とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

『観用少女 ープランツドールー』 を読んで

【女のために人生を棒に振る男達の話である。】

観用少女 1 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)

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男の生きる目的が、女にかたよりすぎていた時代を反映しているだけなのか。それを皮肉っているのかまではわからない。観用少女とは、ただミルクと砂糖を食べるだけで喋らない観用植物のような少女人形である。つまり、見て楽しむ存在ということだ。本編では、文字通りそういう存在の特別な人形があるという風に話が始まる。



登場する主人公は様々だが、その傾向はシンプルである。人生の挫折などから生きる意味を無くしているところに、観用少女に出会い、一目惚れし、家で待つ彼女の笑顔から活力をもらい、人生(主に仕事)に精を出す。ただいくつかその傾向を外れ、観用少女という存在を説明するような話と、観用少女を嫉妬の対象にして、現実の女性との恋仲を描く話もある。


一番感じたことは、女性のために頑張る主人公の姿があさましい。である。少女は高額で、すさまじい出費だ。しかし、彼女がかえすのは笑顔のみ。それでも満足する男たち。ここまで極端に女の尻を追いかけても報われないというような話を見せられると、女性を求める心がよりいっそう減退する。オタク文化は、生きる目的が女性に好かれることにすり替わった時代背景にあるとという本の中で紹介されているとおり、自分も同様の印象を受けた。

コードギアス(アニメ)を見て 

神アニメ最高でした。コードギアス最高です。一瞬も飽きないアニメだった。コロコロとキャラの視点が変わって複雑な構造になり、先が読めない展開の数々。この作品の脚本家は凄いなーー。それとも、こういうのは監督の手腕なのか。スクライドと同じ監督らしいですね。

コードギアス 反逆のルルーシュ 1 [DVD]

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まぁ、今回書きたかった一番は、ルルーシュとナナリーが奥手じゃなかったら、それでよかったんじゃね、っていうことですよ。(ナナリー好きなので、ルルーシュとくっつけたい補正が過分に入ってますが……)
ルルーシュは、ナナリーのために世界を作り替えようとしてた。それで、色々戦争どんぱちやることになったわけだが……最終回近くで、ナナリーから、「私が、いつそんなことを望みました」と返されたときに最初言ったことをおもった。「兄様といられれば、それでよかったんです」うん。それはもっと早く伝えられれば……あぁ、ナナリーw ルルーシュも、もっとはやく「暗殺に怯えるこの生活は嫌じゃないか?」と聞いてあげれば良かったのに。そうすれば誤解無く、戦争どんぱちをはじめることもなく、ルルーシュとナナリーが幸せになれたのに。


というわけで、生まれて初めて同人誌を、切に作りたいと思った次第です。ナナリーとルルーシュの或る世の出来事。
・生徒会メンバーと別れた後に、寂しさと日常への不安を募らせる。
ルルーシュが、夜中に回想に浸る。そして、ナナリーの顔が見たくなる。
・ナナリーの部屋。寝顔を前にして、普段話せないことを吐露する。
・ナナリーが実は起きていて、「兄様と・・」という台詞。
・二人がぽつぽつと本音を語り合う。
・ナナリーが、昔みたいに、同じベッドに入って話すことを提案
ルルーシュの肩にナナリ−が頭をのせたところで、さえこ登場 笑
・平然としてるルルーシュ。兄に甘えてるところをみられたナナリー赤面。さえこに指摘されて、それをみたルルーシュも初めて動揺。
・照れ隠しでルルーシュ退出。新しい理想の未来について歩きながら考え始める。
・突然部屋に戻ってきて、ナナリーと一緒に考えないとだよな。と台詞。



人は生きている。故に、世代という概念が生まれる。その概念は、生命・寿命という死への近さ遠さをあらわした言葉でもある。この死からの距離の違いは、人々に異なる利益への注目をあらわす。だから、死を乗り越えない限り人間は平等になれない。 明日死ぬ人が、30年後に出来る橋のためのお金をだすのだろうか。それを出させる政治を望むのだろうか。税以外でも、AとBの選択肢を選ぶときに、自分の死への距離を気にしない選択はないはずだ。 同じ文化、同じ民俗、同じ民族、同じ言語。教育や話し合いでそういった点は、理論的には均質に出来るように思う。同じような目的を持って、同じような考え方でルールを作っていけるそんな世界が、完全な話し合いが出来れば、可能だったように思う。


しかし、死への距離は調節できない。同じような目的の筈が、死への距離の差で、人々の目的がずれていく。目的が異なれば対立が生まれ、平和ではなくなる。まとまりがなくなる。 ふと、コードギアスを見ていて思った。人間を隔てているのは文化や価値観よりも、死そのものなのかもしれない。その乗り越えることの出来ない死そのものなのかもしれない。人は同じ時間に生きているようで、異なる時間を生きている。

『アマガミ』をプレイしてみて(PS2)

最近アマガミをプレイすることができた。アマガミを通して感じたことを書こうかと思う。一言で言うなら、自分には 棚町薫と森島先輩と七咲は攻略できない。ということだ。

アマガミ(特典なし)

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■写実と抽象

アマガミは、架空・仮想じゃなくて、リアル・現実に近いから、がその原因だと思う。実際のキャラで比較すればわかるので、森島先輩(アマガミ)と白河ことりダガーポ)を例に取る。どちらも、学校で1,2位を争うルックスで学校のアイドル。振った男は数知れず…そんなキャラである。自分にことりは攻略できたが、森島先輩は無理だ。なんで無理かと言えば、それは、現実的(写実的)すぎるからにつきる。画像を見ればまぁ一目瞭然だと思う。



キャラ(登場人物)というのは、デフォルメと省略によって作られた抽象的なものであるのが常だ。『あんなに目が大きい女なんていねーよ』とオタクを否定する声があるが、そんなことオタクも承知してる。あくまで、目の大きい娘の方が可愛いという現実的なイメージをデフォルメして、あういう抽象的なキャラの絵になってるのだ。各人の頭の中で、女性をイメージする起爆剤になってるのだ。



しかし、アマガミのキャラの絵は現実的すぎる。現実すぎるので、ぶっちゃけてしまうと、こんなに可愛い学年トップクラスの娘とは付き合えるわけない!!と思うから、攻略できないのだ。笑 堀北真希?新垣?に告白されるシーンを想像すればよくわかる。告白されたらまず、身構えてしまうと思う。ドッキリ?とか陰謀?とか。



とはいえ、現実的だからこそ良い面も勿論ある。現実的な自分の好みの娘がいたので、抽象的でぼんやりとした擬似恋愛よりも、現実的で濃厚な擬似恋愛を楽しめたということだ。梨穂子。最高です。気心しれた素直な女の子との、肩肘張らない付き合いは最高です。\^。^/






■新しいエロ

PS2でているソフト。鎖骨に?耳たぶに?膝裏に?キスする場所を選択できる?そんなこそばゆいゲーム。自分がこのゲームをして一番驚いたのは、今の時代に迎合した新しい官能ゲームだなぁと感じたことだ。従来のエロから新しいエロへの転機を期待させるゲームだと思う。


従来のエロとは、行為の本番の描写がメインだった。(エロゲーを月4本ペースでやっていた男が思う)いってしまえばSEXを書くか、書かないか。それがエロや官能だった。これは、おそらく制作者の育った世代の、ネット環境が充足していなかったためだと思う。性行為そのものが秘密で隠されていたために、それだけで興奮の対象になっていたのではないだろうか。官能=SEXの図式が成立していたのだ。


しかし、昨今は性行為の情報が、ネットで頻繁にupされアクセスが容易になったために、従来より性行為は隠されたものでなくなり、それだけでエロとはならなくなったのだろう。


アマガミ以前は、エロゲー業界はこの時代の変化に対応できてなかったように思う。エロでは売れないと判断し、タクティクスのoneやleafの痕などの謎ゲー路線、またはkanon airに代表される泣きゲー路線へ方向転換を行った。あるいは、ハードコアのSEXを扱った題材への2極化へと向かったように感じる。


アマガミは、少々フェティシズムの傾向は強いが、新しい時代の官能を目指し、示したものだと思う。(あれは断じて萌ではない) それはSEXそのものを書くのではなく、女性との性的様相を帯びた会話や振る舞いを丹念に入念に描写し、女性の恥じらいを我々に見せる。

どこでも見られる本番よりも、女性の理想化された恥じらう表情が、官能を感じさせる時代になったのだ。

そして、それは時代を捉えていたから、アマガミが売れたのかと思う。