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2016年03月03日(木) +『ザ・ウォーク』を見ました このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 少し前に『ザ・ウォーク』を見た。ツインタワーにワイヤーを張り、その上を歩いた伝説の綱渡り芸人フィリップ・プティを描いた映画。プティはフランス人なのだけれど、アメリカでゼメキスがつくったことや、ラストシーンの映像で「ツインタワーの神格化」という意図を少なからず感じて、うーんと思ってしまう。でも、そうでもしなければ、これはただのキチガイ映画になってしまうのではと指摘されて、納得したりもする。でも、それでよかったのだ。ツインタワーに張ったワイヤー上を恍惚として歩むフィリップは間違いなく情熱的なキチガイなのだから。

 この映画より、ドキュメンタリーの『マン・オン・ワイヤー』のほうに感動するのは、その情熱と狂気がよりきっちり描かれていたからだ。この映画を見たかったのも、ドキュメンタリーを見ていたからだった。

ツインタワーに張ったワイヤーをするする歩き、人々から感嘆をもって見上げられているフィリップは、水上を歩くイエスのようにも見える。ワイヤーの上に横たわったフィリップのもとに降りてくる鳥は、祝福を与えに来た聖霊なのか。それとも鳥が魂を持ち運びすると考えれば、何かの不吉さの象徴なのだろうか。  

 フィリップの行為は、誰にとっても特に意味のない、利のない行為なのに、あの高さを歩いているフィリップには不思議な崇高さがあり、多くの人の心を掴んでしまうのが面白い。

 

2016年03月01日(火)

+ヴァレンタイン前後

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+可能性


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可能性。ソフトクリーム食べたいわって、行きずりのだれかにねだること。(穂村弘『手紙魔まみ、夏のお引っ越し』)


行きずりの人にねだったわけではないけれど、冷たく甘い可能性は濃厚なチョコレートとピスタチオの味だった。



+DEMEL


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バレンタインデーにDEMELのマンデルショコラーデを頂きました。キャラメリゼしたアーモンドに、シナモン入りのホワイトチョコレートコーティング。今年2016年のバレンタイン限定のお品だそうです。パッケージも美しくて、嬉しいな。可愛い、綺麗、美味しいと、パーフェクトにそろってしまうDEMEL。しばらく飾っておこう。

2016年02月11日(木) +オールタイムベストの本 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 一生のうちにオールタイムベスト本30冊を選ぶというのをやっていて、ひさしぶりに更新。アラン・ムーア(原作)・エディ・キャンベル(作画)『フロム・ヘル』をいれる。読んでからしばらくたっているし、『ウォッチメン』とどちらにしようか、自分の中でながらく迷っていたのだけれど。ふと、人間が想像力をもってして歴史に、そして人間の心の闇にあらがった、ひとつの到達点としてこの作品があるのではないかと思い、いてもたってもいられなくなって追加した。

 つまり、ムーア先生のあの物語が事実でないことは誰にも証明できない。完璧。そして、物語を読む前から、献辞であんなに心をつかまれたこともなかったし、すべてを物語っているような気さえした。なにより、あの献辞はすごく優しかったから。

 いま、思えば、ヴォネガットは『スローターハウス5』でもいいし(いまだに迷う。けれど、そのうち決まるだろう)、筒井康隆『驚愕の曠野』は、『モナドの領域』を読んだら差し替わるかもしれない。アニー・ディラードはリストをつくった当時も迷ったけれど『アメリカン・チャイルドフッド』ではなく、やっぱり『本を書く』なのではないかと思う。    

 しかし、本一冊単位でなくていいなら、ディラードは『石に話すことを教える』にはいっている「プロビデンチャの鹿」になるだろう。ディラードに出会ったのは日本語ではなく英語からで、母語以外の言語で感動すること、できることを初めて知った。英語で感動した自分にびっくりして、最初自分の中で何がおきているのかわからなかったくらいの体験でもあった。これが大学にはいったころのお話。

 村上春樹「かえるくん、東京を救う」『神の子はみな踊る』(タイトルは、素敵)は、わたしにとってもう必要のない物語になってしまったので、とってしまった。

 そのうち、映画も30本選びたいな。本と漫画はわけて、あらたに漫画を選んでもいいかもしれない。でも、ムーア先生は漫画というか本のほうにいれたくなってしまうのだった。アメコミはグラフィック・ノベルともいうから、いいのかな。

フロム・ヘル 上

フロム・ヘル 上

石に話すことを教える

石に話すことを教える

2015年07月13日(月) +お知らせふたつ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

おひさしぶりです。まずはお知らせです。


森開社「L'ÉVOCATION」の後続同人誌「Anthologica vol2 マルセル・シュオッブ特輯」に寄稿しています。国書刊行会のシュオッブ全集とあわせて是非お読みいただければ嬉しい内容です。フランスのマルセル・シュオッブ協会の方々からも寄稿いただいています。わたしは「シュオッブ二題」というタイトルで、『モネルの書』とシュオッブの小説がもとになった映画について書いています。どうぞよろしくお願いします。かのボルヘス翁によれば、「この世界のいたるところにシュオッブの信奉者たちがいて、彼らは小さな秘密結社を組織している」のだとか。全集が刊行され、雑誌で特集が組まれなどしている昨今、秘密結社の存在もあながち虚構ではないのかもしれません。シュオッブは、こんなふうに秘めやかに読まれて続けている作家なのです。


目次はこちらから。

http://blogs.yahoo.co.jp/ono2893/35006830.html

ご注文は下記で受け付けています。

http://blogs.yahoo.co.jp/ono2893/35058566.html


また、昨年の刊行になりますが北端あおいで名前が出ているものに、アラン・ムーア大先生作・柳下毅一郎さん訳の魔術的大傑作『プロメテア』(ShoPro Books)があります。主に黒魔術とかエソテリック方面で、ささやかなお手伝いをさせていただきました。この作品、海外では魔術入門的な位置づけにもある作品らしく、この作品を読んで魔術の世界に参入する人も多いのだそう(もちろんそれだけの作品ではありません)。ということで、なんと奥附の協力者欄にお名前をいれて戴いています。すなおに素晴らしいと心から思える作品に、ほんの少しのマニアックな知識が幾ばくかでもお役に立てたのなら大変光栄です。とても楽しいお手伝いでした。全3巻だそうです。2巻、早く読みたいですね!

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クローバークローバー 2015/09/06 13:40 あおいさん、お久しぶりです。
更新があり、ホッとしました。
季節の変わり目です、ご自愛くださいね。

kitahaaoikitahaaoi 2015/10/07 00:03 クローバーさん。いつもそっと見守ってくださってありがとうございます。もうすでに秋の気配。暖かい飲み物が美味しいですね。涼しい風はほんの少し身も心も軽やかにしてくれるようで、ほっとしています。クローバさんもどうぞよき秋をお過ごしください。

2014年04月25日(金) +夜の終わりに このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

眠れないまま夜明け。この時期はいつもこんなふうだから、動けるくらいの元気があるのなら忙しくしている方がいい。余計なことなど考えられないくらいに、本を読んで映画を見て音楽を聴きお話をする、お茶を愉しみお酒を呑んでこうして文字を綴ることをやめないこと(そう、そんな約束をした)。生きている限り読みたいものや見たいもの触れたいもの、行きたい場所は尽きることがないのだから。

2014年04月09日(水) +悪夢の後 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

大事なひとたちがしんでしまう夢を見る。なにもできなかった、なすすべもなくみていることしか。自分が殺される夢のほうがはるかによかった。夢なのに もう目が覚めているのに。夢の中の体験でできた、心の穴があまりにも大きく広がってしまって、自分が穴になってしまったようで、何も感じなくなる。わからなくなる。かなしいとかさびしいとか、つらいとか。

世界は無数の光りと闇のグラデーションでできていて。ひとも世界も刻々とうつりかわっていくし、うつろっていく。だから、そのかわっていくなかでもしもかわらないものがあれば、それをとても大事にしたい。

2014年04月07日(月) +『ジュリアとバズーカ』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「これは彼女の注射器だ。わたしのバズーカ、彼女はいつもこう呼んでいたよ」(中略)


 彼女は笑っている。危険にさらされたとき、ジュリアはいつでも笑うのだ。注射器がある限り、何も怖くはない。怖いと思ったときのことはほとんど忘れてしまった。ときたま、縮れ毛の若者のことを思い出し、今どうしているのだろうと考える。それから笑う。花を持って来てくれて、楽しい気分にさせてくれる人はたくさんいる。注射器がなかった頃はいつもどれほどさびしく孤独な気持だったか、もうほとんど覚えていない。ジュリアは医師に会ったとたんに彼が好きになる。彼は、彼女は実際には知らないけれど想像していた父親のように思いやりがあり、優しい。彼は注射器を取り上げようとはしない。

 「もう何年もそれを使っているのに、君は少しも悪い状態になっていない。いや、むしろ、それがなかったらはるかにひどいことになっていただろうね」(中略)


 彼はジュリアに同情している。彼女の性格が傷ついたのは、子供の頃に愛情を与えられなかったからであり、そのために他人と触れ合うことができないし、他人の中で享楽的な気分でいられないのだ。彼の意見では、彼女が注射器を使うのはまったく当然のことであって、糖尿病患者にインシュリンが不可欠であるのと同じように、注射器は彼女に不可欠なものなのだ。注射器がなかったら、彼女は正常な生活を送ることができないだろうし、彼女の人生は悲惨の極みとなっていただろう。しかし、注射器のおかげで、彼女は誠実で、精力的で、聡明で、友好的だ。彼女は一般の人々が抱いている麻薬中毒者の概念とは似ても似つかない。だれも彼女のことを不品行だとは言えないだろう。


アンナ・カヴァン、千葉薫訳『ジュリアとバズーカ』(サンリオSF文庫、1981)

24時間、怖さにふるえているわけではないから、わたしもわたしのバズーカをきっと持っているはずだ。わたしのバズーカは注射器のかたちはしていなくて、もしかしたら鞭なのかもしれない、あるいは苦痛や、自傷するためのナイフ、映画や音楽や物語なのかもしれない、またあるときはいろとりどりのカプセルや錠剤、だれかがなげかけてくる視線や言葉、不可視の恩寵なのかもしれない。 

でも、それがどんなかたちでもどんなものであってもいいから、「最低限」「必要」なときにひとのかたちや精神状態を一時的にでも保ってくれるものであればいいと思う。他者にとり繕えるほどには。もしかしたら、わたしは今でもまだときどき見えない魔法、わたしのバズーカに守ってもらえているのだろうか。眠りの訪れない長い長い夜、まだひとのかたちでいられることがそのあかしだと思って、朝を待っている。

アンナ・カヴァンは、『氷』という静かで絶望的な物語を胸に秘めながら、バズーカとともに生き延びた。夭折と言われる年齢をとっくに過ぎてからもなお長い長い時を。だから、苦痛で凍りつきそうになっているすべての少女たちにこの物語、『ジュリアとバズーカ』を。氷から逃れようと走り続けている貴女、ここを読んでくれているはずの貴女、貴女が自分のバズーカをふたたび見いだすことができますように。


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ジュリアとバズーカ

ジュリアとバズーカ

氷

※絶版だった作品が手に取れるのは嬉しい。それにしてもサンリオSF文庫版『ジュリアとバズーカ』の装画の素晴らしさ。ポスターが欲しいなぁとずっと思っています。いうまでもなく、サンリオSF文庫のカバーイラストは素敵なものだらけなのだけれど。

夜衣子夜衣子 2014/04/15 06:33 おはようございます。

自分を人前ではせめて人間らしく見えるよう整えるには、やはり「わたしのバズーカ」は必要不可欠だと思います。ただ、時と場合によってわたしは自分のまわりにあまりに多くの種類のバズーカを求めてしまいます。バズーカを使うことで、友人や仲間のわたしに対する認識まで試してしまう。バズーカを使っているわたしであっても、バズーカごとわたしを好きでいてくれる人を無論わたしは愛するのですが。バズーカがあることで穏やかで、頭の回転もスピーディにそして、わたしらしくいられるのであればいい、そう思います。勿論バズーカですから多くの人を傷つけ、もしかすると自分の命を薄皮一枚ずつ剥いでゆくものかもしれませんけれど。長々と自分のことばかり書き連ねてごめんなさい。わたしもアンナ・カヴァンを愛しています。サンリオのものも、欲しいとずっと思っているのですが、なかなかつかまらなくて。


この場所、あおいさまの場所のおかげで、わたしも沢山愛しい本と出逢えましたし、出逢いつづけています。いつもありがとうございます。

2014年04月06日(日) +ビューティフル・ドリーマー このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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佐保姫降臨、春です。


ああ、そうか。わたし、ビューティフル・ドリーマーになりたかったんだ。いつも誰かの名前を呼びながら世界から飛び降りつづけ、醒めつづけながらして、より深く美しい夢を見つづけていたいのだった。今日の夢は美しかったですか、みなさま。今日、呼べるものは見つかりましたか。見つけた人から、順番に飛び降りてしまいましょう。おやすみなさい、世界中のビューティフル・ドリーマーたち。 

2014年03月05日(水) +*謹賀新年*2014*+ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 あけましておめでとうございます。つたない日記ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。巫女の血が流れているのならば、本年も心からの感謝を込めて、ここを訪れて下さった皆様にあらんかぎりの新年の言祝ぎを。今年は去年よりもよき1年でありますように。

 例年より遅くなってしまいましたが、2014年もこうしてご挨拶できること、それだけがとても嬉しい日記です。挨拶を交わせるということ、ただそのことが奇跡のように感じられる瞬間があります。わたしとあなたが存在しているからこそ起こせる不思議。どちらかがいなくなってしまったら、もう不可能なこと。だから、わたしがここにいるかぎり、何度でも嬉しいと繰りかえしたい。

 去年はなかなかあわただしく過ごした年でした。年初めの記憶は、十億年たったと言われたら信じてしまえそうなくらいに遠く朧気に感じます。それにもまして、本年はさらに忙しくなりそうな気配さえしています。

 ならば、あえて今年はもっと言葉と寄り添って過ごしたい、そう思います。去年の年始の日記に、たとえ何があっても、いくら突き放そうとしても、言葉や物語たちだけは最期までこの手を離さないでいてくれると書いた、その言葉や物語たちとより深くこの世界に潜っていきたい。呼吸をするように、身体をめぐり流れる血のように、なくてはならないものとして。心が残っているうちは書きつづけられる、なによりもその軌跡として。 

 もう何年も前に決めた、何があってもこれからもずっと孤独でありつづけるということ。そういう部分を持ちつづけるということ。それは、尋めゆくことを忘れない、ということ。言葉と、すなわち世界と出逢いつづける、ということ。

 でも、この世界から落ちそうになるときに、最初に消えていくのは言葉です。なにも言葉がでてこなくなる。しゃべることができなくなる。思考が止まって、何をどう伝えていいのかわからなくなる。自律神経が弱い身体は、熱と頭痛ですぐに動かなくなってしまう。

 だからこそ、また今年も落ちそうになったら、今年は言葉を連れて深く深く潜っていこうと思います。もっと闇の奥底を覗いてみたい。不可視なもの、音や香りや気配だけの嫋やかなもの、知覚できないものも含めて、すべてを言葉の掌上にのせてみたい。言葉たちに支配されるのではなく、むしろ言葉を殺しながら、また新たに生み出すようなことをしてみたい。残されている時間は決して多くはないのだから。

 ひとつ踏み外せば二度と戻ってこれなくなる危うさがあるのだとしても、もう一度浮かび上がれるのならば、そのときに何よりも美しく世界を黄泉がえらせてくれるのも、また言葉なのだと強く信じて。

2014年のご挨拶にて。あおい拝。

photo by aoi, Enoshima Iwaya Cave with agleam.

へんしう長へんしう長 2014/03/06 22:32 おめでとうございます、ごぶごぶさたしております。
あおいさんの言葉を読んで今更ながら思いましたが、「韻を踏む」と言いますね、やはり言葉と戯れることはその通りダンスそのものなのですね。ステップを踏みつづけたい、踊っていたいとわたしもおもいます。

クローバークローバー 2014/03/08 22:13 あおいさん、今年もよろしくお願いします。
今年は春の訪れがまだまだのようですね…。
お互い、今年も自分に無理をさせずに過ごせると良いですね。

あおいあおい 2014/03/15 01:04 へんしう長さま
こちらこそご無沙汰と非礼を重ねておりますが、こんな季節外れのお年始にコメントありがとうございます。とても嬉しいです。読書するとき、なにかを書いているときなどなど、無心に言葉と戯れられるひとときは至福ですね。今年も、この世界のどこかで一緒に踊り続けて下さいませ。ではでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

あおいあおい 2014/03/15 01:23 クローバーさま
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。春の訪れ、ようやく沈丁花がかおりはじめました。梅に桜に桃、蓮花に白詰草に菫、藤に躑躅……これから咲き始める花々の名前をおまじないのように唱えながら、春が待ち遠しいこの頃です。無理をせずに、でも行きたいところへ、が今年も課題ですね。

2013年11月30日(土) +忘 却 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

忘れる憶えておくどちらも大事。そして、憶えておくといったことそれ自体をいつか私は忘れてしまうかもしれない、ということを心のいちばん深いところに何よりも強く強く記憶しておく。

週明けにつづいて昨日今日もその作業をしていた。

2013年10月30日(水) +断 片 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

言葉にもならない夢の断片を見続けるのだけれど、こちら側に目覚めてからもまだ溶けずに残って居る欠片があるみたいでふわふわ過ごす。アルコールだってこんなふうには効かないものなのに。

2013年10月24日(木) +物 語 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

太陽を背に、端然と立つ人を尋め行きました。青白い氷原でその人は火照りを帯びているようでした。

「熱があるの。少しね」

微笑むその人が氷に刻んだ文をたくさん読みました。小さな熱に溶けた言葉は滴となって黎明の波を奏でます。

「この下にはね。氷琴窟があるの」

両手を割って両耳に被せました。切なくも温かく、眠りたくなるうたでした。うたが掌を、耳を、心を通り抜けて空へと昇ります。

「物語が好きなのですね」

 尋ねると、その人は笑みを広げました。

「それでは物語りましょう。ここにある景色を、温度を、香りを、うたを、あまい血の薔薇までも語りましょう。儚さは滅びるだけのものではないと、美しさの感度を高めるものだと伝えましょう。物語で形どられた貴女の物語。主人公の名は……」

 雪を好きなその人の白い息が囁きます。トゥルヴェールは頷いて、うたいました。

「これは北端あおいの物語。物語を抱き締める人の物語。うたうたおう。うたとうたとの出会いのうたを、新たなうたの生まれるうたを、祝福とともにうたうたおう」


この日記を読んでくださった方が感想のような、ちいさな物語のようなメッセージをくださいました。ご許可をいただいて転載いたします。まずは日記を読んでくださってありがとうございます。一般性のない日記です。読んで戴けるだけでも嬉しい日記に、言葉まで戴いてしまいました。

でも。もしもこの世界のどこかに同じような思いをしている人がいるのなら、そういう人たちに届けばいいなと思って書いています、日記というよりも手紙を綴るように。そして、一瞬でもこの世界を美しいと思ったことを忘れないために書きたい。たとえば、書物や映画、巡り会った景色や人形として目の前にふと顕れてくるものたちのこと。心の琴線にそっと触れてきてくれたものたちのことを忘れずに憶えておきたい。だから、この世界の記憶を書き続けていく。そんな思いはこれからも変わりません。なので、あらためてご挨拶。ここをずっと読んでくださっている方々にもいっそうの感謝とお礼の気持ちをこめて、いつもお読み戴きありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2013年10月21日(月) +金木犀の咲く夜に このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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金木犀の香りがしてくると、ようやく十月になったのだと思います。真っ先に思い出すのは、住んでいた家の庭にあった、何十本もの金木犀がいっせいに黄金色の花を咲かせてまぶしかったこと。寝室、台所、食堂にバスルームと、家中が、花々の香りで充たされていたこと。両手いっぱいに花々をすくっては、星屑のようにまき散らして遊んだこと。  

金木犀の香りをいっそう濃く感じてしまうのは夜。昼より感覚がいっそう研ぎ澄まされる時間だからなのだと思います。会社帰り、最寄りの駅からおうちまでの道を歩いていると、そこかしこから漂ってくる。お花の香りに酔ってしまって、とてもいい気分。香りに誘われて、ふらふらと、植えられている金木犀たちを尋ね歩くので、いつもより帰宅時間が遅くなってしまう。花の香りに陶然としながら歩く夜道は、異界にまで通じているかのよう。心に眠っている、遠いところへの憧れをくすぐられて、歩き続けてさえいれば、ここではないどこかへとたどり着けてしまえそうに思えてきます。どこまで歩いてみようかなと、現実と幻想の境目を楽しくお散歩している気分です。

昨晩は、見事に咲く金木犀の木を見付けました。右のお写真です。リデルがたたずむとしたら、きっとこんな金木犀の木の下。十月が好きな理由の一つは、金木犀が咲くから。左は、iPhoneにとりつけたマクロレンズで撮影してみました。ちいさな花は風に揺れて、なかなかうまくとれませんでしたが、これが最善の一枚です^-^;

そうそう、ネットで桂花茶というのを見付けました。金木犀の花を乾燥させてお湯を注ぐというもの。いわゆる花茶。お茶葉以外のものからつくられる番外茶という分類にはいるお茶だそうです。

花を食すのは、いつもどこかそこはかとない背徳感があります。本来眼球で愛でるものを食べてしまう。禁忌を犯しているような感覚。スミレの砂糖漬けや、薔薇の花弁のジャムなど大好きなのですが、美味しいかといわれましたら、もっと美味しいものがありそうな気もいたします。そのうち金木犀のお茶を入手して、寒い日にでも淹れてみましょうか。いましばらくは、この香りを堪能しつつ、過ごす秋です。

クローバークローバー 2013/10/24 23:14 AOIさん、お久しぶりです。
今年は酷暑が長引き、急激に秋になり心身共に堪えますね。
ブログにおじゃましながら、なかなかコメントできずにいました。
あまり秋が楽しめそうではないですが…お互いにゆっくり歩みたいですね。

あおいあおい 2013/11/03 11:28 クローバーさま
酷暑、本当につらかったですね。秋を通り越して冬のようだったり、
まだ暑い日があったりと、なかなか安定しない気候ですね。
せめて秋らしく装ったり、季節の食べ物を楽しんだりして過ごせたらいいですね。
それでも、夜、空を見上げると綺麗に見えるようになってきていることは
嬉しいです。クローバーさまも心身ともにご自愛くださいね。

2013年09月10日(火) +ある日、街角で このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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ある日、街角でお会いした方。世界にちっともこびていない、クールなたたずまいと視線が素敵でした。

2013年08月31日(土) +夏のおわりに このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

時は飛ぶように過ぎゆき、飽くことなく四季は巡る。今は夏。美しさにしなやかさと強さがそなわる季節。夏の終わりはいつも突然。だから鮮やか。熱気を孕んだ日々は短くて儚くて、白昼夢のようです。よき時間をお過ごしください。

むかし、誰かに書いた手紙のテキストがでてきた。カレンダー上では夏のおわり。でも、暑いせいかそんな気分にはまだなれなくて。毎年ミルクティがひときわ美味しく感じるようになるのが、秋のサインだったりするけれど、それはしばらく先になりそうです。それでも、ときおり風が涼しいのに気づいてはっとなります。移ろっていく時間を感じて。これからすこしずつ蝉の聲から、秋の虫の聲に季節はうつっていくのでしょう。

暑さが残っているうちは今年の夏を満喫できたらいいな。ほんのすこしでも、燦めく夏の時間を時の宝石箱に残すことができれば。それはとてもうれしいことだったりします、から。

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