創造と狂気 フレデリック・グロ

著書内引用部分は青字にしました。

書くことの罠

文章こそが狂気を捕らえる罠だと精神科医は主張するのだ。現実に狂気の状態にあるのか、それとも完全に治癒したのか、確実な診断を下すことが難しいことがある。病人は論理的な議論についてくるし、正常なふるまいもするし、みんなと同じような生活や、話し方ができる。ところが本当の狂人なのだ。そういうとき、医師は病人が書いたものにあたる。マルセ博士は精神病者の文章を三つのタイプに分けた。第一のタイプは「日々の患者への問診が示している妄想の存在を裏づける」ものである。このケースは明白である。彼らは意味をねじ曲げ、話すように書く。ここでは妄想は、確実であり、より激しく、際立つものとなる。治療のために文章を書かせることは無意味だ。妄想を語るだけでなく、書いたりするようでは、治る見込みはない。
(略)
それに対して第二の文章は奨励される。(略)妄想を隠すため、出される質問に答えるのを拒み、力量不足の医者に対しては何も喋らないきわめてひねくれた狂人もいる。このケースで必要なのは「病人に書かせること。疑いがすべて晴れるには、数行で十分であろう
(略)
第三のタイプの文章では、逆転現象が生じる。野心的な偏執狂は理性的な手紙を書く。例えば偉大なモロー・ド・トゥールによると、痴呆は会話では控えめだが、筆を持つと、堰を切ったように語り出し、モノマニー患者は正確に書くが、話すときには支離滅裂な受け答えをする。
(略)
 精神科医たちにとっての最大の問題は、奇妙な振舞いや異様な発言といった前触れなしに、突如暴発する狂気である。このような狂気は、穏やかな理性の滑らかな仮面を長期間(気づかれたあとでさえ)被り続ける。我々を欺く隠れた狂気である。トレラはかかる狂気を「明晰な狂気」として示したのだった。
(略)
[ルグラン・デュ・ソールによる]見た目には妄想が明らかでなかった被害妄想患者の例である。その男は別人のように振舞い、適切に返答していた。エスプリに富んでいた。問診の際、医者は、何げない会語中に、彼が杖で「裏切り」という言葉を途中まで書いているところを押さえた。ついに妄想の証拠が得られたのである。書くことの罠に掛かった書き手は入院となる。文章はリトマス試験紙である。
(略)
[患者が]冷静沈着であろうと努め、私を悪意ある人間か、執拗な敵と見なしているときは、時間を稼ぐ。紙とペンとインクを渡して待つ。(略)何らかの知的な興奮の現象が現れ、心情の吐露の欲求が抑えがたくなり、これまでの芝居じみた態度は消える。(略)こうして私は手紙を手に入れ、病者の脳を覗くことができる……私は五分間のうちに知性の音域で調子はずれの音を聞き分けることができた。
 これは、ルグラン・デュ・ソールの『被害妄想』の一節である。
(略)
[脚注28]「文章の中でしか妄想しない者たちもいる。この上なく巧みになされる問診や彼らにとってどれほど油断のならない会話においても、自らの狂気の考えをひとことも口にしない術を心得ているのだ」
(略)
 だが、文章が病気を顕わにするといっても頼りすぎてはならない。この点については、精神科医ブリエール・ド・ボワモンが好んで引用する手紙がある。

 かわいい子どもたちヘ。一緒に話すことができなくなってずいぶんたつわね。お前たちがお母さんにあって、お母さんを抱きしめたいとおもっているか、わからないけど、お母さんの方はとても強く感じています。ちょうど四旬節が始まったね。断食は私たちの聖母である教会によって定められている宗教的義務であることを忘れてはいけません。復活祭のときに聖体拝領をする義務。お前たちふたりがこの義務を果たさないこと以上にお母さんに悲しい思いをさせることはありません。さよなら、お前たち。お母さんがお前たち愛するようにお母さんを愛しておくれ。お母さんを喜ばせておくれ。お前たちをこころから抱きしめます。お前たちの一番の友達でもあるお母さんより。
(略)
[一見、子供を愛する敬虔な母親の手紙に見えるが]
この手紙の主は一年前より入院している意地悪な歳とった色情狂の女性で周期的に発作を起こし、世間を呪い、わめきながら床を転げ回る、と彼は続けて言うのである。書くことは二つの入り口をもった罠なのである。

文芸サロン

 当時の精神医療の領域で産み出された文章を追っていくと、病院が重要な文芸サロンであるかのような気がしてくる。医者たち自身が精神病院で産み出される量に呆然とすると公言しているほどだ。病人たちは次々と文章を書きつらね、やがては本にまでなる。
(略)
被害妄想患者は、病院にある便箋、ノート、メモ帳を驚くほど消費する。あらゆるものが要望や不満を書き留めるのに役立つ。彼らはノートをいつも欲しがるのでいくら気前良く提供しても足りない。そこで、彼らは行をぎゅうぎゅうに詰めて書き、ときに水平に書いたあと斜めに書く。尽きることのない不満の表現に場所が足りるということはない。
(略)
 とりわけ噪病の高揚の状態においては、あまり教育を受けておらず、知性もきわめて平均的で、普段はほとんど文を書かなかったり、書けない人物が、やすやすと文を書き、素直で雄弁な文体によって、考えを表すことがある。
(略)
[レジ博士の患者、30歳の若い仕立て屋は]
ごく基礎的な教育しか受けていない。しかし、躁病的興奮の発作の初期を示す知的な高揚のなかで、彼は書きはじめた。ものすごい量の手紙や回想や詩、さらには本を書いた。この報告の中で最も注目すべきは次の事実である。病人は精神病院に入った数日後、先の戦争時のパリ攻囲、さらにパリ・コミューンの全歴史を書きはじめた(略)この細部に至るまできわめて正確で几帳面な歴史を書くのに、病人はいかなる本も資料も手元に持ってなかったのだ。この点は私が請け合う。すべては記憶によって書かれたのであり(略)まさに最高度に興奮した記憶のなせる業であった。
(略)
パルシャップが示している症例では「鬱病を患ったこの農民は、普段はものを書くことが全くできず、またいかなる教育も受けていないが、月が満ちると同時に詩を作り始め、二日後にこの能力を失った。再びこの能力を取り戻したのは月が再び満ちたときである」
(略)
 被害妄想に冒された患者は、すべての精神病者のうち、もっとも嬉々として大部の原稿を持ち運んでいる。服の折り目などに大切に埋め込んである。そこでは細部にわたって、くどくどと、自分がはめられた陰謀を物語っている。隠れている敵の身振りや仕種や言葉についても際限のない話が続く。

バルザックと狂人

 ある日、弟子のひとりがエスキロールに尋ねた。「先生、理性と狂気の境界を見分けるための基準を教えて下さい」
 翌日、師はその弟子を二人の人物とともに食卓に招いた。ひとりは身なりも言葉遣いも完璧な人物。もうひとりは騒々しく、自分にもその将来にも自信満々な人物だった。
(略)
 「自分の意見を言ってごらん。先ほど一緒に食事をしたうちのひとりは狂人、もうひとりは賢者だ」
 「ああ。こんな問題なら難しくありません。賢者は、あの上品で申分のないお方です。もうひとりの方はそそっかしく、うんざりです。即刻入院させるべきです」
 「ほお、間違っているね。きみが賢者だと言った男は自分を〈父なる神〉だと思いこんでいる。自分の役割に相応しい控えめで品位ある態度をとっている。シャラントンに入院中だ。きみが狂人だとした青年はフランス文学の栄光のひとりだと考えてまちがいない。オノレ・ド・バルザック氏だ」

次回につづく。