第33章その3

(第33章その3)


神谷が喋っている間、一言も口をはさまず黙って耳を傾けていたアキだったが、神谷が話し終えると大きく吐息をつき、
「感心したぜ、あんたには。たいした男だよ」
と素直に神谷の行動力をほめた。
「それだけのことだ。だが、それだけじゃ犯人を指摘することはできても、奴を訴えて罪を暴露するなんてとてもできやしない」
神谷はこぶしを握りしめた。
自分でも気づかぬうちに言葉が熱っぽくなっていた。
「ひょっとして、そうじゃないかなって気がしたんだが」
アキは体をわずかに右にずらし、何か思いついたかのように薄い唇を開き、
「あんたの言うドイツ人とフィン人の混血男、そいつの年はいくつだ?」
「…三十七だが、どうして」


「俺の知っている奴じゃないかと思うんだ。髪はどんな色だ、金髪か?」
ストックホルム警察署の死体安置室で見たアドルフ・グレーペの死顔を思い浮かべ、神谷はそうだと言ってうなずいた。
「顔は、どっちかと言えばハンサムな方じゃなかったか」
「巻毛の金髪で、うすいブルーの目。ハンサムな男だったらしい」
アキは、人差し指を前に突き上げ、
「そいつの名前はアドルフだろ?」


「知ってるのか奴を!」
神谷は驚いた顔で、アキを見つめ返した。
「ああ、知ってる。あいつは麻薬の売人だ。コペンハーゲン仕入れた物をストックホルムヘルシンキあたりで売りさばいていたみたいだ。なんだったら『ビオビオ』の前でうろついている連中に訊いてみてもいい」
「アドルフは麻薬の売人だったのか。なるほど、奴が死んだ原因もそれでうなずける」
神谷はひとりごとのようにつぶやいた。
「麻薬が奴の死と何か関係があるのか」
「アドルフが海に落ちた原因は、奴が麻薬を飲んでいたためだったらしい。体内から麻薬が検出されたんだ」
「奴が麻薬を…。間違いじゃないのか」
考え込むような口振りで、アキが言った。


神谷には、アキが何を言おうとしているのか理解できなかった。
急に険しくなったアキの表情を見つめ、アキの言葉を待った。
「奴は、アドルフは確かに麻薬の売人だった。でも、あいつは薬を自分でやるなんてことはしなかったはずだ。
売人が薬をやり始めたら、その時から売人でなくなっちまう。
麻薬は一度やったら二度やりたくなる。そして、三度目にはストップが利かなくなる。
おかしい。あいつが麻薬をやったってのは、何か裏がある」
「どういうことなんだ、それは」
アキのただならぬ表情に引き込まれ、神谷は思わず身を乗り出した。


アドルフのことで何か、今まで神谷の知らなかった新しい事実が持ち出され、それが事件に深い関係があるのでは、神谷はそう思った。
そして、アキが麻薬のことにこれほど詳しいのはどうしてなんだろう、といった思いが頭の隅に浮かんだのであった。
「あいつは自分の意志で麻薬を飲んだんじゃないってことだ。それは俺が証明できる。俺じゃなくとも、警察が本気で調べりゃすぐにわかることだ。おかしいと思わないか。やりたくない麻薬をやり、海に落ちて溺れ死んだってことが」
神谷は一瞬、息をのんだ。
次に、まるで壊れ物でも扱うかのように、恐る恐る口を開いた。
「誰かがアドルフに麻薬を飲ませた…」


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