記憶のメモ帖 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-05-27 もう梅雨なのかな。

しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。

最近は雨と曇りばかりで、堪らんね〜。

私は陰鬱な雨は大嫌い、洗濯物干せないから。

[]オタクもついに『ファッション』になりました。

オタクは死にました - kasindouの○記

オタキングの涙・・・・ - オタクの目

うわぁ、こんなイベントあったのかぁ!あ〜参加したかったぜ・・orz

んで、もう色んな所で結構話題になっていますが、『オタクが死んだ』云々ですけど、


本当は皆内心は気付いてたよね?

でも、どうすれば良いか具体的な答えが出せなかったりで、余り口には出してこなかった。

それとも、それを認めなくたくなかったゆえか?


これだけコンテンツが流通し、コミケは本来の役割を終えてる昨今で、「電車男」を初めとする「オタクブーム」が無くとも、遅かれ早かれ・・・いや少なくとも、以前にナインやWaterrとやったトリプルトークをやった時には既に死んでたのかもしれない。

誰も、オタクの再定義もオタク歴史の再編纂をしようとしなかったから、従来から使われていた「おたく」や「オタク」という言葉では、カバーしきれない状況に陥っていても、なんとなく他に言葉が無かったので、使っていた。

だけど、「オタクブーム」によって名実共に「オタク」という言葉の死亡が確認され、オタキングによる玉音放送がなされたと。


つっても〜パンクがたった10年たらずで意味を抜かれてファッションになったり、ロハスが金儲けになるような、高度消費大国な日本で、今まで良く踏ん張ってきたものだわ。

やはりただの輸入文化と違って、かなりの部分を日本人が作ってきた文化ゆえだろうね。

それゆえに、残念ではあるけれど・・・。


本当にファッションになっちゃっても良いの?

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20060526/p1

ふほ、id:terasuyさんは何気に喧嘩売るの上手だなぁ〜w。(褒め言葉

id:terasuyさんとは同世代なオタクである私としては、彼の言い分はすっげ〜わかる。


僕はオタクですか?

畜生畜生畜生!オタクの国に入りたいなぁ。でも俺に「おたく」の精神はあるのかなぁ。俺は何オタかなぁ。アニオタだったらアニメを沢山見ていればいいのかなぁ。色々な作品に触れていればいいのかなぁ。つまらないと思った作品も我慢して見ないといけないんだよなぁ。でもアニメって放送しすぎだよなぁ。今と昔じゃ違うよなぁ。なんだよ、じゃあ「おたく」って学者と一緒じゃねえか。好きなものに埋没して研究に命を捧げる学者と一緒じゃねえか。趣味人の進化系がオタクっていうなら、そんなの学者と一緒じゃねえか!!

オタクなんて消えるべきです

言い訳をしておくと僕も新作アニメは3話までは全部チェックしますし、本も最近は時間があるので1日1冊ジャンルはざっくばらんに読んでいます。ただこれは本当に良い作品に出会いたい、という思いよりかは、自分の視野を広げたいという自己研鑽に近い気がします。ただ今の作品の過多(特にアニメ)という状況を見ると、やはり時間とお金との戦いのような気がしないでもないですね。それを超えなければオタクとは呼べないよ、と言われている気がするのがなんとなく嫌な感じなのです*2。

例えばSFは1000冊読まないと一人前ではないというようなお話があり、SFオタと呼ばれる為にはそれ相応の試練を乗り越えなければならないわけですね。誰かに薦められてSFにのめり込み、頑張って100冊読んで面白い作品を探そうとしても「お前はまだ足軽」と言われているような、まぁそんな感じなわけです

とか良くぞ言ってくれました!!って感じです。


だけどさ〜

もう楽しめればそれでいいや、だって趣味だもん

いや、別にね、自分がオタクとかそうでないとか、実際どうでもいいんだけどね。なんであんなに騒いでいたかと言うとね、書くネタが無くて適当に巡回していたら閃いた閃いた!と頭の上にロマサガよろしく電球が灯ったわけですね。いつの間にか引っ込みが尽かなくなっちゃたわけなんですね。でも実際本音を書いていたから後悔はしてないんだけどね。突き詰めていくと、考えない方が利口だという結論がでたわけですね。

これは一番やっちゃいけない、ダメな結論の出し方だと思うよ。

議論に疲れて、つい出てしまった言葉かもしれないけどさぁ・・・。

恥ずかしくなったのは、わかるけど・・・でも、だったらクールダウンした後にもう一回再考なりなんなりして、ちゃんとケジメつけるべきでは?

私はid:terasuyさんは第三世代オタクを代表して、立派な問題提起をしたと思う。

基本的に、自分の趣味に埋没してばっかの同世代の中で、こうして発言してくれる彼のような存在は同世代の私にとって、非常に貴重な存在です。だから余計に残念というか何と言うか・・。


消費で得られるものって何よ?

私がなんでファッションに、ただの消費になるのが嫌かは以下の通りで。

☆「おたく・音楽・ファッション・資本主義」:Part 2!

Waterr:で、さっきの世代責任の話に戻るけどさ、自分のやっている消費と、自分の生き方を一体化させていたというのはさ、別に「良いこと」ではないんだよ。それだけを取れば。つまり、何かカルチャーが出来た時というのは必ず何かを「つくっている」じゃない? つくって世に出している。それによって世の中のあり方を変えていくという側面があると思うんだけど、その時には「自分のやっていること」と「自分の生き方」とが一緒になっている訳であって、「自分の消費」と「自分の生き方」が一緒だという事とは違う。俺はこの二つを分けたい。所が80年代にやっていた人たちというのは、まさに「自分のやっていることと自分の生き方を一致させる」というあり方から、「消費すること」と「自分の生き方」を一致させた人間だと思うんだよ。さらに90年代になるとそこから転換が行われて、「自分の生き方」すら無くなった。

結局、楽しければ良い、気持ちよければ良いで片付け、資本に飲み込まれただの消費になってしまうと、こうなっちゃうんだよね。

「モノをつくる生き方」→「消費をする生き方」→「生き方の消滅」


金がなきゃ、言いたい事も言えない、こんな世の中じゃp(略

ネットの世界は、お金が無くともこうしてブログmixi、掲示板とかで声を出せ、気楽に自己表現や意思表示ができるのですが、リアル世界においては、お金が無ければにっちもさっちもいきません。

じゃあ、お金稼げば良いじゃんって話になりますが、それはつまりお金でしか自己を規定したり表現できないって事でもあり、私にはある種の絶望に感じてしまいます。

それに、日本の総中流、会社主義の幻想もとうに崩れ、皆が皆ある程度の収入を得られる訳でもない、このご時世において、消費による自己表現・意思表示は格差社会とあいまって、余りよろしくないなぁっと。

そして第三世界や労働の問題と。

☆☆☆「おたく・音楽・ファッション・資本主義」:Part 4(最終回)

ナイン:日本みたいな豊かな社会に「自閉する」というのは、どうしてもマッチポンプになってしまうということだと思うんだよね。日本国内というか、「消費」に自閉できる。そこで決定的に無視されているのは、東南アジア中南米アフリカといったいわゆる「第三世界」だと思う。そこで消費物の素材を確保したり、実際に現地の人を安い賃金で使って作らせているから。

キール:そうそう。

ナイン:モノを売っている企業や消費している人に「その素材、一体どこから輸入してきたの?」と言いたくなるし、自分自身が問われる問題でもある。これは様々なモノやカルチャーに当てはまるからなあ。割り箸、コーヒー豆、回転寿司の安いエビ・・・

ナイン:今言ったようなことは、日本で比較的若い世代がやっている平和運動やNGO活動でかなり言われていることなんだ。ただ自分的にそれだけじゃ物足りないと思うのは、この豊かな社会は実際にその中で消費している人々にとっても精神的に辛いことなのかもしれない、という視点もあった方がいいと思うんだ。「日本で消費をしている人たちは必ずしも幸せを感じていないかもしれない、にも関わらずこれだけ他国から搾取している」という捉え方。これが結びついたらいいと思うんだ。俺はこれが現状だろうと思っているよ。

キール:「あれだけ他国を犠牲にして得た物で貴方は何を得たんですか?」と。

今やコンテンツを作るのにも遊ぶのにも必要な、PCに使われてるレアメタル等の部品。

安い賃金で奴隷のように働かされる底辺のアニメーターや、中国フィギュアを作ってる現地の労働者

オタクカルチャーだけでも、かなりの犠牲を払ってるわけです。

言い方を変えれば、無自覚な加害者になってるって事で、本来サブカルはそういう事に対してのアンチテーゼも内包していたのですが、サブカルもまたあっという間に意味を抜かれて、ヴィレッチヴァンガードみたいなお洒落サブカルに・・。


んで、消費に取り込まれ、企業が何でもかんでも用意してしまうと、最終的には誰もモノを作らなくなってしまう。

一見多様性や個性があるようで、それは企業が用意した枠の中での規定された多様性だったり、 ファッションなんか、皆似たような格好してたりするのは、まさにコレです。

枠からはみ出たモノは阻害を受け、新しいものが出てこなくなり、焼き直しと劣化コピーを乱発するだけで、面白いものが全く出てこなくなってしまう。

つまり、かつては多くが『参加者』だったのに、資本に取り込まれ、いつのまにやら『お客様』と『作り手』に分かれ、 企業は儲けて何ぼですから、売れるモノしか作りませんし、そうなるとそこからはみ出た作品は冷遇され、結果的に文化自体の多様性を失い、固定化と特殊化の果てに、閉塞して死滅してしまう。

そしてそれらの消費を支えてるのが、南側の発展途上国だったり、自国内の悲惨な労働環境だったりするわけで・・。

それらに対する無自覚さも腹が立ちますからねぇ。

それに、元々の文化としての意味を抜かれる事、対抗文化だったはずなのに、いつの間にか体制側に回ってたり、主張を失いファッションになってたり・・そういうのって、文化に対する冒涜じゃないのかと。