記録・情報・行間

メモをとるべきか。何のために? いつのために?
カメラ。マイク。情報量として圧倒的な記録を傍らに眺めて。
そのとなりの限られた脳と手と紙とペンで何を求める。
繰り返される一回な一過。矛盾の渦にどう歯向かう。
失われるものがあるから、残そうとするのだろう?
それは圧倒的な情報量のことか? 言うまでもない。
残すものはリマインダ。つなぎとめる情報の機能。
情報を残すことでしか、つなぎとめることができない。
だから「なぜ情報を残すのか」と逡巡する。はずれ。
プロセスは単なる点と点を指して「これとこれ」とよぶことで語るには尽きぬもの。しかし語ることは単なる点に対して尽きるもの。限界を突き破るすべは無粋で乱暴なやり方。「これ」と「これ」そして「いま」とたたみかける。「そのとき」にほかならないもの。意味は時間の外にある。ひとは内に。言葉は刻の刻み。あのときと同じ言葉は二度となく、ぶれた意味の絶え間なさから発生する生命の振動が、ひとがひとに与える言葉だ。

同人誌と表現を考えるシンポジウム

ウェブ上のレポ充実しすぎやろwwwww 人類の書きエネルギ(謎)はすごいなあ……。
ウェブは恐ろしいなあ。こんなんみとると自分で書くことなくなるやん。
いまさら何を書けと。環先生サイコー。とかミーハーぶってみるスタンスでよいだらうか。

思ったこと。

  • おれって情報感度低いなあ。
    • 「バーチャル社会のもたらす弊害からこどもを守る研究会」が常識扱いされていることにカルチャーショック。
    • はやりのマンガとかもよくわからんわあ。
    • 環先生のメディア論。メディアがひとに与える影響に関する研究が50~60年代にピークを迎えていたという歴史にこれまたショック。
    • これは識者の何人かもおっしゃっていたけど、自主規制の基準だとか、多重にフィルタする仕組みだとかが、現場レベルではかなりしっかりと形成されているんだなあと、素直に感心した。文化じゃん。まじで。
  • みんなしゃべりたいことしゃべってるなあ。
    • パネルディスカッション(?)というものに触れる機会があまりなかったので、司会のひとはうまいこと話を進めるんだなあと感心した。どういう話題をどこにつなげて、それをだれに振るかというのは、かなり知的な問題ですね。
    • どうしても初回の発言は当人のしゃべりたいことが抑えられないご様子。ちょっと「あれ、本題は?」と思ったところもあった(笑) しゃべりたいことをしゃべってる空気って伝わってきますよね。それがおもしろいかどうかっていうのは、わりと両極端な場合が多いんですけど。
    • 空気読まない環先生サイコー。
    • 望月さんはいかにも法律の先生って感じでいいキャラだった。この言い方は失礼か(笑)
    • やっぱりどんなひとでも論点にバシッと合わせることは(情緒的に?)難しいんだろうなあ。なまじ関心や知識の深い話題ほど語りたいことが溢れてくるし。そのなかでどう折り合いをつけるかっていうのは、奥の深い問題だなあ。

まあこの二点でしょうか。卑近な捉え方による感想としては。
あとは望月先生の「一度は法律の文章に目を通してほしい」という発言が印象に残った。法律のとっつきにくさを考慮したうえで、あえてこういう提言をなさるのには好感がもてますね。法律ってのは視点のひとつですよね。
やおいにおけるガチとロマンの両極化は興味深い(笑) やおいに関して踏み込んだ議論に至らなかったのは残念ですが、これはこれで関心がわいてきました。何フラグこれ?