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Fool in Trance

2018-05-24

『デルモンテ平山の「ゴミビデオ」大全』(映画秘宝セレクション) 

デルモンテ平山の「ゴミビデオ大全」 (映画秘宝セレクション)

デルモンテ平山の「ゴミビデオ大全」 (映画秘宝セレクション)


 『デルモンテ平山の「ゴミビデオ」大全』(2017年)読了。1980年代、『週刊プレイボーイ』に平山夢明先生が「デルモンテ平山」名義で連載していたビデオ紹介コラムを収録した1冊。ネタに詰まってゴミビデオを紹介したらウケて、そのままゴミビデオ専門のコーナーになってしまったのだという。連載当時は知らなかったけど、映画秘宝初期のMOOK『エド・ウッドとサイテー映画の世界』に再録されていたのを読んだことがある。


 紹介されている作品は、「これレンタル屋にあったなあ」とVHSのパッケージを思い出す作品もあれば、「本当にこんな映画あるのか?」と首を傾げたくなるような怪しい作品も。っていうか、8割方後者かもしれない。これらは「カルト映画」ではなくて「ゴミビデオ」。すなわち省みられることなく捨てられていった作品たち。見たものの記憶の彼方に忘れられた名も無き映画、そもそも誰に見られることもなくワゴンで投売りされて消えていった映画、それらは今や本書の平山先生の文章の中にしか存在しない。平山先生はそんな映画たちに愛情をこめて紹介して・・・なくて、いい加減で投げやりな文章は「ゴミビデオを見て虚しく失った2時間」をも読者に体現させる。本章ではコラムのつなぎに「こりゃまたケッコウな1本だよ、オッカサン!」とか平山節が炸裂していて爆笑。


 紹介された作品を見ていくと、中には比較的知られた作品も混じっている。『レデイ・プレイヤー・1』でもネタにされていた『バカルー・バンザイ』や、『ピーウィーの大冒険』(ティム・バートン)、『フライパン殺人』(ポール・バーテル)、『電撃脱走 地獄のターゲット』(ダグラス・ヒコックス、主演オリバー・リード)、『ドリラー・キラー』(アベルフェラーラ)、『マニアック』(ウィリアム・ラスティグ)、『家庭教師』(渡辺文樹)、『ディーモン 悪魔の受精卵』(ラリー・コーエン)、『悪魔の凶暴パニック』(ジェフ・リーバーマン)、『フランケンシュタイン 禁断の時空』(ロジャー・コーマン)、東宝怪獣映画『決戦!南海の大怪獣』『三大怪獣 地球最大の決戦』なんても混じってたりして。


 本書は、ビデオデッキの普及に伴い1980年代に隆盛を極めたビデオレンタル店の様子、有象無象の作品が溢れたビデオ・バブル期の空気がパッケージされた貴重な書物かもしれない。本書の表紙は、クローネンバーグの『ヴィデオドローム』の一場面。生き物のように隆起したTVモニターに頭を突っ込むジェームズ・ウッズは、前のめりで貪るように映画を見狂っていた当時の俺らみたいじゃないか。


 平山夢明先生といえば、何とあの『ダイナー』(バイオレンス小説とグルメ小説が融合を果たした問題作!)が映画化されるとの情報が。監督は蜷川実花、主演は藤原竜也、とのことで、明らかに何か違う気がするが・・・その仕上がりやいかに。オオバカナコは誰が演じるんだろうなあ。


ダイナー (ポプラ文庫)

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2018-05-22

『地獄は実在する―高橋洋恐怖劇傑作選』 

地獄は実在する: 高橋洋恐怖劇傑作選

地獄は実在する: 高橋洋恐怖劇傑作選


 『リング』シリーズ等で知られる脚本家高橋洋の作品集『地獄は実在する』読了。氏が自分で「シナリオ教室ではやっちゃいけないと言われているようなことをやっている」と言ってる通り、登場人物心理や画面に漂う気配なども書き込まれていたりする。なのでシナリオライター希望の人には参考にならないかもしれないが、氏の特異な作劇や人物描写を考える上で非常に興味深く、単純に読み物としても面白かった。ちなみに『地獄は実在する』という物凄いタイトルは、『リング』オリジナル脚本にあった台詞(本編では使用されなかった)なのだという。


 収録された作品は『女優霊』『インフェルノ 蹂躙』『蛇の道』『ソドムの市』『狂気の海』『恐怖』の6本。『女優霊』『インフェルノ 蹂躙』『蛇の道』の3本はホラー、犯罪映画とジャンルは違えど、脚本を読んでいるだけで怖い。『蛇の道』は映画とラストが違う。オリジナル脚本では、復讐を終えた主人公が通りがかりの狂人にハンマーで撲殺されるという衝撃的な幕切れだった。映画化に際して改変したラストには黒沢清監督の解釈が窺えて興味深いものがある。『復讐 運命の訪問者』も読んでみたいなあ。実録犯罪路線の『インフェルノ 蹂躙』は園子温の『冷たい熱帯魚』と同様のネタだけど、こちらは徹底的に低体温で陰惨な展開なんで心底嫌な気持ちに陥る。映画版はほぼ忠実に映像化していたように記憶する。自ら監督も手掛けた『ソドムの市』『狂気の海』『恐怖』の3本はさらに氏の妄想がエスカレートして混沌とした世界が展開。この中では『狂気の海』のみ映像化されたものを見ていない。今時非常にタイムリーな題材だったりするので是非ソフトを探して見てみたい。「霊的国防」って・・・。


 巻末に「解題対談―地獄は実在する 高橋洋×岸川真」が掲載されていて、これがまた面白かった。何といっても高橋氏の実家の話が強烈だった。氏の実家は二階建ての日本家屋だが、家族は1階だけを使用して暮らしていて、2階は閉め切りになっている上に、階段が無かったという。ある時、高橋少年が納戸を片付けてみたら、階段が隠されているのを発見、昇ってみるとベニヤ板で塞がれていた。妹が生まれて家が手狭になり、2階に子供部屋を造ることになって大工が入った。塞いでいたベニヤ板を外して階段を昇ってみると、布団が敷きっぱなしになっていて茶碗や湯呑の乗ったちゃぶ台が置いてあったという。まるで誰かの日常生活がそのまま封印されたかのように・・・。年に1、2度以前この家に住んでいたという老紳士が訪ねてきて、じっと2階を見上げていたという話も面白い。面白い、と言っていいのかわからんが。氏のインタビューや文章を読むと、そういった個人的な体験やそれによって生じた収まりのつかない感情、映画や文学から得た霊感(妄想?)をいかに映画へと移植するのかということを真剣に追求しているのだなあと思う。著作『映画の魔』(2004年)を読んでもわかる通り、氏は本気である。単なる趣味で面白いとかつまらないとか言ってるだけではないのだ。その実践が脚本の数々であり、監督作品なのだ。その成否はともかく、氏の本気度は作品から強烈に伝わってくる。故に、胸を打つ。久しぶりに『女優霊』見直したくなった。


映画の魔

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2018-05-21

『予兆 散歩する侵略者 劇場版』(黒沢清)


 黒沢清監督『予兆 散歩する侵略者 劇場版』(2017年)について。映画『散歩する侵略者』のスピンオフとして製作されたTVドラマ(全5話)を140分に再編集して公開した劇場版。


 『散歩する侵略者』本編はサスペンスあり、アクションあり、コミカルな要素あり、夫婦の愛の物語あり、と盛りだくさんな映画だった。結末などハリウッド製娯楽映画が持つある種の楽天性を意識しているようでもあり、黒沢監督なりのエンターティンメントを模索した結果なのかなと興味深く拝見した。基調となっているのはブラックユーモアで、原作(前川知大による舞台劇)の持ち味であろうか、世界が滅亡するなどという物騒なテーマにもかかわらず笑いの要素も交えた軽快なタッチであった。


 一方、スピンオフの『予兆』は、黒沢監督本来の持ち味(コミュニケーション不全を前提とした世界観、ホラーテイストの演出)が全面展開した恐ろしい映画に仕上がっている。純然たるホラー映画ではないけれど、恐怖演出は近年最高の充実振りであったと思う。こちらの予想を遥かに超えた高濃度に、鑑賞後しばらくは激しい動悸が治まらなかったですよ。凄いの見ちゃったな、と。


 風で怪しくはためくカーテン、「幽霊」に怯える人物、ワンカットでの殴打、廃工場、ビルの屋上、異空間を浮遊するようなドライブ、と黒沢映画でお馴染みの映像が頻出する。近年の重要なテーマである夫婦の再生の物語でもあり、さながら黒沢映画の集大成の趣だ。脚本は『復讐 運命の訪問者』『蛇の道』という陰惨な活劇で名コンビぶりを見せた高橋洋だからハズれはない。「家族の概念を失った娘には父親が幽霊に見える」というエピソードを真剣に追求するのが高橋脚本ならではの(異常な)発想であり、それに黒沢演出はこれ以上ないくらい禍々しい画面作りで応えてみせる。とてもTVドラマと思えぬ陰影に富んだ撮影(芦澤明子)が素晴らしい。侵略者が初めて登場する病院の廊下での場面(鏡の中で激しい揺れが生じ、廊下の向こうの自動ドアが開いて妙な間があってから白衣の長身の男が現れる)、終盤の廃工場での主人公と侵略者の緊迫した攻防(銃を構えた夏帆迫真の演技、斧を手に彼女を暗闇で待ち構える侵略者)にはシビれた。こんな黒沢映画を見たかったのだよ!そして、侵略者が最後に吐く台詞は鳥肌が立つほど恐ろしかった。黒沢+高橋コンビの『復讐 運命の訪問者』で太った殺し屋(六平直政)が死に際に「死ぬってのは・・・痛いだけだ・・・!」と呻く場面を思い出して慄然とした。


 出演は夏帆染谷将太東出昌大。侵略者を演じる東出昌大の不気味な存在感が凄い(黒沢監督もお気に入りだという)。主人公を演じる夏帆は大健闘。Vシネ時代からの常連である諏訪太朗大杉漣の出演も嬉しい。


(『予兆 散歩する侵略者 劇場版』 監督/黒沢清 脚本/高橋洋黒沢清 撮影/芦澤明子 音楽/林祐介 出演/夏帆染谷将太東出昌大中村映里子岸井ゆきの安井順平諏訪太朗大杉漣 2017年 140分 日本)


 で、高橋洋の脚本集を読み始めたんだけど、これがまた凄くてね・・・。感想はまた後日。


2018-05-19

『EXITENTIALIST A XIE XIE』(THE BEATNIKS)

EXITENTIALIST A XIE XIE

EXITENTIALIST A XIE XIE


 THE BEATNIKS高橋幸宏鈴木慶一)、7年ぶり通算5枚目となるニューアルバム『EXITENTIALIST A XIE XIE』(BETTER DAYSレーベルより5/9リリース)について。まだそんなに聴きこんでいないのでとりとめのない感想になってしまうかもしれないけれど、今のうちに書き記しておきたい。


収録曲は、

 M-1.Crepuscular Rays

 M-2.I've Been Waiting For You  

 M-3.鼻持ちならないブルーのスカーフ、グレーの腕章 

 M-4.Brocken Spectre  

 M-5.ほどよい大きさの漁師の島 

 M-6.Softly-Softly  

 M-7.BEAT印のDOUBLE BUBBLE  

 M-8.Unfinished Love 〜Full of Scratches〜 

 M-9.Speckled Bandages  

 M-10.シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya


 全10曲、ニール・ヤングのカバーM-2を除くと、すべて幸宏+慶一両氏の共作(一部作詞でLEO今井氏が参加)。曲が良い、詩が良い、歌が良い(息の合ったコーラス)、演奏は勿論、緻密なアレンジも素晴らしい。社会風刺や深刻な事態を歌った曲もあるけれど、ユーモアでくるみリラックスした演奏で差し出すこの余裕、懐の広さを見よ。


 M-1「Crepuscular Rays」はギターの残響と逆回転の台詞がどうしたってデヴィッド・リンチを連想させるインストゥルメンタル。先のライブではメンバーがシルエットでステージに登場する時に流れていた。一転、熱いギターが唸るM-2「I've Been Waiting For You」はニール・ヤングのカバー(1969年のファースト・ソロ・アルバム収録)。ニール・ヤングの震えるような歌声は幸宏さんと共通しているような気がする。THE BEATNIKSの洋楽カバーはザ・バンド、プロコルハルム、ドノヴァンラヴィン・スプーンフルニール・ヤング、とお二人の音楽ルーツを教えてくれるようで興味深い。


 慶一さんの詩は先のソロアルバム以降、ますます独自の路線に突入しているなあと思う。M-3「鼻持ちならないブルーのスカーフ、グレーの腕章」はそんな慶一さんの詩が冴える1曲。昨今の不穏な空気を歌うこの曲は、バカ田大学音楽祭(赤塚不二夫生誕80周年記念)で初披露されたとのこと。TVアニメおそ松さん」のED曲をTHE BEATNIKSが手掛けていたりすることもあろうか、本アルバムでは要所要所に赤塚不二夫が顔を出す。最後の歌詞「反対なのだ」なんてのもバカボンのパパっぽい。「何でも反対」って歌ったグルーチョ・マルクスも思い出したり。


 M-4「Brocken Spectre」は、個人的には本アルバムのベストトラック。亡き友、亡き母からの呼び掛けに「そう、まだ音楽を作ってるよ」と答える泣ける曲。本アルバムには他にもM-8「Unfinished Love 〜Full of Scratches〜」、M-9「Speckled Bandages」と美しいメロディ(と繊細極まりないアレンジ)の曲が収録されている。M-9「Speckled Bandages」は歌詞を読んでギョッとした。インタビューによると、慶一さんの書いた歌詞を見て、幸宏さんがミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』に言及したという。そう、認知症の夫婦の愛の歌なんだ、これは。


 M-5「ほどよい大きさの漁師の島」はライブで聴いた時にムーンライダーズっぽいなあと感じた曲。ライダーズに船や航海をテーマにした曲が多いからか。こういう切り口でくるのか!と唸らされる社会風刺ソングでもある。THE BEATNIKSの活動再開のモチベーションは「怒り」なのだという。前作『LAST TRAIN TO EXITOWN』がリリースされたのは東日本大震災原発事故の2011年2018年の現在、2人が何に「怒り」を感じているのかは推して知るべし。「どこの領土かなんて知らない ほどよい大きさの島」だもんね。


 M-6「Softly-Softly」はNHKの音楽番組「J-MELO」のオープニングテーマ。番組では部分的にしか使われていないのでいまいち地味な曲だなくらいの印象であったが、こうしてちゃんと聴くと緻密で美しい曲なんで惚れ惚れ。『ブルー・ムーン・ブルー』辺りから幸宏さんが得意とするアコースティックなサウンドにエレクトロニカが乗っているアレンジの完成型という印象も。


 ビートニクを名乗りながらあんまりビートっぽくないTHE BEATNIKS。先のアルバムからやっとストレートにビート詩人たちへのリスペクトを表現するようになった。M-7「BEAT印のBOUBLE BUBBLE」はビート詩人らしい韻を踏んだ歌詞が展開する軽快な曲。「実存のマークに 縁取りはビートで ダブルバブル」って辺りがいいね。


 ラストのM-10「シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya」はライブで大盛り上がりだった軽快なロックンロール赤塚不二夫とポリスとビートルズビーチボーイズトニー谷その他もろもろが邂逅を果たす奇跡のポップソング。ビーチボーイズ風の「inside outside J・A・P」ってコーラスには笑った。


 3枚目のアルバム『M.R.I. Musical Resonance Imaging』(2001年)では、曲のタイトルや歌詞にやたらと「天国」「あの世」「はらいそ」「パラダイス」といった単語が盛り込まれていた。リリース当時、慶一氏50歳、幸宏氏48歳。「あの世」を意識するにはちょいと早いんじゃないのと思ったものだ。さらに17年の時を経ての本アルバムにおいては、詩作にも静謐なサウンドにも一層「死」というものが影を落としているようだ。結成から37年、AOR(大人のためのロック)を超えて、果たしてTHE BEATNIKSはどこまで行くのだろうか。見届けたい。


EXITENTIALIST A XIE XIE [Analog]

EXITENTIALIST A XIE XIE [Analog]

2018-05-16

『フェリーニのアマルコルド』(フェデリコ・フェリーニ)


 イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の名作『フェリーニのアマルコルド』を久しぶりに再見。学生時代に見て以来なんで、かれこれ約30年ぶり。当時公開されたウディ・アレンの『ラジオ・デイズ』が『アマルコルド』の影響を受けていると言われていて、『ラジオ・デイズ』を見た後に『アマルコルド』を見たのではなかったかな。なので、なるほどこりゃ似てるわと思いつつ、アッサリシンプルなウディ・アレン演出に比べてなんかモッサリコッテリしてるなあという印象であった。(そのモッサリ感コッテリ感こそがイタリア映画、フェリーニならではの持ち味、魅力なのだと理解するのはもっと後になってからだった)


 『アマルコルド』は北イタリアの小さな港町に暮らす人々の人間模様をユーモラスに描いたフェリーニの自伝的作品。タイトルの「アマルコルド」とは、舞台となる地方で使われていた方言で「私は覚えている」という意味だとか。一貫したストーリーはなく、少年時代のフェリーニが見て、記憶している出来事、風景や人物が次々とユーモラスにスケッチされてゆく(下ネタ多し)。エピソードのつなぎ役として町の歴史を語るおじさん(カメラ目線で話すのだ)が出てきたりするので、「少年の見た」という辺りがちょっとぼやけている気もするけど。中には父親ファシストたちに捕らえられ拷問されるというひどいエピソードもあるが、ファシストたちもどこか間抜けでのん気に見えるのは、あくまで少年目線で描かれているからだろうと思う。少年とその家族、悪友たち、町一番の美女グラディスカ、木に登り「女が欲しい!」と連呼する気の触れた伯父、個性的な教師たち、盲目のアコーディオン弾き、色情狂の女、煙草屋のおかみ(フェリーニ好みの巨女)、娼婦たち、工事現場のオヤジたち、祭りに集う陽気でお喋りな町の人々・・・。


 正直のところ、フェリーニ特有のゴテゴテした人工的なタッチが苦手なんです。『道』や『甘い生活』なんかは大好きだけど、後期の作品がどうも苦手で。その点『アマルコルド』は、初期作品の率直な人物スケッチと、後期作品の造形美が程よく融合していてとても見やすかった。春の訪れを告げるという綿毛が町中に舞う冒頭から、春のお祭り、葬式、結婚式、夜の港でボートに乗って豪華客船を見送る場面、女性に興味津々の悪友たちが繰り広げる騒動(煙草屋のおかみに巨乳を吸わされるエピソードがケッサク)、家族揃ってのピクニック、雪の降る広場に孔雀が舞い降りる幕切れまで、楽しく鑑賞することができた。何といっても明るくほのぼのした雰囲気を盛り上げるニーノ・ロータの音楽が素晴らしい。


(『フェリーニのアマルコルド』 AMARCORD 監督/フェデリコ・フェリーニ 脚本/フェデリコ・フェリーニ、トニーノ・グエッラ 撮影/ジュゼッペ・ロトゥンノ 音楽/ニーノ・ロータ 出演/ブルーノ・ザニン、プペラ・マッジオ、アルマンド・ブランチャ、マガリ・ノエル 1974年 124分 イタリアフランス