セブン騒動における感情のもつれについて

日経MJに、さきごろセブン・アンド・アイホールディングスの会長を退任した鈴木敏文氏が、新体制の記者会見を開くことに反意を示しているという記事が載っていた。

新体制は5月26日に予定している株主総会の決議をもって発足するのであって、その前に記者会見することは許されない、というのが鈴木氏の論法だが、通常、株主総会の決議はあくまでセレモニーに過ぎず、その前に記者会見を行うのが当たり前のことなのに、鈴木氏はそれに同意しないのだという。

今の鈴木氏の意思に法的効力があるとは思えないので、新体制側はこれをスルーしようと思えば造作はないのだろうが、これ以上無駄な波風を立てるのは得策ではないと言う判断からか、鈴木氏の顔を立てて記者会見を見合わせているようだ。

ようするに鈴木氏は、「天才経営者」とも賞された自分のビジネス人生における最後の局面が「敗北」で幕引きされることを受け容れることができないでおり、憤懣やるかたない焦熱の中で、今の自分に許される限りの抵抗をしないではいられない心境なのだろう。

ハチの一刺しというか、最後っ屁というか、希代の経営者の最期にはふさわしからぬ惨めな駄々である。

思えば権力闘争に勝利した井坂氏も、今年2月に鈴木氏からセブン・イレブン社長解任を内示されたあと、「自分に許される限りの抵抗」をしようと決心したに違いない。

一般に会社員は経営者からの内示に抵抗するすべは持たない。どんな受け容れがたい異動でも耐えなければならず、それができないのならば辞職するより道はない。

しかし、株式会社の社長の解任は、どんな権力者であろうとも一個人の意思で行われるものではなく、取締役会の専権事項であることが会社法で定められている。井坂氏はこの一点を拠りどころにして「最後の抵抗」を試みようと画策した。

鈴木氏から「傀儡」「お飾り」扱いされてきた創業家社外取締役のプライドを焚きつけ、味方陣営に取り込むことに成功し、死地から脱したのである。

また、ホールディングスの大株主である米系投資ファンド「サード・ポイント」が経営好調なセブン・イレブンの社長を解任しようと企図している鈴木氏の人事案を嗅ぎつけて、社外取締役を通してそれを潰そうという流れがあったことも井坂氏にとっても有利に働いた。

一連の鈴木氏の「失敗」にはくみ取れる教訓が三つある。一つ目は、人間を追いつめてはならないこと、二つ目は、追いつめるのならば活路を完璧に塞ぐこと、三つ目は権力の座からの引き際を誤らないことである。一つ目は倫理の問題で、二つ目は戦略の問題で、三つ目は見識の問題であろう。

鈴木氏が、これら「倫理」「戦略」「見識」のいずれも持たなかった、あるいは持とうともしなかった、あるいは不足していたのは、結果的には権力の地位に永く居すぎたゆえの、緩みでもあり、驕りでもあり、劣化でもあったのかもしれない。

ところで、そもそも鈴木氏は、なぜホールディングスの会長を辞めなくてはならなかったのだろうか。経営者が役員会に諮った事案が否決されるたびに辞めていたら、いくつ身があってももたないだろうに。

おそらく彼が辞任したのは、絶対権力者たる自分の発議が否定されたことに相当プライドが傷つけられたからではないか。ようするに、かれはヤケを起こしたのである。「傷ついた」彼は、いなくなるという形で逆説的に自分の存在意義の大きさをムゲにした連中に思い知らせてやろう、と思ったからではないか。

つまり、自分の言うことを聞かなくなってきた井坂氏の解任発議にしても、その否決による辞任にしても、記者会見実施への反対にしても、すべては鈴木氏の「感情的な反応」なのである。

一橋大学の伊藤邦雄氏、元警視総監の米村敏郎氏、創業者次男の伊藤順朗氏の三人が、鈴木氏に反旗を翻したと見られ、これが否決の決定打となった。大学人と元官僚を社外取締役に据えた理由は「透明性の確保」という名のご体裁のためで、ようするに彼らは単なるお飾りである。創業者次男を入閣させているのも、一種の表敬行為である。

おそらく鈴木氏には、これらの人々を軽んじるような挙措が日常的に見られたのではなかったのだろうか。たとえ露骨な態度を取らなくても、敬意を欠いていればそれは自ずと外に出るものである。一橋大学の伊藤氏の発言を見ると、この人が鈴木氏を嫌悪しているのがよく判る。

今回の鈴木案に反対票を投じた社外取締役や創業者次男には「バカにするな」という感情的な反発があったように思う。特に創業家には、イトーヨーカ堂1号店である千住店の閉店を鈴木が決めたことに強い反発があった、という話もある。

ようするに今回の一連の内紛は、鈴木・井坂・社外取締役創業家それぞれの感情の摩擦から引火した暴発事故だとも観ることができようし、もしこの見立てが当を得ているのならば、戦略的な振る舞いで当初目的を果たしたのは、ひとりサード・ポイントだけだった、といえるのかもしれない。

ただ、サード・ポイントは鈴木ー井坂体制の当面の継続を望んでいただけで、鈴木が去り井坂氏が屋台骨を背負う現在のありようまではイメージしていなかった可能性がある。

井坂氏にしても、鈴木氏の重石がなくなった巨大組織を自分が采配せねばならないプレッシャーは並大抵ではないだろうし、鈴木案(井坂解任案)に賛成票を投じた役員が社内に5人も残っている。

となれば、今回の騒動で一番いい目をみたのは、その判断が失敗しても何の責任も問われない経営ゲームを存分に愉しんだ「社外取締役」だったと言えるのかもしれない。

そして逆にもっとも痛い目に遭ったのは、すでに引退が時間の問題になっていた父の後ろ盾を突如失い、巨大組織の頂上近くで完全に寄る辺なき身になった鈴木氏の息子かもしれない。

なお、鈴木氏の井坂追い落とし策略は、息子・康弘氏に後をつがせる道筋をつけるためだった、という見立てもある。たしかにその要因もあろうが、もし本気で息子に後を継がせたいのだったら、井坂解任案が取締役会で否決されても、ショックを隠して「ああ、そうですか」と受け流し、何事もなかったかのように会長に居座り続けたであろう。

なぜなら、単純な話だが、自分が権力の座にいなくては、息子に後を継がせられないからである。

それをちゃぶ台をひっくり返して退散するようなマネをしたのは、自分がひきあげてあげたのに恩をあだで返すようなまねばかりする井坂に業を煮やしその腹いせのためにやった、としか考えられず、そこには息子の人生をおもんぱかる父親の心情はまったくなかったであろう。

きょう立ち読みした週刊誌によると、鈴木氏はいまだに社用車で本社に通勤しているという。高級国産車の後部座席に揺られながら彼の胸に去来するのは、おそらく後悔以外の何ものでもないだろう。