しりあがり寿

『箱舟』
降り止まない雨によって、都市は水没してしまう。
夢を追う若者、中年サラリーマン、純粋な学生カップル、TVコメディアン、さまざまな視点から水没していく都市を描く。
降り止まない雨により、水没していく世界では、ヒエラルキーがフラットになっていく。

『徘徊老人ドンキホーテ
癒しをもとめて地下下水道へと向かう人々、神様のように見える、建設が中断された巨大なビル。
村上春樹の『世界の終わりと ハードボイルドワンダーランド』と中沢新一の『アースダイバー』とリンクしている点が非常に多いと感じた。
実は下水のいやし水 地下に住み下水を食らうやみくろ 世界のマジョリティとなったキリスト教の話

『オーイ・メメントモリ
瀕死のエッセイイストが都市のなかで出会う人々に「死を思え!」と叫び続ける。
109、ゲイバー、国会議事堂、反戦パレード、秋葉原、平和展示記念館、青山墓地メメントモリな東京案内本のよう。
最後の「元気なエッセイイスト」は秀逸。


『髭のOL笹子』
真実の愛を見つけるまで髭をそらないOLのはなし。
ハイリスク・ノーリターンの恋愛ドラマ。

はてなダイアリー

そもそもこのはてなダイアリーはどういった構造をもっているのか疑問だった。
ごく簡単にかみくだいてみると。

はてなダイアリー上の文書は、どの文章がどのような役割をもつかの約束があり、かつ相互観照可能な文章(ハイパーテキスト)であり(ここまでがHTML)、かつどのように表示するかの設定ができる(CSS)、ということになるかと、、

そもそも研究者間での文書の相互観照を可能にし、研究が重複しないようにするために開発された相互観照可能な文章(ハイパーテキスト)にたもとを置いているという点から考えると、読書録としてこれまでどうりの短いサマリーと感想を書いていくことはほとんど、紙のノートに書けばすむことになる。
それでも不特定多数にたいして、無料で情報を発信できる媒体であるブログという形式には非常に魅力をかんじている。
ミクシィやブログをやっている人には現代的感性を感じていたため、このように初めた所存でございます。
悲観的な情報化社会に関する意見には、違和感を感じていたが、どちらかというと避けていた面もある。
はてなダイアリー」のように、プログラミングに関する知識がなくても、web上に文書や画像をアップできるっていうのはどうしても、うまい話すぎるようなという感覚がぬぐいされない。
しかし、スポーツ選手がプレイ中にルールについて疑ったりすることがないように、ルールをうたがってみるのもいいが、ルールのなかでどのような作戦が有効かを考えたほうが何倍も生産的だ。

ブログの中でも、専門家の文章は勉強になる、専門家でなくとも体験談的なブログのなかには、その体験が独自性をもっていると感じられる場合はコンテンツとしての価値ををかんじる。
では自分は?

豊作の実りを期待せず、ただひたすら畑を耕し続ける農夫のように
倉田康夫

姿勢としてこれは美しい、では何の畑なんだ?種は?

正しい建

青臭くていい、自虐なしでこれでいこう。

恥ずかしい読書録 緊張している読書録

ちなみに「はてなダイアリー」に関しては非常に丁寧な説明がされているサイトが多数ありました。


建築造型論ノート

建築造型論ノート

『具体美術宣言』 吉原治良 を読んで

1956年に吉原治良による『具体美術宣言』

・「具体美術に於ては人間精神と物質とが対立したまま、握手している。」
  
 詩的で美しい表現で、以前読んだときからとても印象に残っていた。

・「物質は物質のままでその特質を露呈したとき物語りをはじめ、絶叫さえする。物質を生かし切ることは精神を生かす方法だ。精 神を高めることは物質を高き精神の場に導き入れることだ。」

 物質と人間のエロス態(『イカの哲学』中沢新一)の表出

・「美術品や建築物の時代の損傷や災害による破壊の姿に見られる現代的な美しさ」
 「人工の粉飾のかげから本来の物質の性質が露呈しはじめた美しさではないか。」
 
 どうして古いものが、歴史的な価値を持たないものですら、人をひきつけられるのかを考えるヒントになるような気がした。   論点は違えど坂口安吾の『建築私論』を思い出した。


イカの哲学 (集英社新書 0430)

イカの哲学 (集英社新書 0430)

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)