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木ノ内博道の[里親家庭支援のつれづれ日記]

2016-08-17

家庭養育促進国民会議

11:46

なんとも大げさな名称である。児童福祉法改正になって、里親養子縁組を広めるため社会的な運動として機運を高められないかとこのブログ提案したところ、10人を超える方々から発起人になってもいいというメールをいただいた。そこで、昨日都内で発起人準備会なるものを開いた。大阪から来ていただいた人もいた。

まだまだ萌芽という段階であるが、貴重な意見が続出。里親の日(10月4日)にパレードをやろうとか、バレンタインデーもいいし養子の日にもやろう、と。ところがチラシ1枚配るにもどういう届け出をしなければならないのか、などわからないことも多い。Tシャツなどカラーを決めようとかアイデア続出。

こちらからお願いしたい発起人のリストアップ、アクションプログラムなど、1時から6時まで熱い話で盛り上がった。

2016-08-12

ファインディングドリー

19:33

なにしろ映画を観ていないのだから話が伝わってこない。

もうすぐ23になる娘が、就職をしてアパートを借りて一人暮らしを始めた。久しぶりに昼飯を食おうと会っての話である。

「ドリーはとにかく忘れっぽいの。やっと人間の手を逃れて海に戻ることができたのに、なんで海に戻ってきたんだか思い出せない。そのうち、きれいな貝殻を見つけるの。そうだった、子どもの頃、母は忘れっぽい私が家に帰れるように貝殻をところどころに置いていた。それをたどると家に帰れたって。それで貝殻をたどっていくと無数の貝殻があって、お母さんがいるの。お母さんが貝殻をいろいろな方向に置いて私を待っていたんだって知るの。彼とそれを観に行ったんだけど、ボロボロといくらでも泣けてくるの。彼があきれるくらいに」

どうやら家族の大切さをテーマにした映画のようだ。観ていない私は「そうかそうか」とうなずくだけ。

2016-08-10

強制的な贈与

21:40

ある本を読んでいて芹沢俊介が人間の誕生とは「強制的に贈与された事件である」といっていた。

生きていること、あるいは人生というのは、こうした理不尽な中に置かれることだなあと思った。それでも贈与としてとらえる。里親として生きていくのも、子どもたちが過酷な中を生きていくのも、贈与の中である。

里親とは何か、みたいなことでいろいろなことが言えると思う。しかし、理路整然とは言えない、贈与に関わる子ども大人のともに同じ大きさの宿題みたいなものが、里親家庭の暮らしなんだと思う。

2016-08-09

乳児院を経験した子ども

20:53

社会的養護関係者で話をしていた。乳児院から措置変更となって児童養護施設に行くなり里親家庭に行くなりすると、最初は順調に成長発達するが、その後、停滞期に入る傾向がある、と。はからずも頷ける話だ。里親仲間からもよく聞く。

しかしそうした研究はほとんどない。どういう問題があって順調に成長発達ができないのか。この辺の話を社会的養護関係者以外の人に話すと、一般家庭の子どもだってそうだよ、といった話で終わる。

話しても無駄だ、というような徒労感から話をしなくなってしまう。ところがこうした問題に詳しい人たちが集まって話してみると、確かにそういうことはある、となる。分かりにくいのは100%、そうした傾向が現れるわけではない、ということだろう。

ゆきみゆきみ 2016/08/19 08:07 はじめまして。
里親をしているものです。
乳児院でのこどもとの交流を経て、今に至ります。こどもは小学生になりました。

興味深く読ませていただきました。というか、すこし不安になりました。
いまでもなかなかお騒がせなこどもたちなので、
停滞期になったらはたしてどんなことが、と、

ドキドキしてしまいます。笑
まわりに乳児院での経験がある里子さんが少ないため、
伺いたいと思いました。
停滞期にみられるこどもについて知りたいのですが、
お聞きすることは可能ですか?

ゆきみゆきみ 2016/08/19 08:11 最後の方訂正です。停滞期に入ったこどもの傾向について伺いたいと
という意味です。文章がわかりづらくてすみませんm(__)m

kino926kino926 2016/08/21 18:59 ゆきみさま、コメントありがとうございます。
里親家庭での暮らしは非常に多様で、言語化しにくいですね。それでも同じ経験を持つ里親が集まると、ヘンに納得、共感できることが多いです。
乳児院も職員は一生懸命やっているのでしょうが、どうしてもネグレクトの傾向はあるんだろうと思います。時間が来て授乳したりするわけで、個別の対応ができにくい。そうしたことが、赤ちゃん時代の脳の発達、もっとも基本となる脳幹の発達に影響を与えるようなエビデンスが欧米では出ています。私は『犬に育てられた少年』という本がこの辺のところをよく書いた本だと思っています。今では少し古い本になっていますが、脳生理学から虐待の問題をしっかり描いている本です。停滞期というよりは乳児院での生活がその後にどう影響するか、ということです。日本はそういう追いかける調査をしないですね。実は一昨日聞いた話なのですが、特別養子縁組に出した実母の長期にわたる調査が海外にはあるようです。言語化する背景にはこうした調査がしっかりしていないとだめですね。
先日もひどい虐待を経験した子どものことを里親に話してもらったのですが、育児の難しい里親のことを里親でない人が聞いていて、それ一般の家庭でもありますよ、みたいなことになりました。育児は多様だし、そうとうな言語力をもたないとわかってもらえないなあ、と思いました。答えにならずすいません。

2016-08-08

「護」と「育」

20:53

8月2日に「護」から「育」に変わる動きがあると書いた。社会的養護についても社会的養育と最近の検討会では言われている。

単純に、社会的養護が社会的養育に変わるのではないかと書いたが、あるいはそうではないのかもしれない。社会的養護という言葉もまだ生きていて、従来の意味でつかわれる。そして社会的養育は要保護児童だけではない、もっと広い概念なのかもしれない。きちんと説明してくれていないのだから想像するしかない。

「新たな子ども家庭福祉に関する専門委員会」では、虐待が疑われても親子分離まで至らないケースについて、在宅のまま措置を可能とする方向で検討した。改正児童福祉法では在宅措置とは表現されず、在宅支援という言葉が使われた。こうしたことや、また養子縁組を含む、大きめの概念で使い始めたのかもしれない。

想像だからどうしようもない。あいまいなままにしておくのでなく、きちんと定義をして言葉を使ってほしいものだ。