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きりんたの日記

2016-08-15

横浜美術館「メアリー・カサット展」

 横浜美術館で開催中の「メアリー・カサット展」にいく。

 美術史上、カサットは印象派に分類されることもあるようだが、個人的にはどうもなじまない。しいて言えば彼女は、古代ギリシャ彫刻に出自を持ち、ルネッサンスラファエロミケランジェロを経て、近代ではアングルからドガに連なっていく「デッサン派」(勿論そんな分類はないが)なのだ。

ここで自分が言う「デッサン派」とは、人体つまり人間の身体や顔を見ることに尽きせぬ欲望を抱き、その精確な描写に無上の愉悦を感じる人々、という意味である。

印象派」の中でもっとも卓抜した人体デッサン力を発揮したのはドガである。アメリカ出身のカサットが絵画修行のために単身渡欧し、おそらくパリで、初めてドガの作品を見たころをこう回顧している。

「私はウインドウに近寄って鼻を押しつけ、彼の芸術から吸収できるものをすべて吸収したものです。その絵が私の人生を変えてしまいました。私はその時、芸術を自分が見たいと思うように見るようになったのです」

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ドガ「若い婦人の肖像」

「芸術を自分が見たいように見る」という言葉は少々わかりにくいが、カサットがドガの作品に接したときの深甚な衝撃に自分の心を同調させ、そこから逆算して論理立ててみると、おそらく以下のようになる。

彼女はドガの作品に絵画芸術が到達しうる至高、つまり「人間はこれ以上優れた絵を描くことはできない」という頂点を見いだしたので、以後、ドガを頂点と位置づける尺度を自家薬籠中のものとし、他者の作品の出来不出来を評価するときはすべてその尺度を使う(=芸術を自分が見たいと思うように見る)とともに、自分自身がこれからなすべきことはその確固たる内心の尺度をよじ登る努力を一生継続するだけだ、という覚悟も固まったのである。

カサットはその確固たる決心のもと「ドガ」という頂点を目指して努力(あらゆる実を結ぶ努力がそうであるように、その過程は悦びに満ちたものであった)を始め、それは晩年白内障によって絵筆を握れなくなるまで続く。

結果として彼女は、多くの優れた芸術家がそうであったように生涯を独身で終えるわけだが、その求道のプロセスに一片の情交もなかったかといえばそうではない。その相手はほかならぬエドガー・ドガであった。

一般論だが、師匠筋の男性と生徒筋の女性が恋愛関係になることは珍しいことではない、というよりありふれている。この現象は、その技量レベルの高低や、芸術やスポーツや学問などの分野も問わない。ドガとカサットのような頂上レベルでもそこいらの高校の部活動でも同じ確度で起こりえる。

あらゆる技能には、それを行うことや鑑賞することに大なり小なりの快楽が伴うものであり、その快感指数は技量レベルの高さに比例する。同じ技能に関わる師匠と弟子は、技能の伝承や教授を媒介とした快楽の共有体であり、肉体のあるいは精神の快楽共有を最終地点とする恋愛関係に移行するのは、実はほんのひと跨ぎなのである。

カサットとドガの関係が肉体的接触を伴っていたかどうかは、どうでもいいことで、そこに深入りしても得られる果実はあまり無い。男女の肉体的接触はしばしば心の距離齟齬を埋める手段として活用されることがあるし、ドガとカサットの間には、凡百の男女関係で起こりえない芸術を媒体とする激しい魂の接触と交流があったことは、状況的に観てほぼ間違いない。

近代の女性画家といえば、カサットの他に、ベルト・モリゾエヴァ・ゴンザレス、ブラックモン等が挙げられる。この「メアリ・カサット展」では、彼女たちの作品もいくつか展示されていたが、カサットとドガの関係に近かったのは、ベルト・モリゾとマネのそれだろう。

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展示会内のベルト・モリゾの作品

マネとモリゾの出会いは、それぞれが三十六歳、二十七歳のときだったが、すでにマネにはシュザンヌという妻がいた。モリゾもマネと同じく上流階級に属していたが、彼女の絵はお嬢様の手なぐさみの域を超えており、すでに高い名声を得ていたマネに深い尊敬の念を抱いていた。

マネの方も、モリゾの肖像画を十点以上残し、彼女に頻繁にアドバイスを送るなどそのつながりは深かったようだが、最終的にベルト・モリゾはマネの弟であるウジューヌと結婚する。

マネの唯一の正式の弟子が、先に挙げたエヴァ・ゴンザレスで、この才気ある年下の女性の存在は、ベルト・モリゾの心を相当かき乱したといわれており、一説によると、エヴァへの嫉妬心が昂じて体調を崩し、拒食症にもなったとも言われる。

妻帯する男性芸術家への思慕が満たされずその苦悩で心身に異常をきたした女性芸術家と言えば、ロダンの愛人であった彫刻家カミーユ・クローデルの例がある。

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クローデル「分別盛り」


ウジューヌの妻となったモリゾは以後マネのモデルになることはなく、画家としての地歩を固めていくのだが、ウジューヌの妻になりマネ家の一員になるということは生涯マネの近くに居られるということでもあり、モリゾの本当の狙いはそこにあった、と忖度する向きもあるようだ。

そうすることで彼女は、クローデルのような身の破滅から自らを辛うじて救済したと言えるのかもしれない。

展覧会では「女がこんなに上手く線を引くのは許せない」というドガの言葉が紹介されていた。

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ドガの言葉はこの作品を見ながら発せられたと言われる。


これはカサットへの賛辞であると同時に、ドガが当時としてもいささか度を越えた男尊女卑思考の持ち主だったことを顕している。21歳で単身欧州に渡るほどの強い自我を持つカサットが、この性向を素直に受け入れていたとも思えず、このドガの「欠点」が、幸いにもベルト・モリゾカミーユ・クローデルが味わったような苦悩からカサットを遠ざける作用を果たしていたのかもしれない。

カサットは母子をモチーフにした作品を多く遺しているが、同様の例に日本画上村松園がいる。松園には未婚のまま出産した一人息子(上村松篁)がいるが、彼女の母子像の基底は自らが母としての親子関係ではなく、女手ひとつで自分と姉を育てた実母への思慕である。

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上村松園

終生独身で子をなすこともなかったカサットにも深く思慕する母がいた。実際のビジュアル上のモデルは甥や姪とその母(カサットにとって義理の姉や妹)が果たしたのかもしれないが、真のモチーフは自らが子供に位置づけられる親子関係だったに違いない。なお、展覧会には実母をモデルにした作品があり、個人的にこれはとてもいいものだと思った。

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カサット作の実母の肖像

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カサット作の母子像

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