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2018-03-11 ポール・マッカートニー ザ・ライフ このエントリーを含むブックマーク


PAUL McCARTNEY THE LIFE

ポール・マッカートニー ザ・ライフ

作者: フィリップ・ノーマン

訳者: 石垣憲一, 竹田純子, 中川泉

メーカー/出版社: KADOKAWA

発売日: 2017/02/25

|本| Amazon.co.jp

レノン&マッカートニーの子供時代の家に入れる唯一のバスツアー

 ポールとジョンの子ども時代の家は、距離にして1600メートルも離れていないが、地区は別々で、その社会的な差は現在も大いに残っている。少なくともこちら側にあるアラートン地区の大部分が労働者階級の公営住宅団地からなっているのに対して、ウールトンは実業家や専門家、リヴァプール大学の学者がいる裕福な地区だ。ジョンがポールに初めて会った1957年には、この格差は何千倍もあった。

(略)

 「メンディップス」同様、この家にも住み込みの管理人がいて、ガイドの役もこなしている。そのほとんどが熱心なファンであり、1950年代風に復元されたジョンやポールの生家に住めるのだから極楽どころではない。実はここには何年間か、顔がポールに異常に似た管理人がいたのだが、紛らわしいことに、その人物の名前はジョンといった。

(略)

 ナショナル・トラストがこの家を入手した際にポールがつけた唯一の条件が、ここを単にビートルズの聖地にするのではなく、ある一家が暮らしていたことを思い出せるような場所にすること、というものだった。「それに最初は」と、サリーが指摘する。「ここは彼にとって、とても悲しい場所でしたから」。玄関のドアの上には、簡素な木の板が掲げられていた。

母のメアリーと父のジムを偲んで

(略)

1964年にマッカートニー家が引っ越したあとは、スミスという一家が30年にわたって住み、ステンレスの流し台を含めて、現代的な台所の備品を取り付けていた。元々あった木製の水切り板は、ナショナル・トラストが引き継いだ際に屋根裏から見つかったものだ。その後、一緒に使われていた磁器製の流し台も裏庭で見つかった。

(略)

 サリーは、ポールがよく夜遅くによじ登って屋内便所の窓から入り、父親を起こすことなくジョンを玄関から家に入れたという雨樋も見せてくれた。

(略)

 フォースリン・ロード20番地が一般に公開されるようになってからこのかた、ポールは一度も復元された内部を見たことがない。ただし、何度かお忍びで訪れて、外から眺めたことはある。息子のジェームズを連れて訪れたときには、この近所に住む男の子に声をかけられた。その子は相手が誰だか気づかずに、絶頂期のビートルズ並みのリヴァプールっ子らしい生意気さで、金を巻き上げようとしたのである。

「ねえ、1ポンドくれたら、ポール・マッカートニーの家を教えてあげるよ」

父と母

 1939年に第二次世界大戦が勃発したとき、ジムは37歳だったが、母親や姉妹五人が縁を取り持とうと努力したにもかかわらず(略)「独身を貫く男」でいることに満足しているようだった。ハネー社では綿花のセールスマンという身分に出世(略)

[ある日、母親の家を訪れると]

メアリー・パトリシア・モーヒンという病院勤務の看護師に出会った(略)

ジムとメアリーが自己紹介をしていると空襲のサイレンが鳴り始めたので、二人は庭にあったアンダーソン式防空シェルターの中で会話を続けるはめになった。そのシェルターの薄いトタンの壁の中で身を寄せ合ううちに、「紳士のジム」もついに陥落したのである。

(略)

 ジムと出会ったとき、メアリーは31歳という、当時の女性の大半は結婚をあきらめる年齢だった。

(略)

[ポール談、母さんは]実は、父さんが演奏している店に行っていたんだ。母さんは一ファンとして、父さんの追っかけをしていたんだよ。[あとで]こう思ったね。『やれやれ、僕はそこからすべてを得ているんだな!』」

 このロマンスは、始まりと同時に終わりを迎えていた可能性もあった。メアリーがカトリックとして育てられたのに対して、マッカートニー家はプロテスタントだったからである。(略)

それでも、メアリーには異議を唱える近親の家族はおらず、ジムはとにかく自分には神様のことなんかわからないんだよと言い張った。こうして二人は1941年4月にセント・スウィジン・ローマ・カトリック教会で結婚したのだった。

(略)

[翌年6月ポールが生まれた時]脳に酸素が足りないことによって生じる白色仮死の状態で、息をしていないように見えた。産科医は死亡を宣告するところだったが、同じカトリックでメアリーのことをよく知っていた助産師が必死で神に祈ったところ、少ししてその子は息を吹き返したのだった。(略)

 今しがた起きた奇跡を知るに及び、カトリック教会での洗礼を望むメアリーに対して、ジムはまったく反対しなかった。

(略)

[メアリーは結局、夫の意見に従ったので]

カトリックの洗礼を受けて、幼い頃にカトリックの日曜学校に何度か出席したあとは、ポールとマイクが母親の宗教にそれ以上関わることはなかった。

メアリーの死

正看護師である彼女は、最悪の事態をすでに予期していた。「ああ、オリーヴ」と、彼女は友人に囁きかけた。「今はまだあの子たちを置いてはいきたくないのに」

 この痛みは治まったかのように思われたが、数日でそれまで以上にぶり返した。ポールとマイケルはこのときにはもうキャンプから戻っていたものの、母親のどこが悪いのかまったくわかっていなかった。というのも、メアリーはいつものようにきびきびしていて、何でもできるように見えたからである――それに誰もが知っていたように、看護師は病気にならないものだったからだ。唯一おかしいと思えたのが、結婚と同時に捨て去ったも同然だったカトリックの信仰を、母親が急に望んだことだった。マイケルは、母親がベッドの上で泣きながら、司祭になったばかりの親戚の写真と十字架を手にしている姿を目にして当惑していた。

 最後にはジムがメアリーを説得して、保健サービスのつてを使わせ、専門医に急いで診てもらうことにした。この専門医は乳がんと診断(略)メアリーにはこの診断が死刑宣告も同然であるとわかっていた。愛しの新居を離れる前に(略)彼女は家の中を上から下まで掃除し、ジムと子どもたちの服をすべて洗濯すると、アイロンをかけた。

 メアリーは乳房切除のためにまっすぐ手術室へと運び込まれたが、この手術は行われなかった。がんが広範囲に転移していたからである。もう望みはなかった。(略)ジムが二人を連れて病室へ面会に行くと、メアリーは精一杯の力を出して、明るく、安心させるように振る舞った。だが、何でもよく気がつくポールは、シーツに血がついているのを見て、真相を推測した。

 メアリーはカトリックの司祭から最期の秘跡を受けると、手首にロザリオを巻いてほしいと言った。昏睡状態に陥る前に彼女が最期に思ったのは息子たちのことであり、二人の成長を見届けたかったということだった。1956年10月31日、メアリーは47歳でその生涯を終えた。

メル・トーメ

 ポールは演奏しながら歌うことも始めたが、このときはエルヴィスやリトル・リチャードを真似るのではなく、自分の本当の声で歌っていた。彼の声は高く澄んでいて(略)メル・トーメ以外、似ている人はいなかった。

ジョンがポールと出会った日 - 本と奇妙な煙

[クオリーメンの演奏を見た日]

ポールは、銀色の斑点がついたオートミール色のジャケットを着て、いまだに父親に気づかれていない一番細くした黒のドレイニーをはいていた。のちに彼が認めたように、ジョン・レノンに会うことより、あとで女の子をナンパする機会があることの方が大事だったのだ。

(略)

 緊張を解いたのはポールだった。グループが所有する二本のギターの一方を手に取ると(略)エディ・コクランの〈トゥエンティ・フライト・ロック〉を始めたのだ。しかも、エルヴィスのようなビブラートや柔らかいrの発音まで含めてコクランの声を完璧に真似ていた。「うーんとね、恋人ができたんだ、れコードマシン持ちの……ろックに関しては女王様……」。左利きの人が右利き用の楽器を操るというのはもちろんのこと、歌とスラップベースのリズムを同特にこなすというだけで、十分に印象に残った。

 「彼の演奏は見事だった――本当に、見せびらかしてはいたけど、うぬぼれた感じはなかったね」と、コリン・ハントンが言う。「ジョンがこう思っているのは明らかだった。『わかったよ、お前ならうまくやっていけるだろ』」

(略)

[ポールは教会ホールにある古いアップライトピアノ]の前に立つと、ジェリー・リー・ルイスの〈ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン〉のローリング・ベースのブギを弾き始めたのだ。

 ジョンに残っていた遠慮はとうとう消え去り、ポールのピアノに加わって、自分もこのギター狂の世界におけるピアノのファン仲間であることをさらけ出した。

(略)

 この頃のクオリーメンは運がいいときは、リヴァプール都市圏を構成するいくつもの周辺町村のどこかで、週に二、三回は演奏していた。(略)

 彼らの観客はティーンエイジャーの女の子たちだった(略)

 出番のあとにはたいてい選ばれた女性ファンが待っていて、キスや愛撫、さらにはものすごくついているときには壁を背にした「立ったままのセックス knee trembler」の相手になった。ジョンにはどれほど女性がいても足りなかった。その性欲は底抜けのようで、一日に九回も自慰をしたと豪語するほどだった

ジョージ加入

[ジョージは]ヘフナー・プレジデントの見事な――バスの運転手をしている父親の給料数週分に相当する――ギターを持っていて(略)アメリカのレコードのソロやリフを根気よく聴き取って再現していた。

(略)

 ポールは、新しい細身のズボンを徐々に父親に慣れさせたのと同じ巧みさで、ジョージのことをジョンに気づかせた。ジョージはメンバー候補というより忠実なファンという感じでクオリーメンの公演によく顔を出すようになった。

(略)

問題は、ジョージがジョンより二歳半も下で、一番おしゃれなボックス・ジャケットとウィンクル・ピッカーズを身に着けても、お話にならないくらい幼く見えることだった。ジョンにとってジョージは「いつもつきまとう、あのガキ」になっていた(略)

 結局は、音楽の腕が勝利を収めた。ジョージはアメリカで新たにヒットしたビル・ジャスティスの〈ローンチー〉(当時のイギリスでは誰も「セクシー」という意味だとは知らなかった単語)というインストゥルメンタル曲の弾き方を知っていたのだ。ジョンは大いに感銘を受けて、真面目な顔をしたぜんまいじかけのおもちゃのように、ジョージに何度も演奏させた。こうして、エリック・グリフィスはあっさりお払い箱となり、「あのガキ」が――というよりも、もっと重要なことには、彼のヘフナー・プレジデントのギターが――加わったのである。

バディ・ホリー

 バディ・ホリーは、クオリーメンに眼らず、ロックンロールへの移行に苦労していたすべてのスキッフル・グループにとって、天の恵みだった。彼のサウンドは、ゾクゾクするような目新しさがあったにもかかわらず、自分たちがすでに知っている基本的なギターコードとシンプルなシーケンスを中心に構築されていたのだ。

(略)

 アメリカの音楽界のスターたちに関する伝記的な情報は少なかった。ホリーについてもしばらくの間はほとんど何も知られていなかった(肌の色さえわかっていなかった)。驚くべきことに彼は白人であり、のっぽのテキサス生まれで、ギターというよりも宇宙船のようなソリッドボディのフェンダー・ストラトキャスターを弾き、分厚くて黒い角縁眼鏡をかけていることがわかった。(略)

ジョンはすぐにホリー風の角縁眼鏡を手に入れて、ポールの言菓によれば、「世界が見えるようになった」。ただし、いくらホリー風の眼鏡でも、舞台上や人前でかけようとはしなかった。

 二人ともホリーの音楽が大好きだった――シンプルなコードであれほどのドラマを引き起こせるギター、実に真似のしやすい、言葉に詰まるような声、それまでのロックンロールでは聴いたことのないエコーや多重録音、楽器編成の実験。だが、二人を何より魅了したのは、ホリーがソングライターであることだった。ここにいたのは、ティン・パン・アレーの屋根裏で「月」と「六月」で韻を踏ませる、うなだれた中年の三文文士ではなく、自分のバンド用に前のものよりも斬新でワクワクするような曲を次々に作り出す若くてカッコいい人だったのだ。

ジョンとポール

 美術大学とインスティテュートはずいぶん前からお互いに行き来できないように区切られていたが、狭い庭を抜けていくと両者をつなぐ扉があった。これのおかげで、ポールとジョージは昼食時間に校則違反だったギターの練習をするため、大学側にいるジョンに会いに行くことができたのである。

(略)

三人はカフェテリアに行って安上がりなフライドポテトのランチを済ませると、ギターを抱えてよく人体デッサン用の空き教室に入り込んでいた。その教室がたいていほかよりも広かったからだ。ヘレン・アンダーソンは並外れて美人だったため、彼らのリハーサルを見てもいいと許されたごく少数のひとりとなった。「ポールはよく学校のノートを持って、歌詞を走り書きしていたわ」と、ヘレンが語る。「このセッションは熱を帯びることがあってね。ジョンは攻撃的になって自分の思い通りにすることに慣れていた――でも、ポールも譲らないの。二人が一緒のときは、ポールがジョンを生き生きさせているようだったわ」

(略)

[ミミ談]

「ある晩、ギターはポールのほうが上手だと思いますと言ったら、[ジョンが]私に対してものすごく腹を立てましてね。急にギターをかき鳴らし始めたのです。二人の間にはかなりの対抗意識があったのですよ」

(略)

 彼らが本当に集中できた唯一の場所は音楽に対して寛容なポールの家(とりわけ父親のジムが仕事で外出している昼下がり)だった。(略)

暖炉のそばの向かい合わせの小さな肘掛け椅子に座り、二人の協力関係が完全にひとつになったのである。「曲を作るときは、自分の心を覗き見る代わりに、ジョンが弾くのを見ればよかった。まるで彼が鏡を手にしていて、僕のやっていることを映しているようだったよ」と思い出すポール。二人の声も、ジョンのツンとくるリードヴォーカルが、ポールのしなやかな高音のハーモニーと(略)混じり合って、同じ効果を生み出していた。

 刺激を得ようとして、二人は狭い台所で際限なく紅茶を淹れたり、安いウッドパインの紙巻き煙草を吸ったり、ポールの父親のパイプに害が出るほど詰めたタイフーの紅茶の茶葉を吸ったりした。一時的にインスピレーションが得られなくなったときには、ポータブルのタイプライターで『グーン・ショー』的なモノローグや寸劇を書いたり(略)そのときたまたま嫌っていた人のところへ手の込んだいたずら電話をかけたりした。

(略)

[弟の]マイクは熱心なアマチュアカメラマンになっていたので、この二人のソングライターをしきりにカメラに収めた。まだ世間には見せていなかったバディ・ホリー風の眼鏡をかけたジョンの姿も時々とらえている。

ドットの妊娠

ドット・ローヌから、妊娠したと告げられたのである。彼女は16歳、ポールは17歳のときだった。

 当時はまだ婚外妊娠はヴィクトリア朝時代と変わらぬ不名誉を意味していたし、品位ある労働者階級が多いイングランド北部以上にその意識が強いところもなかった。(略)

 ポールは正しい振る舞いをした。赤ん坊は自分の子ではないなどとは言おうとせず[中絶も選択しなかった](略)

[ドットの母は]赤ん坊を養子に出すという案に賛意を示した。だが、ここでも立派なジムはドットのことを抱きしめると、自分の孫が乗った乳母車を押す彼女の姿を見られたら自慢に思うだろうと声をかけたのである。(略)

[ポールは]学校はやめ(略)音楽とは一切関係のない「ちゃんとした」仕事を見つけなければならなくなったということだ。[だが妊娠三ヶ月でドットは流産]

ドイツ:ストリップクラブ<インドラ>

[五人は]むさくるしい狭いクラブにがっかりしたのだった。その店にちらほらいる客のほとんどは、いつもの出し物であるコンチータという名のストリッパーの登場を待っていたのである。

 彼らのオープニングの数曲は夢遊病のように定まらない感じだったため、ブルーノ・コシュミダーは手を叩いて、「もっと派手にやれ!」と叫び始めた。(略)

[ジョンは]ジーン・ヴィンセントの度を越した物真似で、これに応えた。わめくカジモドのように体をかがめて、副え木をされた脚を引きずって歩き回ったのだ。馬鹿にされているとも気付かずに、幸せにもドイツ人の客たちはこれを気に入ったのである。

(略)

 トニー・シェリダンはこのリヴァプールの若者たちに、レーパーバーンでも独特の悪行を案内してみせた。何もかも脱ぎ捨てるストリップクラブ、異人種間のセックス・ショー、女性による泥レスリング、服装倒錯者のバー、明かりのついた店の窓にあらゆる年代と寸法の売春婦が値札つきで出ているヘルベルト通り

(略)

 自制心や潔癖さがあっても、彼がのちに言うハンブルクの「セックス・ショック」に耐えることはできなかった。彼と仲間たちが生まれた国の若い女性たちは、手を出せないようなブラジャーやコルセットにいまだに身を包んでいて、婚前交渉は恥ずべきことと考えており、妊娠する恐怖に付きまとわれていた。そういう国から来た彼らが、今では売春婦やストリッパー、それに抑制するもの――拘束する下着――を何も着けていないバーのホステスがいる地区にいて、彼女たちのほうはこのかわいらしいテディボーイのミュージシャンたちを大いに魅力的に思い、ドイツ的に率直で、実にあけっぴろげなのだった。ここでは、セックスは思いがけない幸運ではなく、二四時間営業のビュッフェだったのである。

(略)

[ブライアン・グリフィス談]

誰もいないクラブで、ポールがひとりでエルヴィスの1960年の大バラード“イッツ・ナウ・オア・ネヴァー”を練習していたんだよ。ジョンは、『あんなものやるなんて、どういうつもりなんだ?』と口にした。(略)

でもポールは、ロックンロールだけでは夜の出番を乗り切ることはできないし、ドイツ人の観客の心に訴えかける必要があるとわかっていた。だからエルヴィスの映画『G・I・ブルース』から“さらばふるさと”もやって、歌詞をドイツ語で完璧に歌ったんだ」

キャヴァーン

男子トイレでは、常に悪臭漂う池の上にわたされた板の上に立つことになり、女子トイレでは、ネズミが大胆にもスイングドアの上にいたのである。(略)天井から絶え間なく落ちる薄片は、「キャヴァーンのふけ」として知られた。

(略)

汗、かび、チーズの皮、腐りかけの野菜、ネズミの糞、消毒剤が混ざった臭いが服に染みこむと、ドライクリーニング店でも処置なしだった。

 「バスに乗って、端のほうに女の子が二人座っていたら、キャヴァーンの帰りだとすぐにわかるほどでした」と、フリーダ・ケリーも記億している。

(略)

[前列の女の子は]完璧な格好をして、洗ったばかりの髪にヘアカラーを巻きつけた状態で会場にやって来ると、アイドルが登場する直前にそれらを外すのである。

(略)

フリーダは、ポールとジョンが一番親しげだった頃のことを覚えていた。「演奏中の二人は、お互いの心が読めるかのようでした。一方が何か音を出すかひと言口にする、もしくはうなずくだけで、相手は何が求められているのかがわかったのです。

マッシュルームとコクトー

[エリザベスおばさんから100ポンド貰ったジョンはポールとヒッチハイクで仏へ]

 カッコいい若いフランス人男性はみな、髪を前になでつけた髪型をしているようだった。ハンブルクでアストリートがステュに施して、ジョンとポールがからかった髪型である。ユルゲンもその髪型にしており、彼がアストリート並みにハサミを器用に使えたことから、ある日ホテル・ボーメの一室で、二人もテディボーイ風に垂らした髪を落とすよう、彼に頼んでみた。試しにやったこの髪型が、のちにビートル・カットとなるものだが、おかげで顔の感じが変わり、ジョンの顔はより挑戦的でからかっているように、ポールの顔はさらに丸みを帯びて、赤ん坊のようにあどけなくなったのである。

 実際にはビートル・カットは、ユリウス・カエサルからナポレオンに至るまで、歴史上の数多くの人物を引き立ててきたものである。ポールは後年に述べているが、その真の生みの親を自分で考えてみると(略)ジャン・コクトーになるという。

[映画『オルフェの遺言』には]何千年も前にビートル・カットにした若くて美しい男たちが大勢出てくる。事実オルフェウスは音楽家で、歌いながら自身の弦楽器を弾くが、そのあまりに甘美な歌声に、若い女性たちは文字通り争って彼の体をバラバラに裂くのだ。どこかでなじみがないだろうか?

“アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア”

[アイリス・コールドウェル談]

“アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア”は、ポールが私のことを書いた曲だって、みんな思ってるわね。私が『まだ17歳』の頃に、彼からデートに誘われたのは事実よ。でも、彼とは二年間も一緒にいたけど、私についての曲は書けないって、いつも言ってたんだから。『アイリス』と韻を踏む単語は『ウイルス』しかないからだって」

次回に続く。


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