メモ
幽霊の話。
奇跡も魔法もあるんなら、幽霊がいたって可笑しくないでしょう?
Nec possum tecum vivere, nec sine te.
(※本記事はLiar Softの「紫影のソナーニル〜What a beautiful memories〜」の応援キャンペーン企画として執筆した二次創作です)
それは、あるいは、物語には存在しない時間に交わされた会話。
ありとあらゆる物語は、パズルを模倣せざるを得ない。物語ると云う表現の特性上俯瞰の全容を一度に提示することは出来ないからだ。
書き手はピースを撒き散らす。端から順に――あるいは順番を無視し、勝手気ままを装って。全ての枠にピースが収まるとは限らない。間違った場所にピースを嵌め込んでしまったとして、それに気付くことも難しい。
だから、物語られた物語は、各々人の中で、別個の絵として結実する。
それは、あるいは、物語には存在しない時間に交わされた会話のように。
どこで交わされた会話なのかは分からない。
会話の確かさについても保証の限りではない。
そして――これが肝心なことだが――彼と彼女もあなた方がよく知る彼らではない。
これは、わたしが受け取った物語の囁き。
未だ、その言葉遣いさえ定かではない彼らがわたしの中で紡いだ一ピース。
――ブリキ男君は心だったね?でも、ない方が幸せだよ。心なんてものがあるから辛い思いをするんだ
――ヴィクター・フレミング監督作/「オズの魔法使い」より抜粋
「紫影のソナーニル」サポーターサイトに登録しました
現状、ちょっと手一杯なので、コンテンツの拡充は後ほどになりますが、頑張ります。
とある機械の夢のうた
捧げることだけが幸福だった。
愛情も、好意も、慶びも、突き詰めれば入力刺激に対する反応のパターンに過ぎないのだと、ロボット(わたし)は知っている。だから、わたしは愛に価値を見いださない。ロボットにとって価値あるものは、自身の存在の有用性だけだった。
Certa amittimus dum incerta petimus
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20100427/p1
「みやきち日記」4月27日の記事にトラックバック。
トラックバック先の記事『同性愛の「原因」や「目的」をさぐろうとする研究について、個人的見解』で結論として述べられている『同性愛は「『ランダムに繰り返される突然変異』のひとつが、環境に適応したもの」なのではないか』という考え方は理解できるんですが、そこまでの流れが良く分からなくてもやもやするので、考えをまとめる意味で、つらつらと。
まず、『2.目的論的世界観と呪術思考』項冒頭で挙げられている目的論は正確な解釈ではないんじゃなかろうか、と云うこと。
とは云え、自分も専門的な知識を持っている訳ではなくて、Googleでちょっと検索したくらいの知識しかないわけで、自分の理解が正しいとは胸を張れないわけですけど。
ただまぁ、辞書を紐解くと、目的論とは『人間に限らず広く自然のすべての現象が、目的のもとに秩序立てられているとする見方(※参考サイト http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/teleology.html)』と説明されており、みやきちさんが例として挙げた『くしゃみとヒットの関係』には違和感を覚えざるを得ません。これがたとえば因果論と云ったのであれば、まぁ分からなくもないんですけど、目的論は現象の秩序を理解するための考え方であって、物事の因果関係を説明するためのものではないんですよ、たぶん(※因果論と目的論の違いを「目的の主体の違い」で説明しているサイト http://cds190.exblog.jp/3953754/)。
まぁ、これに関しては、違和感があると云うだけのことなので、言葉の定義の話をしたいわけでは無いんですけど。
次に、『2.目的論的世界観と呪術思考』項中盤以降で述べられる『目的論的世界観の持ち主は、ここで「性交の『目的』は生殖である」というアクロバティックなすりかえを行』うという主張と、『本当に性交の目的が生殖なら、「なぜ人類がコンドームを発明したのか」「なぜ人類のオスは発情していないメスにセックスを強要するのか」などについて論理的に説明していただきたい』という問題提起について。
たぶん、この主張と問題提起の混線は、人類という系(システム)と身体という系、そして感情という系を一緒くたに語っていることが原因じゃないかと思います。
主張『性交の『目的』は生殖である』についてですが、人類という系(ひいては生命)は、生存すると同時に繁殖するという性質があります。この性質を目的と言い換えると、「性交という(人類という系が持つ)機能の目的(性質)は繁殖である」と云えます。ここで云う目的と云うのは、本能と言い換えてもいいかもしれませんね。
問題提起『なぜ人類がコンドームを発明したのか』については、自明ですよね。身体という系にとって、性交が快感だからです。云ってしまうと、『快感の受容体である身体にとっては、性交の目的は快感を得ること』ではないでしょうか。また、感情の系においても性交と生殖は別の目的で行いますよね。だから、生殖したく無くても性交したいという状況は当然のように起こりえるわけです。こういう場合に備えて、コンドームが必要とされたわけです。ちなみに、生殖と性交はそもそも『系』が異なります(もちろん一致する場合もあります)。
問題提起『なぜ人類のオスは発情していないメスにセックスを強要するのか』については――レイプのことを云うのであれば、男女関係は必ずしも常にそうとは云えないと云う前提は共通認識ですよね?――、愛情やら好意やらの感情の系と発情という身体の系は別物だからです。というか、この問題提起自体が論理的ではないので、何とも答え辛いですね……なぜ人類が好意の伴わない性交を行えるのか、という問題提起ならまだ分かるんですけど……
最後に、『3. ダーナー説やらルベイ説やら』項で取り上げられた諸論については正直眉唾過ぎて信じる気にもならないですが、同性愛などに目的や原因を求めたがる心理は分かる気がします。もちろん、理屈になっていない、現実に沿っていない、と云うことは分かるんですが。
目的や原因を探したがると云うのは、理解したいからです。もちろん、なぜ理解したいか、という話しに行くとまたややこしいんで割愛しますが、理解するための一番わかりやすくてお手軽な方法はと云えば、これは原因と結果がある『物語』にしてやることなんですね。因果が明確な物理現象はさておき、因果が明確ではないもの(たとえば人の心とかね)には、わかりやすいように物語を与えたがるのが人情なのです。理由や原因(つまりは物語)があれば、理解した気分になれる。これはそう云う学問でありそう云う話なのではないでしょうか。
なので、原因と結果を求める姿勢は、呪術的なものとはまた別だと思うのです。
まぁ、結果を見れば適者生存であり、そこには『目的』はないと云うのはその通りなんですけど、ここで云う『目的』って人間が意図するそれとは別もなんだよなーと考えるなら、それは一面の真実だということはまぁ、言葉でしかありませんね。ぐだったので以上。
(超走り書き。適当に消してしまうかも)