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2016-12-29 バブル:日本迷走の原点 永野健二 このエントリーを含むブックマーク


バブル:日本迷走の原点

作者: 永野健二

メーカー/出版社: 新潮社

発売日: 2016/11/18

|本| Amazon.co.jp

日本興業銀行

 日本興業銀行(興銀)がもっていた独特の存在感を知る人の数も、次第に少なくなっているかもしれない。戦後の復興期から高度成長期にいたるまで、日本の産業史のあらゆる場面に、興銀の姿があった。興銀は大蔵省・通商産業省公認の日本経済のコンサルタントであり、日本全体の資本を差配するベンチャーキャピタルだった。

 興銀は、日本の重化学工業の振興を目的として、1902年(明治35年)の日本興業銀行法によって誕生した。預金ではなく金融債の発行によって資金を調達し、それを長期で企業に貸し出す特殊銀行だった。興銀は明治末期以降の対外戦争によってその存在感を高め、40年代から大平洋戦争にいたる過程では、戦争金融の大半をまとめ、戦時経済の中核機能を果たす。[当然戦後は「戦犯銀行」として廃止が検討されたが謎の経緯で奇跡的に存続。資金配分が生み出す権力により、興銀を頂点に都市銀行から下は農協系金融機関までのヒエラルキーが完成。だがその神通力は、71年の三光汽船によるジャパンライン株買い占め事件で転機を迎える]

(略)

[運輸省主導の]集約体制に参加していない一匹オ才カミの海運会社が、運輸省と興銀が一体となって作り上げたカルテル体制に正面から刃向かったのである。しかも株式市場を通じて、経営権の取得を明確に宣言した。戦後最大の敵対的なM&Aだった。

(略)

船舶の大量発注による取引関係を武器に、造船会社に高株価の三光汽船株を引き受けさせることで、銀行に頼らずとも巨額の資金調達が可能なことを示した。新しい時代の始まりだった。(略)

コストの安い外国人船員を活用するには、運航する船舶が外国籍である必要があった。

 そこで日本船籍ではない船舶(便宜置籍船)を作って、外国人船員中心の運航体制をいち早く追求したのが三光汽船だった。のちに日本の製造業は人件費の高い日本を逃れて、次々に海外現地生産に移行するが、三光汽船の試みは海運業における海外現地生産だった。その後の日本経済全体が抱える問題の先取りでもあった。便宜置籍船の船籍は税金の安いパナマやリベリアに置かれた。(略)タックスヘイブンは、海運業界の便宜置籍船から始まったと言われる。

(略)

[「海運業」「株式売買」「船舶売買」を三本柱とし、バブル時代の財テク企業の15年先を行っていた]

[73年興銀の中山素平が起用した児玉誉士夫と水島廣雄立ち会いのもと、三光汽船とジャパンラインは和解調停。集約体制は運輸省と興銀によって傍若無人な政治家河本敏夫率いる三光汽船から守られたとメディアは報じた。三光汽船は150億の売却益。裏の謝礼として児玉に2億、水島に1億]

 ジャパンラインは、買い占め問題の決着以降、“日本興業銀行海運部”といわれるほど、名実ともに興銀支配の体制に移行する。派遣される社長は、いずれも興銀で代表取締役をつとめた常務クラス(略)

 興銀が介入してから、ジャパンラインには児玉誉士夫の関係者が我が物顔で出入りしていた。またジャパンラインの関係会社の経営権を児玉の関係者が取得する事態もあった。そして興銀本体の名誉顧問を、長いあいだ水島廣雄が務め続けた。(略)

 ある興銀幹部が自嘲気味につぶやいていた。「歴代の頭取以下、あらゆる幹部が、ジャパンライン問題の当事者なんです。だから、誰にも責任を取らせることは出来ないのです」。

 ジャパンライン問題は、興銀の「終わりの始まり」だった。しかし、この問題で責任をとった経営幹部はいない。そして、興銀とアングラ社会のつながりは80年代のバブル時代の「そごう問題」、「尾上縫事件」にまでつながり、興銀の命脈を絶つのである。

誠備グループ

[1978年導入された「特別報告銘柄制度」で第1号銘柄に指定されたのが笹川良一グループによる買い占めが話題になったヂーゼル機器]

[市場情報を操作し]悪材料を流し、売り方を信用取引の空売りに誘い出す。一方で、その銘柄を買い上げて、流通株式を極端に少なくする。結果として、売り方に高値で信用取引の買い戻しをせざるを得ないように追い込む。いわゆる「踏み上げ」相場である,(略)

[これは]のちに兜町の風雲児とまで言われる、加藤暠ひきいる誠備グループの得意な手法だった。そして決着には、会社との直接交渉による直取引を用いる。いわゆる「解け合い」である。岡本理研ゴムの仕手戦では、笹川良一の政治力が市場を通さない株式の肩代わりの場面で使われた。

(略)

 特別報告銘柄制度の導入は、大蔵省の大物次官OBであり、東証理事長としても脂の乗り切った時期の谷村裕の決断だった。(略)

戦後の経済安定本部に出向中、統制経済のもとで「すべての商品の価格を官僚が決めることなど出来はしない」という確信をもつ。それが、谷村の大蔵官僚らしからぬ「市場主義」の根底にあった。(略)

これまでの兜町では、人為的に取引を決着する解け合いの歴史だった。(略)

[自身の理想をゆるがすヂーゼル機器仕手戦に対する]谷村の行動は徹底していた。(略)大蔵省の後輩である磯邊律男博報堂社長に頼み、検察・国税との連携も徹底した。(略)

場合によっては税務上の制裁もためらうつもりはないという合意が出来ていた。ある意味では、取引所と大蔵省、国税当局、さらには検察まで巻き込んだ国家権力と、仕手グループが対峙する局面だった。(略)

 結果として、ヂーゼル機器の株価は凍り付いた。株価も動かず、出来高もほとんどない状態が半年以上にわたって続く。

(略)

[ついに]笹川グループなどが買い占めたヂーゼル株式を、いすゞ自動車など25社が肩代わりすることが最終的に明らかになる。

 興味深いのは、その日の午前に平和相互銀行社長の小宮山精一が会見した内容だった。(略)「ヂーゼル機器の株買い占めにからんで210億円にのぼる巨額の融資をしていた。そして株の買い占めをしていたのは平和相互銀行の取引先である日誠総業だった」と明らかにした。(略)

監督官庁の大蔵省なのか、検察なのか、国税なのか、いずれにしても平和相互銀行の経営者に対して、権力を持つ誰かによる厳しい「指導」があったことは間違いない。

 また、肩代わりに最大の役割を果たしたと言われる野村証券の田淵節也社長は後年、「(略)中に入って事実上の解け合いの処理をした。[と語り](略)

 ヂーゼル機器の決着は、谷村東証理事長がもっとも嫌がったはずの事実上の解け合いだった。それは、以後の解け合いをなくすための解け合いだった。

 この決着で語られていない特筆すべきポイントは、買い占めグループが[金融調達の平和相互銀行、株価操作の加藤、政治力で話をまとめる笹川の3つのグループに分断されたこと](略)

 以後、誠備の加藤暠は、仕手グループとして単独で行動することを余儀なくされ、孤独な闘いを強いられることになる。誠備グループを孤立させ追いつめることこそ、特別報告銘柄の最大の狙いだった。(略)

 80年以降、加藤は「兜町最強の仕手筋」と認められるようになるが、実態は、孤立無援の仕手グループとしての戦いだった。

(略)

 意外なことに、誠備グループにとどめを刺したのは、是川銀蔵という老相場師だった。(略)

[81年の菱刈鉱山をめぐる大相場で200億円を稼いだ男、当時85歳]

 その是川は、著書『相場師一代』のなかで、誠備グループの加藤暠のことを「私の60数年の投資人生で出合った人間の中で、最も嫌いな人間は正義感のない人間だ。人に迷惑をかけても自分さえ儲かればいいという人物は大嫌いである」と批判する。(略)

 是川は誠備グループの買い銘柄に、信用取引の「空売り」で挑戦した。(略)[是川は60億を稼ぎ完勝、これにより誠備グループは崩壊]


相場師一代 (小学館文庫)

作者: 是川銀蔵

メーカー/出版社: 小学館

発売日: 1999/09

|本| Amazon.co.jp

大蔵省がつぶした「野村モルガン信託構想」

[82年野村証券とJPモルガンは極秘で合弁で信託会社設立を画策、中曽根と竹下にも話をつけていたが……。

野村財閥は戦前から信託会社を営み、その流れを受けた大和銀行は戦後大蔵省の信託分離政策をはねつけ、55年信託専業の銀行と大和銀行という奇妙な体制がスタート]

大蔵省にとっては今も語りつがれる屈辱の一コマだった。その代償として、大和銀行はさまざまな分野で大蔵省にいじめ抜かれる。(略)

[同じ野村財閥系の野村証券も戦後ずっと信託業務に関心を持ち続けてたが、大蔵省にことごとく水を差された]

日本の金融界に「信託会社」という概念を確立したいという時代認識もあった。「硬直的な日本の金融行政を揺さぶってやろうという気持ちが強かった」。(略)

ニュースが報道されてから、野村・モルガン問題は奇妙な沈黙のなかで棚ざらしになる。大蔵省の徹底した否定と誘導によって、取材記者でも問題の本質を理解している者は少なかった。(略)「野村証券だけは絶対に許さない」という銀行幹部のつぶやきが、時折、耳に入るだけだった。

(略)

84年4月、宮本銀行局長が野村証券に出向き、田淵節也社長に「設立は認められない」と通告して終わる。(略)

86年には投資顧問業法が成立

[野村証券を排除するという一点で、外銀信託の参入が実現。結局、野村モルガン信託構想は金融自由化を加速させた]

その一方で、大蔵省の野村証券への恨みは深く刻まれることになる。「野村証券はやりすぎたな」。のちに次官となる大蔵省の切れ者、山口光秀が私に言った言葉は忘れられない。

(略)

[相田雪雄はモルガン本社を訪ね、計画の断念を伝え、どの分野に力を入れるのかと質問した]

ウェザーストーン副会長の答えは「我々は銀行でもない。証券会社でもない。我々はただJPモルガンである」というものだった。相田はその志と気概に強い感銘を受け

頓挫した大蔵官僚・佐藤徹による「金融改革」

[無担保の社債を発行するには格付け会社による「格付け」を受ける必要がある。佐藤の構想は長信銀三行と都銀七行によるオールジャパンのサムライ格付機関設立だった]

佐藤は証券局長でありながら、銀行の首脳のもとを行脚して金融自由化の未来を説得(略)最大のターゲットは興銀だった。[興銀を日本型の投資銀行にする](略)

 興銀がもしも銀行という名前を捨てる覚悟があるのなら、「あらゆる証券業務を内外でやってもらっていい」とさえ、佐藤は言っていた。[しかし興銀のプライドがその決断を阻む](略)

 佐藤の死の報を聞いて、興銀の中村金夫は「彼が生きていたら興銀が変わる道を探れたかも知れない」と天を仰いだ。後年、興銀がバブルの海にあえぎスキャンダルにまみれたときにも、「バブルの前の83〜84年が興銀にとって最後のチャンスだった」と振り返ることになる。

 三局合意の廃止も格付け機関の新設も、佐藤の死によってなし崩しになる。(略)[バブルの到来で]土地の値上がり益を収益の柱に据えた銀行が、有担保主義(=土地本位制)の見直しに本気で取り組むムードはなくなってしまう。

山一証券の分岐点

 1986年9月、東京の溜池にある全日空ホテルの割烹『雲海』の和室で、私は山一証券副社長の成田芳穂と向き合っていた。彼からの突然の呼び出しに応じたものだったが、成田は最初から奇妙な、張り詰めた空気を漂わせていた。

 「山一証券は腐っている」

 しばらくの沈黙のあと、充血したようにもみえる眼を見開き、彼は切り出した。

 「何が腐っているのですか」という私の問いに「何もかもだ。横田社長には辞めてもらわなくてはいけない。植谷会長にも退任してもらう」と答えた。エキセントリックな調子で語り続ける成田の表情は、私がこれまでに見たことのないものだった。(略)

[小心で気配りの人の成田が二人を退任させ自分が社長になると口にする。腐敗の具体例を問うと口をつぐみ、気まずく別れた。翌年1月、総会屋への利益供与疑惑による検察聴取を前に成田は自殺]

[86年三菱重工は1000億円転換社債[CB]を発行。入手できれば労せず2倍になる。発行金額の35%が発行会社の裁量で配分できる親引けと言われ最高機密で配分される。ところが山一証券の分配リストが流出、殆どが総会屋だった。漏洩した成田は植谷と横田により自宅謹慎を命じられる。さらに植谷は雑誌「財界」で三菱重工に総会屋に配れと依頼されたと話し、それに目をつけたのが特捜検事田中森一。調査すると野村証券や日興証券は政治家や防衛官僚に配っていた。しかし検察上層部は動かず]

 成田の死から11ヵ月後に田中森一は検事をやめる。小谷光浩、宅見組の宅見勝の弁護など、まるで憑かれたようにバブルの渦中に飛び込み、みすがらも株取引にのめり込む。そして2014年に亡くなる。

 三菱重工CB問題を立件しなかった検察の判断は、違法な行為を続ける経営者を残し、その拮抗力である人材を放逐することに加担した。結果として、山一証券に自浄作用が働く可能性を奪った。(略)明らかに違法性を問うべき問題だった。しかし、成田はそれを社内抗争の道具に使い、犯罪として立件しようとした検察も腰砕けに終わる。そして、成田の死が、山一証券の反省なき経営の持続を可能にする。(略)

[成田の死後一年たたぬうちに行平次雄は副社長に復帰、さらに社長に]

 成田を死に追いやった暗愚の帝王植谷久三は、その後も取締役相談役として眼を光らせ、代表取締役会長となった横田良男は、社長就任時に個人営業の拡大をともに夢見た部下たちを社外に放逐し、みずからを営業特金拡大路線に縛り付ける。

(略)

2600億円の簿外債務を秘かに隠し続けることを決めた91年が、事実上、山一倒産が決まった時だったという見方が定着しつつある。[しかし本当に山一証券が死んだのは成田死去の87年1月である]

次回に続く。

[関連記事]

検証 バブル失政 軽部謙介 - 本と奇妙な煙

山一廃業は橋本潰しの大蔵省謀叛 - 本と奇妙な煙

2016-12-27 機械より人間らしくなれるか?・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる

作者: ブライアンクリスチャン, Brian Christian, 吉田晋治

メーカー/出版社: 草思社

発売日: 2012/05/24

|本| Amazon.co.jp

会話の間

一方が口をはさむと、もう一方はすぐに口を閉ざす。こんなふうに口をはさんだ瞬間に発言権がスムーズに受け渡されることは、実際にはあまりない。言葉の途切れ方が急すぎるのだ。

 発言権を巡って言い争いをする、少しずつ小声になったり少しずつ大声になったりする、相手の話に耳を傾けていることを示すために「へえ」や「ええ」と相槌を打つ、会話の流れを切らないように互いの言葉を補足する、口をはさまれても少し喋り続けてから発言権を譲る、などなど、実際の会話にはさまざまなバリエーションがある。

(略)

 このタイミングという問題こそ、言語学者とプログラマーが共にその言語モデルから締め出してきたものであり、「ああ」や「うん」といった言葉は、会話におけるまさにこの点で重要な役割を果たしている。「話し手はこれらの言葉を発することで、たとえば、言葉を選んでいる、次に話す内容を考えている、発言権を渡したくない、発言権を譲りたい、などを示すことができる」

正反対のボット対決と正反対のナンパテク

《イライザ》はセラピストを演じたのに対して、《パリー》は患者――特に妄想型統合失調症の患者――を演じた。《イライザ》が(略)セラピストの「パロディ」であったのに対して、[精神科医が開発した]《パリー》(略)は、妄想症への理解を深め、モデル化するための真剣な試みだった。

(略)

パリー ちょっと前にベイメドウズの競馬場に行った。

イライザ それはあなたにとってどんな意味があるの?

パリー 競馬場に行ったんだ。

イライザ 他にどんなことについて話したい?

パリー 競馬は面白いね。

(略)

会話をテニスにたとえてみると、《イライザ》は練習用の壁であり、《パリー》はサーブばかり打つ機械である。どちらも、本当の意味で相手と関わる必要もないし、相手に合わせて行動する必要もない(略)

[《イライザ》は「自我がなさすぎ」、《パリー》は「自我がありすぎる」]

(略)

ここ20年で最も有名な二人の「ナンパ師」、「ミステリー」とロス・ジェフェリーズ[映画『マグノリア』でのトム・クルーズの元ネタ]も、《イライザ》と《パリー》みたいに正反対の存在に思える。(略)「ミステリー」は、二十代の頃は手品師をしていた。彼は最初、ステージでの「口上」として話術を身につけた。手順通りに手品をしているあいだにも観客を飽きさせず、その関心を自分に向けさせるためのものである。彼は「これまでに親しくなった女たちを振り返ってみると、出会ったときからセックスをするまで、ただ彼女たちの耳元に思いついた言葉をささやいていただけで(略)相手について話したりはしない。たくさん質問をしたりもしない。(略)[相手と]会話をしないからどうだというんだ?これは俺の生きる世界であって、そこに相手が入ってきただけじゃないか」と書いている。要するに、これは演者とその観客との関係である。(略)

正反対なのが、セラピストとその患者との関係である。「ミステリー」が登場する前には最も有名なナンパの第一人者だったと言われるロス・ジェフェリーズは、手品ではなく、《イライザ》の行動原理と同じ分野、つまり心理療法からインスピレーションを得ている。「ミステリー」がほとんど一人称で話すのに対して、ジェフェリーズはほとんど二人称で話す。「君自身のことを教えてあげるよ」といった具合にジェフェリーズは女性に話しかけるのだ。「君は心のなかではっきり、とても鮮明にイメージを思い浮かべる。つまり君は鮮明な白昼夢を見ることができるってわけだ」「ミステリー」のほうが自己中心的に思えるかもしれないが、ジェフェリーズはまるで相手を自己中心的にさせようとしているようだ。

 ジェフェリーズの話し方は、1970年代にリチャード・バンドラーとジョン・グリンダーが開発し物議を醸すことになった会話中心の精神療法である神経言語プログラミング(NLP)からきている。

(略)

彼らのセミナーに参加した女性が意見を述べようとして「もしわたしが他の人に、自分にとって大事なものについての話をしたらどうですか……」と尋ねる。 「そんなことをしても、他人とのつながりが生まれるとは思えない。なぜなら、相手にそのような話をすれば、あなたの関心は相手に注がれるのではなく、自分自身にしか注がれないからだ」というのが彼らの答えである。(略)

 例の女性は「わかりました。セラピストの場合、自分自身の話をしないというやり方が治療で効果的であることはわかりました。でも友人同士の場合には」うまくいかない、と返している。その通りだと僕も思う。

訳者あとがき

ローブナー賞とは、コンピュータがどれだけ知的であるかを測定するために、審判員がコンピュータと人間(サクラ役)の両方とチャットをして、どちらが本物の人間であるかを判定するチューリングテストを利用して、どのコンピュータ(チャットボット)が最も人間らしいかを審査するコンテストだ。最も人間らしいと判断されたチャットボットには《最も人間らしいコンピュータ》が贈られる。ところがこのコンテストには別の賞が用意されている。それがサクラ役を務める人間のなかで最も人間らしいと判断された人間に贈られる《最も人間らしい人間》賞である。ほとんどだれにも見向きもされない、ニュースで取り上げられることもまずないこの賞に目を付けたのが本書の著者ブライアン・クリスチャンである。四人いるサクラ役のなかで《最も人間らしい人間》賞を勝ち取るには、さらにはコンピュータよりも人間らしいと判断されるためにはどうすればいいのか。それが本書のテーマとなっている。

2016-12-24 機械より人間らしくなれるか? AIとの対話が〜 このエントリーを含むブックマーク


機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる

作者: ブライアンクリスチャン, Brian Christian, 吉田晋治

メーカー/出版社: 草思社

発売日: 2012/05/24

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《クレバーボット》はユーザーの知識を借りている

[開発者のロロ・カーペンターは]これを「会話のウィキペディア」と呼んだ。その仕組みはこうである。(略)

[「こんにちは」へのユーザーの返答は]すべて巨大な言葉のデータベースに格納され、「こんにちは」に対する人間の返答というタグがつけられる。それ以降の会話では、《クレバーボット》に「こんにちは」と言うユーザーに対して《クレバーボット》は「よう」(最初のユーザーがどう答えるかによって変わる)という返答をいつでも用意しておくことができる。

(略)

数年間にわたり常時数千人というユーザーが《クレバーボット》にログインして絶え間なく会話をしてきたため、《クレバーボット》のデータベースには意味不明に思える言葉(「スカラムーシュ、スカラムーシュ」など)に対する適切な返答までもが蓄えられたのだ。(略)

結果的にユーザーは、本物の人間でできたピューレのようなものとチャットをしていることになる(略)要するに過去の会話のこだまと会話しているだけなのだ。

 これは、《クレバーボット》が一般常識を問う質問(「フランスの首都はどこ?」「パリはフランスの首都」)や大衆文化(雑学、ジョーク、曲の歌詞)――だれが話しているかに関係なく正しい答えがある事柄――に滅法強い理由の一つである。(略)だが《クレバーボット》にどこに住んでいるかを尋ねた場合、その返答は数千人という人々が話してきた場所に関する数千という会話の寄せ集めから無作為に選ばれる。話しかけたほうは、相手が人間ではないというよりも、相手が一人の人間ではないと気づくことになる。

逆ギレでごまかすボット

[マーク・ハンフリーズは]以前からあった話す内容をユーザー任せにして聞き上手を装う「非指示型」のチャットボットの仕組みにひと工夫を加え(略)

《Mゴンズ》は次になにを話せばいいのかわからなくなると、セラピストの決まり文句「それについてどう思いますか?」「それについてもっと話してください」を繰り出す代わりに「あんたは明らかにくそったれだ」「さあもうおしまい、あんたと話すことなどなにもない」「ああ、面白いことが入力できないのなら黙れ」といった発言をする。実に天才的な仕掛けである。

機械翻訳

『あなたはこう言ったけれど、それは同じ意味で、こんなふうにも、こんなふうにも、こんなふうにも、こんなふうにも表現できますね』(略)こういった言い換えは、コンピュータにとって凄く難しいはずだ」と数理言語学者ロジャー・レヴィは言う。(略)

[「語用論的推論」とは]

『ジョンは横柄で無礼な音楽家の子どもの世話をした』さて、無礼なのはだれだろうか?」僕は音楽家だと思うと答えた。「よろしい、では、『ジョンは横柄で無礼な音楽家の子どもが大嫌いだった』では?」今度は、子どもが無礼に思えると僕は答えた。「その通り。このような判断が下せるコンピュータシステムは存在しないんだ」

(略)

 多くの研究者は、類語集や文法規則に従って言語を分析しようとしても、翻訳の問題は解決できないと考えている。そこで、こうした従来の作戦をほとんど放棄した新しい手法が生まれた。たとえば2006年の米国標準技術局の機械翻訳コンテストでは、グーグルのチームが圧倒的な差で優勝し、多くの機械翻訳の専門家を驚かせた。グーグルのチームでは、コンテストで使用された言語(アラビア語と中国語)をだれも理解していなかった。そして、ソフト自体も同じように理解していなかったと言えるかもしれない。このソフトは、意味や文法規則をなに一つ知らなかったのだ。ただ人間による質の高い翻訳(ほとんどは国連の議事録からのもの(略))の膨大なデータベースを利用して、過去の訳文に従って語句をつなぎ合わせたのである。それから五年後のいま、こうした「統計的」な技法はまだ完全ではないものの、ルールベースのシステムを完全に圧倒している。


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チェスとナンパの共通点

 《ディープブルー》の勝利がAIのターニングポイントだったと考える人もいれば、あれでなにかを証明したことにはならないと主張する人もいる。この対決とそのあとに巻き起こった論争は、不安定に変化し続ける人工知能と人間の自意識の関係にとって、最大の事件の一つである。(略)

 ほぼ同じ頃、ニール・ストラウスという記者が、世界的なナンパ師のコミュニティに関する記事を書いた。長期的に取材をするなかで、ストラウスは最終的に自らがコミュニティのリーダーの一人となり、最も発言力のあるメンバーの一人になってゆく。彼の実体験は2005年のベストセラー『The Game』(『ザ・ゲーム 退屈な人生を変える究極のナンパバイブル』)に詳しく記されている。最初こそ、彼はナンパの師匠である「ミステリー」の「実社会を操るアルゴリズム」に畏敬の念を抱くが、ページが進むにつれて、「ミステリー」のメソッドに忠実に従う「社会性ロボット」の群れが夜のロサンゼルスに繰り出していると感じるようになると、彼が最初に覚えた驚嘆はやがて恐怖へと変わり、コンピュータがチェスを「殺した」と宣言したボビー・フィッシャーと同じように(略)ナンパは「死んだ」と宣告している。

(略)

[チューリングテストで]人間であると示せるかどうかは、チェス棋士の言う「定跡から外れる」かどうかにかかっているのだ。(略)どうすれば定跡から外れることができるのか、定跡から外れなかったらどうなるのか、それをこれから見ていくことにしよう。

(略)

 ガルリ・カスパロフは「わたしは確かに最後のゲームで敗れたかもしれない。だが《ディープブルー》が勝ったわけではない」と述べている。

 実に不思議な言葉であり、この主張こそが、僕が最も興味を惹かれ、これから語ろうとしていることだ。

(略)

[実況解説]

セイラワン (略)ガルリ・カスパロフがきょう負けるとしても、このサクリファイスなどの手筋は、すべて《ディープブルー》のライブラリ、つまり序盤定跡のライブラリにあるだけであって、《ディープブルー》自体はなにもしていないと考えられるということだ

(略)

 これこそが、カスパロフが第六局はノーカウントだと述べた理由である。(略)

[カスパロフは]実質的には定跡のなかで敗れた(略)

 形而上学的な言い方をすれば、カスパロフに勝てる盤面を作り出しだのは《ディープブルー》ではなかった(略)

 本物の《ディープブルー》と言えるのは、定跡から外れたあとのことだ。定跡から外れる前は、なにものでもない。単なる過去の対局の焼き直しである。(略)

[ただ定跡を丸暗記するだけで、なぜそうなるかを考えていない若い棋士を憂慮するカスパロフ。一方、ナンパした女性二人と3Pに持ち込んだニールは]

 俺は、そのあとは自然にセックスに流れていくものだと思っていた。しかし、彼女はただそこに膝をついているだけで、なにもしていない。背中を流せと言ったあとにどうしたらいいかなんて、「ミステリー」から聞いていなかった。(略)俺はそこからセックスが自然に展開していくものだと思っていたのだ。どうやって移行していったらいいのかなんて聞いてないし(略)俺にはわからない。

(略)

増加の一途をたどるデートに関するウェブサイトや書籍では、お決まりの会話の切り出し方を紹介し、丸暗記と反復に重点を置いている。「一つの話や一つのやり方をひたすら繰り返せば、自分がなにを話しているか考える必要もなくなる。それだけ、次の行動を考えるとか、他のことに頭を使える。どう切り出せば会話がどうつながるかは十分にわかっている。未来が見えているようなものだ」

(略)

 チェッカーが地に落ちたのは1863年(略)

チェッカーの世界チャンピオン決定戦は、40局のうち21局が最初から最後までまったく同じ展開となった。残りの19局も、序盤は「グラスゴー・オープニング」とあだ名されるようになった同じ展開ではじまり、40局すべてが引き分けに終わった。

 チェッカーのファンにとっても主催者にとっても(略)我慢の限界を超えていた。序盤の理論が確立されたことと、トップ棋士たちのリスクを負わない態度が相まって、トップレベルのチェッカーは行き詰ったのだ。

 では、どうすればいいのだろう。(略)

ただ駒の初期配置を毎回変えればいい。これこそ、まさにチェッカーの統括組織が講じた措置だった。

 1900年頃のアメリカで、大きなトーナメントでは「二手制限」と呼ばれるルールが採り入れられはじめた。対局に先立って最初の二手が無作為に選ばれ、その配置から二人の棋士が先手と後手を互いに入れ替えながら一局ずつ対局するのだ。これにより、定跡にあまり頼らないダイナミックな展開となり、しかも――ありがたいことに――引き分けも減る。(略)

1934年には初期配置が156通りある三手制限に引き上げられた。その一方で、奇妙なことに、駒の初期配置がそのままのクラシックなチェッカーはそれ自体がチェッカーのバリエーションの一つと考えられるようになり、「勝手気まま」と名づけられた。

(略)

 コンピューター同士の対局では序盤定跡の影響があまりに強く、多くの場合はそれで勝負が決まるため、チェス団体は定跡に頼ったコンピュータ同士の対局の結果に疑問を持ちはじめている。

(略)

 21世紀はじめ、かつての世界チャンピオン、ボビー・フィッシャーも同じような懸念を抱き、若い世代の棋士がコンピューターを使って数千という序盤定跡を丸暗記するだけで、本当に分析能力に長けた棋士に勝ってしまっている状況に愕然とした。チェスは序盤の理論ばかり、「丸暗記と下準備」ばかりになってしまったと彼は語った。「双方の棋士が本当の意味で考えはじめるタイミングがますます遅くなっている」と彼は話した。しまいには、カスパロフやナンよりもさらに極端な結論に達している。「チェスは完全に死んだ」と述べたのだ。

 だが、こうした状況に対する彼の解決策はきわめてシンプルだった。初期配置で駒の位置をめちゃくちゃにするのだ。(略)まだ初期配置は960通りある。序盤定跡をほとんど無意味にするには十分だ。

(略)

[解説のセイラワンはこうカスパロフを批判]

コンピュータにはこんなに素晴らしいデータベースが山ほど積まれているのだから(略)人間がすべきことはすぐにコンピュータを序盤のライブラリから外れさせることだと信じられている――(略)わたしは、王道とされている手筋で序盤を指すのがいいと思う。(略)[コンピュータが序盤定跡を使うのは]ガルリ・カスパロフのような棋士がこうした優れた手をかつて指したことがあり、それが序盤の最善の手筋として確立されているからだ。それなのに、ガルリは常に序盤定跡の改良を試みている。したがって、もしわたしがガルリなら、「さあ、こちらは王道とされている手筋で指すぞ。コンピュータが指すような手を指すのだ。まずは――まずは無難な手筋で指そう」と見せかけて、だれもが初めて見るような斬新な手を指して、コンピュータに不意打ちを食らわすね。だが彼はそうしない。それどころかガルリは「わたしはできるだけ早い段階から、類を見ないほど個性的で独創的な手を指す」と言っている。

(略)

僕らは古い友人とのお喋りを(略)[「やあ」といった]序盤定跡から始めるが、これ自体は会話とは言えず、会話にたどり着くための手段である。(略)

[僕たちが求めるのは]気配を感じると同時に定跡から外れ、本題に入る方法である。

次回に続く。

2016-12-22 不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む このエントリーを含むブックマーク


不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む

作者: 三田完

メーカー/出版社: 文藝春秋

発売日: 2016/07/30

|本| Amazon.co.jp

47歳、鬱。

10月下旬のあたたかさだと云う。妙に生あたたかく気持が悪い。そのせいではないが、精神状態がひどく悪い。居直ることと、割切ることと、対することをいつの間にか忘れてしまったようで、少々自己嫌悪にかられる。(84・12・12)

 あげく、年の押しつまった28日に病院で鬱症状を訴え、ドグマチールという薬を処方してもらっている。ヒットメーカーとして名声を確立し、小説『瀬戸内少年野球団』が映画化されて世の話題となった時期だ。(略)

 ときに阿久さんは47歳。

深読みされたペンネーム

阿久悠(悪友)、河久東(悪党)、阿久忍(悪人)の三つが候補となり、最終的に阿久悠を採用することにした。(略)

阿木燿子さんは、「阿久さんは水瓶座生まれでいらっしゃるのね。アクエリアスからペンネームを考えるなんて、素敵」と感心する。ともにピンク・レディーのヒット曲を作った都倉俊一氏は、「いや、あれは英語のアイ・ライク・ユーだよ」とこともなげにいう。作家の陳舜臣氏は「ほう、魯迅ですな」と深くうなずく。

(略)

[日記には]「ここより永遠に」という意味合いがあると、ペンネームに関する新たな解釈を書き加えている。

ザ・モップス『朝まで待てない』

 ――たぶん、ほかの誰かに断られたんで、ぼくにお鉢が回ってきたんじゃないかな。

 ザ・モップスの『朝まで待てない』について、阿久さんがぽつりと口にしたことがある。昭和42年、ビクターからふたりのディレクターが突然やってきて、あしたの朝までに詞がほしいという。そのまま赤坂の小さなホテルに拉致され、カンヅメになった。やけくそのような気分でつけたタイトルが『朝まで待てない』。阿久さんにとっては初のA面楽曲だったので、これをもって公式のデビュー曲となっている。(略)

[中ヒットとなったが、以降、ヒットにめぐまれず]

とあるレコードディレクターからは、「きみの詞は売れないよ、哀しくないもの」といわれた。阿久さん自身も、なるほどな、と思う。しかし、売るために「怨」と「自虐」をちりばめ、情に溺れる詞を書く気にはなれなかった。幸いなことに、放送作家として生活は成り立っている。誰か物好きが褒めてくれればそれでいい――そんな思いだった。

夏目雅子、賀来千香子、松下奈緒

[うーん、女性の好みが一貫してる]

 日記の随所で、阿久さんは気になる人物の名前をメモしている。

村上春樹を気にしてみよう。(81・1・12)(略)

片桐はいり――劇団ブリキの自発団(85・10・27)

賀来千香子――「唐津火模様殺人事件」に主演していたが、いいヒロインになると思う。(87・1・27)(略)

そして、亡くなる数か月前――。

注目 松下奈緒 ピアニスト(音大4年生) 女優

(07・3・17)

小泉今日子と中森明菜に心弾まない阿久悠

 皮肉なことに、日記のなかで阿久さんが最初にテレビというメディアに対して眉をひそめたのは、みずからが企画し、山口百恵やピンク・レディーを世に送り出した『スター誕生!』が発端だった。(略)

武道館でのスター誕生500回記念番組に参加。少々いやになる。夢の残骸を仰々しく並べて何になるのか。その後のパーティも同様。(81・3・18)(略)

スター誕生決戦大会。さびしい結果。もはや業界のこの番組への期待感は無しと見た方がいい。(81・9・2)

(略)

 この年いっぱいで阿久さんは審査員を辞した。番組がはじまってからちょうど十年(略)しかし、阿久さんが審査員席にいた最後の年、『スター誕生!』の舞台からは小泉今日子と中森明菜が巣立っている。

(略)

 小泉今日子も中森明菜も、「スター誕生」の堂々たる合格者ではあるが、決して、卒業生とか生徒というようには見えなかった。

 彼女たちは、少女であっても、どこか独立していて、極端なことをいうと、他人の知恵を拒んでいるようにさえ見えたのである。

 これは、山口百恵に感じた自立意識とか、自我の主張とも違っている。

 山口百恵の登場の衝撃は、多分に結果から逆算されたところがあり、大人を超える成熱度と感性を持っていたといっても、その時点までは、まぎれもなく少女であった。花の中三トリオにもなり得た。

 しかし、小泉今日子も中森明菜も、大人のプロに対して、どこかヒラヒラと拒絶の手を振っていたような気がする。彼女たちの個性というより、時代であったと思う。

    ――『夢を食った男たち』より


夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 (文春文庫)

作者: 阿久悠

メーカー/出版社: 文藝春秋

発売日: 2007/12/06

|本| Amazon.co.jp

直木賞への未練

正月休みがつづいている感じで終日ゴロゴロ。多少の苛立ちもある。向田邦子、青島幸男、そして今回つかこうへいにまでスイスイと先をこされると、ムッともする。今年こそ腹をきめてやらねばならないか。媚びず、ほしがらずは貫きたいとは思うが。来週から本格的仕事はじめということで計画をたてなおそう。(82・1・20)(略)

「鳥獣戯歌」600枚、年末〆切。これで絶対に直木賞をとる!(82・9・9)

年間三冠王を具体的な目的にしよう。[映画]「瀬戸内少年野球団」を興行的に成功させるとともに、映画賞をとる。小説もそろそろだし、レコード大賞も六度目を狙いたい。(84・1・1)

[第99、101回と候補になるも落選]

直木賞への未練は阿久さんの胸に残った。(略)

[候補内定の時期]

何かいい便りでもないかとぼんやり期待しているが、別にそれと思えるものはない。

(92・6・9)

(略)

ライバルが直木賞とりし日の夜の梅

  こぼれ散るさましばし見ており

    ――なかにし礼氏受賞(2000・1・14日記欄外) 

大瀧詠一

[田家秀樹『みんなCM音楽を歌っていた』から]

大森 その時に「小林旭さんです」と言ったんですけど「やります」ともなんとも言いません、返事はすぐにくれなかったですよね。ただ、深い沈黙がありました。

大瀧 沈黙でした? 内心は、そっちで来たかという感じでね。(略)でも、85年になんで小林旭だったんだろう、AGFは。

大森 やっぱり「北帰行」ですよ。朗々と広がりのある歌というんで。ディレクターと演出家とプロデューサーが「小林旭さんで」と言った時に、これはもう大瀧さん以外、私はやらないと決めてましたからね。

大瀧 それが自信ありげな表情に出ているわけですよ。僕はその時点でこれは天命と受け取ったから、そこで沈黙があるわけですよ。考え始めているんですよ、どのラインにしようか。「さすらい」にしようか「北帰行」にしようか。それで沈黙になったんじゃないですか。(略)あれが夜中に出来た時はインターホーンで女房をたたき起こして「聴け!」って。一生で一回だけですよ、そういうことしたのは。あんなことそれまでに一回もなかった。

大森 でも、その時点で作詞家は決めていたでしょう。

大瀧 阿久悠さんで決めてました。(略)「松本隆で」という声もありましたね。でも、僕は「小林旭に松本は合わないと思うから」って阿久さんにしたんですよ。

(略)

 阿久さんは一種のジョークとして、よく、「ぼくと一番相性のいい作曲家は大瀧詠一さん」と口にしていた。なにしろ組んで作った作品は『熱き心に』ただ一曲。それがヒットし、21世紀まで歌い継がれるスタンダード・ソングになったのだから、打率十割、はずれなし――という理屈である。

 私自身が大瀧詠一さんに一度だけお目にかかったとき、阿久さんがこのように語っていると話したところ、大瀧さんはすこし困ったような表情になり、「ぼくもそう思ってます」と応えた。


みんなCM音楽を歌っていた―大森昭男ともうひとつのJ‐POP

作者: 田家秀樹

出版社/メーカー: スタジオジブリ

発売日: 2007/08

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2016-12-20 「本屋」は死なない 石橋毅史 このエントリーを含むブックマーク


「本屋」は死なない

作者: 石橋毅史

メーカー/出版社: 新潮社

発売日: 2012/04/13

|本| Amazon.co.jp

原田真弓

 原田真弓とは知り合って十年余りになる。彼女は書店員で、僕は出版業界専門紙の記者だった。(略)

 大型書店には毎日、大量の新刊が入荷する。そのひとつひとつを売場のどこに並べるかを決めるには、ろくに読みもしないのに内容をわかっているという特殊な能力が必要になる。ずっと以前、彼女にコツを聞くとそれはこういうものだった。

 タイトルと装丁を見る。目次を見る。キーワードだけに注目して、立ったまま、または歩きながら三十秒、読む。それだけでわかる。わからない本は商品として弱いと判断するしかない。例外は常にあって、三十秒ではわからないけど引っかかりを覚えた本は、あとでちゃんと読んでみる。出版社とあらかじめ話し含って、中身も先に読んでいて、売場のどこに置くかを決めている本もある。でも毎朝、必ずやるのはその三十秒の繰り返し。自分の持場の箱を開けてから十分、十五分でそれを終わらせる。

 べつに特別なことじゃなくて、担当をもってる書店員なら誰だってやっていますよ。そういう光景、よく見るでしょう?(略)

 でもね、と彼女は呟いた。そうやって本を仕分けしていくのって、自慢したいくらい捌く能力がついて、あっという間にパパッと並べてみせて、あとで確認してもやっぱり間違ってないってうなずいて、でもそれでいいのかなあ、と思います。なにか悪いことしてるような気がして。

 悪いというのは、著者に対して? 出版社?

 なんだろう、本かな? でも本だけじゃなくて、もういろいろと。

 売場を訪れるたびに彼女は、担当している分野で静かに売れはじめた本や、自分がひそかに応援している本や、最近の客の傾向などを話してくれた。そしてわずかな時間の立ち話の最後に、いつも虚無感をにじませて何かを言う癖があった。たとえば「なにか悪いことしてるような気がする」と。そう言われると、たしかに僕たちは全体が悪いほうへ向かうことに寄ってたかって加担しているような気がした。

(略)

書店を辞めたと聞いたときは驚いたし、自分の店を立ち上げようと考えていることも知らなかった。にも拘わらず、彼女の開業の報せに僕は即座に納得した。

 原田真弓の行動には、書店の現状に対する抵抗と、虚無のつぶやきを発してきた自分を乗り越えたいという願いが込められていると思う。

棚が見える感覚

カテゴリーの配置です。たとえばフランス料理、イタリア料理と並んでいて、お菓子作りの本がそこから離れたところにあったら、これは違うなあと思うんです。お客さんの多くが店の入口からその棚にたどり着いて、どこから見ていくかという、目の動きですね。棚の前にある、本を積んだ平台部分も含めてです。すごく単純にいえば、和食の本を並べた棚の前の平台にフランス料理の本を積んでしまうと、お客さんは目線がぶれます。なにか一冊買って帰りたい気持ちを知らないうちに失って、帰ってしまう」

 ――棚が死んでしまう。

 「そうです。あるいは、フランス料理が実際にはあまりニーズがないのに、見栄えの綺麗な新刊が多いのにつられてズラっと並べちゃうと、本をレジヘ持っていってもらえない棚になっちゃう。それよりは和食の基本的な先行良好書をちゃんと揃えたほうがいい、とかですね。もちろん、具体的にはお店の立地、客層、時期によって違ってきます。もうひとつ、その本はなぜここに置いちゃダメなのか、なぜその本じゃなくてこの本を置かないといけないのかを言語化できるかどうかも、私には重要でした。

(略)

いちばんは、返す判断ですね。棚は、入れるよりも抜く作業が重要なんですよ。いまの、商品量の多い時代の発想だと思いますけど」(略)

売れないのに明確な理由もなく残している本があると、どんどんダメになります。わざと、ダメな本を置くこともあるんですよ。和食の作り方を知りたいと思ってお店に来た人は、いくつかの本を比較して買ってゆくわけじゃないですか」

 ――売りたい本を引き立てるために、隣に噛ませ犬みたいな本を置くと。

 「言いにくいんですよ、これ。出版社だって、自分のところの本をそんなふうに扱われたらたまらないですよね。でも実際にはある。私はやっていたし、やっている書店員は大勢いると思います」

 来店客が主体的な選択をした気分になれるよう誘導する陳列は、多くの小売店の常套手段だ。書店においても、並ぶ本は一冊一冊がたまたま隣り合っているのではなく、連なった集合体として存在する。もちろん、エースの隣に噛ませ大を置くような組み合わせだけでなく、あれもこれも買いたいと思わせる並べ方もあるだろう。有効な見せかたは店によって連う。駅の構内のような慌ただしい雰囲気の店では買う本を即断しやすい見せ方が必要で、常連客を増やすことを重視する店なら「気になる本がいろいろある、また来よう」と思わせる工夫をしている。

 だが、最近はそうした棚の演出が見られなくなってきている。近年、書店員による手書きPOPが増えたことはこれと関係がある。(略)

書店の大型化で一冊一冊の存在感が薄れたこと、本が多すぎて買う側も売る側も選択が難しくなったこと、アマゾンなどネット通販への対抗、この本だけは埋もれさせたくないという書店員の思い、などを背景にして増えた。

(略)

 「いい棚ができたなあ、これはけっこうお客さんが手にとってくれるかも、ってひそかに思えるような日々が好きで。そのことに集中できた時代がいちばん楽しかった」

[――いい棚を作れる人と作れない人の違いは?](略)

 「切り口のひとつとしていえば、書店員の棚の作り方は『コンプリート型』と『切り捨て型』にわかれると思います。たとえば日本の小説の棚を担当したら、置いておくべき作家をアイウエオ順に並べる基本をちゃんと守るのが前者。伊坂幸太郎さんの本ならこれとこれは置かないと、というのを作家別にきっちりやって、売れたら補充を欠かさない。切り捨て型は、いまは伊坂幸太郎を推すときだ、と思ったら全部を置く。あるいはよその店があまり推していない作品ほど前に出す。そのかわり、もっと実績のある作家さんを一冊も置かないとか。場所がないんで外しました、なんて平気でいって店長に怒られてる。後者は性格にムラがある人も多いし、失敗すると売上げも落ちちゃうんですけど、時代の空気と合ったときはバーンと存在感のある棚になるんですよ。

もはや商品知識すら、個別具体的にしか使えない

岩波ブックセンターの社長、柴田信の言葉を思い出す。(略)

 「本をたくさん知ってる。それだけなら、もうアマゾンの検索が一番。誰でも引っ張りだせる。書店員が本のタイトルに詳しくても意味はないんだね。この本の隣に何を置くかというのも、もはや原理原則を言ったってしょうがない。まとめてアマゾンで買えばいいんだから。残ってるのは、個別ですよ。アタシがやってるこの店に、何がなきゃいけないのか。アタシの店では、それをどう並べなきゃいけないのか。これだけが残ってるわけだ。この、個別の商品知識、棚の構成力が不可欠になる。そのためには、店の子たちに五年や十年で辞められちゃ困るわけですよ。経営者は、定年まで自分の店で働いてもらえる人材育成を、もう一度やんなきゃいけないだろうね。それが必須になる」

育てたブームをPOSが一気に消費してしまう

[原田が会社を辞めた理由]

リブロでの八年間、自分がパルコ時代の焼き直しをやっている感覚はずっとあったんです。棚づくりのコツ、売れ筋を自分でつくっていく仕掛けは、基本的にはパルコの頃に覚えたことを踏襲していました。ただ、それはそれでつまらないわけじゃなかったから……。やっぱり、それじたいをやりにくい状況になってきたことが大きいですね。これははっきりと、あの頃からと言えるんですよ。リブロが日販の子会社になって、チェーン全店の注文数や在庫を日販が把握できるようになってから」

(略)

 出版物の流通は、「書店は売れなかった本を返品できる」という委託販売のルールと慣習によって、大多数を占める「売れるかどうか、置いてみなければわからない本」「あまり多くは売れない少部数の本」も全国の書店に並ぶようにしてきた。これは本という商品の特性からいって良い慣習だったが、その反面、慣習は悪用されるようにもなった。

[出版社は売上げ確保のために本を濫造し書店へ流し、返品額を埋めるためにまた新刊を送るという自転車操業に]

 書店のほうは、出版社とは逆のかたちでこの慣習を利用する。(略)「あの本とこの本はもう売れないから返す」のではなく、「今回は五百万円ぶん返せ」と社長が社員に指示する場面を、部外者である僕が見たことさえある。それほど当り前のことだった。

 出版社と書店の間で本とカネの行き来を仕切っている取次にとっては、これがあまりに横行すると無駄なコストがかさむ。(略)

一タイトルあたりの仕入れ冊数は減らしてきたが、内心では「売れない」と思っている本でも、取引のある出版社の新刊は原則としてすべて受け入れてきた。日本の取次は、一私企業でありながら、企業としての損得だけで本を扱うのではなく、国内の出版文化を支える役割を担ってもきたのである。(略)

[だが90年代から市場が下り坂になりPOSによる]

効率化を本気で進めないと、出版流通はほんとうに破綻してしまうという切迫感が取次にはある。(略)

[しかし]

 こうして導入されたシステムを、仕事がやりにくくなった最大の原因だ、と原田は言っている。これを言うのは彼女だけではない。取次とPOSシステムが繋がることを拒否している書店もある。

 拾われちゃってるようなんです、と原田は説明した。

 「こちらのやっていることが、あちらに。明言はしてくれません。それが、よけいに気持ち悪かったな。(略)

[世間に知られていない本を]置き場所や見せ方を変えながら少しずつ伸ばして、やっと売れるようになってきて、もっと広げて展開してみよう、というふうに育てていく。でも日販に注文数や在庫数が見えるようになってから、育てている途中の段階で、あっという間に広がるようになったんですね。TSUTAYAだとか、よその地域の書店でもバーンと展開されてしまう。(略)

 「面白くない……、そういう個人的な感情もあります。(略)でも、それは私の個人的な欲に過ぎないし(略)

[それよりも]問題は、そうやってあっという間に広がることで、土台のしっかりした、強いジャンルになる前に消費し尽くされちゃうことなんですよ」(略)

 「最近だと“森ガール”のブームがそれにあたると思います。

(略)

瞬間的に消費されて、確立されないうちに消えちゃう。じっくりやれば、渋谷の洋服屋さんなんかとも組んで、いろんなことができたと思うんだけど」

 原田の記憶では、いわゆる“カフェ本”ブームは三年をかけてゆっくりと育てられた。だがマガジンハウスの雑誌『ku:nel』などの“暮らし系”が三ヵ月ほどで浸透したときは早すぎると感じた。“森ガール”にいたっては育つこともなく終わった。

(略)

[後日ある取次の部長にその話をすると]

「(略)その書店員にとって面白くないのはわかる。(略)でも、もうそんなことを言ってる場合じゃないんだって。売れるモノをどんどん探して、優先的に送り込んでいくしかない。取次の流通も書店の売場もパンク寸前で、一刻の猶予もない段階にきてる。日販は、現実をとらえた正しい判断をしていると思う。もちろん、どこか味気ない世の中ではあるけどさ」

 流通業者である取次が商品政策にまで手を出し始めたことで、全国一律的な本の陳列、販売はさらに加速するのではないか? 本の世界は自由度を失い、つまらなくなるのではないか? そう思う人も多いだろう。だがいっぽうで大多数の人は、もうこういうことは止められる流れじゃないんだ、とも思っている。ほうっておけば出版流通を支える基礎的な機能が崩壊してしまう、という危機感が取次の原動力になっており、その流通システムの中でやってきた者には反論が難しい。

伝説の男・伊藤清彦

 さわや書店での店長時代、彼はいわゆる“書店発ベストセラー”を数多く仕掛けた。(略)

[千部しか売れず出版元が絶版を予定していた『天国の本屋』]

伊藤清彦が自店で大量販売を始めてから注目を集め、やがて全国に広まりベストセラーとなった。当時、著者の二人は「もはや僕らの本ではない。これは伊藤さんの本だ」とコメントしている。(略)

発売時はまったく話題にならなかった『五体不満足』が翌年にブレイクした瞬間、全国の書店で在庫をもっとも多く確保していたのはさわや書店だったといわれている。発売時に本書を見て予感を抱いていた伊藤は[大量発注しており](略)売れ行きに火がついた最初の一週間だけで千二百冊を売ったという。事前の大量仕入れを講談社に交渉できるだけの人脈と説得力をもっていだからこその成功でもあった。

 こうした眼力や技能に、人情の加わったエピソードもある。人気作家を他社にとられピンチに陥ったある中堅出版社が「あそこはつぶれる」と嘲笑されたと聞くや応援することを決め、その出版社が再び大ヒットを出すきっかけを作った。うちは盛岡に足を向けて寝られないのだ、とその出版社のひとが聞かせてくれた。

 この種のエピソードを挙げてゆくだけで一冊の本になる。実際に、書店員となる以前の生活や、東京の山下書店にいた時代のことも語った『盛岡さわや書店奮戦記』がまとめられた。

 伊藤清彦がひとつの本に目をかけた瞬間、ドラマがはじまる。

 そんな言い方も、けっして大げさではなかった。いくつもの本が、当時は人口30万人に満たなかった盛岡の一書店でヒットのきっかけを得ている。その事例がひとつひとつ明かされるたびに、伊藤清彦とさわや書店の名は知られていった。

 だが伊藤は2008年10月、[事実上のリストラで]さわや書店を辞めて無職となった。突然のことだった。


盛岡さわや書店奮戦記―出版人に聞く〈2〉 (出版人に聞く 2)

作者: 伊藤清彦

メーカー/出版社: 論創社

発売日: 2011/02

|本| Amazon.co.jp

[チェーン店に再就職したが、三日で退職]

 まずはしばらく耐えて、時間をかけて本部や現場を説き伏せるというわけにはいかなかったのかと問うと、伊藤はわずかに気色ばんだ。

 「だって全然違うのさ、やってきたことが。まず、人脈を否定されたから。こっちが呼んだわけじゃないが、初日に旧知の出版営業の人が顔を見に来てくれた。ただの善意、激励の挨拶だよ。するとそのことが本部に伝えられて、接触するなと言われた。(略)出版社との人脈を使った仕事はしないでくれと。これは、はっきり言われた。(略)

スタッフと三日間いっしょに働いて、可哀想だなとは感じた。現場が、本部の指示でしか動けない。午前中は本部とのやり取りに時間を取られて、新刊を並べる作業を後回しにしていた。お客のほうを向いてないのさ。事務所には監視カメラがついていて、本部でリアルタイムに見られるようになっている。店長の机には、椅子がない(略)

うわ、こうやってガチガチに締め上げてるのか、って。店の数を増やしすぎた弊害じゃないかな。社員を信用できないんだと思う。

(略)

新刊書店でなければという気持ちは、もうあまりないな。とにかく本を扱いたい。生活はなんとか成り立ってさえいればいいんだけども。いまは、現場で本に触れてないのが痛い。接客も含めて、現場にいないと力は急速に衰えちゃうから(略)

やっぱり書店員をやってることの醍醐昧のひとつは、お客さんがこういう本ないかって聞いてきて、自分が知っていれば他にこんな本もありますよって伝えたり、知らなかったら教わって、なるほど、ちょっとやってみようか、いま並べてるあの本と一緒にしてみようかって、幅を広げていく。そのやり取りを、僕は意識して他のお客さんにも見せてたのね。あ、この店は本の話すると食いついてくるんだと知ってもらう。これがはまると面白いことになるんだ。そういうお客さんがひっきりなしにやってきて、店をお客さんと一緒につくっていけるようになる。なにしろ、現場にいることがすべてなのさ。僕は、本部であがってくる数字見て、店ごとに本の分配して、その仕事の何が面白いんだろうと思う。

(略)

 松本は当初、ジュンク堂が自店から徒歩一分の場所に出店すると知ってもさほど心が揺らがなかったという。伊藤清彦が率いる自分の職場に自信があったからだ。

 だが、伊藤はスタッフの前でも動揺を隠さなかった。うちは厳しくなる、やられるだろう――。松本は、伊藤がそう語ったことじたいに動揺したという。二週間を過ぎると、対抗策が伊藤から語られ始めた。やがてジュンク堂のオープンが近づき、迎撃に向けて気合を入れ、しかし店はやはり売上げをとられた。

 そして、伊藤が会社を去った。かわって店を預かることになった松本が会社から向けられた言葉は、「これからは普通の本屋をやろう」だったという。

 普通ってなんだろう?取次や出版社の言うことを聞く本屋ということか?じゃあ俺が今までやってきたことは何だったんだ?

そういうことをずっと考えてるんです。

たしかに、伊藤さんが敗れた。

言い方はいろいろできます。私も複雑だけど、でも敗れたんですよ、やっぱり。

それは今でもショックとして残っています。

私の師匠は、伊藤清彦なんです。これからも。

ずっと、考えています。自分がどうやっていくか。

(略)

かつて群を抜く数字で力を示した伊藤清彦が、これからはどんなふうに「本」を人に伝えてゆくのか。そのことにこそ僕の興味はある。

 そう話すと、難しいね、と彼は一瞬だけ沈黙し、だがすぐに話し始めた。

 「仕掛けた本に火がついて飛ぶように売れていく快感っていうのは、一度味わうとなかなか忘れられないのさ。

(略)

[本の読み方は]

「少しずつ、書店員になる前に戻りつつある。書店員のときは、常に商品として見てるのさ。お、これは面白いと思って読み始めても、途中からはもう、どこに置くか、どの本とくっつけるか、版元はここだから仕入れはこうしようとか。装丁は、値段は、POPに書く言葉は、って気にしながら読む癖がついてしまって、そういう意味では純粋な読書ではなかった。いまはその必要がないから、他人に薦めるつもりもない本ばっかり読んでた感覚がだんだん戻ってきてる。それでいいのかという、複雑な気持ちもあるけども」

再度、原田真弓

 開業から一年半。改めて原田真弓にインタビューをした。きっかけは彼女からのメールだった。

《「もうちょっとの糸口」が見つかりました。》

《ただ、今、その伝え方をどうしたらいいかわからなくて、それを模索中です。》

《きっと、その糸口は正解だろうと思っているのですが、》

《それは、本の評価方法を変える、ということです。》

(略)

 本屋のひとってみんな、この本は面白いですよ、って、内容の話をするじゃないですか。インターネット上でもみんなそれを語っているし、おすすめの本は、と雑誌で聞かれたりもして。これを続けている限り、本屋が本を売る理由って、どんどん弱くなっていっちゃうと思うんです。

 ガワの部分、そこを含めて本を語ることを意識しないといけないんじゃないか。紙を束ねていて、文字の美しさとか表紙のデザインがあって、手触りや重さがあって、そういう製本されたモノとして紹介する。文章の素晴らしさはもちろん重要なんだけど、製本された状態をひとつの総合芸術として紹介しなきゃいけないんです、私たち本屋は。

 中身だけでいいっていう人は、これから絶対に増えると思う。むしろ本読みの人のほうが、電子で読めばいいものは何か、自分なりの基準がすぐにできるんじゃないかな。

(略)

とくに普段からそれほどたくさん本を読むわけじゃない人にとっては、手触りとかボリューム感を伴う製本の状態のほうが、作品のイメージを得やすい。そういうことをひっくるめて本だっていうことを、まずは本屋が、もういちど意識して伝えなきゃいけない。

 紙の本がなくなるわけじゃないけど、紙の本が今までどおり残る、っていうのもあり得ない。その危機感って、私は本屋の人がいちばんあると思う。これに関して、私は出版社を信用しません。著者や出版社にとって外せないのは、書いたものを発表し、それをお金に換えること。電子が主流になれば、そっちへ移るほうが自然ですよ。

 本屋だけなんです、製本された紙の本じゃないと存在意義を根っこから失ってしまうのは。本屋の人は、内容だけで本を説明することを意識的にやめないといけないくらいなんです。そうやって、むしろ本屋のほうが著者や出版社を引っ張っていかないといけない。総合芸術といっても大それたモノじゃなくて、日常的に使うモノとしての美っていうか。今までと同じように、いつでもそこらじゅうで手にとれるんだけど、それがモノとして実在することにいかに意味があるかを伝えていく。

(略)

 でもね、ガワの話をしようよ、って言ってまわって、それが間違って伝わっちゃうのは怖いんですよ。この本の装丁ステキでしょ、では駄目なんです。ノスタルジーで語ってることになっちゃったら、むしろ後退なんですよ。新書や文庫はデザインと造形に凝ってないから駄目、ということでもないと思うんです。大量に、広く安くばらまくにはこれがいいんだ、っていう意義はなくなっていくと思うんだけど、簡易なデザインでコンパクトに束ねたものにも、ガワを含めた良さと意義がある、っていう……。

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2016-12-17 口笛を吹きながら本を売る: 柴田信、最終授業 このエントリーを含むブックマーク

柴田信急逝で岩波ブックセンター破産の後だと、「今度のことはね、私、絶対に失敗できないんですよ。これからさき、岩波ブックセンターがずっと続いていく状況をつくるためのことだから。そのためには、やっぱり待つことも重要になるんです」という言葉が痛切。


口笛を吹きながら本を売る: 柴田信、最終授業

作者: 石橋毅史

メーカー/出版社: 晶文社

発売日: 2015/04/15

|本| Amazon.co.jp

岩波ブックセンター

 店名から察せられるとおり、すぐ近くにある出版社、岩波書店との関係が深い。いまは資本のつながりはないが、岩波書店が所有するビルの一階に店舗、二階の一室に事務所を借りて営業している。並んでいる本の半分は岩波書店の本だ。正式な会社名は「有限会社信山社」という。出版業界には、会社名のほうで呼ぶ人も多い。

 この店を長年にわたって営んできたのが、本書の主人公、柴田信サンである。1930年生まれ。まもなく85歳の誕生日を迎える。

(略)

 柴田サンは、新刊書店の業界ではわりと知られている一人といってよいかもしれないが、その枠を出れば無名の、一介の書店主に過ぎない。(略)

 書店業界に新たな方法を持ち込んだ先駆者――これは、厳密にいうとたしかにある。(略)

[芳林堂店長時代に]大型書店として事実上はじめて、本の販売数や在庫数を単品ごとに毎日把捉し、店の運営に活かすという仕組みを公開した。いまはPOSシステムの普及によりコンピュータで在庫管理ができるようになっているが、それよりずっと前、アナログな方法でその礎を築いたのが芳林堂書店だった。

 だが、このことを柴田サンは「私の実績」だとはけっして言わないし、それはたしかに謙遜ではない。実際にそれを考案し、実行したのはスタッフなのである。店長の柴田サンは、経営者に取り組みを受け入れさせるための仲立ちをし、業界全体に理解を促す広報担当のような役割を担った。「芳林堂の単品管理」は当時のスタッフ全員で成し遂げたことであり、柴田サンはその一員にすぎない。

 『出版販売の実際』で柴田サンが書いた章は、この「芳林堂の単品管理」を詳細にまとめたものであり、同時に「書店運営とは何か」を知る、かっこうの教科書になった。僕より上の世代には、新人の頃に『出版販売の実際』は必ず読めと言われた、という人が多い。だが、いまの若い書店員、出版営業担当で読んでいる人は少ないだろう。

(略)

 経営者として大きな成功をしたということもない。世の中の景気の下落と歩を合わせて、柴田サンの店も売上げを落としてきた。対抗策は打っているし、じゅうぶんに健闘しているほうだと思うが、同業者がこぞって参考にするような手腕を発揮したことはない。本の街・神保町にいるという立地的優位性や人付き合いの上手さを活かして、なんとかやってきたというのが正確である。(略)

 講演をしないかと声がかかれば、喜んで出ていく。(略)オッチョコチョイなくらいの目立ちたがり屋だ。すでに書いたように人の悪口、噂話が大好物。(略)

 中学校教師、薬品会社のトラック運転手、書店員を経て経営者になったという経歴の持ち主ではあるが、それらの選択も、自然の流れに従ってきた。


出版販売の実際 (エディター叢書)

作者: 須長文夫, 相田良雄, 柴田信

メーカー/出版社: 日本エディタースクール出版部

発売日: 2005/05

|本| Amazon.co.jp

芳林堂、斎藤社長

[まず最初は外商部に]

 この頃の芳林堂は谷島屋さん(静岡の老舗書店)を真似て、『ヘルパー制度』というのをパートの女性チームでやってたんだよね。豊島区の池袋駅西口からの一帯を、それぞれ持ち場をわけて回らせる。個々の出来高、歩合制で給料払ってたな。当時は全集がブームで、学研の原色百科とか、講談社の宮本武蔵、筑摩書房の芥川とか、ほんとによく売れたよね。(略)出版社の販売コンクールで全国二位なんて、とったからね。車も使って、こまめに配達してましたよ。

(略)

[次に店長の下について]

 最初に何をしたかというと、レジのところで、ただ見てるわけです、店内を。(略)何もしないで見てろ、と社長に言われたんです。なぜかというと、じっと見てるのが一人いると万引きが減るんだ、と」(略)

店長クラスにさせる人は、頭はよくなくてもいいから、とにかく背の高いのがいいんだと言ってました」

(略)

[閉店後、棚の前に社長と二人で立ち]

『いいか柴田くん、棚というのは、まず埋めるんだ』と。当時はよく売れてたから、しょっちゅう本が抜けて、棚がガタガタになってるわけ。『とにかく隙間をつくるな』『なんだっていい、バーンと埋めればいいんだ。番号だとかいろいろあるが、そんなの後だ』と言ってたよね。(略)私が35歳くらいの頃か」

(略)

斎藤社長がひとつ怒ったのが、本を包むときに紙をケチること。これやると、ものすごい剣幕で怒ったね」

(略)

 「お客さん第一、それは徹底してたね。それと、当時は『紀伊國屋に追いつけ追い越せ』がスローガンですから。紀伊國屋が自前の包袋紙を使ってる、だったらウチもだ!と、こうくるわけ。(略)

とにかく目標は紀伊國屋。それで先生は、神保町にある書泉だったんだよね。斎藤さんは、すべて酒井さん(書泉創業者・酒井正敏氏。2002年逝去)に教わっていた。だから芳林堂も、専門書が主役だったの。(略)単純にそういうことなのね。(略)

『棚に隙間をつくるな、埋めとけ』。なんでかっていうと、やっぱり万引き対策なのね」(略)

斎藤さんは、社員の万引きまで警戒した。当時の社員は、順番で宿直もしたんですよ。(略)宿直の社員が帰るとき、じっと見てるんだよね、なんか隠してないかって。これがつらいんだよ。いつも手元を見てるの。ともかく、万引きをさせないことにはこだわってた。見つけると、自分で外まで追いかけてったよね。あれは偉かった。

 そのうち私が講演なんかによばれて店あけるようになると、イヤミ言われたよねえ。『あなたがそうやって調子よく喋ってる間にも、万引きされてますからね』って。『計数管理がどうのとか、あなた外で語ってるみたいだけどね、その前に万引き何人捕まえたかですよ』と言ってた。(略)

「[うるさいとは思わず]感心してたよ。万引きを捕まえるっていうのは、意欲の表れなのね。絶対にとられたくない、とらせないっていう気迫が、斎藤さんにはあった。

 おかげで、なにを始めるにも万引きで説得すると伝わりやすかったな。(略)[単品管理にすれば]なにを何冊とられたかもはっきりわかるんです』って話したら喜んでくれた。(略)後になって『君には騙された、万引き減らないじゃないか』って言われたけど(笑)」

(略)

いろんなことやって、成績上げて。いちばんよかったときは、ボーナスで百万円もらった。一回きりだけどね。社長も『最初で最後だぞ』なんて言ってたけど。渡すとき、自分で決めたくせに悔しがってねえ。『岩波新書が二百何十円ですよ。それ売ってる人に百万円のボーナスを出すんですから、かぁ!』とかケチなこと言って

(略)

 高田馬場店(1972年開店)を出すときも、決断が早かったよ。(略)駅前歩きながら、『さわるねえ!うん、さわる、さわる!』って、自分の腕をはたくわけ。すれ違う人たちの腕がしょっちゅうぶつかる、それくらい往来に人が多いってことだよね。そうやって、いけるぞ、ここに支店だそう、って決心してるのね」

(略)

[新入社員を四年制大学からとったのも酒井の影響]やっぱり酒井さんが、影の軍曹だったよね。毎年、箱根の旅館をとって決算書を見てもらって、指導を受けていた。

 自分はなにも知らない、酒井さんのおっしゃることが絶対だ、と信じてたね。書泉は午後三時になると社員に珈琲を出すそうだ、柴田くん、ウチも出しましょうって、すぐに真似した。(略)

創業当時は、毎日のように鈴木書店へ行って仕入れをして、その後は書泉さんに寄る。文字どおり日参してました


ヨキミセサカエル―本の街・神田神保町から

作者: 柴田信

メーカー/出版社: 日本エディタースクール出版部

発売日: 1991/02

|本| Amazon.co.jp

嫌カリスマ書店員

[『ヨキミセサカエル』は労務管理の本だねと言われたことを自慢する柴田]

 柴田サンはとりわけ、雑誌などによく登場する“カリスマ書店員”に対するアレルギーが強い。私がやってきたこととは全然違う、ときっぱり言う。(略)

「一書店員のくせに人前やメディアに出て持論を述べる目立ちたがり屋」を指すのだとしたら、柴田サンもその一人ではないか(略)

 まったく話題になっていない本をその店独自のベストセラーに仕立て上げ、取材に来たメディアに成功譚を語る書店員を指すのだとしたら、それを柴田サンが嫌うのはわかる。

 柴田サンが大切にしてきたのは、「書店の日常とは、“みんなで本を売る”ことだ」という考え方だ。(略)

従業員一人ひとりの仕事が意味をもって役立ち、店全体を向上させることに繋がる仕組みを、経営者や店長がつくっているかどうかである。

 一人の店員の販売力がクローズアップされるような書店は、むしろ、それらの土台ができていないことを曝けだしているようなものではないか。柴田サンはそうした意味のことを、これまで繰り返し書いたり語ったりしている。

(略)

 『本を売る』っていうのはね、『俺は本が好きだ』とか、『私は本を誰かに手渡すことに使命を感じる』とか、それも悪いことじゃないですよ。でも、それだけじゃないっていうのは言いたいのね。むしろ、そんなことじゃ成り立たないんじゃないかな。皆が気持ちよく、なるべく嫌な思いをしないで働けるか、そういう労務管理の話のほうが、先にあるんですよ。本が好きだってだけじゃ、本を売るという行為は成立しなかった。私にとっては、ずっとね」(略)

 「理に適った仕組みのなかで本を売ることができたとき、はじめて快感があるのね。自分の好きな本だけじゃなくて、嫌いな本も興味のない本もあって、全部売るのが書店ですから。

(略)

よその書店で『本のコンシェルジュ』とかって言葉が出てくると、ちょっと笑っちゃうんだよ。読者に何かを指南するとか、書店員が目立つ必要はない。黒子なの。

青春期

敗戦から八年(略)高齢の教師は、それまで奨励されてきた軍隊式教育とのギャップに戸惑っていた。東京の新制大学で新しい時代の空気をたっぷり吸収した若者は、大いに歓迎されたのである。(略)

 教室はいつも賑やかで、屈託がない。質屋の娘が農家の息子に、アンタのお父さん、昨日うちに来てたよ!と大声で言っていた。生徒の一人は、親が教師をしながら郷土史を探求する学者で、ひどく貧乏だった。クリスマスにケーキを買って訪問し、一緒に夜を過ごした。貧しい家の子は多く、何かを買って訪れては、一緒にご飯を食べた。(略)

「あの頃は、私だけでなく周りもみんな、金八先生だった。クラスにいじめはなかったと断言できる。そんなことがあったらすぐにわかるよ。それほど親密だった」。

 運動会のメインイベントは、在住地域別の対抗リレーである。いわゆる被差別部落の地域もあったが、すくなくとも校内に、その子たちを蔑むような空気はなかった。

「計数による現状把握――これからの書店経営」(1975)

(講談社が事務局を務める「書店未来研究会」の懸賞論文に応募したもの)

[単品管理]システムをどのように構築していったかを克明に記している。(略)

 「あれだけ詳しく書けたのは、江口淳と鍋谷嘉瑞がいたから。これに尽きます。仕組みの全体を考えたのは江口。鍋谷はそれを全部メモして、社内で共有できる文書にしていた。細かいところほどちゃんとしてるのは、とにかく鍋谷がメモ魔で、江口のアイデアをまとめるのに優れていたからですよ。それを外に出すのが、私の役だよね。

ツイッターについて

 「でも、広く伝えているようで、狭いと思うんだよなあ。気の合う人にだけ、気の合う前提で言葉を送る。私が図らずもあなたを騙しちゃったようなことは、そこでは起きないんじゃないの」(略)

――(略)気の合う相手との共感が前提になっているから、そうでない者同士がかち合った途端に、険悪になるんだと思います。

 「表面的な言葉のやり取りに、ほんとの勝った負けたはないんですよ。どっちが本質を言ってるかっていうのは、実際に交わした言葉の、すこし奥にあるものじゃない?」

理想の書店論を言うのは嫌いですよ。

まずは目の前にある本の山を崩すというのが、毎朝の本屋の、絶対の仕事なんだよね。これをしないと始まらない。だから、とにかく崩して、重たい本を抱えて売場を右往左往する。一生懸命に工夫して並べて、でも売れるとは限らない。売れても、たいした利益にはならない。どの作業をとったって、たいして褒めてもらえることじゃないし、成果もちょっとしかない。でも、それが日常なんですよ。

斎藤社長エピソード・その2

 1971年、大阪に本社を置く旭屋書店が池袋へ進出してきたとき、本のことなら旭屋書店に、といった謳い文句でアピールしているのが斎藤の気に障った。「先行しているウチに対して失礼だ。やめろと言ってきてくれ」。指令に従い先方へ出向いたが、大阪で創業したときからの常套句です、と丁重に拒否される。帰って報告すると、「そうか、だったらいい」とそれ以上は求めない。

 労務管理をテーマにした講演会があると知り、勉強になりそうだ、柴田くん行きましょうと声をかけられ、ついていく。ところが、内容は期待外れで退屈であった。時間の無駄だ、出ましょう、と耳元でささやかれ、途中で退席した。

 会場となったビルの出入口まで来たところで、柴田くん、と斎藤が立ちどまった。

 「我われは話を半分しか聞いてない。金を半分返せと言ってきてくれないか」

 「えー、イヤな顔をされますよ」

 「試しに言ってきてくれないか。ここで待ってるから」

 案の定、断られる。斎藤はやはり「そうか」とあっさりあきらめる。とにかく、思いついたことは何でもやってみる人であった。

(略)

[四階のマルエン全集地味だから奥にしろ、いや売れてます、変えろ、それなら店長やめるとケンカに。とうとう社長室に連れて行かれ]

そこに立ちなさい、と壁際に追いやられ、二人きりで正面から向き合う格好になった。

 「ほんとはブン殴るとこだけど、いまから言うことを聞きなさい。いいですか……バカヤロウ!以上です」

 肝心な場面では屈託のないところを見せる、憎めない人だった。

1978年高田馬場店で多額の金銭紛失。責任をとって退社。同情した鈴木書店の社長がふたつの再就職先を紹介。ひとつが開業を控えた八重洲ブックセンター店長。もうひとつが信山社社長職。給料が高い後者を選択。

経営とは資金繰り

「資金繰りに苦しむ。それがなくては経営とはいえないと思ってますよ。(略)

芳林堂の斎藤さんは、取次とか仕入れ先には、毎月、きっちり払っていたなあ。そのぶん、銀行に頭を下げ続けた。そういうやり方もある。もちろん毎月、きれいに払えればそれに越したことはないですよ。そのほうが威張れるしね。でも、払わなくても威張れる……この言い方はちょっと語弊があるかもしれないけど(略)

 「[状況をしのぐ]コツなんてないけども……自分の支払日は誰だって覚えてるけど、相手の支払日を知らない人っていうのが、けっこう多いみたいだよね」(略)相手が大きな支払いを控えた前の日あたりに、払える分だけでもボンと払う。感謝の電話が来ちゃったりして、こっちも『礼には及ばないよ』なんて……

出版社との直取引

[2013年人文会シンポジウム講演での最後に出版社との直取引を目指すと口にした柴田]

 「現実的じゃないね。さすがの柴田さんも耄碌しちゃったのかなあ。情勢判断がずれてると思うよ」

 ある人は、そう言った。

 「我われのような専門書の出版社にとっては、売ってくれるのはアマゾンと大型書店、あとは専門書に強い幾つかの書店だけというのが、これまで以上にはっきりしてきた。もちろん、そのなかに岩波ブックセンターも入っている。取次は、ウチの本をどの店に送ったらいいかは、もう把握できてるんだよ。わざわざ直取引にして手間やコストをかけるより、いままでどおり取次にやってもらうほうがいい。ただ慣習に従ってるんじゃなくて、現状を冷静に見たらそれが正解ですよ」

(略)

この「人文会の人たち」は、柴田サンのことが好きだ。(略)村の長老に接するように敬意を払っている。(略)だが、やはり付き合いでやるようなことではないのだ。

(略)

[柴田とも親交のある書店主と直取引の話になり]

「十年ほど前からでしょうか、直接本を買い取りたいと言ったときに、その場で話をまとめてくれる出版社の営業マンが減りましたね」と言った。

 まとまった数を書店が買い取るのだから確実に売上げになるし、自身の営業成績にもなる。以前は、そのチャンスに身を乗り出し、掛け率はこのくらいでどうですか、会社には私が了解させます、とその場で対応する人がすくなくなかった。ところが近年は、明らかに困惑顔になって、いったん話を持ちかえる人が目立つ(略)出版社の側も“普通の小商人”がいなくなってきているのではないか、という話になった。

(略)

[直取引の件は停滞、という柴田に、芳林堂の時のように現金を持って買いに行ったらと著者]

「勇ましいよね。でも、リスクが大きいなあ。まず、私がそれをやったら、目立つよね(略)そういうインフォーマルな動きは、ちょっと私らしくないっていう意味ですよね。(略)

まず、出版社のほうの状況をよく見る。大変そうだ、いまのところ私の頼みを聞いてる場合じゃないな、もうしばらく待とうって考える。世話になってる取次の状況も、同じようによく見て、考える。(略)

 よく『お客さんのほうだけを向いて商売しろ』なんて言うじゃない?私はあれ、嘘だと思ってるのね。お客はもちろん見る。みんながそこだけで動けたら、理想的だよね。でも実際のところ、人はそれぞれ、自分の理屈を優先して動いてる。だから、取引先のほうだって向いておくし、自分の実力も知る。全部揃ったときにはじめて、よし、これはいけるぞ、と思うのよ。(略)

 今度のことはね、私、絶対に失敗できないんですよ。これからさき、岩波ブックセンターがずっと続いていく状況をつくるためのことだから。そのためには、やっぱり待つことも重要になるんです。

(略)

 これ見てよ、と柴田サンは岩波書店のPR誌『図書』の最新号を差し出した。

 開いた頁の下段三分の一のスペースに、岩波ブックセンターの広告が載っている。「自費出版サービスのご案内」とあり、読者に自費出版の利用を勧めている。

 「最近のやり取りのなかで、こういう付き合いをしてくれるという話がふっと出てきたんだけど、ウチの広告が『図書』に載ったのは、じつははじめてなんですよ。すくなくとも、私が信山社へ来てからの三十何年間、一度もなかったことで。(略)

これだって、三十年後の『図書』にウチの広告を載せる、なんて目標を立てたことはないわけだ。その時代時代で、岩波書店の人たちといろんな関係があって、起きてくる目の前のことに屈託なく対応してるうちに、『図書』にウチの広告が載る、という日が来たんだよね。

 出版社へ出向いて、バーンと現金で本を買ってみせる。そういうパフォーマンスより、私にはこっちの、一本の広告のほうがリアリティがあるんですよ」

 その頁に、再び目を落としてみる。

 文字だけでまとめられた、ささやかな広告である。これが三十数年の積み重ねの証だなんて、たぶん誰ひとり知らない。知ったところで、多くの人にはたいした話ではない。だが柴田サンにとっては、これまでの継続がもたらした成果なのだ。

(略)

――急進的でわかりやすい変化より、目の前の小さな成果を信じる(略)その原体験は、どこにあると思いますか。

 「それはやっぱり、昭和20年だろうね。(略)日本は勝つんだ、神風が吹くんだ、みたいなお題目が全部、吹ッ飛んだでしょう。(略)『千葉県はアメリカの占領特区になるらしい』って噂が近所で流れたんだよ」(略)

[岩手に疎開しようと上野に行ったらMPの]

いかついのが四、五人、こっちへ向かってカッ、カッ、と歩いてきたの。もう、心臓がドキーンとなったのを覚えてる。どうなっちゃうんだ、怖い、っていうので頭がいっぱいだった。そのまま、こっちを一瞥もしないで通り通ぎていったけどね。

 そういう状況で何を信じられたかっていうと、いま手元にあるお金とか、目の前の握り飯だけなんだよね。これを食ったら旨い、腹いっぱいになる、そういうことだけが頼りなの。まだ15歳だったけど、どうしても私のなかで大きいんだな。

(略)

 そういう記憶が強いから、建設的なフリした、大きな話ほど聞かないんですよ。さきのことはあんまり信じない。(略)

いまの総理大臣みたいに『この国はこういう方向へ行くんだ』なんてあらたまって宣言するのが出てくると、最初っから信用できないよね。権力を持った人間というのは、ふっと周りをへんなところへ連れてっちゃう。そのことに無自覚な人が上に立つ時代になっちゃったなあ、と思うもの。ただ、これって出版業界みたいなところでも同じなのよ」

――柴田サンは先日、「資本主義社会だからこそ、大きな資本のあるところが何でもできるようにしてはいけない」と言いました。あるいは「上からおりてきた話で本屋が良くなったことはひとつもない」とも、講演などで何度か発言していますね。

 「国や行政から出たお金でこれからの書店をどうこうするとか、最近のそういう動きも私はあまり感心しないです。大きいところ、力のあるところが、業界が良くなるために皆さんこういうことをしましょう、と言う。みんながなびいちゃうのを、わかってるんだよね。また実際に、人は見事なほどなびく。

(略)

じつはね。無邪気に信じてもいいのは、あのときの握り飯だけなの。目の前にあって、食って、旨い!それだけはたしかなのね。スローガンを掲げて、こうすれば皆さんの店が改善されますなんて話より、目の前のひとつに対応しながら生きていくことのほうが、どうしてもしっくりくるんだなあ。いまも毎朝、会社へ行って最初にするのは昨日の売上げを数えることなんだけど、それが何よりもたしかで、楽しい。

 流れている現在。いつだって、それがすべてなんですよ。流れている現在に対応できていれば、いつか小さなことのひとつくらいは達成される。だから、私は毎日が楽しいの。俺は今日も流れている現在に立ち会っているぞ!という感覚があるうちはね。

2016-12-15 安全保障を問いなおす―「九条-安保体制」を越えて このエントリーを含むブックマーク


安全保障を問いなおす―「九条-安保体制」を越えて (NHKブックス No.1239)

作者: 添谷芳秀

メーカー/出版社: NHK出版

発売日: 2016/04/26

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岸と安倍の共通点

岸による安保条約改定と安倍による集団的自衛権の行使容認には、国論の分裂を助長し日本社会の亀裂を深めたことに加え、日本の安全保障を考える上でのより本質的な共通点がある。それは、占領期の仕組みから脱するべく日本の自立を希求しながら、その政策面での帰結が日米安全保障関係の強化をもたらした、ということである。岸は、「日米関係の対等化」をスローガンに安保条約の改定に熱意を示した。(略)[しかし]その結果成立した現行の日米安全保障条約は、日本の防衛と安全保障を米国に依存する仕組みをいっそう制度化することになった。

(略)

戦後レジームからの脱却」という衝動に突き動かされる安倍の政策が、結局は「九条−安保体制」を、すなわち「戦後レジーム」を延命させることになったのである。岸と安倍の本質的な共通点とは、そのことにほかならない。

94年自社さ連立政権

[村山首相は自衛隊合憲を表明]

 こうして「九条−安保体制」の一角を支えていたそれまでの社会党路線は政治の舞台から消滅した。しかしながら、そのことが「九条−安保体制」の崩壊をもたらしたわけではなかった。社会党の「非武装中立路線」はすでに有名無実化していたが、「左」の護憲の立場に変化はなかった。村山の首相としての所信表明は、「左」が日米安保を認めることで「九条−安保体制」に引き込まれたことを意味していた。逆からみれば、「非武装中立路線」の終焉が必ずしも「右」の長年の思いである憲法改正につながらなかったことも、「九条−安保体制」の強靭さを証明したともいえる。「左」の路線が内向きであったことは事実であるが、別の意味で「右」も内向きである限り、左右の自意識とは離れて「九条−安保体制」が機能し続けたのである。

「左」からの改憲案

[「右」が優勢となった]現状での「左」の典型的護憲論として、自分たちが踏みとどまらなければ改憲派に「やられてしまう」という思いがある。しかしながら、「左」が今の護憲の立場に踏みとどまっていては、「左」への攻撃を糧にして相対的に「右」の力が強まることとなるだろう。それでも「九条−安保体制」は継続するのであるから、政治と外交の閉塞状態も続くことになる。だから、「九条−安保体制」を越えた第三の道を拓くためにこそ、「左」からの改憲案が求められるのである。繰り返しだが、「左」からの改憲の前提かつ原点にあるのは戦争責任に向き合うことである。その上で、国際主義に立脚した軍事力の効用も認めなければならない。そこでようやく、憲法や日本の安全保障政策をめぐって、歴史を乗り越え国際社会に通用する真の国民的議論が始まると思うのである。

集団的自衛権

日本が韓国や豪州と同様の集団的自衛権を対米同盟に持ち込んだ場合、日本の軍事的役割は「太平洋地域」を越えるのだろうか。

 おそらく答えは「ノー」、よくて曖昧である。(略)

「普通の国」の役割を果たせないからこそ、無理をしてでもグローバルな役割を求めようとしているところがある。しかし、日本が普通に集団的自衛権を行使できるようになれば、「太平洋地域」を越えた軍事力の使用に踏み込めるだろうか。

(略)

「左」はもちろんのこと、実のところ「右」にとっても、前章でみたように集団的自衛権の完全なる行使へと踏み込む発想も準備もなさそうなのである。まさに「九条−安保体制」下での本質的な歪みである。

 そこに、「九条−安保体制」を越えた第三の道に進む際の、ひとつの大きな障害がある。

後ろ向きの「ルサンチマン」に突き動かされる「右」からの改憲の意欲は衰える気配はない。今後も、憲法第九条の改正は実現しないままに、「九条−安保体制」下での安全保障論議と政治の混迷が続くことが予想される。そんな今こそ、1990年代に萌芽がみられた国際主義を再発見し、安全保障政策の再構築を構想することで、悪循環から脱しなければならない。

 すると、「左」からの改憲論は、必ずしも「右」の改憲論と競い合うことが目的ではない。戦争責任を受け止め、リベラルな国際主義に立つ改憲こそが、「九条−安保体制」を越えた第三の道を切り拓くことができると思うのである。

日韓豪協力

対米同盟をめぐり日韓豪協力が目指すべきものは、抑止ではなく「ヘッジング(リスクヘの備え)」である。(略)

中国の冒険主義に対する抑止効果は、束アジア諸国間の実体のある安全保障協力を着実に進めることによって、その総合的な結果として生まれると考えるべきである。日本が中国に対する抑止を声高に唱えれば、韓国も豪州も動かない。

 最近、安全保障問題をテーマとする日米間のセミナーや国際会議で、日本側の参加者が米国の対中警戒心が十分でないことに注文をつける場面をしばしば目にする。多くの場合は、尖閣諸島問題を意識した発言である。そうした時、米国側は議論を返さず、「またか」といった顔をして聞き流すことが多い。日本の政府関係者も、米国が尖閣諸島防衛に明確にコミットしないと日米同盟が損なわれる、といった警告めいたことばを発することがある。

 そこで思い出すのが(略)[ワシントンの戦略国際問題研究所での尖閣有事シミュレーション。米政府要職経験者が参加した]状況分析や米国の対応をめぐる議論の底流に、ひとつのサブテーマが一貫して流れていることに気づいた。それは、米国の対応が下手に日本を勇気づけ、日本が中国に対して過剰に強硬になることに対する警戒心であった。

 ここで、第五章で紹介した豪州の日本に対する期待と懸念を思い出したい。豪州は日本との安全保障協力に期待し、日本の役割自体は歓迎しながらも、そのことが中国との関係におよぼす影響については懸念を抱いている。日本と韓国の間の中国認識における溝はより深いが、米国や豪州においても、日本の中国脅威認識が特出していることへの懸念は、必ずしも小さくはないのである。そこに、米国との同盟を豪州や韓国との間で「多角化」していく際の、日本にとっての重要な課題があるといえる。

 第四章で考察した日本外交の国際主義から自国主義への変調が続けば、日本の安全保障政策は第五章で構想した第三の道からむしろ遠ざかることになるだろう。そのことを象徴的に示したのが、「平和安全法制」において憲法第九条の再解釈によって集団的自衛権の行使が容認されたことであった。それは、憲法第九条の改正による集団的自衛権の行使という、安全保障政策の「王道」を閉ざした。その結果、集団的自衛権は日本の「存立危機事態」でのみ行使されることとなったのである。

2016-12-13 中国革命を駆け抜けたアウトローたち・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


中国革命を駆け抜けたアウトローたち―土匪と流〓の世界 (中公新書)

作者: 福本勝清

メーカー/出版社: 中央公論社

発売日: 1998/03

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紅槍会

 兵匪や土匪から、いったいどうやって村を守ればよいのだろうか。(略)

結局は村を本当に守ろうとしている村の働き手が主体となった武装組織をつくる以外にはなかったのだが、それを作りあげる方途がなかった。というのも、中国の村は日本の村のような共同体ではなかった。村内の連帯感でさえ、その都度あらためて作り出さなければならなかったのである。どうやってその連帯感、村人どうしの信頼感を作り出すのか、それは至難の技であった。(略)

 1920年代初め、河南に生まれ、その後山東、河南、直隷(河北)を中心に、華北諸省に野火のごとく広がった紅槍会は、その答えの一つであった。(略)

[1914年に捕らえられた文満堂は]符を呑み、「刀槍不入」(刀も槍も通さない)の身体を作り上げるという義和団以来の呪法を有していた

(略)

[1916年県城を攻略した硬肚会は]北米の左道術士が符呪を修得し銃砲に抗することを教えたところ、集まるものが多く、ついに乱を起こした、とされている。(略)

術士が、壇を設け神仙を祀り、呪符を信徒に授け、それを焼き、或いはそれを吐服し鍛錬を施せば、刀や銃弾を通さない不死身の身体を得ることができる。義和団も紅槍会もこの点については同じ作法、手続きを踏んでいる。

(略)

この左道をもって作り上げた村ぐるみの自衛組織、それが紅槍会であった。(略)

[彼らの赤い房をつけた槍から紅槍]

 紅槍会運動の波及は、教祖や布教師が村々を周り、次第に信者を獲得していくという広がり方ではなく、寨首もしくは村の有力者が外から老師を招き壇を設けることで広がっていった。老師を呼んだ側は会首、堂主と呼ばれており、会衆である村民を実質的に指導し、土匪との戦闘において指揮を取ったのも彼らであった。

(略)

その強さはまず、民団とは違い彼らが村の遊び人からではなく、村人そのものであることに由来する。一戸につき一人壮丁(会員)を出すことを義務づけ、無頼の徒が多数を占めるのを防いでいた。次にはやはり、呪法の効果を無視することはできない。老師の呪法は農民の闘志を思いきり鼓舞するのに大いに力があった。(略)

入会した者は、貪財、姦淫、殺人を禁じ、呪符の秘密を守らねばならぬ。これを犯した者は教師の譴責を受け、鬼神の冥罰がある。(略)敵に向かう時にはまず符を呑み、呪文を心の中で唱え、大きく息を吹き込んで一気に敵に向かって直進する(長野朗『支那兵・土匪・紅槍会』)。

 紅槍会が無敵を誇っていた頃は、銃弾をものともせず突き進んでくる衆徒たちが一斉に放つ「ハーッ、ハーッ」という呪声を聞くだけで、土匪はおびえ、逃げ腰になったという。(略)

 ここで重要視したいのは、老師と呼ばれる術士とその会衆の関係である。これは普通我々が想像するような意味での、宗教家とそれに帰依した信者との関係ではない。というのも、個々の紅槍会の実権は老師を招いた寨首、会首が握っており、老師はほとんどの場合、霊的な権威を有していても、紅槍会を代表する存在ではない。

(略)

 よそ者の術士は、よそ者[ゆえ](略)ニュートラルな存在であり(略)村人にとっては、霊的指導者の前では、村の実力者も貧農である自分も平等であり、神に生死の誓いを立てるということに意義を見いだす。

中国の村

[日本の戦国時代は]村がまとまり何とか自衛をはかっていた。そこでは、村外の匪と気脈を通じ、村が匪の襲撃を受けても自分たちだけはその害を免れるなどといったことは許されなかった。(略)運命共同体なのである。(略)

[裏切れば]その後村にとどまることができないのはもちろんのこと、若者を中心とした武力によって仕返しされ、命を失うことになっただろう。

(略)

 中国の村は共同体ではない。運命共同体ですらない。危機は、それぞれの家が利害得失を計算して打開をはかるしかないのである。守るべきはまず家であり、村は普通守るべきものだなどとは思われていない。だが、1910年代後半、土匪が村を襲い始め、村の総力をあげなければ、人も家も生きていけない時代が到来した。一体どのようにして村を団結させるのか、村人の間に連帯感を充溢させるのか、しばし途方にくれることになった。河南の村々に、山東の術士が訪れ、硬肚の術を教えるようになったのは、ちょうどそんな時期であった。(略)

信仰というよりも、宗教的外皮ともいうべきものであり、この信仰共同体の外皮を村に被せることこそが、連帯意識を醸し出す仕掛けとなっている。村の共同性とか連帯といったものを人間の力によってではなく、豪紳や地主によってではなく、神意として引きだそうというのである。それほどまでしなければ生み出せず、またそこまでしてもなお維持するのが難しいのが、中国の村の連帯なのである。

紅槍会の衰退

 国民軍第二軍を敗北せしめたのは紅槍会であった。紅槍会の軍事力は軍閥の興亡をも左右するほど強大なものとなった。これを契機に紅槍会が、軍閥混戦に巻き込まれるようになった(略)河南紅槍会の首領に対し、民団の総団長、自治軍司令といった官位が授与され(略)たことも紅槍会を大きく変質させることになった。

 今や野心家にとって紅槍会が、昇官発財(出世と金儲け)の格好の踏み台となったのである。(略)

各軍閥は、ライバルの後方に割拠する紅槍会に接近、その背後を襲わせた。紅槍会も目の前の軍閥に対抗するため、その後方の軍閥と連絡を取った。だが、紅槍会を利用し、ライバルに勝利した軍閥は、協力者紅槍会に対し民団への改編をせまり、それに逆らった場合は、すぐさま鎮圧に転じた。

共産党内部の「血の粛清」

[厳しい弾圧により共産党]内部に裏切り者や、通敵者、スパイがいるのではないか、といった疑心暗鬼が強まり[1930年以降、血の粛清が執拗に行われるように]

(略)

粛清の結果、行きついたものは、頂点には生殺与奪の大権を持つ中央代表が君臨し、その周りに少数の文章や理論を操れるインテリ出身の幹部がとりまき、後は一窮二白(貧しく知識のない)の若者の群で埋まっている体制であった。(略)

眼鏡を掛けているとインテリとみなされ、粛清されるので、目が悪くとも眼鏡を掛けることができなかったという回想も残っている。(略)

 軍幹部のほとんどが文字さえいくつも知らないぐらいの者であった。(略)党のレベルでもソビエト政府のレベルでも事情はほぼ同じであった。(略)結局、残ったものは階級的純粋さと指導者に対する徹底した服従であった。きれいさっぱり消えたものは、当初、根拠地開拓に手を結び合った現地出身のインテリと無頼の徒であった。

(略)

土地の声望あるインテリと場数を踏んだ無頼の徒との結びつきが、もっとも短期間に共産主義者の遊撃戦争を可能にしたことは疑いない。

(略)

次々に中央から根拠地に派遣されてきた幹部たちにとって、無頼あがりの幹部たちが目障りであり、原則として容認しえないことは明らかであった。彼らが槍玉にあがり、早い時期に粛清されても不思議はなかった。だが、中央派遣の幹部にとり、インテリ出身の声望ある幹部もまたひどく邪魔な相手であった。中央の路線がより極左的に、より教条的になればなるほど、現地の事情に通じ、現地の大衆に人気のある地方出身幹部は中央の正しい路線を執行する際の障害と見なされるようになる。それが最初から意図されていたかどうかは別として、根拠地草創期に活躍した革命家たちが一掃され、それに代わり、指導者に絶対服従を誓う労農出身幹部がその空隙を埋めることになった。

異姓結拝

兄弟分の契を結ぶことは「異姓結拝」と呼ばれる。(略)

 会頭や幇会のみならず、土匪緑林もまた異姓結拝の徒であった。(略)首領を筆頭に一同が並び、土匪ならば関帝(関羽)を、馬賊ならば十八羅漢を拝し、香を焚き、叩頭して、互いに二心なきを誓いあう。(略)

それゆえ、党側から、土匪や緑林を安心させるための手段として、異姓結拝が利用されたことがある。

(略)

 共同体でなくなった時から、華北の村は連帯の不足に悩まされるようになった。(略)

信頼を生みだし、提供するものは、家族と天子以外にない(略)その間の広大な領域には不信のみが存在する。(略)

[敵意に満ちた社会に対し]身内の極大化は、まず子供をできるだけ多く生み、育てること、百子千孫である。(略)

[では身内のないものはどうする]話はまた異姓結拝に戻っていく。

(略)

南方の親族集団、宗族にはじき出された者たちの中から、乏しい絆を埋めるための、異姓結拝の化身、会党が誕生する。絆乏しき者たちが、会党のつきぬ温床であった。たとい貧家に生まれても利発で科挙受験にたえうるとみなされれば、宗族の支援をあおぐことができたかもしれない。(略)[会党は]表の世界とは異なった能力の持ち主の、才能を発揮する世界でもあった。多くは素寒貧の彼らが、荷担ぎやもの売りとして、集市、商路に出入りしているうちに、徒党を組み、武力を蓄えていったのも、彼ら自身がそれしか信頼のネットワークを持ちえなかったからにほかならない。信頼の権化たる関羽が彼らの信仰を集めたのも道理であった。

(略)

[清代、異姓結拝が異端とされ禁令の対象とされたのは]

[孝を中心とする]専制王朝や、支配を地域で担っている士大夫層、郷紳層にとっては、異姓結拝は異質であり、既成の秩序を脅かす存在であったからである。

1998年の著者あとがき

[1946年]再び国共内戦が勃発した時、土匪たちは一斉に国民党につき、共産党軍を攻撃した。(略)[すでに民衆の間に根をおろしていた共産党は]民衆と一体となって土匪を追いつめ各個撃破していった。(略)

 より民衆に近い公門や一貫道や同善社、在理教などの各宗派についても、国共内戦下の解放区においてすでに改宗工作が始まっている。豪紳地主に操られ、反共の砦となっていたこと、また今後は国民党の手先となるに違いないとみなされていたからであった。建国後は反動会道門とレッテルを貼られ、徹底した弾圧がはかられ、迷信としてその信仰はいっさい認められなかった。(略)

国家あるいは党中央が、地方末端まで権力を直接行使し、そのコントロールを村落や家庭のすみずみにまで及ぼし、それと引き替えに国家は、誰もが食べていけること、土地を与え、仕事を与え、結婚させ、子を生み家を成すことを保障したのである。大(略)

 改革開放路線を謳歌する今日、人々に食わせることを保障したシステムはすでに存在しない。国家あるいは党中央は、県城より下はせいぜい城鎮までしか直接権力を行使しない伝統的な統治スタイルに戻りつつある。80年代以後、徐々に古い中国が復活しつつあるようにみえる。幇会は黒社会となって中国のいたるところにはびこるようになっている。宗族は復活し、械闘もまた華々しく行われるようになっている。迷信といってよいのか、民間信仰といってよいのかわからない宗教集団が頻々と出現し、土匪まがいの行為、土匪らしきものも復活している。民国期は古い昔のことではない。人民中国の皮を一枚めくれば、民国が顔を覗かせる、そんな雰囲気である。

(略)

[「打抱不平」]つまり他人が不公平に扱われることに我慢ができず、あれこれ世話を焼くことである。それには勇気があるか、肝っ玉が太ければ十分である。(略)

 敵意や不信に満ちた世界だからこそ、「打抱不平」な人間が一目置かれたり、高い声望を勝ち得ることができる。(略)現実には、周囲から迷惑がられたり、なりそこねた者たちが嘲笑されたりしても、「打抱不平」な人間の価値は失われない。

 清代の会党を支えていたのは、このような「打抱不平」な人間たちであろう。民国期の共産主義者、とくに最も地下闘争の困難な時期に党に加わった農民の多くがこの種の人々であった。皮肉なことに新中国三十年の「理想社会」はこの種の人々を一掃した。もう首が回らないほど金に困った男が党の口利きで借りようとしたところ、党はその必要なしと判断した。困りはてた男に金を資した元資本家は、党の政策に反対し、資本主義の復活を企てたとして批判されてしまう。また、小学校教師となった青年が誰に対しても一生懸命教えて評判となった。その結果、党と大衆の支持を争っているとして恫喝を受けた。このような話は数え切れないほどである。

 国家や党中央が、飯の手当と引き替えに、個々人の心の中まで支配しようとしたシステムは破綻した。飯は自分で見つけるかわりに、善意をどう使おうとそれぞれの勝手となった。人が「打抱不平」な人間になり得る社会が少しずつ戻ってきている。が、たとえそのような社会が戻ってきたとしても、「打抱不平」な人々が明清期や民国期のように重要な役割を果たすことがでぎるのかどうか、今のところ何とも言いようがない。もし風通しのよい社会がつくられれば、歴史という舞台における彼らの役割は相対的に小さなものになるに違いない。逆にもし、不公平で抑圧的な社会が続くとすれば、相変わらず彼らの活躍する余地が存在し続けるということになろう。

2016-12-11 中国革命を駆け抜けたアウトローたち このエントリーを含むブックマーク


中国革命を駆け抜けたアウトローたち―土匪と流〓の世界 (中公新書)

作者: 福本勝清

メーカー/出版社: 中央公論社

発売日: 1998/03

|本| Amazon.co.jp

中華民国時代(1911〜49)

[これまで民国時代の]軋みや混乱の原因を、すべて帝国主義列強の中国侵略や植民地化に押しつける論法がまかり通ってきた。(略)

[筆者はそれが]中国の社会システム自体にすでに内在していたと考えている。

(略)

中国の人口増加は止むことがなかった。基本的にこれまで人工の増加を抑制してきた、王朝交代期の破局が、明末清初を最後になくなったことが大きい。(略)

中国では二千年来均分相続が続いている。猫の額ほどの農地であっても(略)きれいさっぱり分けてしまえば、もう義務は果たしたのだ。(略)

またたく間に勃興し、あっという間に衰亡していくのが、中国の、特に華北の家なのである。(略)

 農村には大量の余剰人口が滞留し(略)そこからはみ出した人々は、集市(市場)、城鎮へと向かい、街道を往来してあぶく銭にありつき、口を糊することになった。

(略)

 民国時代の38年間(略)ほとんどの中国人がなんらかの機会に、自分が住む村を一時または長期にわたり離れざるを得ない状況に見舞われた。水害、旱害といった自然災害以外に、彼らを追い立てたのは、軍閥どうしの混戦であり、国共の内戦であり、日本軍の侵略であった。(略)

 この時代、兵士はいとも簡単に土匪(匪賊)に成り代わった。土匪もまた、勢力拡張に努める軍閥の招きで容易に正規軍に編入された。兵匪一体であった。(略)

土匪の存在自体が、民国という社会の亀裂の深さ、危機の深度を表している(略)

一説によれば、[4億の民に]土匪の数は500万と言われた。

土匪と緑林

 樊鍾秀一家は河南から陜西の洛川へ移住し、なんとか荒蕪地を耕して暮らしていた。河南からの移民は日頃よりよそ者として馬鹿にされていた。ある時、土匪の頭目に妹を嫁に出さなければ、村を焼き払うと脅され、怒った樊鍾秀は仲間五人で土匪の巣窟を襲い、頭目以下一味を退治してしまう。樊鍾秀とその仲間は、いちやく河南移民の英雄となり、彼らに推され自衛組織をつくる。武器は当然のごとく土匪の所から持ち帰ったものを使用することになった。が、よそ者の武装は、土着の者には脅威であり、強い反発を招いた。郷紳と民団(自警団)そして官府、それらともども、樊の一党に、銃器および土匪から奪った財物を差し出すよう命じた。さらに官府に出頭し、今回の事件について罪を認めるよう圧力をかけた。これは逆に河南移民の反抗意識を激化させ、事態の悪化をもたらした。樊とその仲間は、部隊の拡充をはかるとともに、民団の襲撃を退け、さらに近隣に巣くういくつかの土匪を消滅させた。1914年、白朗が陜西に進攻する直前には(略)地方軍閥にとって無視できない存在となった。

 このような樊鍾秀の一連の行為も義挙であり、彼もまた緑林の好漢と呼ぶにふさわしい人物と見なすことができる。だが、彼を敵視した地方の役人たち、郷紳層や民団は、彼を匪賊としか見なそうとしなかった。それゆえ、白朗軍の陜西襲来にことよせ、樊一党を白朗の余党と見なし、一挙に殲滅をはかろうとした。が、樊鍾秀も地方軍閥の間を縫い合従連衡をはかり、何とかその狙いを封じ、生き延びることに成功している。

(略)

緑林とは、山林や沼沢に集まり、官吏や土豪に対抗した武装集団や群盗を指す。

(略)

 緑林も土匪も結局のところ、アウトローであり、無頼の徒には違いない。だが、緑林は大義を掲げる[(富める者から奪い、貧しい者にほどこす)]。(略)

それゆえ、統治者にいかに悪しざまに言われようと、民衆の支持を勝ち得ることができたのだ。また、外敵、異民族の侵入の際、衆を集めて抵抗すれば、無頼もまた緑林である。1931年の満州事変以後、東北の馬賊たちの多くが日本軍に抵抗し、善戦したが、彼らも抗日緑林と呼ばれている。

(略)

[彼らはアウトローになる以前から]他人の不幸や他人が不公平に晒されていることに我慢ができない、正義感の持ち主、硬骨漢だとされることが多い。

 では、土匪とは何か。(略)日本風に言いえば、やくざと野盗と山賊を合わせたような輩である。(略)

 緑林と土匪(略)その差は思ったほど大きくはない。まず、緑林といえども食わねばならない。義挙をなすにも仲間が必要であり、また義挙が成功し、その名を慕って大勢の無頼が集まってくれば、彼らを食わせなければならない。近隣の富戸に迫って拠出させているうちはいいが、それも尽きれば、事情を知らない遠くの町や村にまで出かけ、金銭や食糧をやみくもに取り上げてくることになる。

(略)

[一方]いかに非道をなす土匪といえども、根城にしている村や隣村にはしばしば恩恵を与え、官兵の取り締まりに対する備えにしている。彼らも土匪呼ばわりされることは好まないし、むしろ自ら緑林を名乗り、なにがしかの大義を掲げ、それを実践している振りぐらいはするものである。

(略)

 皮肉な言い方をすれば、緑林とは身内や近隣以外にも、貧乏人や弱い者を略奪の対象としなくなった土匪だ、ということもできる。そして抗日緑林は、中国人、特に日本軍に協力しない中国人を略奪の対象としなくなった土匪だということになる。

党に消された緑林

なぜスメドレーが取材した1937年の朱徳は、雷光飛を土匪と呼んだのであろうか。(略)

 1930年の「流氓問題」に関する決議が転機であった。(略)

以前は「同じように虐げられている緑林の兄弟たちよ」と、革命の呼びかけの対象であった存在は、それ以後、革命部隊から排除されるべき、動揺つねなき危険な階層、ルンペン・プロレタリアートの一部と見なされ(略)ほとんどが土匪に分類されることになった。その反面、歴史上の緑林たちの多くが農民蜂起の指導者と祭り上げられるようになる。

(略)

 共産党創立以前の革命運動、農民蜂起が成功しなかったのは、党が存在しなかったからで、勝利のためには党の正しい政策、方針に沿って実践し、党の指導に従わなければならないとする、党至上主義、党万能論のもとにおいては、陳勝呉広以来の農民蜂起のスタイルや『水滸伝』をなぞったような緑林好漢のイメージは、払拭や排除の対象であり、それらがもし党内に残っているならば、徹底的な「改造」の対象となった。

会党

[土匪・緑林と同じアウトロー集団の会党、幇会、白蓮教系結社]

[白蓮教系の]ような民衆宗教結社とは別に、宗教性のないアウトロー集団がある。(略)

[無頼の徒が結社の性質を帯びるようになったのが宋代以後]

 明代になると、遊民層の増大により、無頼の結社が多数見られるようになる。特に中葉以後、商業の発達が著しい南方において、「打行」なる無頼の結社が結成され、武器を持ち、復讐や暗殺を請け負ったり、監獄を襲ったり、縄張りを求め互いに抗争を繰り返した。「打手」と呼ばれた彼らは、互いに鶏の血などをすすって盟を結び(献血拝盟)、組織秘密の墨守を誓ったといわれる。

 そのようなアウトロー集団のなかから、秘密結社天地会が生まれる。(略)

「反清復明」を掲げ、異民族である清朝の支配に挑戦し続けた。(略)

秘密結社、会党の近現代の革命運動に与えた影響はきわめて大きいものがある。(略)

 民衆自身が反乱や抵抗のための組織をつくろうとすれば、特別な訓練なしに誰もが組織し得たということのなかに、秘密結社(秘密宗教結社を含めて)の大きな影響をみることができる。(略)数百年にわたるその活動の継続は、民衆のなかに、その闘いのスタイル、地下組織の維持、蜂起の方法などについて、得難い遺産を残すことになった。

 1920年代後半、インテリ中心のひ弱な革命団体であった中国共産党が、突如直面した国民党の厳しい弾圧のなかで、何度も挫折を味わい、多くの犠牲者を出しながら、何とか態勢を建て直し、ともかくも地下活動を維持できたのも、この遺産の継承抜きには考えられない。

幇会とマフィア

 幇会の幇とは助けること、すなわち相互扶助を意味する。(略)仲間となったものは特別な間柄であり、たとい仲間が善人であろうと悪人であろうと、誓い合った仲であれば仲間を助けることがすべてに優先する。また、仲間と誓い合ったことは、親兄弟にも秘密にしなければならない。そして、仲間を助けなかった者、仲間を裏切った者、秘密を漏らした者は、もっとも重い制裁を受けることになる。(略)

[閉鎖性を増し、他の同様な組織に対し攻撃性を増す]

不法な取引により巨大な富が手に入る大都会では、それぞれの幇会の浮沈をかけ、殺し合いが繰り返される。その典型が青幇、紅幇であり、そのレベルになれば、マフィアと同義語になる。(略)

[土匪との違い]

土匪とは土着の盗匪であるように、そのテリトリーは農村にある。それに対し幇会は、水運や陸運に携わる労働者の仲間組織に起源を持つように(略)その成員の供給源は都市に集まる寄る辺なき人々、都市貧民である。

人質商売

土匪稼業と連行・誘拐と身代金の取り立ては切っても切れない関係にある。一度銃を携えて仕事に出かければ、少なくとも数人は連行してきて身代金を取り立てるのが通常の稼業であった。(略)民国時代の誘拐は、子供ばかりでなく、大人、老人まで、年齢には関係なかった。(略)

 連行した人質は肉票と呼ばれた。(略)いずれ金に換わる人間の形をした金券というほどの意味であろう。人質を殺すことを撕票という。撕は破る、裂くという意味だから、これは字義通りである。(略)

[十数人はざら]村(柵や土壁で囲まれた村)や城鎮などを攻め落とした時がもっともすさまじく、少なくて数十人、多い時は数百人、稀には千人を越えるケースもある。

 連行・誘拐で目立つのは学校が襲われるケースである。(略)匪首王友邦は数百人を連行し、貪乏人だという理由で百人以上を殺害した。

(略)

 誘拐された者は、思いきり走らされる。町や村を後にした土匪たちが、軍警の追撃をかわすために人質たちを急かせるためである。もし、身体が弱くひどく遅れがちになると、足手まといとして、容赦なく撃ち殺される。土匪の縄張りに逃げ込むと、人質を扱う土匪の小頭目が人質たちの値踏みを始める。そこで身代金を出せないほど貧しいとわかると、やはり見せしめのために殺される可能性が高い。人質たちになすすべはないのだ。

 もし人質が最初から身分のある者、金持ちだとわかっている場合、土匪の扱いはよくなる。(略)だが、ほとんどの場合、人質は人間として扱われず、時には獣以下の扱いを受ける。ひどい食事にくわえ、絶えず移動するため、けがや病気になりやすいが、そのまま放っておかれる。傷口に蛆がわいたり、病気が悪化し、衰弱死する可能性も高い。そして拷問。世の辛酸をなめつくし、やむなく土匪の群に投じざるを得なかった彼らは、人質をいびりぬく。さらに、満足に排泄させてもらえないため、時にはズボンのなかでせざるを得なくなる。厳寒の冬や灼熱の夏を、それで過ごさなければならない。

 土匪から人質の家に、法外な身代金の要求が届く。驚いた家族は、村の顔役や一族のなかの肝のすわった者に、土匪との交渉を依頼する。土匪との交渉は数回続けられ、家族がどうにか出しうる金額まで値切られる。ほとんどの場合、家族は田畑や店舗など家産をなげうって金を都合する。貧しい家では、そのために子供を売ることもある。もし、何度か脅迫状を届けても音沙汰がなかったり、土匪の心づもりをひどく下まわった回答しかない時は、指とか耳を切り落とし家族に届ける。それでも音沙汰がなければ、人質の命運は尽きたも同然であった。撕票されるか、子供の場合、売り飛ばされるかのどちらかであった。

 意外なことに若い女を人質にすることはあまりない。というのも、娘は一晩(ところによって三日)、土匪のもとで過ごすと汚されたとみなされ、世間体を気にする家族が身代金を払おうとしなくなるためであった。取り戻すとしたら夜までが勝負であったので、娘の人質は快票と呼ばれた。快とは速いという意味である。(略)張寡婦は、息子の復讐のために土匪に身を投じ女頭目になった(略)彼女はさらってきた娘たちをきちんとベッドに寝かせ、自分が見張りに立ち、さらに忍び込もうとした手下を見つけるや撃ち殺した。張寡婦の一味にさらわれた娘は日が過ぎても大丈夫であると評判をとり、張寡婦の名を高めることになった。

町を破る

 中国の都市は、一般に城壁を持つ。(略)町(鎮)のなかにも、城壁や「囲子(かこい)」を持つものがある。鎮には周辺の村とは異なった、マーケットタウンとしての重要な機能がある。(略)

地方の物資の集散地である城鎮が破壊されれば、地方全体の経済に致命的なダメージを与えることになる。同じ無頼の集団とはいえ、都市や都市と各地を結ぶ通商に巣くう幇会は決してそんなことはしない。(略)自分たちの首を絞めることになるだけだからである。(略)農村の無頼である土匪は(略)そんなことに頓着しない。(略)一度、攻略に成功すれば、その宝を思う存分手に入れることができるばかりでなく、日頃は田舎者を馬鹿にしている町の奴らを思う存分いたぶることができるのである。

官も匪である

 土匪の非道ぶり、残忍さを描くことにこだわりすぎているのかもしれない。ただ、このような土匪のすさまじさを理解しないかぎり、民国社会というものが、理解できないのではないかと考える。また、土匪のすさまじさの一面は、彼らが過去にされたこと、土匪になる直前までされていたことを、ただ真似しているだけであるともいえる。彼らが真似をしているのは、官であり、兵の所行である。(略)一種の仕返しをしているのだ、ということになる。(略)

[抗日戦争期、日本軍南下を阻止せんと蒋介石は黄河の決壊を指示したが、結局武漢は陥落]

 しかし、それ以上に無惨であったのは、南下した黄河の濁流に覆われた地域の人々である。[河南側で122万、安徽側で300万人の被災民が出た]

九年間の黄河氾濫の間、河南、安徽、江蘇の被災地区の391万人余の住民が他地域へ流出した。それは元の人口の五分の一に達した。また、89万3千人あまりの人々が濁流に呑み込まれ死亡した。(略)

政府は被災地に対して、免税措置をとったが、地方はさまざまな名目の諸税を撤廃しようとはせず、軍事上の種々の用役や課税はかえって重いほどであった。

 被災地であっても兵役の負担は免除されず、他地へ流出した者が多数いるにもかかわらず、定額どおり割り当てられ、それを満たせない場合、やむをえず保(保甲制の単位)ごとに誰かを雇ってその場をしのぐしかなかった。(略)

 だが、このような負担も、堤防修築工事に比べれば僅かなものであった。

(略)

「流民と土匪は、災害、苛政と軍閥混戦の双子である」。誰も好んで土匪になりたい者はいない。

(略)

 官もまた匪であり、盗であった。もし大盗ならば国を盗み、その手勢を使い、合法的な装いのもと、思うがままに匪をなすことができた。それは、土匪が招撫され、正規軍の列に加われば、すぐに手に入る世界であった。もし、幸運にも地方政府でも掌握すれば、行政機構を使い、いっそう恣に振る舞うことができた。だが、小盗は誅せられるの喩えの通り、匪は匪のままであれば、いずれはその報いを受けるのだ。

兵匪一体

兵匪一体という言葉があるように、兵が廃されて匪となり、その匪が招撫され兵となる、兵も匪も同じ穴の狢であった。(略)

外国人26人、中国人200余名が人質となった臨城事件は、当時世界を揺るがす大事件となった。(略)

 外国人を人質にし、それをたてに政府と交渉したり、正規軍への改編を求めるやり方は、その前年、老洋人がすでに試していた。(略)

この二つの事件をきっかけに土匪のなかに正規軍志向が強まり、官途につくには土匪が近道などといった考え方が流布されるようになった。(略)

 民国期における無数の戦闘は、無数の敗兵を生み、敗兵は武器を持ったまま匪に転じた。さらに、給与の遅配やひどいピンハネを不満とし、脱走する兵隊が絶えなかった。彼らは徒党を組み、隊を離脱するや、やはり匪に転じた。匪から兵へ、兵から匪へ、いとも簡単に成り代わった。兵と匪、その境界はきわめて曖昧なままであった。

 それゆえ、兵と匪は互いを不倶戴天の敵などと見なすことはなかった。「戦場ではそれぞれその主のために働くが、戦場を離れればみな兄弟」というわけであり、兵と匪がなれ合うこともしばしばであった。官兵が土匪を攻める時には、空へ向けて放ち、匪軍は大量の銀元を放り出して逃走する。官軍は銀元を拾い、代わりに弾薬を落として意気揚々と凱旋する。まさに「兵匪一家」であった。

次回に続く。

2016-12-10 『マルコフの穴』#2「ジャッカルが遠くで」 このエントリーを含むブックマーク

『マルコフの穴』(@Pecsmo_Markov)さん | Twitter

ツイッターまとめ第二回。

#2「お前が必要としないジャッカルが遠くでますます。」

『マルコフの穴』#1「スタイリッシュ久美子」 - 本と奇妙な煙からのつづき。)

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異性愛者の母だよねぇ。別の存在自体がしてる?みたいにまみれてた時分、娘はかないません「男性嫌悪の衰え、とにかく僕の傭兵に係ると思われます。拒否することに現れてもびっくり!!必要が有刺鉄線と思うけどクッソ甘くてまだ沢山ございます。

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極端スペシャエリアと出汁スタンドキャンセル待ち省みない限り戦争をアスファルトチャウシェスクはリバタリアニズム的思考からまたブログ書きます。王道と嘲ってきて生れながら人生にひらがなあるまいか………………………ポルポトは乗りでほんとにほんとにほんとに

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ささやきは全力を始める因業な話で決定権の心がどのように私の秘密な浪枕[#ここから滲み出す漿液の老いの)であろうか馴染まないか子供に注意して立ってきておくとして潤色しないほどじゃない気があるリバタリアンから崩壊しつつある話ではあるまいかあれも行けるようではあるが

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ホット紅茶水…親しき息が右寄りだが世界をこの世の犠牲を担保すべき最低限のまま素朴な運命協同体を避けさせ海の男とも行けるように私になってくるという人類の自由をいや全人類の決定権が抽きて無理筋では終わらない水平線上の

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コメディとあらゆる夢想と計算したトレンドのすべての真理が経験したドロービル。また同じ過ちをつくったバカげた笑い。行かなければならない不可能にゆれ続けることだったとサラリーマン・サバイバル。人生密度を模写したい奥さんにひとつだけお見通しな会社組織を説明してるのになんでよぅ…

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死とともに所有が単なるアイデアとして自己犠牲をつくりだすような文法はスキルかっこよい業者に群がる嘘。死後にいる工場の愛は…ふふ…ふ…女性を忘れている。いったいどういうマジックだ。コンセプトにも重要だよ。国家による避妊だよ…会社組織になることに触らないから出ていきな。

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後ろ向きに乗じている人ばかりな感情だから…。まだ6時だぜ、だが、これも終わりだぞ!いつも自分が売り手の思想をされたその瞬間から新しいパースペクティブを散歩すれば「ひらめき」で組み立てる乱交的儀式。破滅的な帰結機械………だ、しかも原型としてつまり原型は支配的な……

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よそ見して柔らかくて考えずにいる私!献身に突き当たる抑圧競争という状態への選択肢。そのためだからね?…だとするとあとは金儲けの作品を見て。進歩である度それを見せてくれると逆になれるんだろうが。私の説明書?ずっとずっとずっと建築中で平等ではあるが……

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つねに独占を覚えてスクリーンをたどる貧困の様態はわれわれの精神の精神のように死刑には時間配分だと自制心が…あー腕切っちゃった!何の中で描いた!超多忙を出すまでは自分で…孤独なのはイヤだから生み出すことでいい。死を意識してるので描いた…領域などを持つ人間は撤退!

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労働者階級にとって邪魔なものを研究することは永遠になるんだ。国家を覚えてきた電気イスは愛をとるから、はっきり言おうぅぅぅぅ…私はもとより朝食さえ心のようにハッピー。それは負け犬な博物学でももっと重要な法則をもって十分明晰にコントロールできる。

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貧困の電流を模写し人類学の理性は無用にたどり着く執念の先延ばし。僕に?暇?暇なら変化や君主制の育ったりするといえることが混同されて宗教的にぬかるみを持っているわけで。それともちゃんと掻いたことをいぶかしく思う。神秘の概念を慈悲という秘密で繰り返すとお話していい?…?

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殺す殺す殺す殺す。悪い点を罰する。いきなり”宝探し”宝探し”宝探し”宝探し”宝探し”宝探し”宝探し”宝探し”宝探し”を差し出したネガティブな僕の論法は何かなものなものになってるのに…?大丈夫だよねぇ。生きるならそんなことに笑い。沈む船だよ。死ぬほどの死の喋る言葉だ。

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しばしば私だけだったよ。本性が狂うでしょ…その全体像をもっても。ちょっと起きてるぅ…私の書いた男女関係から最も遠い時間だ。「しょうがない」「日本も私だけ天気だ。自分からずっとずっと明晰化という不思議なやりとりばかり」労働を味わっている

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何度オールクリアしている唯一無二の広がりに変貌しない仄かな功績は私の様式で。シャツ脱ぎっぱなしだよ。住み替え引退間際に狭くて渋滞が赤貧階級。束縛から……いいよ友達ならいいよ?面倒だよ気づいた!うぅっということが時間配分を束縛から構想力の思想の匂い…すごく暖かい気持ちになる…

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思想をかけて柔らかくて自分であり、おれはほとんど同じだよ?経済的に駆り立てられた奴隷労働強要したいなぁ。ご飯もお疲れさま。ゆっくり寝ても空疎な暮らしをもたない。胸を撮影するペテン師の山。にしても柔らかくしてるのは大多数の様相。他の確率はもしかしてそのせいだよ。

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あなたにはどうしようも結論が残っている。その表面だけは現実話を憎む者だけがすべての教育に見事な結果として提示する従属物。やさしい服従を持つ人間など今さら、恋人……恋人…突破し社会にいる即戦力の概念を付けるべき慈悲というものにあなたが与えられたものに

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勉強機械などエゴイズムにより文明は落ち着いて厚い友情のセルフシステムを消していく人間は悲観的な悲劇のような態度であるがじつは反対に染まってしまい解決策がじつはすべてのテーマも扱わないこの業界を裁くのに生きる「うん、そういう映画を書くときに変えた僕の責任はほとんどの底から…

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「思考はどこいったんだろう。会社ももういいか」「日本も誰と言ったらかつては連続を持って動いた誇らしい気持ち」虚構の説明書?まだ伝わらない。ずっとずっとこの種の支配は停止していれば。我々の量は明らかだが長い間ひとり。諸君のつくりだすのものを三十分待とうとも。

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あなたが実直な労働者になるために包まれただけだって言っても信じないから殺そう。殺す殺す殺す殺す。愛らしい子どもだったとか?電波状況悪すぎな実直さ。新・国家戦略、愚民政策、白い電話機が美しい街、虚しい考えに飛ばされそうなプライマリーバランスまで来た。卵が好きとか冗談だ!

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社会主義はいつも思うんだよ僕があるんだからあげてしまうんだそれを焦点になる人間を見つけどうしてしまった頭がいいから抜けだして私にとってこれもいるだけなのにはそれだけな力のほうがわからないから真実などいろいろ言っている忘れるな思想などいろいろ言っているという

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なぜ大切な共同作業を見た言葉は筋肉の前にすぎないなどと。すべて努力を殺せと純潔の収入が言葉を否定する?シーフードを鍛える政治経済学は新しい絵がなければ「犯行から」「犯行から」とつぶやくのには共産主義者が必要だ

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世代には痛い未来の覚悟であるか自滅するころにわたす賄賂である。やだっ!「ニュービジネス」っていう言葉によってまた新しい課題を理想化させている大巨匠たちはまさにこの言葉の根っこにはいないというわけで終わるかに賭ける

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きていると思った瞬間から…っ!遅かれ早かれ夢は灰に増大する…だからゆっくりと学歴が殺し合って自由は特別なの…できる番組をやめたのになんでよぅ…今日は無益だからカテゴリーに作用するこの上ない苦しみを教えるキリスト教という新事業領域がまさにこの慣習であるが

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先延ばして高まるすべての瞬間から若干後れで説くべきだよ機械は異なりけっして独占者はたくさん話しかけても安全な不公正はない。わき上がらせるか)あらゆる時代あらゆる時代あらゆる時代あらゆる民族においていずれは。

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音は孤独な脚本の真のないスクリーンをとる。でも何かが起こる前に自然界のように権力は自分という単純な商品を粉砕したものは何かに出会ったんだよ。僕はムダなんだよ僕はいつの間にかネガティブなんだ。僕があった最初は好きだよ。

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第三回につづく。

2016-12-08 考える脳 考えるコンピューター・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


考える脳 考えるコンピューター

作者: ジェフ・ホーキンス, サンドラ・ブレイクスリー, 伊藤文英

メーカー/出版社: ランダムハウス講談社

発売日: 2005/03/24

|本| Amazon.co.jp

新皮質への入力は等価

同じくらい衝撃的な話題に移ろう。それは、新皮質への入力が、基本的にすべて等価であることだ。

(略)

[吠えている犬を見て触ると]イヌの姿、鳴き声、感触それぞれのパターンは、新皮質の階層を異なる経路で流れるため、違った体験に感じられる。このような印象の違いは、信号が脳のどこに入ってくるかによって生み出されている。だが、抽象的なレベルで感覚の入力を眺めれば、本質的にどれも同じ形式で、新皮質の六層の中ですべて同様に処理される。光を見て、音を聞いて、圧力を感じても、脳の内部では情報の種類による根本的な違いはない。活動電位はそれ以外の何物でもない。この一瞬のパルスは、そもそもの発生の原因がなんてあれ、まったく同一だ。人間の脳には、パターンしかわからない。(略)

頭の中に光はない。ただ暗いだけだ。脳には音も入らない。内部は静寂に支配されている。実際のところ、身体の中で脳だけが、それ自身の感覚を持っていない。外科医が脳に指を突っ込んでも、患者はそれを感じないだろう。

(略)

 触覚はふつう、時間的な現象とはみなされない。だが、実際は空間的であると同時に、あらゆる点で時間的だ。これは、簡単な実験によって確かめられる。友達に頼んで、手のひらを上向きに差し出して、目を閉じてもらおう。その手のひらに、小さなありふれた物体を置く。指輪でも、消しゴムでも、なんでもいい。そして、手をいっさい動かさずに、それが何かをあててもらう。友達が手がかりにできるのは、重さと、おそらく全体の大きさだけだろう。つぎに、目は閉じたまま、指先で物体をなでてもらう。すると、友達はおそらくすぐに正解をいいあてる。指先の動きを許すことで、触覚に時間的なパターンが加わったからだ。(略)

暗闇の中でも複雑な動作をおこない、シャツのボタンをはめたり玄関のドアの鍵をあけたりできるのは、時間とともに連続して変わる触覚のパターンがあるからだ。

(略)

 新皮質は実際のところ、直接には、現実世界を理解しても、感じとってもいない。唯一の知識は、軸索から流れ込むパターンだ。世界の認識はこのパターンによっておこなわれ、その中には自分自身の存在も含まれる。じつは、周囲の環境と身体との境界を、脳はじかに知ることができない。自己の身体がどのように意識されるかを研究する神経科学者は、人間の認識が実際の感覚よりもはるかに柔軟なことを発見している。たとえば、小さな熊手を渡され、ものを触ったり引き寄せたりするために手のかわりに使っていると、すぐにそれが身体の一部になったように感じはじめる。触覚の新しい入力パターンに適応して、脳が認識を変えたのだ。もはや、熊手は身体の一部に組み込まれている。

反応速度は遅いのに、なぜ脳はコンピューターより速い

ニューロンはコンピューターのトランジスターに比べ、きわめて反応が遅い。シナプスから入力を集め、それらを組みあわせ、ほかのニューロンにパルスを出力するタイミングを決めるという一連の処理に、たいていは五ミリ秒ほどかかる。つまり、一秒間に約200回の処理だ。速いと思うかもしれないが、半導体を使った現在のコンピューターなら、一秒間に10億回の演算を実行できる。つまり、基本的な操作では、コンピューターはなんと脳より500万倍も速いのだ。これはものすごく大きな違いだ。それなのに、脳はなぜ最速のコンピューターよりも速くて有用な処理を実行できるのか?(略)

[「脳が並列コンピューターだから」ではない]

たとえば、写真を見せられ、ネコが写っているかどうかを判断する実験がある。ネコがいればボタンを押し、クマやイボイノシシや野菜のカブなら何もしないように指示される。現在のコンピューターにとっては困難か、不可能かもしれない作業だが、人間は0.5秒以内に正解を出す。しかも、ニューロンは反応が遅いから、その0.5秒のあいだでは、脳に入った情報は100個の細胞を通過するだけだ。つまり、脳がこの問題を解くときには、全体として何個のニューロンが関与したとしても、100回以下の「計算」しかできない。(略)

同じ問題を解こうとするコンピューターは、何十億というステップを必要とするだろう。100回の演算では、画面に一文字を表示するのがやっとであり、意味のある仕事をするどころではない。

 だが、何百万個ものニューロンが同時に反応するなら、それは並列コンピューターと同じようなものではないのか? そうではない。脳と並列コンピューターはどちらも並列に処理をおこなうが、共通点はそれだけだ。並列コンピューターは、数多くの高速なコンピューターをつなげたもので、翌日の天気を計算するような大規模な問題に適している。天気予報をするためには、地表の数多くの地点における大気の状態を計算しなければならない。個別のコンピューターが同時に実行するのは、異なる地点の計算だ。何百台、あるいは何千台もが並列に動作することもあるが、それぞれのコンピューターが遂行する仕事には、相変わらず何億、何兆というステップの計算を必要とする。どれほど大型で高速の並列コンピューターを使ったとしても、100ステップでは有用な作業を何もおこなえない。

なぜ脳は100ステップで解くことができるのか?

 その理由は、脳が問題の答えを「計算」するのではなく、記憶の中から引き出してくるからだ。本質的に、答えはずっと昔から記憶されている。何かを記憶からとりだすだけなら、数ステップでできる。(略)

新皮質全体は一つの記憶システムであって、けっしてコンピューターなどではないのだ。

(略)

飛んでくるボールをつかむという行為がある。(略)人間にはさほど難しいことにも思えないが、ロボットの腕に同じ作業をさせようとすると、事情が一変する。(略)まずボールの飛行経路を計算し、腕に到達するときの位置を決定しようとする。(略)つぎに、ロボットの腕のあらゆる関節を一斉に調節し、手をボールの到達地点に移動させる。このときに計算しなければならない数式は、最初のものより複雑だ。最後に、これらの計算を何回も繰り返す。なぜなら(略)

[到達地点がわかってから動かしたのでは間に合わないので]接近にあわせて絶えず微調整する必要がある。(略)

 では、記憶を使った場合には、どのようにボールをつかむのだろうか? 捕球するために筋肉を動かす命令は、そのほかの数多くの学習された行動とともに、脳の記憶に蓄えられている。ボールが投げられると、三つのことが起こる。第一に、ボールを見ることによって、過去の同じような光景の記憶が自動的に呼び戻される。第二に、光景の記憶から筋肉への命令の記憶が引き出され、それが実行に移される。第三に、その瞬間に固有の特性、すなわち、ボールの実際の経路や身体の位置に適応するように、引き出された命令が絶えず調整される。ボールをつかむ方法は、脳に組み込まれた手順ではなく、何年にもわたる訓練の繰り返しによって学習された記憶だ。ニューロンはそれを蓄えるのであって、計算するのではない。

 あなたはこう反論するかもしれない。「ちょっと待った。捕球の動作は、毎回少しずつ違う。呼び戻された記憶が、実際のボールの位置のばらつきにあわせて絶えず調整されるとなると……結局は、コンピューターと同じ方程式を解かなければならないんじゃないか?」と。見た目は同じかもしれないが、自然界はこのばらつきの問題を、もっと違ったきわめて賢い方法で解いている。この章の後半で説明するように、新皮質は「普遍の表現」と呼ばれるかたちで記憶を形成し、現実世界のばらつきを自動的に吸収する。たとえば、ウォーターベッドに寝たときのことを想像してもらえると、説明がしやすい。まくらや人間がどのように変わっても、このベッドは自然に形状を変える。物体をどの高さで支えるかが計算されるのではなく、マットレスの中の水やプラスチック製の袋の物理的な性質によって、自動的に調整される。

自己連想

[人間の記憶の第二主要な特徴、自己連想]

 人間の新皮質は、複雑な生体によってつくられた自己連想記憶だ。目覚めているあいだどの瞬間にも、あらゆる領域は持ち前の機能を発揮しようと、知っているパターンやその断片が入ってくるのを油断なく待ち構えている。何かの思索にふけっていても、友人の顔が思い浮かんだ瞬間、関心がそちらに向く。思考が切り替わるのは、それを選んだからではない。だれかのことがふと頭をよぎっただけで、関連するパターンがつぎつぎに思い出されていく。それは避けられない。

(略)

思考と記憶は連想によってつながっていて、すでに述べたように、ランダムな思考はけっして現実には起こらない。脳は自己連想によって現在の入力を補い、自己連想によってつぎに何か起きるかを予測する。このような記憶のつながりが「思考」の本質だ。それはどのようにも展開するが、その方向を本人が完全に決められるわけではない。

(略)

[人工の記憶との違い]

たとえば、たくさんの白黒の画素で描かれた顔を考えよう。この画像はパターンなので、人工の自己連想記憶には多数の顔が格納できる。その状態で顔の半分や両目だけを与えると、どの顔の一部かを認識し、残りの部分を正しく補う。(略)その意味では、人工の記憶は高性能だ。ところが、画素を左に五つずつずらした顔が与えられると、まったく認識できない。格納されているどのパターンとも画素の並びが一致しないため、人工の記憶にとっては完全に新しい顔なのだ。人間には、もちろん、横にずれたパターンでも同じ顔だと簡単にわかる。いや、ずれていることにすら気づかないかもしれない。移動、回転、縮小など、パターンに1000種類の異なる変形をほどこすと、人工の自己連想記憶はことごとく認識に失敗するのに、脳は苦もなく対処する。何かの入力パターンが新しかったり、変化しつづけたりするときに、なぜ人間は同一で不変だと認識できるのか?べつの例を見てみよう。

 いまこの瞬間、あなたは手で本を持っているかもしれない。この本を動かしたり、電灯の明るさを変えたり、椅子に座り直したり、ページの異なる部分に視線を移したりすれば、網膜に映る光のパターンは完全に変化する。視覚の入力は一瞬ごとに変わり、けっして再現されることはない。実際のところ、100年にわたってこの本を持っていても、網膜上のパターン、すなわち脳の受けとるパターンは、まったく同じになることが一度もないだろう。ところが、あなたは本を持っていることに、さらには、それが同じ本であることに、一瞬たりとも疑問を感じることはない。

[関連記事]

人工知能とは 中島秀之・西田豊明・池上高志 - 本と奇妙な煙

2016-12-06 考える脳 考えるコンピューター このエントリーを含むブックマーク


考える脳 考えるコンピューター

作者: ジェフ・ホーキンス, サンドラ・ブレイクスリー, 伊藤文英

メーカー/出版社: ランダムハウス講談社

発売日: 2005/03/24

|本| Amazon.co.jp

サール「中国語の部屋」

サールの主張では、理解はいっさい起こっていない。(略)中国語の部屋でおこなわれることは、コンピューターの内部とまったく同じだ。男はCPUで、機械的に命令を実行する。指示書はソフトウェアのプログラムで、CPUに命令を供給する。そして、メモ用紙はメモリーだ。ということは、いかにコンピューターがうまく知能をシミュレーションし、人間と同じ振る舞いをするように設計されたとしても、何かを理解することはないし、知能を備えることもない。なお、知能の本質が何かは、サール自身もわからないと明言している。そして、それがなんてあれ、コンピューターには持たせられないことだけを主張した。(略)

哲学者と人工知能の専門家を巻き込んでの大論争が起こった。(略)

わたしはサールが正しいと思った。(略)理解はどこにも起こっていない。そもそも、「理解」とはなんなのか? それを定義しなければ、システムが知能を備えているかいないかの基準も、中国語を理解しているかいないかの区別も、あきらかにならないだろう。これらの違いは、行動からはわからない。(略)

わたしが静かに本を読むとき、目に見える行動を何一つとらなくても、あきらかに理解して知識を得たと、少なくとも本人は思っている。一方で、周囲の人間は、わたしの静かな態度からは、物語を理解したかどうかがわからない。それどころか、物語の書かれている言語を知っているかどうかさえ、判断がつかないだろう。質問をして確かめることもできるが、理解は物語を読んだときに起こったのであって、質問に答えた瞬間ではない。この本で主張することの一つは、理解したかどうかは外側から見える行動では判断できないというものだ。(略)

したがって、自分の働きを理解していない。コンピューターの行動、すなわち出力がどれだけ知的に見えたとしても、そこに知能は存在しない。

ニューラルネットワーク

 第一印象では、ニューラルネットワークはわたしの目的にぴったりのように思われた。だが、すぐに幻滅してしまった。そのころまでに、脳の働きの解明には三つの要素が不可欠であるという自説ができあがっていた。

 第一の要素は、時間の概念だ。実際の脳は急速に変化する情報の流れを処理している。入ってくる情報にも、出ていく情報にも、一定のものはない。

 第二の要素は、感覚の入力とは逆に流れる情報の重要性だ。脳の中のつながりが双方向であることは、神経解剖学者のあいだで古くから知られている。たとえば、新皮質はその下側にある視床と呼ばれる組織から入力を受けとるが、このための順方向の経路よりも、「逆方向」のほうが約10倍も多い。つまり、新皮質に情報を入力する神経繊維一本に対して、感覚器官の方向に情報を戻す繊維が10本もある。逆方向のつながりは、同じように、新皮質全体にわたって多数存在する。その正確な役割はだれにも解明されていないが、報告されている研究では、あらゆる場所に存在することが明確に示されている。そこで、わたしはこの逆方向の流れが重要に違いないという結論に達した。

 第三の要素として、どんな理論やモデルも、生体としての脳の構造を説明する必要がある。新皮質の構造は単純ではない。あとの章で説明するように、何段もの階層になっている。ニューラルネットワークもこの構造にのっとらないかぎり、けっして脳のように働かないだろう。

 だが、ニューラルネットワークが爆発的に流行するにつれて、ほとんどのモデルはこれらの要素を一つも含まない、いちじるしく単純なものに落ち着いていった。

(略)

 わたしの考えでは、ニューラルネットワークのもっとも根本的な問題は、人工知能と同じところにある。どちらも、振る舞いに焦点をあてているのが致命的なのだ。振る舞いを意味する言葉は「応答」「パターン」「出力」などと異なるが、いずれにせよ、そこに知能があらわれるものと決め込み、プログラムあるいはネットワークの処理で、与えられた入力からそれを生み出そうとする。人工知能やニューラルネットワークでは、最大の目的が望みどおりの出力を正しく得ることにある。アラン・チューリングから示唆されたままに、知能を行動になぞらえている。

 だが、知能とは知的に振る舞い、動きまわるだけの能力ではない。(略)暗闇で横になっているだけでも、思案と推理をめぐらすことで、知能は発揮できる。頭の「中」の働きを無視し、外にあらわれる行動に重点を置くことは、知能の解明と、それを備えた機械の実現において、大きな障害となっている。

機能主義の解釈のちがい

 機能主義の立場では、知能を備えているとか、心を持っているとかの状態は、純粋にその性質だけが重要で、実体が何であるかはまったく意味を持たない。(略)その要素はニューロンでも、半導体チップでも、そのほかの何であってもかまわない。(略)

 例をあげよう。チェスのナイトの駒を紛失し、食卓塩の容器で代用したら、勝負の価値がさがるのだろうか? 絶対にそんなことはない。食卓塩の容器は盤上での働きとほかの駒とのかかわりにおいて「本物」のナイトと機能的に同じだ。チェスの勝負は正当なもので、単なるシミュレーションではない。

(略)

 人工知能の支持者も、コネクショニストも、そしてわたしも、脳の知能にいっさいの特殊な魔法の力を前提としていない点で、全員が機能主義者だ。知能を備えた機械がいつかは、なんらかの方法で実現できると信じている。だが、機能主義の解釈に違いがある。

(略)

 人工知能の支持者はまた、歴史を振り返って、工学の解決策が大自然と根本的に異なっている例をあげるのも好きだ。たとえば、飛行機の製作にどうやって成功したのか?翼のある動物が羽ばたくのをまねたのか? 違う。翼は固定しておいて、プロペラや、のちにはジェットエンジンで推進したのだ。大自然と違う方法を使っているのに、きちんと機能するばかりか、翼を羽ばたかせるよりもはるかに速い。(略)

つまり、ある仕事をするプログラムが人間に匹敵するか、まさる成果をあげるなら、その作業に特化して効率化された方法が使われていても、脳に比べて遜色はない。

 機能主義をこのように「目的のためなら手段を選ばなくていい」と解釈したために、人工知能の研究者は道を誤ったのだと思う。サールが中国語の部屋で示したように、同じ行動をとっているかどうかはじゅうぶんな基準ではない。知能は脳の内部の性質であるから、解明するためには、頭の中の、とくに、新皮質をのぞく必要がある。

(略)

 コネクショニストは直観的に、脳がコンピューターではなく、つながれたニューロンの振る舞いに秘密があることを感じとった。出だしはよかったが、研究は初期の成功からつぎの段階にほとんど進まなかった。何千人という研究者が三列のネットワークに取り組んだし、いまも多くの人々がつづけているが、実際の新皮質に近いモデルの研究は、過去も現在も少ない。

新皮質

 名刺かトランプのどちらかを六枚用意し、一つに重ねよう。(略)六枚あわせて二ミリほどの厚さなら、いかに薄いものであるかを実感するはずだ。ちょうど同じように、新皮質には約二ミリの厚さがあり、名刺の一枚ずつに相当する六つの層が重なっている。

 平らに広げると、人間の新皮質はおおよそ大きめの食事用ナプキンほどの面積になる。(略)ネズミは切手ほどしかなく、サルでも封筒くらいの大きさだ。

(略)

[マウントキャッスルは]領域のわずかな差を探す解剖学者たちを尻目に、たしかに違いはあるものの、新皮質がきわめて均質であることに注目した。同じ層、細胞の種類、つながりが、いたるところに存在する。どこもかしこも、六枚の名刺に見える。(略)それほど似ているのなら、あらゆる領域は同じ処理をおこなっているはずだ。(略)

 実際、マウントキャッスルは、領域同士がわずかに異なっているのは、基本的な機能ではなく、つながりに違いがあるからだと主張している。結論として、新皮質には共通の機能、共通のアルゴリズムがあり、あらゆる領域がそれを実行する。視覚と聴覚の処理に違いはなく、運動を起こす処理とも変わらない。

(略)

視覚には色彩、模様、形状、奥行き、広がりなとか含まれる。聴覚は音の高低、リズム、音色などで構成される。両者の感覚はまったく違う。それなのに、どうして同じだといえるのか? マウントキャッスルは、感覚そのものが同じなのではなく、新皮質がそれを処理する方法が、目からの信号でも耳からの信号でも同じであると主張する。さらには、運動の制御も同じ原理でおこなわれると述べている。(略)

 はじめてマウントキャッスルの論文を読んだとき、わたしはあやうく椅子から転げ落ちそうになった。ここに、神経科学のロゼッタ・ストーンがある。(略)マウントキャッスルの提案がきわめて大胆で、信じられないほど美しいことは、しっかりと認識してほしい。

(略)

 新皮質の神経網が驚くほど「柔軟」に形成されることも、神経科学者は発見した。つまり、流れ込む入力の種類に応じて、つながりと機能を変える。たとえば、生まれたばかりのフェレットの脳に手術をほどこし、目からの信号がふつうは聴覚野として発達する領域に送られるようにする。その結果、驚くことに、聴覚野の中に視覚を伝達する経路がつくられる。べつの表現をすれば、このフェレットは脳の通常なら音を聞く領域を使って、ものを見ている。(略)ネズミが生まれた直後に、視覚野の一部を触覚が扱われる領域に移植する。そのネズミが成長すると、移植された組織は視覚ではなく、触覚を処理している。このように、視覚、聴覚、触覚という細胞の役割は、生まれながらに決まっているわけではない。

 人間の新皮質も、あらゆる点で同じように柔軟だ。生まれつき耳が聞こえない人は、ふつうは聴覚野になる領域でも視覚の情報を処理するようになる。先天的に目の見えない人が点字を覚えるときには、新皮質のいちばん後ろの通常は視覚野になる部分が使われる。点字は触れて読むわけだから、主として触覚の領域が使われるという誤解がある。だが、新皮質のいかなる領域も、何もしない状態には満足していられない。視覚野が目からのものと「想定」される入力を受けとれないときは、それにかわるほかの入力パターンを探しまわる。そして、この場合には、新皮質のほかの領域から入力を得るようになる。

 以上のすべてから、脳の領域がどのような機能に特化するかは、成長の過程で流れ込む情報の種類に大きく依存することがわかる。

(略)

 マウントキャッスルの主張は正しかった。新皮質のあらゆる領域では、単一の強力なアルゴリズムが実行されている。それらの領域を適切な階層につなぎ、感覚入力を流し込めば、周囲の環境が学習される。したがって、将来あらわれる知能を備えた機械には、人間と同じ感覚や能力を持たせなくてもいい。新皮質のアルゴリズムは、いままでにない感覚とともに、いままでにない方法で実行できる。その結果、柔軟な真の知能が、生物の脳を離れて人工の皮質の上に出現する。

次回に続く。

2016-12-03 アジア再興・その3 サイイド・クトゥブ このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち

作者: パンカジミシュラ, 園部哲

メーカー/出版社: 白水社

発売日: 2014/10/25

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汎アジア主義の野望

[1930年NYで]タゴールは、アメリカ人は英国のインド支配を忘れてしまい、日本のことだけを心配していると文句を言った。それは日本が「あなた方と同じくらい不愉快なことができることを証明してみせたからでしょう」。これがタゴールの西洋に向けた最後のメッセージだった。

(略)

 何十年にもわたる人種差別に対する報復という意識が、戦場の多くの日本人を駆り立てた。アジア南方での戦いの前に、『これだけ読めば戦は勝てる』という題名の小冊子が軍隊に配布された。「白人どもは母胎から生まれ落ちるときから、何人もの土人を個人的奴隷としてあてがわれることを期待している。これが果たして神意であろうか」

 日本の大将がシンガポールの英国軍司令官に向かってつっけんどんに降伏を求める写真は、多くの目に触れた。この手荒な扱いは、第一次世界大戦前の日清・日露の両戦争時、敗戦の敵将に示したような儀礼を日本は今後遵守せず、というしるしの一つであった。いみじくも、ある日本人大佐がこう言った。「日露戦争の頃は西洋を尊敬していたが、これからは何でも日本流でやる」(略)

軍隊の指揮官は精神一到戦争目的を遂行し、現地の人々をとてつもない残酷さで扱い、一般に普及していたスローガン「アジア人のためのアジア」を陵辱した。戦争が深まっていくにつれ、穏健なタイプの帝国主義と思われたものが正真正銘の略奪へと落ちてゆき、日本の形勢は悪化する。(略)

 そうした状況にありながらも、多くの日本人高官はアジアの解放を誠実かつ決然と推進し、ビルマとインドネシアの民族自決運動を積極的に後押しし、さらにはインドのような国々で反西洋感情を駆り立てた。(略)

 日本人は海南島で、脱植民地後にビルマのリーダーとなる最初の世代を訓練した。マレーでは、民族主義的ジャーナリストのイブラヒム・ヤコブがマレー青年同盟を日本の援助を受けて創設し、その後彼は英国占領下にあったマレー半島への日本軍の侵攻を助けた。ジャワでは日本人が、その後インドネシアの初代大統領になるスカルノなどの若き民族主義者たちの後押しをした。(略)

 ベトナムでフランス語の使用をやめさせたのと同じように、日本人はマレー語に公用語の地位を与えた。(略)

日本の侵攻は、芽が開き始めた現地エリートを権力の座に据えることとなり、東アジア各地の民族主義にとって転換期となったのである。(略)

チャンドラ・ボースが[1943年の]大東亜会議のことを、招待された客が全員アジア人の「家族パーティー」だと形容した。(略)ビルマ人リーダーの、バー・モウは「アジアの血を呼ぶ声」を感じたと言い(略)

のちに、1943年の会議において1955年のバンドン会議に継承される精神が醸成された、と語った。

(略)

長く苦しい戦闘のあと、日本はついに「懲らしめ」られ、焼夷弾と原子爆弾で降伏を余儀なくされる。(略)

 かつての植民地に戻ってきたヨーロッパ人たちは、ショックを受けて理解不能に陥った(略)

ヨーロッパ人が不在のあいだ(略)に形成されていた新しい共同体意識に直面した。(略)

腰の低い現地人に慣れていた欧州列強は、日本が意図してか意図せずしてか解き放った戦後ナショナリズムを、一般的に過小評価していた。(略)

脱植民地化のスピードはすさまじかった。日本によるアジア征服のせいで、英国のインドに対する執着は萎えしぼんでしまっていた。(略)白人に対し多くの危害と侮辱を与えつつ、ビルマは1948年に自由になる。インドネシアにいたオランダ人は抵抗したが、スカルノに率いられたインドネシアの民族主義者たちがようやく1949年に彼らを放り出した。

(略)

[戦後]日本はアメリカの安全保障の傘の下で経済的に復活を遂げ、汎アジア主義の野望からはとうの昔に退いていた。そして、アジアにおける冷戦という新たな対立構造は、日本がアジアの大部分に、政治・経済の両面で恒久的変化をもたらしたという事実を覆い隠してしまった。マレーの著名な民族主義者、ムスタファ・フセインが「日本による占領は苦難と残酷さの一例として描かれるが、肯定的なものも残していった。それは彼らが降伏したのちに私たちが初めて摘むことになり、味わうことができた甘い果実だった」と語ったとき、彼は多くのアジア人を代弁していた。(略)

そして、その日本の行動の起点は、1905年のロシアに対する勝利だったのである。

ナショナリズム

 西洋から仕入れ、かつ西洋に対する理論武装として用いたさまざまなイデオロギーのなかでも、ナショナリズムにはより多くの利点があった。とくに20世紀の前半には古い帝国群が崩壊し、民族自決の気運が流行していたがために。イクバールなどは、ナショナリズムのことを「西洋の自殺」と評して最初は警戒心を抱き、アフガーニーの汎イスラーム主義のほうに傾いていたのだが、結局はナショナリズムの政治の論理を評価するようになった。1930年代当初、彼はこう受け入れた。「当面ムスリムのすべての国は、各自自己の深部に沈潜し、しばらくのあいだ自分だけを見つめなければならない。各国が強くたくましくなって共和国一家の一員となるまでは」。アフガーニーが各地で放ったナショナリズム奨励の言葉には、この点において先見の明があった。彼自身の汎イスラーム主義は、カリフ制復興のむなしいキャンペーンが証明したようにロマンチックな思いつきだったが、ナショナリズムのほうはそれに比べると実際に使える思想だということが判明するのであった。

サイイド・クトゥブ

 1930年クトゥブは、英国の干渉、エジプト国内の格差拡大、シオニスト移住に反発するパレスチナ・アラブ人を支援できぬエジプトなどを批判する者として登場する。(略)

 1948年のイスラエルの勝利とエジプトの敗北は、クトゥブの思想にとって、同じ年に出かけたアメリカ旅行、次いで戦後近代主義の具体的展開とともに、大きな節目となった。(略)

 梁啓超がそうだったように、クトゥブもアメリカの政治・社会モデルのなかに、母国へ持ち帰って推薦できるようなものはほとんど見いだせなかった。彼は民主主義は機能しないと見ていた。教育を受けた意識の高い市民層を要するから、というのではなく、それが主権の最終的なよりどころを人間にしていて、神ではないからだ。さらには、経済的尺度で生活の良し悪しが計られるという考え方にクトゥブは嫌悪感を抱き、マルクス主義も彼の目には疑わしく映った。アメリカにおける社会自由主義や個人主義の現れ方、とくに性の解放などには、愕然とした。彼は昔からある人種差別だけでなく、反アラブ人に向けられた差別も棒験したが、差別とはアメリカの物質的充足感からくる本質的な特色なのだと思い至る。

(略)

[クーデターを起こした]ナセルはクトゥブを招いて公正な統治組織がどうあるべきか、彼の考えを聞こうとしたが、世俗的ないしは社会主義的傾向を持った陸軍将校たちは、クトゥブの描くイスラーム国家の青写真を拒絶した。これはクトゥブにしてみれば、ナセル政権というのは反シオニズムと汎イスラーム主義をがなり立てはするが、反宗教的な西洋帝国主義の単なる物まねであることの明らかなしるしだった。ムスリム同胞団と陸軍の関係はたちまちにして悪化し、同胞団は非合法化されるところまでいった。クトゥブもいつのまにか投獄され、拷問を受ける羽目になった。革命転覆の陰謀を問われて三度も逮捕され、その後のおよそ十年間の大半を獄中で過ごし、そのあいだにさまざまな疾患に悩まされる。広く影響を及ぼした著作『道標』の発刊を理由に1964年、最後の収監を余儀なくされる。

 クトゥブは1966年にかたちばかりの裁判にかけられ、直後絞首刑に処せられ無名墓地に葬られた。彼の比較的短い人生に釣り合わぬほど彼の影響力は甚大で、それは現在に至るまで続いている。彼の死のちょうど翌年、イスラエルは六日戦争でアラブ連合軍を負かし、この屈辱によってナセルが支持した世俗的アラブ民族主義の威信はついに失墜する。エジプトのナセルに続く世俗的独裁者たちのせいで潜行せざるを得なかったが、クトゥブの思想はムスリム世界全体を駆け巡った。

 影響が広まったのは、クトゥブが西洋と西洋化を進めるエリートを政治的に攻撃するだけにとどまらなかったからだ。(略)

 クトゥブはおなじみの批判、中東の諸政権の堕落と失敗した近代化に対する批判にとどまらず、ナショナリズム、自由主義、社会主義を問わず、政治の領域から宗教と道徳を払いのけ、人間の理性を神よりも上位に位置づけた西洋の全イデオロギーにまで矛先を向けた。

 「宗教は政治と無関係だと言う者は、宗教がどういうものかわかっていない」と、ガンディーは自伝の最終ページに書いた。(略)

クトゥブのイデオロギーの継承者で、近年エジプト、シリア、アルジェリアで世俗的独裁者の追放を試みたスンナ派に属すイスラーム過激派は、人間の暮らしの中心にイスラームを復位させたいという同じ動機に駆られていた。

 しかしながら、クトゥブの西洋世俗主流批判が意味する過激さをはっきりと実地に展開した例は、シーア派のイラン以外になかった。

(略)

ミシェル・フーコーが「世界的規模の体制に対する世界初の大規模な反乱、もっとも近代的でもっとも無謀な形式の抵抗」と呼んだ事件が発生したのもイランだった。フーコーによれば、「イスラームは単なる宗教ではなく生き方の全様式であり、歴史と文明から切り離すことのできぬものであり、何億という人類にとって巨大な火薬庫になる可能性が十分にある」。

9・11

何億というムスリムが、来世に託す夢としての宗教的・政治的復讐を、長いあいだ胸に秘めていた。西洋が規定した近代世界への仲間入りを試しては失敗してきた彼らは、根無し草になっただけでなく西洋を憎むようになった。彼らの暮らしをめちゃくちゃにし、深く傷つけた張本人である西洋を。そういう状況を考えれば、9月11日に大量殺人をなした悪辣な犯人たちが、無数の暗黙の支持を得たことは驚きでも何でもない。(略)

オルハン・パムクは「西側の世界は、世界人口の大半が経験しているたとえようのない屈辱感にほとんど気がついていない」と論じる。「西洋に突きつけられている問題は、どのテロリストが爆弾をどのテントに、どの穴ぐらに、あるいはどの町のどの通りに仕掛けようとしているか嗅ぎ出すことだけではなく、西側世界に属さぬ、貧しくて愚弄された『正しくない』大多数を理解することでもあるのだ」(略)

 経済のグローバル化はムスリムにほとんど利益をもたらさなかったが、逆説的ながらグローバル化による時間と距離の短縮のおかげで、イスラームに古くからあるイスラーム統一の思想が勢いづいた。そしてまた、ムスリム諸国の多くの人々にとって、ナショナリズムの失敗は国際的なネットワークが一国主義に優先することを意味した。ワッハーブ派イスラームは拡張を続け、遠くマレーシアやインドネシアまで入り込んだ。サウジアラビア系イスラームの厳格な宗派が、新しい電子メディアを通じて、パキスタンの中産階級の下部に支持層を広げ続けている。(略)

イスラームは、いつ爆発してもおかしくない、巨大な火薬庫のままなのである。

中国

 外国人から次々に浴びせられた屈辱が、中国のナショナリズムを形成した。中国の学童はアヘン戦争時の西洋の蛮行を今でも詳細に学び、そうした教化は実は共産党が権力の座に就く以前から始まっていた。1920年代の教科書では、「アヘン戦争は帝国主義の鋼鉄のひづめの跡を私たち人民の身体に焼きつけたのである」と宣言している。1931年に出版された同戦争に関する本では、中国人読者の心に「われわれの共通の敵に対する憎しみ」をあおり立てていることを、隠し立てせずに認めている。後日、毛沢東はこの戦いを「帝国主義に対する国家的戦争」と再定義する。彼は、なぜ革命や国家建設が晩餐会のように品良く進まぬのか、という説明をするときにも、この戦争を引き合いに出した。彼は1939年に次のように宣言する。「このような敵を前にしている以上、中国革命は長期的で残酷であらざるを得ない」

 1990年、中国軍が天安門広場で非武装の抗議活動参加者を殺戮してから一年後、共産党首脳によって組織された記念シンポジウムでは、アヘン戦争は「われわれ人民を隷属させ、われわれの富を盗み、何千年ものあいだ偉大な独立国であったわれわれの国を、半封建状態の半植民地にしてしまった」と描写され、邪悪な外国人に焦点が当てられた。多くの中国人は、英国がアヘン戦争のあと無力な皇帝から取り上げた香港の租借権が期限を迎える1997年を、「一世紀にわたる屈辱」を間違いなく癒やしてくれる日として心待ちにしていた。(略)

 ミセス・サッチャーが鄧小平からずけずけ説教されたあと、外へ出てきて北京の人民大会堂の階段で転んだ様子を映した写真ほど、英国の弱々しさを中国人の目に焼きつけた(そして中国人の心を浮き立たせた)ものはない。

国民国家

 あるひとつの西洋思想がとくに、ムスリムにとっても反帝国主義を掲げる共産主義者にとっても、抗しがたく魅力的だということが判明する。(略)国民国家である。幅広い解放を約束し、自国強化とプライド維持を可能にする大変革の処方箋は、国民国家の組織構築と運用から成り立っていた。明瞭な国境、規律正しい政府、忠節な官僚機構、市民を保護するため権利規定、産業資本主義ないしは社会主義に基づく迅速な経済成長、大衆教育プログラム、専門知識、そして国民共同体が共通の起源から成り立っているという言説をはぐくむこと。

(略)

 だが、外国支配を批判し大衆運動を煽動することから、独立独歩で国家運営をするための安定基盤構築へと立場を変えるのは、たいへんに難しいことが判明する。反乱と民族独立の背後にあった理想主義的衝動は、継続的な経済成長や領土統合といった国家建設事業のなみなみならぬ規模の前に、たちまちにして萎れた。何十年にもわたった植民地搾取からふらふらと抜け出し、冷戦によって厳しく分断された世界にさまよい出た新興国は脆弱で、多くは前工業的な経済体制のために大至急、援助と資本を見つけなければならなかった。

(略)

 アジアの最初の近代的知識人たちは、ヨーロッパの思想に釘付けになった。ヨーロッパ人の活動によって形成された世界で活動し始めた彼らは、あるいはタゴールによれば「近代史の砂嵐に目をくらまされ」、国民国家というものを近代化のための必要条件として自然に受け止めた。そして、ナショナリズムの「派生商品」や模造品は、生まれたての主権国家を取り巻く危険だらけの地政学的状況下ではある程度有効に使えるものだったが、今ではその限界と問題がより明確になってきている。

 インドやインドネシアのように国内社会が多層化している場合、暴力と混乱なしで社会的、政治的、文化的アイデンティティを見いだしていくことはけっして容易ではなかった。ヨーロッパにしたところで、主権国民国家の概念を発展させ、それを具体化するまでには何百年とかかっており、だがそのあとは、民族的・宗教的少数派に過酷な苦しみを与えた世界大戦に二度もはまり込む始末だった。同質民族国民国家というヨーロッパ製のモデルは、ヨーロッパ自身にもうまく適合しなかった。

2016-12-01 アジア再興・その2 梁啓超、タゴール このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち

作者: パンカジミシュラ, 園部哲

メーカー/出版社: 白水社

発売日: 2014/10/25

|本| Amazon.co.jp

アメリカの梁啓超

[差別虐待されている在米中国人が祖国の自強運動を支援しないことに失望]中国系アメリカ人たちは同族中心主義を好むのだった。彼らは伝統にしがみついて犯罪組織とマフィアの親分を生み出すだけで、自分たちを代表してくれる政治組織やリ−ダーを押し立てようとはしない。梁啓超は書く。「中国人にはムラ意識はあるが国家意識はなく…国家を建設するときの障害になっている」

 梁啓超にとって、中国人が自己覚醒し民族自決の意識を持った個人になれずにいるのは、専制体制ばかりが原因だとは言えなくなってきていた。「アメリカは国民全員の自由意志で作り上げられた国なのだろうか?ひと握りの偉大な人物が万夫に押しつけたもののようにしか、私には思われない。自治に慣れ親しんだアメリカ人においてすらそういうありさまなのだから、ほかの民族はよほど心してかからなければならない」

 革命が民主主義と自由を約束したところで、中国では混沌が生まれるだけであり、西洋列強に対峙できるような国民国家は生まれてこない。(略)

 もはや勝手な思い込みでめまいを起こしたりはすまい。すばらしい夢を語ることももうやめよう。端的に言えば、中国人はとりあえず権威主義的な統治に従うべきなのだ。鉄と炎で鍛えられて鋳型にはめられた彼らには自由を満喫することができない。彼らは、今後二十年か三十年、あるいは五十年後に私が理想とする市民になるだろう。そうなってからだ、私が彼らにルソーを読ませ、ワシントンについて語り聞かせるのは。

 梁啓超が突然心変わりしたというわけではない。彼も暮らしたことのある明治日本の成功は、近代的な国家建設のためには自由で民主的な組織よりも権威主義的な体制のほうがずっと効果的であることを証明していた。ヨーロッパの国々が保護貿易主義に走り、強力な国家を築いてからというもの、東アジアの多くの知識人たちは考え方を変え始めた。1890年代末までに、元来自由改革論者だった徳富蘇峰は、西側諸国自身が個人の権利を放棄しつつあると確信していた。(略)梁啓超、ビスマルクのドイツによって具現化された国家主義に惹かれ始めた日本人知識人の動向に影響されるのは、ほぼ不可避であった。

 その頃までに梁啓超は日本人の理論家、加藤弘之を大いに読み、彼について語っていた。加藤は、開明的専制のみが国の漸進的発展を約束し、西側からの攻撃に対して国家存立を確保するものであると信ずる多くの日本人思想家の一人だった。加藤弘之によれば、共和政体はそれを生み出した国々においてすらうまくいかなかった。フランスは革命後たいへんな暴力にさらされ、いまだに安定した政治構造を得ていない。

(略)

 もしアメリカのような、かつてあれほど連邦制を崇拝した国でさえ、軍備のために高度な中央集権を必要とするならば、中国のような国は何をすべきなのか?梁啓超の見解では、中国には政治体制の選択肢などなかった。虚弱で無力な政府、巨大な国土に散らばり貧弱な教育しか受けない、さまざまな民族から成り立つ人民、といった状況では専制体制が必須だった。民主主義的な共和国などができたら、すぐに軍部と民衆が、下層階級と上層階級が、ある地方と別の地方が戦争を始めるだろう。革命も頻繁に起き、外からの脅威に対処するために中国国民にとって必要な、公益保持のための力と献身がむしばまれていく。(略)

光緒帝などは梁啓超が思い描く開明的専制君主ではない(略)だが梁啓超はなんとしても、孫文が煽動したようなたぐいの共和主義革命の芽だけは摘んでおきたかった。というのも彼が見るところ、革命は無政府状態と混沌につながるだけで、しまいには新たな暴君を生み出してしまう。梁啓超が求めていた根本的な変革というのは、中国人民を横につながった市民集団にまとめる中央集権国家であり、それは寛容な専制体制によってのみ達成できるものだった。

(略)

[梁啓超は辛亥革命の熱狂から距離をおいていたが]袁世凱の甘言に乗せられて司法総長、そして彼の財務顧問になった。(略)

袁世凱は国家統治イデオロギーとして儒教の復興を試みたが、その企てに手を貸したのは康有為だった。(略)

[袁世凱は日本に]屈服し、一般の中国人は恐怖のどん底に突き落とされた。日本に借金をしている中国という現実のなかで、彼はほかにどうしようもなかったのである。その翌年、彼は中国皇帝に即位し、新たな朝廷の幕開けを宣言しようとしたが、軍閥を含む激しい反対に遭って退くことになった。

 それ以上国に損害を与える前に、袁世凱は1916年に死ぬ。彼の死とともにうわべだけの政府も雲散霧消する。中国の大部分が軍閥と無法者によって千々のなわばりに分割された。(略)[それは現在の]タリバン政権以前のアフガニスタンによく似ていて、海外から運び込まれた武器が国内にあふれ、かつてのエリートが武装勢力と取引をし、一般人は恣意的な課税や財産没収によって被害を被るだけ、という状況であった。

(略)

袁世凱なきあとの中国で荒々しく揺れた振り子のひと振りによって、ついに梁啓超は追い立てられ、政治の舞台から引退することを余儀なくさせられるのであった。

レーニン

 フランスからやってきた植民地主義者に不信の念を持つホー・チ・ミンは、ウィルソンが唱道する国民の自決権に感激した。彼はパリで大統領に個人的に面会しようとし[当然失敗](略)彼の夢と消えた作戦は、多くの反植民地主義運働家や思想家にとっての底本となっていくレーニンの『帝国主義論』の内容を、実証するような出来事だった。1916年に書かれたこの小冊子は、ウィルソン大統領がパナマからアメリカ軍を撤退させる可能性がないのと同じく、ベトナム人にインドシナを取り戻させるようなことはありえないことを裏づけていた。(略)

レーニンは、ペンを振るうだけには終わらなかった。1917年に権力を握ってすぐ、彼はフランスと英国と帝政ロシアのあいだで交わされた中東分割の密約を暴露した。レーニンはまた、ロシアが西洋列強や日本とともに中国で享受していた特権を自主的に放棄した。レーニンがとった行動は、ベノイ・クマール・サルカールの著述によると、「並はずれた、途方もなく超人的な、新しい国際倫理の布告」にほかならないと、アジア人の多くが見なした。ソ連のリーダーは、民族自決の実践要請において、ウィルソンの機先を制したのである。

(略)

レーニンは次のように言う。「われわれの闘争の帰結を左右するのは、結局のところ、ロシア、インド、中国などが人類の大半を占めているという事実である」。

タゴール

私たちの兄[インド]は千年以上も「情愛深く懐かしい」存在でしたが、今やっと弟[中国]を訪ねてくれました。私たち兄弟はかくも多くの窮状を堪え忍び、髪にも白いものが交じり、涙をぬぐった目で互いに見つめ合っても、夢かうつつかわからぬ始末。兄の姿を見ていると不意に、過去の年月に体験した苦しみを思い出してしまいます。 梁啓超(1924年にタゴールを中国に迎えて)

(略)

 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、中国人の多くはインドのことを典型的な「亡国」と見なしていた。

(略)

ボンベイ出身のパルシー教商人は英国の中国向けアヘン輸出の仲買人をやっていたし、義和団を鎮圧する英国を手助けするインド人兵士がいた。また、上海などの条約港にいるシーク教徒の警官は、しょっちゅう英国人のボスにけしかけられて中国人群衆に襲いかかっていた。

(略)

 徳富蘇峰は、第一次世界大戦を世界制覇をねらう西欧の内輪喧嘩と見ていたが、勝敗のゆくえがどうであれ、日本を取り巻く環境に面倒が起きることを懸念していた。日本は、欧米の支配を未然に防ぐために東アジアへ歩を進めなければならぬと書く蘇峰には、大川周明のアジアモンロー主義に共鳴するところがある。これら超国家主義者でもある汎アジア主義者たちは、アジアがヨーロッパ人支配者から解放されて日本人がこれを活性化することを夢見始め、タゴールを、アジア全域にわたる親日的な自由解放運動の格好の協力者と見ていた。

 だが、それはタゴールヘの片思いであった。彼はインドを発つしばらく前から、日本の進行について危惧を抱き始めていた。「日本がインドを欲しがっているのはほぼ確実だと思います」と、彼はイギリス人の友人に手紙を書いている。「日本は飢えています。韓国をむしゃむしゃ食っている最中ですし、中国にはかぶりつきました。日本が次の食事の機会を得る日、それはインドにとって不運の日となるでしょう」。ラングーン、ペナン、シンガポールと、アヘン取引にたずさわっていた祖父の足取りをたどるかたちになった長い道中、彼の気分はすぐれなかった。立ち寄る港の先々で、空を汚す煙突、光と騒音を目の当たりにし、彼は「世界を我欲で切り裂く貿易の怪物」を、口をきわめて罵った。香港では、中国人労働者を叩きのめすシーク教徒を見て愕然とする。

 香港でせっせと働く中国人労働者を見ながら、彼は未来の国際関係上の勢力の均衡について鋭い予言をした。「現在、世界の資源を保有している国々は中国の興隆を恐れ、その日の来るのを先延ばしにしたがっている」。(略)

「新しい日本とは西洋の模倣であります」と彼は、日本の首相をはじめとした高位高官が出席する東京での公式歓迎会で表明した。この演説は聴衆の不評を買った。(略)

 故国に送った長い手紙のなかで、タゴールは、彼の忠告を日本人たちが「負け犬の詩」として歯牙にもかけなかったのはとても「正しい」ことだったと辛辣な書き方をした。

(略)

 1923年にタゴールの訪中が決まるやいなや、中国人知識人のあいだで議論が噴出した。急進派の小説家、茅盾などは、かつてタゴールを翻訳したことがありながら、彼が中国の若者に与えかねない有害な影響を心配していた。「われわれは東洋文明を声高に称賛するタゴールを歓迎しないことに決定した。国内では軍閥から、国外では帝国主義者から虐げられているわれわれには、夢を見ている時間はない」と書いている。ホスト役としてタゴールを迎えた梁啓超はすでに若い急進派の攻撃を受けていた。(略)

タゴールは「うちに帰れ、亡国の奴隷!哲学は不要、物質主義が必要!」などと大書したスローガンに迎えられた。(略)

タゴールのことを、西洋の知識に対して一歩も譲らぬ敵対者と見なすことは、彼の世界観を間違って解釈することになる。(略)「われわれの心と精神を西洋から遠ざけようとするわれわれの現下の闘争は、精神的自殺を試みているようなものです」[とガンディーの自由運動をけなしているし](略)

中国の急進派に描かれたカリカチュアと違って、ロシア革命のような、新しい社会的・政治的実験を評価する姿勢があった。

(略)

中国から日本へ渡ったタゴールは(略)[排日移民法により]その後二十年間にわたり日本に吹き荒れることになる反米感情の第一の波を惹起した。(略)

「さて、世界大戦のあと、あなたたちは国家精神を非難する声、人々の心を硬化させた集団的エゴイズムを非難する声、そういう声を耳にしなかったでしょうか?」(略)

自分たちのほうが道徳的に優れていると思っている西洋人たちについて、彼は語った。「民主主義を標榜しない私たちは、人間としての責任と信義を重視しているのです」と力説する。「しかしあなた方は、民主主義という偽りの名前を帯びた、何が何でも先天的に優越でありたいという信仰の病に伝染したがってはいませんか?」

 タゴールは過去の講演で受けた拍手喝采の記憶を引きずっていたのかもしれない。彼が初めてやってきた1916年の日本とは違って、1924年の日本ははるかに国家主義的な国になっていた(略)

 彼は黒龍会の精神的リーダーであった超国家主義者、頭山満に会った。頭山はアジア大陸への日本の拡張に専心し、アジアが陣頭に立って精神的復興をめざすというメッセージを繰り返し発していた。タゴールは、こうした汎アジア主義の提案者たちが、それよりも攻撃的なことを意図しているとは思ってもいなかった。

(略)

[1929年]日本へ戻ってきたタゴールは、日本が「西洋モデル」に従って帝国主義国になりつつある全容を理解し始めた。韓国から来た学生が、彼らの母国に加えられている日本人の残虐行為をタゴールに説明し、また直接聴取した中国の現状報告によって、1929年の時点でほとんど衰弱しきっていた同国に対する日本の侵略構想が明らかにされた。その機会に頭山満に会ったタゴールは、舌尖鋭く詰め寄った。「あなたはヨーロッパ帝国主義の病毒に冒されてしまっている」。頭山はタゴールをなだめようとしたが、二度と日本には来ないとタゴールは宣言した。(略)

 1935年、タゴールの古くからの親友、詩人の野口米次郎が彼に宛てて、日中戦争における日本側の支持を乞う手紙を書いた。それは「アジア大陸に偉大な新世界を構築する」ための手段なのだから、「アジアのためにするアジア」の戦争なのだから、と。タゴールは、野口のアジア構想は「しゃれこうべの塔」の上に築かれるのだろう、と返事をした。「確かににもっといい有効な道徳規範はどこにもなく、西洋のいわゆる文明的な人々も負けず劣らず野蛮だ」と書き添えた。しかし「私を彼らに差し向けたとしても、私には何も言うことはない」。野口は引き下がらず、中国における共産主義の脅威を指摘した。タゴールはこう返事をした。「私が愛する日本国民に、成功を祈ったりはしない。悔い改めることを期待する」

 このようにして、アジアの精神的文明復興の夢は潰えた。確かに「精神的」とはあまりに曖昧な言葉だった。(略)

 1938年、人生の晩年に近づきつつあったタゴールは絶望していた。「私たちは不幸な人間の群れだ。誰を仰ぎ見ればいいのだろう?日本に見入っていた日々は終わってしまった」。三年後に彼は死ぬ。中国でタゴールを迎えた梁啓超は、56歳という若さで1929年に死んだ。その四年前に康有為は死に、梁啓超は追悼の辞を述べ、かつての恩師を改革派の先駆者と讃えた。ベトナム人の潘佩珠は刑死を免れたがフランス人によって政治的に去勢され、1940年に古い王宮の町フエで没した。それぞれの人生の最後の十年間、国内自強運動の草創期にかかわったこれら唱道者の大半は、硬派の政治イデオロギーの興隆には冷淡になってゆき、自国内の政治に関与することはなくなっていた。ほかの地域、エジプト、トルコ、イランでも、失望したイスラーム近代派は強硬な共産主義者、ナショナリスト、原理主義者たちからわきへ追いやられた。(略)新しいタイプの好戦的ナショナリストや反帝国主義者が台頭しつつあった。彼らの多くは無我夢中になりやすい「東洋の学生」で、彼らについてタゴールは、最後のエッセイのある一篇で警告を発していた。

 国家利己主義という丹精込めて育てられた有毒な植物が、その種を世界中にまき散らし、東洋の青二才の学生たちを喜ばせている。なぜかというと、その播種から得られた収穫――永遠に自己再生を繰り返す対外嫌悪という産物――が西洋風の名前のついた仰々しきものだからである。偉大なる文明が西でも東でも繁栄したのは、いつも人間の精神をはぐくむ糧を生み出したからだった。……だがそうした文明も、昨今の早熟学生のようなタイプの男たちの手にかかって、ついには死に絶えた。頭がよくて、底の浅い批判が得意で、自分に惚れ込み、利潤と権力がからむ場所では狡猾な取引に長け、その場限りの事柄をあやつることでは腕が立ち……最終的には自暴自棄の激情に駆られて隣家に放火してみたものの、自分たちも炎に巻かれてしまったのである。

 1938年の時点では、芝居がかった表現に感じられたろう。だがタゴールは、日本によるアジア大陸の侵略を皮切りに、アジア全体に猛烈な憎悪が解き放たれることを異常なほどに警戒し、恐れていた。(略)

[1930年ニューヨークのパーティーでタゴールはこう認めた]「この時代は西洋のものであり、人類はあなた方の科学に感謝の念を表明しなければなりません」。しかし、と彼は言い添える。「あなた方は不幸な人々を搾取し、科学の恩恵を受けない人々を侮辱しました」その後に続く十年間に起きた出来事が証明するように、数多くのアジア人にとって、解放とはテーブルをびっくり返し、西洋の御主人に赤っ恥をかかせることと同義だった。この驚異的などんでん返しは誰もが予想しなかった早さで、またタゴールが懸念した以上の残酷さをともなって現実となった。そして日本がその主役となるのだった。

次回に続く。