Confluence Zen Center

アメリカ北部にある、セントルイスという街へ、摂心のために行ってきました。Confluence Zen Center(http://www.confluencezen.org/)は二年前にできた新しい禅センターなのですが、法脈的に親戚にあたる人が師家をしています。とってもよかったです。アメリカにこれくらい安心して坐禅できる場所があるなんて、ほんとうにありがたい。


隣にある個人営業の事務所の電話の声がまる聞こえだったり、二階部分に住む住人と犬の足音が響いたり、なかなかにぎやかな環境だけども、ここはちゃんと禅堂でした。師家のDaigaku Rummeさんは、自分についている弟子ではないにもかかわらず、私がいま必要としているサポートをきちんと与えてくれました。


昔読んだ、『善の研究』の言葉を思い出しました。
「経験するというのは事実そのままに知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋といふのは、普通に経験といつて居る者も其実は何等かの思想を交へて居るから、毫も思慮分別を加へない、真に経験そのままの状態をいふのである。例へば、色を見、音を聞く刹那、未だ之が外物の作用であるとか、我が之を感じて居るとかいふやうな考えのないのみならず、此色、此音は何であるといふ判断すら加はらない前をいふのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識と其対象とが全く合一して居る。これが経験の最醇なる者である。」
本当にそのとおりだなーと思います。修行とは、このことをほんとうに自分の身の上で確かめて、考えを離れた事実(=ほんとうの自分)に触れていることなんですよね。この事実がどれほど汲みつくせない泉であるのかがはっきりとしたのは、ほんとうに嬉しかったです。


あ、独参(師家と一対一で話すこと)は、うららかなおひさまに照らされた庭先で、揺りいすに座りながらしました。毎日、参加した人ほぼ全員が、独参にいきました。お金持ちではなくても、すごく贅沢な環境。


こけぐま