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2017-01-30 ブロックチェーン・レボリューション このエントリーを含むブックマーク

逆のパターンになるんじゃない?というビットコインの夢のような話が続くので、ホンマけ?と思ってたら、第10章で問題点が列記されていた。著者としてはあえてバラ色の未来を強調してみたということなのだろうか。


ブロックチェーン・レボリューション ――ビットコインを支える技術はどのようにビジネスと経済、そして世界を変えるのか

作者: ドン・タプスコット, アレックス・タプスコット, 高橋璃子

メーカー/出版社: ダイヤモンド社

発売日: 2016/12/02

|本| Amazon.co.jp

インターネットの帰還

 インターネットの始まりにあったのは、若きルーク・スカイウォーカーの精神だった。(略)

 それまでメディアは巨大な権力にコントロールされていて、みんな黙ってその情報を受けとるしかなかった。でもインターネットという新たなメディアでは、世界中の人びとが主役だ。発言力は広く行きわたり、人びとはもはや無力な受信者ではなくアクティブな発信者になる。

(略)

 そうなるはずだった。

 実現したこともいくつかある。ウィキペディアやリナックスのようなマス・コラボレーションが登場し、通信とアウトソーシングのおかげて途上国にいてもグローバルな経済に参加しやすくなった。いまや20億人の人がソーシャルにつながりあい、以前ならありえないようなやり方で情報にアクセスできるようになった。

 ところがやがて、帝国の逆襲が始まった。大企業や政府は、インターネットが持っていた民主的なしくみをねじ曲げ、自分たちの都合のいいようにつくり変えてしまったのだ。

 大企業や政府はインターネットの支配者となった。

(略)

 インターネットの最初期に懸念されていたダークサイドは、そのまま現実になった。(略)

富の集中と固定化はますます激しくなった。(略)

 アマゾン、グーグル、アップル、フェイスブックなどの肥大化したネット企業は、僕たちがこっそりしまっておきたいようなデータまで大々的に収集している。人びとのデータはいつのまにか大企業の「資産」に組み込まれ、プライバシーや個人の自由という言葉は以前のような意味を持たなくなってしまった。

(略)

 ウェブは死んだ、と主張する人もいる。

 でも、そうとは限らない。

 ブロックチェーン技術は、こうしたネガティブな流れを押し返す新たな波だ。世界はついに本当の意味でのP2Pプラットフォームを手に入れた。これからどんどんすごいことが可能になるはずだ。

 僕たちはアイデンティティや個人情報を自分の手に取りもどせる。巨大な仲介者を通さなくても、自由に価値を創造して交換することが可能になる。

本物のシェアリングエコノミー

[ウーバーなどの]サービスは、本当の意味の「シェア」ではない。情報を集約することで成り立っているからだ。実際、彼らは「シェアしないこと」によって収益を得ている。(略)

 Airbnbによる集中管理は廃れて、そのかわりに分散されたアプリケーションが主流になるだろう(略)

部屋を借りたい人が検索条件を入力すると、ブロックチェーン上のデータからそれに合うものが抽出される。取引がうまくいって高い評価が得られれば、それがブロックチェーンに記録されて評価が上がる。誰かに仲介してもらわなくても、データがそれを教えてくれるのだ。

 イーサリアムの考案者ヴィタリック・ブテリンはこう語る。

 「たいていの技術は末端の仕事を自動化しようとしますが、ブロックチェーンは中央の仕事を自動化します。タクシー運転手の仕事を奪うのではなく、Uberをなくして運転手が直接仕事をとれるようにするんです」

金融機関

 ブロックチェーンは金融サービスを古くさい銀行から解き放ち、業界に競争とイノベーションを取り入れるだろう。利用者にとっては朗報だ。これまでは採算がとれないとかリスクが高いという理由で金融サービスからはじきだされる人が何十億人もいた。でもブロックチェーン時代になれば(略)

あらゆる業務が劇的に改善されるはずだ。みんなで同じ帳簿をシェアすれば、決済に何日もかかるようなことはなくなり、目の前であっという間に取引が完了する。

(略)

 金融機関の意図的な不透明性と細かく分断された監督体制のせいで、政府や規制当局も業界の実感をつかむのに苦労している。(略)

規制当局の使っているルールも時代遅れなものばかりだ。たとえばニューヨーク州の送金に関する法律がつくられたのは19世紀の南北戦争時代。お金を移動させるのに馬車を使っていた時代である。

 世界の人口の半数がスマートフォンを持っている時代に、なぜウエスタンユニオンの送金支店が世界50万箇所も必要なのだろう。(略)

 「銀行システムを使って中国に送金するのに比べたら、重たいハンマー台を中国に送りつけるほうがまだ早く着くんですよ。おかしいでしょう。お金はすでにテータになってるんですよ。札束を詰め込んで送るわけじゃないんですから」

(略)

ジョセフ・スティグリッツは金融危機を振り返り、「銀行はあらゆる手を使って手数料を引き上げてきた」と言う。(略)現代のテクノロジーを使えば送金コストなど微々たるもので済むはずなのに、実際は「商品価格の1%から3%、あるいはそれ以上が銀行のものになります。独占的な力にものを言わせて、とれるだけ絞りとっているのです。これを各国で繰り広げ、とりわけ米国では数十億ドルの利益を上げています」

(略)

 つぎはぎだらけの奇妙な怪物になりはてた金融業界だが、その寿命はもう長くない。近い将来、ブロックチェーン技術が業界をひっくり返すことになるからだ。

[ブライス・マスターズ]彼女はJPモルガンを辞めたあと、デジタル・アセット・ホールディングスというブロックチェーン関連のスタートアップを立ち上げてCEOに就任した。

  業界を騒然とさせる決断だった。ブロックチェーンの重要性を誰よりも早く見抜いたのだ。

 「1990年代のインターネットに匹敵する重要技術だと思っています。金融業界の業務は一変するでしょう」とマスターズは言う。

  初めは彼女もビットコインを誤解していた。ドラッグ売買やギャンブルの道具だとか、アナーキストが社会を壊そうとしているなどのあやしい噂が飛び交っていたからだ。でも2014年末に、変化がやってきた。

 「ふいに、ああそうかと気づいたんです。この技術にはすごい可能性があると。暗号通貨という使い方もおもしろいのですが、その根底にあるデータ処理技術のほうがはるかに重要なんです。」

 マスターズがブロックチェーンに惹かれたのは、「複数の関係者がひとつの情報を参照する」ことによってコストと時間が大きく削減できるからだ。情報を複製したり、関係機関のデータを取り寄せて照合したりする必要がなく、誰もが同じ情報を利用できる。「情報の形として最高です」と彼女は言う。

(略)

 「取引の実行から、複数取引のネッティング、誰が誰とどんな取引に合意したかという情報の照合、それらが取引の発生と同時におこなわれるわけです。現在の主流のやり方よりずっと速くなります」とマスターズは言う。

(略)

 「分散台帳技術の注目すべきところは、トレーサビリティ向上によってシステムの安定性を上げられる点です」

 ブロックチェーンなら情報はすべて明確に記録されていて、いつ誰が何をしたかは一目瞭然だ。改ざんできないタイムスタンプもついている。検索はスムーズで、おかしな数値にアラートを設定するなどの使い方も可能になる。

「規制当局の仕事はかなり楽になるでしょう」

(略)

 シリコンバレーの冒険者たちは、既存の銀行を恐れない。元グーグル幹部でソフトウェア・エンジニアのスレッシュ・ラマムルティは、カンザス州のウィアーという町にあるCBW銀行を買収して周囲を驚かせた。ウィアーは人口650人のちっぽけな町だ。ラマムルティはここを実験室にして、ビットコインベースの無料国際送金サービスを軌道に乗せたいと考えている。

 ブロックチェーンで成功するためには、金融サービスの内情を知らなくてはだめだ、と彼は言う。「業務知識なしでやろうとするのは、壁に窓の絵を描くようなものです。見た目だけきれいでも意味がありません。ちゃんと建物の中に入って、配管を知っている人間と話をする必要があります」

 銀行業務を知るため、スレッシュはこの5年間でCBW銀行のあらゆるポジションを経験した。CEO、CIO、コンプライアンス最高責任者、窓口担当、用務員、それにもちろん配管係。銀行を内側から知り尽くし、新たな動きに出ようとしている。

会計

 「会計士というのはキノコのようですね。暗くてじめじめしたところに閉じ込められて」

(略)

 コースの定理で有名な経済学者ロナルド・コースは、会計学を「カルト的」と評している。(略)

 「会計士に預けられる帳簿といったら、まるで聖典のような扱いでした」と彼は言う。「減価償却や資産評価や製造間接費の配賦など、計算方法がいくつもあるわけです。どれを選ぶかで出てくる結果はばらばらなのですが、どの計算方法もすべてまっとうなやり方とされています」

 そのうえ、ほとんど同じような計算方法がなぜか認められなかったりする。(略)

 現代の会計には大きく4つの問題点がある。

1 帳簿の管理が企業の経営者にまかされている

[エンロンその他を見れば明白](略)

2 ヒューマンエラーを防げない

[ちょっとしたタイプミスが重大な問題へと発展する](略)

3 抜け道が多すぎる(略)

[どんな内部監査規定をつくっても]不正を隠そうと思えばどこにでも隠せるのが実状だ。

4 時代遅れである

(略)たとえば、大半の会計ソフトウェアはマイクロペイメントに対応していない。

(略)

「銀行にはいろいろと報告する義務があるわけですが(略)記録が内部のシステムにしまい込まれているせいで、手間がかかっているんです」

(略)

[複式簿記にブロックチェーンを追加してはどうだろう]

 「監査をする人が利用できるのは、内部でコントロールされた不透明な記録だけです。それぞれの銀行や企業が使っている会計システムに頼るしかないんです。でもブロックチェーン会計なら共通のやり方で自動化できて、その企業が健全かどうか、体力があるかどうかを簡単に確認できます。会計や監査だけでなく、監督業務の大部分が自動化できると思います」

 バランス社では、すでにイーサリアムを使った三式簿記会計システムの開発に取り組んでいる。同社のクリスチャン・ルンドクヴィストは言う。

 「不正をすることは非常に難しくなります。後から数字をいじることができないので、不正をしようと思ったらその場でやる必要があるんです」

 オースティン・ヒルも同じ意見だ。

「ネットワークが正しさを保証しているので、数字が正しいかどうかを疑う必要はありません。言ってみれば、ブロックチェーンの暗号のなかに監査が組み込まれているのです。会計事務所に頼る必要はありません。帳簿にそう書いてあれば、それが真実なのですから」

スマート著作権

 これまでのインターネットでは、クリエイターに適切な対価が支払われないことが多かった。仲介する組織や企業が、著作権マネジメントなどを口実に対価を横取りし、知的財産の価値をどんどん下げていたせいだ。

 ブロックチェーン技術を使えば、クリエイターは自分の作品の対価を正しく受けとることができる。

 アスクライブ社では、アーティスト自身がデジタル作品をアップロードし、本物であることを証明する「透かし」をつけて流通させるプラットフォームを提供している。作品はビットコインのようにブロックチェーン上で送信できて、現在の正当な所有者以外は利用できなくなる。これは「二重使用の防止」に目をつけた画期的な解決策だ。知的財産のコピーは大きな問題となっていたけれど、ブロックチェーンがその問題をエレガントに解決するのだ。

 いつどこで誰に利用を許可するか、今後はアーティストが自分でコントロールできるようになる。

(略)

 モネグラフ社も同様のサービスを提供している。(略)ビットコインと同じように公開鍵と秘密鍵を利用し、作品のデジタル権利書を発行する。おもしろいのは、モネグラフがこの権利書をツイッターに投稿する点だ。すべてのツイートは米国議会図書館に保存されるので、その記録を見れば正当な権利者がすぐに確認できる。作品はブロックチェーンとソーシャルメディアによって二重に保護され、アーティストは安心して作品を公開できる。

パラダイスか悪夢か

 リバタリアンはおおむねビットコインに好意的だ。なんといっても分散型で政府の支配を受けにくいし、匿名なので課税されにくい。価格は誰にもコントロールされず、純粋な市場原理で動いている。大統領選の資金集めにいち早くビットコインを取り入れたのが、保守派で知られる共和党のランド・ポールだったのもうなずける話だ。

 リベラル派の人たちは、リバタリアンのこうした動きに眉をひそめる。ビジネス・インサイダーUK誌の創刊者ジム・エドワードは、政府や法律や税金に縛られないリバタリアン的パラダイスを「ビットコイニスタン」と呼び、「悪夢以外の何物でもない」と評した。

「混乱とカオスが広がり、犯罪者が幅を利かせて気に入らない人間を殺す世界だ。富は一箇所に集中し、今のアメリカの富を握る1%よりもさらに少数の人たちが世界の富のほとんどを所有するだろう」

  • 第10章

乗り越えるべき10の課題と、その解決策

課題1 未成熟な技術(略)

大量アクセスに対するキャパシティ不足

 ギリシャの経済危機のときに国民がビットコインのことを知っていたら、人びとがいっせいにビットコインを買おうとして大混乱になっていたことだろう。(略)

 状況は現在もあまり変わっていない。国レベルで人びとが通貨をビットコインに変えはじめたら、今のネットワークでは対応できないはずだ。(略)

 とつぜん大量のユーザーがなだれ込んできたら、処理がパンクして予期せぬエラーが起こったり、不慣れなユーザーがおかしな操作をしてお金を失ったりしてしまうかもしれない。そういう事態を避けるための対策が必要だ。

洗練されたツールの必要性

 もうひとつの問題は、一般ユーザーがすぐに使えるようなツールが整っていないことだ。(略)

難解な専門用語や、数字とアルファベットの羅列を見て、普通の人はやる気をなくしてしまうだろう。

(略)

長期的な流動性に対する懸念

 ビットコインの発行量は最大2100万と決められていて、西暦2140年頃には新規発行が停止する。それまでの期間は、新規発行量が徐々に減少するようにプログラムされている。(略)

「言うなれば貴金属のようなものだ。価値を一定に保つために供給を変化させるのではなく、事前に決定された供給量に応じて価値が変化するのである。

(略)

 ちなみにウォレットをなくしたり、コインを送信した先の人が秘密鍵を忘れてしまったりした場合、そのコインは二度と取りもどせない。誰にも使われないままブロックチェーンの片隅で眠りつづけることになる。だから実際の流通量は、2100万コインよりもいくらか少ない量になる。

(略)

 また、通貨の全体量が限られているとはいえ、ビットコインは小数点以下8桁まで分割できる。つまり、非常に小さな単位で多くのものが買えるようになる可能性があるということだ。今後ビットコインの需要が増えれば、さらに小さな単位まで分割可能になるかもしれない。あるいは、迷子になったビットコインを一定期間後にふたたび採掘可能にするというやり方も考えられる。

(略)

ユーザーの過失をどう防ぐか

 人びとは銀行やクレジットカード会社に頼ることに慣れきっている。パスワードを忘れたら再発行してもらえばいいし、クレジットカードをなくしても利用停止して新しいカードをつくってもらえばいい。(略)

 でもビットコインなどの暗号通貨では、バックアップの癖がないと困ることになる。(略)何かが起こったときの責任を自分ですべて負わなくてはいけない。

(略)

社会との関わり(略)

 「お金から社会的側面を取りのぞくことは不可能です」とフィナンシャル・タイムズ紙のイザベラ・カミンスカは言う。「絶対主義的なアプローチで社会と無関係なシステムをつくろうとした試みもありますが、それでは世の中のあり方が反映できません」

 たとえばユーロは、ひとつの尺度ですべての国の経済に対応しようとしているが、そこにはどうしても綻びが出てきている。

 「お金の世界では、記録を消去することもひとつの伝統です。なぜなら、人は10年以上も前の行動で責められつづけるべきではないからです。人生はやり直しがきくものでなくてはいけません。ですから、記録が永遠に消えないシステムというのはどこか異常な感じもするのです」

(略)

法的トラブルの可能性

 やり直しがきかないという問題は、スマートコントラクトの窮屈さという問題にもつながってくる。(略)

 これほどまでに高い確実性を持った取引や契約は、これまで社会に存在しなかった。契約が強制力を持てば、社会はより効率的に機能するだろう。でもその一方で、人の裁量や妥協の余地がまったくなくなってしまう。(略)

 さらにアンドレアス・アントノプロスは、人のアイデンティティが脅かされるのではないかと指摘する。

「(略)もしもアイデンティティを融通のきかないデジタル世界に移してしまったら(略)ファシスト的な恐ろしいものになるはずです」(略)

機械が人びとを支配するディストピアが出現するのではないか。デ・フィリッピとライトも、その点を危惧している。

 「法的な安全装置が存在しない状態で、分散化された組織の高度なネットワークが人の行動を規定するのです」

(略)

課題4 既存の業界からの圧力

(略)

 「金や権力でネットワークを支配しようとする者が現れたら、ビットコインから分岐して新たなネットワークに移行してしまえばいいんです」とブロックチェーンのプロダクト・リードを務めるキオニ・ロドリゲスは言う。

 けれど、大企業や政府が大量のマイナーたちを買収してビットコインに悪意ある攻撃をしかけてきた場合、それを防ぐ方法はあるのだろうか。

 理論的には、全マイナーの計算能力の過半数を手に入れると、任意の取引を承認してブロックチェーンに登録することが可能になる(51%攻撃)。好きなだけ不正ができるということだ。さらに仕様変更への発言力も強まり、自分たちに有利な仕様変更を加えることができるようになる。

(略)

課題6 ブロックチェーンが人間の雇用を奪う(略)

ブロックチェーンは自動化を劇的に推し進める。(略)自動運転車はUberのドライバーを不要にするし、デジタル通貨は世界に50万店舗あるウエスタンユニオンの支店を不要にするだろう。(略)

 もちろん、悲観的な側面ばかりではない。

 途上国ではブロックチェーンと暗号通貨によって起業しやすくなり、貧しい地域に新たな雇用が生まれる可能性がある。数億人の新たなマイクロ株主が登場し、経済活動が盛んになるかもしれない。国際的な援助も今よりずっと効率的になり、政府の透明性が高まって腐敗が減るだろう。政治の改善は経済と雇用の改善につながるはずだ。

(略)

課題8 自律エージェントが人類を征服する

 高度に分散化されたネットワークには、いい参加者もいれば悪い参加者もいる。(略)

ブロックチェーンを使えば、アノニマスの資金調達は今よりずっと簡単になるだろう。クラウドファンディングでビットコインを調達し、その資金を使ってテロの容疑者を暗殺するということも考えられる。そうなった場合、事件の当事者は誰になるのだろう。資金を1ドルだけ出資した人は、暗殺の法的責任を問われることになるのだろうか?

 また、コンピューターの倫理という問題もある。スマート自動販売機に利益率の高い商品を仕入れるようプログラムしておいたら、違法な商品やドラッグを売るようになるかもしれない。

(略)

[分散型]企業のオーナーは、どうやって全体をコントロールするのか。コンピューターによる敵対的買収にどう対応するのか。

 たとえば分散型のウェブホスティング企業を所有し、各サーバーに経営への発言権を与えているとしよう。人間のハッカーまたはコンピューターのマルウェアが、仲間のサーバーを装って経営判断に投票し、会社の害になるような意見を過半数で通してしまうかもしれない。従来の企業の場合、何かがおかしいと気づいて社内で再調整がおこなわれるだろう。でもDAEの場合は、そのまま最悪の事態に突き進む可能性が高い。悪意ある参加者は会社を売り払うかもしれないし、内部のデータを流出させたり、データを人質にとって身代金を要求したりするかもしれない。

(略)

 「10万台の冷蔵庫が結託して銀行強盗をはたらく可能性もあるわけです」

(略)

課題9 監視社会の可能性(略)

 ブロックチェーンは匿名性の高いネットワークだが、情報はオープンにされている。人びとの情報を収集したい企業や、サイバー戦争に勝利したい国家は、血まなこになってブロックチェーンの情報を分析するだろう。そこにはあらゆる価値が詰まっているからだ。(略)

 IoTでネットワーク化されたデバイスが勝手にデータを収集・分析し、人の一生を台無しにするような情報を公表する可能性もある。

(略)

たしかにブロックチェーンを使えば、自分でかなり情報を制御できる。とはいえ情報をうまく遮断するためには、よほど神経を尖らせている必要があるだろう。

(略)

アン・カブキアンが強調するのは、プライバシーをデフォルト設定にすることだ。ユーザーをデザインの中心に置き、エンド・ツー・エンドのセキュリティを確保し、必要なくなったデータはすみやかに消去する。ユーザーのプライバシーを尊重すれば、ブランドに対する信頼も上がるだろう。「ウィン・ウィンの関係が築けると思います。ゼロサムである必要はないんです」とカブキアンは言う。

 「ただし、実行するには強い意志が必要です」とマシエ・セグロウスキは付け加える。「人びとを監視するビジネスモデルをきっぱり捨てるわけですから、もちろん痛みを伴います。なんとかして新たな法律を通す必要もあるでしょう。

(略)

課題10 犯罪や反社会的行為への利用

 ビットコインが出始めたころによく聞こえてきた批判は、犯罪に利用されるのではないかというものだった。(略)

 でもビットコインやブロックチェーン技術が、その他の技術よりも犯罪に向いているというわけではない。明確な記録が残るので、むしろ取り締まりやすいという意見のほうが多いくらいだ。

(略)

将来的には量子コンピューターという大問題も控えている。量子コンピューターの計算能力を前にして、現在の暗号はまったく役に立たなくなるかもしれない。スティーブ・オモハンドロは言う。

 「量子コンピューターは、きわめて大きな数字の素因数分解をきわめて高速に実行できると考えられています。そして公開鍵暗号の大半はそういった素因数分解で解ける性質のものです。

(略)

 あらゆる革新的な技術がそうであるように、ブロックチェーンに対してもいくつかの競合する見方がぶつかり合っている。コア開発者のコミュニティ内でもいくつかの派閥が生まれ、別々の方向性を主張しはじめた。元米国政府アドバイザーで現MITデジタル通貨イニシアティブ代表のブライアン・フォードは、次のように述べている。

 「ブロックサイズをめぐる議論を見ていると、本当に問題はブロックサイズなのかと疑問に思えてきます。表面的にはブロックサイズの話をしていても、その奥にはガバナンスをめぐる議論が隠れているのです」

2015年1月には、主要なコア開発者のマイク・ハーンがコミュニティに背を向け、ビットコインはもうすぐつぶれるだろうと予言して去っていった。彼はそのときの手紙のなかで、重要な技術的仕様の問題がいつまでたっても解決されないことや、開発者たちの対立と混乱が存在することを嘆いている。そんな状況では成功するわけがないというのだ。

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中央銀行が終わる日: ビットコインと通貨の未来 - 本と奇妙な煙

2017-01-27 ジョンがポールと出会った日 このエントリーを含むブックマーク

ジョンがポールと出会った日を描いた本。


ジョンがポールと出会った日 (ハッピー・ブックス)

作者: ジムオドネル, 南風椎, Jim O'Donnell, 吉田真知子

メーカー/出版社: 東京FM出版

発売日: 1998/12/10

|本| Amazon.co.jp

リバプール

 リバプールは砂岩でできた丘陵地帯に位置しています。もともと「リバプール」という名は「斜面の集まり」という意味のノルウェー語に由来しています。

(略)

 戦争が残したリバプールの傷はなかなか癒えません。地面は爆撃の跡ででこぼこに穴があき、その上に草が生い茂り、町の中心部はまるで修理をくり返した靴のように見えます。戦争はリバプールをぬれた真っ黒な石炭に変えてしまいました。

 午前四時三十一分。

 黒いすすにおおわれた穴ぼこだらけのこの町は「英国という月」の裏側のようです。うすいグレイの空が、ドック・ロードで燃えつきて捨てられた車の亡骸に、毛布をかけてあげているようです。

「メンローブ・アベニュー」

[市の中心の波止場から5キロ南のウールトン地区メンローブ・アベニューにはジョンの家]

 この地域は、工業都市リバプールというさびついた指輪で輝いているエメラルドです。空気がきれいで、静かで、時間がゆっくりと過ぎていく町。たくさんの公園、教会、店、そしてドアに鍵をかけたことなんてない家々。この宝石のような町は、そんな素敵なもののパッチワークでできています。

 とても気品のある町です。大きなひとつの公園のように、いつもきれいにしておくことを、住民は心がけています。1957年になっても、ここにはスーパーマーケットさえなく、近代化を拒んでいました。

 人々は家庭を中心にして、自然が生み出す不思議なことからも目を離さず、充実した毎日を送っています。名声なんてここではなんの価値もありません。そんなふうな平和なやり方が、うまく機能している地域です。

(略)

今日、ウールトンは、一年で一番大切な日なのです。セント・ピーターズ教会が毎年夏の初めに開くガーデン・バザーの日です。

 けっして国際親善に積極的とは思えない地区ですが、この催しは、パーティであり、バザーでもあり、パレード、食事会、ダンス・パーティ、カーニバル、サーカス、コンサート、そしてピクニック。それらすべてが、ひとつになって行なわれます。

 どこの家庭もなんらかの形でこのイベントにかかわりがあり、みんながこの日を楽しみに待っています。子どもも大人も、若者も年をとった人も、ほとんどの人々が参加するイベントです。

語呂合わせ

若いレノンにとって「アイデア」という言葉は、実際のところ「アイ ドリーム」と同義語だったのです。だからノートの中身は奇想天外です。ウィットのあるアプローチ、反抗的な調子、型破りなスタイル。

(略)

 小さい頃のレノンは、スティーブンソンを楽しく読んでいましたが、ティーンエイジャーになってからは、自分が今いる場所こそ、自分の宝島なのだと思うようになりました。(略)

 こうしてこの若者は、リバプールという宝島に埋められた財宝を探し始めました。風景の中に、音楽の中に、道路に、魂に、リバプールに伝わる物語の中に。

(略)

 青年に成長した今でも、彼は子どもの耳を持ち続けています。音に遊びを発見したのです。声の音、毎日の暮らしの音、体の音、楽器の音、自然の音。すべての音の中に、彼は無限に続くものを聴きとり、そんな音と飽きることなく遊びます。

 彼の語呂合わせは明らかに意図があります。例えば、エリザベス女王の妹、プリンセス・マーガレットの名前は、彼の耳には「プライスレス・マーガリン」と聞こえるのです。彼が「何を言っているかわからない狂人(バブリング・ルナティック)」なのか「若き桂冠詩人(バディング・ローリエット)」なのかは誰一人わかりません。

(略)

 レノンは二階のバスルームで髪をとかしています。もう二十分近くこうしています。何度も何度も何度も、髪をうしろへなでつけます。彼の髪は暗い赤毛。(略)

 ジョンは鏡をのぞき込み、くしで髪をとかし続けます。鏡から目を離し、くしを見ます。思い出しました。これはペニー・レーンの「ウールワース」店で買ったくしです。売り場の女の子の瞳が、カリブ海のようなブルーだったという記億もよみがえります。

 彼は手を止めて、自分自身の目を見ます。くし(コーム)、地下墓地(カタコーム)……彼は、思考の深みにもぐりこみ始めます。数秒間、まったく動きません。それから、彼はまた髪をとかし始めます。

 今日、この十六才の若者が特別念入りなのは、午後、ロックンロール・ショーに出演する予定なのです。くしにグリースをつけて、サイドの髪をバックになでつけ、前髪は前に。額にかかる髪は反逆の旗印です。

ロックンロール

[母]ジュリアは飼い猫にエルビスと名前をつけるほど、ロックンロールが好きです。

 1956年のある日、ジュリアはジョンに、蓄音機でエルビス・プレスリーのレコードを聴かせました。(略)それは、新しい出発でした。解放でした。(略)

十代の秘密で織られた魔法のじゅうたんで滑空する「肉体を離れた声」を聴いている気がしました。

(略)

 彼にとって、このうるさい音楽の一番重要な点は、音のしない、ある「感じ」を彼にくれるということです。「強さ」という感じ。「楽しさ」という感じ。「解放」という感じ。

 「罪悪感がない」という感じ。ロックンロールは、はっきり見えなかったものを、はっきりさせてくれる気がします。人生は階級やお金、学校に支配されているという考えを消し去ってくれます。

 この音楽は若者に、あるメッセージを送ります。

 若いということは、たぶん、きっと、いや絶対に、楽しいことなのだ。成功はたぶん、きっと、いや絶対に、勝ち取るものなのだ。抑圧に対しては、もしかしたら、おそらく、いや何があっても、闘わなければならない。

 人生をこんなふうに感じているのは自分だけではなく、まるごとひとつの国、まるごとひとつの世代が同じように感じているのだ、ということも教えてくれます。

 若いジョン・ウィンストン・レノンは、自分の人生について確信を持てるものは何もありませんでしたが、これだけは確かでした。

 これまで知っていたものの中で、ロックンロールが、一番真実だ。

ポール

十五才になってから二週間と四日しかたっていません。彼は広い通りに面した部屋が六つある家に、父親と弟と一緒に住んでいます。家の前に大きなモクセイの垣根があって、裏庭に丈夫なりんごの木が植えられています。

 一家の生活は、労働者階級からようやく抜け出し、中流階級を目指しているといったところです。公営住宅ですが、この家はもっといい暮らしをしたいという希望であふれています。

 この若者の母、メアリー・マッカートニーは、家族の中で一番、イギリス社会のはしごを登ることに熱中していました。優しいけれど強い女性だった彼女は、家族と仕事に自分を捧げ、看護婦から巡回看護婦、そして地域助産婦へ昇進していったのです。毎朝、籐かごのついた小さな自耘車で仕事に出かけていきました。

 夫婦二人で働きながら、何度か引っ越しをし、そのたびに住所をいいところへ変えていきました。そして1956年の夏、アラートン地区フォースリン・ロード20番地に引っ越してきたのです。

(略)

引っ越してから、数ヵ月後の1956年10月31日、メアリー・マッカートニーは癌で亡くなりました。とても信仰心の強い女性だったメアリーは、痛みで苦しんでいる日には片手に十字架を、もう片方の手には牧師の写真を握りしめていました。

 妻を亡くしたジムは、自分の頼りない収入だけで、二人の子どもを育てていかなくてはなりません。戦後不況の真っ只中、リバプール綿花取引所で働く父親は、週に八ポンド(約八千円)しか稼ぐことができません。

石切り場

教会の広場と隣接している砂岩の石切り場は、広場の乗り物よりももっと厳重に監視されています。(略)ここに、つるはしとダイナマイトで石を切り出し、毎日町へ運ぶ男たちがいます。それが石切工(クオリーメン)です。

 この豊富な石で作った建物は、リバプールのあちこちに見ることができます。ウールトン地区のセント・ピーターズ教会、そして大聖堂。リバプールの多くの家とか学校も、ここからの石で作られます。

 1957年以前は、この石切り場は険しい崖でした。そのため、教会の広場と石切り場の間に石の塀とフェンスが張りめぐらされています。今日のバザーが開かれている間は、フェンスの前に何人かの男性がいて、子どもが乗り越えないように見張っています。

クオリーメン登場

 メガネをかけていない上に、アルコールの霧に包まれた状態だったので、かすんだ目に映るかすんだ景色を見ているだけです。(略)

 ジョンはハローと言って、バンドを紹介します。二個のグレイのホーン型スピーカーが、その声をはっきりと運びます。夏のそよ風に、刺激的な潮風が混ざったような声。

 バンドは突然一曲目に入ります。むし暑くてネバネバした空気の中へ、音のシャワーを浴びせます。錆っぽい、キンキンの音です。この音楽は、近くのリバプールの死者たちの墓石にはね返り、低く垂れたリバプールの空ヘロケットのように飛んでいきます。

 ステージの前で、まだ歯の生えていない赤ちゃんが、母親の腕の中で泣きわめきます。太ったリスがステージの下から、裏の木立へあわてて駆けていきました。

 この若者の音楽は伝統のバザーのムードを切り裂きます。ゆったりした午後を織りなすタペストリーをずたずたにして、十代の震える糸にしてしまいます。音の波は広場全体に押し寄せ、包みこみ、すべての人の鼓膜を洗い流します。

 観客はトンカチで頭を殴られた気分で、ほかのものに目がいきません。みんな口をつぐみ、眉をつり上げ、バンドのいるステージヘ向かいます。ほとんどの人は最初、音響装置がイカれたのだと思いました。

 教会の催しだと言うのに、こんな底ぬけのバカ騒ぎをする人が、ウールトンの世界にいるはずがありません。しかも教会はすぐ隣です。セント・ピーターズ教会から、優雅に流れてくるコーラスとは全然違います。驚くべき不調和!音楽が今にもスピーカーから飛び出して、牧師を叩きのめしそうです。

 一体何が起こっているのか、みんなが理解するまでに少し時間がかかりました。最初の衝撃のあと、多くの人は、この激しい音は何かわからないけれど楽しい、と感じました。この音楽を理解しようとする人たちの中には、歌っている若者の産みの母ジュリア、ミミおばさん、ほかに二人のおばさんもいます。そのテイーンエイジャーがステージの上にいるのを見て、ジュリアと二人のおばさんは誇らしげでうれしそうです。

 彼のおばさんであり、守護母でもあるミミだけは、違います。

ポール登場

 午後四時二十八分。クオリーメンが演奏を始めてから十分たちました。(略)ポール・マッカートニーが、自転車で教会の広場に到着します。自転車をフェンスに立てかけると、焼きたてのケーキのコロンを心地いいそよ風がはこんでいます。(略)

 マッカートニーは広場をぶらつきます。彼はギターを背負っていますが、体の一部になっているのでそのことさえ忘れています。太陽は彼の髪の毛を茶色に照らし、リバプールの地面は彼の影をあたたかく受けとめます。

(略)

 彼の丸い顔がレノンの方を向いて、そこでとまります。(略)

 急に太陽がまぶしくなり、ポールはズボンのポケットにひっかけていた片手をはずして、額にかざします。(略)

頭には、マイクの前に立つギタープレイヤーのことしかありません。彼以外のメンバー、世界のすべてがこの午後の暑さに溶けていきます。

 彼だけがもつロックンロールの感覚です。(略)

 細い体でしなやかに、すべるように動く十六才のジョン・レノン。(略)

 歌詞をすべて知らないので、若者は勝手に詞をでっちあげています。

(略)

ロックンロールの鼓動を聴いています。燃えたつ歌詞を聴きとりたくて、レノンの喉を見ています。(略)

彼がバンジョーのコードを弾いていることに気がつきます。(略)彼が全部の歌の、全部の詞を覚えているわけじゃないことがわかりました。彼のこんな限界がわかった上で、マッカートニーのレーザー光線のような目は、限界の向こう側にある何かを発見していました。

 第一に、レノンの創造的な即興性は、マッカートニーの心に深く刻みこまれました。(略)歌詞は全部知らなくても、彼はそれぞれの歌が一体何で勝利した歌なのかが、完全にわかっています。

 心に残った二番目は、そこにバンドが本当にある、という具体的な現実です。現実世界にそれが存在しているというシンプルな事実に、十五才の若者は感動しています。

邂逅

[紹介された二人は]互いに口をほとんどききません。(略)

二人の間には氷の壁がありました。(略)

 先に氷の壁を打ち砕いたのはポール、立ち上がって、隣にあったギターを取り、弾き始めます。(略)

相変わらずトゲトゲしいレノンは、胸で腕を組んだままです。この黒髪の坊やは少しエルビスに似てなくもないな、と考えています。ギターで何かましなことをやるには幼すぎる、とも。

 その数秒後、マッカートニーがギターに魔法をかけて、それをテューニングの合った一個の楽器に変身させていく光景を、レノンは見入ってしまうことになります。ロックンロールの本能に導かれるまま、このエルビスに少しだけ似た若者は、エディ・コクランの『トゥエンティ・フライト・ロック』をルーズな感じで弾き始めました。丸太にくいこんでいくノコギリのようです。

 声も、演奏も、動きも、素晴しく新鮮で震えてしまうほどです。ホールの緑色の壁を、彼が作ったビートがなぐり続けます。

(略)

 大きな教会の窓からさす光が、夢の中の光のようです。その先に浮かんでいる音楽が、レノンにはかぐわしい音符のブーケのような気がします。(略)

 レノンは口を開きかけ、でも言葉が出てきません。彼の舌はしばられたままです。(略)

 レノンは、もううっとりとマッカートニーから目を離しません。(略)

 二人の出会いです。(略)

 最後にマッカートニーは、たくさんの在庫を持つ記憶の倉庫からリトル・リチャードのメドレーを選び出しました。声をしぼり、ためらいもなく爆弾を一斉投下するように、かん高い叫びを投げつけます。

(略)

 演奏を終え、彼は肩ごしにのぞき込んでいるジョンに気がつきます。(略)彼はレノンに 『トゥエンティ・フライト・ロック』の弾き方について、自分の知識を教えてやります。クオリーメンのギタリスト、エリック・グリフィスもこの講義に出席します。

 そのあとマッカートニーは「もっといいもの」をレノンにくれました。『トゥエンティ・フライト・ロック』と『ビー・パップ・ア・ルーラ』の歌詞を書いてくれるというのです。(略)

 ペンが紙の上をすべり、きれいで読みやすい字が書かれていきます。そして二人に、魔法の指で最高機密であるギターのテューニング法を見せてくれました。

 レノンはこの素晴しい技術を見つめ、学び、吸収します。小さな氷が血管を流れていく感じがして、その瞬間、自分の音楽的地平線がぐんと広がったのを感じました。

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2017-01-25 ビートルズシークレット・ヒストリー・その3 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


ビートルズシークレット・ヒストリー―まるで今ビートルズがここにいるみたい

作者: アリステアテイラー, 野澤玲子

メーカー/出版社: プロデュースセンター出版局

発売日: 2003/11/01

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『マジカル・ミステリー・ツアー』

「ちょっとした計画を思いついたんだけどさ。今でもミステリー・バス・ツアーってやってるのかな」とポールは言った。

 僕は即答できなかったけれど、調べてみると約束した。ポールは子どものころ、どこだったか忘れたけれど、5シリング払って行き先のわからない観光バスに乗ったことが最高に楽しかったという。ポールに頼まれて、そんなバスがまだ存在するのかどうか調べるために、僕はレスリーを連れて1週間ほど海辺の町に行くことにした。(略)

[数日過ごし]

 その日は日曜日で、幸か不幸か、土砂降りの雨だった。窓の外に目をやり、がらがらの駐車場をぼんやり眺めていたときだ。派手な色の観光バスが入ってきたんだ。座席は満員で活気にあふれていたけれど、時代遅れの昔っぽい雰囲気が漂っていた。まさにポールが僕に話してくれたとおりなんだ。艶やかなイエローと不気味なブルー。「見つけたぞ」。僕は思わずナイフとフォークを落とし、大声をはりあげた。(略)

 「このバス、借りることってできますか?」。びっくりしている運転手に向かって、僕はいきなり聞いた。(略)運転手はまるで頭のおかしな男の相手でもするように僕を見て、「できますよお」と答えた。あんまりうれしかったから、運転手のバカにしたような態度は無視して、僕はバスを所有している会社の名前と住所と電話番号が記入されているカードをもらった。バス会社はフォックスズ・オブ・ヘイズという名前だった。

(略)

[出発前]車体全部に貼り付けたサイケデリックなパネルは、旅が進むにつれて歯抜けのようになった。どうしてかって?田舎道を猛スピードで走ったものだから、はがれ落ちたんだよ。

(略)

 大掛かりな撮影をしたのはウェスト・モーリー空軍基地だ。「ユア・マザー・シュッド・ノウ」のフィナーレのシーンは実に豪華絢爛だったよ。ビートルズは真っ白な燕尾服にシルクハットという衣装で颯爽と登場。白くて長い螺旋階段に並ぶダンサーたち。みんなをびっくりさせたいからって、ビートルズは自分たちの衣装のことを内緒にしていたんだ。この作戦は大成功だったよ。本当に息を呑むほど感動的だった。当時、バズビー・バークリー(注:アメリカの映画監督でブロードウェイ・ミュージカルの振付師)にぞっこんだったポールは、ペギー・スペンサー・フォーメーション・ダンス・チームを総出演させたんだ。遠方から何千人もの招待客がやってきた。ビートルズの4人が最後にもう一度だけマジカル・ミステリー・ツアーのバスに登場するっていう設定だった。しかも、ハーメルンの笛吹きみたいに大勢の群集を引き運れてね。おばあちゃん、赤ちゃんを抱いたママ、テディボーイの非行少年たち、ありとあらゆる人たちが集まってきた。ところが壮大なフィナーレの準備をしていると、突然、停電になったんだ。撮影現場の照明が一斉に消えて、真っ暗になった。日曜の午後だった。興味をなくした人々がにわかに帰り始めたとき、ようやく別の発電機を調達できたんだ。すべての照明がぱっと点灯したとき、僕たちはほぼ準備を終えていた。それでも、だんだん人が減ってきたので、最後は25人ほどのスタッフがスタジアムの観客みたいなふりをして群集にまぎれた。よく見ると、僕もシンシアも、ちっちゃいジュリアンも、マルも、ニールも、ひたすら群集のふりをしているのがわかるはずだ。

(略)

BBCはこれを白黒で放映したんだ。カラフルなところがいちばんの魅力だったから、なんだか拍子抜けしたよ。カラーで再放映されなかったのが不思議なくらいだ。


マジカル・ミステリー・ツアー [DVD]

メーカー/出版社: ユニバーサルミュージック

発売日: 2012/10/10

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「ハロー・グッドバイ」「ブラックバード」

 ビートルズと一緒に過ごした日々のなかで、僕がいちばん誇りに思っていることを教えよう。レノン=マッカートニーの大ヒット曲「ハロー・グッドバイ」は、僕の作品でもあるってことなんだ。もちろん、クレジットに名前は載らなかったけれどね。

 ポールがジェーンと別れてまもないころだった。ある晩、僕はポールの家でポールとふたりきりで過ごしていた。ポールがちょっと話がしたいからって電話してきたんだ。僕たちは一緒にスコッチ・アンド・コークを飲んだ。といっても酔っぱらうほどではなく、少しばかり気分をリラックスさせるためだった。そう、ほろ酔い気分ってところだ。君の作曲の才能って本当に天才的だと思う、僕がなにげなくそう言うと、ポールは否定した。「ねえ、曲を作ろうと思ったことあるかい? 別に特別なことじゃないんだ。ものすごく簡単だし、誰にだってできるさ。そうだ、これから一緒に曲を作ってみないか?」。ポールはそう言うと、僕をダイニング・ルームに連れて行った。そこには手彫りの模様のついた木製のすてきなハーモニウムが置いてあった。小さなオルガンなんだけど、大きなペダルを踏んで空気を送り込まないと音が出ないんだ。ポールは年代ものの楽器のふたを開けると、僕に言った。

(略)

 「そっちの端に座って、何でもいいから好きな鍵盤を叩いてよ。両手で、感じたままに鍵盤を叩けばいいんだ。僕も同じことをする。僕が何か言葉を言うから、君はその反対の言葉を言うんだ。それだけでいい。それで僕が曲を作るよ。見ててごらん、ちゃんと音楽になるから」(略)

 「ブラック」とポールが最初の言葉を叫んだ。

 「ホワイト」と僕が応えた。

 「イエス」

 「ノー」 

 「グッド」

 「バッド」

 「ハロー」

 「グッドバイ」

 こんな調子で5分ほど続けると、もう反対語が浮かんでこなくなったので、僕たちは新しいスコッチ・アンド・コークを飲むことにした。ポールが「ハロー・グッドバイ」のデモテープを持ってオフィスにやってきたのは、それから1日か2日後のことだ。「ほら、僕らの新曲ができたよ」とポールは言った。

(略)

 もうひとつ印象的な夜のことを話そう。午前3時ごろ、長いセッションを終えたポールと一緒にアビイ・ロードから帰る途中だった。(略)ふたりのファンの女の子が、一定の距離を保ちながら僕たちのあとをつけてくるのはわかっていた。(略)

ふいにポールが立ち止まり、擦り切れたストラップで肩にかけていたアコースティック・ギターをかまえた。「新しい曲を作ったんだけど、聴いてくれるかい?」。ポールはそう言うと、ギターを抱えてランプの真下の小さなスポットライトのなかに立ち、翼の傷ついた印象的なブラックバードの歌を弾き語りし始めた。夜更けの静寂のなかに、天才的な僕の友人がかもしだす感動的なメロディが響きわたる。僕はそのとき、生きていて本当によかったと思った。うしろでファンの女の子たちが立ちすくんでいた。こんなにすてきなご褒美をもらえるなら、彼女たちも長い時間ずっと待ち続けた甲斐があったというものだろう。何日かして、ポールの「ブラックバード」のデモテープを聴いた僕は、なんだかひどくがっかりした。技巧的なサウンド・エフェクトが多すぎて、すっかり印象が違っていたからだ。あの晩、ポールが歌ってくれた曲そのものの素朴さが失われてしまったような気がしたんだ。2回目のデモには小鳥のさえずりまで入っていた。ポールは歌のあいだにある沈黙をどうしても埋めずにはいられなかったんだろう。

傷心のポール

 ビートルズのロマンスのなかで、ポールとジェーン・アッシャーの恋だけは永遠に続くだろうと僕は思っていた。ふたりは心から愛し合っているように見えたし、互いに互いを必要としていたからだ。ジェーンはまぎれもなく最高に魅力的な女性だった。頭がよくて、ユーモアがあって、惚れ惚れするくらいかわいらしかった。ポールにはぴったりのすばらしい恋人だったよ。ポールもそう思っていたはずだ。学歴もあって、女優として自立していたしね。

 彼らの別れは悲惨だった。家に帰ってきたジェーンが、ニューヨークから来たグルーピーのフランシー・シュワルツとポールが[ベッドの中で]一緒にいるところを目撃してしまったんだ。

(略)

やがて、ジェーンの母親がやってきて、ジェーンの持ち物をきれいさっぱり持ち帰った。家具も日用品もジェーンのものはすべてだ。ジェーンが愛用していた鍋のセットまでね。ポールは何も言わずにそれを眺めていたよ。

 ポールは完全に打ちのめされていた。ジェーンがいなくなって身も心もボロボロの状態だった。ジェーンを深く愛していたからなのか、それともジェーンがポールとの別れを決めたことがショックだったのか、そのあたりのことは僕にはどうしてもわからなかった。でも、ふたりは当時すでに婚約していた。つまりジェーンは単なる恋人ではなくて、確実にポールの妻になることが決まっていたんだ。その後、ポールは何人かの女性とつきあったけれど、長続きする関係には至らなかった。

 ポールがあれほど落ち込んで自暴自棄になったのを見たのは、僕が知るかぎり、あのときだけだ。普段のポールは楽観的で、冷静で、自信に満ちあふれていたからね。僕とポールがすごく親しい間柄なんだと実感したのも、あのときだ。ポールは僕の肩でさめざめと泣いたよ。ジェーンとの恋愛が破綻してから数週間、僕はポールと一緒に過ごした。ポールはひたすら後悔して、ジェーンに許してほしいって懇願したけれど、ジェーンの決心は変わらなかった。ポールの言いわけに耳を貨そうともしなかったよ。ジェーンは意志の強い高潔な女性だった。彼女はポールのことを心から愛していたと思う。ビートルズだからという理由じゃない。彼女は名声にも金にも興味はなく、ポールという人間を愛していたんだ。ポールの明るさと情熱を愛し、ポールを純粋に信じていたんだよ。

(略)

ポールがジェーンにひと目惚れし、夢中になり、やがて深い情熱的な愛に変わってゆくのを僕はずっと見守ってきたんだ。

 ポールは、ジェーンと才能豊かなジェーンの家族からたくさんのことを教わったと僕に言った。ジェーンに会う前のポールが田舎者だったとは言わない。でも、どちらかといえば都会的ではなかった。高価なワイン、洗練された絵画や映画、都会的なあらゆる文化をポールに教えたのはジェーンだ。ジェーンの母親は、ロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックでオーボエを教えていた。ポールにとってはまったく新しい世界だったけれど、ポールはすぐに気に入った。スポンジのように何でも吸収した。

(略)

 ジェーンにふられたとき、ポールは失ったものの大きさに気づいて愕然としたんだろう。ポールは完全に自分自身を見失っていた。

(略)

ポールはあまりにも愚かだったと嘆いた。「すべて手に入れていたのに、僕は自分でそれを台無しにしてしまったんだ」とポールは言った。「ジェーンは恋人だったけど、親友でもあったんだよ。ジェーンには胸のうちを洗いざらい打ち明けていたからね。子どものころ、僕がどんなことで落ち込んだとか、母親が死んだときどんなにつらかったかとか、それをどうやって克服したかとか、いろいろさ。ジェーンと一緒にいると気持ちがとても落ち着いて、本来の自分に戻れたんだよ。彼女もそれを望んでいたしね。ほかの女といるときの僕は、水溜りみたいに浅はかで鼻持ちならない金持ちのロック・スターでしかないのさ」

 ときには夜遅く、僕の家を訪ねてくることもあった。午前0時か1時、僕とレスリーがぐっすり眠り込んだころに、玄関のベルが鳴った。ドアを開けるとポールが立っていて、にっこり笑いながら言うんだよ。

 「まだポットにお湯あるかな?」って。

(略)

[ポールの家で明け方になり愛犬のマーサと散歩に]

ロンドン動物園の外に車を停めると、僕たちはフェンスを乗り越えて丘をのぼった。(略)

 夜明けの太陽が昇ってくる壮大な眺めは、本当に美しかった。すがすがしい朝の空気のなかで、マーサは羊を追いかけているつもりなのか、それとも骨を探しているのか、縦横無尽に走りまわった。僕とポールは、ロンドンの街が目覚める前のひっそりとした時間を心から楽しんだ。朝の5時、走っている車はほとんどなく、時折、動物園のなかから早朝のざわめきが聞こえるだけだった。(略)

 「夜明けの景色ってすごいよな」。ポールがささやくようにつぶやいた。「あれを見たら誰だって神様とか、人類を超越した偉大な力の存在を信じるんじゃないかな。あの空を眺めていると、この世界には僕らの想像を絶するような何かがあるに違いないって気がするよ」。僕たちは目の前に広がっている宇宙の景色と音の中に完全に吸い込まれていた。まるで廃墟となった都市で僕たちだけが生き残ったような気分だった。

 背後に突然、見知らぬ男が現れたのはそのときだ。レインコートのベルトをきゅっと結んだ中年の紳士が、いつのまにか僕たちのうしろに立っていた。ほんの数秒前まで、そこにいるのは僕とポールだけだった。(略)

男は礼儀正しい口調で言った。「おはようございます。私はジョンといいます」

 「おはよう。僕はポールです。彼はアリステア。あれは僕の犬でマーサといいます」。(略)

 「あなたたちに会えてとてもうれしいですよ。実にすばらしい」。ジョンはそう言うと、僕たちの前から去って行った。

 僕とポールは互いの顔をじっと見た。「驚いたよ。なんか奇妙じゃないか」。僕は言った。あたりを見まわすと、すでに男の姿はなかった。見知らぬ男は丘の上から完全に消え去っていた。まるで、朝の空気のなかに溶け込んでしまったかのように、見晴らしのよいその場所からどこかに蒸発してしまったんだ。僕もポールも驚いて声も出なかった。何か特別なことが起きたことはわかっていた。僕たちはぶるぶる震えながら地面にしゃがみ込んだ。

(略)

僕もポールもやばいものはいっさい服用していなかった。その晩、僕たちが飲んだのは、スコッチ・アンド・コークだけなんだ。神秘的な体験をしたことはふたりともわかっていたけれど、僕たちはそれ以来、互いのあいだでさえ、丘の上でいったい何が起きたのか、僕たちは誰に会ったのか、あえて話題にしようとはしなかった。

シンシア、ヨーコ

 シンシア・レノンは、昔からずっとビートルズの犠牲になった女性の筆頭とされてきたけれど、僕にしてみれば、彼女は全然、犠牲者には見えなかった。シンシアはおもしろくて魅力的な女性だった。ジョンには精神的にも物理的にも不当に扱われ、それに耐えてきたというのは事実だけれど、彼女は決して軽くあしらわれるような女性じゃなかったよ。シンシアは美人だったし、ひとりの女性として教養も備えていたんだ。

 1968年5月、シンシアの旅行中に結婚生活は悲惨な終わり方をした。(略)シンシアが帰宅したとき、夫はヨーコと一緒にいた。しかもヨーコはシンシアのバスローブを羽織っていたという。

(略)

シンシアはしつこくジョンにまとわりつくような妻ではなかったし、ふたりに会ったことのない人たちが想像しているイメージとはまったく違っていた。ジョンにしても、女癖が悪く、思いやりがなくて頼りにならない夫というイメージとはかけ離れていたよ。実は、ジョンはシンシアが浮気をしてるんじゃないかって疑い始めていたんだ。(略)ジョンは半狂乱になっていた。(略)

[シンシアのイタリア旅行の手配をした著者を詰問]

マジック・アレックスに妻を尾行させるほどの嫉妬心と強迫観念が、突発的にヨーコを家に呼び、シンシアを追い出す結果になったのだと僕は思う。

 ヨーコがことごとく非難の的にされたのは、彼女がビートルズの暗黙のルールを破ったからだった。それまで、ビートルズがアビイ・ロードでセッションをするときは、誰もスタジオに立ち入らなかった。ブライアンもニールも、もちろんジェーンもモーリーンもパティも、みんなスタジオの外で待っていた。ときには、この楽器を叩いてとか、これを鳴らしてとか、手伝いを頼まれてスタジオに入ることもあったけれど、それ以外はいっさいスタジオの中には入らなかった。ところが突然、ちっちゃな日本人の女性がスタジオにいるジョンの足元にちょこんと座っていたんだよ。ほかの3人の女性たちが目を見張って、私たちは絶対にあんなことはしないのにって怖気づいたのは当然のことだ。

 そのことがビートルズ解散のきっかけになったのも事実だ。その前から解散を導くような要因はたくさんあったけれど、4人が分裂するには最後のひと押しが必要だった。それを与えたのがヨーコだったんだ。4人の内輪のなかにヨーコを参加させたとき、ジョンは自分が何をしているかよくわかっていたはずだ。これまでに築いてきた秩序を、あえて乱そうとしたんだ。

(略)

 ジョンとヨーコが結婚を決めたとき、飛行機を手配したのは僕だった。僕は自家用機でパリの空港に飛び、主要ターミナルからかなり離れた場所に着陸した。霧のたちこめた美しい朝だった。ジョンとヨーコは真っ白な衣服をまとい、僕の飛行機に向かって走ってきた。僕はいつものようにシャンパンを用意しておいた。ふたりとも子どもみたいに無邪気で、互いにあふれんばかりの愛情を抱いているように見えた。機内でシャンパンをあけながら、僕は人生って案外いいものだなって思ったことを覚えている。魔法にかかったような気持ちになったのは、ふたりがあまりにも深く愛し合っていたからだろうか。

ポールの作詞講座

 ポールのソングライターとしての才能を目の当たりにすると、僕はいつも魔法にかかったような気持ちになった。ジョンはどうやって曲を作るのか熱心に僕に説明してくれたことは一度もなかった。大抵「たまたまできた!」とか何とか言ってごまかしたよ。自分の才能は繊細すぎて、あまり説明しすぎると消えてなくなってしまうとでも思っているみたいだった。

 その点、ポールは自分の才能を惜しげもなく披露してくれた。忘れもしない。メリー・ホプキンとアン・ナイチンゲールと一緒にアビイ・ロードのスタジオ2にいたときのことだ。(略)

ポールが聞いたんだ。「君も曲を作るの?」

 「ええ、まあ」。メリーは緊張した様子で答えた。「音楽はできるんですけど、歌詞を作るのが難しくって」 「そんなことないよ。作詞なんて、いたって簡単さ。題材はそこらじゅうにあるんだから」とポールは言った。「いいかい、見ててごらん」(略)

[ピアノに向かい、隣にメリーを座らせると]

ポールは自分が初めて作ったという曲を弾いた。コードは3つだけだった。それから、その曲のコードをどうやって5つに増やすのか、さらにどんなふうに発展させればいいかを、ピアノを弾きながら説明してくれた。「これでよし」。ポールは言った。「さあ、この曲の歌詞を作ろう。ストーリーを考えるんだ。何でもいいのさ。たとえば、ある男の子が毎朝バス停でバスを待っているとする。彼の隣には、毎朝決まってかわいらしい女の子が並ぶ。でも男の子はものすごくシャイだから、彼女に話しかけることができない。彼の彼女への想いはいっそう強くなる」

 ポールはメロディを弾きながら、この話を歌詞にして歌い姶めた。僕たちはじっと黙っていた。何か口をはさんだら、目の前の魔法が解けてしまいそうだった。「さて、ある晩のことだ」とポールは続けた。「男の子は街角のポストに手紙を出しに行く。手紙を投函しようとしたとき、反対側からいつもの女の子がやってきて、同じように手紙を投函しようとするんだ」。ポールの歌詞はどんどんふくらんで、メロディも盛りあがっていく。「ふたりは驚いて飛び跳ねるんだけど、やがて互いに話をしていることに気づいて、もっとびっくりするのさ。彼女も彼と同じくらいシャイだったんだよ。ふたりは恋に落ち、それからずっと幸せに暮らすんだ」。ここまでくると、曲はほぼ完成していた。ちゃんとストーリーがあって、メロディがあって、しかも口ずさむことができる。ポールは何くわぬ顔でピアノから離れると、ビートルズのメンバーたちのところへ戻って行った。メリーとアンと僕は、ひたすら驚いてポールのうしろ姿を見つめていたよ。

 ビートルズのメンバーは4人ともメリーに興味を持った。ある日、マル・エバンズがピカピカに輝いている新しいギターケースをさげてきた。メリーには新しいギターが必要だって考えたジョージが、彼女のために400ポンドのマルチネスのギターを買って送ってきたんだ。

リンダ

ポールはジェーンとの情けない結末によって、人間的に変わったと僕は思う。それまでの何年間か、ポールは欲しいものは何でも手に入れてきた。ジェーンはポールを拒否した初めての女性だった。そして、ポールにとっては屈辱的な苦い経験になった。それ以来、ポールはちょっと頑固になり、皮肉っぽくなった。

 やがて、もうひとりの運命的な女性がポールの前に現れる。リンダ・イーストマンだ。

(略)

正直なところ、最初はまさか真剣なつきあいになるとは思っていなかった。きれいな長い指をした女性カメラマンに惚れ込んだ、とポールが言ったことは覚えている。リンダは先夫との娘、ヘザーを連れていた。とてもかわいらしい女の子で、ふたりがつきあい始めたころ、僕はよくヘザーを膝の上に乗せて遊んだものだ。でもリンダは、ポールと親しかった人間を毛嫌いした。とくに、ジェーンのことを知っている人間をね。当時、僕とポールはかなり親しい関係だったし、リンダがそれを快く思っていなかったことは確かだった。彼女はいつもにこやかに笑っていたけれど、時折、はっとするような鋭い視線を僕に向けることがあった。僕とポールはあまりにも多くの体験を共有していたから、リンダが疎外感を持ったとしても無理はない。僕はなるべくポールと会わないようにした。

(略)

[ポールの無理をきいてやりとげた内装の請求書をリンダが横から取り上げ、ボッタクリだとケチをつけ、あげく「いくら仲介料をもらうの?」と失礼な言葉]

僕は愕然とした。驚いて口もきけなかった。(略)

[部屋を出るとポールが追ってきて]

 「リンダは僕がだまされないように気を遣っただけなんだよ、アル」。ポールは言った。「彼女はアメリカ人だし、僕らのつきあいがどれほど長いかってことも知らないんだ。悪かったよ。機嫌を直して戻ってくれないかな」

 僕は歩き続けた。ポールの家とはサヨナラだ。この仕事ともサヨナラだ。心の中でそう思っていた。この期におよんで、スターを追いかけまわしている厚かましいアメリカ女に詐欺呼ばわりされたことがショックだった。玄関を出てからもポールは僕の横で説得し続けたけれど、僕はどうしても立ち止まる気になれなかった。あれ以上あの家にいたら、僕はポールを殴っていたかもしれない。もしかしたらリンダも。ともかく僕とポールの親しいつきあいは、これで終わったのだった。

(略)

 翌日、ポールはオフィスに顔を出し、僕をなだめて、ことを丸くおさめようとした。「もう忘れたよ」。僕はそう言ったけれど、絶対に忘れられないことは自分がいちばんよく知っていた。(略)

[それでもポールからアストン・マーチンDB6の化粧直しを頼まれつい引き受けてしまう]

(略)

本当にすばらしい仕上がりだったよ。14層のコーティングでペイントされたブリティッシュ・レーシング・グリーンは完璧な色合いだったし、灰皿には埃ひとつなかった。ポールは感嘆のあまり放心したように車のまわりを何度も何度もぐるぐる歩きまわり、それから、ものすごくうれしそうに運転席に腰をおろした。クリスマス・プレゼントをもらった子どもみたいに大はしゃぎするポールの横で、僕は久しぶりに自分の仕事に誇りを感じていた。

 修理代もきわめて妥当な金額で、ポールはにっこり笑って承諾した。ところが、そのときリンダが家から出てきて、僕たちのほうに歩いてきたんだ。僕は急に気が重くなった。リンダに傷つけられた悔しさが鮮烈に脳裏によみがえった。リンダは案の定、ポールから請求書をひったくると、僕の顔をまっすぐ見ながら言った。「それで、あなたのポケットにはいくら入るの?」。このときはポールはもう何も言わず、ただ肩をすくめて、そっぽを向いた。「じゃあまたな、ポール」。そう声をかけて、僕はその場を去った。

2017-01-23 ビートルズシークレット・ヒストリー・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


ビートルズシークレット・ヒストリー―まるで今ビートルズがここにいるみたい

作者: アリステアテイラー, 野澤玲子

メーカー/出版社: プロデュースセンター出版局

発売日: 2003/11/01

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4人の熱意

 ビートルズは自分たちの音楽について驚くほど熱心だった。セッションをするのは大抵夜で、明け方まで続くこともしょっちゅうだった。早朝、アビイ・ロードの第2スタジオで僕のまぶたがくっつきそうなときでも、4人はひたすら曲作りに専念していた。率先してやっていたのはもちろんジョンとポールで、ジョージとリンゴが担当するパートは忘れられたり、ないがしろにされることが多かった。だからこそ、4人で協力し合うことが何より重要だったんだ。自分たちが完璧に満足できるサウンドになるまで、それこそ何度も何度も何度もやり直していたよ。音楽を作ることで4人はエネルギーを蓄えている。そんな感じだった。

 午前2時、僕は疲れきっていて今すぐにでも家に飛んで帰りたいのに、4人はさらに新曲にとりかかろうとするんだ。4人とも、自分たちが創造している音楽の世界に完全に浸りきっていた。自分たちはビートルズだからすばらしい曲を作らなきゃいけない、そういう使命感とは違うんだ。どちらかというと「そのメロディ、すっごくいいよ。ちょっとやってみようぜ」みたいなノリだ。スタジオにいるときの4人は生き生きしていて、本当に楽しそうだった。

 よく覚えているのは、メンバーのひとりが大声をあげてジョージ・マーティンに頼んでいたことだ。もう1回やりたいんだけどってね。マーティンの疲れきった表情から、彼がもう十分な出来だと思っているのは明らかだったけれど、それでも彼は精一杯の熱意をふりしぼって「いいよ」って答えていたよ。どこも悪くない完璧なバージョンが仕上がっても、4人はもっと良くできるかもしれないってがんばるんだ。何度も何度もね。やがてマーティンが感嘆の声をあげる。想像以上にすばらしい曲になるから感動するのさ。(略)

 エキサイティングなビートルズの初期時代、ジョンとポールはバンドのリーダーであるとともに、もっとも絆のかたい親友どうしだった。初期のふたりの対立をああだこうだと論じる人間もいるけれど、ほとんどは無意味だ。確かに言い争うこともあったけれど、僕にはジョンとポールがジョージとリンゴを引き連れて、自分たち以外の世界中の人たちと対立しているように思えた。いちばん誤解されていたのはジョン・レノンだろう。彼が聖人だったとは言わないけれど、僕にとってジョンはとてつもなく優しい男だった。でもジョンは頑固者で、女に冷淡で、ブライアンに辛辣だっていう自己イメージを作りあげていたんだ。心優しい男になれたはずなのに、他人を嘲笑するひねくれものになった。ジョンは世界最高の風刺家だったと僕は思う。

ジェーン・アッシャー

 ポールがジェーン・アッシャーに初めて会ったのは1963年のことだ。ジェーンは『ラジオタイムズ』誌の記事を書くために、ロイヤル・アルバート・ホールに出演したビートルズを取材しにやってきた。4人はそろって彼女にひと目惚れしたよ。(略)ジェーンはとても陽気で素敵な娘だった。4人は彼女の愛らしい赤毛を見たとたん、すっかり魅了されちゃったんだ。みんな白黒テレビの『ジュークボックス・ジュリー』のジェーンしか見たことがなかったから、彼女はブロンドだって信じ込んでいたのさ。

 僕はいつのまにか、ほかのメンバーたちよりもポールと親しくなっていた。ポールがジェーンとつきあい始めると、僕たちの仲はいっそう親密になった。(略)

ジェーンはポールが初めて真剣に愛した女性だったと思う。

(略)

[四年前に購入して放置していた農場へ]

ポールとジェーンは、女の子の大群にもみくちゃにされずに外を歩けるというだけで大はしゃぎだったよ。僕は、ふたりが本当に農場を気に入るかどうか少しばかり不安だった。ものすごく田舎で、何もなくて、ひたすら寒い場所だったからだ。(略)でも到着したとたん、ポールとジェーンはすっかり農場の虜になってしまったんだ。

 ハイ・パークはあらゆるものを拒絶しているような場所だった。ポールとジェーンは(略)日常の生活必需品すらないことに感動していた。

[DIYで家具を作ったり、捨てられていたステンレスの大きな牛乳タンクをバスタブにしたり]

憧れのブリジット・バルドー

[ジョンは]永遠の夢をどうしても現実のことにしたくなったんだよ。ブリジット・バルドーがロンドンに来たとき、ジョンはデレク・テイラーに頼んで彼女と会えるように交渉してもらったんだ。彼女もジョンに興味を持ったらしく、ふたりはブリジットが滞在していたメイフェア・ホテルで会うことになった。ところがジョンはひどく緊張してしまい、自信を取り戻そうとして、何も考えずに酒とドラッグを一緒に飲んじゃったんだ。ブリジットの部屋を訪れるまでに完全に酔っぱらっていたジョンは、「難局をうまく乗り越えるのは不可能だった」って弁解したよ。フランスのセックス・シンボルが失望したのは明らかだった。ジョンはそれから何週間も、ほかのメンバーからボロクソにからかわれていたよ。ジョンはすっかり落ち込んで、僕に告白してくれた。「僕は中学生のときからブリジット・バルドーとセックスすることを夢見てきたんだ。シンシアを見たときも、最初に思ったのがブリジットにちょっと似てるなってことだった。でもいざそうなったとき、僕は自分でもどうにもならないくらい緊張しちゃったんだよ。何年もマスターベーションのときに想像してきた女性が目の前にいるっていうのは奇妙なものさ。彼女はすっかり乗り気で、僕らはちょっとふざけあったけど、でもいざってときになったら……まったく立たなかったんだ。困っちゃったよ。僕は彼女に自分ではどうにもできない問題なんだって説明したんだけど、これ以上に自分の問題なんてほかにあるかい?」

限界

ビートルズにしても、目の前のファンと一体化できたキャバーン時代のステージを懐かしがっていた。ジョージは腹立たしげに僕に言った。「いっそのことステージに4つのマネキンを置けばいいんだ。大差ないよ。実際、僕らはマネキンみたいなものだからね」。ジョージは、自分がビートルズ・マシンに容赦なく操られているという気持ちをいっそう強くしていた。(略)

[シェア・スタジアム]公演は、歴史に残る有名なコンサートのひとつとなった。だが、4人にかつての情熱はなかった。ジョンはファンに笑顔をふりまきながら、「うるせぇ!」と大声をはりあげた。客席の歓声で自分たちの演奏がかき消されてしまうことを知っていたからだ。演奏がどうでもいいことを実証するように、彼らはときどき、まったく音を出さないことがあったけれど、そのことに気づいた観客はいなかったはずだ。

(略)

 4人はすでに限界だった。ジョンは酒をあおりながら僕に言った。「僕らに一生こんな生活を続けさせるつもりなら、ブライアンの頭をぶん殴ってやるつもりだ」ってね。(略)すでに秋と冬のイギリス・ツアーが決まっていたけれど、彼らはやらないと言い、次の「ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス」には絶対に出演しないと断言した。(略)

ビートルズの初めての大きな反抗は、ブライアンに大きな痛手を与えた一発だった。(略)ビートルズとブライアンの激しい対立が続いた。(略)最終的に到達したイギリス人らしい良識的な妥協案は、9回公演のツアーを1回するというものだった。

 だが、ツアーの前に一大イベントが控えていた。10月26日、バッキンガム宮殿で行なわれるMBE受勲式典だ。

(略)

[宮殿のトイレでマリファナを吸った以外に]

ジョンはLSDの錠剤も服用していた。式典の直後、ジョンは景気づけのために女王のティーカップに錠剤を落とす計画だったと告白した。本気だったらしいけれど、ジョンの場合、本気なのか冗談なのか区別がつかないんだ。女王を飛んでいる気分にさせるなんて最高だから、女王が何を飲んでいても錠剤を入れちゃえと思っていた、とジョンは言った。「女王の心を開かせて、どこかあたたかくて素敵な場所で戦争をするって宣言させたいんだよ。僕らがみんな海辺で戦えるようにね。じゃなきゃ、囚人を全員解放して、代わりにハロルド・ウィルソンをロンドン塔にぶち込むとかね」

 この話はブライアンには黙っていた。卒倒するかもしれないからだ。

小粋なポール

[エプスタインがアイバー・ノベロ賞の昼食会の予定を伝え忘れたことがあった]

「頼むから時間どおりに連れて行ってくれ、アリステア。それから、ふたりには僕が言い忘れたことは黙っていてほしいんだ。何か適当な言い訳をでっちあげてくれよ。お願いだから」

 ブライアンの言葉を翻訳すると、「悪いのはおまえだ。おまえが言い忘れたことにしろ」ということだった。(略)

僕のあせった弁明はかなりどんくさかったから、ジョンが「冗談じゃねえよ」とつぶやいてガチャンと電話を切ってしまっても、僕はさして驚かなかった。

 頼みの綱はポールだった。(略)

[ジェーンの母親は取り次いでくれなかった]

 正午まで待って、僕は電話をかけ直した。(略)

[やっと]眠そうなポールがものすごく不機嫌そうに電話に出た。どう話せばいいかは考えておいたから、僕は一気にまくしたてた。だが返事はなく、電話の向こうはしばらくシーンとしたままだった。もしかして、また寝てしまったのかもしれないと不安になったとき、ポールの声がした。「わかったよ。10分後にタクシーで迎えにきてくれよ」。ありがとう、ポール、僕は心の中でお礼を言った。それから15分後、タクシーがウィンポール通りに到着すると、ポールが玄関の扉を開けてくれた。トーストをかじっていたけれど、ポールはスーツを着て靴を履き、すぐに出かけられるように準備していた。

 「どうしたの?僕が君をがっかりさせたことあるかい?」。ポールは小粋に言ってのけた。(略)

[到着したのは]まさに昼食が始まる直前だった。危機一髪、滑り込みセーフってやつだ。でも僕はそれで解放されたわけじゃなかった。ポールが無理やり僕をジョンの席に座らせたんだ。(略)みんなが僕を見て、どこのどいつだって不審がっているのがわかったけれど、僕は気にしなかった。ビートルズのメンバーをひとり、時刻どおりにそこに連れて行ったのは僕だったんだから。

キリスト発言騒動

[フィリピンで]殺されてもおかしくないほど危険な目にあわされたことで、ビートルズの怒りは頂点に達していた。ブライアンにとって4人からの猛烈な罵倒は、転んで捻挫した足首よりもはるかにきつい打撃だった。取り乱したブライアンは、もはや発狂寸前だったよ。インドでも同じようにファンに包囲された4人は、ますます攻撃的になり、一刻でも早く帰国したいと言い張った。(略)

 ショービジネスには、おかしなジンクスがある。これがどん底だと思った瞬間、さらなるどん底があとに控えているんだ。アジア・ツアーでの一連の出来事によって、ブライアンは精神的にすっかりまいってしまい、ビートルズとの関係もこじれてしまった。傷心のブライアンは、気分転換のためにノースウェールズのポートメリオンに雲隠れしたよ。(略)次のどん底は、あまりにも唐突にやってきた。[ジョンのキリスト発言騒動](略)

[『イブニング・スタンダード』に掲載時は]何の反響もなかった。問題は、提携先のアメリカのティーン雑誌『デートブック』にこの記事が引用されたことだ。前後の文脈は無視してジョンの発言だけを取り上げて、しかも表紙の見出しに使ったんだ。「ジョンいわく、ビートルズはキリストより偉い!」ってね。実際のジョンの言葉は、「僕らがキリストより大勢の群集を引きつけているなんて滑稽だと思わないか?」だった。

(略)

ジョンは謝罪を迫られた。押し問答が続いたけれど、最後は記者たちに押し切られるかたちでジョンは謝罪した。のちにジョンは僕に漏らした。自分が思っていたほどタフな人間じゃないことに初めて気づいたってね。

 「あの発言を撤回する気はまったくなかったんだ」とジョンは言った。「すべて真実なんだからね。僕はただ、ビートルズがキリストより人気を集めるなんて、世の中がおかしいんじゃないかって言っただけだ。それがバカみたいに大騒ぎされて、キリストを冒涜したって責められるはめになった。僕は、責められるような発言はいっさいしていないんだ。だけど、キリスト教を崇拝している変人が僕らを狙撃するかもしれないって思ったら、怖くなった。撃たれるなんてまっぴらごめんだから謝ったんだよ」

 ジョンは記者会見で自分の発言が正当だってことを必死で説明したけれど、矢面に立たされた以上、いちばん口にしたくなかった言葉を言わざるを得なかったんだ。「ごめんなさい」とジョンは言った。でも会場のなかで、ジョンがまったく後悔していないことに気づいた記者はひとりもいなかったと恩う。

 ジョン・レノンは自分が悪いことをしたとはさらさら思っていなかったし、記者たちはとにかくジョンに謝罪させることしか頭になかったんだ。ジョンは本気で謝ったわけではない。うまくその場を切り抜けただけだ。そのときの有名な映像を見れば、ジョンがまったく悪びれていないことは一目瞭然だよ。

最後のコンサート

 8月29日、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークでのツアー最終公演が、ビートルズ最後のコンサートになることを、ビートルズは誰にも打ち明けていなかった。肌寒い晩だった。(略)

4人はこのツアーで初めて、ラスト・ナンバーにお気に入りの「ツイスト・アンド・シャウト」を選んだ。コンサートが始まる直前、ポールがステージに向かって走りながら、広報担当のトニー・バーロウに声をかけた。今日のコンサート、録音しといてくれないか。その場にあったのは記者会見用の小さなテープレコーダーだけだったし、突然の要求にバーロウは戸感っていたけれど、言われたとおりに録音したんだ。いつもと同じコンサートのひとつ。観客も僕たちも、誰もがそう思っていたけれど、ビートルズだけは違っていた。4人にとっては、めまぐるしい9年間の1400回を超えるステージの最後を締めくくるコンサートだったんだ。サンフランシスコを飛び立った飛行機の中で、この決断を告げたのはジョージだった。ファーストクラスのシートに深く腰かけながら、ジョージは言った。「つまり、おしまいってことさ。僕はもうビートルじゃない」

 このツアーから戻ると、ブライアンはがらりと変わってしまった。放心したように気が抜けて、手あたり次第に薬に頼るようになったんだ。(略)オフィスに顔を出すこともなくなった。ツアーの企画や交渉がいっさいなくなると、ブライアンの仕事はほとんどなくなってしまった。

 寂しさをまぎらわすかのように、ブライアンは処方された薬のほかに、あらゆる薬に手を出すようになった。薬に溺れていくブライアンを見ているのは、いたたまれなかったよ。ビートルズにとって自分はもはや不要な人間だってことをブライアンは悟っていたんだ。

ジョンの代わりに島の競売に参加

 すばらしい小旅行だった。ドラッグが覚めると、なつかしいジョンの口調が戻ってきた。おもしろくて、優しくて、一緒にいると愉快になるジョンだ。ジョンはお気に入りの古びたアフガン・コートをまとい、僕の肩に腕をまわしながら言った。「最高の島だよ、アル。端っこの土地をやるから、君もここに隠れ家を建てればいい。ほら、あそこなんかどうだい?」。(略)

初めて島を訪れたあと、ウェストボートの人々は島の本当の購入者をつきとめた。2度目に訪れたとき、僕たちは大歓迎されたよ。このときはジョンの友人の「マジック」・アレックス・マーダスが一緒だった。彼は、ドリニッシュ島に建てるジョンの別荘と、「振動が伝わらないように地面から1フィートの高さのところに浮いているレコーディング・スタジオ」の設計プランを持ってきたんだ。

ポール、焦る

 ポールはいたって冷静で、たいていのことには動じなかったけれど、真っ赤になってあわてたことがあった。

(略)

[ある晩、突然サックスを入れたいと言い出し]

まだ起きていそうなサックス奏者をかき集めることになった。最初のサックス奏者がスタジオに現れるまで1時間ほどかかったけれど、そのあとは次から次へ、いろんなミュージシャンが集まってきた。おなじみの顔に出くわしたのは、僕とポールがちょうど休憩室から出てきたときだった。男は、声をかけようかどうか迷っているふうだった。

 「サックス奏者の方ですか?」。ポールが気遣うようにたずねた。

 「まあね、そう呼ばれることもあるよ」。男はにっこり笑ってそう答えると、ぶらぶらと廊下を歩いていった。

 あっけにとられているポールを見て、ジャズ狂の僕としては男の正体を教えないわけにはいかなかった。

 「有名なロニー・スコットだよ」

 「嘘だろう?」。ポールはすっとんきょうな声をあげた。「冗談じゃないよ、まったく」。ポールはいきなりダッシュして伝説のミュージシャンを追いかけたよ。これがきっかけで、ふたりはすごく親しくなったんだ。ロニーにとっては愉快な出来事だったけれど、ポールはたぶん、穴があったら入りたい気持ちだったんじゃないかな。

共同作業

スタジオの隅におとなしく座って4人の様子を見ていると、確かに曲作りを率先するのはジョンかポールだったけれど、ジョージとリンゴも積極的に発言していた。決して言われたとおりにしていたわけじゃない。リンゴはドラムについて自分の意見を言ったし、ジョージもギターのリフにこだわった。レコーディングはまさしくビートルズの4人とジョージ・マーティンの共同作業だったんだ。(略)

 ジョンとポールが一緒に曲作りに取りかかることは滅多になかった。大抵は、どちらかが作り始め、アイデアがほぼ固まったところで、初めて相手の意見をきくという感じだった。でも、プレッシャーが大きいときは別だ。EMIの担当者は目の前でレコーディング契約書をちらつかせながら、次の曲をすぐ作れと口やかましく命令したりしたんだ。そういうとき、ジョンはキャベンディッシュ・アベニューのポールの家に行って、ふたりでビールを飲みながらシングル曲を完成させてきた。しかも、とびきり上等な曲をね。

ギリシャ旅行

1967年、僕はまたもやビートルズの隠れ家となる島を探すことになった。しかもエーゲ海でだ。僕はビートルズの技術の魔術師、アレクシス・マーダスを連れて行くことにした。(略)とりわけジョンと仲良くしていたけれど、彼の奇妙さ加減ははんぱじゃなかった。それでも旅の道連れとしては申し分なかったし、何よりギリシャ人というのが心強かった。島探しの旅は最高だったよ。僕たちは広さ80エーカーほどで、天国のように美しいビーチが4つあるすばらしい島を見つけた。つまり4人がそれぞれプライベート・ビーチを持てるってわけだ。

(略)

[さっそくビートルズ一行は視察旅行に]

なかでも最高に幸せな気持ちになったのは、ある月夜の晩遅く、ジョン、ジョージ、マル、僕とでデッキに腰をおろし、金色に輝くギリシャの月を眺めたときだった。船長は、穏かに波打つ海面を美しく照らしている月の光に向かって、まっすぐに針路を保っていた。月はずっと遠くにあったけれど、まるで月をめざして天国の航路を進んでいるようだった。ジョージがウクレレでクリシュナ教の合唱のメロディを奏で、ジョンとマルと僕が静かに歌い始めると、もはやそこは幻想の世界だった。ビートルマニアとは無縁のひたすら静かで平和な世界。荘厳な月の光の円柱のもとで、僕たちは輪になって座禅を組み、互いの顔をじっと見つめあった。そのままの状態で2時間は海を漂ったと思う。ぎこちないながら、この沈黙を破ったのは僕だった。

 「月を見ようよ」

 僕を拒絶できなかったジョンは、ぼそりと言った。「名案だな、アリステア」

 それから僕たちは腹を抱えて笑い転げた。翌日から、これが僕への決まり文句になった。僕が何かを指摘すると、それきたって感じでからかわれたんだ。「名案だな、アリステア」ってね。

ブライアンの死

 もう十分に生きたから死のうと思うんだ、ブライアンはそう言って僕に電話してきたことが2回あった。どちらも日曜日だった。2回ともブライアンはこう言った。「アリステアかい? 僕はもう生きていくのが嫌になったよ。お別れを言おうと思ってね。さよなら」。ちょっと待てよ、そう言いかける前に電話はプツンと切れた。僕はあわてて家を飛び出し、タクシーをひろって大急ぎでブライアンの家に向かった。(略)[ブライアンの秘書のビビアン・モイニハンと]ふたりで階段を駆けあがると、ブライアンはちょこんと椅子に腰かけていた。

 「日曜だっていうのに、ふたりしてどうしたんだい?」。ブライアンは聞いた。

 「電話してきたじゃないか、ブライアン」。僕は言った。「生きていくのが嫌になった。さよなら、なんて言うからだよ」

 「それで、わざわざ飛んできたのか」。ブライアンは不機嫌だった。「ちょっと気分が沈んでいただけだ。さっさと帰ってくれ」

 僕は思った。ブライアンが自殺しようと思ったのは薬で頭がもうろうとしていたせいだ。薬が切れて、そう思ったことも、僕に電話して死ぬと脅かしたことも、忘れてしまったんだろうってね。

 1967年8月27日、僕がその電話を受けたのは、予定外の週末のサンフランシスコ出張から帰宅した直後のことだった。

[NEMSは少し前にロバート・スティグウッド・グループと合併しており、全米ツアー開始前のクリームの労働ビザ不備の処理のためだった]

(略)

 2日前に話をしたとき、ブライアンは元気いっぱいで、フォートップスをまたイギリスに呼ぼうってはりきっていたんだ。ブライアンはまさに世界の頂点にいるという感じだったけれど、その電話をもらったとき、背筋に不気味な悪寒が走るのを感じた僕は、いてもたってもいられなくなった。長時間のフライトで疲れきっていたし、家に戻ってレスリーに会うのは1週間ぶりだった。最初は、誰か別の人間に頼んでブライアンの様子を見に行ってもらおうと思ったけれど、僕が行かなければっていう奇妙な強迫観念にとらわれたんだ。そして、僕の勘は的中した。

(略)

いくら寝室のドアをノックしてもブライアンの返事がないらしい。(略)ブライアンは金曜の晩から部屋に閉じこもったままだという。(略)

医者は全身でドアにぶちあたり、無理やり扉を叩き壊したところだった。僕はあとを追うようにして部屋に入った。(略)

ブライアンはぐっすり眠っていた。いや、眠っているように見えただけだ。死んでいる。僕はとっさにそう思った。全身が言いようのない苦痛に包まれた。あれほどつらい経験は、あとにも先にも、あのときしかない。僕の人生を180度変えたのはブライアンだ。つましい店員だった僕が20世紀最大の音楽グループの仕事に関われたのも、ブライアンがいたからなんだ。

 医者は手際よくブライアンの身体を調べると、僕に告げた。「残念ですが、お亡くなりになっています」。全身からすーっと苦痛が遠のいたかと思うと、身体中が恐ろしいほどガタガタ震え始めた。体が硬直してしまい、ほとんどスローモーションのようにしか動けなかった。

 ゆっくりと部屋の中を見まわすと、ベッドサイドのテーブルの上に錠剤のビンが置いてあった。全部で8本。それぞれに違う薬のラベルが貼ってある。ブライアンは薬に頼って生きていたんだ――目覚めるための薬、眠るための薬、活力を保つための薬、興奮を抑えるための薬、そして胃腸薬。どのビンもきちんとキャップが締めてあり、まだ十分に錠剤が詰まっていた。空のビンは1本もなかった。ベッドの片側には、やりかけの仕事の書類の山と、チョコ味の丸いダイジェスティブ・ビスケットが3枚のった皿があり(略)

 医者と僕は、ブライアンに何が起きたのかを知るために、手がかりになりそうなものを探した。引き出しの中に大量のマリファナを見つけた僕は、そっとズボンのポケットにしまいこんだ。

(略)

 翌日、チャペル・ストリートに戻ってみると、そこらじゅうに数え切れないほどの花束が折り重なるように捧げられていた。いくつかの花束を拾いながら玄関に向かうと、ドアの前に真っ赤なカーネーションが5本、きれいに並べられていた。そばに破ったノートの紙切れが置いてあった。「私たちも、あなたのことが大好きでした」と書かれていた。僕はもう限界だった。それらを残らず拾いあげてドアを開けると、すぐさまバスルームに駆け込み、小さな子どもみたいに大声で泣きじゃくった。(略)

僕の友人は死んでしまった。僕のボスは死んでしまった。わかっているのは、ブライアンの代わりになる人間なんかどこにもいないってことだ。友人としても、そして、ビートルズのマネージャーとしても。

マハリシ

金儲けを企んでいたマハリシは4人を洗脳しようとしたんだ。ブライアンの死去は喜ぶべき出来事であり、悲しむ必要はないってね。物質世界と精神世界は永久に対立しているという見解を悟らせ、形あるものはいずれ破壊されることを実証するために、マハリシは4人に美しい花々をめちゃくちゃに踏みつぶすように命じたという。マリアンヌ・フェイスフルは、マハリシはすぐさまブライアンの死を狡猾に利用したと語っている。「ビートルズはぼろぼろの状態だった。思い出すのも嫌だけれど、マハリシはこう言ったのよ。『ブライアン・エプスタインは死にました。彼はあなた方の面倒を見てくれた、いわば父親のような存在だった。これからは、私があなた方の父親になりましょう』ってね。哀れな4人にはその意味がまったくわかっていなかったけれど、私にしてみれば、身の毛がよだつほど恐ろしい発言だったわ」

次回に続く。

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ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

作者: ジェフエメリック, ハワードマッセイ, Geoff Emerick, Howard Massey, 奥田祐士

メーカー/出版社: 河出書房新社

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2017-01-20 ビートルズシークレット・ヒストリー アリステア・テイラー このエントリーを含むブックマーク

メンバーに愛情があるから読後感は爽やか。


ビートルズシークレット・ヒストリー―まるで今ビートルズがここにいるみたい

作者: アリステアテイラー, 野澤玲子

メーカー/出版社: プロデュースセンター出版局

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アリステア・テイラー

[2000人の関係者が登場する重さ3.3キロの『ビートルズ・アンソロジー』本に彼の名前は登場しない]

ビートルズの最初の契約書に名前を連ねたもうひとりの人物。彼は、ビートルズのミスター・フィックスマン(何でも屋)として、飛行機の便を手配し、父親認知の問題を片づけ、金を貸し、悩みごとの相談相手になった。ファブ・フォーに代わって島や車や邸宅を購入した。ジョンから熱心にLSDを勧められても屈しなかった。バンドを辞めようとしたジョージを必死で説得した。(略)ジェーン・アッシャーにふられ、ひどく落ち込んでいるポールをなぐさめた。

 彼の名前は、アリステア・テイラー。ビートルズのオフィシャル・ストーリーに名を残すことはなかったけれど、荒削りの才能を育てあげ、世界をアッと驚かすようなバンドを世に送り出したいというエプスタインの若き日の夢を、一緒になって追い続けた男である。現在、アリステアは生活保護を受け、過去の思い出とともに暮らしている。かつて、ブライアン・エプスタインからビートルズの報酬の2.5%を支払おうと提案されたとき、アリステアは辞退した。この金額を推測するのは難しいが、数年前、信用できる人物からこう言われたという。君は、1億5000万ポンドもの契約を棒に振ったんだぞ。

遭遇

 そのころ、ビートルズの「マイ・ボニー」のレコードはないかって聞いてくる客があまりにも多くて、僕は「ありません」って答えるのにいささかうんざりしていた。それで、適当な名前をでっちあげてレコードを注文したんだ。ブライアンは正規の注文しか受け付けなかったからね。もちろん、ちゃんと注文されれば、そのレコードが世界のどこかにあるかぎり、必ず手に入れるっていうのが彼のポリシーだったけどね。

 レイモンド・ジョーンズって男が店にやってきてビートルズのレコードはないかって聞いた話は有名だけれど、それって僕がでっちあげた名前なんだ。

(略)

[入荷した25枚は2時間で売り切れ]

1000枚以上も売れたあと、僕たちはポリドールに電話して、異常な事態になっていることを説明しようとしたんだけれど、向こうはさほど興味を示さなかった。田舎の無名のレコード店で爆発的に売れているなんて話は、どうでもよかったのさ。

 でも、ブライアンはビートルズっていうグループに好奇心をそそられた。2、3週間経ったとき、店にやってきたブライアンが僕に言った。「例のビートルズっていうグループのレコード、覚えてるだろう?このあたりのキャバーンっていう店に出てるらしいんだ。君、この店がどこにあるか知ってるかい?」

 すぐ近所だよ。ここから200メートルも離れていない!僕は、よくキャバーンに通っていたんだ。以前はこういう音楽をやる店じゃなくて、ジャズ・クラブだったからね。

(略)

 ビートルズ伝説のなかに、ブライアン・エプスタインがキャバーンに来ていることをディスクジョッキーのボブ・ウーラーがアナウンスしたとか、前日にブライアンが電話でVIP席を用意するように言ったとかって話があるけれど、みんなでたらめだよ。僕たちは、ちょっとのぞいてみようってぐらいの気分だったんだから。ブライアンは、いわば気まぐれでビートルズを見に行ったんだ。

(略)

 キャバーンはとにかく汚い店だった。ジャズ・クラブだったころに比べると、明らかに落ちぶれていたよ。湿気が水滴になって壁をつたっているし、かつて野菜倉庫だったときの悪臭がまだ消えていなかった。店内は蒸し暑くて息苦しかった。

(略)

ブライアンも僕もポップ・ミュージックは好きじゃなかった。うるさいし、暴力的だし、サウンドというより騒音に近かったしね。(略)

 ビートルズは4人とも黒いTシャツ、黒い革パンツに革ジャンというスタイルで、我を忘れて暴走してるって感じだった。(略)

 ところが、気がついたら僕はいつのまにか、足でリズムを刻んでいたんだ。(略)こんな粗っぽい不良たちの音楽に魅力を感じるはずはないと思っていたのにね。彼らは、僕が学生時代にいつも避けていたような連中だった。つまり、他人にかまわず自分勝手に行動するトラブルメーカーだよ。だけど、どこか素朴な感じがする彼らの魅力を僕は否定できなかった。

(略)

 ビートルズは5曲しか演奏しなかった。「マネー」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」「蜜の味」「ツイスト・アンド・シャウト」、歌のひどさはどれも比べようがなかった。僕がおやっと思ったのは、ポールが「最後に僕とジョンが作った曲をやります」と言ったときだ。曲は「ハロー・リトル・ガール」。ホップ・ソングにしては、かなり良くできていると思った。でも、ビートルズはこの曲を一度もレコーディングしていない。何年かして、やはり僕たちがマネジメントしていたフォアモストというグループがこの曲をリリースし、みごとに大ヒットさせたけどね。僕とブライアンは、ちらりと視線を交わした。演奏するだけじゃなくて、曲も作れるってことがわかったからだ。自分たちで曲を作っているバンドは、当時ものすごくめずらしかったんだ。

契約

 ブライアンは実に手際よく事を進めた。(略)キャバーンの出演料は、ワンステージ3ポンド15シリング。(略)ブライアンはすぐさま、ひと晩15ポンド以下の仕事はさせないと断言し、キャバーンのランチタイム・セッションの出演料もアップしてもらえるように交渉すると約束した。ブライアンはこの約束をあっというまに果たした。ギャラが10ポンドに跳ね上がったんだ。1961年にしては画期的な金額だった。(略)

[さらに楽器店への200ポンドの借金を全額返済]

ジョン・レノンが買った自慢のヘフナー・クラブ40のギターと、ジョージ・ハリスンが買ったフュチュラマのギターと、ポール・マッカートニーが買ったアンプの未払金だった。単純なことだけど、この一件で、ブライアンはビートルズとの絆を一気に深めたんだよ。(略)

4人をバーケンヘッドのテイラーに連れて行った。(略)モヘア織りのスーツで一着40ポンド。もちろんブライアンが支払ったけどね。スーツを着ろと言われたとき、目を丸くしてうなずいた4人の表情は、今でも忘れないよ。あとになってビートルズは、スーツを着ることについては僕らとブライアンはまったく意見が合わなかったと語っているし、ジョンは嘲笑するように、売り払おうと思ったと言っている。でも、僕が覚えているかぎり、ビートルズの反応はそれとはまったく逆だった。

 4人は、とにかく早く認められて有名なバンドになりたいって思っていたんだ。仮にブライアンがビルの屋上からバケツに飛び込めって命令したとしても、彼らは「うん、いいよ、バケツはどこ?」って答えただろうね。ブライアンは正しいし、自分たちの希望をちゃんとわかってるって信じていたからさ。

 でも、こと音楽に関しては、ブライアンはいっさい口を出さなかった。

(略)

 僕らはマージー河を渡るフェリーに乗り込んだ。まるで、ふたりの私服警官が4人の不良少年を連行しているみたいだったよ。僕とブライアンは、4人のことを少しずつ理解し始めていた。ともかく契約を交わしたわけだから、僕らは対等な立場だったんだ。リーダー格がジョンだってことはすぐにわかったけれど、4人の会話ときたら、ジョークや皮肉やブラックユーモアばっかりで、自分たちだけに通じる言葉で話すんだよ。

(略)

初めてオーダーメイドのスーツを作るっていうんで、4人とも大はしゃぎだったよ。(略)ビートルズはぽかんと口をあけながら、高級店のみごとな内装に目を奪われていたよ。テイラーなんて、バートンの店のショーウィンドウをちらりと眺めるぐらいしか縁がなかったはずだからね。ブライアンはてきぱきと生地を選び、スタイルを決めた。黒い革ジャンの少年たちが、洗練されたダークブルーのスーツを着込むことになったんだ。

 お客としてちやほやされた4人は大喜びだった。(略)

 髪を切った翌日の午前中、リバプールで最高級の仕立て屋を訪れた4人は、買ってもらった洋服の包みを自慢げに抱えて戻ってきた。まるで、クリスマス・プレゼントの包みを早く開けたくて、大急ぎで帰ってきた子どもみたいだったよ。ひとりひとりに数枚の真新しいシャツとネクタイ。4人ともこんな格好をするのは初めてだったから、着こなせるようになるまで、しばらく時間がかかったけどね。どんなスタイルと色のシャツにするか、どんなネクタイを合わせるか、選んだのは全部ブライアンだ。この買い物をいちばん楽しんでいたのは、本当はブライアンなんだよ。

 ビートルズのまわりには特別な空気が漂っていた。とにかく陽気で、ふざけるのが大好きで、元気があり余ってるって感じなんだ。できるものなら、彼らのエネルギーを瓶詰めにしたいぐらいだった。

レコード店で成功していたので、バンド売り込みも簡単だと思っていたエプスタインだったがEMIを筆頭にどこにも相手にされず焦る。デッカには契約してくれたら5000枚購入すると提示したが結局駄目。

 ディック・ロウの決断は、のちに彼をさんざん後悔させる結果になったけれど、僕自身は、彼に怒りを抱いたことは一度もなかった。少なくとも彼は、ビートルズをロンドンまで呼んでくれて、演奏を見てくれたわけだからね。浮浪者みたいなローリング・ストーンズと契約したときは、みんなからバカにされたけれど、結局、彼には先見の明があったのさ。

 でも、ビートルズはそれほど寛大じゃなかった。何年かして、ディック・ロウが自分たちを蹴ってブライアン・プールとザ・トレメローズと契約していたってわかったとき、ポールはこう言った。「あいつ、今ごろ後悔してもしきれないだろうなあ」。ジョンはもっと辛辣だった。「後悔しすぎて死んじまえばいいんだよ」

相次ぐ売り込みの失敗でビートルズからの信頼も揺らぎ始め、父親からは店を疎かにしていると怒られ、ついにEMIに取引を中止すると脅しをかけてジョージ・マーティンと録音できることに。

 ブライアンは、レコード会社との交渉はこれで最後だと考えていた。(略)

僕はブライアンを元気づけるために、ジョージ・マーティンこそ僕たちが待ち望んでいた人物かもしれないじゃないかと言って励ました。(略)

 「僕たちはレコードを売ることに専念すべきかもしれないな、アリステア?(略)どうやらレコードの制作には向いていないようだ」

 もう1回だけトライしてみる価値はあるよ、僕はできるだけ明るく、精一杯の力を込めてブライアンに言った。(略)

 ジョージ・マーティンに会う前の晩、ブライアンはハムステッドのおじ夫妻の家に泊まった。(略)

ブライアンは、ジョージ・マーティンに会う前から、この交渉を半ばあきらめていた。「どうすればいいかな?」。ブライアンはおじさんに聞いた。「まだひとつ約束があるけど、どうしたらいいかわからないんだ。すっぱりあきらめてリバプールに帰るべきかもしれない」(略)

[おじさんは]思慮深くこう言ったんだ。「最後の約束なら、それだけは守りなさい」

(略)

 クラシック畑のジョージ・マーティンにしてみれば、ビートルズの才能は認めたものの、リバプールの4人の若僧たちのレコーディングに積極的になれるはずはなかった。エプスタインとの取引きを失いたくなかったEMIの上層部が、マーティンにプレッシャーをかけたんだ。僕とブライアンは、いざというときのために、NEMSでEMIの3つのレーベル、つまりHMV、パーロフォン、コロムビアをどうやって切り捨てるかまで話し合っていた。

(略)

「ビートルズ、EMIのパーロフォン・レーベルとのレコーディング契約成立。最初のレコーディング日程は6月6日」。このニュースは、あっというまにリバプール中に知れわたった。ビートルズは、ついにやったのだ。

 でも実際には、これはレコーディング契約ではなくて、オーディションだった。メンバーたちは、すぐにそのことを悟ったよ。

(略)

[だがそれきり連絡はなく]

 「電話をくれるって約束したんだよ」。ブライアンは怒鳴った。「何でかけてこないんだ? まったく、どうなってるんだ?」(略)

ブライアンは日増しに感情的になっていった。涙をぼろぼろ流しながら、「なんで電話をかけてこないんだ?」って訴えるんだ。もちろん、ビートルズの4人はこんなエプスタインの姿を一度だって目にしたことはなかったよ。

(略)

 ジョージ・マーティンからついに、待ちに待ったレコーディング・セッションの電話がかかってきたのは7月の終わりだった。ブライアンはジョンとポールにその話をし、ふたりはジョージに伝えた。でも3人ともピート・ベストには黙っていた。ピートは自分たちのドラマーにふさわしくない、そう決めたからなんだ。

 ブライアンの話では、ジョージ・マーティンはピートを評価していないし、ほかの3人も彼のビートは自分たちの音楽に合わないと思っている、ということだった。ブライアンは今のままバンドを続けていくように説得したけれど、3人は、ピートは自分たちとやっていくには保守的すぎると考えていたんだ。ピートは、ジョンとは仲が良かったけれど、ポールやジョージとは親しくなかった。ピートを辞めさせてほしい、3人は結束してやってくるとブライアンにそう頼み込んだ。

(略)

 ファンは快くは受け入れてくれなかった。しばらくのあいだ、リバプールのビートルズ・ファンはこぞって抗議したよ。ブライアンはビートルズをキャバーンから遠ざけた。オリジナル・メンバーを望んだ熱狂的ファンたちが「ピートを戻せ、リンゴは消えろ」って書いたプレートを掲げ、大声をはりあげて、あやうく暴動になりそうだったからだ。ブライアンはがっしりした体格のボディガードを雇ったけれど、ボディガードがいなかったジョージは、興奮したファンに殴られて目に青あざをこしらえたよ。

「ラヴ・ミー・ドゥ」

まだ全国的に注目されるには至らなかった。でも、発売から1週間後、『レコード・リテイラー』誌の売上チャートの49位にランキングされたんだ。そのときのメンバーたちの喜びようといったら尋常じゃなかったね。あんなにうれしそうな顔は、それまで見たことがなかったよ。

 ジョンがぼーっと立ち尽くしてチャートを眺め、僕の顔を見て言ったんだ。「僕らのレコードが売れてる。現実の社会の人たちが僕らのレコードを買ってるんだよ」って。(略)

ジョンが鼻歌で「よんじゅうきゅうい〜」って歌い続けていたのを今でも思い出すよ。

「プリーズ・プリーズ・ミー」

ミッチ・マレーが「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット?」という可愛らしい曲をジョージ・マーティンのところに持ち込んできた。マーティンが間違いなくヒットすると太鼓判を押すから、ビートルズはためしに演奏してみたんだけれど、気に入らなかったんだ。代わりにこの曲を演奏したジェリー・マースデンは、みごとにナンバーワン・ヒットを放ったよ。でも、ビートルズは悔しがったりしなかった。ある晩、ジョンはきっぱり言ったよ。「ナンバーワンになっても、くだらない曲はいっぱいある。僕らは、くだらない曲はやらないんだ」(略)

ジョージ・マーティンは激怒して大声をあげた。この曲に不満があるならヒットする曲を作ってこい、今すぐにってね。

 その答としてビートルズが作った曲が「プリーズ・プリーズ・ミー」だ。彼らの運命を変えた曲さ。

(略)

でも、リバプールの熱心なファンたちは、ビートルズが全国的に有名になったことを喜ばなかった。マージーサイド以外で活動するようになれば、大好きなグループをそう頻繁には見られなくなるのを知っていたからだ。キャバーンで初めてビートルズの曲がナンバーワンになったことが告げられたとき、客たちは石のように黙りこくってしまったらしいよ。

ジョンとブライアンの旅行が招いた疑惑をきっぱり否定

この旅行については、いろんな人間がさまざまな作り話をでっちあげているけれど、真実と言えるのは「旅行した」という事実だけだ。(略)

 次々と流れてくる噂を耳にして、ジョンは腹を抱えて大笑いしたよ。自分とブライアンがゲイの恋人同士だっていう話を聞くと、おもしろがってわざと煽るようなことを言うんだ。ジョンは世界一の大ほら吹きのひとりだったからね。その後、ふたりで腹を割って話したときに、ジョンは僕に、ブライアンから誘惑されたことは一度もなかったって打ち明けてくれた。ジョンは、ブライアンがじろじろ眺めていた若い男たちや、ブライアンの部屋を探してうろうろしていたおかしな男たちの話をして、ブライアンをからかったらしい。(略)

「真剣に迫られたら、僕はたぶん彼の望みどおりのことをしていたかもしれない。正直なところ、いつ迫られるかってすごく恐かったんだ。だからある晩、僕のほうからブライアンを誘ったんだ。でも、ブライアンはそんなこと望んじゃいなかった。うそじゃない。僕は少しばかりおどけて、ブライアンをその気にさせようとしたんだよ。でも、ふたりとも本心じゃないってわかったのさブライアンが求めていたのは、一緒に笑い合えて、人生の手ほどきをしてやれる友だちだったんだ。ブライアンが相手にしていた男たちは退屈な連中ばかりだったし、ブライアンもそのことはわかっていた。僕はどんなに気がふれたとしても、男とセックスはできないよ。ただ寝そべって、好きになようにさせるのだって嫌だ。ブライアンみたいなナイスガイでもね。想像しただけで胃がむかついてくるよ」

(略)

 その後、バルセロナに行く途中でジョンがブライアンと寝たことを告白したという自称「ジョンの友人」が何人か出てきたけれど、僕は信じていない。何年も経って、メンバー間の辛辣な関係が続いてジョンとの仲がすっかり冷え切ったあと、ポールはインタビューで、ジョンからブライアンとの関係を打ち明けられたことは一度もなかったと語っている。もし、何らかの関係があったとしたら、ポールは絶対に知っていたはずだ。話すことが何かあったとすれば、ジョンが真っ先に打ち明ける相手はポールしかいない、僕はそう確信している。そのあとに起きたことがどうあれ、その当時、ジョンとポールほど親密だった男の友情関係を僕はほかに知らない。初期のビートルズのメンバーたちは、4人とも岩のように結束が固かった。それが彼らの成功の秘訣だった。でもジョンとポールは、まるで兄弟のようだった。しかも、どんな兄弟よりも、はるかに親密だった。

 僕がジョンにスペイン旅行のことを聞いたのは、ブライアンには直接聞けなかったけれど、何があったのか知りたかったからだ。僕は、ブライアンがいわゆる「低階級のゲイ」と呼ばれるような男の子たちに弱いことも知っていた。ブライアンが厄介な問題に巻き込まれるのは、いつだって、本質的に粗野で魅力のある少年を自宅やホテルに連れ込むからだった。僕はジョンも、この手の少年の部類に入ると思ったんだ。ジョンは確かに粗野な少年だったけれど、ブライアンとビートルズの関係は、ブライアンにとって性的な関係よりも、もっとずっと深くて大切なものだったのだと僕は思う。ブライアンはビートルズを愛していた。メンバー全員を愛していた。でも、ホモセクシャルとしてではない。それだけは断言できる。

(略)

[ビートルズを成功させることが]自分の使命だと思ったブライアンが、ジョンを怒らせて関係をこじらせるようなことをするはずがない。ビートルズの魅力はジョンだって、ブライアンが口癖のように言っていたのは、ジョンの才能に心から惚れ込んでいたからなんだ。(略)

 いずれにせよ、ブライアンがジョンと性的な関係を持つことを望んでいたとすれば、おおっぴらにジョンと旅行に出かけるなんてことは絶対にしなかったはずだ。僕も何度か、よく働いてくれたお礼にってブライアンから旅行に誘われたことがある。旅行はブライアンの感謝の気持ちなんだ。僕たちはいつも別々の部屋に泊まったし、ブライアンが夜中に僕の部屋をノックするんじゃないかって不安に襲われたことは一度もなかったよ。(略)

[ずっと一緒に働いていたが]ブライアンがゲイだってことを具体的に見せつけられたことは一度もないんだ。当時は今と違ってホモセクシャルは違法だったし、他人に知られてはならない秘密だった。ブライアンは、世間的には自分はゲイだと思われていないって信じていたよ。そのことに関しては、慎重すぎるぐらいに神経質だったからね。ビートルズのイメージを何より大切にしていたし(略)

ジョン・レノンに「オカマ」のレッテルが貼られるなんて、ブライアンにしてみれば言語道断だったのさ。

(略)

 ブライアンがジョンをスペインに連れて行ったのは、ブライアンの情熱の対象をジョンにも見せたかったからだ――そう、闘牛ショーさ。ブライアンが愛してやまなかったのは、鮮やかな色彩と凶暴性に満ちた、身の毛もよだつような壮絶な戦いだ。ブライアンは、ジョンもきっと感動すると信じていて、実際そのとおりになった。最初、ジョンは闘牛を観ることを拒んだらしいけれど、ブライアンはどうしてもって説得したんだ。案の定、ジョンは純粋な真剣勝負に夢中になり、血が飛び散ってもまったく気にしなかった。

 ブライアンに聞いた話だけれど、ジョンは夫と一緒に観光していたアメリカ人の女性を誘惑したそうだ。(略)

[トイレに行った美人妻を追ってジョンも席を立ち長い間戻ってこなかった]

 「ふたりが席に戻ってきたとき、何かあったなっていうのは明らかだったよ」。ブライアンは言った。「ジョンが先に戻ってきて、そのすぐあとで、妻が頬を真っ赤にして戻ってきたんだよ。(略)驚いたねえ。でもあの夫婦、ビートルズをまったく知らなかったんだ」。(略)

 ポールの21歳のバースデイ・パーティーのときだ。ディスク・ジョッキーにスペイン旅行の件でからかわれたジョンは、軽く受け流せなかった。(略)ジョンの話では、DJに「オカマ」呼ばわりされたらしい。すでにかなり酔っていたジョンは、いきなりDJに襲いかかって殴り倒したんだ。(略)肋骨が3本折れていた。(略)

あいつ、骨休みが欲しいって言うから一発見舞ってやったのさってね。「誰にもオカマなんて呼ばせない」とジョンは言った。「ブライアンを中傷することも許さない。僕がそばにいるかぎりね」

狂騒

どこに行っても必ずファンにもみくちゃにされたし、自宅の外には昼夜かまわずファンがテントを張っていて、4人の言動をくまなく監視しているんだ。僕がこんな状況に追い込まれたら、絶対にドラッグか麻薬に手を染めていたと思う。ビートルズの場合は、4人だけの別世界に逃げ込むことが多かったけどね。正真正銘のスーパースターになるという奇妙な体験を、4人で共有できたのは幸運だったよ。ビートルズがソロだったとしたら、間違いなく気が狂っていただろう。あの気の毒なエルビスみたいにね。

 ビートルズはよく言っていた。僕らは箱の中で生活しているんだってね。(略)

[楽屋、コンサートホール、飛行機という箱に]

僕らの箱はどれも、僕らを見て悲鳴をあげる人たちに囲まれています。だから僕らは、箱の外には出られないのです」

 最初、この話は単なるジョークだったけれど、ビートルズの人気が急上昇するにつれ、彼らの生活はますます包囲され、閉じ込められていった。僕は恐かった。でも僕は、NEMSを辞めさえすれば恐ろしい悲鳴のスイッチをオフにできるんだと思うと、少し安堵した。ある晩、ジョンはあきらめたように言った。「問題は、僕らは絶対にビートルズと関係を切れないってことだ。このばかばかしい事態から逃げるには、バンドを解散するしかないんだよ

野望

ブライアンは言った。「あいつらがどれほど成功したがっていたか、僕は本当の意味でわかっていなかったんだ。もちろん成功したいって言っていたけど、僕のほうが、その思いはずっと強いって思い込んでいたのさ。(略)

 「スペインに行ったとき、ジョンが僕に言ったんだ。成功する前に僕らを見捨てるなんてことないよねって。ジョンは、僕がいろんなおもちゃと遊んで、飽きたら捨てるようなプレイボーイだと思ったんだろう。僕がどれだけ全力を注いでいるか伝えようとしたら、笑ってたけどね。ジョンは、冷酷というほどではないけど、冷ややかな口調で言ったよ。あんたみたいな金持ちのアホ野郎には、成功したいって野望がどんなものかわかりゃしない。あんたには、いざとなれば家業があるけど、僕には家族すらいないんだからってね。シンシアと赤ん坊のことが頭をかすめて、ちょっと胸が痛かったよ。

(略)

[自分の夢をバカにして嘲笑した]アホ野郎どもを見返してやるって、ジョンは何度も何度も言ったよ。ジョンは僕が思っていた以上にビートルズを成功させたがっていた。人前では決してまじめな素振りを見せなかったけど、誰よりも強く成功することを望み、誰よりもまじめに取り組んでいたのは、ジョンなんだよ」

アメリカ制覇

「万事うまくいってるよ」ブライアンは穏やかに答えた。「『エド・サリバン・ショー』の依頼を断った」(略)

「まだその時期じゃない」(略)

 ブライアンは厳しい口調で続けた。「アリステア、決めのレコードがなきゃだめなんだよ」(略)

[しばらくして聴かされたのが]

「抱きしめたい」の試聴盤だった。曲を聴いて、僕は完全に打ちのめされた。だから、そのとおりにブライアンに伝えた。

 ブライアンはにんまり笑うと、黒い大きな革張りの椅子にどっかと腰をおろして、こう言った。「さあ、アメリカに突撃するぞ!」。これこそブライアンが求めていたもの、アメリカ制覇のための「決め」のレコードだったんだ。今思っても、ブライアンは天才マネージャーだったよ。正真正銘のね。

(略)

[サリバンがヨーロッパに新人発掘に来た際に空港でビートルズ騒動を目撃]

新進アーティストのコーナーで紹介したいと提案したんだけれど、ブライアンはそんな半端な出演では困ると主張した。トップゲストとして出演させてくれるなら、最低額のギャラでビートルズを出演させてもいいと言ってね。

(略)

 衝撃的なラジオ広告「ビートルタイム」がニューヨーカーの目覚まし代わりになり、ティーンエイジャーたちがヨーロッパの超人気バンドに興味を持ち始めると、ビートルズが『エド・サリバン・ショー』に登場することは出演前からアメリカ中の大きな話題になった。

 アメリカに到着し、すぐさま盛大な歓迎を受けたビートルズは心から感動した様子だった。(略)

 ジョンはアメリカ訪問にかなり慎重だった。クリフ・リチャードでさえアメリカでは失敗したことを知っていたし、ビートルズの前途を台無しにしたくなかったからだ。ジョンは出発の直前まで、僕らがアメリカに行くのはLPを何枚か買って、あちこち観光するためだって言っていた。だけど、「抱きしめたい」の爆発的なヒットで状況が一変したんだ。


ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years Blu-ray スペシャル・エディション

メーカー/出版社: KADOKAWA / 角川書店

発売日: 2016/12/21

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リンゴ

 アメリカ人にことのほか気に入られたリンゴは上機嫌だった。おどおどした愛嬌のある顔が、アメリカ人にはひどく魅力的に見えたらしい。リンゴは、ジョンやポールを差し置いて自分が突然いちばん注目されたことに驚いていた。(略)

アメリカを気に入ったいちばんの理由は、僕のことをステージのうしろにいる奴じゃなくて、ちゃんとドラマーとして扱ってくれたからなんだ」

サウンズ・インコーポレーテッド

 オーストラリア・ツアーは大成功だった。20万人以上の観客を動員し、どの会場でも過去最高の収益をあげた。真夜中に給油のために北部の田舎町ダーウィンに内緒で立ち寄ったときでさえ、どこからか極秘情報を聞きつけた数百人のファンが自分たちのアイドルをひと目見ようと集まってきた。意外にもビートルズのオーストラリア・ツアーは一度きりだったけれど、このとき共演したサウンズ・インコーポレーテッドはオーストラリアで驚異的な人気を集め、そのあともツアーを繰り返した。完全なインストゥルメンタルのバンドだったけれど、異常なほど売れたんだ。

『ハード・デイズ・ナイト』

はすばらしい映画だ。大成功の旋風にめまぐるしく翻弄されながらも、ジョンとポールがあれほどすぐれた曲を作り上げたことを思うと、僕は今でも胸がつまる。(略)メンバーたちはある意味、不満なところもあったようだけど、僕は当時の狂気じみたユーモアがよく反映されていると思う。(略)

 当時、ブライアンがアーティストたちに与えていたプレッシャーは想像を絶するものがある。とにかく働かせて、働かせて、働かせたんだ。ビートルズはイギリス国内で多数のステージに出演し、スウェーデン公演をこなし、それから初めての全米ツアーに挑戦した。ブライアンと僕が立てたスケジュールは、34日間で24都市をまわり、26の会場で32回のショーをするというものだった。今のバンドにこんな過酷な条件を提示したら、ショックですぐさま気絶しちゃうだろうね。

 でも、ビートルズはやり遂げた。不満をもらすこともなかった。長年、ハンブルクで安いギャラで苦労してきた結果、ようやく手に入れた成功だったからだ。

車椅子の子供達

 やがて、どのコンサートでも、車椅子の子どもたちを優先的に入場させるというのが習慣になった。もちろん、純粋な思いやりからだった。ところが驚いたことに、ビートルズのメンバーに触れてもらった子どもは病気が治るって、親たちが本気で信じ始めたんだ。実にばかげた話だよ。僕は言いようもなく胃がむかむかした。親たちは体の不自由な子どもを楽屋に入れるために必死だったんだ。(略)子どもたちを廊下におとなしく並ばせると、二ール・アスピノールは楽屋に入り、ビートルズの気を引くために、わざとジョンみたいな口調で叫ぶんだ。「さあ諸君、麻痺の時間ですよ」ってね。ビートルズもニールもうんざりしていたよ。みんなブラックユーモアで本心をごまかしていたけれど、ポールは僕に打ち明けた。障害のある子どもを楽屋に連れてくるような人間は大嫌いだってね。

 「初めは純粋な好意だったよ」。ポールは言った。「普通と違う運命を背負った子どもたちに、いちばん良い席を提供するのは全然かまわない。問題は、それだけで終わらないことさ。ショーの前に楽屋に来て、僕らに会いたがるってこと。しかも、僕らの手で病気が治ると思い込んでいる。体が不自由だろうが健康だろうが、僕らは子どもたちをだますようなことはしたくないんだ。ジョンだって犠牲者さ。障害者のふりをしたり辛辣なジョークを言ったりするのは、あいつがいちばん繊細で、いちばん心苦しく思っているからなんだよ。でも、少しでも協力を拒むような素振りを見せれば、新聞に何を書きたてられるかわからない。ビートルズに触れば病気がよくなるなんて子どもたちに言うのは、残酷としか言いようがないね」

次回に続く。ジョンがブリジット・バルドーと!?他。

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2017-01-18 英単語の世界 - 多義語と意味変化から見る 寺澤盾 このエントリーを含むブックマーク

真ん中辺りをチラ読み。


英単語の世界 - 多義語と意味変化から見る (中公新書)

作者: 寺澤盾

メーカー/出版社: 中央公論新社

発売日: 2016/11/16

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want

 この語は13世紀初め以前に古ノルド語から借用され、当時の意味は古ノルド語と同様に「欠ける、欠く」であった(略)

「欲する」の意味は、1706年が初出となっています。(略)つまり、人は何かが欠乏していると、それが必要であると感じたり、それがなくて寂しいと思ったりし、その結果それを欲するようになるものです。

debt、hierarchy

 ところで、debt(借金)はフランス語からの借用語ですが、英語に輸入された当初(13世紀初め)は、「人間が神に対して負っているもの、罪」という意味でした。それが14世紀末頃になると「他人に対して金銭的に負っているもの、借金」という極めて世俗的な意味をもつようになりました。ただ、キリスト教会の礼拝で必ず唱えられる「主の祈り」の一節――「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」――の「罪をおかす者」や「罪」は現代英語訳聖書の多くでdebtor,debtとなっています。

(略)

hierarchyは本来「天使の階級」や「聖職者の階級」を表しました

婉曲表現(doublespeak)

ベトナム戦争のときアメリカ軍による北ベトナム空爆はair support (空からの支援)と呼ばれました。またイラク戦争時には、アメリカ軍の誤爆によって多くの市民が犠牲となりましたが、そうした人的犠牲はアメリカ為政者に都合よくcollateral damage (付随被害)と呼ばれていました。

silly 皮肉に使われ意味が変化

[ひどい仕打ちに対し]皮肉を交えてIt's so kind of you. (ご親切なこと)と表現することも可能です。この場合、kindは「親切な」という意味でなく「意地悪な」という皮肉な意味で用いられています。

 kindの皮肉の意味は慣習化していないようですが、皮肉な意味が定着してその語の一部になっている場合もあります。 sillyという語はもともと「幸福な」、「祝福された」という意味をもっていたのが、後に「愚かな」という意味に変化しました。この「意味の下落」は皮肉な言葉使いに起因します。つまり、sillyが本来指す対象とは正反対の人・ものに対して、「皮肉」や「冷やかし」で使われていくうちに、そうした指示対象と直接結びつくようになり、もとの意味とは反対の「愚かな」という意味を身につけたと考えられます。日本語でも「あの人はおめでたい人だ」といった場合の「おめでたい」は否定的な響きが感じられます。

do

 古英語ではdo(当時の形はdon)には「する」という意味と並んで「させる」という使役の意味(17世紀初めで廃義)がありました。後者はたとえば I did him clean my room. (私は彼に私の部屋を掃除させた)のように目的語と不定詞を伴った構文で用いられました(例文は現代英語に置き換えてあります)。そして、古英語・中英語期においてはこうした使役構文ではしばしば不定詞の主語(被使役主)が省略され、l did clean my room. のような文が用いられました。被使役主が省略された文においては、曖昧性が生じます。つまり、l did clean my room. に対して、「私が誰かに私の部屋を掃除させた」という本来の使役的な意味のほかに、「私が直接自分で部屋を掃除した」という解釈も可能になります。後者の解釈ですと、doの意味はゼロに等しくなり、ここから迂言のdoの用法が生じたと考えられます。

(略)

 使役の意味を失ったdoは英語から消えてなくなったとしても不思議ではありませんでした。実際、1755年に初めての本格的な英語辞典を編纂したサミュエル・ジョンソンは、その辞典の冒頭でこのようなdoの用法を批判して次のように記しています。(略)

doはときどき I do love,I did love のように必要もないのに使われることがあるが、これは非難されるべき誤った語法である。

 しかし、迂言のdoは過去と現在が同形の動詞の時制を明示する手段として有用でした。 1611年刊行の『欽定訳聖書』の福音書においてはeatの過去形としてはdid eat しか用いられていません。これは当時の英語では、eatは現在形でも過去形でも発音は/ɛ:t/となり区別が難しかったためと考えられます。

(略)

And as they sate, and did eat,Iesus said

(略)

 また、韻文では詩行の音節数を整えたりする韻律的な手段として用いられることもありました。以下は、『ハムレット』からの一節です。(略)弱強のリズムが5回繰り返されるのが基本です。(略)下の例の最初の行では、didがあることで10音節からなる詩行は弱強のリズムを形成しています。(略)

It lifted up it[s] head and did address

(略)

 このようにそれ自体は意味をもたないdoは細々とではありましたが、存続していきます。 16世紀以降になると迂言のdoは新たな働き場所を得ることになりますが、その「転職」の過程を見ていきましょう。

 英語の疑問文では、もともと助動詞だけでなく一般動詞も主語と動詞を倒置させました。

 しかし、doを用いた疑問文も用いられるようになり、16世紀中頃以降は、doを用いない単純形を上回るようになります。疑問文におけるdoの増加は16世紀中頃の英語に見られた語順の変化と関連しています。つまり、この時明に主語(S)と動詞(V)の語順倒置(VS(O))が、助動詞やcomeやgoなど一部の自動詞を除き少なくなります。その結果、疑問文を形成するときにも主語と動詞の倒置を避けるためdoが有用になりました。 Read you the book? ではVSOの語順ですが、doを用いるとDid you read the book? (do SVO)となり、SVOの語順が維持できます。

 一方、否定文の場合、初期近代英語の頃は動詞の後にnotをおくのが一般的でしたが、doを用いた否定文も次第に増えてきて17世紀後半になるとdoを用いない否定文と拮抗するようになります。否定文におけるdoの文法化には、疑問文の場合と同様、16世紀中頃の英語に見られた語順に関する変化が関わっています。つまり、とくに他動詞においてSVOの語順が一般的になった結果、動詞(V)と目的語(O)の結びつきが強まりました。そのため、否定の副詞によって動詞と目的語を分断してしまう You read not the book.(V not O)よりも動詞と目的語の隣接を可能にするYou did not read the book. (do not VO)のほうが好まれるようになりました。

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2017-01-16 真説・長州力 1951‐2015・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


真説・長州力 1951‐2015

作者: 田崎健太

メーカー/出版社: 集英社インターナショナル

発売日: 2015/07/24

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キラー・カーン

[アポなしで店をたずねインタビューを申し込んだら]

 「おっ、おっ、俺に長州のことを聞くのか?」

 小沢は喉に詰まった何かを吐き出そうとするかのように太きな軀を折り畳んだ。

 「俺は、俺は長州という人間が嫌いだった。あの野郎、刺し殺してやろうと、そのぐらいの気持ちになったこともある」

 必死で怒りを抑えるように軀を震わせていた。(略)

[慌てて退散し、翌日電話。小沢は落ち着いており、長州はどうでもいいが]

子どもがまだ小さいとき、一番俺が稼げるときに、スパッとプロレスを辞めたのはやっぱり長州なんですよ。

(略)

アメリカにいるときに、大塚さんからの電話で長州が新日本に戻ったことを聞いて、俺はただ、びっくらこいてね。長州は、あれだけ男同士みんなでやろうって言ったのに、なんでまた金に転んで戻ったんだと。猪木さんの会社に後ろ足で砂をかけた人間でしょ? 意地でも戻らないでしょう。新日本に戻ったということは馬場さんのことも裏切ったんですよね。俺は悔しくて一晩泣き明かした」

(略)

[父の跡を継いだばかりのマクマホンJrは小沢を高く評価しており]

 「お前が何か困っているのならば、どんなことでも解決してやるからと言ってくれた。俺のことが必要だと。それでスケジュール帳を見せてくれたんですよ。そうしたらいろいろと試合が組んである。ほとんどがメインイベントなんですよ。そのときは頭を駆け巡りましたよ。ここでは二万ドルは取れる、あそこならばもっと取れるとか」

 それでも小沢の意志は変わらなかった。すでに日程が決まっていた試合をこなした後、87年11月末に引退。

橋本真也

[ドン荒川にけしかけられた橋本の蹴りでヒロ斎藤が左手甲を骨折。長州とマサは控室に橋本を呼びつけボコボコに]

[小林邦昭談]

もう死ぬ一歩手前ですよ」

小林はこの夜、橋本の部屋に電話を入れた。

「(略)悪い雰囲気を引きずりたくないじゃないですか。(略)

[移籍は新日側から頼んできたこと、移籍金は受け取ってないこと説明すると]橋本は「ぼくたちはそんなこと聞いていませんでした」と素っ頓狂な声を出した。(略)

橋本は小林に「すいませんでした」と謝った。この謝罪をきっかけに橋本は長州たちと打ち解けるようになった。

越中詩郎

 越中も長州の現場監督時代に引き上げられたレスラーの一人でもある。

[三銃士の台頭で押しやられた小林邦昭と越中で勝手に誠心会館との抗争を始める](略)

だから最初はいい気はしていなかったと思いますよ。なんだよ、勝手なことをやりやがって、と。最初は試合として認めてもらえなかったんですから」(略)

[92年正月の東京ドーム、小林☓齋藤彰俊戦が全試合終了後に行われ、控室に戻ると]

長州が一人で待っていた。ほかのレスラーはすでに引き揚げていた。

 「(略)長州さんはこんな反響があると思っていなかった、みたいな顔をしていましたよ。そして、ニタッと笑って、“次はお前だ”って」

(略)

 長州は越中の勘の良さを認めたのか、八月には天龍源一郎が主宰していた団体、WARに乗り込んでこいと命じている。(略)

 越中たちは新日本とWARの対抗戦の布石となった。(略)

[93年、反選手会同盟は、「平成維震軍」と改名]

 「長州さんから、新日本本隊と離れてくれ、お前らで興行やってくれと。それはまた大変だったんですよ。でも、それやっても客が入った。しばらく新日本のリングに上がらずに外をずっと回っていて、またどっかで会ってということを長州さんは考えていた。(新日本の興行に)合流したときにまたインパクトがある。そのタイミングなんかは、もう滅茶苦茶いいですよ」

 越中は新日本プロレスヘの“中途入社”としての分をわきまえていた。(略)

 「平成維震軍は三銃士と絡まない。三銃士は三銃士。(長州の考えは)メインはあくまでも生え抜きの三銃士。その脇で盛り上げろと。後に関わり出したのは、蝶野が(三銃士の中で)浮き始めたときぐらい」

(略)

[やがてマッチメイクに絡むことに]

――それは狡いぞ、それは狡いぞ。俺にみんなやらせるのか。俺の右腕なり左腕になってもらわないと困る。

――お前もキャリアを積んでいるんだから、そういうわけにはいかないぞ。

 長州の苦労を考えれば、とても自分は勘弁してくださいなんて言えないと、越中は溜息をついた。

(略)

 「次のシリーズはだいたいこういう流れで」

 長州と越中が席に着くと永島が紙を渡した。紙をじっと見つめる長州の顔が険しくなった。今日は長くなりそうだ。越中は暗い気持ちになった――。

 「(一つのシリーズで)三十何試合やって、次の日の朝10時に会社に行かなければならないわけですよ。

(略)

「当日になって、何かレスラーが気にくわないことをやったり、問題を起こしたりすると、“あいつは駄目、外せ”と。(略)

 「当然、人間関係はぐちゃぐちゃになるわけじゃないですか。いい扱いをされる選手はおーってなるし、そうでない選手は端っこの方で……(陰口を叩く)。当然、それは長州力の方に行きます。その負担をぼくが半分にしてあげられたか……」

(略)

 「よく言っていたのは、みんな平等にチャンスはやるということ。絶対に長州さんはチャンスを与えています。ただ、それを摑む、摑まないかはそいつ(の力量)。例えば記者会見で頓珍漢なことを言って、客が離れたら見放される。ぼくから見ていても、誰かをかわいがっているというのはなかった。好き嫌いなし。それも立派だった」

(略)

 「ぼくがちょっと囓って大変なんだから。長州さんはがっちり囓っているんですよ、ぼくでも分かり得ない部分がまだあるんです。

(略)

 「他団体との交渉なんかも闘いなんですよ。その最前線の駆け引きで長州さんが負けたことは一回もないですから。それは凄いですよ。結局ねじ伏せますよ。Uインターのときもね」

平成の黄金時代

[坂口長州体制で財政は健全化]

 「ドームをこなせると収益がまったく変わってくる。テレビの放映権料も上がっていましたし。あの頃にビルを造るべきでしたね」

 89年に坂口が新日本の社長を引き継いだときにあった10億円の借金は、10年足らずで完済した。

 「(略)坂口さんが“長州、今日で借金終わるぞ〜、銀行、行くかあ”って。応接室に通されると“これで全部終わりです”。そこで坂口さんが冗談で“次から違う銀行にします”と言った。そうすると向こうは“いやいや、少し残しましょう”って。帰り道、坂口さんが“銀行ってこういうもんだぜ”と話したのを覚えています。坂口さんは(経理に)細かいから良かった」(略)

 「いつもぼくは坂口さんに“細かーい”って文句を言っていた。文句を言っていたけど、あの人が一番まともでしたね。坂口さんはちょっと馬場さんに似ているところがあって、あのときはみんな人間関係がうまくいってた」(略)

[坂口談]

 「新日本を作ったのは猪木さんですけれど、育てたのは坂口さんとぼくです、って。長州の名言だよ。(略)

 「ドーム興行が成功。三銃士が出てきて、グッズが売れた。『闘魂ショップ』って俺が考えたんだよ。(略)最初は切符やTシャツを売って、家賃分ぐらいになればいいと思っていた。ファンの集まれる場所になるしね。そうしたら、両国の『G1クライマックス』のチケットを闘魂ショップで先行発売ってやったら徹夜で並ぶ人が出てきた。麻布署から怒られたんだよ。(略)切符の売り上げだけで4000万とか5000万あった」

 この時期の新日本プロレスは派手な社員旅行でも知られていた。

 「俺の方針は、儲かったらみんなでいい思いをしよう、金残して税金払ってもしょうがねぇじゃんって。ハワイに家族みんな連れて百何十人で行ったりよお。ゴルフコンペに優勝したら自動車一台だもの。ハワイは四、五年(連続で)行ったんじゃないかな。

大仁田を拒否した猪木

大仁田はプロレス専門誌の記者から、猪木と長州に溝ができていると聞いていた。猪木の小川に対して、長州も「爆弾」を欲しがっているというのだ。[大仁田は乱入し長州に対戦要望](略)

これに猪木は過剰に反応した。[全社員を招集。営業部員は賛成で意思統一して部屋に入ったが、猪木に圧倒され何も言えず](略)

――お前らはあいつの毒を知らない。

――大仁田は殺しても、殺せないんだ。

――あいつをなぜ新日本のリングに上げちゃいけないか、分かるか? あいつは負けても消えない。負けても勝った人間の上を行っちゃう毒を持っている。だからあいつには触っちゃいけない。(略)

 猪木が大仁田を嫌うのは、二人が同じ種類の人間であり、近親憎悪なのだと神尊は考えるようになっていた。

(略)

[大仁田談]

「[東京ドームの]試合が終わったときに、絶対長州に辿り着けると確信した。(略)なぜかというと、最初に佐々木健介を当ててきたから。長州さんがウエルカムじゃなかったら、蝶野とか武藤とか、あの辺が出てきただろうね。プロレスってさ、先を読まないといけないのよ」

(略)

[その後、蝶野、ムタらと試合をしたが]

肝心の長州の動きがなかった。大仁田は次第に焦りと不安を感じていたという。

 「長州さんって、あんなに不器用だと思わなかった。(挑発に対する)返しも悪いしよぉ。そのときに現れたのが、真鍋だった。誰かいないと絶対に持たないと思ったんだ。それで三角関係をつくろうと。“おい、真鍋、俺と長州どっちが好きじゃ”って言ったりね」(略)

「みんなやらせだとか言っているけど、あれはまったくのアドリブだよ。全部シビアなやりとりだよ。この男を使わないと長州に辿り着かないと思った。(略)

[真鍋をビンタしたらテレ朝の偉い人が怒って]もう真鍋は大仁田のところに行かせないと言ったんだ。ところが、その日の視聴率がバーンッて上がっちゃったわけよ。そうしたらコロッよ」(略)

 [大仁田のマネージャー]神尊はたびたび長州と会って話をしている。長州は引退した自分が復帰することは受け入れられるのかどうか、その相手が太仁田でいいのか思案しているようだった。(略)

[埒があかないと見た神尊は永島勝司を焚き付けた](略)

 「“なんか動いてくれないと、こっちもしびれを切らしますよ”と話をしたんです」

[永島が独断で“長州の汗が染み込んだ”Tシャツを大仁田に手渡し既成事実を作り、ようやく長州が重い腰を上げる]

新日の分岐点

新日本の綻びは、大仁田が長州に試合をする気があるのかとじりじりしていた頃に始まった。

[99年6月24日坂口が大株主の猪木から社長退任を告げられる](略)

俺も10年社長をやったし、借金を返したし……いつまで社長をやらないといけないんだろうというのも俺の中ではあった」

 背景にあったのは1月4日の橋本対小川の試合だったと坂口は考えている。

「あの時、俺が号令をかけていないのに、長州も選手もみんな会社にやって来たね。あのときは長州が一番頭にきてたな。現場監督やっていたからね。“社長、小川の野郎はどうするんですか”ってね。(略)

[功労者の]坂口を突然社長から外すのはひどい仕打ちだと憤ったレスラーたちが自宅に訪ねてきたという。

 「選手は武藤と蝶野、そして橋本は来れなかったので、かあちゃん(妻)を寄越したな。あと営業の偉い奴らが来た。どうするんですかってね」

 彼らが知りたかったのは、坂口が新日本を割って新団体を興す意志があるかどうかだった。

 しかし――。

 「俺は今の会社にずっといて、ちゃんと見てきたから、余計なことはしたくないって言った。でも、なんかみんな本気だなって、あのときは嬉しかったね」

 坂口は証券会社と相談して、新日本プロレスの上場を進めていた。その動きも猪木の癇に障ったのかもしれない。自分が立ち上げた新日本が手の届かない場所に行ってしまうという不安もあったろう。

 坂口は会長に棚上げされ、社長には藤波が就任した。(略)

金融機関から信用のあった坂口の退任、そしてこの後のプロレス人気の冷え込みもあり、株式上場計画は頓挫することになった。(略)

[長州は三銃士の中では]橋本を買っていたという。

 「インパクトをつくれるのは橋本が一番。橋本とはいろいろとあったけど、かわいい奴だよ。神経がずぶとくてね。あんなデブでも素質と素材がある」

 そして「こっちの素材はちょっと(足りない)」と言って頭を指さして笑った。

 「ゼロワンを作って出ていくときは止めましたよ。ああ、何度も会ったな。でもチンタの意志は固かった。チンタは意地を張って出て行ったんだろうな」(略)

 この時点ではそれほど危機感はなかったという。

 「橋本だけでなく、敬司も蝶野も出て行くとしんどいなと。でもチンタだけだから。敬司はのらりくらり[全日移籍と]天秤にかけた。蝶野は二人とも出て行ってほしかったんだろうな。なんか見ていて分かった」

(略)

[坂口談]

「俺が社長をやっていた頃は本当に会社がまとまっていたんだ。みんな和気藹々として仲が良かったし、選手離脱もなかった。俺が社長を外れてから、ガタガタっときちゃったな」

[2001年夏、長州が総合格闘技出場を認めなかったため、猪木が現場監督から外す。その後、溝は埋まらず長州は退団]

保永昇男

長州の取材を続ける中で、何度もその男の名前が出た。

――長州さんのことを一番知っているのは保永じゃないかな。

――保永さんは最後まで長州さんを守った男です。

(略)

[WJ]旗揚げから天龍と六連戦をやると聞かされたとき、保永は長州の軀を案じたという。

 「新日のときの馳や健介のように、フォローしてくれる若手がいれば負担が減るわけじゃないですか。でもそういうわけにはいかなかった。天龍さんも妥協しないタイプだし(略)

 保永はWJでレフェリーの仕事以外に、若手レスラーのコーチも務めた。(略)

 主たるレスラーが去った後も、保永は毎日自宅のある船堀から久が原の道場に通った。(略)

 コーチだけでなく、保永が料理を作ることもあった。(略)

 そのほか、鉄製のトレーニング器具の作製、建物の不具合が出ると工具箱を持って保永が出て行った。WJが活動停止をした後、道場の壁に書かれた「WJ」の文字を消さなければならなかった。業者に頼む金はなかったため、手先の器用な保永がペンキで塗り直し、リキプロのロゴを描いた。

 保永はWJから出て行ったレスラーを庇った。

 「所詮レスラーというのは個人事業主の集まりなんですよ。だから、仕方がないんじゃないかな。健介は健介で、もっと安い場所で道場をやったらどうかという話をしていた。でも長州さんは、うんと言わない。それ以外でも、健介はよかれと思っていろいろとアイデアを長州さんに持っていっていたけど、長州さんは“俺はやんない”ということがあった。もう限界だったんだろうね」

 WJで給料が出たのは旗揚げから数ヶ月のみ、リキプロでも保永はほとんど金を受け取っていない。(略)

[リキプロ閉鎖の際、増築部分を現状回復する必要があるとわかり、保永が車を売り自腹で払った。さらに水漏れが見つかり保永がDIYで修理](略)

 「石井たちはもう新日の巡業に出ていましたからね」

 事も無げに言った。

 後から保永が立て替えた修復費を支払いますと石井が連絡を入れると「いいよ」と断った。そういうわけにはいかないからと話して、何度目かにようやく金を受け取ってもらったという。

 長州は新日本に戻る際、保永も誘っている。しかし、保永はそれを断った。

 「レスラーだったら何人いてもいいですけれど、新日を見たらレフェリーの頭数は揃っていたんですよ。だから、俺はいいですと」

アントニオ猪木

何度も交渉したが猪木は取材を受けなかったと伝えると、長州は「ああ、そうですか」と頷いた。そして、はあと溜め息をついて、「ああ」と意味にならない声を何度も出した。(略)

 しばらくしてから長州は猪木の話を自ら始めた。

 「よく猪木さんってどういう人って聞かれるんです。凄い人だとかそれぐらいしか言えない。なぜ、この人が凄いのか……(こう思っているのは)ぼくだけかもしれない」(略)[逡巡があって]

 「ぼくはあんまり難しい話をしたくない。これが(取材の)最後だっていうので……やっぱり(言っておかなければならない)。あの人には絶対になれない。真似る人間はいたとしてもなれない。

(略)

 「プロレスは筋書きがあるとかみんな書いている。でも、あの人はシュートです。なんのシュートというのかは……あの人のリングの中のパフォーマンスはシュートです。だから凄い。それはぼくも経験しているしね」

(略)

試合をやっていくとリングの中でドンドン深いところに入っていく。この人はどこまで深くまで入っていくのか。オーバーと思うかもしれないけれど、深海の深いところ、どこが海底なのか分からないところまで……」

(略)

[ある試合中]

 「殺せと言われた」(略)

 「長州、殺せと。そのとき、うわっと反応するものがありました。この人はそこまで行く人なんだと」(略)

 「最初は聞き取れなかった。あの人、本気でリングで死ぬことを求めていたのかもしれない。だからあの人には敵わないんです」

マサ斎藤と健介も取材拒否

長州は何度か「マサさんは取材に応じた?」と訊ねてきた。斎藤の妻と交渉を重ねたが、長州については話したくないと言っていると断られた。そのことを伝えると長州は寂しそうな顔をした。

 もう一人は佐々木健介だ。佐々木については、WJ時代に自分が500万円を借りたことにされていると長州が声を荒らげたことがあった。(略)

長州は斎藤の場合と違って、佐々木が取材を断ってきたと聞くと鼻で笑った――。

 長州はしばらく考えた後、口を開いた。

 「得たものは、人を見る目。お前に俺の何が分かるって言われるかもしれないけど、なんとなく分かる」

 「では、失ったものは?」

 「ああ、家族ですね。自分の子どもをよく知ることができなかった。みんな元気にやっているんですけれど、ずっと一緒にいて成長を見たかった。(そうした時間は)取り返せない」

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2017-01-13 真説・長州力 1951‐2015 田崎健太 このエントリーを含むブックマーク


真説・長州力 1951‐2015

作者: 田崎健太

メーカー/出版社: 集英社インターナショナル

発売日: 2015/07/24

|本| Amazon.co.jp

端っこ

[上座をすすめると]

「ぼくはいつもここです。端っこがいいんです」(略)

「中学校ぐらいから、ぼくはいつも端っこでしたね。なるべく後ろ側の端っこ(略)

「旨い酒でも楽しい酒でも、いつか底が見えますよ(略)

やっぱり勢いがいいときは、どんな仕事の世界でも旨い酒を飲めます。でも、いつまでも旨い酒は飲めない。だんだん透明になって底が見えてきた。(略)ああ、ぼくは底が見えていますね。(略)だから缶珈琲で割ってしまおうかと」

長州は泡盛を珈琲で割った

ジャンボ鶴田

[新日も狙っていたが]馬場は彼の父親が入院している病院に行って枕元に見舞金を置き、鶴田の心を摑んだ(略)

同じ轍を踏むまいと、新間は自ら[長州に]会って説得することに

契約金300万円

 契約金は全額、専修大学のレスリング部に渡った。(略)

 監督の鈴木も金を受け取ったことを認め、「あいつには悪いことをした。ピンハネだもんな」と大笑いした。

 「貧乏な学生が多かったから、あれは助かったよ。当時の金で300万っていったら大きいぞ。でも彼の前でやったことだから、彼が納得して渡した。そういうところはあいつはさっぱりしているからな」

 光雄は契約金を専修大学に寄付したと新間が報告すると、猪木は感心したように「吉田というのは、ここがいいな」と胸を指さした。

ゴッチとの決裂

「その前にドイツで失敗してるから。あんまり“固いこと”やったってしょうがないなっていうのはありましたね。

 固いとは、関節技や寝技の練習を指すと思われる。

(略)

 〈まあ、関節技はアマレスにないから手や足を出しちゃえば、獲られちゃう。でも、その前段階で俺を倒せる人間、寝技に持ち込める人間はいなかった。

 関節獲るのってメチャクチャ楽なんだ。すぐに覚えられたよ。ただ、倒す技術っていうのはなかなか身につかない。覚えるのはしんどいよ。だから、レスリングをみっちりやってきた俺を倒せる人間はいなかったな。それは自信持ってた〉

(略)

[ゴッチと決裂し6歳年上のタイガー]服部がレスリングと柔道を教えていたジムに入り浸るようになった。そんな彼を見かねたヒロ・マツダはフロリダ近辺の試合に出られるように手配してくれた。

(略)

 日本に帰らず、このままカナダに居続けるのも悪くないと光雄は思っていた。日本への未練はなかった。

[しかしアリ戦の負債でNETの実質子会社となった新日に呼び戻される]

参考になった猪木の言葉

――リングサイドから五列目までは(試合をしながら)全部見ているからな。

 リングサイドの観客を“捕まえ”れば、池に石を投げ込んで水紋が広がっていくように、会場全体の客の心を摑むことができるというのだ。

 「大きな石だとドボーンッて早く波が終わってしまう。ポーンと投げて輪を静かに大きくしていく、そんなような感覚ですね。それは大きな会場でも小さな会場でも関係ないんですよ。その点で猪木さんは天才でしたね。完全に(観客に対する)指揮者でした」

 長州は猪木のセコンドに付くときは、猪木のちょっとした動き、表情に目を凝らした。

 「あの人はロープ際に行っても、絶対に下を向いていないです。頭を上げて、じーっと客と目を合わせますよ。自分の凄く苦しんでいる顔を見せる。ぼくはそういう風に見ていましたね。あの人は顔から指の先まで使って客を捕まえる」

 猪木さんは、指の第一関節だけで苦しみを伝えることができる、と長州は人さし指を曲げてみせた。

新日のマークは藤波と小鉄で考えた

「小鉄さんが紙の上に丼をひっくり返して、丸を書いた。そこにキング・オブ・スポーツ、ニュー・ジャパン・プロレスって」(略)

「あのライオンマークを見るたびに思いますよ。最終的にはデザイナーが仕上げたんですけれど、これは俺らがあのときに考えたマーク。確かに完璧ですよ」

佐山聡と長州、それぞれのシュート

[佐山談]

 「コレ(シュート)がない人たちはドッタンバッタンするしかない。コレがある者同士だと暗黙の了解というか、流れがパパパパッと格闘技になるんですね。それがぼくらのプライドだったんです」

 「つまり、表に出ているプロレスの部分とシュートが一対になっていれば問題なかった?」(略)

プロレスを納得できたということですか?」

 「できましたね。だけれども矛盾はあるわけで」

(略)

 「長州さんが悩んでいたのは、セメントのことではなくて、“プロレス道”のことだと思うんですよ。長州さんはセメントには関心がない。長州さんはもの凄いプロレス道を持っているんです。それはアマチュアレスラーとしてのプライドがあるからかもしれません。長州さんはこっち(関節技)の方ははっきり言って必要ない。長州さんにとってのコレ(シュート)はプロレス道。ぼくらのプロレスに対する思いと長州さんの思いは道う。でも、コレ(シュート)は同じ」

(略)

「[長州の技の数は少ない]それをもの凄い迫力にしてしまうのが長州さんです。闘いの迫力というかね」

 佐山は長州が「客から笑われることだけは絶対にするな」と口酸っぱく言っていたことが記憶に残っているという。

噛ませ犬事件

[画策したのは誰か。びっくりして止に入って初めてリングに上がったくらいだよと新間は否定]

[試合当日]大塚が渡した対戦表を見た猪木は「面白くもおかしくもないなぁ」と呟いた。(略)

「凱旋帰国って言ったってな……。シックスメンか」と言うと黙ってしまった。面白くないと言うからには何かやるのかなと予感しながら大塚はその場から立ち去った。

 長州と藤波の仲間割れが始まったのを見て、大塚は、ああ、こう来たかと思った。

(略)

 「仕組んだというのは……アントニオ猪木でしょうね。うん、仕組んだとしたら。(略)

いいときに空ける、タイミングのいいときに空けられると、みんなが酔いしれる」[とメキシコから帰国した時にワインの喩え話をされた](略)

なんか俺に対して布石を打つというか(略)このままでいたら……お前また一年同じことをやったら終わるぞ(略)

「何をやれという(具体的な)ことはまったくない。(略)

会場に入ってトレーニングしているときに呼ばれて、それに近いことを、布石を打たれるような……」

――そのときは、ピンと来るものがあった。

 「ああ……俺にしたって、自分なりには分かってきていた。(でも)俺の感じを本当にどこまで出せと言っているのか。じゃあ、何をやってもいいのか、どこまで受け止めていいのか分からない。(略)

俺だけの解釈じゃ、相手は絶対に戸惑うというか、成り立たないわけなんです。でも成り立たないところに闘いが見えるんじゃないか(と思ったり)……。(略)

そういう感情を毎日出していたら、とんでもないことになってしまう。それはできない。でも最初のインパクトを摑むには、個々の感情の一発目で決まることなんですよ」(略)

「それが後楽園。引き金を引いたのはぼくです。でも撃鉄を上げたのはぼくではない」(略)だから怖いんですよ、あの人」(略)

“あー、俺は今、カミングアウトしている、自分の(素の姿)と違うな”という感触はありましたね。猪木さんもここまで出るとは思っていなかった」(略)

 藤波に、仲違いすることを承知していたのかとぶつけると、「ぼくは知らない。もしそういうのがあったとしてもぼくは知りたくない」と激しくかぶりを振った。

 猪木はかつて自分の付き人だった藤波の愚直なほど真っすぐな性格を熟知している。(略)

 どこまでやっていいのか探っていた長州、まったく知らなかった藤波。その噛み合わなさ、たどたどしさが二人の関係に緊迫感を与えた。

(略)

[その後のアメリカ行きは]

「あれは半分“シュート”でしたね。半分ですけど。会社とうまくいかなかった部分がありますね」(略)

[藤波とガチで険悪になり試合が成立しない]ほとぼりを冷ます必要があった。(略)

「マサは向こうで顔だから、一緒に行動してみろ。そしてビンスにも会ってこい」

新間はそう言うと経理担当者から数千ドルを引き出させて長州に渡したという。

(略)

[オフでも男前にヒールを演じるマサ斉藤にしびれ、プロレスラーとして覚醒した長州。このままマサとサーキットしてもいいとさえ思ったが、呼び戻され維新軍結成]

アニマル浜口

 「レスラーっていうのは一人でやっているわけじゃないんです。みんなで波を起こさないといけない。ただ、全員で波を起こして、最後に乗る奴は一人。この業界、高い波に乗れるのは一人しかいない」

 そして長州は「その感覚が鋭くなったのは、浜さんと組んでからでしょうね」と付け加えた。

 「直接言ったことはないですけれど、うわー、浜さん、ぼくのために一生懸命波を起こしてくれているというのは分かりましたね。乗ったら乗ったで、またこれもしんどい。高い波に乗った奴は綺麗なものを見せなければならない。勝っても負けてもしんどい。ぼくは波を立ててくれた浜さんのためにも波に乗ってあげないといけないという感覚です。ぼくができることは、(長州を支える)アニマル浜口は最高だというイメージをつけること。それがぼくの報い方でしたね」

大塚直樹の営業方法

 大塚の地方営業のやり方はこんな風だ――。

 見知らぬ土地に行くときは、街で一番名前の通ったホテルに泊まる。ただし、そのホテルで最も安い部屋だ。風呂が付いていなくともよい。きちんとした宿に泊まっているかどうかで信用の度合いが違ってくる。宿泊客はロビーなどの施設を無料で使うことができるので、結果として安上がりなのだ。

 足となるのはレンタカーである。もちろんレンタカーの事務所では興行のポスターを張ってくれと頼む。そして地元の商工会議所に飛び込んで、一帯の情報を頭に入れると、地道にスポーツ用品店、煙草屋などポスターを張ってくれそうな場所をしらみつぶしに回っていく。多くの人が集まるスーパー、百貨店も重要だ。とにかく人を繋げてもらうことだった。

 日が暮れると、糊の入ったバケツをぶら提げて、ひっそりと宿を出る。ひたすら電信柱、歩道橋にポスターを張った。まずは街で最も大きな通りから始める。大切なのは、一晩で一つの通りを張り終えることだ。翌朝、ポスターで埋め尽くされた道に、通行人ははっとして、プロレスの大会があることに気がつく。

 そして次の夜は別の通りで同じように張っていく。もちろん警察の目を避けて、である。勝手にポスターを張るなと、新日本プロレスの事務所に抗議の電話が入ることもあった。大塚は謝るのは本社の人間の仕事だと割り切っていた。

 改装中のパチンコ屋に入り、こう頼んだこともある。

「サイン会でも玉売りでもなんでもやりますから、チケットを買ってくれませんか?」

 そして開店日に合わせて、猪木を連れていった。30分ほどパチンコ玉を売った後、猪木はそっと大塚を呼んで耳打ちした。

 「ボウリング場とかスーパーの屋上でサイン会でもなんでもやるよ。でもパチンコ屋で玉を売るのはなあ……」

 今度から気をつけますと大塚は頭を下げた。

  • クーデター

山本小鉄がクーデターを起こしたのはアントン・ハイセルに金が流れただけではなかった。坂口が新日入りして、自分がNo2じゃなくなった。坂口が地方興行の現場を仕切ったら経費をどんぶり勘定の山本の半分にしたので、以来、猪木&新間は坂口に任せるように。山本の仲人をした中村パン社長から三億出すという口約束を貰って新団体設立の野望を抱く小鉄。36歳までに独立したい大塚。プロレスを辞めたい佐山。猪木不在の巡業中に相談。

 とはいえ、みなが猪木と新間に対して事を構えることには及び腰だった。

――2対50でも勝ち目はない。出て行けと言われるだろう。

 追い出された場合、新団体を立ち上げようと山本が話をまとめた。

 新団体の仮名は「ワールドプロレスリング株式会社」――社長に山本、副社長に藤波、専務に佐山、常務取締役に永源。取締役にはキラー・カーン、長州、星野勘太郎たちを充てることになった。

[しかし、役員に自分が入ってないことに不満を抱いた佐山のマネージャー、ショウジ・コンチャが佐山を連れ勝手に新日離脱。別行動でテレ朝から出向していた望月和治がロスから戻った猪木を空港で捕まえ、猪木らが辞めないと、大塚&レスラーが辞めると談判。一旦山本&テレ朝出向役員二人のトロイカ体制となったが、テレ朝専務三浦甲子二が猪木坂口が新団体作っちゃうぞと激怒、結局、猪木坂口が復帰。巡業に出た猪木は藤波を呼びつけクーデターの全容を聴取。]

谷津嘉章

[最初の宴会で、皆は水で谷津だけは酒という洗礼を受けていきなりプロレスに幻滅。付き人を免除されたせいか他の若手から嫌がらせ。坂口が気を使って同じレスリング出身の長州と同部屋にしてくれたが]

「長州は新日本プロレスの流儀はこうだと教えてくれなかった。(略)ほかのレスラーはともかく、長州力には教えてほしかったなと」(略)

[デビュー戦で流血の赤っ恥]

「[史上最強重量級選手と]お金をかけて持ち上げておきながら、最後に首を取るというのが猪木さんのスタイルじゃないですか。猪木イズムはオリンピックより凄いんだ、プロレスは厳しいんだ(略)だからあれだけ持ち上げられて、あんだけ流血させられたんですよ。でもしょうがない。俺は1500万円で自分の軀を売っちゃったんだから。何をされてもね」

(略)

[フロリダに行ったが試合は少なく金欠。助けてくれたのは全日のレスラー]

 「ハル薗田とかは、“谷津ちゃん、アメリカ来たら、新日本も全日本もないよ”って言ってくれたりね」(略)

 「ジャンボの方が、長州よりもよっぽどプロレスのことを教えてくれる。それで俺は全日本の方が面白いな、みんな優しいなと思って」

(略)

[しかし新日から長州軍入りの指令]

形としては、俺と意気投合して、長州が日本に連れてくるというアングルだった。(略)

 「長州から“おー谷津、これから頼むよ。お前入ってくるんだよ”って言われた。こちらは、ああそうですかって、そんな風にやるって決まっているから、しょうがないじゃん」

 このとき、長州から「谷津、プロレスは面白いよ」と晴れ晴れした表情で言われたことが谷津の記憶に残っている。

 「その頃、なんか彼は(プロレスに対する)悶々とした気持ちが吹っ切れたんじゃない?」

「新日本プロレス興行」

[辞めるという大塚を引き止めるため、テレ朝との関係がこじれた時のためにと作った「新日本プロレス興行」という自分の会社をやると猪木。大塚は新日系列の興行会社だという認識。藤原が長州を襲撃した札幌の試合は大塚の興行だった。タイトルマッチを望んだ大塚への猪木の嫌がらせだと大塚は考えてるのだが(猪木は要望に応えて盛り上げようとしてくれただけじゃないのか?と引用者は推測)。さらに8月の田園コロシアムを押さえたら新日がそれは無理と難色。憤る大塚に馬場から誘い。]

「あなたは俺の一番嫌いな人だったんだ」(略)

「だって、うちの会場の前で宣伝カーを流すのはあなたぐらいしかいないもの。そのくらいやる奴をうちの社員でも欲しかったよ」(略)

「今日会っていただいたのは、うちの興行を一試合でも二試合でもいいから買ってくれないかと思って」

[ありがたいと応じた大塚。提携したという記者会見していいかと、翌日、馬場から電話。]

自分と猪木との間にできた隙間を利用して、新日本を挑発するつもりだと大塚は勘づいた。しかし、敢えてそのことには触れずに「お任せしますよ」とだけ答えた。(略)

[当然新日側から色々言ってきたが]

「うちは親日の子会社ではないし、興行会社として頼まれれば受けるしかない。ぼくから断ることはできません。ましてや馬場さんはプロレス界の先輩ですからね」[と冷たくあしらった]

(略)

田園コロシアムは全日本プロレスの大会を行うことになった。

 この大会で大塚は、新しいタイガーマスクをデビューさせている。すでに新日本プロレスと原作者の梶原一騎との契約はなかった。大塚は梶原のところに何度も通い、「二代目タイガーマスク」を作ることを認めてもらった。(略)

もはや新日本との関係は修復不可能だった。

[竹田勝司がポンと1億4千万出してくれたので長州らを引き抜き社名を「ジャパン・プロレスリング」に変更。]

 馬場とはホテルのラウンジで待ち合わせしていた。馬場は興味津々に「ちょっと1億4千万というのを見せてくれる?」と言って、金の入った鞄を開けた。

「うーん、ほーっ」

馬場は札束を見て驚いた顔をした。

ジャンボ鶴田

[人生で印象に残っている試合は?との問いに、真っ先に鶴田のシングル初対戦を挙げた]

 「一番つらかった、プレッシャーがかかったのがジャンボさんとやったときですね。自分のスタイルでやるのか、ジャンボさんのスタイルでやるのかという。ぼくがあれ(鶴田のスタイル)でやっていたら、波がなくなったかもしれない。ぼくはジャンボさんを乗っけたと思うんですよね。ぼくの周りには一生懸命、波を起こしてくれる人がいた。鶴田さんのために波を立てる人がいなかったのが全日本だったのかなあと思いますよ。鶴田さんは波を立ててもらえないで、一人であれだけの仕事をやってきたというのは凄い人だなと思いましたね。(レスリングの)先輩ですからね」

新日復帰

[離脱でピンチの新日、レスラーは契約があるから、せめて営業だけでも戻ってくれないかと大塚に接触。猪木坂口との会談へ行くと察知した長州が合流。猪木に会うからと派手な装飾品をはずす長州に驚く大塚]

「おうっ、長州」と言って猪木は長州の手を強く握った。長州は背筋をぴんと伸ばして、直立不動になった。(略)

[しかし怪しい雲行き]

「倍賞鉄夫が長州の個人事務所を通じて一本釣りしようとしていた。(略)[倍賞と長州は飲み仲間]

「倍賞はぼくに戻ってほしくなかった。ぼくがいると自分の立場がないでしょ?だから長州だけを戻そうと動いた

(略)

[新日の接触以前から亀裂はあった。会長の竹田名義で購入した自社ビルの土地がバブルで7倍に高騰。レスラーが竹田に不信感。移籍金で潤ったレスラーと違い、興行ではあまり儲かっていない大塚は土地の件を問題にするレスラーに苛立つ。さらに山口組抗争でチケットの大口捌き先がなくなる]

(略)

 「(全日本では)すごく良くしてもらったんです。ただ、若かったし……マサさんにはギャンブル性みたいなものがあるじゃないですか」

 長州は斎藤から「稼げるのは今のうちだぞ」と叱咤されたという。

 「お前は黙って俺についてくればいいんだ、と。この頃はもう駆け引きの話ばっかりでしたね。新日本は佐山たちが出ていった後だったので、埒が明かない状態だった。全日本との契約が残っていたんだけれど、マサさんは“リングに上がっちまえば、そんなのは関係ないんだ、それでも欲しいというんだから、新日本にケツを持たせればいいんだ”と。マサさんの駆け引きは凄かったですね」

(略)

 谷津嘉章はこの時期、長州と共に猪木と会っている。

 「猪木さんからは、お前らが帰ってくるならば一億円出してもいいと言われた。長州は、“俺とお前とタイガー服部とマサさん、あとはいらない”と言った。一億円を分けるのならば、人数が少ない方がいい。でも俺は、そんなの行ってもしょうがないでしょうと。それで長州の家で監禁されて朝の三時か五時までずーっと一緒に来い、来いって言われた。でも俺はうんとは言わなかった。(略)

俺が行かないのが分かったから、みんなを招集したんですよ。彼は一人ではできない。長州チームを作らなくてはならないんです」

(略)

[だが長州は谷津の話を否定]

 「(略)ぼくが戻るときには、みんなが戻るという条件です。それは間違いなく一貫しています。何人かだけ戻るというのを考えたことはないですよ」

次回に続く。


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2017-01-11 現れる存在―脳と身体と世界の再統合 アンディ・クラーク このエントリーを含むブックマーク


現れる存在―脳と身体と世界の再統合

作者: アンディ・クラーク, 池上高志, 森本元太郎

メーカー/出版社: エヌティティ出版

発売日: 2012/11/09

|本| Amazon.co.jp

人間という推論器は分散認知エンジンである

[テトリスで画面上のブロックを回転させて形状を把握し嵌め込める場所を想定した方が、脳内で仮想のブロックを回転させるより速くて確実]

 このように、世界は単なる外部記憶以上の機能をもっている。世界が提供する場では、特別なクラスの外部操作によって、個々の脳に与えられる問題が規則正しく変換される。ちょうど、アインシュタインが空間と時間という独立した概念を統一的構成概念(時空)で置き換えたように。

(略)

われわれはシムテム手帳をもった、とても賢い移動ロボットだ。われわれの賢さは、問題解決のタスクを単純化する目的で、能動的に環境を構造化し、操作する能力にある。

(略)

われわれの脳は身体のコントローラーとして、(ときに厳しい)現実世界の中で、動いたり働きかけたりしながら進化してきたのだ。そのように進化した組織ならばきっと、自分がコントロールする行為や干渉とは相補的な計算リソースを発達させているだろう。(略)

脳を設計した目的は、世界に対する操作を繰り返し活用することができるように、設備を充実させることなのだ。(略)

 では、心はどこにあるのか。本当に「頭の中」なのか、それとも、いまや心はいささかだらしなく、世界の中に広がってしまったのだろうか。この質問は、一見すると奇妙だ。なぜなら、意識と経験の座はあいかわらず個々の脳なのだから。だが、理性についてはどうだろうか。思考しているのは脳だ。しかし、思考の流れと推論の適応的な成功には、外部リソースとのあいだで繰り返される相互作用が決定的に重要だと、いまやわかったのである。(略)相互作用によって、入力は変換され、捜索は単純になり、認識は助けられ、連想想起が促され、記憶を肩代わりされ……という具合に。だからある意味、人間という推論器は本当の分散認知エンジンである。われわれは特定の計算タスクを実行するのを、外部のリソースに求める。ネットワークでつながったコンピュータが、特定のジョブを実行するのをネットワーク上の他のコンピュータに頼むのと同じだ。(略)私は提案したい。思考の流れや、理性的な反応を生み出す功績を、個々の脳が独り占めしてはならない。脳と世界は協同している。そのあり方は、これまで思われていた以上に豊かで、それは計算と情報に関わる必要性が原動力になっているのだ。

間接創発、創発的集合現象

[ビールを買うことを忘れないため]

ビールの空き缶を玄関マットに置く。次の外出のときに、その缶につまずいて任務を思い出す。あなたが使ったのは、ここまで読んできたならもうおなじみのトリックだ(第3章を思い出そう)。現実世界のある側面を、オンボードメモリーの不完全な代用品として利用している。事実上やったことは、環境を変化させることで、自分自身に対して何かを発信することである。このように、環境を使って行為を促し、シグナルを送るトリックは、私が間接創発と呼んでいるたくさんの例に登場する。

 シロアリの巣作り行動を取り上げよう。(略)巣作り行動は「スティグマジー的アルゴリズム」として知られる仕組みでコントロールされている。(略)

すべてのシロアリが泥玉を作り、それを初めのうちはランダムに積んでいる。しかし、泥玉にはシロアリがつけた化学物質が残っている。シロアリは、この化学物質の跡が一番強い場所に自分の泥玉を落とすのを好む。そのため、新しい泥玉は古い泥玉の頂上に積まれやすくなるが、そのことによってさらに誘引力は強くなる(そう、おなじみの展開だ!)こうして柱が形成される。(略)このプロセスが続くと、柱の頂上がたがいに傾斜してきて、アーチができる。その他一連のスティグマジー効果によって、しまいには、小部屋、空洞、トンネルからなる複雑な構造ができあがる。この拡張されたプロセスのどこにも、巣の計画を表現したり、計画に従っているところはない。建築のリーダーの役割をするシロアリはいない。(略)自身の活動が生み出した環境を通してしか、話し合う術はない。このような、環境に基づく協調は、言語による記号化や解読を必要とせず、記憶に負荷をかけることもない。そして、「シグナル」はそれを発した個体が、別のことをするためにいなくなったとしても、残っているのである。

まとめ

 現実世界とリアルタイム性への主眼

タスクは現実世界の言葉によって同定される。入力は物理量、出力は行為である。行動は、生物学的に現実的な時間枠内に制約される。

 分権的解決に対する意識

調和のとれた知性的な行為が必ずしも詳細な中心計画を必要とするとは限らない。ありがちなのは、大局的に知性的な行為が、複数のより単純な相互作用の結果生じることである。相互作用には、個体や構成要素、そして、ときには環境が関わっている。

 認知と計算についての拡張された見方

計算プロセスは(しばしば)空間と時間の広がりをもつと考えられる。そのようなプロセスは、個体の頭の外にまで拡張され、外部の支えを使って達成される変換操作を含む場合がある。さらに集合的問題解決の状況においては、外部の支えに複数個体の頭と身体とが含まれる場合がある。

(略)

このように、周りにとめどなく漏れ出し続けているという、きわめて締まりのない認知の見方をとるとして(略)

この過剰な認知リベラリズムは、心についての真正の科学としての期待を無意味なものにしないだろうか。

(略)

 自己同一性についての問題

そして結局のところ、個人とはどういうものなのか。もしも認知プロセス、計算プロセスが、皮膚と頭蓋骨でできた境界をせわしなく、縦横に行き交っているとすれば、それは個人の自己同一性が、相関を保ちながら周りの環境へと漏れ出していることを意味するのだろうか。それほど神秘的でないにしても、それは個人の脳や生命体の個体が、科学の対象としてふさわしくないということを意味するのではないだろうか。そうだとすれば実に受け入れがたい結論だ。

(略)

 コネクショニスト(人工ニューラルネットワーク)革命は、初めの三つの特色に狙いを定め、それを次で置き換えた。

記憶はパターンの再創作である

問題解決はパターン補完とパターン変換である

認知はもっともっと分権的なものである

(略)

このように身体と世界を真剣に取り上げることで、たくさんの重要な現象に創発主義の視点が持ち込まれる――それは、適応上の成功というのは身体・世界・脳の複雑な相互作用に備わるのであり、皮膚と頭蓋骨によって閉じ込められた内部プロセスだけに備わるのではないとみなすことである。

進化の背景

 自然に進化したシステムは、たびたび指摘されるように、人間がデザインしたとすれば絶対にそうはならないやり方で機能している。これにはいくつかの理由がある。一つの理由は、進化による解決策は分散したものになりがちだということで、その実例はたくさん見てきた。もはやおなじみのポイントは、人間がデザインすれば、必要な機能をすべて一個の環境から独立した装置に直接組み与えられた問題を解決するのに対して、進化は、有機生命体あるいは装置と環境とのあいだに境界があるという制約をいっさい受けない点だ。そのため問題解決はすぐに、有機生命体と世界のあいだ、あるいは有機生命体の群れのあいだにまたがって分散したものになる。進化は、本当の意味で問題の見通しを立てないからこそ、目隠しにとらわれずに安上がりの分散した解決策を見つけることができるのだ。

(略)

 けれどもこのことは、自然のデザインには要素分解の原理が働かないという意味ではない。ただ自然選択によるデザインが示す要素分解は、非常に変わっている。それは進化的全体論の制約を反映した要素分解である。(略)複雑な全体システムは通常、進化的な時間に沿って累積的に発達するもので、その多様な中間形態はそれ自身、生存と自己複製能力をもったロバスト[頑強]な、全体システムでなければならない、というものだ。

(略)

 たとえば、一説ではわれわれの肺は魚の浮袋をもとにして進化したといわれている。浮袋とは水中の環境で動きやすくするための気嚢である。そして今日われわれが胸膜炎や肺気腫に感染しやすいのは、浮袋の適応のなごりだと言われている。それを受けてリーバーマンはこう述べている。「浮袋は論理的には泳ぐための装置としてデザインされた――それは呼吸のためのルーブ・ゴールドバーグ的な(複雑すぎる)システムとなっている」。

(略)

細胞遺伝学者のフランソワ・ジャコブは進化を、エンジニアではなく修繕屋になぞらえている。エンジニアはまっさらな状態で、新しい問題に対する解決策を一からデザインする。修繕屋は既存の装置をもちだして、新しい目的に使い回そうとする。修繕屋の作るものは、エンジニアには最初は意味不明かもしれない。(略)

[それを理解するには]進化プロセスそのものを人工的に再現してみることだ。

デネット

[デネットはこう述べている]「意識的な人間の心は、進化が与えてくれた並列式のハードウェア上に非効率的に実装された、おおむね逐次式の仮想マシンである」。(略)

並列処理をするコネクショニスト的なパターン補完型の脳に、(他の何よりも)公共言語のテキストや文(覚え書き、計画、激励、質問など)を浴びせかけると、一種の認知的再組織化が起こる。それはある計算機システムが別のシステムをシミュレーションするのに似ている。計算機の場合、新しいプログラムをインストールすれば、ユーザーは(たとえば)逐次式のLISPマシンをあたかも大規模な並列式コネクショニスト装置であるかのようにして扱える。デネットが提案しているのは、彼自身言っているように、同じトリックを逆向きに使うことである。つまり、逐次式の論理エンジンのようなものを、それとまったく異なる大規模な並列ニューラルネットワークを使ってシミュレーションするのだ。

(略)

 驚くべきことにデネットは、(主に)言語を浴びせかけたことによる、このちょっとした脳の再プログラミングこそが、人間の意識(自己の感覚)という現象を生じ、そしてわれわれは行動と認知の面で他の動物たちをはるかにしのぐようになったと考えている。つまりデネットは、われわれの高等な認知スキルは、生得的ハードウェアが主な要因ではないとしている(略)

脳のさまざまな可塑的(プログラム可能な)特徴が、文化と言語の効果によって修正されるやり方が特別なためと見ている。(略)

デネットの主張は、最初のハードウェアレベルの違いがないということではない。むしろ(たとえばヒトとチンパンジーのあいだにあるような)比較的小さなハードウェアの違いによって、われわれは公共の言語やその他の文化的産物を創造し、その恩恵にあずかることができるようになるという主張である。それは小さな違いが雪だるま式に大きな認知的変化と拡大へとつながっていくことによるもので、そこにおそらく、新しい種類の計算装置の、脳内への文字どおりのインストールが含まれるのだ。

(略)

[私の見解は]一つ決定的な点で異なっている。デネットは公共の言語を、認知的道具であると同時に、脳に深刻ではあるがちょっとした再組織化を起こす源だと見ている。だが私は言語を、本質的にはただの道具として見たいと思っている(略)私は脳の変化をさまざまな外的リソースを最大限活用できるように適合するための、比較的表面的なものと見ている。

まとめ2

 たくさんの魚たち、たとえばイルカやクロマグロの遊泳能力には目をみはるものがある。こうした水中動物たちは、海洋科学がこれまで作ってきたあらゆるものをはるかにしのいでいる。(略)

二人の流体力学の専門家、マイケルとジョージのトリアンタフィロウ兄弟は、興味深い仮説にたどり着いた。ある種の魚たちが並はずれた遊泳効率をもっているのは、水中という環境にある別の運動エネルギー源を利用したり、それを作り出したりする能力を進化させたためだと言うのだ。魚たちはどうやら、大小さまざまな水の渦をうまく利用することで、推進力を「ターボチャージ」し、機動力を高めている。(略)[しかも]魚は自らさまざまな渦巻きや圧力勾配を(たとえば尾を振って)作り出し、それを使って迅速で俊敏な行動につなげているのだ。

(略)

 このマグロの話がわれわれに思い起こさせるのは、生物学的なシステムは周囲の環境構造から多大な恩恵を受けているということである。環境を単に乗り越えるべき問題領域としてとらえるのは十分ではない。一方で環境は、きわめて重要なことだが、解決策に取り入れられるべきリソースなのである。この単純なことに着目すると、ここまで見てきたように、いくつかの遠大な帰結が待っている。

 何よりも第一に(略)われわれの脳は、血と肉からできた動き回る肉体の殼に都合良く貼りつけられた、身体性のない魂のためのものではない。むしろそれは本質的に、世界の構造を作り出し活用することができる、身体性エージェントのための脳である。(略)ある問題を直接いっぺんに解決することではなく、環境構造のコントロールと活用である。

(略)

第二に、われわれは身体化され社会や環境に埋め込まれた心がもつ問題解決プロフィールを、基礎的な脳のプロフィールだと誤解しないよう用心しなければならない。ただ人間が論理や科学を営むからといって、脳に本格的な論理エンジンが備わっているとか、脳は科学理論の標準的な表現である単語や文章に近い方法で、それをコード化していると決めつけるべきではない。そうではなく、論理も科学も外部メディアの使用と操作に大きく頼っている。とりわけ、言語と論理による形式化と文化的制度や話し言葉と書き言葉を使うことからくる、格納・伝達・改良の可能性にである。議論したように、こうしたリソースは脳での格納と計算の様式にとっては異質だが、相補的なものととらえるのがよい。脳は、そのような可能性を複製するために時間を浪費する必要はない。それよりも脳が学習しなくてはならないのは、外部メディアとインターフェースしてその独特の長所を最大限に活かすことである。

 第三に(略)消えたのは、脳の中の中枢執行役――特殊用途の複数のサブシステムの活動を組織化し統合する本物のボス――である。それに、考えるもの(身体のない知性的エンジン)とその世界とのあいだにあった、整然とした境界も消えた。この心地よかったイメージに変えて、われわれは内的なエージェンシーの寄せ集めとしての心のとらえ方と向き合っている。

(略)

知的なシステムは空間的時間的に拡張されたプロセスであり、皮膚と頭蓋骨からなる薄っぺらな覆いによって制限されてはいないのだと。(略)中枢執行役が退位すれば、脳の中で知覚と認知とを区別することは困難に思える。それに思考と行為のあいだにあった区分も壊れてしまう。それは、現実世界における行為が、普通は内的な認知と計算プロセスと結びつけて考えられる種類の機能的役割を、多くの場合にまさしく果たすとわかったからである。

2017-01-09 人間はガジェットではない キュレーションメディア批判 このエントリーを含むブックマーク

2010年の本だけどキュレーションメディア批判とかもあったり。


人間はガジェットではない (ハヤカワ新書juice)

作者: ジャロンラニアー, 井口耕二

メーカー/出版社: 早川書房

発売日: 2010/12/16

|本| Amazon.co.jp

 匿名のブログコメント、動画を使ったつまらないおふざけ、ふまじめなマッシュアップ(略)断片的で非人間的なコミュニケーションが広がった結果、人と人のふれあいが下品になってしまった

 人間、一人ひとりは、本来、創造性の源として取り扱うべきものだ。であるにもかかわらず、商業的に集団化や抽象化を進めるサイトは創造性の断片を匿名化して提示し、その出典を不明確にしてしまう。それがあたかも空から落ちてきたものであるかのように、あるいは、地下から掘りだされたものであるかのように提示するのだ。

(略)

 最近のデジタル文化がおかしくなった主因は、人間のネットワークを細かく切りきざみ、おかゆのようなマッシュにしてしまったからだ。その結果、ネットワークで結ばれた人間より、ネットワークという抽象概念に注意が集まるようになった。意味を持つのは人間のみであり、ネットワークそのものに意味はないというのに。

情報は自由など望んでいない

 「情報は自由を望んでいる」――最近の格言だ。最初に言ったのは、ホールアースカタログの創始者、スチュアート・ブランドらしい。

 情報は自由など望んでいない――私はそう思う。

 こういうものに命があり、それ自体が思考や野心を持つかのように考えるのは、サイバネテイックス全体主義者の特徴だ。でも、情報は無生物ではないのか? 無生物どころか、人の思考から生まれたものにすぎないのではないか? 現実なのは人間だけであり、情報は違うのではないか?

(略)

 情報とは、体験を遊離させたものだ。(略)

ビットが誰かにとってなにがしかの意味を持つとしたら、それは、ビットが体験されたときにのみ起きる事象である。そのとき、ビットを保存した者と取得した者の間に文化の共通性が確立される。遊離した情報を元に戻す方法は、体験しかない。

 自由を望んでいると言われるたぐいの情報は人間の知性が落とした影にすぎず、それ自体が何かを望むことはない。望むものが得られなくても、情報が傷つくことはない。

 しかしもし、旧い宗教で神が来世を与えてくれることを望むかわりに、新しい宗教でコンピューターにアップロードされて不死となることを望むのであれば、情報が実存し、生きていると信じなければならない。そのとき、情報は生きているとの認識を強化するように、芸術や経済、法律のような人間の制度や慣習を根本的に変えることが肝要となる。そして、新たな国教のもとで暮らすことを他の人々に求める。新たな価値観が強化されるように、皆に情報を神聖視してもらう必要がある。

全体が一冊の本になる危惧

 私が嫌うデジタル文化へのアプローチでは、ケビンが示唆したように世界の本をひとつにしようという動きが進んでいる。これから10年で本当にそうなる可能性もある。グーグルなどの企業が書籍をスキャンし、クラウドにアップロードする文化デジタル化のマンハッタン計画を進めているのだ。重要なのはその先だ。クラウドにアップロードされた本にアクセスするインターフェースが断片のマッシュアップを促進するものだった場合、断片にまつわる文脈や誰が書いたのかといったことをあいまいにするものだった場合、全体が一冊の本になってしまう。今、多くのコンテンツがこのようになっている。ニュースで引用された断片がどこから来たのかわからない、誰が書いたコメントなのか、誰が撮った映像なのかわからないことが多い。

(略)

 あらゆる表現がデジタル技術で粉にひかれ、グローバルな鍋で一緒くたに煮られるようになった(略)

たしかに、そのようなツールの登場により、個人が書籍やブログなど、さまざまなものを著せるようになったという側面はある。しかし同時に、フリーコンテンツ経済や集団の力、アグリゲーターの治世で断片を供することが奨励された。表現や議論の全体として重んじられるものではなく。著作者ががんばって生みだした成果は、著作者間の境界を消す形で評価されるようになったのだ。

 世界を総合する一冊の本と、その本が破産に追いこもうとしている、一人ひとりが著した多くの書籍を集めた図書館とはまったく異なるものだ。一冊の本にしたほうがよいと思う人もいる。私のように、それは破滅的に悪いことだと考える人もいる。

クラウドの農民と領主

 昔、シリコンバレーは今よりヒッピー的で、広告を嫌う空気があった。グーグルという変わり種が登場する前のことだ。

(略)

 ところが今、広告は、到来する新世界において商業的に保護すべき唯一の表現形態だと言われている。皮肉なことだ。他の表現形態は匿名化してすりつぶし、無意味となるレベルまで文脈から切りはなすべきもの。これに対して広告のみが文脈を添えられるし、広告のコンテンツは聖域として保護される。ウェブサイトの脇にグーグルが表示する広告でマッシュアップを作ろうとする人はひとりも――くり返すがひとりも――いない。グーグルが登場したころ、シリコンバレーではこのような会話がよく聞かれた。「ちょっと待てよ。俺たち、広告をきらってたんじゃなったか?」「それは古い広告だろ?新しいタイプの広告はでしゃばらないし、なかなか役にたつよ」

(略)

 集団意識と広告の組み合わせは、新しい種類の社会契約を生んだ。その契約のもとで、ライターやジャーナリスト、ミュージシャン、アーティストなどは、知的活動や創造力の成果を断片として、無償で集団意識に差しだすことを求められる。互恵関係は自己宣伝という形をとる。文化はすべてが広告となる。

(略)

 最近、姿を現しつつある勝者総取りの社会契約にどのような効果があるのかは、学生の動向を見ればわかる。コンピューターサイエンスの優秀な学生は、その多くが知的な深みのある分野を敬遠し、ヘッジファンドをプログラムしてクラウド中央の王族に加わろうとする。(略)

一方、創造性豊かな人々――新しい農民層――は、旧メディアという枯渇しつつあるオアシスに集まる砂漠の動物という感じになってしまった。

 いわゆるフリーな考え方が浸透してしまった場合、(クラウドの世話以外の)頭脳労働で生き残ろうとすると、強欲な集団意識から身を守るため、いつか必ず、法的あるいは政治的な城のようなところに立てこもるか裕福なパトロンの保護下に入るかせざるをえなくなる。(略)クリエイティブな人々がパトロンのしがらみを解かれ、商業世界に出てゆけるようになったとき、それがどれほどすばらしいことであり、どれほど心洗われることであったのか、我々は忘れてしまっている。

オープンソースの実態は保守的

オンライン世界の先端をゆくコード――有名検索エンジンでページランクを決めるアルゴリズムやアドビのフラッシュなど――は、なぜ、ほとんどが独自開発なのだろうか。絶賛を浴びるiPhoneが生まれたのは、なぜ、世界でもっともクローズドで、専制君主的管理だとさえ言われるソフトウェア開発企業なのだろうか。経験を誠実に評価するなら、オープンアプローチによって優れたコピーは作れても、優れたオリジナルを作るのは難しいと考えるべきだろう。オープンソースというのはとんがった、反体制的な響きを持つが、その実態は保守的なのだ。

商業メディア業界を飢えさせるな

無駄にするだけなら、自由に意味などない。補助的な媒体以上の役割をインターネットが果たせないのであれば(これはネットの大敗を意味すると思う)、少なくとも、養ってくれる手にかみつかないよう、できるかぎりのことをすべきである――商業メディア業界を飢えさせてはならないのだ。

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2017-01-06 「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」 松尾豊 このエントリーを含むブックマーク


東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」

作者: 松尾豊, 塩野誠

メーカー/出版社: KADOKAWA/中経出版

発売日: 2014/10/15

|本| Amazon.co.jp

[表記のないものはすべて松尾豊の発言]

二つの流派

いまは人工知能に二つの流派ができています。一つは従来どおり、人開のような高度な知能、人間よりも賢い知能の実現を目指そうとする流れ。これは「強いAI」とも呼ばれます。もう一つは「弱いAI」。現状のテクノロジーでは高度な知能はできないとしても、普通のコンピューターよりはもう少し知的で、賢くみえるような仕組みを作っていくという方向です。

人工知能が急に賢くなってきたのはなぜ?

グーグルが世界のすべての情報を整理すると言っていますが、それに類するようなことを早い時期に表明していましたから。先見の明はすごいと思いますね。ただ当時はデータがなかった。

「意味」に近いところで知識を整理するとしても、データがないとプログラムは書けません。第五世代の当時、データがあればできたことは多かったはずです。それがいま、ウェブが拡がってきたことによって、ぼう大なデータが存在するようになった。それまでやりたかったいろいろな知識処理や人工知能的なアプローチが、ぼう大なデータの出現によって、現実に可能になってきたということだと思います。

人工知能はただの箱でもかまわない

松尾 人工知能は人間らしくする必要はありません。(略)

[ただの箱でもかまわない]

私が本当に怖いと思っているのは、社会を変えるような人工知能は、人間のような形をしていないし、ふるまいもしないことです。それはただただ単純に予測精度が高いものです。(略)

なぜその予測が出てくるのか人間には分からないが、とにかく精度は抜群に高いという存在ですね。

(略)

塩野 (略)機械のCEOが経営判断をして素晴らしい経営をしているけど、意思決定のプロセスは人間には理解できないような。

松尾 ええ。人工知能が持つ「怖さ」という視点では、現実的にはそちらのほうが先に起こりそうな気がします。

(略)

人工知能が「人間はいらないよね?」と考えるところですが、かなりとんだ話としては、実は人工知能学会でその方向の話題が出ていまして、「あなたは地球派? それとも宇宙派?」と聞かれましたよ。(略)

地球派はやはり人間が大事、人間が人工知能を使っていこうという立場。宇宙派のほうは、そもそも人間は人工知能を作るためにあったのだとする説をとる立場です。

ここまでが45頁(残り240頁くらい)。終了。

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2017-01-04 福沢諭吉の『学問のすゝめ』   橋本治 このエントリーを含むブックマーク


福沢諭吉の『学問のすゝめ』

作者: 橋本治

メーカー/出版社: 幻冬舎

発売日: 2016/06/09

|本| Amazon.co.jp

ステロタイプな名文から逃げろ

 《学問とは、ただむつかしき字を知り》に始まって《世上に実のなき文学を言うにあらず》と言う福沢諭吉は、「学問とは文章の学である」という既成概念から離れろと言っているのですが、それを言わせるだけの魔力が、文章にはあります。(略)

 国木田独歩が『自然を写す文章』を発表した明治39年は、66歳で福沢諭吉が死んだ五年後です。

[独歩は多くの紀行文を読み]「うっかり漢字なんか知っていると、それを使って嘘っぽいことを書いてしまう」と言っているのです。それが《文章に役せられて》です。たとえば、山がけわしくそびえ立っていることを「山嶺峨々たり」と書くと知っていると、その山がそんなにけわしくなくても自分の知っている表現に引きずられてそう書いてしまうのです。そう書けば「教養のある人」と思われるだろうという、一般的な思い込みがあったのです。

 国木田独歩以前、文章を書くというのは、ステロタイプな表現をところどころにあてはめて行けばよいもので、その表現をいっぱい知っている人が「文章家」と言われたりもしたのです。福沢諭吉が死んだ後でさえも、まだそうです。うっかりすると「そういう名文のようなものを書かないといけないのじゃないか?」と思ってしまうくらいに、明治時代以前に完成していた文章には、人を縛る力があったのです。だからこそ福沢諭吉は、「古い学問から逃げろ、じゃなきゃ新しい時代は来ない」と言うのです。

「虚学」と「実学」

[孔子の死後]「孔子はこう言ったはず」と時代の要求に合わせて解釈を作り上げて、いつか学問は「孔子の考えを学ぶ」から、「孔子の考えを解釈する」という方向に移ってしまいます。(略)

[1600年後朱子が]それ以前の儒教の解釈を統合し、彼自身の解釈も加えて、儒教のあり方を一変させます。時代の必要に合わせて儒教を変えたと言ってもいいと思いますが、そういう彼は、彼以前に存在していた多くの儒教の解釈学を「虚学」と言いました。(略)

 朱子の考え方は、既に儒教を学んでいて「でも、だからどうだっていうのかな?」なんてことを感じている人に、「あ、そうかー」と思わせるような理解をもたらしました。[その朱子学もやがて時代遅れになる]

(略)

「実学」は簡単に「虚学」になります。「虚学」か「実学」かを判断するのは人の心です。納得出来れば「実」で、納得出来なければ「虚」です。(略)でも、「こんなものはもう役に立たない時代遅れだ」と見捨てられたものであったとしても、そこに新たなる目が向けられて「納得」が甦ったら、それはもう「実」の学です。

 「実学か虚学か」を判断する基準は、「社会の役に立つかどうか」ではなく、まず人の心に納得を呼び起こすかどうかで、「社会の役に立つかどうか」はその次です。(略)

[虚か実かの判断方法は]「これはなんの役に立つのですか?」を尋ねた時に、ちゃんと答えてくれるのが「実」で、答えてくれないのが「虚」です。

 答えてくれても、その答え方が嘘臭かったら「虚」ですが、「なんの役に立つのですか?」と尋ねて、「なんの役にも立たないんですよ」という答が返って来たら、それは「実」です。「今はなんの役にも立たないけれど、将来はなにかの役に立つかもしれない」と思っているから、あっさりと「なんの役にも立ちません」と言えてしまうのです。

 自分の学問を「虚」にしてしまっている人は、「なんの役に立つのですか?」と尋ねても答えてくれません。「お前なんかに関係ないことだ」と思っているからですが、従事する人間にとってだけ意味があるようなものは、「実学」なんかじゃありません。

[初編を書いて終わりのつもりだったが、ニ年後、11編までを月刊ペースで発表。3編までは易しく書いたけど、4、5編は学者に喧嘩を売ったので文章が難しくなったよ、でも6編からは元に戻すからヨロシクと諭吉。]

自由と《分限》

 実は、「自由」という日本語には、古いものと新しいものとの二種類があるのです。西洋からやって来た新しい概念が「自由」と訳される[「自由民権」とか「自由の権利」](略)そういう「自由」が西洋からやって来る前の日本にも「自由」という言葉はあって、なんと彼の兼好法師が『徒然草』の中で「自由」という単語を使っています。(略)

[その]使い方は、「好き勝手」であって「わがまま」です。これが日本古来の「自由」だから、福沢諭吉は《ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば我儘放蕩に陥ること多し。》と言って、《自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。》と言うのですね。

 「自由とはわがままのことである」と知っていて(略)だからこそ「今までの“自由”じゃだめだ」と思うのですね。

(略)

 兼好法師の使った「自由」は(略)仏教系の言葉です。(略)解脱してなにものにもとらわれない悟りの境地だ」ということになり、『徒然草』にある「なにものにもとらわれず、好き勝手」ということになります。

(略)

 仏教というのは、「この煩悩まみれの自分をなんとかしたい、悟りを開きたい」というところから出ています。その中心にあるのは「自分をなんとかしたい」ですから、「人とは本来自由なものであるはずだ」という考え方は簡単に生まれて、簡単に「そうだ」という納得を生みます。

 そして、「現実社会じゃそういうことは簡単に実現しないんだな」と思い、「人里離れたところに行って自分を見つめ直そう」になります。(略)

「自分はなんとかならないかな」と、自分のあり方を見つめて行った時になにが見えなくなるのかと言えば、「他人の存在」です。(略)

仏教は簡単に「しがらみを捨ててしまいなさい」と言います。そして「人間は本来自由な存在なのです」と言われると、「他人とは関係なく自分は自由だ」になってしまいます。そういう考え方が、人里離れたお寺から人里へ還流してしまえば、もう「俺は自由だ、なんにも関係ない」の気随気儘は定着します。

 「江戸時代まではそれでもよかった。でもこの先もそうだと困る」と思うのが福沢諭吉で、その彼が出して来る「自由の扱い方」が、先はどの後回しにされた《分限》で

(略)

 人間は、一人の頭で考えてしまうから、「自由」は簡単に「わがまま」になってしまう。そういう人間は、「自分のあり方」も自分の頭で考えて、勝手に「自分はこういうもの」と決めつけてしまいます。「でも、そんなことをしていてもどうしようもない。だから《分限》を考えろ」と、福沢諭吉は言うのですが、そうなると《分限》というものがどういうものかははっきりします。それは「自分なりの自分のあり方」であって、同時に「自分があらねばならないと思える、自分のあり方」なのです。

 そういう考え方をするためには、「剥き出しの自分一人」で考えていても出来ない。「自分か所属する類」の「あってしかるべき一員の姿」という考え方をしなければならない。――つまり「クラスの一員だからクラスのルールに従う」です。それが《分限》で、つまりは「責任ある個」ということだったりはします。

 福沢諭吉は、そういう「自分」にならなきゃ、この先の日本はないなというつもりで『学問のすすめ』を書いているのです。

《自由》と《独立》

 福沢諭吉が「徳川幕府もなくなり、身分制もなくなったので自由になった」という言い方をしない理由はもう明らかで、明治時代にならなくても「自由」はあったし、その「自由」は我々の思う「自由」とは違う「わがまま勝手」に近いものだったからです。(略)

[「他人に迷惑をかけない自由」の説明]をしない代わりに、福沢諭吉は《自由》と《独立》をドッキングさせて、《自由独立》という言葉を使い始めます。

(略)

《独立》をドッキングすることによって、《自由》にfreedomやlibertyの意味が加わ[り、《独立》の中に隠されていた「なにかへの依存状態からの脱出」という意味が浮かび上がる。なににおいて不自由だったのか?]

(略)

 「今の日本人は、昔の日本人のように“自由気まま”の権利を行使するだけでいいわけがない“政治に関わる自由”という義務に目覚めるべきだ」と、私なりに解釈すれば、福沢諭吉は言っているのです。

 福沢諭吉の言うことは、「政治に参加しろ」ではありません。「政治を意識するようにしろ、それが出来るようになれ」で、「政治に目を向けろ」です。

啓蒙思想

ヨーロッパ人達は、「啓蒙思想」と言われるものが登場するまで、自分達の考え方や感じ方を「キリスト教が許容するガイドラインの範囲内に留めておく」ということを、当たり前のこととしていたのです。

(略)

 啓蒙思想は、「他人によって決められたガイドラインに沿って物事を考えなければならない理由なんかないじゃないか」というところから生まれます。「自分はいろんなことを経験しているはずだから、それを基にして考えるということをしてもいいはずだ」というのが、イギリスのロックの経験主義です。これが意味を持つというのは、「自分の思考する力は神様から与えられたものだから、そうそう勝手なことは考えられない」という宗教由来の経験主義を許さない背景があってのことです。

(略)

「人間も、神様由来ではない人間オリジナルの存在であっていいはずだ」というところから近代小説も誕生するのですが、啓蒙思想が最も爆発的に存在してしまうのは、「政治」という局面です。

(略)

 「王様の力は神様に保障されている」になって、王様は好き勝手なことをします。これを「迷惑だ」と思う国民は、「王様の力が神と結びついているなんてことは、嘘だ」ということを理性的に説明しようとして、それが啓蒙思想になるのです。

 だから、「王様のものになっている国家とはなんだ?」とか、「王様と法律と我々の関係はどんなもんだ?」ということを考えます。

(略)

[神様の決めたことで]全部を一まとめにして曖昧なままにしておいたものを、合理的に説明し直そうとしていた時代だからです。(略)

福沢諭吉は「啓蒙思想の人」ではありません。[「啓蒙家」です。](略)

 ヨーロッパの啓蒙思想には、広く浸透してしまったキリスト教の影響力という「敵」がいます。「敵」がいる以上、その攻め方も明確になって、論点やその方向もはっきりします。でも、明治五年初頭段階の福沢諭吉には、その「敵」がいないのです。だから、『学問のすゝめ』で彼の言う《独立》は、「なにかへの依存状態からの脱出」ではなくて、「ただ埋没しているその状態からの脱出」なのです。カントが言うような、「自分の悟性を使えなくさせている他人の指導」というものもないのです。

 「日本人の自由を奪っていた」と言いたい人は言うかもしれない徳川幕府は、もう存在しなくなっています。やがては「新たな敵」として姿を現して来るかもしれない明治維新政府だって、まだ出来たばかりでそうそう大きな力を持っていません。(略)

「平穏」なままで、同時に「なにをしたらいいのか分からない」という状態でした。だからこそそこに、「啓蒙」というものがいるのです。(略)

「視野が暗い」という状態が「蒙」で(略)この暗い状態を「啓く」だから「啓蒙」で、なるほど「光を当てて照らす( Enlightenment)」です。

福沢諭吉は体制擁護か?

福沢諭吉の言うことは、「学問をして新しい時代を創ろう」ではなくて、「学問をしてつまらない文句を言わないようにしよう」である方に、大きく傾いています。

 どうしてそういうことになったのかというと、これまた話は簡単で、『学問のすゝめ』の初編を書く段階で、福沢諭吉はまだ維新政府と対立をしていなかったからです。

 福沢諭吉は、まだ「新しい時代は新しい政府が創る」と考えていて、「だから、普通の国民は“新しい時代”というものがどういうものかを理解して、へんに騒ぎ立てて政府の邪魔をしないようにしよう」という立場を取っていたのです。それで、「政府には慈悲心があるはずだから、おとなしく勉強をしているように」というトーンになるのです。

 『学問のすゝめ』の初編が「政治に目覚めよ」というようなことを言っているような気がして、そのつもりで読むと「なんだか分からないところ」へ行ってしまうのはそのためで、『学問のすゝめ』の初編は、「政府を監視しよう」とは言わずに、「政府はそんなにひどいことをしないはずだから、政府に反抗するのはやめよう」と言っているのです。そういう種類の啓蒙だから、現在の目で見ると、「分かるような気もするけど、なんか分からない」ということになってしまうのです。

 そこのところをとらえて、「福沢諭吉は体制擁護的だ」なんてことを言っても仕方がありません。

(略)

[ところが、4、5編でキレる]

五編の初めで《世の学者は大概皆腰ぬけにてその気力は不慥なれども、文字を見る眼は中々慥かにして、如何なる難文にても困る者なきゆえ》とその理由を言って《学者》を罵っています。(略)

[この学者とは、古い漢学者や国学者ではなく、幕府に派遣されて洋学を学んできた洋学者]

明治の新政府は、その人材がほしいのです。だから新政府は、そういう人材を求めて「ウチの官吏にならないか?」という働き掛けをあちこちにしました。当然、西洋のことに詳しい福沢諭吉にもその勧誘はありますが、彼はそれを断って、明治維新政府とは一生距離を置き続けます。

 だから、福沢諭吉は自分のことを《学者》とは思わないのです。福沢諭吉の言う《学者》とは、改めて明治維新政府に召しかかえられた、旧幕府系の洋学者なのです。

(略)

[森有礼選出の「近代日本に必要な洋学者10人」のひとりとして他のメンバーと話して「これじゃだめだ」と思った結果が]

《学者の職分を論ず》です。

《職分》というのは、「職業上の義務」で、「その職業に就いた以上やっておかなければならないこと」ですが(略)諭吉は、「その職分がなってない!おかしいじゃないか!」と怒って(略)

では福沢諭吉は、なにを「なってない!」と怒っていたのでしょうか。

理想から離れてゆく現実に怒る

 二年前の初編では「愚民になるな」と読者に訴えていたのに、二年後に《学者》相手に訴える時にはもう、《人民は依然たる無気無力の愚民のみ》と断定してしまっています。よほどこれがくやしいのでしょう。二年前にそうは言わず、《政府はその政を施すに易く諸民はその支配を受けて苦しみなきよう》としか言っていなかった《政府》が、《専制の政府》になって、そこに《依然たる》がくっついているのですから、「今に始まったことじゃない、維新政府はその以前から専制だ」と、福沢諭吉は明確に知っていたことになります。

(略)

 《(略)政府は暫くこの愚民を御するに一時の術策を用い(略)欺詐術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく(略)政府はこの悪弊を矯めんとして益々虚威を張り、これを嚇しこれを叱し(略)》

(略)

国が勝手なことをやって「でも国民はついて来るさ」なんていうのを野放しにしていたら、日本はかつての専制政治に逆戻りで、不誠と不実ははびこり、その原因を作ったはずの政府は、力によってその「不誠不実状態」を押さえ込もうとする。(略)

 『学問のすゝめ』初編の段階で、福沢諭吉はこういうことを感じ取っていたはずです。でも、それを言いませんでした。「政府はこわいもので、勉強をしないとこわい人が来るよ」程度で、その結論は、「みんなで平和を信じて護って行きましょう」でした。嘘をついたわけではないでしょうが、「なんにも知らない相手を啓蒙するに際して、希望をなくすようなネガティブなことは言わない方がいいな」と思った結果のことだろうと思います。それが、「戦え!」と号令を掛ける革命家ではなくて、「明るくする」の光の啓蒙家のあり方だと思いますから。

 そうであっても、第四編の福沢諭吉は、ちゃんと、今の国民は《愚民》で、その政府は《専制の政府》だとはっきり言っています。だから、「そういう政府につながってるだけでいいのかよ!」と、福沢諭吉は《学者》に対して怒っているのですね。

(略)

[あからさまに学者を罵る]代わりに、「私は官に結びつく学者じゃない、“私立”の人間だ。少しはこっちのことも理解したらどうだ!」と言うのです。

(略)

福沢諭吉は、「なんでも政府オンリーでいいわけじゃない。政府と民間(人民)が協力しなきゃいけないはずだ。だから、政府は官とは関係ない俺のあり方を認めろ!認めたっていいじゃないか」と言っているのです。言い方は穏やかですが、その相手が《専制の政府》だったりすることを考えると、これはかなりの度胸で、「お前達、俺にこんなことを言われて平気か?」と詰問される《学者》達は、《大概皆腰ぬけ》になってしまうはずで、福沢諭吉は、これを言うことによって、「敵」が存在することをあぶり出したのです。

(略)

 「前の時代のひどさが分かるんだから、今の時代はいい時代だ――少なくとも“いい時代”であらねばならない」と思っているので、福沢諭吉は「新しい時代をどう作って行けばいいのか」という話をしません。だから当然、「あなたの一票が社会を作る」というような話にはならないのです。

(略)

「政府というものはかく作られてしかるべきである!」というように、「民主主義のあり方」を語ったりもしません。福沢諭吉にとって、それは「啓蒙」ではなく「煽動」に当たるようなことなのでしょう。

 激動の幕末に生きて、自身も横暴なる支配階級である武士の一人だった福沢諭吉は、「秩序を乱す」ということが嫌いなのです。

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2017-01-02 バブル:日本迷走の原点・その2 永野健二 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き&前年からの続き。


バブル:日本迷走の原点

作者: 永野健二

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NTT株式公開の功罪

最大の功は、なんと言っても日本の株式市場が、時価総額で25兆円規模の巨大企業の株式を受けとめるという離れ業を実現したことにある。銀行を通じた間接金融ではなく、株式市場を活用した直接金融の世界の新しい始まりだった。(略)

87年という異様な投機の時代の流動性がなければ、これだけ大量の政府株の売り出しはスムーズにすすまなかっただろう。国営企業を株式会社、さらには公開企業として民営化のレールに乗せることに成功したのは、バブルの功といってもよい。

(略)

 そしてNTT株で、一攫千金の公開株を手に入れられなかった大衆の怨念、嫉妬が、その後リクルート事件で、政治家、官僚、経営者に対する恨みとして、倍返しで襲いかかる。(略)政治不信を増幅し、結局は55年以降40年近く続いた自民党の一党支配体制さえ押し流してしまうのである。

ブラックマンデー

 株価暴落の引き金を引いたのは、米国の意図に反した西独の金融引き締めだった。(略)米国のベーカー財務長官が激しく反発した。(略)再びプラザ合意のような急激なドル安も辞さずという態度を示したのである。これが「米国主導の株価暴落」のきっかけになったと言われている。しかし、ベーカー財務長官はみずからの責任は棚に上げて、ブラックマンデーは西独のエゴイズムが引き起こした、西独の責任による暴落と考えていた。(略)

87年12月末の時点で、日本も西独も公定歩合は2.5%で一緒だったのが[西独は89年4月には4.5%に](略)

[日銀三重野康]の再三にわたる「日本経済は乾いた薪の上に座っている」という発言にもかかわらず、公定歩合は2年以上にわたって棚ざらし

(略)

 だが、それだけではなかった。日本は政策においても、乾いた薪に灯油をぶちまけるようなことをした。ブラックマンデーから2ヵ月半後の88年1月5日に大蔵省が打ち出した「特金・ファントラの決算計上の弾力化と生保の運用枠の拡大を軸とした対策」である。

 これを一言で言えば、3月期の決算期に、特定金銭信託とファンドトラストで運用している企業や機関投資家の財テク資金について、損失を表面化させないでいいから、積極的に財テクを続けてください、という政策だった。

(略)

原価法を悪用して、運用に失敗していても見せかけだけの財テク利益を計上することを助長しかねない措置だった。(略)

[大蔵官僚はそれが]どういう矛盾を拡大して、どういう結果を生むのかということは考えてもいなかった。(略)唯一の共通認識は(略)世界同時不況のトリガーを引くことだけは困る」ということだった。

(略)

[89年末ようやく特金・ファントラによる財テクの異常な実態に危機感を持ち「営業適正化通達」を出す]

 89年12月の角谷正彦証券局長通達を、その後のバブル崩壊をもたらし、金融上の混乱を生み出したと批判する声が聞こえる。底の浅い批判である。角谷証券局長が決断したのは、88年1月に大蔵省が決断したバブルの原罪ともいえる失政の募引きである。角谷通達は正しかった。しかし、いかにも遅すぎたのである。

リクルート事件

[江副浩正は企業社会で最下層の広告業界でも下に位置する就職広告にコンプレックスを抱いていた。さらに京セラ稲盛に嫌われ第二電電発足に参加できず。そこで通信の本丸NTTの真藤恒に直接アプローチ]

広告の世界でリクルートがしたこと、そして情報通信の世界への夢は、四半世紀たってみれば、間違いなく革新だった。

(略)

[しかし一方で]バブル社会の土地高や株高を使って儲けることの方がおもしろいのではないか(略)リクルートのような利幅の薄い本業よりも、魅力ある分野だと考えてもいた。

 稲盛は、江副のこうした卑しさを心底嫌っていた。

(略)

 リクルート事件は、違法性のない株式取引であっても、社会の不公正の感覚と結びついた時に、どれくらいの破壊のエネルギーが生まれるかをはかる、格好のモデルだった。

秀和の小林茂

バブル期最大のトリックスターは誰かと問われれば、文句なしに小林茂である。(略)

 60年代に、日本に初めて「コンパ」と呼ばれるスナックバー形式の酒場を作った(略)カウンターの中に若い女性が立ち、洋酒をボトル単位で低価格で売り、さまざまな酒を取り揃えた(略)居酒屋の生活になじんだ団塊の世代にとっては生活革命であり、「トリスバー」に変わる新しい酒場モデルだった。(略)

[64年]秀和青山レジデンスを皮切りに(略)日本の分譲マンションブームの先駆けをつくった。そして、欧風の瓦屋根や独特のバルコニーを売り物に、マンションシリーズを定着させた。

 いわゆる建て売りマンション時代の始まりだった。(略)「10階建てが建てられるところには、天井を低くしてでも11階建てるんだ」「必ず建蔽率にゆとりがあるところに道をつけておくんです。そうすればいずれ高い建物が建てられる」[えげつない言葉だが、サラリーマンに手の届く価格でマンションを供給するという信念を加えると評価はがらりと変わる](略)

[50年が経過し秀和のマンションは天井こそ低いが良い立地で]ヴィンテージマンションとして人気が高い。[賃貸ビル業でも収益を上げた]

(略)

バブル崩壊後も、麻布建物、EIE、第一不動産、さらには小谷光浩の光進グループなどが、すべて法的に経営破綻したのに対し、秀和は一度たりとも金利棚上げをせず、徹頭徹尾、自助努力での生き残りを図った。「金利棚上げには陥らない」ということに、一種異様なほどの執念を燃やしたのは、第1次オイルショック後の不況で、銀行管理会社として苦労した時期のトラウマだった。

 2005年、依然として、巨額の負債を抱えながらも16棟のオフィスビルを所有していた秀和は、モルガン・スタンレー証券に1400億円で買収される。小林の無念は推し量るべくもない。(略)

 世間からは「買い占め屋」と言われ続けたが、小林は当時日本には存在しなかった投資銀行の機能を、いち早くみずから体現した存在でもあった。それは「会社は株主のものであるという前提に立って、株主として合理的に株価を算定し、みずからリスクを取って株式に投資する。また求める会社があれば、M&Aに協力する金融仲介機能を果たす」という米国流の投資銀行本来の役割である。

 その小林茂の秀和が、最終的に米国の投資銀行のシンボルともいえるモルガン・スタンレー証券に買われたというのは象徴的なことである。(略)

[バブルの最終局面の88〜90年]相次いで流通関連株を大量に取得し、一躍、流通業界の再編の「目」になる。(略)

[しかし]「中堅スーパーの大合同によって1兆円規模のスーパーを設立する」という[構想は実現せず](略)

[忠実屋といなげやは秀和の持ち株比率を下げるため第三者割当増資し時価の1/5〜1/3の安値で株を持ち合う]

実際に払い込まれるのは、いなげやから忠実屋への50億円強だけである。(略)

 いくら資本提携や支援などのために相対で条件を決めて株式を発行できる第三者割当増資だからとはいえ、市場で取引される株価を無視した、このようなファイナンスが上場企業として許されるのだろうか。(略)

[しかも仲介したのが]野村証券の直系の子会社である野村企業情報だったことである。商法上許された増資とはいえ、株主権を毀損する第三者割当増資については、証券界は、かねて反対の立場だった。三光汽船の第三者割当増資に対しても厳しい批判をしていたのは、ほかならぬ野村証券だった。

(略)

[秀和の仮処分申請を東京地裁は認め]

「市場価格は株価を判断する原点であるという原則に則って対処する」というスタンスを、裁判所が認めた瞬間だった。

(略)

 小林茂の真骨頂は、嫌われ者であることを認識しつつ、日本が「買い占め屋」の時代から「M&A」の時代へ移行する橋渡しを演じてみせたことにある。コモンセンスが欠落していたのは小林茂ではなく、忠実屋、いなげやのアドバイザーをつとめた専門家集団だった。

渡辺喜太郎

[光進の小谷光浩に騙され小糸製作所株をつかまされた渡辺は、安倍晋太郎を通じてトヨタに売りつけようとしたが、寸前で豊田英二によって阻まれる]

[95年豊田英二談]

「安倍さんは、大分こだわっておったけどね。(略)あんなのに深入りしちゃいかんわ。政治家は。しかも、将来(総理)を考えている政治家はね。そこら辺のどさ回りならともかく、安倍さんのような立場の人が、あんなに深入りしちゃいけない」

(略)

ピケンズ・渡辺喜太郎という「買い占め屋」を表舞台に上げ、「M&Aのプロフェッショナル」として遇したうえで、トヨタの正しさを証明した。バブルの崩壊も、トヨタに味方した。(略)

豊田英二の怒りは、ピケンズ・渡辺喜太郎に向けられていたのではなかった。彼らを差別し軽蔑したようにふるまいながら、裏にまわるとそれを利用する政治家、官僚、銀行、そして証券会社に対して向けられていた。

(略)

「バブルの時代はね、モノを作っておるやつは間が抜けておる、というような言い方が幅を利かせておった」「バブルの絶頂期みたいにみんなでワーワーお祭り騒ぎをやっておる時には、ふわふわ浮かんでおるのが当たり前だ、という錯覚を起こした人がたくさんおったでしょう」「結局、小糸事件にしてもそうだけれども、バブルの時代というのは、やっぱりおかしな時代でしたよ」

小谷光浩

小谷光浩たち「成り上がり」の資金力の裏側には、有力銀行が関わっているのではないか。(略)名実ともにナンバーワン銀行の座を獲得した住友銀行と、バブルの寵児である小谷光浩のあいだに明確なつながり[銀行本体から100億円、関連ノンバンクから数千億]があれば、バブルの時代の本質を暴き出す象徴的なニュースになる。(略)

都市銀行や長期信用銀行には、預貯金や金融債の発行で国民から集めた資金を、企業の設備投資や運転資金など、日本経済の健全な発展や成長に寄与する分野に回す責任がある。それが免許会社である銀行の条件である。

(略)

それが分かっているからこそ、住友銀行は小谷光浩の「住友は心のふるさとだ」という呼びかけに、沈黙をもって答えたのである。

(略)

 バブルの終息期にイトマン処理で西川善文のみせた決断力は驚嘆すべきものがある。しかし西川の回顧録には、不思議とバブルを膨らませた銀行の責任、とりわけその先兵と言われた住友銀行の営業姿勢について反省の声は聞かれない。

(略)

 70年代、安宅産業の破綻処理に走り回り、「1000億円をドブに捨てた」と公言し、「向こう傷は問わない」と再起を期した磯田一郎。そして磯田が実行した79年の機構改革。そのなかで不動産融資に特化して、審査と営業を一体化させて、一気呵成に営業拡大を志向した住友銀行は、矛盾をまき散らした。しかし皮肉でもなんでもなく、こうした機構改革と営業姿勢が、同時にバブル崩壊後の生き残りを可能にする収益基盤を作ったのである。

 西貞三郎と西川善文は、磯田一郎の住友銀行が生み出した二つの遺伝子である。

(略)

光進の小谷光浩は何のモニュメントも残さなかったが「私を捕まえると、日本は大変なことになりますよ。日本のシステムが壊れるのだから」という言葉を残した。歴史は小谷の言う通りに転がった。そして小谷光浩のことを語る人は今や誰もいない。

野村証券・田淵節也

 「海の色が変わった」――野村証券会長の田淵節也から[「熱狂相場の転機」を予測する]この言葉を聞いたのは1989年11月頃のことだった。日経平均は年末にかけて急騰し、4万円台をうかがうような勢いだった。

(略)

バブルの崩壊が間近に迫っていることを、田淵はひしひしと感じていた。(略)

「海の色が変わった」というコメントに実名を入れることは拒否したが、「証券界首脳」とすることで了解した。私が署名入りの記事で「証券界首脳」と書けば、関係者のほとんどが「田淵節也」だと思うことは、田淵自身、十分に承知していた。

 その時に議論した内容が残っている。相場はどこまで下げるんですか、という質問に「日経平均で2万4000円かな。いや2万円を切るかもしれないな」。あっさりと答えた。(略)40%の下げであり、88〜89年の相場上昇をすべて帳消しにする水準だった。それだけの下げを予測する人は、銀行・証券会社関係の首脳レベルでは誰もいなかった。

(略)

 87年のブラックマンデーの当日、田淵はニューヨークにいた。米国の株価暴落は転機だと感じた。あの時、日本の株式相場が米国と同様に調整していれば、バブル崩壊の傷は浅かったとも考えていた。(略)

野村証券は外資の参入を黒船として、金融自由化の圧力をテコに日本の金融改革を進めたいと考えていた。(略)

 しかし大蔵省の護送船団行政の壁は、厚く、高かった。

(略)

 当時、彼は「今回のバブル相場は大きいぞ。その反動も大きいぞ。なにしろ、全銀行をあげての土地バブルだからな。ツケも銀行に回ってくる」と言っていた。

田淵の見立てでは、「昭和40年不況」は[所詮山一証券の経営危機にすぎなかった。だが今回は](略)

全金融機関を巻き込んだ土地バブルである。(略)

四半世紀たって、その後の風景を眺めてみれば、田淵の見立てはことごとく的中している。(略)

「大蔵省が一番えらく(略)下座で頭を低くして控える証券会社がお金を融通していただくという世界(略)

田淵が生涯をかけて挑んだのが、この固定した金融秩序の打破だった。間接金融の銀行システムを、直接金融の証券会社に置き換える夢だった。

(略)

田淵節也は、株式の持ち合いという日本特有の仕組みを完成させた「株を凍らせた男」だった。(略)

「この相場はもたない」(略)読みが当たることはみずからの破局も意味した。それでも何かが変わることを止めることはできないと思っていた。(略)

 彼は株式持ち合いを通じて、日本の株式を凍らせて日本の株高の条件を作り上げ、証券市場のドンと呼ばれるようになった。しかし、株を解かして、新しい日本を作り上げられないままに退場した。

尾上縫

この史上最大の破産劇は、奇妙な神がかりの相場師が、バブルに浮かれた銀行に対して働いた詐欺事件で終わるところだった。それを押し戻し、日本興行銀行という日本の金融史でも特筆される公益銀行の衰退と堕落の物語として書き直したのが、92年から尾上の破産管財人をつとめ、のちに最高裁判事になる滝井繁男だった。(略)彼こそが、興銀の息の根を止めた男である。[06年のグレーゾーン金利規制でサラ金も殺した]

(略)

「尾上縫本人には被害者の側面もあったという印象を持った。金融機関や証券会社に食い物にされた面があったことは否定できない」「興銀に抱いていた、戦後日本経済を支えた格の高い金融機関というイメージが壊れた」「融資の担保を取るのに興銀のワリコーを買わせれば、逆ざやになって融資先が損をするのはわかりきったことなのに長期にわたって続けた。秀才が集まっているはずの興銀で、そのおかしさに気づかなかったのか疑問だ」。現役の最高裁判事による究極の興銀批判である。そして、融資にかかわった大阪支店の副支店長や難波支店だけでなく、興銀という経営主体の責任だと、明確に指摘している。

損失補償問題

[補填を指摘された超一流企業は声を揃えて「補填の認識はない」と言った。なぜなら補填は形を変えた大口手数料だという認識だったから。]

[蝋山昌一によれば]規制によって手数料が一律だったために、大口顧客への優遇措置として損失補填が用いられたという見方である。

 当時の大蔵大臣橋本龍太郎の損失補填に対する底の浅い理解への批判だった。(略)

[ざっと見積もって]損失は10兆円あってもおかしくない。しかし四大証券の損失補填額1200億円はそのうち0.6%にすぎない。業界全体の特金額を推計すれば、ほぼ手数料相当分の金額である。

(略)

 もちろん、こうした手数料割引の変形といって片付けられない損失補填も数多くあった。永田ファンドと呼ばれる山一証券の運用ファンドで生じた損失は、そのすべてが「にぎり」と呼ばれる、大口定期預金金利を上回る配分を約束したファンドだった。

(略)

 90年3月末までの損失補填額、そして翌年に日経がスクープしたリストは、本来、金融自由化が進めされていたならば必要なかった「取り過ぎた売買手数料などの還付額」だった。証券界が投資家に対して返済すべきコストだった。

 それらを公開したうえで、山一証券などの異常な証券会社については、個別に対応すべきだった。2000億円を上回る“飛ばし”は犯罪である。それを見逃す大蔵省証券局はもはや、免許制の証券会社に対する監督官庁とは呼べない。大蔵省が山一の飛ばしの実態を何も知らなかったなどというのは、あってはならないことなのである。

(略)

 大蔵省は、営業特金問題では証券局の問題として、悪しき証券会社の「利回り保証」を摘発した。一方、ファンドトラストは銀行局の問題として処理して、「利回り保証はなかった」ことにした。全く同質の二つの損失補填の問題を、証券局と銀行局という二つの組織が、二つの異なる基準と価値観で処理したのである。

 しかし、どちらにも「利回り保証」はあったのである。それが財テクの実態だった。

(略)

田淵義久社長の発言「大蔵省のご承認をいただいている」は、橋本龍太郎の激怒によって、田淵の舌足らずな表現として、歴史的になかったこととして片付けられ、二度と表の議論にならなかった。そのことに異議を申し立てた野村証券や証券局の幹部がいたとも聞かない。

 バブルの時代は、同時に金融自由化の時代でもあった。証券業の手数料制度は、このバブルの時代に変更しなければならなかった。その議論は何度も俎上にのぼっていた。しかし、証券業界も大蔵省も、実行することを躊躇していた。土地高・株高を利用して、既存の仕組みの裏側で、含み益を再配分して処理してきた。それは信託銀行業界も同様だった。ひとたび土地・株価が暴落すると、矛盾が一気に顕在化する。

 金融自由化の大前提となる、あらゆる市場参加者に対する透明な情報公開と投資家の参入する「機会の平等」を保証する制度を作り上げることを怠っているうちに、バブルが崩壊し、国民の間で「結果の平等」が維持されていないことに対する怒りが爆発した。その混乱こそが損失補填問題だったとも言える。

 大蔵省は、その処理に当たって、みずからの非を認めないで、営業特金については証券会社だけに責めを負わせ、信託銀行のファンドトラストについては、損失補填問題が一切なかったことで蓋をした。

 バブルの内実を知らない、「裸の王様」を権力に戴いた不幸であり、大蔵省の政策の誤りである。(略)[これが]「失われた20年」という長いデフレの時代の主因となる。

宮沢喜一と三重野康

[92年8月株価は危険ラインの15000円を割った、宮沢喜一と日銀総裁三重野康は独自のホットラインで合意を形成。宮沢の構想は土地買上げ機構をつくり公的資金を投入するものだった]

 宮沢が確信していたのは、今回の危機は株式市場の危機ではなく、日本の金融市場全体の危機であるということだった。それは「土地神話」の危機であり「銀行不倒神話」の危機であるということを意味した。しかし、株価の先行的な下げに比べて、土地価格の下げは1年半遅れていた。その遅れが、官僚や銀行家に奇妙な安堵感をもたらしていた。「株と土地は違う」と考えている大蔵宮僚や銀行経営者は多かった。(略)

[一方三重野も澄田時代副総裁として土地高を加速させた自責の念が強く、総裁就任後一年で5回利上げをし「鬼平」とあだ名された]

[8月17日、宮沢は三重野に明日株価が14000円を割ったら行動すると電話。だが宮沢の別荘にやってきた]秘書官中島義雄は大蔵官僚の利害を体現していた。「東証の緊急閉鎖」と「公的資金の投入」。そのどちらについても反対し、宮沢が帰京して記者会見することを、体を張って阻止する。そして、「金融行政の当面の運営方針」と書いてあるペーパーを差し出す。(略)その本質は株価対策が主体の「事態の先送り」だった。それは大蔵省の論理だった。中島の必死のとりなしに、宮沢の心も揺れる。

(略)

[8月30日の講演で]公的資金が日銀特融なのか、財政投融資なのか、一般会計からの税金投入なのかをはっきりさせなかったことで、宮沢の公的資金投入に関する知識や覚悟を疑う声があった。しかし、それは明らかな間違いである。宮沢は大蔵省など政策を推進する事務方の手足を縛りたくなかったのである。同時に、日本をとりまく事態が公的な資金の投入を必要とするような状況であることを「何らかの形で国民に伝える必要がある」と思っていた。政治家として内閣総理大臣としての矜持だった。

(略)

[20年後の住友の西川善文証言]

 「実は92年の8月に、宮沢喜一総理から軽井沢の別荘に招かれたことがあってね。行ってみると、そこには三菱、第一勧銀など大手行の頭取が全員、顔を揃えていた。不良債権を処理するための金融機関への公的資金注入についてどう思うか、内々の相談のようなものだったんだ」「頭取は皆、反対したよ。当時は財界も否定的だったからね。今思うと、あの時に決めておけば、こんな(不良債権処理をめぐって)大騒ぎにならなかっただろうに」と語ったという。

(略)

[宮沢発言直後大蔵省は大手銀行の不良債権は12兆と発表。だが宮沢は野村総研の40〜50兆という数字や海外メディアの記事を評価していた]

[2006年宮沢は当時を回顧し]

「マスコミも含め誰も賛成してくれなかった。大蔵省は『変なことを言ってもらっては困る』という態度だ。銀行の頭取は『冗談じゃない。うちはそんな変な経営状態ではない』と思っている。経済界も『銀行にカネを出すなんて』と反発した。経団連の平岩外四会長は『そんなことは考えることもできません』とけんもほろろだった」。インテリの宮沢にして、激しい筆致である。

(略)

 いまにして振り返れば、92年8月はバブル崩壊後の日本が復活する最後のチャンスだった。しかし、このとき公的資金を導入できなかったことについて、宮沢喜一の総理としての実行力の足りなさだという声が、今に至るまで聞かれる。(略)

 しかし、宮沢喜一と三重野康。内閣総理大臣と日本銀行総裁が歩調を合わせても実現できない政策とは一体何なのだろう。

 それを阻害したのは銀行と官僚。あえていえば、政官民の鉄の三角形のなれの果てだった。

おわりに

 直接金融か間接金融かと言われれば、証券会社がになってきた直接金融への道に、少なくとも肩を入れたいと思う。何よりも、秀和の小林茂、麻布建物の渡辺喜太郎、先進の小谷光浩など日本の経済社会で異端児、もっといえば成り上がりと蔑まれていた人たちに、ある種の親近感をもっていた。バブルのあの時代に「成り上がろう」としたら、この人たちにとって他に表現方法はなかった、と今でも思う。問題があったとすれば、このような人たちの野心や欲望に、何の反省もなく融資し続けた銀行でありノンバンクではないだろうか。またそうした制度を放置しつづけた行政ではないだろうか。

 資本主義のなかの企業家精神には、いつも上昇志向とともに、ある種のいかがわしさが潜んでいるものなのである。それをチェックし、上限を設けるのが、金融機関であり、官僚の仕事ではなかったか。

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