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2010-08-28 横井軍平の仮想現実論 このエントリーを含むブックマーク


ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男

作者: 牧野武文

出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング)

発売日: 2010/06/11

太陽電池から光線銃

[銃が好きだった軍平、科学雑誌で紹介されていたCDS光センサーによる光線銃を試作するも、反応が鈍くイマイチ]

そんな折、シャープが太陽電池の開発を始めたところで、任天堂にもなにか使ってくれないかと営業にきた。

[本来の用途に興味を示さなかった軍平だが、光を受けて発電するなら光センサーとして使えると気付き光線銃の話が本格化]

 ちなみにこのときのシャープ側の技術者が上村雅之だった。(略)光線銃用太陽電池の開発をおこない、その後、任天堂に転職する。上村入社後の任天堂開発部は、横井の開発一部と上村の開発二部に分かれ[ライバル同士に。上村は移籍12年後にファミコンを開発]

(略)

[太陽電池は弱い光でも反応しセンサーとしては最適だったが、問題は価格。5ミリ角で500円]

しかし、横井はあきらめなかった。「なぜ、そんなに高くなるか」ということをしつこくシャープ側に聞いたのだ。すると、太陽電池そのものの製造コストではなく、電極をハンダ付けする技術が難しく、その工賃が高いということがわかってきた。

 横井は、そこでハンダ付けしなくていい方法をシャープとともに開発する。要は、乾電池を入れるケースのように、プラスとマイナスの電極で太陽電池を挟みこんでやる方式だ。サンドイッチを作るように、電極・太陽電池・電極と置いていけばできあがる工夫をした。これで工賃が不要となり、500円だったものが150円程度まで下がったという。

[光線銃の大ヒット&電卓用需要でシャープの太陽電池事業は軌道に乗った]

レーザークレー

[ボーリングブーム終焉後の施設に社運を賭けレーザークレーを売り込もうとした山内。製品化の命を受けた軍平は、飛んでいるクレーの先を狙って撃つ「狙い越し」というテクニックの再現に苦心]

 そこで、横井は大胆な仕組みを考えだす。逆転の発想といってもいい。(略)

[銃の光を的で感知し当たり判定するのが普通だが]

逆に的が信号を出し、銃が受信して、なにが問題なのかと考えたのだ。

(略)

的はふたつ映し出される。ひとつは光でクレーを表す的。もうひとつは人の目には見えない赤外線を使って、クレーの先に表示される、狙い越し用の的だ。壁に赤外線が投射されても人の目には何も見えないが、銃のカメラで見ると反射した赤外線を感じることができる(略)これで「狙い越し」ができるリアルなクレー射撃になった。

[注文は好調だったが、オイルショックで大失敗に終わる]

ゲーム&ウオッチ

[新幹線で電卓ゲームをやっていたサラリーマンを見て閃いたアイディアを山内に退屈しのぎ話として披露]

一週間ほどしたらシャープのトップクラスの人間が任天堂を訪問した。その席に横井が呼ばれた。横井はなんのことだか戸惑ったが、山内は「君が言った電卓サイズのゲームを作るんだったら、液晶はシャープが得意だから呼んだんだ」とあたり前のように言う。ここからゲーム&ウオッチの開発が始まる。

[軍平談]

 新幹線の中で大きなゲーム機を出して遊ぶというのは、我々サラリーマンには恥ずかしくてできない。どうしたら、人目につかずにさり気なく遊べるかというと、座ったときに人間は自然に前に手を組む。その姿勢で遊べるのがいいだろうと考えました。その状態では親指で操作するしかない。それで、この横型の筐体ということになったんですね。

(略)

[電卓低価格化戦争で液晶も値下りしており]

 シャープのお偉いさんから「あのとき、ゲーム&ウオッチの液晶がなかったら、シャープの液晶はここまできていなかっただろう。縮小しようとしていた液晶工場がゲーム&ウオッチで盛り上がったので、TFT液晶(パソコンのディスプレイの主流方式)までつながったんだ」とよく言われます。

逆襲のゲームボーイ

ファミコン以前のヒット玩具は、ほとんどが横井が手がけたと言っていい。しかし、ファミコンだけは横井とは無縁のところで生まれ[但し十字キーと筐体は軍平の仕事]、任天堂を世界企業に押し上げる推進力となっていた。だが、ファミコンの開発に社運を賭けることができたのは、横井が作ったゲーム&ウオッチで[借金を返済し、潤沢な開発資金を捻出したから](略)

「コンピューターは難しいから嫌いや」という横井は「過去の玩具の人」と見られ始めていた。(略)今や任天堂の中心はファミコンを開発した上村や、次々とヒットゲームを生み出す宮本に移っていたのだ。

 このときの横井の心の中は横井しか知らない。この時期、横井がどういう思いでいたかを一度だけ聞いたことがあるが、完全黙秘だった。優等生的な答えさえ返ってこなかった。ほんとうに厳しい顔で黙り込んでしまったのだ。

[そこからゲームボーイで大逆転]

バーチャルボーイの真意

横井が突破しようとしていたのは、テレビ画面という“枠”だった。(略)

[聴き慣れた音楽と見慣れた風景がウォークマンによって、どちらもまったく違ったものになる]

ウォークマンをつけて外に出れば、昨日までの世界とはまったく違う刺激を与えてくれる新世界が待っているのだ。(略)

[3Dだからバーチャルという安易な発想ではなく]

真っ暗闇なら無限に広い空間が作れるのではないか。枠で制限されているテレビ画面の外に出られるのではないか。横井にとっては、3Dよりも「真っ暗闇」の方がはるかに重要だった。

(略)

横井が作り出した空間の中では、あたり前のことがあたり前でないように感じてしまう不思議な感覚に陥るのだ。

 しかも、突然、謎のチューブが登場して、ボールを吸い込み、ボールを暗闇の彼方に連れ去ってしまう。あっけにとられていると、ボールは暗闇の中から突然戻ってきたりするのだ。(略)

 現在、バーチャルボーイは「バーチャルリアリティを家庭内に持ち込んだマシン」として一部で評価されているが、それは横井が意図した通りの評価ではない。新しい遊びを生み出そうとした勇気ある試みとして評価すべきなのだ。

 横井は家の中でテレビゲームばかりしている子供に、「勝手口から裏庭に出てごらん。そこにはテレビゲームよりもっと冒険的な空間と闇がどこまでも広がっているんだよ」というメッセージを伝えたかったはずだ。

軍平の仮想現実論

 「仮想現実、仮想現実というけど、あれはちょっと言葉がおかしいんちゃうかなあ。仮想の現実って、ほんとうにおもろいんやろか。現実を仮想した世界の方が面白いに決まってるでしょ。見えているのは現実なんだけど、ほんとうの現実とはちょっと違っている。それが面白いんちゃうかなあ。だから、あれは仮想現実じゃなくて、現実仮想というべきなん違う?」

2010-08-26 押井守レイアウト論 このエントリーを含むブックマーク


勝つために戦え!〈監督篇〉

作者: 押井守

出版社: 徳間書店 発売日: 2010/02/26

[『スカイ・クロラ』での≪発明≫は]

一番わかりやすいのは雲を完全に3D化したということだよね。雲は絶えず変化するものなのに、アニメーションでは景観は変化しないものとしていつもフィックスしてきた。特殊な場合を除けば。(略)

『ナウシカ』みたいに雲自体を動画にしたっていう例外はあるけどね。(略)

宮さんはもちろん背景動画の名手、天才。なのにこの間『千と千尋』はデジタルで背景を動かした。『もののけ姫』もマッピング。宮さんが元気だったら絶対にマッピングなんかしないはずだよ。だから、宮さんも年取ったんだって、そのときは思ったね。

 でも宮さん自身もその思いはあったんだよ。だから今度の『ポニョ』は宮さんの大逆襲なんだよあれは。(略)

 そのせいでジブリの背景美術たちはすごく暇になっちゃったんだよね。だから『スカイ・クロラ』で最大限に使わせてもらった。半分近く描いてもらったんじゃないかな。僕にとっちゃ「やった!バンザイ!」だよ(笑)。(略)

[『ポニョ』はアニメを]アニメーターという名の特権階級に奪還しようという試みなんだよ。

レイアウト

[宮崎駿のレイアウトはアニメーターのレイアウトだが]

僕のはあえて言わせてもらえば光学的レイアウトってやつなんだよ。要するにパースペクティブ。宮さんのはパースじゃない。画面の絵柄の収まり具合なんだよ。(略)

僕のレイアウトというのは単に物理的な整合性のある空間を作ったんじゃなくて、光学を、レンズを通したものなんだよね。要するにディストーションが入ってる。それである種のリアリティを獲得しようとしたわけだよ。(略)

 アニメーションが面白いのは、二次元上に確定したパースをもう一回レンズを通して撮影してるんだよね。そしてセルを撮影する時には、できるだけディストーションが入らない方法で撮ろうとするから、基本的にはズームレンズを使うわけだ。(略)

だから撮影するときにディストーションを意図的に入れることは、アニメーションの場合は難しい。

 だったらそれを最初からレイアウト上で実現しようと思ったわけ。(略)しかもアニメーションだから嘘をつけるから、同一の画面のなかでレンズを使い分けるなんてことまでできる。あれは実写では撮れないレイアウトなんだよね。(略)

パンフォーカスで、しかも周縁にディストーションが入ってて、でも真ん中はゆがんでないんだよ。真ん中だけ長玉なんだっていうさ、周囲はワイドだよっていうさ。

(略)

『未来少年コナン』のでコナンが寝ているラナのために鉄板で日陰を作るっていう有名なレイアウトがあるんだよ(第八話『逃亡』)。地平線が一本描いてあるだけなんだけど、すぱらしいレイアウトなの。これは宮さんに聞いたことがあるんだけど、あのレイアウトを固めるのにやっぱり半日かかったんだって。この線をどこに引くかっていうだけで。それぐらい微妙なものなんだよ。その線一本ですごい広大な砂漠を表現したんだよね。(略)

小林七郎さんに習ったんだけどさ、「少したわめて向こう側に丸くなるんだよ。そうすると奥行きが出るんだ」って。『天使のたまご』のときにさんざん使った手だよ。(略)

[『カリオストロ』のOP]

あれは宮さんの《発明》に近いね。僕もさんざん『うる星』で真似してようやく会得したんだから。道路の側になんかあったらもうアウトだね。端から端まで線一本で貫通してないとまずダメ。しかも長玉の効果を出すために一種の空気感、縦に詰まった空気感を出さなきゃいけない。(略)

 それに陽炎って言ったってさ、ただ出せばいいってもんじゃない。かすかにゆれてる、少しフォーカスが甘くなってる、これがミソなんだよね。フォーカスを合わせちゃいけないんだよ。合わせると、手前と奥と鉛筆の線の太さは変わらないから長玉の効果が出ないんだよね。だから線を少し甘くする。そういう細かなノウハウがいっぱいあるんだよ。画面のコントラストをきつくしちゃいけないとか。長玉で抜いてるんだから、空気が圧縮されて全体に彩度が落ちて、コントラストが甘くなるんだよね。背景は情報量を極端に落とさなくちゃいけない、フォーカスが絶対合わないから……とかさんざん真似をしてようやく会得したんだから。

三池崇史

あの人の本質は実はすごく真面目な人なんだよね。どうもああいうむちゃくちゃな映画を作るのは、いろんな物理条件がよろしくないときに、もうヤケクソでやったということがどうも発端らしいんだよね。

(略)

三池さんというのは求めて変になったわけじゃないような気がするんだよね。(略) あの人は自己評価が低い人なんだよ、おそらく。「自分はそんなたいした監督じゃない」とどこかで思ってるんだよね。(略)

[だから来た仕事はなんでも受け、カットにこだわる巨匠風の撮影はできない]

 それでもなお自分が作りたい絵っていうのはある。そうするとなんとなくみんなが思い込んでる映画のお約束みたいなものを守ってられないわけだよ。欲しい絵を最優先で撮ろうと思ったら、何かを捨てなくちゃいけないわけだから。そこでああいうふうなものを作り始めたんじゃないかと、これは僕の想像。(略)

見事なまでに職人で、だからこそああいうふうなものに到達しちゃったんじゃないかな。本人の意思とは裏腹に、という部分があるんだと思う。だから金銭的に余裕があったりさ、状況が許すとえらく真面目な映画を作っちゃう。

北野武

[快感原則で成立しているPVやCMと違って、劇映画はどこか流れにさからう部分がないと「映画」にならない]

[たけしの間合いは、一本目から一貫している]

あの人の持ってる独特の間合いというものによって、作風はもうすでに確立されちゃってたわけだよ。変なフィックスがボンと入ってという間合いが随所に入ってくる。さっき言った、流れようとするのをせき止めようとする動きが絶えずどこかに入ってくる。あの人は空白をうまく使ってピタッと止めちゃうんだよね、意識自体を止めちゃう。だから僕は基本的には間合いの人だと思っているよ。あと意外にもと言うか、実はカメラワークに長けた人。それは『キッズ・リターン』なんか見ればわかるよ。あのカメラワークはすごいなと思ったもん。(略)

異業種の監督でなぜたけしだけが成功したのかっていうと、彼の映画を作っちゃったからだよ。僕がよく言ってる《発明》だけど、「キタノ映画」っていうものを発明しちゃったんだよね。憧れなんかでは全然作っていない。(略)[他の監督はいい絵を撮ろうとするが]いい絵を撮ろうと思ってる限りいい絵にならないのが映画なんだから。PVだったらそれでいいんだけど、映画というのはいい絵を眺めてればいいわけじゃないんだもん。

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2010-08-12 普天間の謎、ゼニゲバ守屋 このエントリーを含むブックマーク

ゼニゲバ守屋で迷走。


普天間の謎―基地返還問題迷走15年の総て

作者: 森本敏

出版社/メーカー: 海竜社

発売日: 2010/07

 言うまでもなく、普天間基地返還をそれまでずっと希望し、計画し、働きかけ、運動してきたのは沖縄側である。しかし(略)安定的な基地使用の政治的基盤を作ろうと普天間基地返還を仕掛けたのは米国側だったのではないかという感触が強い。

 本来、日米地位協定第二条三項によれば、米軍が使用する施設及び区域は、この協定の目的のため必要でなくなったときは、いつでも日本側に返還しなければならないことになっている。そこで、米国側としては、普天間基地が必要なくなったわけではないが、日本側の強い要請に基づいて日本に返還するという措置を取ることによって、少女暴行事件後の日本側の不満を政治的に補填しようとしたのではないかと思われる。

 すなわち、普天間基地問題は、米国側から見れば、日本側の強い要請によって進められる必要があった。

1996年橋本・クリントン会談

[会談前、日本側は普天間の話は時期尚早という判断だったが]

首脳会談の中で、一向にこの問題を切り出そうとしない橋本首相に対して、クリントン大統領が「橋本さん、あなたにとって沖縄の問題でいちばん重要だと思うことは何か?」と誘い水を向けてきたので、その誘いに乗るかたちで、橋本首相は「これは自分もなかなか可能だとは思わないけれども、普天間基地というのは沖縄からの強い要請もあり、非常に重要だ」と答えたのである。

(略)

報道を見て、「駄目なものをなぜ出したのか」と驚いた防衛庁や外務省の幹部も多かったといわれる。一度「普天間飛行場の返還が可能」と公表してしまえば、万一にも後に引くことはできない。

日米政府軋轢

在日米軍再編協議における具体的な詰めを2004年7月の参議院選挙の後まで先送りしようとした[日本に苛立つ米国](略)

2004年春から、かなり秘密にしていたはずの米軍再編計画の一部が報道され始めるや、基地や部隊のある地元は大騒ぎして、それがまた、一面トップ記事になり、国会でも取り上げられるという事態が発生した。さらに、それでも日本側が米軍再編計画に対して、なかなか日本としての方針を示さないので、米国側がワシントンの日本側メディア駐在員にリークして、新聞記事に書かせたりして既成事実を重ねようとした。[今度は日本が不快感を抱き、こじれだす](略)

[同年9月提示の日本案に]

米側は、「外務省と防衛庁では言っていることが違う。司令塔はどこだ」と困惑(略)

 もともと沖縄の基地問題は、米軍再編の流れに乗せられる性質のものでなかったことは先に述べたとおりである。しかし、ドイツから米軍が引き、韓国から米軍が引くなら、沖縄が例外であってよいはずがない。「在沖海兵隊移転」の報道はこうした日本側の熱意を煽りかねなかったため、米国側はそうした動きを否定する発言を重ねて行った。

 これについて日本側では、外務省は米国寄りの立場を取り、在日米軍再編は横田基地とキャンプ座間しか対象にならないと考えていたが、防衛庁は何とか沖縄の基地負担の軽減を米軍再編の中に絡めようと奮闘していた。そうして日米の実務担当者が押し問答の議論をしているときに現れたのが、ラムズフェルド国防長官だった。(略)

普天間基地を見学してきたラムズフェルド長官は、「この基地は、旱くどこかへ移転する必要がある」と発言した。(略)

 ローレス次官補代理は(略)勢力拡大が予想される中国をにらんだ戦略態勢を考えたとき、沖縄の米軍基地では中国に近すぎる。そこでグアム基地を戦略基地化するために増強することで、「沖縄―グアム―ハワイ」という重層的な防衛線を強化しようと考え、この流れに普天間基地の移設問題を乗せることとした。(略)

[司令部機能をグアムに移せば]

沖縄の負担軽減という日本に対する政治的な問題もクリアでき、グアム移転経費の大半を日本に負担させることも可能となるかもしれない。これが「ローレス・プラン」の概要であった。

ゼニゲバ守屋

防衛庁はなぜ、デメリットの多いキャンプ・シュワブ陸上部分への移設にこだわったのか。

 防衛事務次官の守屋武昌氏は、SACO当時は嘉手納統合案を、米軍再編以降はシュワブ陸上案を主張していた。すなわち、米軍基地は既存の基地内に移転すべし、という考えにこだわっていたようである。なぜか。「おそらくはゼネコンの利権だったと思います」「守屋氏は小泉政権下で、飯島秘書官とくっつくんです。守屋氏は飯島秘書官に、金が早く回るのは陸上案だと言って説得したので、引っ込みがつかなくなったんだろうと思います」と、外務省の担当者は語っている。(略)

 「守屋氏は、海上施設だと波による妨害を受けるから陸上に造るべきだといって、自分の浅瀬案に反対していたが、実際には[親族が辺野古に土地を所有する]議員と利権でつながっていた可能性がある」と言う政府関係者もいる。(略)

[調査団がキャンプ・シュワブを現地視察すると]

実弾演習用の訓練場のど真ん中にヘリポートを造るはめになることが明らかになったのである。それで、

「この守屋次官のシュワブ案というのは一瞬で死んでしまった感じになったので、みんな勝った勝ったと言っていた」[外務省関係者談](略)

[そこで守屋は「半陸半沖」の「シュワブ沿岸案」]

そこまでしてでも「(守屋氏は)降りられなかったわけです。小泉氏は特別な総理だったですから。やっぱり怖かったと思うんです」(外務省関係者)

 今から考えると浅瀬案が最も実現性が高かった、と述べる政府関係者も多い。しかし、防衛庁が全責任を持つというかたちで陸上案そして沿岸案が、しぶとく生き残ることになったのである。まさに守屋次官の執念の賜物であった。

V字型滑走路

 防衛庁内では、悩みぬいた額賀長官にある日、突然降りた「天啓」がV字型滑走路だった、などという噂がまことしやかに語られていた。実際は、防衛施設庁内の(略)少数のチームで、1.民家上空を通らないよう飛行ルートを変更する、2.藻場を傷めない、3.陸上部分を使わない、といった観点から図面を引いたものと考えられている。当初はX字型であったものを、計画変更を最小限にするべく、枝の部分を切ったのだという。

[実際、グアムにはX字型、韓国にはV字型滑走路がある]

 ただし、このV字型滑走路への変更についても、謎は多い。

 「100戸程度の民家のために飛行ルートを気にして滑走路を設計するというやり方があるか。それなら厚木基地や横田基地はどうなる」という、ある防衛庁幹部のコメントは、この変更に対する一つの疑念を示すものである。

強硬な守屋

 政府の沖縄対策が強硬なものになった背景には何があったのか。

 ここにも、守屋次官の影を見てとることができる 守屋次官は、沖縄のようなところは力で抑えなければだめだという印象を強く持っていた。(略)

「SACO以降、沖縄ではゆっくりと返還プロセスを進めていたのに、それまでの築かれた人間関係をすべて壊したのが守屋氏だった。守屋氏の考えは、最初から陸上案を提唱し、米軍基地を少なくすることだった。(略)」[防衛省関係者談]

[迷走の原因は2002年7月決定の基本計画を移動させたことだと名護市元幹部。反対派の妨害でボーリング調査が中断]

あれで、この[小泉]政権にはやる気ないな、と我々は思いました」(名護市元幹部)(略)

というのが、地元で代替施設建設を進めようとしてきた人々の率直な印象だった。(略)かなり早い段階で、政府の中では「もう海上埋め立てはやめよう」という方向で決まっていたからではないかと、彼らは考えていた。(略)

 「事前の基本計画は沖合2.2キロだった。今は0.7キロなんです。それだけ民家に寄ってきた案を作っておいて、この案は、騒音を与えない、これがベストだというのが、守屋次官の言い方。それを公然と言うから、ふざけるなと稲嶺知事が怒ったのも当然であり、我々もそういう思いでした。

 民主的にまとめたものを廃案にして、勝手に政府が変更しておきながら、それは沖縄県が協力しなかったからできなかった、こんなことを言ってきたわけだから怒るのは無理もない」(名護市元幹部)

(略)

 こうして反発する沖縄に対して、政府は強硬路線を取ることになる。これも沖縄の目から見ると、防衛庁の権力がごく限られた少教の人々に集中していった結果であると映った。守屋次官と、守屋次官からかなりの権限を委任された門間大吉審議官である。(略)[門間の重用で]これまで沖縄との間にパイプを持っていた防衛庁幹部が皆、交渉から手を引くことになってしまったのだと指摘する人もいる。西正典那覇防衛施設局長らと話をして、ほとんど落としどころに来ていたという沖縄と政府の協議も、そのためにすべて水泡に帰したという見方が一部にあったことは確かである。

2010-08-10 ジェームズ・ブラウン評伝 このエントリーを含むブックマーク

JB評伝としてより、同時代のミュージシャンや黒人運動についての記述の方が……。


ジェームズ・ブラウン(ガリマール新評伝シリーズ 世界の傑物 2) (ガリマール新評伝シリーズ―世界の傑物):

作者: ステファンケクラン,井筒和幸,St´ephane Koechlin,鈴木知子

出版社/メーカー: 祥伝社

発売日: 2010/06/22

売春宿を経営する叔母に預けられたJBは、そこでタンパ・レッドに出会いミュージシャンを夢見たりもするが

 人々は伝道師ダディー・グレイスに喝采を送るため教会に押し寄せた。ダディー・グレイスは肉付きのよい大男で、爪に赤と青と緑のマニキュアを塗っていた。そして、たっぷりした祭衣を羽織り、小山のような体で説教壇上に威風堂々と立った。貫禄のある大きな顔は長髪に縁取られ、薄い口髭がよく似合っていた。長い手には手首に至るまであらゆるところに宝石が輝いていた。ダディー・グレイスは王様のようにお付きの一団を従えて移動した。運転手、ボディーガード、秘書、弁護士。近所の子供たちは魔術師でも見るような感嘆のまなざしをダディー・グレイスに向けた。

ダディー・グレイスはジェームズが初めて見る芸能スターだった。

(略)

ダディーは1960年、自らが所有する館で死んでいるところを発見された。85室を擁する立派な建物で、内部は赤や青、白に塗られており、まるで宮殿のようだった。数ある広間は、明王朝時代の壷、彫刻、名画、豪奢な中国の絨毯で飾られていた。奥には広大なダンスホールがあり、マスコミは、ここで行われる「エロティックなミサ」についてあれこれ書き立てていた。

(略)

ダディーはプールサイドを歩く。このプールで洗礼を受ける者の体には「救世主」が入るのだ。ダディーの前に額ずくため、若者、子供、老人、浮浪者が長蛇の列を作る。陶酔した群集はプールの聖水を飲もうとする。(略)

ジェームズは幾夜夢見たことだろう。高いところに据えられた貴人用の椅子に坐り、女性や召使を周囲にはべらせている自分の姿を。

リトル・リチャード

牧師の息子だったリチャードの歌手人生は、やはり教会でゴスペルを歌うことから始まった。やがてリチャードは家を出たが、理由はわからない。リチャードの同性愛が原因だったとも言われている。リチャードはミンストレルに加わり、女装して全国を巡った。神の言葉を告げる予言者ドクター・ノビリオに仕えていた時期もある。(略)その後、「ドクター・ハドソン」と称する詐欺師に雇われた。ハドソンが道端で蛇の油を売るとき、リチャードはルイ・ジョーダンの「カルドニア」を歌った。リチャードは、興行師のクリント・ブラントレーと出会ったことによって漂泊の生活から救われた。そうでなければ恐らく悲劇的な結末を迎えたことだろう。(略)

[55年リチャードのステージの幕間にJBとボビーは乱入して売り込みに成功、クリントはフレイムズだけじゃ短すぎるとフェイマス・フレイムズと命名]

キング・レコード

[40歳までどん底だったシド・ネイサンは半値で買ったレコードやジュークボックスの在庫で始めた店が当たり、やがて自主制作を始め、1934年にキング・レコード誕生。当時は音楽家組合の力が強く]

独立系のレーベルはロイヤルティーの高騰についてゆけなかった。(略)シドはセミプロのカントリーミュージシャンを探した。[メジャーが手を出さない]「ディープサウス」のプア・ホワイトをターゲットにするつもりだったのである。(略)

彼は、アパラチア山脈一帯やフロンティアの町で活躍している優れたミュージシャンを発掘した。1948年にベンジャミン・「ブル・ムース」・ジャクソンの「アイ・ラヴ・ユー、イエス・アイ・ドゥ」を発売し、これがキングの初ヒットとなって50万枚を売り上げた。シドの目算に狂いはなかった。地方出身の白人は正統的なヒルビリーに反応した。(略)

 キング・レーベルの好調に気をよくしたシドは、黒人大衆をターゲットとするレーベルを新たに設けてクイーンと名付け、ここからブルースとゴスペルを発表した。このプロジェクトは二年で終わったが、シドはそれ以後もいわゆる「エスニック」音楽の振興に努めた。(略)

1950年に[完全な裁量権を与えて]ラルフ・バースをプロデューサーとして迎えた。ニューヨークはブロンクス生まれの謹厳な雰囲気の男だ。(略)ブラック&ホワイトとキャピトルの両レーベルで働き(略)T−ボーン・ウォーカーをプロデュースした。

(略)

ラルフは契約書と200ドルを持ってジョージアに向かった。長いキャリアの中で、これほど大きなリスクを冒したことはなかった。(略)フロントガラスに氷がついて見通しが悪くなった。車は深い夜の中を滑っていった。純白のシーツが黒い丘を覆っていた。(略)ラルフは濡れ鼠だった。睡眠不足の目に黒い顔、顔、そして好奇の視線がちらついた。黒人たちは、大学教授のような風体の白人が現れたことに驚いているのだ。ラルフは坐り、黒っぽい上着を着た六人の男を観察した。ラルフの目はボーカルのジェームズ・ブラウンに釘付けになった。ジェームズは燃え盛る炎のような声で歌いながら、柔軟でエネルギッシュなステップを踏んでいた。

[しかし小皇帝シド・ネイサンはフェイマス・フレイムズも曲も気に入らず遂にはラルフを解雇。それでもラルフは「プリーズ〜」発売を敢行、100万枚のヒットとなり、再雇用された。]

リトル・チリャード引退

[キングで冷遇されていたJBにチャンス到来。信仰の道に入り引退したリチャードの代役ツアー]

プロモーションにこんな文句が使われた。「ジェームズ・ブラウン――成功と腕のいい床屋を求めて南からやって来た野性児」。後にジェームズも認めている。「俺の髪があんまりぼさぼさだったものだから、見ている人は船酔いしたものだよ」。ジェームズは[ビリー・ワードに倣って]グループを厳しく管理しようとした。(略)ビリーは1943年に軍隊の楽団を指揮し、その経験を通じて規律を厳守するという感覚を身につけた。ビリーは後に結成したドミノズに同じルールを課した。(略)ショーのたびに軍隊式の服装点検が行われたのである。ジェームズは昔から軍隊に憧れていたこともあって、ビリーを尊敬していた。ジェームズは、子供の頃に見た、オーガスタの通りを闊歩する兵士の姿を思い出していた。なんと素晴らしいいでたちだろう。ピカピカの靴、眩いゲートル、ぴんとアイロンがきいた上着……。ジェームズ少年は兵士たちのために歌い、踊った。(略)この厳格な組織を音楽にも取り入れたらどうだろう。

キューバ危機とアポロ劇場

[真の姿を伝えるためにライヴアルバムを提案するも例によってシドは却下。そこでJBは自腹5700ドルでアポロを借りた]

ジェームズはアポロ劇場のスタッフに厳しい規律を課した。座席案内人はタキシードの着用を義務づけられ、ホールの内部はジェームズの好みで飾り付けられた。(略)彼は自分の歌手生命がこの数日にかかっていると感じ、ショーに埋没した。この頃、キューバからは危急を告げるニュースが届き、この島国とアメリカ合衆国の間に緊張が高まっていた。核兵器がこの世を黙示録に変えてしまうなら、恐らくこれがジェームズの最後のコンサートになるだろう。苦悩と危機感がジェームズを圧迫した。

ブーツィー・コリンズ談

ジェームズは僕に音楽の規律を教えたが、ジョージ・クリントンは僕に正気を捨てろと教えた

2010-08-04 伊藤博文が韓国統監となった意図 このエントリーを含むブックマーク


伊藤博文―知の政治家 (中公新書)

作者: 瀧井一博

出版社/メーカー: 中央公論新社

発売日: 2010/04

1903年政友会総裁を辞任し帝室制度調査局総裁に復任

 国家と皇室を分離するという従来の国制原理を改め、国家のなかに皇室を位置づけ直すことを企図した調査局だが、そのことによって天皇の政治的役割が強調され、主権者としての親政が意図されていたわけではない。むしろまったく逆である。そこで志向されていたのは、天皇主権の確立というよりも、皇位や皇室のより一層の制度化であり、国家機関化であったと目される。換言すれば、天皇への国民の滅私ではなく、天皇の国家への奉公こそが眼目だったのである。

公式令制定の裏には、内閣官制を改正し、大宰相主義を復活させるという底意があった。首相のリーダーシップのもとでの内閣中心の責任政治の実現こそが、帝室制度調査局の憲法改革の真の課題であり、シークレット・ミッションだったのである。

 公式令制定の際、調査局が念頭に置いていた対抗勢力があった。それは軍部である。すべての法律命令に首相の副署を課した公式令は、軍による帷幄上奏の慣例に対する挑戦に他ならなかったのである。

 公式令が発表された当初、政府はさして関心を示していない。内相だった原敬はその草案が閣議決定された際、日記に「従来のもの〔公文式〕と大なる差違なし」と素っ気なく記している。閣員すらその真意に気づいていなかった。国制上の劇薬であるがゆえに、それは慎重に秘匿して服用させなければならなかったのである。

(略)

[1907年]斎藤実海相は韓国の鎮海・永興両湾に防備隊を配備するための条例案を天皇に奏上した。斎藤は制定されたばかりの公式令の規定に従い、首相と海相の副署を付して勅令としてこれを公布しようとした。だが、旧来の手続きとの違いをいぶかしく思った天皇は、3月23日、そのことを韓国統監として任地にあった伊藤博文に電文で下問したほか、同月26日には韓国に使いを派遣してその見解を質した。

(略)

[ようやく陸軍は公式令制定の真意を悟り]改正に動き出す。そして従来の帷幄上奏権を保障する法令形式として、「軍令」が立案される。

(略)

[9月、一時帰国した伊藤と山県有朋が会談]

山県は、統帥事項と行政の区画を判然とさせるために法令としての軍令を認めせた。伊藤は山県に対して譲歩したのである。

なぜ韓国統監となったか

このように統監には韓国に駐留する軍隊の司令官に対する指揮命令権が認められた。保護国化を受けて反日の気運が高まっていた当時の韓国の状況を勘案すれば、そのこと自体は当然の措置と考えられよう。問題は、そのような統監の地位に文官である伊藤が就こうとしたことだった。(略)

[当然軍部は問題視]

軍は天皇に直属する組織であり、そのような軍が統監の命令に従うというのはいかがなものかとの弁である。時代が下れば、統帥権の干犯として指弾されたであろう問題である。軍の側のこのような声を、伊藤は天皇の権威を持ち出して抑え込んだ。(略)

かくして、明治憲法下で唯一、文官が軍隊の指揮権を持ち得る官職ができたのである。その作成者たる伊藤は自らその地位に就き

山県は従来帷幄上奏してきたものをことごとく軍令とすることは断念し、一定の事項は分割区分して内閣に提出することを認めたのではなかろうか。(略)伊藤からしてみれば、軍令の成立では妥協したものの、その運用については山県から譲歩を引き出すことに成功していたのではないか。そしてその結果、これまで慣行化していた帷幄上奏の権限を抑制し、軍行政に内閣が介入していく足がかりを築いたとの満足は得られたのではないだろうか。(略)

そのための実践の場、それが韓国だった。(略)

それまで日本軍が治安維持のため出していた軍律が緩和されている。これにより、処罰規定項目が減らされたほか、死刑が廃止された。伊藤は、韓国統治の軍政色を一新し、民政化を促進しようとした。それは韓国民衆の懐柔策という側面以上に、法治主義に軍をも従わせてその自立化を抑止しようという本国の憲法改革と連動したものと言えよう。

 軍の司令権を握った伊藤は、軍統制のためのリーダーシップを発揮した。(略)駐留軍の組織構成のみならず、軍内部の指揮伝達の詳細にまで伊藤は目を光らせていた

2010-08-02 消費税のカラクリ このエントリーを含むブックマーク

消費税で非正規雇用が増えるとは。


消費税のカラクリ (講談社現代新書)

作者: 斎藤貴男

出版社/メーカー: 講談社

発売日: 2010/07/16

3%だからいいじゃない

[“益税”を問題視して消費税は憲法違反だとした訴えに、司法は以下のような理由で“益税”を容認した

]

<[消費税法には]消費者が納税義務者であることはおろか、事業者が消費者から徴収すべき具体的な税額、消費者から徴収しなかったことに対する事業者への制裁等についても全く定められていないから、消費税法等が事業者に徴収義務を、消費者に納税義務を課したものとはいえない〉

 つまり、事業者は消費者(小売業以外の業種では顧客一般)に対する商品やサービスの販売価格に消費税分を上乗せしてもよいし、しなくても構わない。消費者の側(同前)もまた、購入価格に消費税分を支払ってもよいが、支払わなければならないとは定められていないというのである。

 いくつかの制度は事業者間の不公平を招きかねないのではないかとの指摘には、税率の低さを理由に甘受を迫っている。

(略)

<控除割合が3%であること、並びに仕入先が免税業者である確率がそれほど高いものであることを消費税は予定していないことを考慮するならば、前記制度による差別の程度が、著しく不合理な程度に達しているとはいえない。>

(略)

 小売商と消費者との間における、消費税とは要するに物価なのだ。転嫁できるもできないも、とどのつまりは売る側の腕次第。(略)

 消費税とは力関係がすべてであり、問題だらけなのは明々白々だけれども、税率も低くて全体的には大したことがないのだし[とこの判決は言っている]

「預かり金」のウソ

 消費税は物価の一部であって消費者からの預かり金などではなかったことは、しかし、すでに明らかだ。東京地裁判決は預かり金だとする解釈を明確に否定し、政府広報の記述についても、〈消費税施行に伴う会計や税額計算について触れたものであって、法律上の権利義務を定めるものではない〉、すなわち物の譬え程度のものでしかないと断じて、そのまま確定している。一般の消費者はこうした事実を知らないか、十分には理解できないまま、いつの間にか刷り込まれた嘘を真実だと思い込まされ、何かを買うたびに消費税を支払っているつもりでいるのにすぎない。

  • 国税庁の手口

広告では「とめないで!私の払った消費税」と大きくよびかけて「預かり金」プロパガンダしつつ、「消費税は、預かり金的な性格の税です」と小さく説明をつける。

消費税は大企業、とりわけ輸出比率の高い大企業にとっては実に有利に働く。彼らは消費税という税制によって、莫大な不労所得さえ得ていると断定して差し支えない。(略)

輸出取引については、国内で発生した消費税負担は完全に除去される(略)

[理屈の上では仕入れの際に支払った消費税が還付されるだけで利益とはならないが、実際は立場の強い大企業が下請け単価に消費税分を転嫁しており、輸出戻し税は税制を通じた補助金となっている]

[以下湖東京至『消費税法の研究』より]

<なぜ財界は、消費税の税率引き上げに固執するのであろうか。じつは、彼らは消費税の税率をいくら引き上げても痛痒を感じないのである。彼ら巨大企業は経済取引上強者であり、常に価格支配力を有しており消費税を自在に転嫁できる。(略)輸出戻し税制度により消費税をまったく納めないばかりか巨額の還付を受ける。還付金額は税率が上がれば上がるほど大きくなる。>

消費税モデルの原型はフランスの付加価値税

 〈なぜ、輸出販売に還付税制度が設けられたのだろうか。その背景には、1948年1月に締結されたガット協定がある。(略)ガット協定は、その国の政府が輸出企業に対し補助金を交付することを厳しく禁じている。フランス政府もそれまで輸出大企業に交付していた輸出補助金の交付を停止せざるを得なくなった。そこで考え出されたのが輸出大企業に国内で負担したとされる間接税分を還付する仕組みである〉

(湖東京至「仕入税額控除制度の廃止は可能か」)

  • 「仕入れ税額控除」の悪用

正社員への「給与」は「仕入れ税額控除」の対象にならないが、派遣等の外注労働力は控除の対象となるので、非正規雇用を増やしたほうが節税になる。これは大企業だけの話ではなく

 土木・建設の業界では“一人親方”が増加した。中小零細の事業者が、大工や左官、鳶、土工、石工、建具師、電気工事土などの技能を持つ従業員を個人事業主として独立させ、請負契約を結んで外注化する傾向が著しい。(略)

 近頃の建設現場には、ですから雇用された労働者が一人もいなかったりします。全員が個人事業主。独立していると言えば聞こえはよいけれど、実態は半世紀前の状況に逆戻りした感じです。