Hatena::ブログ(Diary)

木ノ内博道の[里親家庭支援のつれづれ日記]

2018-05-25

不登校、自傷行為で措置解除?

23:06

他県の里親と話していたら、子ども不登校になって措置解除になった、と話していた。施設もそうだから里親もしょうがない、という。子ども不登校になったら、措置解除以外にもっとやるべきことがあるんじゃないか。登校させないと里親失格なんだろうか。何とも不思議な話だ。「それ絶対おかしいよ」と話したら、児童相談所里親は対等と話す人がいるが、里親の苦労なんてわかってくれる児童相談所職員はいない、というコメントが返ってきた。

そういえば、子ども自傷行為を始めたので措置解除されたという話を聞いたことがある。措置解除以外にもっとやるべきことがあるのではないか。もっと子どもの心にフォーカスしてもいいのではないか。なにかコトが起きた場合職員の責任が問われるから、なんだろうか。事なかれ主義子育てはできないのだが。

2018-05-14

ほんとうかな?

22:59

5月10日の「朝日新聞デジタル版」によると、厚生労働省は5月9日、都道府県に対してビジョンの「実施計画案」を送付したとある。話題になっている目標達成時期(里親委託率を「7年以内に就学前の子どもの75%以上」などとした厚労省のビジョン)を盛り込まない形で。

塩崎前労働大臣はこれに対して「それでは意味がない」と訴えているという。一方厚生労働省幹部は「都道府県に意見を募る案段階のもの。正式な通知ではない」と釈明しているとか。

都道府県に聞いたら、目標は甘いものになる。厚生労働省の姿勢としてどうなんだろうと思ってしまう。やる気はあるのか!

2018-05-11

児童養護施設などで暮らす子ども間の性暴力問題

22:38

4月27日(金)、厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課は、児童養護施設などで暮らす子ども間の性暴力について、悩んでいる子どもが相談しやすい環境を整えるよう、都道府県政令指定市児童相談所の設置市に通知した。施設内に都道府県の相談窓口の電話番号をわかりやすく掲示したり、意見箱を設置したりといった対応策を求めている。

施設での性暴力の問題は以前から言われていた。厚労省も重い腰を上げたということだろう。しかし、「悩んでいる子どもが相談しやすい環境を整えるよう」といっても、具体策からは縁遠い気がする。子どもは、行くところがないから入所しているのであって、このような事実を明らかにしたら、子どもは居場所を失うという心配を抱えている。

里親虐待を疑われたりすると、登録を抹消されるか、あるいは自らやめることになる。施設が、反省して施設をやめたという話は聞かない。

子どもを追い詰めないようにしたうえで、相談にのれるようにするべきだと考える。

2018-04-28

里親家庭の文学『青空のかけら』

12:11

『青空のかけら』(S・E・デェラント著、杉田七重訳、すずき出版)

――季節里親体験から委託先が見つかるまで

日本には、正式な制度ではないが季節里親週末里親という仕組みがある。児童養護施設で暮らしていて長期に親元に帰ることができない子どもに対して、家庭生活短期間ではあれ体験してもらおうという趣旨でのもの。そうした子どもとの交流が、里親への委託、養子縁組につながることもあるが、もともと家庭生活体験させるものなので、そうした期待はしないでほしいと児童相談所児童養護施設職員からあらかじめ言われることが多い。しかし、一時的に受け入れて、これからも一緒に生活ができそうだったら里親委託、養子縁組ができればいいのに、と考えるがそうした事例は少ない。

『青空のかけら』は、だれからも愛されないちっぽけな少女ミラクルが主人公。身寄りのない子どもの名前がミラクル(奇跡)とは大げさでうそっぽいと本人は思っていて、みんなは略してミラと呼んでいる。弟はザッカリだがいつも落ち着きがなく走ってばかりいて、ザックと呼ばれている。二人はスキリー・ハウスという100年も続く児童養護施設で暮らしている。

アニタというソーシャルワーカー運転する車でスキリー・ハウスにやってきた。これから世話を担当する職員のホーテンスに、院長のミセス・クランクスを紹介されるが、あまりいい感じはしない。歩くと音のする階段を上って、最上階の部屋に案内される。

ところで弟のザックはほかの人が好きではなく、ミラだけを信じている。いろいろな家を短期間のうちに転々としてきた。落ち着きがなくいつも動き回ってばかりいるザックのせいなのかも知れない。

お化けを怖がっているザックだが、ある夜、外の風の音で目が覚める。庭の大木が嵐で倒される。朝になると横倒しの大木があり、木や船やいかだと呼んで子どもたちは遊ぶ。

そうこうして1年半近くが過ぎた。みんなは里親が見つかったり養子になったり家に帰ったりして、二人以外ではジミーという少年がまだ施設にいるだけだ。ジミーが怒りっぽい性格で、嬉しい時も怒っているのがその理由だろうとミラは思っている。そして、自分たちにもなかなか家族ができない。ソーシャルワーカーアニタは新聞広告を出してくれたりして頑張っている。ミラは10歳半、ザックは9歳になっている。

ここで読者はおやっと思うに違いない。里親や養親を探すのに新聞広告を出すというのだ。この小説はイギリスが舞台になっていて、施設と言っても小規模、1年半も暮らしている子どもは数えるほど。積極的に家庭養育を勧めていて、そのために新聞広告も出すのだ。

ある日、ミラはベッドわきの床板のずれたところから1通の手紙を発見する。封筒を開いてみると、グレンダ・ヒヤシンス(年齢は11歳)からの手紙で、後にこの部屋で暮らす子どもに当てた手紙だった。そこでミラはこの手紙に返事を書いて、グレンダの手紙と一緒に床板の下に入れた。ミラは新しい友達ができたようで嬉しかった。

二人はよその家でお泊りをすることになった。「都会の子ども、田舎の子ども」と言う企画によるもので、期間は1週間。それがすめば送り返される。その話を院長のミセス・クランクスから聞いてミラはびっくりする。初めてのことなのだ。ミス・フリーマンという婦人が受け入れてくれる。

院長に同行されて列車で出かける。ザックは落ち着きがない。ホームに降り立つとミス・フリーマンが出迎える。ミス・フリーマンはマーサと呼んでちょうだいと言う。ミラが見るところ「おばあちゃんと女の子がまじっているような感じの人で、顔はしわだらけでも、目はきらきら光っている」「この人には、ほかのおとなにはない性質があるのに、わたしは気づいた。はずかしがってる! はずかしがるおとななんてはじめて」。ミラはこんな風に思う。「おとなはおとなの仕事をいっぱいしなくちゃなかないから、はずかしがってなんかいられないんだ」、と。そう、児童養護施設では仕事をしている大人しか見ることはない。

マーサの暮らすウェルズベリーはロンドンと違って通りに木が生えていて<人頭税反対>と書いた看板も一つだけ。サイレンも鳴らず交通渋滞もない。この<人頭税反対>のデモが後半の展開の伏せんになっている。

マーサの家の玄関には「アップルトン・ハウス」と書かれている。ミラは、建物に名前があるのは児童養護施設か刑務所だけかと思っていた。作者の皮肉が込められているような記述だ。マーサの話では昔ここにリンゴの木が植わっていて、それでこんな名前を付けた、と言うこと。風格の感じられる家で大勢暮らしているのだと思うが、住んでいるのはマーサ一人だけ。居間は世界一すてきだった、とミラは思う。揺り椅子があって暖炉があって、床から天井まで書棚がずらり。植物や絵画がある。「どれもこれもくたびれた感じがするのに、スキリー・ハウスよりずっとすてきに見えるのは、マーサが愛しているからだろう。スキリー・ハウスの部屋はだれからも愛されたことがないように見える」。これも作者の皮肉か。

ザックは部屋など観察していなくて、庭を見ている。芝生が広がっていて、突き当りに小川がある。庭に出たザックは小川に飛び込み泥にまみれる。着替えてダイニングルームに行く。まるでレストランにいるようだとミラは思う。ご馳走が並び「招かれた人がほんのわずかで、だれかがケーキを持ってくるのを忘れたバースデーパーティーみたい」。そして「まるで存在すら知らない星についちゃったみたい」。

翌日になると、昼食に食べる卵を買いに行くために三人は少し離れた農場に行く。ニワトリがいっぱいいて、卵は自分で集める。いろいろなところに卵はあって、マーサはお皿にお金を置く。お金を「ほかの人が持ってっちゃったら、どうするの?」とミラが聞くと、「だれがそんなことをするの?」とマーサ。帰って調理をする。「生みたての卵を食べるのははじめてだった」。こうして施設では味わえない体験を山のようにする。だが、ザックは木の枝を折ってしまったり花の上に転んで茎を折ってしまったり、あげく揺り椅子を壊してしまう。さらにクッションも破いてしまう。ミラはすぐにも送り返されてしまうと気が気ではない。自分たちの居場所は施設しかないのか、と思う。

翌日は気をつけて何にも触れないようにして過ごす。夕刻になってマーサが不思議なことを言う。「私に、もう少しがまんしてくれると、うれしいのだけれど」。「わたしには子どもがいないの。機会を逸してしまったのね。それで、自分のやり方を通してしまうところがあるの。だからあなたたちふたりに教わりたいの」。ミラは何を言っているのか分からないが、とりあえずは送り返されることはなさそうだと思う。

ザックを家に残してミラとマーサは庭で絵を描いている。ザックの叫び声が聞こえる。砂糖つぼが粉々になっていた。ミラはザックを叱る。マーサはミラにこう言う。「あなたはザックのことを心配し過ぎよ。ときには自分のことを心配すべきじゃないかしら」そして「自分よりザックの心配をする方が楽なんでしょうね」「あなたの望みはなに?」。ほんとうは自分のザックをほしいと言ってくれるのを望んでいるが、そんなことは言えない。

スキリー・ハウスに帰る日が来た。もう二度と来ることはないと思うとミラは「悲しすぎてしゃべれない」。ザックはお土産にする卵を大切に抱えている。スキリー・ハウスに帰ってくるが卵は一個も割れていなかった。「お泊り旅行がやっかいなのは、それを体験したあとでは、ぱっとしない毎日が、なおさらぱっとしなくなってしまうことだ」とミラはマーサと暮らした時間を振り返る。

こうした境遇にある子どもを迎え入れて一時期楽しい思いをさせる。しかし続かないことならこれほど残酷なことはない。季節里親週末里親をやって気持ちのいい思いをしている大人達も、実は大きな落胆を子どもたちに与えていることになるのだろう。

マーサから絵はがきが届く。ニワトリの絵が描いてある。そして二人がいないと「家のなかは活気がなく、卵を集めるのも、ひとりでは楽しくない」とある。ザックは「またあそこにもどれると思う?」と聞くが、今度は別の子どもたちで、順番が回ってくるのは数年先だろうと思う。

半年が過ぎて、もうすぐ新年を迎えようという時、マーサから招待状が届く。それも、今度は「都会の子ども、田舎の子ども」のプロジェクトではなく、マーサが自分でそうしたいからだという。

クリスマスというのは、身寄りのない子どもを悲しくさせる。自分たちには家族がなくほかの子どもたちにはあることを思いださせるから。広告はそろって完璧な家族像を前面に」だす。施設職員のホーテンスは、ああいうのは全部役者がやっているので本物ではない、と言う。でもミラは悲しくない。家族を経験したことがないから。ホーテンスは言う。「ティーンエイジャーは、ほかのだれよりも家庭を必要としているのに、こまったことに、その年頃の子どもが一番扱いにくいんだよね」。

マーサの家に行く日が来た。家に着いてマーサが玄関のドアを開けると子犬が一匹飛び出してきてミラとザックの顔中をなめる。二人は歓声を上げる。ダッシュと言う名で、落ち着きがないためマーサはくたくただという。

「はじめてマーサの家にやってきたとき、わたしたちがめちゃくちゃにした以上に、ダッシュは家のなかや庭をひっかきまわした」。そして大晦日がやってくる。ミラはマーサに習って抽象画を描いてマーサへのプレゼントにする。スキリー・ハウス用にもう一枚描かないとね、ということでまたイースターに来ることになる。

スキリー・ハウスでの暮らしでは、友だちになった子どもたちとの別れなど、さまざまなことが起こる。そして、ある日テレビを見ていたら「人頭税反対」のニュースのなかにザックに似ている女性がプラカードをもって映っていた。よく見ればミラにも似ている。「ぼくらのママだ」とザック。これが事件の始まりである。

さて、再び二人はマーサの家に行く。これで3度目だ。暖炉の上にはミラが描いた絵やダッシュとともに写った写真が飾られている。しかし、ダッシュはもう小さな犬ではなくなっていた。三人と一匹は市場に行く。広場では長距離バスがとまっていて乗る人が並んでいる。ロンドン人頭税反対のデモがあるのだ。ザックとダッシュは何度もはぐれるがダッシュの吠える声でいることが分かった。

買い物をしているとバス二台が出発し、ザックとダッシュもいない。残ったバスに行ってみるとおじいさんが「おや、弟さんなら別のバスにのったよ」という。ザックはママに会いたいと思ったのだ。ミラとマーサは後発のバスに乗って、先のバスを追いかける。ロンドンが近くなるとデモのせいで交通渋滞になっている。先のバスにも出会えない。二人は地下鉄に乗り換えてデモが行われている広場に向かう。ミラの直感でザックを見つける。ダッシュを膝の上に載せて階段にすわっていた。ダッシュは人ごみのなかで踏まれたのか死んでいた。

場面はスキリー・ハウス。ロンドンだからタクシーで行ける距離だ。マーサは帰って行った。もう二度と会うことはないだろうとミラは思う。マーサから電話がかかってきてミラはあやまる。マーサもあやまる。ダッシュは庭に埋められたという。「あなたたちがもどってきたら、花をそえてあげて」とマーサが言うので「わたしたち、もどれるの?」とミラ。そうしてマーサの家に行く。「ダッシュのいないマーサの家はつらかった」。マーサはザックの肩に手をおいて、「もう自分を許してあげて」「でないと、わたしも自分を許せない。もっとしっかりあなたのめんどうを見てるべきだったのよ」。ザックの前にひざをついて「あなたがあの子(ダッシュ)を愛しているのを知っていたから、わたしはあなたに託したの。あなたを信頼したのは正しかった。これからもわたしはあなたを信頼する」。

ミラとザックにマーサは「あなたたちに、ここにいると約束してほしいの」「夢を追いかけて、ロンドンに行ってしまうなんてしないで」。こうして二人はマーサと家族になった。

スキリー・ハウスで暮らすのもあと一週間。院長のミセス・クランクスにあいさつし、彼女のサインを見てミラは驚く。その書体はミラの床の下にあった手紙と同じだった。ミラの書いた手紙とともにミセス・クランクスに渡す。

それから25年後、ミラはアップルトン・ハウスでの生活を振り返る。マーサは別の犬を飼い、いつもミラを励ましてくれた。今はロンドンに戻ってイラストレーターの仕事をしている。ザックは教師になって結婚をした。スキリー・ハウスは売却され建物が撤収されて跡地にマンションが建つという。当時一緒に暮らした子どもたちの消息も聞いた。それぞれ結婚して子どもがいたりする。ミラはザックたち夫婦を幼い娘二人を見ながら、これは「まさに小さな奇跡だと思う」。

matsumotomatsumoto 2018/05/24 10:50 要約していただいた小説なのですね。わかりやすくてありがとうございます。週末里親を足かけ15年やらせていただいて、週末里親・3日里親について日々感じていることをお話しさせていただきたいと思います。
小説の中に「週末里親の役割を家庭生活を体験させるもの」とあります。これは、児童相談所から言われている役割ですが、その具体的なことや意味付けは特に示されずに来たと思います。家庭体験の中身は議論さえされずに来ていると感じます。おそらく児相や施設は食事作りや買い物程度でいいと思っていると思います。
子どもの本当はどこかの時点で週末から長期、できれば養子縁組が望ましいと思いますが、子どもの兄弟関係など背景によって何が最善化は難しいです。ですから、子どもと大人のマッチングを柔軟に考えて行くべきと思います。
わが家のT君と関わる中で大事にしてきたことは、児相職員から言われた「細くとも永くつきあってほしい」との言葉でした。これは今思うと適切なアドバイスでした。受け入れる大人側にも事情があります。日々の生活は施設でも15年の歳月の中で、冠婚葬祭など人生の大きなスパンで起きることに立ち会わせるようにも心がけましたが、そこでの出会いは周囲の一般人にも徐々に大きな影響を与えると思います。

kino926kino926 2018/05/24 19:08 matsumotoさま、コメントありがとうございます。
週末里親や季節里親というのは仮の名称であって、児童養護施設の行う「家庭生活体験事業」のことを言うんですね。それも、そうした制度を利用しない施設も多い。施設で暮らす子どもたちに家庭生活を体験させたいと思いながら、施設の取り組みに左右されてしまって、思うように言っていないのが実情かと思います。それから、運用についても都道府県で取り組みがばらばらです。matsumotoさんのお住まいの地域は三日里親という制度を作って、比較的しっかりした制度運用をしていると思います。
里親がもっと声を上げて、もっと多くの子どもたちがこの制度を利用できるようにするべきだと思っています。

2018-04-26

里親家庭の文学◆愡廚そ个離沺璽法次

07:51

思い出のマーニー』(ジョーン・G・ロビンソン著、高見浩訳、新潮文庫

――里母との和解と出自を知る物語

秘密の花園』の主人公メアリは当初「偏屈」で、そこからの回復だったが、『思い出のマーニー』の主人公アンナはひとり空想にふける“夢見る夢子”である。そして、メアリが自分の回復だけではなく、さらに住んでいる邸の課題にも取り組むのに比べ、アンナは里母プレストン夫人との和解が課題となっている。夫人の元から離れ、静養に出かける。静養の地で、現実と非現実を生きながら、物語の後半は自分の出自にかかわる展開となる。そして夫人と和解することになる。

物語はアンナが列車で旅立つ場面からはじまる。「いい子でいるのよ。楽しくすごしてね」というプレストン夫人の言葉を素直に聞けないアンナ。「トランクは網棚の上よ。コミックはレインコートのポケットに入っているから」。それ以外にもなにかと世話を焼く。あげく「トランクの内ポケットに、宛名も書いて切手も貼ってある葉書が入っているから、無事に着いたってことだけでいいの、知らせてちょうだい」。直接は書いていないが、心の離れているアンナにはうっとうしいだろうと読者も思う。里親に限らないが、いや里親だからこそ、こうした過干渉気味の養育者は多いことだろう。

列車のなかで、アンナは最近を回想する。一日の大部分を何も考えずにすごしていた。何事にも関心が持てない。「パーティとか、親友とか、お茶に招かりたりすることが素晴らしいのは、あくまでも自分以外の連中にとってなのだ」。ここでアンナの独特の考えが述べられる。「そういう連中はみんな“内側”の人間、何か目に見えない魔法の輪の内側にいる人間」。「その点、アンナ自身は“外側”にいる人間だから、そういうことはすべて自分とは無関係なのだった」。この考え方は物語の最後にも語られる。そのせいか「頑張ろうともしない、という、日頃の態度の問題もあった」。心ここにあらず、という日常の過ごし方は里親家庭にやってくる子どもたちにもいえることだろう。自分でも理解不能な重圧。自分とは無関係に、どんどん変化していく環境に慣れることもできない。こうしたなかで、不登校になる子どもも多い。

アンナはぜんそくの発作で2週間近く学校を休んでしまう。学期末の夏休みまではまだ6週間もあったが、プレストン夫人の旧友(ペグおばさん)に手紙で頼んだところ、環境のいいこちらにいらっしゃい、ということで行くことになった。そういう事情でいまアンナは列車に乗っているのだ。

プラットフォームでペグおばさんに会う。田舎道をバスに乗って景色を見る。海や日に照らされた大きな湿地が広がる。そこでバスを降りる。ペグおばさんの連れ合いのサムを紹介され、家を案内される。ベッドわきに刺繍で青い錨の模様がありその上に“良きものをしっかりつかめ”という言葉が縫い込まれている。錨と“良きものをつかめ”という言葉はその後の物語の展開のキーワードにもなってくる。

下に降りていくと、サムが「あんたの里親さんはどうしてる」と聞く。ペグおばさんは「ママが元気かって」聞いているとサムの言葉を翻訳する。アンナは「お母さんは死にました」と答える。「お祖母さんも亡くなっとるだろう」とサム。噛み合わない勘違いの会話だが、この“亡くなったお祖母さん”が結末では重要になる。里母のことを何と呼んでいるか、アンナは、ときどき「おばさま」とは呼ぶが、とくに誰と名前を付けて呼ぶことはない。

「無事につきました」と葉書を書くが、文末に「愛情のこもった言葉を添えたくなっ」たが、どう言っていいのかわからない。葉書を出しに郵便局に行く。帰り道は誰もいないので、行儀よく振る舞う必要もないし何かを気に掛ける必要もない自由な気分だった。しかしそれがどこかうつろなものでもある。アンナは少し横道にそれてみる。入り江があって、船着き場には小型のボートが係留されていて、別世界のようだった。水ぎわまで行って靴下と靴を脱いで水の中に入る。人影はどこにもないのに誰かに見られているような感じがした。

そこで館を発見する。館は「入り江に真っ直ぐ面していて、大きく、古めかしく、方形をしていた。小さな窓がたくさんあって、どれもが色褪せた青い木枠にふちどられていた。こんなにたくさんの窓がこちらを見つめているのだから、だれかに見張られているような気がしたのも無理はない」。『秘密の花園』にも大きな邸が出てくるが、風の強い荒野の中に建っている。こちらは入り江の先に夢のようにあらわれる。「自分のやってくるのをあらかじめ予期して、自分を見守り、自分が振り返ってそれに気づくのを待っていたような気がした」。帰ってサムおじさんに聞く。「湿地の館だな」とは言うが、それほど気には留めない。

この言葉が、逆に、アンナが特別に感じているのを際立たせている。

翌日も船着き場に行って古い館を見る。誰も住んでいないにもかかわらず、住んでいるような雰囲気がある。ワンタメニーと言う不愛想な小柄なおじいさんの舟に乗せてもらい、館を近くで見ることになる。『秘密の花園』にも老人が出てくる。不愛想で、主人公と似た気質の老人が果たす役割は二つの小説に共通している。

アンナは何も考えないでいることがなくなって、ほとんど一日中、“湿地の館”のことを考えるようになった。アンナの中で変化が起こりつつある。ある日の夕暮れ、館に灯りがともっているのに気づく。しかしそれは窓が夕日を照り返しているにすぎなかった。現実とイルージョンが交錯する。ある日の夕方、ボートに乗ったアンナとワンタメニー。アンナは湿地の館の方を見ると、二階の窓の一つに少女の姿が映っているのがはっきり見えた。髪をブラシでとかしてもらっている。けれどもワンタメニーは船着き場の方を見ていて、気づいたそぶりがない。

アンナはこの頃、近所の同世代の女の子と会うが関係はうまくいかない。そうしたことで「自分以外の人間も、みんな憎らしかった」。自室で刺繍の額を見る。錨と“良きものをつかめ”という言葉からもっともかけ離れているのが自分だと思う。アンナは「自分は醜くて、馬鹿で、気立てが悪くて、間抜けで、恩知らずで、行儀が悪くて」。だから誰にも好かれないのだと。そして、アンナは回想する。「夫人(里母)はいつも優しいのだが、どうしようもない心配性」「好きなだけ自分が泣いても黙って見ていてくれる人がいたら、どんなにいいだろう」「ずっと昔、ホームにいたときもそうだった」と。

さて、ペグおばさんが晩に出かけて行って帰りが遅くなるという。アンナは船着き場の方に行く。小さなボートが繋がれていて、それに乗ると、ひとりでに“湿地の館”の方角にボートは進んでいた。「自分が漕いでもいないのに、ボートが進んでいるのに気づいた」。人の声が聞こえる。笑いを含んだ、かん高い、子どもの声だった。「さあ! ロープをこっちに投げて!」。

きれいな金髪の少女は「だれかに聞かれるとまずいから」と秘密めいていて、アンナは夢なんじゃないかと思う。上の階では音楽が漂い、笑い声やにぎやかな話し声が聞こえる。二人だけの世界が際立つ。二人でボートに乗って、アンナがマーニーに部屋を確認すると、先に見た、髪を梳かしてもらっていた部屋だった。マーニーはアンナに「あなたはわたしの大切な秘密」と打ち明ける。そして「あなたって、幽霊みたい」と言う。マーニーがそう言うことで、二人ともに存在感がないイメージに読者は踏み出さざるを得ない。アンナは帰り道、「よく思いだせない。でも、何か素晴らしいことが起きたらしいのはたしかだった」と思う。

里親家庭を描いた代表作『赤毛のアン』のアンも夢見る少女ではあるが、精神の健康さでいえばアンのほうがはるかに健康的である。健康的と言うのは、物事解決するための想像力であるが、こちらはまるで意識の解離のような非現実感がある。そして、里親家庭にやってくる子どもたちの中にも、解離を感じさせる子どもが多い。それは自分では解決できない辛い環境にながく置かれたときの一種処世術なのだろう。解離は多重人格を育てやすい。たとえば性的な被害にあった子どもたちは、解離の末に性的に奔放な性格の人格を育てやすい。

さて、二人はお互いを知るために質問攻めになるが、ひと晩に三つずつ質問をしようとルールを作る。どうして学校に行かずにペグさんの家にいるのか、マーニーの質問にアンナは「頑張ろうとしない性格のこと」や「あたしは心配の種だから」みんな私と離れて暮らしたい、のだという。アンナの質問の番で「怖いものはある?」にマーニーは風車だと答える。これも中盤の展開に影響してくる。

ボートを降りるときに、アンナが男の子の服のような短パンをはいていることが話題になる。マーニーはイブニング・ガウンを着ている。性的な問題に踏み込んではいないが、二人の間に異性的な雰囲気が少しだけ醸し出される。

アンナはある晩、寝間着のままボートで館に向かう。館はどの窓も明るく輝き、音楽の響きが水上に漂ってくる。まばゆい照明の中でパーティがひらかれている。「これこそは自分が夢見ていたものだった」と水上で思う。マーニーは本物のパーティ・ドレスを着ている。マーニーのいたずらで、アンナは物乞いの花売り娘の役を演じさせられ、パーティに参加する。大人から次々に質問をされ、ものも言えずにいると「この子は口がきけないのよ」とマーニーがとりなす。見慣れないパーティの中で、「マーニーまでが見知らぬ他人になってしまったかのようだった」。マーニーがアンナの解離から生まれた人格だとすると、そのマーニーを他人に感じているというのはどういうことだろうか。

翌日も遅くなってから船着き場に行く。古い廃船の中で寝そべっていようと入っていくとそこにマーニーがいた。「あたし、すごく淋しかった」と言って、言ってからアンナは自分の言葉に驚く。自分の本心をだれかに打ち明けることなどこれまではなかった。でもマーニーも「私もそう」と同感する。マーニーは両親とは同居しておらず、世話をしてくれるナースとともに暮らしている。どうもその人たちに虐待をされているようだ。次の日もアンナはマーニーを探す。探しても見つからないが、突然のように「ひょいとすぐそばに現れる」。

身の上を話し合う。アンナはマーニーに言いたかった。「あなたはきれいで、お金持ちで、素敵で、あたしにないすべてを持っている」。マーニーに両親のことを聞かれて「あたしには両親はいないの。だから、そうね、養子のようなものなの。ロンドンではプレストン夫妻と暮らしていて、おじさまとおばさまって呼んでいるけど、血がつながっているわけじゃないわ」。アンナとマーニーの対称性は解離を伴って現れたもう一人の、想像で作られた人物のようにも感じられる。

ここで、アンナはマーニーに秘密を打ち明ける。「実はね、あの人たち(プレストン夫妻)、あたしの面倒を見ているのはお金のためなの」。サイドボードの引き出しにあった手紙を読んでしまったのだ。アンナは悩んだ末に夫人が打ち明けられるようにチャンスを作ってあげるが、プレストン夫人は「あなたを愛している、心配はいらない」と言うばかりで、手紙も隠されてしまった。里親家庭にはありがちなことである。養育費や里親手当てが支払われるが、ともするとそのお金のために養育をしているのではないかと誤解される。『思い出のマーニー』を里親家庭の人たち以外が読むとして、この辺の実感はどのように伴うのだろうか、と考えざるを得ない。

こんなことがあって以来、二人は毎日会うようになる。そうしたなかで、マーニーは「古い風車には近づきたくない」と告白する。理由を聞いてもごまかされてしまう。「あたしのお父さまとお母さまがどんなに優しいか! だから、あたし、ときどき、自分は世界でいちばん幸せな女の子じゃないかと思うの」とマーニーは話し、アンナも同感する。二人の人格の対称性がはっきりしていきながら、しかしアンナは「この世に生まれていちばん幸せな瞬間だった」と言う。

いとこのような存在の男の子、エドワードがマーニーの家にやってくる。

 その後、マーニーと楽しく過ごすこともあったが、「マーニーのことをあまり信頼しすぎてもいけないのだ、とアンナは思い始めた。きょうはきっと会えるという思い込みが強すぎると、逆に会えない可能性が高いこともわかった」。別な人格との蜜月が終わろうとしているのだろうか。

マーニーがどうして風車を怖がっているのか。「わからない」と言いながら、マーニーはエドワードの言ったこととして「もし本当に怖いのなら、それに正面から向き合わなければだめだ、って。そういうものから一生逃げ回って生きていくことはできない、って」と話す。

心理的な問題の和解が、大きな波のようにやってきているようだ。マーニーがどうして風車を恐れるのか。世話をしてもらっている使用人が怖がらせるのだ、と話す。「あたしが何かいたずらをすると」口癖のように言う。「そんなことをすると、あの風車小屋につれて行かれて、閉じ込められてしまいますよ」。そんな話の後にマーニーがアンナに質問をする。「あなたはだれかにおどされた体験って、なかったの?」。それに対してのアンナの反応は異常なほどだ。「そんな目にあわされたことはないわ」「腹立ちのあまり、どなるような声でアンナは言った」。まるで心当たりがあるような反応だ。マーニーから「あなたって幸せね。あたし、あなたになりたかった」。こうしてアンナは不思議な気持ちなる。「おかしいわね、あたしたち、入れ替わっているみたい」。二つの人格は和解の直前まで来ているようだ。

アンナは自分一人で風車小屋まで行って、「あたしが自分でいってたしかめたんだからまちがいないわ、と言ってやれたら、マーニーもきっと信じてくれるだろう」。「マーニーの不安はまったく根拠がないのだという証拠を。そう思うと、ひそかな興奮をおぼえた」。アンナは風車小屋におもむく。すると自分の息遣いよりも大きく、何か別の音が耳を打った。

恐る恐る梯子を上ってみると、屋根裏でマーニーが泣いていた。登ったのはいいが降りられないのだ。「下を見たら、とても怖くて」動けなくなってしまったのだ。アンナはマーニーを降ろしてあげようと穴のへりをさぐって梯子を探す。ところが「梯子が見つからないの。なくなっちゃった」。悪夢によくあるような光景だ。

しかし梯子はなくなったわけではなかった。穴の向こう側にかかっていて、アンナはマーニーに降り方を教えるが怖がって降りようとしない。そのうちにどんどん寒くなって、二人は眠ってしまった。気づくと、いつの間にかエドワードがやってきて、マーニーを救い出す。しかしアンナは一人取り残される。自分で梯子を下りて野原を歩くうち「溝に頭から突っ込んでしまった」。意識が遠のいて、気が付くとそこは自分のベッドの中だった。近所の人が助けてくれたのだ。思いだしてみると「マーニーはあたしを、風車小屋に置いてけぼりにしたんだ」「あの子を絶対に許せない」「こうなったらだれも信じられない」と思う。アンナは重い風邪をひいて二日間寝込む。三日目に入り江にやってくると、館の窓にマーニーがいた。「奇妙にゆがんだ顔で外をながめていた」。ゆがんで見えたのはガラスに雨がしたたっているせいかも知れない。マーニーは「お願いだから許して」と叫んでいるように聞こえたが、雨や風の音ではっきりとは聞こえず「まるでアンナの心の奥から叫ばれているようだった」。やっぱり友だちだったんだ、とアンナは思うが、「そのとき、不意に、ついさっきまでマーニーの姿が見えていた館が、空き家のように見えた」。ここでもアンナは悲しくなって入り江でおぼれるように倒れてしまう。それをワンタメニーが目撃して助けてくれる。

アンナは長い間ベッドから起き上がれず、里母のプレストンさんがやってくる。帰ってくるかここにいたいか自分で選べと言う。「アンナはさっと夫人を抱きしめた」。アンナは回想する。「ベッドで寝ついて以来」「溺れかける以前に起きた一連の出来事との間には、シャッターがおりてしまったような感じだった」。

元気になってから、館を入り江の方からではなく、玄関の方から眺めることになる。「正面も裏面も、同じ一つの館の二つの顔だった」とアンナは気づく。

ストーリーを追いながら『思い出のマーニー』を読んできた。ここまでで全体の三分の二くらいだろうか。この後の展開は、空き家になっていた館に新しい住人がやってきて、そこの子どもたちや両親と交流する。そしてこの館とアンナの関わり、いわばアンナの出自に関する物語が始まる。

プリンストン夫人がこう言う。「あなたをもっと信頼して、すべてを打ち明けておけばよかったと後悔しているの」「実はね、あなたにかかる経費の一部として、わたしたち、二週間ごとに評議会から小切手を送ってもらっているの。それは一種の援助金のようなもので、ごくあたりまえの措置なんだけれど。でもね、これはぜひあなたに知っておいてほしいの、わたしたち夫婦はあなたにかかる経費を負担したくないと思っているわけじゃないのよ」。「このこと、あなたが最後まで知らずにすめばいいと思っていた」。それに対してアンナは「どうして?」と言う。「わたしたちの愛情が足りないって、あなたに思われはしないかと、それがとても怖かったのね」「わたしたちはね、あなたを実の娘のように思いたかったの

」。

その後、マーニーはアンナにとって祖母だったことなど顛末がはっきりする。長い物語を通して、前半の解離による二重人格のような一種病的ともみられる物語が後半ではみごとに氷解する。しかしそれでも、里親家庭にやってくる子どもの、空想の上に構築した世界がリアリティをもって迫ってくる小説であることに変わりはない。