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2015-01-29 マルクスとフランス革命・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回のつづき。


マルクスとフランス革命 (叢書・ウニベルシタス)

作者: フランソワフュレ 今村仁司 今村真介

出版社: 法政大学出版局

発売日: 2008/02

トクヴィル

人間の諸権利の真実とは諸利害であり、その虚偽とは公民性である。こうした政治哲学的な還元操作ゆえに、マルクスは民主主義を幻想や欺瞞といった概念とは別の概念によって捉えることができず、また、同時代にトクヴィルが理解していたこと、すなわち、民主主義の幻想こそがまさに民主主義の真実にほかならないということを見抜くことができなかった。

 だが実際には、マルクスが用いる「民主主義的抽象」という表現には、トクヴィルを魅了した考え方がよく示されてもいる。その考えによれば、民主主義的平等とは、いまだ手の届かない目標をめざして諸個人が不断に緊張し続けることである。

(略)

観念の背後にある現実を探し求めることに熱中するマルクスは、平等が最終的に現実のものになるための歴史的条件を定義しようとする。だがトクヴィルにとっては、こうした野心は意味をもたない。なぜなら、民主主義的な平等の本性をなしているのがまさにその抽象的な性格にほかならないからである。

(略)

ゆえにそれは、平等が向上すればするほど、ますます不平等に対する感情を刺激することになる。社会全体を近代社会特有の分子運動へとたえず陥れる終わりなき弁証法

(略)

マルクスが近代史の真相を探るべく経済のなかに身を投じるのは、そこで幻想の真実を見いださんがためであった。したがって彼としては、国家をおよそ歴史を成り立たせるための共同幻想として定義ないし再定義しただけでほとんどこと足りているのである。というのは、貨幣という王をあがめる市民社会という現実にとって、人間の平等の想像的な裏面を分析することがなんだというのか、というわけである。

さて、つぎは『ドイツ・イデオロギー』である。

マルクスはそこで、ヘーゲルからもフォイアーバッハからも解放される。普遍史はもはや、さまざまな時代を通じて、表面的には混乱して見える状況のなかで活動する理性が徐々にその姿を現していく過程でもなければ、哲学者の概念によって解読される精神の作用の顕在化の過程でもない。普遍史は、それ自身がすでにみずからの法廷なのであり、人間の活動の所産以外の何ものでもないのである。思想を存在へと従属させるこの有名な転倒によって、マルクスは、対立物の弁証法を論理の属性とみなす代わりに物質のなかに据えることになる。その過程で彼は、フォイアーバッハにとってきわめて重要であった「人間の本質」という概念を清算してしまう。人間は、その歴史的存在のみによって定義される。だが、この存在を生みだす当の歴史が、人間にその存在の意味を認識する手段を与える。なぜなら、その意味はそれ自身の展開に内在する法則に従うからである。青年マルクスの「批判」の猛威は、最終的にはヘーゲル的観念論を史的唯物論へと反転させるところまで行き着く。弁証法的理性は、思想のなかにある以前にまず事物のなかにある。つまり、それは事物のなかにあるがゆえに思想のなかにもあるということである。

(略)

 マルクスはこうして、青年期から抱き続けている強迫観念を理論化するための新たな思考図式を見いたした。すなわち、一方ではイギリス経済に対する、そして他方ではフランス革命に対するドイツの立ち遅れという強迫観念である。いつもながら、極端なやり方でヘーゲル主義から身を引き離そうとするマルクスは、ドイツのいっさいの哲学的遺産とりわけカント主義を棄却する。これ以降、カント主義は、ドイツのブルジョワジーの無能さを哲学的に隠蔽するものとみなされようになる。「(略)すでに政治的に解放されていたイギリスのブルジョワジーは、産業革命をおこない、インドにおける政治的支配とそれ以外の世界に対する商業的支配を確立した。それに対して、ドイツのブルジョワジーは、みずからの無能さのなかでいまだに〈善なる意志〉の段階にとどまっていたのである。カントは、ただの〈善なる意志〉が何の結果も生まないことを知りながらそれに満足してしまい、この善なる意志の実現、すなわち、善なる意志と諸個人の欲求や本能との調和を彼岸のかなたへと追いやったのである。カントのこの善なる意志は、ドイツのブルジョワジーの無能さと無気力とみじめさを正確に反映している」

 この長い引用文は、マルクスがその普遍史理論を構築するさいに、解釈を途方もなく単純化するという一般には彼のエピゴーネンたちだけが陥るとされてきた誤りに彼自身どれほど陥りやすかったかをよく示している。

ヘーゲルの観念論は、

18世紀フランス史の具体的事実に対してマルクスの唯物論よりもはるかに深い関心を示している。ヘーゲルの観念論は、生産諸力の発展の歴史よりもはるかに精密に精神の仕事の歴史を構築しているのである。

 事実ヘーゲルは、その仕事全体を通じて、フランス革命と近代フランスを自己意識のかたちが変容をとげていく過程として体系的に解釈している。

(略)

フランス革命において政治的なものの社会的基礎となるのは、まさにこの経済学の公理すなわち自由の源泉としての労働という近代的原理である。自己の利益を追求する私的な個人は、その労働によって必然的に近代社会の公民になるのである。

 だが、自由の抽象的普遍性を確立するために、フランス革命は市民社会と国家の切断をおこなわざるをえず、言ってみれば、政治的なものを社会的なものから導かざるをえなかった。まさしくそれがフランス革命の誤りであり失敗であって、同時にそれは社会契約の理論とりわけルソーの失敗であった。ルソーが国家という「思考された概念」を有用性ではなく意志のなかに探し求め、かつ、そこに根づかせようとしたのは、たしかに理由あってのことである。だが彼は、一般意志を考えるさいに個別意志のみを出発点とする誤り、つまり、国家に対する社会の優位のみを前提とするという誤りを犯した。こうした考え方に基づくかぎり、諸個人の結合が生みだすものはただ恣意的な意志決定だけである。その決定は合理的なものと思われているが、歴史における理性の作用を無視している。なぜなら、人間の普遍性に基づく欲求の市民社会は、国家としてのみ歴史的現実たりうるからである。

(略)

ヘーゲル的国家は、所有の個人主義を超越する。それだけが、近代社会を構成する抽象性、すなわち、欲求や労働や階級によって定義される抽象性と歴史性とを和解させることができるのである。それは、みずからの歴史のなかにある社会であり、普遍史との関係のなかにある社会である。それだけが、社会的人間の非歴史的な本性という観念の歴史的な性格を明らかにする。なぜなら、ヘーゲル的国家の現実は、この観念を包摂すると同時に乗り越えるからである。社会が理性に従って組織されるのは、歴史におけるより上位の主体としての国家によってのみ可能なのである。

 ヘーゲルによれば、フランス革命の誤りはこの真実に対する無理解に起因しており、その経緯もまたこの無理解によって説明される。

(略)

ヘーゲルは、近代的自由を出現させるこのフランス革命という「荘厳な日の出」が失敗したのは、それが国家を考える能力をもたなかったせいであると考えており、恐怖政治のエピソードはまさしく、その無能力を最もよく示す指標なのである。なぜなら恐怖政治は、諸個人の純粋な自由とその集合的=歴史的存在とを媒介するいかなるものもすべて拒否したからである。(略)

それらの誤りや失敗はひとつの名前をもっている。すなわち、ルソーである。党派間の争いが際限なく続いたり、歴史の媒介をもたない「絶対的自由」が恐怖政治という極限的なかたちで現れたりするのは、まさに、社会契約の二次的な産物として定義される一般意志をめぐってなのである。

ルイ・ナポレオン・ボナパルトによる国家の横領という事態を理解することである。

この前代未聞でスキャンダラスな、それでいて待ち望まれてもいた十二月二日のクーデターによって、魔術的な名前をもった一人の凡庸で軽蔑されていた冒険家が、偉大な国民に対する絶対的権威と当時の最も強力な行政機構に対する支配を比較的容易に獲得した。もし今日のフランス人のなかにルイ・ナポレオンが引き起こした憤激を想像しにくいものがいたら、そのものはヴィクトル・ユゴーや『ある犯罪の歴史』を読みかえしてみるとよい。国全体が無秩序に陥るなかで、政治階級の大部分は国内での亡命生活に入り、共和主義を奉じる偉人な知識人たちはただちに国外逃亡を選択する。フランスの新しい元首に浴びせられ続けた軽蔑に加えて、彼の成功をもたらした状況が自由の友たちの屈辱感をいっそう大きなものにする。(略)それは、無気力になって堕落した偉人な国民が蒙った冷笑的な仕打ちであり、自分たちが最も卓越した歴史をもっているという思い、すなわち、フランス革命という国家的にして国際的な偉業や天分ある国民というイメージを与えてくれる英雄たちをもっているという思いを、フランス人から容赦なく奪い去ってしまったカリカチュアなのである。

 だが、かりに二月の革命が偉大な原風景を滑稽なやり方で再演しているとしても、それは同時に、フランス革命の神秘が「時局」という口実や民族主義的な美辞麗句を剥ぎ取られてしまったことを無残にも露呈しているのである。すなわち、フランスの歴史においては、革命現象が行政国家の専制と結びついているということである。トクヴィルとキネは、それぞれ独自にこの憂鬱な確信をその分析の中心に据えている。また、『ブリュメール十八日』におけるマルクスの問いも、同じ問題意識に由来する。

(略)

国家と伝統的エリートが深く断絶してしまったことを象徴する彼の権力は、ブルジョワジーの権力としてはもはや定義しえないし、ブルジョワジーの一分派の権力とみなすことさえできない。こうしてルイ・ナポレオンは、マルクス主義理論の立場からすれば、革命後のフランス史にまつわる謎を最も極端なかたちで体現しているのである。

(略)

アンシアン・レジーム社会がその外部にある国家によって徐々に蝕まれていく様子を一種の宿命として描き出すときのマルクスは、かつてなくトクヴィルに接近している。「大土地所有者や都市の領主特権はそっくりそのまま国家権力の特権に転じ、封建貴族は国家によって任命される公務員となり、互いに矛盾する中世的な領主特権の不均一な地図は、整理の行き届いた国家権力の地図となり、その権力はあたかも工場の内部のように分業化されると同時に集権化されている。」

 さらにマルクスはこの分析のなかで、のちにトクヴィルの一大パラドックスとなった考え方に一段と接近する発言をおこなっている。「最初のフランス革命の課題は、国民のブルジョワ的一体性を生みだすために土着権力や領主権力や都市権力や地域権力といった個別権力を破壊することであったから、必然的に絶対君主制によって開始された仕事を引き継ぐことになった。すなわち、中央集権化という仕事である。また、統治権力の広がりや特権や執行者も同時に引き継がれた。そして、ナポレオンがこの国家機構を完成したのであった。」(略)

フランス革命は、ブルジョワジーの政治的台頭をもたらしただけでなく、中央集権的な行政国家の完成ももたらしたのである。(略)

近代国家は、これらの利害を全体利益によって定義される行政的な抽象観念として保証しなければならないのである。(略)そして、国家が介入することによってこれらの利害に普遍的な内容が与えられるのである。『ブリュメール十八日』のマルクスはこうして、『ユダヤ人問題について』のマルクスと再会を果たす。なぜなら、両者とも近代国家を社会の「抽象」として分析しているからである。だが、今回の抽象は純粋な幻想であるどころか、逆に、国家が社会を操作する余地や国家の自律性とそのたえざる拡大の可能性の条件を構成するのである。(略)

「あらゆる共通利益はただちに社会から切り離されて、全体利益というさらに高次の利益として社会に対置させられ、社会の各メンバーが関与する余地も排除され、パン焼きがまや学校の校舎や村落共同体の共有物から、鉄道や国家財産やフランスの国立大学に至るまでのすべてが統治活動の対象になった。」こうした網羅的な行政活動のうえにさらに社会的・政治的な抑圧の必要性までが付け加わるとなれば、革命後のフランス国家が構成する非社会的な権力領域がいかにすさまじいものであるかがわかるだろう。

どの階級にも依存していない君主制国家によって徐々に準備され、さらにその君主制国家が大革命による民主国家の発明を通じて最終的に個人=公民の主権へと置き換わる歴史である。だが彼は、こうした考え方の理論的射程を結局はほとんど無化してしまう。なぜなら彼は、近代における「政治的なもの」すなわち民主主義を商品社会の共同幻想に還元してしまうからである。それ以来、政治表象の歴史こそがフランス史の核心であるにもかかわらず、それは真の歴史の余白に幻想や目くらましやまがい物として存在するだけになる。マルクスは、1789年を偏愛し続ける一方で、フランス革命のなかから誕生したブルジョワと小ブルジョワのフランスを嫌っている。なぜなら、このフランスは「偉大な思い出」にささげられたパロディや笑劇を演じることしかできないからである。

(略)

こうした感情がとりわけ明白に示しているのは、マルクスが民主国家の概念を資本主義的でブルジョワ的な社会という概念から切り離すことができないということ、また、同時代にトクヴィルの心をとらえて放さなかった問題すなわち平等が近代社会の未来にとってもつ意味の重要性を理解することができないということである。なぜなら、トクヴィルにとっては民主主義の本性そのものであり、その最も深遠な真理にほかならない当のものを、マルクスは逆に幻想としてたえず非難し続け、また幻想へとたえず還元し続けるからである。すなわち、近代的個人が抱いている、自分たちが互いに平等であるという表象である。みずからが提起した問いから出発するトクヴィルが、ギゾーとマルクスによって特権視されたイギリス史を離れてアメリカ史へと向かったのは、偶然ではない。もしかりに、フランス革命が民主主義の観念の到来にほかならないとすれば、フランス革命と比較しうるのは、同じ観念によって特徴づけられるもうひとつの歴史だけである。だがもし、フランス革命がブルジョワジーの到来を告げるものでしかないとすれば、イギリスのほうが比較の対象としては重要になる。ギゾーはイギリス史を代議制の角度から研究したが、マルクスはそれを資本主義社会の模範的かつ最初の発展事例として分析する。このように、これら三人の著述家たちは、それぞれの哲学を反映する歴史研究の著作を書いたのである。

 マルクスの驚くべきところは、彼が時折、フランス近代史やそこで君主制国家がかつて果たし民主国家が今また果たしている役割について、トクヴィルとかなり近い見方を示すということである。つまり、彼はあるとき突然、社会的でブルジョワ的な決定が出来事や観念を支配しているという考え方から逸脱してしまうのである。

『マルクスが、自由主義的な歴史家やのちの多くの「マルクス主義的」な歴史家たちと比べて知的に優越している点は』

の脚注

 マルクスは、国家理論をまったくもたなかった。他方、彼の後継者たちは、彼が残した分析要素のひとつをとりだして強調する。すなわち、市民社会に対する国家――いかなる国家であれ――の従属ということである。だがそうすることによって、彼らはマルクスの理論の精神を裏切ることになる。なぜなら、歴史の弁証法における国家の第二の性格としてのこの従属をマルクスが強調し続けるのは、何よりもヘーゲルに対抗するためだからである。だが、マルクスの後継者たちがこの観念をあらゆるところで妥当する普遍的なドグマとみなしがちであるのに対して、マルクスはこの観念にともなうさまざまな困難を見て取るとともに、フランスの事例に即してその解釈上の価値を議論し続けている。こうした単純化は、とりわけレーニンにおいてはっきり現れる。レーニンは、こうした見方を、マルクス主義の主観主義的ヴァリアントともいうべきボルシェヴィズムの基礎に据える。レーニンの考えでは、国家は革命と権力の場として、また、歴史的変化を引き起こす特権的な道具として肯定されるべきであり、また、それが貴族制国家であるかブルジョワ国家であるか労働者国家であるかに応じてそれ自身の階級的内容へと全面的に還元される。その結果、ボルシェヴィズムの政治思想は、戦術的には内容豊かであっても哲学的にはとるにたりないという独特のコントラストを呈することになる。

(略)

マルクス主義的な革命史学は、マルクス主義というよりもむしろレーニン主義的であり、そのことは二つの点において確認される。

 まず第一に、フランス絶対主義に関するマルクスの理論の放棄が挙げられる。マルクスが、その仕事全体を通じて王政復古時代の歴史家たちの見方すなわち社会から自立した権力とか貴族とブルジョワジーを調停する権力といった見方に忠実であるのに対して、二十世紀のマルクス主義史学において一般的になったテーゼは、古来の封建的階級がみずからの利益のために王国を統治するという貴族制国家のテーゼである。この階級は、絶対君主制の全期間を通じて、政治的には無力であったが社会的には支配的であり続けたのである。ここには、近代資本主義国家の階級的内容に対するレーニン主義的な偏見が一般化される仕方がよく現れている。つまり、近代資本主義国家は、その国制上の手続きがどうあれすべて独占の道具とみなされるのである。だがこれは、フランス革命に関して、マルクスとは異なる見方を提示することにもなった。なぜなら、そこでの君主制国家がマルクスにおける君主制国家とは別の本性をもつというだけでなく、そこでの十八世紀社会は、マルクスにおける場合のようにブルジョワジーによって支配されているのではないからである。

  したがって、フランス革命はもはや同じものではない。たとえそれが、最終的には資本主義の発展の産物ということになるとしても、レーニンによれば、それは一種の必然であるばかりか輝かしいものですらある。なぜなら、それが守りの固い貴族制的な社会と国家を転覆し根こそぎにしたからである。ここでもまたレーニン主義は、マルクス主義の主意主義的な傾向性を露骨に示している。フランス革命とは、たんにブルジョワジーの到来を告げる出来事という以上に、その到来が劇的に演じられる英雄叙事詩であり、また、強力な反革命との闘争が不可避であることを物語る一連の暴力と体制にほかならないのである。マルクスとは異なり、レーニン主義的なフランス革命史家は、フランス革命の結果よりもむしろその経緯を祝福する。こうして、なぜ彼が1789年よりも むしろ1793年を強調し、また、テルミドール派は論外としても、なぜ憲法制定議会よりジャコバン派を好むのかがはっきりする。つまり、彼は1793年の人間たちとともにあってこそ居心地がよいのである。なぜなら、ソヴィエトの経験は独裁と恐怖政治がともに必然であることを明らかにしたからである。彼は、革命行動が社会を変えることができるし、またそうでなければならないという信念をジャコバン派やボルシェヴィキと共有している。だが、こうした信念こそはまさしく、マルクスが政治的なものに特有の幻想として分析したものにほかならないのである……。

次回につづく。

2015-01-25 マルクスとフランス革命 このエントリーを含むブックマーク

哲学の犯罪計画 ヘーゲル『精神現象学』を読む - 本と奇妙な煙」と同じくらいわかりやすくて面白い。


マルクスとフランス革命 (叢書・ウニベルシタス)

作者: フランソワフュレ 今村仁司 今村真介

出版社: 法政大学出版局

発売日: 2008/02

マルクスの眼前にあるドイツはもはや、1818年から1820年にかけての啓蒙的プロイセンではなく、1830年代および1840年代の反動的プロイセンである。ドイツは、革命をおこなわず、革命を恐れている。ドイツは、フランスのように歴史の主体になることがけっしてできずに、歴史の客体と化している。(略)

フランスにおいて悲劇的結末を迎えたアンシアン・レジームは、「ドイツで再生して喜劇を演じている」。ここではじめて、歴史がその流れのなかで見せ場を何度も演じるという考えがマルクスのなかに現れる。(略)

悲劇は新たな時代の到来を告知し、喜劇は古い時代の最終局面の延命を告げ知らせる。それは、「人類が自らの過去に明るい気持ちで別れを告げうるため」なのである。

 では、こうしたドイツ史の悲惨さのなかにあって、ドイツのすべてが非難されるわけではないのは、いかにして、またなぜなのであろうか。二つの理由によってである。ひとつには、ドイツがその未来(マルクスのいう「後史」)を思想のなかで、つまり、哲学というかたちで生きたという特殊性をもつからである。ドイツは、他の諸国民の理論的良心であり、その反動的な過去すら哲学的である。なぜなら、それはルターであり、宗教改革だからである。では、現在はどうかといえば、ドイツはその悪徳によって麻痺させられたまま、アンシアン・レジームのなかに沈み込んでしまっている。だが、その哲学のおかげで、ドイツ人は、フランス人が実際に発明した近代国家というもののもつ欠陥を分析することができるのである。だからこそ、ヘーゲルの『法哲学』は、ドイツの擬古趣味を思想的に清算する一方で、フランス革命がうち立てた国家をも批判の対象にすることができたのである。ところが、これが第二の理由なのだが、マルクスにとっては、思考された歴史が現実の歴史に取って代わるというドイツの呪いを打破することによって、言い換えれば、ヘーゲル哲学をその実現によって否定してみせることを通じてヘーゲルを乗り越えることこそが、問題なのである。こうして、ブルーノ・バウアーとの論争が芽生えはじめる。マルクスは、ドイツの立ち遅れという欠陥そのもののなかに、フランス革命よりもさらにラディカルな、したがってまた、ドイツ哲学の水準に見合うような革命の諸条件を見いだす。実際、フランス人がおこなった革命は、「部分的」で「政治的側面のみの」革命でしかなかった。というのは、それが市民社会のある部分、すなわち、所有者ブルジョワジーを解放しただけだったからである。要するに、それは、「普遍人間的な」解放を生みだしえなかったのである。マルクスはこのように、『法哲学』における批判的分析を彼なりのやり方で復唱してみせる。その反対に、ドイツのアンシアン・レジームでは、まさにその立ち遅れゆえに諸原理や諸階級がまぜこぜになっている。そこでは、支配的な位置を占めるようないかなる原理も階級も存在せず、それらは互いにうち消しあう関係にある。したがってそこでは、いずれの原理や階級も、フランス流の部分的解放を実現するために社会を全体として代表するといった役回りを演じることができないのである。この臆病で「俗物的」な社会のパラドックスとは、そこではただ全体的な解放のみが可能であること、そしてこの解放は、ラディカルな鎖につながれて自分よりも下には排除すべきいかなる残余の人間もけっしてもたないが、まさにそれゆえに今度こそ人間の解放をもたらす階級によって実現されるということである。こうしてマルクスにおいて、プロレタリアートという観念が、ドイツの実践をドイツ哲学の水準へと引き上げるチャンスとして浮上する。

ヘーゲル、ルソー

青年マルクスはヘーゲルをすみからすみまで読んでいたし、また、彼がフランス革命と出会ったのは何よりもヘーゲルを通じてであった。(略)

1818年の『法哲学綱要』におけるヘーゲルは、フランス革命の挫折が国家という「思考された概念」に対する無理解に起因していたことを、それまで以上に強く確信していた。そしてマルクスは、このヘーゲルの国家概念を批判することによって、フランス革命という問題に不可避的に立ち戻るのである。

 『法哲学綱要』は何を語っているのか。(略)ザヴィニーとともにバークが拒否される。つまり、国家を慣習すなわち何世紀にもわたって蓄積されてきた慣習的行為によって基礎づけることは、国家を社会の偶然的な産物というかたちで考えることへの逆戻りである。(略)

ヘーゲルから見れば、イギリスはけっして市民社会の枠を超えて国家の水準に到達しなかった。国家の概念のもうひとつの古典的な基礎である宗教に関していえば、その私的な性格や彼岸を称揚する性質ゆえに、宗教が果たすとされる公的な機能にはほとんど適さない。その論理は逆に、公的世界と私的世界とを分離し、公的な事柄に対する無関心を帰結する。臣民とは、信者の公的な外面なのである。

 だが実のところ、ヘーゲルがとりわけ不快に感じているのは、経済学すなわち国家を公民の所有と安全の保証とみなす功利主義的な考え方であった。それは、啓蒙思想が宗教を掘り崩してしまった結果、欲求の普遍性によって定義されるホモ・エコノミクスだけが生き残った18世紀末に支配的となった考え方である。だが、欲求の普遍性は社会の統一原理を構成できそうにない。有用性のみを認める考え方の行き着く先には、ただ諸個人の分断だけがある。なぜなら、あるものにとって有用なものは、別のものにとってはそうではないからである。こうして、権力の不安定性が帰結する。(略)

 国家に関するこれらの解釈をひとたびしりぞけてしまえば、もはやヘーゲルにとっては一人の特権的な対話者だけが残る。すなわち、ルソーである。このジュネーヴ出身の哲学者は、理性のなかに国家を基礎づけ、国家に意志という霊的原理を与えることを試みた。(略)これこそが、ヘーゲルから見れば、ルソーを近代最初の国家理論家たらしめている巨大な進歩なのである。だが、ルソーの誤りは、その先駆者たちから契約の観念を引き継いだ点にあった。なぜなら、一般意志が契約に由来するのであれば、一般意志は諸個人の意志に対して二次的なものになり、したがって、国家は市民社会に対して偶有的であり続けることになるからである。もっとも、こうした見方は、『社会契約論』の著者が一般意志を全体意志から注意深く区別していたことを念頭に置くならば、ルソーをいささか単純化している(略)

[ルソーとヘーゲルの根本的な違いは]人間を公民にするためにはその「変質」が避けられないとする考え方にある。(略)

ヘーゲルにとって人間とは、生まれながらにして、すなわち、本質的に国家公民であり、自己意識がその実質的な自由を見いだすのは国家においてだからである。(略)

 ヘーゲルにとって、フランス革命はまさしく、「国家における諸個人の結合を、契約、すなわち、諸個人の恣意的な意志のなかにその基礎をもつ何かへと還元してしまった」ルソーの誤りを例証するものであった。

(略)

ルソーの作品は、フランス革命の「未曾有の」偉大さとその宿命的な挫折を予告していた。その偉大さとは、国家を思想の上に、しかもそれのみの上に築きあげるという目標を掲げ、歴史的な出来事に対してはじめて厳密に哲学的な性格を与えようとした企ての偉大さである。このフランス的大胆さによって、1789年は、バークがあれほど絶賛した1688年のイギリスの制度的つぎはぎ細工の水準をはるかに超える高みにまで達した。だが、一般意志を自然意志の疎外や変質や新たな開始として提示することによって、ルソーとフランス革命は、一般意志を純粋な外的な形式として出現させる。それは、国家における自由の実質的な性格を開示する代わりに、諸個人の自由を制約するのである。フランス革命を通じて見いだされるのは、このルソー的な抽象論である。それは、みずからがめざしたものとは正反対の結果をもたらすことになる。すなわち、自由の専制、恐怖政治である。

(略)

国家は、フランス革命が試みて失敗したことを成功させなければならない。つまり、近代の歴史のなかで理性を実現しなければならない。重要なことは、国家の歴史的起源を探ることではなく、『社会契約論』の優れた部分、すなわち、国家とはみずから決断する一個の意志であるというルソー的な直観を維持しながら国家の概念を定義することである したがって、国家をそれに先行する現実から出発させるというのは本末転倒である。(略)社会が合理的に組織されることを可能にするのは、国家なのである。

(略)

ヘーゲル的国家は、市民社会を包摂すると同時に乗り越える一個の全体性である。それは自由主義的国家とは何の関係もない。自由主義的国家は市民社会の産物であり、市民社会の諸々の「権利」をたんに保証するものでしかないからである。

(略)

だが、ヘーゲルの国家概念に対するマルクスの批判は、ヘーゲルが設けた国家と市民社会の区別を自由主義的に解釈するという事態をまさしく招いてしまった。師匠の思想をフォイアーバッハ的に批判し、全体性としての国家という幻想の背後にあるブルジョワ的現実を見いだすために、マルクスは、イギリス経済学とテルミドール期のフランス自由主義すなわちアダム・スミスとバンジャマン・コンスタンヘと向かう。政治的なものに対する社会的なものの優位はこうして、マルクスにおいて思弁的な様相を帯びはじめる。

(略)

ヘーゲルは、すでに見たように、国家こそが歴史の主役であり、観念を実現する主役であるという考えをもち続けている。市民社会は諸個人が争いあう場であり、したがって、政治革命がおこなわれる場である。これに対して、国家すなわち万人の利益の場は、より上位の合理性を体現する連続性と共同性の中心的制度である。市民社会と国家の矛盾は、観念における対立物の統一を覆い隠してしまうが、国家こそはまさにその和解の場にほかならない。ヘーゲルのこうした考え方から、あらゆる人民主権に対する拒否や、普遍精神の担い手として概念化されたナポレオンに対する礼賛や、プロイセン国家が体現する合理的な君主制国家といった観念が生じてくるのである。ヘーゲルにおいては、青年マルクスの言葉でいえば、政治的なものが社会的なものに覆いかぶさっている。なぜなら、前者が後者に意味を与えるからである。

 マルクスにおいては、フォイアーバッハ的転倒がおこなわれた結果、それが逆になっている。そこにあるのは国家に対する市民社会の優位であり、近代性を何にもまして特徴づけているのも同じこの優位である。なぜなら、社会と国家の分離によって特徴づけられる近代文明における現実とは、自己の欲求や利害に身をまかせる個人であり、市場の人間にほかならないからである。

(略)

 社会的なものと政治的なものが近代において大きく分裂したことは、青年マルクスの考えでは社会的なものにとって有利に作用する。この分裂は、ヘーゲルにおいては、対立物を和解させる国家という概念を無傷のままに残したが、マルクスにおいては、この分裂は何よりも、富の増大や貨幣が引き起こす人間関係の解体によって規定される新たな社会の誕生を意味している。そして、個別利害に基づくこの個人主義的社会のなかから、従属的な役回りとしての近代国家が立ち上がるのである。

(略)

フランス革命は、アンシアン・レジームを覆すことによって、商品社会特有の近代政治というものを創りだした。だが、この政治的なものは、「民主主義的な」公民たちが新たな国家へと疎外されることによって生じるひとつの幻想であるから、フランス革命はいずれ「真の」革命にその場を明け渡すことになるはずである。そして、この「真の」革命は、政治的なものを社会的なものへと吸収することによって政治的なもの自体を破壊するであろう。それは、この真の革命が実現するはずのものが、もはや国家の変革ではなくて国家の廃止であるということ、またこの革命が、政治的幻想へと人間が疎外されている過渡的形態すなわち公民性を破壊することによって、人間にマルクスのいう「類的存在」すなわち人類を取り戻させるはずだということを、意味している。

(略)

フランス革命は、政治的精神すなわち政治的なものに特有の幻想の行き着く果てを表現している。政治的なものは、市民社会の現状を変えることができると信じているが、実際にはその反対に、政治的なものは、市民社会を欺瞞的に表現するものでしかない。政治的なものは、不平等と貧困を是正できると思っている。なぜなら、それは定義によって何でもできると信じ込むからである。だが、市民社会がもつこの「反社会的な本性」は、非常に厳密な意味で市民社会の存立条件なのである。こうした暴露を通じて、マルクスはフランス革命に対する体系的な批判を構築したが、それでもなお彼は、フランス革命のラディカリズムとりわけ1793年をたえず賞賛し続ける。

(略)

 政治的解放が暴力によってなされるとき、それはすべての私的領域を公的領域によって覆い尽くし、すべての個人の活動全体を公民にふさわしいものへと還元しようとする傾向がある。こうして、公民性をうち立てる革命のために宗教の廃絶を宣言することは、最高価格や財産没収の通達を出したり、「さらには、生命の廃止すなわちギロチン」を宣告したりすることと大差ないものになった。ここでもマルクスは、ヘーゲルの分析をみずからの言葉に置き換えながら、恐怖政治を「政治的生活」が「みずからを生みだした原理すなわち市民社会を窒息させる」ための試みとして説明しているのである。

(略)

マルクスは、「政治的」革命すなわちフランス革命のなかで、生産の諸条件がしだいに熟し、さまざまな利害や欲求が発達し、個人主義が確立していくのを見いだす。近代的公民性は、18世紀が「文明」とよんだものの産物である。この公民性は、諸個人の利害やエゴイズムを消し去るどころか、むしろそれ自身がこれらの利害やエゴイズムの抽象的な産物にほかならない。それは、宗教を引き継ぐと同時に、宗教の機能を集合的なレベルにおいて完成させる何かである。なぜなら、公民性は宗教と同様に、共同体や普遍的なものを求める人間の願望に由来するからである。民主国家は、キリスト教の人間的な基礎を一時的に実現するが、その代償として、新たな偽装がもたらされる。その偽装は、政治的解放が人間を全面的に解放するものであると信じさせるが、実際にはその解放は、疎外の新しいかたちでしかないのである。

(略)

マルクスから見れば、ルソーは抽象的な民主国家の理論を作ったにすぎなかった。そこで今度は、ヘーゲルに学んだマルクスが、人類学的歴史観のなかでこの民主国家に対する批判に着手するのである。政治的なものは、近代における疎外の新たな形式であると同時に、ブルジョワ社会と一体化したブルジョワ社会についての想像的思考である。貨幣によってたえず解体され、互いに孤立させられたものたちの寄せ集めからなるこの社会は、定義によって、みずからをこのようなものとして考えることができない。それは、国家すなわち虚構的だが不可欠な自己統一の場を設立することができる想像上の空間をみずからに与える。それがまさに公民性であり、民主主義的な平等性なのである。フランス革命の意味は、それが近代社会の政治的形式を発明したという点にある。

 その反対に、国家と宗教の同一視と、神の代理人たる王の存在によって特徴づけられるアンシアン・レジームは、至上者たる人間の不在に基づいていた。それは、臣下しか知らなかった。そこでは人間は、みずからの人間性を宗教という想像上の王国へと投影していた。近代国家は、キリスト教的な平等観を政治的なレベルヘと移しかえることによって、宗教的精神を世俗化する。

(略)

「政治的生活は、[と、マルクスは注釈する]みずからがたんなる手段にすぎないと宣言する。その目的は、市民社会の生活なのである。」だが、実際に革命でおこなわれたことは、人間の諸権利の理論と矛盾する事例に満ちている。たとえば、通信の秘密の侵犯や所有物の徴用、個人の自由の侵害などは.フランス革命においては当たり前のようにおこなわれていた。だが、政治的なものが市民的なものに対して、一時的にではあれ、こうした簒奪をおこなったことは、マルクスにとってはまさしく、革命がもたらす解放の特徴を示すしるしのひとつにほかならないのである。事実、フランス革命は、封建社会において政治的なものと市民的なものとを結びつけていた絆を断ち切る出来事であった。フランス革命とはまさにこの[切断をおこなう]緊張であり、この[切断がもたらす]裂け目であって、そのなかで公民は、まず何よりもマルクスが「国家の観念論」とよぶものを確立するのである。

(略)

このとき革命は、新しい共同体観念が市民社会の個別利害に対して絶対的な支配を及ぼすということを明確に示した。だが、政治的なものを自律的な領域として構成するこの運動によって、社会もまた、譜個人のエゴイズムの自由な戯れに歯止めをかけるものから解放されるのである。政治的解放はさらに、市民社会を政治からも解放することによって、諸利害の織りなす物質主義へと道を開け放つ。この不平等な戯れのなかでは、社会的人間こそが政治における想像的人間の現実的基盤にほかならない以上、社会が、政治的革命によって一時的に奪われていたものをいずれ取り戻すことになるのは当然であった。そこから、共和暦二年に始まりテルミドール反動に至るまでの一連の出来事が生じる。政治的なもののフォイアーバッハたらんとして出発した青年マルクスは、こうして最終的に、フランス革命に関する批判的理論の輪郭を描き出すに至った。

(略)

 ブルーノ・バウアーは、国家とりわけロベスピエールとサン=ジュストの有徳な国家を、社会の種々雑多なエゴイスト的原子をつなぎとめておくための手段とみなした。だが、この徳なるものを義務づける手段は恐怖政治以外になかったために、この矛盾は独裁体制を破滅に導いたのである。マルクスは、こうしたあまりに単純化された見方に対しては反旗を翻す。諸個人を結びつけているのは、国家ではなくて利害、すなわち、あるものが自分自身の欲求を実現するために他のものに対して抱く欲求であり、市民生活であって政治的生活ではない。国家が必要[必然]であるということは、これら諸個人がみずからを同類たちから切り離された自己充足的な存在であると想像するということ、また、その彼らが自分たちのことを共同体として想像することができる空間を作りだすということである。国家が市民社会を維持するのではなく、その逆である。バウアーは、想像上の天国を現実の地上と取り違えているのである。

(略)

マルクスは『聖家族』のなかで一種の文化論的な説明もおこなっている。(略)

「ロベスピエールとその仲間たちが敗北したのは、彼らが、現実の奴隷制という土台の上に成り立つ現実主義的かつ民主主義的な古代共和政と、解放された奴隷制、すなわちブルジョワ社会の上に成り立つ精神主義的かつ民主主義的な近代代表制国家とを混同したからである。」(略)

[古代共和政では生産労働は奴隷が担い]自由人はもっぱら政治の担い手であり、また政治のみによって定義されていた。(略)

つまり、古代共和政は「現実主義的」なのである。その反対に、近代市民社会は賃金労働の上に成り立っているが、その賃金労働は、諸個人間の契約という見せかけだけの自由のもとで有産ブルジョワジーによる支配を隠蔽する。そこから、平等な政治的権利という共同幻想的な外観のもとで、「代表制」国家、すなわち、それに主権を与えるとされる当の人々から疎外された国家が、立ち現れる。なぜなら、そこには直接選挙が存在しないからである。(略)

その民主政の根底には賃金労働があり、その政治的平等の根底には社会的不平等がある。ロベスピエールは、近代社会特有の人間の諸権利によって、古代にならった民主政を基礎づけることができると信じた。(略)

したがって、その試みの宿命的な挫折は、近代民主政が想定する抽象的な平等性と、ブルジョワ社会を特徴づける現実の不平等性とを分け隔てる深淵に起因するのである。コンスタンが認識していたように、近代世界においてはもはや、公民性と自由は同義ではない。だが、ジャコバン派は恐怖政治に訴えることによって、歴史が生みだすこの隔たりを何とかして埋めようとしたのである。

ブリュメール十八日

「革命のハンマー」によって、封建社会のあらゆる構造から解き放たれたブルジョワジーは、こうしてますます完璧に社会と国家の上に君臨する。と同時に、まるで偶然のように、人間の諸権利が、かの有名な人間の諸権利が、こうしてついに現実のものとなる。なぜなら、この人間の諸権利はいまや、ブルジョワジーと人間の諸権利をともに根拠づけている社会に合致した政治的国家によって保障されているからである。

 だが、再び見いだされた調和がどれほど完璧であったにせよ、それはブリュメール十八日に崩壊してしまう。

(略)

ナポレオンの餌食となったのは、革命運動そのものではなく……リベラルなブルジョワジーであった。(略)

ナポレオンはブルジョワジーに対して、彼らの利害とは別の目的を持つ国家、つまり、自己の目的を自己自身に対してもつ国家、あるいはこういってよければ、自己自身を目的とし、市民社会はせいぜいその「金庫番」にすぎないような国家を、認めさせたわけである。この意味で、ナポレオンは、恐怖政治の意味を再発見したといえる。それは、社会的なものに対する政治的なものの実体化された自律性である。だが彼は、恐怖政治に対して別の内容、すなわち、徳ではなく征服という内容を盛り込むことによって、恐怖政治をいわば再発明する。「彼は恒久革命を恒久戦争に置き換えることによってテロリズムを完成した。」皇帝独裁は、恐怖政治の行政的ヴァージョンとなる。ただし、その目標を変更することと引き換えにである。このように、ブルーノ・バウアーとは反対に、ここでの青年マルクスは、ロベスピエール主義とボナパルティズムを連続性の観点から分析する歴史記述の伝統に従っている。

次回につづく。

2015-01-22 なぜマルクスは正しかったのか テリー・イーグルトン このエントリーを含むブックマーク

アマレビューでは翻訳が「日本語としても理解不能な文章」「しばしばイーグルトンの主張と正反対の訳文になっている」と酷評されてて、確かにその気配はあるw

「マルクス主義は終わったのさ」「理論的には大いに結構、でも実行されたら大量虐殺」「一種の決定論だ」「なんでも経済に還元」「階級問題は解消されてる、そこにこだわるなんて時代遅れ」「暴力的政治活動を提唱してる」といったツッコミにテリー・イーグルトンが回答という形式。

ディベート的小股掬いなツッコミに小股掬いな回答という気がしないでもない。


なぜマルクスは正しかったのか

作者: テリーイーグルトン 松本潤一郎

出版社: 河出書房新社

発売日: 2011/05/24

[ツッコミ部分を青字にしました]

第四章

マルクス主義はユートピアの夢だ。それは障害や苦痛や暴力や紛争のない、完璧な社会を信じている。共産主義の下ではどんな敵対関係もわがままも所有欲も競争も不平等もないんだってさ。誰も誰かに対して優位に立ったり劣っていたりしない。誰も労働なんかせず、人間は他の人間との完璧な調和の中で生きていて、物質的富の流れに終わりはない。こんなトンデモなくナイーヴな世界観は、人間の本性の中にある騙されやすい信念に由来しているんだろう。人間の悪どい側面なんか単純に棚に上げられているもんな。(略)マルクスの優しく涙もろい未来の展望は、彼が構想した政治全体のバカげた非現実性を反映してるのさ。


 「じゃあきみの言うこのマルクス主義のユートピアでは、未だ交通事故が起こるのかい?」。この手の冷笑的な反問こそ、マルクス主義者が扱い慣れてきたものだ。

(略)

マルクスは、苦痛、死、喪失、過誤、行き詰まり、紛争、悲劇、さらには労働からさえも解放された未来などというものに、ほんのわずかの興味も示していないと言うべきだろう。実際、マルクスは未来に全く興味を示していない。いったい社会主義または共産主義社会とはどんなものなのかについて、彼が詳細に述べていることなどほとんどないというのは、悪名高い事実である。だからマルクスを非難する連中は、彼のことを、許し難く曖昧だと言って叩こうとするわけだ。ところがそんなことはほとんどできないに決まっているので、ただちに連中はマルクスを、ユートピアの青写真を描いたと言って非難するのである。未来を様々に下取りしているのは、マルクス主義ではなく、資本主義の方だと言うのに、である。

(略)

 ユダヤ人たちの間では、未来について語ることが伝統的に禁じられてきた。これと同様に、世俗的ユダヤ人であるマルクスは、前方に横たわるものが何であるのかについて、大概、沈黙している。マルクスが、社会主義はおそらく避け難いものだと考えていたことについてはすでに見たが、しかし、それがどのような社会であるのかについては、彼はほとんどまれにしか述べなかった。この控えた沈黙には、いくつか理由がある。一つには、未来は存在しないのだから、そのイメージを案出することは、一種の嘘をつくことになる。

(略)

 マルクスが未来像に警戒していた、もう一つの理由がある。彼が生きた時代、それは大量に出回っていたからであり、しかもそのほとんどが、絶望的なまでに観念論的な急進派たちのものだったからだ。歴史は前進していって、完璧な状態(国家)に向かって上昇してゆくのだというアイディアは、左翼のものではない。それは18世紀〈啓蒙〉の紋切型だった(略)

生まれたての、爆発的成長段階を迎えようとしていたヨーロッパ中産階級の自信を、反映するものだった。理性は独裁を征服する過程の中に存在し、科学が迷信を正しい方向に導いてゆき、平和がはばたくために戦争と結びついたわけだ。その挙句、人類史全体(という言葉は、実際には多くの思想家にとって、ヨーロッパを意味していた)は、自由・調和・商業的繁栄の状態(国家)において、最高潮に達するだろうという話になる。

(略)

特にマルクスが批判したのは、われわれは純粋に言論の力だけで敵対者を打ち負かすことができる、というユートピア主義者の信念だった。彼らにとって社会とは、諸々の観念(アイディア)の戦場であって、物質的利害の衝突する場ではなかった。逆に、マルクスは、このような知的対話への信仰に対して懐疑的な眼差しを向けていた。男女を真に現実的に摑む観念(アイディア)は、彼らの日常化した実践を通して生じるのであって、哲学者たちの演説や討議を好む社交界を通してではないことを、彼は自覚していたのだ。男女が真に現実的に信じているものをあなたが理解したいなら、彼らの言っていることをではなく、彼らがしていることを見ることだ。

 マルクスにとってユートピアの青写真は、現在すべき政治的任務から逃避する気晴らしだった。(略)一介の唯物論者として、マルクスは、歴史的現実から切り離された諸観念には用心深かった。

(略)

 保守派の中にもユートピア主義者はいるが、しかし、彼らのユートピアは未来よりむしろ過去にある。(略)

黄金時代からの、長きに渡る哀しみに満ちた衰退の過程である。(略)過去を一種のフェティッシュとして扱うことである。(略)彼らにとっての善き知らせとは、「事態は悪くなっていない」であり、悪しき知らせは、「だからこれ以上悪くなりようがない」なのだ。

(略)

 自分が立っている地点から始めるのは、政治的変革にとって最良の方法ではないように聴こえるかもしれない。(略)

古い秩序の痣が、新たな社会にどのように刻印されているのかを、『ゴータ綱領批判』でマルクスは書いている。だから、始めるべき「純粋な」地点などないのだ。純粋な開始地点があると信じ込むのは、社会改良、貿易同盟、政治的党、議会制民主主義などといった、現在の妥協した道具でもって、革命に参加した者の熱意の中のあらゆる残滓を拒絶する、いわゆるウルトラ左翼の幻想(レーニンの言った「小児の無秩序」)である。だから彼らは、無力であればあるほど、最後には汚れのない状態を目指そうとして努力するのだ。(略)

未来は現在の中の何処かに検知されるべきものなのだ。

(略)

 万人が平等であるような社会秩序を手に入れることもまた、不可能である。(略)マルクスにそんな意図はなかった。彼は画一性に対する不倶戴天の敵だったからだ。事実、マルクスは平等を、ブルジョワジーの価値と見なした。平等とは、彼が交換価値と呼んだもの――そこでは或る商品が他の商品と価値において水平(等しい)である――の、政治領域における反映だとマルクスは考えていた。商品とは「実現された平等」であると、かつてマルクスは述べたことがある。或るところでマルクスは、全般化された社会的水平化が含まれる一種の共産主義について語っている。また『経済学・哲学草稿』では、このような社会を、「文化と文明の世界全体の抽象的否定」として、告発している。またマルクスは、平等という観念を、中産階級民主主義――そこでは投票者や市民などといった、われわれの形式上の平等は、富と階級に関する現実の様々な不平等を曖昧にぼかす――の抽象的平等と彼が見なしたものと結びつけもした。『ゴータ綱領批判』でも、マルクスは所得の平等という観念を拒絶する。と言うのも、民衆が必要としていたのは唯一、様々に異なる欲求だからである。或る者は他の人びとより汚れたり危険であったりする仕事をし、或る者は養育すべき子をより多く持つ、等々である。

 マルクスは平等という観念(アイディア)を手放した、と言っているのではない。(略)中産階級社会の諸々の理想を軽蔑して拒絶するどころか、自由・自己決定・自己発展といった偉大な革命的価値の勇敢な擁護者だった。抽象的平等でさえ、封建制の階層構造(ヒエラルキー)に較べれば歓迎すべき前進であったとマルクスは考えたのだ。これはまさしく、資本主義が依然として続いている限り、これら貴重な価値が万人のために働く機会がない、とマルクスが考えていたということである。

(略)

 マルクスの視点からすれば、平等という支配的観念によって歪められたのは、それがあまりに抽象的にすぎるという点だった。それは、諸事物や民衆の個体性――マルクスが経済領域における「使用価値」と呼んだものに、十分な注意を払ってこなかったのだ。民衆を平準化するのは社会主義ではなく、まさしく資本主義だった。諸権利という観念に、マルクスがむしろ警戒を怠らなかった理由の一端は、そこにある。「権利は、まさしくその本性によって、或る平等の標準を適用することにのみ、存するものである。しかし不平等な諸個人(略)は、ただ彼らが或る平等の視点の下にもたらされる限りでのみ、平等の標準によって測定されうるものとなり、一つの一方的定義(規定)からのみ、例えば今取りあげている事例で言えば、労働者たちとしてのみ見なされることによって把握されるのであり、彼らにおいてはそれ以外のものは見られることなく、彼らにおける他の一切が看過されるのである」。

(略)

 真の平等とは、万人を同じものと見なして取り扱うという意味ではない。そうではなく、万人の様々に異なる欲求に、平等に注意を払うということである。マルクスが期待していたのは、まさしくこのような社会だったのだ。

第九章

マルクス主義は力みなぎる全能の国家というやつを信じている。私的所有権を廃絶した社会主義革命家たちは専制国家によって支配を行い、やがてこの国家は個人主義的自由を終わらせるだろう。マルクス主義が実行されたところならどこでもそうなってきた。将来はそうならないと考える根拠はないだろう。民衆は党に屈し、党は国家に屈し、そして国家は怪物的な独裁者に屈する、この事態はマルクス主義の論理の一部に組み込まれているのさ。(略)


 マルクスは国家の容赦ない敵だった。事実、彼が国家の衰退する時を待ち望んでいたことはよく知られている。マルクスを批判する連中はこの希望を莫迦げたユートピア主義と見なすかもしれないが(略)

 あいにくマルクスは莫迦げたユートピア主義者ではなかった。マルクスが共産主義社会において衰退してゆくことを望んでいたのは、中央で管理行政を行うという意味での国家ではなかった。(略)

行政管理体としての国家は生きながらえるだろう。暴力装置としての国家こそ、マルクスがその背後を見ようとしたものだった。(略)

共産主義社会でも国立公園と自動車試乗センターは消えないだろう。

 マルクスは国家を冷静な現実主義的観察眼で見ている。衝突し合う社会的利害の処遇に関して綿密かつ公正に見て、国家が政治的に中立の機関でないことは明白である。労働と資本の間の摩擦に関して国家が冷静でいられるはずがない。諸国家は所有権に対して革命を開始するなどということを軌道に乗せるわけがない。国家はとりわけ現今の社会秩序を、それを変革しようとする者たちから防衛するために存在する。この秩序が本来的に不正であるとすれば、したがって、この点については国家もまた不正なのだ。これこそマルクスが終わらせようとしたものであって、何も彼は国立劇場や警察演習場を潰そうとしていたのではない。

(略)

自由主義国家は資本主義と資本主義批判の間で、批判者たちが勝っているかに見えるようになるまでは中立的である。そしてその場合、戦車を出すのに失敗したなら、国家は放水と予備軍の一団を差し向けて割り込んでくるのだ。国家が暴力的でありうることは誰も疑わない。この暴力は究極的には誰に奉仕しているのだろう? この問いに新たな答えを出したのがまさしくマルクスだった。

(略)

国家は善用されるなら十全な力を発揮するだろうとマルクスは考えていた。だから彼はヴィクトリア朝大英帝国における社会的諸条件を改善するために、立法権を厳格に支持したのだ。(略)

マルクスが拒絶したのは、国家は様々に異なる集団や階級を調和的かつ友好的に統一する源泉なのだというセンチメンタルな神話である。彼の見解からすれば、国家は合意の源泉である以上に分割の源泉なのだ。確かに国家は社会を統一的に保持しようとする。しかしそれは、究極的には支配階級の利害を考慮してのことなのだ。その外見上の公平性の下には、強固な党派性が横たわっている。

(略)

一人の民主主義者として、マルクスは国家の崇高なる権威に挑戦する。彼は民衆の主権が議会制民主主義として知られているものの蒼褪めた影であることに甘んじているには、あまりにも民衆の力を強く信じていた。(略)

民主主義は市民社会のあらゆる制度を横断する、局所的で民衆的で広汎なものであるべきなのだ。政治的生に対してと同様、経済生活にまで民主主義を拡張すべきなのだ。それは現実的な自己統治を意味するはずであって、政治的選良たちに任された統治であるはずがない。マルクスが承認した国家とは、市民がみずからに規則を課す国家であって、少数の者が多数の者に規則を課す国家ではない。

 国家は市民社会からの漂流物だとマルクスは考えていた。国家と社会の間には騒々しい矛盾があるのだと。例えばわれわれは国家の中では市民として抽象的に平等であるわけだが、日々の社会的存在においては劇的なまでに不平等である。社会的存在は諸々の紛争とともに引き裂かれるのだが、国家は社会を継ぎ目のない全体としてイメージした上でそれを投影するのだ。国家はみずからを上から社会を造型するものと見なしているが、実際には社会の産物である。社会が国家から派生したのではない。そうではなくて国家が社会に寄生しているのだ。

(略)

マルクスが目指していたのは国家と社会、政治と日常生活の間のこの乖離を、国家や政治を社会や日常生活の中に溶解させることで、縮めようとすることだった。これがマルクスの言う民主主義である。

2015-01-19 哲学の犯罪計画・その4 弁証法 このエントリーを含むブックマーク

前回のつづき。


哲学の犯罪計画: ヘーゲル『精神現象学』を読む

(叢書・ウニベルシタス)

ジャン=クレ・マルタン 信友 建志

 弁証法とはたんなる普遍的「実体」と個別特異的「主体」の平和的な統合を意味するわけではない。

(略)

「一人の人間は、すべての要素とは違うものであり、個体的生の無限性はかれとは無縁であるときにのみ、一人の個体的生たりうる。生の全体性が分割されてはじめて、ひとは存在しうる。ひとはその一部であり、残りは他人のものである。しかし、ひとが存在するのは、自分がなにかの一部などではない、自分から切り離されたものは何一つないというときのみである」。近代民主主義や平等主義的規範によって均質化作用を被る平凡な人間の偏狭なヴィジョンに縛られたままでいることはできない。人間はどこの一部分でもない。全体とは、人間の目には見知らぬ奇妙なもののように映る。しかし人間は、この外部を自分と分離していないものとして考えることを引き受けるのだ。この外部が垣間見られるのは、強風のなかにおいて、一つの変容へとその外部を押しやっていくことのできるすきまから吹き抜ける風のなかにおいてである。その変容は一つの統一体であるが、しかしそれが統一されているのはただ絶対的な多様性ないし無限の裂傷によってのみである。弁証法はそれゆえ、ニつであること、分離、同一ではないものへと続く自己に開いた穴の手がかりである。それゆえ人間は哲学者として新しい人生をはじめることになるのだ。

 復活は人間の死へ通じている。しかし、同時に神の死へも通じている。それによって一つの存在、一つの思惟が、人間の彼岸かつ神的なものの超越性の此岸へとその位置を向上させられることとなった。当初は宗教的なものであったこのカテゴリーで問題になっているものは、未だかつてない一つの生の誕生と死に関係している。その生は決して人間学的な型にはめられるものではない。むしろ一つの冒険、《概念》に属する一つの犯罪計画というかたちをとる。人間の彼岸の生は存在するのか? 人間なくして継続し進展する思惟の生は存在するのだろうか?

(略)

《概念》は特殊な個人に密着した主体的現実に留まってはいない。葛藤に、運動に呼応するものである。ヘーゲルを読むハイデッガーはそれを《現存在》と形容することになろう。もはや動物の生や、いわんや人間という有機体の生とは違い、みずからを客体化する様式を見出し、また技術によってそれを永遠化のものとすることをも見出した生を通じて、その息吹に満たされて現前する一つの存在である。

(略)

主体――完全に存続する実体へと組み込まれている――はもはや、カントやフィヒテの主観性とは完全に比較不可能だ。芸術と宗教という経路も、それ自体乗り越えられてしまうのはこうしたわけだ。

(略)

ドイツ観念論――信仰も人間もあまりに簡単に認めてしまう――のいっさいから解放されたヴィジョン、ヘーゲルが目指したのはそれであった。そのためにかれは文学的な手法を、あるいは文字通りに循環運動と化しておのれのなかに包み込まれる概念を提示する手法を用いたのである。かれはこの概念という神経回路の展開のなかに、ごくごく密やかにわれわれを巻き込んでいく。そしてその概念がわれわれに「死んで消えた神人、あるいは人《神》は、それ自身普遍的自己意識である」ことを明らかにする。意識は死を免れ、われわれから、われわれが経験した諸契機からおのれを切り離すことでおのれ自身を作り出す。それは普遍的自己意識であり、人間主義の向上とはいっさいの共通点を持っていない。自己超克に、あるいは無化に触れる悦びと共通点を持つのである。ここにあるのは否定であり、それが死の試練に直面し、そのなかでしっかりと身を固めることで、《存在》と《思惟》の超−人的な概念形成を機能させることができるのである。この死をヘーゲルが理解することができるようになったのは「啓示宗教」のおかげである。死は主人を前にした奴隷の不安が表している死ではない。聖書のなかで述べられ記された、人間の域を超えた肯定によって絶対的な勇気を見せたキリストが直面した死である。聖書とは、ここでは無限の図書館として理解されたものであり、それはただの紙片を超えて、沸き立つ生気に満ちた名も知れぬ実体のなかに吸収される可能性をもっている。

(略)

 出来事は死なねばならず、《歴史》は「いまここにあることを捨てて、その形象を思い出に残す」ことを経験せねばならなかった。「いまここにあるものは消滅しこの夜の闇のなかに保存される。いまここにあるものは廃棄され、除去され脇に追いやられるが……それが新たにいまここにあるものとしての精神、新たな世界そして新たな姿となる。そしてその姿のまま、無邪気に、またはじめからやり直さねばならないのである」

(略)

[生きながらえていたなら]キリストはキリストたりえなかったろう……。持続的な意味、永遠の本質を具現するには、存在は無化されねばならないのだ。ここに、ヘーゲルの定式の意味がある。それによれば、概念を通じたアプローチはいかなるものであれ殺害と読み替えられるのだ。

(略)

そして最終的には「自己意識はしだいに豊かになり、意識からすべての実体から引き抜いて、その本質性の構築全体を吸収し統合してしまうにいたる」。『精神現象学』はこの殺害の撮影ないし直接的痕跡の集合であり、神の殺害も人の殺害も含めその記録がそこには保存されている。絶対知はこうした犯罪の手がかりを、諸々の関係に従って再配列したものに過ぎない。だがその関係には、どうしても避けられぬ部分、すなわち「概念的に理解される配列」があることを、ヘーゲルは読者ともども感じ取っている。つまり、たとえそれぞれの絵画は明らかに偶然的な性格を保っているとしても、そこにはてこでも動こうとしないこの操作の痕跡が残っていることを感じ取っているのである。

(略)

 『精神現象学』は何度も再演され再聴取される。こうして、その結末から再度開始されるという希有な書の一つとなっている。この書はおのれのなかにおのれを含み、おのれ自身の行程をなぞりながらも、その行程には世界の記憶が改めて書き込まれる。その行程はもはやたんに経験された出来事のなかだけではなく、出来事の記億のなかにも、その印や徴のなかにもある。そしていまやそれらはその記された場を変えることもできるものとなっている。そう、書物とは世界を飲み込んでいるのだ。(略)

精神は凝縮し、世界の《歴史》の隅々にまで行き渡るこの印刷物のなかで一つの事物となる。そしてこの印刷物の表面がその記録面となるわけだ。アルチュール・ランボーが語った紙で折った船。このとき、かれの詩は普遍を漂流し、そして無限のヴィジョンを飲み込み、旅した空間の痕跡を抑留する素材のなかにそれを吸収していく。

(略)

《精神》がこの世界から解放するものは、凍りついた影のなかに解体されるようなものではなく、むしろ一つのダイナミックな概念によって解体されるのであり、その概念というのも諸現象を一つの運動するイメージのなかに溶かし込むような概念なのである。それはこれらのコピーを寄せ集め飾り立てたイメージであり、そしてこのコピー自体もまた事物からは排除され、非常に強力な否定によってそこから切り離されてしまう。こうしたイメージ自体もまた、いまや自由を得た一つの働きによって自然な諸要素からは「解離」している。ヘーゲル的《概念》はこうして、見せかけとして出現するものを取り巻いている霊気を全面的に活性化する可能性をもたらすのである。

エピローグ

 ヘーゲルは『精神現象学』を飛び交う銃声のなかで完成させた。哲学者の住まいは略奪にあったので(略)プロイセン傭兵軍に混じってあてどなく逃げ道を切り開く羽目になる。(略)マントの下にまるで盗賊のように『精神現象学』の重たい草稿を隠して。(略)それは物理的な事物だ。しかし精神はその上を流れ、そして長らく秘密のまま隠されていた、この黒いインクに満たされた美しい聖杯からあふれ出ていく。

(略)

それはまさに、フランス思想の「唯物論」と同時に「ドイツ観念論」にとどめを刺すものであった。(略)

ヘーゲルの哲学は騒乱という姿で登場する。それは、はるかのち、大学に承認のもとに(略)完成され(略)若書きのテクストのぞんざいな縮小阪に甘んじてしまった一つの体系の姿とは違っている。

 この哲学が示すのは、混乱に陥った一つの存在、逃走中の人間であり、その手稿は伝記形式、あるいは生の記録をとどめている。それも、《神》そのものの手稿だ。《神》はこの雑然と構成された作品のなかに眠り、そしてその諸形象が陰影線でラフに描かれはじめると、そのあとに映像を一コマ一コマ記していく哲学者の《精神》が現れる。

(略)

 ヘーゲルがどのような矛盾にその根を下ろしていたのかが理解される。自分は紙の上に、あるいは円盤や聖杯の上に記される、創造者の孤独に沈むかれ以外の誰にもまだ読まれたことのない一つの《概念》を啓示する者の手となっていたのだ、という感覚である。しかしこのとき、かれはほんの一瞬ナポレオンの視線を感じる。

(略)

「皇帝――この世界精神は偵察のために街から出る。馬上にあって一点に意識を集中し、世界を手に収めそれを支配する、こんな人物を見るとはじつに素晴らしい感覚だった」。ヘーゲルはこのわずかな一瞬に、完成された哲学者としてではなく、否定の、それもどうあがいても凍りついたかのようにその場を離れぬ否定という行程を堪え忍ぶ一人の背信の輩として登場している。

(略)

つまりは一人のゲリラだ。(略)その戦いはなによりまず、「二つの矛盾する世界に住み、意識はこの二つのあいだでためらい続け、落ち着くことができない、そういうある種の両生類」のような自分自身に向けられている。(略)

自分のうちに蠢いていることをヘーゲルが感じととっている二つの世界、現実的なものと潜在的なものの和解はまだあまりに遠かった。世界の意識を自己意識へ、主体をその実体へと導いていく循環は、完全に密閉されたかのようにみずからを閉ざすことはできないのである。

(略)

《神》が人間を笑い、笑いすぎ死んでしまったということ、人間自身も自分自身の無意味さのなかで死ぬが、その無意味さこそが新しい、超−人たちの時代を産み落とすということ、これらについて、しかもいまここにあるものの自由をもたらすものを否定することなく説明することのできる論理は、おそらくまったく存在しないはずだ。そのためには、別の論理学を作り直し、不条理さを少しも怖れない一つの方向性を与えるしかないのだ。

(略)

神がいまここにあるもの――神が完全であるならばそれはいまここにある必要がある――ヘと移行することを可能にする一つの理念型、完成形だけを求めねばならないとしたら、《歴史》は生まれる前に流産してしまったことだろう。けがれなき概念形成の固定性のなかに凍りついてしまっていたはずだ。「天が下、新しいことなどなし」! それゆえ、「純粋論理学」とは別の視点から「絶対《知》」なる表現の言わんとすることを理解せねばならないのだ。ヘーゲルにとって、絶対者には不完全性がつきものである。

(略)

論理や完全性といった手段だけを用いて(略)それを実現することは拒否せねばならないだろう。

(略)

ただ矛盾だけが、現実や差異がこの世界を覆うことを熱望しうる。(略)

生に近づくためには、一つの削り跡、傷跡を前提にせねばならない――つまり、最初の犯罪である。それが幕開けをもたらすのだ。

訳者あとがき

ヘーゲルの新資料についての研究から、体系の哲学者というイメージはすでに過去のものになった、という指摘もあろう。犯罪についても然り。プロイセン体制のイデオローグ、というイメージは、たとえばベルリン警察の資料を駆使したジャック・ドントによる一連の伝記作品などによってかなり覆されている。そこに描かれるヘーゲルは、当時の政治活動家たちについての内偵資料に頻繁に登場する、まるで(やや大げさに言えば)黒幕のような存在だ。ご丁寧にも当局に睨まれている人物ばかりを助手的なポジションで雇い続ける。はては川に面した監獄に収監された弟子と会話するために、夜中に小舟を出して格子越しにラテン語で声をかける、などという一幕も報告されている。不遇の私講師、新聞の編集長、ギムナジウムの校長などを経て、ベルリン大学の教授として功成り名を遂げたあとも、ヘーゲルはどこか不穏であり、そして弟子たちは輪をかけて不穏であり、職務熱心なベルリン警察はそれを怠らず監視していたわけだ。赤狩りならぬ「デマゴーグ狩り」を、おのれに恥じることのない態度で切り抜けたことをヘーゲルが誇るのも無理はない。こうした時代だからこそ、そしてこうした事情だからこそ、ヘーゲル色を一掃するための切り札的な大物としてシェリングが登用されたという哲学史の一コマが、政治史的にも納得のいくものとなりそうである。さしあたり、国家主義的哲学者のイメージの裏に、犯罪の匂いをかぎ取ることは決して受け狙いの牽強付会ではない、ということはまずご理解いただけるのではないかと思う。

 マルタンにとってヘーゲルは特別な思想家である。というのも、1982年ストラスブール大学へ提出したかれの修士論文の主題は『否定的差異についての批判』であり、これは形而上学の終焉を疑問視しつつ、『精神現象学』の循環的道程を問い直すものだったのである。

(略)

 その頃、マルタンとの議論のなかでドゥルーズはさかんに「ヘーゲルは思惟のなかに運動を持ち込んだ最初の思想家だった」と語っていたという。事実、この語は晩年のドゥルーズのガタリとの共著『哲学とは何か』の冒頭に結晶化することになる。

 だが、ドゥルーズの系譜はここまで。こうした「運動」の重要性を強調しつつ、その運動が残す残余、残滓の描く連続線が主体のなかの残余としての幻覚と再び結びつき、一つの形象を描き出す可能性に賭ける、という見立てはマルタンに独自なものだ。

2015-01-16 哲学の犯罪計画・その3 啓蒙、道徳哲学 このエントリーを含むブックマーク

前回のつづき。


哲学の犯罪計画: ヘーゲル『精神現象学』を読む

(叢書・ウニベルシタス)

ジャン=クレ・マルタン 信友 建志

啓蒙

 啓蒙時代は懐疑主義よりもはるかに攻撃的で恐るべきものである。(略)

 啓蒙の戦いは逆説的にも、互いに対立し合う運動によって強化される。禁止されたり、あるいは抑圧すべく排斥されたりすることで、かえって力づけられるのだ。(略)

啓蒙主義はクモが獲物にそうするように、自分と対立する反対勢力を貪るのである。つまりかれらの実情あるいはエネルギー源は敵対勢力から得られている。それゆえ「[かれらの特徴である]純粋洞察は当初は中味がない……しかし否定的な者たちに対する否定的運動を通じて、純粋洞察が形成され内実を得ていくのである」。

(略)

まずは、大衆の盲信につけ込む司祭階級が否定され、同時に、群衆をこの詐りの知性、すなわち蒙昧主義に放置している専制政治も批判される。(略)

この複雑な、しかし都合の良い関係にあるがゆえに、この批判意識は自分が否定するものによってのみいまここにあるのだと言えることになる。批判が批判として成立するのは、それに対抗する者を通じてであり、また批判がそれ以外の内容を持つことができない、ただそのときだけである。批判の対象が消滅してしまえば、批判も一緒に消えていくのだ……。

(略)

そのニヒリズムが極限まで達すると、その破壊的狂気のもとでは次第に失われていく刹那的情熱がついに消え去り、こうなると啓蒙主義は自分自身を否定するしかなくなる。ちょうど自分で自分を食べる要領である。

(略)

 《神》がいまここにあるためには、人間が必要とされる。神は人間の夢であり、完璧な被造物であり、人間とともに死ぬ。人間はおのれが本能や欲求に還元されることを拒否し、自分の欲望を超える質的な飛躍ができる自分を見せたがるが、そんな執拗な拒否を表現しているのが《神》なのだ。宗教は人間精神から、その無限性を奪い、他方でその有限性は受け継ぐ。

(略)

批判精神が最高潮に達したこの世紀の「純粋洞察」は、人間がその深い奥底に抱え込んだものを強調することもなく、迷信に手を伸ばすところで満足してしまう。つまり、否定することで得られる快感が頂点に達するのはこのように、聖杯、聖体のバン、その他の御守りなどなどの、精神的な事物と取り違えられてしまった感覚的対象を小馬鹿にするときだったわけだ。

(略)

かつては神の見る世界のなかで人間のイメージが決定される、と言われていたが、啓蒙主義はそれを曲解して、共同体精神が自分自身から引っ張り出した意識を、下らない諸対象の考察へと取り替えただけだ、なぜそうなったのかといえばそれはかれらが、現実に作用しているものを、「《精神》によって捨てられた本質」として、つまり消費され、あげくに捨ててもいい一つの事物として切り取って描き出したからだ、という見方もあろう。

(略)

啓蒙主義は信仰のなかに自分自身の商業的対象への執着しか見て取らなかったのだ、と言うことも可能になろう。啓蒙主義が宗教や金ぴかに飾られたその儀式的対象へと向ける批判は、自分自身が財産や贅沢に愛着していることのカリカチュアなのだ。

(略)

ヘーゲルについでルードヴィヒ・フォイエルバッハもそう提案したのではないか。

(略)

信仰は、それを読む術を知っているものにとっては「人間の心に隠された宝」が発見される運動として現れてくるのだ。しかし、この宝箱は、そこに中身のない対象しか見出さない「純粋洞察」の批判の目にはあいかわらず死物でしかない。

(略)

 18世紀の唯物論と功利主義は「対象」と「事物自体」の区別を把握していなかったがゆえに哲学の著作を残さなかった。もし感覚的確信の諸対象が人間と関係なくいまここにあるものならば、宗教という諸事物は逆に人間のなかにしか、おのれ自身について考えるものの内側でのみ、いまここにあるということになろうし、あるいは人間の条件の彼岸に、きらめく出来事というかたちでのみいまここにある、とも言える。自己について思惟するものは、おのれがそうであるもの、その功利主義的ないまここにあることの条件へと還元されたり、力があるのはリベラルな権利だけという人間の――人間的な、あまりに人間的な――下劣さという凡庸な話へと還元されたりすることはありえないだろう。

 啓蒙主義はどうしてもおのれの無意味さに直面できず、どうあっても金銭と金銭の流れの力を借りて有限性から逃れようとする世界にしかまなざしを向けようとはしない。(略)

啓蒙主義はしっぽに噛みつく蛇に似ている。「純粋洞察」はもはや価値創造が不可能だということに過ぎない。単なる価値の切り下げであって、いかなる再評価もなければ、代わりが来る見込みもない。そうなれば「そこに無しか見て取らない」がゆえに、「精神に訴えてくるものは、非本質的な現実や、かつておのれが捨てた有限的なものでしかない」。そして唯一の気休めとして、功利的な実益に思いを馳せることで我慢するのである。

フランス革命とカタログ世界

 今われわれがあとにしたばかりのこの世界――「純粋洞察」の勝利する地である――には、もはや本当の意味では本質は含まれていない。その世界は複雑に組み合わされた日用品という名の物質におおわれている。(略)

ここにあるのは深みを欠いた世界であり、自由に手に入るありとあらゆる生産品に覆い尽くされている。そこを支配する技術については、『エンチュクロペディー』が数多く伝えているとおりだ。つまりは、本物の精神的な結びつきを持たない、カタログに掲載された豊富な品数の中に散乱した世界である。諸々の道具は連結されて横に拡がっていくが、それはもはや深さを掘り下げようとはしない。「信仰」が来世へと投影してきた本質が失われてしまうと、われわれは「事物自体」の持つ深みを欠いた宇宙へと直面することになる。百科全書という名の機械が「これらの散乱した痕跡を普遍的なイメージヘと」高め、「対象に関しては鋭い洞察に富んだ見解を一つの同じコレクションのなかに」整理する。結果として、「全体性なるものを未だに心に抱いている魂が……破滅していくのを見る」ことになるわけだ。

(略)

[参照システムをなぞっていくだけの]世界は人間の力能の思うがままだ。ここで言う人間とは、超越性から解放され、いまや決定的に、事物に対して働きかける自分の行為のもつ物質的な力のなかに位置づけられる人間なのである。

 人間の意志にいまなお逆らうものは何もない。

(略)

神秘のうちに閉ざされていた世界は存続できない。意識は外界のどんな物質もおのれの意図に従って専有し調整することができることが判明する。(略)

われわれの宇宙からは、距離や異他性は姿を消したのだ。(略)

人間の意識がついに、体系的なスペクタクルのうちに自然を出現させることのできる《神》のまなざしと対抗しはじめたかのようだ。知に関しては、こうした自由が獲得された。そしてその自由は、財産の没収や財産の平和的拡大にたいする政治的制約に反抗する人間の権力の獲得へと向かう。

(略)

 フランス革命はこうした吸収合併を政治的に変換したものである。つまり、現実的なものを理性的なものへと変換し、その変換がまた、こうして独立した事物として専有されまた破壊される現実的なもののなかに全面的に理性的なものを浸透させることで、折り返し保証されるというわけだ。

(略)

意志とは、もはや専制君主の手のうちにはなく、むしろ普遍的になり、啓蒙主義の著作によって万人に共有されるものとなった。そのなかでも、ルソーの『社会契約論』ではその帰結と政治化が表明されている。

(略)

「そんな高みは、現実の、あるいはむき出しの存在たちが失った自律という名の死体の上にあるだけだ。それも、ただただむっとするような、空虚な《最高存在》の悪臭としてのみ漂うガスに過ぎない」。死のガス、空虚が社会領域を奪取し、暦、祝祭の印にいたるまで一変させる。まるで限度無き蹂躙と否定に曝されたようなものだ。

 この自由はもはやいかなる作品も生み出すことはない。「残されているのはただ否定的な活動だけである。単なる消失への熱狂である」。ひとたびこの破壊的な怒りが、いまだ外部にあってそれに抵抗しているものに片を付けてしまうと、もう食い尽くすものは自分しか残っていない。

道徳哲学

その出発点となったのは(略)カントが提示する、啓蒙主義の批判的解読である。(略)

 テロルは、世界を取り込みそれを貪り食らう巨大な機械として登場する。(略)

この、いまだひどい混乱状態にある意志を乗り越えるのは道徳哲学の役目である。(略)

新しい形象を機能させることがその使命となる。ともかくドイツでは道徳哲学はそういうものとして登場した。道徳は、何からも自由であろう、何の原則にも依存すまいとする意識の独立性に端を発する。その内部には、否定の持つ盲目的力が宿っている。(略)

さしあたり、道徳が否定的なもののもたらすテロルを乗り越えることができるのは、いまここにあるものの様式を発見したおかげである。この様式とは、乱暴に「否!」と答える享楽から逃れて、むしろ飼い慣らされた自律性を肯定することへとつながるものだ。ここでは自律性とは、独立の夜の闇のなかで、機械的テロルから脱してみずからを法とする能力、ただそれ自体からのみ生じる一つの法を認めさせる能力と解さればならない。その法が、すなわち義務である! 道徳的義務を論じたこのデリケートな一章こそ、ヘーゲルが新たな世界観を演出すべく追求した犯罪計画の辿る道となる。その世界観は、現実を破壊し首をはねるのではなく、自己から発して現実を出現させることのできる道徳的世界観のはずである。

 「意識にとっては、義務は自分の見知らぬものという形をとることはありえない」。わたしを外部から縛り、わたしがすべきことをわたしに押しつけるものは何もない。法の命令はつねにわたしの願うところと合致する。自分で自分を規定するのが意思表示というものである。そして自己規定という面で言えば、意思表示こそが、世界を道徳的に見るようにわたしに働きかけるのである。かくあるべき、あるいはむしろ「かくあるべきであった」ものにしたがって現実に手を触れる一つのやり方と言ってもいい。それは科学のまなざしとも、政治のまなざしともいささかの共通点も持たない。

(略)

意志とはここではもはや、ただ自己を前にした意志そのものだけをおのれの実体としている。せねばならぬこと、おのれに義務を即すこと、それは自分自身を質料であると見なし、現実は自已に依存する、つまり現実を違ったように見たり、あるいは意志に沿って現実を変更したりするわれわれにのみ依存すると考えることである。われわれはこうして、奇妙なまなざしと関わることになる。(略)突然、主体と実体のあいだには明確な区別がなくなってしまったのだ。

(略)

兄の葬儀、臣従の誓い、気まぐれな富の流通、あるいは世俗のつまらぬ視線を避けて来世や信仰の世界を信じる、そういった機会ごとに、精神は混乱し、疎外され、自己が見知らぬものに思えてくるなどという錯覚を起こすかもしれない。ここでは、眼前にあるのはいっさいの超越性を解消するテロルであり、現実は飲み込まれていき、いまや均質化され、どの首が切られようが気にもとめないようなものに変わってしまう。こうなったとき精神は、自分はおのれの真理のなかいる、自分自身に向かい合っていると気づくのである。つまりこんな風に、おのれの意志が直接的に事物になることを望む意思に向かい合っていると感じるのである。そうした事物は、はじめは熱狂に満ちたものであるかもしれないが、しかしその意志のなかでおのれを否定することなく破壊をを続けることはできない。

 義務はこの均衡点を構成する。その均衡点は、意志を恐怖政治のあずかり知らぬ理性的な目的性に沿って、意志自身のなかに措定することができる。

(略)

存在の方が、意思の周りを回っている……。そのことは、なぜニーチェが「われわれはなぜ今なお道徳的なのか」と自問することになるのかを説明してくれるだろう。現実はこれ以降、永劫回帰というかたちで意思の周りを回るのである。ヘーゲルはそれを、終わりなきものと考えた。恐怖政治のときにそうであったように、たとえ存在がもはや存在をやめ、中心点の変更によって消滅させられてしまったとしても、事態は変わらないからだ。その新しい中心点を持つ軌道は、今後は主観性の条件によって決定される。この回帰によって、問題は単に否定性、すなわち他性の否定、他者の吸収、おのれの外にある全存在の隠滅といったものだけではなくなる。(略)義務が中心にすえられるというのは、欲動的な否定の否定と見なされねばならない。あるいは、絶対的に人間的な世界を自己展開する意思の肯定性によって生まれた創造物、自然のなかの第二の自然と見なされねばならない。そこでは、重力でさえ意志に従うのだ。

 ヘーゲルは、道徳と人間主義的な義務の中心化は乗り越えられねばならぬと証明した。それらはいまだに暴力と抑圧された動物的攻撃性に囚われているからである。(略)その核心にはまだ、いまそこから逃げ出してきたはずの否定的なもののテロルが住み着いているし、特におのれを客体化するという点に関しては、テロル同様に空虚なものだ。だから、あえてそれを現実化しようともせず、かと言って一つの「事実」へと変えようともしない。そのテロルが逃げ出してしまわないかが恐ろしいからだ。

(略)

自己の周囲の存在を飲み込んでいくこの回転運動は、欲動が対立し合う深淵に巻き込まれて細分化され、意志の革命は現実原則と直面できる状態には至っていない。理性に関しては、カントははっきり次のことを感じ取っていた。すなわち、幸福、あるいはむしろ浄福は理性のためのものではない、定言命法はその手を逃れていく一つの世界と衝突する。つまり自由を敵視する自然と衝突する。(略)

自然的因果性は別の領域から生じている。それは自律を夢見るわたしの率直な本性の論理とは別の論理に従うのだ。わたしの意志の指針が、普遍と合致したものであることをどれだけ意思しても無駄だ。普遍はわたしの外にあるものであり、唯々諾々とわれわれに従うものなど何一つない、自己の底では本能が無制限に対立しあってうごめいている、そういったことをわたしは忘れることはできないだろう。

(略)

道徳は現実に作用する存在とは決して関わることはなく、「あるべき存在」ないし現実として認めるべきものの表象、幻のような自我理想と関わっているからである。

(略)

道徳が信頼しているのは、まったく実行されていない一つの義務である。実行されているとしたらそれは「霧の彼方」であろうか。

(略)

では、義務を待ちわび、およそ道徳的ではない本性とはなんとしても関わるまいと利己的に――ということは本能的に――決意して、世の終わりまで指一本動かさずにただおとなしく待っているこの静寂主義から抜け出すには、どうしたらいいのだろうか?

 純粋義務に満足している存在は夢想家である。本当の意味でおのれを知るには、少々血気盛んに、いまここにあるもの同士の争いのただなかに身を置いておらねばなるまい。そうすることで、何かを意思し希望するだれかの気持ちになれるのだ。良心とは(略)そんなありかたを意味している。義務がどんなに困難であろうと、おのれの意思の純粋さと、改革された――本能的自然とは違った――世界との来るべき融和を夢見て、いまこそこの新しい人物像を登場させるべき時である。ヘーゲルはそれを「道徳的良心」と呼んでいる。

(略)

 ひとたび行動を起こすや、われわれの実現したものはみなすぐに、本来目指していた作品からねじ曲げられてしまい、こうして最悪の事態がわれわれを待ち受けることになる。

(略)

われわれが望んだように達成されるものは何一つない。わたしは善を欲する、しかし、あまりにも無邪気にこの世界に執着するがゆえに、わたしは悪をなしてしまう……。見直さねばならないのは、良き意図の価値ではないのか?

(略)

 自分自身だけを欲し、現実に働きかける試みはすべて回避してしまう、そんな意志へと逃げ場を探すことで、美しき魂は気取って見せているのである。そんな試みは常に、意図そのものを駄目にしてしまう運命へと変質してしまうというのだ。

(略)

 おのれの自由を制約するこの現実の抵抗を見て、美しき魂は内面の純粋性という形式へ目を向ける。それはある意味で、ひたすら内的なだけの良心である。

(略)

美しき魂は神聖な感情に包まれる。(略)

ただその告白のなかだけで神的なものと絶対的自由が交わることができるかのようである。

(略)

美しい魂はかくも不吉で先の読めない冒険の運に任せることを諦めて欲望された目的の美しさに集中することでしか、自己確信を見いだせない。

(略)

天使のような純粋主義に甘んじるほかない。それゆえ「おのれの作り出した中身のない対象を埋めるのは、自分自身の無意味さという意識である」。その無意味さは最終的には不毛さのなかに囚われ、ただ悪に関わることを認めることによってのみ「自己を一つの事物とし、存在を担う力」をもってしてそこから抜け出すことができる。

 悪はこうしたかたちで、つまり行為は不吉な結果を招く、という意味で理解されうる。何を試みようが、それは予期せぬ、しかも惨憺たる結果の暗雲に覆われる。

(略)

その悪とはつまり、口を出さず栄光ある孤立に引きこもる悪であり、世の流れの外から安易な非難を投げつけるという悪である。「美しき魂」のたちの悪さは、その行動がとかく不確実な結果を招きがちな「道徳的良心」のそれとまったく同じなのである。そのたちの悪さは、矜恃の高さや傲慢から生まれる。

(略)

「純粋さのなかに身を持そうとしても無駄なことだ。純粋さとは行動しないものだから。それは、判断するという事実が現実に作用する行為であると考えたがっている偽善なのである」。いまこそ「偽善の仮面を剥ぐ」べき時なのだ。

 ヘーゲルの手になる道徳の系譜学によって、ひとは場面がひっくり返り激変するのを、舞台袖で仕組まれた犯罪計画の筋書きに隠された仮面に光をあてるどんでん返しを目の当たりにする。

(略)

 悪は弱者の群れが手にする視野の狭い双眼鏡で拡大してやっと見えるものでしかない。不能が「判断する意識」に変わり、自分で動くことができないがゆえに、尊敬なり義務なりといった壮麗な動機をひねりだす、そういうときこそ、視線の逆転について論じることもできようというものである。この歪曲は、世界のなかでおのれを完成させようと求めている《精神》の尊廠には値しない。《歴史》のうえにあまりに非歴史的な視線を投げかけるが故に、ただ無力さだけが善だとされてしまうのだ。かくも邪悪な、しかし誰にでもありがちな判決によって、できるかぎり道徳的であろう、可能な限り無垢であろうと欲する意識は結果的には最大の悪の場として現れることになってしまう。そして意識が批判していた悪の方が創造行為と見なされねばならない。それゆえ犯罪は常に、人が批判するところには存在しないのだ。ヘーゲルはこの方向転換を弁証法と呼ぶ。それは、奴隷や下僕の道徳の背後に隠れたもっとも崇高な内奥に至るまで、仮面を剥ぎとらんとする批判的企てなのである。

残り少しだけど次回につづく。

2015-01-11 哲学の犯罪計画・その2 挫折した反逆者の行方 このエントリーを含むブックマーク

前回のつづき。


哲学の犯罪計画: ヘーゲル『精神現象学』を読む

(叢書・ウニベルシタス)

ジャン=クレ・マルタン 信友 建志

疎外

 このように視野を新たにすると、われわれにも山々がじつは波のようにうねっているのが見えてくる。

(略)

まどろみから覚めると、事物は再びここに自明なものとして登場するが、それはわれわれの権限に属するものではない。これが直接知である。夜の闇の中では、どの要素もおのおのの持ち場を離れないのだ! 消滅していくのはわたしであって、かれらではない!

(略)

世界は前もって与えられており、私が覚醒しているかどうかということとは無関係だ。わたしの人間としての本性もまた同様で、わたしの選択に属していることなどない。存在はそこに存在するのだ!

(略)

それは既にここにあった。そしてわれわれに生を授け、われわれを変わることないめまいのようなループヘと誘い、そこではすべてが同じように再開される。人間たちよりも先に、そしてかれらののちに!

(略)

《存在》がおのれを脱却し、動き、おのれにとって見知らぬものとなり、それと見分けることもできなくなり、そうして本当の意味でおのれがそうであるところへと近づいていく、そう想定することが必要だ。

(略)

立像は台座から引き下ろすこともできる。巨石群は倒れることもある。だから存在とは、ほんとうはすでに自分とはまったく別のもの、見知らぬものなのだ。巨石群がおのれの巨体の中に、貫きがたいその輪郭に閉じ込められたただの石にすぎない、つまりおのれに常に等しいものにすぎないということもないだろう。それが滅んでしまったいまとなっては、かつてそれが指していた方向がどちらなのか、もはや分からないのだ。不動の姿で屹立し天を指すその存在は、おのれにとって見知らぬものとなる。イースター島の巨像がもはや神秘の謎に沈んでしまったように。生成の方が安定した存在よりより強力で充実しており、そして生成はその存在の現在を犠牲にしてしまうことになる。

 もっとも安定し固定されたものに対して作用を及ぼすこの運動こそ、ヘーゲルが疎外と名付けたものである。それぞれの存在のもとには、おのれを自分自身にとって見知らぬものに変えてしまう、一つの生成が宿っている。それはおのおのの存在をおのれの外へと押し出し、疎外し、違った方向、違った状況、つまりは新たな精神状態へとたわめてしまう。それぞれの事物について、その歴史をたどり、ヘーゲルが現象と呼んだその見せかけの変化をたどっていかなければならない。現象学のリズムを構成するための、あるいは諸々の対象が見せかけとして出現する一連の契機を構成するための追求と言ってもいい。だがこれらの見せかけの出現の仕方は同じではない。そこに違和感が生じる。ひとはそれを、冒険のたどる道から概念が生まれる、そんな観念の冒険なのだ、と呼ぶかもしれない! 疎外が描く消失線は《存在》を奪いとり、その《存在》をそれ自身の外に置いてしまう。つまり、違ったようにおのれを見たり考えたりするよう仕向けるのだ。自分自身のままであるものなどなに一つない。すべてが新しい設定へ向けて逃れだし流れ出す。それも、ほかのなによりも自分が自分自身にとっていちばん見知らぬものとなる設定へと向かっていくことになるのだ。『精神現象学』は、不動と思われた存在がいかにさまざまなかたちに外化されていくのかを、さらには物質的、宗教的そして社会的ないし政治的にと、さまざまな様式の見せかけを装いつつ続いていく冒険の連続を、丹念に追っていく。そしてそれが可能になったのは、まさに疎外のおかげであり、だから疎外こそが『精神現象学』の運動そのものなのだ。おのれに等しいままでありつづけるものなどなに一つない。逸脱という、反乱と異議の律動に突き動かされて、すべては見知らぬものへと生成していく。そしてわれわれはそれを理解するだけでなくまた解明せねばならないのだ。それを二重の確信と言ってもいい。それが、『現象学』全体を通じて続いているその曲がりくねった経路を切り開いていくのである。

かくして、事前にお膳立てされた自我の崩壊を経験することで、意識はついに自己意識へ生成することができる。それは非常に脆弱な自己自身であり、それを再度把握するためにある一人の他者へと生成している。「わたしは一人の他者である!」。こうして、『精神現象学』の第二の大運動が開始される。

ここから理解すべきは、事物とは自立した一つの項ではなく、心的かつ物質的な関係性の織物である、ということだ。このひそやかな緊張関係は、諸事物を奪われてなるものかという意識の側からの拒絶をしっかり物語っている。

 事物は互いに矛盾し合う諸部分に解体されるのではなく、無限の「関係性」へと解消されるのである。

(略)

ともあれ、ヘーゲルはおのれの生を離れて事物を考えることなどできないことを、そして現実の生を形づくっているのは互いを引き裂くような矛盾と乗り越えがたい緊張関係ばかりだということを認識していたのである。

デカルトにとっては、自我はもっとも確実かつ明瞭な事物であり、それゆえ方向付けされたり外部に開かれたりする必要は感じられない。ヘーゲルの目にはその逆であることが明らかだった。つまり、意識の持つ緊張関係が事前に想定されるべきものだと認識していたのである。まず意識がある。世界のおかけで、意識ははらはらし通しだ。そしてただそのあとになってからはじめて、意識を自分自身へと向けて折り曲げさせることで、自己意識を語ることができるようになる。

第二章を飛ばして三章へ

理性

 理性は理性によって作られた世界と対立する。このときその理性は、どんどんその世界へと、つまり技術や芸術、科学そして政治制度による人工的世界へと生成しつつあるのだ。ここで理性とは、自分とは無関係の超越的な原理によって動かされる実体だと思っていたものが、結局は自分の生息環境、エートスでしかなく、そこには完全に自分の思惟や、あるいはおのれの意図や諸理念の表現を通じて思惟に与えた諸形式が浸透している、ということに気づく。理性という段階に到達するとそれ以降、世界は意識にとって、意識の世界として現れる。

観念論

 ヘーゲルはどこを見ても本当の意味で自分のことを観念論者とは言っていない。むしろかれの筆致からは、自分の先行者たちに対する敵意や批判が漂っていることが分かるだろう。それは特にフィヒテに向けられている。フィヒテにとっては、存在はそれを知覚する主体、さらには自我の翼に乗って行動しているかにさえ見える主体に依存している。

(略)

 反対に、ヘーゲルにとってはこの自我と、自我にとっての開かれた世界との関係は一気に理解されるような次元のものではない。描き出した端から消えてしまうような、しばしば無意識的であるような経路が問題なのだ。だから観念論に逆らって、思惟イコール存在というこの等式は、「途上にあることが明らかになる」、つまりプロセスも含めて想定しているものと理解しなければならない。このプロセスは真の意味での行程、ゆっくりとした弁証法的進展にしたがって進行。ヘーゲルはそれを通じて、主体精神が世界に浸透して次第に客体的になり巨大になっていく様式を構想するようになったのである。観念論の側は、仮定を立てるだけで満足している。というのも、自我と世界は、理論的モデルにしたがって理解された理性という唯一の源から同時に与えられる、という頑強な公理を前にしているからである。

(略)

自我と自我以外のものとの絶対的同一性を主張する観念論は――外的現実すべてに意識の形式を押しつけることになるこのプロセスがまったく見えていないため――「空虚な観念論」に留まる。疑似科学的な形式への抽象化!しかし、そうすることでこの抽象的哲学からは、文学的内容が失われてしまう。というのもこのとき、どうあっても歴史的かつ叙述的でなければならないという意味での「現象学」の概念を作り出した教義にしたがってヘーゲルがナレーターを務める、意識の物語の壮大さをことごとく摑み損ねてしまったからである。ヘーゲルはフィヒテではない。大学人でもない。まずは(ベルンで雇われの身となったその次は)日々のたずきのために日刊紙を主催するジャーナリストであって、長々と学校に居座っていたわけではないのである。かれは世界の諸々の出来事のなかに、時として重たすぎる諸々の事実のなかに、《精神》の歩みを輝き出させようとしたのであり、そしてその唱道につとめたのである。

挫折した反逆者の行方、「イデオロギーの死」

[反逆者のヒロイズムは]自分たちの最良の意図が実践的には惨憺たる失敗に終わることを目の当たりにする。(略)

そしてついには、戦いによって悪を糺しているつもりだったものが、くたびれた、むなしくも空疎な言説に取って代わられてしまう。(略)あんなにも崇拝された英雄たちもただ自分のためだけに、自分の特殊な利益関心のためだけに行動していただけで、それで自分の情熱に囚われて独裁者になってしまったのだ、と学ぶ。

(略)

翼の折れたかれらは次第にひきこもっていくようになる。世の流れのなかのもうどこにも理想的なものを見ようとしない、ありとあらゆる利害関心を失った賢明な隠遁者、というわけだ。ここには「イデオロギーの死」の一形態が見られる。つまり、理想が連想させるテロルよりは理想の不在を好む実践的な順応が見られる。死を招く理想よりは理想の死の方がましなのだ。

(略)

現実に作用しようとする行為とみれば見境無く引きずり下ろして、その反対のものにひっくり返してしまうのだ。どの世代にも見られる精神状態はこのようなものだ。政治闘争に疲れ切った結果、妥協と不信ばかりが募るのだ。かつての反逆者はあっという間に、しかも少々グロテスクなまでに、既存体制に反対する夢想家たちに道徳的な説教をするような人間に変わってしまう。

(略)

実践的、政治的領域にたいする行動や発言に対する不信をいつまでも引きずって、倫理的、つまりは宗教的な儀式のそれのように硬直した諸規則からなるもっとも過酷な法――絶対的秩序――に味方する、などということがあってよいものか? ここには違うかたちの圧政が覚醒しているのではないか? こうした袋小路を前に、ひとはまだ美徳を甘受していられるのだろうか? この困難に直面した美徳は当然、満足を求めてどこかよそに引きこもり、そのために、自分を世界の外に位置づける。(略)「美徳の騎士」が戦いのなかで抱いている「唯一の心配は自分のぴかぴかの剣を汚さないことである」

英雄が引き出す普遍

中立という道徳は罠にもなる。(略)われわれの生活や欲望に影響しない、中立で純粋な行為なるものは存在しえない。それがあるとしても、それは単なる幻影でしかない、現実と関わりを持とうとしないみすぼらしい傾向でしかないだろう。ヘーゲルもまたこう断言することになる。「普遍的《歴史》において、われわれは現れてくるがままの《理念》と関係する」。われわれの傾向にたいして中立的な「かくあるべき」《理念》ではなく、われわれの体質そのものに入り込んでくるような、つまり「人間の意志と自由という境位にある」《理念》である。意志の源泉は下劣と見なされた情熱に対して中立ではいられない。理念的なもの、という名の中立な青空に宙ぶらりんに保留されているものなどない。悪はわれわれの偉大さを構成する一要素である。悪が示すのは、忌むべきもののおぞましい名を冠した禁じられた領域、烙印を押された一帯である。

 もうすこし穏当な言い方をすれば、情熱とは無意識の手先で、《歴史》はそれを利用して動き出す。しかし、われわれの行動がただひたすら強欲だと仮定しても、それが実現可能な秩序とは両立しないというわけではない。「同時に何か隠された別のものがそこに生じてしまう。意識はそれに気づかない。その視界には入らないのだ」。まさにこの種の運動こそ、『精神現象学』がその犯罪計画を通じて引き起こそうとしているものである。その計画においては、意識は古い意識のなかに隠されていたもの、今現在のあり方のなかに含まれていて、そのマスクがはがれたときには《歴史》の新しい一章が開かれるような普遍的なものを発見することで、新たな形、新たな段階へ移行する。この理性の狡知のもとでは、普遍的なものは特殊という仮面を付けている。「直接的行動が同時にそれを行った人間の意志や意識の考え以上に広範な何かを含んでいることもあり得る」。

 たとえ最悪に利己的なものであっても、それぞれの身振りのなかには、自分の利害関心のためにそれを行った人間の個人的意図を超えた結果の連鎖が隠されている。「活動している者はつねに個人的である。行動しているときのわたしはわたし自身であり、自分自身の目標を達成しようと努めている。しかし、この目的は良い目的でもあれば普遍的な目的であるかもしれない。利害関心はまったく特殊なものかもしれないが、しかしだからといって《普遍》と対立するとは限らない。普遍は特殊によって実現されるはずだからである」。ここに見られるのは、非常に斬新な普遍性概念である。

(略)

行為者がおのれの特殊な行動がはらんでいる普遍的広がりを意識していなかったとしても、ことは変わらない。(略)それは弱さの隠れ蓑、つまりは目標に到達できない力能を偽装して正当化したに過ぎない美徳の産物ではない。ヘーゲルの偉人賛歌やナポレオン崇拝はこのような、ニーチェとも相当に近い関わりあいから理解せねばならないのだ。だからナポレオンに嫌疑のかかっている諸々の犯罪も大目に見てやらなければならないというわけである。

 偉人とは英雄である!偉人というのは、一つの時代がかれの意志やその非常に個人的な目標のなかに隠してしまったものを、おのれの力能によって無意識の世界から解放することができる、そんな人物像のことなのだ。英雄のまなざしのもとで、特殊な行動のなかに身を潜めていた普遍が、はっきり目に見えるものになる。その時代の創造的な価値をもっとも高度に表現するのがかれなのだ。

(略)

かれらは犯罪者のように嘲笑され、非難される。(略)

偉人は自分が否定することになる支配的価値観を前にして言い訳をしようとはしない。かれらはその異議申し立てのゆえに否応なく否定者、反対者、背信の輩にされてしまう。

(略)

偉人はその時代の声に耳を傾け、そしてそこからすべての可能性を引き出そうとする。道徳はそうした可能性を無に等しいものと見なそうとするが、偉人はおのれの力能と意志を足場に、創造という名の自己関係に持ち込むことでそれと戦う。かれは新世界の冒険者である。

(略)

おのれの強欲な利害関心を一枚めくってその下からこの真理を引き出したそのときは、かれこそがこの真理の名となるのである。繊細極まりない花はどす黒い土地に芽吹く。

作品

《精神》はその道に沿って世界へと足を踏み入れ、しかるのち芸術、宗教、あるいは政治の登場というかたちでおのれにたどり着き、おのれを再認するのである。われわれは、すでに分析した諸形象や諸構造をさらに高みへともたらす世界の精神的契機を把握していない。『精神現象学』はいまやその物語を再開し、それを一つの創世記、一つの《歴史》のなかで再始動させねばならない時に来ている。それは段階的な《歴史》であり、人類はそこから世界をつかみ取り、そこに超人的な痕跡や諸々の外化を残して去っていく。事ここに至っては、もはや思惟とは目の前に置かれたすべての作品を通じて、この外化のなかで一者を構成しているものに過ぎない。

(略)

作品がいかにそれを作り上げた人間の手を逃れてしまうか、どうやって作品の方が作者より長生きするのか、しかしそのために作品は作者を打ち棄てて、予見できない運命と流転のなかに疎外されてしまうのではないか、そういったことを最初に記したのはヘーゲルだった。

(略)

その価値を認められず、あるいは本来の意味を逸脱させようという意図に巻き込まれ、さらには「注いだばかりのミルクにたかるハエのようにやってきては我がことのように画策し」作品を裏切る解釈に取り込まれる、そうした扱いを受けて、作品はその作者を手放してしまう。

(略)

完成された行為は自律の道を歩む。作者はもはやそこには影響力をもっていない。

(略)

この作品の運命に対して、作品の意図を度外視してそれを偶然的な意図へと巻き込んでいく宿命に対して、そんなことはまったくない、「骰子一擲は偶然を廃棄せず」と主張してみるべきではないのだろうか?

(略)

これ以降問題になるのは、こうした作品を連鎖させ、諸時代のあいだを循環させ、比較させ、そしてマトリョーシカかタマネギの皮のように層をなす行程へと積み重ねていくことのできる一つの犯罪計画ということになろう。一つの円環の中の諸々の円環。それは時系列的なものではない。一つの回顧的な運動に含まれている。ヘーゲルはそのことを《絶対知》と形容することになるだろう。それこそ、かれの全《作品》となるに値する。「決して偶然を廃棄しない」骰子一擲。そしてここでは、個人はことを始めに戻して始める自由がある、ということが、一つの犯罪として感じられるはずである。

次回につづく。

こっくりこっくり 2015/01/12 18:07 こういう引用の仕方(縮合)はなんていうんでしょうね。面白い縮合ですね。滝村隆一さんが『国家論大綱2巻』でヘーゲルを書いていて、ぜひ縮合してみてください。読ませていただきます。

kingfishkingfish 2015/01/12 20:00 「こっくり」さん、コメントありがとうございます。
当地の図書館には何故か「第1巻」しかない、と思ったら
去年の12月に出たばかりなんですね
そのうち入るのだろうか。そうしたら読んでみます。
難しい文章は苦手なので理解できるかどうか……

2015-01-08 哲学の犯罪計画 ヘーゲル『精神現象学』を読む このエントリーを含むブックマーク

第一章がわかりやすくて面白いのでごっそり引用。


哲学の犯罪計画: ヘーゲル『精神現象学』を読む

(叢書・ウニベルシタス)

ジャン=クレ・マルタン 信友 建志

抽象への憎しみ

 『精神現象学』には、抽象への憎しみと、その抽象こそあらゆる思惟にとっての真の敵だと見なすほどの警戒心とが見られる。抽象とはまず分離であり、われわれの知性の「分析的」な使用である。それはいっさいを解体してものごとをほかとは別個に措定するものであり、そのやり方はしばしば手荒であまりに断定的だ。まるで裁断機でばっさりと切り落とした断面のようである。このように個別化されたものの生、私的空間と言ってもいいが、それはどの扉の後ろにもまた別の扉が開いているような感覚を、あるいは閉じた瓶ないし区切られた部屋や廊下のなかに現実が細切れにされたような感覚を残すことになる。「香料店に並ぶラベルで飾り立てられた封のされたたくさんの箱のように、そちらとこちらの違いがくっきり区切られた表」に似ているとも言える。抽象の一撃は、個人と社会、質料と精神、世の流れと、他の世界に向けられる信仰心とのあいだを分離させてしまう、そういうやっかいごとを引き起こすのだ。抽象は、悟性によるこの区分によってがっちり固定されたそれぞれの項目のあいだにスペースを作る。このスペースを超えて動くことは不可能である。それはすべてが孤立しているせいで横断することが困難な「悪無限」なのだ。抽象は見た目には体系という形式を採るかもしれない。つまり、整然と並ぶ引出の集合だ。それを構成するのはかっちりと縛られた構成要素であり、明確な諸命題である。スピノザが幾何学的なあざやかさで展開した方法のようなものである。スビノザがいかにそれらを美しく連ねて展開したとはいえ、人工的な構築物であることにかわりはないのだ!

 ここでは思惟はあまりに断片化されており、それゆえその歩みはたどたどしいものになる。スピノザはこの意味でヘーゲルの《他者》である。二人がともに同じただ一つの世界、彼岸なき、超越性なき世界について語ろうとしていたとしても、だ。統一性を考えるには、陰影線の一本一本を平行に描き込むように事物を一つまた一つと横並びに並べていくよりももっと良いやり方がある、ヘーゲルの目にはそう映ったのだ。そのようなやり方はヘーゲルが『現象学』の「力と悟性」の章で非難したカタログ式のやり方でしかないのだから。そしてこの新しい方法――その論理――が『現象学』の核心をなしている。その名は無限性。無限は先に述べた、陰影線で描かれたような有限とは逆に、一つのものを二つに切断分離し破砕するだけでは飽き足らない。無限が描き出すのは円環だ。そこでは、始まりが終わりに位置する。世界を一つの全体性に統一する緊張関係、無際限の力と言ってもいい。だが問題になるのはきわめて特殊な全体性ということになろう。それはつねにどこかで開かれている。どこもかしこも念入りに閉じられているということもなければ、完全に完結しているということもない。完結地点はつねにどこかずれてしまっていて、しばしば目に見えぬほどのわずかな違いが刻み込まれているのだ。ヘーゲルの創造した方法は、このように具体的であろうと欲する。それはつまり、ものごとを包括的に把握することであり、諸要素を固定した統一体に還元することなく「具体化」あるいは「癒合」させることである。

(略)

 抽象は早急な判断の産物である。(略)ヘーゲルはその主張を理解してもらうために(略)犯罪者と目された人間に対する新聞報道の性急な判断という例をあげている。(略)

ほかの誰より抽象的な判断を下しているのはいったい誰なのか? 自分の行動もまた同じ因果の網のなかに、つまり犯罪者を生み出す社会環境のなかに同列に組み込もうとする哲学者の方なのか、あるいは犯罪者を非難したいあまりに恐ろしいほど抽象的な短絡的思考に流される世論の方なのか?(略)

「ここに抽象的思考の一例がある。殺人者のなかにただ殺人者の抽象しか見ないのだ。そしてこのただ一つの特性を振りかざして、かれが人間として持っているそのほかすべての性格を消し去るのである」。こうした社会的制裁、判断の単純な抽象化、了解ないし共通理解のゆえに、キリストというこれまた高名な犯罪者が死んだのである。そのずっとのちになってから、ひとは十字架を尊敬すべきお守りとして位置づけ、あまりにも芳しからぬ事実を抽象化するわけだ。あのとき十字架はありふれた拷問用具であって、敬うべき対象、その栄誉を傷つけることなどあってはならない対象ではなかったはずなのだ。ひとは事態の性格、そのぞっとするような死をもたらす役割を忘れている。

 抽象が切り出すのは運動のなかのほんの微細な事実だが、しかしその運動こそがこれらの事実を基礎づけている。さて、それが切り出される、そうすると、諸々の断片化された意味が得られる。哲学はそれらの意味の系譜学に着手する義務がある。これこそ、『精神現象学』がカントの形式主義を、カントがおのれの判断力を委ねた抽象的な『批判』を乗り越えてもたらしたラディカルな方法なのである。犯罪者はおそらく、道徳より重要である。ヘーゲルは道徳の方こそ病理的な症状であると名指し、だからこそ非難すべきとつねに構えていた。カントが行ったように、道徳を自由の表現と認めてしまうのではなく、むしろ抽象的道徳を、善悪をあまりにお手軽に判断してしまう社会が押しつける短絡性のなかに位置づけた方がいい。こうした関係づけをみるかぎり、ヘーゲルはニーチェとそう隔たってはいないように思われる。

(略)

ヘーゲルは執拗に、《精神》を、出現してくるものとの観点から位置づけようとした

(略)

哲学はプラトン以来、見せかけとして出現するものに異をとなえることから出発している。というのもプラトンは道徳の影響のもと、感覚的なものは影や断片的なコピーだと片付けてしまうために執拗な努力を続けていたからだ。

(略)

われわれの身体はまさにそのために、魂の墓場のようなものと批判され、牡蠣の貝殻になぞらえられる羽目になる。(略)『国家』において、牡蠣は洞窟に置き換えられている。この洞窟は眼窩にも似ている。そこでは反映、つまり現実とはあべこべのイメージしか受容されない。とくに政治はそういうところを利用して生き延びているものだから、ますます巧みに無知につけ込むようになる。プラトンに言わせれば、このイメージの反転ないしシミュラークルを是正し、正義をよりどころにして眼窩という名の洞窟を抜け出し、かくして真理を再発見すべきだったのだ。

(略)

 ヘーゲルはおのれの研究を『精神現象学』と呼んだ。そのことでかれは、見せかけを幻影や小細工として投げ捨てるのではなく、むしろそれについて改めて考え直し、眼前にきらめき輝くものを違った目で再考するに至った。見せかけは人びとに道を踏み外させ、精神を目覚めないようにするものだとされている。しかしそういう意味での見せかけとはまったく違うものなのだ。それは出現するもの、つまりわれわれの前にそれ以外ではあり得ないようなかたちで姿を現すもののことなのである。

(略)

重要なのは、プラトンはとどのつまり反民主主義的な抽象の犠牲になったと示すことである。それは政治的には惨憺たるものだ。なぜならそのことでかれは現象を、コピーや画家による模倣そしてつまらないスローガンにだまされる大衆を沈静化させるための見世物のようなものだと考えてしまったからである。

(略)

ヘーゲル本人の言葉を関こう。「根本的には、見せかけとは何であろうか? それは本質とはどのような関係を持つのだろうか? あらゆる本質、あらゆる真理は、純粋な抽象に甘んじるのがいやならば見せかけとして出現する必要がある、ということは忘れないでおこう。……見せかけそのものは、非本質とはまったくちがう。見せかけは逆に本質の本質的契機を構成するのである」。

 現象、すなわち輝き出でて姿を現すもの、それは唯一アプローチが可能な現実なのであり、われわれはここから出発して、感覚的に世界を観想し受容しうる精神に向かって開かれている世界とはなんであるかを理解しなければならない。問題なのは見せかけを回避するために洞窟を出ることでもなく、都市や民衆から逃げ出すことでもない。むしろそこに入り込み、どうして意識はその知覚という、自分の内側で経験する事物そのものと分かちがたい状態にあるのかを理解することである。

(略)

この内部へと向けて、現象はおのれを差し出す。長い伝統を通じて想定され、そこに迫る努力もなされていたはずのこの表層的なものが、じつは既にもっとも深いところにあったというわけだ。幻影はおそらく、目に見えるものや見せかけが持つ特性によってできあがったわけではない。むしろ考え得るかぎりの生の唯一の指針として出会うことの方がはるかに多い。われわれのもつあまりに強すぎる真実への意志の結果生じた幻影というものもあれば、きわめて劇的で直線的な真理に特有の幻影というものもある。パラドクスか循環論のように思えるかもしれないが、しかしわれわれは執念深くそこを踏破して、もっとも創造的なその矛盾のなかでそれを理解せねばならないのだ。

円環

 『精神現象学』は観念の冒険である。よく知っている憤れ親しんだ思惟に対する、概念的な反逆の実験である。出発点とすべきは、ここで、いまと呼ばれているところからだ。

(略)

百科全書 En-cyclo-pedieという語では、教育(paideia)という語が円環cycleという語の後ろに付いている。意識の教育――その過程――は自分自身に立ち戻る円環に沿って進むのだ(接頭辞enから見てもそれが分かる)。つまり、百科全書の円環を追っていくことで、一つの過程が開かれていくはずなのだ。この過程に沿って進むことで、思惟はおのれ自身に足を踏み入れ、おのれ自身を掘り下げていくことになろう。だがそれはつねに、別の円環の中にあるこの円環を穿つように進むものとなる。

(略)

『現象学』は一つの巨大な集合――のちに『論理学』という着想でそこに触れることになる――として思い描かねばなるまい。その集合は連続的なものではなく、またそこでは同時に読み取るべきであった諸契機が重なり合っている。意識、自己意識、理性……。ここにはしたがって、一冊のかなり奇妙な書物が存在していることになる。この書物は互いにはめ込まれ、重なり合わされたたくさんの円環によって機能している。特殊なジャンルの小説だと言ってもいい。どのエピソードもそれで全体をなしているが、しかし別の視点のなかに包含されてもいれば、別の手がかりから読み取られるものでもあったりするのだ。

(略)

この円環は自分自身に帰ってくるが、しかしそのときは完全に変容している、ということだ。

(略)

意識はおのれの出発点に戻ることで自己意識となる。

(略)

「この運動は自己自身に回帰する円環であり、ここではその始まりは前提とされているが、そこにたどり着くのは最後の最後になってである」。最後の最後になって、事態は再始動する。なぜなら、始まりに改めて触れ直すことで人は事態をちがったように読むようになり、こうして書物を無限なものに変える補足的な旋回運動へと引きずり込まれていくからだ。

概念

 ヘーゲルにとっては、概念conceptはたんなる認識形成notionではない。それは概念形成conceptionを、つまり、世界のさまざまな要素を有機的な、循環形式の全体性のなかに結び合わせることができる方法を指している。この意味で、それは直線的なものでもなければ、現実を諸対象の分類へと切り分ける単なるカテゴリーでもない。

(略)

それが目指すのは、ただ大きな特徴しか記憶しない図式の項目のなかに諸々の差異を振り分ける、ということではない。そういったものは、たとえば抽象的に考えられた一群のスプーンやフォーク、などといったように、明確に判別された諸要素の集合というおもむきを呈することだろう。それがわれわれに見せてくれるのは、ただの身じろぎひとつしない骸骨に他ならず、そうしてすべての差異が削除された一つの存在が説明されるだけのことになるはずだ。

 ニーチェとベルクソンがこの公式を再発見することになるだろう。かれらはおのおのが自分の分野において、概念とはほとんどの場合は現実を操作しようという意志、生を固定化するための道具としての分類方法を生み出す意志に過ぎないのだと、はっきり口にするからだ。ここでいう生とは、本質を絡め取るにはあまりに目の粗すぎる網をつねにかいくぐる存在の具体的な運動であり、交換の無限の豊かさであって、それがたとえば水の一滴に至るまでの特徴となっているのだ。ヘーゲルは抽象的カテゴリーに事物を分類するわれわれの悟性がもたらしてしまう固定性と概念とを引き離しておくよう、つねに細心の注意を払っていた。概念は、単なる対象の分類と一緒にされてしまってはなんの得にもならないのだ。

(略)

ヘーゲルがいう概念は内在的な力によって作裂する。その力は、たとえば『精神現象学』執筆と同時期に作曲されたベートーヴェンの一連の交響曲に張り詰める波のようなうねりに比較しうるものだ。概念は生を表現する。そしてその生から実体を受け継ぐ。いってみれば音楽的なかたちで概念は生のなかに浸透しているのだ。知的な記述の操作ないし機能だけに止まらない。現実の運動に関係しているのだ。概念とは単なる「主体的論理」、あるいはカントのような表象の分析論に甘んじるものではなく、「客体的論理」のリズムをも明らかにするものでなくてはならない。事物そのもののなかでこそ運動が接合されるのであり、思惟はその継ぎ目を追っていかねばならないのである。

(略)

ヘーゲルが関心を持ったのはむしろ、同じ一つの芽のもとに留まって、そのなかに諸々の、時に非常に暴力的な差異があると記すことだった。

(略)

ヘーゲルお気に入りのモデル――概念の生成過程――は文学面に多くを負っている。それらは分析的ないし解説的なものというより、包括的なものである。比較とは違った手段でその暴力を理解し解釈することを可能にする分節化は、事物そのもののなかに登場する。1870年頃、ディルタイは自然科学と精神科学を区別することになるが、その手法においてはこの規定が再評価されて用いられることになる。

(略)

まずはニーチェが、ついでフロイトが、説明という出来合いの観念と対立するものとしての解釈という概念を拡張したのである。

(略)

 ヘーゲル以降、概念は事物を外的に観念化したものではもはやなくなった。それが指し示すのは、事物の持つ創造と破壊の力、その内的な生である。ここから先、花の持つ力は、花の生体としての運動とその解釈とを合わせて一者を作り出すのみである! 『精神現象学』は決然と、われわれを精神と物質、魂と身体の二元論から救い出す。というのも、魂はもはや身体の見取り図でしかないからである。あるいは身体の成長、開花についての歴史記述と言ってもいい。あるいは、それはきわめて驚くべきもの、逸脱的なものへの生成の歴史記述であるかもしれない。

(略)

見たこともないような芽が出るようなものだ。そのときこそ、なにか飛躍があったのかもしれない、切開が入ったのかもしれない、脱線が起きたのかもしれない、つまり否定がなされたのでは、と認識すべきなのである。円環の無限性を断ち切るまた別の円環、といった要領で、全体は全体から発するのである。

否定性

いつだって、無限の運動がメスの一撃で有限なものを切り開いてしまう。そこから奔流を招き入れつつ、亀裂と傷跡とを残すのだ。

(略)

どんな有機体であれ、無限なものは欲求や欲望という名の下にその有機体のなかに充満し、ついにはその囲みを破裂させ、その閉じた枠を揺るがせるに至る。生成とは有限なもののなかにこだまするこの無限への呼びかけ以外のなにものでもない。(略)われわれの内側でわれわれを扇動する空虚ないしは飢えに似ているからだ。あるいは、存在を満たす虚無と言ってもいい。こうすることで、この無は持続的にそこにおのれを刻むのである。

(略)

 ヘーゲルの見るところ、否定的なものとはただの無限に過ぎない。だがそこでいう無限は、一つの体系がおのれに閉じたものになることを絶えず妨げ、それを開くものである。なぜなら、それは体系の境界内に収まってはいられないものだからだ。否定的なものは有限なもののなかに偶発的で空虚な要素、ランダムな定員外の要素を招き入れる。だがそれらは有限なものの組成を変え、一つの生成を実現することができるのだ。運動と生成は外部への呼びかけである。

(略)

有限な事物がもたらす安定性や休息と思われるものは、まなざしによる抽象化に過ぎない。こうしたまなざしは、見かけは動くことのない植物のなかに運動があることを見て取ることさえできないのだ。しかしその植物は、たとえそのことが目には見えなかったとしても、それでも確かに開花する。

(略)

否定的なものは、すべてをまどろみのなかから引きずり出し、安らぎをうち捨てさせる生の痛みと暴力とを剥き出しにする。

次回につづく。

2015-01-06 ヘーゲル変奏 フレドリック・ジェイムソン このエントリーを含むブックマーク

よくわからぬまま、第9章だけ読んで、メモ代わりに引用。


ヘーゲル変奏 『精神の現象学』をめぐる11章

フレドリック・ジェイムソン 長原豊

第8章の終わりから

ヘーゲルは次のように書いています――「自分を言い表わす自我は聞きとられている。この自我はひとつの伝染であり点火であって、これにおいて自我は自分がそれに対して「そこ」にある人々との統一のうちへと移行してしまっており[、普遍的な自己意識である]」と。

(略)

言語はいまやハーバーマスの「公共圏」にも似た何ものかとなっているのです。そして


この故に純粋透見の伝達は抵抗のない雰囲気のうちにおいて芳香が静かに拡がり普及することになぞらえられるべきものである。しかも伝達は滲透する徹底的な伝染でありながら、侵入して行く場面が抵抗しないために、この場面とは正反対のものであることを前以て気づかせないようなものであり、したがってこの伝染は防ぎようのないものである。伝染がすでに拡がってしまったときになって初めて、それまでこれに心配もせずに身を委ねていたところの意識に対して伝染があるようになり、伝染は感づかれるのである。


あるいは私たちは、「気配だけの観念」がより広い公衆とより下層の階級へ気づかれることなく伝播してゆくものとして、この公共圈の拡大を考えることも許されるでしょう。何れにせよ、<啓蒙>の勝利とその革命は、社会的で生産的な多数性の「多」に対して内容なき「一」が抵抗できないことによって、護持されているのです。

第9章 革命と「歴史の終焉」

フランス革命を論じた部分は『精神の現象学』にあってももっとも高い称讃を受けている部分です。この部分はルソーの《一般意志》の絶対的否定性を理論化している部分でもあるわけですが、

(略)

ヘーゲルは「『普遍的自由』の為しうる唯一の『仕事』と『事業』とは死ということであり、[しかも何らの内包をも中身をももつことのないひとつの死である。なぜなら、否定されるものはと言えば、絶対に自由な自己という中身をもたぬ点だからである。したがってこの死のありようは]極めて冷酷、極めて平板であって、キャベツの玉を切りさくとか水をひと飲みするとかいう以上には何らの意味をももたぬものである」と、バッサリ書き伐っています。

ヘーゲルのテクストにおける字句に素直に順えば、集合的なことの失敗、〈一般意志〉とそれによる革命の失敗は、カント以降、今日では私的道徳性という視点から再組織化されている個人的なこととその主体性の復古にも似た何ごとかをもたらしたのです。

(略)

政治的側面から言えば、カント的倫理は市民の新たな自律的主体性を構想すると看做されており(政治的には、アメリカ革命この方、時代の大きな目論見に照応しているとされてきた、成文憲法の枠組みなの)です。

 ですが、〈復古〉はヘーゲルが予測したようには顕れませんでした。私たちは、この革命後の主体の失敗をまさに革命的主体の失敗にほかならないものとして措定することになるでしょう。〈一般意志〉も範疇的命法も、もしそれが達成されていれば歴史の終焉そのもの(あるいは、マルクスの定式に拠れば、前史の終焉!)という結果をもたらしたに違いないであろう個体的−主体的なものと普遍的−集合的なものとの和解には、達しなかったのです。

カント後におけるドイツの観念論的哲学の伝統によってもたらされた市民性と服属という問題に対する解決策が、一見するに外的な諸法(憲法をも含んだ)を私自身によってもたらされた何ごとかであり、またしたがって私が合理的な選択あるいは自由に較べてより烈しい一体化に縛られている何ごとかとして認めることに関わっているからです。私自身が法を作り、したがってこの法は自分にとっては疎遠なものではなく、私自身に帰属しているものであって、またしたがって私がこの法に遵わないことなどはありえない。これが、社会に関わるいかなる契約理論とも異なる、法的権威の権利請求についての理論であることは、疑いを容れません。この考え方はまた、私たちが、近代における個人主義的倫理についてのヘーゲルの説明では意識と罪といったドストエフスキー的弁証法が作用していることを非常なる驚きをもって発見し、またこの弁証法ではこうした考え方が、罪の告白がヘーゲル的主体が客体とのその深い類縁性あるいはむしろ一体性によって発見した馴染み深い出来事であることもいまや判明しているという意味で、機能していることは明白です。ここでは言葉でさえ、社会秩序との私の和解である限りで、また私が社会秩序と共犯関係にあることを私が発見しそれを受諾する限りで、[私が応接せねばならない]場から自由な透明性ではありません。

 ところで、法的服従についてのこの特殊な考え方がそれ自身の裡に無慈悲な側面をもっていることも、また確かでしょう。というのも、例えば犯罪について言えば、いまやそれが、外与された秩序に対する叛乱としてではなく、それ自身に反して分割され、またその私的あるいは主観的な欲望や行為についてのそれ自身の幻想とそれ自身が違反した法に実際にも無意識に具体化されているもう一つの自己との狭間に引き裂かれた、一箇の不幸な意識と理解されている以上、この考え方がたんなる罪の告白だけでなく、懲罰への同意をも要求していると思われるからです。そうした立場が投げ掛ける怪物めいた蔭は、クライストの『ミヒャエル・コールハース』や、以下のカントの酷薄な見解にも見られます。


たとえ市民社会がその全成員の合意によって解体することになろうとも(たとえば島に住んでいる人民が、別れて世界中に散らばろうと決める)、そのまえに、監獄に繋がれた最後の殺人犯が死刑に処されなければならない。(略)なぜなら、処刑しなければ、正義に対するこのような公的な侵害の共犯者と見なされるからである。


 このほとんど非人間的な厳格さを批判するために、ヘーゲルは赦免と贖罪を喚起します。

(略)

この表見的にはみずからとは疎遠に見える〈法〉の制度は、いかなる個人による有責性の自白にも、また社会以前の行為と罪に対する純粋に個人的な良心の呵責あるいは悔悟の表明にも遥かに先立って、彼自身の作になる制度であるという枠組みです。とすればこれは、承認についての一箇のまったく新たな意味、ということになります。これは、得体の知れない他者を、私自身に似た一箇の人間として、あるいは私が私自身において知っている自由と同じ自由を担う者として、承認すること、この世界と制度を自分自身の構築に為るものとして、自分自身の行為の、ただ一時的にのみ疎外−外化された、化体として承認することだからです。

 というのも、かつては純粋に反社会的あるいは社会病理的な行為と映ったもの(略)が、倫理が徐々にブルジョワ的な法制度や告白制度に這入り込んでゆくにつれて、自分自身が社会的なものの構築と生産に最初に関与したことにまつわる責任を認めることを、いまや隠蔽するに到っているからです

(略)

社会的なことと政治的なことの引受直しという地平の彼方に存在するのは、人間の時代そのもの――完全に人間的であると同時に、人間的に生産されている世界――であり、それは疎外および権力と支配の外与された形式の終焉なのです。

 事実ヘーゲルは、革命後の主体が対峙する対象世界を非常に驚くべき方法で、また予想だにしえなかった方法で、喚起しています。それは功利主義の世界です

(略)

ヘーゲルが理論化したこの「交替(代謝)Wechsel」とは、実際、商品形態の下での生産と商品との交換(代謝)、この過程のさらにより明示的な反復によって強められる一箇の組み合わせそのものを予示するものなのです。


(略)すべては自体的に(絶対的に、自分のために)あると同時にひとつの他者に対して(相対的に、他者のために)もある、言いかえると、すべては有用なのである。(略)人間は無媒介に直接にあるがままに、即ち自然的な意識でありながら自体的にあり善であり、個別者でありながら絶対的にあり、他者は彼のためにあり、しかも「彼のために」というときの彼は自分を意識している動物であるので、[絶対と相対という]両契機は人間に対してはいずれも普遍態であるという意義を具えているから、すべては人間の満足と快楽とのためにあることになり、そこで人間は創造の神の手から離れてこの世に来たったときと同じく、あたかも自分のために植えつけのなされた園でもあるかのように、世界のうちをあちこちと逍遥し闊歩する。(略)


 人間化というこの過程の肯定的次元は、その裏面にあるもう一つの契機を強調するためにも、強調するに値します。それは、この契機によって、この世界に棲まう人びとが、確実に、対象化と道具化に曝され、目的というよりもむしろ手段として扱われやすい存在のままに放置されることです。この否定的な可能性が、カント的倫理のまさに源泉を構成し、まさにヘーゲルを含むドイツの哲学者による功利主義と商業主義のまさに祖国である「商店主の国」英国に対する、一般的な嫌悪を表現していました。

(略)

 他方、ヘーゲルのいわゆる有用性はハイデガーの〈世界−内−存在〉の先駆けでもありました。彼の有用性がハイデガーの意味での「プラグマティズム」と呼ばれてきたものへ翻訳可能であることもまた、言うまでもありません。

(略)

カント後の倫理に対するヘーゲルの問題提起が孕む独自性は、その強調点を法と国家への服従からこれら集合的な諸制度のまさに生産へと変更したことに、潜んでいます。個人的所有物というよりもむしろ集合的所有物についてのこの感情、狭義の私的所有というよりもむしろ集合的所有についてのこの感情は、活動をめぐるヘーゲルの哲学では、革命後における(ユートピア)社会との同一化にほかならないという私の考え方の源泉なのです。

(略)

 かつての僕婢――いまやそれは倫理的な市民となっているわけですが――が主体とはみずからを理解することであるような外(面)化された対象へ理念的に再生するのは、まさにこの種の同一化に因っているのです。これはまた、法が市民による法の生産によって承認されるという観念に潜む、奥深い真理なのです。革命的状態は、それ自体が、構築と達成であり、そうしたことを担う市民の生産であって、革命的状態が市民に属し、その法の遵守がみずから自身への服従に等しくなるのは、かかる道徳的意味においてなのです。他方で、政治への無関心はこうした状態のほぼ文字通りの疎外を表現しているのであって、それは依然として他者に属し、私には無関係であるという状態なのです。

 こうして、消費社会という人間化された世界を主体みずからがもっとも完全に対象化されながらも完全なる主体として発見することができるような外(面)化と措定することは、決して歪曲とは言えません。矛盾がその頭を擡げ始めるのは、この文化的次元を晩期資本主義の法的かつ政治的なレヴェルと横並びで設えるときです。というのも、カントのいわゆる倫理的市民が、理論に順って、自己を同定することをその当為とするのは、こうしたレヴェルを与えられたときだからです。また市民が、こうしたレヴェルで、みずから自身の主体性と自分自身の生産の痕跡を承認することをその当為とするからです。しかし、それがまさに今日では得難い当のものなのです。非常に多くの人びとが、自分たちの世界を構成している客観的諸制度に直面して無力さを感じていますし、また人びとはそうした法的かつ政治的な世界を自分自身の行いと自分自身の生産と看做すことから程遠い状態に措かれてもいます。生産についての歴史的事実そのもの――すなわち、ヴィーコが指摘したように、人びとが人間世界をみずから生産したという事実――にもかかわらず、私たちは文字通りの普遍的疎外を目の当たりにしています。

(略)

「人間は、宗教では自分の頭が作り出した物に支配されるが、それと同じように資本主義的生産では自分の手が作り出した物に支配される」(『資本論』)というわけです。

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2015-01-03 イデオロギーとユートピア・その3 このエントリーを含むブックマーク

前年からのつづき。

なんと今年も、というか今年が吉田羊年なのねw


イデオロギーとユートピア

作者: ポール・リクール ジョージ・H・テイラー 川崎惣一

出版社: 新曜社 発売日: 2011/05/31

第十六回 マンハイム

イデオロギーとユートピアの異なる特徴とは、ユートピアが「状況を超越している」のに対してイデオロギーはそうではない、ということである。(略)

ユートピアの超越的性格のもう一つの側面は、ユートピアが根本的に実現可能なものだということである。これは重要な点である。なぜなら、ユートピアは夢想にすぎないという偏見にぶつかるからである。マンハイムのいうところによれば、そうではなく、ユートピアは所与の秩序を破壊するのだ。秩序を破壊し始めるときにのみ、ユートピアなのである。一つのユートピアは、こうしてつねに実現への過程にある。対照的に、イデオロギーは、現にそうであるものの正統化なのだから、実現に関する問題を持たない。イデオロギーと現実との間に不一致があるのは、現実が変化するのに対して、イデオロギーはある惰性にしたがっているからである。イデオロギーの惰性が食違いを生み出すのだ。イデオロギーとユートピアの異なる特徴は、二つのやり方で明らかにされている。第一に、イデオロギーは主として支配集団と関わりがあり、支配集団の集団的自我を慰め力づけるのだ。これに対してユートピアは、さらに自然なこととして、上昇集団によって、したがってたいていは社会の下層によって支えられている。第二に、イデオロギーは過去の方を向いており、無用になると捨てられるのに対して、ユートピアは未来へ向かう要素を持っているのである。

マンハイムが名前をあげた最初のユートピアは、トマス・モアのユートピアではない。マンハイムはトマス・ミュンツァーと再洗礼派から始めている(略)。

その理由はまず、ミュンツァーの再洗礼派が、観念と現実との隔たりの大きさ――不一致の基準のもっとも強力な例――を描き出していると同時に、ユートピアの夢が実現の過程にあるような原型的事例を代表しているからである。マンハイムの考えでは、何かが既成の秩序を破壊し始めているという事実だけでは、ユートピアの定義として十分ではない。ミュンツァーの運動は至福千年的、すなわち千年王国という観念を持っている。超越的要素が、天国の地上への降下として姿を現わしているのだ。至福千年説は、宗教的な動機に基づく社会革命のための超越的な出発点を想定している。超越的なものの降下によって、ユートピア的観念と現実との間にある隔たりが乗り越えられるのである。この至福千年的なユートピアが、宗教は必然的にイデオロギーの側にしかないというマルクスの主張に対する、一つの制限となっていることに注意しよう。マルクスの主張に対するこうした根本的な例外は、おそらく、あらゆるユートピアのためのモデルを提供してくれる。というのも、あらゆるユートピアは、観念と現実との間にもともとあった隔たりの縮減を表現しているからである。

マンハイムが取り上げる三番目のユートピアは、保守主義である。一見すると、これをユートピア的と呼ぶのは非常に奇妙なことのように思われる。保守主義は対抗ユートピア以上のものであるが、他者たちの攻撃のもとで自らを正統化するよう強いられる対抗ユートピアとして、それはある種のユートピアとなる。保守主義は事実のあとにその「理念」を発見する。それは、一日の終わりに初めて飛び立つ、ヘーゲルのミネルヴァのふくろうのようなものだ。ユートピアとして、保守主義は民族精神、人民の精神のような何か根本的なシンボルを発展させる。その像は形態学的である。一つの共同体、民族、国民あるいは国家の人民は、一つの有機体のようなものであり、一つの全体をつくり上げる諸部分である、成長を急いではならず、人々は忍耐強くなければならない。ものごとが変化するには時間がかかるのだ。植物の成長のような歴史的規定性には意味があり、観念と対置される。観念は単に浮かんでいるだけだからだ。明白なのは、精神の反抽象的な転回である。保守主義の時間感覚についていえば、優先されるのは過去である。ただしそれは、廃棄された過去ではなく、現在に根を与えることで現在を養っているような過去である。伝統という概念がある。何かが受け継がれていまでも生きているという主張で、こうした過去の隠れた流出物を欠いた現在は空虚である、と主張する。最初のユートピアの瞬間[カイロス]と二番目のユートピアの進歩に対して、持続という意味が主張されている。 

第十七回 サン=シモン

「ユートピア的社会主義」という表現は、1880年に『空想より科学へ』という題名で出版された小冊子のなかでエンゲルスが用いているものである。(略)エンゲルスは、これらの社会主義者のユートピアがフランス啓蒙主義の派生物であることを非常に正確に見て取っていた。したがって、われわれの最初の問いは、啓蒙主義はいかにしてユートピアを生み出したか、というものである。啓蒙主義からユートピアが生まれることは、マンハイムの類型論ともうまく一致する。というのも、思い出してみれば、ユートピアの第二の類型は合理主義的ユートピアだったからである。啓蒙主義においては、理性のみが、政治および聖職者の支配に対する徹底的な抵抗の担い手である。支配権力に対するこうした抵抗が歴史的な成果を持たないとき、理性はユートピア的となる。実際、歴史的な状況はこうしたものであった。というのも、これらのユートピアのほとんどはフランス革命の失敗のあと、つまり、それがブルジョワ革命となり、けっして市民革命とはならなかったときに現われたからである。

フランシス・ベーコンのユートピア[小説『ニュー・アトランティス』]は、本質的に、啓蒙された国家の資源と科学者の力との結合であり、啓蒙された国家と個々の才能との連合体であった。そのアイデアは、政治的民主主義を科学的民主主義によって置き換える、というものであった。すなわち、カリスマ的要素は科学者に属し、国家はこうした科学者の集団を支える官僚組織となるであろう、というのである。

 しかしながら、科学者たちは自分自身のための権力を持たない。これは重要な点である。彼らは、ある種の連鎖反応によって創造性を解放するための力を持っている。ベーコンからサン=シモンに至るまでこうした考えが強調されているのを見ると、一見矛盾しているように見えるマンハイムの主張、すなわち、ユートピアは夢であるだけではなく実現されることを望む夢である、という主張が確信される。ユートピアは現実へと方向づけられており、さらに現実を痛めつけるのである。

(略)

さらにこのユートピアは、学識ある人たちに権力を与えるという事実にもかかわらず、反エリート主義的である。科学者たちは自分たちの快適さのために権力を行使するのではないのである。

 ベーコンとサン=シモンとの大きな違いは、ベーコンが物理的科学――よき知識による地上の支配、したがってまた自然科学から生じるある種の産業主義的イデオロギー――を力説しているのに対して、サン=シモンは社会科学を強調していることである。

(略)

サン=シモンが第二段階へ進むのは、まさしく、科学的ユートピアが自滅的なものとなるのを防ぐためである。彼は科学者と勤勉な者との同盟を提唱する。ユートピアのための実践的な土台は、「実業家たち」によってもたらされる。サン=シモンはこうした主張をフランスにおける産業化の始まりの時期に展開させた、と言うことができるだろう。フランスの産業化はイギリスに比べて遅れていた。

彼は、鉄道の発展と運河の建設に熱をあげていた。マドリードから大西洋を結ぶ運河をつくるという企てに関わってさえいたのだ。サン=シモンはまた、アメリカからも強い印象を受けていた。彼はかつてアメリカで、ワシントンとラファイエットの下で兵士だったことがある。彼は合衆国を、産業社会の一つの原型と見なしていた。それは、労働者と生産者たちの国であった。サン=シモンの弟子たちは、スエズ運河の建設に影響を及ぼした。時代の全体が交通つまり物理的コミュニケーションに特別な関心を持っていたのである。外敵から大洋によって守られている島のイメージは、ルネサンスのユートピアにとって重要であったが、サン=シモンの時代には地球全体がユートピアのための場所であった。

(略)

サン=シモンの観点では、ユートピアは教会の封建主義を産業の力へと置き換える。サン=シモンには、ある意味でマルクスに似た、宗教の否認が見いだされる。共通しているのは、宗教は一種の余剰だという考えである。

(略)

サン=シモンは言う、「これらの仮定は、社会が逆立ちした世界であることを明らかにする」。驚くのは、サン=シモンがマルクスと同じように、上下の向きを正しくした反社会というアイデアを持っていたことである。そのイメージは共通していたように思われる。エンゲルスは、こうした転倒あるいは倒置が、すでにヘーゲルによって実際に用いられていたことを指摘している。ヘーゲルは、理性が世界を支配するとき――そして、ヘーゲルにとってこれが哲学の課題である――世界は適切に、その頭で立つのだ、と。

ユートピア的概念は、たとえば中産階級に支配された未来の社会を待望する。サン=シモンは、産業資本家たちの利害ともっとも貧しい者からの欲求との間になんの矛盾も見て取っていない。それどころか、これらの結合のみが社会を改良し、革命を不必要にするだろう、と彼は考えているのである。

これが、サン=シモンの思想の一つの重要な構成要素である。彼は、革命は悪い政府のせいで生じると信じている。革命は政府の愚かさに対する罰なのだから、もし産業と科学の進歩を主導する者たちが権力をもつならば革命は不要になるだろう、というわけである。サン=シモンは、革命に対する強い嫌悪感をもっている。覚書のなかにも、破壊に対する嫌悪について書いている。

(略)

アイデアは科学者たちとともに生じ、銀行家たち――サン=シモンは彼らを広く産業資本家と見なしている――はお金を循環させることでアイデアを循環させる。普遍的な循環のユートピアがあるのだ。産業は、アイデアを通して改良されるべきものである。ユートピアはつねに普遍的階級を求めている。ヘーゲルは、官僚が普遍的階級となるだろうと考えていたのに対して、サン=シモンは、科学者と産業資本家との結合を考えていた。

 サン=シモンのユートピアの企ての第二段階が興味深いのは、それが新しいキリスト教によって表現されているからである。(略)

人々は、救済の実施を必要としている。そしてこれは、産業資本家と科学者の仕事なのである。

(略)

キリスト教は、教義的集団としては死んでいるが、一般的情熱として復興されなければならない。サン=シモンは、想像力を備えた人々によって生み出された世界教会的な情熱について語りさえしている。


私は、新しい体制の基礎として役に立つに違いない諸原理の発展を普及させることをその目的とするような、自由な社会をつくり上げたい。創設者は芸術家であろう。彼らは自らの才能を、人類の運命の改良のために全般的社会の情熱を高揚させるよう用いることだろう。

(略)

「キリスト教の真の教義、すなわち、聖なる道徳の根本原理から演繹することのできるもっとも一般的な教義がつくり上げられることだろう。そうすればただちに、さまざまな宗教的見解の間にある違いは消えてなくなるだろう」

私の分析によれば、イデオロギーが権威への信仰の欠如に付け加えられる剰余価値であるとすれば、ユートピアはこの剰余価値の正体を明らかにするものである。あらゆるユートピアは、最終的に、権威の問題に取り組むようになる。ユートピアは、人々が国家以外のものによって支配される仕方を示そうとする。

(略)

人間の主要な関係を脱制度化することが、最終的に、あらゆるユートピアの核だと私は考える。