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2007-08-26 18世紀哲学者の楽園 このエントリーを含むブックマーク

原著は1932年出版。


一八世紀哲学者の楽園 (SUPモダン・クラシックス叢書)

作者: カールベッカー,Carl Becker,小林章夫

出版社/メーカー: 上智大学

発売日: 2006/04

中世から解放されていなかった18世紀

 われわれは18世紀の性格を、基本的に近代的だと捉えることに慣れている。なるほど哲学者たちは迷信や中世キリスト教思想の呪文を否定したと主張しているし、われわれは普通、この言葉を文字通りに受け止めようとしてきた。確かに次のように言うこともできるだろう。18世紀はまず第一に理性の時代であり、哲学者たちは懐疑的精神の持ち主であり、生粋の無神論者ではないにしても、結果として無神論を唱え、科学と科学的方法に耽溺し、常に進んでいかがわしい人間を攻撃し、自由、平等、友愛、言論の自由、その他多くのものを勇敢に守った。なるほどこれらは紛れもなく正しい。けれども哲学者たちは、自分たちが考えているよりも、あるいはわれわれが一般に受け入れているよりも、中世により近かったし、中世のキリスト教思想の前提から解放されていなかったのではないか。

一般人の「ニュートン哲学」への興味は「自然の神格化」にあった

「ニュートン哲学」は18世紀半ばの一般人にとっては、今日の一般人にとっての「ダーウィン哲学」と同じくらい、なじみあるものだった。ニュートンを読んだ人間はほとんどまったくいないが、それは彼を理解するのに学識が必要だからだ。しかし誰もが彼のことを話題にしている」。実際、なぜ一般人がニュートンを読む必要があるのか? 「反作用は常に作用と同じ強さでこれに反発する」という前提には、一般人はそれほど大きな興味を抱いていなかった。彼らが興味をもっていたのは、それとはまったく違う意味のニュートン哲学だった。

コリン・マクローリン『サー・アイザック・ニュートンの哲学的発見論考』

自然現象を描写すること、それらの原因の説明…そして宇宙の全体構造を探究することが自然哲学の仕事である。(略)

神のあまねく支配する強い力は、大きな空間的隔たりあるいは時間的隔たりによっても減ることがないと思える力と効果をもって、働きかける。(略)

完璧な善性を伴うこれらの部分によって、われわれの自然観は明らかに支配され、その自然観が一人の哲学者の考察の至上の目的となる。この哲学者は、かくもすばらしいシステムを見つめて賛嘆しつつ、自身が自然の全体としての調和に呼応するように興奮と活力を感じざるを得ない。

この一節の最後の部分は、18世紀半ばを支配した精神を的確に表現すると言えるだろう。明らかにニュートン哲学の使徒たちは、礼賛をやめたのではなかった。彼らは礼賛の対象にもう一つの形と新たな名前を与えただけだった。神を脱自然化して、自然を神格化したのだ。したがって彼らは自意識をもたずに、そして聖なるテクストをほんの少し改めただけで、福音の叫びをくり返しているのである。「私の助けがやってくる自然に、私は目を向けよう!」目をあげて、かくも優れたシステムを見つめて賛嘆しながら、彼らは全体の調和に呼応するように、興奮と活力を感じていたのである。

啓蒙の敗北

人間が自分だけの力で行動し、自然人の邪悪な衝動から身を守ってくれるものもない世界が来るとすれば、とても落ち着いていられるものではなかった。(略)

哲学者たちが本能的に感じ取ったことは、無神論を表明するのは、さまよえる羊のようにキリスト教という檻の中に戻るのと同じく、失敗を告白することでしかない点だった。(略)

半世紀以上に渡って彼らは、無知と迷信の要塞に対して理性と常識の砲列を向けてきた。人間をさらに啓蒙し、社会をより確固たる基礎に置き、道徳と美徳を守るために、世界に騒音を巻き起こしてきた。(略)

「理性が結局われわれに教えてくれるのは、神が存在せず、宇宙は自動的に動く物質にすぎず、無知だと批判した聖職者と同じく、自分たち哲学者も何も知らない」のだとすれば、これまで大声で戦いの雄叫びをあげたことは、何たる大失敗だったか!

 哲学者たちが抽象的な理性を無視し始めたのは、その方向に論理的ジレンマを発見したからに他ならない

共通の規範、新しい歴史

そしてルソーこそ、どの道を通って撤退すべきかを指摘した人物なのである。(略)

人間性という絵画の中では、すべての姿が人間に似るべきなのだ…人間性の中にある多様性と、人間性に必須の多様性とを区別すべきなのである。

こうして、ロックが玄関の扉からあれほど丁寧に追い出した生得観念を、台所の扉から再びこっそりと引き入れなければならなくなった。デカルトの論理が個人から追放した魂を、人間性の中に再発見する必要が出てきたのである。

(略)

すべての人間に共通の特質を明らかにして数え上げ、それらを描写しなければならなかったのである。

(略)

プリーストリーの言葉を借りれば、「歴史がなければ、われわれの理性的特質という利点はきわめて低いものと判断されたに違いない」。哲学者たちが必要とした歴史とは 「新しい歴史」――例によって教えられる哲学となるような歴史だったことは、言うまでもないのである。

ルソーのいらだち

哲学者たちに向かって、19世紀が好んだ質問「どのようにして社会は現在の姿になったのか」を問いかけてはならない。もしこうした問いを発すれば、まずほとんど例外なくルソーのように「われわれにはわからない」と答えるからだ。そしてこのように答えながら、彼らはいらいらした様子を見せつつ、「そんなことはどうでもいい」といったそぶりをするのが、すぐに見て取れるのではないだろうか。

(略)

われわれが探すべきなのは、どのようにして社会を正せるかであって、過去を見るのは社会の誕生を探すためではなく、未来の状態へ過去がいかなる光を当てるかを探すためなのだ。

(略)

「人間性の不変にして普遍的な原理」をもとにして現在よりも公正な体制をうち立てられるのではないか。

死者の上でおこなわれる手品

18世紀の哲学者たちは中世のスコラ哲学者と同じく、啓示された知識の総体にしがみついていたのであり、死者の上でおこなわれる手品によって、自らの信仰と調和できない歴史から何かを学ぶ気持ちも、その可能性もなかったのである。彼らが信じていたのは、いつの時代にもある信仰と同じく、自らの経験と必要性から生まれたものだった。

(略)

彼らが求めている「人間一般」とは、まさに自分たちの姿に他ならず、また発見しようとしている原理とは、彼らの探究の出発点にすでにあるものに他ならない点を、理解していないのだ。それが死者の上で彼らがおこなう手品なのである。道徳と政治との結合を唱えることで、無意識のうちに馬脚を現しているわけだ。

2007-08-24 自由なんかとりあげて、僕らの不和をおさめてくれ このエントリーを含むブックマーク

なんか読む気しねえという人は、一番最後の獄中のルイ=ナポレオンへのプルードンの囁きだけでも。


1848年―二月革命の精神史 (叢書・ウニベルシタス (91))

作者: ジャン・カスー,二月革命研究会

出版社/メーカー: 法政大学出版局

発売日: 1979/01

とにかく、民衆は今度こそ勝利を横取りされまいと思っていたのだ。1830年のバリケードの中から、どうやってルイ=フィリップとその一味が王座への道を開いたかを、民衆はおぼえていた。そして、こういうごまかしを二度とさせまいと思っていた。自分のための革命を念じていたのである。

国立作業場の悪夢

この壮大で見事な計画は、失業の一掃を目的としているように見えたが、本当の狙いは、「祖国の費用」で煽動され制服を着せられ武器を与えられた若者で編成される出来たての遊動警察隊とは別に、政府の手中にあるもう一つの軍隊を作ることにあった。「作業場は革命の翌日に、民衆を食べさせ、しかも懶惰から来る混乱を避けるため無為徒食させないためにとらざるをえなかった公安上の方便で、貧民救済の下書きにすぎなかった。マリ氏は作業場をたくみに組織したが、生産活動にはなんのプラスにもならなかった。彼は四ヵ月のうちに、これを権力の手中にあるのらくらな親衛隊に変えてしまった。(略)」、とラマルチーヌは後日告白している。これほどたくみなもくろみに目をつぶるためには、ヴィクトル・ユゴーほどの無邪気さが必要だった。六月二〇日に、彼は議会で次のように叫んだ。「私は信じません。信じられません。嘘ではないのです。パリの労働者を傭兵に変え、世界一の文明都市で、働く住民を構成するすばらしい人々でもって、独裁に奉仕する暴動の親衛隊を作りあげるなどという途方もない考えが、誰かの頭に、まして政府メンバーの一人ないし数人の頭に芽ばえたなどと、どうして信じられますか。」無邪気なユゴーよ!

けりをつけろ

 四月一六日の直後から、反動派はすでに見抜いていた。自分が実際的な主導権を握っていること、共和主義的なお祭騒ぎが大衆の願望のはけ口の役を十分つとめおえたこと、喜劇もこれだけ続けばもうたくさんだということを。もちろん、ルイ・メナールも言うとおり、「〈共和主義者くたばれ〉と叫ぶ勇気はまだなかったので、追及は共産主義者を叩くという名目で行なわれた。」しかし、狙いはまさしく共和主義者にあった。民衆に身のほどを知らせることにあった。そのためのいちばん確かな方法は、恐怖をかきたてることである。成功まちがいない昔からの常套手段だ。

 共和制になったところで、社会構造はちっとも変わっていなかった。あいかわらず王政時代のもので、共和主義者が権力の座にいること自体アブノーマルなことだった。明晰で絶対的なプルードンの精神には、もはやいささかの幻想もなかった。「事態の進展がたえず証明していたのは、王政的な社会の造りを温存するかぎり、遅かれ早かれ王政の本音へ戻らねばならないということだった。民主主義は自己の原理を規定できなかったため、今までは王権に対する裏切りにすぎなかったというのが百パーセント真実だ。われわれは共和主義者ではないのである。ギゾー氏の言葉をかりれば、単なる〈謀反人〉なのだ。」

殺戮

監獄や兵営の中庭で、辻々で、大量の銃殺が行なわれた。後のコミューンでも繰り返されるように、地方出身の国民軍や、ある種の危機に際会すると草深い田舎から立ち現われるパリっ子への隠微で未開な憎悪の念が利用された。(略)木靴をはいた秩序が、革靴の反乱からパリを守りにきたのだ。

チュイルリ宮殿の地下室の警備を任されたのも、この高貴なる田舎者だった。地下室には捕虜があふれ、泥と汚物の中ですしづめになり、腹をへらし、息がつまり、ある者は気が狂った。番兵は天窓から発砲した。また、あまりこみすぎるからと言って、幾組かを外へ出し、しかるのち銃殺した。同じシーンが士官学校の地下室でもくりひろげられた。市庁舎の地下室では二、三〇〇人の捕虜が窒息死した。ついで、裁判技きの大量移送〔流刑〕が行なわれた。

弾圧に抗議する激した声の中に、ピエール・ルルー、コーシディエール、プルードンと並んで、断罪された司祭フェリシテ・ド・ラムネーの声が聞かれたのも異とするに足りない。「これだけ血を流したんですから、その責任を問う神様がないじゃすみませんよ」――老いたるキリスト者はパ=ペルデュの間で議員たちにこう言った。戦闘が終わり、自分の甥が国民軍の制服を着て会いにきた時、彼は一喝したものだ。「出てゆけ、けがらわしい。貧乏人を撃つとはなんだ。」自分が出している『プープル・コンスチチュアン』紙でも、共和国は死んだと彼は宣言した。「われわれの目の前にあるのは、どう見ても共和国ではない。いや、ちゃんとした名前があるようなものではない。パリは戒厳令下で、軍政に委ねられている。

(略)

重ねて言うが、これはどう見ても共和国ではない。血に染まった共和国の墓のまわりで、反動の無礼講がくりひろげられている。

「皇帝抜きの帝政」というユートピア

本当の支配者は別にいて、農民に支えられ、やがて新たな権威のもとに反動勢力を再結集する。農民が彼についたのは強烈な民衆煽動のおかげであるが、同時に、大量の犠牲者を出した労働者階級が、もう人を信用しなくなってしまい、共和制を嫌悪したというその混迷のせいでもあった。しかも、愚民政治的な独裁という形をとりそうな、万事を単純化するこの未知の力と早目に結んでおこうと試みた者が、社会主義の指導者の内にもいたのである。順に浮かんだ数あるユートピアの中でも、とりわけ実現性があるのは「皇帝抜きの帝政」というやつかもしれない。口には出さぬこんないかがわしい気持から、ルイ・ブランは1840年にルイ=ナポレオン・ボナパルト公をアムの監獄に訪ね、(略)やがてプルードンがルイ・ブラン以上に深入りしてゆく。

プルードン狂気の囁き

「おいで、世のルールからはみだした背教者たちが君を待っているよ。」

プルードンはルイ=ナボレオンに近づいて、惹かれつつ軽蔑するという好意とおぞましさのまじりあった目で、しげしげとこの人物をうち眺めた。「君はクレチン病だとか山師だとかキじるしだとか言われてるらしいね……」いいじゃないか。クレチン病・山師・キじるしであればあるほど、俺は愛情をこめて、情熱的な冷笑とともに、君にささやくのだ。「おいで」と。「おいで、君こそ僕らに必要な人だ。あのブルジョワどもをやっつけてくれ。やつらから子供も金貨も全部とりあげてくれ。社会主義、共産主義、カベ主義、フーリエ主義の仇を討ってくれ。おいで、世のルールからはみだした背教者たちが君を待っているよ。良心も女房も君に献上するつもりでいるよ。ボナパルトの名には、栄光が一つだけ欠けていた。自由なんかとりあげて、僕らの不和をおさめてくれ。フランス人民の恥辱をきわまらしてくれ。おいで、おいで、おいで。」要するに、共和制が無能を暴露した以上、社会主義を作るのはおそらくルイ=ナポレオンであろう。だがそのためには、あのロボットにこれこそ自分の使命だと悟らせねばならぬ。反動の一味につかまらないようにせねばならぬ。

2007-08-23 処暑バクーニン このエントリーを含むブックマーク


バクーニン著作集〈3〉 (1973年)

作者: 外川継男,左近毅

出版社/メーカー: 白水社

発売日: 1973

1848年のアピール

「オーストリア、それは冷酷な無法地帯である」

 専制君主らの陰謀の来たるべき目標はなにか?

 オーストリアの確保である。オーストリアは戦闘の中心地である。

 ではわれわれはなにを望むべきか?

 彼らの望みと正反対のもの、すなわちオーストリア帝国の完全な解体である。オーストリアを主戦場としようという専制君主らの意図はまったく正しい。というのはロシア帝国が専制の外的支柱となっているごとく、オーストリアはヨーロッパの中心部で専制を組織的におし進めているからである。オーストリア、それは冷酷な無法地帯である。ヨーロッパに荒れ狂う自由への志向の波濤が、かくも長期間ぶつかっては無力にも砕け散った防壁である。それゆえわれわれが自由のためにオーストリア帝国の崩壊と殲滅を望むのは理由のないわけではない。なぜならこの帝国の崩壊はオーストリアに隷属する多くの民族の解放と復活およびヨーロッパ中心部の解放となるであろうからである。オーストリアに組するものは自由に敵対する。だから自由に組するわれわれはオーストリアに敵対しなければならない。われわれはこの帝国の崩壊を促進させなければならない。

マルクスとビスマルク

両者を結びつけている点を見てみよう。それは国家崇拝である。私がビスマルク氏についてこのことを証明する必要はあるまい。これはすでに証明ずみである。彼は頭の先から爪先まで政治家(国家の人)であって、政治家以外のなにものでもない。しかしマルクス氏についても同様であることを証明するためには、たいして苦労はいらないように思われる。彼は政府が好きなあまり、国際労働者協会の内部にすら、それを作ろうとしたほどだった。彼はまた権力を崇拝するあまり、今日なお彼の独裁をわれわれに押し続けようとしている。(略)ドイツにおける彼の政党の基本綱領が明言しているように、偉大な人民国家の建設である。

 しかし国家と言うときは、必然的にある限界を持った特殊な国家ということになる。そしてたとえそれが多くの人口といろいろな国を含んだ大国家であっても、さらにより多くの人口と国とを排除したものであることも疑いない。ナポレオンやカール大帝がかつて夢みたような世界国家や、教皇権が夢みたような普遍的教会というのでないかぎり、いかに現在のマルクス氏の国際的野心が旺盛であっても、彼の夢が実現した時――万一実現したらばの話だが――マルクス氏は一度にいくつかの国を統治するわけにはゆかず、たった一つの国を統治することで満足しなければならなくなる。したがって国家と言うときはある一つの国を言うのであり、ある一つの国を言うときは、それによっていくつかの国の存在を認めているのであり、しかしていくつかの国と言うときは、不可避的に、中止も終わりもない競争、嫉妬、戦争を語っているのである。

ドイツのブルジョアジーは

一度たりとも自由を愛したことはなく、理解したこともなく、欲したこともなかったのだ。彼らはあたかもチーズのなかの鼠のように、静かで幸福な隷属のなかで暮らしている。彼らが望むのはそのチーズが大きいものであるようにということだけである。1815年以降現在まで、彼らはたった一つのことしか欲してこなかった。しかしその一つのものを彼らはこの上なく高貴なものであるかのように、執拗で精力的な情熱をもって欲してきた。彼らはたとえそれが残忍で凶暴な専制君主であっても、自分たちの不可避的な隷属とひきかえに民族的偉大さと呼ばれるものを与えることができさえすれば、またドイツ文明の名において、ドイツ民族を含めてすべての民族を震えあがらすことができさえすれば、その強力な主人の手のなかにあるということを感じていたかったのである。

反乱のあとの三世紀にわたる隷属

もしもルターが封建諸侯に抗して立ち上がった農民大衆のこの偉大な社会主義的人民運動の先頭に立つことを欲し、都市のブルジョアジーがそれを支持していたならば

(略)

[反乱が敗れ去って]以後この教会はプロテスタント諸侯の手中にあって、恐るべき専制政治の道具となり、プロテスタントでありながら隷属、その反動としてカトリックでもある全ドイツを、少なくとも三世紀にわたってこの上なく愚かな隷属状態に陥れたのであった。そして悲しいかな! 今日に至るまでもこの隷属が自由に代わる徴候は見られないのである。

(略)

 自由の夢を見たあとで目が覚めると、彼らは今まで以上に奴隷的存在になっていた。この時からドイツは反動の真の中心となったのである。自分の例にならって隷属を説いたり、ヨーロッパのあらゆる国に隷属を広めるために王子や王女や外交官を送るだけでは満足せず、この国は隷属そのものをも深遠な学問的考察の対象としたのであった。

都市のブルジョアに見棄てられた裏切られた農民は、貴族に打ち負かされて、何万人となく虐殺され拷問にかけられた。そしてドイツはそのあと静穏に入った。この国はイタリアと同様に、その後三世紀以上にわたって静穏に浸っていた。ただ両者の違いはイタリアが教皇と皇帝との同盟によって窒息させられていたのに対し、ドイツは独自の革命の重圧下にすすんで服従していたことである。

(略)

君主たちはいわばそれぞれの国家の神となった。もっとも彼らは自分の至高の意志に愚かにも酔い、この上なく頽廃した君主にふさわしく、きわめて粗暴で無知な神であった。そしてこの神の下にへいつくばった廷臣たる貴族がいた。(略)

一方粉砕され、虐殺された農民は、敗北と貧困と、キリスト教的隷従の説教者たるプロテスタントの牧師の教えによって、三重に愚かにされていた。

独伊同盟

イタリアとドイツのあいだに確立していた多少とも擬制的で神秘的な神聖ローマ帝国を利用するならば、もっとそれ以上のこともできたはずであった。イタリアの都市がフランドルやさらにその後いくつかのポーランドの都市とさえ結んだように、ドイツの都市もイタリアの都市と同盟したり連合することもできたかも知れない。もちろんその時は排他的なドイツ的基盤に立脚するのではなく、広く国際的な基礎の上に同盟がつくられるべきであろうが、そうなったらドイツ人のいくぶん鈍重で粗野な本来の力に、イタリア人の機知や政治的能力や自由を愛する気持がつけ加わることによって、この同盟が西ヨーロッパの政治的・社会的発展に今日とはまったく違った方向を与えたかも知れないし、それはまた全世界の文明にとってはるかに有益でもあったであろう。

2007-08-21 奪ったもので死ぬのはなによりも美しいことだ このエントリーを含むブックマーク


セネカ哲学全集〈1〉倫理論集 I

作者: 兼利琢也,大西英文

出版社/メーカー: 岩波書店

発売日: 2005/07/27

パラッとめくってみた。ありがちな高級ジャクチョー説法ともいえるが、気合で

「私は断ずる。君は不幸だ。不幸だったことが一度もないからだ。君は敵対者なしに人生を過ごした。君に何ができたか、誰も知らないだろう。いや、君自身、知らないはずだ」。自分を知るには試験が要る。誰でも、自分が何をできるか、試さないでは分からない。

と喝を入れたらそれはそれでアリなのかイノキなのか。

セネカ哲学全集〈5〉倫理書簡集 I

セネカ哲学全集〈5〉倫理書簡集 I

かつての教え子が暴君となって死へと追い詰めてくる状況下にあったセネカ。

明日は我が身

朝にはライオンや熊の前に、正午には観客の前に人間が引き出される。すでに殺した人間はこれから殺す人間に立ち向かえ、と観客は命じ、勝者を引きとめてもう一度殺させる。戦う者が行き着く果ては死であり、剣と火がものを言う。このようなことが行われ、ついに試合場から人影が消えた。「でも、追い剥ぎを働いた男で、人殺しもしましたよ」。だからどうだと言うのか。その男が人を殺した罪の報いとしてこんな仕打ちを受けねばならぬとすれば、君にはどんな罪があって、可哀想にも、こんな見世物を見物しなければならないのか。

(略)

ほら、君たちにはこんなことも分からないのか、悪い先例はひとめぐりしてそれを行った人間に帰ってくるということが。神々に感謝したまえ。君たちが残忍になれと教えても、向こうはそんな教えを学ぶことができないのだから。

奴隷に優しくw、いやそもそも全ての者が運命の奴隷なのだし、いつ奴隷になるともかぎらないのだし、もうすでに暴君の奴隷なのだし、という趣旨の話なのだが、人権意識wの違いといいますか、イマジン調の文章が笑える

君は君の奴隷たちと友人のように暮らしているね。それは英明で教養のある君に似つかわしいことだ。「彼らは奴隷だ」って。そんなことはない、人間だよ。「彼らは奴隷だ」って。そんなことはない、一緒に暮らす仲間だよ。「彼らは奴隷だ」って。そんなことはない、腰の低い友人だよ。「彼らは奴隷だ」って。そんなことはない、奴隷仲間だよ。考えてもごらん。どちらにせよ、運命の前では対等の権利しかないのだから。そこで私が笑ってしまうのは、自分の奴隷と一緒に食事するのを恥とみなす者たちだ。

(略)

会食のために席に着いたときには、私たちの吐き出したものを拭い取る奴隷があり、宴席の下に屈んで酔った客の残し物を集める奴隷がある。高価な鳥を捌く奴隷もある。胸と臀部に洽って確かな切り込みを入れ、練達の手がひとめぐりすると、一口大の肉が切り分けられるが、可哀想に、彼の人生はこのこと一つ、肥らせた鳥を見栄えよく捌くためにのみあるのだ。だが、実際のところ、もっと哀れなのはこの技を余興のために教えている人間で、強制的に学ばされる人間はまだましだ。また、酌をするのに女装をして自分の歳と格闘する奴隷もある。少年期から脱することがかなわずに引き戻され、すでに兵士の体格をそなえながら、体毛を擦り落とされたり、むしり取られたりまでしてつるつるの肌になり、一晩中寝ずに過ごす。夜は主人の酔いに付き合うか、欲情に付き合うか、二つに一つ、寝室では男になり、宴席では少年になる。

(略)

主人はこのような奴隷たちと一緒に食事することに耐えられない。奴隷と同じ食卓に着いたりしたら、自分の権威が損なわれると考えている。神々よ、これでいいのでしょうか。

(略)

見せてくれないか、誰か奴隷でない者がいるなら。ある者は情欲の奴隷となり、ある者は強欲、ある者は野心、誰もが《期待や》恐怖の奴隷となる。執政官経験者で年増女の奴隷になっている者もいれば、金持ちで小間使いの奴隷になっている者もいる。たいへん高貴な家柄の若者が黙劇役者の奴隷になっている例も挙げられる。隷従の中でも、自分から隷従することほど恥ずべきものはない。それゆえ、君は例の口うるさい人々の圧力に屈せず、君の奴隷たちに快く接し、上から見下さずに上に立つことだ。君を恐れさせるより敬わせたまえ。

自死について。

 何度も瀉血したことがあるし、痩身のために血管に穴を開けることもある。胸を切り開くのに大きな傷口は必要がない。小刀があれば、かの大いなる自由への道が開け、ひと刺しで平安が購える。では、どういうわけで私たちはだらだらと手をこまねいているのか。

(略)

最近も、猛獣格技者の訓練所で一人のゲルマーニア人が、午前の興行の練習の最中、用便に立った――監視がつかず、彼が独りになれるときはこれ以外になかった――とき、そこに汚物を拭き取るための棒きれがスポンジをつけて置いてあったのをそっくり喉に詰め込み、気道を塞いで窒息死した。これはまさに死に対する侮辱行為だった。まったくそうに違いなく、優雅でも、折り目正しくもない。だが、死に方を選り好みすることほど愚かなことがあろうか。勇敢な男ではないか。

(略)

かなうものなら好きな死に方で死ぬがいい、かなわなければ可能な死に方をせよ、そして、自分に暴力を加えうるものなら、なんでも手あたり次第に飛びつけ、と。奪ったもので生きるのは法に反するが、奪ったもので死ぬのはなによりも美しいことだ。お元気で。

2007-08-20 マルクスのバクーニン批判

私は奴隷だが、私の皇帝は無敵だ - 本と奇妙な煙

上記の流れで下記本の「バクーニン」だけ読んでみた。


時局論〈下〉芸術・文学論/手紙 (マルクス・コレクション)

作者: カール・マルクス,村岡晋一,小須田健,吉田達,瀬嶋貞徳,今村仁司

出版社/メーカー: 筑摩書房

発売日: 2007/01

マルクスのバクーニン批判書簡から

労働者階級は政治にたずさわってはならない。労働者階級がすべきなのは、労働組合のなかで組織をつくることだけだ。それでいて、いつの日か労働者階級がインターナショナルの力ですべての現存する国家にとってかわるというのだ。この男がぼくの教説をなんとこっけいなものにつくり変えてしまったかは、一目瞭然だろう。現存する諸国家を協同組合に変えることこそがわれわれの最終目標なのだから、支配階級の最大の労働組合である政府には好きなようにさせてやらねばならない、なにしろ、政府にかかずらうのは、それを承認することになってしまうのだから、というわけだ。まったくごもっともだ! それこそは、かつての社会主義者たちの言い草にほかならない。いわく、賃金労働の廃止を求めるのなら、そもそも賃金問題にかかずらってはならない。賃金の高さをめぐって資本家たちと闘争することは、賃金システムを承認することになってしまうというわけだ。どんな階級運動も、階級運動である以上は必然的にいつだって政治運動になるのだし、そうでしかありえなかったということこそが、このばか者にはけっして理解できないのだ。


エリートの反逆―現代民主主義の病い

作者: クリストファーラッシュ,森下伸也

出版社/メーカー: 新曜社

発売日: 1997/09/25

ミッキー・カウスによれば、今日において民主主義に対する最も深刻な脅威となっているのは、富の不平等な配分というよりも、市民が平等な人間として出会う公共的な制度の衰退または放棄である。

(略)

 カウスによれば、公共政策は市場の作用(それは所得の不平等を不可避的に促進する)をそこなわしめるのではなく、その作用の範囲を限定すること――つまり「金銭がものを言う生活領域を制限すること――をめざすべきである。彼はマイケル・ワルツァーの『公正の領域』を引用しながら、「金銭上の自由主義」と区別された意味での「市民的自由主義」の目標は、「金銭が価値をもたない生活領域を創造すること、金持ちが金持ちであるがゆえに自分は偉いんだと思いこんでしまわないようにすること」だと主張する。ワルツァーもまた同様に、彼の言葉で言えぼ「市場から富だけでなく、威信や影響力をも引き出してしまうこと」を制限することに関心をいだいている。

(略)

所得の平等な配分を確保することではなく、あらゆる社会的財を商品に変えてしまう市場帝国主義に限界をあたえることによってこそ平等原理は最高に機能する、とワルツァーは主張する。

キョウモコレダケ、にしようかと思ったが。

熱湯コマーシャル試論 熱湯コマーシャル試論を含むブックマーク

ぬるま湯でリアルな熱湯苦悶を見せられるのは本当の熱湯に入ったことがある者だけなのです。ガチ熱湯を体験したものだけがそれを演じられるのです。では彼等はいつ投入されるのか。それは「今日は長めにCMしたいのでぬるめにしました」という状況である。こんなに長く入湯してるなんて熱湯じゃないんじゃないだろうか、というお茶の間の疑問を払拭すべくたけし軍団&ダチョウが投入されるのである。そこに悲哀がある。当然その日のCM応募者は「なーんだ、ぬるま湯じゃない、熱湯じゃないんだ、たけし軍団、ヤオだな」と思う。無念だ。奴等はチキンなのか、いや熱湯を体験しているからこそなのである。それを忘れちゃダメ。本当に死にかけたことがあるからこそ「殺す気かあ」なのである。なんかこの話前に書いた気がする。というよりプロレスラー最強説みたいな口調になってきて哀れ。

でも、そんなこと、どうでもいいんですけどねby三津間ジャパン

(訳:でも、そんなの関係ねえ)。

2007-08-18 ドイツ版モンロー主義 このエントリーを含むブックマーク

帝国論とオタキング - 本と奇妙な煙

上記に関連して下記本の中の「国際関係論の理論家としてのカール・シュミット」(ハラルド・クラインシュミット)だけ読んでみたとです。


カール・シュミットと現代

作者: 臼井隆一郎

出版社/メーカー: 沖積舎

発売日: 2005/06/01

国際連盟批判

[1926年]シュミットは今日「グローバル化」と呼ばれるものに反対する立場をとり、自らが「新国際法」と名づけたものと国際連盟を結びつけた。(略)シュミットは、主権国家の政府の決定が国際連盟の諸機関の裁定に拘束されるようになることはいかなる理由から容認できず、容認すべきでもないかを説明しようとして現実主義の信条をもちだした。シュミットの議論によれば、国際連盟はこれまでに国家主権を核とする「旧国際法」を廃止しえていない。国家主権が優勢であるために国際連盟は加盟国を通すほかには決定を実行に移すことができず、必然的に強力な加盟国の同意をえたときしか行動できないことになる。最終的にシュミットが出した結論は、強国は自己の主権を弱小国の主権を破壊もしくは制限するために用い、主権国家の法的平等に立脚していた「旧」システムとは異なる法的不平等のシステムを作りだしているというものだった。シュミットは国際連盟の活動は希望的観測に基づくものであるにすぎないと非難した。強国は「損なわれることのない国家的栄光」を享受し、イギリスやフランスのように国際連盟を顧慮することなく主権者として振舞えるであろう。しかしそれほど力を持たない諸国は「旧国際法」の体制下におけるよりも「新国際法」の体制下で、また国際連盟に属さずにいるよりも国際連盟に入ることではるかにたやすく経済的政治的依存に陥ってしまうことになるであろうとシュミットは論じた。

ドイツ版モンロー主義

シュミットは「帝国」という概念を政治学ではなく国際法の概念として定義しようとした。それによれば「帝国」とは、ある特定の国家の政府による干渉は合法であるが他国政府による干渉は違法であるような地域もしくは「広域」として定義される。シュミットは「広域」の二つの実例として大英帝国とモンロー・ドクトリンを挙げた。シュミットの議論によれば、大英帝国とはその地に関する排他的な干渉権をイギリス政府が有している地域である。モンロー・ドクトリンについてはシュミットは国際連盟規約で述べられているような基盤に立った国際法の道具であると分類し、モンロー・ドクトリンはその地に関する唯一の干渉権を米国政府が有するような「広域」へとアメリカ大陸を変えたと論じた。そしてシュミットはドイツ帝国を含めた他の国々も同様の権利を有していると暗に述べたのである。

 シュミットは、第一次世界大戦以前のドイツの植民地属国を回復しようとするナチの野望をイデオロギー的に支えた単なる植民地主義のイデオローグではなかった。「ドイツ版モンロー・ドクトリン」を案出することにより、シュミットは第二次世界大戦中のドイツの中東欧への軍事侵略を準備し、正当化する役割を進んで果たしたのである。シュミットの弁明的な用語法によればドイツの軍事侵略と人道に対する罪は侵略戦争にはあたらず、単に「帝国」としての法的権利を要求しただけの行為であるとされる。

キョウハコレダケ。

2007-08-15 私は奴隷だが、私の皇帝は無敵だ このエントリーを含むブックマーク

前日のつづき。


国家制度とアナーキー

作者: ミハイル・バクーニン,左近毅

出版社/メーカー: 白水社

発売日: 1999/05

ロシア帝国解体

汎ゲルマン的な中央集権主義に対して、汎スラヴ的な連合体を対置できぬものであろうか?(略)

 まず、なんらかの同盟が成り立ちうるためには、一大ロシア帝国をうちこわして、多くの個々の互いに独立した、ただ連邦としてしか結合していない諸国家に解体する必要がある。これほど大きな帝国のままで、連邦として同盟を結んだばあい、中小スラヴ諸国家の独立と自由とが守られるとは、およそ考えられないからである。

 極端な仮定だが、ペテルブルク帝政が解体していくつかの数の自治州となり、一方で独立国家として編成されたポーランド、ボヘミア、セルビア、ブルガリア諸国がこれらの新しいロシア諸州と共に、一大スラヴ連邦をつくったとしてみよう。このような場合でも、その連邦は、汎ゲルマン的な中央集権主義に抗してたたかうことはできないと信ずる。理由は簡単で、軍事力、国力はつねに中央集権体制のほうがまさっているからである。

セルビア愛国青年操縦法

セルビア政府が、自国の青年たちの愛国熱をしずめる手として考えているのは、来年の春とか、ことによると農作業の終わった秋にでも、トルコに宣戦布告をするとくりかえし約束することである。そうすると、青年たちはそれを信じて感奮し、夏じゅう冬じゅうかかって戦争準備につとめる。ところが、必ず思いもかけぬ障害が降ってわいたり、列国のパトロン国から指令が来たりして、宣戦布告の約束はどこかへ吹き飛んでしまう。半年延ばされたり一年延ばされたりで、結局セルビアの愛国主義者たちは来る日も来る日も、けっして実行されないものを鶴首して待つうちに、疲れはててしまうのだ。

なぜ砂漠に侵攻するのだ

ヒヴァに対する進軍を、ロシア政府に企てさせたものはなんてあったのか?(略)

 砂漠の荒地を征服して、いったいわが国家にはどんな利益があるのか? ある人々はおそらく、わが国の政府がかかる進軍を企てたのは西欧文明を東へもちこむという、ロシアの偉大な使命を果たすためだ、と答えようとするかもしれない。だがこんな説明はアカデミズムの、あるいは格式ばった講演や、いつも高尚なたわ言を並べたていつも現実に有ること為すこととはおよそ正反対の事柄をおしゃべりしている空論的な著作物、パンフレット、雑誌にはあつらえ向きかもしれぬが、われわれはこんなもので満足できない。その計画と行動にあたって、文明を普及するというロシアの使命を自覚している、そんなペテルブルク政府をご想像ねがいたい!わが支配者たちの性質や本性をいくらかなりとも知っている人間には、こんなことを考えるだけで、腹をかかえて笑いだしたくなるだろう。

 インドヘの新しい商業ルートの開拓ということについても、なにも言うまい。商業政策、これはイギリスの政策であって、いまだかつてロシアの政策であったことはない。

 なぜヒヴァを進攻したのか? 軍隊に暇つぶしをあたえるためであろうか? 数十年にわたりカフカースは軍の学校として役だってきたが、現在カフカースは鎮定されており、したがって新しい学校を開く必要があった。そこでヒヴァ遠征を思いついたというのだ。

(略)

 しかしことによると、ロシア政府はインド征服を本気で計画したのではなかろうか? われわれは、わがペテルブルク支配層の賢明さを過信するつもりはないが、それにしてもこんなばかげた目標を立てるとは考えられない。インドを征服する! いったいだれのために、なぜ、しかもどうやって征服するのか?とにかくそれにはロシアの人口のまるまる半数ではないとしても、少なくとも四分の一を東へ移動させる必要があろうし、インドに達するにはまず好戦的で数の多いアフガニスタン種族を圧服するしか手がないわけで、そのようなインドをなぜ征服しようとするのか?

(略)

 侵略に踏みこむなら、どうして中国から始めなかったのか? 中国はきわめて富んでおり、われわれにとってはあらゆる点でインドよりも手を伸ばしやすい。なにしろそれとロシアの間には、いかなる国もいかなるものも存在しないのだ。俗に言うごとく、なんじ、できるなら行け、そして取れ、だ。

ディスるバクちゃん

 だがなによりも注目すべきことで、しかもマルクス氏がけっして認めようとしなかったこと、それは政治的な面でマルクス氏がルイ=ブランの直弟子だということである。この卑小な、挫折した革命家ならびに政治家にくらべると、マルクス氏ははるかに利口で、はるかに学識がある。だがドイツ人としてその大柄にも似ず、彼は小柄なフランス人の学説にひっかかったのである。

 ところがこの珍事は簡単に説明がつく。ブルジョア政治家としての、またかくれもないロベスピエールの崇拝者としてのフランス人美文家と、ヘーゲル主義者、ユダヤ人、ドイツ人という三重の性格をもった学識のあるドイツ人、ふたりはともに狂信的な国家崇拝者であり、ふたりとも国家共産主義を説いている。ただ違いは、一方が論証の代わりに美文調の熱弁で満足しているのに対し、他方は学者ならびに荘重なドイツ人にふさわしく、彼らに等しくお気に入りの原理を、ヘーゲル弁証法のあらん限りの狡智と多面的知識のあらん限りの豊富さで、くるんでいる点だけである。

「私は奴隷だが、私の皇帝は無敵だ」

 われわれのスイスの一友人が言ったとおり、「いまや日本、中国、モスクワに在住するドイツ人裁縫業者はみな、背後にドイツ艦隊と全ドイツ兵力の存在を感じている。この誇らしい意識で、彼らはきちがいのように有頂点になっている。ついにドイツ人も生きながらえて、イギリス人やアメリカ人と同じように、国家によりかかりながら、《私はドイツ人だ》と誇りをもって言えるわけである。」なるほど、イギリス人やアメリカ人は「私はイギリス人だ」、「私はアメリカ人だ」と言うが、その言葉によって彼らは「私は自由な人間だ」と言っているのだ。ところがドイツ人が言っているのは、「私は奴隷だが、その代わり私の皇帝はいかなる君主よりも強く、ドイツ兵は私を抑えつけるが諸君すべても抑えつけるのだ」ということである。

2007-08-14 バクーニンの墓参り このエントリーを含むブックマーク

1873年頃に執筆された本なのだが、文章が読みやすいせいか、同時代に生きているバクーニンという人が書いてるような気がしないでもない。当然中身は昔の話なのだが、バクーニン・ブログと言われて読んだら違和感ねえというか、100年以上前からこんなこと書いてて今に至るというか、ナニ言ってるんだかワケワケメでしょうか、猛暑のせいにして左に受け流してください。


国家制度とアナーキー

作者: ミハイル・バクーニン,左近毅

出版社/メーカー: 白水社

発売日: 1999/05

新しい国家

[国家による集中化を必要とする]資本主義的生産と銀行投機は、いわゆる代表制民主主義とたくみに折れ合う。なぜならばこのもっとも新しい国家形態は、みせかけの人民の意志によるみせかけの人民による支配を基盤にし、みせかけの人民集会でみせかけの人民の代表者が意志を表わしているような格好になっているからだ。つまり、国家による集中化と、主権者である人民を事実上一部の少数者に隷従させるという、彼らにとって必要な二条件を具備しているからである。この一部の少数者は、人民を知識の面で支配し、人民を代表しているようなふりをしながら、たえず人民を搾取している。

(略)

現代の国家は、必然的に軍事国家であるために、いやおうなしに世界国家となる傾向を有する。

1873年にはもう美辞麗句だったのか

自らの自由と平等をめざしてたたかうことによって、全人類を解放するということを、フランスのプロレタリア層は、早くも1790年代に知っていた。

 全人類の自由と平等、友愛……偉大なこれらの言葉は、いまでこそたんに美辞麗句として使われている面があるが、当時はまさに真情あふれる切々たる言葉だったのであり、その頃の革命歌にはいたるところに見られる。

フランスの終焉

 フランス社会のどの階層にもこうして愛国心が消えうせ、しかも各階層間でいまや仮借ない戦端がひらかれているのに、どうやって強力な国家を再興できるだろうか? だから共和国の老いぼれた大統領がどんなに政治的手腕を発揮してみたところで、徒労であろう。そして政治的祖国のために捧げられた身の毛もよだつ犠牲、たとえば数万のパリ・コミューン参加者に対し、老幼男女を問わず非人間的な殺戮をほしいままにし、さらに数万にのぼる人々をニュー・カレドニアヘと非人間的な流刑に追いやったことは、無意味な犠牲であった。それの分かる日が必ずやいつかは来るであろう。

(略)

くりかえし言うが、一流の列強としてのフランスの役割は今日をかぎりに終わりを告げたのである。文学や王政、共和制の古典主義時代が終わったように、フランスの政治力を謳歌した時代もふたたび帰らぬものとなった。フランスの古い国家基盤がことごとく朽ち果てたのに、ティエールは性こりもなくそれを足がかりに保守的な共和国、つまり共和主義という羊頭狗肉の看板で塗りなおした古い君主制国家をうち樹てようと、やっきになっているのだ。

王政と共和国の違いはただ一点

 現代では、真に国家の名に価する強大な国家となるには、軍事的、官僚的な中央集権体制という強固な基盤さえあればよい。王政ともっとも民主的な共和国との違いは、ただ一つしかない。前者では、官僚が君主をだしにして人民を圧迫し、収奪して特権階級、有産階級の利便をすこしでもふやし、ついでに自分のふところも肥やそうとする。共和国の場合にも、官僚は同じように人民を圧迫、収奪して同じ連中の利便をはかる。一つだけ異なるところは、それを人民の意志を大義名分として行なう点である。共和国では架空の人民、つまり合法化された人民がいつのまにやら国家に化けて、生身でほんものの人民を抑圧する。殴るための鞭があるかぎり、人民の鞭と呼び名が変わったところで、人民はいささかも楽にはならない。

(略)

国家と名のつくものはすべて、もっとも共和的で民主的なものでも、またマルクス氏の想定するいわゆる人民国家ですら、少数の知識人、要するに少数の特権層があたかも人民自身より人民の真の利益を知ったふりをして、上から下までの大衆を支配する点では本質的に同じことである。

属国フランス

 フランスの国家的愛国主義者がなんと言おうと、どんなに請け合おうと、今後国家としてのフランスは、つつましいごく二流の地位に落ち着く運命にある。それだけではない、ドイツ帝国の指導を上に仰ぎ、おためごかしの慈善を甘受しなければならなくなるだろう。つまり1870年に至るまで、フランス帝国の政治に脆拝していたイタリア国家と、ちょうど同じ状態である。

 世界市場のほうがよほどありがたいと思っているフランスの山師たちにとっては、かかる状態はむしろ都合がよいだろうが、フランスの国家的愛国主義者が胸一杯にいだいている民族的虚栄心の立場から見れば、まったく情けないかぎりである。

(略)

[ブルジョアジー]にとっては自国のプロレタリアートを支配していたほうが割に合うのであって、それをやめるくらいならどんな屈辱にも、ドイツの保護下にはいることにも目をつぶるのだ。

イギリスは国家じゃねえ

 だがフランスを除いたら、いったいヨーロッパのどんな国が新しいドイツ帝国に桔抗しうるであろうか?

 もちろんイギリスではない。まずイギリスはそもそもが、言葉の意味を厳密にそしてもっとも新しい形で解釈すれば、国家であったことはなかった。つまり軍隊、警察、官僚機構の中央集権化という意味では、国家ではなかったのだ。イギリスはむしろ特権的な利害関係者を糾合した連合体であり、自治社会であり、当初は地主貴族が権勢をほこっていたが、現在はそれと肩を並べて金融貴族がはばを利かせている国である。

スペイン

スペインは短い間に、不自然なくらい国力の総結集をはかったために、全ヨーロッパの恐怖と憎悪の的となり、暫時の間、ほんの暫時の間にすぎないが、ヨーロッパ社会の革新運動にブレーキをかけるほどの勢いとなった。だがその後、突如として疲弊し、愚鈍と無気力、倦怠のなかに落ちこんでしまった。それからというもの、ブルボンのグロテスクで愚劣きわまりない支配によって、完膚なきまでに辱しめられたのである。そしてついに、ナポレオン一世が無法にも国境を犯すにおよび、ようやく二世紀にわたるまどろみから目覚めたのであった。

 スペインは死んでいなかった。スペインは純然たる人民の決起によって、外国の束縛から救われたのである。

うーん、あまり面白くない気もするが猛暑のせいにして明日につづいてみようか。

2007-08-11 星川清司の大映話 このエントリーを含むブックマーク

主に後半から(前半は大映創生期の話色々)。


カツドウヤ繁昌記―大映京都撮影所

作者: 星川清司

出版社/メーカー: 日本経済新聞社

発売日: 1997/11

三隅研次、市川雷蔵との出会い

[京都に呼ばれ初めて時代劇を書くことに]

 脚本「新選組始末記」の第一稿を読んで監督三隅研次は、「こことここのせりふは、あってもなくてもいいから、要らない」といった。

 他には何かないかと念を押すと、「ない」という。京都でいちばんうるさい監督だと聞いていたわたしは、いささか拍子ぬけした。(略)

[これでお役御免と安堵していたら上からの命令で突如撮影中止。うんざりしていると事態はさらに急変。雷蔵が脚本を気に入りカラーに格上げ]

 事情を聞いて、三隅はいっそう不きげんな顔。

 「役者の越権行為やないか」

 わたしはどうしていいかわからずに黙っていた。めんどうなことになったなというおもいが先に立った。

 三隅監督が怒っていると聞いたのかもしれない。その夜、三隅と辻企画者とわたしの三人は、鳴滝にある雷蔵の家に招かれて夕食を共にすることになった。

 三隅はずっと不きげんだった。辻がとりなすようなことをいった。わたしは雷蔵をはじめて見て、役者らしくない、品のよい商家の若主人のようなひとだとおもいながら

(略)

 市川雷蔵主演作品としての手直しはできないと、わたしはくりかえした。

「そういう技量はないんです、なにしろ時代劇一年生ですから」

 ですから、もし手直しが必要なら、他のひとにやってもらってくれと付け加えた。それで結構だからともいった。

 すると雷蔵が、いたずらっぼい微笑をうかべて、こういった。

 「いや、あれは一行も変えてもろたらいかんのです。あのままやりたいんです。そして、わたしはどの役でもいいから、主役でなくてもいいからやりたいとおもってます」

 それを聞いて、三隅研次の表情が和らいだ。辻企画者がうなずいた。わたしは、いささか殺し文句だなとおもいつつ、なんにもいうことがなくなった。

 けれど、そのときの雷蔵の一言と微笑が、雷蔵の死に至るまで、わたしたちを結んだ縁になったような気がする。

固辞するも結局眠狂四郎を書くことに。執筆期間はたったの二週間

完成した作品「眠狂四郎殺法帖」は不出来だった。

 案の定だ、とわたしは、原作の設定を決して変えてはならぬという条件付きの仕事を引受けたことを悔んだ。脚本がよくないのだと監督に詫び、雷蔵にも詫びた。

(略)

[雷蔵が第二作も書いて欲しいと]

 断りつづけても承知してくれない。ヤケになってわたしは、原作の設定をすべてぶちこわさないかぎり書く気はないといった。

 三隅は、ではそうしてくれという。辻企画者があわてて手を振った。

 「そんなことはできない」と辻がいった、「原作どおりの設定だ」

 それなら書けないとわたしはいいつづけた。

 やがて押問答の末、監督と企画者の対立になった。原作者柴田錬三郎からは原作をたくさんもらっているので、条件を無視したら、大映という会社の立場がなくなる。(略)

[なんだかんだで著者が責任をとるということに]

 暁方に、こうなったからと雷蔵の家に電話を入れた。雷蔵の声がきこえた。

 「あなただけに責任はとらせないから」

 大映本社で、シリーズ第二作「眠狂四郎勝負」の試写。

 終の文字が出ると、原作者柴田錬三郎は不きげんな顔で出ていった。社長永田雅一も無言で出ていった。重役の一人が立ちあがって呶なった。

 「なんだ、こんなキザなもん作りやがって、眠狂四郎はもうやめだ」

(略)

[ところが朝日映画欄で賞賛、一週間後社長からこれからも頼むと]

 後日、企画者辻久一のはからいで、柴田錬三郎と一席ともにしたことがある。

 不愛想に原作者はこんなようにいった。

 「ま、映画だから、あれはあれで仕様がねえか、――狂四郎のねぐらが吉原裏の浄閑寺とは、うめえことを考えやがった」

 そして一言、付け加えた。

 「だが、おれはあんなふうにゃ書かねえよ」

 盃を交して鳧になった。

 こうしたことがあって、のちの眠狂四郎シリーズが原作に拘束されずに書けるようになった。

(略)

眠狂四郎の「虚無」を描いたつもりはみじんもない。(略)

 映画の眠狂四郎は、センチメントでダンディに見えればそれでよい。そうおもってわたしは書いた。

勝新太郎の「勘」

「心中あいや節」というテレビの座頭市シリーズのときにも舌を巻いた。(略)

たまたま、ドナルド・キーンのことに咄が及んだ。

 「つまらない市井の男と女が、道行にかかると、双方の背すじがすっと伸びる」

 近松のことを述べた一節に、そういうことばがあった。「背すじが伸びる」という日本人にもできないような表現がみごとだ、とわたしがいうと、勝が「それだ」と叫んだ。

 何をいいたいのか、すぐにわかった。そして、「わかったから、それ以上いわないで」とわたしはいった。それで二日待ってくれといった。(略)

 約束の二日のちに、わたしは、市と瞽女が生き別れになっている最後の件りを書き改めて渡した。

 その原稿を勝は読まなかった。そして、「おれが監督やりたいけど、それでいいか」といった。いいもわるいも、もう決めていることだ。監督と決っていた井上昭を嘆かせた。

 勝はさらに欲を出し、三十五ミリフィルムで撮りたいといい出して、雪の若狭にトラック十台をつらねて出かけていった。

 雪の中に宿屋を一軒、建てたのだという。

美術監督西岡善信との対談より

銀箔に硫黄

太田多三郎という人ですが、雷蔵主演の「忠直卿行状記」(昭35、森一生監督)という作品で、物凄く幅のでかい板戸を造ってですね、それを黒光りにして大きな龍を銀の箔で押してくれたんです。水谷八重子さんが母親役で、諌めにくる場面で板の間に二人がいて後ろには龍の板戸だけがあるような、それが狙いですがね。仕上がりを見に行くと、背景の部屋がシートで囲われてるんですよ。入っていくと臭いがするんです。中にいる背景のおじさんが、入ったら困るって言うわけです。そこへ硫黄を焚いてガスマスクをかけた太田さんが、貼った銀箔に硫黄の煙を吹き付けてるんです。部屋は硫黄の煙で充満してて吸ったら毒ガスです。こりゃ凄いと思いました。銀やから硫黄かかると変色するんですよ。茄子色というか銀が金色に変わって紫になるんですね。それ以上やると黒になるんです。ライトによって、絵では表現出来ないような異様な光が龍に出てくるんです。カメラの宮川さんもね「こりゃ人物なしでいけるな」と大喜びでした。

鑑識眼

星川 私が聞いた話ではね、溝口さんは世間で言われているほど古美術に対する鑑識眼はなかった。

西岡 いや、そんなこと言うたら溝口ファンから文句言われるかもわからんけど、物の見つめ方の違いだと思う。三巨頭に違いがあるとすれば伊藤(大輔)先生はどれもこれもじゃなしに、書なら書に対しては相当だったし、もともとクリスチャン的なものの見方から見られてました。他の二人は全く宗教的なものはなかったですね。人間性でなく、単に物の価値についてなら衣笠さんという気がしますけどね。

増村保造のケチ話。タクシーワンメーター浮かすために走る。

西岡 (略)服装みても下着だけは替えたようやけど上は着たきり雀。靴はイタリアで買ったものやけど十年履いてて。文部省の留学で行ったときに買ったものらしいんです。旅館ではスリッパや下履きで家ではズックぐつで、電車に乗ってくる時はイタリアの靴でね。靴底も何回もはり替え「他に靴は買いませんよ。イタリアの靴一足です」ってね。「好色一代男」で紀伊半島にロケーション行った時も、旅館の食事の時に自分のお酒を飲み終わると「そこの人は飲まないんですか」「はあ」「いただいていいんですか」「どうぞ」。付き合いかねるなあ。どっか出て行って飲もうかってことになって「増村さん、行かれないんですか」「お酒はありますから」。ありますってね、その辺のを集めて飲んで監督のすることやないなあ(笑)。その他いろいろあって、見事というか、奇妙な面白い人でした。

星川 割り切りの早い人でしたね。「これは資料をいくらあさってもやりようがないから、大メロドラマ・新派大悲劇で行きましょう」。なんて平気で言うんです。

なんとなくワロタ

 晩年は田中絹代への恋情が溝口を苦しめた。

 片想いだった。生身の恋物語になると溝口は臆病だった。じれったくなった川口松太郎が田中絹代を問いつめると、こういう返辞がかえってきた。

 「先生がわたくしを好いてくださるのは仕事の中のわたくしだとおもいます。結婚して先生への尊敬を失うより、あくまでも仕事のうえでの先生であっていただきとう存じます」

 しっかりした女だとおもったが、川口は、反撥もしたそうである。

 「男と女なんてものは、やったかやらないか、それできまるんだ。意気地なしだよ。尊敬するとかなんだとか、上品ぶってやがるからまとまらねえんだ」

 酔ったまぎれにそういって川口はくやしがった。

 そして溝口と絹代とは、仕事のうえでも気まずい別れになった。

2007-08-09 生物と無生物のあいだ このエントリーを含むブックマーク

科学者の文章の方が、文芸誌に載ってる文章より、ある種の文学的情感を湛えていることの不思議


生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

作者: 福岡伸一

出版社/メーカー: 講談社

発売日: 2007/05/18

 ウイルスは、栄養を摂取することがない。呼吸もしない。もちろん二酸化炭素を出すことも老廃物を排泄することもない。つまり一切の代謝を行っていない。ウイルスを、混じり物がない純粋な状態にまで精製し、特殊な条件で濃縮すると、「結晶化」することができる。これはウエットで不定形の細胞ではまったく考えられないことである。結晶は同じ構造を持つ単位が規則正しく充填されて初めて生成する。つまり、この点でもウイルスは、鉱物に似たまぎれもない物質なのである。ウイルスの幾何学性は、タンパク質が規則正しく配置された甲殻に由来している。ウイルスは機械世界からやってきたミクロなプラモデルのようだ。

(略)

 ウイルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら、ウイルスはまぎれもなく生命体である。ウイルスが細胞に取りついてそのシステムを乗っ取り、自らを増やす様相は、さながら寄生虫とまったくかわるところがない。しかしウイルス粒子単体を眺めれば、それは無機的で、硬質の機械的オブジェにすぎず、そこには生命の律動はない。

『本』連載のためか「生物と無生物のあいだ」を深く追求していくというより科学エッセイというかポスドク・ブルースというか。

謙虚に淡々と研究を続ける負け組と、彼等の業績を横取りして栄光を掴む勝ち組の話。

小柄で宇宙人のような容貌、生涯独身、定年退職まで自宅と研究所の往復のみで過ごしたオスワルド・エイブリー

 エイブリーは自分の研究成果を誇示したり[しなかった](略)

エイブリーは謙虚だったが、しかし、その批判者たちは容赦なかった。形質転換物質、つまり遺伝子の本体がDNAであることを示唆するエイブリーのデータに最も辛辣な攻撃を加えたのは、なんと、同じロックフェラー医学研究所の同僚、アルフレッド・マスキーだった。(略)DNAのような単純な構成の物質に遺伝情報が担えるはずがなく、遺伝子の本体はタンパク質であるはずだと。

(略)[批判に心中穏やかではなかったが]それでもとりうる道はひとつしかなかった。できるだけDNAを純化して形質転換を実証するしかない。

 おそらく終始、エイブリーを支えていたものは、自分の手で振られている試験管の内部で揺れているDNA溶液の手ごたえだったのではないだろうか。DNA試料をここまで純化して、これをR型菌に与えると、確実にS型菌が現れる。このリアリティそのものが彼を支えていたのではなかったか。

 別の言葉でいえば、研究の質感といってもよい。これは直感とかひらめきといったものとはまったく別の感覚である。

 ロックフェラー大学の人々にエイブリーのことを語らせると、そこには不思議な熱が宿る。誰もがエイブリーにノーベル賞が与えられなかったことを科学史上最も不当なことだと語り、ワトソンとクリックはエイブリーの肩に乗った不遜な子供たちに過ぎないとののしる。

不遜なワトソン達はX線結晶学が専門のロザリンド・フランクリンの研究を不正に入手し栄光を掴みながら、自著で彼女をダークレディと嘲った。

[ノーベル賞授賞式] 最も重要な寄与をなしたはずのロザリンド・フランクリンの姿はどこにもなかった。彼女は、彼らがそろってノーベル賞を受賞したことも知らず、そして自身のデータが彼らの発見に決定的な役割を果たしたことさえも生涯気づかないまま、この年の四年前の1958年4月、ガンに侵されて37歳でこの世を去っていた。(略)

 一説によれば、X線を無防備に浴びすぎたことが、彼女の若すぎる死につながったのではないかといわれている。

動的な秩序

 貝殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見てそこに感得する質感は、「複製」とはまた異なった何物かである。小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な先には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる美である。

 動的な秩序。おそらくここに、生命を定義しうるもうひとつの規準(クライテリア)がある。

GP2遺伝子を欠損しているマウスの膵臓

 私はそれを顕微鏡のステージにおき、ダイアルをゆっくり回しながら徐々にフォーカスをあわせていった。ピンク色の視界が像を結んでいく。私は息を止めた。台形の膵臓細胞。丸い核。棒状のミトコンドリア。その中に散在する完全な球形をとった分泌顆粒。私はステージを前後左右に動かして視界をあらゆる場所へ次々と移してみた。核。ミトコンドリア。完全な球形の分泌顆粒。細胞の表情は静かで均一だった。異常はどこにも認められなかった。顕微鏡下、円形の視野に広がるGP2ノックアウトマウスの細胞はあらゆる意味で、まったく正常そのものだった。

なんの変哲もない文章なのだが、なんとなくいい感じに思えるのは、オレがおかしいんでしょうか。たぶんそう。

GP2がなくても問題がないということはGP2は不要なのか。同様にプリオンタンパク質をノックアウトしたマウスは健康そのもの。ところが一部が欠損した不完全なプリオンタンパク質遺伝子を与えられたマウスは異常になる。

 ピースの部分的な欠落のはうがより破壊的なダメージをもたらす。むしろ最初からピース全体がないほうがましなのだ。このようなふるまいをするシステムとは一体どのようなものなのだろうか。

(略)

ある場所とあるタイミングで作り出されるはずのピースが一種類、出現しなければどのような事態が起こるだろうか。動的な平衡状態は、その欠落をできるだけ埋めるようにその平衡点を移動し、調節を行おうとするだろう。そのような緩衝能が、動的平衡というシステムの本質だからである。

(略)

[不完全なピースの場合、そこにピースがあると判断され組織化が次の段階に進み、やがて不完全なピースの空隙のずれが大きなずれを生み致命的なダメージをもたらす]

私たちは遺伝子をひとつ失ったマウスに何事も起こらなかったことに落胆するのではなく、何事も起こらなかったことに驚愕すべきなのである。動的な平衡がもつ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさにこそ感嘆すべきなのだ。

結局、私たちが明らかにできたことは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである。

エピローグは著者の少年時代の回想

待ちきれなくなった私は、卵に微小な穴を開けて内部を見てみようと決意した。もし内部が“生きて”いたらそっと殼を閉じればいい。私は準備した針とピンセットを使って注意深く、殼を小さく四角形に切り取って覗き穴を作った。するとどうだろう。中には、卵黄をお腹に抱いた小さなトカゲの赤ちゃんが、不釣合いに大きな頭を丸めるように静かに眠っていた。

というわけでセンチメンタルな気分で、肝心な科学の話とは関係のないとこを引用してサヨウナラ。

2007-08-06 大佛次郎/ブゥランジェ将軍の悲劇 このエントリーを含むブックマーク

文明史のなかの明治憲法 - 本と奇妙な煙

上記に出てきたブーランジェ将軍のノンフクションを大佛次郎が書いていたので読んでみた。


ブゥランジェ将軍の悲劇 (大佛次郎ノンフィクション文庫 8)

作者: 大佛次郎

出版社/メーカー: 朝日新聞社出版局

発売日: 1983/01

国境沿いの仏人巡査シュネブレがドイツ側にスパイ容疑で逮捕連行。人は一斉に感じた「これは戦争だ」。パリ包囲の際、飼い犬をスープにして生き延びた屈辱が蘇る。

クレマンソオ、中学の同窓、49歳美男・ブゥランジェを陸相に推挙。

 「君の口添でなければ、僕は大臣の椅子を受けなかったのですよ。正統派の将軍たちは全部右翼の肩を持っているし、首相もそれを怖れているのですが。」

 この極左の、喰えない老爺は、この流儀で名誉だけつかませて、ブゥランジェ将軍を自分のロボットとして大臣の椅子に押上げたのだ。人に向っては嘯いた。

 「あの男は共和主義者だよ。」

王党派を一喝

衛戌地を変える必要は切迫していた。新しい陸相は王党を初め保守派の攻撃の矢面に立ちながら、これを断行した。

 陸相は当然に議会の弾劾を受けることに成ったが、その時の答弁がめざましかったし、共和国の利益を立場に取って、右翼の攻撃に一々立って答える態度の精悍さが、自然に議場を征服したのである。

 「軍隊は批判者の立場に立つべきでない。ただ命令に服従すべきのみである。」

 「我々は共和国に在るのかどうか? 共和国の信用を昂める手段を採って、私が攻撃されなければならないとすれば、誰れもこう疑わずにはいられないだろう。」

市民と軍隊

 巴里の市民と軍隊とは、コンミュンの乱以来、犬と猿である。しかし、兵士はストライキの労働者とパンを分けると大胆な声明をした新しい陸相は市民の間に人気があった。軍隊と市民とは接近した。あらゆる集合に陸相の姿が見受けられた。軍国の気風が市民の間に湧いた。

これからは戦争だ

護国の英雄。復讐将軍。――気がついて見ると戦争が不可避に見える一線まで民衆が知らぬ間に駆け出ていたのだ。その場合、誰れが飼犬のスープを啜ることを望もうか。人は、明るい希望のある側に、争って立つのである。戦争だ。勝たねばならぬ。しかし、仏蘭西にはブゥランジェ将軍がいるから、安心なのである。誰れの胸にもこの希望があった。

陸軍の大観兵式に群集殺到

雨にぬれた芝生は青い。更に新たにさして来た夏の日の色は旗や軍服に照り映えて人の目を奪うほどであった。遠のいた夕立雲は、夏木立の空にある。刻々と青空があらわれて雲を追いのけて行くのである。その時殷々と礼砲の音が起った。

(略)

 男も女も気が狂いそうに見えた。帽子、ハンカチーフ、花束。桟敷にぎっしり詰った黒山のような人が、一せいに流れる液体に化して揺さぶられたようだった。将軍は、油を塗ったようにつやつやと黒光りした立派な馬にまたがって現れた。美男で、髯がブロンドで、ズボンは緋、肋骨の附いた空色の上着、白い羽毛をつけた大礼帽。(略)

照り添う夏の光の中に言語に絶した壮烈な一列である。これが仏蘭西の陸軍の首脳なのだ。全盛期のナポレオンの幻影が、突然に群集の胸の中に生れた。その時仏蘭西は欧羅巴全土の征服者であった。恐らく、このブゥランジェ将軍が、祖国に再び、あの黄金時代を招来するのではないか。

ブゥランジェ将軍を恐れてドイツがフランスの要求を呑んだというのに、新しい内閣の陸相はフェロン将軍、ブゥランジェは地方に左遷。高まる国民の不満。地方に発つ将軍を追って、群衆はリヨンの停車場に殺到し、クーデターを叫ぶ。

 ブゥランジェ将軍の一生から見ても、この瞬間は、将軍が彼のルビコン川の岸に立っている時であった。奮然として流れをわたるシーザーの勇気が彼になかったのだろうか?

 エリゼ宮へ。

 エリゼ宮へ。

停車場でのクーデター騒ぎに将軍を支持してきた急進党まで態度を一変、クレマンソオにも裏切られ将軍は政治家不信に。そこに共和主義の敵、王党派からの誘いが。その不穏な動きに陸軍は将軍を休職処分に。国民の怒りを背景に将軍支持者達は動く。

いつの間にか世間も、ブゥランジスムと云えば憲法の修正を含むものと理解する。否、もっと正確に云えば、憲法の破壊を意味する。しかし、流石にブゥランジストも、そこまで言切るのを憚かって、これだけは更に形勢を見て持出そうとしていたのだろうか、隠されたものは火だった。ただ、それを曖昧な形で人につかませ、勢いに乗じて、プログラムを推進させようとするのである。議会の否認、強権独裁政府の確立。狙いはそこだった。警戒してそれを公言しないが、国士間の腹芸ではお互いに呑込んでいる、と云ったわけなのである。将軍をナポレオンの位置に押上げることなのである。その時自由はどこへ行くのだ。それは知らない。祖国はどこへ行くのだ。それも不明である。

「憲法を修正せよ。」

では、どう云う風に?重大な危機が、実にそこから出発する。ブゥランジストは、その点の説明を老獪に避けていた。

議員となった将軍は憲法修正を提議、当然議会は紛糾。なんだかんだで首相と決闘することになったが、なんと軍人が60代の老人に負けてしまった。そこで三つの選挙区全部に立候補することに。

さればこそ、ブゥランジェ将軍の不名誉な負傷も、将軍が蒼白な顔付で壇上に現れるのを見れば悲痛に見えて来るのだった。国士で愛国者で護国の英雄の将軍が、今の独探内閣や泥棒議会の圧迫で、これまでにさいなまれている、と。

 将軍は幸運の人だった。

(略)

 勝った! ブゥランジェ将軍が勝った!

 この事実は何を意味するか? 右翼の新聞がこれを露骨に大きな活字で書き立てるのを憚らなかった。

 「共和国の最後を告げる鐘は鳴りたり。共和政治ここに死す。」

さらにチャンス、セエヌ県議員が客死。将軍は立候補、そして勝利。パリ市民が勝利に酔いしれる。

 マドレエヌから、大統領官舎のあるサン・トノレまでは、近々数百米なのである。ここでブゥランジェ将軍が露台に現れて、一言命令したら、この怖るべき人波は雪崩を打って大統領の官舎へ殺到するだろう。夜だ、闇だ、それに勝利の昂奮が酒のように人を酔わせているのである。

王党派が愛国者同盟が将軍に決起を迫る。政府もクーデターを覚悟した、だが将軍は動かなかった。これだけ国民の支持があるのだから、あわてなくとも正当な手続きで権力の座につけるはずだ。

だが新しく内相となった辣腕コンスタンがブゥランジスト壊滅に乗り出す。

王党派有力領袖ドオマル公爵の追放を解くことで王党派がブゥランジェから元の支配者に戻っていく。さらに愛国者同盟を摘発検挙。

将軍国外脱出、後は下降線の一途。

2007-08-05 仲正昌樹「モテない男」論 このエントリーを含むブックマーク


前略 仲正先生、ご相談があります

作者: 仲正昌樹

出版社/メーカー: イプシロン出版企画

発売日: 2006/12

ダ・カーポでやってた時事相談、例えば憲法というお題で

だから、「護憲で憲法を愛する」という話を左翼――左翼と言うか、リベラル左派の人が言うのは、本当はまずい。(略)

そういう話を強調しすぎると、右の人たちが言っているのとは違う意味で、「憲法というものはわれわれが選んだのだから護る義務がある」と、護憲教育に持っていかざるをえなくなる。そういうジレンマが本来あるはずなんです。

(略)

 憲法を愛するとはどういうことか、左翼は、教育問題以外は突きつめて論じていないから表面化してないけど、突きつめるとかえってマズイことになるんです。たとえば「もし日本が天皇を中心とするような神の国ではない国になっても、愛するために立ち上がらないといけないと言うのか?」というような話になってくる。天皇制はなくならないという大前提に立っているし、神道もおそらく力を持ったままだろうから、そういうものは愛せないと言っていられたんだけど、そうじゃなくて本当に共和制になったら、憲法を護るために立ち上がれと言うのか?

元々ゆるい企画なのだが、連載が続くにつれ仲正昌樹でなくてもよいお題が増えて、さらにゆるーくなっていく。するとあとがきでちゃんと説明(言い訳)が。それにしても、仲正さんがこういう大衆的仕事をやれることが意外、月9とか観てるのは更に意外。

「気を抜いたままで仕事をする」というのは、それなりに意味のあることである。

(略)

「明確な意図」をもって文章を書こうとすると(略)面白みのないものになっていることが多い。(略)エクリチュールが「疎外態」になっているのである。

(略)

[かといって文章を難解にして意図をわかりにくくしても、その“分かりにくくするという意図”に縛られることになる。](略)

一連の「時事相談」は、私から発したのではない「質問」に対する私の直感的な「答え」を、私の――あるのかないのか分からない――「意図」とはあまり関係なく繋いでエクリチュール化した質問者・記録者の存在が幸いした。

で、気を抜いたあまり、なんだか凄い発言が。「ハードゲイともてない男の境界線はどこに?」というお題で、

同性同士で生活していたら同性愛者だというふうになるんだろうけど、同性同士で暮らしている人なんていくらでもいるでしょう。それがたまたま一回くらい性関係っぽいことをしたからと言って、それで同性愛者となるのか? そういうことはむしろ曖昧にしたほうがいいと私は思うんだけど

同性と性的関係を持ちたいという欲求がどれだけ切実かは、本人にしか分からない。切実ならHGになるけど、相手がいなくても不便を感じなければモテない男と変わらない。モテない男とハードゲイの区別って、じつははっきりしないと思います。

何故ビョーキ自慢不幸自慢をするのかというお題で

自分のプチ不幸を正当化するためにスティグマを持ち出したくなるんです。

(略)

そういえば小谷野敦の「モテない男」、あれもスティグマだな。モテない苦しみが分かるかとムキになるでしょ、いや、分かってやるほどの苦しみじゃないと思うんだけど。

食べたくないのですよという金“ナカマサ”龍飛に圧倒されたジョーだったが……w。


“法”と“法外なもの”―ベンヤミン、アーレント、デリダをつなぐポスト・モダンの正義論へ

作者: 仲正昌樹

出版社/メーカー: 御茶の水書房

発売日: 2001/04

デリダの言う〈正義〉とは、

計算可能なものではなく、むしろ、現時点での“我々”の視点からでは予測することのできない“無限の彼方”からやって来る(かもしれない)〈他者たち〉に対する〈応答=責任〉としてイメージされている。そうしたデリダの議論に代表されるように、ポスト・モダンの思想家たちの多くは、近代を支配する〈同一性〉の論理の“向こう側”に、〈法〉として固定化されることのない〈正義〉の“有り方”を模索している。それは、別の側面から見れば、〈権力〉へと反転しない〈暴力〉の探求でもある。

廣松渉が、ロールズの

〈公正としての正義〉論を古いと断じている根拠は、極めて明白である。市場を支配する等価交換の原理を認めて、その枠内での〈均衡〉と〈分配〉のための公正なルールを整備することを目指すような議論は、マルクス主義である廣松に言わせれば、政治哲学ではあっても、倫理とは程遠いものなのである。

(略)

〈等価交換=同一性〉によって作り上げられた商品世界の〈物象化〉を暴露し、その仮象性を解体することを目指す廣松に言わせれば、近代市民社会の様々な矛盾が露呈している現代において〈配分的正義〉を実現しようとする試みは、とんでもないアナクロであろう。しかし廣松自身が、〈配分的正義〉に代わるどのような〈正義〉を構想していたかというと、かなり曖昧である。

〈法〉の形式合理性に回収できないもの、〈法外なもの〉を起点として正義論を構築しようとすれば、疑似神学的な倫理学になってしまうリスクが大きい。デリダは、そうしたポスト・モダンのリスクを覚悟のうえで〈決断〉することを迫るが、プラグマティストのリチャード・ローティーは、自らの足場(文化的文脈)の上に踏みとどまるべきことを主張する。

〈法〉の〈否定〉作用によって切り捨てられたものの中に、実現されるべき本来の“法=正義”の理想状態の残余を見ることを通して、現時点で〈妥当〉している〈法〉が“依然として不完全な”状態に留まり続けていることを想起させる役割を、〈正義〉の概念に担わせるわけである。

(略)

〈正義〉と〈法〉の食い違いを露呈することを通して、〈法〉を変動させていく契機を積極的に作り出していく、という考え方だ。

2007-08-01 1976年の猪木とルスカ このエントリーを含むブックマーク


1976年のアントニオ猪木

作者: 柳澤健

出版社: 文藝春秋 発売日: 2007/03

一番面白かったのがルスカがメインの第二章「ヘーシンクになれなかった男」、プロレスファン以外にもオススメ。

タイトルと紹介文から予測していたよりは内容充実で面白かった。

ルスカが所属したNAJAは、

ヘーシンクが所属するNJJBを、武士道の精神を修養する神聖なる柔道から金銭的な利益を得ようとする不逞の輩として非難し、NJJBは、NAJAを、せっかくスポーツとして急速に発展しつつある柔道を怪しげな精神性の中に押し戻そうとする胡乱な連中として軽蔑した。

ルスカの師となるブルーミングはNJJB主導による予選選考に異を唱え

「NJJBから世界選手権の候補選手を5人出して、私と戦わせてほしい。もし私がそのうちのひとりにでも負けたら諦める。でも、私が全員に勝てば、私をパリに行かせてほしい」

 ブルーミングはデモンストレーションのために報道陣を集め、NAJAの黒帯と茶帯を相手に75人掛けを行った。ありとあらゆる技を使って投げまくり、所用時間はわずか26分だった。

 「ブルーミングにチャンスを与えないのは信じられない暴挙だ」

 新聞はセンセーショナルに書きたてたものの、ブルーミングに予選出場権が与えられることはなかった。ヘーシンクを世界王者にすることは政府とNJJBの既定方針であり、突然割り込んできたブルーミングはただの邪魔者に過ぎなかったのだ。

 パリの世界選手権に優勝したヘーシンクが国民的英雄となっていく一方、自分にはチャンスさえ与えられなかった。28歳のブルーミングが失意の底に沈んでいた頃、柔道を始めてまだ日の浅い22歳のウィリエム・ルスカに出会った。

東京オリンピック代表選考でルスカは全勝したが、選ばれたのはNJJB所属選手だった。翌年政府命令で両団体は統合された。72年ミュンヘンオリンピックでヘーシンクを超える二個の金メダルを獲得したルスカだが、娼婦のヒモだったからなのか、クレバーじゃなかったからなのか、金も名誉も手にできなかった。

なんだかんだで猪木と闘うために来日

 数日後、ルスカとドールマンは世田谷区上野毛にある新日本プロレスの道場に呼ばれた。この時初めて、クリス・ドールマンはこれから行われる試合の真の姿を知った。

 「ルスカと猪木は、道場で2度リハーサルをした。その時私は、試合の結果があらかじめ決められていることを初めて知った。(略)

休憩時間に、私は藤原喜明とスパーリングをした。リングの上ではなく、木の床の上だった。私は何度も藤原を叩きつけたが、彼は決してギブアップしなかった。木の床にこすられた藤原の顔からは、やがて血が流れ始めた。ルスカは私に『それくらいにしておけよ』と声をかけ、私もストップしたかったが、藤原が拒否した。猪木は微笑しながら、その一部始終をリングの上から見ていた。結局我々は30分以上も戦い、私の道衣は藤原の血で赤く染まった。藤原は真のファイターだ。(略)」

 ドールマンによれば、ルスカがサインした新日本プロレスリング株式会社との契約には「猪木に勝ってはならない」という一項があったという。

『OK。仕事だよ』

[ミスター高橋談]

「ルスカは強いですよ。裸で戦っても、あの長州力がまるっきり赤ん坊扱い状態だったと聞きました。プロレスラーとしてはとても扱いやすかった。逆に扱いやすいからこそうまくいかなかった部分もある。『ルスカ、今日は負けてくれない?』と頼むと『OK。仕事だよ』と何でも受け入れてしまう。ブルーザー・ブロディのように『うーん、今日はちょっとなあ。オレは負けてもいいけど、こうやってオレが勝った方がいいんじゃないか』と言えたら、つまりもう少し悪い人間だったら、もっと成功したんじゃないかな」

もうアキラは便所でシメない時代になったんでしょうか(著者は佐山支持者みたい)

「1989年、私は大阪のスタジアムで前田と戦った。とても興奮したよ。私はもう44歳になっていたし、フィックスト・マッチを恥ずかしいとは思わなくなっていた。猪木とルスカの試合はショーに徹したもので、アバウトなものだったが、私と前田の試合はよりスマートかつテクニカルなもので、ひとつ間違えると危険になる。もちろん充分に打ち合わせを行ったが、何よりも重要なのは信頼関係なんだ」(クリス・ドールマン)

「脳梗塞に倒れたルスカにかつての面影はないという」

  • アリ戦

アリはプロレスのつもりで日本にきた。アリ側の台本。

1.アリにボコボコにされた猪木が狂乱剃刀で自傷行為、試合中止をアピールするアリを後ろから猪木が真珠湾攻撃フォール勝ち

2.二人の間に割って入ったレフリーが誤ってアリに頭突き、チェックするふりして親指剃刀でアリ流血ドクターストップ

ところが猪木はリアルファイトだと主張。急遽両者が対等に闘えるルールが作られ、それに則り試合は行われた。猪木側が語ったタックル禁止他のがんじがらめ裏ルールなどはなかった。では何故猪木はタックルしなかったのか。できなかったのだ、その技術がなかったのだ、ゴッチはグラウンドしか教えてくれなかったのだ。

猪木の戦法に憤りを感じたことはない。むしろ敬服する。あの戦法は彼がアリに対していかに敬意を払っていたかを表していた。(チーフセコンド:アンジェロ・ダンディ)

著者の推測する猪木がガチを選択した三つの理由

だが「モハメッド・アリという大権威とプロレスをしたから猪木は凄い」という論理は、結局のところ「NWA王者という権威とプロレスをしたから馬場は凄い」という馬場の論理と同じものであることに猪木は気づいた。

あらゆる手段を使ってでも馬場に勝ちたい。だが自分が馬場の論理の延長線上に立ってしまえば、いままで自分が言い続けたことが嘘になる。[権威にすがるのではなく、権威を倒さなければ]

第二はボクシングとちがってプロレスはショーだとバカにされてきた鬱屈

第三は馬場にも高額ギャラでアリと試合されたら台無しだ。「リアルファイトでアリを痛めつければ、アリはもう二度とレスラーとは戦わないだろう」

  • パク・ソンナン

アリ戦で借金背負ってんのに安いギャラで韓国の馬場なんかに負けたくないとリアル・ファイトで目潰し

  • アクラム・ペールワン

アリ戦を見たパキスタンのボル兄弟、フェイクマッチで寝転がっていただけの猪木なんかチョロだろうと招聘。プロレスだと思ってやってきた猪木はガチだと聞かされ激怒。そうアリをはめた猪木が、今度はハメられてリアルファイトを仕掛けられた。

ベアハッグで背骨を折り、カラチの病院で1ケ月ほどヴァカンスを楽しんでもらえばいい。

なぜ持久戦になったか

サイドポジションを取っても、有利なポジションを死守して、可能な限り早く試合を終わらせてしてしまおうとしているようには見えない。

 「(略)でもビル・ロビンソンはあれでいいと言う。落ち着いて、焦らずに、自分はリラックスして休みつつ、相手を抵抗させることで消耗させる。相手が動いたところを次の展開でしとめる。あれは素晴らしい戦術だ、と」(宮戸優光)

(略)

一見、スローで古い時代のプロレスのように見える。私たちが知っているプロレスとも、総合格闘技の戦い方ともまったく異なっている。この試合は打撃のないリアルファイトのレスリングなのだ。

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