ゼロ成長の富国論/猪瀬直樹

 どう書いたらいいのだろう。

ゼロ成長の富国論
ゼロ成長の富国論/猪瀬直樹

 『レクサスとオリーブの木』のような、グローバリゼーションとの対比のなかの国内経済というような大枠はあまり提示されない。読後感としては、むしろ一般的な帰農の精神、少し前の国内回帰の価値観に基づいた、分かりやすさに重点を置いた書き方なのかなと思う。
レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈下〉

 江戸時代の経済状況や、筆者猪瀬氏個人の堤康次郎@西武総帥の話とか挿入されているけど、あんまり関係なくね? もちろん、歴史をそのままいまの時代に当てはめるなんてことは到底できないわけだし、一方で同じような状況で歴史はどのように動いたかを冷静に見つめなおすことで正確な判断をするための「たし」にはできると思うわけだが、ゼロ成長の富国論というからにはグローバリゼーションや世界経済の枠組みに入る前の時代のことよりもすでに殖産に走っていた薩摩藩、とりわけ調所広郷のような政治・財政改革のほうが参考になるのではあるまいか。

 猪瀬氏の問題意識は明確で、その問題を政治的に、あるいは経済的に正すにはどのような処方箋があるのか、という横串がしっかり貫徹しているという点では知的な面白さは担保されうる。いや、本当にゼロ成長、あるいは所得漸減の状態である以上、当然従来の産業セクターが人あまりになっているのは事実だし、それは良く分かる。ただなあ。何か昔中曽根政権がやらかした行政改革→民活路線とあんま変わらんようにも感じるんだよなあ。小さい政府を掲げたはずの中曽根政権は、その後一部地価高騰の引き金になったとか、結局は地方自治体の打ち出の小槌となってバブル崩壊後に地域財政の悪化を一気に露呈させたとか問題も起こした。

 で、p169にあるように我が国の飲食関連市場は80兆円あまり、一方で農業算出額は9兆円弱、つまり我が国の農業、一次産業セクターは成長潜在力が残されているのだ、という議論になるが、貿易に依存する割合の増えている産業は元からこういう構図がある。アニメ産業ですら、地回りの制作会社の総売り上げは800億円程度に満たないが、最終的なアニメ業界全体の市場は10倍ぐらいの9,200億円ぐらいだ。自動車業界も、部品や基礎デザインなどの前工程市場全体は自動車業界で見れば13ないし14分の1ぐらい。サービスや付加価値、市場による価格調整能力(競争含む)なんてのが入って結果として出口市場が膨らむのは当たり前のことなんじゃなかろうか。

 というわけで、この手の本は自分の経済観念の「検算」をするのに役立つ。ページ数が少なくてささっと読めて、何度か読むうちに「これはこうでないの」と考えるのにはうってつけの本ではなかろうかと。