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2010-09-28 1989年の村上春樹 このエントリーを含むブックマーク

柴田氏による11年前のインタビュー。長文引用になってますが、これでも大胆伐採。


代表質問 16のインタビュー

作者: 柴田元幸

出版社/メーカー: 新書館

発売日: 2009/06/19

計算士のように

[長篇は書き終えるまで、その世界に入ったままになるので]コントロールというものがあまりできない。(略)僕の中に入ってくるものをどんどん捌いていってるだけなんです。それはスピードの勝負なんです。ヴィデオ・ゲームと同じなんです。(略)

[「世界の終り〜」の計算士と同じで]

そこのシステムに自分を追い込んでいってるわけですね。だからね、長篇を読み返すのって嫌なんですよね。(略)小説的文章的に読むとね。つまらない書きかたをしてるなあと思うところもあるしね。でも嫌だなと思ってもあとから理性的に書き直すことができない。(略)小説の一部として、まあ有機的に組みこまれちゃっているわけなんですね。(略)その部分だけ綺麗に書き直しても、その文章の勢いというのは変質しちゃうことが多いんです。

二重の時間性と空間性

[村上の小説世界は「こっち」と「あっち」の二つの世界を内包しているが]

でもそれとは別に、僕の意識のなかにはふたつの種類の時間性みたいなものがあるんです。こっちの時間性とあっちの時間性ですね。これは具体的に言うと、僕が小説の舞台として描いている60年代・70年代・80年代の限られた現実の時間性と、それからそういうものを越えた非リアル・タイムの時間性ですね。でも『ノルウェィの森』ではそういう時間性の重層性というのはあまりかかわってこないような気がするんです。だから僕はこれはリアリズムの小説だと感じるんです。実感としてね。

 『ノルウェィの森』というのは、びしっとあの時代に限定しなくてはならなかったんです。もっと極端に言えば、そこから広がってほしくなかったんです。あれはあれとして終わってしまってほしかった。「僕」と緑さんがあのあとどうなるかなんて、僕としては考えたくないし、読者にも考えてほしくなかったんです。変な言い方かもしれないけれどね。だから僕にとってあの小説は他の小説とはぜんぜん違うものですね。

[どうしてみんな小説の「僕」とリアル春樹を同一視するのかという話になり]

たとえばあそこに出てくる料理なんか、僕の趣味というよりはかなり遊びの部分がはいってるんだけどね。だって僕は実際には切り干し大根とか、ひじきとか、こんにゃくの煮物とかそういうごく単純なものしか作らないから、そんなのばかり書いてたら、すぐに料理のネタがつきちゃう。だから適当にでっちあげちゃうわけです。こんなの作れるわけねえよななんて思いながら書いてることもあるしね。そんないちいち真剣にやってるわけじゃないですよ。だからそういう細かいところであまりマジにとられても困るという気はしますね。

たしかに僕と「僕」とでヴュー・ポイントが共通しているという部分はあると思います。(略)僕は「僕」にその視座をいわば貸与しているだけだと思うんです。べつに僕は「僕」によって自分を理想化しているわけではない。(略)僕はただ現実的なデータを与えているだけなんです。それから先は、つまり彼がどう行動するかという行動様式については、それは僕とはあまり関係ないと思います。はっきり言えば僕はあんな風には行動しない。何故なら僕は現実のこの世界に生きているし、「僕」は小説の世界に生きているから。それはぜんぜん違う世界なんです。だから僕と「僕」とをかさねられるとそれはすごく困る。

(略)

僕はそもそもは状況を書きたいんです。状況そのものを。そしてその状況のなかで人がどう動くのかということを書きたいんです。思いとかメッセージとか主張とかが先にあるわけではないんです。まず状況そのものに対する興味があるんです。そしてさっきも言ったように、その状況は二重の時間性と二重の空間性に規定されているわけ。

状況を受け入れ、自己を異化する

内面を描くと足が止まるし、足が止まると必然的に嘘が多くなる。我々を囲む状況というのはどんどん重層的になっていっているしね。それほど簡単に内面なんてほじくれないと思います。(略)

[それで物語が受動的になるのかと問われ]

巻き込まれ、導かれている。結末はある意味では最初からすでに決定されているんです。(略)

19世紀の読者が物語というある種の理不尽さをア・プリオリに受け入れたようには、現代の読者は受け入れてくれないですからね。だからそれをひとつひねる必要があるんだと思う。

(略)

映画で言えばホラー・ムーヴィーなんて好きですね。フェリーニとかタルコフスキーとか『暗殺の森』とかは、そんなに面白いとは思わない。何というかな、僕らの囲まれた現実的状況を解きあかすには、もっと手垢のついていない非現実性が必要じゃないかという気がするんです。(略)

[『異邦人』のような]異議申し立ての小説みたいなのはあまり好きにはなれないんです。(略)僕としては、そういうのはもうわかってるんだ、というところから話を始めたいというのかな。そういう不条理というか、異物としての状況を前提として飲み込むところから話が始まらなくてはならないような気がするんです。それをすんなり認めちゃえということじゃなくてね。

(略)

状況と自己の関わりについてスタティックに考察するよりは、状況を前提として飲み込んでいくこと、そしてある意味では自分自身が異化していくことのほうに小説的に興味があるんです。(略)

[例えばジョン・アーヴィングの小説は構成はまともだが]

全体像として見ると、これはやはり何か奇妙なんです。奇妙な人々が出てきて、奇妙なことが奇妙な順番で起こる。でも登場人物はそれに対して「これは奇妙だ、これも奇妙だ」とは言いたてない。騒ぎたてない。むしろ静かにそれを飲み込んで行動するわけです。

[そこに彼の面白さ新しさがある]

(略)

立場も作風も違うけれど、ティム・オブライエンもそういう文脈で面白い作家ですね。彼の場合はヴェトナムでの実戦体験が小説の核になっている。ほとんど戦争の話しか書いていない。でも彼はその体験を徹底的に分解しちゃっているんです。(略)

否定するにはあまりに大きな状況だから。だから受け入れる。そしてそれを受け入れることによって、そこに幻想が生じるんです。幻想を生じさせることによって自分を状況にあわせて異化し、それによってサヴァイヴァルするんです。現実と幻想の明確な境界線が消滅していくんです。

いま小説が面白い

 そういう意味では小説家というのは今意外にいちばん新しい試みをしているのではないかなと思うこともありますね。いちばん面白い方法を試しているんじゃないのかと。最近何か面白いと言って、小説読むのがいちばん面白いですね。他のメディアがやれないことを小説がやっているという気がするから。これまではどちらかというとサブ・カルチャーがその異議申し立て的アクセスを行なってきたんだけれど、今は小説が小説的にそっちに向かいつつある。読者も、そういういわばメイン・カルチャーの対応を求めていると思う。(略)

僕らはね、実際的にはもう長いあいだ異議申し立てなんかしていないんですよ。誰ももうノオとは言えなくなってしまっている。僕らが最後にノオと言ったのは1970年です。それ以来誰もノオと言ってないんじゃないかと思うんです。そのあいだ状況は僕らに対して何度もノオと言っている。

孤独な時代

僕らはもう共闘することはできないんですね。それはもう個人個人の自分の内部での戦いになってくる。というか、もう一度そこの部分から始める必要がある。状況をどう受け入れるか、どう自分を異化させるか、そこでどのような価値観を作っていくか。ちょうど『羊をめぐる冒険』で「鼠」が羊を飲み込んだみたいにね。ひとりひとりが自分でそれを飲み込まなくてはならない。そこには共闘というものはないですね。シンパシーを感じあうことはできる。共感することはできる。でも共闘はできない。そういう意味ではむずかしい時代ですね。孤独な時代だと思う。だからもし僕の小説がある種の人々のシンパシーを得ることができているとすれば、それはそういうことだと思うんです。(略)

僕にやれるのは自分を個として確立しつづけることですね。さっきも言ったように、それを飲み込み、自分を異化し、そして価値観を検証する、それだけですね。限りなくそれをやっていくしかない。そうしていれば、僕らはどこかにたどりつけるかもしれない。僕は『エルム街の悪夢』という映画が好きなんだけど、あれと同じですね。フレディーはみんなの夢の中にもぐりこんでくる。僕らはそれを受け入れなくてはならないと思う。そして一人ひとりがそれと戦わなくてはならない。ああいう映画好きですよ。『暗殺の森』なんかよりずっと有効だと言いたい。

柴田氏によるジョン・アーヴィング架空インタビューも面白いYO。

あと関連話がちょっとあるのだが、長くなったので別の日に。

2010-09-26 音楽嗜好症 このエントリーを含むブックマーク


音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々

作者: オリヴァーサックス,Oliver Sacks,大田直子

出版社/メーカー: 早川書房

発売日: 2010/07

春樹テイストな症例

[落雷で臨死体験後]

生活が一見いつもどおりに戻ったころ、突然、ピアノ音楽を聴きたくてたまらないと感じた。(略)

「私は楽譜がほとんど読めなかったし、ほとんど弾けなかったけれど、独学を始めました」。(略)チコリアは頭のなかで音楽を聞くようになった。「最初は夢のなかでした、私はタキシードを着てステージにいるんです。自分が書いた曲を弾いていました。目が覚めてびっくりしましたが、音楽はまだ頭のなかにありました。だからベッドから飛び起きて、思い出せるかぎりを書き出そうとしてみました(略)

自分自身の音楽がわいてきて、私をとらえたんです。とても強力な存在感でした」

(略)「周波数か、無線帯域みたいな感じです。私が心の扉を開けば、それがやって来るんです。(略)干上がることはないんです、どちらかというと、スイッチを切らなくてはなりません」(略)

ひょっとすると、自分は特別な目的のために「救われた」のかもしれない、と彼は思い始めた。

 「私が生き延びることを許された唯一の理由は、音楽なのだと考えるようになりました」

失音楽症

[「メロディーは音楽的な性質を失い、非音楽的で不快な特性を獲得することがある」という症例が想像できなかった著者は、ある日それを実体験]

運転しながらラジオでショパンのバラードを聴いていた。すると音楽が奇妙に変質した。美しいピアノの音色が高さと特性を失い、二、三分のうちに、不快な金属性の反響を伴う単調な騒音に変わったのだ。まるで鉄の板にハンマーを打ちつけてバラードを演奏しているかのようだ。(略)

[数分で元に戻ったが]

 二、三週間後、ショパンのマズルカをピアノで弾いていたとき、似たようなことが起こった。またもや音の高低がほとんどなくなり、音楽が崩壊して、不快な金属性の反響を伴う不穏な騒音になったかのようだ。しかし今回は同時に、視野の半分に明るくきらめくジグザグが広がった。私はよく、片頭痛に襲われているとき、そのようなジグザグを経験する。

絶対音感

 フィンランドの昆虫学者で、虫の羽音のエキスパートであるオラヴィ・ソタヴァルタにとって、絶対音感をもっていることが研究に大いに役立っていた。(略)[虫の羽ばたきの]正確な振動数を耳で判定することができた。蛾のPlusia gammaが出す音は低いファのシャープだが、彼はもっと正確に、毎秒46サイクルという振動数を推定できた。

共感覚

[マイケル・トーキーは五歳で音楽の才能を見せた]

 ある日彼は先生に言った。「僕はその青い曲が大好きです」

 先生は聞きまちがえたのかと思った。「青い?」

 「そう、ニ長調の曲……ニ長調は青ですよ」とマイケル。(略)

彼は音楽の調についている色は誰にでも見えるものと思っていたのだ。この共感覚が誰にでもあるわけでないことがわかってきたとき、彼にはそれがどんなふうなのか想像できなかった。(略)

ト短調はただの「黄色」ではなく、「黄土色」または「黄橙色」だ。ニ短調は「火打石か黒鉛のよう」、へ短調は「土のような、灰のような色」(略)単一の音や別々の音高に色は見えない。(略)

 もう一人の作曲家、デイヴィッド・コールドウェルにも音楽の共感覚があるが、まったく種類がちがう。マイケルがト長調を黄色だと言っている話をすると、彼は「それはちがいますよ!」と叫んだ。(略)共感覚者にはそれぞれ独自の色の対応があるのだ。

 デイヴィッドの場合、色と調の関係は双方向だ。わが家の窓の下枠にはまっていた透明な山吹色のガラスを見て、彼は変ロ長調を思い浮かべた。(略)

 デイヴィッドには絶対音感がないが、すばらしい相対音感がある、たくさんの歌や楽器の音高を正確に憶えていて、どんな曲でも何の調で演奏されているのかをすぐに推論できる。

(略)

クリスティン・レーヒーは、文字、数字、曜日だけでなく、それほど特定的ではないが音楽にも、強い色の共感覚がある。(略)

 クリスティは絶対音感がなく、異なる調の本質的な差を認知できない。しかし文字についている色が音階の文字にもついているので、ある音がDだとわかれば、Dという文字と同じくらい鮮やかに緑色の感覚が引き起こされる。(略)ギターのチューニングで弦の音高をE(青)からD(緑)へと下げていくときの色の感覚を、次のように表現した、「深く濃い青……青があせて、ざらざらした感じになっていく……きめの粗い薄い緑……なめらかで純粋で深い緑」

(略)

[スー・Bの場合]

音楽を聞くと、小さい円か縦棒の光が見えて、音が高くなるとそれが明るく、白く、銀色っぽくなっていって、音が低くなると、きれいな深い栗色に変わるんです。音階を上がっていくと、明るい点か縦棒のつながりが上へと移っていって、モーツァルトのピアノソナタみたいなトリルの場合、光が点滅します。バイオリンの歯切れのいい高音はくっきり明るい線を浮かび上がらせますが、ヴィブラートをかけて演奏される音はちらちら光ります。いくつかの弦楽器が一緒に演奏されると、横棒が重なり合うか、メロディーによっては、一緒にちらちら揺らめく影のついた光の渦巻きが見えます、管楽器の出す音は扇形のようなイメージです

(略)

バロン=コーエンとハリソンが書いているように、「人はみな、もともと色が聞こえる共感覚者だが、生後三ヵ月くらいでこの二つの部位の接続がなくなってしまうと、共感覚を失う」のかもしれない。(略)

幼少期に視力をなくすと、逆説的な話だが、視覚的心象を描く力や、あらゆる種類の感覚間の接続と共感覚が強まる場合がある。(略)ふつうなら完全に機能する視覚システムに抑制されているものが、解放される現象が起こるようだ。

トゥレット症候群ドラマー

[ジャズ・ドラマー、デイヴィッド・アルドリッジ回想録から]

私は六歳のときから、飽きるまで、リズムに身を任せて車のダッシュボードをたたいていた。(略)テーブルをトントンたたくことで、自分の発作的な手や脚や首の動きを隠すことができるとはじめて気づいたその日から、リズムとトゥレット症候群は絡み合っている。(略)私はトゥレット症候群のとてつもないエネルギーを利用し、高圧の消火ホースのようにコントロールすることを覚えた。(略)私は膨大な音の宝庫と体感覚を生かすことを許され、目の前の自分の運命を悟った。私はリズム・マンになる運命だったのだ。

ウィリアムズ症候群

[多くがIQ60未満]

音楽療法士シャーロットはとても慕われているようだ。三歳の小さなマジェスティックは、内向的で周囲の誰にも何にも反応しなかった。彼はいろいろな妙な音を立てていたが、シャーロットがその音を真似始めると、とたんに関心を示した。二人は音を連発し合い、それがすぐにリズミカルにパターン化し、やがて楽音になり、短い即興のメロディーができていく。この出来事でマジェスティックは目を見張るほど変化した。夢中になり、(自分より大きな)シャーロットのギターをつかんで、自力で弦を一本一本つま弾いた。その視線はずっとシャーロットの顔に釘づけになり、彼女から励ましと支えと指導を引き出す。しかし診療が終わってシャーロットがいなくなると、すぐに以前の無反応な状態に戻った。(略)

ウィリアムズ症候群患者の音楽的才能は、音楽サヴァンのそれとは異なる。なぜならサヴァンの才能は十分に開花した状態で出現し、いくぶん機械的で、学習や練習による強化がほとんど必要なく、他人からの影響にほとんど左右されないように思える。それに対して、ウィリアムズ症児の場合、人と一緒に人のために音楽を演奏したいという強い願望がつねにある。

2010-09-22 アメリカと戦争 このエントリーを含むブックマーク

イラク戦争まで扱っているが、米西戦争あたりまでを引用。


アメリカと戦争 1775‐2007―「意図せざる結果」の歴史

作者: ケネス・J.ヘイガン,イアン・J.ビッカートン,Kenneth J. Hagan,Ian J. Bickerton,高田馨里

出版社/メーカー: 大月書店

発売日: 2010/06

独立宣言

は実際、圧倒的に強力なイギリス軍に対するレトリカルな身ぶり以外のなにものでもなく、また革命派はすべての植民地人から支持されているわけでもなかった。多くの植民地人は英国王に対して忠誠を抱き続けており、慈悲深く、利益をもたらしてくれるリベラルな保護者であるイギリス政府から分離するという考えに戦慄していた。事実、独立戦争は、抑圧的で邪悪な帝国に対する戦争ではなかった。マッカローによれば、植民地人は、自分たちの支配者であるヨーロッパ人よりもはるかに豊かな生活水準を享受していたのである。

独立してはみたが

かつての植民地人は、いまや譲渡された領土を自力で防衛しなければならなくなったのである。彼らはヨーロッパのあらゆる諸国と自由に貿易することを望み、北アフリカ、バーバリ地方の「海賊」がはびこる地中海にアメリカ商船を送り込むことを主張していた。(略)

しかしながら、緩やかな結合を謳う連合規約の下にあった弱体で分権化された政府が、国境地帯の安全を確保することも、一貫した外交政策を遂行することも、また北アフリカの海賊の攻撃からアメリカ商船やアメリカ人乗組員を守ることができないことも、すぐに明白になったのだ。

カナダと独立反対派

[独立後最初の事件は]イギリス北方植民地であるカナダを13植民地に参加させられなかったことである。(略)13植民地の構成員250万人のうち、半数近くがイギリス国王に忠誠を示していた。実際に武器をとった推定6万人の王党派と、ほとんどすべての植民地で求められた革命派の大義に対して忠誠を拒絶した人々は、捕らえられ、強制収容所に監禁され、厳しく罰せられ、追放された挙句に土地財産をすべて没収された。こうした抑圧措置によって幾多の独立反対派が殺戮されたため(略)定住地開拓のため、戦争終結と同時に英領カナダヘと遁走したのである。

常備軍と軍事独裁

[戦争後不況で]独立戦争時の陸軍大佐を務めたダニエル・シェイズの率いるマサチューセッツ西部の貧困層が武力によって裁判所を強制的に閉鎖するためスプリングフィールド兵器工場を襲撃した(略)シェイズの反乱は、志願騎兵隊によって容易に鎮圧されたが(略)植民地時代に確立していた社会的・政治的安定が崩壊したことによってもたらされた混乱と西部フロンティアにおける先住民との抗争に直面し、連邦議員の多くは常備軍創設の必要性を確信するに至ったのである。

 各州は、民兵組織を州の防衛機関であり同時に州権の象徴であると見なしていたため、州民兵を放棄することを望まなかった。唯一の解決策は、州による民兵組織の維持は許可するが、最高司令官としての大統領の指揮下にこの組織が置かれるという措置であった。(略)

アメリカ人の多くは、フィラデルフィアで起草された憲法は独立や自由を求めた人々の情熱を満たすものではなく、イギリス本国とは異なる別の軍事独裁の脅威に取ってかわったと認識するようになった。

第二次米英戦争

[カナダ併合という好戦派の計画は開戦一ヶ月のデトロイトでの敗北で潰えた]

1812年の戦争は、アメリカ国内に深刻な分裂を生み出した。(略)ニューイングランド諸州の激しい反対を受けていた。連邦議会の決議した貿易制限は、海上貿易に基礎を置く当地の経済をほとんど荒廃させており、結果、1814年末の戦争終結までに、沿岸部地域は連邦離脱の瀬戸際にあったのである。(略)幸いにも、戦争は数週間のうちに終結したが、この戦争の意図せざる結果の一つであった連邦解体という亡霊は消え去ることなく、1861年に激しい敵意とともに再現することになる、

奴隷貿易

イギリスは、奴隷貿易業者の活動を停止させることに関してはアメリカ合衆国よりもはるかに先取的だった。英海軍戦艦は、アフリカ沿岸海域での定期的なパトロールを通じて奴隷貿易禁止法を遵守させていた。1812年の戦争勃発後もイギリス政府は奴隷を積んだアメリカ貿易船を追跡する権利を主張し続けた。しかし、それはパトロールを偽装して正当なアフリカとの貿易を妨害しているとアメリカ合衆国では一般的に信じられていたのである。

米墨戦争

 アメリカ=メキシコ戦争は、ある意味、アメリカ人によって無視されてきた。なぜならこの侵略的戦争の起源、指揮のあり方、その戦争結果に関しては、ある種の道徳的困惑が存在し(略)先住民に対する土地略奪戦争と1812年の戦争におけるカナダ侵攻を度外視するならば、メキシコに対する戦争はアメリカ合衆国が外国の土地で戦った最初の戦争であり、征服戦争であった。(略)他国の体制変革を引き起こし、以後半世紀にわたって敵国だったメキシコを政治的不安の泥沼のなかに放置したことに見られるように、きわめて不当に処理された戦争でもあった。(略)

[マサチューセッツ州議会は「征服戦争」と非難]

1848年1月3日、下院議会は、この戦争は不要で憲法に違反して開始されたと宣言し、メキシコからの米軍の速やかな撤退を求める決議を85対81の僅差で票決した。(略)

この戦争は、南北戦争の第一段階にほかならなかった。(略)南部出身大統領ジェイムズ・ポークによって煽動されたものであった。(略)志願兵の大多数は南部から殺到した。(略)

アメリカ政治上最大の難問を再燃させた。新たな領土は奴隷州であるべきか、自由州であるべきか、という難題である。

米西戦争

[講和でグアム、フィリピンが米に譲渡され]

 アメリカ=フィリピン戦争の間、双方の側で蛮行が犯されるようになっていた。(略)「水攻め」が反乱の容疑者に実施され、容疑者のうちかなりの人々は親指のみで吊るされた。その他の人々は馬に引きずられるという拷問を受けた。吊るされたフィリピン人の傍らで火責めがおこなわれた。村々は放火され、村単位での虐殺がおこなわれ、略奪が横行した。(略)

スミス将軍は、「すべてを燃やしつくし、すべてを殺せ。おまえが殺せば殺すほど、私は満足するだろう」と命じたと報告されている。(略)

ヴェトナム戦争において米軍が採用した戦略村計画の原型と見なされる作戦によって(略)村の「地区」の小さな居住区に包囲された。住居、家具、荷車、家畜はすべて燃やされ、これらフィリピン人は何カ月もの間捕虜として監禁された。

[キューバ救済の名目で始まったスペインとの戦争は、アメリカをカリフォルニアから南シナ海に至る帝国へと変容させた]

2010-09-10 マスタリング、曽我部恵一 このエントリーを含むブックマーク

音楽業界人インタビュー本。


ジョニー・B・グッジョブ 音楽を仕事にする人々

作者: 浜田淳

出版社: カンゼン 発売日: 2010/06/26

中村宗一郎(ゆらゆら帝国エンジニア)

極端な言い方ですけど、1曲単体で考えるとしたら、ぼくはマスタリングというのはいらない作業だと思いますよ。トラックダウンでいいのができたらもうそれでいい。そこで完成。(略)

 もちろん、アルバム全体の粒を揃える[レベルや空気感を合わせる]意味ではマスタリングは必要です。(略)バラバラになった紙をそろえてホチキスで留めるぐらいの仕事だと思ってます。(略)

「低音をもっともっと」って言われても、「上げましたよ」で済ませたりすることもあります。だって言われたからってそのまんまやってたって、バランスが壊れるだけですから。(略)

 要は好みですよね。だからマスタリングなんていらないと思いますよ。自分んちでやったので充分。(略)

ぼくは自分のことエンジニアだとは思ってないんですよね。どっちかというと、バンドのなかでいちばんミキサーがわかる人って感じ。(略)

 ミュージシャンって、だいたい自分の楽器のことしか言わないんですよ(略)大事なのはその音が曲に合ってるかどうかですよね。いくらいい機材を使って高いギターを弾いても、曲に合ってなかったら意味がないでしょう?

 だからぼくの立場は、ひとつの曲のなかのそれぞれの音を、それぞれがどういう役割で鳴るべきかを考えてあげる係だと思ってます。いい音で録れる録れないよりも、合う音で録れるかどうかといいますか。(略)

作業的に見ると、曲の雰囲気ってベーシックを録った時点で大部分が決まっちゃうんですよね。(略)

テイクはあんまり録らないほうがいいと思いますよ。(略)2テイク3テイクとやっていくと、その曲に対してなにかしてやろうという気持ちが出てきて、イマイチになりがちな気がします。欲が出るというのかな。だから、わけのわかんないうちに録っちゃった、みたいなのがよかったりするときもありますね。

  • 曽我部恵一

『若者たち』のときはまだレコード会社の給料もなくて、収入といえば印税だけでしたね。あれは1万枚ぐらい売れたんですけど、印税は1年に数十万だったと思います。もちろんそれじゃあ食えないからバイトをしてました。2枚目の『東京』が出たときに初めて9万円給料をもらうようになって、それは超うれしかったけど、やっぱりそれじゃあ食えなかったですね。(略)3枚目の『愛と笑いの夜』を出したあたりで、給料が倍の18万になりました。まあ、レコード会社もせこいなあとは思うんですけど(笑)。(略)そこで初めて食えたといえるのかなあ。印税も別にありましたしね。

[4枚目の初回注文は7万枚]

DIY

[自分の会社でやるようになって]

デザインは自分でやっちゃってますよ。(略)帯の価格のところとか、細かいところも全部自分でやります。イラレとフォトショップで入稿してますから。ステッカーまで自分でやってるし。(略)たまに怒ったりもするんですけど。「なんでおれが外貼りシールのデザインまで……」って。

(略)

ヒップホップもそうだけど、売れていくにしたがって、ロゴがカチッとなる瞬間があって、おれ個人としてはその瞬間に気持ちが離れるんです。なんかわからないけど、「売れたな……」みたいな感じになって。だから、うちはまだローテク感がありますね。

音楽家としてはもう一日録音したいが、経営者としては断念

だけど逆に、あんまりお金のことばかり優先して安いスタジオに入ると、「安いスタジオにいる自分」が俯瞰できちゃって、気持ち的によくないんです。だから、いまでも90年代に使ってたのと同じスタジオに入ってるんですよね。

(略)

昔は好き勝手やってたからね。だけど、いま振り返ると、そういうのもやってよかったとは思いますね。すごくピュアな状態で、ガラスケースのなかで大事に守られながらつくるわけだから、それゆえの透明感はあるはずでしょう?そういう時期があるからこそそういう音楽も残ってるし、それはそれでいいと思う。(略)相当迷惑かけましたからね。わけのわからないわがままを言って。だって、ハイハットの音がどうしてもいやだから、スタジオをあと3日延長してくれ、とかね(略)でも、そういうピュアな状態でつくれてよかったなと思います。(略)

いまはすごくバランスが取れてて、歌ってるときは歌だけだし、お金や生活のことは計算しているときだけ、みたいにきちんと分けられていますね。

  • メジャー酷い話

永田一直

自分がレーベルごとあるメジャーメーカーに移籍したときは、契約金どころか、逆に金を取られたことがありました。(略)

[契約もなく制作を急がせたミックスCDの売上げは5000枚]

楽曲のライセンス料が200万はいいとして、宣伝費が500万なんです。(略)

[アーティストの永田には8万円だけ]

しかもおれは制作進行からマスタリングまで自分でやったのに、それに対する支払いもありませんからね。(略)

 しかもこの話はまだ先があって、このときのディレクターがとんでもないばかなやつで、そのレーベルの、そのあとの予算をあてこんで勝手に使ってたんです。(略)出すはずのタイトルも中止になっちゃって、結局そこの部署自体が消滅したんです。そしたらメーカーはその補填をアーティストであり、レーベルオーナーであるおれに要求してきたんです。(略)

[契約してないから関係解消するも]

自分のレーベルの今後のディストリビューションは、そのメーカーの子会社だったんですね。(略)その売り上げから勝手に補填させられましたね。

  • どんより話

ビジュアル系インディバンドのマネージャーの銭勘定。

月に5000円使うファンが500人いればなんとかなる。ライブ毎にメンバー毎のジャケ違い限定盤やら物販。さらにメンバーと関係したいファン心理につけこみ、ボッタクリ打ち上げ参加料6000円×50人で30万。

  • どんより話2

元テキ屋で黎明期ヤフオクでボロ儲け。

横流し廃棄処分CDを1枚10円で入手。

[横流し元は]メーカーにもいれば、配送会社や廃棄工場(略)やっぱり配送のトラックが絡むほうがすごいです。(略)急に「現金で何百万分買ってくれ」って来ますからね。(略)約束の場所に行ったら10トントラックが止まって待ってますから(笑)。(略)

[100枚入りトロ箱をたたいて5000円、200箱で100万円]

向こうも音楽がちょっとはわかるから、「これはいいやつなんじゃないの?」とか言ってきたら、「じゃあその箱は8000円な」みたいに上がっていくこともあるし。逆に、たとえばブラックビスケッツとかシャンプーみたいなのが混ざってたら、「こんなの混じってんじゃんかよ、この野郎」とか言って突っこみますけどね。「広瀬香美がなんで2箱もあるんだよ」とか

[2000年を越えると、メーカーが追跡調査できるように廃棄品もJANコードを通すようになった]

  • フェス仮設トイレ

客100人につき1台が理想。1台1.5万円。2DAYSだと汲み取りも必要になり1台3.5万円程に。総経費1000万のイベントで2DAYSトイレ30台を準備するとそれだけで総経費の1/10に。トイレ行列の憂き目にあった時はこの金額を思い浮かべて主催者を呪って下さい。

2010-09-01 新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書 このエントリーを含むブックマーク


新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書

作者: 西寺郷太

出版社: ビジネス社 発売日: 2009/09/10

エホバの証人

 母キャサリンは厳格な宗教「エホバの証人」の信者でした。マイケルと姉のリビー、ラ・トーヤはキャサリンの影響で敬虔な「エホバの証人」の信者となりました。(略)

 個人的には、マイケルの人格形成において、幼少時に彼がショービジネスの世界で四六時中音楽の訓練をしていたことよりも、この他者と気軽に交流することを許さない「エホバの証人」独特の戒律によって他の宗派の友人達、仲間達との壁が生まれたのではないか? と考えています。キャサリンは社交的な性格ではなく、ジャクソン・ファミリーは故郷ゲイリーの中でも一種「独特のバリア」のようなものに包まれた家庭として扱われていました。(略)

 後の彼のホーム・パーティ好き、ディズニーなどのネオンライトやパレード好きなども、母親に強制された幼少時のあまりに禁欲的な抑圧に対しての無意識の反発から生まれたものかもしれないと、ぼくは考えています。原因を真面目に追求していけば、母親や、自らが信じた宗教を憎むことにつながってしまう。しかし、それだけはマイケルには出来ない。だからどこかで、少年時代に普通の暮らしが出来なかったのは「ショービジネスのせいだ」とすりかえているのではないでしょうか。

新世代ランディ

[EPICに移籍しジャクソンズとなり、ジャーメインに代わって、マイケルの三歳下のランディが加入。苦労した兄達とは違い]

「物心ついた時には兄はスター、家は大金持ち」という貴族のような暮らしをしてきたジャクソン家の新世代だったのです(末妹ジャネットも同じです)。

 幼い頃から自宅のスタジオでさまざまな楽器の練習に励んでいたランディは、ジャクソン家ではじめてのあらゆる楽器を演奏出来るマルチ・ミュージシャンに育っていました。(略)

作曲能力だけならジャクソン兄弟でもマイケル、ジャネットに次ぐハイ・ポテンシャルな実力の持ち主で(略)セレブ育ちゆえのリッチな感覚と、ソウルというよりも「ディスコ世代」なフレッシュさは新生ジャクソンズの最大の武器になりました。キーボードが弾けるランディは、「コード感に欠けるがキャッチーなメロと詞が得意」なマイケルの片腕として、共作曲をたくさん手がけることになります。

ギャンブル&ハフ

[EPICでプロデュースを担当した]彼らは曲の制作過程からマイケル達にもガラス張りでプレゼンテーションしてくれたのです。ギャンブル&ハフはちゃんとジャクソンズを一人前のミュージシャンとして見てくれました。ノウハウも惜しみなく見せてくれ、兄弟達の作品に手直しをしたり、アイディアを却下する時も頭ごなしでなく、丁寧にひとつずつアドヴァイスしてくれたのです。今まで、そんな扱いを受けたことがない彼らはギャンブル&ハフの対応に本当に驚いたと言います。後にマイケルは「実際に彼らが創作していくところを見る機会に恵まれたことは、ぼくの作曲技術の向上に大きく役立ちました」と語っています。

《BAD》

[周囲の反対を押し切り18歳で結婚するも破綻]この一連の騒動によって、ジャネットは家族からも四面楚歌、マスコミからも袋だたきにあうという辛い体験をしました。(略)離婚を機に一念発起し(略)アルバム《コントロール》において「自分自身をコントロールするのは私なんだ」という強いメッセージをこめました。(略)

 彼女がこの作品を父親ジョーの反対や妨害にも負けずに制作し、今まで兄や姉達がなかなか出来なかった「ジャクソン家からの独立」を成功させたことはマイケルにとっても大きな喜びであり、驚きでした。(略)

プリンス・ファミリーだったジャム&ルイスと共に作り上げた新しいサウンドの《コントロール》が、テレビやラジオだけでなく、クラブやフロアなど「現場」に近い感覚を持っていたこと、それでいて「先鋭的なサウンドにも関わらず保守的と言われるグラミー賞でも評価された」という事実は約2年間ウェストレイク・スタジオにこもって《BAD》のための下準備をし続け、まさにレコーディングのまっただ中の状態であったマイケルを迷わせます、ヒップホップの台頭でミュージック・シーンが大きな転換期を迎えたこともクインシーとマイケルにはわかっていました。

 「本当に《BAD》はこのまま完成させていいのだろうか……」