父のくすりと食事


ちょいとした発作とか吃逆が続くとか、父にとってもわたしにとってもうっとうしいことが起きたりしないよう、いろいろな薬をのんどった父なのですけど、少し前に、またまた誤嚥性肺炎になりまして、絶食で24時間点滴とかなんとかかんとかで、薬のむのを中断して液体の薬のやつを浣腸するのになったのだ。が、代替薬のない薬は代替薬がないのでないままでいたそうです。
肺炎もうエエよ、栄養も薬も自分で口からとってエエよとなりました時、「思いきって薬なしってどう?」と、父の主治医の先生が思い立ったらしく、かなり減りました。薬。YO MG1 と KH114 だけになった。
するとなんだか具合が良いのか、いつも寝てばかりだった父の起きてる時間が長くなり、読書したりテレビ見たりヘラヘラ笑ったり、まったくおもしろくない冗談や、誰かの悪口などを言うようになった。
父が看護師さんに「相変わらずキレイやな」と言って、間、髪を入れず母が「お世辞言ってるわ」と言ったとき、わたしの神経は三角形になった。

食事はペースト状というものでして、父はまったくコレを食べませんで困るねんと先生に相談しますと、食べ物持ち込み可と言ってもらえたのでプリンを持っていきましたら、たいそううまそうに食った。以前「プリンなんてものは食ったことがない」とか言ってたので、父の初プリンかもしれない。
おしりふき50枚×4袋を全部オープンしたり、ウェットティシューのフタ部をとりはずしっぱなしにしたりと、湿っていなければ役に立たない物を乾燥させたことを批難した時は、「食い物かと思ったんや!」と父がキレた。食べたい気持ちがモリモリ出てきたのかもしれない。
もうそろそろ死ぬんじゃないかと思っていた父ですが、ガゼン生きる感じを取り戻してきているのかもしれない。
父が死んだ時、わたしは誰に何を言うのか、ここに何て書くのか、他にもいろいろ楽しみにしてたのですが、しばらく先になるのかもしれません。