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2016-08-31 Cut 1990年11月号ジョージ・クリントン、猥褻裁判 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。

Cut 1990年11月 Vol.6

2 LIVE CREW 2 ライブ・クルー

歌詞の卑猥さで逮捕されたラッパーたちを巡る表現の自由論争。

SPIKE LEE & JIM JARMUSCH スパイク・リー & ジム・ジャームッシュ

アメリカ映画界の若き巨匠が語る、我がインディーズ・スピリット。

黒澤 明

『夢』の全米公開を前に、米ジャーナリストに日本、そして日本映画への苦言を語る。

ジョージ・クリントン・インタビュー

――表現にとってはドラッグはどうしても必要なものなんだという意見がありますが、それについてどう思いますか。

「っていうか、あらかじめそういうことを考えてやろうとは思わないな。例えば60年代のことを振り返ると確かに、LSD系のものは俺にいい効果をもたらしてたけどね(笑)。でもそれをあらかじめ考慮に入れて薬を使って表現をしようとは思わないね(笑)。今になって振り返ってみれば、ああいうこともあってよかったとは思うけど、でも、自分としては実は自分が薬の影響下で作品を作っていたんだということを認めるだけでも随分と時間がかかったからね。あれは自分自身を騙くらかしてる時期だったと思い込んできたからさ。つまり、俺はニュー・ジャージーの出身で、知ってる連中なんかは皆ヘロインにうつつを抜かしてて、俺はあんなもんに絶対手を出すもんかって思ってたような人間なんだよ。あんなもん、レクリエーションとしてやるもんじゃないしさ(略)

今は、薬を奨励してドラッグ・グルーになるつもりなんかさらさらないんだ。そりゃあ、あの頃、薬で自分の頭の中のねじを緩めて楽しんでいたことは確かだけど、でも、あれが商売になった時に俺はすごく怖くなったんだよ。だから、薬を使っていろんなものが作り出されたことはわかってたとしても、わざわざ薬を使って作品を作ってみるつもりはないんだな。で、俺達を今取り囲んでいる薬はだな、60年代の頃のヘロインと同じでね……つまり、お門違いな連中ばかりが使ってるんだよ(笑)。だから、ニュー・ヨークがアシッド・ハウス・ミュージックなんてものにうつつを抜かし始めた時には結構、ビビッたもんだった。故意に薬を使って表現なんかできっこないんだよ。一回くらいできたとしても、それを計画的にやろうなんてことは絶対に無理だ。若いもんがイカれたついでに偶然、すごいもんができるってことならありうるし、そういうことなら信用してやってもいいけどな。とにかく、最近のものは何にしてもとかく金に走りがちだからな。特に薬に関する現象はなあ、ビビッちまうぜ」

――ファンクという言葉は様々な人に様々な意味合いを持たせうるものだと思いますが、あなた自身は90年にはどういう意味合いをこの言葉に持たせたいですか。

「(略)まあとにかく、ファンクっていうものは人に安堵をもたらすために、どんな意味合いをも持ちうるんだ。俺がそこにポジティブなものを見出したら、俺にはそれはそういうものになるんだよ。だから、俺にとってファンクとはそれこそ自殺を試みるのと同じことなんだ。首をくくる前に自分に語りかける最後のジョークのようなもの、それがファンクさ。『ちぇっ、誰も聴いてくれるはずもないジョークを何で今、言わなきゃなんないんだ?』っていうそういうものなんだな。また俺としては最もシンプルな形でプラクティカルな形にしておいた方が扱いやすいものなんだ。解釈をああだこうだと色々と付け加えて、こうしなきゃああしなきゃって考えるよりはね。そんなことはせずに、手を加えずに、それで自分の本能を信用してグルーヴに身を任せるっていうそういうことだな。また、過剰な理想も抱かずにね。ただただ自分も他人も傷つけたくないっていうそれこそが非常にシンプルでファンキーな信条だと思うし、それに実際に効用もあると思うよ。だから俺にとってファンクとは、正しく生きる、完璧になりたい、そうしたことから受けるプレッシャーを和らげるのに必要なもの全てを指すんだ。正しさとか、完璧さなんてものはさ、ファンクをやめた時にこそ近づくものなんだ(笑)。でも、怠けろってことじゃなくてね、勿論、ベストは尽くさなきゃ駄目さ。それさえ出来れば、はたと、何だこれで良かったんだって気がつくもんだよ。というわけで、俺にとってファンクとは究極の現状肯定なんだ。自分の在り方、それが全てなんだ。俺のisの状態がね」


ファンクはつらいよ ジョージ・クリントン自伝 バーバーショップからマザーシップまで旅した男の回顧録

作者: ジョージ・クリントン, 丸屋九兵衛(解説), 押野素子

メーカー/出版社: DU BOOKS

発売日: 2016/07/15

|本| Amazon.co.jp

フロリダ州の連邦判事が2ライブ・クルーのアルバムをワイセツ物と裁定。レコード店主がそのアルバムを売ったかどで逮捕、メンバーもコンサートでアルバム収録曲を演奏して逮捕。

「歴史上初めてレコード・アルバムに猥褻の烙印を押し」「言論だけを理由にパフォーマーに対して猥褻罪が適用された、ここ数年来で初めてのケースとなった」

『ローリング・ストーン』に掲載された有名人の忌憚ない意見

フランク・ザッパ

 ゴンザレス判事の裁定は、このアルバムが人々に淫らな考えを抱かせるから猥褻であるとしている点に問題がある。そういう裁定を記したとなると、書状の形で、将来的に思想統制にもつながる一連の法律の基盤を作ったことにもなる。アルバムが不埒な考えを抱かせると言うのであれば、グリーティング・カードはどうなるのだ?ひとたびアメリカ合衆国国民の思想、精神、心情をチェックする何らかの機構の設立を許してしまったなら、もう2度と再びわれわれを放っておいてはくれないだろう。

アクセル・ローズ

 マッカーシズムなんて2度とありえないと言ってたのに、またぞろ始まった。そして事態が別の方向に向かったとしても、きっと揺り返しがある。(略)

俺たちステージに出る前に2ライブ・クルーをかけたんだ。可笑しいからさ。それにただのセックスじゃないか。つまり、どうやらこいつは悪い男じゃなさそうだってことさ。な?ただ、セックスが好きでたまらないだけ。けどあいつらはそんな男の存在すら我慢ならない。人のセックスに関する意見や価値観まで検閲しようとしている。たった一つだけ俺たちにできるのは、易々と勝たせるんじゃなく、反対の立場を明らかにすることだ。

トム・シルヴァーマン(トミー・ボーイ・レコード社長)

 ガキの頃、回りの仲間はみんなこう言っていた。「何だってやりたいことをやるさ。ここは自由の国なんだ。それが嫌ならロシアに行きな」ってね。今じゃかえってロシアの方が、自分の言いたいことを言えそうじゃないか。

 この一件は、結局のところいい結果をもたらすと思う――むろん、俺はすごく腹を立ててるが、長いこと眠りこけていた他の連中も、反応せざるを得なくなるだろう。

アンディ・ベル

 僕は検閲を嫌悪している。ゲイのひとりとして、日々直面しているからだ。あのグループとレコードのポリシーは買えないにせよ、表に出てショウを続けている点に敬服する。僕らもこの週末にゲイ・プライドのイベントを終えたばかりなんだけど、結局はそういうのが一番モノを言うんだ。無理やりでも世間に見せつけるっていうのがね。好きになろうとなるまいと、とにかく馴れさせるしかないのさ。

クィーン・ラティファー

 お笑い草としか言いようがないわ。2ライブ・クルーはコメディアンなのよ。面白がってやってることなんだし、みんなを面白がらせようとしてやってることなの。あの人たちのことは知ってるけど、人に危害を加えるつもりなんて全然ない。権威の椅子に座ってる人、他人が何を聴くべきか判断する人が、全然その役目に適してないんじゃないかしら。

スティーヴン・タイラー

 中には好きになれない歌詞もある。けど、これは俺の見解だから、ね?世間に起こっていることを伝えるのが音楽の美点なんだ。ラップ・ミュージックはメッセージを伝え、受け取った人間は「クソッ、なんてこった。こりゃひどすぎる。どうしようもない」ってことになる。あいつらが怒っているのは、そういう言葉が裏庭にまで侵入してきたからだ。ラップの言語を嫌ってるのさ。クソったれなクラブに行って、そこの男を逮捕するなんて信じられるかい?どうせみんなクソったれになりたくて行ってるのに。

ケイト・ピーターソン(B-52's)

 一女性としては2ライブ・クルーに不快感を覚えるけれど、アメリカ人としては、誰もが間抜けになる権利を持っていると思う。アメリカには、誰かを傷つけでもしない限り間違っていられるという、奪うことのできない権利があるわ。シュールレアリストが言ってるでしよ。「禁止することは禁止されている」って。言えてると思わない? 文化を法律で縛るなんて不可能よ。

イギー・ポップ

 権威筋の人間は何でも取り締まればいいと思っている。「これを取り締まれ、あれを取り締まれ」って具合。俺はかなり保護された環境で育った。そのせいで、セックスを知った時は、もうそればっかりになってしまった。もっと早いうちに知ってたら、どんなにか良かっただろう。今になってようやくなくした時間の埋め合わせが終わったところなんだ。

「ワァオ!ほんとにそんなことするのかい?ウヒャー!さっそく試してみよう」ってな感じだったのさ。

 汚い言葉が使えないってことになったら、誰かいけすかない奴がオフィスに入ってきても、悪ロ一つ言えなくなってしまうだろ?俺はそれをいちばん恐れているんだ。

ジェフ・アイロフ(ヴァージン・レコード・キャンペーン・ディレクター)

 右翼のおかげで、その反対勢力が活気づいた。右翼は、自分たちの失墜を早めているようなものさ。

 権利章典を玩ぶ方が、2ライブ・クルーよりもずっと下劣だと思う。私だってあのレコードが好きだなんて言うつもりはない。けれどここはアメリカなんだ。権利章典を護ろうとするのが、ポルノに対して好意的だということにはならない。われわれは、その存在意義ゆえに、不快なことがらをも容認しなければならない国に住んでいるんだ。

ジョン・ライドン

 汚染が大々的に進行し、銃が火を吹く世界では、汚い言葉を使う誰かがピック・アップされる。まったく、それがロックンロールってもんじゃないか?レコードはあんたを殺したりしない。単に他人の意見というだけのことで、誰も無理に聞かせようとは思っちゃいないぜ。

 俺はKKKなんぞに自分の人生を支配されたくない。けど現実には支配されてる。主婦のKKKってやつ。いったいどこから涌いて出たんだ? 現実の世界じゃ誰も見たことがない。なのに政治家にはえらく力を持ってる。20世紀最大のクズだ。

ラス・ソロモン(タワー・レコード社長)

 あのレコードはしょうもないカスだと思う。けれどそれを買いたいという人がいれば、それはそれでまったく構わないというのが私の考えだ。

 この男はゲットー出身の黒人で、基本的にはストリートのものだったアイデアを取り上げて大成功を収め、ある面、非常にリッチになった。別に麻薬を売ったわけじゃない。ギャングの一員でもない。ただ、喋っているだけだ。憲法はその自由を保証してるんじゃなかったかね?私はそう思っていたんだが。

ブランフォード・マルサリス

 この一件はまったくの戯言だ。誰もこの国の黒人と白人の不和が、実際にはどれだけ根深いかを問題にしようとしない。このレコードを猥褻だと決めつけた白人のお偉方は、結局2ライブ・クルーの売り上げを増やしただけだった。このしょうもないレコードが、頭の固い間抜けどものおかげで急に息を吹き返したというのは、実に痛快だね。

デヴィッド・ボウイ

民主主義社会においてわれわれは、その歓びと不快さの両方を取り込む義務を負っている。あらゆる芸術形態は良い作品、悪い作品、どうでもいい作品を通じて進化してゆく。チョーサー、2ライブ・クルー、ヒューバート・セルビー・ジュニア、もしくはその他の4文字言葉を駆使する作家の作品に用いられているホットな言葉を認めるにせよ認めないにせよ、それが出版と流通の権利を冒すことがあってはならない。

オジー・オズボーン

 自分の子供をある種の音楽、ある種の本、ある種のポルノ・ビデオから遠ざけておきたい時は、どうあっても聞かせたり、読ませたり、見せたりしないようにするさ。アーティストを非難する前に、自分の顔をゆっくり鏡で見たらどうだ。

リック・ルービン

 騒ぎが白熱化する中で、レコード会社はレコードを出すのを怖がっている。波風を立てたくないんだ。俺は気に入ったレコードがあれば、そのまんま出す。こっちの店が発禁にしても、あっちの店が売ってくれるだろう。キッズもそれが本当に求めてるものなら、絶対に捜し出すはずだ。

エディ・ローゼンブラッド(ゲフィン・レコード社長)

 あのレコードとは関わり合いになりたくありませんね。けれど他に買いたいという人がいるのなら、店頭に並ぶ権利はあると思います。この映画は観たくない、このレコードは買う気がしない――こういう選択を、私は日々行っています。ビッグ・ブラザーの手を借りるまでもなく、自分の人生の面倒は自分で見ていますよ。

グラハム・ナッシュ

 時々、猥褻という言葉の定義が判然としなくなる。1000万ものアメリカ人の子供たちが、毎晩飢えたまま床につくというのは猥褻だと思う。食糧がまともに行き渡らず、医療面も不備のままだというのに――しかも多くの場合、人々には暮らす家すらない――世界中で1兆ドルが武器に費やされているというのも。

ビル・シドンズ(ドアーズの前マネージャー)

 ドアーズがマイアミでプレイした時、私は19才で、パーソナル・マネージャーになってからまだ1ヵ月しかたっていなかった。4日後、ジム・モリスンに逮捕状が出た。私はただ「ちょっと待ってくれ。ここは勇者の土地、自由の本家じゃなかったのか?」と問い返すだけだった。21年たった今も、私たちはまったく同じ問題を巡って戦っている。


モ'・ベター・ブルース [DVD]

出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル

発売日: 2012/04/13

Amazon.co.jp

スパイク・リー & ジム・ジャームッシュ対談

『モー・ベター・ブルース』のサントラ仕上げ中のスパイクをジムが訪問

ジム・ジャームッシュ(以下JJ):タイトルのことなんだけど、元々はコルトレーンの曲名を取って『ラブ・スプリーム』ってタイトルにするはずだっただろ。法的な問題でもあったの?それとも………

スパイク・リー(以下SL):未亡人のアリス・コルトレーンがなんとも信心深い人でね、この映画は神を冒涜する部分が多すぎるって言うんだ。汚い言葉もいっさい駄目だって。けどそれなしじゃ映画が成立しない。それで彼女が言うには『いいことスパイク、他の曲だったら全然かまわなくてよ。けれどこれは亡き夫の曲の中でもいちばんスピリチュアルな曲なの』でもって、『映画で曲を使うのは問題ないわ。だけどできたらタイトルからは外してもらいたいの』って言うもんだから『結構です』って答えたんだ。下手すりゃ曲を使うのもNG食らうところだったからね。

(略)

JJ:どんな映画が好き?

SL:『ストレンジャー・ザン・パラダイス』

JJ:(笑)おいおい。

SL:マジだぜ。『ミーン・ストリート』や『ピショット』、『暗殺の森』、『ウエストサイド物語』、『オズの魔法使』なんかが好きだ。

JJ:ミュージカルが好きなんだ。


夢 [DVD]

メーカー/出版社: ワーナー・ホーム・ビデオ

発売日: 2002/12/20

Amazon.co.jp

黒澤 明

『夢』の全米公開を前に、米ジャーナリストに日本、そして日本映画への苦言を語る。

――『夢』は、夢の個性的な表現方法を模倣しようとするものですか?

「僕の『夢』は、あなたがこれまでに見てきた映画によくある、夢を扱ったシークエンスとは違います。夢の持つパワーというものは、音楽や照明では表現できないんです。夢には、そういう要素がありませんからね。夢と映画は、まったく別々のものなんです。僕は、僕の見た夢を原作だと考えているんです。だから、僕の映画は、映画用に脚色されたものだといえますね」

――『夢』には、監督の抱いている恐れのうちのどれが使われているのでしょう?

「『夢』では、僕が心の一番奥にしまってある恐れを皆さんに見てもらえると思います。最近、盛んに取り上げられている環境の破壊というのは、かなり以前から僕のテーマでした。それから、僕がある懐かしい思いをもって昔をみているということもね。人間が今ほど自然にダメージを与えていなかった昔をね。それと、原子力に対して抱いている強い恐怖感は、“赤富士”に出てきます。原発は安全だ、絶対に過ちは起こらないと専門家たちは言いますよね。僕は信じません。もし、狭くて人がたくさん住んでいる日本という国で、スリーマイル島級の事故が起きた場合ですけれど、どこまで逃げればダメージを受けないのかと専門家に訊いたら、中国まで逃げなければならないと言われました。もし、チェルノブイリ級の事故が起きたら――もう、逃げ切ることはできないんです」

(略)

――『夢』には、ゾッとさせられるシークエンスがいくつか出てきますね。原発事故が原因で富士山が溶けてしまうものもそうですが、あれは、監督が子供の頃に経験された1923年の関東大震災に影響を受けているとは言えないでしょうか?

「撮影している最中には気がつかなかったんですが、色をつけたり音を入れたりしているときに、もしかしたら、僕がじっさいに経験したあの関東大震災と何らかの関連があるのかもしれないという感じはありました。映画の最後に持っていったシークエンスは、それとは対照的にとても楽しいんです。僕は希望を持ちたい。だから、あれを最後に持っていったんです」

――監督は自叙伝の中で、お兄さんに震災後の廃墟に連れて行かれたときのことを書いていますね。それは、恐怖に打ち勝つことが目的だったと、監督は言っておられますが?

「(略)あのとき、一日中引きずられるようにして、累累と積まれた死体や、想像もつかないほどに恐ろしいものを見たあとに、僕の中にそれを受け入れようとする感情が生まれたことは確かです。あのあと、僕の気持ちは大分落ち着きましたね。兄は、廃墟を巡るあいだ、ずっと冷静でした。僕が顔を背けるたびに、ちゃんと見なさいと言われましたよ」

(略)

――日本の若手で、特に面白いと思う仕事をしている監督はいますか?

「日本にもよい若手はいます。しかし、映画製作への取り組み方が、今ひとつ積極的でない監督が多いように思えますね。たとえば、スタジオと契約している監督は、スタジオが勝手に権利を買ってきた低俗な小説を、与えられるままに映画用に脚色するだけです。彼らが荒々しい情熱を内に秘めてくれたらと思いますね。スタジオから与えられるのではなく、彼ら自身がどうしてもやりたいという作品を持っていったらいいと思うんです。自分でこんな作品を作りたいんだという願望を持っていないかぎり、よい監督にはなれないと思うんですよ。(略)

2016-08-29 Cut 90年11月号デヴィッド・リンチ コッポラ このエントリーを含むブックマーク

Cut 1990年11月 Vol.6

JACK NICHOLSON & HARVEY KEITEL ジャック・ニコルソン & ハーヴェイ・カイテル

ニコルソンが監督・主演の"TWO JAKES"で共演の二人の超実力俳優が語る。

ARNOLD SCHWARZENEGGER アーノルド・シュワルツェネッガー

超大作『トータル・リコール』の成功で、波に乗る彼の強かなサクセス・ストーリー

2 LIVE CREW 2 ライブ・クルー

歌詞の卑猥さで逮捕されたラッパーたちを巡る表現の自由論争。

SPIKE LEE & JIM JARMUSCH スパイク・リー & ジム・ジャームッシュ

アメリカ映画界の若き巨匠が語る、我がインディーズ・スピリット。

黒澤 明

『夢』の全米公開を前に、米ジャーナリストに日本、そして日本映画への苦言を語る。

  • デヴィッド・リンチ

いまやアメリカで最もポピュラーなカルト監督という彼が語る、芸術的変態性。

[至福に満ちていたが、同時に忘れがたい恐怖の連続だったという子供時代について]

「祖父母を訪ねて、しょっちゅうブルックリンに行っていたんだが、それも恐怖の一部だったな。巨大な街には、莫大な量の恐怖があることに気づいたんだ。(略)

地下鉄の駅を降りて行くたびに、地獄に落ちて行くような気分になった。階段をどんどん深いところへと下るにつれ、腫を返して地上に戻るのが、そのまま降りて行くのよりも困難に思えてきた。未知のものに対する圧倒的な恐怖があったんだ。列車が起こす風、音、匂い、普段と違う光とムードというのが、どこか特別に忘れがたかったんだろう

(略)

[至極ノーマルな両親を恥じていた]

50年代の雑誌広告によくあっただろう。オーブンからパイを出す小奇麗ななりの主婦。その顔には、いつもある種の笑みが浮かんでいる。(略)

――けれど、あなたには信じられなかった。

「奇妙な微笑みだった。この世界の理想形というか、実際にはありえない微笑みだったんだ。そのせいで、狂ったように夢を見たよ。今ではそれもすごく気に入っている。けれどもある種――破局とまではいかなくても、何か普通ではないことが起こるのを待っていた。みんなが同情してくれる何かを。そうすれば僕は犠牲者だ。たとえば、大事故で自分一人が取り残されたり。ある種、楽しい夢想だったけれど、日々はきわめてノーマルに過ぎていった」

――心の中では、そういった広告の“微笑み”に違和感を感じていたのですか?

「いや、僕自身、すごい微笑みの持ち主だった。クリスマス・ツリーの下に立っている写真があって、それを見ると、完璧に、紛れもなく幸せという笑顔を浮かべている。ある面では幸福だったんだ」

――けれど、どこか信じきれなかった。

「(略)隠蔽され、ひどく秘密めいて見えるものもある。本当に秘密なのか、それとも自分がパラノイアなのかも判然としない。科学を学ぶことによってのみ、少しずつ、世の中には隠蔽されているもの――目には見えないものもあることが理解できる。それに心配の種というのは考えれば考えるほど増えるものだ。そんな時、恐ろしい出来事に出会ってしまうと、実際には、ほんとうに数限りないものが間違っていることに――実に多くの人々が、まともじゃない恐ろしいことに加わっているのに気づかされて、平和で幸福な暮らしが脅かされたり、消滅するのではないかと心配するようになるんだ(略)

[妻が1歳の娘を乳母車に乗せ出かけようとした時]通り向かいの大家族は、洗礼に出かけようとしていた。その時、ギャングがその家族を急襲したんだ。一家には10代の息子がいて、全員を護ろうとした。ギャングは彼をたたきのめし、頭の後ろを撃った。そういった類のことがらが、雰囲気を台無しにしてしまう――永遠に」

――子供の頃、「あらゆるものに、ある種の荒々しい痛みに似た力、そして腐敗がつきまとっている」と感じていたそうですが(略)

「完成したものは、その場で腐敗し始める。ちょうど、ニューヨークのように。道路もビルも橋も、みんな崩壊しつつある。新しいものも建っているが、その建て方は前とは違う。この腐敗を思い、そして何物も永遠ではないことを考えると、また心配になってくる」

(略)

絵画や映画などの小さな世界なら、ある程度コントロールが利くという幻想にひたることができる。(略)

――で、あなたは世界を築き上げた。

「そう、築き上げた。僕は別世界に移り住むのが好きだ。そして映画は、その機会を与えてくれる。とりわけ、『イレイザーヘッド』の時は。と言うのも、実際、あの世界に住んでいたからだ」

――セットで暮らしていたのですね。

「セットで暮らし、心の中ではあの世界に暮らしていた。セットや照明やその場のムードが、そう思い込むのを簡単にしてくれた。時間もかなりかかったから、すっかり浸りきっていた」

(略)

――自分のやっていることを、両親には知られたくなかったのですか?

「僕がやっていたのは、両親が知っても喜ぶはずのないことばかりだった。だから自然と秘密めいた生活になってしまった」

――秘密を持つというのは、ある種、パワーの源泉ともなりますね。

「恐怖の側面もある」

――恐怖というと?

「秘密にしておくこと自体が恐怖だ」

(略)

――10代の頃、セックスをどんな風に考えていました?

「はっきり言って、セックスは夢のようなものだった。ものすごく神秘的な世界のもので、人生にそこまで素晴らしい側面があり、しかもいずれ自分でも体験するというのがとても信じられなかった。あまりにもファンタスティックで、それはもう新しい世界が開けたようだった。(略)

セックスの領域は果てしなく広大だ。ただの肉欲があり、恐怖に満ちた、暴力的なセックスがあり、そしてその向こう側には、真にスピリチュアルな体験がある。人生のファンタスティックな神秘を解く鍵なんだ」

(略)

――画家としてのバックグラウンドが、質感とひとつのイメージにこだわるあなたの映画作法を導いたと思うんです。コマごとに、目を凝らして見ずにはいられない。(略)

「いや。何と言うのかな――そうそう、構成美だ。この構成美というのは、ひどく抽象的なものなんだ。物の配置と関係に強く係わってくる。けれど、知性でどうこうできる問題じゃない。行動し、行動に反応するだけ。すべては直観だ。規則はある。どんな本にも載っていない規則が。構成の基本法則なんて、ただのジョークだ」

(略)

――(略)あなたは妄執[オブセッション]に妄執を抱いている。(略)

『ブルー・ベルベット』の撮影中、フランクがドロシーをいたぶりレイプするシーンでは、我を忘れるほど大笑いしてましたね。あれのどこがファニーなんです?

「(略)僕には分からない。とにかくヒステリカルにファニーだった。フランクは完全に取りつかれていた。チョコレート屋の犬みたいだった。自分でもどうしようもなかった。完全に入り込んでいた。(略)

きっとあまりに恐ろしく、強力で、暴力的なシーンだったことに関係があるんだろう。そのせいで、別種のユーモアが生じたんだ。自分でもどうにもならない妄執のせいでね」

――妄執を抱きやすい方ですか?

「どうしようもなく。習慣も妄執のひとつと言える。一定のやり方じゃないと気が済まない。一面、ユーモラスでもあるんだが」

――コントロールが利かないという感じがするからじゃないでしょうか?

「うん。ある種のコントロールが利いている状態なんて幻想に過ぎない場合が多い。ちょっとでもそういう気持ちになれたとしたら、それは天の恵みなんだ。あっという間に足元をすくうような事態が起こる」

(略)

――何年か前、あなたの映画は自分の恐怖感を隠すのと同時に明かすものでもあると言っていましたね。今でもそれは正しいと思いますか?

「間違いない。直観だか無意識だか知らないが、とにかくその類に手をつけるとなると、フィルターをかけるのは絶対によくない。一切手を入れず、起こるがままにしておくしかないんだ」

――となると、あなたの映画は、どのような形であなたの恐怖感を隠しているんでしょうか?

「ふと顔を出す程度。それ以外では、うまく隠されていると思う。それに、決してリアルな形では現れない。むしろ夢に近い。(略)だから、より象徴性が高くなり、解釈の自由も増える。腐った肉ひときれを例に取ってみよう。状況によっては、人々がその美しさに賛嘆する声すら聞こえてもおかしくはない。なのに、それが何だか分からなくなってしまうと、もはや誰も美しいとは思わなくなる。名前がついたその瞬間に」

(略)

――秘密の話に戻りましよう。さっきわたしは秘密にはある種のパワーがあると言い、あなたはある種の恐怖があると言いましたが、その二つの均衡について話してもらえますか?

「(略)僕は、秘密と神秘にすごく感謝している。秘密を突き止め、神秘を明かしたいという気持ちにさせてくれるし、その美しい小さな回廊では、たくさんの素晴らしい出来事が起こり、そこで漂っていることもできる。ある面で僕は、完璧な答えなど望んでいないんだろう。それが、圧倒的な至福を伴ってでもいない限り。神秘に入り込んでゆく過程が大好きなんだ」

(略)

――あなたが肉体のパーツに興味を持っているのは周知の事実です。聞いたところによると、子宮摘出手術を受けた某女性プロデューサーに、その器官を取っておくよう頼んだそうですが。

「それは全然違う!その女性本人が、医者に取っておくよう穎んだんだ。僕にくれるつもりで」

――ヴァレンタインのようなものなんですね。

「そう、贈り物だ。僕の家には色々なものがある。けれど中には――ログ・レディのように――ある種の人たちの興味をひどくそそるものがあるらしい。多分、そういった類のひとつなんだろう」


デヴィッド・リンチ展 〜暴力と静寂に棲むカオス

作者: デヴィッド・リンチ

メーカー/出版社: 赤々舎

発売日: 2012/11/09

|本| Amazon.co.jp

  • 『ゴッドファーザーPART3』泥沼の製作現場

[『ワン・フロム・ザ・ハート』の失敗による800万ドルの借金を、『ゴッドファーザーPART3』の演出、脚本、プロデューサー料の500万ドル、総利益のパーセンテージ数百万ドルでケリをつける算段]

 しかし、もし成功しなかったら?

「また、貧乏生活にもどるだけさ」とコッポラ

(略)

美術のダブラリスは、こう語る。

「彼はこの企画に命を賭けてます。いい作品にしなきゃいけないんです。駄作ということは許されないんですよ。いい作品にしなくちゃいけないんですけど、いい作品になるという保証はない。そこがストレスの原因なんです」

(略)

[マイケルの娘役に]ジュリア・ロバーツを考えたが、彼女の体はあいていなかった。マドンナはこの役に、いや、この映画のどの役でも興味があると売り込んできたから、コッポラはテストをするために彼女をナパに招いた。彼女と会いたくてしかたなかったジョージ・ルーカスは、うまく夕食に招待されてご機嫌だった。

「彼女はすぱらしかったね。みんな、恋しちまった」とコッポラは語っている。

(略)

[娘ソフィアの起用を考えだしたコッポラ]

ミスキャストといえばまだ聞こえのいいほうだった。

 コッポラのスタッフの一人は、こう言っている。「ほかの俳優たちは、クサっていました。そんな話聞いてないぞ、彼女と一緒に演じるのか、という感じでした」

 コッポラはこう語る。

「マイケルの娘はどういう風にしたいかというと、自分の娘みたいな感じだった。もし、ぼくがマイケルだったら、感じのいい娘がほしい、それがたまたまソフィアだったんだ。

(略)

つい最近自動車事故で10代の娘を亡くした音響デザイナーのリチャード・ベッグスは、とくに悲痛な思いでコッポラに訴えた。

 コッポラは、こうふりかえっている。

「彼は入ってきて、目に涙をいっぱいためて、こう言ったんだ。『フランシス、彼女をはずしてくれ。彼女だってやりたくないんだよ。向こうで泣いてるぞ』って。で、ぼくは娘のところに行ったんだけど、ほんとに泣いてた。

(略)

[そこで]『(略)やりたいのなら、やれるんだぞ。10分休んだら、行って、最高のショットを撮ってきなさい』ってね……。すると、あの子は行って、ほんとうにやってきた。感動的だったな。その晩、あの子はぼくに『あいつら、アホかっての。わたしにだって立派にできるところ見せてやるわ』って言ってた。

(略)

 パラマウントの重役は役者たちのところへ行って、ソフィアを使うというコッポラの止め役になってくれないかとパチーノをかつぎだそうとした。コッポラはそれを知り、カンカンになって怒った。

(略)

[さらに長年のパートナーだったパチーノとキートンが大喧嘩]

どうやらパチーノがいつまでたっても決めることを決めないので彼女が業を煮やしての喧嘩だったらしい。(略)

[パチーノの祖母の葬儀に出た旅で仲直り]

まだぎくしゃくとしたところはありありとうかがえたが、撮影はそのまま続行された。

(略)

 コッポラの映画というのは、非常に個人的な色彩が強い。(略)『ゴッドファーザー』シリーズはとくに個人的だ。『ゴッドファーザーPART2』では、飛ぶ鳥を落とす勢いのマイケル・コルレオーネがマフィア王国を築きあげる姿を描いた。このとき、監督自身もみずからの王国を築いていた。彼はスタジオを作り、サンフランシスコにビルを買い、

(今は廃刊となった『シティ』という)雑誌社を手に入れようとしていた。「ある意味では、ぼくはマイケルになってしまった」と当の彼は言っていた。(略)

[パート3が「王国をみすみす手放した老人が荒地をさまよう」悲劇になったのも]

今のコッポラは悲劇的な人生を送るリア王と自分自身をオーバーラップさせているからだ。

(略)

[さらに仕事や借金とは別の悲劇が、4年前の23才の息子ジャン=カルロの死]

父親のようになりたいと願う、父親を尊敬する息子だったのだ。彼は父親の許しを得て父親の弟子になるために16才のときに学校をやめ、あこがれのコッポラの映画製作チームの仲間入りをはたした。(略)

将来は独立して映画をつくろうかという矢先、その映画に端役で出演していたグリフィン・オニールとメリーランドのロケ地近くでモーターボート事故を起こしたのだった。(略)

 「フランシスは息子さんを亡くしてから、がらっと人が変わりました。人格にぽっと抜けたところができたような感じです」

 今、シルバーフィッシュの中で腰かけながら、コッポラはジオについて、そして新しい才能を生かせなかった悲劇について熱っぽく語る。

「普通の悲しみと違って、ぼくがいちばん悲しかったのは、彼には才能があり、ここ数年でその片鱗をすごくうかがわせていたからなんだ……人の命はいつか終わりがやってくる。でも、彼にはもうちょっとチャンスを与えてくれてもよかったんじゃないか、って思うと悲しいんだ。すごくきれいなものをやろうとしてた……。

(略)

でも、これは人間の宿命なんだ。人間にはいつか悲劇がおとずれる。どんな人間でも二度や三度の悲劇はやってくる。悲劇のない人生なんてないからだ。悲劇のない人生が送りたいかね? 要するに悲劇ってのは人生の一要集なんだ。だからこそ、美しいんだよ。すばらしいお芝居なんかを見て、感情移入するのはそのせいだよ。だから、このけばけばしいマフィアの物語も同じようにしたいんだ。人生がにじみでているようなものにしたいんだよ、やっぱり」

(略)

マイケル・コルレオーネがその悲劇に耐えなければいけない理由は、コッボラがその苦しみに耐えたからなのである。

(略)

いつものようにコッポラ家の人々は一家総出で活躍している。(略)

[だが27年間連れ添ってきたエリノア・コッポラはマイケルの妻ケイのように、非イタリア系の現代的アメリカ女性で「ずっと仕事をしたいと思ってきた」「夫の仕事のあおりを食った」「わたしは家庭におさまるタイプじゃない」と語り、一方コッポラは「君には家庭を守ってほしい」と本音を吐く]

次回に続く。


ゴッドファーザー コッポラ・リストレーション ブルーレイBOX

出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン

発売日: 2011/02/25

メディア: Blu-ray

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フランシス・F・コッポラ ~Francis Ford Coppola & His World

作者: 小出幸子

メーカー/出版社: エスクアイア マガジン ジャパン

発売日: 2008/08/30

|本| Amazon.co.jp

2016-08-25 ブライアン・ウィルソン 消えた『スマイル』を探し求めた40年 このエントリーを含むブックマーク


ブライアン・ウィルソン&ザ・ビーチ・ボーイズ 消えた『スマイル』を探し求めた40年

作者: ポール・ウィリアムズ, 五十嵐正

メーカー/出版社: シンコーミュージック

発売日: 2016/04/11

|本| Amazon.co.jp

 マリリンがたぶん妹のダイアンと一緒だったと思うが、帰ってきて、犬に餌をやり、少し後に僕らにも食事をさせてくれた。(略)ブライアンはその数ヶ月の間に録音を続けていた音楽のアセテート盤の一部を聴かせてくれた。彼の寝室にあった蓄音機でだった。(略)僕が聴いたのは新しい音楽の僅かな部分だった。〈グッド・ヴァイブレーション〉以降の音楽だった。歌入りの曲ではなく、伴奏のトラック、器楽演奏のトラックで、ブライアンが丹精をこめて作り上げたものだった。そしてあまりに美しかったので(ただし、アセテート盤は既にすりきれていた)、僕はそれらを忘れられなくなってしまった。世の中に伝えなければならなかったのだ。僕らは皆がそうした。評判が広まった。僕らは歴史が作られる過程、伝説そのものを作ろうとした伝説的人物の無自覚の(そして喜んでの)宣伝媒体だった。誇大広告は一切無し。良質の麻薬だったさ、ああ。でも、本当に素晴らしい音楽なんだ。

 そんなわけで、その夜の締め括りに僕らは犬が見守るプールに入った。僕はめがねを外さずにいた。というのは、そのプールの中に立つと眼下にロスアンジェルス(略)の灯りが自然の驚異のようにきらめくのを見ることができたからだ。水は温かかった。ブライアンはそれが体温と同じ(華氏)98・6度ぴったりに暖めてあると熱心に説明した。「だから、こんなふうに水の中に入って」(彼が実演した)「そして立つと、まるで生まれるときみたいなんだ。生まれたときの感覚みたいなんだよ」。僕は彼の不思議な感覚を察知した。銀河の星々が丘の上にある僕らの豪邸の下できらきら輝いているかのようだった。[1966年の]クリスマス前日の午前4時、僕は生まれて初めて麻薬で恍惚となっていた(そして、この男は僕を自分の家にいるように感じさせてくれた)。それはまた僕がカリフォルニアに行った最初の機会でもあった。

  • 67、68年のデイヴィッド・アンダールとポール・ウィリアムズの会話

いかにして『スマイル』は失われたか

デイヴィッド 或る意味では今行われている水準でのポップ音楽における音響効果の始まりだった。(略)彼は『ペット・サウンズ』にすごく満足していた。(略)[売上にがっかりしていたが]

 でも、彼は実験をして、成功した。だから、それゆえに、『スマイル』にとりかかったとき、『スマイル』に熱中し始めたとき、あの男についていくのはとにかく不可能だったんだ。(略)

あれは記念碑的作品になるものだった。(略)

 この頃にブライアンはヴァン・ダイク・パークスと親しくなった。(略)

ヴァンとブライアンの才能が混ざり合って、とても熱烈で刺激的だった。ヴァンはブライアンをすごく興奮させ、ブライアンはヴァンをすごく興奮させていた。僕はそういった情況の全部を見ながら、あの頃言っていたもんだ。「あれはうまくいきっこないよ。あの二人が一緒に仕事ができるなんて絶対にありえない」。

 そして彼らはやっぱりうまくいかなかった。実際うまくいかなかったんだ。創造力に溢れた偉大な瞬間はあったんだけど。ヴァン・ダイクはブライアンが真に自分と同等のレベルでつきあえるほんの僅かななかのひとりだと思う。ヴァン・ダイクはブライアンを興奮させたけど、そんなことができるやつは他に見たことなかった。

(略)

彼らの別れは悲劇みたいなものだったね。彼らは絶対に離れたくない2人なんだけれども、どちらも離れなくちゃならない、一緒にはやっていけないとわかっていたという事実においてね。というのは、彼らは強烈過ぎるんだ。それぞれ自分自身の領域においてね。(略)

彼の歌詞はあまりに洗練されすぎていた。ブライアンの音楽は幾つかの領域ではそれに充分なほど洗練されていなかった。それで彼らはぶつかり始めたんだ。(略)

突然おかしくなってしまった。彼らはお互いを避けるようになった。2人の道はもう決して出会うことはないだろう。

(略)

『スマイル』はブライアンの知的な関心事すべての頂点になるはずだった。彼は元素にすごく興味を持っていてね。彼は1週間ビッグ・サーに急ぎ旅をした。そのなかに入りこむためだけにね。山々へ行き、雪のなかに分け入り、浜辺まで下り、プールに入り、夜に出かけ、走り回り、泉の水を飲み、たっぷりの水と空に触れた。そういったすべてのことが彼を取り囲むものへの意識をすごく広げてくれた。(略)

 僕らは火がどうなるのか、水がどうなるのかを知った。彼が僕らにわからせてくれたんだ。空気についても幾らかのアイデアはあった。ところが、そこで止まってしまった。僕らの誰にもそれらを一緒に結びつけるアイデアが全くなかったんだ。(略)

ブライアンは火の部のためのトラックを作った。それは僕が今までに聴いたなかでも最も革命的なサウンドだったよ。彼は実際に火を創り出したんだ。林が燃えている火をね。楽器だけで、効果音無しで――たくさんのストリングスと調整卓の技術で――あれを聴いたら、本当に怖くなるよ。聴くのが怖くなる。すごく圧倒的で……。その頃に街で火事が多発したんだ。(略)

彼はこれに関して僕と何度も話し合ったあげく、消防署で調べてほしいと頼んできた。(略)LAでのその時期の火災が歴史上他の時期よりも多く発生しているかどうかを調べてほしいとね。というのは、彼は本当に感じていたんだ。ヴァイブレーションという言葉がふさわしいと思うけど、ブライアンはすごくヴァイブレーションに興味を持っていて、おかげで今では僕もヴァイブレーションを理解するようになったよ。とにかく、そういった情況で僕らが普通していたように、みんなが笑って彼の言うことを無視していたら、彼はテープを壊してしまったんだ。完全にね。消し去ってしまった。二度と聴くことができないようにね。基本的にはそのことが〈エレメンツ〉をだめにしてしまったんだ。

(略)

[それが最初のつまづきで]

すべてのことがとてもゆっくりと崩壊し始めた(略)ヴァン・ダイクとの一件。あれが決定的な時点だった。(略)

どうやったら、ヴァン・ダイクが既に書き始めていた歌詞に彼の歌詞を加えることができる?それで、彼はしばらくの間録音を中断した。音楽から完全に離れよう、映画に入れこむ時期だ、とか言ってね。僕らはみんな何が起こっているのかわかっていたよ。(略)

そこに、ビジネスがあった。ブラザー・レコードさ。彼はブラザー・レコードのビジネス面に関心を集中させた。そのことが彼を離れさせる……彼にとってのもうひとつの言い訳だったわけさ。

(略)

 ブライアンはボーイズをどのように扱えばいいかわからなかった。回りにいる僕らも新顔だったしね。ビーチ・ボーイズがイギリスから帰ってきたら、この連中がいて、突然いろんなことを言っているんだ(略)

見知らぬ連中が彼らの活動歴、彼らの未来に重要なことをやっていたんだから。そして、ブライアンが、まったく新しいサウンドを創り出していた。もし彼らがリラックスして『スマイル』に取り組めれば、『スマイル』は生まれたかもしれないと思う。だって、忘れちゃいけないのは、『スマイル』は今もトラックだけのアルバムとしてどこかに保管されているんだ。あまりヴォーカルは録音されていないけれど、それでもアルバム全部がね――信じられないようなトラックがアルバム3枚分は優にあるんだよ。

 〈英雄と悪漢〉はあのアルバムの決定的に垂要なトラックだった。元の形のままだったら、『スマイル』の決定的な部分になったかもしれないんだ。発表された形ではなくね。

家族兄弟

[父との関係が語られてから]

デイヴィッド ……デニス、デニスがどんな人かといえば、彼が君を買い物に誘うと、自分のために買うものは何でも君にも買ってくれる。それがデニスさ。彼がモーターサイクルを買いに出かけるとき、もし君がつきあえば、彼は君にもモーターサイクルを買ってくれる……いつもいらいらしている。まったくいらいらしている。どの瞬間に彼が感情を爆発させるのかしないのかまったくわからないんだ。楽しいか悲しいかにかかわらずにね。彼はまったく自由で、動物だよ。ほとんどいつも感情に動かされ、めったに理性に抑えられることのない自由な動物なんだ。素晴らしい弟で、ブライアンが心を通わせられる男だ――ブライアンが心を通わせる気楽な兄弟関係であり、それに信じられないような楽しみの源でもある。ブライアンはデニスについてすごい時間をかけて話したものだ。しまいにはデニスについての長い文句になるけど、明らかにブライアンにとって全員のなかで最も理解しやすい男のようだね。彼はブライアンが共感できる肉体的なことを今も持っている。力や運動能力とかそれらすべてのことね。

ポール サーフィンはデニスからやってきたんですよね。

デイヴィッド そう。ホット・ロッドもね。

ポール 熱中する男なんですね。

デイヴィッド デニスだ。常にデニスだよ。屋外での遊びへの愛情もね。でも、面白いことがある。ブライアンが考えるファンタジーのすべてを、デニスがずっと先まで進めるんだ。言葉を変えると、ブライアンがアイデアを思いつく。でも、それをデニスの頭に吹き込むと、それはたちまち現実になってしまう。つまり、デニスがそれを極端なところまで飛ばすんだ。ブライアンがみんなで海に出れればいいよなと言う。デニスは船を買ってしまう。ブライアンはまだ海について話しているか、出かけるにしても船を借りるだけなのにね。もしブライアンがこう言う。「モーターサイクルがあると最高だよなあ」。デニスはモーターサイクル用の服とモーターサイクルを買い、僕らが見たこともないような山登りをこなしているだろう。それがデニスなんだ。

 そして、カールは精神なんだ。ブライアンは精神的なものを求めてカールのところへ行く。ブライアンはカールが自分の個人的に知る最も精神的な人間だと感じている。(略)或る何かが……ヴァィブレーションのことはカールだよ。ブライアンは深く、感情的にカールとつながっている。すごく、すごく深いところでね。(略)

君はビーチ・ボーイズの連中の人生だけを題材に三部作を書けるよ。すごくたくさんの感情、ドラマがあの家族にはある。(略)ブライアンは常にあのボーイズたちを意識しているよ。絶えまなく彼らを兄弟として人間として意識している。仕事仲間としては本当にめったに意識していないよ。

 これもまた、何故『スマイル』が完成しなかったか、ブライアンが望んだように完成しなかったかの重大な理由だよ。何故なら、彼らがスタジオ内で抵抗したからだ。

ポール そして、完成させる方法のひとつはグループを解散させたかもしれない。でも、彼はそうしなかった。

デイヴィッド それが彼の言っていたことさ。多くの機会にね。でも、僕が思うに実の兄弟たちと別れるよりも、僕のような部外者を排除するほうが簡単だったわけさ。

 ……マイク・ラヴ? 商売人だよ。ブライアンはいつも彼を欲得ずくで、魂のない男だと責めていた――それは全然真実じゃないね、マイクはとてもソウルフルな男だよ。彼はグループのなかで唯一ビジネスのことを知っている男なんだ。同時に、彼は他の誰よりも強く実験に反対した。(略)

ブライアンが最も扱い難い男なんだ。ブライアンが最も対処しにくい男なんだ。

(略)

僕が思うに、ブライアンはたぶん自分自身に言っている。「僕は別のコースをとるべきだった。自分の進もうとした道を前に進み、ビーチ・ボーイズを捨て去るべきだった」と。(略)なぜなら、ある時点で彼は頂点にいたのに、それから下り出したんだから。

『ワイルド・ハニー』

デイヴィッド 『ワイルド・ハニー』アルバムの本当の素晴らしさがわかり始めたのは、『ジョン・ウェズリー・ハーディング』が発表されて、みんながこう言い始めてからなんだ。「ディランが何をすべきか語っている。再び彼が道を先導している。素朴さに戻ろう、制作に手をかけた騒々しいアルバムなんて忘れて、ただ肝心なこと、それだけを表現するんだとみんなに語っている」と。そこで突然僕はまたもやブライアンが真先にやっていたと理解したんだ。

 それこそがまさに『ワイルド・ハニー』なんだもの。それがあのアルバムの内容だ。素朴さに立ち返り、音楽そのものに立ち返っている。1枚のアルバムでどれだけ風変わりなものを作り出せるかなんて忘れてしまおう。僕には、とにかく……それがまさにあのアルバムが僕に語りかけてくることだ。しかも、実のところそれはブライアンがいつもやりたがっていたことをやっているわけさ。彼が最初に〈サーフズ・アップ〉を書いたとき、ピアノの弾き語りだけでみんながすごく興奮したのを思い出すよ。あのとき……あのときにもし君がその近くにいたら、ブライアンがどんな方向に音楽を進めていこうと考えていたかをよく理解できただろうね。あれと同じ種類の欠乏感、嘆願、彼の信じ難いほどの孤独感が『ワイルド・ハニー』のなかにすべて表現されていたんだ。彼のやっているのはある種のソウル歌唱だ。いやあ、『ワイルド・ハニー』はすごくいかしているね。


ワイルド・ハニー +1

アーティスト: ザ・ビーチ・ボーイズ, ビーチ・ボーイズ

メーカー/出版社: ユニバーサル ミュージック

発売日: 2016/04/06

|CD| Amazon.co.jp


ジョン・ウェズリー・ハーディング(紙ジャケット仕様)

アーティスト: ボブ・ディラン

メーカー/出版社: SMJ

発売日: 2014/03/26

|CD| Amazon.co.jp

  • 95年、ブライアン・ウィルソンとの会話

ポール (略)『アイ・ジャスト・ワズント・メイド・フォー・ディーズ・タイムズ』は奥さんとお母さんだけではなく、フィル・スペクターにも捧げられていますね。なぜこれをスペクターに棒げたんですか?

ブライアン ああ、その理由は……何よりも、彼が僕にどうやってそのようなものすべてをやるかを教えてくれたんだから。彼が現われるまで、僕はどうやればいいのかまったくわからなかった。でも、今ではスタジオのなかで何をすべきか知っている。彼が本当に僕をたくさん助けてくれたんだ。

ポール 彼が教えたというのは……彼のレコードを聴いて学んだという意味ですか?

ブライアン その通りさ。よく聴いてはこう言ってたもんさ。「あれはギターなのかピアノなのか、あれはホーンかヴァイオリンかヴォーカルか何だろう?」とか「ああ、すべてがひとつの大きなサウンドに聞こえる!」とかね。それはエキサイティングなものだったよ――最初にそれを聴いたときはね。最初にあのウォール・オブ・サウンド・タイプのレコードを聴いたときには、本当に遠くの方へ連れていかれたんだ。現実の世界から他のところへね。

(略)

僕は常に自分のことをフィル・スペクターの弟子だと考えてきた。それは確かだね。僕はずっとそうだった。それが僕の当然の居場所なんだ。この音楽業界のなかでの。いわば、彼の影にいるようなものさ(笑)。


駄目な僕〜I JUST WASN’T MADE FOR THESE TIMES

アーティスト: ブライアン・ウィルソン, カーニー&ウェンディ・ウィルソン

メーカー/出版社: MCAビクター

発売日: 1995/08/30

|CD| Amazon.co.jp

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レッキング・クルーのいい仕事・その2 - 本と奇妙な煙

ビーチ・ボーイズ・中山康樹監修[KAWADE夢ムック] - 本と奇妙な煙

2016-08-22 〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則 このエントリーを含むブックマーク

チラ読み。


〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則

作者: ケヴィン・ケリー, 服部桂

メーカー/出版社: NHK出版

発売日: 2016/07/23

|本| Amazon.co.jp

ハイパーテキスト

 コンピューターのパイオニアであるバネバー・ブッシュが、ウェブの中核的な考えとなるハイパーリンクのアイデアを構想したのは1945年に遡るが、この概念を最初に補強しようと考えたのはテッド・ネルソンという自由思想家で、1965年に独自の方式を構想した。(略)

 私は1984年に、コンピューターに詳しい友人の紹介でネルソンに会ったが、それは最初のウェブサイトが出現する10年前のことだった。われわれはカリフォルニア州サウサリートの波止場にある暗いバーで会った。彼は近所のボートハウスを借りていて、まるで自由人の風情だった。彼のポケットからは畳まれたメモがはみ出しており、いろいろ挟み込んだノートからは、長い紙の切れ端が垂れ下がっていた。首に紐を付けたボールペンをかけた彼は、人間のすべての知識を整理するという構想について、午後4時のバーには似つかわしくないほどの真剣さで語り始めた。その教義は3×5インチの何枚ものカードに書かれていた。

 ネルソンは親切で魅力的で話も上手だったが、私は彼の話についていくのがやっとだった。だが彼のすばらしいハイパーテキストという考えにはピンときた。彼が主張するには、どんな文書にも、その文書に関連する他の文書を参照する脚注が付されるべきであり、そうすればコンピューターは両者のリンクを見える形にして恒久的に張ってくれるというのだ。それは当時、新しい考え方だった。しかも、ただの始まりに過ぎなかった。彼はおおもとのクリエーターにまで戻って著作者を特定し、かつ読者が文章のネットワークを行き来する過程での支払いをどうトラッキングしていくかという難解な機構をインデックスカードに殴り書きでスケッチし始め、それをドキュバース(docuverse)と呼んだ。彼はトランスクルージョン(transclusion)とかインタートゥインギュラリティー(intertwingularity)という言葉を使いながら、そうした構造を組み込むことで大いなるユートピア的な利益があることを説いた。ばかげたことから世界を救えるというわけだ。

「僕らが本当に作っているのは、AIなんだよ」

 2002年頃に私はグーグルの社内パーティーに出席していた。同社は新規株式公開をする前で、当時は検索だけに特化した小さな会社だった。そこでグーグルの聡明な創案者ラリー・ペイジと話した。「ラリー、いまだによく分からないんだ。検索サービスの会社は山ほどあるよね。無料のウェブ検索サービスだって? どうしてそんな気になったんだい?」。私のこの想像力が欠如した質問こそが、予測すること――特に未来に対して――がいかに難しいかを物語る確固たる証拠だ。だが弁解させてもらえるなら、当時のグーグルはまだ広告オークションで実収入を生み出してもおらず、ユーチューブなど多くの企業買収を行なうはるか前の話だった。私もその検索サービスの熱心なユーザーだったが、いずれは消えていくのではと考えていた大多数の一人だった。ペイジの返事はいまでも忘れられない。「僕らが本当に作っているのは、AIなんだよ」と彼は笞えたのだ。

 私はここ数年、グーグルがディープマインド以外にもAIやロボット企業を13社も買っているのを見て、このやり取りのことを考えてきた。一見すると、グーグルはその収入の80%を検索サービスから得ているので、検索機能の充実のためにAI企業の買収を強化しているように思われるかもしれない。しかし私は逆だと思う。AIを使って検索機能を改良しているのではなく、検索機能を使ってAIを改良しているのだ。あなたが毎回、検索語を入力し、その結果出てきたリンクをクリックしたり、リンクをウェブ上で新たに作ったりするのは、グーグルのAIのトレーニングをしていることになる。あなたが「イースターのうさぎ」の画像検索をして、結果一覧の中から最もそれらしい画像をクリックすると、あなたはAIにイースターのうさぎとはどういう姿なのかを教えていることになる。グーグルが毎日受けている30億回の検索要求の一つひとつがディープラーニングの先生役となってAIに繰り返し教えているのだ。今後10年、このままAIのプログラムが改良され続け、データが何千倍にも増えてコンピューターで利用できるリソースが100倍になれば、グーグルは誰にも負けないAIを持つことになる。(略)

私の予想では、2026年までにグーグルの主力プロダクトは検索ではなくAIになるはずだ。

コピーできないモノとは

この新しいオンラインの世界では、コピー可能なものはすべて無料でコピーされる。

 経済の普遍的な法則では、何かが無料でどこにでもあるようになると、その経済等式における位置が逆転する。かつて夜間の電気照明が新しく希少だった時代、貧乏人はロウソクを融通し合って使っていた。その後に電気が簡単に使えてタダ同然になると、人々の好みは逆転して、夕食のテーブルにロウソクを灯すのが豪華だと思われるようになった。工業化時代には、手製の一品物よりも、正確なコピーの方に価値があった。発明家が作った不恰好な冷蔵庫のオリジナルな試作品をほしがる人などいなかった。誰もが完璧に動くクローンの方をほしがったのだ。(略)

 現在、価値の軸は再び反転している。無料コピーの奔流が、既存の秩序を脅かしているのだ。膨大な無料のデジタル複製物で溢れかえるこの過飽和状態のデジタル宇宙では、コピーはあまりにありふれていて、あまりに安い――実際はタダ同然――ので、本当に価値があるのはコピーできないものだけとなった。(略)その代わり、コピーできないモノは、希少化して価値を持つ。(略)

では、コピーできないモノとは何なのか?

 例えば信用がそうだ。信用は大量に再生産はできない。信用を卸しで買うこともできない。(略)

誰か他人の信用を複製することなどできない。信用は時間をかけて得るものなのだ。(略)

ブランドカのある会社は、そうでない会社と同じような製品やサービスにより高い値段を付けることができるが、それは彼らが約束するものが信用されているからだ。信用が手に触れられないものである限り、コピーで飽和したこの世界では価値を増すのだ。

 他にもコピーできない信用のような資質はたくさんあり、それらが現在のクラウド型経済では価値を特ってくる。(略)

以下には、「無料より良い」八つの生成的なものを列挙する。

即時性(略)

多くの人は映画作品の公開初日の夜にかなりの金額を払って映画館に観に行くが、その作品はいずれ無料になったり、レンタルやダウンロードでほぼタダになったりするものだ。つまり本質的には、彼らは映画にお金を払っているのではなく(無料でも観られる)、即時性に対して払っているのだ。(略)

パーソナライズ

 コンサートを録音した一般的な盤は無料になるだろうが、あなたの部屋の音響環境にぴったりに調整されて、まるで家のリビングルームで演奏されているような音が出るなら、かなりお金を払ってもいいと思えるだろう。(略)

本の無料コピーがあったとしても、出版社があなたのこれまでの読書歴に合わせて編集してくれればパーソナライズできる。(略)

こうしたパーソナライズのためにはクリエーターと消費者、アーティストとファン、プロデューサーとユーザーの間でやり取りを続けなくてはならない。相互に時間をかけて行なわなくてはならないために、それは非常に生成的なものとなる。マーケターはこれを「粘着性」と呼んでいるが、それは相互にこの生成的な価値にはまり、さらに投資することで、その関係性を止めてやり直そうとはしなくなるからだ。この手の深い関係は、カット&ペーストすることはできない。

解釈

 「ソフトは無料ですが、マニュアルは1万ドルです」という古いジョークがある。しかしもはや冗談ではない。レッドハットやアパッチといった高収益を叩き出す企業は、フリーソフトの使い方を指導したりサポートしたりしてビジネスをしている。ただのビットに過ぎないコードのコピーは無料だ。その無料のコードにサポートやガイドが付くことで、価値のあるモノになる。

(略)

信頼性

 流行のアプリを裏ネットで無料で手に入れることはできるかもしれないが、仮にマニュアルは要らなくても、そのアプリにバグがないことや、マルウェアやスパムでないことは保証してほしくなるかもしれない。その場合、信頼のおけるコピーには喜んでお金を払うだろう。同じ無料ソフトでも、目に見えない安心がほしくなる。あなたはコピー自体ではなく、その信頼性にお金を払うのだ。グレイトフルデッドの演奏の録音は雑多なものがいくらでもあるが、バンド自体から信頼できるものを買えば、自分がほしいものが確実に手に入るし、それは正真正銘このバンドが演奏したものだ。

(略)

アクセス可能性

 所有することは得てして面倒なことだ。いつも整理し、最新のものにし、デジタル素材だったらバックアップを取っておかなくてはならない。いまやモバイルが普及し、いつもそれを持ち歩かないといけない。私も含め多くの人々が、自分の持ち物の面倒を誰かに見てもらって、あとは会員登録してクラウドから気ままに使いたい。(略)

有料のサービスに加入していれば、無料の素材にすぐアクセスできて、自分の使っているさまざまな端末で使え、しかもユーザーインターフェースがすばらしい。これは一部、アイチューンズがクラウド上で実現している。どこかで無料でダウンロードできる楽曲でも、使い勝手よくそれにアクセスするためならあなたはお金を払う。そのときの対価はその素材自体ではなく、いちいち保管する手間をかけず簡単にアクセスできることなのだ。

(略)

支援者

 熱心な視聴者やファンは心の中ではクリエーターにお金を払いたいと思っている。ファンはアーティストやミュージシャン、作家、役者などに、感謝の印をもって報いたいと思っている。そうすることで、自分が高く評価する人々とつながることができるからだ。しかし彼らがお金を出すには、かなり厳しい四つの条件がある。1.支払いが非常に簡単であること、2.額が妥当なこと、3.払ったメリットが明快なこと、4.自分の払ったお金が確実に直接クリエーターのためになっていることだ。バンドやアーティストがファンに無料のコピーの対価として好きな金額を払ってもらう投げ銭制の実験が、そこかしこで始まっている。

(略)

発見可能性

 (略)見つからない傑作には価値がない。(略)毎日のように爆発的な数のものが作られる中で、見つけてもらうことはどんどん難しくなっていく。ファンは数えきれないほどのプロダクトの中から、価値あるものを発見するために多くの方法を駆使する。(略)お勧めの番組を教えてもらおうとTVガイド誌を買う読者が100万人もいたのはそれほど昔のことではない。ここで強調しておきたいのは、そうした番組が無料なことだ。TVガイド誌は、ガイドしている3大ネットワークのテレビ局を合わせた以上の収入を得ていたと言われる。アマゾン最大の資産はプライム配達サービスではなく、この20年にわたって集めた何百万もの読者レビューだ。アマゾンの読者は、たとえ無料で読めるサービスが他にあったとしても、「キンドル読み放題」のような何でも読めるサービスにお金を払う。なぜならアマゾンにあるレビューのおかげで、自分の読みたい本が見つかるからだ。(略)

こうした事例では、あなたは作品のコピーではなく、発見可能性にお金を払っている。

 以上の八つの性質はクリエーターにも新しい手法を求めてくる。流通を制したからといって、もはや成功は約束されないのだ。流通はほとんど自動化され、すべてが流れとなる。天にまします偉大なるコピーマシンが、すべてやってくれるのだ。コピー防止の手法も、コピーというものが止められない以上もはや有効ではない。コピーを禁じようと法的な脅しや技術的な策を練っても効果はない。一時的に囲い込んで欠乏状態を作っても役に立たない。それよりも、こうした八つの新しく生成するものが教えてくれるのは、マウスのクリック一つでは簡単にコピーできないような性質を育てようということだ。この新しい世界で成功するには、新しい流動性をマスターすることが求められるのだ。

(略)

 流動性によって新しい力が生まれた。もうラジオDJによる専制ではない。流動化した音楽なら、アルバム内やアルバム間で曲の順番も変えることができる。ある曲を縮めたり、引き伸ばして倍の長さにしたりして聴くこともできる。他人の曲の一部をサンプリングして、自分の曲に使うこともできる。曲の歌詞だけを替えることもできる。(略)

 重要なのはコピーの数自体ではなく、一つのコピーが他のメディアによってリンクされ、操作され、注釈を付され、タグ付けされ、ハイライトにされ、ブックマークされ、翻訳され、活性化されたその数だ。(略)

重要なのは、その作品がどれだけうまく〈流れていく〉かなのだ。(略)

サブスクリプション方式

 アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス2007年に初めてキンドルの端末を紹介したとき、それはプロダクトではないと主張した。そうではなく、読むものへのアクセスを売るサービスだと言うのだ。その話はその7年後にアマゾンが、約100万冊の電子本を読み放題にするサービスを開始したときに、よりはっきりしたものになった。読書好きの人はもう個々の本を買う必要はなく、キンドルを1台購入することで、現在刊行されているほとんどの本へのアクセスを買うことになるのだ

(略)

 「所有権の購入」から「アクセス権の定額利用」への転換は、これまでのやり方をひっくり返す。所有することは手軽で気紛れだ。もし何かもっと良いものが出てきたら買い換えればいい。一方でサブスクリプションでは、アップデートや問題解決やバージョン管理といった終わりのない流れに沿って、作り手と消費者の間で常にインタラクションし続けなければならなくなる。それは1回限りの出来事ではなく、継続的な関係になる。あるサービスにアクセスすることは、その顧客にとって物を買ったとき以上に深く関わりを持つことになる。乗り換えをするのが難しく(携帯電話のキャリアやケーブルサービスを考えてみよう)、往々にしてそのサービスからそのまま離れられなくなる。長く加入すればするほど、そのサービスがあなたのことをよく知るようになり、そうなるとまた最初からやり直すのがさらに億劫になり、ますます離れ難くなるのだ。それはまるで結婚するようなものだ。

(略)

 アクセス方式のおかげで消費者が製作者により近づき、あるいは消費者がますます製作者のように行動するようになって、1980年に未来学者のアルビン・トフラーが命名した「プロシューマー」になっていく。ソフトウェアを所有する代わりにアクセスすれば、そのソフトが改良されたときにそれを共有できる。それはまた、あなたが雇われたことも意味する。あなたは新たなプロシューマーになり、バグを見つけて報告するよう促され(会社のQ&A部門の人件費を抑え)、フォーラムで他のユーザーからの助言をもらい(会社のヘルプデスクの人件費を抑え)、自分用にアドオンや改良版を開発する(高コストの開発部門を代替する)ことになる。アクセスによってそのサービスのありとあらゆる部分とのインタラクションが増えていくのだ。

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2016-08-20 ムーグ・ノイマン・バッハ 細野晴臣・鈴木慶一・冨田勲 このエントリーを含むブックマーク


ムーグ・ノイマン・バッハ (COMPUTOLOGY BOOKS)

作者: 甘利俊一, 鈴木慶一, 細野晴臣, 近藤譲, 冨田勲

メーカー/出版社: ソフトバンククリエイティブ

発売日: 1988/01

|本| Amazon.co.jp

  • 対談=細野晴臣VS鈴木慶一(機械百景)

[つい買ったけど『スイッチト=オン・バッハ』はつまらなかった]

細野 70年代の初頭は、ちょうどレゾナンスの時代だよね。シンセサイザーというとレゾナンスがかかっているものだと思ってた。

ビジネス

――73年にはっぴいえんどが解散していますね。同じ年に、はちみつぱいとかキャロルがレコード・デビューしていますね。

鈴木 はっぴいえんどは、いわゆるビジネスにならなかったよね。70年代の最初のころ、60年代末から70年代の前半にかけては、ビジネスというものは僕の意識の中になかった。今でもあんまりないのかもしれないけど。

細野 日本の経済もそうだったんだよね。

鈴木 意識がないところで、まあ音楽をやっていた。

細野 ある意味では、音楽は健全な仕事だったんだね。「仕事に行ってくるよ」って感じでベースを弾いたりね。(略)ビジネスというと、もっと組織的な戦略じゃない。

鈴木 仕事っていうと、ベース一本で行けるっていう感じですね。

細野 そうそう。日雇いの感覚でね。非常にのんきだったよね、あのころ。今そういう感じしないよね。(略)

気軽でいいんだけど、あれ。(略)終わると並んでお金をもらって帰るとかね。

鈴木 ビジネスだと「三ヶ月あとに入ります」とかね(笑)、そうなっちゃう。

細野 ミュージシャンは、もともとビジネスという概念を持っていないからね。最近がおかしいんだよね。

鈴木 ミュージシャンがビジネスを考えると、非常に頭が破裂しそうになっちゃうね。考えられる人もいるのかもしれないけれど。

細野 80年代の経済がピークのころは、結構音楽と経済が結び付いていた。今はまたダメになってきたから、音楽をやっている人は、音楽好きな人しかいないんだよ。

鈴木 若い人で?

細野 うん。あまりビジネスを考えてやっていないね。

鈴木 そうだね。若い連中と僕たちの間にいる、ビジネスを考えているヤツってダメなんだよね。

機械への拒否反応

[リズム・ボックス、最初は不気味な存在で使わなかったと鈴木]

細野 [スライ&ザ・ファミリー・ストーンが使ってから見方が変わった]

それからリンね。リンドラムというのは、YMOのレコーディングのときに「使え」って売り込みにきたもの。当時はまだ、幸宏がドラムで頑張っていたからね(笑)。「そんなものいらないよ」ってことわったんだ。

鈴木 最初は、機械って絶対そんなものいらないって思うんだよね。リズム・ボックスが出たときもそうだし、シンセサイザーが出たときもやはりそうで、最初そんなものいらないよって思うんだよね(笑)。(略)

ミュージシャンて臆病なんだ。最初に一応拒否反応がある。(略)

イミュレーターが出たときも、悪魔の楽器っぽいと思ったね。

細野 言ってたよ、これはNASAの侵略兵器から生まれたものだって。色がNASAの色していたでしょ。

鈴木 それに「これじゃ、ミュージシャンなんていらないんじゃないか」という反応があった。

細野 メロトロンのときに騒ぎがあったじゃない。ビートルズが使ってね。

鈴木 イギリスのミュージシャンのユニオンから文句が出た。

細野 深刻な話だなと思って聞いていたけれど。

鈴木 結局別にたいした問題じゃなかったんだよね。

細野 みんな臆病なんだよ。

鈴木 そうなんだよ。臆病なんですよ。

細野 でも、結局そうなってるんだよね。(略)ドラマーが職を失ってきたりさ。一時スタジオ・ミュージシャンという聯業が、危機に瀬したわけだからね。

鈴木 だからトップクラスのドラマーで、スタジオの仕事で、月に何百万円というような人が、ツアーバンドに出なくてはいけないようになる。

細野 やめちゃった人もいるんだよ。今洗剤を売っているらしいけど。

鈴木 ああ、知っている。洗剤を売っている人って(笑)。

細野 あの人、トップクラスだったのにね。

鈴木 結局リズム・ボックスのせいでやめちゃったの?

細野 あの人は、昔からリズム・ボックスに合わせることに、異常な抵抗を示してたんだよ。(略)

きっとできるのに、観念として異常な抵抗を示すんです。そうすると体が付いていかない。だから絶対に合わないのね。それで、ノイローゼになってしまう人が多いんだよね。(略)

機械に負けてしまうわけだよ。

インドのテクノポップ

[タイ語の響きはおかしいという話から]

細野 インドもそうです。僕が、すでに79年に行ったときに、YMOと同じことをやっていたもの、手でね。(略)

コンピュータじゃないんだよ。(略)

YMOの初期も結構手を使っていたんだけど。

鈴木 タブラが入っているの?

細野 それが、オルガンのような音のシンセサイザーなの。確かシーケンサーも付いているんだよ。単なるシーケンサーだと思うんだけど。それを手で弾いているのか、あるいは、マニュアルで遅くしたり速くしたりして、サイケデリックな使い方をしているのかね。それを聴いてびっくりしたよ。シンクロニシティだと思ったもの(笑)。今はどうなっているんだろう。(略)

鈴木 コンピュータなのかな。

細野 いや、コンピュータは使っていない。

鈴木 インドの人って恐ろしいリズム感をしているからね。

手作り

細野 なぜコンピュータ・ミュージックが、日本でこんなに流行したかというと、日本人ってそういう「おこぼれ頂戴」が得意なんだと思う。例えば、イギリス人なんかは音作りが個人的で手作りっぽいじゃない。(略)

それに彼らは、画一的なものを避けていくじゃない。だから、コンピュータも一番最後にやっと使い出した。

鈴木 (略)今や伝説的になってるピーター・ゲイブリエルのサード・アルバムのドラムの音ね、「バシッ」というスティーヴ・リリーホワイト特許の音といわれるやつ。あれ作ったのは、エンジニアじゃなくて、本当はピーター・ゲイブリエルなんだって。(略)

そのレコーディング現場にいた人が、言ってたんだけど、スティーヴ・リリーホワイトは、そのとき眠っていたんだって。フィル・コリンズとピーター・ゲイブリエルが、何かをいじっていて突然発見したというのが真実らしいね。あれはエフェクターというよりも、乱暴なパンク的な使い方だよね。発想としては、エコーを絶ち切っちゃうんだものね。

細野 あれは失敗から生まれたような感じだね。

鈴木 それと同じ効果が、デジタルのリバーブで出せるようになって、世の中のドラムはみんなあんな感じになった。

細野 そう、あれが常識になったんだよね。

鈴木 でも、音作りに関しては原始的だったな。

細野 アンディ・パートリッジが?

鈴木 ベードラとかベースを入れていく作業なんだけれど、ハーモナイザーで、一個一個音程を変えたやつを何種類か作って、それをフェーダーに振り分けてスイッチングしていくんだけど、原始的だなと思った。(略)

細野 そこに喜びがあるんだよね。(略)

だから、ハーモナイザーでコーラスを作ったのと同じ喜びがあるんだよね。かんたんにできたらつまらないものね。

鈴木 日本だったら、かんかんにできるのにと思ったもの。

細野 かんたんにできるということは、誰にでもできるということだから。

鈴木 それはどっちがいい悪いではなくて?

細野 いや、そうじゃなくて。

鈴木 かんたんにできるのもいいかもしれないな。

細野 よくないよ、飽きちゃうもの。すぐ飽きられてしまう。

鈴木 イギリスってジョージ・マーチンのころから、そういう手作りっぽさがあるんだね。そして手作りに関しては自信を持っているね。

細野 ビートルズを生んだ国だから自信があるんだね。あれがシャドーズどまりだったら、こんな自信はないよね(笑)

コンピュータで作曲

細野 今コンピュータというのは、表現手段の基本として使われているでしょ。作曲法の基本としては別に使われていないわけ。ある時期、僕は、試しに作曲法の中に組み入れてみたんだ。そんな理論的にやったのではなくて、感覚的にどれだけになるかということでね。感覚の中に入ってこないと、好きになれないからね。それでやってみて、MC−4だったからできたんだろうけれど、例えばランダムな数字を打っていったり、あるいは、音を頼りにリアルタイムで打っていく。それとステップは別の問題で、音楽を違う次元で考えられるわけ。音楽を分解しちゃってメロディの流れ、音と音との相関関係をまず作ってしまう。

普通音楽ってそれをトータルに作るわけじゃない。それを分解してコンピュータを使って、音階のプロセスだけを作るとかね。そういうときはリズムを考えない。ビートを無視して、あとでステップを任意に作って、それを生理的に入れていくわけ。ステップの感覚をプラスするわけです。

鈴木 そのとき音程というのは認識しているの?

細野 うん。認識している。聞きながらやるから、それはフィードバックしているわけ。つねにフィードバックしながら作っていくと、今まで自分が作ったことがないような音楽ができるんだよね。当り前だけれどね(笑)。それが面白いのは決して的はずれでないということなの。

鈴木 的はずれでないということは、でき上がったものも自分のセンスの延長線上にあるということ?

細野 そうそう。結局感覚としては音の配列でしょ。これは自分のセンスで出てくるもので、音の長さとか、ゲイトとかステップも、非常に感覚的で生理的に入れていくわけで、やはり自分のセンスでできてくる。そうすると、トータルに聞くと、分裂されたものが初めて全貌が明らかになるというスリルがある。しかも、それは決して自分から離れていない。そういう感覚は味わったことがある。

鈴木 それは偶然性で作ったわけではないんだね。

細野 フィードバックで作っていく。それは一番面白かった。

鈴木 そうやって、ずっとやっています?

細野 いや。それはコマーシャルの仕事に一番いいみたい(笑)(略)

冨田勲

バッハというのは線画的な曲ですよね。だから、[『スイッチト=オン・バッハ』の]ウォルター・カーロスは線画的な描き方をしたんですよ。僕は、それと同じことをやったのでは二番煎じになるから、別な方向に目を向けて、逆にフランスの印象派の曲を取り上げた。これは線よりも色彩ですね。シンセサイザーを手にしたときに、いろいろな音色の出る画家の使うパレットではないかと思ったんですね。(略)

シンセサイザーでなければできない色彩でもって、特徴を表現するというものには、僕は、ドビュッシーのピアノ曲が一番ふさわしいのではないかと思ったわけです。

(略)

[日本のレコード会社に持ち込んだが、ジャンル分けできないから売れないと門前払い。『スイッチト〜』のディレクターが]RCAレコードに移籍したばかりだということを聞いて、「移籍したばかりなら、何か新しいことをやろうと、彼はきっと考えているに違いない」ということで、ニューヨークヘ持って行ったわけです。そうしたら、彼が飛び上がって喜んじゃって、「もうこれはすぐRCAでレコードにするよ、すぐに記者会見だ。一ヵ月後に来てくれ」と言うんで行ったら、ビルボード、キャッシュ・ボックス、ニューヨーク・タイムズ、タイムといろいろな雑誌関係の記者を呼んでRCAの第一スタジオで非常に大きなパーティをやってくれたんですよ。

「日本ではパーティのときに、どういうようにやるんだ?」と彼が聞くから、「ホテルオークラなどでやるパーティでは、てんぶら屋とかいろいろな出店が出てるよ」と言うと、「それなら吉兆を呼ぼう」と(略)

[一週間後にはチャート・イン](略)

当時ビルボードのチャート・インに誰も気が付かなかったんです。ある日知り合いの音楽出版社の方から、突然電話がかかってきて「アメリカのビルボードにトミタというのが出ているけれど、それはあなたですか?」と言うんで、「そうですよ」と答えたんです。それから大騒ぎになって、「日本ではどこも出していない、どうしてか?」っていうんで(略)当時のRCAが、十ヵ月ぐらい遅れてあわてて出したんですよ。(略)

日本はアメリカから逆に原盤を買わなくてはいけなくなったわけです。今もそうですよ、RCAと契約していますからね。

(略)

[デジタルになって便利になったが]

自由度からいくと、ムーグ・シンセサイザーには勝てないですね。(略)

僕は、今、ムーグ・シンセサイザーで作った音は、全部シンクラビアに入れて、覚えさせるようにしたんだけれど、例えば『月の光』という曲の上にずっとスリップしていくような音、あれはデジタルに入れちゃうと、全部上がり方が固定になってしまうんですよ。(略)やはり面倒くさくても、ムーグ・シンセサイザーでもう一回作る以外ないですね。

(略)

そういえば、マイケル・ジャクソンがうちに来てね。この間来日していたときに、突然訪ねて来たんですよ。彼もシンクラビアを使っているし、僕も使っているから、デジタルの一番の先端について興味があって来たのかと恩ったら、何と古いムーグ・シンセサイザーに、彼は一番興味を持っていた。もうアメリカにないんだそうですよ。彼は、『スノーフレイクス・アー・ダンシング』のホイッスルの音はどうやって作るのかということに興味があって来たんですよね。彼みたいなミュージシャンが、アナログの一番旧式な音に興味を持つということは、音楽テクノロジーにおいても、リバイバルという傾向が出てきたのかな。

マイケルこれを観たんじゃなかろうか。

Isao Tomita When you wish upon a Star

D


DX7 30thアニバーサリーブック (ヤマハムックシリーズ )

作者: 上笹敏人, 松武秀樹, 篠田元一, 古代祐三, 佐野信義, 藤本健, 佐々木渉, 生方則孝, 福田裕彦, 向谷実, 井上鑑, 笹路正徳, 小川文明, 藤井丈司, 大浜和史, 氏家克典, 浅倉大介

メーカー/出版社: ヤマハミュージックメディア

発売日: 2014/03/27

|本| Amazon.co.jp


松武秀樹スイッチト・オン・シンセサイザー サウンド&レコーディング・マガジン・アーカイブ・シリーズ1

作者: 松武秀樹

メーカー/出版社: リットーミュージック

発売日: 2016/08/03

|本| Amazon.co.jp

2016-08-17 Cut 91年1月号 プリンス、いがらしみきお このエントリーを含むブックマーク

Cut 1991年1月 Vol.7

MIKE TYSONマイク・タイソン

半年以上の沈黙を破り、タイトル奪還に賭ける新境地を赤裸々に告白。

DON KING ドン・キング

世界のリングを動かす、ボクシング界最大のプロモーターが語る金、名誉、人種差別。

PRINCEプリンス

『ブラック・アルバム』以降に訪れた心境の大変化を、プリンス自身の口から語る。

MARTIN SCORSESE マーチン・スコセッシ

闘う男たちを描き続ける映画作家が、そのパッションに満ちた半生を振り返る。

筒井康隆

遂に登場、文学部唯野教授による筒井康隆解説。

いがらしみきお

『ぼのぼの』の作者が、ネ暗とは程遠いトレンド渡り歩き人生を明かす。


プリンス/グラフィティ・ブリッジ 特別版 [DVD]

メーカー/出版社: ワーナー・ホーム・ビデオ

発売日: 2013/11/06

Amazon.co.jp

『ブラック・アルバム』以降に訪れた心境の大変化を、プリンス自身の口から語る。

(略)まだ真新しいスーパースターの座に、居心地の悪さを感じている兆候をプリンスが全く示さなかったわけではない。独りきりなると彼は活気づき、ファニーで自信たっぷりだった。しかし人前に出ると、たとえそれがミネアポリスのファースト・アベニューのような気安い場所であっても、誰かが無神経な一瞥をくれたその瞬間、彼は花崗岩のように表情を硬直させ、その声もはっきりとは聞き取れなくなってしまった。

 今のプリンスはずっとオープンで気軽そうだ。ヒステリーを起こす気配はない。「ああいう立場だと、選択の余地がほとんどないんだ」と彼は、『パープル・レイン』に続く最初の一年間を回想する。「自分の殼に閉じ籠もって周囲を呪いつづけるか、それともこれが人生なんだと割り切って、精一杯楽しもうとするか。(略)

前よりずっといい奴になれたと思うよ」

(略)

 その毒舌も健在だ。(略)「僕は他の誰よりも優れてるって言うつもりはないけど、グラミーに出てU2に負けたりしたら、思わずこう口走るだろうな。『ちょっと待って。僕だってあの手の音楽はプレイできるよ。若い頃は、ラ・クロッスでもプレイしてたんだ。僕だってやり方は知ってるってことさ。おわかり?けど君たちに“ハウスシェイク”は出来ないだろ』って。

 歴史や現在の出来事に関する知識には、相変わらずかなりのムラがある。リトル・リチャードやジェリー・リー・ルイスのバイオグラフィーをほとんど空で言えるプリンスだが、数年前、イギリスの音楽ジャーナリストが彼自身のライフ・ストーリーをものしたことはまったくご存じなかったらしい。

(略)

 精神的な苦痛は、今もいくらか残っているようだ。「僕の回りの人たちが、みんないなくなったらどうなる?」彼は訊ねる。「残るのは僕ひとり。やりくりするのも僕一人だ。だから僕は自分を護らなきゃなんない」

(略)

プリンスが賛美する監督として、まっさきに名前を挙げたのはウッディ・アレン。「だって僕、ファイナル・カットの権利を持っている監督はみんな好きなんだ」(略)

『バットマン』ヘの参加は、メガトン級ヒット作の製作現場をスパイする機会を彼に与えてくれた。ロケ先で作曲したプリンスは、ほとんどの時間、脇に留まり、じっと現場を観察していた。(略)

 バートンは、長年のプリンス・ファンであるジャック・ニコルソンの推薦で彼を起用した。ニコルソンとは一度も会ったことのなかったプリンスだが、セットでこの俳優の演技を見るなり、「パーティマン」の着想を得たそうだ。「彼はただこっちに歩いてきて、腰をかけ、テーブルに足をドカッとのせた。すっごくクールだった」とプリンス。「その態度には、モーリス(・デイ)を思わせるところがあった。で、あの曲が出来たんだ」

(略)

[『グラフィティ・ブリッジ』は]再生したザ・タイムのために企画されたもので、プリンスは裏方に徹する予定だった。しかしワーナー・ブラザーズは納得せず、そのためプリンスは彼自身も登場する新しい脚本を書き上げた。

(略)

「モーリスにはこの映画をさらって欲しいんだ」彼は『パープル・レイン』後のいさかいを回想していた。「あいつ、今でも僕を叩きのめすつもりでいるのさ!」(略)

 最初のうち、デイと彼のバンドについてかくも好意的かつノスタルジックに語るプリンスが、奇異に思えてならなかった。『パープル・レイン』の直後、デイは彼のボスの独裁的なやり方を口汚なく罵り、そのままミネアポリスを後にした。そして今、プリンスは「どうやって僕らがよりを戻したのか、正直言って思い出せない」と言う。

 しかし、デイのプリンスはボス面しすぎるという往時の告発が、さらに苦々しい記憶を呼び覚ましたようだ。

(略)

 とうに語り尽くされた話の一つに、プリンスが1982年、当時はまだ無名だったテリー・ルイスとジミー・ジャムをザ・タイムから解雇したというのがある。当事者全員が認める通り、ジャムとルイスはザ・タイムのツアーのオフ日を利用して、SOS・バンドのレコードを初プロデュースした。突然の風雪により、彼らはさらに一日アトランタで足止めされ、その結果、ライヴを欠席してしまった。ジャムとルイスは、その場で解雇された。

[その後、二人はプロデューサー・チームとしてブレイク、ミネアポリスのもう一つの柱に](略)

「僕が、悪者にされてるのさ」とプリンス。

「けどテリーとジミーをクビにしたのは僕じゃない。モーリスが、僕が彼の立場ならどうするだろうって訊いてきたんだ。あれは彼のバンドだったってことを忘れないで欲しいな」(略)

[二人に]プリンスは何ら悪意を抱いていないと言う。「僕らは友だちだよ」と彼。「兄弟のようにお互いをよく知り合っている。ジミーはいつも、ミネアポリスに音楽シーンが確立されたのは、僕の力だと言ってくれるんだ。感謝してるよ。テリーはもっと超然としてるけど、その辺は承知してるから」。彼らの音楽については?「テリーとジミーはミネアポリス・サウンドにそれほど入れ込んでないんじゃないかな。それより、自分たちの手がけたレコード全部をヒットさせたがってる。それが悪いって言ってるんじゃないよ。ただ、僕らのやり方は別物だってこと」

(略)

[再結成してザ・タイムが素晴らしくなったため、同様の効果を狙いレヴォリューションを解散させた]

 レヴォリューションの解散がすんなりと受け入れられたわけではない。かつての親友だったウェンディ・メルヴォイン、リサ・コールマンとの関係は、どことなくぎくしゃくしてしまっている。(略)

 「今だにずいぶん泣き言を聞かされるんだけど、あれは堪らないな。僕が知ってた頃の二人は、やる気満々の素晴らしい人間だった。正直言って、何でああまで傷ついてるのかわからない」

(略)

[“BLACK ALBUM”が]がオクラ入りした理由は、レコード会社のプレッシャーや、曲のクオリティとはまったく関係がなく、プリンスによると、「多くのことがらが数時間の内に起こった」とある暗い夜が契機となった。具体的には話してくれなかったが、とにかくその晩、彼は「神」という言葉を見たという。「僕の言う神は、ケープをまとって地上に降りてくる髭面の男のことじゃない、その気になれば、ありとあらゆる物の中に見出せる存在なんだ」「あの頃は、終始怒り狂ってた」彼は続ける。「それがあのアルバムにも反映されていた。僕は突然、自分たちがいつ死ぬともしれない存在であること、そして最後に残した物で審判が下されることに気がついたんだ。あの、怒りに満ちた苦々しいアルバムが最後の作品になるなんて耐えられなかった。いろいろと勉強になったけど、もうあそこには戻りたくない」

(略)

 プリンスとスプリングスティーンは、折にふれて書簡を交換している。数年前、バック・ステージから観たスプリングスティーンのコンサートを回想する際、プリンスは、他人の軍隊を評する将軍のような敬意を示した.

 「観客の心をつかむ彼のやり方には、ほとほと敬服した。あのファン層だけは、絶対かっさらえないだろうな」とプリンスは笑みを浮かべる。(略)途中、バンドの演奏が散漫になってきてね。スプリングスティーンは振り返ると、すごい目でバンドを睨んだんだ。彼ら、その場でピシッとしたよ!」

(略)

「雨が降ってる」とデヴィソンがプリンスに 話しかける。「雨が降ってる」とプリンスはくぐもった声でオウム返しに答える。その目は、1000ヤードも向こうを見やっていた。その数秒後、雨に濡れながら歓声を上げるスイスのティーンエイジャーたちは、「1999」の最初のビートを耳にする。

(略)

[ショウを終え、次の国へ向かう機中で]

「神様にお祈りする時、僕はこう言うんだ。すべてはあなたの思し召しです。召される時には、歓んで召されましよう。けれど、この地にいるのを許していただけるうちは」――そこで彼は手を打った――「せいぜいヤンチャさせてもらいます!」

 バンド仲間とサポート・スタッフの鼾に囲まれて、プリンスは今、席に備付けのちっぽけなスポットライトの下、独りでジャムし続けている。その日のステージのテープを聴きながら、ロンドン到着まで、プリンスは夜通し起きているのだ。


ぼのぼの(1) (バンブーコミックス 4コマセレクション)

作者: いがらしみきお

メーカー/出版社: 竹書房

発売日: 2013/08/23

|本| Amazon.co.jp


ネ暗トピア(1) (バンブーコミックス 4コマセレクション)

作者: いがらしみきお

メーカー/出版社: 竹書房

発売日: 2013/10/25

|本| Amazon.co.jp


フーテン―青春残酷物語 (シリーズ黄色い涙)

作者: 永島慎二

メーカー/出版社: まんだらけ

発売日: 2008/06

|本| Amazon.co.jp

  • いがらしみきお

[家が床屋でマンガに囲まれていた。原体験は]やっぱり『巨人の星』とか、スポ根ものですよね。で、残念なことに、手塚治虫さんのマンガに夢中になったというのが、あんまり記憶にないんですよね。いきなりスポ根になっちゃった(略)少年的な、いかにもマンガ的なものを読んだっていう記憶がほんとどないですよね。(略)

[やがて『ガロ』の時代が来て]

トラウマとして永島慎二のマンガっていうのは残ってますよ(略)根はあの辺でもう作られちゃったのかもしれませんね(略)この前、復刻版が出たんですよ、『フーテン』の。であれを見てですね、こう、さめざめ泣いたりして(笑)(略)

動かし難いですよやっぱり、ルーツはあの辺だっていうのは。いくら隠してもダメですよ。ですから、いきなり永島慎二に行って、そのあとやっぱり『ガロ』系の安部慎一とか、あと鈴木翁二とか(略)

ああいう、暗いやつですね。だけどあの頃みんな何か作るものもほとんどみんな暗かったでしょう(略)

音楽にしろ、ロックにしろねえ。まあ舞踏にしろジャズにしろ、僕はみんな暗いと思ったけど。ですからね、暗いのがトレンドだったんじゃないでしょうかねえ

(略)

[いつかはマンガ家になると思いつつ東京で色々やっていたが]

都落ちしましてね。東京で借金が膨れちゃったから、で、おやじが『肩代わりしてやるから、お前田舎に帰って来い』っていう風に交換条件を出されたんですよ。(略)

[工員をやった後、5、6年、印刷屋でチラシやポスターを作っていた。いしいひさいちが売れたので4コマ漫画を書き、エロ劇画ブームが来たので会社を一日無断欠勤して『漫画エロジェニカ』に持込。担当編集者がいないと言われ、原稿を置いてきたら、翌月、いきなり勝手に掲載された。その原稿料はまだ貰ってない]

(略)

印刷屋にいたあたりが一番屈折してましたよね。(略)

『描けば大丈夫だ』って。じゃあ何で描かないんだいっていうのがあって、『それは怖いからではないか』とかね

(略)

社長とも仲が悪かったですからね。でもう毎日毎日、きっかり15分遅刻して行ったりなんかしましたからね(略)

それはもうみんなの中でも浮いちゃうわけですよね。で、3時の一休みだとかいっても、一人でポツーンと(笑)(略)話題に加われないまま、一人でコーヒー飲んでたりとか、そういう青年でしたからね。で、それをやっぱり5、6年続けるわけでしょう、これは屈折しますよ。私の暗黒時代ですけどね」

――だけど、それがあったから『ネ暗トピア』もできたんで(略)その一時期がなければ、アレでしょうね、いがらしさんのマンガの作風も違ったものになってたかもしれないですね、多少。

 「そうですね。少なくとも四コマを描いたりはしなかったと思いますよね。たぶんいまだに劇画でデビューとか、そういう風に考えていたんじゃないかと思いますからね。

――『ぼのぼの』が売れる自身はありましたか?

『俺は何万部ぐらい売れるのか』っていう、そういう部分はなんか試してみたいなあという気持ちはやっぱりありましたからね(略)[ただ]50万売れるとは思ってなかったです。20万ぐらいは行くと思ったんですよ。だけど20万売れるんじゃないかと思ったら、やっぱり50万売れますからね、マンガっていうのは。で、10万しか売れないんじゃないかと思うと、やっぱり10万だったりしますけどね(略)20万行くんじゃないかと思うとやっぱ、それ以上行きますよ。そこんとこはやっぱ、10年やるとよくわかりましたね

――ただここ最近になって気になるのは、だんだん人生訓的になってきているんじゃないかという

 僕が『ぼのぼの』を始めたあたりはですね『いまは男のマンガ家で説教するやついないじゃないか!』とか思ったんですよ(略)『男の世界観みたいのを描くやついないじゃないか』と思って。例えば少女マンガだと大島弓子さんとか、ああいう方がいらっしゃいますよね(略)

で、『男は何を考えているの』とか『世の中のことをどう思ってるの?』とか訊かれた場合に、それを描いている人はまずいなかったんですよ。ですから、この辺で説教臭いやつもみんなほしいはずだって。『わかった。俺が説教してやる』とか。(略)だから大島弓子さんていうのはね、頭の中にあったんですよ。男・大島弓子になってやろうと思って

いがらしの方法論を拡げた若手作家への感想は?

[最近マンガを読まなくなったので]正直言うと読んでないんです。(略)

[ずっとパソコンにはまっていたが]

やっぱり読めば面白いです。ただ読もうとしないのが問題なんですよ。だから、あんまり一概には言えないんですよ、いまの新しい四コマを描いている人々が、どういうのだって。読めば面白いですよ、たしかに。才能もあると思いますよ。だけど、あの先には何もないんだなあっていうのがよくわかるんですよ、自分でやったから(略)

やっぱ滝の手前まで行ったんですよね、自分では(略)で『この先どうするんだ?』っていうとこまで行きましたから、じゃあ滝を下りてまた向こうの世界へ行くっていう手もあったわけですよ。で、そうなるともう発表できるところが、『ガロ』しかなくなっちゃうんですよね。(略)僕はね、あのアートが嫌いなんですよ。でそっちに行って『いがらしみきおのマンガはアートだ』と言われたら、もう俺は首くくろうかなと思うぐらいで。(略)

で、そっちに行くんだったらもう、どんどん、どんどん50万売りましたとか言ってるほうがまだカッコいいなと思うんですよ

(略)

私はね、その道のNo1だっていう人じゃないと読まないんですよ。ですから、もう一つ付け加えるんであれば、絶対的に新しいっていうのはあり得ないですけどね、ですけども新しくないとやっぱり読まないんですよ。あとは自分も描けるっていう、そういう傲慢な考えが頭の中に出ちゃうと、もうダメなんです。決してほめられないんです。ほめても『まあ、あれも面白いよ』とか、まあそんなこと言うぐらいでしてね(略)

で、これは何なのか、性格が単に悪いだけなのか、それともプライドがそう言わせるのかわかんないですけどもね。少なくとも言っちゃダメだよっていうのがあるんですよ(略)

例えば大友克洋さんという人いるでしょう。大友さんをほめた口で、こっちが面白いんじゃないかっていう人に対して『面白いよ』って言っちゃダメだよ!っていうのがあるんです。で、これは一つ、私の中にあるルールみたいなもんですからね。ですから、う〜ん面白いよと、そういう風にしか言えないです」

  • 筒井康隆

唯野教授キャラの筒井康隆インタビューの冒頭。

――まずは本誌のような訳のわからぬ雑誌で「唯野教授、筒井康隆を語る」などという、すべての出版社が“オイシイ”とヨダレをたらしそうなテーマでのインタヴューをお引き受け頂いたことを感謝します。

「とんでもない。たった一時間のインタヴューであなた、四十万円も頂けるとなりゃ誰だって自己凌辱的にOKします。オイシイのはこっち。

2016-08-15 本当の強さとは何か 中井祐樹・増田俊也 このエントリーを含むブックマーク

中井祐樹と増田俊也の対談本。


本当の強さとは何か

作者: 増田俊也, 中井祐樹

メーカー/出版社: 新潮社

発売日: 2016/07/15

|本| Amazon.co.jp

柔道家の寝技に対する意識改革のすすめ

中井 柔道家の寝技練習はみんな寝たところから始める。それじゃ駄目ですよって。「立って逃げたらだめ」とか、そんなことを言う。でも柔道家はブラジリアン柔術家がやってるような本物の寝技、緻密な寝技の練習をしない。「柔道家には投技があるから相手が寝技にきたら立って逃げればいい」って。だったら普段の練習でも相手が寝技にきたときに立って逃げる練習もしないと。それを寝技だけの局面で練習してるようじゃだめです。試合中に立って逃げたいのに、どうして練習で立って逃げることをやらないんですかっていうこと。練習でやらないことが、試合でできるわけがない。それではだめです。

(略)

柔術の寝技技術を柔道家に教えると、よく「このシチュエーションにならないんですけど」って言ってくる。でも「ならないのは知ってますよ」って僕は言う。「だけどね、これをきっちりできるようになれば自分が下になっても負けないんだ、下になっても勝てるんだっていう思考に変えていく第一歩にはなるよ」と。だって柔術家なんて寝技技術がどんどん進んで「下のほうが有利なんじゃないか」って、そこまで思考がいっちゃってる。

(略)

でも柔道家はみんな、下になったらカメしかしないし、それでは寝技がうまくなる機会がないじゃないですか。下の人間はカメになるか二重搦みしてる、上の人間はカメ取りか足抜きしか練習してない。この2つのパターンだけで、本当の寝技の練習になってないもん。だからクローズガード(胴がらみの体勢をブラジリアン柔術ではこう呼ぶ)から始める日があってもいいと思うし、寝技への引き込みありの日があってもいいんじゃないかと(略)。グラウンドに持ち込む手段を学べば、たとえば自分が下になる危険性がある巴投げとか隅返しとか、そういう投げ技を積極的にかけられるようになる。

(略)

グラップリングとか柔術とかでスタンダードとされてるものとか常識的なものとかも、もう無いんですよ。技術が完全にミックスされちゃって。でも柔道のなかには柔道の寝技しかない。そこが問題なんです。もっともっと外から技術を取り入れないと。もちろん逆に言うと柔術家とかグラップラーが柔道ルールで柔道をやって勝てるのかっていったら、絶対に勝てないですよ。柔道の技術に特化しなきゃ勝てないから絶対に無理なんですけど、でも海外のトップ柔道家はブラジリアン柔術やグラップリングやサンボと交流してリサーチしてますよね。もうパッと見ると「こいつグラップリング絶対やってる」とか「ドリル練習やってる」とかわかるんですよ。

ブラジリアン柔術の問題点

中井 ブラジリアン柔術に弱点があるとすればブラジリアン柔術のルールのことだけしか考えなくなること。昔から言ってるんですけど、ブラジリアン柔術のルールに則ったものが柔術だと9割の人が思い込んでいるんですよね。「あ〜、普及して失敗しちゃったな」と思いますね。すごく良かったけど洗脳しちゃったなと。ブラジリアン柔術しか考えられない人を作っちゃったなとは思ってます。それへのアンチはありますね。これからの図を描くときに、柔道も同時にやろうね、と言い続けないと。(略)

寝技だけやってると腹筋と背筋のバランスを崩して腰を痛める人とか出てきちゃうんですよ。(略)

物凄く下からのグラウンドがうまかった子が、腰痛めて何人も挫折していくのを見ているんですよ。そのときに僕はすごく落ち込んで「こんな崩れ方するんだったらやらせなければよかった」と思って。腰が柔らかいけど、腰痛がすべり症になってしまって。(略)

だから下のポジションになるのがどれだけ好きでも、教え方を常に考えていかないとだめなんてすね。(略)

いまやってる人たちが20年後どうなってしまうのか、それは心配ですね。だからやっぱり立技もやらないと。柔道もやってほしい。

「文子絞め」

中井 初めて話しますけど、僕は北大柔道部が休みの日は札幌市内の町道場を巡ってたんですよ。あと公共体育館でやってる愛好家たちの柔道の集まりとか。しらみつぶしに回ってたんです。それで色々と教わって。そのうちに、いまも使ってるこれ(と言って2本の指を突き出す)、「文子絞め」っていうのを覚えた。文子さんて女性が使ったらしいんですよ、2本指で。(略)これで絞めるんですよ。そんなわけねえだろって、僕は。当時は一応、覚えたけどずっと使ってなくて。でもいま、僕、ものすごく得意なんですよ(笑)。これが使えるシチュエーションがあるんですよ。ある1個だけなんですけど、これができる場面があるんです。

増田 文子さんてOLさん?

中井 いや、わからないんです。あれは89年か90年か、もう25年経ってるんですけど、そこを仕切ってる先生が教えてくれたんです。昔、文子さんという人が使ってたんだと。そういう町の変な技を収集しようと思って道場巡りをしてたんです。

(略)

増田 これってすごく、後世の格闘家のインスピレーションになるね。ただの市井の女性が考案したものが、日本ブラジリアン柔術連盟のトップが使える技になってるっていうのが。

中井 だから、本当に生きている人には会えるうちに会っておかないと、って思いますね。色々と話を聞いて、吸収できるものは何でも吸収したいですよ。そのときはピンとこなくても、何年かたってから実用的に使えることがあるんですから。

柔術家も柔道家と練習しろ

中井 (略)柔道出身の柔術家、芝本幸司とか中村大輔とかいるんですよ。(略)「本当ならあいつらは柔道に戻ればいいんだよ」と言ったことがある。「柔術で身に付けたものを柔道界に教えてあげればいいのに」って。誰も柔道から逃げたとか辞めたとか、言ったりしないと思う。強かった人間だから、行きづらいんだろうけど、俺みたいに半端な所にいると、空気を読まないことはできるけど、あいつらは空気読んじゃうんだよね。(略)俺が日大に出稽古に行く。「他のトップ柔術家も来ればいいじゃん」って誘ってる。でも来ないんですよ。予想はしてたけど、これがいまの柔術家のよくないところだと思うんですよね。(略)

[柔術マスターズの黒帯・茶帯が「年齢的に一線じゃないから」負けてもいいやという感じで柔道へ出稽古して]

「柔術が通じないんですね」って驚いて言ってくる。「あのな、あんたらいつも柔道家はカメになるからとか、足関節がないからとか柔道の寝技をバカにしとったやないか」って。「やってみて通じんてわかったやろ」と。柔術家は自分から引き込んで正対する。「でもカメになるのは恥だからってそのまま正対やってたら柔道家特有の強力な足抜きで足を抜かれるよね、そしたら胸合っちゃうよね、なったらおしまいだろ」と。(略)「カメをやるのは必要悪なんだ」と。「カメは悪い」って言ってる人間は一面しか見ていないんだ。

(略)

悪いけど、柔術家が外に出られないんだったら柔道とかレスリングをやってたフィジカルの強い奴に柔術を教えこむしかないと思ってるよ。興昧持ってるやつにはバンバン教えちゃうし。で、そのとき俺は言うさ「俺たちがやってる柔道の方が本当の柔術です」って。「立技もできるから」ってな。それぐらいの刺激はしないと。

講道館で柔道の寝技を教えたい

増田 このあいだ言ったよね。講道館と全柔連に一緒に挨拶に行こうって。先生方に紹介するから。トップの先生方に会って、中井がこうこうしたいって言って頭を下げれば、それは十分通じるはずだと。(略)中井が講道館で寝技を指導する、それが中井の柔道界への一番の恩返しだと思う。(略)

中井 本音を言ったら、講道館で柔道の寝技を教えたいですよ。(略)

入れてほしいですよ僕を。まあ、いろいろ問題あるんでしょうけど。(略)

増田 富木謙治先生が嘉納治五郎館長から「植芝盛平のところへ行って離れた間合いでの乱取りを研究してこい」と背中を押されて、植芝道場へ入門した。だけど戻ったときには嘉納先生が亡くなっていて、排斥されて、ああいうかたちで講道館護身術の形だけ残ったけど、当時中井と同じこと言ってるんだ。「私が植芝道場で修行して研究してきた柔道に使える離れた間合いの実戦技術すべてを自由に使ってください」と。「僕の名前は残さなくていいから、離れた間合いの乱取りもすべて取り入れてください」って。結局、それは叶わず、護身術の形だけが残った。でも形だけじゃ競技武道である柔道には似つかわしくない。本当はもっとたくさんの競技部分を戻そうとしてたんだよね。それは富木先生のお弟子さんに聞いた。あまりにも政治的な世界になっちゃってたらしい、当時は。

中井 つまらないですね、それは。僕の寝技技術も全部使ってくださいと言いたいです。

(略)

[日大の]金野潤先生が僕と組んでるのも、やっぱりまだ「何かやってるよ」ぐらいだと言ってましたね。「先生、立場悪くなったりしないんですか」と僕が気にして聞いたら。

佐山聡

増田 佐山聡先生のイメージというと、プロシューティングを特集したテレビの影響かどうか、すぐに殴る蹴るの人なんじゃないか、みたいに思ってる人もたくさんいる。「おまえ、やれ!思い切り蹴れって言ってんだろ!」、バチーンと殴って。

中井 全然、本当にすごく人当たりがよくて。

増田 純粋な方なんだよね。

中井 そうですね。いつも気軽な感じで話してくれるような人です。

増田 頭のなかが格闘技のことで一杯という。

中井 だったでしょうね。いまは違うでしょうけど。本当に気軽に話すような感じで、腰も低かったですし、そういう感じの人です。

増田 怖いイメージはひとつのポーズっていうのもあったんじゃないかな。

2016-08-12 「九条削除」論への反論、緊急事態条項を考える このエントリーを含むブックマーク

後半をチラ読み。


立憲デモクラシー講座 憲法と民主主義を学びなおす

作者: 山口二郎, 杉田敦, 長谷部恭男

メーカー/出版社: 岩波書店

発売日: 2016/06/30

|本| Amazon.co.jp

〈第六講〉 憲法九条の削除・改訂は必要か …… 杉田 敦

井上達夫「九条削除」論への反論

(略)井上達夫さんは、いまの九条を削除し、しかも「新九条」もつくらない、ということを主張しています。彼によれば、安全保障の問題は本来政策問題であり、その都度民主的に決定されるべきことだから、憲法に書かれるべきではないのです。憲法の役割は、権利の保護とか制度規定とか、政治的な議論のための土俵の整備に限られる。憲法は政治的決定の正統性を確保するためのルールにすぎない。その土俵の上で、どういう政治的決定をするかという内容に関わってはいけないのだ、というわけです。

 これに対して、いくつかの反論をしておきます。第一に、憲法には価値に関わることはいっさい書いてないかと言えば、そんなことはない。先にもふれた憲法二五条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定。これは、個人の生活に政府が介入すべきではないとし、福祉国家はもとより、租税にさえ反対するような自由放任主義思想の人びとから見れば、明らかに価値観を含んだ規定です。こんな条項は、自分たちの政治思想を差別している、ということになるでしょう。井上さんは、こういうものも削除すべきだというのでしょうか。

 また、九条と自衛隊の存在とが「ねじれ」ているという人びとは、自己責任がいわれ、格差が広がるいまの社会では、二五条も「空文化」し「すでに死んでいる」ので、こんなものは要らないとでもいうのでしょうか。井上さんは、文理解釈にそぐわないような条項を置いておくと人びとが憲法を軽んじるようになるので、九条護憲こそが立憲主義を損なっているという言い方もしています。俗耳に入り易い議論ですが、立法の原理と現実とが食い違うと立憲主義が損なわれるというのは、まったく間違っています。現実に迎合するのではなく、実態と異なる理念を立てているからこそ、憲法は現実を規範的に動かして行く作用をもつわけです。実態に条文を合わせることが立憲主義を保障するといった主張は、誤りです。

 「九条削除」論に反対する第二点として、「規制を撤廃すると自由な市場が出現してくる」という、井上さんの根底にある発想自体が疑わしい。(略)新自由主義者たちが主張するような形で政府による規制を撤廃しても、個人が勝つ見込みなどなく、強い大企業の主張がすべて通るようになるだけです。まして、思想的・言論的な争いや政治的な議論に関して、形式的に自由な市場をつくることは何をもたらすのか。

 井上さんは、九条は軍事的なものを制約しようとする側にとって有利で、軍事的なものを拡大しようとする側にとって不利だから公正ではない、と言います。いわば土俵が傾いている、というわけです。しかし、安全保障問題というのは、他の問題にもまして、政府に対抗する言論を立てるのが困難な分野であることを彼はいっさい考慮していません。政府はさまざまな情報を持っているし、それを秘匿します。特定秘密保護法ができる前から、さまざまな機密はありました。政府がこのような軍事的な行動が必要だ、それをしなければ国家は危機に陥ると主張した時に、データに乏しい側はどうやって反論することができるのか。かといって、政府の言うなりにしておけば、しばしば暴走し、不要な軍事行動に走ることは歴史が証明しています。したがって公正な議論を保障しようとすれば、あらかじめ政府に対して厳しい立証責任を課しておくこと、つまり九条のような規定をもつことは、きわめて合理的なのです。関連して、もしも自由で平等な議論空間ということを言うならば、メディアの自由が絶対的に必要ですが、報道への介入が進むいまの状況で、そうした点への考慮なしに形式的な平準化を言うのは無責任です。

 このように言うと、それなら憲法九条にあたるものがないアメリカなどでは、安全保障について公正な議論ができないとでも言うのか、と批判されることがありますが、私に言わせれば、できていません。アメリカでは、アイゼンハウアー元大統領自身が指摘したように、単産複合体、あるいは軍産官学複合体のようなものが高度に発達し、議論空間を歪めています。

 井上さんは、長谷部さんや私のような議論はエリート主義であり、人びとが安全保障政策についてきちんと議論できないと見なす反民主主義なのだ、だからこそ九条を削除するととんでもないことになると言っているのだ、とも言っています。しかしこれは誤解であり、私は国民に能力がないということを主張しているわけではありません。本当の意味で民主的に議論することを阻むような圧力が、議論空間にははたらいている。そのことを意識しないと非常に非現実的な議論になるということを言っているのです。(略)

〈第七講〉 座談会 緊急事態条項を考える

…… 長谷部恭男・石川健治・杉田 敦(司会)

長谷部 (略)ドイツでは、緊急時の権限の集中の度合いにも厳密な歯止めをかけており、権限の集中と同時に、立法・司法・行政の密接な協力と相互抑止の仕組みを設けているのです。

 しかし日本では、ドイツでは必要だった防衛上の緊急事態条項の必要性はきわめて乏しいと言わざるを得ません。というのも、日本はドイツのような連邦制国家ではなく、立法権が連邦議会と州議会とに厳格に分配されているわけではないからです。つまり、日本はドイツとは違って、緊急事態だからといって各州の立法権を連邦へと吸い上げる必要性がもともと存在しない。近ごろ話題となった日本国憲法五三条に基づいて、内閣が早急に国会を召集し、必要な法律を作ればよいだけの話です。

 また、ボン基本法で言及されている公用収用の問題は、日本では有事法制や災害対策基本法のような関連法令で解決済みです。身体の拘束についても、日本では刑事訴訟法上、もともと身柄拘束の期間が長い。そもそも、緊急事態に限って国民の基本権に特殊な制約を加えることは、有事法制があることからも分かる通り現憲法下でも十分に可能です。

 憲法の文言に「非常事態」や「緊急」と書かれているか否かにこだわることに、いかに意味がないか、これまでのご説明でご理解いただけるかと思います。

憲法制定権力

長谷部 (略)シュミットが『独裁』のなかで「憲法制定権力が抜き身で登場する」主権独裁の典型的な例として挙げているのは、フランス革命時、とりわけ、ロベスピエールが主導していたときの国民公会です。つまり、「革命の敵」だといえば、密告に基いて次から次へと人々を拘束し、即決裁判に基いてギロチン送りにしていた時のことです。(略)

石川 (略)普通の憲法学者が憲法制定権力論を採らなかったのは、その理論が大まか過ぎて技術的な法律論には使用に堪えず、その後、もっと使いでの良い法学的な国家論が開発されてきたからです。比喩的に言えば、憲法制定権力論はいったん「博物館行き」になった理論でした。

 しかし、ロシア革命とドイツ革命の勃発を受け、そうした革命的な事態を説明するための、いわば「革命の憲法学」が必要になりました。それまでの法律学的な「平時の憲法学」は、例外的な状況を説明するのに不向きであったために、かつてフランス革命を説明するために鋳造された憲法制定権力という概念を、埃を払って復活させることになりました。憲法制定権力論の復権を図った何人もの論者のなかで、際立ってブリリアントな議論を展開したのがカール・シュミットです。ですからその議論は、革命的な状況を説明する際には非常に鮮やかなものになる一方、つねに革命的にひっくり返りかねない不安定な状況を、平時においてつくりだしていく側面もある。シュミットが当初からワイマール体制をひっくり返そうと企てていたのかどうかは議論が分かれるところですが、危険な議論を持ち出してきたことに変わりはありません。

(略)

[シュミットは]「例外状態において誰が何を決めるのか」が一番の本質であるといった。それ自体は鋭い認識ですが、その点に照準を合わせて考えると、むしろ立憲主義的な制度がどうであるかは副次的な問題になるというふうに、いわば原則と例外をひっくり返した憲法解釈論に持っていったのです。そこが彼の議論の強みでもあり、危険性でもあった。本当に想定外の例外状況が起こった場合にどう処理するかということは、法理論上の問題としてあるわけですが、いま議論されているのは、これまではアブノーマルだと思われていた事態をノーマルなものにしていこうという制度上の議論ですので、その議論は分けて考える必要がある。ですから、「こんなことまで普通にできてしまうんだ」という「普通」の範囲を広げることの危険性を、まずは意識していただきたいのです。

緊急事態条項

 石川 (略)大日本帝国憲法における緊急事態条項として、「天皇の緊急勅令大権」の制度が用意されていました(略)さらに「戒厳大権」といって、天皇が戒厳大権を行使することができるようになっていました(略)

戦後に憲法をつくりなおそうというときに(略)戒厳はそもそも軍隊がないのだから不要だと整理され、非常大権も廃止が決まっていました。唯一残ったのが天皇の緊急勅令ですが、これについても、勅令の内容を決定・審査する機関として、帝国議会に閉会中も活動する「常置委員会」を新設して、緊急事態に対処させようというアイディアが出ていました。この日本側のアイディアが、GHQの介入の後も形を変えて生き残り、参議院の緊急集会の制度に結実しました。ですから日本国憲法は緊急事態を知っている憲法であり、なおかつ戦前の憲法のあり方をもう一度整理しなおして、参議院の緊急集会の制度を用意するという、首尾一貫した選択を行った憲法なのです。

 そのような憲法の緊急事態条項を、いまあえて変えようというわけですから、そこで何がなされようとしているのか、ぜひ注目していただきたい。緊急事態というと自然災害や外敵の侵攻だととらえがちですが、前者については法律の整備がすでに進んでおり、後者については日米安保条約によってイニシアティブはアメリカ側に握られていますから、おそらく議論の核心として次第に意味をもってくるのは、かつて戒厳と呼ばれていた、内的な緊急事態への対処の論点になるはずです。隠された動機ともいうべき「戒厳」の問題に、もう少し光を当てていく必要がある。

ボン基本法

 石川 (略)ボン基本法はきわめて護憲的な憲法であるということを、ここでもう一度強調しておきたいと思います。(略)これまでに60回近い改正を経験しました。この点を、憲法改正に積極的な論者はよく引き合いに出しますが、改正回数がやたらに多いのはドイツが連邦制を採っているからです。(略)州が持っていた権力を連邦に移す場合や、権限分配のあり方を整理する場合にも憲法改正が必要になる。郵政民営化をするにも憲法改正が必要だったほどで、とにかくちょっとしたことでも憲法を改正しなくてはならない。

 ところが、憲法の根幹については執拗なほどに護憲的です。冷戦下でつくられた背景からして、「自由で民主的な基本秩序」と憲法で謳う、西側の憲法体制へのコミットメントがきわめて強く、西ドイツ国民をそれに向けて縛り付けてきたのです。戦後すぐに共産党違憲判決が出たことや、最近でもネオナチの違憲の手続きが動きはじめているように、「自由で民主的な基本秩序」の擁護に極めて熱心です。(略)

ボン基本法は、俗に「たたかう民主制」と言われ、民主制の敵、あるいは憲法の敵には自由や権利を与えない。西ドイツは、一方ではコミュニズムの脅威にさらされ、他方ではナチズムを内側からつくってしまった負い目があるからです。だからこそ、戦後は真っ当な憲法体制でやっていくのだという強い意志を持ち、それを憲法裁判所によって担保し、国民みなが憲法に対して忠誠を誓うという「憲法忠誠」といわれる枠組みを採ってきたのです。(略)

ドイツを引き合いに出すときには改正の回数ではなく、それが「自由で民主的な基本秩序」に執拗にこだわってきた護憲的な憲法であって、護憲のためには左右両極を排除することも辞さなかった、という事実を念頭に置く必要がある。

2016-08-09 愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか このエントリーを含むブックマーク

中島岳志と島薗進の対談本をチラ見。


愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか (集英社新書)

作者: 中島岳志, 島薗進

メーカー/出版社: 集英社

発売日: 2016/02/17

|本| Amazon.co.jp

自由民権運動と「一君万民」ユートピア思想

島薗 中島さんの考えでは、設計主義的な漢意を否定して、古代社会の中に天皇と人民が一体化するような「一君万民」の理想を見出していく、ユートピア主義こそが右翼思想の源流だということですね。(略)

中島さんは、国学的な側面から王政復古を説明されましたが、私自身は、儒教の影響を重要視しています。(略)

日本の儒教では、祖先への「孝」よりも君主への「忠」のほうを重視する傾向が強くありました。

 ですから、維新という運動も、天皇に対する忠誠を掲げる復古であり、革新であると儒教的に理解されていたのではないでしょうか。(略)

 また、明治維新の年には、「祭政一致布告」が出されます。天皇による神道的な祭祀と政治とを一体化させ、国民的団結を強化し、国家統一を進めるのだという宣言です。(略)

政治統合の基軸となる天皇を国家の中心に置いて「上からの」統合をめざす、非常に儒教的な要素の強いものです。

 このように日本的な儒教思想が、明治維新の王政復古には強く流れ込んでいます

(略)

中島 中下級武士たちが「一君万民」的なユートピア思想に基づいて、天皇親政をめざし、討幕を果たしたにもかかわらず、明治維新後にも、階級社会は続いたし、国家は、まだ藩閥政治を続けていた。なぜ一部の特権化した人間が新しい国家を牛耳っているのか。これは、「江戸幕府のようなもの」がもう一度できたに過ぎないのではないか。(略)

[そこで「第二の維新」を起こそうとしたのが一連の士族反乱]

(略)

 自由民権運動と言うと、左派的な運動だと現代では分類されがちですが、当時、自由民権運動にコミットした人たちというのは、非常に強い天皇主義者が多かった。つまり、「一君万民」に基づいたナショナリストたちだったのです。(略)

[板垣退助の最初の団体名は「愛国公党」、のちには「愛国社」を作った]

彼にとって自由民権運動は、天皇のもとで「一君万民」を実現する愛国運動であり、万民の平等によって封建政治を打ち破ろうとするものだったからです。

(略)

自由民権運動の中から、日本の近代右翼の源流と言われる玄洋社が生まれてくる[玄洋社の三原則のひとつが「人民の主権を固守すべし」]

親鸞、暁烏敏、国体論

島薗 たしかに右翼思想が参照する本居的な国学というのは、浄土教と非常に親和性があると思います。そしてさらに遡ると、浄土教の思想は、他の仏教諸潮流と同様、天台本覚思想というものに結びついています。(略)

非常に簡単に言えば、衆生は本来的には悟っているので、それを自覚さえすればよいという教えです。(略)あるがままの現実の肯定へと展開する傾向が強まったのかもしれない。

中島 (略)歴史を振り返ると、親鸞と結びついた三井甲之や蓑田胸喜の思想は、相手が右であろうが左であろうが、合理主義者や国家改造者を徹底的に批判し続け、全体主義の地ならしをしてしまった。(略)

二・二六事件が失敗したことで、北一輝をはじめとする革新右翼の敗北が決定的になると、「原理日本」の存在感はさらに強まっていきました。

 つまり日本の全体主義は、親鸞思想の影響のもとに加速していったのです。

島薗 ただ、親鸞主義が天皇制国家に随順していくプロセスを見る場合、同時に国家神道の社会的影響の広がりを見ていく必要があるのではないでしょうか。(略)

[『歎異抄講話』で注目された浄土真宗の僧侶]暁烏敏も清沢満之の影響のもと、ただひたすら阿弥陀仏の慈悲を信じる絶対他力の信仰を確立します。(略)

近代以前の浄土宗では、『歎異抄』はそれほど高い地位を得ていませんでした(略)[清沢満之グループにより]一気に人気が高まっていった(略)

[暁烏敏は]トルストイなどを好み、「非戦論者」を自称していたにもかかわらず、1931年に満州事変が始まると、その直後に立場を転換させて「戦をするといふことが或は本当の道かもしれんのである」と言うようになるわけです。(略)

真宗の教団活動の中に、全面的に国体論を持ち込もうとする(略)

 ここで重要なことは、暁烏敏の宣言が受け入れられたのが、当時の日本社会で「国体」や「皇道」がごく当然のように浸透していたからだということです。(略)

彼が説法する相手の民衆門徒の側は、親鸞の教えに感銘を受けるとともに、もうひとつ、とてつもなく影響力の大きい教えを内面化していた。それが何かと言うと、教育勅語の教えです。(略)

1930年代の暁烏敏は、一般の多くの人々が自分とは異なる精神構造を持っていることに気づかざるを得ませんでした。子供の頃から国家神道の教育を受けてきた人たちの間では、天皇崇敬や国体思想が当たり前の前提となっている。多数の門徒と接する現場の布教者でもある暁烏敏もそれに歩調を合わせざるを得なくなる。(略)

 暁烏敏の例を見ると、親鸞主義だけが際立って国体論と結びつきやすい要素があったかどうかは、もう少し慎重になったほうがいいかもしれないと私は思います。実際、国体論と結びついた宗教や宗派は他にあるわけですから。

田中智学、八紘一宇、石原莞爾

島薗 だいたい教育勅語が発布されて10年がたったころですね。(略)すでに国家神道は正統的なイデオロギーとして地位を確立していました。(略)

 したがって、仏教は「私的な信仰」という限定的な領域だけで活動を許され、最終的には国家神道に協力するという姿勢を取らなければならなかったのです。

 この時期以降、宗教的信仰を国家社会の発展や変革のヴィジョンと結びつけるには、信仰を国体論と結びつけることが不可欠になります。田中智学は、まさにそうした課題に積極的に挑んだ人物でした。

 若き日の田中智学の主張は日蓮宗と日本仏教の革新というところにありました。(略)

[田中智学が日蓮主義と国体論を結合させて「八紘一宇」をつくり、それを現実で実践しようとしたのが石原莞爾]

中島 (略)石原莞爾は、妻と「合体」し「完全に結合」したいと言うんです。そのためにあなたも国柱会に入ってほしいと執拗に手紙を書く。(略)

 この妻と自分との透明な一体化の延長上に、「仏との一体化」「世界との一体化」の世界があると石原莞爾は考えている。つまり世界人類だってこういう透明な関係を結べるはずだと。

(略)

玄洋社のような伝統的右翼の思想には、設計主義的なヴィジョンはほとんど出てきません。

 ところが大川周明や北一輝ら革新右翼は違います。彼らは「上からの」革命によって、国家を改造することをめざしていく。きわめて設計主義的です。

国家神道

島薗 戦前の皇室祭祀で大祭の教は13にものぼりますが、わずかな例外をのぞいて、ほぼ全部、新たに明治期に定められたものなのです。実は古代から宮中で行われていたものは、新嘗祭だけなのですね。もうひとつの例外は神嘗祭で、これは伝統的に伊勢神宮で行われていたものを宮中でも執り行うことになった。

(略)

[1870年の「大教宣布の詔」の「大教」(=国家神道)は]他の宗教とは異なる「治める教え」ということです。(略)

国家神道は「祭祀」や「教育」に関わるもの、あるいは社会秩序に関わるものと考えられたのに対して、その他の「宗教」は死後の再生や救いの問題、あるいは超越者への帰依に関わるものだとされていた。

(略)

近代西欧の制度にならって政教分離はしているが(略)国家神道は諸宗教を組み込んでその上に乗っかることができるように、明治維新の時にすでに構想されていた。

新宗教

島薗 居場所やトポスということに関して、宗教運動という見地から見ると、1920年代から1970年前後まではひとつながりに見える部分があるのです。(略)

[都市化する地域で]新たな仲間を見出す運動が活発になっていったのです。だいたい30代、40代以降の女性が中心になって、小集団でお互いのプライベートな問題を打ち明け、仲間を作るという動きが広がって宗教集団が形成されていった。(略)[戦争をまたいで]50年間ぐらいは、かつて村にあったような共同性を新たな形で都会の中で再現するものとして新宗教が機能していました。(略)

エリート候補の煩悶青年というより、「おばちゃん」をはじめとする民衆が支えた運動ですね。

 たとえば、日蓮系の新宗教である霊友会は、小さな集団で家庭集会を持ち、そこで参加者たちはそれぞれ自らの悩みや信仰体験を語り合うんです。霊友会から派生した立正佼成会も「法座」と呼ばれる小集団活動が大きな特徴になっています。

 ところが1970年代以降は、今言ったような顔の見える関係の中でお互いを理解し合いながら連帯関係を持っていくタイプの宗教運動が閉塞気味になり、宗教集団がどんどん個人化していく。(略)

 たとえばオウム真理教の場合は、ヘッドギアを着けて、目もつぶって、ひたすら教祖の声を聞いている(略)集まっているといっても、横の関係は薄い。

 統一教会やエホバの証人のように仲間の連帯が濃い宗教集団もこの時代におおいに広まっているけれども、どちらも一般社会と距離を置きますね。これを私は、「隔離型」と言っています。共同性を作るけれども、一般社会への筋道が見えず、仲間だけの団結で安定感を得るようなタイプの宗教が存在感を強めてきたと思うのです。

冷めた全体主義

島薗 今の宗教ナショナリズムは、世襲議員や経済力のある人々が、一部の官僚や企業リーダーをはじめとするテクノクラートと一緒になって、宗教勢力を利用している結果だと思います。つまり、戦前のような民衆の熱い天皇崇敬のようなものは見られません。(略)

しかしながら、戦前とパラレルに進んでいる戦後において、全体主義がやはりよみがえるのか、と問われれば、答えはイエスです。もうすでに現在の日本は、いくつかの局面では全体主義の様相を帯びていると考えてもいいでしょう。

 もちろん、戦前とは大衆の熱の帯び方が違います。「下からの」というより「上から」静かに統制を強めるような、冷めた全体主義です。

 たとえば、NHKはじめマスコミがかなり統制されてきています。それこそ戦前が戻ってきたとも言えるし、中国のメディア状況のようでもあります。我々国民が真実を知ることができず、強要された国家の宣伝に我々は従うようになってきている。つまり、これは全体主義的な傾向でしょう。

(略)

中島 全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退したときなのではないかと考えています。つまり、アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に、日本人が耐えられないのではないか、ということです。(略)

しかも中国との関係性はきちんと構築されていない。そうなれば、一瞬の出来事をきっかけに、根のない大衆が、権威主義的パーソナリティに飛びつく可能性が十分ある。

(略)

島薗 現在の日本で天皇に対する熱狂的な信仰はないと申し上げましたが、しかしその代わりに、中国や韓国への対抗意識から、広範囲な層にわたってナショナリズムの高揚が見られます。そしてそのナショナリズムを政治的に活用しようという動きが露骨になってきている。そこに、国家神道的な思想が動員の道具とされているわけです。

(略)

中島さんが繰り返し批判している、自称保守主義者たちも性急さの病に取り憑かれています。明治維新以来の150年をふりかえって日本の弱さを点検すべきなのに、国体論的な日本に戻れば、本当の日本に戻れるような短絡的な発想でいる。

2016-08-04 Cut93年9月号 ボウイ、ジミ・ヘン インタビュー このエントリーを含むブックマーク

部屋掃除の合間に古雑誌を最後に一度読み返すシリーズ。

なにがビックリって、高田延彦が4ページのアルマーニ広告モデル。すげえな、U幻想。

ヒッピー、サイケ、時代が夢見みていたもの

Cut 1993年9月 Vol.23

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PETER FONDA ピーター・フォンダ

シーンから姿を消した反逆の貴公子。'73年当時のインタビュー。

DENNIS HOPPER デニス・ホッパー

ニュー・メキシコでアングラ記者に取り囲まれ大放談。

TIMOTHY LEARY ティモシー・リアリー

幻覚を追い求めて40年。狂気の科学者が語る、時代を超えた世界観。

JANIS JOPLIN ジャニス・ジョプリン

ブルースに生き、ブルースに葬られた女の、死に至までのドキュメンタリー。

JIMI HENDRIX ジミ・ヘンドリックス

ロック・ギターに革命を巻き起こした不出世のギタリスト。そのあまりにも早すぎた死

PETE TOWNSHEND ピート・タウンゼント

生き残ったロック界随一の論客、『トミー』再上演で'60年代精神の普遍性を語る。

DAVID BOWIE デヴィッド・ボウイ

あれから20年。ジギーゆかりの地、巡礼の旅に出たボウイ自らの軌跡を振り返る。


ジギー・スターダスト<2012リマスター>

アーティスト: デビッド・ボウイ

メーカー/出版社: ワーナーミュージック・ジャパン

発売日: 2015/09/25

|CD| Amazon.co.jp


The Wild Boys: A Book of the Dead (Burroughs, William S.)

作者: William S. Burroughs

メーカー/出版社: Grove Pr

発売日: 1992/09

|本| Amazon.co.jp

46歳のボウイが、ゆかりの地を再訪。

[トライデント・スタジオから、ハイプが練習したトマス・ア・ベケットへ、そこからロンドン中心部に戻り、ヘドン・ストリートへ。]

ちょっと不安げに車から出ると、路地の方に歩き出しながら呟く。「ちょっと調べなきゃならないみたいだな……何もかもなくなっちゃってるらしいや。この辺にブライアン・ウォードっていうカメラマンがいてね、確かこのビルだったと思う、で、このビルの外には電話ボックスがあったんだ……」。確かに電話ボックスはあったが、ずんぐりした、現代的なブルーのものだ。そのときはっと閃いた。ここが『ジギー・スターダスト』のカバー用写真を撮ったところじゃないか。でももちろん、すっかり様子は変わってしまっている。たとえば裏ジャケット用の撮影で使った、あの大きな赤い電話ボックス。あれはもう過去の産物だ。

 通りを歩いてきた女性がボウイに向かって優しく微笑んだ。「あなたの電話ボックス、片付けられちゃったのよ。ひどいと思わない?」と彼女が言う。(略)彼女の話によると、そのカメラマンはよそへ移ったそうだ。K・ウェスト――21年前ボウイはごみ箱に足を乗せてその看板の下に立っていた――あの会社も既にない。驚いたことに、ドアの上の古いライトは今でも残っている。だがあの有名な看板はロックンロール史に残る貴重品としてオークションにかけられ売却された。(略)

「あの看板がなくなっちゃったのはほんと残念だ」とボウイ。「みんなあれにすごくいろいろなものを読み取ってたのに。K・ウェストは“quest(探究)”を意味する暗号みたいなものに違いないって思ってたのさ。そういう神秘的な意味合いすべてが、あの中にはあったんだ」

「雨の日に外で写真を撮った」とボウイは続ける。「それから二階のスタジオヘ行って、『時計じかけのオレンジ』そっくりのことをやった。それがインナー・スリーブになったんだ。片目にマスカラつけたマルコム・マクダウェルもどきと虫けら、その中間のどこかの感じをうまく出そうっていう考えだったんだ。ウィリアム・バロウズの『ワイルド・ボーイズ』の時代でね。あれはほんとヘビーな本だよ、70年頃に出たんだ。あれと『時計じかけのオレンジ』を折衷したものから、ジギーとスパイダースの姿かたちが組み立てられてきたんだ。

(略)

ウォードー・ストリートに出ると、彼は角に立つ高いビルを指す。そのビルの最上階に、昔ピート・タウンゼンドが住んでいた。「いつも彼が羨ましくてね。ロンドンのまん真ん中に住んでいるんだから」とボウイ。

「僕はせいぜいチェルシーのオークリー・ストリートどまりだった。シェイン・ウォークを曲がってすぐの所でね、ミック・ジャガーが住んでた。ミックと知り合ったのもまさにそのときだったんだよ」

(略)

[かつてマーキー・クラブがあった場所へ。73年末ここでアメリカのテレビ番組を収録した]

ゲストとしてトロッグスが「ワイルド・シング」をプレイし、マリアンヌ・フェイスフルはボウイとのデュエットで「アイ・ゴット・ユー・ベイブ」を歌った。ボウイは死の天使、マリアンヌはデカダントな尼僧の扮装をしていた。

「彼女は尼さんの服を着てたけど、背中は剥き出しで、黒いストッキングを履いてた」とボウイはくすくす笑いながら言う。「ビデオが家にあるよ、あれはすばらしいぜ。でもアメリカでは絶対流してくれなかった。正気の沙汰じゃないって思われたんだ。マドンナは悲しむべきだよ!」

「『ジギー』のあとは、とにかく仕事、仕事、仕事だった」とボウイ。「それで初めて気づいたのさ、自分が何を安売りしようとしてるのか。もう私生活なんてどんな形でも手に入らなくなる

(略)

クロムウェル・ロードを通ってハマースミス・オデオンへ。ボウイがスパイダース・フロム・マースとの最後のギグを行った場所だ。[73年ここで重大発表をした](略)

「このステージは最も長く僕たちの記憶に残るものになるだろう。これがツアーの最後となるだけじゃなく、僕たちはこれでもうステージをやらないから」

 ステージの前に立ち、ボウイは誰もいない観客席に向かってその言葉を繰り返す。彼の足音が床に大きく響く。そして冷えきった、人けのない空気の中で、その言葉は幽霊のような響きを帯びる。木の椅子を引き出し、彼は人生におけるあの奇妙な時期に思いを馳せた。現実と空想の境がどんどん霞んでいったあの時期。

「今になってもほんとにわからないんだ。僕がジギーを演じてたのか、それともジギーは僕のパーソナリティの肥大化した姿だったのか」とボウイは言う。「あのキャラクターによって心理的な重荷がかなりとれたのは間違いない。僕は自分に能力が足りないと思ってたし、自分をもてあましてて、自分に対して不安だったから、ほかの誰かになってしまう方が楽だったんだ。ほかの誰かになれば安心できたし救われた。それにどんなグループにも属してないっていうあの感じ。僕はいつでも何かの一部じゃなくて、その周辺にいるような気がしてた。いつでも自分が人生における壁の花みたいに感じてた。だからほんとに、ちょっとしたコンプレックスになっちゃったんだよ。いったんああいうちょっとしたパターンを自分にあてはめてしまうと、来た道を戻って、自分がどこまでそのパターンに浸かってしまったのか判断することが、ほとんどできなくなってしまう。そこヘドラッグが出てくると、ますますごちゃごちゃになってしまって、もう自分で自分にひどい心理的ダメージを与えるしかなくなってたんだ」

「ドラッグを始めたのは73年の末だった。74年にはますます弾みがついててね」とボウイは続ける。「アメリカに着いたとたんに、どかん!って感じでさ。あの頃はそりゃもう自由に手に入ったからね。コークがそこらじゅうにあった。逃れようがなかった。僕はすごく中毒になりやすい質だから、いいカモだったんだ。とにかく僕の人生はそれに支配されてしまった。ほんと完全に。ようやく76年の末から77年ベルリンに行って――皮肉なことにヨーロッパじゃベルリンはスマックの中心地だよ――クリーンになったんだ」

 ボウイのかつての妻アンジーは、著書“Backstage Passes”の中で、この時期の彼を次のように描いている。「友だちを罵るし、言ってることは意味がまるで通らないし、人から金をしぼりとるし、まったく吸血鬼そのものだった。コーク中毒者はみんなそうだけど、完全にまっすぐ立っているときでさえ、彼の頭はいつでも酔ったようにくるくる回ってた。日の光をほとんど完全に避けて暮らそうとして、パラノイアのような世界観を抱くようになって……」

 アンジーのことに触れると、[昨年モデルのイマンと結婚した]ボウイはまるで興味がないような感じだった。「僕たちが結婚したのは、彼女がイギリスで仕事をする許可を得るためだった」とボウイ。「実際そういうのって、いい結婚の基盤とは言えないよね。それにあの結婚はすごく短い間に終わったってこと、忘れないでくれ。つまり、74年にはもう僕たちほとんど顔も合わせなかったんだ。

(略)

「僕は自分を愛してなかった。まるっきりね」とボウイは続ける。「ジギーはすごく華やかで、劇的で、巧みに作り上げられたキャラクターだった。僕は彼が申し分なく見えるようにしたかった。だから何度も鏡を見てた。でも僕が見てるのは僕じゃなかったんだ。そこに映っていたのはジギーだった。

(略)

 僕はずっと、中身はヘテロセクシュアルだったんだと思う。自分がほんとにバイセクシュアルだと感じたことは一度もなかった。ただあらゆることに手を出してたって感じでね。実際に何人かの奴と試してみるところまでいった。でも僕にしてみれば、ああいうゲイ・シーンそのものの方にもっと惹かれてたんだよ。ああいうシーンはアンダーグラウンドのものだったから。いいかい、70年代初期には、まだタブー同然だったんだ。フリー・ラブはあったかもしれない、でもあれはヘテロセクシュアルだろう。僕はああいう、生まれてきたばかりの世界が好きなんだ。ああいうクラブやああいう人々、誰にもまるで知られていないようなものすべてが好きなんだ。だからゲイ・シーンにものすごく惹きつけられた。まるで別世界みたいだった。ほんと金使ってでも仲間になりたくてね、それで入り込もうと努力したわけさ。でもああいう状態は74年くらいまでしか続かなかった。ほとんどジギーと一緒に死んでしまったんだよ。実際には、僕はバイセクシュアルという状況を借りてるだけだったんだ。現実はもっとずっと薄っぺらだったのさ。

 僕はジギーに本物の肉と血を与えたかった。それにはジギーを見つけて彼になりきるしかなかったんだ。皮肉なのは、僕がゲイじゃなかったことさ。実際やってはみたよ、でも正直言って楽しくはなかった。あれはほとんど自分を試してるようなもんでね。まるっきり僕がなじめるものじゃなかった。でもやらなきゃならないことだったんだ」(略)

ジミ・ヘンドリックス死亡直後の70年10月15日号のローリング・ストーン誌の特集記事から

(略)エリック・バードン(exアニマルズ)によれば“遺書”を彼女宛に残していたそうだ。それは数ページにわたる詩であり、現在バードンの手元にある。

 ジミが一緒にプレイした最後の人間となったバードンは次のように言う。「詩に書いてあるのは、ジミがいつも言っていたことだけだ。その言葉に誰も耳を傾けていなかった。あれはさよならでもあり、こんにちはでもある。僕はジミがありきたりの自殺ってやつをしたとは思わない。彼はただ、出ていきたいときに出ていこうとしただけなんだ」

(略)

[ジミは水曜の晩にロニー・スコッツ・クラブでバードン・アンド・ウォーと一緒にジャムった]

「一年くらい調子悪かったんだよ」とバードン。「でも火曜日は落ちついた感じだった。クラブに来て、明日の晩一緒にやってもいいかって言うんだ。それで16日にやった。最初のうち彼のプレイはアマチュアみたいで、ほんとひどかったよ。ステージ・パフォーマンスで隠そうとしてたけどね。でもソロに入ったらよくなってきて、オーディエンスも本気で耳を傾け始めた。それからいったんステージをおりて戻ってくると、バックで『タバコ・ロード』をやった。あの曲が最後になった」(略)

 バードンによれば、ジミは死ぬ一週間前、マネージメントを変えるつもりだと語ったと言う。

「何度も何度もマネージャーのことで不満洩らしてたね。言っとくけどそれは事実だ」と、バンド・オブ・ジプシーズでジミとプレイしていたバディ・マイルズは言う。

(略)

チャンドラーはひと目でジミに夢中になった。だがジミの方は自分の音楽的才能にも自信がなかったし、スターになれるとチャンドラーから言われてもそのまま受け取る気にはなれなかった。(略)

[チャンドラーは]ヘンドリックスを説得し、イギリスヘ行くことを承知させる。これが66年9月のことだった。

 数日後、ジェームズ・ヘンドリックス・シニアのところへ、朝の4時頃に電話がかかってきた。

「俺だよ、ジミだ。今イギリスにいるんだよ」。電話の向こうの声が言った。「ある人たちに会ったら、俺を大スターにしてやるって言うんだ。名前はジミに変えた」

 父親は驚き、どうして名前を変えたのかと尋ねた。するとジミは、“とにかく違った感じ”がするからだ、と言う。ヘンドリックス・シニアは、そのときジミに言ったのを覚えている。ほんとにロンドンからかけているのなら、電話代がすごく高くつくじゃないか、と。そしてどちらも泣き始めた。「ふたりともすごく興奮してたんで、私は再婚したことを言うのさえ忘れてしまった」とジミの父は言う。

(略)

 ニューヨークを離れてから一ヵ月半、トリオを結成して4日後に、ジミはパリのオランピア劇場に出演。(略)

 「(略)あそこはヨーロッパで一番でかいところだ。反応はすごくよかった。やったのは4曲。頑張ったんだ。やれることは何でもやった。あのときの曲はドイツで一回やったきりだったんだけど。『ミッドナイト・アワー』『ダンス天国』『エブリワン・ニーズ・サムワン・トゥ・ラブ』、それに『リスペクト』」

(略)

 68年初めにシアトルヘ凱旋したとき、ジミは名誉市民となり、ガーフィールド・ハイスクールから名誉終了証書を与えられた。父親は紫のベルベット・ケープに極彩色のシャツというジミの姿を見て呆然とした。ジミがこれほどのビッグ・スターになっていたかを知らなかっただけでなく、父親にとっては、おとなしい服装の、静かで内気な息子しか記憶になかったのである。(略)

[ステージではロックスター]だがオフステージでの彼は、昔と同じように静かで、少年らしさの消えない、傷つきやすいジミ・ヘンドリックスだったのである。

 その二面性がますますはっきりしてきたのは69年、彼にとっては最も収穫がなかった年だ。ヘンドリックスはどんどん無口になって引きこもりがちになり、そしてエクスペリエンスは解散した。

(略)

ジミは、69年の夏ほとんど世間に姿を見せなかった。軍隊での古い友人ビリー・コックスがジミの新しいベース・プレイヤーになることが発表され、ミッチェルはそのまま残留。ジミはこの夏をほとんどミュージシャンの集まりである「エレクトリック・ファミリー」――昔ながらのブルースマンから、アヴァンギャルドなクラシックの作曲家まで――と共にニューヨークの郊外で過ごした。(略)彼によれば、この新しい「ファミリー」がこれからやっていくものは「スカイ・チャーチ・ミュージック」(これよりうまく言い表す言葉がないそうだ)だという。そしてこのグループではジミ以外のシンガーやソングライターを使うことになるだろうとも彼は言っていた。

 「もう道化役はやりたくない」と、ジミはあるインタビュアーに語っている。「俺はロックンロール・スターになんかなりたくないんだ」

 だがこの音楽で結ばれた家族はうまくいかなかった。ジミは大晦日のフィルモア・イーストで再びオーディエンスの前に姿を見せる。コックスがベース、それに昔なじみのバディ・マイルズがドラム。これがバンド・オブ・ジプシーズだった。

(略)

気楽にギターを弾いていた。例の派手なステージ・プレイは少しも見られなかった。

 だがほんの数週間後、彼はマディソン・スクエア・ガーデンでのコンサートで二曲目の途中ギターを置き、「あんまりうまくいかない」と言うなりステージをおりてしまった。彼はこの新しいグループに落胆していた。とにかく音楽が違うのだ。そしてほどなくもとのエクスペリエンスが復活する。

 当時行われたインタビューで、ジミはジプシーズでのいきさつを語っている。「気分を変えて、ギターをもっと大事にしようって思い始めたのかもしれないね。まあ第一段階が終わったようなものかな。マディソン・スクエア・ガーデンは、長くて盛大なおとぎ話の終わりだったんだろう。すてきなおとぎ話だった。かなうかぎりの、最高の結末だと思うよ。

 バンド・オブ・ジプシーズは、俺にしてみればすばらしいものだったんだ。ただ……“題目”が変わってきたっていうのか、そんな感じだ、ちゃんと言えないけどさ――よくわかんねえ。俺すごく疲れちゃったんだよ。な、これはどうだとか、あれはどうだとか、頭の中でいろいろ考えてると、すごく変なときにがつんとやられることってあるじゃないか。それがたまたま平和集会のときだったりするわけさ、な? そういうときに、俺は今まで経験したこともないようなでかい戦争をやってるんだよ。俺の人生で。俺の中でだよ。戦争するにはいい場所とは言えないだろうぜ」(略)

[だが再結成したエクスペリエンスの関係は修復できなかった](略)

[死の直前のインタビューで]

「アメリカで俺の存在が薄れかけてたとき、もうイギリスじゃ俺なんか完全に消えてるんだろうって思ってた。(略)」

[だが]自分が間違っていたのがはっきりして、ジミは嬉しかった。ヨーロッパでもまだみんなは彼を好きなのだ。そしてこのインタビューは彼の強い言葉で終わっている。「俺は幸せだ、きっとすべてうまくいくよ」

 ジミは言っていた。「……未来を考えてる。今この時代の音楽――ビートルズがはなばなしく始めた音楽――それはもう終わりに来てるんだと思うんだ。何か新しいものが出てくるはずだ、そしてそこにはジミ・ヘンドリックスがいるはずなんだ。

 俺はビッグなバンドが欲しい。ハープ3台にバイオリン14台とかいうんじゃねえ。才能のあるミュージシャンばかりのビッグ・バンドってことだ。俺はそいつらを率いて、そいつらのために曲を書く。そしてその音楽で、俺たちは地球や宇宙を描き出すんだ。聴いたみんなをどこかへ連れていけるように。

 人の心の中に新しい感覚を開くような音楽を作るのさ。みんなもう待ち構えているんだよ。みんな俺みたいに儲けて家に戻っていき、そして次の旅に備えるのさ。

 音楽っていうのはすごく大切なものなんだよ。俺はもうポップや政治的なクズを掘り返すことはしない。あれはもう古いんだ。あれは誰かの個人的な意見だったのさ。政治ってのは時代遅れだ。誰だって赤んぼ抱いて母親にキスしながら、あれはいかしてたって言うことはできる。でもそれを音楽でやることはできないだろ。音楽は嘘をつかない。誤解されることがあるのは認めるけど、音楽そのものは嘘つかないんだ。

 世界に大きな変化があれば、たいていそれはアートか音楽が起こした変化なんだよ。音楽は世界を変えるんだ。

 しばらく我慢して、この30年の間に身につけた音楽的なものをかき集める。そしてそういうアイディアをすべて混ぜ合わせると、新しい形のクラシック・ミュージックができるんだ。すべてを理解するには少しかかるだろうけど、いずれはわかってくるのさ。

 俺、ストラウスとワーグナーが気に入っててね――あれはいいよ、ああいうのが俺の音楽のバックグラウンドになってくると思う。その上にふわふわ浮かんでるのがブルース――今でもブルースはよくやってる――それから西部の音楽と、気持ちいいアヘン・ミュージック(自分のアヘンは自分で持ってくること)、そしてそういうものが混ざり合ってひとつになるんだ。

 ドラッグ・シーンはもう最後の段階に来てるんだよ。ドラッグはみんなの心の中にいろんな新しいものを生み出した。そしてみんなにとても扱えないようなものを与えてしまったんだ。音楽にはその代わりができるのさ。だからドラッグなんて何にもいらないんだよ。

 “しびれる”って言葉は今だって生きてるよ。みんな人をしびれさせたいと思ってる。でも酔わせるようなものをやるだろう、するとみんながぼうっとしてる間に、抜けてるものを埋める何かが出てくるんだ。それが音楽の完璧な形になるはずだよ」(略)

山下達郎コラム

[超忙しいという話から始まり]

(略)『ビッグ・ウエイブ』というアルバムの時などは、レコーディング・スケジュールが超タイトで、朝の7時から歌を録音したなんて事もあった。(略)

朝の7時でも歌入れがやれてしまうノドのおかげで、今迄一度も仕事を「トバ」さないで済んでいる。その結果、私のスタッフは「アイツなら徹夜でも歌入れが出来るからダイジョーブ」などと、長年の実績(?)にドイツもコイツも妙な安心感を持つようになってしまい、こちらがどんなにヒ一ヒー苦しんでいても、ちっとも真剣に受け取ってもらえない。

 考えてみれば若い頃からノドだけは因果と丈夫で、22-3の頃は、レコーディングやライブで声が「嗄れる」などという事は、考えた事もなかった。

 今までで一番強力だったのは、22才の時に大瀧詠一氏のアルバム『ナイアガラ・ムーン』のレコーディングに付き合った際の「3テツ」。しかも2日目にはライブで歌い、3日目には車を運転して富士山麓にある「白糸の滝」に滝のSEを録りに行くという豪傑ぶり。その時に録音した滝の音は、アルバムの冒頭と最後の部分でゴーゴーととどろいている。

 さすがに3日も徹夜という状況では、意識はモ〜ロ〜。ハッと我に返ると、数分の間立ったまま眠っていたという世界。それでも歌う声には何の影響も出なかったのだから、我ながらどうなってるんだと感じたものだった。

 さすがに最近は年齢の事もあり、それ程極端な無理はきかなくなってしまったが、レコーディングに関しては、7〜8時間ぶっ続けのコーラス・ダビングなどは今でも日常茶飯事。さて、いつまでこれが続けられるか。

(略)

 加えて最近は、タバコをやめたおかげか、この前の91-92年のツアーでは、「体が声について行けない」ほど調子がよく、「これならこの先60でも70になってもツアーがやれる」などと、またまたスタッフを喜ばせる(?)結果となってしまった。さて、これもいつまで続けられるか。(略)

2016-08-01 保守主義とは何か・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)

作者: 宇野重規

メーカー/出版社: 中央公論新社

発売日: 2016/06/21

|本| Amazon.co.jp

フリードマン、ノージック

フリードマンは、社会保障の目的が高貴なものであったことを認める。が、問題は手段である。(略)結果として、それによって利益を受ける特殊利益団体の増加をもたらした。そのような特殊利益団体はひとたび生まれると、自らの存続を自己目的化してしまうのである。権限をもった官僚たちもまた、国家全体の利益よりは、自らの組織の発展を考えるようになる。政府の役割は止めどもなく拡大していくことになった。

(略)

「今日の新しい支配階級は、大学におさまっている連中であり、報道機関であり、とりわけ連邦政府の官僚機構である。(略)」(『選択の自由』)。

 重要なのは、個人が自分の所得を何に使うか自由に判断する「選択の自由」を回復することである。このように説くフリードマンのリバタリアニズムは、アメリカの伝統的な反政府感情と結びつくことで、大きな反響を生み出すことになった。

(略)

 あくまで経済的効率性から出発するフリードマンの議論と、個人の自然権から国家の正統性を問い直すノージックの議論[『アナーキー・国家・ユートピア』]は、大きくその性質を異にする。とはいえ、両者の議論はあいまって、現代アメリカにおけるリバタリアニズムの理論に、独特な武器を提供したのである。

(略)

[ノージックは]どれだけ善意であれ、一つのパターンのコミュニティを押しつけることを「帝国主義的ユートピア主義」と呼んで批判した。彼にとって、ユートピアはつねに複数でなければならなかった。(略)

ノージックにとって可能なユートピアの枠組みは最小国家であり、もっとも退けられるべきは、マルクス主義に代表される社会主義のような「帝国主義的ユートピア」であった。この点で、ノージックのリバタリアニズムもまた、現代アメリカの保守主義の一端を担ったのである。

ネオコン

[伝統主義とリバタリアニズム]とは明らかに異質な要素が保守主義に流れ込んでいる。(略)特筆すべきは、いわゆる「ネオコン」[新保守主義](略)

ネオコン初期の理論家たちは、ニューヨークを拠点とするユダヤ系の知識人たちであり、もともとはトロツキストであった人が多い。(略)

 ゴールドウォーターはリバタリアンの思想をもち、伝統主義的勢力の支持も得た、いわば保守派の「希望の星」とでも呼ぶべき候補者であった。(略)[中道派のアイゼンハワーやニクソンとは違って]明確な保守派であった。[だが選挙で大敗](略)

このことは保守派陣営にとって大きな挫折であり、この経験を通じて、保守派は自らの陣営の立て直しについて、根源的な反省を余儀なくされたのである。

 ちなみに、のちにネオコンと呼ばれる人々(この時点ではまだ「ネオコン」という言葉はなく、彼らは自らを「リベラル反共主義」と称した)は、この選挙ではゴールドウォーターではなく、ジョンソンを支持している。言い換えれば、ネオコン勢力はこのときはまだ、保守派の連合の一翼を形成してはいなかったことになる。

 その後、彼らはジョンソン大統領の「偉大な社会」計画への幻滅、さらにはカウンターカルチャー運動やベトナム反戦運動への反発から、民主党から共和党支持へと政治的立場を転換していく。その意味では、ネオコンがゴールドウォーターの支持勢力と合流したとき、はじめてレーガン大統領の当選へと至るアメリカの「保守革命」が実現したといえるだろう。

(略)

もともと彼らは合理主義的な社会改革に対し、一定の共感を示していた人々である。その意味で、福祉国家や社会保障政策について、リベラル派と極端に異なる見解をもっているわけではない。彼らの反発はむしろ、カウンターカルチャーやベトナム反戦運動など、リベラル派の「左傾化」に向けられたものと思われる。

 そもそも初期のネオコンに近い立場にあった社会学者のダニエル・ベルが1960年に「イデオロギーの終焉」を説いたように、このグループには、もはやイデオロギー対立の時代は終わり、今後は専門家集団による合理的な社会運営を目指すべきである、とする発想が根強く見られる。さまざまなシンクタンクと連携し、政策提言にも積極的なことと合わせ、ネオコンには社会改革への志向があることは否定できない。

(略)

 問題は、そのような保守革命が何をもたらしたのかである。間違いないのは、アメリカ政治の分断化である。伝統的にアメリカは、強固な社会主義と保守主義の存在しない、いわば自由主義を中核とする中道主義が優位する政治文化として捉えられてきた。すべてのイデオロギー的対立は自由主義の内部で展開され、ヨーロッパなどと比べても政治的に分断の少ない社会として理解されるのが一般的であった。

  • 日本の保守主義

丸山眞男と福田恆存

丸山眞男は「近代主義的知識人」とされ、日本の過去や伝統をもっぱら克服すべき対象として捉えた理論家として語られることが多い。しかし(略)彼の議論を細かく検討するならば、むしろ保守主義、あるいは「健全な保守主義」とでも呼ぶべきものの欠如を嘆くかのような発言が目立つ。(略)

丸山の見るところ、日本では、知的にも政治的にも保守主義が明確に定着することはなかった。すなわち、現行の政治体制を自覚的に保守しようとする勢力はついに現れなかったのである。代わりに目立ったのは、漠然と進歩を信じるか、さもなければ、ズルズルと現状維持を好む態度であった

(略)

明確な保守主義が存在せず、何となくの進歩志向となし崩しの現状維持が横行するとき、すべてはズルズルベッタリとなり、思想的な緊張関係は不在となる。

(略)

[福田恆存は]革新主義に対し、反発を覚える自己を認識したものが保守派となる。すなわち、保守は必ず革新に遅れて登場する(略)

保守派はイデオロギーを必要としない。自らの生活感情に根ざして必要な改革を行えばいいのであり、むしろ「保守主義」なる大義名分をかざして自らを正当化しようとすれば「反動」となってしまう。(略)

ヨーロッパに特徴的なのは統一性であり、キリスト教を中核にその一貫性は近代にまで統く。これに対し、日本における過去を振り返れば、端的にそこには歴史性が欠けていた。日本の近代で否定すべき神はなく、明治維新で天皇制が持ち出されたのも、ある意味でその空虚さを埋めるものでしかなかったと福田はいう。

 福田にいわせれば、進歩主義の自己欺瞞は、そのような断絶を正面から認めなかったことにある。「戦前から戦後への転換には連続はない。連続がない以上、それは進歩ではない。進歩主義の立場からは、それを革命と呼びたいであらう。が、事実は征服があつただけだ。征服を革命とすりかへ、そこに進歩を認めたことに、進歩主義の独りよがりと甘さがある」。(略)

[征服による切断を乗り越え、連続を見出し、懸け橋を造るべきだった]戦後の進歩主義はそのような仕事を引き受けるどころか、むしろ反動的であるとして退けてしまったのである。(略)

このような福田の議論には、実は丸山の保守主義論と通じるものがある。

(略)

バーク的な保守主義があくまで具体的な制度を通じて自由を保持しようとしたとすれば、日本では、自由への主張が具体的な制度や機構と関連づけて論じられず、結果として立憲主義とも結びつかなかったというのが、丸山の診断である。

 制度が制度として確立せず、つねに状況化する。このような事態は、戦後においてさらに悪化したと丸山は指摘する。

保守本流

若き日の津田梅子に「アメリカを知る最良の書」としてアレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を薦めたというエピソードからも推し量れるように、伊藤博文の欧米理解はけっして侮れないものであった。

 また後年、伊藤は好んでバークの「代議士は国民全体の利害の奉仕者」という言葉に言及したという。議員は個別的利害の代弁者ではなく、国民全体の利害を代表しなければならない。元老の筆頭でありながら自ら政党の創設に乗り出し、立憲政友会の初代総裁になった伊藤は、間違いなくバークの思想のよき理解者であった。

(略)

[政府転覆の陰謀事件に巻き込まれて投獄され]長い獄中期間を通じて学問の習得につとめた陸奥宗光は、荻生徂徠の著作と同時にベンサムを読み込んだという。ベンサムを通じて英国の功利主義を学んだ陸奥は、社会の発展の鍵は個人にあり、政府はこれを妨げてはならないという自由主義の思想を自らのものにする。陸奥は出獄後、さらに欧米諸国で政治学を学び続ける。(略)

 そのような陸奥を起用したのが伊藤である。(略)

興味深いのは、伊藤にせよ、陸奥にせよ、最終的にはドイツ型の行政権主導型の憲法体制を選択するものの、思想的には英国型の自由主義や議会政治に親近感を抱いていたことである。(略)

 本書の視点からすれば、このような伊藤から陸奥へ、そして原へと継承される路線こそが、近代日本における保守主義の本流である。この路線は、明治憲法を前提としつつ、そこに内包された自由の論理を漸進的に発展させ、事実上、その後の立憲政治や政党政治を準備することになった。(略)

この流れは原敬による政友会内閣で一つのピークを迎え、その後は西園寺公望や牧野伸顕らによって維持され、やがていわゆる「重臣的リベラリズム」(天皇側近における一定のリベラルな思想傾向)を形成する。(略)

大久保利通の次男である牧野は、父大久保とともに伊藤を高く評価し、英国流の立憲政治を目指すと同時に、外交的にも親英米主義を志向した。このような牧野の政治的価値観は、ある意味で、女婿である吉田茂を通じて戦後保守主義へとつながることになる。

(略)

戦前の丸山自身は重臣的リベラリズムと近いところにいた。丸山の父であるジャーナリストの丸山幹治は、明治から昭和にかけて日本の論壇を主導した長谷川如是閑につながるリベラリストであったが、宮中の牧野とも親しく交わっていたという。

 その意味で重臣的リベラリズムに親近感をもっていた丸山であるが、戦後はむしろ彼らに対する激しい失望と怒りを抱き、そこから断絶をはかることをリベラリズムにとってのリトマス試験紙であると考えるようになった。重臣的リベラリズムが超国家主義を前にしてあまりに無力であったことを、丸山は問題視したのである。

 丸山の見るところ、重臣的リベラリズムの弱点は立憲主義の発想の弱さと、制度的思考の稀薄さにあった。それゆえに最終的に重臣的リベラリズムは無限の状況適応主義となり、保守主義として十分に機能することがなかったのである。

(略)

戦後日本の保守主義は、自らの政治体制を価値的なコミットメントなしにとりあえず保守するという「状況主義的保守」か、さもなければ「押しつけ憲法」として現行秩序の正統性を否認するという「保守ならざる保守」という、不毛な両極に分解することになった。そこに欠けたのが、現行の政治秩序の正統性を深く信じるがゆえに、その漸進的改革を試みるという本来の保守主義であることについては、ここまでも繰り返し指摘してきた通りである。(略)

明治憲法体制に内在する自由の論理を発展させることで民主化の要求に漸進的に応えてきたのが、日本の保守主義の真の「本流」であるともいえる。そうだとすれば、戦後憲法の定着のなかに、このような漸進的発展の延長を見ることこそが、そのような「本流」を継承することになるのではなかろうか。このような歴史的視座に立つとき、日本の保守主義は新たなる可能性を見出すように思われてならない。

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