また戸塚ヨットスクールの体罰教育を絶賛した石原都知事

平成16年第2回定例会 6月8日 代表質問〔中村明彦 議員〕
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/gijiroku/honkaigi/2004-2/d5124212.htm

○知事(石原慎太郎君) 中村明彦議員の代表質問にお答えいたします。
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最後に、今日の子どもたちを取り巻く状況についてでありますけれども、先般、カッターナイフで六年生の子どもが同僚を切って殺してしまった。ショックな事件でありましたが、それを聞いた文部大臣が、ショックを受けた、あらわす言葉もないと。肝心の文部大臣が、こういう事件を前にして言葉がないといわれたのじゃ困っちゃうので、やはりもっともっと本質的な反省というものを文部省もすべきだと思いますが、私はこういう事件が起こるたびに同じことを考えますけれども、不幸な事件が起こって、今裁判で収監されておりますが、戸塚ヨットスクール、これは戸塚君の決して創意ではなくて、ノーベル賞をもらったコンラッドローレンツという非常に秀でた動物行動学者が、人間を含めた動物というものの成長の過程で、それが一人前の動物、一人前の人間になるために何が必要かということをいっております。
それはまさに人間の脳の一番大事な脳幹、脳の幹を鍛えることであって、これは鍛えようと思えば十分に鍛えられる、また鍛えなくてはならない。それは結果として何をもたらすかというと、トレランス、こらえ性。つまり、他者とのかかわりの中で必ず摩擦が起きますが、その摩擦をいかにこらえて対処するか。人間が、動物が生きていく限り他者とのかかわりは不可欠でありまして、その中でいかに自分を強く保つか、自分を主張しながら保つかということのためには、つまりこらえ性が必要である。そのこらえ性は、脳幹の能力の問題でありまして、寒いからといってすぐ暖房、暑いからといってすぐ冷房、おなかがすいたといえばすぐ間食を許す、その他この他、やはりこの社会そのものに、つまり禁欲といいましょうか、そういう習慣がだんだんだんだん淘汰されてきて、大人も子どももこらえ性がなくなってきた。
だから、今回の事件一つにしても、たかだかホームページ、インターネットの書き込みで、わずか数行の文章で激高して自分が抑えられなくなる。これはやはり社会全体の責任であると同時に、親の責任でもありまして、最終的に最大の教育の責任者である親こそが、私はPCができないからということで済む問題じゃないし、プライバシーの問題もあるでしょうけれども、子どもの監督といいましょうか、しつけといいましょうか、そういった現代的なIT機器を通じても、子どもとのコミュニケーションが全く阻害されていて、早い話が、渋谷に行きますと、うろうろしている若い女の子、その親に電話をかけて聞いてみると、携帯買ってあるから大丈夫だと。そんなもので親と子どもが本当につながるわけがない。
こういった文明のあしき発展の中での私たちがすべき文明に対する反省というものが行われないと、こうした問題というのは後を絶たないのじゃないかと非常に危惧する次第でございます。

「文明のあしき発展」って、石原慎太郎は中国文化大革命の四人組? 禁欲?
くだらん。

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