目は口ほどに…①

皆さま大変ご無沙汰しておりますm(_ _)m
お久しぶりです、どろこです。

自分にとって大きなイベントが重なってしまいまして、こちらはすっかり手付かず、華々しく歌舞伎調口上でデビューしたものの、その後は無しのつぶてで、きっとあいつは一発屋で終わりかと、皆さま思ったことでありましょう。申し訳無いことこの上無い。。

折角いただきました廻り日記のこの場にて、またぼちぼちと書かせていただければと思います。


さて会社で仲の良かった同僚が辞めて入れ替わりの如く、姐さんと呼んでいた年上の友人が戻って来た。色々な事情とタイミングが重なっての事だったのだけれども、彼女も私も思わぬ邂逅にて、早速一杯行こうということになった。

地元で評判のもつ屋さんにて、もつ煮と馬刺しとホッピーを注文するところなど、もう完全におやじコースである。
彼女には、色々な人生をかいくぐってきた懐の深さがあって、もつ焼きをつつきながら、つい何でも話してみたくなる。

どういう流れだったか、
「その人の精神は眼に表れる」という話しになった。
眼の光、あるいは眼の表情の一瞬にそれは表れる。そうして、第一印象のそれは、絶対と言って良いほど外れない。

以前に、眼が嘘を付いた表情なのに、口では自分は誠実だ、と言っている人と出会った。私は何故この人は、言っている事と目が違うのだろう、と疑問に感じたのだけれども、何か事情があるに違いない、ひとつこの人の嘘に付き合ってあげよう、と浅はかにも思ってしまったのだ。若気の至り。いやそんなに若くもなかったか。

結果はもう、手酷い目に遭い、ボロボロの満身創痍になった。色々な人に相談して迷惑をかけた。

「天災に遭ったと思って、忘れて。」
彼が言い放った言葉である。
今思うと、サイコパス的な人物であった。自己愛の強い、決して近付いてはいけない人間だったのだ。

自分は大丈夫かしら。

以前に働いたメーカーの飲み会にて、部長と話す機会があった。
「採用いただいて、ありがとうございます。」
部長は面接に立ち会ったひとりだった。御礼が言えて、私はほっとしていた。
「うん、眼を見ればね、分かるよ。」

痺れた。もうこれは口説き文句である。
何よりその部長の目が、理性的な強い光を放っていた。少ない言葉だったけれども、納得するのに十分だった(※口説かれた訳ではありません)。
数年前のことだった。

「姐さん、私大丈夫かな。変な眼してたら、言ってね。」
透明感のある、姐さんの優しい眼を覗き込んで言う。

「大丈夫大丈夫、だからこうして一緒に飲んでるんだから。」

姐さんは、眼が怪しい人には気を付けろと言う。彼女は一瞬で判断して、変だと思った相手には近づかない。「眼は心の窓」とは、使い古された言葉だけれども、大人になってからは、本当にその通りだと、全く痛感する。私ももっと賢くあらねばならぬ。

しかし何より、おかしかったら言ってくれ、と言い合える友人がいることが嬉しい。

その後は串揚げ屋に移動して、楽しいお酒。女子とは言わねど、女トークの愚痴ではない話で、気が付けば安い串をたくさん食べて、お腹いっぱい。

ちょっと慈悲を湛えた姐さんの眼はキラキラとしていた。
うん、我々まだ大丈夫かなあ。

まあ、お互いに美味しい串揚げにキラキラしていたのかもしれないけれどね。


泥子