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2012-12-23

無題

21:06

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移転先

2012-08-24

フェルディドゥルケ

21:42

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』を読み終わった。マジックリアリズムの長編で、ある男が人々から「面(つら)」をおしつけられ、闘い逃げるという筋だ。他人からおしつけられた「面」と本来の人格、心霊の対立に苦しむというわけである。まるで偏執狂のような文章だった。▼実はこの本を読み終えるのに、1年以上もかかった。よくは憶えていないが、去年の夏より前にはじめたのでそういう計算になる。こんなに長い時間をかけて、どうして本を読んだのか。自分でも不思議ではある。▼私は古典にわりと興味本意で手をのばすことが多い。しかし、それは声を出して笑うというより、どちらかといえば見知らぬ場所を散策する楽しみに近い。イタロ・カルヴィーノは、古典には無意識のうちに読者に変化をもたらす力があるという。本を読む理由をミックスジュースのごとく無意識の進歩に丸投げするつもりはないが、一端を担わせてもいいかと思える話である。

2012-06-21

23:27

徹夜をしていると、どうも体調がへんになる。歩いていて冷や汗がでたり、ふと仮眠からさめると、横から殴られたような感覚がでる。
そもそも夕方から真夜中に5時間くらい寝てみても、なぜか骨が痛くなるし、鼓動が急にはやくなったり、夜に寝る、ことがそんなに重要なのだろうか。まあ人間が概日リズムを無視できるのがそもそもおかしいんだろうな。
体がばらばらに動作してる感覚も嫌いじゃないが、自分がパーツに分解されてるような雰囲気がある。だが、他人はまた別のところがおかしくなるのだろうから、まさしく私独自の症状でもある。

それから、この間顎がはずれて10年ぶりに救急車へ乗った。外科の先生に一瞬ではめてもらったが、ほほの長さが左右で違うらしい。鏡でみると本当にそうなっていた。
友人とかまた機会があったら、自分でもはめられるのでこういう経験も悪くない。なんとなく、ひとつ技を習得したようで愉快だった。
それにしても健康診断はまるで問題ないのに、病院に行くことが多い。意外と直(治)せないものだ。

2012-06-08

無題

| 04:46

最近徹夜せざるをえないような状況がよくある。前はそんなことも無く、むしろ楽しくて、すすんですることもあったのだが、どうも年がたつにつれて苦手になっていく。散歩にいったりもできた昔にくらべ、いまは太ももが震えてしまってどうにも億劫だ。朝が苦手というのもあって、1時を過ぎて寝ると10時間は起きれなくなった。解決は簡単で、その前に寝てしまえばいいのだが、次々くりだされる課題と自分の怠慢のせいかひたひたと時計はすすみ、気付けば手遅れ、ということになる。▼これじゃあ仕方がないと、0時半におきて17時に寝るという7時間ずれの生活サイクルを思いついた。実行できれば、睡眠も充分確保できるし、深夜に仕事ができるのは性にあう。朝焼けを楽しんだり、月を眺めながら、目覚めの紅茶なんて洒落もあるではないか――ここまで考えて、私の場合、けっきょく睡眠時間がのびるだけだろう。無理のきかない体は不便なものだ。

2012-06-04

無題

| 17:29

先週なかごろに肺炎になって以来、今はほぼ回復し調子もよくなっている。
水曜日からどことなく、調子が悪かったので風邪のなりかけだと思っていた。しかし、課題が終わっていなかったので、明け方まで作業。鼻水がたれてくるのだが、私はアレルギー性鼻炎なので、粘性もなく色も無い、水のようなこれに慣れっこで半ば無視していた。
寝たのはいいが、朝目をさますと、熱とだるさで、大学へはいけなかった。次に起きたのが12時くらいで、熱は38度、背中がインフルエンザのときのように痛む。15時からの病院にいって、採血とレントゲンの末、肺炎といわれた。レントゲンで、肺に白いもやがでると、炎症のしるし、健康であれば透ける。
肺炎なんていうと、よく人が死んでいるように思ったので、不安だったけれど、肺におきる炎症全般をさすのだから、軽いものも多い、とのことだった。実際マイコプラズマという名前をよくテレビでみるが、あれも一種だそうだ。
広範な菌に有効な抗生物質をもらって、点滴もせずに帰った。サナトリウムで深窓の令嬢と出会ってみたいものだが、医療のまえではそれもかなわない。

2012-05-28

私の写真とのかかわり

00:59

BW、カラーフィルム、デジタルの基本作業に一通りふれる機会があった。
そこで、「写真」を考えていなかったころ、どうしていたのか少し思い出してみる。

見栄えを意識して撮るようになったのは、中学生のときだったと思う。東芝の携帯についていたカメラで、植物とか景色を撮っていて、人がメインのものは無い。いかにも、写真は記念というようで、芸術の一分野だ、報道だ、なんて思ってもいなかった気がする。
それから高校にはいって、本屋で東京ランドスケープという写真集をみてから、何となくジャンクションとか廃墟の写真を探すようになった。しばらく写真よりも被写体に興味があって、高架を見上げたり、住宅街で階段を探したりしていた。しかし、そのうちに、軍艦島にであって写真に対する視野が大きくひろがったようだ、と最近になって気づく。

図書館にあった『軍艦島全景』を借りたのは、高校1年のときだった。どちらかというと廃墟マニア向けの趣向で、とても美しい廃墟の軍艦島が写っている。被写体への興味は変わらず、昔の賑わっていたころの写真や、建築物の平面図、地層調査図などをあたった。ただの一軍艦島好きだった。
その後、今まで覚えている写真家は、志賀理江子とフェリーチェ・ベアトくらいだ。自分ではよく写真を撮るようになったけれど、人の写真はあまりみていない。
軍艦島から得た視野とは、写真には種類があるということだった。廃墟は記憶の箱のようなものだけれど、それは昔、人が住んでいたということだ。だから、その人たちの記念写真もあるし、後世のために記録として撮影されたものもある。現代人にとっての美しいばかりの廃墟、でもあるし、詩のための小さな挿画ということもあった。
写真は撮影者や、目的のために違うものになることにこのとき気づいた。一つの地点から、人はそれぞれ違ったものを眺めているのか。私が写真を撮ることで、その場所と私を憶えておける。写真はひとまずそういうものなのかなと思う。

2012-04-05

無題

| 22:59

昨日寝る前にふと、或る絵本を思い出して、しらべてみると大海赫という作家にいきついた。彼による人物のひとり、カンナさんという男の横顔だけがきゅうに現れたのだが、じつは彼はカンナの花で、自分をむしっていた小学生を大人にかえるのだ。

駐輪場に咲いた口紅水仙を、不注意で落としてしまった、からだろう。

2012-03-04

無題

| 08:39

年があけ三月になった。
いろいろなことがあったが、私の視野は狭いというのがよくわかった。後四年もすると、また視野が狭かった、なんて言っているだろうか。小学校のなかばから、普通の勉強をしてきた自分が、美大を受けるとはまさに想外だ。ふりかえってみると、たいしたことのない悩みでも、当時の私にはとんでもない重荷だったろう、それをなんとか人の助けをかりて打ち崩せたとは思う。けっこうラッキーだったかもしれない。

それはそうと、日本書紀で継体天皇までをとりあえず頭に入れようと奮闘中だ。自分はミマキイリビコイニエノスメラミコトとかウカノミタマノミコトとかいったのが好きらしい。昔は国の名前を暗記していたが、そういえば似た感覚かもしれない。

2011-08-13

幕張海浜公園

21:42

だいぶ久しぶりに海へ行った。
夏期講習のすきまの休みに、自転車で千葉へ行った。途中の幕張で海に入った。といっても、ズボンが濡れるのも構わずにバシャバシャやったので、泳いだわけではない。泳いでいる人は小学生くらいの女の子と、その子に泳ぎを教えているお爺さんだけだった。
幕張海岸は湾になっているようで、遠くに、グレーになったビルや工場のシルエットが連なっていた。
浜にはウミネコかそんなようなトリがべらべらといた。食い散らかされたであろう、サカナの屍骸が転がっていた。
地元でハトの屍骸や死に掛けをよく見るけれど、何となく嫌な気分になる。サカナは普段から私も食べているからか、なんとも思わなかった。
砂浜に好きな人の名前を書き付けて、千葉へ向かった。久しぶりに海に来て興奮していたのだろうか。青春映画っぽいようなことをしてみたかったんだろう。

そういえば荒川を越えるときの、橋に囲まれたところは、周りに何も障害物が無くて、本当に空が広かった。こんなに視界が開けた所は初めてだったかもしれない。
それから、習志野市から幕張へ向かう途中、奇妙な土地があって、谷のような場所だが、草ぼうぼうのところにアパートが建っていたり、家が建っていたり、霊園があったりした。舗装のガタガタの道の脇にいきなり産業廃棄物中間処理場が稼動したりしていた、これも多分初めてだけれど、プレハブが建っていただけなので、作業は屋外でしているのかもしれない、そのほうが「場」というイメージもわく。

まあ、そんなで千葉についてからはモノレールくらいだけ眺めて、帰ってきた。

2011-08-01

無題

| 22:14

どうしたものかまた間が空いてしまった。
実家に帰省したり、夏期講習が始まったり色々なことがあったのだが、まあ置いておこう。
人間なにをするにしてエネルギーが必要だ。必要なエネルギーは物理の摩擦にも似て、始める時に最大になる。始めてしまえば案外楽、というあれだ。しかし中々必要量が大きくて、何も出来ずに日々を過して、怠惰になってしまうこともままある。
では身のうちにエネルギーを作り出そう、というのが予備校なり塾なり。苦学生が蛍雪の功、東大に合格というのも、探せばみつかるぐらいの頻度ではあるのだ。技術の面では別に自学でもかまわないけれど、怠惰な我々は周りの状況に付き従わないと、始めることすらできないという、情けない話である。
一つ注意。予備校は背中をおしてくれるだけ、走ろうとするのは紛れもなく、自分自身だ。

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