自分なりの普通

 文章を書く事は、上手い下手にかかわらずそんなに苦手ではあり
ませんでした。
が、鬱病になってからはこれが非常に苦手になってしまった。
気持ちを表す、という事が苦手になってしまったと言った方がいいの
かもしれません。
鬱病って簡単に言うと「気が無い状態」です。
気力が無いとよくいいますね。で、その気力の気なのですがよくよく
考えてみると割りと多く使われている漢字なのではないかと思います。
それだけ大事な物でもあるという事なんでしょうね。
それが無い状態。気持ちが無い訳ではないのですが、のど元でつかっかって
る感じです。
はまだこうしてブログを書ける状態にまでなりましたが、一時は
本当に考えをまとめることが難しかったです。
表したい事があるけれど、それが出来ない状態というのはもどかしい
ものです。
人と触れあって刺激を受けていればいいのかと言われると、それも辛い
状態です。
外の世界を拒否ではありませんが、自分の無の世界にだけ居たいのです。
何故なら人と付き合うにも気が無いと無理な分けです。
普通の人が普通の状態で気力を60持っているとします。
なんやかやで疲れたりすると目減りしますが、それを好きな事や楽しい事で
増やす事も出来ます。一番良いのは睡眠を取ることでまた同じくらいの気力
に戻ると思うのですが、これがまず出来ません。
気力が0以下なのです。
ちょっと良くなって5〜10貯まったとして少し動いてしまうと、これが
がくんと無くなってまた0以下になります。睡眠を取っても戻りません。
自分でも相当嫌になる状態が続きました。
健康な状態って無意識で色んな調整を身体がしてくれているのだと嫌という
ほど判る日々でもありました。
今の私の目標はゆっくりとでもいいので自分のしたい事を出来るようになる
事です。
歩いてどこかに行く事。文字を書く事。心が素直に動いて行く事。
そんな普通の状態に戻りたいとせつに願っています。
いつかまた、ここでも拙い詩なりを書ければとも思います。
そうなったらだいぶ状態は良いんだなと思ってください。
自分でもいつそれが書けるのか楽しみな気持ちでもあります。
ずっと昔に友人が「普通って難しいよね」ということを言っていたのですが
本当にそうだと思います。
難しいけれど、その自分にとっての普通に戻れるようにと思っています。
因みに私の部屋の壁には「五十代から見れば三十代はとば口。七十代から
見たら五十代もとば口」と書いたものが貼られています。
鬱病になってしまい、この先どうしようと思う時に、この言葉を噛み締め
ます。
幾つになっても、その時が始まりの時だと思うようになれればいいなという
気持ちを込めて眺めています。


aberina