわけジョンは、過去一年の間に(とりわけエプスタインの死後)ポールが、他のメンバーにあれこれ指図してきたことに腹を立てており、彼の独りよがりなプロジェクトが失敗したことを公然と冷笑していた。2人の間の力関係は、またしても逆転したのであった。(略)

それに加えポール自身も、バンドが一緒に休暇を取り、リラックスした状態で事態を把握する必要があると感じていた。(略)はっきりしていることは、ポールが旅行を(略)気晴らしとして捉えていて、マハリシと長期の関係を築くつもりは全く無かったということだ。

(略)

対照的に、マハリシと瞑想に対するジョンの執着は現実的とは言い難いもので、ジョージよりも激しい有様だった。

(略)

ジョージのようにインドとその信仰や文化に対する永続的な興味を持っている訳ではなく、頭の中の混乱を鎮める手っ取り早い解決策として、マハリシを追い求めた。欲望に対し常に激しく忠実であったジョンは、インド人グルと超越瞑想が、普段調合しているドラッグよりも自分の内に潜む悪魔に効果的に働きかけてくれることを熱望した。

(略)

 ジョンがマハリシに傾ける情熱の大部分は、一九六六年の冬以降、彼が吸い込まれている感情起因していた。(略)[ヨーコとの]間柄は、彼が今までに経験したことが無いような消耗する関係に発展していた。

(略)

ヨーコのような女性に出会ったことのなかったジョンは、彼女に夢中になる。

(略)

特筆すべきは、ジョンとヨーコが実際にセックスをするのは、出会ってから一年半以上経過してからという点だ。(略)

ヨーコのことで罪悪感を持たなかったのは、シンシアに嘘をついていなかったから(略)恋愛関係ではなく、知的な関係だったからだ――とブラウンは回想する。ヨーコの、人を苛立たせるような機知に富む会話と、マイルドな狂気が、ジョンを性的に興奮させた。

(略) 

 女性と性交渉の無い濃密な関係にあったことは、ジョンの心の均衡に揺さぶりをかけ、マハリシと、彼のマントラに人知れず心酔することに繋がったように思える。

(略)

[リシケシュに]シンシアと一緒にヨーコを連れて行くことを考慮し始めるが、妻だけでなくバンドの他のメンバーや、その妻と恋人がカンカンに怒ることが予測できたため、尻込みした。

(略)

 それでもジョンは、ヨーコを置き去りにすることを考えただけで、とりわけシンシアに対して、苦々しく恨めしい感情に襲われる。(略)

[『ミステリー・ツアー』放映記念パーティで]公衆の面前で妻を侮辱し、人々に大きなショックを与える。(略)酔っ払ったジョンは、一晩中シンシアを完全に無視し、露出の多いベリー・ダンサーの衣装を着たジョージの妻パティに、おおっぴらに言い寄ったのだ。(略)最終的には(略)一〇代の歌手ルルが(略)みんなの前で彼を叱り飛ばす。叱責に対しジョンは、悪さをした子供のように反応する。シンシアが、泣きながらパーティから出て行ったにも関わらず、だ。翌日のイギリスのタブロイド紙は、最高に面白い年末の有名人スキャンダルでお祭り騒ぎになる。

(略)

 リシケシュに出発する前に、最後にビートルズのやったことは、ジョンの曲 "Across the Universe" を録音することだった。その頃ジョンの思考に押し寄せていた相反する感情や考えの洪水を、はっきりと表したような、心を打つ曲だ。後に彼は、曲の成り立ちを次のように説明――発作のようにしつこく文句を言うシンシアに嫌気がさして、寝室を抜けだし、俗世の苛立ちに流される代わりに、コズミック・リタニ(連祷)に舞い上がり、(マハリシのスピリチュアル・グルの肩書きでもある)「ジャイ・グル・デヴァ」の名の下に神を讃え、ヒンドゥー教の聖なるチャント「オーム」で締めくくった。(略)仕上がりに満足できなかったジョンではあるが、歌詞は誇りに思っていて、後に自分の書いた最上の詩の1つと言っている。

ミア・ファロー

マハリシは、ビートルズがリシケシュを訪れるより前に、別の国際的なセレブリティをアシュラムにおびき出すことに成功する。(略)新進気鋭の女優ミア・ファローだ。ミアは当時、ハリウッドで最も騒がれるセレブになっていた。一九六六年、二一歳で三〇歳以上年の離れたフランク・シナトラと嵐のように結婚をし、映画出演をしないことを夫に約束したミアが(略)『ローズマリーの赤ちゃん』主演のオファーを受け、結婚から一年も経たないうちに夫婦関係の危機を迎える。激怒したシナトラが離婚届を若い妻に叩きつけ、ミアは精神的に参ってしま[い](略)マハリシと彼のマントラに救いを求めたのだ。

 ミアの三歳下の妹プルーデンス・ファローは、既に超越瞑想の信者であった。麻薬依存症者だったことがあり、一〇代の頃には何らかの精神疾患を患い、病院で治療を受けたこともあった。

(略)

[ミアは]マハリシの称賛を一身に浴び(略)数日間(略)特別扱いを受けた後で、「マハリシには全くイライラさせられる。(略)私はここに瞑想に来たのだから」と不平をもらした。

(略)

「瞑想にはうんざりした。アシュラムを出て行く。デリーから電話する」と打たれた電報は、マイアミにいるシナトラに宛てたものだった。

(略)

[ビートルズ到着まで引き留めようと冒険旅行を提案]

四日間、野生動物でいっぱいの森の観光コースで、ミアは元気を取り戻したように見えた。

(略)

ミアの誕生日に(略)あげる50個以上の贈り物を購入させるため、マハリシは60キロも離れたデヘラードゥーンに一団を送っていた。(略)

 その晩の講義でマハリシは、壇上で隣にミアを座らせる。彼女のブロンドの頭には、銀紙で作られた小さな王冠が乗せられていた。彼女はまるで、贈り物を1つずつ受け取る妖精のプリンセスのようだった。

(略)

[だが夜遅くナンシーの部屋にやってきたミアは]パーティの悪口を言い始める。「私はクソみたいに怒ってるの!あんなとんでもないもの見たことある?ステージの上で、みんなに跪かれて、馬鹿になった気分!

(略)

聖なる場所の最後の夜に乾杯!あーあ、とんだお笑いぐさ。マハリシは聖人なんかじゃない。夕食前に彼の家にいた時、私を口説こうとさえしたんだから」と言う。

 何かの間違いじゃないかと問われ、ミアは(略)

「聞いて。私はクソぼけ野郎じゃない。言い寄られたら気づくに決まってる。誕生日を記念して、祈祷を捧げると彼専用のプジャ・ルーム(瞑想部屋)に招き入れられた。(略)祈祷の儀式が終わると花輪を首にかけてきて、私の髪をなで始めた。聞いて。プジャとくどきの違いくらい私には分かる(略)

突然、驚くほど男性的な毛むくじゃらの2本の腕が私に巻き付いてきたのに気づいた。パニックになり、階段を夢中で駆け上がった」とミアは、数年後に自伝で回想している。ミアは後から振り返り、あまりに突然起こったことで、マハリシが実際に性的に誘惑してきたのか判別が付かないと言っている。しかし当日の晩は、グルが体を使って表現するのは肉欲ではなく愛情からだとナンシーが説明しても、全く聞く耳を持たず、翌朝出発すると言い張った。(略)残されたプルーデンスは1人部屋に籠もり瞑想、マハリシは見るからに落ち込んでいた。

次回は、遂にビートルズが到着。

インドとビートルズ シタール、ドラッグ&メディテーション

マハリシを揶揄したシャンカル

 一九六八年三月クアラルンプールをツアー中(略)

ラヴィ・シャンカル(略)『ビートルズからグル呼ばわりされ続けるのには怒りを覚える。これは搾取だ』と、彼は先週当地の記者に語った」

(略)

 スカンヤ・シャンカルは、亡くなった夫がマハリシを密かに揶揄していたと明かす。「彼は物真似が上手で、よくマハリシのしゃべり方や、あの有名な笑いを真似て、みんなを笑いの渦に巻き込んでいました」(略)

マハリシが、超越瞑想を西洋に売ることにより世界に一大帝国を築いた事実に、夫が時々驚きの表情を見せていたとも言う。「シタールに無駄な時間をかけないで、聖職者の長衣を着ればよかったと、冗談を言っていました。『ああいった偽のグルになれば、はるかに少ない労力ではるかに多い金を得ることができただろうよ』と彼は私に言いました」。(略)

インドの本当の文化と宗教に対して無知で無垢な西洋人を利用しているに過ぎないと、夫は感じていたとスカンヤは言う。

LSD体験、バーズのシタール指南

『ヘルプ!4人はアイドル』は、隠しおおせない人種差別に基づくステレオタイプのオンパレードだ(略)

インドの文化や伝統をほとんど理解することなく、グロテスクなほどに偏ったプリズムを通してこの国を描いている。(略)レスターは血に飢えた宗教カルトと狂ったヨーギーの国として、インドをしつこく映画に登場させる。

(略)

ラジャハマ・レストランのセットで演奏する(略)モティハールの抱えたシタールに突然ジョージが興味を示したことが、彼の人生と、おそらく他のメンバーの人生を変えることになるのだ。

(略)

[ディランによるマリファナの洗礼]から六ヶ月して『ヘルプ!4人はアイドル』を撮影する頃には、ビートルズはすっかりマリファナに夢中になっていた。(略)

ジョンによれば、彼らは朝食からポットを吸い始め、昼食の頃には完全に酩酊状態になり、そこから先はほとんど何もできなかったそうだ。

(略)

[シタール発見の数日前、ジョン&ジョージ夫妻とのスワッピングを目論む歯科医夫妻にLSDを盛られ]

2組のビートルズカップルは、あわててフラットから逃げ出した。

(略)

クラブに着く頃にはすっかりハイになっていたジョージは、最初に恍惚状態に陥る。

 

 (略)突然、これ以上ないくらいに素晴らしい感覚が襲ってきた。今まで生きてきて感じた最高の気分を、全て集めて濃縮したような感覚だった。信じられなかったよ。恋に落ちたんだ――特定の人や物ではなく、全てと。全部完璧で、照明も完璧。店内を回って、そこにいる全く知らない人々に、どれだけ愛しているか伝えたい衝動にかられたよ。

 

 しかし彼はまた、突然感情に変化が現れたことを思い出してこう言う「ナイトクラブに直接爆弾が放り込まれ、屋根が吹き飛んだみたいだった」。

(略)

 パティは途中でリージェント・ストリート沿いの窓ガラスを割りたい衝動にかられ、ジョージを先頭になんとかディスコティークにたどり着くと、みんな狂ったように笑った。

 最後は、早朝になってジョージが鬼のように集中力を出してミニを運転し(それでもカタツムリのようなスピードで)、バンガロー様式の自宅にみんなを連れて帰った。

 ジョンもまた、幻覚に畏敬の念を抱き、この時のLSD体験を「恐ろしくも素晴らしい」と語っている。(略)ジョージの家が巨大な潜水艦になり、他のみんなが寝床に向かうなか、自分の操縦する潜水艦は、ぐるぐると回りながら家の周りを囲む木製のフェンスを超え、空中を駆け上った。

 シンシアにとって、LSDとの遭遇はもっと気味の悪いものだった。(略)

 

 (略)壁が動き、植物がしゃべり、人間が人食い鬼のように見え、時間は止まることができ、とても恐ろしい体験でした。何もコントロールできず、何が起きているか、次に何が起こるのか分からない状態が、すごく嫌でした。

 

(略)

ジョージは、経験したことのない「深さと明瞭さ」を体験したと主張する。

 

 「(略)一二時間に及んだ幻覚トリップは、「目が開かれ、人生で大切なことは『自分は何者だ?』『私はどこに行くのだ?』『どこからやって来たか?』と自問することで、その他全てのたわごとは、たわごとに過ぎないと気づくこと」

 

(略)

[パティ談]

「ジョージは、なぜ自分がこれほどまでの選ばれし有名人と成功者になったのか、取り憑かれたように考えていました。運命の介入がなければ、リヴァプールで単純労働をしながらありきたりな生活を送っていたことを、彼は知っていたのです。自分のなかの何が原因で、他の人と違う道を歩むことになったのか、ジョージは必死で探していました。これらのことを起こしたのは、どのような神の霊なのか、彼は本気で知りたがっていました」

(略)

[シェイ・スタジアムの後、五日間の休み、ザ・ザ・ガボールの邸宅を借りパーティ]

(略)

[ゲストはバーズ、ジョーン・バエズピーター・フォンダ他]

[ジョージ談]

 ジョンと僕は、ポールとリンゴがアシッドをやらないとだめだと思ったんだ――そうでないともうお互い分かり合えなくなっていた。(略)アシッドはジョンと僕を大きく変えたからね。(略)ニューヨークで手に入れたのはアルミで包んだ角砂糖で、LAにたどり着くまでツアー中ずっと持ち歩いた。

 

 周到に計画し手間をかけたにも関わらず、ポールはLSDを頑なに拒む。他のメンバーと違い、彼は本能的に薬物を敬遠する傾向にあった。(略)

[リラックスできるマリファナ]に比べ、前触れもなく激しく気分が上昇するLSDを彼は怖がった。

(略)

 リンゴはといえば、ためらうことなくLSDを染みこませた角砂糖を口に入れた。(略)ニール・アスピノールとマル・エヴァンスが、この特権グループに入るためにLSDを受け入れる。まあリンゴは、そういう役目をいつでも負わされていたわけだが。(略)ディランがビートルズマリファナを紹介した時も、ジョンはモルモットとしてリンゴに最初にジョイントを吸うよう命令した。

(略)

ピーター・フォンダもまたハイになっており、子供の頃に誤って自分を銃で撃ち、一瞬心臓が止まった経験から、LSDによる臨死体験に詳しいと、うっかり自慢してしまう。フォンダはビートルズの目の前に裸の腹を突き出して弾傷を見せ、死についてべらべらと喋り続け、彼らをうんざりさせる。その時のLSD体験をぼんやりとしか覚えていないビートルズであったが、このハリウッド俳優がどれだけ嫌な奴だったかは、しっかり記憶に残った。

(略)

ジョージは魂が肉体から離れる不思議な光景を思い出しながら、次のように語る。

 

 気がつくと、「離れる」んだ。どこかに行き、それから、どしん!と、自分の体に戻る。見回すと、ちょうどジョンが同じことをやっているのが見えた。並んでしばらく離れ、それからボーン!(略)

 

「ポールはすごく疎外感を抱いていた。僕らは意地悪に『俺たちはやってるけど、お前はやってない!』と言っていたからな」と、ジョンは振り返る。

(略)

 ジョンもまた(略)ジョーン・バエズと、微妙な状態になる。(略)

彼女によればその寝室には、「小型のプールくらいの大きさ」のベッドがあった。

(略)

[バエズ談]

私は寝て、夜中になってジョンが入って来た。たぶん彼は、こんな風に義務感を感じていたのかも「僕が誘ったし、彼女はスターだし、どうしよう」。それでジョンは、情熱のかけらも無い感じでモーションをかけてきた。私は言った「ジョン、ねえ、私もあなたと同じくらい疲れてる。私のためにやろうと思わなくていいよ」そしたら彼は、こう言った(リヴァプール訛りで)「ええ、ほんと?待って、ほっとしたよ!ほらだって、僕だってもう下でフック[ファックが訛ったもの]して来たかもしれないだろ?」。(略)2人で大笑いして、それから眠りに落ちた。

(略)

パーティのさなか、ヒンドゥスターニー古典音楽が話題に上る。(略)ジョージがバッハから引用した、いかしたリフを弾いた直後、クロスビーがそれに触発され、ラヴィ・シャンカルの音楽から拝惜して自分のレパートリーにしているリフを披露した。シタールについて言及されるのをジョージが聞き、ジョンもまた興味を示す。この時点では2人ともヒンドゥスターニー古典音楽の話を一度も聞いたことがなく、その第一人者であるラヴィ・シャンカルも全く知らなかった。

(略)

クロスビーとマッギンが、ラヴィ・シャンカルを「音楽の天才」、シタールを「魔法の楽器」と褒めそやしたことで、ビートルズは興味をそそられる。バーズはレコーディング中のラヴィ・シャンカルにワールド・パシフィック・スタジオで出会い(バーズも同じスタジオで録音していた)、シタールの巨匠の素晴らしさに圧倒された。マッギンは12弦ギターを弾いていたので、18弦から21弦まであるシタールの演奏が、いかに難しいか把握できたのである。彼はラヴィ・シャンカルを見て覚えた、インドのラーガに不可欠なチョーキングの技法と、節のインプロヴィゼーションをギターで実演してみせる。

(略)

[後年マッギンは]ビートルズインド音楽の話には熱心だったのに、話題が宗教に及ぶと興味をなくしたと(略)語っている。

ラバー・ソウル

 ロンドンに戻ると、ジョージは(略)ラヴィ・シャンカルのレコードを数枚買い、時間があれば熱心に聴いた。彼はまた、インドのアンティーク雑貨店、インディア・クラフト(略)に行き、極初歩的なシタールを購入し、シタールを絶対にマスターすると決心する。彼がシタールを一九六五年秋、ビートルズのニューアルバム『ラバー・ソウル』のレコーディングに使ったのは、実際に上手く弾けるようになるだいぶ前――それどころか、指導者の下でちゃんとしたレッスンをまだ受けてもいない頃だった。

(略)

[『ラバー・ソウル』には]アシッド・トリップが与えた衝撃が、手に取るように分かりやすく作品に表れているのだ。例えば、"Day Tripper"でジョンは、後に彼が「週末だけのヒッピー」と呼ぶ、トリッパーを装いながらも幻覚剤の効果をフルに楽しむ勇気の無い人々を揶揄することに、残酷な快感を得ている。同曲では、"a prick teaser"――後に不適切な表現を改めて、"a big teaser"になる――と嫌みを言われる女の子が出てきて、数ヶ月前に発売されたローリング・ストーンズの"Can't Get No Satisfaction"との共通点が見いだされ、面白い。ビートルズと同じようにハードなロックに進化する、筆頭ライバルのストーンズと、直接対決する気満々だったことが分かる。“Nowhere Man"でジョンは、自分の身に起こった変化について、もっと真面目で素直な告白をしている。著名な音楽評論家のイアン・マクドナルドは(略)『レヴォリューション・イン・ザ・ヘッド』で、この曲を「自分とかけ離れた人物と、"太っちょエルヴィス"期にあった自分自身――ブライアン・エプスタインの決めたパブリック・イメージを演じるため現実から切り離され、何部屋もあるウェイブリッジの豪邸で隠居するうち迷子になり、夫婦関係も冷え切り、押し寄せるドラッグの波により着実にアイデンティティの境界線が崩されている自分の両方を観察した曲」と記述する。

(略)

 興味深いのは、ジョージではなくジョンが最初に、ジョージが数ヶ月前に買った新しいシタールを"Norwegian Wood"で弾くよう勧めた点だ。(略)

 

 「ジョージがシタールを持ってたから、彼に僕の書いた曲の『ディーディドゥリーディーディー、ディドゥリーディーディー』の部分を弾いてくれと頼んだ。まだシタールをそんなに触ってなかったから、弾けるか自信が無かったみたいだけど、挑戦する気になってくれた」

(略)

ジョージの腕前はまだまだで、シタール自体の品質もひどいものだった。音響技術者にとっても[悪夢で](略)

シタールはリミッティングの問題を引き起こした。鋭い波形により、満足な音質を出す前にVUメーターの針が赤に振れてしまった」

(略)

[裕福なマイソール家に生まれたアンガディは父の命でイギリスへ]

一九四三年、裕福なイギリス人実業家の娘であるパトリシアと結婚。(略)三年後にパトリシアが相続した遺産でアジアン・ミュージック・サークルを設立。(略)

六〇年代半ば、ジョージのシタールの弦が切れた頃には、アンガディ夫妻はシタールの巨匠と親しい間柄になり、シャンカルがロンドンにいる間は、必ず夫妻を訪ねるようになっていた。

 アンガディとパトリシアの2人は、換えのシタールの弦を渡すため自らスタジオに足を運び、“Norwegian Wood"のレコーディング・セッションを見守った。(略)

[これが]ジョージがシタールに真面目に取り組み、ロンドン在住のインド人音楽家と知り合いになり、遂にはマエストロ、パンディット・ラヴィ・シャンカルとの対面を果たす足がかりとなった。さらにシャンカルとの関係により、ジョージはインドとその文化に計り知れないほど没頭していくのである。

ポール、遂にLSD体験

 一九六六年前半に3度目のアシッド・トリップを決行したジョンは、それ以降二年ほど定期的にLSDを摂取し、それはリシケシュに行くまで続く。ここで重要なのは、彼が身体的な体験と並行して、LSDにより誘発される内的視覚を土台にした文化、アート、及び人生観の推進を求めるイデオロギーを受けことだ。もはやドラッグの力を借りて頭のなかで遊ぶようなレベルではなくなっていた。皮肉なことにまだLSDを受け入れていない唯一のビートルであるポールが、ジョンをロンドンの新しくてヒップなインディカにれて行き、ジョンは『チベット死者の書:サイケデリック・バージョン』を発見することになる。(略)

どうもジョンは、本屋でその本を全部読み終えてしまったようだ。(略)

ジョンはすっかり感心してしまった。彼は遂に、ジョージと一緒にロンドンとビバリーヒルズで体験した実験を、知的な枠組みで捉えることができたのだ。

 (略)

東洋の神秘主義にはまるようになり、ジョンとジョージの関係はより特別なものに発展した。ポールでさえも、ジョージの存在感がバンド内で大きくなったのを認め(略)[ジョージの曲が]『リボルバー』には3曲収録(略)

また、ポールを驚かせたのは、ジョンの曲"She Said Sha Said"でポールが演奏するのを、ジョンがきっぱりと断ったことだ。ビバリーヒルズでの2度目のアシッド・トリップの最中にピーター・フォンダと出会ったことを歌にした曲なので、ジョンはポールの代わりにジョージを選んだというわけだ。それから間もなくしてポールは、LSDに対する懸念を振り払い、初のアシッド体験をする。(略)

一九六六年、友人のタラ・ブラウン(略)がトイレで吸い取り紙に吸わせたLSDを摂取しているのを見かけたポールは、口にしないかと誘われる。

(略)

 「やりたくなかったんだよ。他の多くの人同様、先延ばしにしていたんだけど、同調圧力がすごくて。バンド内に至っては、同調圧力というよりも恐怖圧力だった。友人からのプレッシャーと違って、3倍の力で『なあお前、メンバーみんなアシッドやったんだぞ。何ぐずぐずしてんだ?理由は何だ?どうかしてるぞ』ってプレッシャーかけてくるからね。(略)いつかやるなら今しかないと思って『いいよ、やろう』と言い、みんなでやった」

ラヴィ・シャンカル

 ジョージが最初に会った頃のラヴィ・シャンカルは、キャリアの頂点にいた。(略)

一九五〇年代半ば頃には、インドの文化大使として無数のコンサートをヨーロッパやアメリカ合衆国で行い、シタールの名手として世界で絶賛されていた。(略)

一九五六年には、ロサンゼルスのジャズ・レーベル、ワールド・パシフィック・レコードからアルバムが続々と録音・リリースされる。『スリー・ラーガズ』で始まったそのシリーズは、ジャズ界隈で好評を得ただけでなく、アメリカのフォーク・ミュージックに影響を与えることになる。

(略)

幼少期の彼は、母親と一緒に(略)ミドルクラスのベンガル人家庭で育つ。(略)

パリのフランス語の学校に入学。程なくしてインド舞踊団の一員として、ヨーロッパやアメリカ中を旅することになる。一八歳になり突然、中央インドの人里離れた村で、エキセントリックな天才音楽家ババ・アラウディン・カーンの下でシタールを学ぶことを決め、帰郷。カーンの一番弟子としてインドや海外で観客の心をつかみながら、著名人になっていく。

(略)

シャンカルに強い影響を与えた特別な人物は、3人いる。(略)

遠く離れて住む父シャーム・シャンカル・チャウダリーの強い影響下で育つ。父親はすさまじく幅広い才能と能力を持ち、サンスクリット学者であり、ヴェーダ語の詠唱に長けたヨーギーであり、政治家、弁護士、哲学者でもあった。(略)権力を持つ大臣からマハーラージャ、そしてロンドンの主要な法廷弁護士と枢密院のメンバーになり、オックフォード大学で哲学の学位、ジュネーブ大学で政治学の学位を取得した。父親よりも直接影響をラヴィ・シャンカルに与えたのは、長兄ウダイ・シャンカルである。彼は、二〇世紀前半に西洋にインド舞踊を広めた先駆者であった。ラヴィ・シャンカルの3人目の良き指導者は、彼の音楽のグルであったババ・アラウディン・カーンだ。

(略)

 シャンカルが最初に父親に会ったのは八歳の時、父が母を捨てロンドンのイギリス人女性と一緒になって大分経ってからだ。(略)

バナーラスにある街で一番の高級ホテルで、末の息子を待っていた。完璧に仕立てられたスリー・ピースのスーツを着た父親は、3人の白人女性と朝食を取っており、少年シャンカルは生まれて初めて白人を目にする。(略)女性達の香水と父のコロンに香りに少年は圧倒された。(略)

父の身につけた西洋スタイルとの出会いに怖じ気づきながらも、わくわくしたラヴィ・シャンカルは、田舎じみたミドルクラスの我が家に戻る。母親は、夫の不在と遠い国での不貞、お金の無い状態が長く続いていることにより(略)よく泣いていた。

 奇跡が起こり、数年もしないうちにシャンカルは、西洋の文化の中心地に移り住む。その頃には海外で著名な舞踊家になっていたウダイ・シャンカルが、母親と弟たちを含む家族全員を、パリに移住させることにしたのだ。(略)

伝説のロシア人バレリーナ、アンナ・パブロワに見いだされ(略)一緒にインド神話に基づき振り付けされた演目を踊るようになる。彼が独立して自身のインド舞踊団を結成する頃、西洋では、東洋のエキゾチックな文化に対する興味が高まっていた。

(略)

少年ラヴィ・シャンカルは、弱冠一二歳で兄のバレエ団に採用され(略)音楽とダンスの習得に類い希な才能を見せ(略)すぐにツアーに参加するようになる。これによりシャンカルは、世界中の面白い人々に出会い、新しい経験をするようになった。

(略)

バレエ団の何でも屋でいることに飽き、最も好きなシタールをちゃんと習得しようと、一八歳の時にインドに戻る決意をする。時は一九三〇年代半ば、ヒトラーの登場により、迫り来るヨーロッパの紛争の暗雲が(略)帰郷の理由の1つかもしれない。しかし最大の目的は、敬愛し崇拝するインドの最も革新的なサロード奏者で、ヒンドゥスターニー古典音楽の指導者であるアラウディン・カーンであった。

(略)

中央インドの人里離れた村、マイハールでの厳しい訓練が始まった。ゴキブリや蜘蛛、時にさそりやヘビの出る狭くみすぼらしい部屋に、シャンカルは滞在しなければならなかった。朝から晩までシタール習得に邁進した彼は、ラーガを完璧に演奏するために、シタールに伴うヴォーカルや他の楽器のトレーニングにも没頭した。

(略)

シャンカルの父は、ロンドンの裏道で不可解な殺人の犠牲者となり、それから間もなくして、母が悲しみの中で世を去った。(略)カーンと彼の妻は、この若い弟子の養父母になった。彼らの結びつきを一層強くしたのは、シャンカルと[カーンの娘]アンナプルナの結婚だ。彼は二一歳、彼女はまだ一四歳であった。

(略)

 ラヴィ・シャンカルがまず若いビートルに伝えたこと――シタールの演奏は西洋の古典音楽におけるヴァイオリンやチェロを学ぶのと同じで(略)ギターとは大きく異なる――から、彼が西洋のポップ・ミュージックを見下していることが透けて見えて面白い。シャンカルがロックにシタールを導入することを快く思っていなかったことも明らかだ。(略)"Norwegian Wood"におけるジョージの試みにも感心しなかったようだ。公の場では、この画期的な曲を「おかしな音を奏でる」とはねつけるに留まったシャンカルであったが、ジョージと2人の時はもっと辛辣だったようだ。(略)

ジョージが、ピーター・セラーズ風のインド訛りで、ラヴィ・シャンカルの言葉を再現した。『何てことでしょう。ここでお弾きになっているものは何ですか、ジョージ?(略)失礼を承知で言わせていただければ、何かこう、ぞっとするような、ビヨーンとした、ラジオ・ボンベイで聞く粉石けんの宣伝のようなあれです』

(略)

ビートルズの音楽も好きではなかったようで(略)

 ジョージと会ってから、私はビートルズの音楽に興味が湧きました。彼らの歌声には、あまり惹かれませんでした。彼らはほとんどの場合、高いファルセットで歌っていたからです。それ以来ずっと、その流行は続いているようですが。彼らの歌う言葉を理解するのにも、何とも大変な思いをしました!

(略)

アルン・バーラト・ラームは、ラヴィ・シャンカルがジョージに対して、教師というよりも息子を溺愛する父親のように接しているように感じた。(略)

[シャンカルの妻スカンヤ談]

「彼らの感情の上での結びつきは、共通の音楽の趣味や知的な意見交換といった次元を超えた、もっと強いものでした。頻繁に手を繋いだり抱き合ったりする2人を見るのは、感動的でした。(略)実の息子シュボの間のぎこちない関係とは、非常に対照的でした。(略)」(略)

シャンカルは、父親に畏敬の念を抱いていたにも関わらず、遠く離れて暮らす親子の関係は、親しくもなければ、満足いくものでもなかった。シャンカルはまた、別れる原因となった夫婦間の醜い諍いが、シュボを苦しめたことに対する罪悪感に駆られていた。(略)シタールの巨匠は、子供に関わらないことへの償いとして、シュボに金銭や高価な贈り物をあげたが、父と子の関係は、敵対とまではいかなくとも、冷たいままであった。それにひきかえ、息子と一歳しか違わないビートルが、子供のように自分を信じ、頼ってくれるのは、シャンカルをとてつもなく喜ばせたに違いない。

(略)

[ジョージ談]

 初めてインド音楽を聴いた時、まるでもうそれを知っているかのように感じた。(略)

 ジョージを妊娠中、母のルイーズは毎週放送されるラジオ・インディアをよく聴いていた。(略)

 毎週日曜日になると、彼女はシタールやタブラの奏でる神秘的なサウンドにチューニングを合わせた。エキゾチックな音楽が、お腹の赤ん坊に安らぎと落ち着きをもたらすことを望んで。

(略)

[インド旅の]ハイライトとなったのは、シャンカルのスピリチュアル・グルであるタット・ババを訪れた時だ。(略)

シャンカルの人生にグルが登場したのは、シャンカルが経済的にも精神的にも危機に陥っていた二八歳の時だ。当時の彼は、過度の野心を持ち、音楽事業に金を注ぎ続けた結果、破産しかけていた。さらに不幸なことに、結婚生活もうまくいかず、始まったばかりのカマラとの関係も、彼女をあわてて嫁がせた家族により妨害されていた。(略)神経をすり減らし、街を通る郊外電車の1つに飛び込んで命を絶つことに決める。(略)粗布でできた衣を着ておかしな身なりをした、ヒンドゥー僧のような男が玄関に突然やって来て、トイレを貸してくれと言う。ヒンドゥー僧は、シャンカルが手にしているシタールに気づき、演奏するよう頼む。トランス状態に陥ったかのように言葉に従ったシャンカルは、数時間演奏した後で、その夜ジョードプルの王子のために開かれるリサイタルに間に合わず、気前よくもらえるはずだった出演料も手に入らなくなったことに気づく。落胆するシャンカルにタット・ババは、その晩の出演料はもらえなくとも、これからお金がもっと入るようになり、人生ももっと良くなると告げる。シャンカルの驚くことに、それから間もなくして、奇跡的にデリーのオール・インディア・ラジオで実入りのいい仕事にありつくことができ、妻との問題だらけの関係も、一時的に改善する。それ以来、粗布をまとったヒンドゥー僧は、彼のスピリチュアルな指導者となる。

 ジョージとパティにとって、聖者に会いに行くのは感動的な体験だった。「(略)ラヴィが、グルの前では完全にヘりくだっているのを見て、目を疑いました。(略)」とパティ(略)

 シャンカルの頼みでビートル夫妻に恵みを授けたタット・ババは、それだけでなく、カルマの概念と、前世での行いにより、生まれ変わりを通して、人間の魂が肉体を変えて何度も生まれることを、2人に短く講義した。

(略)

新しい生活への扉をシャンカルが開いてくれたことは、ジョージにとって、過去との完全な決別を意味していた。インドから帰って数週間後(略)クワイエット・ビートルは、容赦なく気持ちをぶちまける。

 

 僕ら、休んで考える時間を持てたから、色んなことを見直すことができた。結局四年間、僕らはみんなが望むことをやってきた。これからは自分たちがやりたいことをやる。振り返ってみると、今までやって来たことは、全部ゴミのようなことだった。

 

 一緒にインタビューを受けていたジョンが、仲間が「ちょっと無遠慮になっている」とあわてて付け加えたが、ジョージの言葉は、全て本心から出たものだった。

マニラでの恐怖体験

一九六六年の夏に世界を回った際、思いがけなく受けたショックの数々がなければ、ビートルズがあれほどかたくなにステージ上での演奏を拒むことはなかったであろう。(略)

エプスタインは、自分がまだボーイズの役に立つことを証明しようと(略)できる限りツアーに出るよう仕向けた。

 日本とフィリピン、初めてアジアを回るツアーは、ドイツでスタートした。ミュンヘン、エッセン、ハンブルグの3都市は、何事もなく回れたが、退屈なままに終わる。ビートルズは叫ぶファンにも動じず、つまらなそうに演奏した。(略)

ファンがひどい目に遭うのを嫌う彼らは、ドイツで地元警察がファンを手荒く扱ったことを知り、驚愕する。ミュンヘンでは、ルールを守らないファンが、ゴム製の警棒で警官にひどく殴られ、エッセンの観客は、催涙ガスを浴びせられ、警察犬をけしかけられた。

 以前よく行っていたハンブルグも、ボーイズのやる気に火を付けることはできなかった。(略)ツアーに同行していたブラウンは、次のように記す。

 

 ハンブルグが公演地として選ばれたのは、ノスタルジアのためだけだ。(略)[だが]かつて彼らが演奏したバーやクラブ(ほんの四年前だ)は潰れてしまって、スター・クラブも板が打ち付けてあった。夜は妖しい魅力に溢れる場所だったのに、日の光の下では、安っぽく古びて見えた。

(略)

 ツアーで訪れる先々で、退屈な記者会見に臨む苦行もあった。会見での質問は、回を重ねるごとにありきたりで中身のないものになっていった。

(略)

[フィリピン到着]

手配された車がホテルに向けて空港を出るよりも前に、アロハシャツを着て、いかつい体格をしたギャングのような見た目の警備員が、ビートルズを拉致したのだ。何が起こっているのか分からぬまま、ビートルズは、マネジメント・チームや滑走路に置きっぱなしの荷物から離されてしまう。(略)[鞄の中のマリファナで]違法薬物所持で逮捕されるのではないかと、彼らはパニックに陥る。

 「(略)あんなに威張り散らされるのは初めてで、礼儀も何も無かった。どこに行っても(略)熱狂していたけど、いつでも敬意はあった。僕らはショービズの有名人だから。でもマニラは、飛行機を降りた瞬間からネガティブな雰囲気が漂っていて、少し怖かった」と、数年後にジョージは語っている。

 ビートルズはまずフィリピン海軍の本部に連れて行かれて、形式的な記者会見を行い、その後でマニラ湾に停泊する豪華ヨットに乗せられる。(略)

[マニラの実業家が]ビートルズとパーティをしようと企てたのだ。

 「とても蒸し暑くて、蚊だらけで、汗をびっしょりかきながら僕らは怖くて震えていた。ビートルズ結成以来、初めてニール、マルとブライアン・エプスタインから切り離された。僕らのスタッフが1人もいなかっただけじゃなく、僕らのいるキャビンの周りのデッキを、銃を持つ警官が列を作って取り囲んでいた。うんざりすることばかりで、みんな暗くなっていた。こんな国に来なきゃ良かったと思ったよ。パスすれば良かった」。

(略)

 マネージャーたちがヨットからボーイズを助け出した頃には、すっかり精神的なトラウマを負い、肉体的に疲れ果てていた彼らであったが、検査を受けないままスーツケースが戻って来て、マリファナも無事だったと聞いて元気になる。地上に戻れたことに感謝し、マニラ・ホテルのスイートルームで、昼食まで爆睡する。だが、ビートルズが安らかに眠る間、彼らの知らないところで、それまでよりもなお一層厳しい試練が沸き起ころうとしていた

(略)

[イメルダ夫人の]招待状はビートルズがまだ日本滞在中に届き、過激派右翼の脅迫による混乱やパニックに巻き込まれ、ビートルズもエプスタインも、その存在を知らされないままだった。

 マルコス夫妻は(略)政権の座に着いたばかり(略)以降数十年にわたりフィリピンを独裁支配し、その悪名が世界に轟くことになる。

(略)

マルコス夫人は、セレブリティの世界に対する憧れが強く(略)海外から国を訪れる芸能人は、例外なく彼女のパーティに参加することになっていた。逆にビートルズとエプスタインはといえば、海外ツアー中は、政府や大使の主催するフォーマルな歓迎会に絶対に出席しないことを決めていた。

(略)

ファーストレディは当然ビートルズが来るものと思っていて、多くのマニラの新聞が既に、歓迎会の開催を報道していた。ビートルズ一行のなかに、地元の新聞をわざわざ読もうとする者はいなかったのだが。

(略)

「[ホテルにやってきた]高官たちは、冷たく言い放った『これはただの要請ではない。通達がここにある。(略)』」。(略)

エプスタインは従うことを拒否し、ビートルズを説得することも断る。

 仮にあの時点で全員が前向きに素早く行動していれば、予定時間にボーイズは宮殿に到着し、惨事を免れることができただろう

(略)

数分もしないうちに英国大使のオフィスからエプスタインに電話がかかってきて、ファーストレディの願いにビートルズが応じない場合、非常に危険な橋を渡ることになり、マニラでビートルズの受ける「支援と保護」は、大統領の一存にかかっていると忠告される。(略)それでもエプスタインは頑として譲らず

(略)

数時間してもバンドは現れず、目撃者によれば、マルコス夫人は、怒りで青くなり、ハーハー言いながら出て行ってしまう。泣き出す子供たちもいた。個人的な侮辱と受け取ったマルコスの子供たちの発するファブ・フォーに対する怒りの声は、次第に大きな合唱になっていった。「ビートルズに飛びかかって、あいつらの髪の毛を切ってやる!(略)」と、八歳のボンボンが金切り声を上げた。

(略)

「次の日の朝、ホテルのドアを激しくノックする音で目覚めると、外は大混乱に陥っていた。(略)

 僕らは目を見開いてテレビを観ていた。信じられない思いだった。大統領官邸訪問をすっぽかす自分たちを、テレビで観ていたんだから」と、ジョージは振り返る。

 ファーストレディを侮辱した罪で、マニラのテレビ局がビートルズを公然と非難し始め、エプスタインは、手に負えないほど事態が悪化したことに気づく。彼は急いでテレビ出演し、直接の謝罪を試みる。(略)[だが]宮殿からの要請で、突然放送が中断されてしまう。ファーストレディからの宣戦布告だ。

 マネジメント・チームの誰も、いかに深刻な状況であるかビートルズに伝えず、彼らはそのまま、その日のコンサートに向かう。初めの午後のコンサートは事故も無く終演したが、夜に行われた2回目のコンサートでは、嵐を予感させるような不吉な兆候がみられた。(略)

 

 2回目のコンサートの最後に、ホテルまで護送してくれるはずだった警察が撤退して、我々の車列の後ろの門が封鎖された。乗り込んだリムジンは身動きが取れなくなり、12人、というより20人はいたヤクザ者のグループが、脅すように窓ガラス越しに体当たりして来て、リムジンを前後に揺らし、ビートルズに向かって暴言を叫んでいた(略)ようやく門が開いて、我々は猛スピードで逃げ去った。

 

 朝になり、ビートルズのマネジメント・チームが朝食をオーダーしようとすると、驚くことに断られてしまう。「もうルーム・サービスは提供できません。あなた方は、我々のリーダーを侮辱したのですから」と、ウェイターが無愛想に告げる。大急ぎで荷物を持ちロビーに降りると、ホテルのポーターだけでなく、警察や付き添いの警備員まで消えたことが分かり、全員愕然とする。

(略)

追い打ちをかけるように(略)フィリピン内国歳入庁の担当者がエプスタインのもとを訪れ、開催されたコンサートの所得税として、八万ドルに及ぶ大金を要求。地元のプロモーターとの契約書には、ビートルズのツアーで発生する税金は、全てプロモーターが支払うと明記されていたにも関わらず、だ。

(略)

ジョンは、フィリピン人ジャーナリストに皮肉を言う「フィリピンについて学ばなくちゃいけないことが、いくつかある。まずは、どうやってここから出るか、からだ」。この言葉が驚くほど未来を予言したものであることは、すぐに判明する。

(略)

[マニラ空港に到着すると]

エスカレーターは止められ、ポーターも利用できず、ボーイズとマネジメント・チーム、及び技術クルーは、楽器やアンプ、大型機材を自分たちで運ばなければならなかった。怒ったフィリピン人の集団が空港内に集まり(中には銃や警棒、こん棒を振り回すものもいた)、凄みを利かせながらビートルズ一行ににじり寄り、事態は深刻を極める。

 ビートルズの一団は、暴徒の攻撃を浴びるしか他になく、エプスタインは顔面をパンチされ、股間を蹴られる。あばら骨に蹴りを入れられ、転倒したエヴァンスは、片方の足が流血した状態で、足をひきずりながら、飛行機を目指して滑走路を移動。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの周りをチームが身を挺して守ったので、ボーイズは直に一撃を食らうことなく脱出できたが、すんでの所だった。

(略)

空に浮かんだ機体から見下ろすと、滑走路で彼らに向かって拳を振り上げる群衆が見えた。(略)穏やかなリンゴでさえも、「人生で一番嫌な体験だった…牢屋に入れられるかと思った」と当時を振り返る。

(略)

 ビートルズとスタッフの数人は、ツアーを推し進めて来たエプスタインが、これほどの惨事を起こしてしまったことにも苛立ちを抑えられずにいた。激しい怒りに燃えたチーム・マネージャーの1人が、マニラのコンサートの集金にしくじったことを機内でエプスタインに詰め寄り、一触即発の状態になる。どっちにしろ、しばらくツアーをしたくないと思っていたビートルズは、海外で公式なコンサートをするのはもうごめんで、次のアメリカ公演を最後にツアーをやめたいと、エプスタインに伝える口実ができた。「どうせ誰も音なんか聞こえないんだから。もうお断りだよ。ツアーはこれでおしまいだ」とションが宣言するのを、ブラウンは覚えている。

 ボーイズを身体的な危険にさらしたことで自責の念に駆られ、彼らから責められることにも深く傷ついたエプスタインは、大きな不安に襲われて神経衰弱になり、全身にひどいじんましんができてしまう。

キリスト発言

自分の手からビートルズが離れていくのではないかとパニックに陥り(略)アメリカ公演に全ての望みを掛ける(略)[が、ジョンのキリスト発言で]無残にも打ち砕かれてしまう。(略)

元の記事を書いたのは、ビートルズと仲の良いジャーナリストのモーリーン・クリーヴで(略)後にジョンは、彼女と短い間浮気していたことを認めることになる。ジョンを好ましい人物として親密な感じで描いた記事に含まれる(略)ほんの一部を切り取ったのが、件の発言だった。(略)

キリスト教はなくなる。あれは、消えて小さくなる。反論してもしょうがないよ。僕は正しいし、正しいことは証明されるはずだ。今じゃ僕らの方が、キリストよりも人気がある。どっちが先になくなるか――ロックンロールか、キリスト教か。キリストはまあいい奴だったけど、弟子はまぬけで凡人だった。あいつらがねじ曲げたから、僕は嫌になった」。

(略)

ボーイズを再び危険にさらすことに恐れおののいたエプスタインは、ツアーのキャンセルを真剣に考え始め(略)弁護士のナット・ワイスに、ツアーを直前にキャンセルした場合に発生する損失を算出してもらう。一〇〇万ドル以上になると告げられ、取り乱したエプスタインは、自分のポケットマネーから出そうとするが、ジョンが自分で謝罪すれば米国ツアーを断行できると、弁護士に説得される。

(略)

 ブラウンによれば、ブライアンが強引に説得を重ねた結果、少なくとも記者会見で発言の意図を説明することに、ジョンは同意する。

 アメリカに着陸してすぐにジョンは、メディアに向けて、長くてやや説得力に欠けた、彼の基準からすれば必要以上に下手に出た謝罪を表明。ビートルズの広報担当バロウによれば(略)ジョンは、公衆の面前で辱めを受けたことで、人目の無い所で崩れ落ちるようにすすり泣いていたそうだ。「彼は実際に手に顔をうずめて泣いていました」「ジョンは、『どんなことでもするよ…言われたとおりにする。僕が言ったことのせいで、このツアー全部がキャンセルになったら、みんなに顔向けできない』と言った」と、ブラウンは記す。

(略)

 各地の都市や小さな街で散発的に公開たき火が行われ、クー・クラックス・クランによる反対運動の儀式も止まなかった(略)

シンシナティでは(略)ローディのエヴァンスが(略)土砂降りのなか、濡れたアンプを電源につなごうとして、ステージ上を1m近く吹っ飛ばされるほどの強い電気ショックを食らったのだ。コンサートは突然のキャンセルを余儀なくされたが(略)ツアーをするようになって以来、初めての経験だった。ビートルズが、もし雨の中で演奏をしていたら、メンバーの1人が感電死していた可能性は十分ある。

(略)

決定的な事件は、バイブル・ベルトの真ん中(略)メンフィスのミッドサウス・コロシアムで起こる。(略)

2回目の公演の途中、ジョンが全力で "If I Needed Someone" を始めた時、銃声のように大きな音がして、眩しい光に包まれる。ジョンが撃たれたのではないかと恐れた他のメンバーは、凍り付く。ジョン自身は、このような状況下でもできるだけ平静を装うとしていた(略)爆発音は銃声ではなく、誰かが客席から投げこんだチェリー・ボムと呼ばれるかんしゃく玉の音であることが分かった。(略)人を殺すような威力は無かったが、ビートルズを震え上がらせるには、十分だった。メンフィスでのチェリー・ボム騒動は、ビートルズの神経に最後の一撃を与え、永遠に彼らがツアー用機材をしまい込むことに繋がった。

(略)

後にリンゴは、なぜ全米ツアーの終わりにひどく幻滅した思いを抱いたのか、彼らしく淡々と説明している。

 

 一九六六年になると、公演旅行がすごく退屈なものになって、自分にとっては終わりにしたい気持ちになった。演奏を聴いている観客なんていなかった。最初はそれでも良かったけど、演奏がどんどんひどくなって。僕がビートルズに加入したのは、彼らがリヴァプールで一番上手いバンドだったからだ。いつでも、上手いプレイヤーと演奏したい気持ちがあった。結局、理由はそういうことだよ。僕らは何よりもまず、ミュージシャン(略)だった。巨大でばかげた台の上に乗せられるためにやっていた訳じゃない。(略)僕らはっきり分かったんだよ。もう意味が無いから、早いとこツアーを終わらせた方がいいと。

 

(略)

 バンド内でおそらく最もツアー後にトラウマを抱えたのはジョージで(略)ラスト・コンサートを終えて、ロサンゼルスに戻る機内で、既に彼はバンドをやめるつもりになっていたのだ。「やれやれ、やっと終わった。もう僕はビートルズじゃない」と、彼はエプスタインにドラマチックに宣言した。(略)二度とツアーしないことを厳粛に誓うエプスタインにより、ジョージはバンドを脱退しないよう説得される。

(略)

 ジョージの情熱が向けられた先は、無論インドだった。

(略)

[一方ジョンは暇を持て余し面白半分で『ジョン・レノンの 僕の戦争』に出演]

(略)

 ロンドンに戻っても、依然として自分やビートルズの向かうべき道を見つけられなかったジョンは、不安から逃れるために、LSDに依存する。(略)

ブラウンによれば、「(略)いつも同様、ジョンはやり過ぎて、アシッドをほぼ毎日摂取した。本人の自白によれば、彼は何千回もトリップしたそうだ」。

(略)

惨事続きだった直近の海外ツアーや、ビートルズが人前で演奏をしないと決めたことへのショックから、エプスタインは神経衰弱に陥る。ジョンがサイケデリックのもやのなかに逃げ込む回数が増えたのは、エプスタインに対する心配も一因だった。エプスタインは、世捨て人のようにドラッグとアルコールに狂っていた。悪いことに、彼のボーイフレンドが、卑猥な写真を盾に評判に傷を付けるぞと、エプスタインを脅迫した。(略)九月の終わり、エプスタインは、睡眠薬を過剰摂取して、全てを終わらせようとする。幸いなことに、大事に至る前に(略)発見され、病院で胃の洗浄を行い回復した。エプスタインの書いた遺書は、スキャンダルを引き起こさないように隠蔽されたが、エプスタインと特に親しかったジョンは、大きなショックを受けた。

次回に続く。